のぞみに乗って快適な移動……のはずだったんだけど、
臭いというものが、今の社会であまりにも軽視されてるように思う。
他人が見たくない物を見せるとか、他人が聞きたくない言葉を聞かせることが
一種の暴力として認識されているのに対して、臭いに関しては不快に
思ってるほうが我慢しろという風潮。
おかしくないですか、これ?
臭いの持ってる暴力性に対して、もっと厳しくなるべきだと思う。
人は臭いで吐き気がしたりめまいがしたり、実際に体調が悪くなるんだよ。
対応策として、例えば悪臭罪を作って、警察官が取り締まってはどうか?
悪臭メーターを作って、特定の物質の数値が一定値を超えてたら罰金刑とか。
何でもいい。悪臭を放った者勝ちの現状を何とかして欲しい。
クッキークリッカーの評判の中で「基本、放置ゲームになるのでつまらん」というのをちらほらみかける。
確かに次のステップに対して「待ち」となることが多いゲームではあるのだけども、
次の手を打つ時の戦略ミスをして「待ち」「放置」になってるような感想もちらほらあるようだ。
クッキークリッカーの序盤に置いて、次のステップに向けてBuidingを買うか買わないかを、より短時間で次のステップに
到達できる条件で決定するには、以下の比較で決定することができる。
次のステップまでの時間(秒) > Buildingの投資回収時間
直感的に当たり前の式であるが、実践ではクッキーに余裕ができるとかたっぱしからBuildingを買ってしまいがちなので、
式をもう少し詳細化すると、
(T - C)/cps > A/p
p:Buildingの生産数/秒
例えば初期状態において、
cps=手動クリックのみで 5cps
カーソル(A=15、p=0.1)、おばあちゃん(A=100,p=0.5)
をどう買うべきかという判断に上記の式を適用すると、
おばあちゃんでは、(500-100)/5=80秒 <200秒
であり、どちらも農場を買うまでは手動クリックを続けたほうが実は早いことがわかる。
(疲れは別にして)
同様に工場(A=3000、p=10)について考えると、
(3000-500)/5 = 500 > 500/2
なので、さすがに農場を買ったほうが早くなることがわかる。
では、もっと農場を買うべきかどうかというと、2つめは高くなり、またcpsが農場分増えるので、
(3000-575)/(5+2)≒346 >575/2=288
3つめは、
(3000-661)/(5+2+2) = 259 < 330
となり、これは回収が間に合わなり、買ってはいけない。
そして、この農場獲得後のcps=9の条件において、今度は工場獲得までに
カーソルの場合は、(3000-100)/9=322秒 >150秒
おばあちゃんでは、(3000-15)/9=331秒 >200秒
と、今度はどちらも「買い」になることがわかります。
もちろん序盤のこのような比較判定は、全体の時間短縮に対してそれほど大きな影響はありませんが、
中盤以降のポータルやタイムマシーンの購入に関しては、意外に買わないほうが結局速い、という
戦略的な「待ち」が優位であることが多いので注意してください。
そしてこれは反物質コンデンサ購入後の各種アップグレードにも似たような評価が
特に、ゴールデンクッキーによるクッキー増量が優位になる状況では、
「次のステップ」というものの効率向上が限定的になり、よって上記の式の適用前提からひっくり返り、
「ゴールデンクッキーの定期的な増量で如何にして総量を短時間で増加させるか」
という変化です。
物静かな子で知的な感じがするけど特別かわいいわけでもない、いわゆる地味子だ
ただ、その子は長い黒髪で髪をかきあげたり、まとめてるのをほどいたりしてファサーってなるときに
http://anond.hatelabo.jp/20130922161319
ありがとうございます。元増田です。
自分の考えを書くことで整理したかったのと、いろんな方からの意見を知ることが出来たら、と思い切って書いてみたのですが、こんなに真摯な助言をいただけるとは予想もしていなかったので、本当に感謝です。
今の会社を選んだ理由は、子育てしながらのんびり働く選択肢も、仕事一筋で働く選択肢もあるな、と思えたからでした。入社時はすぐに結婚して20代のうちに子どもを産む予定でいましたし、実際に結婚するところまではプラン通りだったんですが…人生なかなか思うようにはいかないですね(^^;
ご提示いただいたリンク先は以前に読んだことがあって、そのときは女性側の言い分がもっともだと感じつつ読んでいました。なのでおっしゃるとおり今の会社で管理職を目指すべきなのかもしれません(プロジェクトマネジメントの経験があるので、管理職的な考え方は身についていると思います)。
>大企業では、往々にして、キャリアチェンジさせられるものです
まさにそうなんです。私の理想はある軸となる専門性を持ち、その分野で管理職となることなのですが、実際には3年ごとの異動により軸となる専門性が確立できていません。今の会社は公務員的でリストラの可能性は低いのですが、もしそうなった時にほんとに使えない人材になりそうな気がしています。
ブコメで多くの方が書いているように、ぬるま湯につかりすぎている、決断が遅すぎるのはもっともだと思います。よく考えて自分なりの決断をしたいと思います。ありがとうございました!
