はてなキーワード: 進学校とは
・小学生
小さい頃から根暗で引っ込み思案。バスケというチームスポーツでは迷惑な存在でした。
ある日、監督にメンバー全員の前で、「お前チームで浮いてるぞ。」と苦笑いしながら言われました。
自分は普通にしてるつもりなのに、みんなと仲を深められない。どうすれば浮かなくなるのかわかりませんでした。
元々私にとっては居心地の悪いクラブでしたが、監督の一言があってからは、練習が終わったあとの後片付けの時間に、いつも倉庫に隠れて泣くようになりました。
辞めたかったのですが親に「辞めたい」と言う勇気すらなく、卒業しました。
・中学生
ブスと言われ、クラスでいじられるようになりました。
私の行動や発言をクラス中が逐一ネタにする、という、よくあるやつです。
幸い完全に孤立してはいなかったので、なんとかやっていけました。
私とよく一緒にいてくれたグループは、いわゆるオタクグループなのですが、私はアニメや漫画をほとんど見ない人間でした。
グループで流行ってるアニメを見たりして、最低限の知識は抑えていましたが、オタクの話題にはその程度の知識では通用しません。しかもほとんどが腐女子だったのでもうちんぷんかんぷんでした。
ですので、話はすれど友達にもなりきれず、孤立を恐れた私は金魚のフンのようにグループにくっついて回りました。
部活は、経験のあるバスケをやりたかったのですが、小学校での苦い経験と、バスケ部のメンバーが軒並みスクールカースト上位のいじめっこだらけだったので入りませんでした。
進学は、そこそこの進学校に行きたかったのですが、自宅から距離があったのでやめました。
こうやって、やりたいことをすぐ諦める人間でした。
・高校生
1年生の後期くらいから学校を少しずつサボるようになり、2年になった頃には不登校になりました。
何もかもどうでもよくなり、自殺のことしか考えられない。1年生の頃はトップだった成績も、最下位レベルに落ちました。
担任に心療内科の受診を勧められ、鬱と社交不安障害と診断されました。数年通いましたが全くよくなりませんでした。自殺を図りましたか未遂に終わりました。
出席日数が足りず進学できなくなったため、通信制の高校に転学して卒業しました。
昔は大学に行きたかったけど、この頃はもうすっかり頭が悪くなり、これまでの経験から学校生活でうまくやっていける気もしなかったので、大学進学は考えられませんでした。
メンタルの調子が悪いままだったので、社員として働けそうにないと思い、実家に寄生しながら短時間のバイトを始めました。バイト先でも浮いていました。
2年ほどバイト生活をして、「いい加減就職しないと」と思い就職活動を始めた矢先、精神科に入院することになりました。閉鎖病棟で数ヶ月過ごしました。
治らないのは、病気でもなんでもなく、ただの甘えでこうなっているからだと気付きました。
こうして振り返ってみると、私の人生に不幸なんて何一つありませんでした。家族もいたし周りも優しい人ばかりでした。全部自分の甘えや選択が招いた結果です。
周りの人は、「私はこれを頑張った」「努力した」と言い切っていて、心底尊敬します。
私は頑張ったことや苦労したことがありません。何もない半生になってしまいました。
私より怠惰な人はあまりいないと思いますが、もしいたら、福本伸行の熱いぜ辺ちゃんでも読んで頑張ってください。
死にたい。
http://tenro-in.com/articles/team/22192
叱られることは滅多になく、むしろ先生や親たちからは「いい子」で通っていた。
自分の意思で、地元ではトップクラスといわれる進学校に進学し、国内でも難関といわれる国立大に進学・卒業した。
大袈裟かもしれないが「それこそが自分に課せられた使命だ」と考えていた。
親からは「自慢の息子だ」的なことをいわれ続け、今日まで生きてきた。
しかし何かが足りない。
何を、どれだけやっても、達成しても、達成感も満足感も得られない。
仕事をいくら褒められても、評価がよくて昇給や賞与がよくても、何かが足りない感覚が残る。
その正体が「華」だったのだ。
「華」は生まれもったものであって後天的にはどうにもならないのか。
「お前が今までやってきたことは全部無意味だったんだよ」と突き付けられたわけで、生きる意味を失いそうだ。
特定が怖いので所々フェイクとかを交えるのでたまに嘘が入ったりするけど、ある程度はきちんとしたことを書こうとは思う。
