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はてなキーワード: 裏付けとは

2024-08-12

anond:20240811120625

エジプトにいた増田です。

思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています

そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分出会ってきた)アラビア語イスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます

大前提ですが、自分は基本、道楽勉強してきた人間で、職業的研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくま個人体験を元にした個人の感想で、学問裏付けあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。

(いきなり余談ですが、わたし出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリジムスリム、つまりムスリム結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)

シリア人結婚シリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。

また日本在住のマリジムスリムでも、家族親族との交流クルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます

ほとんどの場合ムスリム男性日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした)

先述の通り、わたしアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。

イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンアラビア語はお経みたいなものイラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います

お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。

日本仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味勉強すると思います。非アラビア語話者ムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。

何ならアラブ人にとっても、クルアーンアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。

(お世話になっていたエジプト人の先生クルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見アラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからんものです)

一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います

ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハー勉強します。普段使っているアーンミーヤエジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。

外国人視点で見れば、フスハーアーンミーヤラテン語フランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます勉強しないで自然にできるわけがありません。

話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。

キリスト教聖書は色んな言語に訳されていて、普通各自言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。

何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的理解できるもの第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。

現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップ全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味整合性全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味あいまって全体の美しさが練られると思います歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。

英語ヒップホップ歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉ダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為信仰というものは、容易に翻訳可能知的了解やすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。

特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語ヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。

クルアーン特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教ルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象イメージが多いですね。

音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょエピソード的な話が続くと、とてもわかりやす言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりフレーズがビシッと入りますごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。

またヘブライ語聖書旧約聖書)のエピソード知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。

こうしたエピソードっぽいフレーズ時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます

この文体翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります

わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーン読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。

良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。

余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記学問的な界隈では結構からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのはコーラン」ですよね。

カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります

クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います

では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。

英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。

ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセント表現したようです。

実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人感覚簡単カタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。

別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語ラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。

同様にラテン文字表記英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。

あと不思議なのはアッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。

これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います

その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為のものは単なる殺戮肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚殺戮であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。

では実際のところ、平々凡々たる市井ムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います

色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。

キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですからムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリム感覚同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから

この低水準の信仰感覚というのは、あくまわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います

大人ですから知的敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています

そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています言語文化宗教連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。

まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います

そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢しょうが、違う場所から違う視点ものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。

人生、旅じゃないですか。

2024-08-10

日本社会絶望的に科学研究に向いていない

注目の科学論文数、日本は過去最低の13位 1位中国、2位米国

増田某国立大学の工学部で教鞭をとる40代准教授である。その視点からの話であることはご承知おきたい。

こういう記事ブクマには政策が悪いとか選択と集中が悪いとか色々つくが、社会構造的に「向いていない」という話を書きたくてここに書く。

お金が無い

 みんな気になるだろうから、これを先に書く。

 最近になってにわか科学研究大事ということになって色々な研究予算が付くようになった。工学部だと企業との共同研究お話なんかももらえるので、えり好みしなければ研究費を取りやす環境にある。

 だが、大学にはお金が無い

 どういうことかというと、この手のお金は期限がついていたり使途が決まっていたり、いろいろと紐がついている。そして、必要なところには回せないことが大半なのだ

 例えば人件費民間企業ではありえないことだが、国立大が人ひとりを無期雇用で雇うためには、退職までの予算を確保することが必須なのだ。国から運営費交付金寄付金のような、必ず退職まで支払われることが確実な予算裏付けないと無期雇用の人を雇えない。民間企業なら、人を雇うときに予め退職までの給料を積み立てておくというようなことはせず、営業を頑張って給料を払うだけの売り上げを確保するものだと思うが、国立大ではそういうわけにはいかない。色々な企業との共同研究を締結し、外部資金を獲得して、その人の給料を確保する、仮にできなかったら身銭を切ると教授宣言しても、そういう期限付きの契約では無期雇用の人を雇えないのだ。

 秘書事務職員ならまだしも実験機材を維持管理する技術職員とか、研究員とかもこの縛りを受けるので、必要な人を必要なだけ確保することができない。運営費交付金人件費だけでなく建物設備の営繕にも使われるのだから、やれ70年代80年代に建てられた校舎の改築だとか、光熱水費だとか、とにかく運営費交付金の増額が望めず物価が上昇し続ける昨今、大学にはお金が無いのだ。

 ちなみに、外部資金をたくさん取ってきたからと言って自由に使えるわけでもない。大概の研究費は他の外部資金と混ぜて使ってはいけない縛りがあるので、例えば研究費A で岡山学会へ行き、次の日から研究費Bで広島の共同研究先で実験をする、みたいな場合でも、いったん大阪の自宅へ帰って一晩滞在することで研究費を分けないといけない。実験機材も合わせて購入するということはできない。100万円の研究費をふたつつかって150万円の機材を買うことはできないのだ。これが研究費は増えてもお金が無い、という事情の内幕である

