はてなキーワード: シンキングとは
日頃から上司のハラスメントや部門長の事なかれ主義に対してヘイトが溜まりに溜まっていた僕は、
結果、(正確な残業時間よりは少ないだろうけれど)請求満額が支払われたので、その流れを書きます。
※1:普段ブログ書かないから、読みにくかったらコメントしてください。
※2:「残業するなんてお前がハイパフォーマンスじゃなかったんだチュア!」というフィジカルシンキングことは言わないでほしい……。
A社の勤怠管理システムは、本人が手入力した上で、上司の承認を経て本登録となる仕組み。
この際、入退館管理システム等との連携はないため、上司からすると不正を押し付け放題でした。
例えば、23時まで仕事をしていても、「お前の資料の確認に付き合ってやっていたのだから、18時までしか労働時間として認めない」と言われるような状況。
→例:申請上18時に退勤したことになっているが、実際は23時までメールしている記録を収集
→「残業代貰ってない!」と告発すると、「なんで正確に申請しなかったんだ!」怒られるからね。
正確に申請させてもらえなかったんですよ。
→例:申請上18時に退勤したことになっているが、23時までオフィスにいた記録を収集
→私・上司・他メンバーに、人事との対面インタビューが行われます。
対応結果は聞くことができません。「適切に対応しました」とだけです。適切とは。
支払予定額も検討中、担当役員の最終承認が下りない~~~とか何とか言って、退職後1ヶ月しても払われませんでした。"担当"役員とは。
退職後については遅延損害金が請求できるので、「それではこれ以上かかるなら遅延損害金を上乗せします」と宛先に法務含めて連絡したところ、翌日支払い通知がありました。
やればできるじゃない。退職前に出してくれれば楽なものを、退職後になったが故に確定申告必須になったり、源泉徴収税がちょっと上がったり、色々面倒でした。
A社について、社としてのコンプライアンスはしっかり守ろうとしていると感じています。現場レベルではボロボロですが。
結局ハラスメント上司は今もA社に残り続けているし昇進もしたらしいけれど、配下社員の労働時間は人事が厳しくチェックしているとか何とか。
タイムを競う競争競技、技術や表現を評価する採点競技がほとんどの冬季競技の中で、チーム
同士が対戦し明確な点数により勝敗が決まるのは元増田の言うように他にアイスホッケーくらい。
観客視聴者にできるのは結局のところ応援するだけというのはかわらないが、カーリングは
試合中に解説を聞いてるだけで居酒屋野球談義くらいの話はできるようになる。
見慣れていないとスロー再生でも4回転かどうか、ダブルコークかどうかよくわからない、
解説や審判の言うままに見ている。着地成功したかコケたか以外は素人目に判別しがたい。
アイスホッケーもパックが非常に小さく素早い。おかげでスピード感と迫力が出るのだが
カーリングは目に優しい。
方向速度回転見極めながら声かけあってデリバリーする過程を10秒以上かけてじっくり見て
いられる。
試合展開が早くすすんだりコンシードによって短く終わることはあるが、ポイント制の競技で
ラリーがひたすら続いたりデュースの応酬で時間がかかったり野球のように延長回で双方0点
の息詰まる攻防が続いたりしない。
延長になればシンキングタイムも追加されるが、どちらかが点を取れば終わる。ブランクゲーム
が続いて延長し放題とはならない。
盤面見れば状況がわかる。何なら途中でトイレタイムで抜けても問題ない。
民放だとエンド交代にCM挟んでリードの何投かを抜かされてしまうのがやや残念。
男子はストーンが貯まったハウスを一気にクリアできる爽快感、予測しきれない盤の変化の妙味。
女子はそれができないからこその混雑した局面で正確なショットが求められる緊張感。
採点競技は審判が絶対、アイスホッケーも格闘をブレイクさせる審判は重要。
カーリングでは双方の選手たちが主体となって点数も決定し、どうしても微妙な時だけ
メジャーの出番が出て来る。
メンヘラ気質なこの性格をどうにかしたいと思って早10年。どうにかしたいけど、どうにもならない。どうしたらいいんだろう。やっぱり医者にかかるしかないのかな。自覚している特徴はこんな感じ。
1.過剰なマメさ
マメといえば聞こえはいいけど、付き合っている相手から連絡が帰ってこないと本当に無理。彼氏しか趣味ないの?とか言われるけど、仕事もしているし趣味もしているしジムも行って自分も磨いている。人並みに忙しくしてて、その中で連絡取ってて返ってこないと辛い。束縛気質。出来れば毎日会いたいし、同棲していたい。
2.いい年なのに時たま異常に甘えん坊になる
