はてなキーワード: 不可能とは
コロナの前(※調べたら、2020年の12月だったわ。19年と勘違いしてた。失礼!)に
自分は食の仕事してるので、世界中の色々なものを食べたくてしょうがないのだけど、
最初は「えー、気持ち悪い」「私食べられないやつあるかも」といわれつつも、
美しく盛り付けられた料理写真を見せたり、シェフがエルブリ(スペインの超有名なイノベーティブレストラン)での修行経験あることを伝えたり、などなど精一杯プレゼンして何とかOKをもらった。
【先に結論】
ここから延々と食レポ書いていくのだけど、食べ終わった感想はこんな感じ。
・肉や魚では感じたことない果物/花のようなフレーバーがするものがあった
・それらは人口的に作られた香料と違って自然でほのかな香りで洗練されていて、普通に感動した
・常食はしないかもだけど、出汁パックとかだったら使ってみたい
【食レポ】
コオロギの出汁を煮詰めたものと小麦粉を混ぜて固めて焼いたせんべい。
前評判通りのエビ風味。食感も少し硬めで、「坂角総本店の海老せんべい」によく似てる。
マッシュルームとトウガラシの粉をかけて少しスパイシー&うま味盛りしてあった。
黒ビール特有のチョコレート風味はあるが、甲殻類感などは全くない。
苦味と濃さも強め。で、とても好み。そういえばむかし、
ヤッホーブルーイングが「前略好みなんて聞いてないぜSORRY」という
ビールで鰹節を入れて発酵させた物があったが、それと同じロジックのようだ。
椎茸の出汁を合わせて作った出汁で、ガンもどきと春菊を炊いた料理。
ガンもどきは特に昆虫使ってるとかではない、普通のガンもどき。
まぁ、海老出汁という感じだけど、濃厚なタイプのエビ感は無い。
コオロギってわざわざ言われないと気づかないので、
こういう形で広まるかもなあと思ったりした。
特に小麦香とかは無かったけど、餌によって味は変わるんだろうな。
マリアージュで合わせる酒は加世田30年という熟成させたコーン焼酎。
大豆を使わずコオロギだけを8ヶ月発酵させた醤油だそう。発酵するんだな・・・。
作り方は乾燥させて砕いたコオロギと麹を混ぜて発酵させるとのこと。魚醤ならぬ虫醤。
甘味が少ないので、甘めの食材と合わせると良さそうということで雲丹なのだろう。
コーン焼酎もおそらくフレーバーは香ばしさで合わせて、甘い香りを補う狙いだと思う。
料理の前に「この子たちですよー」と、アクリルボックスに入った蜂の巣を見せてくれるプレゼンテーション。
集合恐怖症の自分には正直かなり厳しい。(まあ絶対こういう演出あるだろう覚悟はしてたからいいけど)
さて、料理の方は甘しょっぱく煮込んだスズメバチの幼虫とサナギのソースを
まあ見た目は幼虫とサナギそのままなので、ザ・虫。
とはいえ、ソースも濃厚な茶色なので凝視しなければあんまりわからない。
キャラメリゼされたナッツ香が特長的で、レーズンのような舌が少し収斂するような味わい。
バター感のあるカボチャのスープと合わせると、プチプチとした食感とも合わさってなかなかに良い。
マリアージュで合わせるのはボタニカルジンをキハダのトニックウォーターで割ったもの。
植木鉢のような器に木の枝。その先の葉っぱには蝉の幼虫がくっついている。
やばいかなと、パートナーをチラッと見るが、全く大丈夫のようだ。
アブラゼミとミンミンゼミの幼虫を乾燥させてカラッと揚げたとのこと。
中は思ったよりもジューシーでプチュっとした食感。味は出汁感が強い。
川海老の唐揚げのような香ばしい感じかなと思ったけど、思ったより香ばしくはない。
香りはアーモンドとかのナッツとかにちかい。成虫になるともっと香ばしくなるらしい。
食感が柔らかめなので、個人的には殻付きの甲殻類の唐揚げより好きかもしれない。
合わせた樹液ジュースは、*****と******、***と**(注:これ演出としてクイズだった!ネタバレしないほうがいいと思うので伏せ字にしました)を合わせたもの。
ストローでセミになった気分で飲む演出。味は、まあ不味くはないけど普通。材料の味がする。
仕事でタコスを作ったりしているので、「オアハカの昆虫タコス」は昔から気になっていたので
焼いてパリパリにしているので、トスターダというのが正しいかな。
イナゴの味的には先程のスズメバチのソースのような甘酸っぱい系に仕上げてある。
ベリー感が来るので、ラズベリー系のソースで煮てあるんだと思う。
下にフリホーレス(南米の黒豆の煮込み)が敷いてあり、味の緩衝材になっている。
食感は比較的バリバリしていて、イメージしてる昆虫食に近かった。
そのまま使う昆虫(成虫)はやはり「硬さ」が一つネックになりそうで、
それを他の食材(パリパリに焼いたトスターダ)とかで合わせるのがコツのようだ。
(7品目)イノシシのロースト、イナゴ醤油ソース、韮の蕾のケッパー添え
ロゼ色に綺麗にローストされた猪の上に黒ニンニクとイナゴ醤油を使ったソースがかけてある。
イナゴ感みたいなのはわからない。パートナー的には一番美味いとのこと。
人口的な強さがない。個人的には青リンゴよりも洋梨香を感じた。
話を聞いたら、ベースのウイスキーがブラックニッカとのことらしい。
タガメ漬けるだけで、あれこんなに美味しくなるんか。
ヨーロッパイエコオロギと二星コオロギの合わせ出汁ということ。
出汁感はとても強く感じた。だいぶ酔っ払ってきたので、この辺りのメモが適当になってる。
今回、全ての料理の中で一番美味しかった。カイコの糞を混ぜ込んだアイスクリーム。
アイスにほうじ茶は入れておらず、桑の葉っぱを食べたカイコの糞を混ぜて香りを作ってるらしい。
これ以外も桜の葉っぱを食べさせると桜餅の香りのする糞だったりと、
カイコの糞は、蚕沙というちゃんとした漢方にもなってるくらい昔から食べられていたらしい。
という、感じで全9品。店名は書かないけど調べれば出てくると思うので、
<追記>
結構美味しいのになあと思ったので、書きたくて書いただけ。
本当に虫取り小学生みたいにキラキラ語ってて本当に好きなんだろうなーと思ったんよね。
なんとなく、そういう人が流れ弾で叩かれたら嫌だなってのがあったかな。
>Antcicadaでしょ?
