はてなキーワード: テレビ番組とは
私の彼女は人文科学系の学問を専攻していた。そのせいで、いわゆるポリティカルコレクトネスに敏感だ。
彼女が嫌いな女性の所作がある。例えば嵐の桜井君なんかがテレビで颯爽と登場した時に、女性の観覧者が狂乱したように「キャー」ということが往々にしてある。
この叫び声が良くないと彼女は言う。まず、男性はそんなことをしない、と言うのだ。例えばAKBの誰かがテレビで登場した時男は「キャー」ってならない。拍手で出迎える。
一方男性アイドルなどが登場した際は、女は獣のように叫び出迎える。テレビ番組のこういうところが大嫌いだし、女の方もこれがはしたなく自らの品位や地位を貶めるものとの自覚がない。
私は「ほっちゃーん! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」の事例もあるじゃないかと反論するのだが、それはあくまでも限定的な事象であり、そうであるからこそ明文化されたのだと説く。
それに、そういう男と女の差違を、ただ平板化するのでなく、差違を認め合うことこそが重要なのではないかと言う私の多分教科書通りの反論も、論点はそこではない、無自覚の構造こそが重要なのだと言い返されてしまう。
彼女はインテリだし話していて面白い。彼女はしっかりしているんだけど、お酒飲んでちょっと素行が崩れたり、動きが可愛くなるところもまた好ましい。うへへへ…
1つの基準則って、相手の国籍・性別・年齢・信仰関係なく、公平な裁きを受ける。
これこそ人類の叡智だ。
たくさんのアニメアイコンのアカウントが今日も誰かを炎上させている。
しかも恐ろしいことに、アニオタ男達の多くはこれを「いじめ」ではなく、
アニオタ男達の多くは、いじめは学校でのみ起きるものだと思っている。
彼らは、中学や高校の時に、ウェイウェイなリア充やオラオラなヤンキーに
馬鹿にされたり、無視されたり、あれこれされた傷を後生大事に抱え込んでいる。
30才になっても40才になっても抱え込んで、被害者面をして、
それなのに、人に優しくするどころか、人をいじめてうさを晴らす側に回っている。
今この瞬間にもたくさんのアニオタ男達が、誰かを不幸にし続けている。
アニオタ男達の多くは、自分達に「悪」を裁く権利があると勘違いしている。
ピーマンは苦くて俺たちは嫌いなんだと言って、よってたかってピーマン畑に石を投げる。
そんな馬鹿げた行為を「正義の裁き」と勘違いして、快楽を得ている。
ただアニオタ男の1人だからという理由だけで、憶測で擁護する。
逆に言えば、彼らはお仲間のアニオタ男以外の全てを叩く。
アニオタ男達とは好きなものが違う腐女子、あるいは性別が違う女性。
アニオタ男達とは趣味や言動が違う、ヤンキーやウェイ系といった、
スクールカースト上位だったであろう人々。
アニオタ男達の多くは社会経験が薄っぺらで、客観性に欠けるので、
①テレビ番組のインタビューに答える秋葉原のアニオタ男が、スタジオで受け答えを馬鹿にされる。
③大学生のアニオタ男が、未成年を親元から誘拐して、2年間監禁する。
なるほど、①は不当だろう。自分の好きなものや仲間を馬鹿にされて怒るのは理解できる。
そして。
③を擁護するどころか、被害者を非難するヤツらは頭がおかしい。
未成年を、保護者の承諾か虐待等の正当な理由なく誘拐するのはどう考えても犯罪だ。
犯人がアニメが好きだろうが、サッカーが好きだろうが、司法の裁きに何の影響もない。
そうでなければ、容疑者がアニオタだったからという理由だけで、
③のケースで容疑者がヤンキーなら、ネットいじめが大好きなアニオタ男達は
断言してもいい。
そして実家をグーグルマップで調べて画像を2ちゃんに貼り付け、
息子との距離のある関わり方を深く悔やむ父親のこと会社に嫌がらせのFAXを延々と送りつけ、
しかし③では、加害者がアニオタ男だったせいで、被害者やその家族は不当に傷つけられている。
ネットいじめが大好きなアニオタ男達が擁護するのは、まず間違いなく、
犯人が何をやったかではなく、どのジャンルに属するかで有罪無罪を勝手に決める。
アニオタが偏見の目に晒されている!と被害者意識を丸出しにしているアニオタ男達こそが、
レッテルだけで苛烈に人を裁くことにかけて、このようなアニオタ男達の右に出る者はいない。
端から見ればとても奇妙な矛盾だが、彼らはなぜかそれに気づかない。
こうして指摘をされたところで、彼らの多くは精神的に幼いので、
事実を受け入れることはできないだろう。
そして、論点とは離れたところにある言葉尻や例えにフォーカスして
「それはおかしい!」と言い張るに違いない。
アニオタ男達の大半は、行為を注意されると、存在そのものを否定されたと思う。
図体ばかり大きくなって、想像力や思いやりは身につけず、
以上をもって、改めて言う。
------------------------------
補足
------------------------------
とある誘拐事件に対するTwitterの反応を見て、この記事を書くことにした。
ところが、次の日人のいいアニオタの知人とこの事件について話したところ、
彼はまるで真実のように口にしたのだ。
衝撃だった。その衝撃が、筆者にこの文章を書かせた。
筆者は、アニメオタクの男性の全てが上記のようだとは思っていない。
そんなお仲間の目にぜひ入って欲しい、
あえて「アニオタ男」という極めて偏見に満ちた括りでこの文を書いた。
この件にはなるべく触れずに早く風化させるのが一番だ。
下衆の勘繰りに傷つけられていいはずがない。
関係者や警察、司法関係者以外の人間が、過剰な叩き方をするのもおかしい。
被害者や被害者家族、加害者のプライバシーを侵害する週刊誌は買わないこと。
世間の7割の人がこうするようになれば、
ちなみに、10人いればどうしたって2~3人は捻くれ者だから、
そういう人はやっぱり無視するに限る。
馬鹿だの何だのと失礼なこと、
怒りを煽るようなことを言ってしまった事については申し訳ない。
筆者の友人には、当然ながらアニメ好きも多い。
ゲーム、フィギュア、電車、ミリタリー、声優、アイドルが好きだろうが、
人や社会に迷惑をかけなければ、生き生きしている人は見ていて気持ちがいいと思う。
だからこそ言いたい。
アニメや漫画は、自分達に思いやりや優しさも教えてくれたはずだ。
今こそその学びを実践していこう。
そして、ついつい誰かを叩きたくなった時は思い出して欲しい。
心の中の二次嫁は、いつも俺達のふるまいを見ていると。
以上
他人に石を投げがちな全ての人に、何かしら伝われば幸いです。
