2021-09-04

anond:20210903201547

エロ表現の自由戦士が生まれるまで】

①昔、表現権力者により検閲されるのが当たり前だった

②中でもポルノは風紀を乱すとし、焚書されることが当然の世であった

時代は移り、民主制が台頭すると、「表現の自由」なる概念が生まれ

 これは、為政者政府批判などを規制したり、投獄するのを防ぐ目的で制定された

本来、「表現の自由」は行政司法により制限されないが、それでは「表現を用いた他人への攻撃」を取り締まることが出来ない

 よって法治国家では「名誉棄損」などに関する法律を定め、権利対立解決できるようにするのが普通

ポルノ規制運動への反発には「表現の自由」が用いられることが多くなる

 ポルノは「世間的にマイナスとみなされる」類の表現であり、規制に対抗する時「有用性」での主張が難しいため

 (二次萌え絵オタクなどが存在しない昔の話)

人権意識が進んでくると、「差別」などの概念も発達し、これを行うことは「正しくない」と規定されるようになる

 昨今では「ヘイト」などの法規制を行う国や地域も出始めた

 これも、権利が衝突するのを解決するため利用される

⑦それらが先鋭化し「ポリティカルコレクトネス」(政治的正しさ)という概念が生まれ

 そこでは、女性差別人種差別などを構成する偏見助長されることすらNGとされた

女性の権利強化が進み、女性性的に扱う表現を「正しくない」と言えるようになる

 この運動は「女性差別」を基底としているため、ポルノ問題が「差別問題」へ変化する

個人的にはここがターニングポイントだと思っている

問題を「差別である」としたことで、玉虫色意見けん制できてしまった

事が差別であれば、「この程度の差別は許容されるべき」という意見構成できない

だって差別なのだから

差別ならば否定されなければならないし

反論しようとしたならば「差別でない」と言わなければならないが、そこで軸が「差別的」にずれる

セクハラ過去を持ち出し、女性性的に扱う表現は、そのような偏見助長すると展開するため

男性性的に消費している事実観測できさえすれば「差別的だ」と主張できてしまう(是々非々あろうが彼らには届かない)

不快感差別の混濁が始まる

 耐えてきたハラスメントなどが「性差別産物なのだ定義されるのだから当然の帰結

人工知能学会誌の表紙がやり玉にあがる(のうりん、宇崎ちゃんと続く)

 「(一部の)女性不快にする」コードで繋がれた家政婦という表象が「性差別である」として炎上した

 最終的には「男性社会偏見の現れ」とかい差別「性」に論がずれ

 「一般社団法人」でしかない人工知能学会に対して、公的機関などの言葉を使って「微細な偏見すら許されない」と攻撃された

 以後、定期的に萌え表現燃える事になるが、「差別」が前面に押し出されるようになる

⑪「お気持ち」返答が始まる

 対する男性側は「差別につながる偏見強化の恐れ」レベルにまで拡大批判してくる相手に対して

 「それ、お気持ちでしょ?」と返すようになる(意訳:差別ではないでしょう?)

 いくつかの事例積み上げの結果、指摘の整合性が取れないからだ

具体的にいけば

少年漫画で「取り柄がないように見える主人公に惚れるヒロイン」がラッキースケベの餌食にあう事は差別的で許されないが

少女漫画で「ヒロインにだけ優しいイケメンだが札付きの悪」が「嫌がるヒロインに強引な壁ドンからキス」するのは許されるのである

そして、それらのイケメンが、性的安全なよう最終ロックがかかった去勢された存在となっていてもオーケーなのである

※それらを享受することすら許さな楠本まきのような人も当然居るが、表象としてはエロセーラームーンなどにも矛先を向ける原理主義者は少ない

そうした不整合を処理するのに生まれ概念が「性的にまなざす」だ

今では忘れられてしまったが、一時「まなざし村」などとして流行った

同じ表象に対しても、女性主体性の結果であればOKで、男の欲望が介在した結果であればアウトという判定

これに「男社会価値観による刷り込みの結果」と「名誉男性」を合わせる事で自由自在批判対象を切断可能となった

ポリコレ集団表現撤去を求めてくるので表現の自由が使われる

 相手の動きが差別を御旗にした「表現規制運動であるため、「表現の自由」が使われることになる

 当然、古の経緯も影響あるだろうが、そも「差別」の解釈を広げすぎて「何でもかんでも差別(の助長)」状態相手と会話など成立しない

エロ表現の自由戦士爆誕

 この動きが一般化すると、それを揶揄する「エロ表現の自由戦士」という言葉が生まれ

 彼らが守っているのはエロコンテンツだけであり、自分が気に入らなければ打ち切りに追い込んだり、削除に追い込んだりする「お気持ち自警団である定義される

ここでバカバカしいと思うのは、そもそも表現戦場は「お気持ち」の戦場

「不人気」だってお気持ちだし、面白い掲載場所が合わず死ぬ作品もある

不快表現」を理由撤去されるポスターや中止されるCMだって普通にある(死霊のはらわたとかサイレン

問題なのは、「お気持ち」だと勝率が悪かったまなざし村村民が、「ポリコレ」という手段を知ってしまった事だ

これまでなら「妻がカレーを作るCM不愉快です」だったのが、「妻がカレーを作るCM性差別」として叩けるようになった

味を占めてしまたから、彼らはもう「自分気持ちを根気強く言葉に変え賛同を集める」事には戻れないだろう

一言言えばいいのだ「SABETSU」と

  • こういう糞めんどくさいやりとりを避けるために法律や憲法で明文化してルールきめましょうね、とやってるわけだ そのルールの範囲外の折衝はもっと糞めんどくさくて嫌になってくる...

  • ぼーっと眺めると面白いな 女性社会ではきちんと否定されてるという反論は少なくて 「オジサンそれもう古いんですけどぉ」みたいな反論に流れてる それは「反論になってない」とい...

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