養子をとるのは駄目なのか?
ある時、イエスがfacebookを眺めていると、子持ちの夫婦が炎上していた。
なぜこんなことをしているのかと、イエスが増田の一人に問うと、
「こいつらは我が子の写真をアップして我々を不愉快にさせたからだ」と答えた。
「ならばしかたがない。続けなさい」
そしてこう続けた。
「ただし、一度も他人を不愉快にさせたことのない正しき者だけが、この者らを炎上させなさい」
増田達は自分が生まれてこの方他人に不愉快な思いをさせた事など一度も無いはずだと思っていたので、そのままイエスと一緒に炎上させ続けた。
夜なのがいけないのか、独りなのがいけないのか、暗いのがいけないのか、
こんな気持ちになるのは。
自分がいけなかったのだけは確か。
普段は、しまっておいてあるはずの後悔とか後悔とか後悔が溢れてくる。
タブレットの明かりが顔を照らしている。
きっと醜い顔をしている。
現代の人類も、理不尽な不規則変化など言語の学習を困難にしている仕様は直していったらいいんじゃないかと思うんだが、近代は教育が整備されすぎたせいか、今のおかしな仕様を「正しい言語」としてfixさせてしまってる感があるな。
前にも似たようなことを書いたが特に反応がなく、賛同してくれる人はいないのかな。
プログラミング言語は書きやすい、覚えやすい、使いやすいように改良され続けているわけだが、同じようなことを自然言語でもやるべきだ。うまくやればきっと無視できない恩恵を人類にもたらすだろう。
FBにあげられてる子育ての写真を見せつけられるのが異常にツライんだけど
あれってハラスメントにはならないの?
もちろん写真をあげてる当人に悪気がないのは分かるんだけど
赤ん坊が寝てる写真とかさ、パパと顔がそっくりだとかさ、運動会で頑張ったとかさ、
どうでもいいんですよ、こっちは
だからといって、他人様のご家庭を妬むのもおかしな話なのは分かってるって
自分の生き方に問題があったから、この幸せを見せつけられてるの?
と、誰かに責められて、怒られて、自分の責任を探す毎日なわけですよ
そのうち慣れるかなと思ったけど、全然慣れない。つらい
[追記]
直接、文句は言わないようにガマンしてる(というか文句を言えることでもない)けど、
そうか、繊細チンピラなのか・・・チンピラ・・・写真見るのツライだけでチンピラなんですね・・・
FBは、
何れかの自分に会うことができれば全力で「止めとけ」ってアドバイスします
非表示にもしづらいし、退会すれば「なんで?」と聞かれるでしょうし。
10年前、中学生だった僕はひとりの女の子に恋をした。それほど高くない僕の背丈よりもさらに低く、大きな瞳と笑うと大きくなる口角が魅力的な、あどけない女の子。それほど勉強熱心ではないようだったけれど、授業中、寝起きざまのぼんやりとした顔にカーテンで遮られていた日の光が当たるたび、白い肌が内側から光るように透き通っていて、とても綺麗だったことを思い出す。
高校に進学し、僕は進学校へ、彼女は公立の高校へ。交流は皆無となり、僕自身「高校からは新しい恋愛を始めよう」と思った。実際、3年の間、素敵だと思える女性に好意を抱いたりもした。けれど、あの頃の彼女の面影をふと思い出しては、彼女に勝るほどのひとではない、と半ば諦めのような気持ちが残っていた。そうして、気がつくと僕は卒業していた。
