はてなキーワード: 符号とは
テロリストがゲーム機(PS4)のゲーム内チャット機能を使ってるかも、っていう報道が出ている。
この件でPS4を叩いても仕方が無い。というのはPS4に限らずゲーム内のチャットはテロリストが会話を行うのに適した理由がこんなにも多いからだ
会話経路がゲームの数だけ、星の数ほどある。NW的にはPSNを利用していても、プロトコルや暗号化方法はゲーム毎に異なるのでPSNの根っこで監視をしても結局各ゲーム毎に解析方法を作らなければならない。『釣天使』とかかわり合いたいと思うほど諜報機関は暇では無いだろう。
そして、ゲームの数はアーキテクチャの数であり、それぞれ異なる方式で情報が伝達されている。あるゲームではメッセージサーバ集中管理でも、また別のゲームではP2P通信だったりする。それらを複合的に扱っている場合もあるだろう。テロリストとは無関係な第三者のゲーム機をホストとして会話が行われ、運営者側では会話ログを一切持っていない、こんなケースはいくらでもあるだろう。
サイバー犯罪対策法はログ保存を事業者に義務づけているが、P2Pアーキテクチャではそもそも事業者との通信自体が行われていない。
オンラインゲームの運営は常にチーターとの戦いだ。ゲーム運営者はゲーム機とサーバの間の通信が解読されないように暗号化を当然のように行っているし、鍵割れ対策として鍵交換も頻繁に行われている。また、暗号化アルゴリズム自体もカスタマイズしていることが多い。
平文でへろへろとメッセージが飛んで行くEmailとは根本的に設計・運用レベルが異なる。
ゲームの世界はコミュニケーションに使える手段が豊富だ。プレイヤー同士でコミュニケーションが取りやすいようにチャット機能の他にも各種のアクションやメッセージ伝達手段が豊富に用意されているし、符号化の方法さえ決めておけばあらゆるゲーム内のオブジェクトが通信に使える。
ポケモンを繰り出す順番でメッセージを伝えることもできるだろうし、ゲーム内のインクで床に書いても良い。そこから第三者が意味を感知するのはほぼ不可能だ。これらはもちろんログにも残らない。ゲーム内の全行動・全会話(音声含む)を保存しておけるようなリソースはどこの会社も持っていないし、そんなことに浪費しようとすれば株主が黙っては居ないだろう。
ゲーマーは攻略のために「強い目的意識」を持った「物騒な会話」を日常的に行っている。
何時に集合してなんとかを殺す、とか爆弾を仕掛けてXXが通ったら起爆するとか、普通の会話の中ではあんまり出てこないがゲーム内ではごく普通の会話だ。仮に傍受/平文に解読を出来たとしても、どれが善良な市民の会話でどれがテロリストの会話か識別するのは辛いことだろう。
大多数のITエンジニアが通信路暗号化の基盤として信頼していたOpenSSLに巨大な脆弱性"HeartBleed"が昨年発見され、その脆弱性をNSAが事前に把握していた、という昨年の事件はオープンな暗号化基盤さえも国家レベルの諜報機関に対しては大穴が空いている可能性を示唆するものだった。
このような背景の元では、テロリストが「通信の内容」よりも「通信の存在」の秘匿、そして事後の捜査のしづらさを重視したとしても不思議ではない。
ブコメやトラバでも指摘されているが、事後的に平文の会話ログや行動ログを運営会社に提出させることそれ自体は可能だろう。
しかし巨大IT企業や通信会社と比較して捜査慣れ(証拠提出慣れ)していない、しかも英語が十全に通じるか怪しい国にある運営会社からログを入手し、ゲームの仕様に依存するログを読み取る時間と手間を考えたとき、この夢と虚構と暴力の世界は秘密の謀りごとを埋める森として十分な広さがあるように思えるのだ。
夢。寝苦しいせいか辛い悪夢だった。
全員中高生の制服。全校集会の様子で、ド広い(ちょっと東京国際展示場のような)体育館に、ぎっしりとイスが並べられている。
地図を貰い、その通りに着席するよううながされるが、この図が非常にわかりづらい。がんばって自力で探すものの、わからず、廊下を超えてもう一個の場所へ行くと書店のような漫画棚と、苗字入りの案内が入るので、おそらくここだろうと探すも見つからない。
断念して元の場所に戻り、先生(一番前の席に座っている)に聞くと「わからなかったら聞きなさい」と言われるので、「探しました、あっちの場所に○○(苗字)があったのでそっちかな」と答えると先生は少し笑いながら「そっちは違うってわかるでしょう」と。わからないから困っているのに。
聞いた場所に行くとなにやら机を動かしているので、参加するも、「やり方が違う!普通にやって」などと注意される。ぐだぐだと叱られるも、こっちだって見よう見真似でやってみたところなのに。と言いたいところだがうまく言えないので悔しい。「すみません」と言うも若干不機嫌さは出る。そのせいか態度が悪いというようなことを言われる。精一杯の誠意だが、言い方がうまいこと行かない。自分の精一杯はこれ以上無理なので、もどかしい。
そのうち声が出なくなってきた。
…現実に若干符号するのがまた悪夢を強調するところだ。理由を話さずいれば「勝手なことをしている」と評されるし、言えば「余計なことを言う」と言われる。うまく言葉を作れない自分からすればとても理不尽だ。普通の人が"普通"にできることがちょっとだけできないことが、悔しい。
電気通信回線を通じて、アクセス制御機能を持つ電子計算機にアクセスし、識別符号以外の情報や指令を入力し アクセス制御機能を作動させて、本来制限されている機能を利用可能な状態にする行為 (2号)
「識別符号以外の情報や指令」ってのが重要なんだよね?(Wikipediaでも太字になってるし) わからないなりに解釈してみると、「識別符号以外の」というのは、不正パケットとか、バッファオーバーランを誘発する文字列とか、その手のクラッキング手法を指しているんじゃ無いかと思うんだが。
そうすると、今回の件は該当しないよね?
(補足有り)
以下のような夢を見た。もし仮にこれが現実だったとして、違法だろうか?不正アクセスに該当するかどうか?意見を聞きたい。
いいか、あくまでこれは夢だぞ。
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あるインターネット上のサービスから、身に覚えの無いメールが届いた。
「いつも当社ABCサービスをご利用いただきありがとうございます。有料サービスに申し込むとより便利に〜」
調べてみると、ABCサービスというのはインターネット上に写真やデータを保存することができる、いわゆるクラウドサービスだ。
例えば、Dropboxをイメージして欲しい。(いいか、あくまで例だぞ。Dropboxは単なる例だからな)
どうやら、どっかの誰かが、俺のメールアドレスを使ってサービスを使っているらしい。俺のメールアドレスは、本名をそのままメアドにしたものだ。自営業の仕事で使ったりしている。
仮に俺の名前を鈴木一郎とすると、ichiro.suzuki@なんとかメール.com みたいなアドレスだ。「なんとかメール」は、有名なメールサービスだ。例えばYahooメールとかGmailみたいな。
さて、もう少し調べてみると、そのABC社のサービスは、メールアドレスの所有確認をしないらしい。メールアドレスの所有確認というのは、アカウント作成時に確認メールが送られてくるアレだ。「○○に申し込みいただきありがとうございます。メールアドレスの確認のため、以下のURLをクリックして下さい・・・」みたいなやつだ。
つまり、どこかの誰か(X氏としよう)が、俺のメールアドレスを勝手に使ってクラウドサービスに申し込み、メールアドレスの所有権の確認がされないままサービスを利用している。
これは迷惑な話だ。一見すると実害は無いように見えるが、俺にとってのリスクはゼロでは無い。クラウド上にファイルを保存できるというサービスの性質上、もしX氏が違法なファイルをアップロードした場合、無関係な俺に危害が及ぶ可能性がある。保存しているだけで違法になるようなデータ、例えば麻薬関係とか児童ポルノとか。
正攻法は、ABCサービスに連絡を取り、該当アカウントを利用停止にして貰うことだ。
しかし、ちょっとここで俺に魔が差す。仮に、「パスワードリセット」をしたらどうなるだろう?パスワードリセットのメールは俺宛に送られてくるわけだから、X氏のパスワードを上書きして、俺が所有権を乗っ取ることができる。さっそくパスワードリセットのリクエストを送ってみる。普通にパスワードリセット完了。パスワードを適当な物に変更し、サイトにアクセス。
X氏が保存したデータや写真を全部見ることができた。どうやらX氏は地方に住む大学生らしい。授業ノートの写し、友達との旅行の写真・・・おや、学生証や保険証の写真、あろうことか彼女とおぼしき女性との行為写真まで保存されているではないか。
30分後、賢者タイムの俺は、そっとサイトを閉じ、ABCサービスにアカウント停止の依頼を送った・・・
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さて、これは不正アクセスに該当するか?