甘えん坊といっても、赤ちゃんプレイ的な話じゃなくて依存みたいな感じ。普段は人並みな人間に擬態して出来る大人なフリをしているけど、何かの拍子にうわあああってなって相手にべったりになる。物理的にも精神的にも重いって言われる。
3.嘘がやめられない
ヤキモチを妬かせるための小さい嘘から、そこそこ大きい嘘まである。大きな嘘だと自分という人まで変えてプロフィールや住んでいる場所、趣味嗜好なんかも嘘ついている。嘘で嘘を固めていて自分ですらその嘘を信じているレベルまで来ている。当然相手にはバレてないはず(あくまではず)。
基本コンプレックスの塊だし、それを見せないように擬態しているんだけど自分の中で全く消化できていない。だから、さりげない一言でコンプレックスを刺激されると自分を守ろうとして他人を攻撃してしまう。特に上司や先輩のような年上の人に。普段の俺の擬態が上手いのか、それとも周囲の哀れみなのか他者を攻撃しても許されてしまう。因みに年下は基本守るべき物だと思っているから、どんな奴でも攻撃しない。
数年前に本当に好きだった人に振られて以来、恋人が出来てもワンナイトしても寝ながら泣いていることが多々あるらしくて心配される。俺が悪くて相手に一方的に振られたんだけど、忘れられなくて無理。なんなら渡せなかった誕生日プレゼントもまだ家の何処かに捨てずに眠っている。相手の職場も自宅も実家も全部知っているから、なんならストーキングしたいけどそれは社会的にダメなことなので必死に抑えている。
良く言えば最悪な事態を想定して動いていて、悪く言えば深く考えすぎな人。例を上げると地震があったりして閉じ込められても良いように自宅のトイレの中に窓から逃げられるようにハンマーが置いてあったり、財布の中にブレードレスな五徳(LEDライト付き)を付けて普段生活していたりしている。不安症ってイメージ。
察してほしい。
承認されたい、理解されたい、慰められたい、1人じゃないと思いたい、誰かに優しい言葉をかけてほしい、酒に頼らないでも寝れるようになりたい、飼い猫のお腹をぷにぷにして時間が経過するような休日の過ごし方以外をしたい、誰かに愛されたい、誰かの温もりが欲しい。金は普通に稼いでいる、見た目もまぁ平均かそれ以上、性格が地雷過ぎて長続きしない。この世から消えられるなら消えたいけど、せめて飼い猫が生きているうちは共に生きようと思っている。
どうにかしたい。
アメリカ合衆国退役軍人省で使われている「パフォーマンス・ベース・インタビュー(PBI)」の質問サンプルが、面接に挑む(採用側なら挑まれる)時に役立ちそうなので、「クリエイティブシンキング」「カスタマーサービス」「柔軟性と適応性」タイプに絞って質問を訳してメモ。
参照記事によるとこれらの質問は、基本的に「問題」「行動」「結果」で構成されているので、その人間の実際の能力をある程度推し量ることができるそう。タイプ別にポジションによって質問レベルが異なる。面倒くさいのでほぼgoogle自動翻訳のままで列挙。
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「チェンジエージェント」とは、もともと組織開発の領域で使われ始めた用語で、組織における変革の仕掛け人、あるいは触媒役として変化を起こしていく人のことを言います。変革の当事者として、自らそれを指揮すべき立場にある経営者や組織のトップとは一線を画し、むしろその代理人(エージェント)として、変化への対応を余儀なくされる組織のメンバーとの間を仲介し、信頼関係を醸成して、改革を支援・促進する役割を担うのがチェンジエージェントの立ち位置です。
元ページ:
参照記事:
スタートアップの採用に役立つ「パフォーマンス・ベース・インタビュー」の質問の一部翻訳 – Taka Umada – Medium
ブコメ欄は「おとなの塚本幼稚園」という言葉に賛同する意見が多かったが、彼らが言う「気持ち悪さ」というものがさっぱりわからない。
政治家の演説に支持者が集まること、彼らが日本国旗を持っていること。
私が思うに、「安倍首相」という存在に対する反発心が「侮蔑」という域まで達してしまった人々が、その感情を共有したいと思った時に出てきた言葉がアレなのだろう。
あの言葉はなんらかの論理をもって成立したわけではなく、あの状況(写真)からラテラルシンキング的に連想したのが「塚本幼稚園」だった、ということなのではないか。
セクシーギルティの曲が超楽しいし、愛海をセンターにしたら「雫ちゃんのおやまわきわきしたい」みたいな顔をするのが楽しくて、
久々にイベントのコミュを全部見るぐらいはプレイしようと頑張ってるんだけど
スコア以前にPROをクリアすることもできない、あの矢印のやつってどうやるの?
