はてなキーワード: 蛇頭とは
数か月前、ニコニコ動画でネズミを罠にかけて殺す動画が数万再生を記録していた。コメントも否定的なものは少なく、みんな興味津々に見ていた気がする。
あとは一昨日、これは当日記を上げようと思ったきっかけになるけど、YouTubeで虫を殺している投稿者を見つけた。その人は、ハリガネムシを自らの手で引き千切る、氷に詰めて凍死させる、カマキリに食べさせるなどして人気を集めていた。
ほかには、カメムシ数匹を瓶に閉じ込めてシェイクさせて自らの匂いで臭死させたり、蜘蛛に付いていた赤いダニをピンセットで半分わざと潰したりする。
共感できなかった。共感できないのは別にいい。それが面白いんだから人気が出る。抗議まではしたくない。
私だって『悪徳の栄え』や『隣の家の少女』や『冷たい熱帯魚』が好きだけど、私の好きを世間に否定されるのは嫌だ。
それよりも気になったことがある。
虐待動画の投稿にあたっての倫理基準だ。どこまでが視聴者に好まれて、どこまでが削除の対象になるんだろうか? 目下の疑問はそれだ。実例で考えてみたい。
実際の事例①
1年ほど前だったかな。とある女性が高層ビルから飛び降りて自殺したのがニュースになっていた。
ただ、その子は飛び降りようとする現場で、直前まで自殺をやめるように説得を受けていた。それが災いしてか、彼女が飛び降りた場面をやじ馬に撮られ、拡散されてしまった。
今でも覚えている。その子が地面に叩きつけられたと思ったら、凄まじい音が響いたのを。人間って、高いところから地面に落ちるとあんな音がするんだ!って思って、その動画を何度も何度も繰り返し視聴した。
蛇頭になった。本題に移る。
ニコ動で、その子が地面に落ちる場面を使ったMADをアップした投稿者がいた。確認できただけで2人いた。
星のカービィに出てくる音楽に乗せて、屋上から飛び降りて、逆再生でまた戻ってを繰り返す動画だった。
半日も経たないうちに運営が削除した。この例からもわかるように、人権侵害とみなされたコンテンツは削除される。
当然のことだ。自死を選んだ人を冒とくする動画は許されるべきじゃない。
できれば、淫夢動画も見つけ次第すべて削除してほしい。野獣先輩は確かにかわいいなって思うけど、あれもれっきとした人権侵害のひとつだ。元AV男優が声を上げにくいことを理由に、あの連中はやりたい放題やっている。
ドワンゴの経営陣に対しては、淫夢動画の積極的な削除を求める。
実際の事例②
ニコ動で、ネズミを殺す動画が流行っていたのは上に述べたとおりだ。
野生のネズミのこともあれば、白いラットの場合もあったけど、罠にかけて殺すのは一緒だ。
その中で、一匹のネズミを数多のピラニアがいる水槽に落とすというのがあった。
ピラニアがネズミを齧りにいく。ネズミは水面を泳いで逃げるんだけど、水槽の端に追い詰められ、ついに流血する。
血の匂いを察したピラニアは、どんどんネズミの方に群がって――あとはもう、ぐちゃぐちゃだった。
監視のために、この動画をとりあえずマイリストに入れた翌日。私はニコ動の運営を見直した。
ニコニコ動画の運営は、血も涙もないオタクの集まりだと思っていた。サイトが盛り上がればそれでよく、人がどれだけ不幸になろうと知らぬ存ぜぬ!だと思っていた。
そうではなかった。人権意識があった。それを確かめることができただけで嬉しかった。
蛇足になるが、私の経験上、生き物を虐待する動画の削除基準でわかっていることがある。
アウト 人権侵害にあたるもの(直接に人を傷つける、または死者が映っている)
性的にいかがわしすぎるもの(見えてはいけないものが映っている)
動物を無意味に殺すもの(犬や猫など、人間に比較的近い生き物)
※最近の例だと、カニを生きたままミキサーにかけた投稿者がバッシングされた例あり
セーフ 動物を傷つけるとまではいえないもの(犬や猫に対し、皿の上にエサを載せないまま出すなど)
人間とは明らかに違う種を傷つけるもの(昆虫、植物、微生物など)
実際の事例③
それでは、ハリガネムシを引き千切る動画はセーフなんだろうか。人間に近くないので虐殺してもいいんだろうか?