この増田は、オタクを十把一絡げに犯罪者予備軍扱いする奴らと全く同じ過ちを犯してるな。
仮にオタクの中から犯罪者が出たとして、あるいは醜悪な言動を繰り返して憚らないオタクがいたとして、そいつらとお前との間にどんな繋がりがあるっていうんだ?見ず知らずの奴らじゃねえのかよ。趣味が近しいから、アニメや漫画やゲームを愛好しているからって言ったって、これだけ作品数の多い現状、全く同じ作品を楽しんでるかすら怪しい、もしくはヘタすりゃ1つの作品についてファンとアンチのように対立する立場かもしれない。そんなてんでばらばらの集団について、犯罪傾向なり品性なりに直結するような共通性や一様性なんて見出しようがないはずだろ。それをさも同胞であるかのように感じるなんて、錯覚もたいがいにしたほうがいい。好悪の対立する他のオタクとの間でさんざん口喧嘩してきた黒歴史を抱え、また最近の若い子らがカジュアルかつオープンにオタク趣味を楽しむ姿を見て苛立ちを感じずにはおれない、俺のようなオッサンオタクからすれば、オタクが集団として全く一枚岩でないことは自明だ。
こういうこと書くと「切断処理だ」なんだって騒ぎ出す奴もいるだろうが、元から繋がってないもんに切断もクソもねーだろって話。自分の好きなアニメを犯罪者が見てたから何だってんだよ。言っとくがな、お前らが視聴してた何らかのテレビ番組もどっかの犯罪者が楽しんでたはずだし、お前らが好きな何らかの食べ物もどっかの犯罪者が食べてたはずだし、お前らが打ち込んでる何らかの仕事もどっかの犯罪者が携わってたはずだ。たったそれだけの理由で、お前はその犯罪者と同列視されて納得いくのかっての、アホか。
批判にしろ擁護にしろ、個々の案件や個々の人物に対して行うべきことだろ。何故そこに勝手に共通性を見出して、集団に拡大して語ろうとするのさ。そういうの、はてなじゃ「主語が大きい」って、いの一番に叩かれる幼稚な論述の典型だったんじゃねーのかと。
「オタクを犯罪者扱いするな」って話にしたって、本質は「オタクと総称される集団が、そうでない集団に比べ、犯罪率が有意に高いなどという事実はない」という主張なのであって、「オタクは無謬だ・品行方正で犯罪などしない」なんて主張ではない。オタクの中にだってロクデナシは大勢いるだろうが、そのロクデナシ率は非オタ集団の場合と大差ない、という単純な話だ。その単純な話すら通じないアホウが未だ多いから「犯罪者扱いするな」つってるんであって。
そこを取り違って、オタク全体の擁護者たらんとしてる点で、増田は本当に「オタクを犯罪者扱いするな」側だったのか、少し疑わしい気もするが、まあそこは追及しないでおこう。
ともかく、主語の大きさだけで言えば、オタクを犯罪者扱いするのと、増田の考え方は似たり寄ったりだっつーことだ。下手の考え休むに似たりという諺があるように、こんなバカげたフレームで世の中を見ても何ら生産的でない、時間の無駄だから、そんな悩み方をするのはとっととやめてしまえ。
昨今、転落や謝罪が耳目を集めている。
時系列を遡ると、ショーン川上、野球賭博、清原、SMAP、ベッキー、佐野研二郎、野々村議員、佐村河内守、小保方晴子。
もう、失敗した人の人生を弄ぶのは、止めにしようと呼びかけたい。
見ていて苦しくなる。
感受性や自らを俯瞰できるバランス感覚が、私たちには欠落してしまったのか。
もちろん、人を批判することを止めて、ぬるま湯でみんな仲良くしようなんて言わない。
上に挙げた人の例で言えば、経歴詐称、賭博や八百長、覚醒剤、事務所の不当な圧力、不倫、剽窃、横領、虚飾に塗れたプロデュース方法、研究不正は批判されてしかるべきだ。
週刊誌も他のマスメディアも私たちも、こうした人に限らず、政治家、企業など、どんどん疑惑に切り込めば良いと思う。
ただ、その人間がした不正、それが起こった背景を叩くべきであって、その人の人格、生い立ち、人生までをも大衆が弄ぶのは、在るべき姿ではないと思うのだ。
橋下徹の出自を週刊誌がネタにしたことがあったが、それと同レベルなことを、私たち日本語を解する人間が寄ってたかって行ってはいないか。
大衆誌の過激な中吊りや、2chまとめサイトの下品な見出しに煽られて、日本語の構成する空間は堕落の一途を辿ってはいないか。
私たちは、何が批判されるべきか切り分ける冷静さを持たないといけない。
誰でもバックグラウンドや過去の発言にとらわれず、自由に対等に発言や議論ができる。
ただ、私たちはどうもその使い方に長けていないのかもしれない。
匿名をいいことに有る事無い事を言う。
例えば佐野研二郎の剽窃問題のとき、過去のデザインが漁り倒された。
デザインの依存関係を理解するのは難しいはずなのに、コレとアレは似ているという直感だけで、まとめ画像が作られた。
テレビ番組ですら、安易にそのまとめ画像を放送したこともあった。
疑惑を提題するならば、その正当性を示すのは筋であるはずなのに、匿名という隠れ蓑を被って、多くの場合は言いっ放しになる。
私たちは、失敗した人間というおもちゃを匿名性という道具でぶっ壊し、次から次へとおもちゃを取っ替え引っ替えしている大きな幼児になってしまったかのようだ。
なんか選挙権すらない日本人が米国大統領選にグダグダ言うの流行ってるみたいだから、俺もやってみる。
共和党候補として有力なのって、トランプ、クルーズ、ルビオでしょ。
で、定番の話題といえばやっぱりドナルド・トランプか。でも、トランプはどうでもいい。
日本のテレビ番組だと「トランプは反日、ルビオは親日」だから、ルビオがいいみたいなこと言ってる。
例えば、ニューヨークの弁護士資格を持つ八代英輝(@TBS『ひるおび』)さんなんかね。
でもさ、ルビオって経歴ヤバイでしょ。Wikipediaで経歴見てびっくりしたよ。
以下に俺がヤバイと思ったこと列挙するね。
・元モルモン教徒 ←
・最低賃金の引き上げ反対
・銃規制に反対
遠縁にヤクザがいる不法移民の子どもが一国のリーダーに成り上がれる国っておかしいだろ。
こんなブラック出自な奴が大統領候補になれるアメリカも狂ってる。
オバマもブラックでマリファナ大好きで出自が複雑な人だけど、苦労人の一言で収まる範疇だ。
ルビオって日本で例えればさ、中国から密入国してきた人の子どもで、
姉の旦那が蛇頭(中華系マフィア)の関係者で、元創価学会員って感じの人物が
自由民主党の総裁になるって言ってるようなもんだぞ。公明党じゃないぞ。自民党だぞ。今井絵理子レベルじゃん。
あるいは、北朝鮮から密入国したコリアン2世(帰化済)で遠縁に朝鮮労働党の幹部がいる元統一教会信者って感じか?
