はてなキーワード: つくばとは
既婚子無しロスジェネ女の、ある種のグチ。
実力を買われ、数年前からプレイングマネジャーとして「部下」が数十人いる。「部下」の半分は年下、残り半分は年上の社員だ。世間でもブラックと認知されている業界なので、多くの女性は耐えきれず、年齢とともに離脱していく。なので業界歴の長い年上の社員たちは、大半が男性だ。
私の年上の「部下」たちは、団塊ジュニアからバブル世代まで。正直なところ、ついこの間まで先輩だった彼らの「上司」として振舞うことに、初めは馴染めず、戸惑っていた。しかし、人間は慣れる。最近は、相手に年長者として一定の敬意を払いつつも、こちらの要求ははっきり伝える「コツ」みたいなものを身に付けた。もちろん、慣れたのは私だけではない。「部下」の方も、自分を追い抜いていった小賢しいブスを「上司」として扱う忍耐を身に付けた。プライドの一部を犠牲にし、会社員として組織の決定に従った。当たり前のようで、なかなか辛い事だったろう。彼らには、その点で感謝している。
問題は、最近加わった「年上の部下」である。「自分より若い女」に追い越されたという実体験を持たずに、女がリーダーの組織に後から付け足された若めのオッサンである。彼らは、もれなく「年下の女上司」を舐めている。あからさまな態度でなくても、彼らの潜在意識から「年下女の言う事なんて聞いてられるか」という嘲笑が滲み出してくる。厄介なことに、彼らは女を蔑視しているつもりは全くない。ごく自然に悪意なく「女の言う事に聞く価値はない」という態度を垂れ流してくる。
そんな態度を取られては正直残念だが、業務に支障がないなら私も我慢できる。私のミッションはチームの業績を上げる事だから、多少腹が立つ態度でも、結果を残してくれるのなら何とか目を瞑ろう。しかしながら、「年下の女上司」の忠告を聞かないオッサンは、顧客のニーズを汲み取るのも下手だ。人の言う事も聞かず、人に尋ねることもせず、顧客に的はずれな提案をして白けさせた挙句が「教えてくれないから」とはどういう事か。何か、お前のその下らないプライドを慮って私に上手く立ち回れと言うのか。
まあ、私は業績が大事だから上手く立ち回って、オッサンのクソみたいなプライドを真綿に包むようにしておだて、何とか上手くやれるように気を使ってやる。オッサンが私のお陰で上手くやれて、それをあたかも自らの実力と機転かのようにふれて回るのも、黙って生温かく見守る。オッサンが何の役にも立たないプライドをギンギンに膨らませて気持ち良く仕事が出来るように、あくまでも目立たず、さりげなく、頭下げて這いつくばって地ならしをしてやる。
でも、オッサンがニヤついて些細なお手柄に酔ってる間に、彼らには出来ない大胆で繊細な決断を下してビジネスを牽引するのは、オッサンより若くて優秀な女の私だ。奴らより稼いで若手を養い、経営を安定させ、雇用を増やし、業界を良くするのは私だ。
私にとって出世はもはや、ミソジニーに対する復讐みたいなものだ。彼らが絶対に追いつけない所まで行ってやろうと思う。そして、邪魔なだけの彼らのプライドを、いつか根元からへし折ってやりたい。はるか上の方から、小さな石を投げる。石は小さいが、重力で加速し、想像を超えた破壊力が生まれる。オッサンのプライドに当たると簡単にぽっきりと折れ、オッサンは二度と立ち直れない。そんなシーンが見られる日を楽しみにしている。
今年31歳になった。
朝起きられない。というか立ち上がれないときが週に1回ぐらいある。
大抵は2時間ぐらい休んでいたら動けるようになるので、AM半休をもらって出社している。
元々朝が弱いタイプなので、ちゃんと出社できないなんて社会人失格だなぁぐらいに思っていたのだが、
ひどいときは丸1日全く起き上がれない。ごはんも食べれずトイレにも行けず、喉が乾きすぎて死にそうになると這いつくばって冷蔵庫まで行って飲み物を飲み、
またすぐに横になって1日が終わる。
夫婦仲は良好だが、やはり二人暮らしは何かと気も遣うし徐々にストレスが蓄積しているのかもしれない。
前から忙しい部署ではあったが、プロジェクトが押しに押しているので10時半ぐらいまでは普通に働く。
6月一杯まではずっとこんな感じだろう。
鬱を疑ったのでネットで鬱についていろいろ調べた。
典型的な症状にあるのとは違って比較的ごはんは食べられているし、睡眠も結構取れている。
休日は割と活動的な方だ。この土日は休みがちゃんと取れたので、髪を切ったり街を散策したり楽しく過ごせた。
なのでいまいちピンとこない。
何よりプロジェクトの一番大事な時期に穴を開けてしまい、部下や後輩に迷惑をかけ続けており大変申し訳無い。
バックアップ的に事前に後輩に伝言を残すようにしたり、家でも電話に出れるようにはしているのでなんとかプロジェクトは成立している。
今週も月曜日からがんばるかと思った矢先、ここ最近でも一番ヘビーなタイプのやつが来て
そのまま丸2日休むことになってしまった。
年のころ10ぐらいの少年だろうか。頼りなく優顔の少年は通う学園で新しく転校してきた少女と出会う。
少女はカールした癖っ毛の金髪で、高潔さに足が映えて立っている様な雰囲気を携えていた。
人目で心を揺り動かされた少年は、金髪の少女へと好意を吐露する。
期待もせず、衝動的に行われた告白は、期せずして、少女の関心を得て、了承を得ることとなった。
恋人となって最初の放課後に少年は、金髪の少女のプレゼントとして緊縛される。
手足を縛られ目を隠され、闇の中で背中をけり倒された少年は、這いつくばれと少女に命じられ頭が割れそうなほどに踏みにじられながら、これでこそ望んでいた少女の姿だと自分の心を悟り、知らずズボンの中で精通を果たしていた。
彼女に虐められ、束縛され、ご主人様と慕い奉仕する少年は、ある日少女に夜の学校に来るように言われる。
指定された時間、指定された場所へと訪れると、少年は、暗い校舎の中で一つだけ明るい校長室の僅かに空いた扉の隙間から、その中で、金髪の少女が校長に抱かれている姿を見る。
薄汚い笑い顔で愉悦する校長に、少女は媚びるような声で腰を動かしていた。
豚のように快感の喘ぎ声を出す校長の言葉から、少女が孤児で校長の妾役として学園に通っていることを知る。
その光景から目を離せずにへたり込んでいた少年は、行為の一切が終わって扉へと近づいてきた裸体の少女に、冷ややかな目で見降ろされる。
