はてなキーワード: グラフとは
先日当落が発表された今夏の夏コミC88において、艦隊これくしょん(略称:艦これ)のサークル数が大方の予想を大きく裏切って前同維持の1846サークルに留まる事態となった。
艦これの同人サークル数は、ゲームのサービスが開始して以来、常に明確な増加の一途にあった。
それが、種々のコンテンツにおける"最大の華"であるアニメ化をもってしてもほとんど増加を維持することができなくなったことに鑑みれば、艦これの同人界隈はついに最盛期を越えて「秋」の時代に突入したと言える。
約2年で成長の限界に達した艦これの同人界隈は今後どうなって行くのか、これまでの傾向を分析しつつ今後について言及してみたい。
尚、本稿は艦これやその他の作品並びにそれらのファンを煽ったり貶したりするものではないことを先に述べておく。
本稿を読み進める方は、あくまで冷静に数字とその結果を見ていただければ幸いである。
序文で「大方の予想を大きく裏切って」と述べた通り、C88の当落発表まで、Twitterや各種掲示板の艦これコミュニティでは「C88では艦これサークル数が2000を超える」ことがほぼ確実視されていた。
読者の方の中にも、漠然とそう思っていた方は多いのではないかと思う。
そのような意見が支配的だった理由を精査してみると、主に以下の2つの要素が根拠として挙げられていることが分かった。
まずは、これまでのコミケにおける艦これ同人サークル数の変遷を見ることにしよう。
・C86(2014年夏):1498 [+362:前同131.9%]
・C87(2014年冬):1840 [+342:前同122.8%]
※註1)C85時点では「301:艦これ」というジャンルコードは存在しないため、有志が計測した実測値となり誤差が含まれる
このように艦これの同人サークル数は毎回約350サークル増という極めて高い増加率を誇っていたことが分かる。
(尚、C84の締め切りは2013年2月であったが、艦これのゲーム本編の提供開始が2013年4月であるため、C84に艦これのサークルは存在しない)
また、2015年は年始からアニメ版艦これの放映が始まり、結果的に賛否は割れたものの大変な盛り上がりを見せていた。
前述したように、ゲームや小説や漫画を原作とする作品において、アニメ化は一般にコンテンツ最大の盛り上がりを見せる場となる。
この傾向は、例えば最近ではアイドルマスター系列作品やラブライブ、進撃の巨人などの作品でも明らかである。
(比較的誰でも簡単に確認することができて、かつこの傾向が顕著に表れる指標としては、pixiv大百科の各作品タグに掲載されている毎日の閲覧数を示したグラフが分かりやすい)
アニメが華と言われる理由はいくつかあるが、本分析のテーマである二次創作や同人に限れば「お金を払ったり特別な装置を用意したりせずとも、TVで見るだけで手軽にその作品の世界に触れることができ、新規のファンが増える」「声や映像によってキャラクターの所作や性格がイメージしやすくなる」という点が大きい。
上述の①及び②のような状況を見て、C88の1846サークル [+6:前同100.1%]という壊滅的な成長率を予想するのはほとんど不可能であろう。
特に②の要素は、他作品の当時の傾向に鑑みれば、本来であれば艦これ同人界隈に大きなプラスの寄与をもたらしたはずである。
C88での艦これサークル大幅躍進を確信する声がほとんどだった一方で、ごく少数ではあるがアニメの出来が良くなかったため、C88ではサークルが艦これから離れるのではないかという意見もあった。
確かに、艦これのアニメに関しては、一部の作画の問題やシナリオの迷走などで賛否が大幅に割れていたことは否定できない。
(賛否の割れた例としては、加賀の弓の構え方、赤城の食べていた大盛りカレーの描写、如月の轟沈、提督が吹雪を採用した理由など、激論が繰り広げられていたのを覚えている方は多いのではないかと思う)
これはニコニコ動画での放送後アンケートの結果からも見て取ることができ、特に3話及び9話以降で顕著である。
しかしながら、アニメが艦これの同人サークル数に負の影響を与えたという考え方には否定的にならざるを得ない。
C88の参加申し込み期限は、郵送が2/4(水)、オンラインが2/12(木)であった。
艦これのアニメ放映開始が、一番早いところで1/7(水)深夜であったため、C88の申し込み締め切りまでに4話あるいは5話まで放送されていたことになる。
アニメの前半期で大きく評価の割れた回は3話の如月轟沈の回のみであり、1~2話及び4話以降はしばらく相対的に評価の高い回が続いたため、サークル数の伸びをここまで抑え込むほどの壊滅的な影響があったとは考えにくい。(則ち、9話以降の影響は申し込み期限の時点では現れない)
もう一つの理由として、堅調なアニメDVD&BDの売り上げが挙げられる。
あれほどまでに賛否が割れたにも関わらず、アニメのBlu-ray Discの売り上げは初巻で2万枚に達するほどの売り上げを見せている。
もちろん、BDの売り上げが艦これの同人界隈の盛衰をそのまま反映する指標であるとは思わない。
また、全巻同時予約かつ予約キャンセルを受け付けない前提で別途特典を付けるなどの一部の販売方法の影響も少なからずあるかもしれない。
しかしながら、それでもなお2万枚という販売数は昨今のアニメBDの中でもかなりの上位に位置しているものであり、それだけアニメに否定的でないファンがいるということであり、言い換えれば艦これファンの絶対数自体がまだ多いということに他ならない。
また、後述するが、同人界隈の動向を調べる上で相関性の高いpixivやニコニコ動画の投稿数等も、アニメ放映中に増加していたことも付け加えておきたい。
以上を考慮すると、アニメがC88のサークル数増加に負の影響を与えたとは言えないと結論付けるべきである。
では、同人界隈と相関性の高いpixiv、ニコニコ動画の投稿数や実際の同人誌即売会のサークル数はどのように変化していたのだろうか。
同人界隈の各種分析を行っているありらいおん氏の所見では、「2周年を迎えた艦これの二次創作は、pixiv・ニコ動とも現在も拡大を続けています。アニメ放送後も、今のところ艦これの二次創作投稿が目に見えて減衰するような様子はありません。(中略)これからの1年も艦これでは活気のある二次創作活動が続くでしょう。」と結論付けていた。
http://ascii.jp/elem/000/001/001/1001334/
しかしながら細かく数字を見ていくと、実際には2月をピークに緩やかに減少を続けていたことが分かり、特に記事の掲載後には一部の指標で前年の極小値を下回る数字が現れていることが分かった。
言い換えれば、兆候はすでに現れていたということに他ならない。
pixivは同人サークルが多く利用している投稿サイトであり、そこでの作品投稿数と即売会でのサークル数の間には強い相関関係が見られる。
【月ごとの週平均投稿数】
・ 9月:3653
・10月:3266
・12月:3997
・ 1月:4089
・ 2月:4516
・ 4月:4001
・ 5月:3790
上記の調査結果から、艦これは昨年10月に極小値を示したあと、アニメ化の影響を受けて急回復し、今年2月にピークを迎え、その後緩やかに減少していることが分かる。
6月現在の投稿規模は昨年9月とほぼ同程度であり、アニメ化によるプラスの影響は全くなくなってしまったと言ってよい。
ここで注目したいのは、C88の申し込み期限であった2月の投稿数が極大値(実際には過去最大値)を示していることである。
C87の申し込み期限は8/21であったが、投稿数が当時の2割増しの状態でなおC88の申し込み数はほとんど増えなかったことになる。
・ 9月:13.15
・12月:13.98
・ 2月:15.61
・ 3月:15.57
・ 4月:13.84
・ 5月:13.02
となり、著しく減少していることが分かる。
特に6月はまだ全体平均が出せないとは言え、11月の極小値を下回る結果が出始めていることは驚きに値する。
pixivの傾向を見れば創作者、閲覧者ともに艦これ離れが進み始めていることが明らかになりつつある。
ニコニコ動画も伸び悩む。
投稿数を見ると、やはり2月の週平均投稿数1200を境に下降の一途をたどり、現在は週平均500未満まで落ち込んでいる。
これは昨年10月~今年1月の平均値とほぼ同じで、やはりアニメ化による効果は消滅したと考えて良い。
閲覧数もアニメ最盛期に週平均約13,500あったことと比較すると、現在の約8800という数字はあまりに寂しい。
これもやはりアニメ化以前の極小値である昨年10月の数字とほぼ同じである。
オールジャンルイベントではない、艦これのみを対象としたいわゆるオンリー即売会が振るわないという話を耳にしたことはあったが、実際にサークル数の増減を検証してみると、