あるいは、不正アクセス以外の、何らかの不法行為になるだろうか?
俺は「他人の識別符号(パスワード・生体認証など)を入力」しただろうか?
あるいは、「管理者の想定している認証機構を回避してアクセス」しただろうか?
メールアドレスは俺のものだ。また、識別符号(パスワード)を取得したわけではない。
サービスによって提供されているリセット機構を使って、俺宛てに送られて来たメールから通常の手段でパスワードリセットをした。
おそらく、焦点は「俺がアクセス権を有しないサービスへアクセスしたか」どうかだろう。
つまり、「俺の名義を不正に使って作られたアカウントへのアクセス権を、俺が有するか」どうかだ。
繰り返すが、以上の話は「こういう夢を見た」という話であって、仮の話、一種の思考実験だぜ。よろしく。
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(補足)
「MENSA(メンサ)とは、1946年にイギリスで創設された、全人口の内上位2%のIQ(知能指数)の持ち主であれば、誰でも入れる国際グループです。 」
とある。
そして、MENSAは自分たちの団体のことを「高知能団体」と呼んでいる。全人口内の上位2%とは、IQにして148(標準偏差σを24とする)となるので、これはかなりの高知能ということになるだろう。単純に考えると50人に一人程度存在するということであるから、その希少さはかなりのものだ。そして、日本で有名なMENSAとは正式には「JAPAN MENSA」というものらしく、これはMENSAの日本支部であるという。(以後のMENSAという記述はJAPAN MENSAを示すものとする)
MENSAについては私も昔から知っていて、「へぇ、そのような団体があるのか」と興味は持っていた。
ところが、先日大学の友人がMENSAの入会テストを受けてきた所、どうやらこの試験というものは所謂「IQ(全知能)」を測るテストとは少し違うものらしい。このような入会テストを行っている団体が「高知能団体」として世間に認知されていくのは良いことなのだろうか、少し疑問に思った。
そこで、一応大学で医学を専攻した身として、MENSAに対して一言述べておこうと思いこのブログを書くことにした。
MENSAの知能測定方法が「全く無意味」というわけではない。知能の限られた部分しか測定していないということである。そして、それこそが一番の問題なのだ。
医学的に知能指数を測る方法は何種類か有る。(知能指数 - Wikipedia)
かなり初期のものとしてはビネー式知能指数テスト。こちらは「子供向けの知能指数テストであり、大人には有効ではない」ということが明らかになっている。そこで、登場したのが「WAIS」と呼ばれる知能指数テスト。現在、大人が医療機関で知能指数テストを受ける場合には、大抵「WAIS」を受けることになる。(田中ビネー式については割愛)
ところで、MENSAの公式ホームページには「入会テストの受験は15歳以上に限る」と記されている。つまり、子供向けではなく、大人を対象にしたテストであるということだ。
そこで、医療機関で実施されている大人向けの知能テスト「WAIS」について少し詳しく見ていこう。
WAISは現在、14の下位検査から成り立っている。(ウェクスラー成人知能検査 - Wikipedia)
- 知識:文化によって獲得した一般知識の程度。(例「ビクトリアの長は誰ですか?」)
- 理解:抽象的な社会慣習、規則、経験を扱う能力。(例「一石二鳥という諺はどのような意味ですか?」)
- 算数:数学問題を暗算する集中力。(例「1ドルで45セント切手を何枚買えますか?」)
- 類似:抽象言語理解。(例「りんごと梨はどのようなところが似ていますか?」)
- 単語:学習や理解の程度、および語彙の言語表現力。(例「ギターとは何ですか?」)
- 数唱:注意・集中。(順唱例「1-2-3」、逆唱例「3-2-1」)
- 語音整列: 注意と作動記憶。
動作性検査
そして、これらの知能検査から各々の「知能指数」を算出。それらを総合して全知能(合成得点による全検査IQ)を算出することとなる。
ところで、なぜこのような成人向けの知能指数テストが行われるのだろうか。WAISのスコアから何が分かるのだろうか。
実は、WAISのスコアは高ければ良いというものではない。それぞれの分野のスコアがある一定の範囲内(15以内)に収まっていることが重要なのである。そして、これの範囲を超えてしまうと、発達障害との診断が下る可能性が高くなる。医師はそれを一つの目安として発達障害の診断を下すことになっているからだ。
つまり、部分的に隔たった知能は「発達障害」である可能性を示唆することとなるということだ。
さて、MENSAに話を戻そう。
実は、これはWAISで言うところの「行列推理」だけを問うものなのである。
すなわち、MENSAの試験においてスコアが高いということは、WAISで言うところの「行列推理のスコアが高い」ということのみを指し示す結果であり、(各能力の発達がある程度独立であることを考慮すれば)上述した「発達障害」である可能性も、一般の人よりも遥かに高いということである。
つまり、MENSAという団体には、世間よりも遥かに高確率で発達障害の人が存在していると考えられるだろう。
MENSAが高知能団体を自称するのであれば、最低でも言語性知能や他の動作性知能のテストを必須にしていただきたいものだ。
行列推理のスコアが高いだけで「高知脳団体」と言われても、それは詐称に他ならない。むしろ、行列推理だけのスコアが高いということは、高知能であるということを示すより、発達障害を示唆する可能性の方が高いとすら言えるだろう。
そこでちょっと、最後、時間の残りが少しずつなくなってきているんですが、録音反訳の話、先ほども御説明の中で最高裁の方からいただいたんですが、私も不案内なんですけれども、何か最近、電子速記「はやとくん」なんていう、えらいかわいらしい名前の機械、速記反訳システムというソフトが開発されているようです。「「はやとくん」をご存じですか?」なんていうチラシもあるんですけれども、名前の由来までは私承知しませんけれども、これも、名古屋の元速記官の方がこういうシステムソフトを開発されて、聴覚障害者等々の訴訟、裁判参加にも役立っているというふうなことが結構書いてあるんです。
実際、テープで法廷のやりとりを反訳するというのは難しいでというのは、実際その反訳を請け負っている業者の方からも出ているらしいんですよね。というのは、事件の内容が、記録もないからわからへんわけですし、裁判の専門用語もいっぱいあるわけです。そうなるとやはり、立ち会いメモぐらいはもらえるらしいんですけれども、ほとんどそんなの役に立ちまへんのやという話も聞いています。それで、不明な箇所を書記官に問い合わせたら、不明は空白にしておいてくださいよというような調子でやっているそうです。
そういう意味で、書記官からも、テープの反訳について疑問の声というものを私幾つか聞いています。テープによる録音反訳でしたら、当然のことながら反訳者は法廷に立ち会ってへんわけですから、やはり不正確な文書をつくってくることが間々あるそうです。私も速記のことはよくわからへんのですが、見ましたら全然意味の違う文書が出てくるらしいですね。
そうなると、今度はその校正のために書記官がえらい時間を費やすことになると。これは二度手間なんですね。そうなると、書記官さんだって本来の仕事に支障を来すことになるんじゃないか。いや、そんなことはありませんと言いたいんでしょうが、そういう指摘があるという事実については御承知されていると思うんですが、そういう現場からの録音反訳の精度的な問題を指摘する声を踏まえたときに、この「はやとくん」、こうしたものを実際速記官が自主的に、六割以上が自費で購入して使ってはるらしいんですよ、だったら、こういうのを併用しながらやれば十分対応できるんじゃないでしょうか。この「はやとくん」の使用というのはお認めになっているんでしょうか、みんな使ってはるらしいですけれども。その点、いかがですやろか。
○中山最高裁判所長官代理者 まず、録音反訳方式について種々問題点が指摘されているという御質問でありますけれども、録音反訳方式を利用するに当たりましては、反訳者に対して聞き取りやすい録音を提供するために、特別な録音システムというものを法廷に設けまして明瞭な録音の確保に努めているほか、今御指摘ありましたように、反訳を依頼するためには、証拠調べに立ち会っている書記官が、立ち会いメモ、これは必要に応じて書証とかあるいは準備書面の写しも添付いたしますが、それを作成し、録音テープとともに反訳者に送付して、反訳書の作成に必要な事件情報を提供しているところでございます。
また、この録音反訳方式によって作成された調書はあくまでも書記官の調書でございますので、書記官が必ずそれを自分の責任において考証するということからも、その内容を見ることは当然必要でございます。そのあたりのところは、職員団体の方からも、この録音反訳方式を導入する際に、書記官による検証というものを必ず守ってくれ、入れてくれ、こういうふうにも強く言われているところであり、最高裁としてもそれを当然のこととして受けとめてやっているところでございます。
