「終止形」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 終止形とは

2020-10-11

一生懸命」と「一所懸命

子供ときから一生懸命勉強してきた、大人になってから毎日一生懸命働いている。例えばこういうような言い方をする。私も一度そう言ってみたいものだ。が、ここでの問題は、そういう努力や真面目さのことではなく、「一生懸命」ということばの形である

腰痛力士初日を出すと、スポーツ紙が「一『勝』懸命」などという苦しい見出しをかかげるぐらいだから、たいていの人はふだん「いっしょうけんめい」と発音しているだろう。たまに「いっしょけんめい」と聞こえてきたりしても、全然気にとめない。気がついても、あの人は急いでいるため発音が雑になったんだと思う程度だろう。相手外国人であれば、注意深い日本語教師は「イッショー」と長く延ばすように指導するかもしれない。相手日本人であっても、小学校などでは、「ちゃん発音しなさい」と注意する熱心な先生もありそうだ。

ここで終われば平和な日々がうち過ぎるのだが、なかには気になって「いっしょけんめい」というふうに短く言う俗な発音も認められているのかなあと、念のために国語辞典で引いてみる人もいるかもしれない。すると辞書には、「一所懸命」ということばが出ていて、「武士が賜った一ヶ所の領地を命をかけて守り、生活の頼りとしたこと」と説明してある。そこから一般に、物事を命懸けでやる意味に広がったらしい。びっくりして、それまで疑うこともなく信頼を寄せていた「いっしょうけんめい」のほうを引いてみると、あろうことか、「一所懸命の転」とある。形勢逆転だ。

今まで乱れだと思って軽蔑まなざしで見ていた「イッショケンメイ」がにわかに高貴に見え、これまで牙城を誇っていた「一生懸命」が反対になんだか色あせて見える。なんの引け目もなく天真爛漫に使っていた「一生懸命」という語が、とたんに使いにくくなる。向学心に燃え前後の見境がつかなくなった若人なら、まったくためらうことなく「一所懸命」に切り換えるだろう。

だが、いくら世間というものがわかってくると、手のひらを返すように切り換えることには抵抗をおぼえる。「イッショケンメイ」と発音しては相手に通じないのでは、と心配するからではない。また、別に古なじみの「一生懸命」に侍の義理を感じるわけでもないが、知ったばかりのことばを得々として弁じたてるのは、生半可な知識をひけらかすようで、どう見ても、成熟した大人のふるまいではないような気がするのだ。

そうかといって、「イッショウケンメイ」という発音で通すのも問題がある。そのほうが、世間からの疎外感を味わわなくてもすむ点では無難だが、国語先生のくせにこんなことばも知らないのか、と軽蔑されるかもしれないなどと、今までは思ってもみなかったことが不安になったりする。しかたがないから、「ほんとはイッショケンメイというんだそうですが」とよけいな挿入句を用いたり、意味ありげに二様発音で繰り返してみたり、やむなく単に「懸命」ですませたり、あるいはほかのことばに逃げてしまったりする。ともかく、そのことばを、以前のように無心では使えなくなっているのだ。なまじ知ってしまっていたために、余分な神経を使っているわけである。そんなとき、知らないうちが花なのよという、全然関係のない古い文句が浮かんできたりする。

私にとっては「独壇場」がまさにそれだった。辛口批評となればあの評論家のドクダンジョウだとか投げの打ち合いとなったらあの力士のドクダンジョウだとか、なんの疑いももたずに言ってきた。ところが「壇」でも「檀」でもなく、正しくは「擅」なのだという。「擅」という漢字は「ほしいまま」という意味で、しかも、「せん」と読むらしい。つまり、「独擅場」と書いて「ドクセンジョウ」と読むのが正しいというのである

しかに、これで一つ利口になった。が、そのときから新たな悩みも始まった、「イッショケンメイ」とはちがって、「ドクセンジョウ」のほうは意味が通じるかどうかさえあやしい。通じたとしても、なんというペダンティック言動かと思われるのが関の山だろう。「ほんとはドクセンジョウというんだそうですが」と前置きすると、今度は相手が、学問があるのはわかったから、そんな偉そうな顔をしないで、すっと言え、と言わんばかりの表情になる。そうかといって、辞書ちゃんと「独擅場の誤読から生じた語」とことわっている「独壇場」ということばを、今さら無邪気な顔で使いつづけるのも気がひける。結局、どちらのことばも平気な顔で言えなくなり、自分の話しことばから私はその語を失った。