で、そんなでそいつが「女子高生が集団レイプで妊娠したとしても堕胎は許さーん!」とか主張してるの。
暴言王(トランプ)、不法移民の子ども(ルビオ)、進化論と気候変動を否定するキチガイ宗教右派(クルーズ)。
こんな3大珍品が揃いも揃って世界で最も影響力の強いアメリカの大統領選に出馬してそこそこ支持されてる。
ほんとアメリカ終わってるな。
自分、正直アベ首相嫌いなんだけどさ、ルビオ、クルーズに比べたら月とスッポンくらいマシだよ。
つまり「なぜトランプ?」ではなくて、「なぜルビオとクルーズ?」と問うべきなんだ。
で、最近ふと思うことがあったんだけど、自分が物心ついたときって、まだ「戦後35年」とか、「戦後40年」とかいってのね。
で、もう戦後71年目に入るわけだか、ということは
「第二次大戦が終わる→俺が物心つく」と「俺が物心つく→現代」が、同じくらいの時間になりつつあるわけ。
これは、結構驚く。
俺が子供のころってのは、フツーにじいちゃん、ばあちゃんに話を聞けば、空襲の話とか、機銃掃射で撃ち殺されそうになった話とか、
知り合いが戦争で死んだとかって話が聞けたし、
小学校で「身近なお年寄りに戦争体験を聞いてくる」なんて宿題やると、
「うちのおじいちゃんは、ガダルカナルという南の島で、死にかけたそうです」
なんて話を聞いてくる奴が普通にいた。
うちの母方の実家も空襲にあってるし、うちの叔父が鶏肉苦手なのは、子供のころ食糧不足で、
もらってきた鶏をじーちゃんとばーちゃんがなれない手つきで絞めてるのをみたときのトラウマだったりとか、
多分、今のシリアかってくらいの生きるか死ぬかの修羅場を潜り抜けた人も、けっこうフツーに生きてたわけ。
まあ、その時代には、ネットはおろか、スマホもケータイもパソコンもウォッシュレットもなかったし、
家庭でテレビ番組を録画するってのは、金持ちの家ではあったのかもしれないけれど、まだまだフツーの家ではできなかったし
飛行機のるのは、かなりの贅沢だったし、コンビニは24時間営業ではなかったけれど、
でもテレビはフツーに見てたし、洗濯機もテレビも炊飯器もあったし、車もっているのが特別な金持ちってこともなかったし、
(当時は、経済指標として、国内総生産=GDP じゃなくて、GNP=国民総生産を使うのが普通だった。
で、それから30数年で、たしかにいろんなものが出てきて世の中変わってはいるんだけど、
なんっていうか、生活の基本的なレベルってのは、そこまで大きく変わっていないような気がするんだよね。
少なくとも、その前の30数年に比べると。
いや、「その前の30数年」に関しては、あくまで伝聞ですけれども。
最近、若い人が安易に「日本オワタ」みたいなことをネットに書き込んでいるのを見ると、
無意識のうちに「なに甘ちゃんなこと言ってんだよ」と思っていた自分がいて、
自分のおじさん化に自分で驚くわけだけれども、その感情の源は、この辺の間隔にあるのかなあと。
僕らの親世代である戦中派~団塊世代ってのは、とにかく日本の変革を阻むガンとしてネットでは評判が悪いわけだけれど、
だって、あの人たちが子供のころって、日本が米軍に占領されてて、チョコレート欲しさに占領軍追っかけて、
で、奴らが動物にエサやるように子供にばらまいているのを、ありがたがってもらっていて、
それを親(俺らから見たら祖父母)が、やりきれない目で見てたりしてたわけだ。
そんなところから、今でいえばブラックとしか思えない働き方して、気づいたら「経済大国」を作ってた。
なんだかんだいって、これはすごいことだと思う。
一方、俺ら世代は、その負の遺産を前に、なすすべもわからず、とにかく対応するのに精いっぱいで、
まだ、さして何にも残していなかったりするわけだが。
「これからの時代は男女でわけて考えるのではなく、性別ではなく、個々としてみないといけないから男女でマネジメントをわけるなんていうのはナンセンスだ。」
と自分に言い聞かせてきましたが、やはり男女は違うという答えに行き着きました。
僭越ながら女性のマネジメントについて書こうと思うのは、女性のマネジメントが得意というわけではありません。
ただひたすら逃げずに立ち向かったことにより見えてきたことがあるということだけです。
・女性を部下に持った数100名以上
・役員選挙投票紙の自由記入欄に「セクハラしないで」と書かれた票が2票(控訴したい)
こんなところです。
「今より前に進むためには争いを避けて通れない」とミスチルも言ってるしなー。と思って深く考えずに生きてきた結果ノウハウがたまりましたので一部公開したいと思います。
本題にはいりますと、女性のマネジメントで一番大切なことは女性という生物の特徴を知ることです。
ここが全てと言ってもいいと思います。
その特徴の中でも大きく3つポイントがあると思っていますのでそちらを紹介させていただきます。
女性は全員「何にでも言いたがりだが責任は絶対に負いたくない生き物」だと思っています。
いきなり香ばしいスタートですが女性はそうなのです。「私はそうじゃない女性をみたことがある!」という方はそれは股間の膨らみが胸部に移動しただけの中身は男だと思います。
で、皆さんも経験あると思うのですが、女性は上司のことを「あれができてない、これがよくない」と言いたい放題言っといて、「じゃああなたがやってよ」と言ったら「それは別の話です。」と突き返して来ます。
企画に関してもそうです。ある企画に対して「これだとターゲットには刺さらないと思うんですよ。」とか「ユーザーの気持ちになるとそこは重要じゃないと思います。」と言っておきながら「じゃああなたが総監督でやってよ。」というと「それは私の仕事じゃないと思います。」と切り返されます。
ここで大切なのがムカつかないことです。
亀が早く歩かないことにむかつかないように女性が責任を負おうとしないことにむかついてはいけません。
そこにむかつくから女性はマネジメントが難しいという話になるのです。
ふたつめは女性は数字だけでは一切燃えてくれない生き物です。男性は「何がなんでも1億円目指すぞ!」と言ったら頑張る人がいますが、女性は「数字を追うというだけで毎日燃えられる意味がわからない。」と思っています。「何のためにこの仕事に取り組むべきか?どのような意味があるのか?」ということの説明が必要です。
女性が活躍する会社をつくりたいのであれば雑な指示はしてはいけないのです。それを「女性はすぐに動かない。」とか思っている方はそのような生き物だと認識することから始めて、丁寧に意味を説明した方がいいです。丁寧に意味を説明できないならそもそも女性の部下を持ってはいけません。
3、解決しなくても共感してくれればいいと思ってる意味不明な生き物
男性は会話とは問題解決の道具であると考えていますが、女性はそんなこと少しも思っていません。女性は会話でつながりを感じて安心感や満足感を得るものだと思っています。昔グータンヌーボというテレビ番組があって、女性3人がただただ喋って同調しているだけの番組を30分流し続けていて、私はフジテレビのプロデューサーは気が狂ったのかとおもったら、まさかの高視聴率に溜飲を下げざるを得なかった覚えがありますが、男性からしたら無駄な会話は無駄ではないので、焦らずに黙って聞くという覚悟を持ちましょう。
・「で、結局何が言いたいの?」