僕は田舎町で育った。ド田舎ではないがそこそこの田舎、町にコンビニが一件しか無かったり、8時には終電が出ていったりしてしまうくらいの田舎。
同級生は100人くらいいるけど、明日成人式で会うと言われても「クソほどどうでもいい」って感じしかしない。
大学に入ってわかったことの一つとして「田舎では勉強する環境を選べず、周りとの競争を全く感じず生きている」というのがある。
小中と勉強はできた。しかし生粋の変人、田舎特有の異質は排除されるというバイアスによってのけ者にされてた。
近所に住んでいて、幼稚園の頃に仲良く話していた女の子とは小学一年の時にからかわれたのが原因で、その子が話しかけてくることがなくなった。
新任の教師が3日で辞めるような中学しか町になく、それしか選択がなかったのでそこに通った。
こんなクソみてぇな地元を出たいと思って進学校を目指して勉強をしていたが、DQNに教科書を破かれたり、前日に受験票を燃やされたりして精神はズタボロ、高校受験は見事に失敗。結局地元のバカ高校に入学した。偏差値は40もない。
高校になって他の地区の人間が出てきたり、適当に話を会わせて一人で勉強してたので、とくに苦労もなくその道だと名の知れた国立大に入学できた。
大学に入って分かったことが、やはり都会は何もかも田舎とは違った。
学校を選ぶことができる、友人を選ぶことができる。他人に干渉されることが少ない。
当たり前かどうか分からないけど、これが都会ではごくごく普通のことだということをうらやましかった。
学校では休み時間に勉強したり読書したりすると叩かれたり、物を隠されたりした。授業はDQNたちが妨害するせいできちんと授業が執り行われたことの方が珍しい。このような雰囲気ではまともに勉強する人も無くなってくる。
家は家で、田舎特有の高校至上主義。地元名門の高校以外は頭の固いジジイババアがこれでもかというほどこき下ろす。田舎はどこの大学よりも、どこの高校かというのですべてが決まる、悪習しか残っていない土地だった。
勉強のために職員室に通ったり、図書館に行ったりもした。けれどもやはりいじめられたストレスに負けた。学年一桁には入っていたけど、世間的に見たらただのバカだった。親に受けさせられた統一テストも全国では真ん中より上くらい。これで学年一桁を取れるような地元に嫌気が差した。
結局受験前日の受験票を燃やされたので全てが終わった。(当日再交付はされたけどメンタルはズタボロ。ほぼ白紙)
なんとか入れた高校で、今までいじめて来たヤツらを見返すために必死になって勉強して、胸を張るとは言えないが一般では普通の大学には入れた。
大学に入って2年だが、刺激的な生活の連続だった。地元にはないような店がいっぱいあったし、何よりも友人と話が通じた。ろくに友人もいないような人間で、話が通じるような友人に出会えたことに感謝の念しかない。学力は人間を作るというのも間違いではないと思った。
間違っても型落ちのクラウンやマークIIを下品にシャコタンにして、バカみたいに低音を効かせたサウンドで夜中に走り回っては橋の下でタバコを吸ったり、たかだか数人が集まった写真をゴリゴリに盛って「地元最強卍」とかバカやってるやつらはいない。
そんなやつらをSNSで見てると反吐が出る。地元に残ってなにが最強だ。ロクに勉強もせず、ただ昔はヤンチャだったアピールをしてイキがっているだけなのに。
なぜそのような人たちの方が人生を謳歌しているのかが分からない。そういう人間に蔑まれ。いつか勝ってやると思ってた人間は地元には居場所がない。
岩手県一の進学校、盛岡第一高校では、男子生徒が黒塗りした裸に腰ミノをつけ、棒を持って踊る
昭和63年、女子生徒が生徒総会で、黒塗りで土人というのは差別ではないか、と問題提起し、校内
での議論・投票やメディアでの取り上げの結果、数年後に「猛者(もさ)踊り」と名称変更して赤や
(モヒカン等ネタ髪型強要など焦点のずれる問題は今回触れない。)
旧制中学からの伝統校で校歌が軍艦マーチ。「土人踊りの歌」(現「猛者踊りの歌」)も、インド
ネシア民謡を学徒出陣から帰ってきた生徒が伝えたもので、ある意味歴史遺産であろう。
3年経てば生徒が全部入れ替わる高校という場で、変更の結論が出るまでに5年かかったことを考え