同じ単語でも、読み方でそういう結果になることもある、「異国情緒」「情緒不安定」などの「情緒」ということばは、ふつう「じょうちょ」と読んでいるが、国語辞書を見ると、「ジョウチョはジョウショの慣用読み」と説明してある。つまり本来「じょうしょ」と読む語なのに、「じょうちょ」というくずれた読みが慣用として世間に広まった、という事情らしい。それまでなんのためらいもなく「じょうちょ」と発音していたこの語を、こだわりなく、すっと言えなくなってしまうのである。そうなると、そんなことを知らなかった昔がなつかしく思い出されるかもしれない。

外来語日本語読みにする際に清音と濁音の違いも、同じような問題をひきおこすことがある。「ニュース」で「クローズアップ」された情報を「スムース」に受け取っていたのに、原語の発音意識した日から、「ニューズ」で「クロースアップ」された情報を「スムーズ」に受け取れなくなるのは、その一例だろう。「スムース」などは比較的すんなりと「スムーズ」に席を譲ったように見えるが、「ニューズ」はまだそこまで進んでいない。そういう発音が聞こえてくると、思わず相手の顔をみたくなる。

まり、これらのことばは、その意味を伝えると同時に、その語を使う人の知識教養の程度をもあらわす。臆面もなく使うとか、照れて使わないとかいたことをとおして、その人の性格を伝える場合もあるから、油断ができない。

これまでは、ふつう気がつかないところに一部の人が気がつくために起こる問題点をあげてきた。その逆もある。人のうわさをしているらしい。ひとりが「あいつネーモーだからな」と言うと、相手が「うん、ほんとにネーモーだ」と簡単に応じて、それでおしまいになる。そんな話を聞いた。おたがいに通じ合っているのだから、なにも今さら話を蒸し返すことはないが、これはおそらく「獰猛」のことだろう。たまたま二人とも「どうもう」と読まずに、「ねいもう」と読むものと思い込んでいたために、運よくツーカーと通じたものにちがいない。

しかし、そうそういつもうまく行くとはかぎらない。聞き手が「どうもう」と読むという知識をもっていることのほうが多いはずだからふつうは「えっ、ネーモー?」と聞き返すことになる。聞き返すのが失礼だと思えば、「ん?ああ」などと曖昧な返事でごまかすかもしれない。が、もし通じた場合はどういう性格コミュニケーションになるのだろう。

獰猛」を「寧」の旁につられて「ねい」と覚えているんだな、と聞き手が頭をまわせば、意味はわかっているわけだから、伝達は成立する。だが、「獰猛」を正しく読めないという話し手についての情報も同時に伝わる。魚の「生け造り」を「生き造り」というのも、程度の差こそあれ、似たような印象を与える。

『影を慕いて』というはるかな昔の歌に「月にやるせぬわが思い」ろいう文句がある。「やるせぬ」という言い方は許せぬなどと息巻く人もいる。「やるせない」という形容詞が「やるせぬ」となるのなら、「はかない」が「はかぬ」となり、「しがない」が「しがぬ」となるはずだから、たしかに、そんな日本語はないと言っていい。リズム関係でそうなったのだろう。が、そういう形が思いつくのは、「やらない」が「やらぬ」となり、「しない」が「せぬ」となる現象があるからにちがいない。つまり形容詞の語尾の「ない」を助動詞混同した結果なのだろう。

同種の例に「あの人みたく」といった「みたく」がある。これは直接には、「みたい」の「たい」を「見たい」の「たい」という助動詞混同したものかもしれないが、「うれしい」「大きい」というふうに、日本語では形容詞終止形はすべて「い」で終わる、ということも心理的背景として働いたような気がする。逆じゃ必ずしも真ではないのだが、「い」で終わると、なんだか形容詞のような気がして、「うれしく」や「大きく」に倣って、「見た様だ」から転じた「みたいだ」という助動詞の「みたい」の場合も、つい「みたく」という連用形を作りたくなるのだろう。