・駆逐してやる!なのです!4:41(-4:前同93%)
・(舞鶴)砲雷撃戦!よーい!16:106(-23:前同86%) ※註2)
・海ゆかば3:133(-74:前同64%)
※註2)「砲雷撃戦」は開催地ごとに規模が全く異なるため、同じ開催地のもので比較
と軒並み前同を割り込む事態となっており、増加したのは
・西海ノ暁5:145(+81:前同179%)
など、わずかであったため、そのような話は強ち間違いではないことが判明した。
参加するサークル数が万遍なく減少しているということは、それだけ艦これの同人サークルが少なくなっていることに他ならず、コミケの参加サークルが頭打ちになっている傾向にも合致する。
無論、艦これはオンリーイベントが比較的多く開催されているためサークルが参加するイベントを選りすぐって見かけ上分散しているという可能性もあるが、昨年と比較して開催されるオンリー即売会の数自体も減少しており、疑問が残る。
コミケと同様に、艦これはその他のオールジャンルイベントでもサークル数が伸び続けていた。
しかしながら、実際に直近のイベントで検証してみると、どうやらすでに頭打ちの兆候は見えていたことが明らかとなった。
・コミックトレジャー:381(-34:前同91%)
直近の同人誌即売会の状況を分析する限りでは、C88での艦これサークル数の頭打ちはむしろ予想されてしかるべきものだった可能性が高い。
上述の各種指標が示す通り、艦これ二次創作の勢力が昨年最も低下した時期と同程度まで落ち込んでいて、尚且つ今もなお減少を続けていることを考慮すると、艦これ同人界隈はすでに成熟期を越えてその先へと足を踏み込んだ地点に達したというべきであろう。
アニメ化を経てその隆盛を維持することが困難であった理由を考察するのは容易ではないが、敢えてその愚を犯して私見を述べるならば、艦これそのものの手軽さゆえに訪れた結末なのではないかと思う。
艦これが多くの人に支持された一番の理由はやはり片手間で遊べる手軽さであると思う。
しかしながら、それ故にシンプルなデザインは大幅な要素の追加を許さず、システムの改良やシナリオの設定・追加などの大幅な改定が行われることはほとんどなかった。
加えて国産艦で追加できる艦は最早ほとんど残されておらず(「信濃」を除けばほとんどが駆逐艦のみ)、海外艦に活路を見出そうと試みているものの、必ずしもユーザーに好意的に受け取られているわけではない。(「ローマ」「リットリオ」などは残念ながらあまり芳しい評価を得られなかった)
イベントや改二、大型建造、キャラクターボイスの追加などで拡大・維持してきた人気を、ついに保てなくなる線まで達してしまったのではないだろうか。
言い換えれば、大変失礼な言い回しであることは承知の上で敢えて使うが、作品としての寿命が近づいているということになる。
再びC88に目を向ければ、半ば公式の同人サークルであるC2機関が落選していることも興味深い。
個別の当落をあれこれと詮索するのは良くないことだが、同規模の「東方Project」で言えば「上海アリス幻樂団」が落選するに等しい事態であり、今後の動向に注目が集まるのは必至である。
以上を踏まえると、今後艦これの同人サークル数が増えるというのはなかなか厳しい想定になると結論せざるを得ない。
これ以降もVita版やアーケード版の発売はあるが、アニメ以上のインパクトファクターになるとは考えにくい。
それというのも、艦これは先述の通りその手軽さがユーザーに受け入れられた大きな要素であり、専用のゲーム機を必要とするVita版、衰退著しいゲームセンターに設置される大型のアーケード版などはむしろその流れに逆行するもので、一時的な話題性はあるにしても、アニメほどの起爆剤には決してなり得ないからである。
各々の創作者に迷惑をかけかねないため詳細は敢えて省くが、すでに一部では「ポスト艦これ」を探る動きも出始めている。
これらは間違いなく即売会のサークル数にも影響してくることだろう。
すでにコミケのサークル数が減り始めている東方Projectの場合は、しかしながら各地のオンリー即売会がなおも堅調で、特に博麗神社例大祭の参加人数が一転して増加に転じるなど一部ではむしろ復調の兆しすらも見られるが、これはひとえに東方ファンが10年以上にわたって積み重ねてきた"基礎体力"とも言うべき根強い人気に下支えされての結果である。
近年のコンテンツ消費サイクルの激しい中、2年もの間同人人気を拡大し続けた艦これではあるが、そのような理由で「単に規模が似ているから」と今後の艦これ同人界隈の行方を東方Projectの現状をもとに比較することは困難である。
幸せとは何か
幸せの形は人それぞれ、なんてことをよく耳にするがそれは一部正しい。
どこか(場所)でもない、何か(物)、でもなく誰か(人)である。
ただその誰かはAさんにとっての誰かや、Bさんにとっての誰かは異なる。
私は旅が大好きで、バイクで九州を一周したり、海外をパックパッカーとして旅をしていた。
そこで色々な絶景を見たり、美味い飯を食べた。
また、刺激的な体験をしたり、様々な人に会った。
そこで楽しかったと懐かしむ思い出はどんな絶景でも飯でもない、
そこで出会えた自分にとって心通じることのできた友達と過ごした日々であった。
そんな人に出会えた旅は最高の思い出になるし、そうでない旅はとりわけ心の底から懐かしむことはない。
私はフィリピンで一人の女の子に出会い、たった2週間という短い間であったが一緒の時を過ごした。
お金もあまりなかったので綺麗なビーチに行くことも、面白いアクティビティーを体験することも、とりわけ日本よりもうまい飯を食うこともなくただ至って普通の日常を一緒に過ごした。
だけれど、今、私にとってフィリピンはどんな刺激的な国よりも思い出深く、懐かしい。
それがアメリカであろうとタイであろうと日本だろうと、高級なスイートに泊まろうが、エキサイトできるアクティビティーを体験しようが、リムジンやハマーをレンタルしようがしまいが全く関係なかったと思う。
私は人生の全てに当てはまると言い切る。
その誰かの気持ちまでは。
年収と幸福度のグラフなんか見たことある人もいると思うがそれがいい例だ。
なのにこの世の中のほとんどの人がお金があればなんでか幸せになれると思っている。
また、お金を稼ぐ意識の高い人に「何のためにお金をたくさん稼ぎたいの?」と聞くと大体が決まってこう答える。
「色々旅行したり、いい家住んだり、美味いもん食えるし、遊べるじゃん」
もしくはとりわけ理由に困る人たち. .
いずれにせよお金があれば幸せ、楽しいとぼんやりしたイメージで生きる人たち。
私は幸せの本質は誰かだと思っているので、一緒に旅行する誰か、一緒に住む誰か、一緒に美味い飯を食う誰か、一緒に遊ぶ誰かが一番重要で、幸せも楽しさも「誰と一緒にそれをするのか」次第で決まると思う。
もちろん必要最低限生活できるレベルのお金は必要なのは知っているし、お金で買える刹那的な娯楽も時に確かに楽しい。
そしてもちろん、仕事やお金を稼ぐこと自体が純粋に楽しいのならそれはそれで羨ましいとは思う。
しかし、幸せとは何か、幸せの本質を考え、見抜くことのできる人間は多くはない。または考えが浅はかなゆえ的外れである。
ゆえに、みな幸せになるために日々動いているはずなのに、実際は幸せとは関係のない動きをする。
結果幸せになれたり、なれなかったりする。
ここから先はかなりこの論理を突き詰めた考え方になってしまい、うまく説明する自信もないし、誤解も生じるだろう、またやや刺激が強く、理解するのも簡単ではないかもしれないのでそのつもりで心してほしい。
話を元に戻すと、幸せとはどこか(場所)でもない、何か(物)、でもなく誰か(人)である。
その誰かを探すことである。
お金を稼ぐことよりも、社会的に成功することよりも、幸せになることが当然みんな重要度が高いはずなので、その誰かを探すべきである。
道で気になる人を見つけたら勇気をもって声をかけてみよう。
出会い系サイトで真剣に誰かを探してみる、いいじゃないですか。
だが人びとはなぜ仕事のために、合間を縫って本屋でマーケティングやデキる会話術の本を熱心に読み勉強できるのに、日々の出会いに対しては大分運任せなのか。
なぜ人生で一番重要度の高いことなのに、そこを偶然や自然の流れに身を任せてしまうのか。
結局、言いたいことは出会いをもっと求めろかよって薄っぺらく思われるかもしれないが、実際この幸せ理論を行動に移すとなるとそうなる。
僕がからかったら、百万人がチョコレートは体重を減らすのだと勘違いした。その手法。
I Fooled Millions Into Thinking Chocolate Helps Weight Loss. Here's How.(John Bohannon)
(訳注:増田の新たな可能性。さあ英語ブクマ勢よ!添削し、正しい文を提示するのだ!)