れば、20年30年も現役張っているダウンタウンやとんねるず(保毛尾田保毛男)が時代感覚に即応で
きないのは仕方ないことかもしれない。が、漫才コントではないああいうバラエティは本人だけでは
なくP・D始めとしたスタッフも当然企画から関与しているわけで、公共の電波を使っている第四権力
日本人に黒人差別の意識はない、などという話は土人踊りの時にも散見された意見である。旧態の
まま存続、完全廃止、変更して存続、選択肢は3つあり、高校生は最後を選んだ。
昭和の終わりから平成初めにかけて高校生が既に出していた結論を、平成も終わろうとする時に、
土人踊りは今,どうなっているのか
http://excelact.com/Mori1/dojinnow.html
猛者踊りの歌
原曲「ノナ・マニサ」(インドネシア民謡),選曲 田村喜八(昭和22年卒)・竹原由雄(昭和25年卒)
http://www2.iwate-ed.jp/mo1-h/seitokai/song.html
弟が東京の大学に行きたいらしい。控えめに言って頭が沸いてるんじゃないかと思う。
どうしてやっと入れた高校を留年しかけた弟が、東京の大学に行けるのだろうか。
別に特段レベルが高いわけでもない、ただの公立高校の癖に、課題すらまともに出せなかった弟が。
定時制に無理やり転校して、そして結局この一年何の反省もせず、勉強もせず、だらだらごろごろしていた弟が。
高校時代、いや中学の頃から私は勉強を強要された。でも、大学に行きたいとも思っていたから私なりにも頑張って勉強した。
憧れの東京の大学、そして地元の大学、どちらも願書を出したのは国公立だった。滑り止めは受けなかった。
親に「東京の私立受けてもいい?マーチとかなら、受かるかもしれない」と聞いたら、「受けてもいいけどそんなとこに通わせるような金はないよ」とそっけなく返されたからだった。
落ちたら浪人しろと言われた。予備校に行くお金はないから、本当に全落ちしたら宅浪だった。
うちは貧乏なんだと思った。だから、三つ下の弟の成績が揮わなくて、理科と社会の授業も追加しようか、でもお金がないと話す親を見て、「じゃあ、私は塾辞めるから。弟にその分回して」と言った。お金がない私の家計と、頭の悪い弟の助けになるなら。
私は東京の大学は受からなかった。地元の大学には引っかかったから、そこに通うことにした。私の塾代を何食わぬ顔でふんだくった弟は、進学校でもないごく普通の高校に入って、挙句留年した。
高校三年にもなって、弟が自分の進路を何一つ決めていないのは火を見るよりも明らかだった。同級生は就職したり、専門学校に行ったり、次々進路を決めていると言うのに。
いや、ちょっと前までは東京の声優の専門学校に行きたいと言っていた。くそだと思った。
親は何も決めていない、何もしていない弟を見ながら「どうする?予備校に行って浪人?」とか言っていた。こちらはよりクソだと思った。
そんな弟が、突然東京の大学に行くと言い出した。親も私から隠れて、弟の入ることの出来るFラン大学を調べているようだ。返す言葉もない。
そんな金はどこにある。東京の私立に行かせる金はなかったんだろうが。
マーチですら出せないのに、どうして名前も聞いたことがないようなクソみたいな大学に、クソみたいな弟を入れる金があるんだ。殺すぞ。
高校すら留年するのに、どうして大学は留年しないと思っているんだ。親の目から離れて、東京に出たいだけじゃねえか。「俺の生きる意味なんてない」なんて、面倒臭いメンヘラ女みたいなことを言う男は、彼女作ってぱこぱこし放題か、パチンコ三昧だ。大学なんて行かねえ。
子が行かなかった他校の標語に「人間になろう」ってのがあった。中学生高校生なんてそりゃ人間以下の猿みたいなもんだし、と軽く流して、うちの子は人間以上だから行かなくていいとおもってた。
でも、高校生って自他ともにまともだとおもってるけどすごい間抜けな存在で、親がすべての力(気力、体力、時の運、金)の形で支えなきゃいけないんだなって今になってわかってきた。(万が一あなたが私の子だったらこの話すごくわかるよねw)
