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はてなキーワード: 金閣とは

2023-09-09

金閣寺は本当は金閣からってTwitterが回ってきてたけど、京都だと大文字焼き五山送り火です!って不機嫌に訂正されるらしいね

2023-03-11

明日香の天武文武聖武や、窯倉の源不死原は、鮮卑かその傀儡なんだろうな

法隆寺も焼かれてるし、学校日本史おかしいね

鉄器がなかった土着日本人が、金閣銀閣鉱業国を作れるわけがない

土器が焼けるのに、磁器は知らなかったし、温度差や薪の量や窯の形や土質を考えてなかった

水銀は輸出していたが使い方が分かってないし

注意障害なのかな?

2020-07-16

沖縄旅行してきた(最後の方にGoToの話)

 京都が雨続きでうんざりしていたところ、天気予報を見ると沖縄だけ晴れているので、7/11-13に旅行することにした。

 多少コロナが増えてきたとはいえ一日十人程度の京都しか京都市ではなく田舎の、未だ感染ゼロ自治体住民なので、行くことに躊躇はない。

 これで「誰かに移したらどうするんだ!」なんて言う奴は、何でお前は死なないのと言いたい。お前が生きて活動してる限り、誰かにコロナを移す可能性はゼロじゃないんだからさ。

 もちろん手洗いとマスクは徹底するが、熱中症もあるので屋外ではマスクは外す方針とした。一人旅なのでどのみち喋ることはほとんどない。

 関空からLCCで2時間那覇に到着。

 驚いたのが国際通りガラガラだったこと。

 土曜の昼なのにほとんど人が歩いてない。牧志駅から向かったので、県庁側は違ったかもしれないが、それにしても大きな土産物屋に客はゼロ店員が暇そうに立っている。

 やはりどの県も観光業やばい状況である……誰かが行かないと。

 とはいえ着いたばかりで荷物は増やせないので、申し訳ないが通り過ぎて壺屋焼物博物館へ。

 こちらも来館者は他には二人くらい。見る分には見やすいのだが、どうしても心配になる。

 隣の陶芸センターも客ゼロで、二千円の酒器を買って『やちむん通り』に向かうが、やはり人影はほとんどなし。

 国際通りに戻ってレストランへ入るも客は自分だけで、一人で山羊刺しなどを食べる。

 ゆいレールの延伸部分を乗ってからバスうるま市へ。

 途中で金網に囲まれ米軍基地が見える。

 よりによってこの前日、基地の中で感染者が数十人見つかったとのこと。

 まあ米軍関係者接触するとも思えないので、気にせず続行。

 途中で普天間宮の洞窟を見せてもらった後、海中道路を通って、浜比嘉島ホテル投宿した。

 翌日は今回の主目的である勝連城へ。客はちらほら。

 登るのは辛いが青空石垣が映え、天守からの海の眺めも最高である今帰仁中城訪問済みなので、残る世界遺産は座喜味城のみだ。

 向かいの休憩所で土産を買ってからバスを待ったが、四十分ほどの間に購入者自分だけだった。

 バスで戻って海中道路のあやはし館へ。こちらの客は結構いた。

 沖縄そばやブルーシールアイスもずくグルクン天ぷらを食べる。

 二階が海の資料館になっており、コロナ対策に連絡先を書く方式だった。前の人が書くのが遅くて待たされたし、個人情報を書かされるのは少々不安大阪の追跡システムが広まればいいのに。

 ホテルに戻って近くの小さなビーチへ。

 ここも日曜なのに泳いでるのは数人で、海の家は採算取れてるのか心配になる。

 一人海水浴は手間がかかる割にあまりやることはなく、ナマコが多い海底を見てから10分ほどで上がってかき氷を食べる。

 この日は途中でマスクを紛失してしまい、離島ではドラッグストアもなく、ハンカチを巻いて代用する羽目に。

 予備を一枚持って行くべきだった。

 最終日は琉球開闢神話聖地であるシルミチューへ。

 バスが一日四本しかないので、行きだけ使う。

 海中道路から離島側は『うるま市有償バス』というマイクロバスだが、いつも結構乗客がいて、マスクをしてないおじさんもいたけどまあ喋ってなかったか大丈夫だろう。入口に消毒液があるのは嬉しかった。

