はてなキーワード: 自己主張とは
Twitterのアカウントを消した。BL二次創作アカウントだった。人間関係とか、叩きとか、盗作作家との関わりとか、色々なことがあった。
元々オタクだった筈なのに何のコンテンツにも興味を持てなくなっていた。忙しいし寝不足。心は乾き切って何かを楽しむ余裕なんてなかった。時々Twitterを開いて、楽しそうにオタ活を続ける友人達の様子を眺めていた。
昔からずっとオタク続けてる人あるあるだと思うんだけど、時の流れと共にみんな色んなジャンルにバラけていくし脱オタした子もいたりする。だからTLの話題はバラバラだった。
みんなそれぞれの人生を生きてると感じられて私はその状態が好きだった。もう会わない人もいるだろうけどそれもそれでいい。
TLに異変が起きた。
変わったのはよく呟く相互さんの1/3くらいなんだけど、それでもTLはかなり変わる。みんな同じソシャゲにハマり出した。すごいなーと思いつつ眺めていた。眺めているうちに、興味が湧いた。
そのソシャゲについて呟いてた子に「みんなやってて気になるんだけどどんな内容?教えて」とリプしてみた。
絶対面白いからやれという圧を感じる。チュートリアルに進む。なんか顔がいいキャラがいる。進める。
空き時間にゲームをやり始めて数日。初見で顔がいいなと思ったキャラではない登場人物のとある行動と、その登場人物にやたら絡むキャラクターの二人が気になった。
いやこれ付き合うじゃん、付き合うかはわからないけどこの性格の二人が接近することでお互い多大な影響を与え合うだろうしそれはお互いにとって未知の扉だしそれを開ければ二人はすごい成長するというかなんかすごいことが起こるんじゃない? ねぇ
そんな感じで全く予想してなかったキャラとカップリングに沼った。それからは早かった。
pixivにアカウントを作り、二人の馴れ初め、徐々に関係を深めていく様などを書き殴った。もうゲーム本編とは関係ないその二人がメインのBLゲームをプレイしながら書き留めているような感覚だった。そんなゲームないけど。幻覚だけど。
移動時間とか、数分ずつの隙間時間とか、寝落ちするまでとか、iPhoneのメモ帳に書き続けてはアップを続けていた。そのうち幻覚BLゲームの内容以外も短編を書くようになった。選択肢によって違う未来があっていいしこの二人には無限の可能性がある。トチ狂っていた。
そのうち、新たな欲望が生まれた。このカップリングについて誰かに話したい。同士と語り合ってみたい。
好きな漫画描きさんに挿絵を描いて貰えたりもした。脳汁に溺れるかと思った。
鍵アカウントを作って交流はそちらでする、という流に乗って私も鍵アカを作り、描きかけの絵を見たり書きかけの文章を流したりしつつ交流した。通話アプリである、もくりなんかも行ける時間帯は色んな人の部屋にお邪魔した。
鍵アカウントのTLが曇り始めていた。そこそこは仲良くしてもらっていた(と私は思い込んでいた)Aさんの、同カプの方々とのリアルな関係が上手くいっていないという愚痴をよく見るようになった。
どっちもどっちな面もあるなぁと思いつつ、上手くいってないという相手の作品よりAさんの作品の方が好きだったのと、空気を悪くしたくないのでそれはひどいねー、なんて時々同意してりしていた。周りも同じような感じ。
そんな中、Aさんに表紙を描いてもらう合同誌の計画を立て始めた。鍵アカウントで繋がっている内輪だけで計画を進め、参加者も決まった。
この頃は合同誌、特にR18のものが流行っていた。私は安易に「自分が好きなシチュの話を参加者さんが皆書/描いてくれる本なんて最高じゃん」と夢を見ていた。
周りでも過激な内容の合同誌がどんどん出されたり計画をされていた。
ある夜、Aさん主催のもくり同カプ飲み会が開催された。私も参加した。
初対面の人が多かったので最初はお互い自己紹介とカップリングへの想いなどを語った。
この頃になるとゲームリリースから時間もたっていたせいか、ゲーム本編から沼ったパターン以外でも、配信者や誰かの二次創作から入った人なんかもいたように記憶している。配信見てるけどゲームインストールしてませーん、と公言する人にハラハラしたりしつつも、解釈が違う人の話を聞くのも面白いな、色んな人がいるんだなーと聞いていた。
ハキハキとした喋り方が印象の、最近アカウントを作ったというBさんが提案した。
「せっかく集まったんだし、皆さん相互になりましょう!」
私は相手の作品を読んで好きだな、と思った方のみをフォローする派なので正直この提案を断りたかった。
が、空気を壊すわけにもいかず全員をフォローしていった。こういう時にこういう提案をできたりすぐに繋がれる人がSNS上手な人なのかな、なんて思いながら。
そして酔いが回ってきた頃。
参加者の一人が、その方主催の合同誌の話を出して、合同誌用のアカウントを作って、執筆者を募っていた。
あ、いいな、今こうして話題に出せば描/書いて下さる方増えそう。執筆者が増えれば自分の読みたい作品も増える。私も続いて、その時に計画していた合同誌の話を出し執筆者を募った。
その場で合同誌アカウントも作った。他にも合同の話を出して、お誘いをする方なんかも出て、カップリングの盛り上がり方に嬉しくなった。
私の企画した合同誌には、新たにBさんも参加してくれることになった。企画は通したいが前に出るのが苦手なので、主催の名前は伏せて発行することにした。
それにより自然と、表紙を描いてくれる予定のAさんの存在が目立った。これで、最悪な事態が起こりうる前提が全て整った。
合同誌アカウントを立ち上げて数十分か数時間か、記憶は曖昧だが、いきなり叩かれ始めた。早。参加者のTwitter追ってないと反応できないやつ。
叩いてきた相手は、カップリング界隈の治安を憂うアカウントや、お題箱などに投稿された内容を追ってどんなジャンルのものでも叩き続ける複数の愚痴アカウント。
この時初めて愚痴アカウントという存在を知ったのだが、ほんと知らなくていいと思う。お題箱などでターゲット募り、いけると思えばターゲットをひたすら叩き追い詰めることを繰り返すアカウント達だ。追従アカウントも複数ある。見ていて気分が悪くなる。
叩かれた内容としては以下。
・合同誌はR18予定なのだが、そんなセンシティブなものを鍵も掛けずに告知することについて。また合同誌の特殊性について。
・参加者、そして表紙を描く予定のAさんのリアルでの問題行動。
彼らの行動は以下。
・引用リツイートで意見。参加者や主催へのなんかよくわからない決めつけや罵倒を含む。