・「じゃあ早くそうしたらいいじゃん。」
・「話が長くてまわりくどい。」
これらは『女性に対してのタブー三大用語』なので、これらを今後一切言わないようにしましょう。
皆様のまわりに男子校に女子をいれようとしているようなマネジメントしている上司に文句を言いたくても、言えない人はそっとどさくさ紛れにこちらをシェアするのもいいと思います。
女性は特徴を理解し、受容したらあとは特にすることと言ったら褒めることくらいでじゅうぶん一生懸命働いてくれます。
またよく面談で女性に泣かれて、「女性は泣くからずるいよなー。」とか「泣かれたらどうしたらいいかわからないよ。」という方もいらっしゃいますが、これも前提条件を理解する必要があって、女の子は「泣いてはいけない」と言われて育ってきていないので、泣きやすいです。ただそれだけです。
私は少年野球やってた時に自打球を足の小指に当ててしまい、泣くつもりなかったですが、涙がでてきたら監督に「男なのに泣いてんじゃねー!!」と怒鳴られましたがそういう経験をしていなく大人になっています。なので泣くのは仕方ないのでそう思ってあげましょう。
女性は男性に比べて気配り目配り心配りと言われるようなきめ細やかなことによく気づくので、顧客満足の発想は男性より豊かですし、「なんとなくそう思う。」みたいな男から言ったら理解できない勘というのも鋭いですし、地頭も良い人が多い気がするし、かわいいしで女性は能力は高いことだらけです。
今後少子高齢化は間違いないので、女性の労働力というのはもっともっと必要になります。しっかりと特徴を理解した上で能力を最大化し国の発展に貢献していくべきだと思っています。
これを読んだ女性から相当な攻撃を受けるとおもいますが、ただただ黙って大きく頷いて共感・受容・支持していきたいと思います。
片切真人
テーマは何でもいい。
好きな作品、映画、漫画、テレビ番組、学問、スポーツ、芸術なんでもいい。
今、インターネットという不特定多数の人間と匿名性のあるコミュニケーションを取ることができる時代になった。
誰が書き込んだのかも分からないし、数年前の発言だってログさえあれば聞くことができる。
時間と空間を超越し、誰が発信したのかも分からない情報のやり取りはおよそ現実世界で行う会話とは異質なものである。
もちろんリアルタイムの交信形式も存在するがそれは現実世界の知り合い同士のコミュニケーションの延長線上に存在するものである。
おおよそ、インターネットが存在しなければ交信しあうこともない莫大な数の人間と接触することができるが、
人間性を形成するために必要な多くは現実世界においてのコミュニケーションであるということは未だ代わらない。
そういった背景を元に様々な価値観がインターネット上では入り乱れる状況になっているが、
得てしてマクロ的な環境ではマジョリティがもっとも大きな力となる。
作品が好きな人と嫌いな人、どちらがより多いのかということに興味を持つ人間も多いだろう。
それによって自分の価値観の選択範囲を広げることもあるだろうが、
逆に狭める結果になっていることに気付いている人間はまだそう多くはないと考えている。
勿論テーマによるであろう。
例えば"人を殺すことは良いことか?"という問いに対してまともな常識人ならば悪いことだと答えるし、
自分の今まで持っていた価値観を放棄してそれに順応することはできないだろう。
それはその者にとってその価値観が他人から環境から否定されても譲ることのできないものだからだ。
人は自分の中に必ず神を飼っている。
そしてその神は自分で作り替えることができるし、環境にも影響を与え、それと同時に環境によって影響を受ける存在なのだ。
タイトルについて話を戻そう。
それを顔も知らない他人の評価を参考に簡単に規定してしまっていいのだろうか。
環境に左右され続けていくことを根底の価値観にするのならば、それも悪くはない。
しかし、自分が長いものに巻かれていることに気付かずに他人に死ぬまで書き換えられ続けるのも不幸だと考える。
それは人間が生きてきた環境というのは個人ごとに違うものであり、
染色体の違いやフィジカル・メンタルの違いによって必ず違う形を求めているはずだからだ。
それの根底的な欲求を濁らせる同調意識や長いものに巻かれる行為を自覚しなければ永遠に良くも悪くもないぬるま湯に浸かったままでいるだろう。
他人から言われて揺らぐとしたらそれは本当に求めているものではないのではないか。
なら何を自分は求めているのか。
一度正面から向き合って話をしてみてほしい。
昔、ネットとテレビの融合みたいなことが話題になったときに、出演者とネットを想定した契約をしてないから番組をネットで流すのは難しいって話になったんだわ。
オレが「過去の番組はともかく、これから作る番組はネットも含めて契約すればいいじゃね?」って言ったら「そんな簡単なもんじゃねえんだよ、素人が」みたいなことを言われたわ。
でも、いまはナントカオンデマンドみたいなサービスで、普通にテレビ番組をネットで配信してるよな。
自動掃除機のルンバが話題になり始めたときに、なぜ日本のメーカーは作れないかって話になったときも、やっぱり事情通みたいな口ぶりの人が「日本のメーカーは安全性重視だから作れないんじゃなくて作らないの。あんな機械、万が一階段とかか落ちたらどうすんの」とか言うのな。
でも、その後、日本のメーカーも韓国メーカーのOEMで自動掃除機出たり、自分で開発販売してるよな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160209235258
↑これだってさ、まあ、普通のビルより建築費がかさむだろうからとか誰も住みたがらないだろうとか予測はつくけど「○○だから」って断言できる人なんていないと思うんだわ。
俺の変態な部分を俺として曝け出させてくれるような寛容さをどうしても求めてしまう。
俺は己のあらん限りを露出し、
そして何が恥かもわからないほどにプリミティブな新人類へと召喚するのだ。
恥も外聞もなくただただ無邪気な顔でシンプルな論理からシンプルに感情を吐露し
それほどまでに真白な純朴さをもってしても、
いや純朴さ故に逆に浮き彫りになる変態性欲という俺のアイデンティティーよ。
俺は自らのアイデンティティーを掌握したい。
掌握することでもって自分という存在は耽美主義の何某かにメタモルフォーゼすることができる。
自らの倒錯した性的嗜好に対する不潔感にじりじり侵食されてバイキンマンになってバイバイキーン☆。
バイキンマンもそれはそれで変態で素晴らしいが俺はバイキンマンになるのがやっぱり怖いんだ。
俺という変態を、例えば何の変哲もないドアノブのようなものだと捉えるような世界観をもった人間の寄せ集めのなかで暮らしたい。
だから俺は俺の変態を受け入れはしたいが、俺と似たような変態が集まって兜合わせするだけの集団に入団することは望んでいない。
変態兜合わせ協会は恐怖を与えるだけの脅威だ。皆で仲良くお手々を繋いで南無阿弥兜合わせ。
南無南無南無南無と彼らは、ミサイルを打ち、原爆を打ち、テレビ番組に苦情を入れ、街中にサリンを撒き、アムウェイの説明会案内と聖書を軒先で見知らぬ人に押し付ける。
そんな奴らに関わってしまったら俺は幸せに変態になることができなくなってしまう。
みつどもえのKinky,Love&Peace.