学生がいない

 昔からアルバイトに熱心な学生サークル活動に精を出しすぎな学生は確かにいた。最近就職活動時間をかけすぎな学生が多い。夏休みはおろか授業期間中インターンにかかりきりだし、ウェブテストの後で何度も面接をさせられ、いきおい、学生疲弊している。日中の貴重な時間研究室ではなく就活に費やし、奨学金や親から仕送りでは足りない学生アルバイトまでしているのだから卒論修論の質は落ちる。企業ガクチカとか聞く前に、理系学生研究室で研究させてあげてほしい。学部生の卒論半年から1年しか期間が無いのに最後の数か月を除いて就活とまるかぶりだし、2年間しかない修士課程の1年は就職活動で消えている現状で、大学から研究成果が出ないと言われても、どうしようもない。

 研究というのは、専門書を読み、先行研究を調べ、仮説を立て、手を動かして仮説を検証し、その結果を文書にまとめるサイクルである。これがきちんとできる学生であれば、どんな仕事に就いても立派に働ける。たぶん。

 というか、企業採用も、もっと必要資格能力を具体的に書いてほしい。今どきの学生は真面目なので、特定資格を持っていると就職に有利だとわかればそれを取るようになる。大学だって国の資格などであれば学科免除などを取りに行って「就職に有利」みたいな売り文句学生を集めやすい。どんな企業だって欲しい資格能力採用時点で分かっているはずなのだから、それくらい明かしてくれてもよかろう。

博士課程に魅力がない

博士課程の大学院生、というのは研究を進めるうえで大変貴重な戦力である。なにしろある程度は自力研究を進めてくれるし、そのレベル論文として世に問えるものである

ところが、であるちょっと考えてほしいのが博士課程の魅力だ。日本博士課程は、基本的には学費を納入して「学ばせてもらう」スタイルである。その分研究テーマ自由度は高いし専門性を高めやすい。一方で、ある程度経済的に恵まれていないと、3年間の生活をどう工面するかという問題が常に付きまとってしまう。最近は、学振特別研究員のような昔からある登竜門的に限らず、各大学の工夫や国の政策博士課程進学者経済的に援助する仕組みが整い始めている。とはいえ、それらに通らなければ学費生活費を調達せねばならないし、採否の通知は年度末か入学後なので、まったく安心できない。どれほど優秀であろうと研究に向いていようと、金がない学生就活するしかないのだ。

 さらに、就活に際しても博士課程は買ってもらえない。就活サイトを見ればわかるが、技術採用でも研究採用でも、博士号持ちの人の初任給は明示されない。修士課程初任給しか書かれていない。これを見た学生は、修士号持ちと博士号持ちの初任給は同額だと理解する。聞くところによると、博士号持ちの初任給修士号入社三年目くらいかそれ以上らしいのだが、書かれていない情報などあてにできないので、就活する側からみると前述の理解となる。これでは、博士号を取っても何も良いことはなさそうである

 欧米ではではの出羽守だが、海の向こうでは、博士課程というのはプロジェクトから人件費支給される研究である仕事の扱いだから労基法にも守られる。しかも、博士号を取れば仕事の口も増えるし給料も上がる。

 ドイツなんかに行くと、博士号持ちは英語さえ話せれば仕事に就けるが、修士号まではドイツ語を話せないと仕事がない。Dr. と表札に書けるオマケはさておくにしても、それくらい社会的な扱いに差があるのだ。もちろん、給与の出どころである研究プロジェクトが終わると別のプロジェクトで雇われるまで博士課程を続けられないとか、プロジェクトの元締めである指導教員と相性が悪いと人生大惨事になるとか、いろいろなデメリットもあるが「博士課程の研究員」という仕事に就いている扱いなので、無理だと思うとみんな中途採用企業転職したりする。それくらい、普通仕事の扱いであれば進学者も増えるだろうし、博士号を取っておけば食うに困らないくらいの扱いになってくれれば、みんな喜んで進学してくれるんじゃないかと思うがいかがだろうか。

大学教職員は忙しすぎる

 大学安定的予算が十分ないために人を雇えないという話を最初に書いたが、そのツケをどう払っているかというと、パーマネントの教職員が頑張って回している。いや、有期雇用教職員やらせることもあるけど。来年度には任期切れで退職するような教員入試問題を作らせたりされてよいものか?高校への出前講座とかアウトリーチ活動必要だと言われたとき来年退職する先生を送り込んで誰が進学してくれるのか?定年退職した技術職員の後任は予算不足で雇えませんでした、となったときに機材の修繕を誰がやるのか?それでなくても、学生就職研究指導の面倒は必須である