元増田は金を気にするけど(高校生は金がないからそこがどうしてと思うんだろうけど)、あなたが今すぐ親の側になれるかということだけでも考えてほしい。あなたに生活費を月20万上げますから、結婚してくれ、って顔のキレイな子持ちやもめ男が言ってきたらあなたはできるとおもいこんでる? 全然無理ですよ。子供をしつけた経験も、車の運転を習った経験も、合コンに出て酒をガンガン飲まされた経験も、働いた経験も何もないもん(どれかあったらそこはすみません)。高校生が何でもできるなんてフィクションの世界だけです。オリンピック出る高校生がいたってやっぱり「まわりがそうさせて」るだけ。一人でやったことじゃない。「みんな」になれるかどうかもわからないのが高校生。
つまり、親から見てあなたにはその気力、体力、時の運はまだないから金で知識と時間の余裕(=経験値)だけでも、ってこと。
人間になってくれ。それだけ。
僕は27才の男性。今までの人生の中で異性と恋愛をしたことがない。また、風俗を含めてセックスの経験も一切ない。
何でこうなったのか自分でもよく分からない。小学校、中学校、高校、大学と、全て共学の学校にいたが異性に対して恋愛感情を抱けなかった。
もちろん、異性に好意を持つことはあったが自分の中で恋愛感情に発展することがなかった。大学生の時には女性の人数が男性よりも多いサークルに所属し、女性の友人も少なからずいた。しかし、知人、友人という関係性が恋人という関係性に変質することは遂になかった。
大学を出てからはしばらく東京で働いていたが、持病の双極性感情障害が悪化し、2年前から寂れた田舎の実家で療養している。とは言うものの病気はそこまで重症ではなく、今は炭酸リチウムを1日2錠だけ飲んでいる。
僕は子供の頃から感受性の強い性格で、他人の感情に極めて敏感だった。常に周囲の反応が気に掛かり、叱られたり、注意されたりする度に、心が病んでいった。完璧主義の面がある一方で、興味の対象が移ろいやすく、1つの物事を長期的に成し遂げることが困難だった。
実は高校の頃にこの病気を発症し、高校1年生の時点で留年し、そのまま退学している。家で引きこもりながら、高認を取り、大学受験をした。はっきり言って、受験勉強は何もしなかった。いや、「しなかった」と言うより「出来なかった」に近い。とにかく長いスパンで、計画的に勉強を続けることが苦手なのだ。塾も2,3ヶ月で辞めたし、予備校も通信教育もまったく続けられなかった。今でもそうなのだが、机に向かって集中力の要る作業を長い時間続けることが、本当に難しい。一方で移動中の電車や自動車の中や、テレビのCMの時間と言った細切れの空いた時間に、英単語を覚えたり、読書をしたりするのは問題がなかった。その傾向は今でも変わらない。
大学受験の時は暗記科目がまったく分からず、ほぼ白紙回答だったと思う。それでも、受験先が低偏差値の所だったので一発で合格できた。今でも基礎学力が自分にないことに強いコンプレックスを持っている(学歴コンプレックスはあまり強くないと思う)。
とは言え、高校1年までの成績が悪かったわけではない。小学校、中学校の頃は成績は良かったし、高校も地元で評判の進学校に通っていた。数学は苦手だが語学、暗記科目は得意だった。高校の時に模試で県内上位に入ったこともある。まともに学習行動ができない性分だったので、なぜ自分の成績が良かったのか、未だに分からないでいる。
最近は昼間でも寝ていることが多く、自分磨きもできていない。何度かハローワークに行ったが、受付でパニックになってしまい、何も出来ずに帰ってしまった。ひきこもりの人が集まるような場所が近くにあり、10回ほど通ったが、この1年はご無沙汰になってしまっている。皆、定職を持っていて、無職の自分が惨めに思えたからだ。そこからの事務的なメールはしばらく続いたが、今年の春先にはそれも途絶えた。
唯一、まともに出来ていることは、夕食を家族に振る舞うことだ。簡単な料理だけではあるが、夕食は毎日私が作っている。鍋物、煮物、炒め物、パスタの中から2,3品調理し、両親と3人で食べている。得意料理はカレーライスと麻婆豆腐。これからは魚料理にも挑戦して、レパートリーを増やすつもりだ。
両親は共働きをしているが二人とも正社員でないので、収入はきわめて低い。このままの生活で私や両親の将来が大丈夫なのかと不安になる。母は「将来の当てがあるから心配するな」と明るい調子でいつも僕を慰める。しかし、貯蓄もなく借金だらけの我が家のどこに当てがあるのだろうか?何度尋ねても具体的な答えはない。うっすらとした不安がぼんやりとした日常の中で少しずつ重なっていく。
