はてなキーワード: 文化財とは
宇治市(うじし)は、京都府の南部に位置する市。世界遺産ともなっている平等院、宇治上神社等の文化財や宇治茶等の特産品で
知られる。西側に巨椋池干拓地があり、現在は農地と住宅街になっている。京都府内では京都市に次ぐ人口を有する都市である。
宇治茶の産地であることから、公立の小中学校ではそれにちなんだ地域教育が実施されている。
なぜニッポンから「腰巻きビル」は無くならないか - Togetterまとめ
このような建築様式を「腰巻きビル」と呼ぶのが一般的なのかどうか分からないのですが、日本国外にまったく例がないわけではありません。
Norman FosterによるHearst Tower (2006) というビルがありまして、これはたくさん賞を獲ったのですね。
マンハッタンのシアターディストリクトとヘルズキッチンの境界、コロンバスサークルから8番街を少し南下したところにあります。
Hearst Tower, New York City | Foster + Partners
何が評価されたのかというと…
要するに、懐古と復興の共存であり、過去と未来の架橋であり、そうなるべき文脈と必然性があったのです。
その観点で言うならば、日本の「腰巻きビル」にも同様の経緯を経たものが少なくないのは周知の通り。
これは歴史建築物を保全する取り組みとして、きわめて先進的であったと言えるのではないでしょうか?
文化財保護の必要性と、都市計画上の要請と、構造設計上の制約、これらの折衷案が「腰巻きビル」であるとしたら、なかなか面白い建築群なんじゃないかと思います。
そういう背景があるとしたら、ですが。
1935年、無断で日本に持ち出される…所蔵者を説得して韓国へ
朝鮮の石造の品が人気だった植民地時代…違法な持ち出しの規模は把握されず
1935年11月26日、東京・上野公園で大規模な展覧会が開かれた。
日本・朝鮮の陶磁器や木製の器具など2500点、石造の品100点、織物350点が展示された。
見事な美術品の間でひときわ目立ったのが、朝鮮から渡ってきたさまざまな石造の品。
高さ2.9メートルもある「新羅三層石塔」をはじめ、朝鮮の石灯、小型石塔、石人などが人気を集めた。
世界的な骨董(こっとう)商だった山中商会が主催したこの展示は、実は売るために物を並べた競売展だった。
山中商会は図録で「数年にわたって収集した朝鮮古代の各種石造物を展示し、見どころを豊かにした」と宣伝した。
最初の二日間はVIPを招待し、続く三日間は一般に公開、ほとんどの品を売り切った。
威風堂々たる「新羅三層石塔」は11月28日、ある日本人コレクターに売られた。
そのコレクターは、佐賀にある邸宅の庭園に石塔を運び、生涯これを鑑賞した。
当時一緒に購入された朝鮮の石灯や石人などは、駐車場などあちこちを飾った。
植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。
学古斎ギャラリーの禹燦奎(ウ・チャンギュ)代表は「10年かけて日本人の所蔵者を説得した末に購入し、昨年11月に韓国へ持ってきた」と語った。
石塔を研究している檀国大学のパク・キョンシク石宙善記念博物館長は「新羅の塔と誤認されたが、新羅塔の様式を継承した高麗初期の石塔。堂々としていて素晴らしい比例の美が際立ち、新羅から高麗に至る過渡期的な建築様式が生きている秀作」と語った。
朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。
『石造文化財、その受難の歴史』の著者、チョン・ギュホン氏は「朝鮮において塔や仏塔は宗教的な意味合いが強い上、村の象徴などとして尊ばれており、個人の所有物だとは考えられなかった」と語った。
また、石塔を研究しているシン・ヨンチョル梁山市立博物館長は「贈り物としても数多く海を渡った仏像・仏画とは異なり、日本にある韓国の石造の品のほとんどは、植民地時代に違法に持ち出されたもの」と語った。
当時、日本では朝鮮の石造の品を「観賞用」として購入し、庭園に据えることが流行した。
石造りの物への需要が爆発的に増えたことを受け、士大夫(知識人・官僚階級)の墓にある「魂遊石」まで持ち出したという。
1933年11月に大阪で開かれた山中商会主催の競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。
現在、日本に韓国の石塔がどれだけあるのかについては、おおまかな数字を把握することも困難だ。
1965年の「文化財および文化協力に関する協定」で返還された文化財の中に石塔類が含まれなかったのも、ほとんどが個人の所有だったから。戻ってきた「高麗三層石塔」は現在、ソウル市昭格洞の学古斎新館横に立っている。
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=023&aid=0003148851
>>1933年11月に大阪で開かれた山中商会主催の競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。
鎌倉の町で最も醜悪な歴史遺物は、鎌倉駅西口にあるウォーナー博士への感謝碑だろう。
連合軍は文化財保存に留意して、京都や鎌倉などの古都への爆撃を控えた ― 今もってこれを信じている人は多いが、具体的にそれを進言したのがウォーナー博士だとされている。この「都市伝説」は、吉田守男氏の研究によって事実ではないことが既に明らかにされている。
京都や鎌倉が大規模空襲に遭わなかったのは(必ずしも空襲が無かったわけではなかった)、原爆投下予定地として残されていたり、軍事施設がないため空襲候補リストの下位にランクされていたためであった。
なぜそのような都市伝説が広がったのか。直接的には1945年11月11日の朝日新聞の記事に由来している。朝日新聞はこの記事をどういう根拠で書いたのだろうか。
GHQによる対日工作の一環と見るのが文脈的には妥当だが、そうではないのだとしても連合軍は積極的には否定も肯定もしなかった。鎌倉だけではなく奈良など全国にあるウォーナー顕彰碑は日本側の有力者が建立に尽力している。鎌倉の碑については吉田茂元首相も関与したようだ。
ウォーナー博士自身は繰り返しそのような事実はない、自分はそういうことには関わっていないと明言していたが、「謙虚な人柄」と解釈されてその言い分は無視されてしまったようだ。
GHQの思惑は別にして、この伝説が日本側で相応に受け入れられたのは、二つの要因が重なっているように思われる。
