はてなキーワード: 整合とは
マイメロママの「女の敵はいつだって女」という名言というか暴言がのったグッズが叩かれて発売中止まで行ったんですが
あれがダメならミステリと言う勿れの整くんの「おじさんたちって、特に権力サイドにいる人たちって、徒党を組んで悪事を働くんですよ」というセリフもだいぶまずいと思うんですよね。
一応前置きとして、偏見の塊でだいぶ無茶なことをいうと、という断りはあれど。
ミステリと言う勿れをキャンセルしろと言ってるわけではないです。
むしろその逆で
架空の作中のトリッキーなキャラクターが無茶苦茶なことを言う、なんてよくある話で
この程度で言ってたら常識的なことしか言わない人物しかフィクションに登場できなくなるのでは、ということなんです。
今回のグッズ販売中止に当然だと言う反応している人たちはどのように整合つけてるのか気になるのです。
もちろん、不愉快だとか時代に合わないという批判をするのは自由だし問題ないと思うのですが
販売中止にまで行ったらやりすぎたと考えると思うんですよね。
それを言ったら公共の電波でしかも月9で「おじさんは悪」みたいなセリフをそのまま流すのは問題ないのか
僕個人の考えとしては
作中でピーキーなキャラが言ったことを前後のコンテキストを読まず鵜呑みにする人が問題なだけで
そして、そのキャラが気に食わなければグッズを買わなければいいだけだと思うんですが違うんですかね
仮想システムを構築するにあたり、CIFS しか使えない NAS をバックアップ用に選定してきた SI 屋さんが居たので、CIFS と iSCSI のどちらが早いのか、試してみました。
テストに使う NAS は QNAP の Turbo NAS TS110
http://www.tekwind.co.jp/products/entry_6719.php
です。もう6年以上愛用して、カビが生えてもおかしく無い程に古いし, Marvell 800Mhz という低スペックな Qnap NASです。 100Mbps 時代のモノです。
昨年、HDDがお亡くなりになったので、3Tb の HDD に交換しました。ファームウェアはこんなに古い機械でも、QNAP シリーズの最新バージョンが利用できます。
iSCSI は、今あまり見なくなりましたが SCSI ケーブル規格や、SASケーブル接続のハードディスクを、一般的なIPネットワークで規格で仮想化したものです。
マウントするホストシステム側は iSCSI initiator, ディスクストレージの機能を提供する側を iSCSI Target と呼びます。
ホストから「マウントするしない」はイニシエータ側のソフトウェア的な操作で行います。これは便利な機能で、ディスクの故障などで、一時的に物理的に取り外さなければいけない場合でも、ホストからの操作だけで実際のケーブル結線の脱着を行う必要がないので、今時での SAS の外付けディスクドライブの様に、ホストもシャットダウンして電源を切り、結線を外して修理、交換する、という必要がないので、ディスクデバイスの修理をホストの電源を止めないで実施できると言う、実に便利な事ができます。
という事で、仮想環境では実に使いやすいストレージデバイスなのです。
マウントするホスト側から見ると単純に SCSI/SAS のハードディスクに過ぎません。iSCSI のストレージをマウントしてからは、通常の増設ディスクの様にフォーマットして、ホスト側で使う一般的な XFS, ext4, NTFS などのフォーマットでフォーマットする必要があります。
Linux の iSCSI ターゲット側からは、内部にターゲットとして使う「巨大なファイル」が、どん! とあるだけです。この巨大ファイルを、イニシエータ側に仮想ディスクイメージとして提供しています。当然シンプルな仮想イメージなので、ファイルそのものをバックアップコピーすれば、ストレージのイメージそのもののバックアップができます。
※ qnap NAS の場合、iSCSI イメージは、 /share/HDx_DATA/.@iscsi.img の下にドンと作られるようです。
[Solved]How to mount iSCSI file?
https://forum.qnap.com/viewtopic.php?f=180&t=25322
[/share/HDA_DATA/.@iscsi.img] # pwd
[/share/HDA_DATA/.@iscsi.img] #
[/share/HDA_DATA/.@iscsi.img] # ls -l
-rw------- 1 admin administ 6442450944 Nov 12 2017 iSCSI-2015ace1-5a078d66.000
-rw------- 1 admin administ 1073741824 Jun 24 09:52 iSCSI-lun4-5d0de534.000
-rw------- 1 admin administ 107374182400 Nov 4 2015 iSCSI-nss01-56399e1a.000
-rw------- 1 admin administ 5368709120 Nov 11 2017 iSCSI-nss2015-5a06cf6d.000
-rw------- 1 admin administ 21474836480 Jun 22 17:11 iSCSI-test-56b3ce90.000
-rw------- 1 admin administ 5368709120 Jun 22 17:11 iSCSI-test-56b3ce90.001
[/share/HDA_DATA/.@iscsi.img] #
※ とても重要
CIFS/NFS のファイル共有NAS と違い、iSCSI でマウントして一つのターゲットを制御できるのは、一つのホスト、一つのイニシエータだけです。複数のホストからイニシエータでマウントする(できちゃいます)と、ファイルの排他制御は行われないので、ファイルシステム自体の不整合が起こります。
つまりファイル共有という目的には向いていない、という事です。あくまでも iSCSI ターゲットはネットワーク上の仮想ディスクです。
もっとも、一つのホストからマウントしてファイルを保存して、いったんオフラインにして、ターゲットを別なホストからマウントする、という事はできます。また、ターゲットは一つの iSCSI デバイスで複数作れるので、1台の iSCSI 装置に複数のターゲットを実装して、複数のホストから別々のターゲットイメージをマウントする事は問題ありません。
極端な話、ホストのハイパーバイザーは USB メモリやSANブートさせて、後はマウントした iSCSI の仮想イメージ上で、仮想マシンを動かす、HDDレスなハイパーバイザー運用もできます。
物理的な転送速度は、ネットワークの速度とディスクデバイスの性能に依存します。当然 10Gb base のネットワークカード、HUB、高規格なケーブルを使えば、論理的な性能は 10Gbps です。大抵は NAS の性能がそこまで出ないのですけどね。ヨドバシカメラあたりで売っている 4,000 円程度の 1G HUB でも、そこそこの性能が出てしまいます。
距離は、IPがつながればどこでもなので、ホストコンピュータとメインのストレージを自社のサーバールームに置き、イニシエータを動かし、バックアップ用の iSCSI ターゲットをデータセンターに置く、なんてこともできます。
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感想(0件)
iSCSI の耳慣れない言葉に LUN (論理ユニット番号 : Logical Unit Number)というのがあります。
昔の SCSI は、 SCSI バスアダプタに7番のIDを振り、残りの 0 ~ 6 のディスクや CD, Tape などに ID を振り分ける物理的な3ビットのディップスイッチやジャンパ端子が付いていました。これが SCSI アドレスです。
これが実に難物でした。特に、複数の SCSI バスアダプタカードをデュプレクス設定する場合、割り込み番号も別々にするので、手が滑ってジャンパピンを飛ばして床を這いまわって探したり、難解なディップスイッチを前に数日悩んだものです。
つまり一つのSCSIバスには 0~7の合計8台(うち大抵7番はSCSI バスカード)の物理ユニットデバイスがつながって別々に見えたという仕組みだったわけです。