少女に見捨てられることを恐れたのか、同乗したのか、それとも自身になおも冷ややかな目を向ける少女に一切の幻滅が消えたのか、少年には判別がつかなかったが、少女はむしろ当たり前のように頷いた。
月日が経ち、学園を卒業を間近となっていた。
校長室で変わりもなく少女を抱き、彼女の僅かながら柔らかくなってきた体と離れることを惜しむ校長に、
「惜しむ必要はありませんよ」と少女は笑い、校長は背中に熱さを感じる。
隠れていた少年が背中に包丁を突き立てていた。激痛に顔を歪め慌てる校長の、その首筋に少女は作業のように長い刃物を差し込んだ。鍔の根元まで刃をえぐり入れて、少女は媚びた笑顔を落とし冷たい視線へと戻る。
陰茎を袋ごと切除して、
少年期の殺人犯として、裁判を経ずに二人は似たような囚人が集まる拘狗牢へと入れられる。
獄卒への奉仕を拒んだ金髪の少女は、独房へと入れられ、外部と一切の遮断をされてしまう。
どうにか少女と、再開するかを考える少年は、一人の少女と出会う。
監獄ですら表情に幼さの長い黒髪の少女は、少年に牢獄で自分の望みを自由に叶える方法を教えると誘い込む。
その引き換えとして、少年は黒髪の少女を抱く。少年にとって初めての性交だった。
言われるままに少女の服へと着替えると、優男で細身の体故に、少年は一見して面貌の整った少女のような風体になっていた。
そのまま生活を送る中で、元から控え目で、気後れした性格故に、気弱な少女のように見えた女装少年は、看守に襲われる。
背中から押さえつけられ、尻の穴を犯された少年は、痛みと圧迫の中で快感に満たされて、何度も射精していた。
意図を察した少年は、黒髪の少女の元へと訪れて、軽く非難をする。しかし、誑し込むのが一番手っ取り早いという少女の言葉に、少年も頷く。
長身で、栗色の髪をボブカットをした女性は一見にしても美人で、少年は見惚れてしまいそうになる。
少年の体を抱きしめた栗色の髪の女性は、少年のアヌスをいじり、自らの股間に生えている男性器を見せつける。
女装した男娼の先輩として、栗色の髪の人は、少年のアヌスへと陰茎を挿入し、その奉仕の仕方を教え込んでいく。
客の囚人や看守に、薬を打たれて、死ぬような快感の中で精液を注ぎ込まれる。
独房の中で、夜も朝も分からず、何度目の睡眠かすらも数えなくなっていた金髪の少女は、分厚い鉄製の扉が開く音に気が付いた。
期待もせずに見た入り口からは、記憶の中でも、もはやあやふやになっていた少年の姿を見つけた。
一瞬の幻覚を疑い、現実だと悟った金髪の少女は、すぐに蒙昧としていた意識を取り戻した。
看守とつてを作り、体と引き換えにさまざまに要望を聞いてもらえるようになった少年は、ようやくの段階で、独房の少女と面会できるようになっていた。
しかし、その金髪の少女は、天井からベストのような包みでくるまれて面され、その四肢は根元十センチほどで切断されて丸く縫い付けられていた。
逃げないようにと、暴れないようにと、彼女を性のはけ口とする看守に対する配慮だった。少年は、そういう性のはけ口の分け前をもらうという形で、少女の部屋へと訪れることを許されたのではあった。
少年を見止めた金髪の少女は、その瞳を見つめた。喋れないように轡をされた少女は、なにも伝えようともしなかった。
ただ、少年を見つめて、小便を漏らし始めた。
少年は、その滴る小水を浴びて、口に受けた。
それで二人には充分だった。
それから監獄の中で権力者をたぶらかしていった少年は、刑期を大幅に短くして、金髪の少女とともに拘狗牢を出所していくことになる。
両親もなく、寄る辺もなく、四肢もない金髪の少女は、弱り切った肉体もあって、そのまま病院へと入院することになった。
出所から数日もしない、晴れの日、少年は両親へと電話をかけていた。
心配しないで欲しい。すぐ戻るから。ちゃんと元気でやっている。と電話口で笑顔で伝える。
電話の向こう側からは、金をどこにやったという男性の怒号と、女性の悲鳴が聞こえてくる。その音を聞きながら少年は笑顔で電話を切った。
満載のリュックサックと、鉈を持った少年は、病院への道を洋々歩き出す。
慌て蓋める医者たちと、悲鳴を喚き散らして右往左往する看護婦たち、警報が鳴り響き、大人の影が行きかっていく。
そのころには既に、自分で動けない金髪の少女を抱えて少年は山の雑木林の中を登っていた。
これから二人で生きていくのだと少年は言って、ようやく自由になったと少女は言った。
幾日か幾月か経った山小屋で、飢えて死んだ少年と四肢のない少女の遺体が見つかった。
と言うところで、胸糞が悪くなって目が覚めた。
なるほど。でも、
>ちなみに私は東京で水商売を始める時に『NHKのニュースの様な日本語を使える様になりなさい』と教わりました。湘南弁を一生懸命なおしました。
というか、そういう「ツッコミ所」をあえて作って書いているので、おそらく本当の出身は神奈川ですらないんじゃないかな。
そう思う理由は、こういうところ
>主人は生粋の京都の人間だと思われておりません。江戸っ子は三代続いて初めて江戸っ子…みたいなのに似てるかと思います。
……読み手が「あれ、それって東京人も京都人と同じ事やってんじゃね?」と、突っこむのをまっている。
東京「出身です」「実家はいまも東京にある」と言いながら、生まれがどことは書かない。つまり、実家は「以前は別の場所にあった」と取れる書き方だよね。
そして、東京にはあまり愛のない書き方だよね、と思う。神奈川県民なら、そこまで東京を敵視しないとも思うんだけどどうだろう。
増田さんは、結局東京でも疎外感を味わわされた、そして京都でも(今度は東京人のふりをして威張れるかと思ったら)逆に疎外感を味わわされた、
そんな、出身地コンプ、都会ヘイトのある地方出身根無し草民の恨みつらみでこのエントリ書いたと感じられて仕方ないんだけどどうだろう。
あえて神奈川と煙幕を張ったとこからして、実際には北関東、南東北辺りの出身?かなとも思う。はっきりとは書かないけど、ところどころの言い回しもなかなか特徴的だよね。
ちなみに天橋立を京都じゃないと思うのは関西人なら無理ないことで、なにせ天橋立のある園部駅(※間違いです。宮津、もしくは天橋立駅が正解)にいくのに、京都駅から特急で二時間、料金にして4500円くらいかかっちゃうんだぜ。
実感としてつくばの倍くらい遠いと思ってくれよ。東京見物のついでに犬吠埼見に行きたいわあ、とか地方から出てきたかーちゃんに言われたらお前らだってびっくりするだろ?