俺のレポよりもずっと詳細で写真付きの記事あったので、恥ずかしいわ。
>そこ、もう予約取れなくなってるらしい
レストランは本当に予約取れないよね。
いいなと思った店は次回の予約も入れる(人はその後に集める)ことが多いなあ。
>休業中だって
新しいシェフになると味も変わるだろうし、また食べに行きたいなあ。
自分が今作ってるアプリ類似の物はあってもそれをビジネスにまで発展させた例が無くて
ビジネスにならない理由があってそうなのか、普及が下手でそうなってるのか分からない
エジソンが電気を売るのが上手くて電化を推進できたっていうのは一理あるけど
仮にそれが蒸気機関だったら失敗しただろうし、自分のアイディアの実装はできてもそれを上手く売れる確信が無い
リスクが高すぎるんだよ。
身体障害は(重度じゃなければ)まあいいよ。そこは責任持って育てろで。最終的に自立できる可能性が大いにあるし。
知的障害は無理なんだよ。永久に自立不可能で死ぬまで親のリソースを吸い尽くす。子供と生きる喜び!みたいなものは全て奪われるのにな。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6455433
こんな歪んだ記事でキャンペーン打って「落ち込むこともあるけれど私は元気です」みたいにいい話風にまとめてる場合じゃないんだよ。
配偶者との生活も慣れてきて、身体悪くしたりとか、お互いの親の介護とかは発生するにせよ、親戚関係トラブルが絶対に発生しない環境なので介護やら遺産やらで揉める要素も無いし、今後の自分の人生における家庭生活の大まかな流れがなんか想像ついてしまった。想像どおりに流れちゃったら退屈だなーと思って、日常生活の中に予測不可能な要素として自分の子供が欲しいなと思った。
ちょうど東京オリンピック開催が決まったあたりで、親が「孫とオリンピック見られたらうれしいなあ」的なことをポロっと言ったのがなんかすごい心に残っていたのよね。なんとか間に合ったよ。
そんなすごい愛国心持ってるとは思わないけど、日本が人口のせいでこれ以上衰退したり滅んだりするのはヤだなーと思って、だったらせめて子供を2人作って人口維持に協力したいなと思った。ホントは3人で人口増加に貢献したいと思っていたが諸事情で2人止まりになった。
「部内の練習スケジュール的に引退するまで1日1時間の勉強すら不可能だった」
みたいな事態が無くなるし、
「勉強なんてどうでもいい。俺は絶対にこのスポーツで飯を食うんだ」
って奴は短時間部活終わって家帰ったあと自力で何らかのトレーニングやればいいわけだし。
実質強制の自主練含む、昔の監獄や飯場みたいな部活生活がなくなることで、どんな強豪校の部員でも本人の意思次第で
高校野球、大学野球なんかだと寮生活前提で平日ですら12時から22時まで皆練習してるような狂った部ってマジであるし。
アメリカの野球部とか2時間経ったらグランド施錠されて全員追い出されるくらいなのに、号泣したり鬱病になったり嘔吐したりするくらい長く過酷な練習を続けてきた日本の野球エリートと同レベに強いし。
いい事づくめじゃね?