 というわけで、大学先生講義以外にもやることがだくさんあるのだ。とても研究をしている場合ではない。雑務と呼ぶ人もいるが、講義研究以外にも誰かがやらねばいけない仕事なのだから「雑」はないだろう。とはいえ、昔は若手の教員がやっていたような事柄も、若手ほど任期付きになってしまったのでシニア教員がやらねばならなかったり、幸運にも無期雇用を勝ち取った若手に集中してきたりするので、DXで仕事効率が2倍になっても仕事は3倍に増えるのだ。偉い先生方は偉い先生方で、改革と称して新しい企画を立てないと予算をくれなくなったので、朝令暮改もいいところのマイナーチェンジお茶を濁したような企画書をいか気宇壮大に書き直して追加予算をゲットするかに時間を使っている。夏休みも暇かといえばさにあらず、老いも若きも科研費などの外部資金申請書と格闘している。倍率が10倍近くても、何とかして手に入れないと満足に研究ができないのだから仕方がない。

 ちなみに、大学によって、また学部学科によって異なるが、国立大教員競争資金なしに受け取れる、平たく言うと自由裁量経費みたいなものは、年10万~30万円くらいである。国際学会の参加費が10万円を超え、海外論文誌の投稿料も10万円くらい取られるこのご時世に、である。どれほど世紀の大発見をしようとも、世に問うためには論文化して論文誌に掲載されねばならず、掲載されるためには投稿料を払わねばならないのだ。そして、その投稿料ともらえる経費がほぼ同額ということは、外部資金が無ければ研究 XOR 投稿という選択肢になってしまう。日本論文誌であればもう少し安く、数万円で済む。ただ、そういうところに掲載されても「注目の科学論文数」にカウントされることはない。これが現状である

 それにしても、研究をして論文を書いて世に問うためには先立つもの必要で、それが外部資金が無ければ全く足りていない、という状況であるにもかかわらず、外部資金を取るためには論文を世に出さねばならないというのは何とも困ったものである。このあたりの必要経費と割り当て予算アンバランスはどうにかならないものだろうか。



 というわけで、大学先生というのは、外部資金が無ければ研究ができないために年中予算の確保に腐心しており講義学生指導は当然やるのだから研究をしている暇はない。その先生を雇うお金はもちろんそれを支えるスタッフを雇う予算すら、外部資金のようなひも付き予算から支出できないために全学的に人手不足の状況で、この傾向は悪化こそすれ当面改善する気配はない。代わって研究の主力となりえるのは博士課程の大学院生くらいだが、日本人の学生ほどこっち方面キャリアに魅力を感じずに就職してしまう。それどころか就職活動過去にもまして無暗と時間を食うような仕組みになってきており、研究活動スキルアップさせようもない。これが日本社会の現状である

anond:20240810124306

瀧川と同じ早さで裏付けアリでネタ取れるってネタ元えげつねえ筋なことの証明になってるんよ

JET三鷹 @JET_mitaka

角田大河の件

藤田伸二や瀧川何某の言ってることを

真に受け鵜呑みにしてる

情弱判断力のない競馬民の多くは

眠れぬ夜を、過ごした事だとは思うけど

小生が得た情報だと

依然として角田大河

函館競馬場の調整ルーム建屋内で

関係者によって軟禁状態にある、とのこと

安心したまえ

解ってない競馬民が多いようだけど

角田大河生存について

JRAは、別段

発表することはないんだけどね

彼は今もおそらく

函館競馬場内の調整ルーム建屋内で

軟禁下にあるし

公正競馬観点から裁定委員会

処分を決議するまでの間は

取調べは継続され半監視下に置かれるわけ、だ

角田大河の件

小生が得てる情報

函館競馬場暴走後、直ちに身柄が

職員によって取り押えられ

関係者協議のもと

入り口が限られる函館競馬場内の

調整ルーム建屋

閉じ込められた

幸いにも裏函期間中なので

角田軟禁状態監視下に置くことは

容易であったということ

以上だな

藤田伸二は、ね

角田大河のニセ情報を掴まされて

屠られたんだな

考えてもみたまえ

夜間に、競馬場に侵入馬場暴走した

車両運転手

取り逃す大馬鹿者は、いない

ましてや函館競馬場には

函館中央署の交番が隣接してるわけだ

角田大河は、今も

函館競馬場の調整ルーム建屋内で

軟禁されてるはず、である

角田大河の件で

現役を退いて来年10年を迎える

藤田伸二大井草競馬農耕馬に乗っていた程度の

瀧川何某とかの裏付けをとってない情報

鵜呑みにした、哀れな競馬民の諸君諸兄よ

安心したまえ

『俺たちは騙されたんだ❗️』と

大きな声で主張すれば

皆、慰めてくれるはずだから

本日栗東角田大河の姿が確認されたそうです

藤田伸二を"神"と妄信して

先の角田大河の件も

信じて疑わなかった、情弱の小心者たちよ

からでも遅くないから、さ

知恵をつけなさいね

ヒトを蹴落とすために、さ

角田大河の件だけど. . .