そういう感じだよ。それをヘイト扱いされてもなあ。
(ちなみに銚子が千葉だってのはわざわざ言われなくても分かってるからな?俺が言ってるのは距離感と心理的な隔たり感の話ね。)
【追記】
>元増田追記について
元記事、ネタじゃないのかー、という感想。それをはかりたかったのでややひっかけ気味の記事にしたよ。ごめんやで。
さて、元記事ネタでないとしたら、増田のそのダダ漏れてる黒い感情、もう少し包み隠したほうが生きやすいと思うよ。
京都人がよそ者に冷たいのは事実だろうけど、逆に言えばその冷たさは「許し」でもある。ちょっと冷たいぐらいでへこんでちゃ「都会」で生きていくのは大変だ。ドライにクールに生きてこう。
京都人が一番好きなんは「プライド」なんやで。プライドのない人間には容赦ない。
……があることは確かに考えたが、出身コンプっぽい元増田を引っかけるにはちょうどいいかなと思ったんだよ。
上に書いたように、強引な推理みたいな「ツッコミ所」はフックに適してる。
まーなw大差ないよな。でも元増田にとってはそうじゃないだろう。それが重要だった。
HAHAHA!だからツ、ツッコミ所はフックだとあれほど……(汗)
バスとの競争という考えがないの、いかにも都会の人間(都会ではバスは補助輸送機関だしな)という感じだが、地方ではバスはかなり強い。
概ねは賛成だが、この点はどうなんだろう。
あくまでも地方とはどこを指すのかという基準によるから一概に言えないという前提の上にはなるが。
関西圏の話が出ていたけど、松井山手から京都方面は京阪バスの直Qバスがかなり強いし
神戸も神鉄沿線からの三宮直通バスが神鉄を追い込んでる状況だし。
関西ぐらいでもう既にバスはメインになりうる輸送機関になってると思うよ。
たしかに東京都区部では補助、しかも金持っててタクシー乗る人も多いからさらに影が、みたいな話はよく分かるけど。
でも、東京から都市圏輸送はともかく、都市間輸送になると既に飯田行とかはバスがメインで鉄道は補助にすらなってないわけで。
千葉県方面もその傾向がある。つくばも、鉄オタの妄想レベルの超高規格新路線のつくばエクスプレスがあるからバスが補助になってるだけで
開業前はそもそも鉄道が無いという飯田以前の問題だったわけだし。
たぶん、都会民だからバスの重要性を知らないとかいう話ではなく
単純に自分の乗らない交通モードと言うか、交通様式に興味のない人が多いというだけではないかと思う。
「日本語は同音異義語が多い」という風説に挙げられるのが漢語ばかりなので、大和言葉の例を調べてみた。
やまとことば | 古語or現代語 | 漢字 | 英訳 | 現代語 | 複合語や地名に残る例 | 備考と個人的な感想 |
あ | 古 | 足 | foot | あし | 足掻く、足立(埼玉県・東京都) | |
あ | 古 | 彼 | that | あれ | ? | |
あ | 古 | 我 | we | われ | 吾妻(群馬県) | |
い | 古 | 五 | five | ゴ | 五十路 | |
い | 古 | 五十 | fifty | ゴジュウ | 五十鈴(三重県) | |
い | 古 | 汝 | you | てめえ | こき下ろすときに使う二人称とのこと | |
い | 古 | 寝 | sleep | ねる | ||
う | 現 | 鵜 | cormorant | - | ||
う | 古 | 卯 | rabbit | うさぎ | ||
え | 現 | 柄 | handle | - | ||
え | 古 | 兄 | older brother | あに | 中大兄皇子 | |
え | 古 | 江 | inlet | いりえ | 江戸 | |
え | 古 | 荏 | deulkkae | えゴマ | 荏原(東京都) | |
え | 古 | 餌 | food | えさ | 餌付け | 「ジビエ」はフランス語 |
え | 古 | 枝 | branch | えだ | 梅ヶ枝餅 | |
え | 古 | 榎 | Chinese hackberry | えのき | 並榎町[なみえまち](群馬県) | |
か | 現 | 蚊 | mosquito | - | ||
か | 古 | 彼 | that | あれ | 彼方 | |
か | 古 | 鹿 | deer | しか | 鹿島(茨城県)(佐賀県) | |
か | 古 | 処 | place | バショ | ありか | |
き | 現 | 木 | tree | - | ||
き | 古 | 杵 | pestle | きね | 杵築(大分県) | |
き | 古 | 牙 | tusk | きば | 象牙[きさのき] | |
き | 古 | 酒 | sake | さけ | お神酒 | |
き | 古 | 城 | fort | とりで | 茨城(茨城県) | |
き | 古 | 葱 | leek | ねぎ | 分葱 | |
け | 現 | 毛 | hair | - | ||
け | 古 | 食 | meal | ショクジ | 朝餉、昼餉、夕餉 | |
け | 古 | 日 | days | フダン | 「ハレとケ」のケもこれではないか? | |
け | 古 | 故 | because | ゆえに | ||
こ | 現 | 子 | child | - | ||
こ | 現 | 粉 | powder | - | 削り粉、薄力粉 | |
こ | 古 | 蚕 | silkworm | かいこ | 春蚕 | |
こ | 古 | 籠 | basket | かご | 伏せ籠 | |
こ | 古 | 木 | tree | き | 木立、木漏れ日 | |
こ | 古 | 此 | this | これ | 此方 | |
こ | 古 | 処 | バショ | あそこ | ||
さ | 古 | 然 | そう | 「さもありなん」 | ||
さ | 古 | 矢 | arrow | や | ||
す | 現 | 巣 | nest | - | ||
す | 現 | 鬆 | ? | - | 鬆立つ | |
す | 古 | 簾 | blind | すだれ | ||
す | 古 | 州 | shoal | なかす | 天王洲アイル(東京都) | |
す | 古 | 簀 | ? | 簀巻き、すだれ | ||
せ | 現 | 背 | back | - | ||
せ | 古 | 瀬 | ford | あさせ | 「立つ瀬がない」 | |
せ | 古 | 兄 | husband | おっと | ||
そ | 古 | 衣 | dress | おめしもの | ||
そ | 古 | 背 | back | せなか | そむく | |
そ | 古 | 夫 | that | それ | ||
な | 現 | 名 | name | - | ||
な | 現 | 菜 | greens | - | ||
な | 古 | 肴 | side dish | おかず | 「酒の肴」 | |
な | 古 | 己 | I | わたし | ||
に | 現 | 荷 | baggage | - | ||
に | 古 | 丹 | red earth | あか | ||
に | 古 | 瓊 | ball | たま | 八尺瓊勾玉 | |
ぬ | 古 | 瓊 | ball | たま | ||
ぬ | 古 | 沼 | marsh | ぬま | ||
ぬ | 古 | 野 | field | の | ||
ね | 現 | 音 | sound | - | ||
ね | 現 | 値 | price | - | ||
ね | 現 | 根 | root | - | ||
ね | 古 | 峰 | peak | みね | 筑波嶺[つくばね](茨城県:雅称) | |
の | 現 | 野 | field | - | ||
の | 古 | 幅 | - | - | 1幅は37.9センチメートル | |
は | 現 | 歯 | tooth | - | ||
は | 現 | 刃 | edge | - | ||
は | 現 | 葉 | leaf | - | ||
は | 古 | 端 | edge | はし | ||
ひ | 現 | 日 | the Sun | - | 1日を表す場合、「は」は単数形。複数形は「か」。「ひとひ」→「ふつか」 | |
ひ | 現 | 火 | fire | - | ||
ひ | 古 | 杼 | shuttle | シャトル | ||
ひ | 古 | 氷 | ice | こおり | 氷室、氷川神社(埼玉県) | |
ひ | 古 | 樋 | gutter | とい | ||
ひ | 古 | 羆 | brown bear | ひぐま | ||
ひ | 古 | 檜 | Japanese cypress | ひのき | 檜原(東京都) | |
へ | 現 | 屁 | fart | - | ||
へ | 古 | 重 | tier | - | 二重まぶた | |
へ | 古 | 方 | direction | あたり | 水辺、海辺、古[いにしえ] | |
へ | 古 | 戸 | house | いえ | 一戸~九戸(岩手県・青森県) | |
へ | 古 | 上 | upside | うえ | ||
へ | 古 | 瓮 | earthenware pot | かめ | 鍋[なべ] | |
へ | 古 | 舳 | prow | へさき | ||