ひとつには「東洋のスイス」を理想像とする戦後の社会主義左翼の「非武装中立論」に合致していたこと。軍備ではなく文化に力を入れれば、襲ってくる野蛮人などいないという、非現実的なある種の選民思想である。スイスでさえ行っていない非武装中立という絵空事を強化する例として、文化の力、というものが過剰に喧伝されたものである。
もう一つの要因は、京都や奈良、鎌倉に在住する人々の選民思想を刺激したことだと考える。
文化財があるから鎌倉を爆撃してはいけないという考えは逆に言えば文化財など無い、貧民が住む沿岸の工業地帯などは爆撃されても構わないという考えと紙一重であるし、人によってはほとんどイコールであった。とにかく連合軍は無差別に何百万人という非戦闘員を虐殺したのである。その事実を前にして、自分たちの居住区は文化財があったから爆撃されなかった、ありがとう、と言ってしまえる神経が醜悪でないのだとしたら、いったい何が醜悪なのか。
この意味において私はあの碑をこのうえなく醜悪なものだ、というのである。
あれは我が国の、文化人と呼ばれる人たちの程度の低さ、無責任体質、奢り切った選民思想の結晶そのものである。それらは軍部の上層部にあってはこの国をいったんは滅ぼす要因になったが、それは軍部のみにあったのではなかった。
徹底してものを考えない、いや、徹底してものを考えるという行為をポーズにして自らの装飾にすることにしか関心のない「指導者層」は左翼の中にも、むしろ左翼の中に顕著に存在するものだった。
ウォーナー博士はそう言う人々とはまるで違う、知的に誠実な人だったので、顕彰碑は彼に対する侮辱であるし、我々にとっては恥そのものである。
だが、だからこそ、あの碑は我々の愚かさ、傲慢さの証拠として残しておくべきである。鎌倉と言う町の、底音部に流れる奇怪さが具現化したものとして。
気になる異性の秘密を知って動揺する女の子。どちらも夏の坂のある街が舞台。
真琴と千昭以外の人が止まっている博物館のシーンは、日中なのに誰もがシエスタしていて誰もいないスペインの街とかぶる。
余談だけどラストのナージャの表情はどう見てもヤッた後の貌だった。
一作品に一下ねたの源流かも。
どちらも「2つの生き方が提示されている。どちらを選ぶか?」というテーマ。
また、人と人でないもののギャップや疎外感が作品の下敷きになっているのも共通している。
少々強引だがガラス作りを通して未来の生き方を知るどれみと、田舎暮らしを経て雨の生き方を受け入れる花の姿も似ているかも。
余談だが、この話では最後にどれみは未来さんに着いてく決断をしたと個人的には思っていて、
そういう「卒業すべきとされる世界」から卒業しない生き方もあるんじゃないかというのは細田氏のテーマの1つに感じられる。
ただ主要人物がケモノオンリーであったり、ファンタジー+バトル物であったり絵面的には共通性がある。
37話では同ポや、広角レンズを使った演出、キャラを画面の端に置く……などの細田守の作風が既に確立されているのでファンは要チェック。
27話はバケモノの子後半で重要アイテムとなった白鯨がモチーフの話で、氏のコンテデビュー作。これは監督も間違いなく意識しているハズ。
その白鯨に自分の姿を見いだして倒す訳だから、やっぱりバケモノの子は細田氏にとっての自分殺しでもあるんだなあ。
これは常識だね。
産婦人科関連のツイートを見て色々思ったことがある。とはいえ考古学を学ぶしがない軟弱大学生が書き殴ってるだけなので便所の落書き感覚でさらっと流してほしい。
まず、考古学業界は超男社会である(と私は思っている)。某市の文化財課は「女子学生どう?」という問いに「女か~」と答えるし、数年前卒業した女性の先輩は女子トイレの無い職場に就職した。
専門職だしそんなもんだよな~と思いつつも、心のどこかで「男女平等とはなんだったんだ」と思う気持ちもある。数でいえば女性研究者も増えているはずだし、別に女だからすごいセクハラを受けたりいじめぬかれるという話でもないので、結局甘ったれの意見だよな~でもな~とモヤモヤしている。
考古学の発掘調査は山の中やド田舎の畑で行われることも多い。民宿なんかに何週間か泊まって、毎日現場と宿の行き来をする。風呂トイレ洗濯機共同で自炊。部屋に鍵はないし、男子部屋との区切りは襖一枚とかの世界なのでプライバシーも糞もない。1週間もすると(軟弱な学生なので)みんな疲れ切った顔でぼーっとしてくる。
しかしそこはいい。都会のキラキラした女子大の学生とかおしとやかなお嬢さんとかが聞いたらドン引きな環境なんだろうけれど、その辺は覚悟していってる部分だし、良い意味で男女を意識することなく過ごせた。少なくとも私は。
問題は現場でのことである。トイレの話である。こういう山の中にトイレがあるわけもなく、お昼に一回トイレ休憩で街に降りて行くのが多かった。そういう時女子学生が大変なのが生理である。気合で止まるものでもないので、突然来るともー本当に地獄である。
ある調査での移動中、女性が突然ひどい生理になってしまったことがある。これはまずいと思って「どこかにコンビニか薬局ありませんか」と先生に尋ねたら、先生は少しむっとした顔で「そんなとこに行ってどうするの」と言う。20歳前の小娘はちょっと躊躇した。生理です、とはっきり言っていいものか。しかも自分じゃないし。でも女性は横でうんうん呻いている。悩む内に「そんな暇は無いよ」とお言葉。いやいや緊急事態なんだけど。さすがに下半身血まみれで土掘れとは言えないので、「生理になってしまって…」と小声で言った。先生が若干ばつの悪そうな顔で「わかった」と進路を変えた。優しい人で助かったと思った。
これがまず若干モヤモヤ。女性から男性に「急に生理来ちゃったのでちょっとトイレorコンビニ寄ってもらっていいですか」とは言い辛いよな~でも男性に察して下さいなんて言えないしな~と。自己管理ちゃんとしとけば対応できたのかな~でもいつもと全く違う環境で突然来られたらどうすりゃいいんだろうな~と。モヤモヤは尽きない。
他にもある。ある先生がしみじみと「やっぱり調査やってても、女性がきちんと身づくろいできる時間とか確保しないと、この業界に中々女性は来ないよな~」と言った。いやそうなんだけど!と心の中でツッコミを入れたけど、それはちょっと違うとは言えなかった。
そうだよな~若い女の子が髪ボサボサ汗ドロドロで土掘ってんのは多少気になるんだろうな~でも私たち(女子学生)が気にしてんのはそこじゃないんだよな~とモヤモヤ。
大自然にあえて突っ込んでいくわけなので、見た目とかはそんなに気にしてない。というか気にしてる場合ではない、という状況にはもうとっくに折り合いをつけてる。(もちろん普段はおしゃれとかするよ)