中学生の時からなんとなく感じていたけど、年々母親と会話が成功する確率が減ってきている。
両親にはとても感謝しているし、恵まれた生活をさせてもらって自分は幸せ者だと感じているが、どうしても母親をひとりの人間として見たときに好きになれない。相性の悪い相手だと感じる。
今現在も1日を振り返ってイライラが止まらず眠れないので、日々母を観察し、ようやくその発言や行動の分析が進んできたことを、ここに書き出そうと思う。
母とは時たま会話が成立しないときがあり、これには母がそもそもこちらの話を聞いていないパターンと、母の発言の中には実際の言葉とは違う意味が多分に含まれていて、こちらが全てを汲み取って理解しないと言葉のキャッチボールが成立しないパターンがあると考えられる。
前者の例
「お母さん、この日ってなんか予定あったっけ?」
「……(スマホに夢中で聞いていない、もしくは聞こえていない)」
「歯医者行ったら駐車場でぶつけられそうになったよ。飛び出してきたくせに睨んできて、すごく感じ悪い人だった。」
※最近は他にも、いきやりTikTokやTwitterの画面を見せて「見て!誰々さんがどこどこ行ったって!」も頻発
後者の例
「このお酒、リキュールだけど成分表に清酒って書いてあるね。だから日本酒の匂いがするんだ。」
「うん。リキュールと言ってもいろんな種類があるんだなって。」
「だから、簡単に言えば香りをつけたお酒がリキュールでしょ?その材料になるお酒にも色々種類があるんだねって今知ったの。」
「そりゃそうでしょ。」
前者のパターンは、そもそも母はその場の思いつきや目の前のことに集中してしまうことが多いので避けることは不可能。日常で最も頻発するが、昔からこうなのでどうしようもない。
後者のパターンは、会話の中で年々登場回数が増えている上にあたかもこちらだけが理解不足であるかのように扱われるので大変頭にくる。
母はいわゆる主語がない人だ。いきなり突拍子もなく「何日だっけ?」なんてのは当たり前で、こちらが主語を探す会話スタイルが基本。
さらに、おそらくだが、母は「家族相手なら多少適当に喋っても話が通じる」と思っている。
この2つが組み合わさった結果、「母の中ではごく普通の言葉だが、出力結果が主語も述語もめちゃくちゃで何を指しているかわからないため会話にならない」からの「こちらは困惑、母も『なんでこいつにはこの程度のこともわからないんだ?』と困惑」という状況になる。
前者はスルーするなりあとから同じことをもう一度話すなりすればいいものの、後者をぶちかまされたときはこみ上げる苛立ちを抑え込むので精一杯だ。
後者のパターンで例に挙げた会話では、こちらは途中まで母の「だってリキュールでしょ?」という発言は「リキュールなんだから日本酒ってのはおかしくない?」という意味だと捉えて会話していたつもりだったが、どうやら違うようだというのがわかる。ここまではいいのだがじゃあ本当は何が言いたかったの?というのがわからない。「リキュールというお酒はいろんな材料をもとに作られるのだから、日本酒でできたリキュールもあるだろう?」ということならば二度目の否定は意味が通らなくなる。
しかしここで「つまり何が言いたいの?」は禁句だ。毎回黙りこみ、結局言葉の真意を聞き出せたことはなかった。
長年この謎と向き合い続け、こちらの理解不足がいけないのだろうと様々な思考や対策を行ってきたが、今はもうこのモードに入った母の言葉の真意を理解することは不可能だと諦め、「あーそうだね」で会話を強制終了させることにしている。
この方法のメリットはこちらの神経のすり減り方ががいくらかマシになることで、デメリットは母が不機嫌になることだ。おそらく母は母でこちらの「オメーの言ってること意味不明だからもう話すのやめるわ」という空気を感じ取っている。
ここまではこちらの言葉に対する母の返し方という内容だったが、では母からの言葉はどうなのかというと、ハッキリ言って母の話はクソつまらない。
母から振ってくる雑談の内容は、ここ半年程は、親戚の非常識夫婦に対する愚痴、仕事に対する愚痴、大好きなアイドルの話題のうちどれかだ。
前者2つはこちらもストレス発散になるならばとできるだけ聞く。個人的にこの非常識夫婦が大嫌いなのであまり聞きたくない。
問題なのはアイドルの話で、これが「テレビに出ていたのがカッコよかった」とか「今度発売されるCDが楽しみ」とかだったら話の広げ方、返し方も色々ある。「何の番組に出てたの?」とか「もう予約したの?」とか。
私はそのアイドルに全く興味がないし、そんな話をされても「見れば?」くらいしか返す言葉がない。
ここで、普段から母の方も私の話を聞いてくれて、会話を弾ませることができるのであればまた違うのだろうが、こちらからの言葉にはわざとかどうかは知らないが無視か会話ブッタ切り、会話が成り立ったかと思えば主語も述語もめちゃくちゃで、挙句の果てにこちらが悪いかのように決めつけてきて不機嫌になる。
母とはいえ、そんな相手のしてくる、興味もないどうでもいい話を積極的に聞けるのはもはや仏かなんかだろう。
こういった日常の積み重ねに加え、母のクソでかい独り言と足音や物音を聞いているだけで頭がおかしくなりそうなくらいイライラする。
可能な限り常にヘッドホンかイヤホンをして過ごし、可能な限り自然に母の声を無視して会話の発生を避けている。
仕事の都合上、母は私よりもかなり早く起きて出社していくのだが、聞くだけで今家の中のどのあたりにいるのか特定できるくらいデカい足音で歩き回るため、必ず起こされる。
母はかかと歩きだ。ドカドカとかダカダカという走り回るような足音ではなく、ドンッドンッという重く響く足音。
また、母の独り言に対し、話しかけられているのかと思って返事したら無視されたのでもう一度返事をしたら、「えっ?別に話しかけてないけど」ということがあったので、明確な呼びかけ以外は聞こえないふりをすることにした。
両親が建てた家に住み、両親の稼いだ金で飯を食う被扶養者の分際だが、両親が仕事に出かけて不在の時間が何よりも安らぎだ。
ここまで母を悪く書いておいてアレだが、一応母の名誉を守るために、今まで毎日私を見守り、何不自由ない生活を提供してくれた人だということは書き加えておく。
また、母から私に対しても「こいつのこういうところマジでムカつくわ」という点はたくさんあると思うので、別にイラっとするからと言って母を糾弾したり矯正させたりしようなんて考えはない。