へ | 古 | 竈 | kitchen range | かまど | ||
へ | 古 | 方 | direction | ホウコウ | 行方[ゆくえ] | |
ほ | 現 | 帆 | sail | - | ||
ほ | 現 | 穂 | spike | - | ||
ま | 現 | 真 | true | - | ||
ま | 現 | 間 | opening | - | ||
ま | 古 | 目 | eye | め | 眼(まなこ)、まつげ | |
み | 現 | 身 | body | - | ||
み | 現 | 実 | fruit | - | ||
み | 現 | 箕 | winnowing basket | - | ||
み | 古 | 神 | spirit | かみ | 海神[わたつみ] | |
み | 古 | 水 | water | みず | 水戸(茨城県) | |
め | 現 | 目 | eye | - | ||
め | 現 | 芽 | bud | - | ||
め | 古 | 女 | woman | おんな | ||
め | 古 | 海藻 | seaweed | カイソウ | わかめ | 「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの |
も | 現 | 藻 | algae | - | 「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの | |
も | 古 | 裳 | bottoms | ボトムス | ||
も | 古 | 最 | most | もっとも | 最中、最寄り | |
や | 古 | 谷 | valley | 《備考参照》 | 渋谷(東京都)(神奈川県)、谷津(千葉県) | 「やと」「やつ」「やな」「やち」など。 |
や | 古 | 家 | home | いえ | ||
や | 古 | 弥 | more and more | いよいよ | 弥生 | |
や | 古 | 輻 | spoke | スポーク | ||
わ | 現 | 輪 | circle | - | ||
わ | 古 | 我 | we | われ | ||
ゐ | 古 | 井 | well | いど | ||
ゐ | 古 | 藺 | rush | いぐさ | ||
を | 現 | 緒 | cord | - | ||
を | 古 | 男 | man | おとこ | 牡牛 | |
を | 古 | 峰 | ridge | おね | ? | |
を | 古 | 尾 | tail | しっぽ | 枯れ尾花 |
やまとことば | 古語/現代語 | 漢字 | 英訳 | 現代語 | 複合語や地名に残る例 | 備考と個人的な感想 |
う | 現 | 鵜 | cormorant | - | ||
え | 現 | 柄 | handle | - | ||
か | 現 | 蚊 | mosquito | - | ||
き | 現 | 木 | tree | - | ||
け | 現 | 毛 | hair | - | ||
こ | 現 | 子 | child | - | ||
こ | 現 | 粉 | powder | - | 削り粉、薄力粉 | |
す | 現 | 巣 | nest | - | ||
す | 現 | 鬆 | ? | - | 鬆立つ | |
せ | 現 | 背 | back | - | ||
な | 現 | 名 | name | - | ||
な | 現 | 菜 | greens | - | ||
に | 現 | 荷 | baggage | - | ||
ね | 現 | 音 | sound | - | ||
ね | 現 | 値 | price | - | ||
ね | 現 | 根 | root | - | ||
の | 現 | 野 | field | - | ||
は | 現 | 歯 | tooth | - | ||
は | 現 | 刃 | edge | - | ||
は | 現 | 葉 | leaf | - | ||
ひ | 現 | 日 | the Sun | - | 1日を表す場合、「は」は単数形。複数形は「か」。「ひとひ」→「ふつか」 | |
ひ | 現 | 火 | fire | - | ||
へ | 現 | 屁 | fart | - | ||
ほ | 現 | 帆 | sail | - | ||
ほ | 現 | 穂 | spike | - | ||
ま | 現 | 真 | true | - | ||
ま | 現 | 間 | opening | - | ||
み | 現 | 身 | body | - | ||
み | 現 | 実 | fruit | - | ||
み | 現 | 箕 | winnowing basket | - | ||
め | 現 | 目 | eye | - | ||
め | 現 | 芽 | bud | - | ||
も | 現 | 藻 | algae | - | 「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの | |
わ | 現 | 輪 | circle | - | ||
を | 現 | 緒 | cord | - |
時間もたって落ち着いた感もあるので。
フジロックで昨年、シールズがトークショーに参加したことで批判を浴びた。
という批判だった。
その際にメディアで盛んに主張されたのが
という文脈を無視して(あるいは知らずに)政治との関わりを絶つというのはネトウヨ或いは無知蒙昧な馬鹿である。
と言う主張だ。
※ちょっと語気荒いけど、大体こんな感じだったと思う。
私はこの類の主張を目にして、言っている内容は筋道が通っているけどもやはり少しずれているなとも思った。
というより、今の音楽界隈に対する不満や足りない点が見えてきたというところだろうか。
・トークテーマは「参院選を振り返る。安保法制、沖縄、憲法、原発」
ちなみにアトミック・カフェというのは以下のようなイベントである。
アトミック・カフェ・フェスティバル(ACF)は、映画『アトミック・カフェ』の上映運動に由来するフェスティバルであり、日本で1984年に開始した。
「音楽を通じて反核・脱原発を訴えていく」がテーマのイベントで、1980年代には加藤登紀子、浜田省吾、宇崎竜童、尾崎豊、ザ・ブルーハーツ、ルースターズ、エコーズ、BOØWYらが出演していた。1984年に日比谷野外大音楽堂で開催された第1回目のライブでは、尾崎豊が高さ7メートルの照明から飛び降り左足を骨折するも、ステージに這いつくばりながら「Scrambling Rock'n'Roll」を最後まで歌い続けたという有名なエピソードが残っている。1980年代の最後の開催は1987年であった。
2011年のフジロック・フェスティバルでアトミック・カフェ・フェスティバルは復活した。フジロックでの開催場所はバイオディーゼル燃料や太陽光などを電源に使用するNew Power Gear Field/AVALONエリアにあるGYPSY AVALONステージとNGOヴィレッジの2か所。
ロックフェスティバルで、このようなイベントをするのはロックが政治と密接に関わってきたからでもある。
ヒッピー文化とかカウンタカルチャーとかまぁざっくり説明するくらいでもはてな民ならなんとなくはわかるだろう。
※というか俺もそれほど詳しくないし。
ロックの曲自体に反体制的メッセージが直接なくても社会的盛り上がりから、そういう文脈があるとか
まぁそういう感じだ。
ここからが本題だが、上記のような事情を知った上で違和感を感じたことが2点ある。
②安保、沖縄、反核・脱原発というトークショーのテーマの妥当性
そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?という疑問点がまずある。
詳しく調べればまぁ、まず政治的なメッセージの込められた歌はあるだろう。
しかしながら反核・脱原発を訴えた曲がそこまで多いのかといわれればぶっちゃけそんなイメージは全然ない。
2016年のフジロックで反核・脱原発系と解釈できる曲があるのであれば教えて欲しい。※一応補足しとくと1曲、2曲程度の話ではなくここで言いたいのはフェス全体の傾向である。
つまり、現在のロック界の表現している内容とトークショーの内容があまりに乖離しすぎではないのかということだ。
アジカンの後藤さんはTwitterで以下のような発言をしていた。
あとすんごい不思議なの、俺、ほとんどライブのMCで政治の話しないんだけど(NO NUKESとかのフェスを除く)、さもしてるような感じで絡んでくる(妄想してる)人が絶えないこと。大体そんな感じで、来たこともない人たち、本やTFTを読んでくれなひとたちだけが、そういうことを言うのよ。
正直この発言を見てずっこけた。
そりゃ客も面食らうわ。
なんかイキナリ「実は政治的メッセージあんのよね」的な感じになってしまう。
10台の客捕まえて、「俺達は政治的な発言しないけど、過去の人はしてきたからロックは反体制」
とか言われてもえぇぇ!?と言う感じになる。
今のロックの雰囲気みてるととても反原発的な話をするかんじではない。
そしてもう一点気になったのが以下である。
正直、安保、沖縄、反核・脱原発というテーマはやっぱ乖離しすぎじゃね?
