自分を見つめ直したときに、こんなありふれたものが自分の望んでいるものだったなんておどろきもののき・・・
どうやったら楽しくできるのか、と考えたときに、
ビジネス書によくあるようなクリエイティブシンキングをプライベートに活かすというのを考えてみた。
ただ単にわくわくすることを行いたいだけだ。
スカイダイビングや、パラグライダーなどエキサイティングなスポーツはたくさんあるが、
人生に役に立たないことが必要なのもわかるけど、スポーツを目標なく行う気にはなれない。
なぜなら長期的に自分の人生において有益かわからないから。いやおそらくほぼないだろうと決め込んでいる。
それなら語学であるとか、統計、プログラミングなど他でも使える(らしき)ことに時間を充てた方が有益ではないかと思う。
生きるため。「したいから」の割合は非常に少なく、「しないと生きてゆけないだろうから」。
じゃあ、将来のために今を我慢する。
今コツコツとやって、そこそこの生活を手に入れるのか。
今好きなことをたくさんやって、「金がなくてもなんとかなるね」とその日暮らしのようにやっていくのか。
どっちかなんて無理だ。
二兎追うもの一兎をも得ず。
しかし、そのための準備、覚悟ができているかと言われたら全くできていない。
僕は考えていない。
だから、今身の回りにあるものすべてを、おもちゃをばらまくように自分の手の届く範囲に広げて、
拾い上げ、精査して、取捨選択という決断をしなくてはならないのだ。
働き始めて1年と少し、その取捨選択の時間は十分にとれたとは言えない。
やりたいことなんてたくさんあった。でも考えようとしているときにするっとそれはどこかに消えてしまっていた。
そんなことしている場合じゃないと、目の前のことがあるとやっきになって。
もう受け入れてしまっているのかもしれない。
この働き方と、この生き方で。
でもやっぱりそうでありたいなんて思っていないと、たまに考える。
このままこの会社で数年働いて、適当に転職を繰り返し、誰かと結婚して、
でもきっと違う。こうやって考えがぐるぐる回っているから今の状態を容認してるのかも。
多くの20代や30代の人なんてそういったジャパニーズドリームがもう実現難しいって気づいてるだろう。
気づいてるけど、その代替案を考えるのではなくて、情報を噛み砕くのに躍起になっている人が多いイメージだ。
(起業家・スタートアップとかも何かピンとこない動きではある)
情報を得るのに、解釈するのにばかり時間をかけて、行き先が決まらない。
どんな時代でも言われてたことだと思うけど、
やっぱり今は価値観が大きく変わろうとしている転換期なんだ。
「産みの苦しみ」じゃないけど、「価値観転換後」になるまでたくさんのステージが残っている。
変わるのは悪いこととは限らない。
でも自分が怖いのは、時代の潮流と、自分の身近な環境に時間を食われて、
そのとき自分がしたいと思ったことができなくなっていた、なんてことに気づくことだ。
そして、それを容認し続けて生きることが怖い。
まだ先があると考えて・・・
その先延ばしに対して、自分はどれだけのリソースを割いていたのか、改めて考えたい。
自分は焦りすぎてる節があるかもしれない。
それでも、今を受け入れすぎて、自分を壊すこと(もしくは自分のスタイルを野球場のグラウンドのように均してしまうこと)はこれ以上したくない。
人に優しくしすぎるのは嫌だし、広い世界について考えられないのも嫌だ。
そういうもんだからって多くの人に言われても、
感情的に納得ができない。こういうところがとても青い。