最近、童貞いじりや精神病患者、ひきこもり、生活保護受給者へのバッシングが世間で流行っているようだ。僕のような存在は世間から馬鹿にされ、見捨てられても仕方のない存在なのだろうか?この一年程は、家族と精神科医、スーパーやコンビニの店員以外と会話したことがない。何でもいいから僕に対する誰かの反応が欲しい。このままだと気が狂いそうだ。
50歳目前になって、自分の人生を生きてこなかった、ということに気がついた。自分のやりたいことがわからない。けど何かしなければならない気がしてアレコレ考えるけど堂々巡りになってしまい気疲ればかりしてしまう。
小さい頃から、頭は良いけど運動はできない頭でっかちな人間だった。学校の成績は良い方だったけれど、親にほめられた記憶はない。ほめられるどころか「お前は運動がダメだ」「お前は友達付き合いがダメだ」「お前は甘えが強くてダメだ」とにかく、ダメだダメだばかり言われて育った。反論しようとすると、何故か自動的に涙が出てきて何も喋れなくなってしまうので、反論しようとは思わないようにして、「そうだね、俺はダメだね」と同調するようにしていた。
中学まではそれなりの成績だったけれど、当然のように進学校に進んだら周囲がもっと出来る奴らばっかりで成績は下の方になった。ショックだった。周囲は皆遊んでばかりいるように見えるのに、何故か自分より成績が良かった。自分はダメな人間なんだと思い知った。勉強する意味がわからなくなり、不登校になった。
2年の引きこもり生活のあと、たまたま会社に勤めるようになり、仕事も色々任されるようになった。「自分はダメだけど頑張る」というサクセスストーリーに見えた。けれど、意識の奥底には「自分はダメ人間だから成功しない」という考えがあって、重要な役割からは言い訳をして逃げていた。自分が役職につくと周囲の人間に迷惑がかかるので、調整役に徹するようにした。
父親からは何かの折に「お前の教育には失敗した」と面と向かって言われた。出来損ないだというわけだ。数年前にも言われた。法事で親戚が集まっているところで、わざわざ「○○の教育には失敗したんだ」と宣言された。その場にいた人たちがドン引きしているような気がした。こっちはもう50目前、父親だって80目前だというのに、何故こんなことを皆に向かって宣言するのかわからない。反論しようとすると自動的に涙が出てきて反論できなくなるし、場をぶち壊すわけにも行かないので黙っていた。
けっきょく親から刷り込まれた「お前はダメ人間だ」という認識を超えることができなかった。ダメ人間なのだから何事も無難であることを優先した。360度全方位に対して遠慮し、自分の意見を出さず、意見が食い違ったときは相手方を立てる、自分が我慢することでその場をやり過ごすことを50年間ずっと続けてきた。自分を殺して生きるのが、自分の生存戦略だと思っていた。
だけどもう、そんなやり方も通用しなくなった。そんな自分の意見を持たずに言われたことをやるだけの高齢社員には居場所はなかった。最近は状況も悪くなり会社の余裕もなくなってきて、いつクビを切られるかビクビクしながら生活している。田舎なので転職先はない。結婚して子供も作り持ち家も買ったので金ばかりかかる状況なのに、人生詰んでしまった。死ねば住宅ローンはチャラになる(はず)。保険金も下りる(はず)。ダメ人間に残された最後の手段を考えながら今日も終わろうとしている。
へぇ…。私も中学二年のときいじめられてて、高校は都立トップクラスの進学校に行ったんだけど、表面的には優しくしてもらえたよ。一緒の中学から行った人(特に二年生のとき同じクラスだった)が少なかったからかな、とか進学校の人はやっぱり行動も大人なのかなと思ってたけど、後から聞いた話だと私は「変な子」として評判だったらしい。ただ単に連中は表裏の使い分けが上手かっただけだった。
社会人の世界でも本人がいないところだとさんざん悪口言っておきながら、直接会うと愛想良くしてみせる要領の良いヤツいるよね。あと、こっちに非がある場合でも直接指摘してくれないで、そーっと自分のそばから去って行くのとか。こっちが聞いても納得できるような理由があるんなら、黙って去るより指摘してくれる方が親切だと思うんだけど、言ってくれないの。もういい年なんだから自分で分かれよって話かもしれないけど、自分は空気読むの下手だから黙っていられたら分からないんだよ。多少欠点を指摘されてもいいから友達や知り合いを増やしたいのにどうすればいいんだ?