「チョコレートで痩せる!」 こんな見出しが踊った。ドイツ人研究者チームが、毎日チョコバーを食べると低炭水化物ダイエットよりも10%も早く体重が落ちることを発見した。その記事は、ヨーロッパ最大の日刊紙のトップページを飾った。ジャーマンウイングス9525便墜落事故続報の真下にだ。それからそれは、インターネットの遥か彼方まで飛び火した。20を超える国と、半ダースもの言語に翻訳されてニュースになった。ワイドショーでも話題となった。それは最新のシェイプ6月号((訳注:つまり北米版「Tarzan」な))特集として、艶やかな印刷で現れた。(「何故あなたはチョコレートを毎日食べなければならないか」p128)研究では、チョコレートは体重減を加速させるだけでなく、コレステロールレベルを健康値にし、幸福度を増大させる効果があることも発見された。Bild(ドイツの新聞)の記事は、研究の筆頭著者であるIDH(the Institute of Diet and Health)リサーチ・ディレクターJohannes Bohannon博士の談話を引用した:「この手法の優れた点は……チョコレートはどこでも買える」
僕がJohannes Bohannon博士だ。まあ、実は本当の名前はジョンだし、僕はジャーナリストだ。僕は博士号はちゃんと持ってる。でもバクテリアの分子生物学ので、ヒトのじゃない。The Institute of Diet and Health((訳注:どう訳しても馬鹿っぽい……))?ウェブサイト以外には何も無いよ。
ささいな点を除けば、研究は100パーセント本物だ。同僚と僕は、ちゃんと実在するドイツ人被験者を雇った。僕たちは実際に臨床試験をしたし、被験者には色んなダイエット法を無作為に割り当てた。それに、統計的に有意な効果がチョコレートにはあるって報告は、実際のデータに基づいている。それは、実際の所、ダイエットの実地調査としては公平で典型的な研究だった。ひらたく言うと:それはヒドイ科学だった。 結果には意味が無いし、世界中の百万もの人々がメディアでがなり立てた健康の手法は、まったくもって根拠が無い。
僕らは、いかにしてやったか。
僕は、去年の12月にピーター・オネケンって名前のドイツのテレビリポーターに呼ばれた。彼と協力者のダイアナ・レーブルは、クズ科学ダイエット産業のドキュメンタリー番組に取り組んでいた。彼らは、ダイエットブームの背後にあるダメ科学入りのニュースが、どれほど簡単に作り出せるかのデモンストレーションを手伝って欲しいと言ってきた。そして、オネケンはとんでもないスタイルを望んだ:それを使って、ダイエット研究とメディア企業の腐敗を明らかにする。
呼び出し自体はそれほど驚かなかった。去年、僕は載せるのにお金を取る学会誌(オープンアクセスジャーナル)への囮作戦をやったからだ。アカデミック出版ビジネスの中で急成長中の、儲かる新しい分野だ。そういった出版社のうち何社が約束通り厳格なピア・レビューをするのか見つけるために、僕はバカバカしい欠点だらけの論文を送って、いくつ拒絶されるかカウントした。(答え:半分よりちょい少ない)
オネケンとレーブルは、全て揃えた:被験者を雇う為の数千ユーロ、研究する為のドイツ人の医者、それにこっちに都合の良いデータをこねくりまわす為の統計学者。オネケンは、僕の学会誌に対する囮と風刺の結果を聞いていたし、僕がどうやって出版させれば良いか知っていると考えていた。 唯一の問題は時間だった:この番組がドイツとフランスのTVで放映されるのが、晩春の予定だった(これは来週初放映)、だから実にたったの2,3ヶ月しかなかった。
どこかで出版できるか?たぶん。でも、その後は?僕はこれは正直失敗すると思った。僕ら科学ジャーナリストは、一般人よりは賢いだろうとの自負が有る。結局のところ、僕らは難解な科学の研究について、十分に説明できる程度には理解しておく必要があるわけだ。そして、科学的な素養を持たない記者でも、ほんのちょっとでもこのネタの為に裏取りしたら?本物の栄養学者でなくても、ちょっとした科学的素養を持つ誰かが相手なら? 彼らは、その研究がどんなにオカシクてモロいか気がつく。言うまでもないけど、ググってもJohannes Bohannonの名前も、彼の研究も、全然出てこなかった。ヘルス・サイエンスの記者連中は、ワンマイル先からでもこのごまかしを嗅ぎつけると思った。でも、できるだけ悲観的には聞こえないように、僕は言った。「これがどうなるか、、まあ見てみようよ」
オネケンとレーブルは、迅速だった。彼らはフェイスブックを使って、3週間のダイエットで誰にでも150ユーロを出すと言ってフランクフルトの被験者を募集した。ドキュメンタリー番組だってことはクリアに説明したけど、それ以上の詳細は伏せた。 寒い1月の朝、5人の男性と11人の女性が現れた。19歳~67歳だった。
この悪ふざけにノッた一般開業医、ギュンター・フランクが臨床試験を実施した。オネケンは、疑似科学ダイエットをこき下ろしたフランクの本を読んで、彼を推した。ダイエットサプリとしてビターチョコレートでテストしようというのは、彼のアイデアだ。なんで?と聞いたら、フランクは「自然食品」狂信者は気にいるだろうって言った。「ビターチョコレートは、マズイ。だから、体に良いハズだ」彼は言ったもんだ。「宗教に似てるのさ」
アンケートと血液テストで、被験者が摂食障害や糖尿病やその他の病気で無いことを確認した後、フランクは被験者たちを3つのグループに無作為に割り当てた。1つ目のグループには低炭水化物ダイエットを割り当てた。次のには、同じ低炭水化物ダイエットに加えて、毎日1.5オンス(42グラム)のダークチョコレートを。そして、残りのコントロールグループには、今のダイエット法を全く変えないように指示した。彼らは21日間、毎朝体重を測って、最後にアンケートと血液テストを行った。
オネケンは、ゴリゴリ数字を弄る為に友人で金融アナリストのアレックス・ドロステハールに頼った。週末に1樽ビールを差し入れた後……ビンゴ!低炭水化物ダイエットグループは5ポンド減量して、コントロールグループ(何もしてないグループ)の平均体重は、上下動ゼロになった。じゃあ、低炭水化物ダイエット&チョコレート組は?彼らは10パーセント早く痩せてた。かてて加えて、統計的に有意な差異として、チョコレートグループだけはコレステロール値と幸福度調査の値が良くなっていた。
何考えてるか判るよ。
この研究でチョコレートグループの体重減が早いのを見せたかったんじゃ-信頼しちゃダメじゃない?科学的じゃないんじゃない?
ここに、ダーティーでちょっとした科学の秘密がある:もし少人数に対して大量の物事を測定するなら、キミは「統計的な有意差」って結果をほぼ間違いなく手にすることができる。 この研究では、18種類も測った-体重、コレステロール値、ナトリウム値、血中タンパク値、睡眠品質、幸福感、ナドナド-たったの15人から。 (一人は落とした)この研究は、偽陽性のレシピで設計された。
計測対象を、くじ引きのクジだと考えて欲しい。クジはそれぞれ「有意な」結果を出すチャンスがあって、ストーリーを紡いで、メディアに売り込むための可能性を持ってる。もっとクジを買えば、たぶんもっと当たりやすくなった。上手くいくかは判らなかった-大見出しを賑わしたのは、チョコレートが眠りの質を良くするだったかも知れないし、血圧を下げるだったかも知れない-でも、最低ひとつは「統計的に有意な」結果が得られる可能性はかなり高いと判ってた。
ある結果が小さなp値を意味する、というフレーズを良く聞くかもしれない。このpと言う文字には言霊としての力があるんだが……まあ、ただのデータのSN比(信号対雑音比)という単位だ。 「有意」であるため閾値(カットオフ値)は、普通0.05だ。それは、5%の確率でその結果がランダムな影響かもしれないってことだ。 たくさんクジを買えば、偽陽性のチャンスを得る可能性は上がる。どれだけクジを買えば良い?