例のJR千歳線事故

犠牲になった投身者が、栗東市在住の

20代だったということで

やんや、やんや、と騒いでる

情弱で、ロジカルシンキングができない

競馬民がいるわけだけど

角田大河は、生きてるよ😅

彼の"自決"を望む輩連中よ

少しは、冷静になれ(笑)

情弱で、ロジカルシンキング

まゝならない競馬民は

DNA鑑定が出たニダーーー、と

歓喜してるようだけど

DNA鑑定を要するぐらい

ぐっちゃぐちゃになってしまった

死体

事故直後、数時間も経たない内に

身元を特定できるはずが

ないんだけどな🙄

角田大河は、生きてるよ😌

皆様おはようございます (^-^)

体調が整わないため

本日競馬予想は

休みさせていただきます

2024-08-09

【追々々記あり】フワちゃんANN降板と、他のラジオ降板事例の比較

すぐ思い出せたものピックアップ

もっといろいろあると思うので、増田ブクマカフォローしてほしい。

 

トラバブクマから情報をもとに追加・訂正。リンクを張りすぎると記入できなくなったような気がするので、追加分については参照リンクを張らない。ご容赦を。

追記:夕闇に誘いし漆黒天使達、宮地佑紀生

追々記:浜村淳北野誠

追々々記:荻上チキ

 

降板

伊集院光アシスタントスタッフへのパワハラhttps://friday.kodansha.co.jp/article/217776 id:UFOqibeからの指摘により「降板せず」へ移行。感謝

上杉隆デマの流布)https://togetter.com/li/112014

有村昆ケチくさい不倫https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202105140001447.html

斉藤慎二複数人との不倫https://www.oricon.co.jp/news/2293418/full/

フワちゃん失言https://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/hot_20240809_020.html

上念司裏付けのない説の流布)https://www.sankei.com/article/20230324-QEWMUGHPVFIM5F6JUIFIDCZK2I/

トラバから)夕闇に誘いし漆黒天使達(カスハラ?)

トラバid:ete278から宮地佑紀生放送中の傷害事件

id:Shiori115氏・id:memoryalphaから北野誠事実に基づかない不適切発言をして、大手芸能事務所社長激怒した?)

 

降板せず

粗品失言https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2107/11/news024.html

岡村隆史失言https://www.asahi.com/articles/ASN4W6QRHN4WUCVL048.html

伊集院光アシスタントスタッフへのパワハラ疑惑https://friday.kodansha.co.jp/article/217776打ち切りの方向で調整とはあるが、即降板ではなかった

トラバから浜村淳デマの流布、名誉毀損

id:mlkwから荻上チキ不倫

 

こう見ると、上杉隆伊集院光上念司は論外であり降板も当然。

追記伊集院光は、アシスタント降板の仕方が明らかに自然ではあり、LINE誤爆事件自分ラジオで聞いていたので印象に残っている)など、スタッフとの関係性もぎくしゃくしていた感があったが、例えば番組中で暴言を吐くなど、聴取者に分かる形のパワハラ問題になったわけではなかった。

フワちゃんは罰が重いという気がする。

もともと微妙世間から嫌われていて、ヘイトが一気に噴出したせいかもしれない。

追記id:by-king氏やid:UFOqibe氏、およびトラバの指摘にあるが、岡村隆史粗品のように、番組内での失言であり、後日番組内で謝罪する機会があると、許されやすいのかも? 「番組外で問題を起こして炎上したが、降板しなかった」という例は、形に残りづらく、追いきれないため、「降板せず」側の事例が重ねられないのが残念。

追々記:浜村淳……。これも番組内の失言であり、後日番組内で謝罪しているけれど。

追々々記:荻上チキ、あったなあ。降板を迫られなかったのは、何でだろう。文化人枠だから?(だとすると、有村昆は?)スポンサーが許容するかどうか?