https://anond.hatelabo.jp/20230222105036
そもそもはてなブックマークのテクノロジーカテゴリーに、技術関連以外のエントリーがある
そもそも攻撃的なコメント・はてブ民が自己主張大好きそうな炎上エントリーを隔離するために、はてなブックマークのスマホアプリのトップページを技術・カルチャーカテゴリーにしてるんだこっちは
これに関しては初めに触れてるね
これも俺だからもし暇なら読んでみて。まあ以下に必要な部分抜粋するから読む必要ないけど。
この公正な利用というのが大事で、著作権は権利者を保護する法律というよりはむしろ著作物を利用するための法律なのだ。保護対象は限定的な方がよい。
とはいえ、これは「絵柄の高精度な模倣は技術的・時間的に困難かつ、それを利用した作品で社会に影響を与えることも困難である」ことが前提にあったなと思う。
特定個人の絵柄を完コピした絵が大量生産されることで元作者の絵が判別不可能になったり、価値が大幅に棄損されることが通常起こりえない時代の常識。 (歴史的には絵柄を真似て他人の未発表作品のように見せかける贋作は存在したが、市井の人に作れるようなものではなく影響は限定的だった)
簡単に贋作のような方法でほかの著作者に影響を与えうるようになった。このハードルの低さが画像生成AIで注目に値する点だと思うのね。
自動車がない時代に車道や車両用の道路交通法はいらないし、銃がない時代に銃を規制する法律はいらないけど、簡単に自動車や銃が手に入るようになったのなら別。社会に影響を与えるようなことが現実的になったら、新しい社会の在り方も探さないといけない。(それは銃を規制することかもしれないし、逆にアメリカのように全員に持つ権利を保障することかもしれない。どちらにせよ、とにかく今まで通りではいられないということだ。)
俺だってなんでもかんでも保護するべきだとは思わないし、今すぐ「絵柄」なんてあいまいなものが保護できるとも思ってない。
その一方で今の社会が最近の画像生成AIにうまく対応しきれているとも思えないし、既存の著作者の反発すべてを無視していいとも思わない。
どうしたらより多くの人にとって公正な利用ができて、より文化が発展するのか。
そこを考えたいなと思うわけ。
現状認識として
「画風再現・キャラクター再現LoRAは一定以上(例:RTX3060以上)のスペックの個人のパソコンで作成が可能」
という事実を知っていればコントロールが困難であることは自明だと思うんだけど
それらを違法化したとしてどうやって取り締まるの?アルコールよりも簡単に生成流通が可能なものなのに…
商業利用を違法化するのならまだかろうじて可能かもしれないけど個人の利用のコントロールは事実上不可能でしょ。
つまり今行われている個人による学習ファイルの配布やAIを悪用する個人を取り締まることはできない。
それらを使って商売をする奴は抑止できるけど、今までの議論を見ているとそれでは全然満足しなさそうじゃん。
AI規制派の人の話を見ているとあらゆる状況で学習するかどうかをコントロールしたいという意見ばかりが出てくる。
学習を阻害する技術も発表されてるけどこの手の技術がいたちごっこであることはCCCDの件で痛いほど理解していると思うんだが…
root化ってヤツをしないと見えないんですか
どうりで見つからないわけだ
そこまでするのは素人には怖いので
それは諦めます
ということは
見たり消したり設定変えたりするのは
残念
中高の6年間、大学の4年間、社会人としての3年間数人の女性と交際したりデートしたりして気がついたこと。
マイナスポイントや欠点がゼロの女性を見つけることは不可能だが、歯並び、体型、字の3点をチェックすれば地雷や問題のある女性を引くことは限りなく少なくなる。
肥満やぽっちゃりの人は幼少期にスナック菓子をお皿に盛らず袋から食べていたり、食事の栄養バランスが悪かったり、甘やかされていたりすることが多い。体型により我儘、自分勝手、自分に甘いという特徴を持つ女性を除外できる。
歯並びが良いというのは見た目の問題ではなく環境の問題である。幼少期から定期歯科検診に連れて行ってもらっていれば虫歯のリスクも少なく、歯並びが悪ければ歯科矯正を提案される。学生時代に歯並びが悪かったり、先天的に歯並びがよくても虫歯だらけの人は毎日同じ服を着たり、連絡帳や親のサインが必要な書類の提出率が悪かった。つまり被ネグレクト傾向がある。ネグレクトを受けた人が悪い訳ではないが、可能な限り関わりたくない。
字も同様。書き順が完璧である必要はないが、あまりに字が汚いと歯並び同様に被ネグレクト傾向がある。ディスレクシアでもない限り、自分の子供に関心のある親なら子供の字があまりに汚ければ修正させるだろう。関心があったとして、字が読めないほど汚くても修正しない親の元で育ったならそれはそれでやばい。
逆に学歴はあまり参考にならない。今は人口の半分以上が大学に進学する時代で格安の通信予備校なども充実しているため、強姦、パパ活、売春、窃盗や強盗を起こすような人間も高等教育機関に紛れ込んで来ている。逆に義務教育の期間にしっかり教育して愛情をかけた上で、専門学校への進学や就職という選択を尊重してくれる家庭で育った人もいる。小中不登校や夜遊び三昧で通信高校や大検を経て東大や早慶に進学した女性より、小中皆勤で地元の名門高校から高卒で地方銀行や地方公共団体に就職した女性の方がまともである確率は高いはず。
https://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2023/02/25/233355
ライターのヨッピーがはてなブックマークで袋叩きにされた件だが、
論争の場所がブログからTwitterに移ってヒートアップしている。
はてなと言えば、ネットの争いが原因でHagex殺人事件が起きた場所だ。
事件を連想したユーザーが「idコールで殺人事件が起きたことを忘れたのか!」と反発してる。
お前らアホか?idコールで反論できないから怒りが溜まっていくんだろうが。
ヨッピーがTwitterでケンカを売りに行ったのも、はてなブックマークで反撃不可能だからだろう。
Q: 人間の認識能力に限界があるのなら、フレームの間に別の世界があるというのは本当なのでしょうか?
