1935年、無断で日本に持ち出される…所蔵者を説得して韓国へ
朝鮮の石造の品が人気だった植民地時代…違法な持ち出しの規模は把握されず
1935年11月26日、東京・上野公園で大規模な展覧会が開かれた。
日本・朝鮮の陶磁器や木製の器具など2500点、石造の品100点、織物350点が展示された。
見事な美術品の間でひときわ目立ったのが、朝鮮から渡ってきたさまざまな石造の品。
高さ2.9メートルもある「新羅三層石塔」をはじめ、朝鮮の石灯、小型石塔、石人などが人気を集めた。
世界的な骨董(こっとう)商だった山中商会が主催したこの展示は、実は売るために物を並べた競売展だった。
山中商会は図録で「数年にわたって収集した朝鮮古代の各種石造物を展示し、見どころを豊かにした」と宣伝した。
最初の二日間はVIPを招待し、続く三日間は一般に公開、ほとんどの品を売り切った。
威風堂々たる「新羅三層石塔」は11月28日、ある日本人コレクターに売られた。
そのコレクターは、佐賀にある邸宅の庭園に石塔を運び、生涯これを鑑賞した。
当時一緒に購入された朝鮮の石灯や石人などは、駐車場などあちこちを飾った。
植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。
学古斎ギャラリーの禹燦奎(ウ・チャンギュ)代表は「10年かけて日本人の所蔵者を説得した末に購入し、昨年11月に韓国へ持ってきた」と語った。
石塔を研究している檀国大学のパク・キョンシク石宙善記念博物館長は「新羅の塔と誤認されたが、新羅塔の様式を継承した高麗初期の石塔。堂々としていて素晴らしい比例の美が際立ち、新羅から高麗に至る過渡期的な建築様式が生きている秀作」と語った。
朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。
『石造文化財、その受難の歴史』の著者、チョン・ギュホン氏は「朝鮮において塔や仏塔は宗教的な意味合いが強い上、村の象徴などとして尊ばれており、個人の所有物だとは考えられなかった」と語った。
また、石塔を研究しているシン・ヨンチョル梁山市立博物館長は「贈り物としても数多く海を渡った仏像・仏画とは異なり、日本にある韓国の石造の品のほとんどは、植民地時代に違法に持ち出されたもの」と語った。
当時、日本では朝鮮の石造の品を「観賞用」として購入し、庭園に据えることが流行した。
石造りの物への需要が爆発的に増えたことを受け、士大夫(知識人・官僚階級)の墓にある「魂遊石」まで持ち出したという。
1933年11月に大阪で開かれた山中商会主催の競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。
現在、日本に韓国の石塔がどれだけあるのかについては、おおまかな数字を把握することも困難だ。
1965年の「文化財および文化協力に関する協定」で返還された文化財の中に石塔類が含まれなかったのも、ほとんどが個人の所有だったから。戻ってきた「高麗三層石塔」は現在、ソウル市昭格洞の学古斎新館横に立っている。
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=023&aid=0003148851
>>1933年11月に大阪で開かれた山中商会主催の競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。