日本は違法薬物を強迫的に敵視するくせに、アルコールに対しては甘すぎるよね。
飲酒運転の厳罰化とか学生の一気飲みの禁止とか、最近はちょっとマシになってきたけどさ。
日本と違って酔っぱらい(アルコール中毒)に対する世間の目はスゴい厳しいかった。
社会人になって酔って外で大騒ぎしてたら、普通にダメ人間と思われる。
(イギリスだと酔って外で大騒ぎしてるのは、基本的に労働者階級の危ない人たち)
もちろん、日本人と違って遺伝的に酒に強い人が多いことも影響してるんだろうけど、
よくテレビに出てくる新橋駅の酔っぱらいサラリーマンみたいのは、社会的に受け入れられてない。
そもそも、酒席の「無礼講」みたいな文化がないのも関係してるんだろうけどさ。
(日本って酔っ払ってると、社会的に高い立場にある人ですら、失言しても許される慣習があるよね)
てか、日本人って基本アルコール中毒じゃねーかって思うときがある。
毎日毎晩、酒飲まないと気が済まないとか、本人たちは普通だと思ってるかもしれないけど結構やばいよ。
伝統的に言えば、日本人の大部分が酒を常飲するようになったのは近代以降だから、遺伝的に酒に弱いに決まってるわ。
飲み続けてると酒に強くなるというのは、半分本当だけど、あれは肝臓の機能が低下してるだけだし。
酔っぱらいに優しく、酒販免許の大盤振る舞いでコンビニやスーパーでいくらでも酒を売れる法制度だし、
未成年も見るテレビ番組にもアルコール飲料のCMがバンバン流されてる美しい国、日本。
アルコールだって中毒になると錯乱状態になるし、自殺の原因にもなる。多種多様な体調不良を起こす。
精神疾患の原因になるから違法薬物がいけないというなら、酒だってもっと規制されてしかるべきだろ。
なんか3日前に一日だけ変な日があった。まぁお前らが喜びそうな話だからとりあえず書く。
野良インコみたことある?しかも大量に電線にとまってるとこ。あいつら成長するとデカイのな。
薄汚れてるからよく見ないとわからないけど、ちゃんと緑色してんのよ。
隣歩いてたサラリーマンが急に携帯で写真撮り始めてさ、いやいや、それほどのことでもねぇだろくらいに思ってたんだけど、なんかすげぇ青い顔して必死なんだよな。
そしたら震えた声で話しかけてきて、「あれ、、、カラスですよね?」って。
いや、そこはお前そっちかよ!って思うでしょ。
「はぁ。間違いないっすね」くらいに返してたら急に走り出しちゃってまじで意味がわからん。
まぁそんなんで会社について、はてなでもチェックしようと思ったらホッテントリ全部カラスカラスカラス。
いや、それは流石にぞっとするでしょ。
それと一緒に大災害から身を守る方法とかばっかり上がってきてんの。
なんか気持ち悪いしつまらないから仕事始めようとデスクから書類引っ張り出してたんだけど、定時になってもなかなかみんな会社に来ないんだよね。
避難訓練でもハブにされたのかと思って不安だったんだけど、9時半くらいになってやっと出社してきた先輩が両手いっぱいの買い物袋に食べ物とか飲み物とか山程買い込んできてんだよ。
それで開口一番「で、お前はどこに逃げるの?」だって。
そしたら「やべぇなぁ。東日本の時は3羽であの規模だったんだから今回の4羽とかって本当に洒落にならん」とか言ってんの。
それで適当に付き合ってたら、まぁ、結局場所と時間は予想できないから変に動けないとか、決まってるのは被害者の数だけだとかそんなことを言ってるわけですよ。
いや、インコから始まってるとしたら、これはかなり大掛かりなドッキリだなと思ってさすがにテレビ番組の介入を疑ったね。
だって、その時だって外を見れば普通に電線に野良インコがとまってるんだよ。何羽飛ばしたんだよって。
そんなんだからどこから撮られてるかわからないし、あんまり際どいサイト開くわけにはいかないなってまたはてなのトップを覗いてたわけ。
それにしても本物そっくりでよく出来てるなぁって思ってたら、何故か色々なサービスの名前がちょっとだけ違かったりしてんの。
twitterがtwittErだったかな?そこ大文字?みたいな。
それで大御所ブクマカーのブログ記事を見つけたんだけど、そういや朝にも同じ人の記事読んだなって。
あんまりブログが上がってこない人なのに、一日に2個も見るなんて珍しいなって開いてみたんだ。
そしたら、この世の中で生き残るためにはみたいな記事だったのに、朝見た内容にそっくりだったんだよね。
それで読み進めてたら、「笑顔で周りの人に声をかけて生きよう」って文字が急に目に止まって、そういえば朝もこの文字見た時に目眩があったなとかって思ってたらまた同じような状況になったんだ。
で、気づいたらいつもの会社でいつもの風景。社内には沢山人がいるし、窓の外にも野良インコなんて全然飛んでない。
全然意味わかんなくてパソコンの画面みたらさっき読んでた記事じゃなくて、朝に読んだ記事と同じになってた。
あー。俺完全におかしくなったと思った。
そんなんでキョドってたら隣りにいる先輩から「お前朝からサイト見過ぎ。部長に怒られる前にさっさと仕事始めろよ」って小声で怒られたんだ。
意味がわかんないから「俺そんなにみてました?」って聞いたら、「カラスが何なのか知らないけど、困ったことがあったなら早退するなり早めに部長に相談しておけよ」と言われた。
あんまり信じたくないだけど、例えばちょっと違う世界に行ってたとして、こっちにもどうやらおれがいたみたいなんだよな。
そうすると朝にあった不思議な事がちょっと辻褄があってしまうんだよ。
おれがこっちの世界に戻ってきたってことは、あいつは向こうの世界に行ったということ。
それで今朝の地震だよ。
こっちとあっちの世界でどれくらいの接点があるかわからないけど、なんか地鳴りがすごかった割にはあんまり揺れた気がしなかったし、かといって震度が小さかったわけでもなかったし。
変なこと言うみたいだけど、向こうの世界で何かあったんじゃなければいいなって思ったわけよ。
結論から言うと、布屋で2メートル5600円の布を断れずに購入し、「あ、私マルチ商法とか笑えないな」と気付いただけの話です。
=====
変な宗教に勧誘されそうになったり、所謂「自己批判」をしかけられた分けではなく、相手はただ布を売ろうとしてきただけなのですが、それすら断れなかったことにショックを受けたので文字にすることで冷静になりたかったのと、
買いたくない布を買うに至るまでのプロセスがテレビやネットで読む「洗脳」のプロセスによく似ていると感じたので、同じような状況に立ったときに思い出して貰えればと思い、初めての増田投稿をしました。
ちなみに2メートル5600円は、布の値段としてはちょっと高いぐらい。
上を見ればキリが無いが、主婦が結構奮発して買うぐらいの物だろう。
布自体は悪い物では無いけれど高級品と言う分けでも無く、老夫婦が趣味でやっているようなお店なので、友達相手の商売ならまあそんなものかなって言う商品。