そこでフラッシュバックするのはやっぱり「生理」の問題である。他の学生がどうかは知らないが、私は泊りがけの調査で一番気にするのがここである。
環境の変化に弱いのか、毎回調査中に周期が狂う。そして突然来る。そして困る。こちらとしてももう大体分かってて、作業着が真っ赤だYO!みたいな惨事はギリギリ防げるのだが、体調はどうしてもそれなりにキツイ。
私はそんなに重くない方なのでまだ良いのだが、これでもう毎回貧血でふらっふらでトイレには1時間に1回行かないと大変なことになります、みたいな女性だったら大変だろうな、どうするんだろうな、とモヤモヤ。
でもこれって男女間で折り合いつけるのものすごい難しい問題なんだよなあと思う。「生理」って女性の領域というか、男性はそれについて知ってはいけないみたいな雰囲気あるんじゃないだろうか。そりゃ詳しく知らないし、知りたくないだろうし、知ることできないだろうな~。女性の内臓がない男性に「生理」で困ること説明しようとするとものすごい大変だろうな~。女性も嫌だろうしな~。
だって「生理中なので、頭痛と吐き気と腹痛を抱えています。薬を飲んでもあまり軽減されません。出血量がひどいので、1時間に1度トイレに行くことを許可してください」とか言えない気がする。私は何か言えない。それはダメなんじゃないか、と尻込みしてしまう。
つまるところ、こういうモヤモヤを抱えながら男社会で生きてくのか~と思うと、他の人どうしてるんだろ~と私どうやって生理と付き合ってくんだろ~とか色々考える。
私は生理不順にあまり悩まされてこなかったので、婦人科系の知識には疎い。ので、詳しい人からするとこういう手があんだよ!とか甘ったれてんな!とかあると思う。男社会で生きてくってのはこんな細かいこと気にしないってことなんだよ!甘ったれんな!という意見もあると思う。
そりゃあそうだよな~と思うしかない。私は甘ったれの自覚があるのでうんうんとうなずくだけである。でも、こういう話はネットに書き殴るくらいしか発散できない(というか私がそういうタイプな)ので、細々と書かせてもらった。
男社会で生きている素敵な女性たち、もしこのグダグダな文章を見て何か思うことがあったら是非教えてほしいな~と思う。割と切実に。
追記
考えてみれば考古学業界全体がそういう傾向って話でもないのでちょっと修正しました。
追記2
かなりブクマが増えてて焦った。こんなにシモの話をぶちまけて良かったのか悩んだけどみなさん色々思うところがあるのですね。ここまできたら細かく解説する勢いで行こう。
この話は女性同士だから分かり合えるって話でもないのかもなあ。下手したら生理の軽い人がすっごい重い人見て「私は平気なんだから寝込むほどつらいわけないでしょ」てなことにもなりかねないというか。
調査行くときは大荷物ですが、ほとんどは宿に置いている訳ですよ。山の上のだと、かなり険しい道のりだったりするので。生理用品持ってけるだけ持ってくけど、危うい時も多々あるんですよね~(そもそもトイレ無い。なので茂みで…)
ぶっちゃけた話すると動くと出る。ドバっと。長時間用の当ててもダメだったって人もいました。個人差がある話なので難しいですね。ピルも体質とかあるし、私はよく知らないのですがすぐもらって飲めるんでしょうか。(無知ですみません)
これに関しては研究室の備品に組み込むのが一番スムーズな気がしますね。渓流釣りが趣味の方、とっても参考になりました。ありがとうございます。
そして男性の方からもコメントあってびっくり。生理について配慮というかちょっと頭の片隅においてもらえるだけで大分助かります。女性にはそういうめんどくさいイベント(めんどくさいけど子供を産むためには大事な生理現象なんですよね)がほぼ月1でやってきて、人によっては中々大変なこともあるらしい~くらいの認識で。可能性の一つとしてあるだけで少し違うのでは。(男性もびっくりしない、女性もそれ見て焦らない的な意味で)もちろん女性も伝える努力いると思います。
でも生理についてどこまでぶっちゃけられるかも人によって差がありますしね。男女問わず口に出すのすら恥ずかしいって人もいるだろうな~
生理について考えると男女平等ってなんじゃい、って気分になる。あくまで私の周辺でのイメージなだけで、社会は思ったより男女平等かもしれないが。(所詮社会を知らない学生の考えることなので)
どうも男社会に入って働くためには、髪の毛もぐりぐりに短くして(長い髪って色々大変なんですな、洗髪とか)、もりもり力仕事に励んで、タフで、生理?なんぼのもんじゃい!ガハハ!みたいに変わらないとダメなのかな~というイメージが抜けない。(多分あんまり女性研究者に会ったことがないせいかもしれない。男社会で頑張る素敵な女性たち勝手なイメージごめんなさい)
でも実際問題、体格・筋肉量・生理等々の根性と工夫でどうにもならない部分はどう折り合いを付けてるのか非常に気になる所。男性から見たらマイナス要素しかないよな~私もマイナス要素になるってこと分かってるしな~
もう女性いらない!って決めた職場は女性取らない方がいいんじゃないか?と思うことすらある。変に男女平等を意識して採用して、男女どっちも辛くなったりイライラギスギスするのであればその方がいいのでは?世の中に逆行することかもしれないけどね~
これは女性側の話だけど、女性社会で働いてる男性(保育士さんとか?)もかなり大変らしい。男女平等っていうけど生々しい部分にスポット当てると簡単な話じゃなさそうだ。
追記3
ブクマ増えすぎ。みんな意外と気にしてた部分なのかな~
まあ、「自分から言え」っていう一言に尽きる話なんですけどね。ただ、言った時の男性側の「あっしまった」みたいな空気が罪悪感と言うか…こんなこと言い出してすいません…という空気。(感じちゃうのは私だけなんでしょうね)
http://anond.hatelabo.jp/20150410101845
エウリアンにはついて行くな
秋葉原などの繁華街で絵葉書を無料で配っているお姉さんたちがいる。
しかし、ついうっかりお姉さんから絵葉書をもらってはいけない。
言葉巧みに画廊へと連行されて、気が付くと大して価値もない絵(というか版画)を、何十万ものローンを組まされて買う羽目になる(絵画商法)。
エウリアンにも新社会人にも全く興味はないんだけど、版画への冒涜は許さん。
君が代に過剰反応する左翼のように、どんな文脈だろうと、どんな事情があろうと、版画をdisられるとプッツんしてしまう。
エウリアンの売る版画というものがどんなものか知らないけれど、これだけは言える。
生でみなければ、版画の魅力はわからない。
否、
触ってみなければ魅力はわからない!