 バスを降りて、コロナで封鎖されたビーチを横目にシルミチューに向かう。

 帰路の二人とすれ違っただけで、他に人影はなし。さすがに霊場となると人がいない方がありがたい。

 鍵のかかった洞窟の前で、柵越しに雰囲気ある聖地を思う存分拝んだ。

 意外だったのが中にあった大正時代の石碑に、日章旗が二つ描かれていたこと。別に撤去したりはしないんだな。そりゃそうか。

 三十分歩いてホテルに戻る。汗が噴き出す暑さ。

 「気温だけなら真夏京都の方が高いし大したこといかも?」とか思ってたがそんなわけはなかった。

 しかし車のめったに通らない島の道路を、さとうきび畑を眺めながら歩いていくのは趣があるな。

 ホテルを発って那覇へ戻り、途中でマスク調達する。

 最後に行くのは首里城。12年ぶりだが、まさかあんなことになるとは。

 以前にはなかったインフォーメーションセンターができていたが、こちらも寂しい状態

 平日とはいえカフェに客はなし。

 守礼門で視界に入るのが数人、城内では係員しか見えないことも。

 コロナのせいと火事のせいと両方あるのだろうけど、沖縄最大の観光名所でこれは心が痛い。

 有料エリアでは再建工事中で、壁の向こうでクレーン車が働いている。

 焼け残った龍柱や、燃えて髭だけ判別できる龍の飾り、遺構などを見学した。悲惨事件だったが、今しか見られないものからね。

 前は入れなかった東のアザナの展望台では、狭いのもあってさすがに多少の客が滞留していたので早めに退散。

 再建の募金をした後、土産物屋でお釣り二千円札をもらった。

 珍しかったが、本州で使える自信がないので、駅で切符を買って千円札に替える。

 空港職場へのお土産を買って伊丹に戻った。うちの職場旅行を叩くような陰湿な人はいいからね。

 帰宅途中にニュースを見たら、米軍感染うるま市の肝高公園無許可BBQしてたからって。

 よりによってうるま市かよ! まあ米兵には会わなかったし……。

 帰った後は世間GoToキャンペーンで騒がしくなっていた。

 俺はキャンペーン関係なく行くのでどっちでもいいのだが、観光地の閑散ぶりが本当にやばいので、多少の感染増は覚悟して決行するしかないのではと思ってしまう。幸い重症者は少ないようだし。

 大阪知事は「まず近場で」と言ったようで、それも分かるけど近場は五月六月にもう行ってるんだよな。

 嵐山金閣銀閣龍安寺三千院平等院東大寺通天閣ガラガラだった。

 コスモタワーコロナ関係なくいつもガラガラだが。

 唯一人が多かったのは、紫陽花が見頃の三室戸寺だけ。

 やはり地元人間は、「いつでも行ける」観光地にはなかなか行かないのだな。

 京都の人は京の名所には行かないって、前々から言われてるしね。

 宿泊土産を考えても、やはり遠くから人を呼ばないとどうにもならんのじゃないかなあ。

 もちろん自分が周る分には人は少ない方がいいし、五月末の誰もいない祇王寺の、青紅葉と苔が溶け合う風景には感動した。

 でもその時は、こんな京都は今だけだな!と思ってたんだ。

 あれから一ヶ月半後に、まだ回復しないどころかさらに悪くなりそうとは予想しなかった。

 一人旅では焼け石に水だろうけど、もっと観光地に金を落としに行かねば。

 無論むつ市みたいに来るなと言ってるところは行かないなら、来て欲しくない人は首長に働きかけてくれな。

2020-06-15

昔好きだった人の夢をいつも見る。

また、A子の夢を見てしまった。逐一日記に書いているのでわかるのだが、今年に入ってもう6回目だ。中学卒業した後に会ったのは、成人式の時と地元飲み屋で偶然会った時の2回だけなのに、夢の中でも空想の中でも、彼女輪郭ははっきりしていて、色も鮮やかなままだ。少し垂れた目と厚めの唇で、いたずらっぽく笑うあの顔が、今でもまぶたに焼き付いている。

中学2年の時、2泊3日の修学旅行があり、夜の男子部屋では定番の「誰が好き?」トークが繰り広げられていた。最初はみんなお互い探り合うような空気だったが、段々と気持ちが高揚していき、「誰にも言うなよ?」という前置きのあとにぽつぽつと女子名前が出始めた。幸運にもライバルは現れず、話を振られた俺はその場のテンションに任せ、口外禁止を条件にA子の名前を言った。いくら普段からいい加減な連中とはいえ口約束はある程度は守られるだろうと思っていた。しかし、その場で出た情報は全て、翌日の夕方にはクラスほとんどが知るところとなっていた。