ただ私はその時その店で何かを買うつもりは無かったし、
お財布事情もその店の想定する顧客では無いと自覚したうえで、もしかしたら掘り出し物が見つかるかもって軽い気持ちで入った。
何度か入ったことがあるお店で、私を囲って最終的に布をレジまで持って行った店主のマダムも悪い人では無いのだと思う。
そう、相手は腰の曲がったお婆さんだった。
ピンクのツイードのジャケットに千鳥格子のスカートで、喋り方もちょっとハイカラなお婆さん。
店員も客もマダムも合わせて四人しか居なかった。みーんなお婆さん。
対して二十代の私が物理的に逃げることは簡単だった。
それなのに、2メートルの白い布を手にちょっと茫然としながら「自分は洗脳される側の人間かも」と恐怖した理由もそこにある。
私はメートル千円未満の安い布を探していた。
火急の用では無く、購入する店にも目星を付けていた。一週間後にはその店の近くを通るので、その時に買えば良いや、ぐらいの気楽さ。
件の店はタイトルでは「手芸屋」と書いたが細かいことを言うと布専門店で、最初は寄る予定も無かった。
私が用があったのは、同じ複合店内の百円均一だ。
と言うか、そもそも買い物をする予定もなかった。
100円均一だって、図書館に行ったら、休館日だったので、手持ち無沙汰になってしまい無理矢理作った用事だった。
ともかく入ってしまった複合店の中で、二店は同じフロアにあり、エレベーターを上って最初に目に入るのが例の布屋なのだ。
高級な布を見るのは楽しいし、時々端切れを買ったりして少し好きなお店だった。
そう言えば白い布探してたんだよな、もしかしてちょっと良いのが安くなってないかな。
ちらっと覗くと、白い布に「1000」の値札がついている。「2800」に打消し線が入っている上に、だ。
お得じゃん!
早速近づいて手にとってみて、がっかりした。
ベルベット素材だったのだ。
でもベルベットが千円なんてちょっとすごいな、冬だからかな、なんて触っていたら、見たことのある─一度レジで話をしたこともある─店主のお婆さんが話しかけてきた。
「良い布でしょう、ベルベットって言ってね、宝石の名前もついてるくらいで、良い布なのよ」
(ちなみに宝石の名前、がどこから来ているのかネットで軽く検索しただけでは分からなかった)
元々店員さんと話すのは苦手では無い。
手触りが気持ちいいですね、なんて言いながら、買うつもりが無いことを、次のように伝えた。
「でも私、スカートを作りたいんです。白い麻とか綿とか…これじゃちょっと違うかな。」
「スカート!良いじゃない。
タックを入れてこう…(手でストンと落とす)いうのも良いでしょう?」
耳が遠い分けでは無いのだが、お年寄りや若者それぞれにあるゾーンみたいなもので時間軸がちょっと違う。
その時その時の自分の世代が正常だと思ってしまうが、今は分かる、十代もちょっとおかしい。
二十代なんて全然若いと思っていたが、いざ突入してみると十代が怖い。
世代の違う人との会話を二人三脚に例えるなら、予期しないタイミングでブレーキをかけたりダッシュしたり、とにかく息が合わないことが多い。
勿論、他の世代からすれば私は「鈍くさい奴」「足の踏込が甘い」とか、いろいろあると思うけれど……
……脱線した。
とにかく、ちょっと話を聞いてもらえないことが分かったけれど、その時はまだ何とかなると思っていた。
勿論千円を超える布を買う気も無かった。
もう一度ビロードが想定と全く異なることを伝えると、マダムは違うコーナーに私を連れて行った。
黒い壁や間接照明とならんで布が飾られている、明らかに高額商品のコーナーだ。
白い綿や麻、混合を探していて、千円のビロードが予算に沿わないと伝えているのに、マダムが手に取るのは四千円五千円の柄物の布ばかり。
あれこれ話を広げていくマダムに、ちょっとやばいぞ、と気付き始める。
挙句に六千円の織物を手に取り、一万五千円が六千円になっている、これが一番お買い得だ、ちょっとそこ(鏡の前)に行って当ててみたらどう?とか言い出す。
もっと高い布もそのお店にはあるのだが、それまでマダムが手に取ったり指さしたりした中で一番高い布を「お買い得」と言って勧めてきた所に、マダムの狙いは親切では無く何かを買わせることにあったと思えてならない。
その後も再三「予算に合わない」と繰り返して、何とかその場を移動しても、相変わらず四千円五千円のコーナーをうろうろするマダムと、私。
この時私はへらへらしていて(癖なのだ)、
会話も
「綺麗ですねえ、見てると欲しくなるけど、高いなあ」
などと肯定から入っていたので、端から見たら購買に積極的な客に見えたかもしれない。
自分のこの態度にも、最終的に断りきれずに買ってしまった要因があると思う。
その後も「どこかの学生さん?」と聞いておいて、別段安いものを見せてくれるわけでもなく、こちらの予算も無視でとにかく買わせようとする。
何度か逃れられた、と思って安い生地のコーナー(一応キルトとか子供向けの柄物とかも置いてあった)(とは言え、そこに置いてある生地もセールになっていることは滅多にない。本当に、冷やかしと同然でとりあえず入ってみただけだった)に行こうとすると、一度は離れる。
けれどすぐに声をかけてきて、「これなんかどう?」と、また良いお値段のコーナーに引き戻され、結局安いコーナーには一歩も入れなかった。
マダムの言葉選びは、いっそ見習いたいところがたくさんあった。
「気安い布も見させて」と苦笑いする私に、三色並んだ布を指して「これなんかもねえ、お値打ちよ。」と百八十度違う言葉をかけてくる。
「へ?ええ、ああ、でもちょっと予算がね。」驚きつつも、なんとか会話を続けようとするのを遮って、
「ええっと、カーキかな。でもちょっと素材が…」
「ねえ、良い色よね。」
と、とにかく相手に選ばせるのだ。
選んだらそれを褒め、自分が手に取った商品は良いですね、と言わせるのだ。
こう言うときに「そのヒラヒラ下品で好きじゃないわ」なんて言おうものなら、「若い子にはそうかもね。じゃあ、こっちはどう?ツイードで大人っぽいわよ」と他の布を出したことだろう。それとも、フリルのついた他の布を持ってきたかもしれない。
実際、最後まで私の希望─白色、麻や綿、千円未満─に一つでも沿っているものを持ってくることは無かった。
そうして私が指差したカーキ色の布を手にすると、マダムはおもむろに言った。
「これにする?」
唐突なその言葉に、ちょっと血の気が引いた感覚が、この記事を打っている今も残っている。
散々「他の布も見るね」と言っては頷かれ引き戻され、一度も自分のみたい物を見ていない。
まだ私は物色すらしていないのに、しかもその布を聞かれたから褒めこそすれ、明確にあることを伝えている計画に照らし合わせる前から、何故、いきなり購入になるのか。
私がどんなスカートを作りたいかおばあさんは聞いてもいない。
しかも散々伝えている「どんな布が買いたいか」に、その布はかすってもいない。