断言するけど、江戸時代の浮世絵から最近の現代作品に至るまでの伝統木版画、これを見たことがある日本人はほとんどいない。
そんなものは、世界の車窓からのDVDをみて海外旅行に言ったと言ってるようなもの。
和紙の質感!どんなに拡大しても粒子が見えてこない無断階のグラデーション!摺りによって出来た凹凸!
まず、床や机において窓から差し込む斜めからの光のもとでみて堪能。
テレビ番組の映像や、窓から差し込む車のヘッドライトが絵の面を瞬間的に照らした瞬間も美しい。
入ってくる光の方向、光の種類によって、表情が変わる。
そして、やっぱり手に持って鑑賞だ。
パンツが見えそうで見えないグラビアを、下から覗いてみえないはずのパンツを見ようとする、アレを浮世絵でやるとすごい。
ちょっとだけ見える。見えないはずのところが本当に見えてくる。
目の錯覚でしかありえないんだけど、紙のたわみと、光の加減で、ときどき本当にみえてくる。
うわぁぁんってなる。
ぶっちゃけ、浮世絵美術館、あんな一般展示なんかやめてしまえ!!
額やショーケース越しでしか見れないなら、触れないんなら、カラーコピーで十分だろ!
額装やショーケースに入れる職員の目しか楽しませられないなんて、時間も無駄!文化財の無駄!
触らせないんなら燃やしてしまえ!
よさが微塵も伝わらないのに飾ってみせる価値が有るのか?
1億円と書かれた小切手を飾って見てるようなもんだろ。
医学とか物理学とかは、100年前と今では大きく違うけど、絵は、たいした進歩してないだろ?
ぶっちゃけ、1万5000年前のラスコーの壁画と、そのへんの美大生の絵のどっちが上手いかって言ったら、芸術とかよくわからん俺にはどっちが上かわからん。
でもね、印刷という技術を手に入れた、触れることが出来る!その素晴らしさ!
俺ね、江戸時代の浮世絵の価値は認めるよ、でもさ、浮世絵のいいところって、ライブ感なわけ。
絵師が描く、描いた絵は板に貼り付けられて、その上から刀を入れられて紙ごと彫られてゴミとなってしまう。
絵師の絵を活かすも殺すも彫師次第。
それから、色の指定があって、色の数だけまた彫りがあって、そんで摺師が摺って、試しに作ったものに対して、あーでもないこーでもないっていうディスカッションがチーム内でされたわけ。
色の調節をして、時に柄を変えて、セッションによって出来上がる。
売りだしたあとの、町の人々の評判さえも取り込んで、みんなが主役のライブだったわけ。
俺、音楽はよくわかんないけど、たとえしょぼいバンドの小さなライブハウスでのライブでも、有名フィルの録音にも負けない感動があるでしょう?
一番有名どころだと、北斎あたりだと思うけどね、もうね、ヤバいの。
元々が天才でしかも努力もしまくったらこうなるってやつ。努力ってのが普通の努力ってんじゃないの。
だいたいにおいて、他派の画法を学んで破門されたあたりからだけど、もう何でもあり。
大和絵も漢画も銅版画も油絵も、手段を選ばず学んでるようで、見りゃ誰でもわかるんだけど、もうホントヤバい。
すべて独学で。本読んで覚えたってより、ひたすら描いて描いて描きまくって吸収したという感じで。
貧乏の理由が、お金を封筒でもらったまま中身の確認もせず、支払いの時には「その封筒からもってけ」くらいに無頓着だったからという馬鹿。
掃除をすれば、「ここにあった蜘蛛の巣どこ行った?(描きたかったのに)」くらいの馬鹿。
誰よりも自信家で、本が売れたのは俺の挿絵が良かったからだ!と言って作者と喧嘩する傲慢な一方で、猫がうまく描けないっていう理由で80歳で悔し泣きをする馬鹿。
30回画号を変えるってのがもうよくわからん。たとえば漫画家が30回名前を変えてデビューするとかないだろ。売れっ子が新人に戻るってことだろ。馬鹿かと。いや馬鹿だよ。
そんな絵中心のわけのわからない生活を、88歳で死ぬまで続けちゃうってのがもうね。
例えば、水木しげるが週刊少年ジャンプで週刊連載をしてて、CG(北斎はコンパスや定規やらも使いこなしてるようで、幾何学や製図も知ってる様子。当然おそらく独学)を使いこなし、ありとあらゆるジャンルを書き分け(春画から、行ったことのない中国の古典小説の挿絵まで)、30回新人デビューとかしてたら、人間じゃないだろと。
で、そんな北斎の線ときたら線の始まりから終わりまで、この線以外じゃダメっていうカンペキ。筆の入り、筆の終わり、太さ細さ、もうすごい。線が凄いってわかるってことは、彫師が凄い。フリーハンドじゃアリエナイような精密で、コンパスや定規ではありえないような強弱があり、油絵なら何度でも塗れるだろうし鉛筆なら何度も消せるし、CGなら何度でも書き直せるけど、最小限の輪郭線で森羅万象を切り取ってる。
写真を目指してたんじゃないだろうか。
写真というものがなかったので、目指してたというのは変な話だけど、露光時間調節やピントズレに近い表現があって、写真を目指し、写真を超えたなにか他のステージに足を踏み入れようとしてた、ように思う。写真なんかなかった時代に。
で、それがわかるっていうのは、彫師がすげぇ。
摺師がすげぇ。
俺がこの数ヶ月で買い集めた70枚ほどのほとんどは復刻だけどさ、復刻もまたライブなんだよ。
摺る工程を見せてもらったわけ。
濃い絵の具を数種類用意するだけで、都度混ぜて薄めて版木に塗り、摺る。
なんということだと思わないか?同じものをたくさん作るなら、同じ濃度に調節したプレミックスを作っておくべきだろう?