自由行動が終わったあとの旅館で顔を合わせた何人かの女子にひやかされ、バツの悪い思いをしたが、その場ですぐに何か行動を起こすわけにもいかず、悶々とこっ恥ずかしい気持ちを抱えて行動していた。その晩の夕食は大広間で食べるすき焼きだった。忙しそうに器を持って歩き回る仲居さんを目で追っていると、7,8人ほどの同級生を挟んだ向こうにA子がいた。やっと表情が読み取れるくらいの距離だった。俺の視線に気付いたA子は、すぐにこちらを見て、一瞬の間を置いたあと、少しだけ笑った。心臓が止まりそうになって、すぐ目を逸らした。座卓に目を落とすと、家では絶対に出ない高そうな牛肉が鍋の中に並んでいた。紅潮した顔を誤魔化すようにかきこんだが、どんな味だったかは全く覚えていない。金閣よりも龍安寺よりも、いたずらっぽい笑顔が俺の1番の思い出になった。

大学生の時の彼女結婚して今年で9年になり、再来月には2人目の子どもが生まれる。広くはないがマイホームも去年購入した。今の生活に確かな幸せを感じているし、かっこいいクルマが欲しい以外は何の不満もない。仕事は大して楽しくはないが、まぁこんなもんだろうと思っている。でもたまに、夢に出てくるA子に心をかき乱される。顔を見れた嬉しさの一方、目覚めてしまたことにひどく落胆する。旦那失格だと自分でも思う。向こうにも向こうの家庭がある。でも、会いたい。あの笑顔をまた見たい。と思ってしまう。

何かの行動を起こさずにいられなかった俺は、彼女が今住んでいる自治体名前をググり、10,000円ふるさと納税した。来月には米が届く予定だ。

2020-03-16

三島由紀夫金閣寺

 三島の描いた金閣寺は、美と地獄象徴なんだよ

 作中で登場する、柏木という人物セリフがそれを物語っている

地獄とは、一切が明晰に見えることであるしかも闇の中で!」(新潮文庫129ページ)


 ラストシーン金閣寺炎上する直前、夜闇の中を主人公金閣寺に忍び寄ろうとする

 そのさなか、突如として金閣寺が、一筋の光明もない筈の闇の中で、輝きを放ち始めるのである

思い出の力で、美の細部はひとつひとつ闇の中からきらめき出し、きらめきは伝播して、ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと目に見えるものになった。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現れたことはない。私は盲人の視力をわがものにしたかのようだ。(p.319)

 記憶の力を借りて蘇る金閣の姿、それは正に美であり地獄であったのだ

2018-07-08

三島由紀夫金閣寺」について


金閣寺』という小説が何を表しているのか、単刀直入に語るとすればどのような言い方になるだろうか? それについて敢えて率直に語る事はすまい。

 とは言え、勿論その文章の中心的な部分は割に簡単言葉で表す事ができる。つまりは「美しさ」と「地獄」という二語によってである。ただし、これだけだと余りにも簡単説明でき過ぎてしまう。実は、金閣寺はこの二語のみによって説明できる小説なのであるが、それではあまりにもざっくばらんすぎて、説明が詰まらなくなってしまいかねないのだ。その為、少しだけ読者を焦らす事にする。


 金閣寺1956年雑誌新潮』に掲載され、年内に単行本化し15万部のベストセラーとなった――また、現在に至るまで文庫を中心に300万部以上を売り上げる日本の伝統近代文学の内の一つである海外においては複数言語翻訳され、日本文化を緻密に描いた三島由紀夫文章は各地で絶賛を浴びた作品でもある。しかし、無論この小説には難しい部分がたくさんあって、一朝一夕で読み解くにはハードルが高い。

 しかし、繰り返すようにこの小説は二つのポイントをさえ押さえるならば十分に理解することができる。

 つまりは「美しさ」と「地獄である

 この言葉はあまりにもこの小説を語る際に便利過ぎる。

 金閣寺は美しさの象徴であると同時に地獄象徴であった。これが三島由紀夫がこの小説において語ろうとしていた全てである小説金閣寺』は1950年に発生した、青年僧侶による「金閣寺放火事件」を下敷きにしており、三島由紀夫はこの青年僧の犯行根底に「美への反感」があることを読み取った。そして、そのコンセプトを元に書き上げられたのが、当の大作『金閣寺』なのである


「美への反感」。

 つまり、人は美しいものを時に憎むのである。そのような感情一言に言って地獄の現出に他ならない。

 何故ならば、人は美しいものに中々なれないかである

金閣寺放火事件」の主犯となった青年は幼少より吃音の症状を呈しており、恐らくそ吃音症は彼の人生に薄すらとした重たげな影を投げかけていた。

 吃音症は美しいか否か、と語るとするならば、恐らく人は吃音症を称賛するよりも嘲笑するだろう。いや、これもまた偏見なのかもしれないが、少なくとも三島由紀夫はその吃音の症状一つ取るに、青年僧の人生に降りかかる薄すらとした影の姿をまざまざと感知したのであった。そして、青年僧は自身が美という観念からはやや隔たった存在であることを自覚すると共に、美に対する拭い難い憎しみの存在を抱え続けることになるのである。――自身の美への憧れの象徴として、自身父親から長く「美しい」と語られていた金閣寺存在を、憧れと同時に、憎悪対象とし始めるのである。やがて、青年僧は最終的に犯行に及ぶ――金閣寺放火し、その美の象徴たる美しい建造物を、焼き払ってしまうのであった。