いずれにしろ誤用によって生じた語形なので、ことばにうるさい聞き手は、相手教養を疑うかもしれない。しかし、この種の語感は地域や年齢、それに、もちろん時代によっても違う。「着替え」という名詞は「着がえ」でもいいが、動詞の「着替える」のほうは従来どおり「着かえる」と発音すべきだと、今でも主張する人がいる。靴を履きかえることを「履きがえる」とは言わないから、なるほど、そういう理屈になる。しかし、耳で聞くと蛙の種類とまちがえそうなこの「キガエル」に抵抗を感じる人は今やごく少数だろう。このぐらい定着してしまえば、もうほとんど特別の語感は働かない。

また、最近は、「ゆ」「らゆ」「る」「らつ」という長い伝統を引き継いできた「れる」「られる」の関係にも深い亀裂が入った。「やれる」「乗れる」「張れる」といった可能動詞連想も働いてのことだろうが、助動詞の「られる」との伝統的な使い分けを無視して無差別に「れる」をつけ、「見れる」「寝れる」「入れる」などと新しい臨時可能動詞を作る、いわゆるラ抜きことばの嵐が吹き荒れ、ほとんど修復不可能と思えるまでに日本本土を席捲している。ある若い中国人学者の話では、日本留学したてのころ、某女子大で「眠くて朝なかなか起きられない」と流暢な日本語で話したところ、大学院友達が「られる」は尊敬意味で、可能は「れる」だと親切に教えてくれたそうだ。こうなると、せめて「見れる」は「見られる」のくだけた口頭語形とでも制限して、正式に認めてしまったほうが、かえって勢いをいくらか食い止める力になるかもしれない。

しかし、いずれにせよ津々浦々の老若男女に心底その形が容認されるまで、頑固一徹日本語担い手たちが「アナウンサーよ、お前もか」と眉をひそめるような語感が、そういうことば保守派にとっては」、またしばらくはついてまわることだろう。

ことばの形は崩れたわけではないが、「気がおける」と「気がおけない」という慣用句用法が乱れかかっていることが、ひところ話題になった。例えば、「校長先生は気がおけないので肩がこる」「親友は気がおけるらしい」といった使い方が若い人たちの間に広がりつつある、というのである最近校長が人なつっこくなって、生徒とばか話をしながら遊びまわるとか、今どきの親友は油断がならないから、わきにいると緊張しどおしだとかいうような、時代の変化が起こっているのかもしれないが、それは別の話だ。事態の変化に応じた表現でないとすれば、ことばの使い方が本来用法とむしろ逆になる例があらわれたことになる。

「情けは人のためならず」ということわざの「人」を「他人」ではなく「その当人」の意にとって、全体の意味を、他の人に親切にしておくと、めぐりめぐって自分自身にいいことがやってくる、という本来意味ではなく、へたに情けをかけたりすると、かえってその人のためにはならない、という意味で使う人が増えてきたともいう。

このようなずれた用法のことばは、たとえ通じたとしても、相手も同じようにずれて理解していないかぎり、無教養に類した印象を同時に伝えてしまうだろう。

2019-12-18

苦手な女オタク構文

  • 第1位 ○゛○゛○゛○゛○゛○゛○゛○゛○゛

観測範囲いか例外はあるだろうけど男で使うやつは珍しいよね

腐がどうのといった女オタク内での派閥のことはよく知りません

2019-07-02

anond:20180104135141

付け加えると、その「古い法律」は今でも「生きてる」からね。たとえば民法の出だし。

民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム

法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

明治二十三法律二十八民法財産財産取得編債権担保証拠編ハ此法律発布ノ日ヨリ廃止

これを

民法を、第一編、第二編、第三編及び別冊の通り定める。

 この法律施行する期日は勅令天皇の裁可による命令)をもって定める。

 明治23年法律第28号民法財産編、財産取得編、債権担保編、証拠編は、この法律発布の日から廃止する。」

という意味に誤りなく理解するためには、古文漢文知識普通にいる。(たとえば、古文では原則として主語助詞がつかない。「定ム」はマ行下二段活用動詞終止形が「定む」(口語文法ではマ行下一段で終止形は「定める」)だから、ここで文は終止している、とか。「此法律」は、あとの名詞に係っているので「此」は「これ」でなく「この」と連体詞で読む、とか(純粋漢文というよりこれは日本漢文知識だが)。)そもそも漢字片仮名交じりの表記漢文訓読体をベースにしているので、漢文にある程度なじみがないと違和感がすごい。「このくらい分かるだろ」という人は、それは自分がいやいやながら「古文漢文」をやらされてきたからだということを理解しておいた方がいい。たとえば中国以外の外国出身日本語ある程度読み書きできる人とかでも、こんな条文になると全くお手上げだ。大学入試から古文漢文を廃して「実用現代教育」みたいなことだけにするということは、日本人の日本語力をその(外国人)レベルにする、ということと同義でもある。)