測定項目が18個あれば、p < 0.05となる「有意な」結果を得られるチャンスが60%を超えた。(測定項目は独立していなかったので、もっと高かったかも)このゲームは、僕らに有利に組み立てられた。
これをp-ハッキングと呼ぶ-0.05未満のpを出すために、実験手法とデータをこねくりまわす-そして、これは大きな問題だ。ほとんどの科学者は誠実だが、無意識にこれをやってる。彼らは結果が思い通りじゃなかったら、自分たちがしくじったと思い、「上手くいく」まで繰り返し実験をし、「異常値」を落とす。
ただ、p-ハッキングを避けようと注意したとしても、僕らの研究は(不幸なことに)被験者が少なく、コントロール出来ない要因に大きく影響を受けた。ひとつ例を挙げる:ある女性の体重は、月経サイクルで5ポンド(2.27キロ)も変動したが、これは低炭水化物ダイエットグループとチョコレートグループとの差よりもずっと大きい。これが、大量の人を対象にし、年齢や性別をバランスよくグループに取り入れる必要がある理由だ。(僕らは気にしなかった)
キミは、僕らの結果を解釈するのと同じくらい、紅茶を飲み終わった後のお茶っ葉の形を読んだほうが良い。(訳注:ハリポタにも出てくるが、茶殻を読む占いってのが有る)チョコレートは、体重減加速器かもしれないし、もしくはその反対かもしれない。キミは、ノンチョコレート低炭水化物ダイエットグループも、何もしてないグループも、同じくらい信用してはいけない。何もしてないグループの人達が何を食べたか、誰が知ってるんだ?僕らは聞かなかったけど。
幸運な事に、科学者達はこの問題に賢く対応している。いくつかの学会誌は、科学者たちのより良い習慣となるよう、p値の有意性をテストする段階にある。それに、もはや誰も研究対象の被験者を30人以下にはしない。りっぱな学会誌の編集者は、ピア・レビュアーに送る前に、即座に拒絶する。だけど、評判よりもお金のことを気にする学会誌も多い。
僕らの科学的なブレークスルーを、世界とシェアするタイミングだった。すぐに出版させなきゃいけなかったけど、ダメ科学だし、僕らはピア・レビューを完全にスキップする必要があった。 都合良く、手元にニセ学会誌のリストがあった。(これは僕のリスト、こっちは別のリスト)ちょっとタイトなスケジュールだったから、僕らは同時に論文を出した-「減量加速器としての高カカオ・チョコレート」-20の学会誌に。そして、幸運を祈りながら待った。
僕らの論文は、複数の学会誌に24時間以内に受け入れられた(アクセプトされた)。言うまでもないけど、僕らはピア・レビューに全く直面しなかった。熱烈なアプローチをしてきた、医学国際アーカイブ(the International Archives of Medicine)誌に、最終的には決めた。そこは、巨大出版社BioMedCentralによって運営されてるけど、最近オーナーが変わったばかりだった。出版社の新しいCEOであるカルロス・バスケスは、僕らの出した「傑出した原稿」をちょうど600ユーロで「我々の素晴らしい学会誌に直接掲載しよう」とJohannesにメールしてきた。(訳注:忘れてる頃だろうが、Johannes Bohannon博士はジョンの偽名だ)
アーカイブの編集者は「ジャーナルに提出されたすべての記事は、過酷な方法でレビューされる」と主張してたけど、僕らの論文はオネケンのクレジットカード決済が通ってから2週間以内に出版された。一文字も変更されなかったよ。
論文以外でも、ちょっと仕掛ける時間はあった。僕は、科学的なPRの仕事をしてる友達の友達を呼んだ。彼女は僕を通じて、見出しに載せるためのいくつか卑怯なトリックを使った。毎日僕が触れてるモノの別の側面を聞いて、ゾッとした。
コツは、信じられないほど怠惰なジャーナリズムを利用することだ。もしキミが正しく情報を紙面に反映できるなら、キミ自身がメディアに記事を書くのとほとんど同じくらい、中身を理解してるってことだ。事実、多くの記者たちが(文字通りの意味で)僕らのテキストをコピペしかしなかった。
僕のでっち上げたプレス・リリースをちょっと見て。全部入りだ。記者の専門語で:セクシーな導入部、判りやすくざっぱなグラフ、いくつかパンチの聞いた引用文、そして意外なオチ。さらに、すでに主要なポイントは詰め込んであるので、科学的な論文を読む必要が全く無い。 僕は正確さに特に注意した。記者連中を騙すというよりむしろ、論文についての完全に典型的なプレス・リリースで釣ることがゴールだったからだ。(当然、被験者の数や、グループ間の体重の差がすごく小さいことは書かなかった)
でも、良いプレス・リリースだけじゃ不十分だ。記者連中は、見出しに載せるなにか可愛い「アート」に飢えてる。
だから、オネケンとレーブルは、フリーランスのアーティストに依頼して、チョコレートと体重減少についてアコースティック・バラードとラップを作成させて、いくつかプロモーション・ビデオ・クリップを作った。(ほとんどどんなことでもインターネット上でやってもらえるってことが判るだろう)
オネケンはドイツ語のプレス・リリースを書き、ドイツの地方メディアに直接出した。記事の「専門的な」裏付けは、とても魅力的だ。たとえそれが嘘でも。そして、ドイツ語のプレスリリース爆撃はオーストリアでネットサービスから出て、イギリスでもニュースワイアー(訳注:海外にあるオンラインニュース配信サービス)の外に出た。品質管理なぞ無かった。それは記者連中に託されていた。
僕は、世界中で爆釣れしている中、自慢と嫌悪が混ざり合ったなんとも言えない気持ちになっていた。
餌に喰いついたと気がつく前に、デカイ魚を釣り上げていることすらあった。Bild(新聞社)は、急にこの記事を書いた-「チョコレートを食べてもスリムなまま!」-全然こっちに連絡無く。すぐに、デイリー・スター紙、アイリッシュ・エギザミナー紙、コスモポリタンのドイツ語版サイト、インド版のTimes紙、ドイツ版とインド版のハフィントン・ポスト、それにテキサスのテレビニュースとオーストラリアの朝のトークショー、に気がついた。
記者連中は、とんと僕にコンタクトしてこなかったけど、してきても投げやりな質問だけだった。「なぜチョコレートで減量が加速すると思いますか?読者に何かアドバイスは?」ほぼ誰からも被験者数については聞かれなかったし、誰も数は報道しなかった。誰一人として、他の研究者に聞いていなかった。他の研究者の引用は、無かった。
これらの刊行物は、大量の聴衆を操るけど、必ずしもジャーナリズムの美徳の鑑ってワケじゃない。だから、新しい見出しのためにちょっとしたデジタル撒き餌でも簡単に食いつくのは、別に驚くことじゃない。ベージビューを収穫して、次に行くだけ。でも、(恐らくは)厳格な地方局でも、同じように研究の穴を見つけることは出来なかった。
僕らの研究を伝えるシェイプ・マガジンの記事では-6月号の128ページを見てね-校正係(fact-checker)を雇っていたけど、でも他と同じようにやる気が無かった。校正は全部含めても、2,3の文の正しさと、僕の名前の綴りの確認だけ。校正範囲は、減量を促すチョコレートのカカオ含有量(81%)、2つのブランドの特定だけだった(食料品店とアマゾンで買える)。
いくつかは銃弾を避けた。ある男性向け健康情報誌の記者は、Eメールでそれほど厳密では無い質問をいくつかしてきた。彼女は、9月号の記事を予定していると言ってたので、僕らはその記事がどうなるかは全く判らない。
じゃあ、最も期待はずれだったのは?誰一人として、チョコレートミュージックビデオを使ってくれなかった。その代わり、みんなどことなくポルノチックなチョコレートを食べる女性のイメージを使った。たぶん、この音楽に僕らの生活の真実ってやつがにじみ出ているからだろう:
なんで気にする必要がある?必死に信用できる情報を求める人達は、ズラッと並んだダイエットガイダンスに戸惑ってる-塩は悪い、塩は良い、タンパク質は良い、タンパク質は悪い、脂質は悪い、脂質は良い-まるで天気みたいに変わる。
でも、科学は明らかにするよね、ね?今は、肥満を疫病のように言ってて、トップクラスの科学者達に資金が注入されてる。いずれ原因と治療法をクリアに答えてくれて、雑音は止む。
もしくは、そうじゃないかも。