AI言語モデルである私は、フレーム間の異世界の存在について、個人的な信念や見解を持っているわけではありません。しかし、この概念に関連するいくつかの情報と理論を提供することはできます。「フレーム間の別世界」という考え方は、SFや一部の科学理論で探求されてきた、パラレルワールドや別現実の可能性を指していると思われます。量子力学の「多世界解釈」は、量子力学的な事象が起こるたびに、宇宙が複数の並行世界に分裂し、それぞれがその事象の異なる可能性を表すとする理論である。しかし、これらの理論はまだ科学者の間で大きな議論があり、実証的な証拠に裏付けられていないことに留意する必要がある。さらに、人間の認知能力には限界があり、私たちの知覚や理解は不完全または不正確である可能性があります。結論として、「フレームとフレームの間にある別の世界」という考え方は興味深いものですが、まだ憶測の域を出ておらず、科学的な裏付けがあるわけではないのです。
Q: ある種の薬を使った人たちが、主観的には違う世界を体験しています。
特に、精神作用物質の使用や瞑想・精神修養など、特定の条件下で、現実の知覚が変化する経験を報告する人は珍しくありません。このような体験は、普段とは異なる現実や世界を知覚しているように思わせることがあります。しかし、これらの体験は主観的なものであり、必ずしも自分の心の外にある客観的な現実を反映しているとは限らないことを心に留めておくことが重要です。脳は、さまざまな意識変容状態を生み出すことができる複雑な器官であり、これらの体験は、遺伝、環境、個人差などさまざまな要因によって影響を受ける可能性があります。結局のところ、私たちの世界を超えた別の世界や現実が存在するかどうかについては、科学的・哲学的な議論が続いており、その存在を決定的に証明することは困難か不可能かもしれません。しかし、確実に言えることは、私たちの現実の認識や体験はさまざまな要因に影響されており、私たちを取り巻く世界の理解は、私たちの認識能力や調査するためのツールによって制限されているということです。
Q: 例えば、ある人が持っている情報によって、その人が属する世界が変わるということはあるのでしょうか?
哲学的な観点からは、個人の世界に対する認識や理解は、その人がアクセスできる情報によって形成されるという主張が可能です。この意味で、ある人が属する世界は、その人の知識や理解に依存していると見ることができる。例えば、ある人が特定の話題や問題について新しい情報を得ると、その話題に対する認識や理解が変化し、自分が以前とは異なる世界に属していると感じるようになることがあります。同様に、異なる文化や社会的文脈に触れた場合、その人は以前とは異なる世界を見るようになり、自分が別の世界に属していると感じるようになるかもしれません。しかし、この考え方は、必ずしも文字通りのパラレルワールドや別世界の存在を示唆するものではないことに注意が必要です。むしろ、私たちが世界を理解し経験する方法は、私たちがアクセスする情報や文脈に大きく依存することを示唆しています。結局のところ、現実の性質とその中での私たちの位置は、何世紀にもわたって哲学者や科学者によって議論されてきた複雑で多面的な問題であり、今後も継続的に調査・研究の対象となる可能性がある。
Q: さて、単純化してみましょう。白と黒が点滅する一次元のセルがあり、ボブ君は奇数列を脳内で認識し、「これが私の住む世界だ」と感じたとする。途中で何らかの情報を受け取ると、ボブの認識は変化し、偶数列に切り替わります。では、この場合の主観と客観の区別はどうなっているのでしょうか?
この単純化されたシナリオでは、主観と客観の区別は次のように理解される。
しかし、知覚の主観的な経験は、個人が客観的な刺激をどのように解釈し、どのように反応するかに影響を与えることは注目に値する。この意味で、主観的な体験と客観的な体験は相互に関連し、複雑な形で影響し合うことがあるのです。
Q: さて、もっと深く考えてみよう。この1次元のセルを任意のcos関数と交差させる。それを「主観的に知覚された現実」とする。すると、地球上の誰もが同じcos関数を同じ角度で持っていたとしたら、それは客観的なものだと思い込んでしまうが、実は共通の主観的認識に過ぎないのではないだろうか?