これが万人に絶対必要知識教育だとは言わない。だから義務教育では文法まで教えないし、大学入試でも、古文漢文なしで入れる大学普通にある。そういう人が先の法律を見て「訳分からん」となることも、当然おかしいとは思わない。だが、ある程度専門の学習を行う「高等教育」に進学する人間にとっては、戦前に制定された法律や文献が現代社会の重要な基盤となっているという意味で、やはりこれは普通必要知識のうちだろうとは思っている。これが不要と言うなら、文系の大半の人間にとって有機化合物に関する化学の複雑な中身とか全く不要なわけだが、それが現代社会の重要な基盤となっているという点では、やはり高等教育を受ける人間にとってクリアすべき知識とされていることに疑問はない。


問題は、その「必要性」が充分教育現場で徹底されていないことなのだと思うよ。高校教師でそういうことを考えている人間は確かに少ない。「なぜそれを現代社会で、高等教育を望む人間試験として課す必要があるか」は、最初増田のように常に問題提起されてよいとは思うし、指導者は常にそれに対して説明する/できるようにする義務があるはずだね。

2018-10-13

anond:20181013061909

ありがとうございます

本業の方に添削していただいて、文例まで書いていただけて恐縮です。

かにそのように書いた方が、ずっと没入感があり、感覚が刺激されますね。

かにこれは第2話という位置付けです。タイトルの「サトシ原子炉」をクリックするとカテゴリページに遷移するので、そこに第1話があります。もし読んでいただけたら嬉しいです。

地の文についてですが、神の視点の文は基本的にありません。タイトルにある名前登場人物視点で書くようにしています

ご教示いただいたことを踏まえて、全体との整合性にも気をつけて修正を加えていきたいと思います

追記

語尾については、その登場人物出来事を語っているように書いています。すなわち、基本が過去形で、臨場感をもたせたいところや、客観性が乏しく、その人物感覚感情比重が大きい部分は、終止形にするようにしています

anond:20181013044059

 

冒頭だけしか読んでないけど、さら添削すっぞ。

 

原文だと、香り香り匂い、と嗅覚情報ばっかり先に立って、本来最初に飛び込んでくる音の情報が遅い。匂いばっかりだと変化もないので適度に情報の種類を混ぜ合わせた方が楽しく読める。

 

言葉意味のかかり方についても、ちょっと不注意だ。「食欲をそそる肉の香りが、ネギ油の香りの中にほんのり広がる」だと、食欲をそそるのは肉の香りだけになってしまう。そういうわけでもないだろう? 両方にかかるように、文を工夫するといい。

 

鮭と鶏肉と、動物性具材をふたつも入れたら味が濁るんじゃないかという疑問もあるが、そこはまあ、妥協しよう。どっちもマリネされてるから味が濃くなりすぎないかというのも、ぎりぎりここでは妥協してやる。自分で反芻してくれ。

 

よろしくないのは、一人称なのか三人称なのかが冒頭だとちっとも分からんところ。第二話と書いてあるので第一話でしっかり出た情報なのかもしれないが、転換とともにそういうのが変化することもあるので、出来れば早くに、人称がどっちなのか、一人称なら誰の一人称なのかを示しておきたい。しかも、さりげなく。「とってもいい匂い」は口語なので一人称であることを示しはするが、口語地の文書くような素人も多いから、もうちょっと念押ししておきたいところだ。

 

フライパン鶏肉接触面」って。「接触面」って。そんなの料理中に心に浮かべるか?