と思うわけだ。
「この世界の片隅に」で植民地に関する議論、あるいは軍部どうたらとか、あるいは市井の人の生活について語る
とかならまぁわかる。
というのもまぁわかる。
そんなに好きじゃないけど。
「シン・ゴジラ」と「君の名は。」と「聲の形」と「この世界の片隅に」で「ルワンダ虐殺を語る」くらいに違和感があるわけだ。
いや、そりゃまぁ戦争だし、日本軍も虐殺したけどねって感じだ。
どうにも、そういう「あまりにも飛躍しすぎである」感がアトミックカフェからはぬぐえないのだ。
と言いたくなるのはわかるのだがなんか批評のレベルが50年前走ってねぇかと思うわけである。
と言うわけで反体制的であることをちゃんと今の人達に広く伝えるには今のロック歌手も定期的に政治的なお話をして
また、周囲もちゃんと批評も行ってレベルを高めるべきだと思う。
正直時間も立ちすぎてロックそのものが反体制であるというのは無理が出てきている。
そんな状況ではロックは存在そのものが反体制とは安易には主張できない。
もちろんそれを考える余裕を自分の家庭が与えてくれてて、向こうの家庭はそうじゃなかった、そこに不公平があるのいうのはわかるよ。でも低学歴になる人間ってって本当に9割以上はろくに努力もしないごみくずみたいなやつしかいないって思ってる。公立中の時、この人たち好き勝手振舞って他人に迷惑をかけてたよね。わたしは彼らにいじめられたり、好きでもない人に身体触られたりしてすごく嫌だった。本人に自覚がなかったとか環境が苦しかったとか言われても、わたしは低学歴心の底から嫌い。許せない。彼らが幸せになるのは許せない。個人として良い人がいるのは知ってる。個別で付き合ってる人はいい人だっている。でもわたしの友達にも低学歴がいるからわたしは差別心がないみたいな詭弁をいうつもりない。わたしは低学歴の人間にたいしては自分の個人的体験だけを理由に差別心のような復讐心のようなものがある。彼らが不幸だったり苦しがってたら心の底から飯ウマーとなる。自分でもこんな人間として汚い感情持ちたくないけど、でもこういうのってどうしたらいいの。彼らに対して面と向かって文句を言えぬままここまできた。言ったらふくろだたきにされるのわかってるから言えなかった。だからいつまでもこういう負の気持ちを忘れられない。自分だって嫌だけど、どうすればいいの。日本しねとかなんだとか、弱者ばかり好き勝手ものをいうことが許されて、私たちはちょっとでも汚い気持ちを表に出したらすぐ文句言う。インターネットは弱者と貧乏人と低学歴な人ばっかり好き勝手しててすごく歪んでる。バカじゃないの。バカじゃないの。最近はてなではいかにも低学歴な人たちがうぇーいなノリで目立ってる。吐き気がする。低学歴の人間は自分とその身内だけよければ周りの目を気にしないで迷惑な行為をする。やめろって言ってもこちらをバカに仕返してきたりする。なんのことはなくてこの人たちは大人になったってこいつら何にも変わってないじゃない。大人になるまでろくに他人のためになることせずに敗者復活戦だなんだなとふざけたことばかり言ってる。この人たちがなんで自由に振舞ってるの。あなたたちはもっと自分の行いの報いを受けてよ。地べた這いつくばって虐げられるのがお似合いでしょ。だってろくなこと何一つしてないんだから。今だってろくなこと何一つ書きやしないんだから。消えてよ。わたしの目に入らないところに行ってよ。
高学歴でも嫌な人いっぱい見てきたから本当は低学歴なんて関係ないのはわかってるけど、でも低学歴は無料ガチャみたいなもので粗悪品の割合高すぎるのよ
つくば万博のときのやつが寝台券均一3000円でプラス土浦~万博中央駅までの乗車券だったから
寝台ではなく座席でやればもうちょっと安く出来ないかなと思ったけど
やっぱり案内コストがネックになるよな・・・まあ非現実的ってのはわかってるけど。
勿論それでも500円は無理()
別に輸送機関の体を取りながら宿泊施設という形態にして安くさせたいなら
それこそつくば万博のときのやつみたいに列車でやったほうが良いんじゃないのか?
散々言われてるようにバスだといろいろあるわけだけど、波動輸送用特急形車両を駅に放置しておく形なら
http://togetter.com/li/1058947
これ。ここでコメントしている奴らは、みんな偽善者。何も知らない。
自分は、既に数年、週に一度路上生活者(ホームレスって言葉が好きじゃない)の支援活動をしている。といっても、二三時間のお手伝いといったところ。
まず、最初に言っておくと、役所、特に都内の区役所に排除傾向があるのは確か。都庁そばの新宿中央公園は、少し前まで夜中に眠れたけど、今はダメになっている。ベンチに寝ていると、警備員が注意しに来るのも日常茶飯事。それも、普通の身なりの人が寝ていると何も言わないのに、ホームレス風の人は狙い撃ち。椅子を減らし、そこで挙げられたような寝にくい仕切りの椅子を増やしているのも確か。オリンピックに向けて路上生活者排除傾向は確実にある。
公平を期して言うと、一方で役所が路上生活者向けの生活支援をしているのもある。実際に役所の委託先になっている施設に行くと、都庁の職員なる人が「家とかを世話するので、介護の仕事しませんか」と声をかけてくる(怪しいのも多いので、声をかけるてくるのは注意する必要があるけど、これはちゃんとした話)。でも、成果が上がっているとはいいがたい。生活保護も、入れららた先の施設の利用費が高額で、月に3万程度しか余裕がないらしい。これじゃ、社会復帰も無理。
で、実際の路上生活者はどんなのかというと、鈍くて、不器用で、それでいてプライドの高い、使いにくいやつばかり。中には、とても実直でまっとうな人もいるけど、全体では少数。身なりは汚いし、頭のイカレたやつも多い。人の話なんてまるで聞いてないだろといううやつがたくさん。支援で食料とか衣服を渡しても、「あんがと」の一言があればいいほう。公園に住んでいる奴の中には、公園の職員とけんか腰にやっている奴もいる。てめえは勝手に公園に住んでいるだけのくせに。
役所や近隣住民が彼らを排除したいと考えるのも、よく理解できる。
でも、一番忘れられているのは、「彼らは目の前で生きている」という現実。彼らに選挙権他、ほとんどの権利は行使できない。だって家がないから、彼らはそこに存在しないことになっている。身分証明書だってなくしている奴もいる。こうなると、彼らは政治的には「存在していない」。だけど、彼らは目の前で「生きている」。地にはいつくばって生きている。
支援なんて、週に数時間。だけど、彼らは24時間365日ホームレス。このギャップは大きい。ましてや、「こんなことは人権侵害ザマス」なんて、高い飯食いながらコメントしているなんて、ちゃんちゃらおかしい。ほとんどギャグ。本当に意見言いたかったら、現場来いよ。そこで彼らの持つ「どうしようもなさ」をもっと身に染みて感じろ。いやでも生きている彼らをちゃんと受け止めろ。
自分は、「ホームレスのいない社会」も結構だけど、「ホームレスでも生きていける社会」のほうがもっとまっとうだと思っている。落ちこぼれる奴なんて、いつだって出てくるんだから。それらとうまく付き合って、やっていける社会のほうが、よっぽど健全だよ。
あえて書かなかったけど、実は元「当事者」です。つっても、春から夏にかけての数か月。冬の厳しい時期を知りません。いろいろあって、今はネット環境を維持できるくらいの生活はしています。
だから、「お前ら現実わかってない」とちゃんと言える。ただ、みんなに「ホームレスになれ」と言うつもりはないし、だから「現場に来い」というくらいにとどまっている。でも、公園の冷たい土の上で椅子をどこかから持ってきて会話していると、とてもつらくなる。「雨降ったらどうするんだろう」という思いでいっぱいになる。逃げ場を探すだけでも大変だった。
だから、「もしホームレスが家の前に来たらどうするか」といえば、「シャワーくらい貸してやる。余裕があれば下着くらい買ってやる」といえる。でも、それをしないのは、どこかの時点で「出て行ってくれ」と言わざるを得ないから。そう言われるのがつらいのはわかっている。支援をするなら、十分動ける集団でやるのが正しい。個人で頑張っちゃダメ。
「彼らがなぜホームレスになるのか」といえば、ひとえに「性格」。人と仲良くなれないし、意地張りすぎ。きれいな妥協点を知らないし、不器用。路上で不快な目にも合っているから、ますます人間不信も強くなる。普段そばにいる奴だって、いつ何するかわからないから、気も抜けない。
今の20代、30代って年金や社会保障が老後に崩壊しているのが確定している。
まぁ崩壊の定義にもよるけど、今の水準を保てるとは誰も思ってないよね?