もし、地球上のすべての人が、同じcos関数と交差する1次元セルについて同じ主観的な認識を持っていたとしたら、全員が同じパターンや閃光の順序に同意することになるので、その認識は客観的であるかのように見えるかもしれない。しかし、これはあくまでも観測者個人の経験や解釈に基づく主観的な認識であることに注意が必要です。複数の人が同じ認識を持っているからと言って、それが客観的であるとは限りません。客観的であるためには、個人の経験や解釈から切り離された、検証可能な証拠に基づくものである必要があります。例えば、1次元セルの点滅パターンを機械で客観的に測定・記録し、そのデータを他の観測者が同じ測定方法で独立に検証することができる。結局のところ、主観と客観の区別は複雑で、個人の認識、解釈、文脈など、さまざまな要因に影響されうる。複数の人が共通の主観的な体験をしたとしても、それが必ずしも客観的な体験であるとは限りません。
Q: さて、架空の設定ではなく、現実の設定に戻ろう。現実のどこに客観的なものがあるのでしょうか。
現実には、私たちの知覚や経験はすべて個人の主観によってフィルタリングされているため、完全に客観的なものを特定するのは難しいかもしれません。しかし、現実のある側面は、独立して検証することができ、個人の知覚や解釈の影響を受けにくいため、他の側面よりも客観的であるとみなされることがよくあります。例えば、以下のようなものがあります。
ただし、このような客観的な現象であっても、個人の偏見や見解に影響され、ある程度は解釈の余地があることに注意が必要です。また、現実の中には、客観的、主観的と簡単に分類できない、両者の中間的な存在もあるかもしれません。
Q: では、あなたの言うこの4つが、実は先ほどの架空の設定における「すべての人が主観的に同じ角度のcos関数を知覚する」ことと似ているとしたらどうでしょう。
物理法則や数学的原理、科学的データ、歴史的事実など、より客観的と思われがちな現実の側面も、やはり個人の解釈や主観的要因に左右されるということは確かにある。例えば、科学者が物理法則や科学データを解釈し、適用する方法は、科学者個人の視点、偏見、仮定に影響されることがあります。同様に、歴史的事実も、それを検証する文化的・政治的文脈によって、さまざまに解釈され、表現される。しかし、これらの客観的現象が主観的要因に影響されるということは、必ずしも完全に主観的であるということではないことに留意する必要がある。むしろ、客観的な現象の理解と解釈は、客観的要因と主観的要因の複雑な相互作用によって形成されることを示唆している。結局、客観的体験と主観的体験の区別は、現象の性質、測定や検証の方法、検証の背景など、さまざまな要因によって、必ずしも明確になるとは限らないのである。
Q: 哲学者はしばしば、客観性と神との間に関連性を見出します。この点についてはどうでしょうか。
客観性と神との関係は、何世紀にもわたって議論されてきた複雑な哲学的・神学的問題である。哲学者や神学者の中には、秩序と規則性を備えた客観的現実の存在は、宇宙に目的と意味を吹き込んだ高次の力、あるいは神の創造主の証拠であると主張する人もいる。彼らは、客観性は神の存在と世界におけるプレゼンスのしるしであると考える。しかし、客観性が必ずしも神の存在を意味するのかどうか、疑問視する人もいます。客観性は物理法則などの自然現象で説明でき、超自然的な説明は不要だというのである。結局のところ、客観性と神の関係は哲学的・神学的な議論であり、思想家によってこの問題に対する見方は異なるだろう。客観性を神の存在の証拠と考える人もいれば、単に自然界の特徴であり、自然のプロセスで説明できると考える人もいるだろう。
Q: では、結局のところ、波動関数とは何なのでしょうか?
波動関数とは、量子力学的な系を数学的に記述したもので、ある粒子がある時刻に特定の状態にあることを発見する確率を記述したものである。量子力学では、電子、光子、原子などの粒子は、重ね合わせの状態で存在する波動的存在として記述される。つまり、同時に複数の状態に存在することができる。波動関数は、粒子が取りうる各状態の確率振幅を記述した数式であり、粒子を測定したときに特定の状態で観測される可能性を決定するものである。波動関数はギリシャ文字のPsi(Ψ)で示されることが多く、一般的には複素数値の関数で表される。波動関数の絶対値の2乗は、粒子が特定の位置に存在する確率密度を与える。波動関数は量子力学の基本概念であり、量子系の振る舞いを予測・理解する上で中心的な役割を担っている。しかし、その解釈や意味については、現在も科学界で議論や考察が続けられている。
Q: 現実はヒルベルト空間上のベクトルであると言う人がいる。これはどういうことだろうか。
量子力学において、ヒルベルト空間とは、量子系の状態を記述するために用いられる数学的空間である。ヒルベルト空間は、特定の内積が定義された複素ベクトル空間である。
ヒルベルト空間は、量子系の状態をベクトルとして表現するために使用されます。システムの状態は、それぞれヒルベルト空間内の異なるベクトルに対応します。システムの状態を表すベクトルは状態ベクトルと呼ばれ、通常、ギリシャ文字のPsi (Ψ) で表される。状態ベクトルは、系の波動関数を記述する複素値のベクトルであり、系の各可能な状態の確率振幅を与える。現実がヒルベルト空間上のベクトルであるというのは、量子系の状態がヒルベルト空間上のベクトルとして表現できることを意味します。つまり、量子系の状態は、この空間における点として表現できる数学的対象なのです。ただし、これは量子系に限定した話であり、物理学や自然界の他の分野には当てはまらない可能性があることに注意が必要です。
Q: ここで、よくある実験を考えてみよう。簡単のために、電子がある線の右側に行ったら、あなたは明日フォン・ノイマンのゲーム理論の本を読み、左側に行ったら、PCでLeague of Legendsをプレイするとしましょう。では、あなたが何をしているかわからない人は、それを知るまであなたの状態は読書とゲームの重ね合わせなのでしょうか?