現実問題として、録音反訳方式でするとそういった正確性が問題になって控訴審等で破られている事象があるかどうかというようなことを見ますると、そういうものはございません。したがって、精度としては非常に良好に推移しているというふうに考えているところであります。
次に、「はやとくん」のことでございますが、これは聴覚障害者の裁判参加に役立っているというようなお話でございますが、この聴覚障害者の方々の裁判参加がどういう場面を想定されているかということによってもこれは大分違うことになります。例えば証人として聴覚障害者の方が来られた場合に、それを「はやとくん」のシステムを使ってディスプレーを見せるということ自体、これは実は通訳ということになるわけでありまして、それは速記官の本来の速記の職務とは別物ということになるわけであります。したがって、そういうものを利用するに当たっても、訴訟法上、そのあたりをどう正確性を担保していくか、だれがそれを見ながらやっていくのか、そういった問題もあるわけでございます。
ただ、「はやとくん」は利用するといたしましても、これも前々からこの法務委員会で御説明申し上げておりますけれども、もともと速記官の制度というものは、昭和三十七年に労働科学研究所というところに最高裁の方から依頼して、どのくらい打鍵ができるかどうかということを調べたことがございました。その結果、週二時間、月八時間ないし十時間しかできないということでありました。そういうようなところを踏まえ、「はやとくん」を使用したときにこういった八時間ないし十時間というものが飛躍的に伸びていくのかどうか、そういったような問題ももちろんあるわけでございますが、その辺については、職員団体あるいは速記官の内部において一致した考えはない、むしろ考え方は相当異なっている、そういう状況にあろうかと思っておりますので、「はやとくん」を入れることによって一遍にいろいろな問題が解決するということにはならないというふうに考えております。
○植田委員 いや、私、後でそれを聞こうと思っていたんですが、まず、実際に六割以上の方が使っておられて、それで、なおかつそうした「はやとくん」の使用について、実際それを導入することが正確な、迅速な裁判につながるかどうかは、それは議論の余地はあるんでしょう、いろいろな見解があるんでしょう。現実問題としてみんな使ってはるということは、とりあえずその使用を黙認なさっているんですか。お使いになる分には結構ですよということで、特に、いいの悪いの、けしからぬのけしからなくないのということは、別に見解としてお持ちじゃないということでいいわけですね。
○中山最高裁判所長官代理者 たしか五八%の速記官の方々から、「はやとくん」を使いたいという、そういったものが当局の方に出されておりまして、それは許可されているということで承知しております。
○植田委員 要するに、六割近く希望して許可されているということは、非常に使い勝手がよくて業務の遂行に資するものだということは、当然その点については認知をされているということですよね。そんな、まずかったらあかんと言えばいい話でしょう。
まあ、一応聞いておきましょう。
○中山最高裁判所長官代理者 最高裁判所として「はやとくん」の有用性をどうこうということではございませんで、本人がそれを使いたい、それが速記、要するに記録を残すという意味で別に支障にはならないということから許可しているものでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/154/0004/15404100004008c.html
○小林(千)委員 それで、実際のこの速記がどのようにとられているかということをお伺いしたいんですけれども、実は、私も初めて、先日、実際に裁判所速記官の皆さんがとられている速記の方法というものを見せていただきました。このように目の前で速記官の方が国会の中でとられている手で書く方式とはちょっと違うようで、速記用のタイプライターみたいなものを打って、言葉をいわば記号化するそうですね。それで、その記号を見てそれを日本語に直す、このようなやり方で裁判所の中の速記方式はとられているというふうに見せていただきました。
この日本語に直す方式なんですけれども、従来は、その打った記号を見て直していたわけなんですけれども、その中で、速記官の方々の努力により、自分たちでソフトをつくり上げた、「はやとくん」という名前らしいんですけれども、これにより、パソコンでその記号というものを日本語にいわば翻訳する、こういった作業をできるようになった、こういったことを速記官の方みずからが自分たちで研究をして新しいソフトを開発したというふうに伺っております。
そして、もう一つは速記用のタイプライターなんですけれども、官から支給されているといいますか指定されているタイプライターではなくて、ステンチュラというアメリカから輸入された機械を使っている。そちらの方の機械は、それぞれの人の手に合わせて微調整ができるようになっている。例えば、打鍵の重さですとか、打ち込む深さですとか、手の体格に合わせた間隔も調整をできるようになっていて、キーのタッチも軽いということで、体にかかる負荷というものは大変少なくなっている。こういったステンチュラという機械と「はやとくん」というソフトを使って速記録をつくられている方が多いというふうに伺いました。
しかしながら、この「はやとくん」というソフトも指定外ソフトということで、この「はやとくん」の研究開発についても、自分たちの勤務時間外の時間を使って、いわばプライベートの時間を使って、仕事に対してのことに時間を費やしている。それにかかるお金もすべて自分たちで自腹を切って行っている。その「はやとくん」も、認められていないソフトなので、支給をされているパソコンにインストールすることができないから、それを使うためには、自分の、私物のパソコンを持ち込んで使わざるを得ない状況になっていると伺っています。
また、そのタイプライター、ステンチュラなんですけれども、これも、アメリカのメーカーで、そこから自分たちで輸入をしている、約四十二万円ぐらいかかると言っていました。四十二万円、仕事のために出費をするんですから、自腹を切って、これは大変大きな負担だと思うんですよ、私は。
このように、自分たちで自助努力をしながら、仕事にかける情熱を持って勤務に当たっている、事務の改善に対して大変大きな努力をなさっていることに対して、私は大きな敬意をあらわさなければいけないと思っているわけなんですけれども、最高裁の方は、何で、とても有用な「はやとくん」ソフトを今インストールすることを認めていないんでしょうか。そして、このような速記官の方々の努力というものをどのように認識されているのでしょうか、お伺いをいたします。
○中山最高裁判所長官代理者 裁判所では、現在、例えば全国の裁判所をつなげるJ・ネットというシステムをつくっておりますし、あるいは全庁でLAN化を進めているところであります。
先般の内閣官房の情報セキュリティ対策推進会議でも、各省庁の情報システムの脆弱性というものが指摘されましたが、その最大の要因は、内部ネットワークに個人用の端末をつないだり、ソフトを入れることにある、そういったところは非常に慎重に考えなければならない、こういうようなところでございました。したがって、今後こういったシステムを全国展開するに当たって、相当慎重な配慮というものをしなければならないのが一つであります。
それからもう一つは、もともと「はやとくん」は、名古屋の遠藤さんという速記官の方が開発されたというものでありますけれども、NECの98のパソコンをベースに最初になされ、その後DOS/V、それからウィンドウズということで、いわばマイクロソフトがいろいろ変えてきた、そこに合わせてOSを合うように変えてきたというわけでありますけれども、裁判所の方も、その間、実は、MS―DOSからウィンドウズ三・一、ウィンドウズ95、98、そして二〇〇〇、XP、このように進んできているわけであります。そういった中にそれまでのOSに基づくものを入れましても、それはなかなか一緒に稼働しないということにもなりますし、また、そのソフト自体をインストールした場合には、そのメンテナンスを一体どうするのか、あるいは、ウイルスチェック等でいろいろ問題が起きてきた、やはりソフトの相性というものがございますから、システムに影響を及ぼしたときにそれはだれが責任を持ってやるのか、こういったところの問題も非常に難しいものがございますので、この辺の保守管理体制が整えられて初めて認められるということになるわけであります。
このようなシステム上の制約から、私用ソフトのインストールについては、これは慎重に対応しなければならないということを御理解いただきたいと考えますが、速記官の執務環境の整備については、職員団体からも非常に強い要求が出てきているところであります。きょうも後ろに私どもの職員団体である全司法の委員長がしかとにらみに来ておりますけれども、そういうような職員団体の意見も十分聞きながら、できる限りの努力をしてまいりたいと考えております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/159/0004/15903120004003c.html
裁判所の職員の中で、速記官の皆さんの問題について質問をいたします。