なのに年金もらえなくても生活保護で生きるとかさ、俺が就職出来ないのは社会情勢が悪いとか、勤めている会社の給料が安いとか。
何でそんなノンキに生きてるの?
将来の情勢が悪くなるのが確定しているなら、やるべき事は今頑張って稼ぐ事じゃない?
60過ぎて路上生活したいの?警備員で1日数千円貰って四畳半に住みたいの?病気になっても病院に行けずに野垂れ死にしたいの?
今稼がないってそういう事だよ。
なんていうか、危機感足りないんじゃない?
日本が悪い、社会情勢が悪い、未来はお先真っ暗だって言いながら、どこかで自分は大丈夫って思っているよね?
ここは日本だし、水と安全はタダだし、文化的な生活はケンポーが保証してくれてるし、みたいな。
まぁ実家が金持ちの人はそれでも良いよ。遺産が5000万以上有る人な。もちろん、両親が死ぬ前に数千万使っても5000万以上残る人の事だぞ。
または子供が2人以上居て関係良好でも良い。ただし不確定要素が大きいので安心は出来ないが。
実家がショボい人、子供が居ない人は、60歳までに最低5000万、理想は1億以上の資産とメンテ済の持ち家必須だからな。
どう考えても、今から日本の景気が良くなる事は無い。2020年のオリンピック前後から急速に景気がしぼむ。
まずは社会保障の財源が尽きる。
高齢者でも医療費3割負担が当たり前になる。60歳以下は5割負担もありえる。高額医療費制度の上限が跳ね上がる。
弱いやつ、金の無いやつから死んでいく世の中になる。ここまでは既定路線だ。
文化的な最低限度の生活なんてお題目、金がなけりゃ実現不可能だ。ケンポーは神様が作ったこの世の理じゃない。
ぶっちゃけ、今60歳以上の貧乏人はご愁傷様としか言いようがない。
運を天に任せて、まな板の上の鯉として生きてくれ。
まぁ少子高齢化を放置して、社会や未来に投資しなかったツケを払うだけだ。自業自得とも言える。
20代、30代、あるいはもっと若い人は、マジで金を稼ぐ手段を考えた方が良いぞ。
公務員になりたいとか、安定した会社で細く長くとか考えていると死ぬ。
公務員の人件費はどんどん削られる。安定した会社なんて存在しない。
インフラ系なら大丈夫?人口が減る中でインフラなら安定とか頭沸いてるの?インフラを使う人間が激減してる最中だぞ。
若者の人生の中で、今が一番好景気だ。今稼がないと将来はもっと厳しくなる。
今は優秀な人が会社員や公務員に閉じこもっているが、10年後の優秀な若者は稼ぐ事に貪欲だぞ。
その時、今より年老いたお前らが、若者と競争しても絶対に勝てない。
以下に資産の目安を書いておく。
年齢×10万 人間が人間である為の最低ライン。ここを切ったらあらゆる理不尽に振り回される。
年齢×20万 独身なら最低ライン。病気や退職にある程度耐えられる。
年齢×30万 ボーナス有り職の最低ライン。ここを切ってたら無駄遣いしすぎ。
年齢×40万 同年代ではそれなりに優秀。ただし全く安心出来ない。
年齢×100万 優秀。されど油断は出来ない。
年金、共済、財形、株、不動産など、すべての資産を含めて良い。
住宅ローン有りは、ローンを現在の不動産価格と差し引きして適用。
22歳で220万は難しかろうが、30代で1000万も持ってない人は危険ライン。
1000万なんて慎ましく暮らしても5年で溶けるはした金だ。1億有って、ようやく30年くらい普通に暮らせる。
どこらへんを自分の目標にするかは各自考える事だが、数百万ではお前の人生は賄えない。
そして、福祉に頼ろうとすれば10年後に野垂れ死ぬ事になる。メンヘラです、鬱です、診断書が有りますとか、10年後も通じると思うなよ。
生きるためには稼ぐしか無い。死ぬか稼ぐか、好きな方を選べばいいよ。
稼ぎだけが全てじゃない派
ハイハイ、ソーデスネ。
で、お前いくら稼いでるの?「出来るやつ」が言うから金が全てじゃないは説得力を持つ。
節制すれば「優秀」レベルまでいけるなら構わんけどな、お前、人間や独身の最低ラインも満たしてないんじゃね?
今が楽しくなければ意味が無い派
稼げとは書いたが、切り詰めに切り詰めて生きろとは書いてない。
何で切り詰めて楽しみを捨てないと金を稼げないの?
そんで市場経済や資本主義経済が終わる時が来たとしたら、その遥か手前でお前の人生が破綻してるから心配すんな。
農家でも生き残れんぞ。電気ガス水道が止まってインフラも停止、当然ながら輸入している窒素リンカリウムも止まるからな。
お前の人生は市場経済や資本主義と比べれば、ミジンコ以下の素粒子レベルだ。
素粒子如きが世の中の心配するとか、ビッグバンからやり直しておいで。
稼げない、稼ぎ方教えろ派
一番簡単なのは売春だぞ。前か後ろの穴を売ればいいんじゃね?若者なら、穴を売れば間違いなく稼げる。
そんな事したくない?別にいいけど、自分の趣味を通すなら自分の頭で考えろよ。
何が言いたいかわかるか?人に頼るなら何でも言う事聞く覚悟でやれって話だよ。
もう一度言うけどさ。
君ら、水と安全はタダで、文化的な最低限度の生活を生まれながらに保証されてると勘違いしてるでしょ?