そもそも腕が二本じゃ足りないと思う、アイマスは森博嗣の世界観を想定してるのかな?
というわけで、もしアイマスがミステリ作家を積極的に起用したら
ゲーム大好きつながりで宮部みゆきが三好紗南が主役のコミュを書くが、
中居くんによるコマーシャルに映画模倣犯のトラウマを刺激され、
最終的に、 桃華の両親が離婚し親権は病気がちな母親が取ることとなる
ファザコンアイドル的場梨沙の執筆権を巡って対立する法月綸太郎と福井晴敏
ガンダムのつながりでバンダイナムコとのコミュニケーションには一日の長がある福井の前に、法月綸太郎は苦戦を強いられる
さらに福井は図書館の自由宣言の件を思い出させるふみふみのスクショを法月に送りつける攻撃により、勝負は決まったかに思われたが、
最終的に「いやでも、的場梨沙はあなた好みのOL女子が父親ぐらいの年齢と不倫するエピソードをするにはまだ若いですよ」の一言で福井は断筆を宣言し、ミネバは無事オードリーとならずミネバアーシタとして木星で暮らすこととなる
ページ数を本屋の本棚に並ぶ本のタイトルで水増し、原稿料をせしめる技を磨き続けた彼にとって
最終的に、ふみふみが19歳なのに飲酒をしてしまい逮捕されるのあった
なんでアイマスなんだよFGO書きたいBL書きたいとゴネ出す汀こるもの
バンダイナムコとSideMの方で我慢しませんか? グラブルのコラボイベントならどうですか? などの説得を受けるも、交渉は難航する
最終的に、ミステリサーの姫時代の黒歴史をほぼそのまま安斎都に演じさせる大胆な台本が完成した
佐藤聡美と佐藤利奈を完全に間違えて記憶していたせいで千川ちひろに
最終的に、楓さんが「呪文は十文字」というダジャレを言うのであった
鷹富士茄子の神に愛された強運に立ち向かう白菊ほたるの諦めないコミュを真面目に書き始める城平京
割と真面目にこの人こういうキャラクタが好きだと思うから書けばいいと思う
最終的に、案外普通の最終巻と虚構推理の最終巻と虚構推理の第二部開始のマガジンRが爆売れするのであった
と、バンナムからの依頼を完全に勘違いし一人合作をアップロードする石持浅海
最終的に、碓氷優佳が棟方愛海にわきわきされるイヤラシイ小説を森奈津子に描かれることとなってしまう
意気揚々と前川みくにゃんの隠された大阪キャラを引き出そうとする有栖川有栖
しかし開発スタッフに「こうサブリミナル効果で奈良に海があるように見せてください! あのトリックは失敗じゃないんです!」と謎の主張をし
「WOW!! NEED!! 〜シンキングモンキー 歌唱拳〜 ってクイーンの歌ですよね!