昨年の質問の際も、今の裁判でも、そして将来の裁判員制度の下でも、速記官の皆さんの技術や意欲を大いに生かすべきだということを求めました。その際に、速記用の反訳ソフト「はやとくん」のインストールを官支給のパソコンにもできるようにするべきだということを求めたんですが、十二月に実現をしたとお聞きをいたしました。その経過について、まず御報告をお願いします。
○最高裁判所長官代理者(園尾隆司君) 通称名「はやとくん」と言われております反訳ソフトは、速記官自身が開発したものですので、これを官支給のパソコンにインストールするには、当該ソフトが裁判所内の標準的なシステム環境に影響を与えないということについて検証を行う必要がございましたが、昨年六月にこの検証を実施するということを決定いたしまして、全国の速記官の意見や執務の実情等を踏まえて検証対象とするソフトを特定いたしました上で、十月に検証実施に着手いたしました。
検証の結果、「はやとくん」ソフトが裁判所の標準的なシステム環境に影響を与えない旨の報告書が提出されまして、インストールについて問題がないということが明らかになりましたので、十二月上旬にそのインストールを許可したものでございます。
○井上哲士君 私、これまでは、この「はやとくん」の有用性について検証すべきだということを質問いたしますと、そういう今おっしゃったようなセキュリティーの問題があるので有用性の検証ができないんだっていう御答弁をいただいてきたんですね。
今の経過でいいますと、セキュリティー等の問題についてのみ検証をしたということになりますと、この有用性っていう問題は、局長は地裁時代にもごらんになっているんだと思いますが、その速さ、正確さっていうことについてはあえて検証するまでもない、有用性が高いと、こういう判断だということでよろしいんでしょうか。
○最高裁判所長官代理者(園尾隆司君) 速記官は、この「はやとくん」ソフトを自ら開発いたしまして、それからその改良ということにつきましても様々な努力を重ねておるというところでございますので、その有用性につきましては、速記官が自らがそのような使用形態を取っておるというところから、言わば外から見て観察をして検討しておるということでございますが、その点も踏まえまして今回のインストール許可ということに踏み切ったというわけでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/162/0003/16203290003007c.html
この法案については、私も昨年もここの委員会でこの法案改正について質問をさせていただきまして、ことしも同じ質問を実はしなければいけません。というところに、毎年やっているところに根本的な問題があるのではないかなというふうに思っているわけでございます。
昨年は、この日切れ法案の中に裁判所法の一部改正というのもありまして、そこの中で裁判所の速記官の方々のあり方というものが問題になっておりました。これは、平成九年のときに裁判所の速記官の養成というのが事実上一時停止というふうになっておりましてから、毎年毎年、この日切れが出てくるたびに法務委員会で議論の種にもなっている問題でございます。
昨年、この質問をして以降、最高裁の方では、速記官の方々が独自に開発をされた反訳ソフトの通称「はやとくん」が、昨年の十二月にインストールが許可されたということを私も速記官の方から伺いまして、本当に速記官の方々の自助努力というものが職場の中で報われたなというふうに、よかったと思っております。
つきましては、昨年質問をいたしました答弁につきまして、何点か確認をしておかなければいけないところがございます。
このように、裁判所速記官の皆様は御自身でさまざまな自助努力をしながら仕事に携わっていらっしゃるわけでございます。そのような速記官の方々の執務環境の整備につきまして、昨年、整備についてはできる限りの努力をしてまいりたいというふうに御答弁をいただきました。昨年から一年間でどのような環境整備が行われたのか、そして、これからどのようにさらに取り組んでいかれる予定なのかを御質問いたします。
○園尾最高裁判所長官代理者 昨年の通常国会において御質問を受けて以後、現在までの間に検討いたしましたことの中で最も大きいのは、ただいま御指摘のありましたいわゆる「はやとくん」ソフトを裁判所の業務用パソコンにインストールすることを許可したことでございます。
「はやとくん」ソフトは、ただいま御指摘のありましたとおり、速記官がみずから開発をしまして、その上に、ステンチュラという機器もみずからの負担で購入をして業務に使っておるということでございまして、これについて裁判所のパソコンで使いたいという強い要望があったわけでございますが、裁判所の業務用システムのソフトに悪影響を与えないことが確認されていないということでそれまでは認めていなかったわけですが、昨年秋に専門業者にソフトを Permalink | 記事への反応(1) | 23:38
娘と名作映画と言われるものを一緒に見たことがなかったので、若干無理やりにだけど、まずは共に「禁じられた遊び」からDVD視聴することにした(ちょっと抵抗されたけど・・・)。
見終わって感じたこと。昔何度か見たのだが、そのときからずっと不思議に思ってきたことが、東日本大震災後に報じられていたあることと符号し、一気に理解できた。
不思議に思ってきたこと。
・なぜポーレット(主人公の女の子)は死んだ父母の元から離れ、その後あまり父母のことを思い出そうとしなかったのか。
・そしてなぜあの動物の埋葬と十字架遊びを繰り返していたのか。
つまり主題である「禁じられた遊び」にどのような意味があったのか。
リンクにあるように、東日本大震災後、子供たちの中で地震ごっこや津波ごっこが執拗に繰り返されたと言う。それは大人の目から見ると、不謹慎な遊びであり、ある意味「禁じられた遊び」である。
これは実は東日本大震災だけでなく、神戸の震災のときにも見られた現象とのこと。
つまり、大人のように理解する枠組みを事前にもたない子供には、事態を身体で理解し受容するまでに、何度か遊びを通じて事象を繰り返す必要があると言う。いわゆるPTSDからの回復過程。
映画「禁じられた遊び」のポーレットもまた、機銃によって目の前で父母を殺されるという事態を受容していく過程として、まずは理解しやすい飼い犬の埋葬からはじめ、動物の埋葬を繰り返す埋葬遊びを通過する必要があったのではないだろうか。そして周囲の大人はそれを理解しなくても、同年代のミッシェル(男の子)はその必要性を感覚として悟り、協力していったのではないだろうか。
そう考えると、最後の最後で「ミッシェル、ミッシェル、ママ!」と冒頭より忘れ去っていた母の存在がようやくポーレットの中で浮かび上がってきた意味がよく分かる。
名作と受け取られる作品はどこか、時代にとらわれない普遍性があるからこそ名作なのかもしれない。
地震ごっこ、津波ごっこなどの子どもの遊びへの対応 その1 http://blog.livedoor.jp/pomr/archives/51870238.html
本題に入る前に少しシリアスな話題があるので聞いてほしい。
男女にイメージについて聞くと面白い。男はほぼ例外なく目を閉じても真っ暗と答え、女は半数がありありとイメージできると答える。これはなぜか?
一方男性率の高い理数系の学部ではイメージを軽視する伝統的風潮が根深い。これはプラトンから来てるのだがな。本質を直観すべきでありイメージなど些末も些末、ゴミクズ同然という考え。対する女性率の高い芸術系の学校ではイメージを尊重する。『脳の右側で描け』に始まるイメ描きの連綿たる伝統があり、ナンシー関の記憶スケッチアカデミーは今や市民権を獲得した。
ここに来て先ほどの問いの答えが見えてくる。性差よりも習慣の問題なのだこれは。そして男である諸君は驚くほどイメージを軽視している。だから真っ暗なのに輪をかけて真っ暗。糅てて加えて真っ暗なのだ。
そこで世の中の男性に活、いや喝を入れようというのが本記事である。シリアスでもなんでもないくだらない前置きは終わりにしてちゃっちゃと本題に入ろう。
煮ても焼いてもまずこれをやりなさいというのがこれ。詰将棋マニアの巷間では「ブラ詰」とも呼ばれる。早い話が目隠し詰将棋である。脳内詰将棋という蔑称、いや別称もある。
こまけーこたーいいとして大切なことだけ言うと、これには2つのスタイルがあって1つがアイマスクをして符号の読み上げを聞くものでこちらが本格的なやり方。(そもそも符号ってなんだよってレベルの人はggるなりしてください)
もう1つが手軽な方法で詰将棋の盤面または印刷された紙を見て5秒で初形と持ち駒を覚えて目を閉じて脳内で解く方法である。ほとんどの人はこっちでやったほうが身のため世のため人のため。最初は詰将棋の入門書をテキトーに購入して1手詰めや3手詰めから始めるとよろしい。
先ほど理数系のイメージ軽視に賽を投げかけたが分かってる人は分かってる。暗算が得意なタイプがそれだ。私は一流大学の数学科を出て現在底辺大学の数学科にいるのでよく分かるが数学畑では手を動かすことをモットーとする物理畑とは正反対に計算が軽視される。しかし一流の世界ともなると話は別でノイマンのような暗算の達人が割といる。数学の天才には二種類いてラマヌジャンのような数覚がずば抜けたタイプは案外少数派なんだ。数論は数学の女王。岡潔も晩年は『情緒と創造』を著している。