上品なカーキがテカるシャンブレーを片手にレジに持っていこうとするおばあさんにそこはかとなく恐怖した。
この時「この人話が通じないんだ」と恐怖したのが、第一段階だと思う。
洗脳の段階だ。
はっきりノーと言ってその場を去れば良いじゃないか、と思う人もいるだろう。
出来なかったのか?と呆れられれば、私はその人の前では自分を恥じてしまうだろう。
実際、出来たと思う。
自分より弱いおばあさんだったから強く断れなかったのかもしれないし、
へらへらするのが身に付いていて、愛想の悪い態度をして誰彼構わず嫌われたくないと思ってしまうのが、私の悪い癖でもある。
それに、5600円だ。
数十万じゃない。
ハッキリ払えないと言うのが嫌だと言う、妙な虚栄心もあったと思う。
私は普段からまめに洋裁なんかをする人間では無く、知識も低いのに知ったかぶりをしてしまう所があって、この時もなんと言うか見栄を張ろうとしていた。なんとか取り繕って逃げようとしていた。
色々な要素が混ざり合って、最終的に、「向こう見てきますね」と言って逃げようとした私におばあさんが別の布を手にして
「もう、これにしましょうか」
に負けてしまった。
本当にこの時は怖かった。
今も、思い出すと怖い。
しゃがみこんで、泣きそうになりながら、それでもなんでか笑って、なんとか逃げようとあれこれ言ってみるけれど、「何メートル必要なの?」「二メートルです」と答えてしまい、二メートルだと言ったそばから「それならシャツもね、作りたくなるのよ。三メートルあれば足りるかな…ちょっと計算しましょうか」と言われ、「あの、スカートに二メートル必要なんです。シャツには足りませんよね」と言う声が震えそうになったのを抑えてしまった。
結局おばあさんはレジに立っていた店員さんに「三メートルね」と言うので「二メートル!二メートルでお願いします」と訂正しなければならず、最後まで話を聞いてくれなかった。(「これにしましょうか」と言って手にした布もグレーで、他に四色ある中からどれが良い?と言いながら、なぜか頑なにグレーを持っていこうとしていた。もしかしたらグレーが高かったのかもしれない。私は「自分で」白を選んだ。)
この時私は切られた布に申し訳なさすら感じて、一割引に「ありがとうございます」、それなのに(店側がカード会社に売り上げから何パーセントか手数料を支払わなければいけない)クレジットカードで支払ってしまってすいませんとまで言った。
これも、私の癖だ。
レジでも毎回「ありがとうございます」と言い、車の前を通るときは例え相手が無理に横断歩道に乗り込んでいても反射的に頭を下げてしまい後で一人で勝手に悔しくなったりする。
悪いことではないと言ってくれる人もいるだろう。
けれど、今回ばかりはそうは思えなかった。
この癖も、悪徳商法などの洗脳にかかりやすくなる要素の一つだと自覚したからだ。
ここからは、どうして自分が「洗脳されやすい人間」だと自覚したのか、書いていきます。
1.まず一つに、最後まで─そして今でも─私は「断ろうと思えば断れた」と思っていること。
これは、「断ろうと思えば断れた」のに断らず、「自分で選択した」のだから、決断した「自分が悪い」と言う結論を引っ張ってきます。
自己評価が最低になり、何もかも自分が悪いと思い込むと、「被害を受けた」という判断も下せなくなってしまいます。
今回、私の相手は腰の曲がったおばあさんでした。
先にも書いた通り、逃げようと思えば方法はいくらでもあったのです。
それに、5600円も「被害」と言うには大げさな額に感じられます。
何より、私には支払い能力があったのです。これで生活がおろそかになるわけではありません。
これぐらいなら「仕方ないか」と思える「被害」と、「自分が決めたこと」は自分で責任を負わなければならないと言う負い目から来る「自分が悪い」という自己否定。
この二つのせいで、私は(こんな記事を書いておいて何ですが)おばあさんを悪役に出来なくなります。
「買いたくないものを買ったと嘆いているけれど、相手はおばあさんだったんでしょう?無理やり拘束されたり脅迫された分けでもないのに、大げさだよ。人のせいにしてるだけでしょ」
「本当に買いたくないなら、走って逃げればよかったんだ」
「他にも買わないために出来ることはいくらでもある」
「結局、本気で嫌だったわけじゃないんだよ」
今回は布で済みましたが、これが悪徳商法だったらどうでしょう。
額もそんなに高くありません。
あなたが参加した企業家のためのセミナーやIT系によくある「仕事を効率よくこなすための三つのフロー要点」のような、ネットの有名人の講演会で、パソコンを使った遠隔講義に誘われるかもしれません。
日用品なら、高くても数万、遠隔講義なら物理的に囲いこまれるわけでもなく、いつでも逃げられる。
契約しなきゃ帰ってくれそうに無くて怖いし、よく聞く何百万の詐欺事件よりはマシかな、と契約してしまうかもしれません。
けれど、一度契約してしまえば最後、自分を責める後悔が始まります。
今回のことで痛感したのは、「詐欺は金額ではない」と言うことです。(詐欺とまで言ってごめんね、マダム。もう二度と行かないから許してほしい)
あんなにテレビやネットで詐欺や洗脳のニュースを見聞きしていながら、「騙された」ことが辛いのです。
マルチ商法は、買わせた相手のこの気持ちの隙間につけ入り、「元が取れるよ」と売る側に回して「被害者」を「加害者」に変える悪徳商法です。
傷付いた自尊心を補おうためにしたことが、加害者になることでさらに傷付き、負の連鎖を引き起こすことになってしまうのです。
話は戻りますが、先に書いたように、「恐怖」が洗脳の第一段階ではないでしょうか。
相手に話が通じない、もしくは暴力の可能性を示唆されることで、自分が無力だと感じる。
そうなると、なるべく穏便に逃げたいと考えるようになります。まだ逃げたい・この場には居たくないと考えます。
しかし、拒否できなかった自己嫌悪から自分を責めることになり、自信を無くしてしまう。
2.次に、結局「ノー」と言えなかったことだ。
これに尽きるけれど、こんなにショックを受ける程買いたく無い物に、「ノー」と言えなかった奴が是が非でも自分たちの住む沼に引きずり込もうとしているマルチ商法や洗脳を拒否できる分けねーべ。
これは一日経った今もちょっと泣きそうなぐらいショックだった。
まず、店員さんに押し切られて買うと言う経験が無かった。ファースト。奪われた。
それまで店員さんって言うのはひたすら褒めてくれるのをスルーすれば着合わせを一緒に考えてくれたりするちょっと気分良くしてくれる人だと言う認識で、お仕事だから失礼なこともしないし、怖いなんて思ったことも無かった。
けれどマダムは違ったのだ。
考える隙を与えずにガンガン来られたら、そりゃパニックにもなる。
「ごゆっくりどうぞ~」
は、あくまで相手の気遣いで、彼等が売るのは商品そのものでは無くて「豊かな生活」「楽しい買い物の時間」でもあったりするからだ。