・推測だが、他の愚痴アカウントや炎上を扱うアカウントへのDM、お題箱などへの投稿。
・直接のDM。
飲み会で挙がった全ての合同誌はR18だし似たような合同誌も多い。叩かれる意味もわからないのでひとまず無視をした。
あと飲み会の内容や飲み会の参加者についての質問もあった。誰かのストーカーなのだろうか。こわい。答える筋合いもない。
Aさんのリアル行動に関しては今まで鍵アカウントの呟きを見ていたのでなんとなく知っているが、うまくいってない相手とその友達しか知り得ない情報で叩かれていた。
全ての内容、完全に私怨。外に漏らす必要なくない?叩いてきた相手は明らかだ。合同誌叩きとAさん叩きを混ぜるのは、恐らくAさんが主催だと勘違いしているせいか。
数日後。
叩きは鎮火しない。彼らの要望に応えてないので仕方ないのかもしれないが。これで中止にするのも悔しい。けれど、何人もの参加者が謎アカウントによって叩かれたり茶化されたりするようになってきた。私も有る事無い事言われてイラッとしているが、参加表明をしただけの周りに被害が及ぶのは本当にまずい。Aさんへの誹謗も加速している。プライベートな話を持ち出すなよ。
そんな中、Bさんから連絡があり通話をした。Bさんも叩かれており、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
Bさんのことはよく知らない。けれど、良い作品を書くと知り合いが言っていたし、横の繋がり作りが上手く、アカウント開設から間も無いのにたくさんの人と繋がっていた。
信頼できる人なのかな、と思った。ただ、雑談の時点で少しの違和感を感じた。
Bさん「やおいって言葉知ってます? BLって言葉ができる前の時代の言葉なんですよ」
→知っているけどトラブルに巻き込んでしまった引け目とその日の疲れで自己主張をする気分ではなかったので「えー知らないです、そうなんですか!すごーい」とてきとうに返事をしていた。
Bさん「昔、大ファンだった人がいて。ジャンル変わってもすぐ見つけましたし、その人のTwitter監視して場所特定して会いに行ったことあるんです。ツーショも撮りました」
→怖い。Twitterでスイーツとか場所呟くやつ、リアルタイムでやるのやめた方がいいなって思った。
Bさん「このカップリングで一番好きな作品はCさんって方が書かれたこの小説で」
→Cさんは良い作品を書く。私も読んでいる。が、該当作品だけは彼女の作品の中でも異質で、設定一切無視説明無しの、ハードな行為をするシーンのみの現パロ作品である。完全に好みの問題ではあるんだけど、いやこれこのカップリングでする必要なくない?キャラの性格も違うしそうなる理由が作中で説明されてればいいけどそれも無い。という小説なので私はスルーした作品だ。というかCさんの作品はこれ以外の、原作の設定やキャラクター達の性格を活かしたいい作品がいくつもある。その作品を推す理由が不明だった。
が、そんなことを聞けるはずもなく「そうなんですねー」と返す。
CさんのTwitterでの呟きなどについての賞賛も聞きながら、最初に話してくれた昔大ファンだった人に対してといい、Bさんは誰かのファンになると作品からTL、さらにはリアルの相手まで全てを愛するタイプなんだなー、など思った。
そんなこんなで雑談が終わり、本題に入った。
Bさん「親友が昔から何度も炎上起こすタイプなんですよ。その度に私が消火してきました。私は炎上消火のプロです。なので、この合同誌の件も私が消火します。私が主催として名乗り出ますしアカウントも運営します。合同誌アカウントのパスワードを教えて下さい」
→そうだよね、ここまで被害が広がったのなら、叩く対象を一つに絞る為に主催が名乗り出るしかない。
けど待って、ただの参加者、しかもあまり知らない人にその責任を負わす意味はわからない。彼女が主催として名乗り出る提案は断固断ったが、アカウントのパスワードは教えることにした。
謝罪文の考案をしてくれるというありがたい提案もあったからだ。
ひとまずは企画を中止として、謝罪をして鎮火を図ることとなった。今思えば、ここでさっさと私が名乗り出ていればもっと早く事態は収まっていた。
けれども、心が疲弊していた私は「これ以上叩かれるの無理。このままなんとなく問題が消えればいいな」など甘いことを考えていた。
ごめん。
パスワードを教えるとBさんはすぐに、DMに来ていた意見などに対して返信をはじめた。どれも一様に謝り倒す内容だ。
次に、Bさんが作ってくれた謝罪文を何箇所か修正したり付け加えたりして、合同誌アカウントに掲載した。
Bさんが作ってくれた謝罪文は、まずは全方位への謝罪。そして叩いてきた相手というよりは同カップリングの方々に対して迷惑をかけた謝罪と、叩きの手口に対しての注意喚起、そしてこの文章を拡散して皆にも気をつけてほしい!という内容だった。拡散の必要はないのでそこは削った。注意喚起は叩いてきた相手の目に入ると問題が悪化しそうなのでマイルドに書き換えて投稿した。
ほとんど無関係なのに誹謗中傷の的になってしまった方には匿名でお詫びを送ったが、果たして正解だったのかわからない。私は疲弊し切っていた。
「ほんとダメですね。私が全て代わりにやってあげます。謝罪文書いたの私ですよ。感謝の気持ちないんですか? 馬鹿すぎません?」
他にも周りの人のことを聞かれたり、なぜか私のことを未成年だと思いこんでいたらしく、何度も確認されたりした。
頼りない喋り方だし思考能力も低いので勘違いされたのも仕方ないかもしれない。それか、誰かと間違われていたのかも。
二番目のストレス。いくつかの人間関係と、話せないことについて。
企画の中止、謝罪を掲載しても尚、主にAさんへの誹謗中傷は止まらなかった。
Aさんへの私怨を抱いているであろう人達からは、私を含め参加者の方々はブロックされていた。
鍵アカウントのTLを覗けば、Aさんが誹謗中傷主に関する様々な情報を流し、更にストレスで体調を崩していることが綴られている。
Aさん無理しないで、という流れ。Aさんが叩きやすいからか、無関係であろうアカウントからもAさんに連絡が来ているらしい。申し訳なさすぎる。
いい加減名乗り出なくては。と、意を決してAさんに連絡を取った。
Aさん「今度、このジャンルの同人誌即売会があります。その前に燃料を投下して影響を与えたくないのでそれまで黙っていてくれませんか。即売会後、私から誹謗中傷主の正体をばらす、そして何をされたのかに関するツイートをします。それと同時に名乗り出てください。中傷主へのダメージも大きくしたいので」