ここでその投稿者を晒すことはできないけど、私の見立てでは賢い人のように思えた。サイコパスの実例だ。
その人の動画には、生き物がいろいろと出てくる。出てくるのは主に昆虫だけど、カエルやネズミが登場することもある。
でも、虫以外は殺さない。わかっているのだ。哺乳類を殺したらどうなるか。
例えば、ハリガネムシと同じ感覚でカエルを氷漬けにしたり、ネズミをお湯につけたりすると、コメント欄が大荒れになって、運営に通報されて、動画が削除されて、運が悪いとアカウントも凍結される。
この人の投稿する動画では、毎回のように虫が虐待される。視聴者はそれを喜んで視聴している。
実際に需要がある。普通の人は、虫を虐待しようとは思わない。そもそも触ることができない人も多い。私も最初は、怖い物見たさで再生ボタンを押した。
確認したところ、この人がようつべに上げた動画で運営から削除されたものはない(自分で消したものはあるかもしれない)。ようつべ的に昆虫虐待はセーフなのだ。
「動画サイトの運営者は、削除に関する基準やガイドラインを公表すべきである」という意見を伝えたかった。
ニコニコ動画は公表しているみたいだが、ようつべはしていないようだ。
なんか選挙権すらない日本人が米国大統領選にグダグダ言うの流行ってるみたいだから、俺もやってみる。
共和党候補として有力なのって、トランプ、クルーズ、ルビオでしょ。
で、定番の話題といえばやっぱりドナルド・トランプか。でも、トランプはどうでもいい。
日本のテレビ番組だと「トランプは反日、ルビオは親日」だから、ルビオがいいみたいなこと言ってる。
例えば、ニューヨークの弁護士資格を持つ八代英輝(@TBS『ひるおび』)さんなんかね。
でもさ、ルビオって経歴ヤバイでしょ。Wikipediaで経歴見てびっくりしたよ。
以下に俺がヤバイと思ったこと列挙するね。
・元モルモン教徒 ←
・最低賃金の引き上げ反対
・銃規制に反対
遠縁にヤクザがいる不法移民の子どもが一国のリーダーに成り上がれる国っておかしいだろ。
こんなブラック出自な奴が大統領候補になれるアメリカも狂ってる。
オバマもブラックでマリファナ大好きで出自が複雑な人だけど、苦労人の一言で収まる範疇だ。
ルビオって日本で例えればさ、中国から密入国してきた人の子どもで、
姉の旦那が蛇頭(中華系マフィア)の関係者で、元創価学会員って感じの人物が
自由民主党の総裁になるって言ってるようなもんだぞ。公明党じゃないぞ。自民党だぞ。今井絵理子レベルじゃん。
あるいは、北朝鮮から密入国したコリアン2世(帰化済)で遠縁に朝鮮労働党の幹部がいる元統一教会信者って感じか?
で、そんなでそいつが「女子高生が集団レイプで妊娠したとしても堕胎は許さーん!」とか主張してるの。
暴言王(トランプ)、不法移民の子ども(ルビオ)、進化論と気候変動を否定するキチガイ宗教右派(クルーズ)。
こんな3大珍品が揃いも揃って世界で最も影響力の強いアメリカの大統領選に出馬してそこそこ支持されてる。
ほんとアメリカ終わってるな。
自分、正直アベ首相嫌いなんだけどさ、ルビオ、クルーズに比べたら月とスッポンくらいマシだよ。
つまり「なぜトランプ?」ではなくて、「なぜルビオとクルーズ?」と問うべきなんだ。
Red China army killed great number of Chinese democratization's people in Tienanmen Square in 1989 Jun .
Their China military's tanks killed many democratic citizen .
Over 40 million Chinese were massacred by red China of Mao Zedong in Chinese culture revolution (1966-79) .
It's awesome cruel !! , communism that ... , just a mad dog !
Unbelievable ! But that's truth that all .
Cause , red China is the bloody red beast or Satan's country and area in Bible's John's holy prophecy .