日本の学校は、偏差値が高いほど、歴史が長いほど、進学校ほどオフィス街に近い都心部に隣接するため、電車での何本もの乗車待ちや治安問題による女性専用車両の存続が必要などの移動に支障をきたす混雑問題が存在する。今日では公共交通の混雑緩和や自転車利用の解禁及び校舎の移転の議論が度々行われている。
ところが、市民団体などから「学校の移転は都心部の学園空白地帯化に繋がる」などの批判が殺到した。一般市民は「学生の痴漢被害や都心一極集中のオーバーヒートから少しでも遠ざけリスクを除去したい」と説明したが、市民団体などは「一極集中の有難さがわかる日がかならずくる」と抵抗したため、計画が進んでいない。別の一般市民は「運動のエゴのために現実を盾にし、弱者を人質にしている。学生や都心が被るリスクを訴えていたのであれば真っ先に実行を考えるのが筋であるが、リスクと隣りあわせでいいというのか」と話す。
今、東京では学校そのものの都心一極集中が社会問題になっているが、小池都知事にしろ、自民党アンチ(私は純粋な地方や郊外への逆流にも反対だが)にしろ、彼らは東京が一極集中のやりすぎでオーバーヒートしてしまう事を心から期待しているのだろうか?
小池にしろ東京都心一極集中賛美論者にしろ、彼らは学生を盾にして東京のオーバーヒートを野放しにしようとしているのが明白。「学園空白地帯化に繋がるから学園の分散反対」と主張する彼らは何も学生や都心のことなどは考えていない。オーバーヒートが顕在化して欲しいとする彼らの言動、思想信条、いざ問題が深刻化したときの言動、どれをとっても最終的には「一極集中は行きすぎだ」という結論に繋がるがそれも無視する。小池は他の大都市の学校の立地がどうなっているのかを調べてそれを学んで実行してほしい。
ツイッターで、県トップ進学校は校則がゆるいけど頭の悪い高校は厳しくてどうこうってはなしがあった。
しかし、自分のところはべつにそんな頭のいいところではないけど、そんないわゆる頭の宜しくない高校の厳しさなんてなかったがなあと。
もちろん、進学校のように特別頭いいわけでもないのにきちんとした校則がないわけだから、色んな意味でひどい状況だったけど。
割と頭のいいとこでも制限されてるらしい携帯・スマホに関しても完全自由だった。それどころかPCを持ち込んでいた。
まあまともに授業受けてる人なんてほとんどいなかったし、希望の進路に進むなんてのはほぼ想定されないことだった。
そんな自分のとこと対照的に受験の実績の良い、中学で頭良かった人が行った有名な進学校では、すごく厳しく勉強をやってると聞いて頭のいいとこは辛いんだなあ、違うんだなあって思ってた記憶がある。今思えば、その高校は典型的自称進学校だ。
親の高校は自分のよりさらにひとランク下だったけど、そんなに良くないのにわりと自由というのは変わらなかった。
まあ、ちゃんとした分析をやってるような頭のいい人の観測範囲にない、マジモンの「底辺」だから考慮されないということなのかもしれない。
だいたいは「厳しい底辺校」「ゆるい進学校」が現状で、そうするのが得策みたいに語られることがあるけど
得策だからこそ、それに当てはまらない、ほんらいもっと厳しくするべきなのに怠慢故に適当にやってる高校とかも普通にあるだろうし。
最近付き合い始めた彼女が県内一の進学校出身(+2σ>)なんだけど、セックス中に小難しい話をしてきて、その話がぜんぜん頭に入ってこない。自分は理系特化の高校で総合的にはせいぜい+1.5σぐらい。(二人の年齢は20代半ばから30代半ばのどこか)
例えば、「最近は中学校で平均値と中央値を教えているらしくて良いことだと思うが、正規分布とパレート分布ぐらいは教えたほうが、中央値を使う理由としてわかりやすいのではないか」とか質問してくる。理系的な話ならまだ分かるんだけど、歴史も好きらしくて、数人が入り混じり、しかも似たよう名前の人(徳川○○とか徳川XXとか)の相関や、逸話、年号の混じった細かい話をされると大混乱。
それを騎乗位中に腰振りながらしてきて、血流を股間に集中させれば良いのか、脳に集中させれば良いのかたいへん悩んでしまう。幸い彼女はとても濡れているので感じてはいるっぽいが。
なんで立派なトンビに産んでくれなかったんだ!とは思わなかったけど、「仲間もいないじゃないか!」は何回も何回も、思ったよ。
学校の先生が「この成績ならこの有名進学校に行ける。どうかチャレンジして欲しい」と何回も言ってきても、学費もあるし何より価値観が違いすぎて友達も出来なさそうだからランクを下げ公立高校に行った。