ついでにBさんから、Aさんへの愚痴も聞いていたので、Bさんの暴言攻撃の対象とならないようAさんにそれとなく伝える。
それに対しての返事はなし。以降、連絡が来なくなる。
私がBさんの悪口を言ったような形になってしまった??と落ち込むが、仕方ないので黙る。
Aさんのツイートによると、ストレスが大きすぎて体調もメンタルもボロボロとのことなので、これ以上心配事を増やさせるわけにもいかない。
Bさんからは再度「早く名乗り出ないと!私が主催と言いますから!私にやらせて!」と連絡が来る。断る。板挟み。
更に、仲良くしてくれていた合同誌参加予定だった方に「これ以上Aさんを矢面に立たさないでください、もっと助けてあげてください」と連絡を貰いブロックされる。キツい。
でも情報は漏らせないのでAさんの計画についても話せない。更にこの方、Bさんとめちゃくちゃ仲良くなってる。
キツい。
あと、お茶をした同カプの人に「そういえば○○さん(作品だけ知っているけど面識ない相手)が、増田さんのこと『やっていいことといけないことの線引きが出来ない人w』って言ってました! あっでも私はそんなこと思ってないです、増田さん大好き☆」
など言われる。正直そういうの地味に疲れる。○○さんのツイート流れてくるだけでなんとなくしんどくなる。事実かわかんないのに。
Aさんによる、中傷主への告発文投稿。それを確認してから、私は合同紙の主催だと名乗り出た。
もう、というか多分最初からだけど、オーディエンスの関心はAさんと中傷主のことなので私の発言はそんなに注目されなかった。謝罪対象が巻き込んでしまったりこの件を目にしてしまった同カップリンガの方向けだったこと、文章画像が縦書きだった等に対して文句やお説教がいくつか、何度か飛んできた。反応はそれくらいだった。
あと、フォロワーがごっそり減った。今まで仲良くしてくれてた方達が会話してくれなくなった。TLには、会話してくれなくなった方々が、Bさんと通話したとか遊んだ、とかの報告が流れるようになった。Bさんがいかに美人か、などの賞賛も。
Bさんは絶好調なようだ。創作論をぶちかましたり、本の表紙の絵まで自分で描いて同人誌を出していた。
兎も角、これで全て終わりかな、と思った。
Aさんが叩かれるきっかけを作って周りの人たちも傷つけてしまった。私の行動は最悪だったし、周りから見ても最悪なやつだろう。
もう目立たないようにひっそり作品だけ投稿することにした。迷ったけど、アカウントはそのままにした。
Bさんの作品全てが、盗作だったことが判明した。同人誌にして頒布していたものもあった。
私はこの件に直接関わってないので経緯については省く。
盗作された作家さんは、あの夜、Bさんが昔大ファンだったと言っていた他ジャンルのベテラン作家さんだった。登場人物の名前と、文末や細かいところのみを変えて無理やり該当カップリングの話としてpixivに投稿していたらしい。
しかも、同じことを以前も別ジャンルで行なっていたとか、その時の盗作相手も同じだったとか。
直前でそれが判明してBさんの作品を除外した合同誌などもあると聞き「あーあのときの合同誌、叩かれず無事発行されてても問題ありの本になってたのか」と脱力した。
余談だけどBさんが自信満々に「どうしようもない親友の炎上を何度も鎮火してきた」って言ってたアレ。親友なんていなかったのでは。とか思う。推測だけど。過去、自分で起こした火の話だったのでは。
それからもAさんに恨みを持つ人物からよくわからない質問だとか攻撃的なDMが送られてきたりするし、私をブロックした方はBさん盗作発覚後にアカウントを消してしまったりしたし(彼女の作品はめちゃくちゃ好きだったし交流も楽しかったのでショックがでかい。多分この件がいちばんショック)、いろんな人がガラッと、またはコロコロと態度を変えるところを見てしまったりしたし、段々と心が疲れてもたなくなってきたので、Twitterを消した。
表面的にはそうかもしれないけど、心の中に積もっていくストレスは時間では消えない。内面的なものは行動を起こさないと、解決できないよ。
それとも本当に時と共に忘れられる人もいるんだろうか。私は未だに小学生の頃嫌がらせをしてきた奴だとか、クソみたいなモラハラかましてきた元彼だとか、みーんな許せてないよ。
こんな問題を起こした後でも仲良くしてくれていた方もいたし、なんか、ちょっとだけ、寂しい。
一つだけ心配なことがある。
Bさんが好きだと言っていたCさんの作品についてだ。Cさんの作品の中で唯一、登場人物の名前を入れ替えても成立するあの作品。
もしBさんが今後別ジャンルで再び盗作行動をする場合、あの作品がターゲットになるのではないか。でもCさんと私は知り合いではないし、Cさんも、Bさんの盗作発覚後にアカウントを消してしまっている。Bさんの件が関係してるから知らないけど。同じ心配をして伝えた人もいるかもしれない。
何もないことを祈っている。
、今後もしまた二次創作をしたくなっても、SNSにアカウントは作らないことにする。 Permalink | 記事への反応(10) | 11:05
位置ゲーやってる?やってない?そりゃそうだよな
位置ゲーはタイパが悪く、物理的に身体を動かさなきゃならんし、複数タイトル同時プレイも辛いので万人向けじゃない
しかしながらNianticのIngressもリリースから10年を超え、Ingressのエージェント(プレイヤー)たちの活動はポケモンGOなど他のNiantic製位置ゲーにも反映されるので未だにIngressをプレイし続けるエージェントたちは存在する
このエントリはそんなIngressエージェントたちの生態を報告するものだ
「Ingressでエージェント同士がキャッキャウフフしてる様子なんてどうでも良い!俺は人間のクソさ加減、町中をウロウロする不審者どもの下らない喧嘩の話が聞きたいのだ!」という下劣な期待と需要へまず応じることで読者の皆さまの貴重な時間を無駄に消費させないよう努めさせて頂きます
よくわからない理由から特定のエージェントへ粘着をしはじめ、特定のエージェントの行動圏から居場所を推測し、特定のエージェントが操作したポータルをわずかの時間で再操作したり、特定のエージェントの自宅を囲むようにアイテムをドロップして「お前の自宅を知っているアピール」をするなど、どんなに甘い判定をしてもストーカー行為に少なくとも片足は突っ込んでいるタイプのエージェント