お店で気分を害して買い物をしても、悪評が広まれば客も減り、商品も売れなくなる。そんな方法を取ってまで売る物では無く、「ちょっと考えてみます」と言った客は接客を止めるラインでもあったりするからだ。
あの手この手で私たちの思考能力を奪い、言いなりにすることが目的だから。
そこに来て店員さんや通りすがりの人の前ですら「物分りの良い振り」をしたがる私の性格。
「卒なくこなしている」ように見られたい見栄があって、無愛想な態度を取ったりして働く人に敬意を払っていないとかマナーを知らないとか、軽蔑されたくないと思ってしまうのだ。
マダムは私の話を一切聞いてくれなかったのに、いちいち声に振り返り、返事をし、話を聞いてくれない人の話を聞いて何とか会話しようとする私は、そりゃ良い鴨だ。
向こうはこちらの話など聞いていない。
考える時間も与えられず、パニックになり情報が遮断されて追い込まれた中で、頷くしか選択肢が無いと思い込んでしまう。
マダムは悪い人では無いと思う。
半分は天然で、半分は故意だっただろうけれど、それも悪意からでは無く、引き際を知らない人だったのだと思う。
比べるのは嫌だけれど、私の祖母も私の話を聞かない。
一緒に料理店に行くと、いくら私が要らない、食べられないと泣きそうになりながら断っても、自分が子供時代のひもじい思いをした辛さから良かれとどんどん料理を注文し、挙句自分が食べられなかった分を私に「食べれるでしょう」と差し出す。
今はもう必死に粘ることを覚えたが、中学生のころはガチ泣きをしながらご飯を食べたことも、何度かある。祖母は私が泣いていても、見えていないのか全く悪気が無く「食べれるって」と言う。
あっ、こりゃダメだ…。
また脱線した…。
もういい、なんだか書けば書く程自信が無くなって行く…強く生きていきたい…。
…えっと、それで、結局「マダムも悪い人じゃない」と思っている時点で、私は相手を完全に否定して切り離すことが出来ていない。
これが信用していた友人だったらどうだろう。
もう立ち直れない…。
長々と書いておいて、とりとめもなく終わってしまい申し訳ないです。
失ったのはたかだか五千円ですが、受けたショックは一日引きずって消えませんでした。
このショック和らげるため、自分のために一気に書いたので、矛盾やほつれがいくつかあるかもしれません。すいません。
タイトルで「洗脳」とまで書いたのに、結局洗脳された分けでも無く、マルチ商法に怯える妄想に始終し「洗脳」って何ぞや、と思った方もいるかもしれません。
私も簡単に「洗脳」について引用を載せた方がこの記事も書きやすいかな、と洗脳の手順とかを検索してみたのですが、「洗脳はこうしてできる!」「洗脳は簡単に見破れる!」みたいなあんまり仰々しく強気の記事が多くて「どっこいどっこいだな…」と疲れてしまいました。
おススメはテレビ番組「しくじり先生」の辺見マリさん回です。あれ分かりやすかったよね。
この記事を読んでちょっとでも感じた恐怖を追体験し、「もしかしたら私もそういう所あるかも」等と自衛の一助になれば幸いです。
それでは。
今朝、喫煙場面ある映画は成人指定をするようにWHOが各国に勧告したというニュースが流れました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160201/k10010393331000.html
が、そのWHOの勧告の詳細みたいなものをあまり見かけなかったので、WHOの発表を読んでみました。
今回の勧告のWHOからのプレスリリースの詳細はこちら(英文)
Films showing smoking scenes should be rated to protect children from tobacco addiction
http://www.who.int/mediacentre/news/releases/2016/protect-children-from-tobacco/en/
Smoke-free movies: from evidence to action Third edition
http://www.who.int/tobacco/publications/marketing/smoke-free-movies-third-edition/en/
全文を翻訳する気力は流石にないので、さっと流し読みしたのを要約すると、
・以前からアメリカでは若い世代の喫煙と映画が明らかに関係していることが研究の結果わかっていた
(http://cancercontrol.cancer.gov/brp/tcrb/monographs/19/m19_complete.pdf)
・映画(特にアメリカ映画)は世界中で楽しまれており、他者に憧れたりその行動を真似たりする若者世代に多大な影響を与える。
・喫煙するシーンのある映画への暴露と若い世代の喫煙との関係性は集団ベースの科学的統計、間接的な科学的統計、ランダム化試験、脳画像検査、映画出口調査から科学的、論理的に明らかである。このことはアメリカだけではなく、イングランドやインド、メキシコ、ヨーロッパの一部でも同じだという研究調査結果がある。
(http://cancercontrol.cancer.gov/brp/tcrb/monographs/19/m19_complete.pdf)
・他の広告については規制が行われてきたにも関わらず、映画の中の喫煙シーンの制限は行われて来なかった。喫煙シーンがある映画の中には国の助成金を得て制作されたものもある。業界の自主努力によって喫煙シーンが減少したことはあったが大きな成果は得られなかった。映画業界は「タバコはストーリーを語る上で必需品だ」と訴えている。
・若い世代の喫煙をコントロールするため手段として、タバコ会社から出資を受けない、タバコのブランド名を明記させない、反タバコメッセージの強い広告を打つ、喫煙シーンのある映画へのレーティング導入などを推奨する。
・実際に一部の国では映画での喫煙シーンの制限や、喫煙シーンのある映画やテレビ番組において煙草の危険性を喚起するメッセージの表示などを実施している。
ということの模様。誤訳があったらすまぬ。
「煙草吸ってる映画見たから煙草吸う訳じゃないだろう!」と言っても、これだけのデータを示されると、「うーん…」という感じ。
といっても、日本では若い年代の喫煙と映画の中の喫煙シーンの関係については研究されてない模様(文献あったらすみません)なので、日本での規制という話にはまだならないのかもしれない。
どちらかといえば全世界で見られているハリウッド映画をターゲットにしているのかもなぁと、なんとなく読んでいて思いました。
タバコによる社会的損失が3兆だとか(古いデータかも)、タバコを吸うのは個人の自由だろうとか、色々ありますが、今回のWHOの勧告は科学的な根拠に基づいていて、感情論で反応してる訳じゃないんだなぁ、というのが個人の雑感です。