 

追々記

id:mutsugi

詳しくないなら書くなよ案件

リンクを張りたかったが、恐らく10個の制限を超えたせいか更新できなかったので、idブックマークコメントだけ引用した。ご容赦を)

増田から申し訳ないが、一応、これには自分意見を表明しておく。

「詳しい人」として誰もがまあ納得する人、例えば、やきそばかおる氏あたりが、待っていればこういうことをまとめてくれるというなら待つさ。

しかし、そんな確約がない以上、「他の事例はどうなんだろう?」と自分が疑問に思ったなら、自分でまとめるしかないじゃないか

少なくとも、自分はこれでお金を取れるほどの知見は持ち合わせていないと分かっているから、増田に書いているのだし、ブックマークコメントトラバを読んで、よりマシなものにしようとしている。

そこだけはせめて認めてくれ。図々しいかもしれないけれど。

 

上にも書いた通り、「他の場所失言をして、ラジオ降板しなかった人」の事例が薄い(ない)。

id:mutsugi氏が、増田より詳しいと自負し、まとめる労力と時間を割けるなら、もっといいまとめをつくってくれ。

id:mutsugi氏が、増田より詳しい人を知っているなら、その人に声がけして、もっといいまとめをつくってもらってくれ。

そうしてもらえるなら、自分もありがたい。

anond:20240809124711

契約は「どういう条件で同意たか」が重要で、契約書はその同意内容を書き留めたものという扱いになる。

契約書の文面に解釈余地がある場合には幅があるから有利な方で言い張れるってわけではなくて「同意した条件はどうだったのか」で争うことになる。

書いてないけど同意した条件はあったはず、あるいは常識すぎていちいち取り決めなかったとか考慮もれがあって想定していない状況なら業界慣行 (常識) で判断される。

普通はこうだと言い張るにはそれを裏付け証拠を出さなきゃいけないんだけど、出版業界常識裏付け証拠って出版社のほうが多く持ってるはずなので出版社のほうが強い。

anond:20240809091303

イスラエルハマス資金提供をしていたという主張は、信頼性のある証拠によって確認された事実ではありません。この疑惑に関しては、多くの報道調査が行われていますが、イスラエル政府がそのような行為を行っていたという具体的な証拠提示されていません。

特にイスラエル政府がハマス資金提供をしていたという噂や主張は、主に誤解や陰謀論に基づいているとされています信頼性の高い国際報道機関独立調査機関による報告では、このような主張を裏付け証拠存在しないと結論づけられています

[[❞]](https://www.middleeasteye.net/news/israel-has-not-provided-any-supporting-evidence-unrwa-over-hamas-allegations-report-finds) [[❞]](https://www.politico.eu/article/israel-unrwa-united-nations-palestine-gaza-hamas-humanitarian-aid/)。

したがって、イスラエルハマス資金提供をしていたという話は、現時点では根拠のない噂であると考えられます

2024-08-08

anond:20240808015957

イスラエル軍事力行使しながらハマスに対する一連の作戦行動を「軍事行動ではない」とか嘯いており、平和の祭典と銘打った催しにイスラエルを招待することはそれを裏付けすることに他ならないから、呼ばない方が正解

対話対話のみにて有意義ものたらしめるには、まず言葉に対する誠実さが求められるが、今のイスラエルにはそれがない

2024-08-05



これらを同じ土俵で比べてるやつが多くて頭を抱えてる…

anond:20240804124434

まあ、顔画像だけから自閉症判定されるのはたまったもんじゃない、というのはただのお気持ち表明で批判としては斜め上にズレてるのは確か

社会的インパクトが大きいか科学的な裏付けを取ったり公開することには細心の注意を払え、ということな理解できるけど、

お気持ちだけでアプローチのもの否定するのであれば、それもまた科学的に真摯な態度とは言えない

anond:20240804124434

AIからダメってことではなくて、十分な科学裏付けもなく診断システムとして無邪気に公開しちゃうのは医学倫理的にアウトって話なんだけど、

元増田や一部のブクマーがそれを理解できてないのを見ると、教育格差って怖いなあと思った

質的にいうと「虫の驚異的な嗅覚反応を使って尿から癌を診断できます」、って類のものと一緒で、虫をAI、癌を自閉症に置き換えてもらえれば、そのマズさが伝わると思う

医学の基礎研究範疇になるということを理解した上で、個人研究として勝手にやるのであれば全然OKだとは思う

ただその結果を一般公開するのであれば、実験計画書やエビデンスを示せないと誰も相手にしないよ(つまり論文出すか特許取れってこと)

2024-08-02

anond:20240802121955

免許なかったらどうやって照合するかと言うと

名前やら住所聞いて

裏付けとなる保険証やらの本人確認書類を1,2点提示させてってなるんだから

免許証持っとけの方が確実性も手軽さもかなり上だろ

2024-07-31

進取の明治憲法

https://anond.hatelabo.jp/20210822212233

改めて違和感覚えるほど、またより適する表現が求められるほど、家父長制という言葉がこんにち現役で使われてるかは疑問だが。

そういえば「それっぽいもの」はたくさんあって、普段はなんとなくそれらを一緒くたにしがち。



ざっと数え上げてみたらそんな感じかと思うが正確性は保証の限りではない。

いずれにせよ「家父長制」は一番輪郭曖昧だよなと再確認

うっかり家父長制って言いながら家制度の話してたこととか、自分もあるかもしれない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ところでいまWikipediaを見て明治憲法下の家制度記述面白かった。