DETECTIVE HIGH! ~恋探偵物語~は完全に夢水シリーズだし、もはや真美は赤い夢であることは確定!」と訳のわからないことを言い出すはやみねかおるだが、早々ににっちもさっちもいかなくなり、
最終的にデレマスの三重出身アイドルに三重弁の講釈をさせるコミュができあがるのであった
「ちょっとちょっと、三重への地元愛なら僕も負けてませんよー!」と張り切り出す黒田研二
ところが真かまいたいちの悪評はバンナムにも届いており一向にオファーはこなかった
最終的に、実はレディレイトンVS大逆転裁判の脚本を書いていた黒田研二であった
京都の二十歳は京都出身に二十歳のアイドルがいないことに絶望し断筆を宣言
そこから始まる歴史改変により、うなーの人はいつまでもうなーの人のままであり
最終的に、メジャー2のエロ同人誌によりうなーの人は一躍時の人として成功を納めるのあった、うなー
「高橋さん、おれ、またシナリオライターやります!」と大槻ケンヂに山ほどカレーを食べされられてハイになっている、うだるちんはそう宣言した
うだるちんは、大下うだるが元ネタだから実質ミステリ作家、実質ミステリ作家なのだ、ファウストに短編乗せたことあるし! ファウストに短編乗せたことあるし!
最終的に、
「
やさしく、おりてくる
てのひらで受け止めて
雪が切ない
どこかで見てますか
思い出して、いますか
空を見上げながら(ここで春香が映る)
嬉しそうに雪の上を歩くあなたが
私には本当に愛おしく見えた(ここでやよいが映る)
今でも覚えている、あの日みた雪の白さ
初めて触れた唇の、ぬくもりも忘れない
あいすてぃるらぶゆー
粉雪が私に、いくつも降りかかる
楽しそうに、話をして、くれたあなたが
私には心から恋しく思えた
いまでも夢をみるの
あのとき触れた指先の冷たさも忘れない
いまでも覚えている
あの日見た雪の白さ
はじめた触れた唇の、ぬくもりの
私もなりたいと、雪にねがう
」
さて、ここで問題!
では、ウッチャンナンチャンは、
何ちゃんと何ちゃんでしょう?
ズンズンチャッチャ、ズンズンチャッチャ!
ズンズンチャッチャ、ズンズンチャッチャ!
また来週~!!!
なんかさ、
なーんて。
森口博子がイントロクイズであまりにも即答しまくるもんだから、
一切呼ばれなくなったって言うのはここだけの話よ。
なぜ角を取らない!でお馴染みのクイズ番組も
あの児玉清節がよかったんじゃない。
私あれ大好きだったのよね。
今もうあれが見れないのは悲しすぎるわ。
さあ、踊りましょう。
ダンスが済んだ!
ダンスの後にしてね。
うふふ。
それの残りで朝ご飯よ。
味はそこそこ美味しいと思うわ。
手前味噌味だけど。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
《かける数》と《かけられる数》の違いを意識して立式することが大事だって点については同意なんだけど、その上で。
「2つ入りのリンゴの袋が3袋あります。全部でリンゴはいくつあるでしょう?」
という質問に対して、
「3×2=6」
と答えた子供が、《かける数》と《かけられる数》の違いを理解できていないと断言するのは誤りだと思うんだよね。
これって、実は数え方の問題で「2個ワンセットのものが3つ」と数えるなら当然「2×3」になるんだけれど、例えば、袋からリンゴを取り出して数えるシーンをイメージして「A、B、C、3つの袋からリンゴを各1個ずつ取り出す動作を、何巡繰り返すとリンゴをすべて数え切れるか」をベースに考えると「3×2」が正解になるんだよ。
もちろん、大多数の人間は、自然と、元々出来上がっているセットが何セットあるかをイメージして数を考えるものだけど、その常識に囚われないリンゴの数え方だって問題なく成立する。
(余談だけど、こういう思考が普通にできる人は、ラテラル・シンキングに関して、天性の才能があると思う)
だから、確かに上記の問題で3×2=6という立式をした子供は、《かける数》と《かけられる数》の違いを理解できていない可能性もあるけれど、それを式だけから断定することはできないという話。
そして、100%の確度で誤答と断定できない以上、そもそも式の順序を採点基準にすること自体が無理筋だという結論になる訳だ。
ポジティブシンキングの例でよく出てくる「コップの水」の話があります。
コップに水が半分入っているとき、「半分しかない」と思うか「半分もある」と思うかというやつです。前者がネガティブシンキング、後者がポジティブシンキングで、水の量は変わらないのだから、いい方に考えよう。などとよく言われていますよね。
「地球に石油資源は10年分しかない」「地球に石油資源は10年分もある」
10年分しかない!とネガティブにとらえた人は、危機意識を持ち、代替エネルギーや省エネ方法や自然素材の活用などの研究を進めるかもしれません。
一方、10年分もあるからまだ大丈夫!ととらえた人は、そこで思考停止してしまいます。なんでもいい方向に考えるというポジティブシンキングはときには現実逃避となる危険もあるのです。
「一部の人の誤読や、気に入らないコメントを問題視する」ならわかる。
私も、一部はてなブックマーカーが嫌いだ。そういう人は容赦なく非表示にする。(読解力というよりは礼儀の問題ですが)
だけど、はてな全体とか、そういうレベルで読解力がーっていう場合、まず間違いなく「読解力がー」と主張しているその人がバカでしょう。自分がバカであることに気づいてないだけの本気のバカ。
「8割以上の人が誤読する」
こういう時に、2割の人間が理解できてるから俺の記事は正しいって思う?コップの水2割も入っててよかったーって考えですか?