底辺大学だと数学は論理の学問といったことを平気で言う先生もいる。論理は当たり前の大前提であり無味乾燥なつまらないものだ。そう世間で計算がつまらないと思われてるのと同じくらいに。実際、数学ではなくコンピュータサイエンスで計算理論を学べば分かるし学ばなくてもある程度想像がつくだろうが論理とは計算であってそれ以外の何者でもない。計算も論理もつまらないそのことには全く同意するが無価値というわけでもない。忘れもしない卒業の日同級生になぜ暗算をするのかと訊かれて私は暗算で扱う数学的対象に親しむためと即答し彼または彼女はもっと早く教えてよと地団駄を踏んでいた。
数学の素養がない人たちへ。最初はアイマスクを着用せずJSやJC(俗に言う小中学生)が学んでいる幾何のパズル問題(『目で解く幾何』シリーズなど)をやり次第に他分野や高校数学や大学数学科の数学や工業系の応用数学に守備を広げる。意識高い系より意識広い系で頼む。
数学科には将棋ならまだしも美術に造詣が深い先生が結構多いがそれに比べて写真芸術に関心のある人は拍子抜けするほど少ないと思う。つまり数学的美と将棋の美はクロスオーバーするが数学的美と写真芸術の美はオーバーラップしないということだということだ。つまり詰将棋と暗算の不足分を補うのにカメラはやはり大事なんだよなあ。
芸術論において言い古された表現だが音楽は音の瞬間の芸術であり写真は光の瞬間の芸術である。だからシャッターチャンスやチラリズムという言葉が端的に表しているのは瞬間性。写真家は人物や風景をとるとき手でフレームを作る。このあたり詳しく書かれた文献が少ないがこの切り取り方には必ず意味がある。単になんとなくバランスがいいからそう切り取るのではない。シャッターチャンスという言葉から誤解されがちだが確かに瞬間のおもしろさを切り取るのが写真芸術であるが決しておもしろい瞬間を切り取るのではない。この違いが大切でおもしろいものはわざわざ写真にしなくてもおもしろいのであって思い出アルバム程度の価値しかなく芸術たりえない。つまりおもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけりで、おもしろさを能動的に発見しそのおもしろさを表現するには今この瞬間しかないしかもこうフレームを切り取るしかないと断言できるのである。そんな見方を学べるのはカメラくらいしかない。数学では学べないし絵画もにているようで全く違う。写実的な絵画であれそこで必要とされるのはある種の演出でありもっと乱暴に言えば捏造であるから、あるがままの良さをうまく切り取って見せる写真的な見方とは根本が違う。
そんな見方を身につけて日常の「あれ」「おや」「あら」「おっ」と思う点が増えるとそれが理解や記憶のフックになる。理解というのは必ず興味から始まるだろう?しかし興味は洪水のように訪れて過ぎ去っていく。つまりアイデアマンはメモして興味を書き留める。だからメモする時間と労力すら惜しいのでだから「これならここが気になる」とフックをつけて興味をブックマークしておくことで未来の理解や記憶のきっかけになる。そういう面白い体験をしているんだよカメラマンという種族は。
以上簡単に見てきたがどれ1つとっても始めたその日から人生を揺るがす劇的な効果があるので試してみてほしい。また6つの方法は相補的な働きをするようチョイスされており、1つでも欠かすのはもったいないので6つ全部試してもらえるともっとうれしい。
ドットインストールなりrailsのチュートリアルなり、golangなりやって見るんだ。
そうやってブートストラップしていくとどう情報を掴んでいけば良いか分かるようになってくる。
とりあえず学部3年なら簡単なTODOリスト管理アプリを作れるぐらいでバイトも普通に見つかるだろう。
それが難しければ、パソコンのサポートなら出来るだろう。なんでも良いからやらせて貰え。
数学は最低、離散数学でブール代数はきちんと練習すること。あと集合。
ハード系だと
の辺りを意識的に取り組んで欲しい。
その他は、
あたりを読んで、分からないところを先生や詳しい同級生に聞く。
あと、5000万行ぐらいのテキストファイルで、マージソートをUNIXのコマンドでやってみるとかお勧め。
ただし、そうやっていく中で、もし「楽しい」と思えない時間が3ヶ月〜半年なり続くようであれば、
適性を求めて (例えば) 経済学部などに行くが良かろう。
その果てにはすべてがあって、回避主義者が失ったものがあるんだろうか
「just the way you are」だなんてお笑い草なのだよ
常に内包的定義によって、トップダウン的に、そして演繹的に定義される
私たちは「私たちは私たちだ」とは言わず、「私たちはコレコレこのように定められた、私たちだ」と述べる
主体的存在を表明されるべき自己主張は、客体的存在を提示する観察所見へと変化する
自分の事はどこまでも「法則や理論で説明可能な、無個性で替えの利くどこかの誰か」としか表現されない
すべてはデジタル符号に置き換えられ、感情も人格も知能も人生も、パロメーターと要素の組み合わせで表現
構成主義者は歓天喜地だよ
ブコメを読んでるとパスワードが本当に公開されているのか疑う声が多かったが、パスワードは確かに公開されている。
こちらの記事は400ブクマ近くついたのにみんな忘れてしまったのか?
●8/27
感染PCを遠隔操作して(プロバイダ名)メールのアカウントを一つ作成し、
これを使って4箇所にメール送信。
遠隔操作事件・真犯人と称する者からのメール全文 2012-10-21 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
よって論点は、これが承諾にあたるか否か、ということになる。
自分は難しいと思うけど、法律の読み方はわからないので詳しい人に任せたい。
の2つがある。
上記のメールアドレスとパスワードはexciteのもので、朝日新聞記者がアクセスしたのもこちらだと思われる。
当該アクセスは、「真犯人」を名乗る人物が送信した犯行声明メールが実際に当該メールアカウントから送信されたものであるかどうか(第三者が犯人になりすまして送った形跡はないか)などを確認するために行った、正当な取材行為です。
報道機関の記者が正当な取材として行った行為は、仮に犯罪の構成要件に該当するとしても、正当な業務行為として違法性を欠き、処罰されないことは判例でも明確に示されています(いわゆる『西山記者事件』での最高裁1978年5月31日決定をご参照下さい)。
ということなので読んでみた。
六 報道機関が公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといつて、直ちに当該行為の違法性が推定されるものではなく、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為である。
確かに同じことが書いてある。
"違法性を欠き"というのは見た目上違法行為であっても違法性がなければ違法行為にはならない、ということだろうか。
報道の自由にはかなりの幅が許されていそうだ。
西山記者事件は次項の、はじめから文書を入手するつもりで既婚の女性事務官と強引に肉体関係を持ったことが悪質とされ、正当な行為ではないとされたようだ。
七 当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為(判文参照)は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである。
パスワードを入手するにあたってしたことは、自分に送られてきたメールを読んだだけ。
そしてそれを使って取材のためにexciteのサーバにアクセス。
この点が西山記者が女性を嵌めたこととは違うよ、と言いたいらしい。
そのため朝日新聞は以下の主張。
まして、当該アクセスは窃盗など不正な手段で当該識別符号を入手したものでも全くなく、正当な業務行為に該当することは明らかです。
パスワードを公開してまで自分がメールを送信したことを証明したがっている犯人。
そのメールアカウントへのアクセスが、"取材対象者の人格を著しく蹂躪"していると言えるかどうか……難しいのではと思う。
理屈は通っていそうだ。
手頃な試験問題がないだろうかと講義名をネットで検索すると、ときどき同じ学科の学生のブログに行き当たることがある。ブログの文章だけで判断してはいけない、そのような判断は間違った思い上がりなのだと自分を制しつつも、こみ上げる嫌悪感を俺はどうしてもとどめることができない。ああ彼は本当に内面の生活というものをもたない人間で、うんざりするほど取るに足りない存在なのだな、と。内省とまるで縁のない、産業社会の権化のような人間に混じって勉強することが耐えがたい屈辱に思えてきて、俺はあらゆるしがらみを振り払って山のなかに逃げ込みたくなる。