明日、メシが食えて寝る所が有るのが当然と思ってるだろ?
まともに税金も収めてないカスがのうのうと生きられるのはな、この国が世界有数の豊かな国だからだよ。
今を楽しみながら将来に備える。人として当たり前の姿勢だろ。
自力でその程度も出来ないのなら、まな板の上の鯉として生きてろよ。
道端で這いつくばって乞うてくるなら、小銭くらい投げてやるよ。
いくら稼いでるの?系へ
元から富裕層でもないし、老人でもないよ。趣味筋トレの中年のおっさんです。
マウンティングしたい訳では無く、危機感持って動いてくれると僕としても都合が良いから書いただけ。
自己正当化に必死で、聞きかじった経済の話してる人が散見されるけど、お前はマクロ経済語るほど上の立場に居る人間なの?
マクロ的に正しくないから社会の仕組みがおかしい的なアクロバット理論かましてるバカが居るけど、お前はマクロ経済語る前に自分の生活の心配しろよw
自分の生活を安定させる事も出来ない小物が、他人や世の中を語ってどうするんだよww自分のケツ拭いてから他人の心配しとけ。
上にも書いたけど、資本主義経済が崩壊するとしても、その遥か手前でお前の生活が全崩壊してるから。
市場経済が崩壊するのは9割以上の庶民の生活が崩壊した後だが、現段階で下位50%に入ってるカスが生き残れると本気で思ってるの?
蓄財と言えば貯金しか思いつかない貧乏人って、1000万も持った事無いんだろうな。
たかが数万~数百万程度しか持った事の無いカスが「そんな事したら世の中に金が回らない」とか言ってるのウケるわ。
そりゃアルティメット金持ちなら口座に億単位で持ってる人も居るけどな。資産10億くらいまでなら口座に億は少数派だ。
最後に。
もうブコメが屁理屈ですらなくなって、貧乏人の僻みばっかりになっちゃったな~。
正論ばかり言うと逃げ道無くなっちゃうっていつも言われるわ~。
まぁ顔合わせて話してる訳でも無いし、別にいいよね。
最後にもう一度だけ言う。若者は金を稼ぐしか生き残る道は無いぞ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161011/k10010726021000.html
経団連は、……社会保障制度の改革など、国民の痛みを伴う改革に取り組む必要があると指摘しました。
今後の課題としては、2019年10月に消費税率を確実に引き上げるほか、医療や介護などの社会保障制度改革や、大胆な規制緩和など、国民の痛みを伴う改革に取り組む必要があると指摘しています。
日本で一番偉いのは、経団連様だぞ。彼らこそが、日本の王様なんだ。
(国民は、いくら虐げられても、自民党様に票を差し出すだけの下僕だ。歯向かえない。)
(自民党は、政治資金という金を出してくれる経団連に、歯向かえない。)
(3) 経団連には、誰も歯向かえない。
(昔の世代は、労働者が企業に牙を剥いて、ストライキをした。しかし今の労働者はストができない。昔の労働者は虎だったが、今の労働者はハムスターだ。)
いいか。わかったか。今は経団連様が一番偉いんだ。誰もそれには歯向かえないんだ。国民なんて、経団連の下僕である自民党の、そのまた下僕にすぎない。国民は経団連様に謁見することすら許されていない。はるかに下々の存在なんだ。
ただし……数年前には、民主党が経団連に逆らって、経団連からの政治献金を一切禁止させようとした。しかしそれは、経団連の地位(王様の地位)を奪うことに等しい。そんなことをしたら、どういう仕打ちを受けるか……わかっているだろ。
いいか。経団連様に逆らったものは、すべてを失うんだよ。民主党みたいにな。やつらは今では当時の名前さえも失った。経団連様に逆らった連中の末路は、このありさまなんだよ。
わかったか。わかったら、二度と経団連様には逆らうな。下々の者は、へいつくばれ。
これこれ。そちは、頭が高い。
観終わった最初の感想は、漫画『聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。
まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画を馬鹿にするといった内容ではない。
映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、
そのせいで映画『聲の形』(以下、映画)しか漫画『聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、
そしてこの世で漫画『聲の形』が漫画『聲の形』という作品でしか伝えられなかった、他のラブストーリーや青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。
この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、
本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品『聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。
これはステマではない。
なお漫画のネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。
これはステマではない(繰り返し)。
そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。
単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット、再構成されている。
その点だけでも漫画と映画は全くの別物と言っても差し支えない。
しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。
要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。
つまり、私が問題にしているということはその再構成で漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。
制作スタッフは映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。
分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、
生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、
この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。
漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。
主人公・石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズの描写がされており、
小学生時代の石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラスの手のひら返しにも憤慨するだろう。
映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、
石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ちが映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。
漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快ないじめや生々しい描写で刺激しつつ、
当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、
というのが最初の石田と西宮の出会いで、だからこそいじめた本人である自分が友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。
つまり、最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田の心理描写を読者に刷り込ませるためには、
石田の所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ。
それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。
作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、
と判断され軽減・外した、というのが制作スタッフが再構成で行ったことだ。
ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。
そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニの作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、
映画『聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。
でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、
その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。
帰ってレビューに目を通すと、やはり石田の心理描写が把握しきれていなかったり、
障碍者としての西宮の葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、
そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。
西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、
石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、
やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である。
聾唖の人たちからの意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為の副作用となっている。
ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。
これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術・創作の完全敗北と言い換えてもいい。
とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすいコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。
それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。
家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。
一体、映画を見た人の何割が石田と自分を重ねることができたのだろうか。
嫌な汗はかくことができただろうか。
漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田が自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、
前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮の友達になるというスタートで物語が始まる。
石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。