 

語尾がウ段の終止形ばっかりでリズムがない。注ぐ、入ってくる、塗り広げる、広がる、砕いていく、音を発てる、ご飯を加える。すっごい単調。意図がない限り、同じ語尾はせいぜい2回続けるくらいに抑えておけ。

 

細々指摘するのも大変なので冒頭数行だけいっそ改変してみる。

 

 

 

 よく熱したフライパンに適量のネギ油を入れると、弾けるような音といっしょに香ばしい匂いが広がった。

 鶏皮を使って油を全体に延ばすと、動物性の脂と溶け混じって、いっそういい匂いになる。パチパチという音まで美味しそうだ。いい感じだぞ。

 香りが立ったところで、いよいよ具材を炒め始めよう。まずは鶏肉、火が通ったら野菜も加える。リズミカルにじゃっじゃっ、と音が鳴るようにしゃもじでまぜていく。立ち上るいい香りを大きく吸い込んだら、「あー、絶対美味しいよこれ」と思わず声が出た。私史上、最高かも。フライパンを煽ると、具材と一緒にぱっと炎も宙に躍った。わっ、なんだか気分がアガってくる。

 

 

 

 いちおうプロだった俺が書くと、こんな感じ。

 だらだら料理手順の説明を続けても読者は面白くない。よほどのことがなければ、何を入れたのかこと細かに説明する必要はない。まとめて省略してしまっていい。具材に何が使われているのかは、この小説面白さに必要か?

 人物が、楽しそうに料理している様子を描く方が、まだしも読者も同調して楽しんでくれる。「調理」じゃなくて、それをしている「人」を書いてくれ。

 

 

 以上。今後の健闘を祈る。がんばれや。

2018-09-26

「イキる」形容動詞

anond:20180926114919

しかに言い切りの形が「イキる」である動詞として考えると行き詰まるね。

「イキり」を語幹と考えてみよう。

明らかに活用形があり、末尾が「い」で終わらないので形容詞ではない。これは形容動詞だ。

基本形 「イキりだ」

オタクというもの本質的に イキりだろ う(未然形

昨日の合コンにきたオタクも イキりだっ た(連用形

ワタシもまた イキりで ある(連用形

人はみなオタク化すると イキりに なる(連用形

妹も今や イキりだ(終止形

集まった全員が イキりな オタクだった (連体形

次に来るオタクも イキりなら ワタシは(仮定形

イキりオタク は、強がりな男 → 強がり男 のように連体形の「な」を省略したものではないか

命令形はない。「静かにしろ」のように「イキりになれ」とする。オタクよ、イキりになれ。

参考・http://国語文法講座.com/xn--hhrt0sk4cxr6d.html

ただ、このページによると、形容動詞は「③ 語幹に「さ」「み」などをつけて名詞として用いる。」

まり「イキりさ」「イキりみ」という用法があり得ることになってしまう。

2018-08-09

いただけるでしょうか

依頼の文面で「〜(して)いただけるでしょうか」を使う同僚がいて、見るたびに違和感を覚えていた。

書類を頂けるでしょうか」

「教えていただけるでしょうか」

「返却いただけるでしょうか」

などが用例。この人は会話でもこう言う。最後の例は「ご返却」としてほしい。

「いただけるでしょうか」ググってみたらそれなりに使われている。例えば「ご理解いただけるでしょうか」とか。これはなぜか違和感があまりない。しかしよくよく検索結果を見ると、依頼ではなく質問ばかりだ。あるいは、質問の体だけど答えは求めていない投げかけが多い。やはり依頼の「〜(して)いただけるでしょうか」は珍しいのではないか

動詞終止形に「でしょうか」が付いているから変なのかと思ったらそうでもない。

「まだ使えるでしょうか」

「雨は降るでしょうか」

これらには違和感がない。どちらも質問だけど。

自分は「〜(して)いただけますでしょうか」を使う。経験的に、他の人もよくこれを使っていると感じている。念のためこちらもググってみたら、誤用として複数ビジネスマナー指南サイトで紹介されているようだ。「ます」「です」が二重敬語なのだと。なるほど。

はいえ、検索上位にくるのは薄っぺらなページばかりで、これなんて特に酷い。

https://www.rirekisyodo.com/study/doublehonorific-point.html

日本語論理も内容もおかしい。こんな記事にとやかく言われたくない。

このページも酷い。

https://careerpark.jp/53907

「いただけますでしょうか」は二重敬語から NG と言いながら、「よろしかったでしょうか」は相手への配慮から OK とか。実際に NGOK かは別としても、この論理でよく記事にできたなと思う。

そしてこの「専門家」とは誰なのか。その専門家に「いただけますでしょうか」について聞くことはできなかったのか。まあ、そこだけ何かを読んで適当にぼかして引用したのだろうけど。