高校2年生のとき、一度だけ彼女に出会った。部活の帰り道、仲間と偶然寄った公園に彼女はいた。当時とほとんど変わらない面影のまま、彼女と同じ制服を着た女の子と楽しそうに話す姿を見つけた。彼女について時折話していた高校からの友人に促され、話しかける。今となってはその言葉のひとつひとつはまるで思い出せないけれど。恐らくはまるでスマートさのかけらもない、不器用な言葉だったろうと思う。けれど、相手に不快感を与えないよう、最低限配慮するような。
金属製の冷たいベンチの端に僕は腰掛けたけれど、彼女は斜め前に立ったまま僕と話した。ひとひとりぶんのスペースを隣に空けたまま、僕はやんわりと「今から起こることは僕の望むものとはならないだろう」と予想していた。予防線を張り巡らせ、必死に自分が傷つかないよう注意を払っていたにも関わらず、交際中の彼氏の話に話題が及ぶと、耐えきれなくなった僕は、まあ、そうだよねという言葉と苦笑いを残してその場を逃げるように立ち去った。帰り道、MDプレイヤーから流れる失恋ソングは今までとまるで別物のように聞こえた。僕のことを歌っていたわけではないのに、気づけば歌詞の中の「僕」は僕で、「君」は彼女になっていた。
それからというもの、地元を離れ地方の大学に進学し、就職した今なお、特定の女性と深く付き合うことは無い。ラブソングを口ずさむたび、「君」は存在しない。まるで空っぽのまま音程をずらさないようにして歌う僕を、上手だと褒める誰かに曖昧な笑顔を返すだけ。「いつか大切な誰かに巡り会う」ことをかつての友人が僕に説く。彼の結婚式の様子をふと思い出し、そうかもしれないね、と短く返答する。幸せに満ち足りた友人のいくつかの顔をぼんやりと思い出し、「彼女でない誰か」と微笑みながら式に臨む僕を想像してみる。そのとき、僕の初恋は完結してくれているだろうか、と。「彼女でない誰か」を大切にしているだろうか、と。
オンラインノート、クラウドノートとでも言えば良いのかEvernoteに代表されるWebと連携したノートサービス。
スマホとかを使い外出先でポツポツと記事を書いていくこともできるし自宅に帰ってハードウェアキーボードでガガッと書くことも出来る。
元々ノートに色々なことを書くクセのある俺にとっては無くてはならないサービスの1つだ。
しかしリアルノートを使う俺であってもEvernoteは高機能過ぎる。
SHOTNOTEが無ければ使わないと断言するほど高機能過ぎる。
Webページとかそんなに保存しないっすよ。あとで読むならPocketとか使うし・・・。
個人的にちょうど良いなって感じるのはGoogleKeepだ。
タスクスケジューラにもなるし画像も保存しておけるしこれ以上の機能は特に必要ない。
HTMLで保存できるって言ったってそれやるならMarkdown使うわと。
唯一の懸念はいつサービスが停止されるかわからんってことだなw
あのGoogleReaderでさえ停止したんだからGoogleは容赦なく切る。
ていうかGoogleKeepってオンラインノートっていうよりも高機能タスクスケジューラだわ。
競合するのってGoogleCalendarとかGoogleTasksとかiOSリマンダーとかだわ。使っているうちに気がついた。
一時期Evernoteとの比較が取られていたけれどEvernoteとは競合しない気がする。
もちろんSHOTNOTEがGoogleKeepに対応したら俺は飛んで喜ぶけれども。
SHOTNOTEの紙質はクソだってことだ
俺は今タブ閉じた!閉じたぞ!!!!