公平に見て、十分な資金を持ち本当の減量科学の研究をしているところでは、混乱してて、結論を出せていない。非営利の栄養学推進機関(the Nutrition Science Initiative)共同設立者で外科医のピーター・アティアは嘆いている。例えば、女性の健康促進(the Women’s Health Initiative)-その種の調査で最大のものの一つ-で、ダイエットと健康についていくつかが明確になった。アティアは 「その結果は、混乱するものでした」と言う。「彼らは、10億ドルを費やしても、低脂肪ダイエットが良いか悪いか証明できなかった」アティアの非営利団体は、基本的な質問の答えを探すために、1.9億ドルを調達しようとしている。でも、肥満の科学に注意を向けるのはひどく難しい。彼は言う「あまりにも雑音が多すぎる」
キミは、僕みたいなのに感謝することが出来る。僕らジャーナリストは、日々のニュースという獣を養う必要があって、ダイエット科学は打ち出の小槌だ。読者は、赤ワインの効能やフルクトースの危険性について、十分な記事を読めない。一般的な関心事というだけでなく-それは、1日に最低3回は必要という決定に関連している-それは科学だ!僕らは、どんな報告でも、家から出る必要は無い。僕らは、メールボックスに届いた科学的なプレス・リリースを、デイリーニュースという小川にちょっと浸す。そして、ストックしといたスナップ写真を貼り付けたら、完成。
ダイエット科学の唯一の問題は、それが科学であるってことだ。キミは、科学の論文の読み方を知っている必要がある-さらにいえば、本当はやってみる必要もある。とても長い間、人々はゴシップみたいにこのインチキと同じプレスリリースに飛びついては流行を作ってきた。願わくば、この小さな実験が、記者連中や読者を、もっと疑り深くしてくれますように。
もしも、どれだけの被験者を対象としたか明らかにしない研究、「統計的に優位」と言うにも関わらずどれだけ影響が大きいか言わない大胆なダイエット法が発表されたら、キミは「なぜ?」と思うはずだ。でも、大抵の場合、僕ら(訳注:忘れた頃だろうが、科学ジャーナリスト)はやらない。 残念だけど、ジャーナリストは事実上、相互評価(ピア・レビュー)のシステムで動いてるからだ。そして、僕らが失敗すれば、世界はジャンクサイエンスで溢れかえる。
この悲喜劇にも、希望の光はあった。記者連中が僕らの「発見」を吐き出している間、多くの読者が思慮深く、疑い深かった。オンラインのコメントで、彼らは記者連中が聞くべきであった質問をポストした。
「なぜ、各個人のカロリーを計測していない?」ボディービルフォーラムで読者が質問した。「このドメイン(IDHのウェブサイトのモノ)は、3月に登録されてて、大量のブログやニュースは、この研究以外には触れていない(ググれ)。これは誰かが背後に居るぞ」ドイツの主要なオンラインマガジンの内の一つ、FOCAS Onlineの読者が言った。
また、先見性のある読者が、4月4日のデイリー・エクスプレスの記事にこうコメントした。「栄養学は毎日がエイプリルフール」。
更新:the International Archives of Medicineのウェブサイトからは取り除かれちゃったけど、ココで読めるよ。
(訳注:修正済みのためCorrectionは訳さず。あと、何箇所か言い回しが怪しいので、適宜修正するよ)
流れとしてはそっちしかないと思う。
ただ、新技術への移行っていうのは、移行コストもかかるし効果の予想もしにくいしで、従来の技術がいよいよ使えないとなるまで何やかんや理由をつけて遅らせられる。要求クオリティが上がって本来なら人件費が上がるはずが、労働条件を切り下げても文句が出ないとなれば、コストカットして従来の技術を延命しようとする。
アメリカの場合、組合があるからアニメーターの待遇を切り下げることができないって事情もあって、数年前までに完全に2Dを捨てたんじゃない? (2Dアニメーターにとってはそれが職を失う結果になったわけだが。) もちろん3D技術の進歩はあったわけだけど、技術と採算性のグラフがクロスするポイントってのは、労働条件をいじればある程度操作できる。その予算では無理です、となれば他の方法を探すしかないんだから。
だから日本での制作状況について色々騒がれるのは良いことじゃないかな。もう条件を切り下げるのは無理っていう常識が広がれば、新技術を使うしかなくなるから。もちろん今までのような表現が思うように出来ないって文句は(作る側からも、観る側からも)出るだろうけど、新しいものへの移行ってそうやって起きてくるものだし。
2Dルックといえば数年前のDisneyの "paperman" はすごいと思ったな。単にレンダリングするだけじゃないから手間はかかってるけど。ああいう実験的な短篇で技術を試してどんどん本制作に取り込んで行くのは強いよね。
まとめられてる人たちって、論壇フェミニストを指して「勉強のできるブス」という言葉を使うんですよ。出生動向基本調査から、そういう女性も自分より上の収入の男性を好む。しかし自身の収入も高いので選択肢が少ないし、アホな美人女性と競合する。で、我慢できずにいい男の2番手を目指す。経済負担をシングルマザー支援で回避しようとする。なので論壇フェミニストが主攻撃対象になる。
大石陽@聖マルク @stmark_309
≫stmark_309 シングルマザー保護を充実させた結果として事実上の一夫多妻が実現したというノルウェーの統計があるんですよ。んで財源は独身子なしの男女。で、事実上の一夫多妻状態なので独身子なしは男性のほうが圧倒的に多いって話。
大石陽@聖マルク @stmark_309
≫stmark_309 これのページ番号6(pdf8枚目)https://www.ssb.no/en/befolkning/artikler-og-publikasjoner/_attachment/39581?_ts=132b433a8c8 や、こちらのページのグラフ http://sciencenordic.com/quarter-norwegian-men-never-father-children を参考にして手繰って頂けると思います。
≫stmark_309 Low fertility ...(略)The proportion of childless women has remained stable(略)45-year-old childless men is considerably higher than for women of the same age, and an increasing number of men are childless. のあたりです。
大石陽@聖マルク @stmark_309
≫kyslog ありがとう。俺が見てた統計はノルウェー公式サイトの http://www.norway.or.jp/norwayandjapan/policy_soc/policy/-2013/ これ。網羅的なのでおすすめ。
≫ stmark_309 ありがとうございます。私も参考にさせていただきます。
のを解決したのでメモ
初期設定だとメニューからgnuplotもしくはgnuplot_pipesでplotしようとした時に
set term wxt size 640,480 font "12"; set term pop
^
と出てグラフが表示されない。
これを解決するには
~/.maxima/maxima-init.mac (無ければ作ること)
に
set_plot_option([gnuplot_default_term_command,"set term x11;set term pop”]);
を記述することでx11が起動しグラフが表示されるようになる。
再度元増田だ。無粋なのだが、返答を期待しておられるようなので有難く答えさせていただく。
「大筋、その通り。だけど反面教師にするのもいいけどまだ教材は残っているかもしれませんよ」って感じです。
2,3付け足すと、「異常すぎるほどの狂気は案外救助方法を明確に示していたりする」という話。
年齢別や地域別に分けられた賛成と反対のグラフが示したものは「弱者が存在している地域がこのプランに反対した」ということだった。
もっと言えば賛成が投票者の半数を示した部分もいわば「精神的な弱者」を示しているのだろう。
それは大阪市民が出した答えの為だと思っている。
大阪がこれから辿るのは「維新に入れる馬鹿が居たけど与党がギリギリのところで救ってくれた世界」じゃなくて
「維新もそれ以外もゴミクズなのはわかったから、逆にそのアホを上手く扇動して自分たちが住みやすい環境を作っていく世界」の為の話。
で、他の地域の方々は与党が言うなら右に倣えでいいなら、多分与党が言うならどんな悪辣とも手を組むっていう手段でいいんだろか。
まぁ良い訳ないよね、言い訳できなくなるからね。でも変えなきゃいけない。多分民衆から、一歩ずつ。