絵師と彫師と摺師だけじゃないの。
版木を作る職人、紙を漉く職人、紙にドーサを塗る職人、絵の具を作る職人、バレンを作る職人、数えきれない職人たちのライブが木版画。
だから響いてくる!
で、ライブが存続するためには、絶えず誰かが買わないとダメなわけ。
材木から板を作る職人は消えちまったそうだよ。ただ板を平らにするだけじゃダメらしい。
バレンを作る職人も消えかけらしい。
だからさ、エウリアンが木版画を扱ってるかどうかはしらんけど、なりふり構わず売るということは少し理解できる。
俺だって、1ファンとして、こんな見苦しく匿名掲示板で見苦しく宣伝してるけどさ、どうせ中の人だろ、ステマうぜえって思われてるんだろうけど。
日本中の浮世絵美術館が燃えることより、職人がいなくなることのほうが損失はずっとずっとずっとデカいんだよ!
復刻浮世絵なんて一万円そこそこで買えるんだよ!
数万円となった山桜の版木を何枚も使うわけだし、キャリア何十年の職人が一月かけて彫るだけで、いくらの人件費だ?
キャリア何十年の摺りの職人が、今では手に入らない材料で自作した絵の具で、人間国宝が作った紙に摺る。
一枚200枚やそこらは売れないと滅びるだろ。
お願いだから買ってやってくれよ。
俺がビルゲイツだったら、もっと買ってやれるんだけど、安月給なサラリーマンじゃこれが限界なんだよ。
財布に入ってる1万円札、あれに1万円の価値があるのか?あんな小さな銅版画にわくわくするか?
せっかくだから文句を言いたい。
千円札の富士山わからんでもない。写真を銅版画にするなら許せる。
5千円札、2千円札、屏風絵を銅版画にするとか、絵巻物を銅版画にするとか馬鹿なの?オマージュにしたって、もうちょっと工夫しろよ。
100万円札を和紙で作れ!木版画で作れ!一枚一枚違う味があって味があるだろ!
偽造されてしまう?
偽造けっこう!本物と見紛うような彫りと摺りの技術が世界中に溢れれば、日本銀行の信用がどうなろうと、人類の幸福の絶対量は増加する!
木版画紙幣の発行は無理でも、一つの可能性として、造幣局で木版技術に関わる職人を世話してやってはくれないだろうか。
造幣局に一人くらい、材木から板を作る職人がいたり、絵の具を調合する職人がいたっていいだろう?
多少脱線しましたが、そういうわけで、ちょっとだけエウリアンを擁護してみました。
終わり。
考えてみればライブって凄いよな、芸術家って、基本的に俺が俺がじゃないか。
当然だけど、絵も彫りも摺りも極めることなんか出来ない。
それが、分業制、買う客の声も含めて、一人一人が主人公、思いがけない方向に転ぶ面白さ。
今でも、現代作家が版画にするために専門業者に頼んだりはするけれど、基本は作家の意思が優先で、作家の作品という域を出ない。
やはり、売れないことには、ちまたに溢れないことには、あれがいいこれがいいと話題の中心が木版画にならないことには、木版画に未来はない。
音楽としてどうかはわからないけど、AKBの会いにいけるアイドルという路線は、一つ評価したい。
あれが、理想の姿。
巷に日々木版画が溢れ、あれがいいこれがいいと、皆が好きに意見を言う。
町の人々の意見を取り入れ、流行の先端を走り、絵師や彫師摺師が腕を振るう。
たまらんじゃあないか。
★昔の権力者や寺社が建てた建物は、その後歴史の教科書に載って、テストになって小中高生を苦しめる。
200年後とか300年後の歴史テストでは「霞が関ビル」「六本木ヒルズ」「広尾ガーデンヒルズ」とか出題される?
また、時の権力者の私邸も、数百年もすれば観光名所になり、史跡指定されたり重文扱いされたりする。
なので、「孫正義の私邸」「ユニクロ柳井の私邸」「三木谷の私邸」って、
100年200年もすれば重要文化財となり、入場料を取って公開されているかもしれない。
言い方を変えれば、孫正義とか、ユニクロ柳井とかの「オーナー経営者」、数百億円数千億円の資産を貯めた人は、
後世から「重要文化財だ」と評価されるような豪邸を建てなきゃ、歴史的存在価値が問われる
★「源氏物語」とか「枕草子」とか、日本の古典文学を今の小中高生は必死になって学習しているが、
これも当時のウルトラエリート間、超金持ち同士の文化の学習なんだよな。
今で言えば孫正義と三木谷の間のメールのやり取りを、数百年後の受験生が解いている、的な
でも、200年後の受験生は、孫正義と三木谷間のメールのやり取りよりも、
マイルドヤンキー間のやり取り記録とかを学習していそうな悪寒。
★そう考えると、今のパワーエリートたちの、「後世へ文化を残す能力」は、
1000年前と比較すると大幅に衰えているんだろうなあ。
この辺を嘆いて、渡部昇一は「日本社会はもっと格差化しないと、文化が残せない」と言ってたわけだ
★オーナー企業の御曹司、例えば大王製紙の御曹司なんかだと、別に親父の会社に入社して働かなくても、
一生遊んで暮らせる財産があるんだから、そういう御曹司は働かずに豪遊して、むしろ「文化」を後世に遺してくれた方がいいんだが。
それこそ、私財を投じて巨大カジノでも作れば、200年後に名が残る
お隣の韓国などは、オーナー企業の御曹司が会社を世襲しているのですが、御曹司自らモーレツに働いている。
韓国財閥御曹司のうち1人くらい、会社の役員にならずに、成人してから数十年間豪遊しまくって「文化」を残してほしい
その点、ヨーロッパ辺りの富豪の中には、一生働かずにモナコ辺りで豪遊する人生を謳歌する貴族もいる。
自分は「40歳代にして累積5億円稼いだような人」や「40歳代にして親から遺産2億円相続したような人」に対して
http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/20140831/1409960454
を読んで、旅っていいなあと思い、旅ルポをあさった中から、心に刺さったエントリーをピックアップしてみた。「海外の絶対に行きたい美しい場所30選」みたいなのはあまり興味ないので、B級目線です。
◇横浜市内の全駅下車の旅
横浜市内全駅全下車の「はま旅」第33回は、横浜市最南端の駅「六浦」。地域密着型の店が並ぶ素朴な町並みを抜け、目指すは国指定文化財の朝夷奈切通し。