ここで感じたのは、「〜(して)いただけるでしょうか」は、こういったゴミみたいなビジネスマナー指南に従って「〜(して)いただけますでしょうか」を避けた結果として使われているんじゃないか、という疑問だ。

以下について知りたいけれども、検索だけでは答えが出そうにない。

1. 依頼の「〜(して)いただけるでしょうか」は昔から使われていて、これがむしろ自然だという人がいるのか。

2. 依頼の「〜(して)いただけるでしょうか」は「〜(して)いただけますでしょうか」を避けた結果という仮説は正しいか

3. 「〜(して)いただけますでしょうか」は、専門的にはどういう扱いなのか。

皆様のご意見、ご感想をお寄せいただけるでしょうか。

追記

そういえば便利な日本語コーパスがあったのを思い出した。

KOTONOHA 現代日本書き言葉均衡コーパス

少納言

http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/

まず「ますでしょうか」で調べてみた。「いただけ」は二重敬語の指摘に関係ないので。検索対象からヤフー国会会議録は除く。かなり例が出てくる。有名な執筆者ソースを幾つかピックアップしよう。

山本周五郎「人は負けながら勝つのがいい」1998

山﨑豊子「沈まぬ太陽」1999※

安部公房「方舟さくら丸」1984

京極夏彦本朝妖怪盛衰録」2003※

赤川次郎人形たちの椅子」1992

村上春樹東京奇譚集」2005

宮部みゆき「誰か」2003

曽根綾子「この悲しみの世に」1986

ここには、依頼でなく質問の「ますでしょうか」の例も含まれる(※印)。でも二重敬語が駄目なら依頼・質問区別関係ないだろう。

さて、「いただけるでしょうか」を検索たかったが、検索文字列10 字までということなので「けるでしょうか」で検索した。例はかなり少なく、依頼の用例はさらに少ない。とはいってもゼロではないこちらも有名どころを挙げておこう。