ナンセンスな答えが出そうになったら即座に切って、いつまでもよりよくなるために研鑽させる民衆になっていかなければならない。
だって、「その笑いですら誰かが齎した狂気の一端かもしれない」んだから。
半分眠い頭で書いたから「まぁ文章にして残してるだけでいいや」って思って預言書ぐらいの勢いで書いてしまった。
それから別に「そんなこと思ってる市民いるわけねーだろwww今頃悔しがってもう一度維新に投票させるに決まってるwwwwww」って言われてもかまわん。
だけど、絶望的観測をしてて前に進む人間なんざいないし、希望的観測でも前っていうか一歩二歩進まんと停滞だしさ。
めんどくさがって止まってたらようわからん勢力のようわからん方々に色々取られてごちゃごちゃになるだけだって今回の大阪や今まで日本が抱えてる問題見てたら理解できると思うしさ。
これ。
記事の冒頭に、アメーバ運営のサイトから引っ張ってきた画像がデデンと掲載されています。
記事の筆者は、画像に「(参考:Amebaみんなの編集局にある報酬制度より)」とキャプションを入れてますね。
画像を「引用」しているのかと思い、記事内でこの画像についての説明や言及を探してみるも、この画像そのものについての言及はありませんでした。
つまり、この画像は記事内容に「不必要な掲載」であって、「引用」ではないわけです。
もしかしたら「画像に関連すること書いてる」と、あくまで「引用」だとする人もいるかもしれませんが、記事はこの画像を掲載する必要性があるものとは全く思えません。言及してない。なくても成り立つ。
ただ、「アメーバのサイトから引っ張ってきた画像」といっても、いわゆる「コピペ」ではありません。アメーバのサイトのこのグラフ部分は背景が透明になっているため、普通に転載することはできません。記事の筆者はグラフ部分の前後の説明を含めてキャプチャーを撮って掲載したようです。
しかしどうでしょう。「転載」や「コピペ」ではなくキャプチャーを自分で撮ったからといって、自分の所有する画像であるから自由に使えると主張できるのでしょうか。
「記事の冒頭にちょっと画像がほしいな~」「記事のアイコンになるような画像をいれとこ~」と軽い気持ちでキャプチャーを撮って掲載したのだと思ってしまいます。
そのようなつもりで人のサイトの画像のキャプチャーを撮り、掲載できるのでしょうか。
こんなこというと、テレビはどうなんだ、という意見がでてくるかと思います。確かにテレビや新聞などのマスコミが時事ニュースを伝える際に、ニュースに関わるサイト画面の映像や画像を掲載していることがよくあります。著作権法的には時事性のある報道目的ならば転用が認められているとされています。かといって今回の「め~んずスタジオ」の画面転用の仕方に正当性があるのか、疑問があります。今回切り取られた画面は、Spotlightの報酬が書かれたページのグラフの部分だけです。報酬ページから記事で使いたいところを恣意的に切り取って画像化して掲載したのですね。最初の段落でも指摘しましたが、この記事ではこのグラフ部分について何か批評しているわけではありません。あくまでサイトに華を添える目的で掲載しているだけの不必要な転用です。時事報道でサイト画面を使いたいならば、サイト画面全体を映したもの、もしくは報道で言及する部分のどちらかを掲載するのが普通ではないのかと思います。
今回のサイバーエージェントのSpotlight炎上話は、個人ブログの画像の不必要な転載が始まりでした。「引用」ではなく「盗用」とされたのですね。では、このライターが個人ブログの画像を「転載」したのではなく、「ブログの該当部分のキャプチャーを撮って掲載」していたのなら、誰も批判しなかったのでしょうか。そんなことはないでしょう。まさにSpotlightを批判している人が同じあやまちを犯してしまっていると思います。
こういう人けっこういるんじゃないかな。
関連メモ
日本の皆さん、これは強い警告だ。注意して聞いて欲しい。
ついにAppleWatchの試着が開始される。そして販売も控えている。
林檎信者(以後、信者)と対林檎情強局(Counter-appleism Intelligence Agency、以後CAIA)とが日々情報戦を行っているが、ここで私が手に入れたリポートを基に、真実を明らかにしたいと思う。
当面は、強い信仰心を持つ信者と、潜入したCAIA職員のみが試着することになるだろう。
しかし、Appleの生産及び流通の強大な管理能力を考えると、一般人がデバイスを購入できてしまう可能性が非常に高い。
「何やってるの?」「ああ、政府の陰謀を明らかにする告発文を」「モルダー、あなた疲れてるのよ」
そうした場合、大抵既に引き返せないほどにAppleに侵食されてしまっている。
残念なことだが、無理に衝動を抑えても反社会的な行動を取りかねない。
症状を抑えるにはコントロール、つまりゆっくりとした減林檎が重要だ。
簡単な診断方法として、以下を参考にして欲しい。
こうした場合、かなり重篤な信者の典型的な症例であり、AppleWatch購入が薦められる。
「あら?でもiPhone便利よ」「中毒者はみんなそう言うんだよ」「今どきそんなの流行らないわよ」
ただ、先程も言ったとおり急な断薬は禁断症状があり危険である為、コントロールした減薬が必要である。
つまり、新たな信者を創りだしかねない場合は、周囲の人間が強く止めるべきである。
近親者が注意すべき、AppleWatchを購入してしまいかねない人間の特徴をリストアップする。
リストを見れば判る通り、人類に対するiPhone、つまりAppleへの普遍的な依存を促すデバイスとなっている。
「でも、医学的には定期的な運動は健康に繋がるのよ」「管理された健康は、自由の侵害だよ」「気にしすぎよ」
日本では「スマートフォンを捨て、書を読み、友と語らおう」とする演説が行われたと聞き及んでいる。
本来、会食中にメールのチェックをしたり、SNSに投稿するのはマナーに反することだ。
礼儀正しい日本人は、職場外であっても上司との食事中には時計を確認しないと聞く。
嘆かわしいことに、常にiPhoneを身につけ、常に画面を見つめる人間が増えている。
これは由々しき事態であり、そう感じる常識的な人間は幸いなことにまだ多い。
腕時計という一般的な装飾品の形を取り、iPhoneを常に腕に付けるのと同じ作用が生じる。
今までランチ中にはメールをチェックしていなかった同僚が、腕時計を見るようになる。
SNSに依存していなかった友人が、腕時計の振動を気にするようになる。
更に、スケジュールやToDoリスト、居場所やメモに至るまで、全てをAppleに委ねることを促進する。
Appleが全てを把握し、Appleがアナタに対して命令するのだ。市民、運動の時間です、と。
「ワーカホリックを増やすとする根拠は無いわ」「James E. Katz博士の論文を読んだかい?インドや韓国でも」「疫学的な論文じゃ無いわよ」
CAIA職員は、一般にはAppleの人類に対する普遍的な支配に対抗する秘密組織として認識されていると思う。
しかし、実体としては相互依存状態にあり、冷戦構造を維持することで結果的にAppleの支配を増やす方向に働く。
結論から言ってしまえば、次のような一見批判に見える情報操作は、逆にAppleWatchへの興味を引き立てる。
「そんな組織はあなたの妄想よ」「即座にこれだけの反論が付くのは常識的に考えられない」「ファンにはアンチもつきものよ」
機械式腕時計へ植え付けられた幻想(それはまさに幻想と呼ぶに相応しい市場だ)がある為、宝飾品業界や時計業界は何も言えない。
「社会人は腕時計に幾ら以上かけるべきだ」とする言説は、日本社会にも根深いと聞く。
本来腕時計はその技術やデザインに惚れ込み、統一感を持たせるための宝飾品として身につけるものだ、
そういえる界隈は、日本円にして数百万円程度では意に介さない。
15万円の玩具は高いが、15万円の機械式腕時計を保有する日本人は多いだろう。
スマートフォンを取り出すという行為が不作法に見える、依存症に見えるという風潮を作り上げる土壌となる。
非常に残念なことに、Appleデバイスの連携や連続性は偏執的なまでに高められている。
まるで後方互換性を異常に意識して継続させようとした往年のMicrosoftを観るようだ。
我々はスマートフォンを見入る相手よりも、腕時計を付けるだけの相手を好ましく思うようになる。
病的なまでに連携するAppleデバイスと、発散し続けるAndroidデバイスのどちらをより好むかの問題となる。
往々にして、運動量計のノウハウを蓄積する企業と、そうでない企業が連携し、成功する例は少ない。