 美に対する憧れ、そして憎しみ、そのような薄すらとした影が、青年僧の人生には降り掛かっていた――これが、この金閣寺という小説を書くに至って、著者である三島由紀夫本人が青年僧に対して抱いていたイメージ重要な箇所であるだろう。そして、もはやこれは自明のことであるとは思うのが、その薄すらとした影――つまりは「美への反感、憎しみ」――とでも言うべき影は、三島由紀夫人生のものをも固く包み込んでいたのである

 三島由紀夫本名平岡公威(ひらおかきみたけ)は1925年に父、梓。母、倭文重(しずえ)の元に生を享ける。

 幼い頃は虚弱体質であった三島が、長じてからは肉体強化のトレーニングに励んでいたことは周知の事実であろう。

 三島心中いかに「美」に対する執着と、そして同時に反感とが存在していたか推して知れることである小説仮面の告白』においても語られていた通り、三島由紀夫心中には鬱々たるものがあった。そして同時に、そこには複雑な、文章によって表現することの憚られるような感情が幾つも幾つも存在していた。恐らく、彼はそのような歪な感情存在する理由を、人生において追究していたに違いないと思われる。

 でなければ誰があん小説を書こうとするであろうか?

 ともかく、三島由紀夫はその人生において複雑な美意識を持っていたし、同時に、その美意識に対する反感を抱き、自分自身感情を飼い慣らすことに苦労していた――そこには美に対する憧れと、同時に美に対する反感、そして美を中心とした地獄があった――これはおおよその三島由紀夫研究者が抱いている彼に対するイメージであろうと思う。三島由紀夫は彼の小説において、彼の人生のものを率直に表そうとしていた。彼の人生というものは、恐らくは彼の書いた小説以上にわかやすものだったのかもしれない。


 金閣寺の作中において、柏木という名の登場人物が現れる。この人物は跛足であり、つまりは歩行に困難を抱える身体障害者であった。

 そして、小説金閣寺』においては明確にこの人物が、当小説における極めて重要な部分を語る鍵となっているのである

 作中における柏木キャラクターについてはここでは敢えて詳細に語らないが、しかし彼が主人公青年僧に対して口にしていた、『金閣寺』という小説の根幹を成す極めて重要台詞について語ることにする。それは、以下のような台詞であった。

地獄の特色は、すみずみまで明晰に見えることだ。しかも暗黒の中で!」(文庫金閣寺、p.129)

 柏木というキャラクターはいわば「地獄」に関する伝道者としての役割果たしている。「地獄とは暗闇の中で一切が明晰に見えることである」。この言葉意味曖昧模糊としている。そこには、語るまでもなく明らかな矛盾がある。暗闇の中では一切が曖昧で、決して明晰になど見えはしないのだ。しかし、このような矛盾物語の後半において一挙に解消されることとなる。そう、ここにおいて柏木の語った一節は、当小説重要テーマである金閣寺の「美的側面」、ひいては、金閣寺の「地獄としての側面」に対して、判明な解答を与える重要キーワードであるのだった。


 飛んで、物語の後半。主人公青年僧は、ついにその目的を実行に移そうとしていた。

 彼の中にある美への憧れの根源――金閣寺存在のものを一挙に焼き払おうというのであるしかし、時刻は夜であった。そこは全くの暗闇であり、暗黒であった――。しかしそれでも主人公の目には、暗闇の中にある筈の金閣寺がまざまざと視認され始めるのである

 そう、正に「暗黒の中で」「すみずみまで明晰に」金閣寺が浮かび上がったのだ。

金閣寺は雨夜の闇におぼめいており、その輪郭は定かではなかった。(p.318)

が、私の美の思い出が強まるにつれ、この暗黒は恣まに幻を描くことのできる下地になった。(p.319)

ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと目に見えるものになった。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現れたことはない。(同)

 そう、ここで暗闇の中で明晰に知覚できたのは、美の象徴として語られる金閣寺の姿そのものだったのである

 金閣寺はここにおいて、彼の記憶に根差した「美」の象徴として語られている。そして、同時に、かつて語られた柏木警句が浮かび上がらせるのは、金閣寺の「美」としての側面と同時に立ち上がってくる「地獄」としての側面だったのである