『人の顔というのは一種の象形文字であり、はっきりそれと定まった聖なる符号なのだ』とホフマンスタールは言う。それをもじるならば、精神の仕種もまた聖なる符号なのだ。「産業社会の権化」といった。それは確かにロボットではないだろう。『魂がないというふうではけっしてない。また魂の光がきらめくことがじつに稀、というわけでもない』。だがどうだろう。『この人たちは別のことをも口にしうるのではないか、ああ言おうとこう言おうとどうでもいいのではないか』。彼は確かにロボットではない。ところが、精神の仕種が思想に欠けていれば、そこにはもう象形文字の神聖さが失われている。『あのけっして言い表しえない一箇の大いなる背後の思想、人の口から出てくるもののすべてに核を与え、響きを与えるもの、ちょうどつぐみにはつぐみの、豹には豹の声があり、かつその声のうちに言葉はとらええないその存在の本質がすべてあらわれているように、およそ語りなるものを人間の語りへと変える背後の思想は・・・・・・』。精神の仕種を俺は求める。『むしろ、言葉に出すことなくそれを語ってほしいのだ。声の調子が、立っているさまが、顔が、振る舞いや行ないがそれを語るべきなのだ』。ああ、俺はそれを精神の仕種と呼ぶ。
『上下があり、優劣、精粗、左右、賛否があり、市民階級、貴族階級があり、同窓仲間があれば貸借関係がある。だがこれらのいずれにも、真の関係の緊密さが欠けているのだ。』相互の関係でなく、個人内部の関係もまた空転している。ロボットならまだしも歯車があったろう。彼らには歯車がない。『互いを噛み合わせるものがない。何かが欠けているのだ。それを表すべき術語は見つからない』。それが大学という場所なのだ。
人権というのが概念なんだから、人権が天賦のものとしたって、そうでないとしたって、法体系は作れないことはない。
でも、一応は人権は天賦のものという建前で法体系が作られてるので、いまさら天賦人権を否定しちゃうと非常に面倒。
例えるなら、
「いまさらだけど、マイナスとマイナスをかけてプラスになるのって納得いかないから、やめねぇ?」
っていう感じ。
マイナスとマイナスをかけるとマイナスになるとか、マイナスとマイナスをかけるとプラスでもマイナスでもない第三の符号がつくとかいうことに出来なくもない。
そうすると、今あるあらゆる公理公式を見直さないといけない。
繰り返すが、すっげー面倒。
例えば、
「参政権は納税した人だけ与えられる」
としたい場合、
とするほうがスマート。
出来なくはないが、現実的ではない。
渡辺(2012) http://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2012/data/wp12j03.pdf に従うなら、2010年における金利ギャップは1%ほど。(均衡実質金利0%、名目金利0~0.1%、期待インフレ率-1%)
http://f.hatena.ne.jp/perfectspell/20121203151039 のグラフのように実質金利 - 均衡実質金利 = 金利ギャップ なので符号に注意してください。
ただ、均衡実質金利はかなり変動するのでたった今この瞬間だけのものを考えても適切ではなく、ゼロ金利が意図せずに引き締めになったりすることのないように、
均衡実質金利のマイナスを概ねの期間で打ち消すだけのインフレ水準が望ましいことになります。
のグラフに出ているのは、その名の通りさまざまな手法によるものを並べて、最大値・最小値・平均値を求めたもののよう。
その中でBKやHPフィルターを用いた手法は当該期間の日本に適用するには不適切。あくまで工夫した移動平均のようなものなので、
遅い利下げやゼロ金利で実質金利が高どまりしていると均衡実質金利まで高く算出されてしまい、ギャップがゼロに近いことになってしまいます。
Laubach and Williamsを使った 渡辺(2012)などの方が適切です。
より足下まで更新されていることや同じ手法なので比較が可能な米国の値が出ていることを考えれば尚の事です。
それでも問題点に目をつむってグラフの平均値を見れば、バブル崩壊以降の多くの期間に渡って金利ギャップがプラスであることが問題です。
デフレ傾向を食い止めるにはむしろ金利ギャップがマイナスでなければならなかったのを、引き締めを続けたということを表しているのですから。
今の米国の金利ギャップは2%ほどで、日米比較すると日本の方が緩和的という理解でOKですか。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2012/11/post-2757.php の「適正な金利水準はマイナス2%前後」より
記事にある適正な金利水準とは均衡実質金利のことではないので、OKではないです。
失業率が高いため、均衡実質金利より低い実質金利を達成する名目金利が、記事でいう適正な金利水準に当たります。
上の日本の場合で、デフレ傾向を食い止めるにはむしろ金利ギャップがマイナスでなければならなかったと言っているのと同様のことです。
渡辺(2012)にあるように、2010年までにおいてずっと日本の均衡実質金利は米国の均衡実質金利より低いのでそれが今も続いていると考え、インフレ率が米国の方が高いことも踏まえると、
同じゼロ金利であったとしても米国の方が緩和的です。というより、金利だけから判断すれば米国は緩和(3%ほど)な一方、日本は中立または引き締めです。
もっとも、米国より緩和的かどうかをことさら気にする動機が分かりません。仮に米国より緩和的であっても、それが日本経済の状況から見て緩和不足であれば何も望ましくありませんから。
均衡実質金利は、その水準よりも実質金利が高くなれば引き締め、低くなれば緩和という閾値であって、望ましい金利水準を指すものではありません。(経済が適度なインフレ・雇用にある時には望ましい実質金利となります。)
デフレであったり失業率が高かったりした時には緩和的な環境、すなわち実質金利を均衡実質金利よりも低くする必要があります。
均衡実質金利が低いもしくはマイナスで、デフレ期待もしくは非常に低いインフレ期待がある場合には、緩和的な環境そのものを作れず、デフレの中で引き締め環境が続いてしまうことになります。
こういった事態に陥らないようにするためにインフレ期待を少なくとも2~3%まで引き上げるようにする必要があり、現在議論されているインフレ目標などはその一環です。
リア充とコミュ障についての一般的理解についてはすでに得られているものと仮定する。ところでこれは世界一般の傾向とは言いがたい。コミュニケーション力のあるなしは、たしかに社会での成功につながったり、リーダーとして選ばれる資格ではあったりするものの、社会全体を二つに分けたりはしない。同じ趣味を共有する者たちは、リア充であろうとコミュ障であろうと仲良くする。同じようにリア充であっても価値観、例えば政治信条が違うなどすれば必ずしも仲良く話したりはしない。これは西洋社会のことを説明したのだが、アジアや中東やアフリカがそれぞれ違うかもしれないが、いずれにせよ世界で一般的な社会構造とはいえない。
日本での特徴は、コミュニケーション力が高く集団のリーダーになりうる人間に、その他大勢のある程度コミュニケーション力ある人間がコバンザメのように付着し、そしてその外的構造であるコミュニケーション力がかなり低い人間を自分たちの場にいれないように蹴落とそうとするところにあると考える。ある種のコミュ力の低い人間、たとえば極めて知能の高い人間や有名スポーツ選手などはリア充集団に歓迎して迎えられるが、それはリア充集団が彼をどう捉えるかによって決定されている。つまり、社会構造の決定因子はリア充クラスタの集団意思に拠っている。
ここでアニメ・ゲームをはじめとするオタク文化を考察すると、ここは実のところ必ずしもコミュ障 ∋ アニメオタクという符号が成立しないことには、この分野に詳しい諸家はすでにお気づきのことと思う。大方コミュ障はアニメ好きを許容し、リア充はアニメを毛嫌いするような一般的合意があるように思われるものの、その結果としてリア充クラスタにおける「アニメ好き」趣向は、まるで韓国における「親日」と同じレベルのタブー、クラスタからの脱落を意味しかねない極度にセンシティブな因子なのである。かくしてリア充構成員はたとえアニメ好きであったとしてもそれを隠蔽する傾向にあると推察される。一見すると強力に両クラスタ間を分別する因子がオタク文化のように感じられるかもしれないが、実のところ本質的な差異である「コミュニケーション力(あるいは空気を読む力)」に比較するとオタク文化の識別能力はさほど高くない可能性がある。リア充クラスタにおいて本来オタク文化を好む傾向を持つものは、宮崎アニメ好きやゲーム好きなどという仮の衣をまとっていたりすることがあろう。
ここでコミュニケーション力の高い人間の中でもリア充クラスタを引っ張るほどに実力の高いものには、上記のタブー要因が作用しないことにも注意したい。かくしてリア充リーダークラスに認められたオタク文化、例えばゲームであるとか、エヴァンゲリオンなどと言ったものは、一時的ではあってもリア充クラスタに受けいられることはある。しかしその発言権を有するのはリーダークラスだけであって、構成員はたとえエヴァンゲリオンが面白いと感じてもそれを口にだすべきではないわけだ。