自分のことかと思うくらい、とても良くわかる。
20代、30代、40代と、他人の言うことを最優先にしてやってきた。
上司からも「お前はそういうやつだし、そういうところが良い」とまで言われ
言われたことはなんでもしてきた。
あの人に頼めばなんとかしてくれる、という地位を勝ち取った。
長男ということもあり、親の言うことをよく聞く子だった。
小さい頃に虐待されたような記憶はないが、いろいろ厳しかった。
高校は、地域では指折りの進学校に入ったので両親は喜んでくれた。
地元にいることが親孝行になると思って、地元の起業に就職した。
八方美人であることは認める。八方美人であることが、自分の良さだと思っていた。
怒られることや拒否されることを極端に恐れ、飲み会でも自分の意見はなるべく言わず
しかし、50歳を目前にした今、猛烈な後悔に襲われている。
きっかけは、高校の同級生がミュージシャンとして成功している(ように見えること)。
しかし彼は自分の夢を追い、東京に出て勉強し、今の地位についた。
決して楽な仕事ではないだろうが、テレビで見かけることもあり、まぶしい。
何もせず誰にも嫌われない人生を歩んできた。
誰かの反対を押し切って東京に出るなど夢にも考えられなかった。
農業から離れて「あの息子もやっぱりダメか」と言われることが耐えられなかった。
他人の目が人生のすべてになり、他人から見て立派であることが人生の目標になった。
確かに人には嫌われていないが、それが何なのか。
人生最後の日に向かうカウントダウンの音が聞こえるようになってきた今、
このまま何もしないで死んでいいのか。
なんか違う気がしてきた。
だけどもう遅い。
独立開業しようにも、他人の意見を尊重して組んだ住宅ローンの残債が重すぎる。
妻子を持つ身としては身動きが取れない。
このまま何もしないで終わる人生を望んでいたのに
何もしないで終わる人生が耐えられなくなってきた。
ふと、漫画の「君たちはどう生きるか」を読んだ。
「人間はそういうふうにできている」とのこと。
もっと若い頃にそういう考えをして、自分をきちんと認めるような生き方をすべきだった。
もう50年近く、自分を殺して生きてきた。
このまま気が狂いそうな後悔を抱えたまま死ぬのだろうか。
どうも、そうらしい
多分、母と結婚したのも
家を建てたのも
俺を上場企業に入れさせたのも
すべて、祖母に自慢するためだ
と、得意気に言う
俺たち家族は、所詮、父親の自慢の所有物でしかないんだと、強く感じる
祖父が亡くなったとき、母に対して、ろくに世話をしないで、毛嫌いしたから、死期が早まったんだと、根拠のない話を父親に吹き込んで、それを聞いた父は、激昂して、母親に辛く当たり続けた
その間に、母の親族が亡くなったんだけと、その時も、ろくに顔を出さず、うわべだけの態度で
うちに帰れば、母に対して、お前の運気が悪いから、不幸が起きるんだと、けなした
信じられないが、どうも、そういうことを祖母が話していて、それを父は鵜呑みにしていたらしい
どんだけ、てめえの親が好きなんだよ
と、父に対して思ったが、
父は、祖母と暮らすためにこの家を建てたようなもんだと、主張し続けて、嫌がる母を丸め込んで、同居させた
二世帯同居は、わかるが、なぜか、父の姉妹もうちに同居することになり、もはや、母の居場所はなくなった
度々の嫌みを聞かされ、ストレスがたまった母の愚痴を聞くのが帰省したときのお決まり
よく、母は耐えていると思う
大学進学を諦めた増田です。(何人かにコメントをもらったので、お礼と返信は下で。)
https://anond.hatelabo.jp/20171108152221
貧乏子沢山の長男です。この前、弟たちの学費のために、大学進学を諦めることになりそうって日記を書いた。
それなりの進学校に通っていて、大学進学を目指して学費を貯めていたけど、自分が高卒で働かないと弟たちが高校に行けないと言われた。その件でずっと親と揉めてて、学校でも居場所がない気がして辛かった。
そしたら昨日、二番目と三番目の弟が、高校には行かないと言い出した。中卒で芸人になるって言ってる。
これは自分と親が気をつけないといけなかったんだけど、狭い家だし口論は丸聞こえ。多分、それを聞いたからだろうな。