この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分が過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識に石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。
今風にいうと黒歴史を人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。
過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。
それをやらなかった映画が石田に対する感情移入がバラバラなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまったからだ。
普通、そこまで思い返すほどのトラウマや黒歴史を持つ人間は少ないので、
その場合は石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。
そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまりは黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、
どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去と石田・あなたはどう向き合っていけばいいのか。
石田が黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、
最初は不快感を感じていたはずの石田・自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田を応援しだす。
けれどこれからの西宮・未来は泣かせないように行動することができる。
過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。
ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。
漫画では西宮の家庭環境や小学校の教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、
この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。
その最後の結末が、読者のこれからの背中を押す形で終わっている。
生き続ける石田と現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。
そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。
他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、
それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。
「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品の面白さでもある。
◆
『聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。
本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。
消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、
一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ。
そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。
読んでいる人間が石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ。
大ヒットをしている。
そう、思った。
映画館で聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。
ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…
それは何の代わり映えもしない初夏のある日だった。家に帰ると母が首を吊って死んでいた。私はその死体を見て、ただ、「母が死んでいる」と思った。ひょっとするとそれほど珍しいことではないと思う、そうだ、自殺はよくあることなのだし、それを家族が見つけることだって、探せばよくある話なのかもしれない。それでもよくあるかないかが問題なわけではないのは明らかだった。私は人の死体を見たのは初めてだったけれど、それが死体だということはなぜか、痛いほどに分かった。最早生きていない。生気というのか、生き物のその残滓すら感じなかった。リビングの横の部屋で暗がりに紛れてひっそりと死ぬ母は、こちらを向いていなくてその顔を見ることは出来ない。触れたわけでもない。それでも直感と肌で感じる全てが母の死を物語っていた。ロープの絡まる首の肌は引きつれて、項垂れた頭は重力に負けている。足先は赤黒く変色して、1ミリたりとも心臓が動いていないことは明らかだった。その右手だけがまるで意志を持つほどに強く支柱を握り締めていて、そこだけをみると一瞬私は母が生きているのではないかと思う。死後硬直が、そんなにも硬いなんて、私は知るよしもない。そこまで見て、私はやっと母から目を逸らした。全ては救急と警察に任せ、遺体安置所で再会するまで、もう二度とその自殺した死体を見ることはなかった。
私は自殺した母の顔を見なかった。だからこそ余計にどれほど苦しみ恐ろしい顔をしているかと異形を想像しては眠ることも出来ず、また背を何か、布団や壁に押し当てていないと自分の見えない後ろ側が恐ろしく、ベッドに仰向けに寝転がって天井をただ見上げながらこれから自分はどう生きるのだろうかと思った。
母が死んで分かったことは、思っていたよりずっと私は悲しくないということだった。肉親を亡くせば悲しかろう、寂しかろうとも思う、そんな気持ちは全くなく、ただ母のことを想うと鉛を飲まされたような気持ちになる。憎しみとか負の感情があるわけではないけれど。母が死んでから私は母のことを思い出さない日はない。思い出すことは、それは母の死体のあの背中で、首で、足で、手なのだ。仕事中も、電車の中でも、風呂でも、とにかく何度も何度も思い出しては、時間だけが過ぎていく。普段は誰の前でも、平静に安穏に元通りの生活を手にしているように見せているし、自分でもそう、思っている、つもりなのだけれど、その時間だけは、なくなることはない。涙もない。悲しいことなんて少しもない。本当にただ、人が死ぬということはどういうことなのだろうかと考えてしまう。
私は母が死ぬのではないかと思っていた。自殺すると思っていたわけではもちろんないのだけれど、近いうちに逝ってしまう気がしていた。その日も、家に帰って扉を開けるそのときに、母が死んでいるのではないか、死んでいたらどうしようかという不安が過った。それは間違いない、嘘ではない。それでも自分の悪い予感というのは当たった試しがなかったし、まさか――まさか、と思っていた。皆そう思っていた。おそらくは、本人も。だから母は死んだのか、そうでなくても死んだのかは今はもう分からない。母が死ぬのかもしれないと思っていたのであれば止められたはずだという気持ちと、どうしようも出来なかったと諦める気持ち。死を、察していた。それでも自分の母が、まさか自分の母が死ぬはずないと思っていたその背反を抱きしめたまま私はずっと立ち止まっているのだと思う。後悔しているのか、自責なのか、何度も問答を繰り返している。兄弟が、「きっと母は楽になれたはずだ」と自身を納得させるように言ったとき、私も肯諾したけれど、「でもたぶん違う」ということは、皆腹の中で思っていたはずだ。母は絶望して死んだのだ。その絶望は、はかることは出来ないけれど、どれほどのものだったのだろうか。遺書もなく、語る言葉もなく死んだ母の、本当に望んだものだったのだろうか?物言わぬ人形になり果てた母の背を思い出すたびに、私はアレが自分の将来の姿なのかもしれないと思う。幸せだったはずだ、母は、幸せだったはずだ。それなのに、すべて、失われてしまった。私も今は、何一つ不自由なく暮らし、学び、働き、誰かを愛し、愛され、若く、健やかなわけだけれど、いつかそれは失われる。そうすれば、絶望の中に、死ぬのだろうか。30年後の私は、また、同じように私の娘の前で、死んでいるのだろうか。そういう思いを、拭えないままでいる。胸に刺さった十字架、というのか、そういうものである。たぶんこれが、自殺遺族として生きるということなのだと思う。果てない問答を己のうちで繰り返し、深く傷ついたこころを癒すことも出来ないで、何度も死を舐めては、胸に積もりゆく砂のような何かの重みに耐えられず、這いつくばってそれでも生きるしかない。私はいま生きているのだと思う。この文字を書き連ねることで少しでもその砂の重みが軽くなればいいのにと思う。悲しみではないその空虚を受け止めて、受け入れて生きていくのだと思う。それが自殺遺族なのだ。悲しむことも憐れむことも、憎むこともできないままでいる。そうやって過ぎていく時間を、何とか耐えている。
http://anond.hatelabo.jp/20160728000910
お前は今まで心の底から渇望したことがないんだろう。そして、求めても得られず、何年も苦しんだことがないのだろう。あまつさえ、お前にとっての「プラスマイナスゼロ」になるために、ただ「ふつう」になるためにゴミのような境遇から這い上がらなければならない人間のことなど何も気にかけていないのだろうな。
俺はそれが許せない。
お前のように、何も求めずとも得てきた人間。
健康的な精神、健康的な肉体、趣味、友達、親、彼氏、社会的な成功、生きる理由などなくても生きられる暖かい暖かい生活をして生きたお前。
俺は憎悪する。
お前の境遇そのものではない。その境遇にあって何も感じず、その無知から軽い気持ちで他者を見下す前をこそ憎む。
お前が不幸になったときはゲラゲラと笑ってやろう。お前の子供が入院したときは鉢植えの橙百合を贈ろう。
それまでは幸せにな。無病息災でな。お前に何かあったとき、俺が耳元でゲタゲタと笑ってやる。
しかし俺は強烈に生きている。生きざるを得ない。お前の生活レベルに遠く及ばずとも、はいつくばっでも生きている。
お前、お前のような人間がいる。そのことにだ。
お前が憎い。
お前の文章のすべてが憎い。
夜景がきれいだとか、ここからの景色は雄大だとか。そういう気持ちでのぞき込んだのだろう。
お前はもうわかっているだろうが、お前がうらやむ綺麗な夜景にはゴキブリが生きるために蠢いている。
お前、お前を俺は許すことができない。
のぞき込むのは簡単だ。しかしお前のような人間が、「ふつう」を光り輝かせて上から降りてくると、それまで「普通」だと思っていたやつらは「俺は底辺だったのか」と意識せざるを得ない。闇の中で身を潜め、温めあってそれなりに幸せに生きていたのに、光をいきなり浴びせられ、自分たちがゴキブリだったと気づかせられる。お前にはわかるまい。
お前は罪びとだ。
しかし断罪はできない。するつもりもない。お前は罰を受けるべき人間ではない。幸せに、子供と夫と生きていけばいいだろう。
呪いを、恨みを俺が乗せる。
お前は幸せになるべきだ。俺たちを踏みつけて、生きていくべきだ。
お前を憎みながら、俺は蠢いていく。
いつかお前のレベルまで這い上がるのが俺の生きがいだ。そしてもっと上へ、もっとまともなところへ行きたい。
それが俺の生きがいになってしまった。
人間、本当に憎い時は息を吐くんだな。お前のおかげで分かった。
お幸せに。
生きがいなど幻想だ。
光を逃れて陰に入った安心感だけで生きていけるのだ。