画期的なビジネスプランだとか、芸術作品ならわかりますよ。でもブログ記事でしょ。そんなにわかりにくこと書いてるつもりないでしょ。わかってもらおう、と思って書いた文章なんでしょ。
それで8割の人が誤読するっていうなら、
「自分の文章が、主張内容が正しく伝わらないだめな書き方をしているか」
なんというか「自分は間違ってない」というところを固定して思考するのは
間違ったポジティブシンキングと思うんですよね。
投資でいうと、自分のポジション通りに物事が動かないから世の中が間違ってると主張するようなもんなんですよね。
もしあなたが「ビッグ・ショート」のマイケル・バーリばりの天才だったのならそれが真実である可能性はありません。
さんざんバカにされ続けても自分を貫くことで「もしドラ」みたいに大ヒット作品を生み出せるかもしれません。その可能性にかけたいというならそれはそれで構わないと思います。
でも、無理にそういう可能性つきあたるより、自分のことわかってくれる、合わせてくれる読者がほしいんだったら、SNSに行けば?
アイドルネッサンスのチーフ照井さんは、もともと新人開発をやってた人。全国いろんなところに行って、才能を見つける人らしい。
コスメティックルネッサンスというCMで曲をリアレンジして流すというのが流行ってた時代があって、それを真似た。最初が17才というのが良かった。
カバーする意味をすごく考えている。歌詞を大事にしてるというお話があった。
以上
☆(007)ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護 (ポプラ新書) 池上 正樹
なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) パコ・アンダーヒル
33の法則 イノベーション成功と失敗の理由 オリヴァー・ガスマン
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) 岡田 尊司
☆儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007)) 浅野 裕一
サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 レイ・オルデンバーグ
陽のあたる家~生活保護に支えられて~ (書籍扱いコミックス) さいき まこ
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 ジョック ヤング
☆働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち トム ルッツ
父が子に語る世界歴史〈2〉中世の世界 ジャワーハルラール ネルー
☆クリエイティブ喧嘩術 (NHK出版新書 408) 大友 啓史
コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録 (ノン・ノベル 1003) 上遠野 浩平
竜との舞踏 1 (氷と炎の歌 5) ジョージ・R.R. マーティン
子どもの難問 野矢 茂樹
☓つねに結果を出す人の「勉強脳」のつくり方 イ シヒョン
☆アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ) ドナルド・B・クレイビル
この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫) 西原 理恵子
統計学を拓いた異才たち(日経ビジネス人文庫) デイヴィッド・サルツブルグ
☆売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ) ルディー 和子
☆☆国をつくるという仕事 西水 美恵子
林竹二著作集〈8〉運命としての学校 (1983年) 林 竹二
フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか! (かもがわブックレット 169) 佐藤 隆
オッリペッカ・ヘイノネン―「学力世界一」がもたらすもの (NHK未来への提言) オッリペッカ ヘイノネン
コミュニケーション力を引き出す (PHP新書) 平田 オリザ
話し下手でも7割聞くだけで相手を惹きつけられる会話のコツ46 野本 ゆうき
Rules of Attraction Bret Easton Ellis
生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち 竹内 敏晴
△ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書) 波戸岡 景太
俺のイタリアン、俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方 坂本 孝
まことに残念ですが…―不朽の名作への「不採用通知」160選 (徳間文庫) アンドレ バーナード
足代小フューチャースクールのキセキ 徳島県東みよし町立足代小学校
ホテルはメイドでできている(1) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ
ホスピめし みんなのごはん(2) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ
りはめより100倍恐ろしい 木堂 椎
「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機 森 達也
「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた 内田 勝
ファンタジーを読む (岩波現代文庫 〈子どもとファンタジー〉コレクション 2) 河合 隼雄
メディアを語る (別冊思想地図β ニコ生対談本シリーズ#2) 川上 量生
(003)世界の美しさをひとつでも多くみつけたい (ポプラ新書) 石井 光太
☆☆津波の墓標 石井光太
鳥貴族「280円均一」の経営哲学 大倉 忠司
☆OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書) 小笠原 祐子
「金縛り]の謎を解く 夢魔・幽体離脱・宇宙人による誘拐 (PHPサイエンス・ワールド新書) 福田 一彦
「なんで英語やるの?」の戦後史 ——《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程 寺沢 拓敬
秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし (小学館101新書 19) 五十嵐 幸子
「町おこし」の経営学―ケーススタディー・地域経済活性化 官と民の新たな関係 三井物産業務部「ニューふぁ~む21」チーム
☆なぜ富士宮やきそばはB-1グランプリの覇者となりしか? B級ご当地グルメで500億円の町おこし 渡辺英彦
中小都市の「B級グルメ」戦略―新たな価値の創造に挑む10地域 関 満博
習慣の力 The Power of Habit チャールズ・デュヒッグ
このタイプ全員死んでほしい。
ボケ始めた中高年に非常に多いんだよね。
第三者の目で見てると明らかにその人の方が言い分で負けてるのに本人は虚勢を張るでもなく「いやいや俺の方が正しいでしょ」って態度してる。
このタイプは自分のこと賢いと思ってるけど全然賢くないからね。
賢い人は他人から見て自分がどう見える化を客観的に考えることが出来る。
人と意見をつぶけてる時にそうする事が出来るだけの余裕が脳みその処理能力にある。
でもこのタイプにはそれがない。
自分の考えをまとめるのであっぷあっぷでそれすらも上手く出来てない。
でも頭を限界まで使ってるという状態に酔ってシンキングハイになってるのか「俺はこの場で一番頭がよく回っている」とか勘違いしてんの。
まあ要するに、馬鹿だよね。
それでも本人は賢いと思ってるし、賢い人間の意見は通るべきなので俺は考えを曲げないぞって態度なの。
馬鹿なら馬鹿なりに謙虚であるべきなのに全然その逆を突き抜けてんの。
死んで欲しいわ。
肝心なときに誰かに支えてもらえる、そんな人生でありたかった。
誰も支えてくれない。誰も本気で俺の気持ちを受け止め、意見をしてくれない。
これがこれまで生きてきた結果である。積み上げた人間関係、人徳、信頼は所詮その程度だったということだ。
そんなこと、理屈では百も承知だった。世の中は残酷だと。人は自分が思っているほど自分のことを見ちゃいないんだと。
でもいざ本当に切ない状況に追い込まれてみると、ガキみたいな自己中心的ネガティブシンキングにズルズルと陥ってしまう。我ながらキモいが、どうすることもできない。
「人は人によって支えられて生きている。」そんな言葉があるが、これは世の中を俯瞰してみたときの話だ。
「わたふつ一部」が荒れている。
自分も肌に会わなかったので、ルート固定した後のイベントをいくつか見たあたりでタブを閉じた。
もともととあるパラレル企画のキャラクターをあえて一度に終結させたお祭り企画、読者が求めるものが高い分難しいのは分かるし、読者が意固地になっている部分も多い。元々他作者だって自分のキャラを使ってほしくてデータを投げたんだから、その言い分は違うだろと思う読者様もけっこう多い。
しかしそれはそれとして、あのスレは言っては悪いが作者自身が原因で荒れを呼んでいる部分も多いと思う。色々と指摘をしている人もいるけれど自分が感じる作者の原因はそこではないように感じる。
なんというか、作者は悪い人ではないのだろうなというのはよく分かるけど、話が通じないというか意思疎通しようにも会話に齟齬が出まくる。
強く感じたのは会話安価でレンの地雷を踏んだあたりでスレ住民からの要望が出た時だろうか。
会話安価でのシンキングタイムが短いのでもう少し時間が欲しい、という要望に対しての作者の回答がとてもとてもずれていた。
あれは単純に、安価を入れようとしても文章の整理やスリムアップをしている間に直感的な一言二言の短文が投下され取られてしまい、その結果地雷を踏んでしまうから、自分の意見を少しまとめたり相手の意向を確認してヤバイ台詞を排除する時間の余裕が欲しい、つまり「制限時間にもっと余裕が欲しい」という話だった。
実際に考える時間が欲しい、ではなく制限時間を延ばしてほしい、という具体的な実際に取って欲しい措置を挙げている人もある程度いた。
ところが作者からの回答は「考える時間を確保するにはまず安価で案を複数取って、その後さらにその案の中から実際に採用する物を再度安価で選ぶ方法がある。しかしこれはお互いに負担が大きすぎる」というものだった。
最終的にはスレ住民の要望の通り時間制限を伸ばす方向にはなったけれど。
考える時間が欲しい、だから制限時間を延ばしてほしい、とはっきり言っている住民がいるにも関わらず誰も言っていない他の方法を出して、しかもそれを問題があるから採用できないと言いだされると、まあ話が通じてないなと思う。
スレ住民としては、意見が通らないことに対する不満というよりはこちらの意見を正しく理解してもらえていないという不満が存在しているのではないか。
もちろん、リアルタイムで進行していく安価スレでは相手の意見を常に裏の思いまで汲み取って100%意向に沿って動かすなんてことは不可能ではあるけれど、それを含めてもこれだけは満たして欲しい水準をクリアできていないと住民が感じている、自分の意見をわかってもらえないと感じるから余計に荒れている気がする。
それを収めようと作者がリアクションを起こすけれどこれがまた齟齬っているのでさらにわかってもらえない感が増して不信感が募るというアンチスパイラルを形成しているというのが感想。
ルート決定の時に自分が合わないなとなったのもこの認識のずれというか齟齬によるもの。
街の平和を守るルートか自分と限られた周囲のみの平穏を目指すかだった。もう一つ殲滅ルートもあったが。
このルート選択は最終的に限られた周囲のみの平穏を目指すルートになった。それ以外は「どうでもいい」と。
両立はできないのかという意見に対しては真っ向から反発しているとバッサリだった。まあどちらもというのはポルナレフの能力的に無理だとは思うが。
ただ、作者はポルナレフが自分の身を守る上で周囲に優しく接することすらをも否定した。少なくともそのように見えるロールを取った。
人間はどうしたって自分だけでは幸せにはなれない。物理的に。自分が幸せに生活するには自分の所属する大きなコミュニティにも健全に動いてもらう必要がある。
読者としては大きなコミュニティを全てカバーするのは無理でも、自身を守る過程でできる範囲の狭い部分だけでも社会に貢献する、例えば余裕があれば善性のマスターを保護するであるとか(もちろん余裕がないときにまでやれとは言わない)といった「身内の幸せを際優先として動くが善性も強く有していると分かる」ロールは普通にありだと思うし、方向性として間違っていないと思うし、別段ふわっとしているとは思わない。余力がある場合は余力の分だけ他を助け、なければ助けない。しっかりとした基準がある。
最初から余裕がないなら「余裕がないから身内を守ることに専念する、他がどうなってもいいとは思わないが何でもできるスーパーマンではないので自分が確実に守れる範囲を確実に守ることにする」でいい。
やっていることは同じでも、読者としても気持ちとして楽になるし、今後余裕ができた時に動きの幅を持たせやすい。
しかしポルナレフが言ったのは「家族さえ守れたらあとはどうでもいい」だった。これで読者の何人が「違う、そうじゃない」と思ったのかは分からないが、少なくとも自分はそう思った。