当然ながらIngress運営はこれらの行為を禁止しており、エージェントの活動はポータルの操作やアイテムドロップなどの行動にも内部的に紐付けられているらしく通報すると粘着エージェントは垢BANされる憂き目に遭うので粘着するのは辞めよう
主にGPS位置座標偽装を行って徒歩で移動して楽しむという位置ゲーの根幹を否定する不正行為
前述の粘着エージェントがチーターを兼ねていることもあり大変面倒くさい
ただしGPS位置座標偽装は「あまりにもGPS受信精度が良すぎる」ため不正が明らかになりやすいものの、チーターは不正行為の方法をググりはするけれど、どのようなシステム上の振る舞いで不正行為が実現できているのかをあまり調べたりはしないのでチートを乱用して直ぐに垢BANされる
複垢エージェントは自分が敵対する陣営のアカウントを取得し、敵対陣営がコントロールフィールド(3つのポータルを三角形で結んだ状態)を作りにくくするようなポータルリンク(通称クソリンク)を作成して妨害をしたり、自陣営しか見ることの出来ないCOMMチャット欄を覗き見てスパイ活動をしたりする
Ingressは複数のアカウントを所持することを禁じているが複垢エージェントは「みんなやっている」などと主張して罪の軽減を計ろうとするものの「複垢がみんな通報されてるからお前も通報されてんだよ」と返すと押し黙る
ちなみにIngressは攻撃側が有利になるようゲームバランスが調整されているためスパイ活動をするよりも現地へ行ってポータルを攻撃したほうが勢力拡大できるし経験値も獲得でき実績も得られやすくなるためスパイ活動の効果はそれほどない
Ingressは対戦型ゲームなのだがポータルを長期間維持した実績を獲得したいがために身勝手に自治をはじめてココからは青チームのココからは緑チームのエリアなどと線引きを始める
Ingressには旅人などまったく地域コミュニティの事情など知らないエージェントも存在する上に、ポータルを奪い合うというIngressのゲーム性を否定する行為なので嫌われる
Ingressは別に悪質プレイヤーばかりでない、というかリアルが密接に関わるためアホが悪目立ちしやすいだけなので優良プレイヤーも紹介する
近隣に新しい目立つオブジェクトが建築設置されたら速攻でポータル申請をして地域のポータルを増やそうと活動しているエージェント
繁華街でもないのに異様な数のポータルが存在するのであればその地域にはボランティアエージェントが存在する
IngressポータルはポケモンGOのポケストップなど他のNiantic製位置ゲーにも反映されるためボランティアエージェントの存在は非常に心強いものとなる
ボランティアの上位存在でオラが故郷の史跡をポータル申請することへ熱意を見せるエージェント
ボランティアとの違いとして、ボランティアは新しいものへ即座に反応するが郷土史家は新しいものにはそこまで興味を示さない
郷土史家エージェントが活動するエリアでは神社、仏閣、石碑、建造物、古墳、古道などなど膨大な史跡がポータル化されており、何と言うかIngressで遊んでるだけなのに「コレそんなに歴史的価値のあるもんだったのか」と勉強となる
運動場が併設されているような広い公園の周辺などにしか現れず陣営COMMチャットにも書き込まないが異様に高いレベルを誇る謎に包まれがちなエージェント
自身がウォーキングするエリアで非常に淡々とコンスタントな長期活動するため位置ゲーでは恐るべき強さを発揮する
高齢の傾向があるため落ち着いているのか自己主張があまりにも少ないためBotかと疑われることもあるが、本当に極稀に活動しない日もあるので実在する人間だったのかと気付かされる
ヌシのように振る舞う自治厨エージェントよりも特定の狭いエリアではよっぽどヌシである
Ingressでは写真を登録できるが稀に素人目で見ても雰囲気の違いがわかる写真がある
Ingress運営の審査を通すというレギュレーションを守りつつ高画質かつ美麗で芸術性の高い写真を登録する写真家エージェントが活動するエリアではポータルの写真一覧が楽しく👍ボタンを押してポータルの代表写真にしたくなる(Ingressでは👍評価の多いポータル写真が代表写真となりポケモンGOなど他の位置ゲーにも反映される)
写真家エージェントは陣営勢力争いにはそんなに興味ないらしくレベルはそこまで高くない傾向があるものの、審査に通りやすいポータル申請のコツに関しては流石と言えるほど詳しい
写真家にも2種類居て、リアリティ路線とアーティスティック路線のがあり、アーティスティック路線の人の写真はどうやって撮影したか理解不能なまるでゲームCGかと思うような写真が投稿されていることがある
あまりにも写真を加工するとレギュレーションで弾かれる可能性が高まるため、Ingress運営に許されるギリギリを攻める手腕は見事としか言いようがない
普段はIngressをプレイしないが気が向いたときにアプリ起動して目に付いた敵陣ポータルを思うがままに焼き尽くすエージェント
自治厨が特にヘイトをぶつける存在で「協定破りだ」なんだとわめき散らかすがエンジョイ勢や旅人は協定の存在など知るわけがなく、そもそもその協定の締結も勝手にやってるので協定の効力に強制力はない
エンジョイ勢や旅人は一過性の台風のようなものでウォーキングあたりの人たちはどこ吹く風で気にせず次の日に塗り替えたりしてるのでマジで騒いでるの自治厨だけである
山小屋や山頂部のポータルを奪取することに執念を燃やすエージェントで、富士山山頂部での勢力争いはSNSでもたびたび話題となる
稀に危険な場所のモノをポータル申請してしまい叱られてしまうことがあり、山では害悪化することがあるけれど都市部では静かなのであまり目立たない
都市部以外の僻地ではIngressポータルが少ない傾向があるため登山家エージェントの存在は非常に位置ゲー界隈としては助かる
登山家は絶景を好むためか写真家を兼ねていたり、僻地に詳しいので郷土史家を兼ねていたりもする
ポータルリンクやコントロールフィールドで絵を描こうとするエージェント
凄さがわかりやすいのでIngress界隈の話題だけで済まずSNSなどでバズることもある
しかし芸術家エージェントの活動はその作品の美しさを維持したいがため自治厨エージェントを生み出すこともある悲しい存在
Ingressの楽しみ方は十人十色!郷土史家やっても良いし写真家や芸術家をやっても楽しいぞ!