ところが SCSI バスを使った Raid コントローラが出てくると、ディスクの鈴なりが、一つの物理デバイスに見えてしまうわけです。これを「論理的な仮想番号」に分割して、システムからは、単一の鈴なり Raid ディスクを複数の論理番号に分割したわけですね。
これが LUN というヤツです。
iSCSI 機器のターゲットも、内部のソフトウェア的に複数の論理デバイスに分割して、複数のホストコンピュータから複数の物理デバイスのように見せかけるわけです。
別々な LUN は一つ、あるいは複数の iSCSI 機器によって、複数のホストに別々のディスクデバイスとして見せかけるンです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Logical_unit_number
Qnap NAS の場合、iSCSI ターゲットはウィザード形式で簡単に作成できます。EXT4 ファイルシステム上で、オンラインでも簡単にサイズの拡大ができるので、 Windows の Storage Server のように NTFS の VHD 形式ではないので、そこそこ性能が出ますが、いかんせん古さと遅さは否めません。
Qnap NAS の iSCSI ターゲットの設定は、偉そうな Linux 系サイトに書いてある程、面倒なことはありません。ストレージマネージャから iSCSI タブにあるウィザードに従って iSCSI ターゲット名に任意の名前を付けると IQN にその文字列が追加されるだけです。わざわざ vi エディタに「正確に」綴りを間違えずに設定する必要もありません。ここでは Chap 認証は付けませんでした。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16405779.jpg
機械は古いのですが、逆に言うと、「古くて遅い」ため、サーバーとNASとの接続プロトコルの性能差が、如実に現れる事になります。
QNAP TVS-951X 10GBASE-T/NBASE-Tポート内蔵
Windows10 の Microsoft 製 iSCSI イニシエータは「コントロールパネル」>「システムとセキュリティ」>「管理ツール」の中にあるので、ここで、設定済の iSCSI 「ターゲットを」 「検索」して選んで「接続」します。Chap 認証を付けておいた場合はターゲットで設定したパスワードが必要でしょう。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16412132.jpg
新規に作成して、接続した後は、フォーマットされていないため、ディスクマネージャからフォーマットして使います。ちなみに、フォーマットして利用した iSCSI ターゲットの仮想ディスクは、他のマシンでマウントすることもできます。つまりHDDを取り外して、他のPCに繋げる事と同じことですね。
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ちなみに opeSUSE で使うにはこんな感じになりました。
open SUSE Leap 15.1 で iSCSI NASを使ってハマった
https://islandcnt.exblog.jp/239328437/
一番イラつくのは、巨大なファイルの転送でしょう。という事で 3G 程ある SUSE Linux のインストール用DVDの ISO ファイルを CIFS でコピーしてみます。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16414334.jpg
3分11秒かかりました。1Gビットネットワークで 12~3% 程度の帯域を使って通信しています。明らかに古いNAS の性能が足を引っ張っているようです。
スループットは 150Mbps 程度で全体の最大15%程度でしょうか。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16415832.jpg
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16422170.jpg
初速は出るのですが、その後は、ボロイ TS-110 の性能がモロに出ます。それでも 20 MB/s から 25 MB/s 程度は出ています。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16423835.jpg
2分25秒でした。 大体20%程度のスループットです。
--
数字に弱い私の脳みそですが、 iSCSI は CIFS より 1.5倍くらい早い、という事が言えます。
Zabbix で QNAP TS-110 の I/O を見てみると、前半の CIFS アクセスより後半の iSCSI アクセスの山が高い事がよくわかります。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16425860.jpg
CIFS を使ったリモートディスクのマウントは、他のPCからもアクセスができる、というメリットがありますが、iSCSI は単一のホストからのアクセスしかできません。<--- これ重要.... -- もっとも、ターゲットストレージを複数作って複数のサーバーから異なるデータ領域にアクセスはできますが -- バックアップ用途や、サーバーの増設ストレージとして考えれば、良い選択であると言えます。
もっとも、iSCSI デバイスそのものは、ターゲット単位で別々なホストから接続できます。しかし同じターゲットで別々のホストからイニシエータから繋ぐと、とても笑いごとにならない事態になるので、普通やりません。
ハイパーバイザー同士で一つのターゲットを共有してライブマイグレーションはしたことはあります。
こうした性能のわずかな違いが、仮想化システムのハイエンドな領域で違いとなって出てきます。なお Qnap でも openiSCSI でも Windows Storage Server でも取った領域そのままのサイズのでかいファイルが作成されるようです。
国産 NAS の「ハイエンド」と称する「LANxxxx」などのモデルでは Windows Storage Server を使って NTFS フォーマットしています。Windows Storage Server は見た目 Windows サーバーそのものなのですが、ところどころちゃんとデチューンされているようで、SOHO向けが限度です。
こういった国産 NAS メーカーの製品カタログでは、「ハイエンド」は Windows Storage Server を搭載して、低価格のNASは Unix 系のシステムで「低価格」を謳っていますが、そもそも、上位モデルは、CPUやメモリの性能が高いものが使われています。性能が違うのは当たり前なのですが、あまり性能が出ないだろうと思います。
Windows Storage Server じゃなくて、ちゃんとした Windows Server と CAL 買えよな、という事なのですね。
このあたりは独自OSを NAS としてチューニングした Qnap や Synology, asuster などの iSCSI 機能付きの NAS を中規模ネットワークのミドルレンジの NAS として利用したほうが良いと思います。
仮想環境でのネットワークアタッチストレージ(NAS)は、本回線(構内LAN)とは切り離し、ストレージ専用のネットワークとして独立して運用させるのが基本です。サーバーとNAS間で凄まじい通信が発生します。サーバーNICが2ポート以上のものが推奨されます。
iSCSI はあくまでもネットワーク上のストレージのみの機能を提供するものであり、ファイル共有の手段ではない、という事です。
NAS をCIFSで使うと NAS が持つ独自のアクセス権限を設定しなければなりません。セキュリティも当然 NAS 独自の機能で設定します。
iSCSI はあくまでも「外付け SCSI デバイス」のネットワーク版なので、マウントする側のOSそのもののファイルシステム、セキュリティ機能、アクセス制限がホスト側の機能をそのまま利用できます。セキュリティ的には、マウントする際のパスワード制限しかないので、独自のストレージネットワーク内に配置すべきで、ユーザが使う構内ネットワークに配置すべきではありません。
死刑制度が無ければ、自分の大切な人間を殺した人間に報復しても制度に殺される心配が無いから、廃止した方が良いやん?