確かに弟たちは、勉強はあまり得意じゃないし自分と違って明るい人気者タイプだけど、芸人になるなんて聞いた事なかった。親は高校は出したいらしい(そりゃそう)。弟たちがどれくらい本気なのかわからないけど、一瞬で、自分の中で計算が働いて、2人が高校進学を諦めてくれたら自分は大学に行けるかもって、そんな事を思ってしまった。なんか本当、自分は自分の事ばっかだ。
以下返信
https://anond.hatelabo.jp/20171108152221
そうだね。でも当たり前だけど、ちゃんと育ててもらったとは思ってる。恩もあるよ。子どもたちのために、朝から晩まで働いてくれてる。
https://anond.hatelabo.jp/20171108152959
貯金はあるけど、自活できるほどじゃないです。
https://anond.hatelabo.jp/20171108153707
https://anond.hatelabo.jp/20171108160634
ジョブズの話は担任にもされたので、ちょっとびっくりしてしまった。建設的な意見をもらって嬉しかった。
でもね、正直ジョブズを引き合いに出されても困ってしまう。あの人は全世界の上位5%に入るくらい優秀な人だよね。そのくらい優秀だったから、学歴がなくても成功できた。
多くの人はそこまで優秀じゃないから、学歴なんかで武装するんだよね。自分も多くの人側だよ。
「今のあなたはシリアの難民に比べたらまだましな条件、環境を得ている。
あきらめるのはまだ早い。日本男児(女児)なら貧困に負けず自分の道を切り開いてほしい。」
そうだね。でもシリア難民と比べられてもって正直思ってしまうんだ。自分は日本の大学で、19歳とか20歳で大学生になりたかった。我儘だよね。
海外の大学に行くとしても、(弟2人が本当に高校を諦めない限り)10年以上先だと思う。ドイツ語もプログラミングも良さそうだなとは思った。でも、自分が進みたい道はそっちじゃなかった。逆転できる道っていうのは、やっぱり限られてしまうんだなと思った。
ちゃんとした意見をいただいたのに、否定的なことばかりですみません。今は何を言われても、でもでもって思ってしまうんだと思う。もう少し前向きになれる時がきたら、あなたの増田を何度も読み返すと思います。親身になってくれてありがとうございました。
https://anond.hatelabo.jp/20171110174442
ありがとう。学校の先生にも相談して、もう少しもがいてみたいと思う。
弟2人の進路は、自分も、本当言えば、高校は卒業したほうがいいと思う。多分、自分は今、思い描いていた理想の大学〜就職コース(文系国立、新卒で就活、某企業(行きたい業界、会社があった)に就職)からハズれてしまうことに、スネているのかもしれない。子供っぽい。
当然、何でもできるという万能感の確信があった。
誰でも必ず一度は感じる万能感、一人よがりではなく何かをするたびに人に褒められる快感。
義務教育をこなし、大した苦労もせずに高校も進学校!のようないいところに入れて順風満帆、これぞ人生を謳歌していた。
趣味でやっていたこともそこそこ評価があり、何事もうまく行くと信じて興味があること全てに手をのばした。
何一つ欠けることがなく、本当に自分が「珠」のような存在と信じて全てにのめりこんでいった。
好きな事がそのまま技術になっていったのと、嫌いな事を覆って余りあるほどの優位性。
前のめりで自分を研鑽し、試行錯誤を繰り返しながら磨き上げ、贔屓目に見ても一目置かれていた。
そうなると表舞台にあがるチャンスがあるし、掴むこともできた。
いやはや、これは才能というべきか。
と思っていたけれどもやっぱり壁はあるもので、今までと違う少しの違和感が即、無能感に直結してしまう。
今考えれば、迂回してもよかったものだったのだけれど、長年培ってきた万能感は全く許してはくれないし、
何よりも負けのような気持ちになってしまい、万能感を得るために意地でも乗り越えるため必死だった。
珠が石になっていくという感覚に囚われすぎて惨めな気持ちを味わった。
今は幼児的万能感という、誰もが体験する一つの青春なんだろうと思う。
大人になるということは出来ることもあるし、出来ないこともあるを知りながら、
なーんて都合のいいことがあるかと。
折られた骨は強くなって、今までやってきたことは古くなっていても、決して無駄にならない。
そして、万能感を持ち続けている人はそれを疑わない。
隠してでも幼児的万能感を持ち続けろ。
珠は転がるばかりだけど、石は坂道のどこかで必ず止まる。