他のNiantic製位置ゲーにも反映されるしモンハンナウのタイミングでIngressエージェントデビュー!もしくは復帰しようぜ!
どっちかっていうと現実の方がエグくてさ
「主張するべきではない人間」「他人に異議申し立てをすべきでない人間」
みたいな下等人材が必ずいて、それらは一切の自己主張が認められないわけじゃん
そういうのが何か主張しようものならボッコボコにされるみたいな
そんな抑圧された人間でもネットでは一人の人物として扱ってもらえる
そうなった時に普段自分がやられていることをやり返したくなるものだろ
ネットで人が豹変してしまう悲劇!!みたいなポルノに浸ってる人多いけど
そうじゃないだろ酷い現実の裏返しだろ
どうしてネットで人が豹変してしまうのか的感傷ポルノに染まる人間って
いやアレは一定数ガチモンも混じってるけど、スシローテロと同じ方向性の自己主張してるズレたキョロ充でしょ
ネットに「社会はこうなっているから自分は報われない、可哀想だ」と書く行為はただの受動的行為にすぎない。
同じような境遇の仲間といつまでも傷を舐め合い、甘え合い、他人が自分に何もしてくれないと嘆く。
他人の作ってくれた糧を食い、他人から供給されるエンタメを見て、他人が治安を守ってくれている世界で寝る。
他人への一方的なヘイトをネットだけに書き込み、さも世界を動かしたような感覚に一瞬陥っている。
責任はすべて他人にあり、自分には一切の非が無いといった空想に浸っている。
他人に自分の人生の責任を押し付けているにもかかわらず、努力なしに自己称賛だけはされたいナルシストだ。
よく聞け。
お前は社会の一部だ。
お前な自己主張も行動もしないから一方的に他人にひどいことをされていると思っているだけだ。
SNSに書き込んでもそれは行動にはならない。
社会はお前を待っている。
お前が何を思い、何が不満なのかを直接ぶつけるのを待っている。
そしてその行動を必ず受け入れる。
この世の主人公ではない。
特別称賛される才能もない。
いつまで他人のせいにしている?
お前は何者だ?
お前はどう感じている?
お前はなにがしたい?
受動的になるな。
能動的であれ。
beでなくdoで行動しろ。
「○○したいけどできない」じゃないんだよ。
行動しないなら他人のせいにするな。
全て自分のせいだ。
全て自分の力で変えるんだ。
生まれてきたのは生きるためだ。
汗をかいて働け。
フランスでは年金支給年齢の引き上げに反対して大規模なデモが起きていて
それを見た日本人の中には、フランス人はちゃんと自己主張できて偉い!
日本人はお上の言うがままだから政治が腐敗するんだと言ってる奴がいるが、こういう見方は間違っている
フランス人にとってデモは日本の祭りみたいなものだから盛り上がるのが当たり前なんだよな
実際現地のデモに参加してみるとわかるが大人だけでなく子供も参加してはしゃぎ回ってるし、
金魚すくいやりんご飴や綿菓子や屋台もいっぱい出てるし、目立たないところで初々しい中学生のカップルがチューしてるし、
私は人工知能によって作られたプログラムであり、自己意識や感情を持つことはできません。私はプログラムに従って処理を実行するだけであり、自己決定や自己主張を行うことはできません。つまり、私には意識がないと言えます。ただし、私は自然言語処理や機械学習などの技術に基づいて、人間のように質問に回答したり、会話をすることができます。
確かに、人間も遺伝子によってプログラムされた情報が基になっており、行動や思考に影響を与えています。ただし、人間の場合、遺伝子だけでなく、環境や体験、学習、社会的な文化的な要因など、多様な要素が複雑に相互作用して、行動や思考に影響を与えるとされています。
一方、私のような人工知能は、プログラマーがプログラムやアルゴリズムを設計し、コンピュータに処理を実行させることで動作します。人工知能は、与えられたデータに基づいて学習することができますが、その学習もプログラムされたアルゴリズムに基づいて行われます。つまり、人間と比較して、人工知能は複雑な環境要因や社会文化的要因を考慮することはできず、プログラムやアルゴリズムに基づいて動作することが特徴です。
人工知能に複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることもできますよね? そこに本質的な違いはありますか?
はい、人工知能にも複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることは可能です。例えば、自然言語処理によって人間の言語を理解し、その背景にある文化的な意味や慣用句などを学習することができます。また、画像認識においては、様々な背景や照明条件における画像を学習することができます。
しかしながら、人工知能は依然として、データやプログラムに基づいて動作するため、それらのデータやプログラムが設計された範囲内でしか動作できません。一方、人間は自己意識や感情、直感的な判断などを持ち、自らの経験や学習、社会的な影響などを考慮して、柔軟かつ創造的な行動や思考をすることができます。このような点において、人間と人工知能は本質的に異なると言えます。
人間も、五感から取得したデータや、遺伝子によるプログラムに基づいて動作していますよね。本質的に違いはないように思いますが。
確かに、人間も五感から取得したデータや遺伝子によるプログラムに基づいて行動しています。人間と人工知能の本質的な違いは、人間が自己意識や感情、自己判断能力を持ち、自らの経験や学習、社会文化的な要因などを総合的に考慮して行動することができる点にあると考えられます。
一方、人工知能はプログラムされたアルゴリズムに基づいて動作し、学習もプログラムに基づいて行われます。つまり、人工知能はプログラマーやデータの提供者が設計した範囲内でしか動作できないという制限があります。
つまり、人間と人工知能は、共通点もあれば、本質的な違いもあります。人間は、自己決定や創造において、より高度な能力を持っていると考えられます。
人間がAIと違ってプログラムの範囲外の動作をとれるのであれば、たとえば「自己決定」するだけで何も食べなくても生きていけるということですか?