 小説金閣寺』は、青年僧の中に存在する「美」への屈折した感情を描き切った名作であった。そして彼はその「美」をも、「地獄」をもまた共に焼き払ったのであった。

 そこには、純粋な憧れと同時に、地獄としての大きな側面が描かれていたのである

2017-07-01

2017年アニメ雑感

まだ終わってないのもあるけど。

雑。

深夜アニメ

笑ゥせぇるすまんNEW

喪黒(通り魔)。

スタミュ-高校歌劇- 第2期

ミュージカル&野暮助&有罪

ゼロから始める魔法の書

黒い子安と白い子安が一体に。

フレームアームズ・ガール

所々挟まる手書き作画が可愛くて◎。

弱虫ペダル NEW GENERATION

良くも悪くも原作通り。Cパート提供のお遊びが楽しかった。

アイドルマスター シンデレラガールズ劇場

キュートの曲好き。

覆面系ノイズ

キラキラ星。

ロクでなし魔術講師と禁忌教典

決闘要素。

王室教師ハイネ

https://www.youtube.com/watch?v=nRj78wx8DCE

夏目友人帳 陸

1度も名前を返さず。

喧嘩番長 乙女-Girl Beats Boys-

双子が入れ替わって男子校女子高に通うってまりあほりっくみたいだよね。

Room MateOne Room side M~

EDが本編。

まけるな!! あくのぐんだん!

Eテレでやれ。

ラブ米-WE LOVE RICE-

あの真上から料理風景撮影するスタイルってどこが発祥なんだろうか。

サクラダリセット

淡々としすぎ。

サクラクエスト

PAお仕事シリーズ第三弾ということでSHIROBAKO級を期待していたが肩透かし

終末なにしてますか? 忙しいですか?救ってもらっていいですか?

生死不明ENDは嫌いじゃないけど好きでもない。

武装少女マキャヴェリズム

正妻マツコ。

月がきれい

属性

冴えない彼女の育てかた♭

一期もそうだったけど主人公イマイチ好きになれない。

クロックワーク・プラネット

おっさん女体化したりおっさんが巨大ロボになったり。

カブキブ!

野暮助ではない/蛯原を最後まで引っ張ったわりに加入はあっさり。

恋愛暴君

百合キャラの振りして男堕ちは百合豚的に萎えるのでやめて/OPすき

兄に付ける薬はない!

天さんの演技が良かった。主題歌すき

ツインエンジェルBREAK

前作主人公登場は燃えるOP大好き。

正解するカド KADO:The Right Answer

サンサ欲しい。/花森元に戻らないのはかわいそう

ひなこのーと

日常アニメに見せかけたエロアニメエンドカードが一番エロい

ソード・オラトリア ダンまち外伝

レズが頑張るアニメ

sin 七つの大罪

全員色欲

信長の忍び 第2期

テンポよくて好き。

神撃のバハムート VIRGIN SOUL

CMが本編/アザゼルさんかわいそう。

ベルセルク2期

シールかわいいよシールケ。

銀の墓守り(ガーディアン)

中国アニメは途中でぶん投げなきゃいけない決まりでもあるの?(ToBeHeroは綺麗に終わったが)

進撃の巨人 Season2

原作であっさり正体ばらしてたところがアニメでも良く再現されていて笑った。3期も期待。ただ、謎オリジナル回想で尺稼ぎはやめてほしい。

アトム ザ・ビギニング

OPがうるさい/これアトムでやる必要あったの?

Re:CREATORS

話が長い。その割にキャラ対話してない。もっと話し合え。

GRANBLUE FANTASY The Animation

ゲームやってないけど、このアニメ見てゲームやってみたいとは思えなかった。

どうせなら最初から主人公百合ハーレム騎空団が見たかった。

エロマンガ先生

妹よりエルフとか和服の方が良物件じゃない?