人權 Human Rights 民運 Democratization 自由 Freedom 獨立 Independence 多黨制 Multi-party system
胡耀邦 趙紫陽 魏京生 反共 法輪功 北京之春 激流中國 大紀元時報 九評論共産黨
獨裁 專制 壓制 侵略 掠奪 破壞 屠殺 民族淨化 内臟器官 蛇頭 遊進 走私 六合彩 賭博 色情
中華民國 Republic of China 西藏 Tibet 達賴喇嘛 Dalai Lama 東突厥斯坦 East Turkistan
http://www.sukima1gyou.com/loglog/eid1092.html
上記の記事で、スティーブンの父親(アレン)がこの件に関して言っていることが、いいこと言っていると思うんだけど、ちょっと意訳されすぎじゃね?と思ったので、訳出し直してみます。
インタビュアーの「スティーブンがミーム化されたことによって何か変わったか?」との問いに対しての答え。
何かは変わったでしょう…。でも、何も失われてはいません。
妻と私は、昨晩、夕食の席で、スティーブンのことを考えながら、この件に関し、芸術の意味について少しの間話し合いました。
子供の写真は芸術のうちの初歩的なものですが、原則は、同様に適用されるのです。
芸術は、完成されたとき、又は公表されたときに、解き放たれます。
その〔解き放たれた〕時点で、作品の「意味」は、創作家にとっての問題よりも、鑑賞者にとっての問題になるのです。
そしてこれらの〔鑑賞者の〕イメージは、様々な変化を通じて、様々な受容のされ方や再解釈を産むのです。
ヘビ頭のスティーブンには、スティーブンや妻や私の中にあるよりも、遥かに多くの「日本文化」が存在しているのです。
私はこの画像を、風変わりで、めちゃくちゃな、ユーモアと慣習の構造物を見ても……幹か? それとも根か? としか思えません。
国籍法を改正すると外国人の犯罪が増える!? - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。 d:id:Prodigal_Son
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081201/1228057276
アク禁にされるそうなので此処に書く。
どろさんのコメント、結局、絶対数から率にすりかえた反論になってる。
それとこれ。
「戦前、普通に行われていて、特に問題もなかったのに、何を大騒ぎしてるんだろというのが私の感想です。」
そりゃぁ戦前とは全く状況が違いますからねぇ。戦前ですよ、戦前。ここで問題としてる犯罪率だって違うし、道徳観も。そもそも世界がまるで違うでしょ。
もうその辺になると話が大きすぎて、私のような無学な者にはフォローしきれないですけどね。でも戦前に問題なかったから、今でも問題ないんだっていう主張が乱暴だってことぐらいは分かります。
はてなブックマーク - 国籍法を改正すると外国人の犯罪が増える!? - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081201/1228057276
あと警察庁の資料から
来日外国人による刑法犯検挙状況の長期的な傾向を見るべく、刑法犯検挙件数・人員及び全刑法犯検挙に占める来日外国人検挙の割合を過去25年間の推移について、5年間ごとに年間平均を算出して比較した結果は以下のとおりであるが、件数、人員、割合ともに確実に増加している傾向が見られる(なお、内容的には、下表のように凶悪犯及び窃盗犯検挙の増加が顕著)。
直近5年間の年間平均は、前期(平成10-14年)に比べて件数、人員ともに約3割増加しており、また前々期(平成5-9年)に比べ、件数で約7割、人員で約3割増加するなど、件数・人員ともに確実に増加している。
イ罪種等別検挙状況の推移
(ア) 刑法犯- 凶悪犯は増加、侵入盗の件数が3倍以上に急増
平成19年中の刑法犯の罪種等別検挙状況について、10年前(平成9年)と比較すると、凶悪犯については件数で約3割、人員で約2割増加している。また、窃盗犯の中でも侵入盗の検挙件数は、10年前に比べて3倍以上に増加するなど、国民が不安を感じる凶悪犯や侵入盗の増加が目立っている。
(イ) 特別法犯- 入管法違反、薬物事犯が依然として多数を占める
平成19年中の特別法犯の違反法令別検挙状況について、10年前(平成9年)と比較すると、入管法違反が最も多く、件数、人員ともに全体の7割以上を占めている状態が依然として見られている。入管法に次いで多いのが薬物事犯であり、件数、人員ともに全体の1割前後を占めている。
(2) 総括-凶悪化、潜在化、拡散化が進むなど依然として厳しい情勢が継続
平成19年の来日外国人犯罪をめぐる情勢は、10年前の平成9年と比較しても、上記のように
○国民が不安を感じる凶悪犯や侵入盗が増加している(特に侵入盗は3倍以上の増加)
○犯行を少人数化し、犯罪の潜在化を図る傾向が強まる
○正規の在留資格(特に「留学」、「研修」)を持つ者の犯罪が増加している
○発生地域別では都内から関東、中部等に拡散する状況が見られる
等の傾向が見られるところである。
冒頭にも述べたように、平成9年は蛇頭という言葉が広く日本社会に浸透するとともに、中国人犯罪グループによる同国人を対象とした誘拐等の凶悪事件が頻発するなど、来日外国人問題が治安上の大きな問題として注目を集めていた時期であったが、平成19年は、その時期に比べ、犯罪の一層の凶悪化、潜在化、拡散化等が進んでいる状況にあり、昨今の来日外国人犯罪をめぐる情勢は、内容的にも依然として厳しい状況にあると考えられる。