http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=623
お盆なので戦艦「陸奥」のお墓参りに周防大島まで行ってきたった【艦これブログ番外編】
http://bushoojapan.com/kancolle/2014/09/04/28961
【石像】住宅地の中に突如現れる大仏(布袋の大仏/愛知県江南市)
http://sakak.hatenablog.com/entry/2014/09/06/220139
http://blog.ropross.net/archives/10490
広島 銀山町 お好み焼き 八昌 地元民もオススメする超繁盛店! ~ 山口・萩の旅(その2)
http://takashikimura.com/archives/4033
これで勝ち組やーとか思ってたけど、入社して数年経って、真に勝ち組なのは地方公務員の共働きなんだなーと最近思う
収入に関しては不満はないけど、休みが不定期だし土日が消えることもあるし日付変わるくらいまで職場にいるのもざらだしで
転勤は全国で、海外もあり得る
しかも常に勉強して結果を残していないと生き残れない厳しい世界だということが諸先輩方を見ていると実感できる
余暇もなく常に仕事のことを考えて学んだあらゆることを仕事に生かしていかないといけない
楽しく生活するために仕事してるんであって、仕事するために生活を犠牲にするのはどう考えても間違っている
それだったら夫婦でそこそこに働いて500万ずつ稼ぐほうがいいに決まってる
県くらいになるとみんなゆったり仕事してる
だいたい庭のあるでかい家に住んでいて、奥さんが文化財とかきつくない部署で課長とかやってる
世帯年収は1000万を優に超えているだろう
こんな短期間に日本の寺社が焼かれている。そして本堂からは仏像などが消えている。消失した形で
2013年01月04日 京都市 愛染院敷地内住宅から出火、住職が死亡
2013年01月06日 福井県美浜町 西誓寺本堂が全焼、仏像を抱きながら住職が焼死
2013年01月13日 富山県魚津市 火の宮神社の社殿が全焼
2013年01月26日 福島県白川市 天神神社、本殿などが全焼
2013年02月11日 東京都八王子市 千代田稲荷大明神の拝殿が全焼
2013年03月07日 神奈川県座間市 栗原神社の神楽殿・民家2棟が全焼 米国籍15歳少年が放火
2013年04月01日 福島県飯舘村 山津見神社が全焼、一人の遺体が発見
2013年04月10日 熊本県玉名郡 片峯菅原神社の本殿・物置が全焼
2013年04月10日 東京都高尾市 千代田稲荷大明神の拝殿全焼 賽銭箱が空で逆上し放火、逮捕
2013年05月01日 東京都三鷹市 井の頭公園内の親之井稲荷尊神社から出火 放火の疑い
2013年06月08日 新潟県魚沼市 四日町諏訪神社の本殿 全焼 雷が原因か
2013年06月08日 大阪府富田林市 正受寺と前住職の住宅が全焼
2013年07月22日 岩手県盛岡市 瀧源寺の本堂全焼、しだれカツラの葉が熱で変色
2013年08月10日 愛媛県松山市 宝厳寺が全焼、国指定重要文化財「木造一遍上人立像」が不明
2013年09月11日 茨城県ひたちなか市 湫尾神社の本殿拝殿 全焼
2013年09月14日 茨城県ひたちなか市 金砂神社の本殿拝殿 全焼
【社会】重要文化財が100点以上不明 いつの間にか中国でオークションにかけられていたケースも 文化庁緊急調査
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131102/edc13110207580000-n1.htm
韓国人観光客の間で神社に火を当てながら撮る記念写真が大流行、日本旅行者の3人に2人は ”経験ある”
http://livedoor.4.blogimg.jp/amosaic/imgs/5/8/58282b1e-s.jpg
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090302
2009-03-02 官から民へ 質問回答編
今の20代の人口は1533万人です。10年後の20代の人口は1243万人です。20年後の20代の人口は1143万人です。これの意味することはなんでしょう?
今1533億円税収があるとすれば、20年後には1143億円しかないということです。人数が減るんだから当然そうなるでしょ。それとも20年後、今よりすごく一人あたりが稼ぐようになっていると思います??
皆さんの会社の売り上げが、今1533万円あるとすれば、20年後には1143万円しかないということです。人口が減るんだから売れる住宅、車、テレビ、携帯電話、ビール、弁当、チョコの数も当然減るでしょ?
売り上げがそれだけ減るということは給与が同様に減るということです。だって企業の売り上げが減るのに、企業の経費(給与)が同率で減らないわけはないですよね。
それとも人口がこんなに減っても今より皆がすごく物を買うようになるので売り上げは減りませんか?20年後の給与が今と同じレベルを維持できたりする理由ってありますかね??
なお上記の人口の数字は「確定数字」です。今から少子化対策を打っても、それで変わるのはこの後の数字です。20年後の20代人口はもう変化しません。(それを変えたいなら移民政策しか解はありません。)
国の収入や支出が25%減るということは、医療費が25%増え、年金は25%減り、生活保護も25%減額され、国公立の小中学校を含む学校の授業料は25%高くなるってことです。生活レベルがそれだけ落ちる、ということです。また、給与が25%減れば、貧困家庭が相当増えるでしょう。
加えて上記は「国の産業の競争力が変わらない場合」の話です。なぜなら上で書いているのは「人口要因による変化」だけだからです。
でも、人口は減っても後の条件は保てるでしょうか?日本は次の20年も今までと同じ国際競争力が保てると思いますか?少なくとも国際比較において、日本人の学力はがた落ちです。世界の中での英語力のレベルも悲惨なレベルです。これでどうやって今までと同じレベルを保てるのでしょう??