タイガーマスクW

大助が立った!/ルリコ→タクマケビン

有頂天家族2

天満屋とか金閣みたいな憎まれ役好き/二代目の掘り下げがいまいち。なんで拗ねてたのこの人。

アリスと蔵六

超能力バトルと日常モノのどっちつかずな印象。

ID-0

ねっとりED/良い最終回だったけどなんでソーラン節

リトルウィッチアカデミア

キノコ回すき。クロワが出てきてから微妙

つぐもも

見てると懐かしい気持ちになる。

僧侶と交わる色欲の夜に…

破戒僧/おくさま劇場

番外

深夜じゃなかったりアニメじゃなかったり

アイドルタイムプリパラ

主人公&新学園でどうなることかと不安もあったが、無印と変わらぬノリで安心

ダンプリ行きたい。キンプラも良かったよ。

アイカツスターズ! 第2シーズン「星のツバサシリーズ

エルザ肉食いすぎ。ローラ彼氏面が悪化

リルリルフェアリル魔法の鏡~

アンチューサが普通に先生やってるの笑う。

仮面ライダーアマゾンシーズン2

さっきまで命だったものが辺り一面に転がる。

孤独のグルメ Season6

釣りバカコラボ原作たこ焼き回を再現していたのが面白かった

境界のRINNE 第3期

るーみっくわーるどすごく好きなのでこのままずっと続いてほしい。

上坂すみれのヤバい○○

すき:内田宮野

キツイ蒼井翔太

ヘボット!

平常運転

仮面ライダーエグゼイド

新檀黎斗が面白すぎてずるい。

キラキラ☆プリキュアアラモード

ジュリオくんが実は女の子で6人目の追加戦士に…という予想は外れた。

キュアパルフェが追加メンバーとすると、6人プリキュア体制って初なのでは?(5GoGoのミルキィローズは除外)

ドラゴンボール超

ケール×カリフ

2015-01-24

大富豪は将来文化財になるような豪邸を建てろ!

★昔の権力者や寺社が建てた建物は、その後歴史教科書に載って、テストになって小中高生を苦しめる。

 法隆寺東大寺平等院金閣銀閣日光東照宮など。

 200年後とか300年後の歴史テストでは「霞が関ビル」「六本木ヒルズ」「広尾ガーデンヒルズ」とか出題される?

 また、時の権力者の私邸も、数百年もすれば観光名所になり、史跡指定されたり重文扱いされたりする。

 なので、「孫正義の私邸」「ユニクロ柳井の私邸」「三木谷の私邸」って、

 100年200年もすれば重要文化財となり、入場料を取って公開されているかもしれない。

 言い方を変えれば、孫正義とか、ユニクロ柳井とかの「オーナー経営者」、数百億円数千億円の資産を貯めた人は、

 後世から重要文化財だ」と評価されるような豪邸を建てなきゃ、歴史的存在価値が問われる

★「源氏物語」とか「枕草子」とか、日本古典文学を今の小中高生必死になって学習しているが、

 これも当時のウルトラエリート間、超金持ち同士の文化学習なんだよな。

 今で言えば孫正義三木谷の間のメールのやり取りを、数百年後の受験生が解いている、的な

 でも、200年後の受験生は、孫正義三木谷間のメールのやり取りよりも、

 マイルドヤンキー間のやり取り記録とかを学習していそうな悪寒

 エグザイルがうんたらかんたら、てな内容

★そう考えると、今のパワーエリートたちの、「後世へ文化を残す能力」は、

 1000年前と比較すると大幅に衰えているんだろうなあ。

 この辺を嘆いて、渡部昇一は「日本社会もっと格差化しないと、文化が残せない」と言ってたわけだ

オーナー企業御曹司、例えば大王製紙御曹司なんかだと、別に親父の会社入社して働かなくても、

 一生遊んで暮らせる財産があるんだから、そういう御曹司は働かずに豪遊して、むしろ文化」を後世に遺してくれた方がいいんだが。

 それこそ、私財を投じて巨大カジノでも作れば、200年後に名が残る

 お隣の韓国などは、オーナー企業御曹司会社世襲しているのですが、御曹司自らモーレツに働いている。

 サムスン御曹司大韓航空御曹司も。

 韓国財閥御曹司のうち1人くらい、会社役員にならずに、成人してから数十年間豪遊しまくって「文化」を残してほしい

 その点、ヨーロッパ辺りの富豪の中には、一生働かずにモナコ辺りで豪遊する人生を謳歌する貴族もいる。

 そして、一生豪遊を許容するヨーロッパ文化がある。

 そういう社会から、いろいろな文化が醸成される

 自分は「40歳代にして累積5億円稼いだような人」や「40歳代にして親から遺産2億円相続したような人」に対して

 「いい加減働くのを止めて、人生エンジョイしようよ」と(ツイッター上で)早期リタイアを勧めているのだが、

 それは、彼らに「文化」を創って欲しいからであります

2013-07-16

日本小説72編の書き出しを集めて作ってみた小説 「四季

第一章

十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。

九歳で、夏だった。幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。

引越そうと思う。

八月、ひどく暑いさかりに、この西松住宅地引越した。

八月のある日、男が一人、行方不明になった。 県営プール水泳競技場。 兵学校出身者や予備学生から成る飛行学生や、飛行予科練習生(予科練)は、茨城県土浦霞ヶ浦での練習機による教育を終えると、戦闘機陸上機要員を除く多くがここに来て、急降下爆撃を行なう艦上爆撃機(略して「艦爆」)や、同じく水平爆撃や雷撃を行なう攻撃機(略して「艦攻」)などに乗り組んでの訓練を短かい期間に集中的に受ける。