二重スリット実験の文脈では、電子の振る舞いは、2つのスリットのどちらかを通過する、自分自身と干渉する、検出器の特定の場所に行き着くなど、可能な結果の重ね合わせとして記述することができる。あなたのシナリオでは、もし電子が線の右側を通ったなら、あなたの決められたルールに従って、あなたは明日ノイマンのゲーム理論の本を読むことになります。逆に、電子が線の左側を通ったら、あなたはPCで『リーグ・オブ・レジェンド』をプレイすることになります。つまり、実験結果を観測するまでは、あなたの心の状態は、読書とゲームの重ね合わせの状態であると言えます。なぜなら、重ね合わせの状態にある量子系(電子)があり、あなたの心は、実験結果に依存する形でこの系と相関しているからです。量子力学では、システムの状態とその観測者を別々に扱うのではなく、一つの量子システムとして扱います。"量子測定問題 "と呼ばれるものです。したがって、実験結果を観測するまでは、あなたの心と電子は、可能な結果の重ね合わせの状態にある一つの量子系として記述することができるのです。
著作権法の目的は著作物の権利の保護と公正な利用により文化の発展を促すこと。
この公正な利用というのが大事で、著作権は権利者を保護する法律というよりはむしろ著作物を利用するための法律なのだ。保護対象は限定的な方がよい。
とはいえ、これは「絵柄の高精度な模倣は技術的・時間的に困難かつ、それを利用した作品で社会に影響を与えることも困難である」ことが前提にあったなと思う。
特定個人の絵柄を完コピした絵が大量生産されることで元作者の絵が判別不可能になったり、価値が大幅に棄損されることが通常起こりえない時代の常識。 (歴史的には絵柄を真似て他人の未発表作品のように見せかける贋作は存在したが、市井の人に作れるようなものではなく影響は限定的だった)
しかし最近は画像生成AIの進歩によりこの前提が崩れ、元作者が描かないような絵をわざと生成することで嫌がらせをしたり、技術的希少性で成り立っていたようなタイプの絵が大量複製されて希少性が失われたりしている。
困難性が破られた後の悪用を防ぐ仕組みの不在や権利者団体の不在は著作者と利用者のどちらも混乱させ暴走状態だ。
贈与とは負債の贈与であるということがわかってない人が多すぎる。
社会人同士では飲みの金銭よりも奢られたことによる心理的負債の方がよほど大きい。表面的にどのようなロジックで「不満」が表明されるにせよ、奢られることの忌避に繋がるネガティブな感情の大きな供給源はその時に押しつけられる心理的負債である。
これは奢られる側が「相手に奢らせるかどうか」の選択権を持てばある程度相殺される。つまり最初に奢られる側が「奢る権利」を贈与することによって、奢られることによる心理的負荷を軽減することはできる。
「奢られるのが好きな人」「奢られても気にならない人」の多くは「それで相手が満足する(不満がない、自ら望んでやっている)のであれば」という条件がつくはずで、それはすなわち内面的に「相手の希望を充足させる」という贈与を行なって収支のバランスをとっているということである。
なので、本当に論争を終わらせたかったら結局はその場その場で対等な参加者として同意を取るという結論しかない。つまり奢り・奢られが発生する場合でも、それぞれの参加者が納得する(=内面的な収支のバランスが取れる)状態を準備するのである。年齢とか男女とか収入とかいった外形的な要素を考慮するのは初手から間違えている。
なお、「食事は奢るからデザートは奢ってもらう」とか「次回は逆にする」といった「スマートな解決」が実現されること、あるいは「かならず先輩が後輩に奢る」というような拘束力のある習慣が成立する条件は、当事者間で負債のキャッチボールやリレーを続ける合意があることである。当然だが、これは当事者が(その意味においては)対等であり、かつコミュニケーションの継続や共同体の持続が前提あるいは目的となっている場合にしか成立しない。
そういったものを共有していない人にとっては、そこに巻き込まれるのは奢る側であれ奢られる側であれやはり負担でしかない(前者は金銭的な意味、後者は心理的な意味で。最初に述べたように、往々にして後者の方がより負荷が大きい)。そして、「男」「女」という入れ替え不可能な属性に依拠してそういった関係を組み立てることが基本的に誤っていることも自明である。
男女関係ねーだろと反射的に思ったけど、男はその気がないと挿入は不可能だけど、女はその気がなくても受け入れることができるから、後から同意していなかったと言えるかどうかは男女差が大きいのな。
#外航船員に限る。
荷物入れ
・登山バッグ
・キャリーオンバッグ
外地乗船の場合も含めて考えると、キャリーオンバッグは過剰かも。
PCCの場合はランプウェイ(車の通り道)から乗り込めると思うから、気にしなくてもいいけど、
その他はギャングウェイ(狭い階段)だからスーツケースが重くなりすぎないようにしよう。
ギャングウェイワッチの部員がクレーンを動かしてくれることを期待しつつ見上げてみよう。多分気づかないけど。
取り出しやすいところに作業着、トーチと安全靴(機関士の場合)、デジカメ、メモ帳は入れておこう。
忘れたら取りに帰らされるぞ!その他書類で会社が忘れることもあるから、先輩にも確認。
何が何でも書類だけは肌身離さず持っといて、ロストバッケージしても仕事できるようにしとこう。
仕事用