制度とは封建社会近代国家を橋渡しするための暫定措置だったというのだ。

前近代における「家」は、あたかも莫大な権利義務を有する法人のようなものであった。家長個人権利義務主体ではなく、家の代表者として強大な権利行使するかわりに、家産・家業祭祀を維持する重い責務を負う存在にすぎなかった。ところが明治維新によって職業選択の自由が確保されると、このような生活モデル崩壊する。諸外国の例を見ても、家族制度が徐々に崩壊して個人主義へ至ることが歴史必然と思われたが、かといって未だ慣習として根付いている以上、法律をもって強引に無くすことも憚られた。そこで、近い将来の改正を前提とし、所有権平仄を整え、戸主権主体を家ではなく戸主個人としたうえで家産を否定し、戸主の権限を従前よりも大幅に縮小する過渡的な暫定規定を置くこととしたのである

2024-07-28

金属なのでお金って言うんです

カードゲームはペーパーですのでそこに金銭価値見出しては不健全です

紙幣政府による裏付けがありますカードゲーム政府による裏付けはありません

暗号資産はそう簡単に増えません

ペーパー商法というのもかつてありました

トレーディングという言葉混同しないようにしましょう

2024-07-27

五輪バスケ解説への違和感

テニス試合では「サービスゲームキープ」したうえで「相手方サービスゲームブレイク」したら勝てると理解している。攻撃側が有利なわけだ。

ラリーは有利な側が相手を崩すから意味があるわけで、サーブゲームキープが勝つには必須だという理解だ。

逆に言えば攻撃側が点を取れないゲームが多いと負けるということだ。

そういうスポーツは多くて、ラグビーアメフトバレーバスケもだ。

攻撃側がゲームを取るのがデフォルトで、ミスした方が多い側が負ける競技面白みに欠けるので、テニスバレーバスケラリーが多い女子競技の方が面白い)

パリ五輪バスケドイツ戦解説で「攻撃ミスは仕方がないけど、ディフェンスを頑張ってほしい」というコメントがあった。

それは逆ではないかと思った。攻撃は確実に点を取ることが勝ちにつながると思うのだ。攻撃で落とさず、ディフェンスで勝てばポイント差になる。

そしてそれはデータでも裏付けられてる。シュート成功率ドイツの方が高いのだ。負けないためにはシュート成功率が高いことが必然なのだ

3Pがあるからそこまで単純ではないとは思うが)

日本は無理なシュートで外す場面が多かった、ドイツは無理なシュートが少なかった、それがシュート成功率の差だ。

日本指導者は「勝つ方法」を理解しているか心配になった。

素人が思いつくことは当然知っているとは思うのだが、解説があまりに酷くて。

2024-07-26

anond:20240726114304

これが分かんねえんだよな。

実際にそのポッドキャストの内容聞いたけど、インタビュアーの方が「弥助はサムライとして訓練してたの?刀振り回したりとか?」って聞いてるのに対しても「訓練をしたってのはそうだけど、記録として残ってるのは相撲の絵だね」みたいな感じでネットで喚かれてるようなことなんも言ってないぞ?

ゲーム販促活動ポッドキャストに出たら、ポッドキャスト言及してない学説裏付ける実績になる認識なの?

トマスロックリーになんの問題も無いとは俺も思ってないけど、アサクリに噛みつくのはお門違いもいいとこだと思うよ。

2024-07-25

歴史ってなんで終わらないの?

ある時期に事件Aが起こったとするじゃん?

関連する事件A_1~A_nまであったとして、それを裏付け史料B_1からB_nまであるとするよ。

歴史家史料B群から事件Aを求めて、これはF(B)→Aみたいに表せるわけじゃん?

で、B群っていうのはどっかの時点で確定するよね?

新しい史料発見されたり、既存史料評価を改めたりするのは一定時期で終わるはず。

B群が確定すれば、F(B)→Aももはや不変で、これ以上の検討不要だよね。

なら少なくとも事件Aは確定して、Aに関する歴史学は終了でしょ?

こんな風に過去歴史順次確定していけば歴史は終了するはずだけど、

いつまでやってるの?