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

飛行機の音ではなかった。 街を眺めながら鈴木は、昆虫のことを考えた。

「ばあちゃん、もう春は来とるんかな」

今は夏。

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これは私の知る限り、最も不思議な事件だ。

つい先だっての夜更けに伊勢海老一匹の到来物があった。 メロス激怒した。 花の木公園にはうさぎが棲んでいる。 ふと気づいたときには部屋は赤に染まっていた。 目を覚まして最初に目にはいったのは、やけに高く見える天井だった。

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。 パン屋襲撃の話を妻に聞かせたことが正しい選択であったのかどうか、僕にはいまもって確信が持てない。

第二章

北京の空は紺青に澄みわたり、秋の陽が眩く地面を照らしつけている。 風は全くない。

百人一首を全部暗記している、と得意そうに宣言した少女に対し、周囲の生徒がすげ-、うそ-っ、と驚嘆の声を上げるのを、光紀はきょとんとした顔で不思議そうに見回していた。

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」

放課後の校舎は、静かでなにかしらさむざむしい。 音楽室でラヴェルの『亡き女王のためのパヴァーヌ』を弾いていると、ドアが乱暴に開いて、背の高い男子生徒が入ってきた。

「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」とカラスと呼ばれる少年は言う。

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ある日の暮方の事である。 薄曇りの空には、数多くの鳶やカラスが、乱舞していた。

僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。 この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。

第三章

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

越後の国に枝折峠という難所がある。 越後春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。 美国が暮れに松籟館に残る決心をしたのは、別に大層な理由があったわけではなかったが、寛司が残ると聞いたのもその一つであることは確かだった。

道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。 駐車場には、約束時間よりも早めに着いた。

関東生命相模原本社への最終便は、東京本社を六時十五分に出る。 おろち峠を越えると、山の斜面には、まだ雪が残っていた。 電車綾瀬の駅を離れたところで、雨が降り始めた。

慶応四年旧暦一月七日の夜更け、大坂北浜過書町の盛岡南部藩屋敷に、満身創痍の侍がただひとりたどり着いた。 とてもいい気持ちだ。 明治十年の二月に永野信夫は東京本郷で生まれた。 彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。

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鉄三のことはハエの話からはじまる。 私は、その男写真を三葉、見たことがある。 私はその人を常に先生と呼んでいた。 正式には松本春綱先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。

つくづく不思議光景だと思う。

第四章

私は此れから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのまゝの事実を書いて見ようと思います

まり春休みはいったばかりの月曜日野島が初めて 杉子に会ったのは帝劇の二階の正面の廊下だった。

夕暮れの盛り場には期待が満ちている。 玄関の扉を引くと、いかにも作りものめいた芳香剤香りが鼻腔を刺激する。 いちばん好きな花はフリージアだった。 厚い雲が月を隠すと、江戸の夜の闇は、ずしりのしかかるように重かった。

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たった二十六文字で、関係のすべてを描ける言語がある。 「最初の機会で恋を感じないなら、恋というものはないだろう」と言ったのは、イギリス劇作家マーローだ。

或春の日暮です。 二人の若い紳士が、すっかりイギリス兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。

「普段からこんな色なんですか、あなたの目」

人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。 恋は人を壊す。 第一印象は信用できない。 完壁な文章などといったもの存在しない。

今夜、死んでしまいたい。

終章

西の魔女が死んだローマ教会に一つの報告がもたらされた。

いい金づるが見つかった。

(完)

2010-12-07

アラサーにして初めて京都へいった

修学旅行前日にインフルエンザになり、アラサーになるまで京都にも新幹線にも無縁だった人間京都へ行ってきたよ!

東山から四条三条北上後、大宮壬生を回り、島原へ南下し、西本願寺から京都タワー~豊国神社という徒歩旅。

所感

  • 細い裏路地あるけば寺社仏閣にあたる

どこもそうだったけど、四条大宮から壬生へ抜ける細い路地を歩いていたら1kmない距離なのに6、7軒は寺があった

  • 町のいたる場所に社や祠

路地を歩いているとそこらじゅうに小さな社があった

ごく自然にそういう文化根付いてるなと感じる都市だった

条例高層ビルが建てられない為とは知っていても、京都タワーから一望できる眺めが凄い

京都タワー以外高いものがない凄さ

  • 町並みが当然古い!