瀬戸内寂聴「女人源氏物語」1999

陳舜臣陳舜臣全集 第1巻」1986

というわけで、ここまでの個人的結論としてはこうだ。

1. 「いただけますでしょうか」は、文法的な是非はともかく、今後も自信を持って使っていいといえる十分な用例がある。

2. 「いただけるでしょうか」はそれなりに古い用例が存在するので、とやかく言うほどではなさそうだ。

2018-01-04

うんちを活用するとどうなるか

うんちは上二段活用

語幹 うん

未然 ち

連用 ち

終止 つ

連体 つる

已然 つれ

命令 ちよ

うんちの終止形は「うんち」にはならない

したがってうんちは動詞ではない Q.E.D

2017-02-05

1文字大和言葉同音異義語

日本語同音異義語が多い」という風説に挙げられるのが漢語ばかりなので、大和言葉の例を調べてみた。

やまとことば古語or現代漢字英訳現代複合語地名に残る例備考と個人的感想
footあし足掻く、足立(埼玉県東京都) 
thatあれ 
weわれ吾妻(群馬県) 
five五十路 
五十fiftyゴジュウ五十鈴(三重県) 
youてめえこき下ろすときに使う二人称とのこと
sleepねる 
cormorant 
rabbitうさぎ 
handle 
older brotherあに中大兄皇子 
inletいりえ江戸 
deulkkaeゴマ荏原(東京都) 
foodえさ餌付けジビエ」はフランス語
branchえだ梅ヶ枝餅 
Chinese hackberryえのき榎町[なみえまち](群馬県) 
mosquito 
thatあれ彼方 
鹿deerしか鹿島(茨城県)(佐賀県) 
placeバショありか 
tree 
pestleきね杵築(大分県) 
tuskきば象牙[きさのき] 
sakeさけ神酒 
fortとりで茨城(茨城県)
leekねぎ分葱 
hair 
mealショクジ朝餉、昼餉、夕餉 
daysダン 「ハレとケ」のケもこれではないか
becauseゆえに 
child 
powder削り粉、薄力粉 
silkwormかい春蚕 
basketかご伏せ籠 
tree木立、木漏れ日 
thisこれ此方 
バショあそこ 
そう「さもありなん」 
arrow 
nest 
鬆立つ 
blindすだれ 
shoalなかす天王洲アイル(東京都) 
簀巻き、すだれ 
back 
fordあさせ「立つ瀬がない」 
husbandおっと 
dressおめしもの 
backせなかそむく 
thatそれ 
name 
greens 
side dishおかず酒の肴 
Iわたし 
baggage 
red earthあか 
ballたま八尺瓊勾玉 
ballたま 
marshぬま 
field 
sound 
price 
root 
peakみね筑波嶺[つくばね](茨城県雅称)
field 
1幅は37.9センチメートル 
tooth 
edge 
leaf 
edgeはし 
the Sun 1日を表す場合、「は」は単数形複数形は「か」。「ひとひ」→「ふつか」
fire 
shuttleシャトル 
iceこおり氷室氷川神社(埼玉県) 
gutterとい 
brown bearひぐま 
Japanese cypressひのき檜原(東京都) 
fart 
tier二重まぶた 
directionあたり水辺、海辺、古[いにしえ] 
houseいえ一戸九戸(岩手県青森県) 
upsideうえ 
earthenware potかめ鍋[なべ] 
prowへさき 
kitchen rangeかまど 
directionホウコウ行方[ゆくえ] 
sail 
spike 
true 
opening 
eye眼(まなこ)、まつげ 
body 
fruit 
winnowing basket 
spiritかみ海神[わたつみ] 
waterみず水戸(茨城県) 
eye 
bud 
womanおんな 
海藻seaweedカイソウわかめ「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの
algae 「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの
bottomsボトムス 
mostもっと最中、最寄り 
valley《備考参照》渋谷(東京都)(神奈川県)、谷津(千葉県)「やと」「やつ」「やな」「やち」など。
homeいえ 
more and moreいよいよ弥生 
spokeスポーク 
circle 
weわれ 
wellいど 
rushいぐさ 
cord 
manおとこ牡牛 
ridgeおね 
tailしっぽ枯れ尾花 
現代語だけに絞った表
やまとことば古語/現代漢字英訳現代複合語地名に残る例備考と個人的感想
cormorant 
handle 
mosquito 
tree 
hair 
child 
powder削り粉、薄力粉 
nest 
鬆立つ 
back 
name 
greens 
baggage 
sound 
price 
root 
field 
tooth 
edge 
leaf 
the Sun 1日を表す場合、「は」は単数形複数形は「か」。「ひとひ」→「ふつか」
fire 
fart 
sail 
spike 
true 
opening 
body 
fruit 
winnowing basket 
eye 
bud 
algae 「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの
circle 
cord 
ことわりがき

2014-02-07

オナニーにおける「1コキ」について。

オナニーにおいて、

陰茎を握り上下運動を行うことを、

「コク」と言う。

転じて、

手で「コク」事を「手コキ」。

足で「コク」事を「足コキ」。

尻で「コク」事を「尻コキ」。

等と表現される。

色々な方法での「コキ」方があるわけだ。

自身で「コク」場合にそれが使われるのは勿論、

他者に「コイ」て頂く際にもそれは使われる。

さて、

この「コク」とは、

つの単位としても使われる。

1コキ、2コキ、3コキ、と。

そして、

1コキとは何をもって1コキなのかを明らかにしたく、

ここに明文化させていただいた。

原点として、

陰茎を握り上下運動を行うことを「コク」としている。

陰茎上部を握り、

1:下部へとスライドした段階で「1コキ」としてカウントするのか。

2:上部から下部、下部から上部へ戻した際に「1コキ」としてカウントするのか。

そこを明確にしたかった。

「半コキ」という言葉が好きだし、

それは非常に重宝されるべき表現である

「半コキ」でイってしまった。

など、より良い気持ちよさの表現や、

早漏感を表現できるからだ。

「半コキ」という言葉を成立させるには、

2:上部から下部、下部から上部へ戻した際に「1コキ」としてカウント

の説がしっくりくる。

から

2:説を採用しようと思う。

日本における国民の皆様、よろしくお願いしたい。

「1コキ」は陰茎上部から下部へ、

そして下部から上部へ戻した時、

スライドした時にカウントする。

ちなみに「コク」は、

国語の文法上、カ行五段活用である

未然形/か・こ 例:コかない

連用形/き・い 例:コいて

終止形/く 例:コく

連体形/く 例:コく時

仮定形/け 例:コけば

命令形/け 例:コけ

2009-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20091010002215

「〜でよろしかったでしょうか?」

「よろしい」を中心とした説

  1. http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/115501/m0u/ 「だ」の連用形「で」
    • (2)事柄を提示するのに用いる。
  2. http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/200659/m0u/ 「よろしい」の連用形「よろしかっ」
  3. http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/115491/m0u/ 「た」
    • (6)(終止形を用いて)(イ)疑問・質問などをもちかけることを表す。
  4. http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/133064/m0u/ 「でしょうか」
    • 「です」+「う」+「か」→「でしょうか」