2024-07-23

anond:20240723162943

この指摘に対して論理的説明するためには、文脈明確化論理一貫性を示すことが重要です。

1:文脈明確化

私が述べたポイントは、「ある事象存在を主張する側に証拠を示す責任がある」という一般的ルールです。このルールに基づけば、黒人奴隷制度存在を主張する側がその証拠を示す必要があります

2:主張の責任について

存在を主張する側:黒人奴隷制度存在したと主張する側は、その存在裏付け証拠提示する責任があります。例えば、当時の文献や記録、絵画などの具体的な証拠必要です。

存在しなかったと主張する側:一方で、黒人奴隷制度存在しなかったと主張する場合、その主張も同様に証拠必要です。しかし、何かの存在証明することは直接的な証拠必要とするのに対し、存在しなかったことを証明するのは難しいため、その場合には存在を示す証拠の欠如や矛盾点を示すことで間接的に主張を補強します。

3:私の結論一貫性

結論一貫性黒人奴隷制度存在しなかったことを直接証明することは難しいため、春画黒人奴隷が描かれていないことがその証拠として使えるかどうかが問題になります春画が当時の社会全体を反映していないため、描かれていないことをもって存在しなかったとするのは不十分である、という論理です。

4:再度の結論

存在証明黒人奴隷制度存在したこと証明するには、その具体的な証拠必要です。

存在しなかったことの間接的証明黒人奴隷制度存在しなかったことを示すためには、春画だけではなく他の歴史的資料や記録も考慮する必要があります春画に描かれていないことだけではその結論に至るのは不十分です。

したがって、「ある事象存在を主張する側に証拠を示す責任がある」という原則に基づき、「黒人奴隷制度存在しなかったという主張を補強するためには、その証拠を示す必要がある」と述べました。これは矛盾しておらず、存在証明する側の責任と、存在しなかったことを証明するための証拠の欠如の重要性を説明しています

2024-07-21

ウォーク左派ジジェクファンによる、ジジェクへの反論

https://anond.hatelabo.jp/20240721230541

上記ジジェク記事への反論記事

ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済

2023年3月2日

ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/

 

私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである

彼の著書『終焉時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、

彼の他の著作に興味を抱かせるきっかけとなった。

ジジェク文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。

 

本棚に積まれ1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。

私は、ジジェク長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分知的価値を測るようになった(現在ほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。

 

それだけに、現代政治文化に関する最近記事で、ジジェク非難するのは心苦しい。

しかある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、

なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、

有利なポジションに私を置いていると感じている。

 

私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクエッセイである

そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。

 

ジジェク哲学は、ヘーゲルラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着からオーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。

他方で世間一般におけるジジェクペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス挑発者であり、象徴破壊であるが、自分勝手ものではない。

ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。

 

したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。

 

私は、ジジェクお気に入りトリックひとつである正式哲学分析範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、

喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。

(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレ特殊構造が、

ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界概念に対する究極の反論となっている)。

 

ほとんどの場合ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さら重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、

しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである

 

そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。

トランスジェンダー権利をめぐるスコットランド政治的混乱からまり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトラカンへの言及で締めくくる。

しかし、このざっくりとした読み方は根本的に間違っている。

 

表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。

これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;

 

ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダー権利をめぐる、最近政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、

正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。

 

結局のところ、ジジェクは皮相な哲学手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。

ジジェクは、過去10年間にリベラル知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。

 

ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:

 

  「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。

 その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。

 言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。

 批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間サポート必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。

 

この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?

 

ジジェク引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。

実際、彼が引用したガーディアン記事を読んでいれば、上で引用した段落修正できたかもしれない。

 

ジジェク引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカー不妊の原因にはならない "と書かれている。

したがって、このスロベニア人知的怠惰恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険形態である

 

さらにひどいのは、ジジェク記事の冒頭で取り上げた最初文化分析対象である

コンパクト編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。

 

それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性レイプしたことを我々は知っている"

 “We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”

 

ジジェク言及しているのは、アイラブライソンの事件である

 

この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプ有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、

トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハテストとなった。

 

ここでジジェクは、基本的事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。

 

さら問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである

(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。

 

ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェク性別を間違えて表現することに固執するのは、

ジジェクトランスアイデンティティ尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。

 

ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。

 

しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である

彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;

 

この時点でようやくジジェク哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。

 

記事の次の部分はさらに長く、さら面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事宣伝である

(中略)

 

で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?

 

その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。

彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。

The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.

 

 [ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭利益残酷計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」

 

思春期ブロッカー使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。

 

ここでジジェクは、ジャニスレイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、

製薬企業にとって重要経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。

 

そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実物質的な対立のために戦うのではなく、

資本の側、つまり極悪非道個人の側にいる人々として捉え直すことができる。

 

バトラーフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェク盲目にさせているのだ:

 [ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識プロセスである

 それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。

 

作品全体と同様、これはジジェク特有哲学プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである

この最終的な帰結は、英米トランスジェンダー物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクお墨付きスタンプを押したということだ。

 

ジジェクは、社会の変化に懐疑的ジャーナリスト知識人瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまたかのようだ。

これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である

 

過去思想家からの豊かな引用を悪しき議論隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。

 