……というのは冗談だけれども、「復讐したい」という気持ちと「死刑という制度への反対」は同時に成立し得るわけで、その二つを直結させるのは、ちょっと飛躍があるよ。同じく、死刑制度存置派が悪でリアリストで、死刑制度廃止派が善でグローバルスタンダード、みたいな思い込みも、ちょっとものごとを単純に見過ぎているよね。
個人的に感じる、そもそも漠然と「人を殺すこと」への忌避感は、「死刑だ!」と叫ぶ人の中にも当然あるわけだよね(だからこそ殺人に対して過剰に反応するわけだから)。だから、「人を殺してはいけない」という規範と整合的なのは、むしろその「人を殺したくない」という気持ちであって、制度をそちらに寄せて設計するというのはそれなりに理には叶ってると思うんだよ。死刑制度が必要と叫ぶ人は心の中では、周囲が蛮族しかいない状況で暮らしていて制度的にそこまでキツく縛らないと誰もが人を殺しかねない、と感じているのかもしれない。……まあ、昨今のニュースを見ていると、ここが蛮族の地であることを、いまいち否定しきれないけれども。ただ、安心を求めたいのは分かるとしても、それはいわゆる「お気持ち」であって、本当にそれが制度としてベストなのか、っていうのはまた議論の余地があると思うんだよ。
たとえば、いわゆる凶悪犯罪に関する資料を読んでいると、「人を殺したら死刑になる(からやめておく)」みたいな歯止めが一体どれくらい有効なのか、まさに「現実的に」考えて疑問に思うことはあるよね。どちらかというと、「人を殺したら自分が殺されるから利益が無いな」と考えて殺人を止めるという思考はほとんどサイコパスの(=極端に合理的にしか物事を処理できない)それであって、一般的な人は、よほど追い込まれたか自暴自棄になって殺人を犯すんじゃないだろうか。だとしたら、「死刑がある」から歯止めがある、という論には説得力がないよね。まあ、「自殺したいけど自分で死ぬのは怖いから死刑になるような犯罪をやりました」とかいうとんでもない人間がいる時点で、歯止め論は破綻しているんだけども。
いわゆる凶悪犯罪(殺人も含めた)を犯した人が社会に戻って、再び刑務所に入る確率って、だいたい1~2割だと言われている。やっぱり1~2割のヤツは凶悪じゃん! て思うだろうか。それとも、刑務所帰りの人にそれなりに冷たい社会であるにも関わらず、凶悪犯罪をする人だって、状況が違えば、あるいは、適切な教育を経たなら、8~9割の人は殺人なんかしない人だった、と考えるか。これは、半分水が入ったコップを眺める楽観論者と否定論者の議論のようなもので、取りようによって見方によって異なるのかもしれない。けれども、これが(すぐ隣にある)死刑囚にも延長して考えられるなら、少なく見ても「死刑」になる人の7~8割は、状況が違えばそんなことしなかった、「普通の人」なんじゃないだろうか、と推測することは可能だ。まあ、そういう風に考える人も世の中にはいるという話として聞いて欲しい。
……自分自身が、生まれつきそんなこと考えるほど楽観的な人間観をもっていたわけではないんだけど、上のように考えて実際に行動に移す人が世の中にはいるんだよ。そして、多年にわたる行動の結果、「どう考えても救いようなんてないヤツ」としか思えないような言動をしてた死刑囚から、真人間のような言葉を引き出すのに成功したりもしている。いや、そんなことお前にできるのかと言われても、普通にできないと思うよ。でも、出来る人がいるわけだから、それを否定するのはおかしいとも思う。実際やってる人は強いよ。死刑制度というのは、そういう人や考え方を否定する制度だと思うんだよね。それって、おかしくないか。
よく言われる「遺族感情」というヤツ、これもくせ者だと思う。遺族感情って何だろう。遺族は全員「復讐」を望まなくてはいけないのかな。復讐を望むことだけが「正しい遺族」なのかな。なんでそれが決めつけられるのだろう。だって、物語とかなら誰だって言うじゃん、「復讐は何も生まない」とか「復讐にとらわれるのではなく、お前の人生を生きろ」みたいな。で、大体においてそれは正しいよね。現実世界でも同じだと思うんだけど。警察があり裁判制度が整備されている現代では、(死刑制度の有無は別として)不公正な行いに対しては社会的に処罰が行われ、個人的な敵討ちをする必要がなくなっている。それは何よりも、「復讐」から個人を解き放つことが社会としては「正しいこと」だと考えられているからじゃないかな(だから、冒頭の話は私の本音とかではなくて、ただの冗談だよ?)。死刑を存置する理由として「遺族感情」をもってくるのは、個人的には危うい理論だと思う。そもそも検証できない一時の感情を絶対の事実のように語って全体の制度の前提にする危うさ。だから「遺族感情」論にも説得力を感じない。実際に遺族になってみないと分からないし、自分がそうなったとき何を感じ何を望むかは分からない。少なくとも、誰かに勝手に自分の錯綜する内心を決めつけて欲しくないとは思うと思う。
そして、もう一度「更生」に関する話に戻るけど、そんな手間を一人ひとりにかけていられるわけないじゃん、って「リアリスト」的な方々から反発の声があがることも予想できるんよ。でもちょっと待って。それって「余裕が無い=お金がない」という、ただそれだけの話だよね。じゃあ、死刑賛成派のリアリストは、「悪いことしたからお前ら死んで」と言うフリをしながら、本当は「いや、お金がないからお前死んで」って言ってるってこと? それってひどくない。何よりも、そもそも「殺人は(理由のいかんを問わず)許されざる罪」というのは、死刑賛成派の大義名分だったのではないのか。そして、百歩譲って「その殺人の罪が余りにも重いがゆえに、死をもってしか購えず」というのが死刑肯定の最後の妥協点であるはずではないの。なのに、いつのまに「いや、実はお金がないからお前には死んでほしいんだよねー」って話になってんの? それ、お金目当てに強盗殺人とか犯した犯罪者の言い分とどれほど違うのか教えてほしい。そんなこと言う人間に、誰かを裁いて死なせる権利が本当にあるの。自称「リアリスト」による死刑賛成論にも、こうして同意はできないことになる。
そして最後に、これは同意されるかどうかは分からないけど、「国家」という仕組みを自分はそこまで信頼してないんだよね。明治、大正、昭和と近代史を勉強したせいかも分からないけど、ものすごく大雑把に言うと「国家」だって運営しているのは人間なので、とても未熟な人間がやらかしがちな誤りを犯すことがよくあるんだよ。善意でつくった法律がとんでもない運用をされて混乱引きおこしたりとか、末端の人の過大解釈を引きおこしたりとか、それによって取り返しの付かない傷を国家が負ったりとか、そんな事例が山ほどあるのね。その中でも特に致命的で取り返しの付かない被害を引きおこしかねない制度が「国家が国民を直接殺せる制度」なんだよ。たとえ獄中であっても、生きていれば、体制がまともになったときに再び戻ることもでき、取り返しがつくこともある。だけど、死んだら全て終わりなんだ。その意味では、余談になるけど、東京裁判で戦争犯罪人を死刑にしたのも、本質的には誤っていると思ってる。東京裁判自体が勝者の裁きであり……云々という話もそうだけど、彼ら戦争犯罪人に真の意味での「責任」があるかないか、生きて語らせた上で、占領終了後に改めて日本人自身の手で検証をさせるべきだったと思う。危険だと言うなら、終身刑として、検証まで徹底的に隔離して置けばよい。彼らを死刑にしたのは、復讐と、象徴的行為(つまり見せしめ)と、それから一歩踏み込んで言えば、別の責任者を免責するためという、きわめて政治的な行為だったんだろうね。戦争をきちんと精算しきれていない、という問題は、そのせいで今も日本に残る「疚しさ」という課題になっている。まあ、多少の「疚しさ」がある方が結果的には全体として健全さを保てる、という見方もあるから、そのことを100%否定したいわけでもないけどね。
まあ、まとめると、元々あった漠然とした「人を殺すことは正しいのか?」という疑問、更生に関わった人の記録、制度的矛盾への気づき……などから、20代半ばからゆるやかに死刑には賛成できないという立場になったという感じ。死刑賛成論が、純粋な正義感から発していることは重々理解する。けれども、今のところ「消極的に、現状を追認し、急激な変化への対応を先送りする……」以外に、現代において死刑を存置すべき理路が全く見当たらないんだよね。というわけで、質問に答えたので逆に教えてほしいんだけど、死刑を存置すべき、何か自分には想像もつかないような理路が他にあるのかな。それとも「死刑は行うべし」というのは、増田にとってはもう公理なのかな。
(主にNHKの) 「今日の感染者数はX死亡数はY人でした。なおZ人以下はN日連続でした。」の報道に対して、よく ”ブレイクスルーはどれだけあるのか、ワクチン接種率はどうだったのか”、というブックマークコメントがついていますね。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00294.html 厚生労働省のサイトホーム > 政策について > 分野別の政策一覧 > 健康・医療 > 健康 > 感染症情報 > 新型コロナウイルス感染症について > 新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの資料等(第46回~)
”資料2-4 全国の新規陽性者数等及び高齢者のワクチン接種率等” これはたぶん私や皆さんが知りたい数字やグラフではないですね。
第62回だと53ページの ”陽性、重症、死亡例における年代別ワクチン接種状況” をご覧ください。(第61回だと59ページ)
ソースに当たる気がない人のためにざっくりテキストデータ化しておきます。
1A)65歳未満の「陽性例」
「ワクチン2回接種済み率(直近)」はおよそ25%(ただし接種歴不明が約5%いる)
2A)65歳以上の「陽性例」
「ワクチン2回接種済み率(直近)」はおよそ75%(ただし接種歴不明が約10%いる)
★ワクチン2回接種したのに運悪く感染した人もそこそこいるようです(特に高齢者には)。
死亡に関してはばらつきが多い。数そのものが非常に少なくなってきているためだと思われます。接種歴不明も、新規・直近死亡例の中に多い(調査中かもしれません)
1B)65歳未満の「死亡例」
「ワクチン接種歴なし」の割合は30-100%、「不明またはなしの合計の率」は占める割合は90-100% 接種歴不明が全員接種済みだったりすると逆転する可能性は否定できませんが、
★「2回接種済みの死亡者が占める割合」は最大でも15%は越えなさそうです。
不明50.0%未接種50.0%の週などはおそらく、一人不明一人未接種か、二人不明二人未接種…など、そういうことだと思います。
2B)65歳以上の「死亡例」
46週はワクチン2回接種済みが50.0%不明50.0%、47週は同100%です。
不明を無視すれば上記2週以外はワクチン2回接種済み患者の占める割合は概ね25-30%です。(前述のように接種歴不明が全員接種済みだったりすると変わってきます)
なお、死亡者のうち「ワクチン2回接種済み患者の占める割合」が46.47週を除いても増えているように見えますが、これはワクチン接種済み人口の増加に伴うものの影響が考えられます。
(ワクチン接種者がゼロに近い期間は当然未接種者の占める割合が高い/100%に近く、「陽性者数」のグラフ(上記1A及び2A)の”1回接種済み”の部分の推移とも整合しています。)
したがって、このグラフからブレイクスルー(ブレイクスルーの増加)を判断するのはまだ難しいと思います。
論理性・意味・論理的である性質。文章や意見などが論理的である、論理が整合しているさま。またはそうした度合い
「結婚相手の親が子供に奨学金借りさせて自分は旅行してた!俺の金が旅行代に使われた!」のどのへんに論理性があるんだよ0だろ
だらだら話してるだけでいいんだから楽で良いよな。
あんなんて人生無駄に消費するくらいなら今のまともな仕事続けるわwww
つーかV連中ってこの先5年10年の事考えてんのかねw
人生無駄に消費するのに楽でいいよな? 秒で矛盾してるじゃねえか。
どんなまともな仕事をしてるのか知らないが、その仕事に隷属するように自分自身を矯正してるんじゃないか? 思考に不整合が出てるぞ。
バーチャルの体は不老なんだから、ファンを引き継ぐ能力は他のタレント業に比して高い。アイドルの成立は人間性に依拠しているから AI に仕事を奪われる怖れもない。固定ファン層を確立するまでが苦労するだろうし、配信を続けていくのもそもそも楽ではないけど。他の職業と違い、日々の労働に数千人以上の監視があるわけだからね。
まず抑制の強いタイプの脳ということを理解してみたい.脳の機能の強弱に個人差があるのは明らかだろう.記憶力の高いもの,そうでもないものがいる.行動の抑制を担っているのは前頭前皮質だが,ここにも機能の強弱がある.抑制の強いものが直ちに鬱みたいになってしまうわけではない.他の部位も前頭前皮質に負けじとつよい活動をするため,全体としては行動に破綻は直ちには起こらない.しかし老化やストレスでバランスが崩れると,活動の強さがあだになる.前頭前皮質による抑制が外れると,常人では考えつかないような突飛な発想を行動にうつしてしまうのだ.しかも他者からの働きかけに対して抵抗してしまう.この時狂気が顔を見せる.他人の目に異常に映るようになるのだ.しかし本人にとっては以前と変わらない風景が続いている.むしろ抑制のない快適な世界でさえある.周囲のものとの一瞬の軋轢を除けば以前よりも爽快だ.一瞬の軋轢とは,クイックペイと言っているはずなのにEdyが出てきてしまうようなイベントのことだ.それすらずっと先から続いていた経験があるから違和感を抱くには至らない.どこまでも整合的に感じられる.かくして狂気を自覚することはついぞない.ではトリガーと呼ぶべきものはどこにあったのだろうか?加齢か?ストレスか?部分的にイエスだが,加齢やストレスは日々連続的に蓄積されるものであるから,トリガーという言葉の印象に合致しない.真にトリガーと呼ぶべき瞬間は,抑制の強い頭脳をもって生まれたその瞬間こそが相応しい.生まれながらに狂気を潜在的に運命づけられているのだ.ではどうすればよいのか?合法的で簡便な方法は喫煙である.脳機能を低下させることで狂気の現出を抑えられる.ただし一度に吸い過ぎると逆効果だ.カッカしてくる.あるいは規則正しい生活,早寝早起きも有効だろう.規則的な生活は万病に効くから,狂気にも対抗できる.少なくともまともな期間を延長できる.と思う.多分そうだ.あてずっぽうというか,でたらめを書いてみた.とにかく睡眠運動瞑想野菜マシマシを怠るものの末路はいつも悲惨と言われていることだけは確かだ.メリークリスマス.
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/segawashin/status/1459646167860805632
批判っぽいブコメが集まったらコメント非表示になってしまった。普段は自分もはてブ利用してる人が、自分がブコメされる側になったらソッコー非表示にするのって「俺は一方的に石を投げたいだけなんだぜ」っていう明快な意思表示だと思うんだけど。
瀬川深さんってイデオロギー的な賛否はともかく、清廉潔白と言うか、正義の側と言うか、当人的には「正々堂々と正しい側であろうとしている人」だと思ってたんだけど。
こんなケチな卑怯者みたいな、ちょっと都合悪くなったら追求を逃れるために仮病で入院する自民党の幹部みたいな態度で、本人の中で何らかの整合が取れてるんだろうか?
私も気になるので追加質問。
wikipediaによるとイーサリアム、ビットコインキャッシュ、Flowなどのブロックチェーンは、それぞれ独自のNFTの仕様を定義しているらしい。
そうすると技術的には、例えばイーサリアム上でのNFTとして登録された作品が、ビットコインキャッシュのブロックチェーン上で別のNFTとして重複存在できてしまい、それを防止する手段は存在しないように思える。
ブロックチェーンは自身のチェーン内でのデータの正しさは判定できるが、ブロックチェーンシステムAとブロックチェーンシステムBに記録されたデータが不整合を起こした場合にどちらが正しいのかを判別できない。
これは「(複数のブロックチェーンを擁する)世界」の中で唯一性を持つ必要がある非代替性トークンにとっては問題なのではないか?
訳語として創作された造語だからな。定型句としてone of the mostを意味しているのであって、「最も」という既存の語彙と論理的に整合しているわけではない。
「こんにちは」が「今日は」を意味するわけではないのと似てる。
ちなみに数学ではよく「〇〇であるための必要十分条件は××である」という言葉遣いがされるが、これもif and only ifの訳語として創作された造語であって、「~~は××である」という日本語構文と論理的に整合しているわけではない。なぜなら「〇〇であるための必要十分条件」は××以外にも無限にあるはずで、「××しかない」訳では無いからな。
その路線の主張ってール付き必須の規定があるときにしか成立しないよね
実際には他にも選択肢がありつつパンプスを履く場合はヒール低めにするようにって規定なわけで
端的に言って君はバカ
石川優実をこのツイートの件で批判するのであれば、Kutooとの矛盾を指摘するのではなく
以前ツイッターのヘッダーを葬式に靴と自身のヌードを合わせた写真にして
>そうなんだ! 見てなかったけど、逆にその仕立てでよく「なぜ文革が起きたのか」が説明できたもんだな。
だから、全くしてないんだよね。時間がないせいもあったのかもしれないけど、毛沢東の独裁政治がずっと続いた、というストーリーの中にふわっとまとめて誤魔化していた。そもそも文革や天安門事件で突如沸き起こった下からの群集的な運動も中国社会の一面なんだけど、これが独裁政治とどう整合的に説明できるのかも全くない。他にもニクソン訪中などの外交や国際情勢についてもほぼ触れていなかった。最近のNHKの中国特集にはあまり期待してなかったけど、予想以上にひどかった。
そもそも毛沢東時代を暗黒化する歴史観も古くて、初等教育制度の確立や鉄道や道路のインフラの整備、感染症の撲滅などが急速に進み、その後の高度経済成長を準備した時代であったことも正当に評価しなきゃだめだろうと思う。
『公助は削って、福祉は家族による相互扶助を基本とする』に対して、そんなことしたら社会が貧困化するよという主張が感想レベルだからダメですかそうですか。そもそも自助や互助で貧困は防ぎきれず、その貧困への対策が共助、公助なわけなんだけども。こんなことは常識の範疇と思っていたよ。
この自助・共助・公助という3分論は、自民党の綱領(平成22(2010)年)で政策の基本的な考え方として採用されている。「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する」とある。菅氏の発言は自民党員として、党の綱領に忠実であったともいえる。また、社会保障制度改革推進法の第2条には、「社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。一 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」とあり、法律の文言にもなっている。
総理大臣になった菅氏が、この社会像としての3分論を具体的な政策の中でどのように生かしていくのかは分からないが、これまで、介護保険制度の創設と運用にかかわり、自助・互助・共助・公助という4分論を唱えてきた筆者としては、共助の主体に地域とともに家族が含まれていることと、地域以外に共助の主体が想定されていないことに若干のコメントをしておきたい。
われわれは、人生の途中で、老化に伴う日常生活上の困難や思いがけない病気、事故、災害など、さまざまなリスクに直面する。このように何か問題が生じて解決を迫られたときに、まず、本人が自助努力で対処する。しかし、それでは無理なときは、本人の身近にいる家族・友人・隣人などが手を差し伸べる。これがインフォーマルな支援、すなわち互助である。自助と互助ではカバーしきれない場合にはシステム化された地域・職域の自治組織が支援する(共助)。この共助システムではなお解決しえない場合に行政が支援する(公助)。この4分論も、いわゆる補完性の原則に基づく社会形成の考え方であるが、自助と共助の間に互助を考え、共助としては地域以外にも社会保険を想定している。
個人が直面するリスクを、その本人の自助努力だけで克服せよというのは無理な話で、社会は、何らかの形で共同してリスクを分担する仕組みを備えていなければならない。自助から出発するにしても、自助の次に互助を想定せず、家族の支えを「共助」に包摂してしまうと、例えば、いつまでたっても家族を老親介護の責任から解放できないのではないか。家族は大事だが、それに頼りすぎては家族が参ってしまう。
互助は、自発性とゆとりと思いやりに基づく支え合い活動であって、その活動範囲も支援能力も限定的である。それは、家族・友人・隣人が無償で行う支援活動であるからである。しかし、自助のすぐそばに、この互助が息づいていることが自助の励みになるのである。老いて心身が弱っても、自分の生活に関することは自分で判断し、できるだけ自分で行おうとする個人の自助努力を尊重し励まし支援する、それが互助の意義である。自然災害のときにも、真っ先に頼りになるのは自助と互助の結びつきである。新型コロナ禍の困難の中でも自助に寄り添う家族・友人・隣人の親身な支援こそが大事である。
わが国にはシステム化された地域の自治組織として、自治会・町内会があり、近年は地域運営組織が台頭し、これらは市区町村行政と相互関係をもって活動している。この地域が共助の主体として期待されている。ただし、同じ共助のなかに、リスクを共有するもの同士で助け合う社会保険制度が存在し、国と自治体の行政(公助)が関わっているから、共助の主体は地域だけではない。共助システムである医療や介護の社会保険制度は、経費の約半分を国と自治体の公費(租税)で賄っているし、介護保険では保険者を市区町村にしているから、この共助システムは共助と公助の混合型といえる。それだけに、公費負担をしている国から、システム運用を通ずる効率化圧力が絶えず加えられる結果、公助から共助へ、共助から自助へとリスク負担を逆流させようとする動きが出てきやすい。要注意である。
共助、公助の成り立ちと役割については、このリンク先の厚生労働省白書に良くまとまっている。https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf
(工業化に伴う人々の労働者化により、血縁や地縁の機能は希薄化した)
産業資本主義の社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けがや病気などで働けなくなった場合、労働者は所得を得られなくなる。その一方で、労働者が血縁や地縁の関係から一定程度独立した結果、それら血縁や地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまうリスクは大きなものとなる面があった。また、産業資本主義の社会では、労働力の商品化の結果、モノやサービスの生産が「使用者-労働者」の関係を軸に展開するようになる。近代以前の社会と異なり、労働者は自己の労働力以外に機械や原材料などの生産手段を持たない。生産手段は使用者(資本)によって所有され、労働者はそれを借用しながら自己の労働力を提供する。この関係の下では、自ずと労使の力の差が生じる。使用者に比べて力の弱い労働者は、低賃金、長時間労働という劣悪な労働条件を強いられ、解雇のリスクにさらされるようになる。過酷で貧困な生活を送る労働者は増え、労働問題が大きな社会問題になっていった。労働者たちは、同業者の間で相互扶助的組織を設けるなどして生活上のリスクに対応してきたが、これらの組織に加入できたのは、経済的に多少の余裕のある熟練労働者などに限られ、多数の非熟練労働者などは、それらの組織に加入することができなかった。
(近代的な社会保障制度の創設はドイツから始まり、欧州各国に広がっていった)
近代的な社会保障制度が世界で最初に創設されたのは、大陸ヨーロッパのドイツであった。ドイツでは、19世紀終盤に、帝国宰相の地位にあったビスマルク(Otto von
Bismarck, 1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法(1883年)、労災保険法(1884年)、老齢・障害保険法(1889年))が制定された*3。社会保険制度は、事業主の負担と併せて被保険者(労働者等)自ら保険料を負担(拠出)することにより給付の権利を獲得するという関係があるため市場整合的であるとして、多くの工業国で社会保障の手法として第一義的に選好される傾向が強いものとなっていった。そして社会保険による給付は、市場経済的な権利関係の裏付けを欠くために、社会の負担、あるいは自助能力を欠く者との差別や偏見から逃れられず、受給にスティグマ(汚名)が伴っていた恩恵的・救済的福祉の給付とは異なっていた*4。また、あらかじめ生活リスクに備える点で、それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。
(略)
(社会保障は、個人の生活上のリスクに社会的に対応する仕組みとして求められるようになり、産業資本主義の社会と国民国家の発展を支えていった)
このように、産業資本主義が発展する中で、血縁、地縁がそれまで果たしてきた人々の生活を保障する機能は限定的なものとなっていった。それらの機能を代替するため、傷病、老齢、失業などのリスクに公助又は共助という形で社会的に対応する仕組みが必要となり、現在に通じるような社会保障制度が求められるようになったといえる。
そして、社会保障が血縁や地縁の機能を代替*8することにより、人々は経済活動に注力することができるようになったという意味で、社会保障は産業資本主義の社会、国民国家の発展を支えていったともいえる。
(世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった)
1929年には、アメリカのニューヨーク証券取引所での株価の大暴落をきっかけに世界恐慌が発生した。その影響は大変大きなもので、1930年代には各国で多くの企業が倒産し、街は大量の失業者で溢れ、社会不安はますます増大した。
(略)
ケインズの理論によって完全雇用に近づければ、失業給付を激減させ、なお残る失業者に手厚い給付ができ、また、社会保障によって全国民に最低限度の生活を保障すれば、有効需要が増え、さらに失業者が減る。このように、ベヴァリッジとケインズの考えは互いに補強しあう関係にあった。これは「ケインズ・ベヴァリッジ主義(体制)」、「福祉国家の合意」などと呼ばれる。その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(Fromthe Cradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系*10を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用*11、国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった*12。
(戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった)
(1970年代―オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障・福祉国家批判は大きな潮流になった)
(1980年代―新自由主義的な政策が採用され、社会保障・福祉国家の「見直し」が行われた)
(新自由主義的な政策は、経済のグローバル化の趨勢とも親和的だった)
(社会保障・福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった)
(当初の「見直し」という目的が実際に達成されたかについても、見方は分かれる)
(1990年代以降、社会保障の重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障・福祉国家を再編成する時期に入っている)
(今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たちの経済社会に欠かせない重要な仕組みである)
今日では社会保障は、個人の視点からみれば、傷病、失業、高齢など自活するための前提が損なわれたときに生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会的セーフティネット(社会的安全装置)」という機能を果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得を個人や世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者の生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態に社会全体で備える「リスク分散」という機能を果たしているといえる。
さらに社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転し購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療、介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能も果たしている*20。
このように、社会保障は私たちの経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能な制度を構築していくか、若年者等の失業問題や社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度を機能させていくべきか、経済のグローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性を要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要な政策課題となっている。
社会は貧困化するの件が感想でしかないので、感想に対する反論などありません残念でした
人生に遅いということはないよ
②中でもポルノは風紀を乱すとし、焚書されることが当然の世であった
③時代は移り、民主制が台頭すると、「表現の自由」なる概念が生まれた
これは、為政者が政府批判などを規制したり、投獄するのを防ぐ目的で制定された
④本来、「表現の自由」は行政や司法により制限されないが、それでは「表現を用いた他人への攻撃」を取り締まることが出来ない
よって法治国家では「名誉棄損」などに関する法律を定め、権利の対立を解決できるようにするのが普通
⑤ポルノ規制運動への反発には「表現の自由」が用いられることが多くなる
ポルノは「世間的にマイナスとみなされる」類の表現であり、規制に対抗する時「有用性」での主張が難しいため
⑥人権意識が進んでくると、「差別」などの概念も発達し、これを行うことは「正しくない」と規定されるようになる
⑦それらが先鋭化し「ポリティカルコレクトネス」(政治的正しさ)という概念が生まれる
そこでは、女性差別、人種差別などを構成する偏見が助長されることすらNGとされた
⑧女性の権利強化が進み、女性を性的に扱う表現を「正しくない」と言えるようになる
この運動は「女性差別」を基底としているため、ポルノ問題が「差別問題」へ変化する
問題を「差別である」としたことで、玉虫色の意見をけん制できてしまった
事が差別であれば、「この程度の差別は許容されるべき」という意見を構成できない
反論しようとしたならば「差別でない」と言わなければならないが、そこで軸が「差別的」にずれる
耐えてきたハラスメントなどが「性差別の産物」なのだと定義されるのだから当然の帰結
⑩人工知能学会誌の表紙がやり玉にあがる(のうりん、宇崎ちゃんと続く)
「(一部の)女性を不快にする」コードで繋がれた家政婦という表象が「性差別である」として炎上した
最終的には「男性社会の偏見の現れ」とかいう差別「性」に論がずれ
「一般社団法人」でしかない人工知能学会に対して、公的機関などの言葉を使って「微細な偏見すら許されない」と攻撃された
以後、定期的に萌え表現は燃える事になるが、「差別」が前面に押し出されるようになる
⑪「お気持ち」返答が始まる
対する男性側は「差別につながる偏見強化の恐れ」レベルにまで拡大批判してくる相手に対して
「それ、お気持ちでしょ?」と返すようになる(意訳:差別ではないでしょう?)
具体的にいけば
少年漫画で「取り柄がないように見える主人公に惚れるヒロイン」がラッキースケベの餌食にあう事は差別的で許されないが
少女漫画で「ヒロインにだけ優しいイケメンだが札付きの悪」が「嫌がるヒロインに強引な壁ドンからキス」するのは許されるのである
そして、それらのイケメンが、性的に安全なよう最終ロックがかかった去勢された存在となっていてもオーケーなのである
※それらを享受することすら許さない楠本まきのような人も当然居るが、表象としてはエロいセーラームーンなどにも矛先を向ける原理主義者は少ない
そうした不整合を処理するのに生まれた概念が「性的にまなざす」だ
今では忘れられてしまったが、一時「まなざし村」などとして流行った
⑫ポリコレ集団は表現の撤去を求めてくるので表現の自由が使われる
相手の動きが差別を御旗にした「表現規制運動」であるため、「表現の自由」が使われることになる
当然、古の経緯も影響あるだろうが、そも「差別」の解釈を広げすぎて「何でもかんでも差別(の助長)」状態の相手と会話など成立しない
この動きが一般化すると、それを揶揄する「エロ表現の自由戦士」という言葉が生まれる
彼らが守っているのはエロコンテンツだけであり、自分が気に入らなければ打ち切りに追い込んだり、削除に追い込んだりする「お気持ち自警団」であると定義される
ここでバカバカしいと思うのは、そもそも表現の戦場は「お気持ち」の戦場だ
「不人気」だってお気持ちだし、面白いが掲載場所が合わず死ぬ作品もある
「不快な表現」を理由に撤去されるポスターや中止されるCMだって普通にある(死霊のはらわたとかサイレン)
問題なのは、「お気持ち」だと勝率が悪かったまなざし村の村民が、「ポリコレ」という手段を知ってしまった事だ
これまでなら「妻がカレーを作るCMは不愉快です」だったのが、「妻がカレーを作るCMは性差別」として叩けるようになった
このとき、Xの性質をλであると仮定すると、その他の物理法則と整合が合う。
他の物理法則の謎だったところに対して説明がつけれるようになる。
そんなこんなで、とりあえず正体は分からないけど、Xって存在するんちゃうん? 名前を付けておこうよ。「重力」でいいかな。
偉い人「ええよー」
というのが重力。
なので、重力のことだけ取り出して考えると、わけわかめになる。
そんでもってもしかしたらXなるものはYとZなるものから構成されている、ということが将来的に判明するかもしれない。
...というのは全部嘘。
https://www.digital.go.jp/posts/kMccIpBR
論点は
「デジタル庁ともあろうものが役員人事の情報をPDFだけで公開するのはどうしたものか」
これまで紙文書として管理していたものをWordやExcelにPDFにして管理することで
無駄なプリンターでの印刷や紙媒体の保存などから脱却する、というのはデジタル化ではなくて単にペーパーレス化
デジタル化というのはそれらの文書管理されていた情報を構造化されたデータに統一し
検索可能にしたり統計処理可能にしたりすることで業務効率化や解析による知見の発見を目指すもの
単に人事情報をPDF化したり、それをHTML化したりしてもまったくデジタル化ではない
「大手企業とか政府とかならPDFやHTMLになる前にシステムに投入してるんでしょ?」
と思う人が多いかもしれないが、実体としては大手企業や政府ほどそういうシステム導入がされておらず
実質的に共有フォルダに置かれたPDFファイルで管理されていたりする
これには定期的な人事異動が関連していて、システムを導入するとシステム操作の習熟という引き継ぎが発生してしまうために業務効率が悪い
それよりも一般常識化しつつある共有フォルダに設置されたPDFやPPTを閲覧してもらったり編集して貰う方が誰でもできるし効率的、という現実があるためだったりする
こういった状況の大手企業や政府に対してデジタル化を推進してもらうために取るべき方策は下記の通り
この3つを全て進めていかないとデジタル化はただのペーパーレス化になる
よくあるのは2つ目だけが行われ、慣例的に文書管理されているPDFファイルを共有フォルダではなくシステム投入するだけのデジタル化だ
結局データ解析できないからそのPDFをOCRしようとかいう謎のムーブメントを見せたりするが
PDFに書かれている内容が構造化されていないので当然ながらデータ化できず、解析もできない
よくある領収書とか請求書とかは解析ができたりするがそういうのはそもそも電子的にやりとりされていてやる必要が無く
社員による立て替え払いの時だけ発生していたのがデジタル化されてお茶を濁される
「内部でPDF管理しているんだから公開するときはそのファイルをリンクすればいいよね」
という安易な考え方に基づいてるのがPDFファイルのWeb公開
つまり1つ目の業務単位での見直しができていないし、2つ目のデータ構造化も行われていないだろうということが予想できる
また3つ目の利用者メリットのことを考えてみても、この役員人事の情報をPDFで貰わないと困る一般人など存在しない
どうしても印刷したい人とか、どうしても自分で管理している共有フォルダに置きたい人、なんかはいるのかもしれないが
それにしてもHTML表示されているものを保存するなり印刷すればよい
それよりもスマホで見ているのにA4縦の形式で表示される方がよっぽど不利益が大きい
デジタル化することで構造的なデータにさえなれば、表示する媒体に合わせてレイアウトを変えることは難しくない(大変ではあるが)
また、もしかしたら別の省庁や地方自治体とかがPDF保存している、というのは2つ目の統一的なシステム化ができていないことを意味する
などという意見もあったりするが、そもそもPDFであれば改変できないというわけではないし
今時なら画面キャプチャしてOCRをかければほぼ同じものが出来てしまうのでほぼ無意味である
それよりもTLS化されているURLで改変されていないことを保証することの方が何倍も役に立つ
結局のところPDFでこの手の情報を公開することには何のメリットもないが、ペーパーレス化のレベルで止まってしまうとPDFのメリットばかりを主張しがちになってしまう
発足したばかりの組織が上記の3つをいきなり解決できるわけがない
この慣例的に行われているPDFファイル公開をやめる・やめさせるのは大変に骨が折れる
単純に「やめなさい」と下達的に言うだけなら簡単だが
そうなると結局はPDF管理とHTML編集の2倍の工数がかかって実務者の反発しか生まない
更にはPDFとHTMLの二重管理になってしまって不整合が発生する、なんていうのも想像できる
業務を見直し、システムを入れ、利用者・作業者にメリットを与える、という3つを同時に進めないと上手くいかない
大きな組織でこれをやるのは非常に骨が折れるだろうが頑張って欲しい