http://www.npa.go.jp/sosikihanzai/kokusaisousa/kokusai4/3.pdf
http://www.npa.go.jp/sosikihanzai/kokusaisousa/kokusai4/contents.htm
http://anond.hatelabo.jp/20070223172044
この記事を読んで思ったことを、全く世間を知らない学部生が書き散らしてみます。
人は他者と関わりを持たずして生きるのは難しいので、他者との比較は不可避なものだと思う。コンプレックスなんてものは、他者との差異性が生み出すもので。けれども人は、差異性の中で自己を確立出来るもの。そしてその自己確立の過程においては、建設的な妥協というか自分に折り合いを付けることが必要だと思う。
タイトルは、大学で見かけた就活冊子に書かれていた就職支援室長だったか誰かの言葉。
私の通う大学には優秀な人が多く、今まで受験という競争を勝ち抜いてきたこともあって自信のある人が多い。そんな大学生にとって就職活動という存在はちょっと厄介な存在である。多様な価値観の中で、自分探しをし、自分にとって適職とは何かを探し、面接で何を言われても就活を頑張る。思うに、就活とは建設的な妥協を促してくれる重要な下地になっている。
さて、何故就活の話を出したかというと、人生には就活のような建設な妥協を促してくれる場面がちょくちょくあると思うからである。
幼少期、父が「人は生まれて一番初めに知覚する限界は、肘の関節が一定方向にしか曲がらないと気付かされる時である。」などとわけのわからないことを言っていたのを記憶しているが、確かに人は己自身の限界を感じながら生活をしている。例えばスポーツだったり、受験だったり、恋愛だったり、就活だったり、仕事だったり。自分自身の力ではどうしようもないもの(往々にして他者か環境なんだけど)の存在を知らしめさせられ、どうにか体の良い言い訳を探す。「やれば出来る」は天才の戯言であり、凡人にはその言葉は当てはまらない。「やっても出来ない事がある」という言葉の意味を否応なしに理解させられ、それでもなお自己肯定に拘泥する。その過程において建設的な妥協がなされ、それと共に自我が形成されていくと思うのだ。
話は戻って。
このエントリーを書かれた方は、学業に関してそういった状況を全く与えられずに修士課程まで出たということになる。学業に限って言えば、上記に挙げた受験や日々の学生生活において、他者との比較がなされ、限界を知ることになる。本来ならば、そうなるはずである。
私も大学に入って、世の中にはこんなに凄いヤツがこんなにもたくさんいるのかと感心した。一応、高校時代は頭のいいキャラで通っていたが、大学に入ると下から数えてすぐぐらいの頭。それでも他人は他人だし、わざわざ他人との比較の中にだけ生きる必要は無いと思ってるので、コンプレックスというのを感じたことはあまりない。まあ、大学生活において友人達の聡明さに感心することはしょっちゅうだけれど。
しかしながら、比較対象が全て自分よりも下(何を基準にするかは不明だが)と自身が認識するような存在であった場合、優越感は抱いても劣等感を抱くことは極めて少ないであろうことが容易に想起される。価値基準に多様性を求めない限り(というか、この人は頭の良さという単一の価値基準しか持っていなかったのかも知れないが)、この人は「どうすればまた輝けるのかを」見つけられない気がする。彼の言う「輝く」が「優越感を抱く」を指しているのであればなおさらであろう。
優越感を抱くこと自体には多分、それほど問題は無い。人間関係を阻害するぐらいでなければ、鼻にかけるのもそんなに問題ではないのかも知れない。ただ、個人的に問題だと思うことがひとつある。優越感を抱いた人は、肥大した自我を持ちやすいということだ。かつて自分自身も肥大した自我を抱いたことがある。いや、正確にはまだ抱いてはいるが、それが比較的自分自身の身の丈に合ってきたといった方がよいだろう。兎も角、肥大した自我の存在は絶対的である。自分の知覚する世界において、ほぼ万能。一種のナルシシズムといえるのかも知れない。「正直、世界の構造の探求とか、どうでもよかったのだ。 難しいことをやれていれば。」とは、この方が書かれていることだが、他者には理解できないような難しいことをやっている自分が好きだったのだろう。そして、それを賞賛されることでデキる自分という自己認識を作り上げていく。それはそもそも他者との関係性の中から生まれたものであるにもかかわらず、外部環境が変化しても不変なものとして"他者よりも優れた自分という存在"をつくる。その存在と外部環境のギャップに煩悶する。肥大した自我を自ら作り出してしまったが故に、前に進めなくなる事がよくある。
で、結局何が言いたいのかというと。
多分何かを言いたいということはなく。
ただ、能力があっても比較の中でしか生きられない他人のエントリーを見て、ちょっと優越感を抱いて難しいことを言ってみたかっただけなのだろうが。
今から建設的な妥協をしながら多様な価値観を身に付けることは難しいと思う。悲劇といえば悲劇なのかも。開き直れといわれても出来るものなら既にやっているだろう。畢竟、答えなんてものは簡単に見つかるものでもないし私のような他人が考えられるものでもない。この人に対しては残念ながら自分が出来ることは何も無い。けれども、この人に頑張ってほしいとは思った。
以上"蛇頭蛇尾"で書き散らしてみました。