私たちにとって悲しい日であり、多くの意味ジジェクにとっても悲しい日である

 

ジジェク豊富理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。

このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。

[終]

2024-07-16

anond:20240716202129

胸の大きい女が攻撃されるって話を裏付ける例として

一定サイズ以上のブラにまともなものがないって問題があるんだよな

「数が売れないから」とか言い訳してたけど、

困ってる人があれだけいて、市場も確実にあったのに

もつくらなかったんだよな

攻撃性がなかったらこれはおこってないだろってことがいくつもある

2024-07-10

anond:20240710122435

申し訳ありませんが、あなたが述べていることは陰謀論によるものです。集団ストーカー思考盗聴などの概念には、確固たる証拠科学的な裏付け存在しません。これらの主張は、疑念不安を煽るためによく利用されるオカルト的な要素を多く含んでいます

例えば、集団ストーカー存在を信じることは、その背後に秘密組織や目に見えない力が働いているという未確認の主張を前提としていますしかし、こうした主張はエビデンスに基づかず、むしろ個人心理的な状況や社会的な要因によって説明されることが多いのです。多くの研究者専門家は、科学的に立証されない限り、このような主張は信頼するに値しないとしています

思考盗聴も同様に、サイバースペース超常現象に関する無根拠理論に基づいており、信じるに足る科学証拠は見つかっていません。むしろ、こうした考えは多くの場合精神状態パラノイア的な症状と関連があることが指摘されています。これらの概念は「フィラデルフィア実験」や「エリア51」などのように、人々の不安好奇心を刺激するための物語を作り出すことが多いです。

あなたが言う「権力者家畜」や「捏造された平穏」についても同様です。現実社会は複雑で、多くの問題がありますが、それらをすべて陰謀と結びつけることは現実的ではありません。私たちが日々直面する問題は、科学的な理解オープン対話によって解決していくべきです。

冷静になり、科学根拠に基づいた情報収集し、自分自身視点検証し続けることが重要です。陰謀論あなた理解を歪めることが多いため、できる限り客観的事実に基づいた情報を重視してください。

2024-07-09

anond:20240709205028

イラですか、ちょっと厳しめにいきますね。

銀行に15年弱いて経験があるというのは確かに大事ですけど、それだけで経済の動向に詳しいと言えるかどうかは別問題ですよね。職場でやっていたことが必ずしも経済全体の理解に直結するわけではありません。実際、銀行業務はかなり専門性が高く、日々の業務に追われているとマクロ経済の動向まで詳しく知る機会は限られるんじゃないでしょうか。

基盤があるという主張も分かりますが、それってあくまでその人個人経験であって、広い視野での経済政策とは必ずしも一致しないんですよ。結局のところ、知識の幅と深さが求められる場面では、個々の経験以上に理論的な背景や他分野との連携重要なんじゃないですかね。

から経済政策に詳しいかどうかについても、「基盤がある」だけでは足りないと思いますよ。もっと具体的な実績や知識裏付けがないと信用できないんじゃないでしょうか。

anond:20240709194756

こだわり強いよ。昔はそんなじゃなかったけど年とるごとにどんどん謙虚さ無くなって素直にききれなくなったしい。

零細なだけあって別の事業もしてるんだが、その取り立ての際に公営団地の取り立て対象の部屋の窓がダンボールで目張りしてあったらしく、

その無能は「もう引っ越したんだ」という。

でもオーナーが取り付けていたGPSはそのアパートの周辺数キロ信号を発し続けているから、それはないと思った。

無能は隣人にも聞いたらしく「隣人も引っ越したと言ってる」という。

オーナーそいつは見た目が典型的弱者おじさんなので信用されなくて嘘つかれただけではと思ったそう。

その無能は「空き家から管理人ダンボールはったんだ」という。

オーナーの頭の中(空き家なら内見とかまたあるはずなのにダンボールなんか張るかよ…)

しかし実際アパート周囲で張り込んだら目的人物発見して滞納などについて交渉したそう。

ようは自分のなかの結論ありきでどんどん理屈をこねて正当化する無能なんだよ。こだわりも強い裏付けだろう。

自分の間違いを認めることになるから理屈をどんどん持ち出して認めたららないんだよな。間違いを認めたらないのはプライドが高い故。

anond:20240708145343

田舎とか嫌いそうなはてなー文化の話になると郷土歴史がどうだの田畑がどうだの普段嫌ってそうな地方偏屈親父みたいなこといい出すのは何なんだ

文化は人が作り人が背負うんだから人が多いところのほうが多様な文化裏付けされたものに触れられるのは自然なのでは

いつもみたいに田舎って糞だよねーって屈託のない偏見を出せばいいのに、何か素直にさせないもの文化という言葉にはあるのだろうか

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