最初からどうでもいいのと、検討した上で自分にはどうにもできないことだから取捨選択し、断念する、というのは大きく隔たりがある。
実際、3ベースの1がいい、という意見もあった。これはまさに「現実的に見て自身を優先するが、余力があればその範囲内で他人を気にかける」方針だったと思う。しかしそれは否定された。
安価でこのルートに決まったから仕方ない、というには、その選択肢に求められた意味がずれている。
自分に関わらない範囲の人が幸せになってくれた方が自分も結果的に幸せになれるんだから、そういう人達には自分とは関係のないところで幸せになってくれたらいいと思う。
そういったどこかのパルクールがいた。
ポルナレフにもそういった善性を望んでいた読者が、そういう動きを期待して3を選んだところもあるのではないかと思う。
が、今のポルナレフはそういった善性を持っていたとしても、表面上はそうは捕らえにくい。そのように見えない。
自分を見つめ直したときに、こんなありふれたものが自分の望んでいるものだったなんておどろきもののき・・・
どうやったら楽しくできるのか、と考えたときに、
ビジネス書によくあるようなクリエイティブシンキングをプライベートに活かすというのを考えてみた。
ただ単にわくわくすることを行いたいだけだ。
スカイダイビングや、パラグライダーなどエキサイティングなスポーツはたくさんあるが、
人生に役に立たないことが必要なのもわかるけど、スポーツを目標なく行う気にはなれない。
なぜなら長期的に自分の人生において有益かわからないから。いやおそらくほぼないだろうと決め込んでいる。
それなら語学であるとか、統計、プログラミングなど他でも使える(らしき)ことに時間を充てた方が有益ではないかと思う。
生きるため。「したいから」の割合は非常に少なく、「しないと生きてゆけないだろうから」。
じゃあ、将来のために今を我慢する。
今コツコツとやって、そこそこの生活を手に入れるのか。
今好きなことをたくさんやって、「金がなくてもなんとかなるね」とその日暮らしのようにやっていくのか。
どっちかなんて無理だ。
二兎追うもの一兎をも得ず。
しかし、そのための準備、覚悟ができているかと言われたら全くできていない。
僕は考えていない。
だから、今身の回りにあるものすべてを、おもちゃをばらまくように自分の手の届く範囲に広げて、
拾い上げ、精査して、取捨選択という決断をしなくてはならないのだ。
働き始めて1年と少し、その取捨選択の時間は十分にとれたとは言えない。
やりたいことなんてたくさんあった。でも考えようとしているときにするっとそれはどこかに消えてしまっていた。
そんなことしている場合じゃないと、目の前のことがあるとやっきになって。
もう受け入れてしまっているのかもしれない。
この働き方と、この生き方で。
でもやっぱりそうでありたいなんて思っていないと、たまに考える。
このままこの会社で数年働いて、適当に転職を繰り返し、誰かと結婚して、
でもきっと違う。こうやって考えがぐるぐる回っているから今の状態を容認してるのかも。
多くの20代や30代の人なんてそういったジャパニーズドリームがもう実現難しいって気づいてるだろう。
気づいてるけど、その代替案を考えるのではなくて、情報を噛み砕くのに躍起になっている人が多いイメージだ。
(起業家・スタートアップとかも何かピンとこない動きではある)
情報を得るのに、解釈するのにばかり時間をかけて、行き先が決まらない。
どんな時代でも言われてたことだと思うけど、
やっぱり今は価値観が大きく変わろうとしている転換期なんだ。
「産みの苦しみ」じゃないけど、「価値観転換後」になるまでたくさんのステージが残っている。
変わるのは悪いこととは限らない。
でも自分が怖いのは、時代の潮流と、自分の身近な環境に時間を食われて、
そのとき自分がしたいと思ったことができなくなっていた、なんてことに気づくことだ。
そして、それを容認し続けて生きることが怖い。
まだ先があると考えて・・・
その先延ばしに対して、自分はどれだけのリソースを割いていたのか、改めて考えたい。
自分は焦りすぎてる節があるかもしれない。
それでも、今を受け入れすぎて、自分を壊すこと(もしくは自分のスタイルを野球場のグラウンドのように均してしまうこと)はこれ以上したくない。
人に優しくしすぎるのは嫌だし、広い世界について考えられないのも嫌だ。
そういうもんだからって多くの人に言われても、
感情的に納得ができない。こういうところがとても青い。