「た」の使用は(6)(終止形を用いて)(ア)強い決意・断言や軽い命令などを表す。と感じる人もいるかもしれない。

「でしたでしょうか」→「でよろしかったでしょうか」説

  1. http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/133078/m0u/ 「です」の連用形「でし」
    • (2)事柄を提示するのに用いる。
  2. http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/115491/m0u/ 「た」
    • (6)(終止形を用いて)(イ)疑問・質問などをもちかけることを表す。
  3. http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/133064/m0u/ 「でしょうか」
    • 「です」+「う」+「か」→「でしょうか」

「です」の重複をきらう+より丁寧に→「でした」が「でよろしかった」へ

2008-07-28

しりとりの思い出

小学校の教師が国語時間に「文章しりとりをやろう」と言い出してきた話

なにやら文章力を鍛えるためだとか。

ちょっと考えればわかるが、文章なんて大体終止形で終わるんだから、ある程度尻の文字は限定される。

更に小学生はいい子ちゃんを強要されるから必然的に「です、ます」調が多くなる。

なので、いかに「す」を頭文字にした名詞適当な文章を作るかといった珍奇なゲームになっていった。

中学時代の勇者の話

身体検査だか予防接種だとかで授業ができないため、クラスしりとりをすることに。

マァなんてことはない普通しりとりで、ぼへーとしてるうちに時間は過ぎていった。

そして、ある地味めな、それでいてオタクっぽくはない所謂普通男子Aの順番になった。

「ま……、まんこ!」

高らかに彼はそう言った。

一瞬の静寂、そして爆笑。

おそらくうっかり言ってしまったのであろう。

彼は顔を赤くして必死に弁明を試みるも、爆笑の渦にかき消されてしまう。

そんな中、ある女子が笑いながら、よく通る声でツッコミを入れた。

ダメだよA、まんこなんて言っちゃ!」

彼女は、墓穴を、掘った。

度重なるまんこ発言に再び爆笑するクラス、赤面する二人。

Aは「まんこじゃない! マント! マント!」と苦しい言い訳

かたやの女子は言い訳するすべもなく、ただ黙っているしかなかった。

いつか同窓会であったら彼らに偉大なるインカの王の名前を教えてあげようと思う。

彼らの心の傷が少しでも癒えるのであれば。

2008-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20080422232541

すべからく」の場合も、多くは「べし」と呼応するけれども全部がそうというわけでもないよう。

はたしてそうか?

だから「べし」が無いからすべからく誤用というわけでも無い。

とは

だから「べし」が無いからすべからく誤用とすべきというわけでも無い。

だから「べし」が無いから誤用とすべきというわけでも無い。


以下、ありがちなパターン。実際のところは知らない。

  • すべからく○○べし」という用法は、べしを重複して大仰にしたものである
  • 「べし」のみで十分大仰となったため「すべからく」が廃れる
    • 「べし」が古語的な格を持ち始めたため
    • すべからく」の意が「べし」に移り「すべからく」が省略されたため
  • 日本人の常として大仰となった終止形「べし」は好まれず連体形「べき」を用いてぼかす用法が主流となる
  • 「べき」の用法が増えるにつれ、その大仰な語として「すべからく」が復活する
  • すべからく」が前置であるために、体言とともに用いて大仰でありつつも用言を略して明言をさける日本人好みの用法となる

2008-03-15

おめく

熊本弁で、大声を出すこと(動詞:五段活用)。標準語のわめくと同じ。

用例:近くにいるのだから、おめかなくても聞こえるよ。

活用形:

おめかない(未然形

おめきます(連用形

おめく(終止形

おめくとき(連体形

おめけば(仮定形

以下略

2006-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20061021061950

まだべきが終止形ではないとわからんのかこのバカチンが!

2006-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20061020105947

×べき

〇べし

べきは連体形

終止形はべし。

べきを使いたいなら「べきだ」といった感じにしないとダメだ。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん