はてなキーワード: 楠本まきとは
②中でもポルノは風紀を乱すとし、焚書されることが当然の世であった
③時代は移り、民主制が台頭すると、「表現の自由」なる概念が生まれた
これは、為政者が政府批判などを規制したり、投獄するのを防ぐ目的で制定された
④本来、「表現の自由」は行政や司法により制限されないが、それでは「表現を用いた他人への攻撃」を取り締まることが出来ない
よって法治国家では「名誉棄損」などに関する法律を定め、権利の対立を解決できるようにするのが普通
⑤ポルノ規制運動への反発には「表現の自由」が用いられることが多くなる
ポルノは「世間的にマイナスとみなされる」類の表現であり、規制に対抗する時「有用性」での主張が難しいため
⑥人権意識が進んでくると、「差別」などの概念も発達し、これを行うことは「正しくない」と規定されるようになる
⑦それらが先鋭化し「ポリティカルコレクトネス」(政治的正しさ)という概念が生まれる
そこでは、女性差別、人種差別などを構成する偏見が助長されることすらNGとされた
⑧女性の権利強化が進み、女性を性的に扱う表現を「正しくない」と言えるようになる
この運動は「女性差別」を基底としているため、ポルノ問題が「差別問題」へ変化する
問題を「差別である」としたことで、玉虫色の意見をけん制できてしまった
事が差別であれば、「この程度の差別は許容されるべき」という意見を構成できない
反論しようとしたならば「差別でない」と言わなければならないが、そこで軸が「差別的」にずれる
耐えてきたハラスメントなどが「性差別の産物」なのだと定義されるのだから当然の帰結
⑩人工知能学会誌の表紙がやり玉にあがる(のうりん、宇崎ちゃんと続く)
「(一部の)女性を不快にする」コードで繋がれた家政婦という表象が「性差別である」として炎上した
最終的には「男性社会の偏見の現れ」とかいう差別「性」に論がずれ
「一般社団法人」でしかない人工知能学会に対して、公的機関などの言葉を使って「微細な偏見すら許されない」と攻撃された
以後、定期的に萌え表現は燃える事になるが、「差別」が前面に押し出されるようになる
⑪「お気持ち」返答が始まる
対する男性側は「差別につながる偏見強化の恐れ」レベルにまで拡大批判してくる相手に対して
「それ、お気持ちでしょ?」と返すようになる(意訳:差別ではないでしょう?)
具体的にいけば
少年漫画で「取り柄がないように見える主人公に惚れるヒロイン」がラッキースケベの餌食にあう事は差別的で許されないが
少女漫画で「ヒロインにだけ優しいイケメンだが札付きの悪」が「嫌がるヒロインに強引な壁ドンからキス」するのは許されるのである
そして、それらのイケメンが、性的に安全なよう最終ロックがかかった去勢された存在となっていてもオーケーなのである
※それらを享受することすら許さない楠本まきのような人も当然居るが、表象としてはエロいセーラームーンなどにも矛先を向ける原理主義者は少ない
そうした不整合を処理するのに生まれた概念が「性的にまなざす」だ
今では忘れられてしまったが、一時「まなざし村」などとして流行った
⑫ポリコレ集団は表現の撤去を求めてくるので表現の自由が使われる
相手の動きが差別を御旗にした「表現規制運動」であるため、「表現の自由」が使われることになる
当然、古の経緯も影響あるだろうが、そも「差別」の解釈を広げすぎて「何でもかんでも差別(の助長)」状態の相手と会話など成立しない
この動きが一般化すると、それを揶揄する「エロ表現の自由戦士」という言葉が生まれる
彼らが守っているのはエロコンテンツだけであり、自分が気に入らなければ打ち切りに追い込んだり、削除に追い込んだりする「お気持ち自警団」であると定義される
ここでバカバカしいと思うのは、そもそも表現の戦場は「お気持ち」の戦場だ
「不人気」だってお気持ちだし、面白いが掲載場所が合わず死ぬ作品もある
「不快な表現」を理由に撤去されるポスターや中止されるCMだって普通にある(死霊のはらわたとかサイレン)
問題なのは、「お気持ち」だと勝率が悪かったまなざし村の村民が、「ポリコレ」という手段を知ってしまった事だ
これまでなら「妻がカレーを作るCMは不愉快です」だったのが、「妻がカレーを作るCMは性差別」として叩けるようになった
(追記)
『お前が世界を壊したいなら』これです!!ありがとうございます!!
単巻だと思っていたけれどそんなことなかった
さっそくポチりました
しかし長年悩み続けていたのに答えが貰えるとは…ネットってすごい
それにしてもときめきトゥナイトにもそんなエピソードがあるの?
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15年くらい前に読んだ漫画。
絵は楠本まきみたいな綺麗系で、A5サイズの単行本単巻だった気がする。
内容は、
・主人公の女の子(女子高生くらい?)が、ずっと自分のことを普通の人間だと思って暮らしていたけれど、ある日実は不死身の存在?吸血鬼?(うろ覚え)であることを知る 。
・自分が不死身であることを忘れていたように、長い年月で過去の出来事は忘れてしまっている 。
☆昔は見世物小屋のようなところで頭を潰される→すぐ生き返るという見世物をさせられていたこともある。
・主人公と同じく不老不死のイケメンも出てきたと思う。彼は主人公のことを覚えていたっぽい。
・全体的に暗めでハッピーエンドではなかったと思う。
「KISSxxxx」楠本まき
読み直すと1章目はいいことを言っていた。「漫画が偏見を助長してはいけない」と。
問題は2章目でこのあたりから調子に乗ってくる。まず「ガイドライン」という言葉がヤバイ雰囲気を感じさせる。タバコ規制の件に反対していたという話と合わせれば皮肉だという見方もあるが、大ベテラン漫画家として言葉の選び方が不用意であったとしか言いようがない。編集者と漫画家の話し合いでバイアス表現を考え直すというだけにすべきだった。
だが、本当にまずいのはこの後。ここが多くの人を怒らせた。
「サンデーを読んでいたが、少年漫画誌に出てくる女性のキャラクターには性格や意志がない」と。
名探偵コナンなんかには若干批判の余地もあるが、サンデーの顔といえば高橋留美子先生とあだち充先生。その女性キャラクターに「性格や意志がない」なんていうのは暴言極まりない。藤田和日郎先生だってそんなこと言われたら怒るだろう。もし言うとしても少年漫画への偏見に頼らず、具体的な事例を上げて堂々と批判すべきである。
元々はより現代の少女に即した表現を求める建設的な話だったのに、ただの男性側ディスに堕したのは残念である。
この段で感情的になった人たちが、先のガイドラインに猛烈な批判を加えたという要素もあると思う。楠本まき先生あるいは記事編集はサンデーの作家陣に謝罪するか、発言について主語を大きくし過ぎたと訂正すべきである。
嘗て好きなように書けず苦労したのち、好きなように書ける御身分になった作家が、今度は言うに事欠いて己の意にそぐわない表現に対して「ガイドラインを作れ」(検閲)とか「滅びろ」(処分)と言うのが許されていい訳がない。
そもそも「少女漫画のせいで」とか「少年漫画の女キャラに自我がない」などと決めつけること自体が古臭い思い込みによるバイアスそのものではないのか。
あと20日で令和だが、正直ご自身がジェンダー齧ってた昭和時代から時が止まってないか?
自身が求める、ジェンダーバイアスを排除した(私は全然排除できてないと思うけど)芸術的でアーティスティックな作品を追求していくのは勿論構わない。
しかし「そうあることが好ましい」の範囲を超え「それが正しい」として漫画業界または漫画という文化そのもの、他の作家や読者など他者にまで「かくあるべき」として強要すべきではない。
ジェンダーバイアスを逆手に取り活かして売れ筋の作品を作る権利も、ジェンダーバイアスに嵌まらなかった故に嵌れた場合の世界を模倣する権利も、創作においてはある。
様々なバイアスにそれぞれガイドラインを作るの?そんな雁字搦めになったら新しい表現は生まれなくなる。
そして読者がどんな作品を選び、何を見て、どこをどう感じ、どのような選択するかという内心の自由もある。
それを「漫画に影響されてる」と決めつけ、他者の想像力、取捨選択能力を蔑み、作品から何かを読み取り思索し、新たにイマジネーションを得て空想する自由まで蔑ろにし、侵害している。冗談じゃない。
作品に在る女性像のように見目麗しく恵まれており社会性に極端に乏しく自分のことでいっぱいいっぱいな女性ばかりになったら社会が良くなるとは到底思えない。
ちなみに余談ですが、ジェンダーバイアスは設定詰めてないからとまるで作家のスキルが低いかのように仰ってたが、ご自身の思うジェンダー論=別のジェンダーバイアスを自己投影した人物にセリフで言わせるのは漫画のプロとしてはスキルが低い。
そもそも漫画と言うものにかなりのバイアスかけて蔑んでるのが感じ取れるので、漫画における表現というものに対する研究心向上心はないんだろうけど、キャラクターの特性、行動や性格に絡めて物語に組み込むのがセオリーだと思う。