主語は大きくしないといらない争いを生み人を傷つける 「名指しdis」というのはそれがペンネームであっても一種の〇〇
「希望」「夢」は「普通」の人々しか持てないしろ物 知能的にそういう望みが持てない人達も居るということを「普通」の人は直ぐに忘れる
連休中の仕事が終わって帰って布団で大の字のポーズ 貧血気味で血が足りない
増田に書きたくなるような何か不満があったような気もするけどお気に入りの音楽聴いてたら忘れた
平台にテーブルクロスと電気ポット、茶器と茶竺、茶筅を置いて茶道以外の趣味の集いで形に捕らわれず
直ぐに来た人のためにお茶を立てられるようにしているイベントを通りすがりに見てハートの中ではてなスター付けた
そういう集いだと和服も自然体で様になる 今夜も月が出ているなら窓辺にお茶を置き月を眺めタブレットで増田を読みながら
心の中で好きな歌を歌いながら寝る
ブサイクな彼女/嫁を持っている人はそういう過程を経てブサイクと付き合っていったのね。
大変失礼な話だが、好きになった相手はとんでもなくブサイクだ。
顔について言うと褒められるパーツが1つもなく、構成もひどい。
ルックスで唯一褒められるところといったら、太っていないということだけだろうか。
元々仲は良かったが、何かのきっかけで二人で飲みに行った。
それがすごく楽しくて、飲んでる途中で次の約束を取り付けた。
相手も嫌ではないらしく、心良く付き合ってくれる。
もうかれこれ3週連続で飲み行ってるが、
最初は仲の良い友だち的な感じで楽しんでいたのだが、
そのうち少し「付き合いたい」と思うようになってきた。
ただ相手に対して性欲がわかない。SEXしたいと思わない。
ただ「一緒にいたい」と思うだけだ。
「付き合ってください」と言ったらいけそうな気がするが、
一旦来週は一緒に飲みに行く約束がなくなった。
今後この上司とどう付き合っていくべきか迷っている。
仕事に集中できない。
お泊り会でキャッキャウフフ回かとおもいきやまさかのありす回。
お嬢様キャラで、でもでしゃばらないでほかのメンバーを一歩後ろから見ていて、髪型のお団子ヘアがとぐろうんこの子。
よつばありすちゃん。
そんな子だからこれまでのお話の中でも特にフィーチャーされることは少なかった。
怒ったらこわい、何するかわからないとか、友達をバカにされると怒るとかそれくらいしかなかった。
実際、最初はキレるのを怖がってプリキュアにはなりたがらなかったくらい。
あとお嬢様キャラ特有のちょっとした常識はずれ的な行動をするとかでちょっと目立つくらいか。
でも製作者はちゃんと見せ場を用意してくれてた。
俺のようにひだまりポカポカ♪(俺の心もポカポカ♪)キュアロゼッタ!を毎週心待ちにしている人間のことも考えてくれていた。
ありすちゃんは小さいころ身体が弱くて、いつも大きなお屋敷の中でひとりぼっちだった。
そんな環境にいたら身体上の健康にはいいのかもしれないけど、精神上の健康にはいいはずがない。
でもマナと六花と出会って友達と遊ぶ楽しさを知った。友達がいるうれしさを知った。友達から元気をもらった。友達が困っていたら力になりたいと思うのが普通だというマナに目を開かれる思いがした。そしてマナのようになりたい、誰かの喜ぶ顔が見たいから、世界中を笑顔で、愛でいっぱいにしたいと決心できた。
そうやってありすちゃんは自分を確立できたんだ、とすごく伝わってきたよ。
余談だけど小さいときはとぐろうんこが一段だけだったね。あのままでもよかったのに二段おだんごにしたらうんこに見えちゃうから気をつけてね。
ありすちゃんのお父様が理解ある父親でよかった。
弱冠中学生にしてここまで自分の芯を持った子になれた、その根っこの部分を見ることができて、本当によかった。
このままマナたちと友達でいれば、いっしょにいればありすちゃんは大丈夫だね。
そんでアクションシーンがこれまたすごい。
ド派手なミサイル乱発シーンとそれをかいくぐる華麗な動きとダイナミックなカメラワーク。
これまでの肉弾戦メインとは一味違う制作スタッフの気合がビンビンに伝わってきて興奮不可避。
そしてロゼッタリフレクションの盾が割られたらいつも負けフラグで役立たずっぽかったのに、今回は違った。
なんと割られた盾を鉄扇のように両手持ちして果敢に攻め続ける。もうありすちゃん、いやキュアロゼッタの独擅場。
そこのBGMも自然と鳥肌がたつような、勝ちフラグビンビンに感じさせるいい音楽なんだよね。音楽の力による演出もやっぱりすごいなあとおもったよ。
番外だけど、出落ちのマナの顔ドアップも思わず噴き出す可愛さだし、その後にちゅーっとキスっぽくいたずらチックに六花の肩を組むマナをちょっと不機嫌そうに見ているまこぴーもいいね!
おっとりしたランスちゃんとの相性もばっちりで見ていて始終顔が緩みっぱなしの30分。
いやもう、小ネタ小技を含めて、コンテ、演出、原画、動画、脚本、音楽すべてが素晴らしかった。
そんなもろもろの最後に、新しい決めゼリフ「あなたも私と、愛を育んでくださいな♪」なんて言われたら、視聴者はみな即答で頷かざるを得ないだろう。
最後に声を大にして言いたい。