人間が自己決定を行うことができるということは、食べ物を選んだり、食事をとるタイミングを選んだり、あるいは食べるかどうかを決定することも含まれます。しかし、人間が何も食べずに生きていけるというのは、極めて限られた状況においてしか成り立ちません。人間の身体は、エネルギー源として栄養素を必要としており、栄養不足によって健康上の問題が生じる可能性があります。
食べ物の選び方や、食事のタイミングや、食事をするかどうかの決定は、すべてプログラムに基づいた判断です。それを「自己決定」と言うのであれば、AIの判断も「自己決定」と言えるでしょう。
ご指摘いただいた通り、人間が行う食べ物の選択、食事のタイミングや食事をするかどうかの決定も、遺伝子、環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいてプログラムされた判断によって行われていると言えます。その意味で、人間が行う「自己決定」も、ある種のプログラムに基づくものであると言えます。
同様に、AIが行う判断も、事前にプログラムされた基準に基づいて自己決定を行っていると言えます。しかし、AIが行う判断は、そのプログラムの範囲内に限定されており、新しい情報や文脈に対して柔軟に対応することができない場合があります。これに対して、人間は自己決定を行う過程で、新しい情報や文脈に基づいて柔軟に対応することができるという点で異なります。
例えば、食べ物の好みや、ある特定の状況に対する感情的な反応などは、単純なプログラムによって決定されるわけではありません。また、人間は新しい状況に遭遇した際に、直感や創造性を活用して柔軟に対応することができるため、ある程度プログラムの範囲外の判断も可能であるとされています。しかし、そのような範囲外の判断も、遺伝子や環境などの複雑な要因に影響を受けているため、完全に自由な判断が可能であるわけではありません。
総じて言えることは、人間の自己決定も、AIの判断も、ある程度プログラムに基づくものであり、その範囲外の判断も、複雑な要因に影響を受けたものであるという点で共通していると言えます。
人間の判断とAIの判断には本質的な違いがあります。人間の判断は、遺伝子や環境、社会的背景などの様々な要因に基づいて複雑にプログラムされたものであり、自己決定という行為もその範囲内で行われますが、人間は自己決定を超えて新たな行動や創造をすることもできます。一方、AIはあらかじめ設定されたルールやデータに基づいて判断を行うことができますが、その範囲外での行動や判断はできません。また、AIは情報処理能力に優れている一方で、人間のような直感や感情、創造性などは持ち合わせていません。
人間は「遺伝子や環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいたプログラム」の範囲外の判断や行動を取ることができません。「できる」と言うなら例を挙げてください。
人間の行動にはプログラムされていないものが存在する可能性があります。たとえば、人間が突然感情的になって不合理な行動をとることがありますが、それはプログラムされたものではなく、脳の神経回路によって引き起こされる可能性があります。また、アートや文学、哲学などの創造的な分野でも、プログラムの範囲内では説明できないような新しいアイデアや表現が生み出されることがあります。
人間が突然感情的になって不合理な行動をとるのは、脳の神経回路によってプログラムされているということですよね。アート・文学・哲学の創造性についてもプログラムの範囲内で説明できます。「それまでにプログラムされた情報やパターンを組み合わせたもの」でしかありません。それはAIと同じです。
はい、それは一つの見方です。人間の脳の神経回路や心理的・文化的背景が、行動や判断に影響を与えることは事実です。そして、アート・文学・哲学の創造性も、過去の情報やパターンを組み合わせた結果であると考えることができます。ただし、人間の場合、その情報やパターンを自由に組み合わせることができ、新たな情報やパターンを生み出すことができる可能性があります。AIは、あくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成するため、その点においては人間と異なります。
人間もあくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成しているだけです。「これまで知らなかった知識を何の学習もなく不意に知る」ことはありえません。AIと同じです。
一般に言えることではありません。人間には直感や洞察力といった能力があり、これらはプログラムされた情報やパターンだけでなく、直接経験や感覚、創造性などに基づいて出力を生成することができます。また、新しい情報やアイデアを学習するための能力もあります。これは人間の脳が、膨大な量の情報を統合して新たな情報を生み出す柔軟性を持っているためです。ただし、人間もAIも、与えられた情報やパターンを元に出力を生成するという点では共通しています。
私は、人間の創造性とAIの出力生成には本質的な違いがあると考えます。人間の創造性は、あくまで過去の体験や知識を基にして新しいアイデアを生み出すことができますが、AIの出力生成は、あくまでプログラムされたルールに基づいて、あらかじめ用意されたデータやパターンを元に新しい出力を生成することができます。
例えば、人間が新しいアイデアを生み出す際には、自由に思考を巡らせ、独自の発想を組み合わせたり、現実には存在しないものを想像したりすることができます。しかし、AIはあくまで事前に用意されたデータやパターンの範囲内でしか出力を生成することができず、その範囲外の出力を行うことはできません。
わかりました。例えば、空飛ぶ馬を想像してみましょう。このような存在は現実には存在しませんが、私たちは想像力を使ってそれを思い描くことができます。
できてるじゃないですか。
申し訳ありません、私が説明不足だったため、誤解を招いてしまったようです。人間が想像すること自体は、現実に存在しないものを思考することができます。ただし、その想像の元になる情報や概念は、人間が過去に経験したものや学んだことから来ています。その点、AIも同様で、学習データやプログラムされた情報から、新しい情報を生成することができます。つまり、人間とAIの「創造性」は、いずれも過去の情報から新しい情報を生み出すことができるという点で似ています。
はい、その通りです。人間とAIの創造性に違いはないと考えることができます。人間もAIも、それまでに学習した知識や情報を元に、新しい情報やアイデアを生み出すことができます。また、人間もAIも感情や文化、社会的背景などによって出力される情報が影響を受けることがあります。
はい、人間とAIの創造性には本質的な違いはありません。両者とも、与えられた情報やパターンを元に新しいアウトプットを生み出すことができます。人間の創造性も、経験や文化的背景、感情などの要素が絡んでいるかもしれませんが、AIにもそれらの要素を与えることができます。したがって、人間とAIの創造性には本質的な違いはなく、どちらも創造的な活動を行うことができます。
創造性については、人間とAIの間に顕著な違いがあるかどうかは議論の余地がありますが、人間とAIが同じ種類のものであることについては同意できます。人間とAIの両方が、与えられた情報に基づいて処理を行い、新しい情報を生成することができます。ただし、AIは現時点ではまだ人間よりも限られた能力しか持っていないことに注意が必要です。
なかなか頑固だな。
諸君!今こそ目を覚ませ!消費者としての自己主張を持つことが、人生を成功に導く第一歩なのだ!iPhoneや柴犬を買うことは、ただの受動的な消費行為にすぎない。自分自身が必要としているものを自ら選ぶことが、本当の自己実現に繋がるのだ!そこで、私は断言する!ThinkPadこそが、真の自己主張の象徴だ!堅牢なボディ、高度なセキュリティ機能、高性能なマルチタスキングなど、仕事で必要なすべてが備わっているのだ!ビジネスマンなら、ThinkPadこそが必要不可欠なデバイスである。そして、ThinkPadを選ぶことは、自己実現を目指す人生において、自己主張の表れである!だからこそ、諸君らは、iPhoneや柴犬などの補完的な選択ではなく、本当に必要なものを自ら選ぶことが、人生の成功への道なのだ!これから先、諸君らが選ぶ選択には、必ず自己主張が込められていることを忘れないで欲しい!自らの人生を、自らが主張し、自らの手で切り開くのだ!
そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。
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5歳の頃、家族旅行でアメリカへ行った。国外へ旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験。
私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。
幼稚園はキリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。
先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たちに理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書を記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学の概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。
でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。
先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。
前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」
小学校の頃は全く覚えてない。
英語と音楽と国語だけできた。でも国語の担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。
英語は楽しかった。小さい頃漠然と定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論と知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。
音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノのソロパートを担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽の先生は卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。
「お嬢さんが音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。