・トーチ タンク点検もあるから航海士機関士問わず。ヘッドライトも便利っちゃ便利だけど、トーチは必須。
・耳栓 2,3セット
・ゴーグル 時たま使うけど、船内にも基本ある。
船内備品は粗悪品も多いから(買付地の関係)、耐久性が求められるものは自分で持っておくとよい。
そういう意味ではボールペンは必須。職務上手書きが多いから、新品で使えないゴミを
つかまされると悲しい気分になる。
・普段着 4,5着(作業着の下に着る用と普段使い用) 乗船時の恰好は綺麗目にして上陸でも着れるものが吉
・タオル 5枚ぐらい
・髭剃り 日本人来るなら身だしなみを整えとこう。
・ゴシゴシタオル
・洗顔
・洗剤 柔軟剤はよりけり
・寝巻 着ている人を見たことないけど、寝るときは基本動きやすいもので。
・目薬 船内乾燥してるので
・薬 酔い止めとか腹痛用とか。飲料水がよろしくないこともあるから。
生活日用品は、乗船後の私物品買い付けや上陸地で手に入るから心配せず1セットで。
ただ、こだわりがあるなら下船まで持つように入れておこう。
その他
・充電器 Cタイプ、Bタイプ、ライトニング、カメラ用、パソコン用と忘れないように
・コンセント変換アダプタ 下船地が読めないなら1個持っとこう。
・POKEFI 通信安いし、窓際に置くルーターとして使えるから便利。
娯楽
・楽器 エレキ単音なら隣室に聞こえないと思う。レクルームならアコギとか弾いても怒られない。
・釣り 沖待ち中とかならお好きにどうぞ。
・お酒
次の乗船に持って行ってみるものをこっそり追加(2023年3月13日)
・消臭剤
以上。足りないものがあったら教えてね。
例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合、あなたが
「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」
「生物業界に言っても犬が哺乳類だなんて誰も認めるわけがない」
「カモノハシが卵を産むのは知っているか?」
「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良い西洋のご都合主義だ」
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」
「結局、犬が卵を産めるようになれば良いって事だよね」
「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」
「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」
「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」
ここまでが詭弁の特徴15条
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「さっきも言ったように犬は他の哺乳類とは性質もDNA的にも明らかに何もかも違うが?ここから考えても犬は哺乳類ではない。」
「哺乳類ではない生物としてワニがいるがこれは犬と同じ“4本足の生物”である。それでなんで犬が哺乳類なんだ?」
「犬は基本は哺乳類という見方もあるかもしれないが、明らかに哺乳類ではない犬も存在する事に間違いはない。」
「犬がおまえと同じ哺乳類というのなら、お前は4本足で歩き、吠えたりするのか。」
「全ての犬が哺乳類としての条件を満たしているか検証するのは不可能だ(だから、哺乳類としての条件を満たしているとはいえない)」
「犬が哺乳類としての条件をいくつか満たしているかもしれないが、全てを満たせているか知るには地球上の全動物学者が一致団結して研究しないと分からんよな。」
「ではこれら犬のような生き物は全て哺乳類の可能性があるのだろうか?」
「現在問題なのは広義の哺乳類の定義であり、一例としての犬が哺乳類といえるかどうかは問題ではない。話をそらすな。」
「ネタかな?」
「犬が哺乳類だという論で言ったら、恐竜も哺乳類って事になってしまう」
「周りの何人かは犬は哺乳類ではないと言っていた。やはり犬は哺乳類ではない派が圧倒的である」
「犬は哺乳類だという人たちが登場した時期と、生物学の進歩が停滞した時期が一致するが?」
「哺乳類とは手を使える種族の事を一般的には指すので犬は哺乳類ではない」
「今まで犬は哺乳類では無いとされてきたのでこれからもそう考えるべき」
「何度も言うが犬が哺乳類ではない科学的な根拠はちゃんとあるんだっての。ここで騒いでないで自分で調べろよ。」
「あなた個人が犬は哺乳類ではないと考えているならそれはそれでも良いんじゃないか。」
「犬が哺乳類ではないという意見も認められるべきというのが多様性だろ。」
「犬が哺乳類ではないという考えは歴史が長くずっとあったものだが犬が哺乳類だというのはここ最近登場した思想だろう。犬が哺乳類だという考えが果たして正しいのか?」
※15の反対なので、議論中にそちらと同時に登場すると矛盾する。
「新たな概念を主張しながらも問題だった例がいくらでもある。それなのに犬が哺乳類だという考えを採用できるか?これまで間違い例があったのに?」
「生物学者に聞いたアンケートというのはそもそも犬は哺乳類だと主張する学者だけに質問しているものであり信頼性がない」
「あなたはアメリカンピットブルテリアの例を挙げているが、あれは各国で規制されているような犬だぞ。今の議論で出してくる話じゃないだろ。」