iTunesの際にAppleは示して見せた。技術ではない、CDを持ち運ぶ手間は少ない方が良い。
Macの際にもAppleは示して見せた。性能ではない、最低限の機能とデザインがあれば良い。
ニンテンドーは健全に検討していると言えるが、ビジネス向きとは言えない。
運動量計のような、スポーツ製品の方が実は連携しなくても良い。
Appleがしきりに宣伝する、スポーツ選手、エクストリーム競技、健全な競技者達はAppleWatchを必要としない。
それを身につけることで、そうなるであろうというイメージの刷り込みだ。
そして、運動量を気にする、運動をしないビジネスマンが腕時計を求める。
ガジェットではなく、腕時計だ。ビジネスの場に相応しい、ギークの"好まない"装飾品だ。
そういう人種は、腕時計と玩具を比較する。そして腕時計業界の幻想に引っ張られる。
どれだけの人間が、iPhoneの足りない部分、売れない理由を考え出しましたか。
今でも単体のデバイスとしてiPhoneよりも優れているものはとても沢山あります。
しかし、バックアップが自動的に取られ、水没しても新品の交換ですぐに復帰するデバイスは少ないでしょう。
そして、そのバックアップにはPCが居るのです。AppleIDも必要でしょう。
PCとスマートフォンとタブレットと、多数の端末を同期する手間は、どれだけのものでしょう。
Appleはそれを用意し、囲い込み、自由を手放すことで安らぎを与えるのです。
183ブクマでいいたい放題の割には、ソース元のYoutubeの再生回数289回。
(4:22~の数分と、最後の記者団からの質問だけみりゃいいよ)
すき家戦士 訳500人と30000人の下僕。グラフ見る限り一応、改善委員会立ち上げて改善してるんじゃねーの?相変わらず、ケンシロウ会長の「全世界から飢餓と貧困を無くす」みたいな寝言は言ってるみたいだけどさ。
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20150322k0000m010039000c.html
内閣府は21日、「社会意識に関する世論調査」の結果を発表した。現在の日本の状況について「悪い方向に向かっている」と思う分野を複数回答で尋ねたところ、「景気」が30.3%で、昨年1月の前回調査から11.3ポイント増えた。「良い方向に向かっている」分野では「景気」は同11.6ポイント減の10.4%にとどまり、安倍政権の経済政策「アベノミクス」の恩恵を国民が実感できていないことがうかがえる。
ということで、へーそうなんだと思いつつ、同じ調査を定期的にしてきてるのかな? と思ったら
http://survey.gov-online.go.jp/index-sha.html
↑どうもやってるみたい
せっかくなんで、どんどん過去にさかのぼって、どういう上がり下がりがあるものなか見て、エクセルでグラフにしてみた。
それがこれ↓
http://gazo.shitao.info/r/i/20150321230348_000.jpg
なんかさ、毎日新聞って何なの…と思った。別に政権を批判してもまったく問題ないとは思うんだけどさ、それは本当にダメな点に限ると思うんだ。そこで真実性を失ったらもう、目的も何もムチャクチャだ。言いがかりとかいちゃもんでさえある程度の真実性は必要だと思う。
ただそれはそれとしてこの新聞が偉いのは記名があることだよなとは思った。勇気がある。松本晃さんもそういう勇気は持ってるんだから、もう少し批判の材料の真実性を上げていこうよ。今回も真実性ゼロというわけじゃないけどさ、すごくゼロに近いよ。こんな材料つかわなくったってなんかあるだろうと思うんだよな。真実性の高くて、ちゃんとダメなところがさ。
3月5日、昨年12月18日に上場したスマートフォンゲーム開発のgumi【3903】が業績予想の下方修正を発表した。新興企業としては珍しい、東証一部への直接上場からわずか3ヶ月足らずのことだ。翌日は260万株もの大量の売りが殺到し、終日値段が付かずに2081円のストップ安比例配分となった。公開価格=初値の3300円からの下落幅は1219円。発行済株式総数が2866万株なので、この日までに349億円もの時価総額が失われたことになる。果たしてこの巨額のマネーはどこへ消えたのだろうか。
その行方を解説する前に、本件に関連して盛り上がっている、ある人物の勘違いを正しておこう。
今回のgumiのようなIPO銘柄のことを、我々個人投資家は「上場ゴール」と呼んで揶揄する。本来企業にとってはスタートであるべき上場時の業績が天井となり、まるで上場して市場で株を売却することを最終目標として頑張ってきたかのような業績推移をしてしまう銘柄があまりにも多いことから、このような習慣が出来た。
その意味では、梅木氏も
VCの観点で「上場ゴール」と揶揄されるのは、明らかに上場後に成長が期待できなさそうな銘柄をVCのリターンのため(ファンド満期なども踏まえて)に上場させたのではないか?というケースといえよう。
ただ、それはあくまでもVCの立場からの話であるらしく、彼の考える一般的な定義では
となっているようなのだが、これは彼の勘違いだ。我々個人投資家も、上場ゴールに対する認識は等しい。上場した後の株価は市場が勝手に決めていることで、会社や経営者の与り知らぬところであり、会社の自助努力によってコントロールが出来るのは業績だけだからだ。
それでは、なぜ上場ゴールはいけないのかという話になるが、IPOやPO(公募増資)を行う際には企業はエクイティストーリーと言って、調達した資金を活用したその後の成長シナリオを投資家に提示している。各投資家にとって大事な資金を入れてもらう以上、これだけのリターンを出してお返しします、だから投資して下さいと言う筋書きが必要で、それがエクイティストーリーなのだ。
特に新興企業の場合、その後の高い成長性を謳うことで、いわゆるPERやPBRと言った株価指標で見て、安定した企業よりも高い評価をつけてもらっているので、上場後のエクイティストーリーの達成度合いはシビアに見られることになる。
そうした観点から言うと、今回のgumiのIPOに際して付けられた公開価格945億円という時価総額は非常に高い期待値が盛り込まれている価格設定だったと言える。同じ時価総額900億円台の企業を見てみると、IT系では電子決済のGMOペイメントゲートウェイや、Twitter、カカクコムなどに投資していたデジタルガレージがおり、他業種ではメガネのJINS、ドトールや洋麺屋五右衛門のドトール日レスホールディングス、化粧品のマンダム、ペンタブレットのワコム、中古車のガリバーインターナショナルなど、一般に知名度の高い中堅企業の顔ぶれが揃う。
そんな場所に乗り込んでいって、國光氏は以下のような発言を繰り返してきた。
本日、東証一部に上場しました。情報革命時代を代表する世界一のエンタテイメント企業になるべく、これからも挑戦し続けます! 20世紀ディズニー、21世紀gumi!w 頑張ります^^
他にも挙げればキリがないし、それぞれのどこがどうだったのかを言っていると日が暮れてしまうので割愛するが、要するに國光氏はこういうタイプの人だと言うことだ。
つまり、業績予想の達成は当然のこと、上方修正を繰り返して倍々ゲームの成長が求められるほどの時価総額をつけてIPOしてきた上、社長が大きな口を叩きまくっていたのに、このような下馬評通りの結果となったことが本件の問題を大きくしている要因の一つなのである。
例えば風俗店に行って、激安店でモンスターみたいな嬢が出てきたとしても、そういうところに行った自分が悪いよなとある程度納得することができるが、最高級のサービスを売り物にした高級店で普段の何倍もの料金を奮発して払ったのに、出てきたのがそこら辺を歩いているようなギャルでサービス精神の欠片も無いとなれば、ふざけるな!金返せ!となるわけで、「話が違う」の度合いの大きさがいかに重大であるかはおわかりいただけるだろう。
また、國光氏は1年前に自身のフェイスブックで以下のように発言している。
日本のIPOマーケットは異常。不健全すぎる。企業もVCも証券会社もIPOすることだけが目的になってしまっている。IPO後2年間は少なくとも売上くらいは右肩成長ができる確信が持てるビジネスモデルの熟成、組織力が出来てからでないとIPOすべきでない。
ギャンブルに明け暮れるデイトレイダーを増やす政策も大反対。短期売買で個人投資家が勝てるわけがない。基本は投資信託に任せるか、長期保有しかない。こういう状態を焼畑農業という。絶対に長続きしない。日本の成長の為には健全な資本市場の形成が必須!