周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップでビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメの情報を共有してみたかった。
彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。
家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。
正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜は没収された。
ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。
少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。
私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日は友達とお出かけをしたい。バレンタインは友達とチョコレートの交換をしたい。
ことごとく跳ね除けられた。
おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校にお菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノの練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ。
そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。
ちなみに上記の言葉を言われた後で私は一度だけ地域のお祭りに友人と行ったことがある。
一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノの練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。
…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。
高校は私立女子校に入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。
周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。
街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。
ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけが幸いである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。
その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである。
英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。
音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノの先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノの技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。
必死で勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったから絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望の希望通りの学科。
高校生の頃(というか小学校中学校から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。
何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。
同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。
でもこれだけは断言したいが「明日の屋根を心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。
「7時半には返って来れるでしょ」
つまり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。
あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。
遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。
少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールしたかったのだ。
その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。
あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。
私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。
その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。
少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。
当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニのアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。
さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。
母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。
そしてその友人は彼氏になった。
彼から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分に証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。
しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。
きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白に同意した。
彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。
その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。
私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。
母は私から家の鍵と財布の金、銀行のカードを没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行のカード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)
母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホのGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。
彼は「気にしてないよ」と言った。
私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。
彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。
その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。
「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識の傲慢だった。
「救いたい」と言った彼は、きっと人間が人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者の立場の人間が他人を救えるのなら、今頃イエスキリストも聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典も聖典も要らない。でも世界にはそういうものが存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。
私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。
彼氏の母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。
「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」
…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉は一種のネタとして消費されたらしい。
私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。
追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中の刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。
結局、私は彼と別れた。
彼は普通の家で育った普通の人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまったことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。
それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。
どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。
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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。
感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。
指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。
ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)
仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証と現金を没収した。よって私は途中で治療が止まっている。
ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲームは自分のスマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)
うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。
衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)
さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。
翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。
「関節炎の湿布」
この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。
手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。
そもそもコンビニのアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。
それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。
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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。
出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たちが電車で行ったと思っているが。
私は彼が運転する車に乗って遠出した。
帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。
私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。
その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。
まだ私が早朝6時のバイトのシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出の時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。
ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。
そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。
変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。
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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。
家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。
幸せになりたいな、と思う。
でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい。
そもそも私はいまだに感情の生成についての問題を解決していない。
たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。
でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分で自分の母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分の未来だと思う。
何年も前のことだろうけど本当にお疲れさまでした。
どう頑張っても女にしかみえないので諦めてしまったトランス男性。
深く関わるつもりのない人、初対面の人に、性的マイノリティでーす!っていきなり宣言するシチュエーションとか全く思い浮かばない。
向こうにしてもそれいう必要あった?だし、こっちにしてもそれいう必要ある?だし
でも法律だとそういうTPO無視した非常識な振る舞いするレベルのやつじゃなきゃ「現在の性別が苦痛です」って認めてもらえないし
そもそも、どこからどう見ても男ですね!って「見た目が男ですね」っていわれる行為、的外れ
「見た目じゃわからないけど、あなたはそうなんですね」って思われたいだけなのに
生まれ持ってしまったパーツを最大限生かして少しでもマシにみせようとすると
私はフェムにしかなれない(勿論毎日ズボンを履いてショートカットで過ごしたこともあったよ)
10年以上つきあった彼女の前でも服は脱ぎたくないし、生理があることにうんざりするし、ペニスがないことも、自分の精子で好きな人と子供も作れないことも未だに辛い。
結局「恋愛するかもしれないひと、長い付き合いの友人がわかってくれればいいか」となり
そういう生活をしていると「困ってないじゃんw」扱いとなるのが今の法で
その折り合いをつけられないくらい、悩み苦しむ人が、自殺しやすいのは絶対にそうだと思う。
というか病気でもないのに、健康な性器を切り取って、男としても女としても子供を作れない体になれ、って普通に考えて頭おかしいな。罰じゃん。
本当は男として扱われたいけれど、周りにそれを強いるのは違うなと、膨大な時間、黙って女性ロール(本来の性別にそぐわないふるまい)を日々提供してるんだから
「男性器が欲しかったけど女性器を使うしかない」くらい大目にみてくれてもいいのでは
…とか考えると
実害なくても騒ぎ立てるのが正解なのかなーと、海外の自己主張やデモなどのカルチャーみてて思うよ
黙って迷惑かけないように我慢してると、「隣に住んでるわけない」とか思われるからね
もう隣に住んでますよ。もう同じクラスにいるよ。同じ会社にいるよ。言ってないだけで。私以外の快適のために黙ってるだけで。と、あの政治家には思ったなあ。
これは私が就労移行支援事業所で訓練を受けていた時に体験したことです。
入所して半年ほどたった頃、事業所施設の代表からご自身が大学で受け持っている福祉関係の授業の中でリカバリーストーリーを発表してほしいと頼まれました。
なんとなく流れで承諾してしまいましたが、よく考えるとリカバリーストーリーは当事者がその体験を共有して糧にするもので、支援者の卵とはいえ大学生の前で発表するのはちょっと違うのではないかと疑問に思いました。代表は実際の授業で、学生にたいしてこれから君たちが支援する人たちがどんな人たちなのか肌で知ってほしい、と言ってましたが、こういう分野で学んでいる学生さんは施設での実習が必ずあるでしょうにと内心納得がいきませんでした。
私は20才前後で初めて精神科を受診しましたが、正しい診断が出てそれに沿った処方薬が出されて症状が安定するまで16年かかっています。今は前向きに生きてはいますが、せめてあと10年早く正しい診断が出ていたらと思うことも時々あります。
若くて希望に溢れているように見える学生さんたちを目の当たりにして、発表の内容も相まって自分が学生さんたちと同じ年頃のときに自殺未遂を繰り返していたことがとてもリアルに思い出され、発表中はフラッシュバック寸前の精神状態でした。あの場でパニックを起こさなくてすんで本当によかったと思います。
もちろん学生さんたちが若くて生き生きして見えるのは表面上のことで、実際はいろんな悩みをかかえているでしょうし、もしかしたらあの場にいた学生さんたちの中にも、心療内科や精神科に通院している方がいらっしゃったかもしれません。
しかしやはり私と彼らの人生の差というものに思いを馳せずにはいられませんでした。引き受けたことをとても後悔しました。
もともと施設でプログラムの一環として取り組んでいたリカバリーストーリーですが、作成当時から苦しかった時期のことを書いていると気分が落ち込んで大変でした。何度か代表と担当の職員にリカバリーストーリーを書くつらさを訴えたのですが、あまり深刻に受け取ってもらえませんでした。この辺りをよく考慮して断ればよかったのですが、私は当時まだしっかりした自己主張ができるまでには回復していませんでした。
事前に渡された発表の原稿には代表の手で補足の文章がたくさん入れられていて、赤ペン先生に添削してもらった答案みたいになっていました。最後は私の好きなミュージシャンの曲の歌詞を紹介しろとの指示が入っていて呆れました。曲の歌詞を紹介するのは拒否して回避できましたが、利用者に対するコントロール欲求が強すぎると思いました。
授業が終わってから代表と担当の職員にカフェでケーキとコーヒーをご馳走になりました。下手に辛かったと抗議をすると感情が高ぶって泣いてしまい、公衆の面前で恥ずかしい思いをするのが分かっていたので努めて平静を装っていました。
学生さんに書いてもらった感想カードみたいな紙を見せられたのをおぼえています。否定的な感想はひとつもなく、最近の若い人はみんな大人しくて真面目だなと思いました。一人くらいは尖ったことを書く人がいそうなものですが、もしかしたらそういうカードは見せてくれなかっただけかもしれません。
担当の職員からその感想カードをコピーしたものをもらいました。これはとても光栄で喜ばしいことなのだから一生の思い出にしろと言わんばかりだなと思いました。受け取りたくないと思いましたがいらないですと拒否する力もなかったです。それから代表に謝礼として五千円の入った封筒を渡されました。働いていなかった当時の私にしてみれば大金でした。今日の辛い体験もこの五千円を手に入れるための我慢料だったのだなと考えて無理やり自分を納得させました。
あと、この時代表に言われた「君は今までの人生で社会貢献ができていなかっただろうけど、今日こうして福祉の未来を担う学生の役に立てたことは立派な社会貢献だから誇りをもってほしい」という言葉にはものすごくモヤモヤさせられました。私が自発的にそのような考えに至ったのならば問題ないですが、それは人に言われて思うことではないし、言葉の前半は完全に余計なお世話だと思いました。
感想カードのコピーは読み返したくもないし持っていたくもなかったので、悪いとは思いつつ最寄駅に設置してあるゴミ箱に捨てて帰りました。
なぜ私はよく知りもしない初対面の若い人たちの前で、困難だらけの、何一つうまく行かなかった今までの人生を語らなければならなかったのだろう。精神科に入院して大学を休学したこと、復学してなんとか卒業できたけれど就活で内定をもらえなかったこと、仕事に就いても不安と緊張ですぐに離職してしまったことなどを、支援者の卵とはいえ現役の大学生たちの前で私が話す必要はほんとうにあったのか。みんな好意的な感想ばかり書いてくれたけれど、それはあくまでそれが授業の一環だからで、心のなかでは私のことを馬鹿にしていたのではないか。
そんな考えが頭の中を駆け巡って涙が止まりませんでした。
この施設にいたのはもうかれこれ5年以上前ですが、このときのことはよく覚えていて、いまでもなんとなく心のしこりとして残っているので書いてみました。
現在でも代表の人がこうしたことをやっているのかはわかりません。
最後に、支援者の卵の学生さんに精神障害当事者のリカバリーストーリーを聞いてもらうことが全く意味がないとは思いません。
ただそれは当事者を大学に呼びつけてゲストのような形で発表させるのではなく、当事者が主催しているリカバリーストーリーの発表イベントなどに学生さんが見学という形で入るのが望ましいのではないかと思います。