もしこれを読むリア充構成員が、そんなことはなくて本質的にアニメなどくだらなくて毛嫌いすべきもの、自分はどこまで言ってもあんなものを理解することはない、と思うとしたらそれは知性のなさを吐露するものと捉えられよう。どんな文化にもその文化の理解と経験からなる文脈的解釈があって、たとえば夏目漱石を読みたいたいならその背景のあの時代の日本の小説文化をわかっていないと凄みがないし、ゴダールを楽しみたいならヌーヴェルバーグについての一定の知識がないと到底わからないだろう。これらのマニアックな趣味ならばこの発言はすぐに受けいられるが、これはたとえばレディー・ガガだって、浜崎あゆみだって、「読モ」だって同じ事だ。「読モ」なんていうのはあからさまに文脈的文化であり、芸能界と大衆一般文化・特に女子高生文化との異常な接近を意味しているに過ぎず、これがたとえば欧米社会に言って受けいられるようなスター性がある人間たちだとは到底思えない。それはしかし逆も真であって、現在の欧米のセレブリティが普遍的価値を持っているわけでもない。さらに欧米であったって、日本のアイドル文化の文脈を理解した者たちは、熱烈にモーニング娘を支持したりする。結局のところ文脈だ。そしてその文脈を理解した時、アニメの面白さというものが血となり肉となって味わうことができるのであるが、アニメの文脈を捉えようとしたことのないリア充が「アニメなんて子供のものでつまらない」と言った時、文脈をきちんと理解した時彼が同じようにつまらないと思うかどうかはわからない。本当はそのアニメの強力な支持者になりうる資質をもっていたかもしれない。
ここでまず第一の議論に入ろう。先日、プリキュア好きのアホな若者が未成年者略取の事件を起こした際、プリキュアを見るような成人男性は幼い女の子を誘拐しかねないから監視すべきかという議論があった。ここで、金銭目的ではない幼女略取事件を起こすための決定要因はロリータ・コンプレックスの存在にあるとする。これはいいだろう。
おそらくコミュ障・ロリコンの人間はプリキュアを見ている。それは否定しがたい。相関も出るだろう。コミュ障でミリタリーが好きな人はエリア88を好むかもしれない、そういった趣味傾向の行先として当然の帰結であろう。しかし、リア充・ロリコンは、上記の社会的プレッシャーによりプリキュア好きを公言しないか、もしくは好まないもののそれは文脈理解の不足によるもので、コミュ障と同じだけのアニメ文化の洗礼を受けた上で見てみると、その人間の本質的な趣向はプリキュアを是とする可能性がある。プリキュア視聴という因子は、リア充でロリコンの人間を識別する能力を全く持たないと考えられる。
そこで、プリキュア視聴の幼女略取事件発生に関する精度が高いためには、コミュ障の条件付けでは相関があるものの、リア充の条件下では相関が出ないと思われることから、そもそも幼女略取を起こすのはコミュ障であってリア充は起こさないかもしくはとても可能性が低いという前提が必要だ。しかしこれは確認されていない思い込みである。過剰な前提である。コミュニケーション力の有無によって幼女性愛傾向が決まるというのは過剰な前提だ。そもそも幼女に話しかけてつれさってどこかで何かしようという行為はコミュニケーションによって成立しているように思われる。
であるから、現在の情報をもとにプリキュア視聴によって幼女略取を推定できると考えられるとは思われない。しかし研究対象としては興味深い。本当にコミュ障でプリキュアを見てという人がほとんど幼女略取事件を起こしているのか、それとも実はリア充で、社会的理由によりプリキュアを見ていない者が、ロリコンなので幼女略取事件を起こすのか。報道などを総合する限りは、野球選手で幼女にイタズラした事件なども含め、必ずしもコミュ障だけがこの手を事件を起こしているとは思われない。私の直感では、「プリキュア視聴」の識別能力はさして高くないものと思われる。私はここでことさらプリキュア好きな人を擁護したいのではなくて、我が子を守ろうという社会的行動にあってプリキュア好きを調査する行為はおそらく無意味であって、それよりももっと他の面を充実させることで犯罪抑制を図ってもらったほうがよいだろうという思いから述べたものである。
次に第二の議論に移りたい。
最初に述べたようにリア充クラスタにおいて、アニメ好きというのは集団からの集中攻撃を受け、個体として排除される可能性を生むほどの強烈なタブー因子である。それでは、人生のある時点においてコミュ障クラスタからリア充クラスタに移動した人間においてはどうであろうか。これは一般には「大学デビュー」などと称される現象として観察されている。
これは私の話である。高校時代はエヴァやガンダムW、3x3アイズやああっ女神さま、ロードス島戦記といったそんな世代だ。コミケは所要で行きそびれたが、今から考えると正解だったか。萌えとかいう言葉はなかった、と思う。大学に入った当初くらいはエスカフローネやウテナを見ようとしていた記憶もある。しかし内容については一切記憶が無い。私は結果として、アニメ好きを決して公言せず、周囲に同調して「この年齢でアニメ見るとかヤバい」「twitterのアニメアイコンキモい」とか言い始めるようなそんな人間になっていた。実際には周囲の人間は、「こいつちょっとオタクくさいよな」とは思っていたかもしれないが、リア充クラスタというものは、大学レベルで就職なども視野に入りポリティカリー・コレクトな発言を志すようになると、「僕はリア充クラスタに入信したいです!過去のことは水に流します」という気持ちでありさえすれば受け入れてくれるものである。そしてなれないおしゃれな服を買ったり、カラオケではやりの曲を歌ったりするのである。高校まではバカにしていたような、軽薄な恋歌を。そうやっていると、「彼女」が得られるのだ。現代日本社会において、古代ローマ帝国における「ローマ市民」を意味する社会階層に移ることができる。
ところで彼女を得たり、彼女を得るための努力をしたりしているうち、軽薄だと思っていた恋愛の歌が、実際に経験してみると自分の気持ちや彼女の気持ちをわりとうまく表現しているということに実感が至り、そうそう軽薄といってバカにすべきものでもないなとも思う。とはいえ思ったこと感じたことを書いただけで、より深い洞察はどこにもないが。ショッピングも、自分がその中で役割を演じる主体となってみると、無駄な時間と思っていたそれがわりと楽しいものと感じる。買ったものが無駄であることに変わりはないが。
結局のところ彼女に最高のプレゼントを購入し、サプライズ込みの記念日を演出する自分がいながら、その傍らでそれを冷めた目で見つめている自分がいる。オタクコミュニティの言説への親和性はその後もずっと高く、それになんとなく寄り添う気持ちは持ち続けている。
ところがだ。たとえばネットで、オタクへの攻撃的言説があったとしよう。両世界を知る人間としては私は言うが、そのほとんどは謂れ無き差別、思い込み、妄想のオンパレードで、リア充側に理があるといったことはほとんどない。実のところ私と同様に二つの世界を移った人間が、コミュ障的世界への決定的決別を宣言するがために、わざと理不尽な攻撃を繰り出しているのではないかと思えるほどである(そもそもネット系ツールで自分の主義主張をかましてしまうような人間が、オタク文化に一度も染まったことがない可能性はどれほどなんだろう。はてなならまずそれはないと言い切れるが、twitterなら真っ当な人間もいるのかもしれない)。ここでわたしは実名世界ならば「まあまあ」といったところでお茶を濁すところだ。一方匿名であれば、コミュ障側への深い理解と共感、リア充の身勝手さへの反感を述べるのである。それができるのがネット世界であった。わたしの年齢だと、大学くらいから徐々に浸透してきたものだ。
ところがそれに対する反応はどうか、「上から目線だ」「こいつオタク装ってオタクじゃねえ(やはり短期間でも離れると会話についていけなくなる世界だ)」「とにかくむかつく」というような、つまり、リア充がリア充そのものの発言をした時よりもよりいっそうの猛烈な反発をくらっちゃったのである。うん。くらっちゃった。僕はコミュ障のオタク達を助けたかっただけなのに・・・
ここでは韓国において、日本のリア充にあたるのが「反日」、コミュ障が「親日」と考えよう。親日っていうのがいるのかいないのかわからないと言われるかもしれないが、私は少なくともそれなりに知っている。しかし強烈なプレッシャーがあり口にだすことができないという。社会で生きていくのに困難さすらともなう、場合によっては転向を要求される、転向しさえすれば許される。これがコミュ障クラスタと似ていないと言えようか。一方、反日クラスタの中では、ちょっと過激すぎて理不尽とも思われるような反日的発言(日本の高校生のバットは圧縮バット、みたいな)が容易に許される、やや知的に劣等な面が見られる。そう、これがリア充クラスタだ。「親日」側は日本の「コミュ障」よりもはるかに強烈に弾圧され法律まで持ちだされて言論封殺されているような環境ではあるが、構造としては似ている。
そこで李大統領は、就任前の経緯や就任当初の発言を見るに基本的には「親日」側の人間であるように思える。韓国政界でもそのように攻撃されていた。であるが、そこは韓国だ。私が実は井上喜久子姉さん(17)が好きなんですーなんて口が裂けても言えないのと同様に、李大統領も本来の親日発言をすることはできないのだろう。した瞬間に引きずり降ろされる。しかしそれでもなんとかしてやりたい。僕はもうアニメ好きには(親日には)決別してしまったように社会的には行動していたとしても、自分は自分として評価されなくてもいい、ただし何か一つでもアニメ好きの人たちが嫌われない、少しでもよく思われるように、こちらがわ(反日側)の内部からそのクラスタを説得できるようなことができないものだろうか・・・