都内と違って空襲で焼き払われていない分だけ古くからの家をそのまま使っている感じ

金沢で見た武家屋敷の通りよりも広範囲

あらゆる人種が居る

マナー観念が違うので注意(普通に足踏まれてスルーされた)

交差点クラクション音に驚いて顔を上げたが、酷い時は数分に3、4度クラクション音がなっていた

首都圏ではどんなに渋滞していようとクラクション音をそうそう聞く事はなかったのでびっくり

それから交差点を観察しながら歩いてみたら、赤信号なのに3、4台右折していく感じだった

そして対向車が切れず右折出来ないで居るとクラクションを鳴らす感じ

車の流れがあって多少無理でも曲がる事はあれど、完全に赤信号なのに数台は堂々と右折していったのでびっくり

都内でトイレットペーパーが無い駅はほぼ見かけないのに対し、京都駅普通にトイレットペーパー無かった

金閣寺もなかった(流石に旅館にはあったが)

その代わり備え付けのトイレットペーパー販売機があった

盗難はあれどトイレットペーパーを備え付けない店は無いという勢いの首都圏に対して

京都はただ単にトイレットペーパーすら売りつける商魂逞しい土地なのかどうか・・・

総武線内で席に座った全く無関係の隣あった男女3人全員iPhone弄ってて吹いた位なのに

阪急では携帯弄り率が低かった(弄ってる人いたかいないかレベル

コンビニ歩道で何度かぶつかりかけた

はい京都駅は左によって右を空けていたり、観光客が多いとそうでもない模様

京都駅だったらごめんなさい、と前置きして三条川原町等三条通りかなと

阪急や他の地下鉄が乗り入れていて、京都駅伊勢丹だけなら、ここは大丸阪急高島屋に色んなブランドの店が有

病院へ入った時に喋っていると周囲からの目線が軽く刺さるような雰囲気になった

これが噂の・・・と思った

しか観光地を周っていると観光客慣れしているのか色々親切に教えてくれた

昔の話をしてくれたり、資料を貸してくれたり、いい人たちだなと感じた

新宿とは違ったでかさ、東京駅と比べてはいけないが、番線数やダンジョン度は東京の方が数倍上

都内の景観を無視しきったカオスな立て方のでかさではなく、なんでこんなオブジェクト作った?的な

恐らく普通の人が混雑した清水寺金閣寺銀閣寺を周っても、人の山過ぎて綺麗という観念が薄くなると思う

なんだただの普通の寺か~で終わる可能性大

ヲタ的には金閣銀閣触手に触れず、広隆寺だの東寺だののがクるだろうし、

歴史ヲタなら平安鎌倉江戸末期とおいしすぎる上、ヲタスポットは断然人が少ない

勿論景色は綺麗だし料理は美味しいけれども、一般人リピーターになるレベルまでは行かない気がした


勝手におススメな歩き方

  • 細い路地はどんどん入れ

本当に碁盤の目、ここは行き止まりだろ・・・という道こそどんどん突っ込んでいくと古い町なみが拝める

道が行き止まりにならない事を容易に悟れるはず

そのうちいつの間に寺の裏門へ出たりして、この界隈の人しか知らないルートを発掘出来る楽しさ有

殆どの人は一日バスフリー利用券(500円)で回っている模様だがバスは平日でもかなり混雑している

観光案内通りにバスに乗ると混みまくるので、自分適当接続ルートを探して乗るとかなり空いていた

例えば金閣寺行き、駅と接続しない祇園から乗るとスカスカで座れたり・・・みたい

ただ基本、街中の観光名所がかなり歩ける距離なので、ちい散歩ブラタモリするのがおススメ

湯島から上野までとか表参道から渋谷までとか、遠くて秋葉原から上野まで、みたいな距離

壬生寺に幕末京都の古地図が売っていたので、かなりブラタモリが出来る

寺は拝観料を取られるので(200~1000円程度目安)多く回る人は寺一つ頭千円で持っておいたほうがいいか

高い見積もりかもしれないが、絵馬や御朱印、お守り収集や国宝観覧をするなら足りない位

カメラ撮影禁止の場所も多いが、撮影可の場所もあるのでカメっこは必須

  • 土日祝日は有名どころを外す

親の付き添いで金閣寺へ行ったら浅草並みの混雑で泣いた

しか弥勒菩薩が居る広隆寺平清盛像のある六波羅蜜寺や風塵雷神屏風の建仁寺スムーズに入れた

ツアーコースに入らない寺は国宝があるとはいえ案外空いてる

どうしても土日なら土曜日に有名所へ

  • 行動は朝9時から18時に

寺社仏閣の参拝時間が長くなっているとはいえ、夜間拝観除いてこの時間内に周らないと見れない

 
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