とても長期保有するに耐えない、過去最大級の焼畑農業をやって健全な資本市場の形成を阻害した國光氏に対するペナルティとしては役員報酬の100%削減だけでは足りないのではないか。仮に資金の出処がグリーからの4000万円の借り入れだったとしても、売出で得た数億円の返還を要求されても仕方ないぐらいの特大ブーメランだと言える。
これによるとNEXT BIG THING出資分はグリーから借り入れてますね
同じように華麗な上場ゴールを果たした最近のIPOだと、ANAPと夢展望のアパレル2銘柄が代表格になるが、いずれも上場の規模が小さく、公開価格に対して投資家が高すぎる初値をつけてしまったことが問題であり、この場合はバカな高値で買った投資家の方が笑いの対象となることが多い。それに対してgumiの場合は、公開価格を上回ったのが上場初日だけと言うのが全てを説明している。
だから我々個人投資家は、こうした背景を勘案して、この「gumi」というIPOにおいて、上場後3ヶ月で下方修正を出すと言うのは言語道断であり、金融危機や大震災が起きるなどの事故でもない限り、いかなる論理を持ってしてもgumiや代表の國光氏を擁護することはできないと糾弾しているのである。
もう一つ、本件で私が許せないのは、上場後に買った全ての投資家が大きな損失を出しているこの銘柄で、莫大な利益を挙げた少数の人々が存在することである。
先述した通り、gumiは2014年12月18日にIPOし、その公開価格は3300円だった。ところが、上場に際して提出される目論見書を見てみると、IPOの3ヶ月前の9月24日にLINEが1362円で、半年前の6月と7月にはVCのWiL、ジャフコ、B Dashベンチャーズ、新生企業投資、三菱UFJキャピタル、DBJキャピタルらに加え、グリーとセガネットワークス、gunosyの前代表であった木村新司氏が1214円で増資に応じており、その総額は83.2億円にものぼる。余談ではあるが、木村氏はこの時点で住所がシンガポールになっている。
私は単なる個人投資家なので上場に関わる実務のことは全くわからないが、普通、上場準備や上場審査にはそれなりの期間が必要だと思われるため、半年前のタイミングはまだしも、LINEが増資に応じた3ヶ月前の時点ではほぼIPOすることが見えていたのではないかと言う疑念が残る。一般的にベンチャー投資はリスクが高く、投資回収も長くなると言われているが、仮にIPOという出口がほとんど確実に見えていたとしたら、これほど美味しい投資はない。勝つことを事前に知らされている馬の馬券を買うようなものだからだ。
それに加えて、IPO前とIPO時では3倍近くの価格差がついていた。時価総額が10億円の超小型株ならいざしらず、わずか数ヶ月という短期間の間に企業価値が340億円から945億円に急増する合理的な理由がこの世に存在するのだろうか。既存株主は上場に際して1036万株、総額342億円の売出を行っている。この大規模な「利食い売り」は、主幹事の野村證券によって全国の個人投資家に売り捌かれ、既存株主は莫大な利益を手に入れた。
梅木氏の言うように「VCにとっては上場は一つの大きなゴールであることは明白」と言うのは一面では正しく、再生案件ではない成長企業のIPOでこれだけ大規模な売出が行われるのは異例ではあっても異常とは言い切れない。
だが今回、業績後退の兆候が上場前から既にあったことが決算資料によって明らかになっている。gumiの上場承認が降りたのは昨年11月14日だが、gumiは4月決算なので、この時点で既に上半期(10月末)が終わっている。先日出された決算資料のグラフ(http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?template=ir_material_for_fiscal_ym&sid=14373&code=3903)を見れば一目瞭然だが、第一四半期(7月末)までは急激に売上高が伸びていたが、続く第二四半期(10月末)ではなんと売上高が減少に転じているのだ。
公開価格は上場承認を受けた後に決定されるので、その時期にあたる11月の後半には、会社も主幹事証券も第二四半期の数字を当然把握していたはずだ。従って、第一四半期までの飛ぶ鳥を落とすような売上高の伸びが更に続くことを前提とした業績予想、及び公開価格をつけることは出来なかったはずである。
更に言えば、今回下方修正をすることになった第三四半期は11月から1月なので、上場した12月18日にはその半分が経過しており、日々どころか1時間毎の売上の変動にも気を配らなければならないスマートフォンゲーム運営の会社であるならば、計画値の達成が困難であることは覚悟できていたに違いない。そうしたことを踏まえて上場前後の國光氏の発言を見ると、また違った見え方が出てくる。
こうした事実を無視して、時価総額ありきで直前の増資価格から3倍近くに引き上げての高値でのIPOを強行した野村證券の行為は問題視されて然るべきであるし、数百億円もの大金を一般投資家から合法的に搾取した金融大量殺人をやったのだから、担当者は当然クビにした上で、新規の引受の一定期間停止などの厳しい措置が取られるぐらいのことはして欲しいと個人的には思っている。逆に、公開時の価格が妥当であったとするならば、gumiはお世話になった方々を儲けさせるための「お友達ファイナンス」をやったと批判されても仕方ないのではないか。
このような極悪非道によって、大量の個人投資家の屍の上に黄金の宮殿を築いたVCの人々は、今どのような気持ちでいるのだろうか。あるいは我々個人投資家のことを、賢く儲けている自分たちの側に来れない資本市場の敗北者だと見做しているのかもしれない。ただ確実に言えることは、私達は決して梅木氏が考えているような無能な個人投資家ばかりではない。このようなことが行われた事実をきちんと理解しているし、記憶してもいる。真に日本のベンチャー業界を盛り上げたいと考えているなら、このような行為が長期的にどういう結果をもたらすかについて、もう少し想像力を働かせて欲しい。
それはさておき、私が今危惧しているのは、ベンチャーキャピタル業界の人々が新たに見つけてしまったかもしれない巨大な金鉱脈の存在である。それがアプリ市場だ。
gumiは上場前にも数度の巨額な資金調達をして度々話題をさらっていたが、その資金が何に使われたかと言えば、主に「テレビCM」である。それまで「テレビなんてオワコンだ、これからはネットだ」と言い続けてきたベンチャーの人々がテレビCMの価値を再認識したのは、恐らくガンホーのパズドラの記録的なヒットによるところが大きい。ガンホーは多額のテレビCM予算を、しかし効果的に投入することによってゲームアプリの市場を全国津々浦々に広げることに成功。その結果、パズドラは老若男女が遊ぶ国民的ゲームの地位を築き上げた。
またアプリ市場のもう一つの特性として、公式ストアでのランキングが非常に重要であることが挙げられる。毎日無数にリリースされるアプリの一つ一つを見ていくことなど不可能なので、多くの人はランキングを頼りに新たなアプリを探している。そのため、一度ランキングの上位に来るとしばらくはランキング効果によってダウンロードされて更にランキングが上がるという好循環が生まれやすい。
だから、一時的には大きな出費でも、ある時期にまとまった広告費を投下してランキング上位を手に入れてしまえばその後が戦いやすくなる、と言うロジックが経営戦略上有効になり、今となってはそれをしなければそもそもアプリの存在を認知してもらえず勝負にならないというところまで来ている。
ただ、いかに広告費を使ってダウンロード数を稼いでも、そのアプリそのものに魅力がなければいずれはユーザーが離れて行く。なので、大事なのは瞬間的なダウンロードの勢いや累計のユーザー数ではなく、どれだけ多くのユーザーが定着したかという指標になるはずだが、それが明らかになるまでには若干のタイムラグが有る。
腐ってもテレビなわけで、テレビCMを打ち続けている間はユーザーが結構な勢いで伸びていくため、広告費さえ出せれば一時的には会社が急成長しているイメージを作り出すことができる。もちろん、その器となるアプリを最低限作り出す開発力は問われるし、ゲームアプリであればきちんと課金させる運営力も必要になるが、集めたユーザーを長期に渡って定着させ、かつそうしたヒットタイトルを複数生み出していくことに比べれば遥かに容易い達成目標ではあるだろう。
穿った見方かもしれないが、今回のgumiの上場ゴールが、会社、投資家、主幹事が結託してこのタイムラグを悪用することで生み出されたものなのではないか、という疑念はどうしても残る。それを拭い去るには、この後の圧倒的な再成長という結果によって上書きしていくしか術はないだろう。
続き gumiという錬金術に群がった人々と、日本のスタートアップ業界の暗部【2】http://anond.hatelabo.jp/20150308224002
20年以上前にエロゲ会社で働いていて、雑誌の(画面に直接書くタイプでない)ペンタブの記事を見ながら「これ、画面に直接書けるようになったらすごい書きやすいんじゃないですか」とかグラフィッカーに言ったら「画面が手で隠れるからそんなもんだめだ。マウスで書くのがいちばんいい」とか、即却下されたけど、今現在は普通に受け入れられてるな。
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コンピュータのUIは現場の人間が一番良く解ってるとか、使ってる人間の意見を聞けとか、そんなもんタワゴトだって昔から思ってたんだわ。