アニメが危険なものだなんて証拠はないって言わなければ(過去の記憶だけにとらわれず前向きに行こう)、でも僕自身はアニメ好きなわけじゃないって付け加えないとねリア充の人たちから疑われるし(従軍慰安婦への謝罪が不十分だ)、あとアニメ好き側の人も振る舞い方を少し気をつけたほうがいいよねって書こう(天皇陛下に来てもらって謝罪をするなど大胆な行動が必要だ)、そうするとリア充側も納得するだろうし・・・
で、もちろんリア充の方に向けて発言してるわけだから、自分はアニメを支持するわけではないっていうニュアンスをちゃんとただよわせなきゃ(来たいなら来ればよい)、そうしないとむしろ自分が攻撃されてしまうしね・・・
それで猛烈な反発を食らってしまった。ほんとは僕はあなた方のために行動したかったのに・・・(日韓関係の専門家を集めて、真意が伝わっていないと不満をもらす)
どうだ、見事にハマっているわけではないか。李大統領はかつてオタク文化にハマったコミュ障住人で、ある時点でリア充クラスタに移ったのだがあの時のオタク文化に恩を返したい、そんな義理堅いやつなんだ。だけどそんなことしてオタク側から猛烈に反発くらっちゃったわけなんだな。
という壮大な妄言はここで終わりです。
めんどくさいなぁ。ちゃんと書いてよ。
http://www.caa.go.jp/representation/pdf/100121premiums_8.pdf
5 前三項の規定にかかわらず、二以上の種類の文字、絵、符号等を表示した符票のうち、
異なる種類の符票の特定の組合せを提示させる方法を用いた懸賞による景品類の提供は、
してはならない。
景品表示法の運用基準の改正に関するパブリックコメントについて
景品類の最高額や総額にかかわらず、提供自体が禁止されています(懸賞景品制限告示第5項)。
http://www.caa.go.jp/representation/pdf/120518premiums_1.pdf
今回の、件に関する政府からの発表に、最高額や総額によらず、カード合わせはダメって書いてあるのに。
そんなこと弁護士が通すわけ無いじゃん。
「1% のガチャを 100 回引いても 36% の人は当たらない」
コンプガチャの確率マジックを中学生にも分かるように説明するよ - てっく煮ブログ
コンプガチャの数理 -コンプに必要な期待回数の計算方法について- - doryokujin's blog
泥沼のような勝算無き懸賞ゲームコンプガチャを科学する - 木走日記
パチンコのはまりと初当たり確率の関係:パチンコ、負けない立ち回りと確率の密接な関係
ソーシャルの実相 やっとゲットしたレアカードに、所有権が存在しないという真実 - 東京のはじっこで愛を叫ぶ
二以上の種類の文字、絵、符号等を表示した符票のうち、異なる種類の符票の特定の組合せを提示させる方法を用いた懸賞による景品類の提供はしてはならない。
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ユーザに錯覚を起こさせて儲けるビジネスのメカニズム - @fromdusktildawnの雑記帳
【漫画つき】コンプガチャだけじゃない。ケータイSNSゲーム課金の仕組み解説 - しっぽのブログ
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第37回:ソーシャルアプリに“アタリショック”は起こるのか?:日経ビジネスオンライン
急成長続けた米ソーシャルゲーム市場に変調の兆し :日本経済新聞
アタリショックの真実(1)「それは暴落から始まった」 - 東京のはじっこで愛を叫ぶ
North American video game crash of 1983 - Wikipedia, the free encyclopedia
アマチュア無線の知識がないので、イマイチ分からなかった点を調べてみた。
あれこれおしゃべりをした後、コールサインを訊かれた。
コールサインってなんじゃらほい?
識別信号(しきべつしんごう)とは、無線局を識別するための、重複しない一意の文字列である。このうち呼出符号(コールサイン、callsign)は符号(文字、数字)の羅列であり、一般的には意味を持つ語とはならないが、アメリカ合衆国などいくつかの国では、放送局の名前としても採用され、運営者の希望に基づく文字列が指定されることもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%98%E5%88%A5%E4%BF%A1%E5%8F%B7
なるほど、一意の文字列って意味ではメールアドレスみたいなものでもあるのね。
あとから調べて知ったことだが、確かに、僕の所属していたクラブは、
かつてQSLカードを出さなかった。
QSLとは?
QSLカードとは、アマチュア無線家が交信したことを証明するため、交信相手に発行するカードのことである。
ああ、なるほどねー。
最初はただのお遊び的な要素だったものが、賞を狙う人たちにとっては重要な要素になってしまったわけだ。
韓国がデフォこいた時にそうなるが、その時には日本を始め世界中が疲弊しまくってWW3開戦前夜状態。心配すべき物事の順序が違う。
「人工衛星を3200回落としたときに、一度だけ、破片が人に当たる」が正解。しかも、怪我をするほど大きな破片が空気抵抗をものともせず猛スピードで当たる確率は、更にどんだけ低くなるんだっけ?
ナイナイの岡村の、ラジオ上での発言。それに"元"フジ社員が同調。他には「フジテレビ所属の誰かが言った」というソース無し。
番組「アイアンシェフ」に関してとの事だが、2ch まとめサイトのタイトルのみ。フジテレビの発言とするソース無し。
映画業界の外にある研究機関による研究。映画業界からの見解ではない。
セキュリティ会社の発表。VisualStudioの有償版は高価で一般人は使わないのは正しい。普段、プログラマは「我々は一般人とは違うから迫害されやすい」とつぶやいている点からも窺える。
逃亡の虞も無いのに逮捕される方が異例。
DLがライセンス違反だとは、Adobeの誰も言ってないし書いてもいない。使用して初めてライセンス違反の可能性が出てくるのみ。
2010年の記事がなぜか2013年に再燃。バカは思考が極端すぎる。しかも当時ジャスラックは「検討中」との姿勢で「twitterは短文投稿だから権利侵害が起きにくい」との配慮か?とすら妄想できる。既存の大量の書籍やブログが利用料を取られてない現実が、バカにはどう見えているんだろうか?
彼は歌い手と言えるほど動画を投稿していない。また、それ以前に別アカウントの人物が同様の趣旨の発言をしており(こちらは真性か?)、彼はそのネタを冗談混じりに膨らませたにすぎない。
旧聞となるが、オーケン事件は本人自らきっぱりと否定。それどころか、つい最近、自作の曲をJASRACに委託し通信カラオケにも配信してもらい、自分でヘビロテして楽曲使用料を詐取していたという事件があった。JASRACは少なくとも委託者が期待する程度には公平である事が分かる。
JASRACが雅楽奏者に「著作権のある曲を演奏しなかったか?」と確認するのは通常業務。雅楽奏者がキレたのは、電話口の対応者の態度が横柄だったから(らしい)。
突然のライブ延期。せっかく完全な善意で宿を借して貰ったくせに行儀の悪かったパーナは確かに実在するらしい。しかし、このように騒いでいた地方出身のパーナは殆ど確認できなかった。むしろ東京に土地勘のあるらしい傍観者たちが「パーナさん、○○駅のレイプ魔に気をつけて!」「パーナさん、××駅の偽警官に気をつけて!」などと騒ぎ立てているばかりだったように思える。
彼らは「本当は判っているが、反論コメントを稼ぐためにわざと間違った事を発言する」みたいな遊びをしているわけではないらしい。本気でこう考えているらしい。
バカ「タッチイベントを拾って.そこからピンチング時の拡大縮小率が拾えるので…」
おれ「今回はどちらかと言うとPCブラウザ向けサービスだよね?」
バカ「」
~ 3日後
バカ「」
~ さらに3日後
バカ「」
/* * ドキュメントに書いてある模擬コード */ function X(start_value, goal_value, step) { current = start_valur; while (current != goal_value) { current = current + step; } }
おれ「stepにマイナスを入れるとアプリが落ちちゃうんだけど」
バカ「ドキュメントを読めば分かると思いますが、current = current + step という式から分かる通り、マイナスは入れられません」
おれ「goal_value < start_value の場合は step にマイナスを入れたくなるよね?内部で符号を補正してるんなら、そう明記しておいてよ」
おれ「」
バカ「3ページ目のデザインを試しに少し変更してクライアントに見せたいんだけど、どれくらいで出来る?」
おれ「数時間程度かな」
バカ「それって 3ページ目だけの見積もり?それとも 4, 8ページ目にも似た部分があるんだけど、それ込みで?」
バカ「仕様の確認なんだけど、ユーザ名に“abcd!”って入力したら弾かれる?」
バカ「“abcd#”って入力したら?」
おれ「(イラッ) チェックにバグが無い限り弾かれるってば。半角英数しか受け付けない仕様だから」
バカ「“abcd$”って入力したら?」
おれ「」