もしも、人口減少に加えて、今は国際競争力のある企業の没落が始まれば、そして、円という通貨の没落(円安)が始まれば、もっともっと日本の生活は惨めなものになるでしょう。エネルギーのない日本では、円が安くなれば石油が必要なすべてのもの(輸送が必要なすべてのもの)は値上がりします。上記で書いたような、給与や福祉サービスが減ったとしても、そういったものの値段はあがるのです。
ホームレスが街に溢れ、通勤や通学の途中で何人もゴミ箱をあさっている人の隣を過ぎて歩く世の中になります。子供の物乞いも現れるかもしれません。あちこちで引ったくりや強盗が頻発し、孤独死や餓死する人が近所にも増えるかも。親とおじおばを含め7人くらいの介護を担当する「ひとりっこ」が介護疲れで逃げ出したり虐待を始めたり、ということが日常茶飯事になるかもしれません。病気でも治療を受けられるのは一部の金持ちだけ、かもしれません。
とか、考えればいくらでも悪いイメージは膨らませることができますが、暗くなるのでもうやめましょう。
この国の先行きをもうちょっと長期的に考えることができ、今何が必要なのかを理解し、現実的で根本的な手を打つ必要があると思う人が増えてくれることを祈ります。なお鳩山さんちは大金持ちですから、文化財や芸術のほうが大事なのはよくわかります。あの家はひ孫の代まで政治家であり、そのまた何代も先まで経済的には全く困らないでしょう。
それではね!
人口減少を食い止めるためには、移民はやむ無しというスタンス。
そんなChikirin氏も、流石に労働力が足りないから移民という経団連にはドン引き。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080517
経団連って、ホントに笑える。地方議員や道路族と同じくらいやることがわかりやすい。ストレートなんだよね。子供みたいだ。
あれがほしい、これがほしいと自分が欲しいものを、周りを頓着せずに主張する。なんの捻りも建前もない。
そんじゃあね!
http://b.hatena.ne.jp/entry/shuppankyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-9ba7.html
で判り難いと話題沸騰中で、仮にも良い大人が書いた文章だからそんなわけねえだろと思っていた時期が俺にもありました。
http://shuppankyo.cocolog-nifty.com/blog/files/01-1402.pdf
これは『出版協 FAX新刊選』の「ほんのひとこと」の転載。つまりコラム。
出版協副会長の竹内さんは『「アベノミクス」の裏側で……。』や『「日本を取り戻す!」安倍自民党政権は「物言えぬ社会」を目指すのだ!“何が秘密? それは秘密”』等を書く人で、つまりスベったギャグという評価が適切。
なお、赤ペンしたら真っ赤になってどうしようも無くなったので、各文毎には解説していない。
冗長な上に、内容が散漫です。要件は簡潔に伝えましょう。
書きたい内容をまず箇条書きにしてみて、不必要な部分は取り除きましょう。
箇条書きにすると、構成の不明点や、つじつまの合わない点が判るようになります。
要求なのか、質問なのか、お話なのか、それぞれが判るように区別しましょう。
(可能な限り基の文章の順序を守ったが、一部意味を通すために前後している)
書きたい内容、つまり、言いたいことが沢山あるのは、とても良いことですね。
しかし、本当に言いたいことを1つか2つに絞らないと、何を言いたいのかわからなくなってしまいます。
竹内さんの書きたいことは、もしかしたら次のようなことではないですか?
言いたいことが絞れたら、まずはそれを最初に伝えるようにしましょう。
その理由や、周辺情報は、出来る限り簡潔に書いてみましょう。
また、「わたし」が指す人(会社)がいくつもあると、読み手を混乱させてしまいます。
(出版協、彩流社、竹内さん、読み手と書き手を含んだ全体など、いくつもありました。注意しましょう)
この度、彩流社(以下、当社)は、Amazon Studentプログラムの中止をアマゾン・ジャパン社(以下、貴社)に要請いたします。貴社のAmazon Studentプログラムは、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の第二十三条において適用除外を認められた書籍の再販売価格を維持する為の正当な行為を阻害するものです。
つきましては、即時の中止、もしくは、当社の商品をAmazon Studentプログラムから除外して下さい。
詳細は、下記に記載いたします。
記
・Amazon Studentプログラムを即時中止して下さい。
・Amazon Studentプログラム中止に伴うクレームは、当社カスタマーセンターをご案内下さい。
・即時中止出来ない場合は、当社の商品をAmazon Studentプログラムから除外して下さい。
・裁判の意志はありません。話し合いで解決したいと考えています。
・なお、当社と直接の再販契約者である取次を訴えるつもりはありません。
以上
霞たつ今日このごろ、いかがお過ごしですか?いつも我々彩流社の書籍販売にお力添えいただき、ありがとうございます。
我々彩流社は、人文書や文学系の専門書を多く出しているので、大型書店以外では店頭販売機会も少なく、月の売上の15%は、アマゾン・ジャパンさんによるものです。大変お世話になっております。
さて、実は本日は彩流社の代表としてではなく、出版協の代表としてお願いがあります。
書籍市場の発掘と拡大、文化の発展という大義を再確認しませんか?
以前に一度お願いし、「再販契約者の当事者でないので、回答する立場にない」とお返事を頂いた、〈Amazon Student〉プログラム中止の件です。
アマゾン・ジャパンさんの〈Amazon Student〉プログラムは、再販制度の維持を妨げていると出版協は考えています。その為、すぐに〈Amazon Student〉プログラムを止めていただけないでしょうか?もしもすぐに止めることが難しい場合は、出版協に加盟している出版社の商品をそのプログラム適用から除外していただけないでしょうか?
文化の一翼を担う一員として、裁判のような手段はとりたくないのです。また、出版協に加盟している出版社が再販契約を結んでいるのは取次店ですが、そちらに賠償を求めたくもありません。
最初にお伝えしたように、アマゾン・ジャパンさんの売上に占める比率は出版協に加盟している出版社にとって大きいので、できれば商品提供は拒否したくありません。
割引価格で買えなくなってしまう学生さんたちからの批判は、出版協が負う覚悟です。ですが、現在の定価設定は決して不当に高いものではないと思っていますし、もしも再販制度が崩壊してしまえば、書籍の価格は上昇してしまい、結果的には学生さんの不利益になってしまうと考えています。
先日、「作業中や運送中の破損・汚損本の処分」という理由による書籍のアウトレット販売に関して、「全て返品入帳する」として、話し合いで解決することが出来ました。同じように、この件も話し合いで解決できると思っています。
わたしたちは、(スタンスの違いはあっても)文化財ともいうべき書籍を、読者に手渡していく同じ仲間だと信じています。
消費税に関することなどまだまだ聞きたいこともありますが、それはまた別の機会にしたいと思います。
梅香る季節ではありますが、まだまだ寒い日が続きます。お体を大切に、ますますのご活躍を願っています。
なんつうか全体的にダセエ
まず、小社、わが社、わが国、わが業界、私、当時の流対協、私たち、出版協、自分たち、われわれ、とか
自分がどこの立場からモノ言ってるかがブレブレで、一貫性がねえ
せめて自分個人なのか、自分の会社なのか、自分の所属する出版協なのかくらいは判るように書けよ
あと、愚痴が長え
送料無料はいいけど、他の直販商品が影響されて値上がりしたとか
書店のポイントサービスも1%なら「お楽しみ」だが、3%が横行してるとか
取次店(日販、大阪屋)に契約遵守指導を求めてるけど明確な回答が無いとか
知らねえよ。カンケーねぇだろ。
ポイントサービスも商品単価は低下せずに寧ろ上がってるから良いんだとか、既存書店に媚びうるから論旨がブレるんだよ。
例1も例2もよ、基の論旨がグチャグチャで根拠も書いて無えからエスパーにも限界があんだよ
そもそもよ、手紙の形で周りに経緯と現状を伝えたいんだったらよ、メインで言うべきは再販制度が崩壊したら価格が上がる理由とかプロセスとか、再販契約の内容とか、取次訴えない理由とか、商品引き上げない理由とか、そのへんだろうがよ。
自分に都合の悪いことは一切書かねえからワケワカンねえ上にダッセえ愚痴ばっかりになんだよ
なんつーか「裁判にはしないでやってんだから、折れろよ?ん?裁判嫌だろ?」みたいな上から目線だけどよ、
自分で契約社会のアメリカの会社とか書いといてよ「契約の相手は取次店だけど、販売会社も契約守ってくれ」とか言って聞いて貰えるワケねーだろ
「再販契約に違反しているか否かについては平行線のまま」とか書くなよ恥ずかしい
契約に違反してるかどうかなんて裁判したら一発で判るだろ。そんな解釈難しいのか?出版協にも顧問弁護士ぐらいいるだろ
信念があるから学生からの批判上等っていうなら、さっさと商品提供拒否しろって
美術館は東京都歴史文化財団が都の指定管理者として運営。小室副館長は取材に「こういう考えを美術館として認めるのか、とクレームがつくことが心配だった」と話す。定期展は今回で七回目だが、来年以降、内容によっては使用許可を出さないことも検討するという。
表現の自由の根幹部分を抑圧している。従軍慰安婦を題材とした写真展が会場使用を拒否されたように、異論が出そうだから展示させないという対応
確かに、従軍慰安婦を題材とした写真展については 賛否両論どころか、否しかないのかもしれないが。
否定論しか無いから、展示させない。というのは、違憲状態も甚だしい事態だな。
正に言論の自由を否定している。政治的に不利益な考え方だから、国家が否定するというのは。国家としてはありえない対応だ。
ただの手紙が芸術品かどうか?というところには議論の余地はあるけど。クレームがつくから展示できないというのは理由としては存在していてはいけない理由だろ。
個人的には従軍慰安婦や靖国問題が芸術品として展示されることは不愉快極まりないが、国家としては展示を拒否する理由にはならんだろ。
美術品や文化財に所有国の許可もなく勝手に盗用したり落書き、破壊行為までして、かつ自らを正当であると司法を経て誇示するのは何とも愚かな国ならではだ。
挙句他国のみならず自国の財産、過去の遺産を燃やしたり(ex.南大門)やその修復作業では修復技術者の未熟さや他国の文化的介入を拒んだ結果があの天井画である。
この暴挙は過去の偉人を冒涜するだけではなく、今ある彼らを生んだ先人たちの礎を汚す行為としてきわめて嘆かわしい話だ。
イスラムはタリバンが当時世界遺産として名高くまた仏教からイスラムを通じて文化的価値もあったバーミヤン渓谷の遺跡を破壊したのは記憶にも新しいと思う。
また、中国では先人の遺産を破壊し粉砕するのを由とする文化文明で以って成り立ってきた、いわば後進国的国家形態を維持する国である。
自国の自然や文化遺産を破壊する行為にこそその国の礎、起源(ルーツ)を潰しているのだ。
皮肉にも今韓国は世界中の文化を自国の文化としようと躍起になっているが、朝鮮時代の遺産を簡単に破壊し蹂躙する行為に目を向け、どうか韓国は反省するべきである。
日本だとか中国だとか関係なく、自国の自然や景観を愛する愛国心を養う事、それこそが先進国への最短の道程であると確信している。
例えば茶道や空手なんてのは起源論叫ぶ前からやっていたかというとやってない。
これはわが国固有の文化だと叫んでからようやく国家的にやり出したに過ぎないから信憑性がないし
綻びが出て来て矛盾になるんだよ
問題なのは他国の文化を我が物顔で自国の物だと主張してるけど、その文化で有名な人間が一人も歴史上出ていないということ。
茶道や空手ですら日本には数多くの人間が出て来てるし、著名な文化財、皿などが出てるのに韓国にはそういう物が全くない。
今作りましたと言わんばかりの代物を出してきてもはいはいそうですねと憐れまれてしまうだけ。
一方韓国には朝鮮時代の流れがあるけど、それを起源説に全く組み入れていないのは不思議だと思う。
朝鮮時代の賢王で知られる英祖大王やその父で換局と呼ばれる名政策を施行した粛宗の偉業についてはドラマ上でのみ明らかにしているけど
国家的にこの朝鮮史上の偉業を明らかにしないのは韓国が本当は歴史を理解出来てないからだと思う。
だとすれば、自分にとっての「右左」の区分はそういうことだ、という理解で構わないよ
ただ、「全体主義」とされるものはしばしば伝統文化や文化財を大切にしないので、
自分の中での「全体主義」と「右」とは同一ではないという認識なので。
一応自分は「右」のつもり。
あくまでも「自分の」ということで。
天皇陛下と皇室、それに日本の自然と文化と文化財産(国宝や重文に指定されるようなものだけではなく)は
国民個人や国民の個人財産よりも上位の存在で、尊重されなければばならない、と考えるのが右。
例えとして、
「皇室と国立博物館の収蔵品が残るなら、国民の半分が死に絶えてもいい」(ただし、自分と自分の家族を除外するのはX)
という質問に「それならばかまわない」と答えるのは右。
「日本人全員が助かるが、日本本土は全て失われる」(外国に占領されるとかではなく、核兵器でくまなく焼き払われるとかそういう感じで)
例えがわかりづらいか。