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はてなキーワード: シャッターとは

2021-03-12

anond:20210302175818

こういう風に長文かける人はそれだけ煩悶・自問自答しているわけで、ヴィーガンになる傾向があるだろうし、

99%の人間はそんなに深刻に考えられないという意味で、すばらしいプロセスだと思うよ

仮に動植物ありがとうとか一緒にいてくれて助かるとかいつもお世話になってますと言ってくれるなら、それは人間が何をしたときなんだろね

これはワイの考えやが、人間に置き換えればええんちゃう

かりにだが羊に生まれたとしよう。

それで広い空気きれいな牧草地で仲間と一緒に草をはんだり遊んだりする。

春になるとバリカンで毛を刈られてスースーする。

羊の間にしか見えないコミュニケーションがある。

ひょっとしたら1日が1週間くらいの密度かもしれない。

そして何年かすると、老人(老羊)になって死んでいく。

長年連れ添った友人たちも、さようならといっている。

長年、牧草地で草を食べさせてくれた人間や牧羊犬も、悲しそうな顔をしている。

長生きできたし、友達もいたし、悪くない羊生だったなあ」

「毛も何十kgも刈られたけど、まあそれで誰かぬくぬくしてくれるならええかw」

「ほなさいなら、ありがとなー」

って感じで、羊ながらに充実した人生を送れたと。

人間のおかげで、安全場所で、オオカミにおびえないですんだと。

その逆を考えてみよう。

まれた瞬間に真っ暗闇な空間にいる。

隣には病気や青白い顔の人間がたくさんいる。

糞尿にまみれた床で、動けるのは半畳ほどのスペースもない。

みんな何もしゃべらない。何も知らない。

太陽があることも、川があることも、牧草があることも知らない。

食べ物にはホルモン剤が入っていて、乳だけは張る。

しばらくすると人間に腕をつっこまれ受精させられる。

機械につながれて、乳が出る。

しばらくすると、乳がでなくなる。

エサが与えられなくなる。するとまた乳がでる。

それを繰り替えして、いよいよ乳がまったくでなくなる。

狭い一方通行の道を進まされる。

ガシャンと後ろのシャッターが閉まり、額に銃のようなものを充てられる。

ドン、という音がして、真っ暗になる。

なんだったんだろう、この体験は。なんだかよくわからないけど、すごい場所だった。

覚えているのは、青白い顔をした人がたくさんいて、乳が張って、食事がなくてひもじかった記憶だけ。

もしオスにうまれしまったら?

オギャーと生まれて、そのままスクラップ処理である

から男は全員、オギャーしか知らない。

広い世界を歩いたり、水を飲んだり、太陽がまぶしかったりすることを知らない。

ママどこー?って泣いてたのだけ覚えてる。

しばらくしたら、全身がバキバキという音を立てて、画面が真っ暗になったのだけ覚えてる。

(参考)世界家畜

https://honkawa2.sakura.ne.jp/0450.html

世界家畜頭数)

 FAO2014年データによると、世界人口は73億人であるが、牛は14.7億頭、豚は9.9億頭、羊は12.0億頭、山羊10.1億頭などとなっており、この他、水牛、馬、ロバ、ラバラクダなど大きな家畜を含めると合計して50.0億頭となっている。世界人口の4分の1は15歳未満の子であるので、世界全体で、だいたい大人1人当たり、約1頭家畜を飼っていることとなる。

 また鶏は採卵鶏あるいはブロイラー等として214.1億羽飼養されているので、人口1人当たりでは、2.9羽飼っていることとなる。

2021-03-03

AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

当時高校生だった私は3.11のその年に福島県大学(会津大学)に入学しました。あれから10年も経ってしまったので、私のごくプライベートなことについて書きます

あと、匿名性は低いです。匿名ダイアリーなのにごめんなさい。

3月11日

2011年3月11日に、私は茨城県博物館の中にいた。高校卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震とき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。

実際にはガラス耐震性能が高かったので、館内にはけがはいなかったようだった。

信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。

私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島原発やばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。

私が高校生の頃、世界原発事故ドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリスリーマイル島東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。

当時、特にJCOの臨界事故NHKドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。

私は地震が起きて、一、二日後にはリビングこたつ占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中シャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。

震災直後、福島県大学入学した

私は震災の年、福島県大学入学した。私の地元同級生にも福島県大学入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。

しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。

しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。

私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質たっぷりまれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。

長年大学でくすぶっていた

私は、大学特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。

私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから原子力という「科学技術コントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要ことなである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。

核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」= 「AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。

最近原子力、ひいては(科学技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビCMIT系企業がたくさん広告を打っていて、IT企業に勤めていることが一種ステータス少女漫画に出てくる男性IT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなである。今でなら炎上やむなし発言なのであるしかし、このアナロジーを単なる面白おかしアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用危険性をかなり早く認識できた。

科学は考えない」

ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)

そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。

科学は考えない」

これは、理系立場仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないかしかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか

彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガー技術批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味矛盾の中を生きなければならない。

私について

私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。

私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。

でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養ほとんどないのだ。

哲学最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。

以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だからまれる。

しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガー批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学技術を信じて、生産生産生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか

昔の時代原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。

今の時代も同様に、情報技術生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能社会が実現できる」とも信じられている。

もし、「なぜ地震大国原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。

ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。

2021-02-28

開放絞り

やっぱり写真開放絞りで撮るのが好きなんだとあらためて思った

シャッターチャンスの事かんがえるならスマホで取ればいい

カメラで撮る写真は失敗してもいい 趣味優先で撮らないと楽しくない

2021-02-22

懺悔

会社女性社員が靴を脱いで椅子の上でぺたんこ座りをしていた

そうすると私の席から彼女の白い靴下の裏が見える

その靴下が、とても汚かった

最初、そういう柄なのかと思ったのと同時に女性の体をジロジロ見てはいけないなと思ったのだが

わず二度見するぐらい汚れていた

履き古しただけなのか、洗っていないのかはわからないが、とにかく汚かった

そうとわかった瞬間、私は彼女に踏んでいただきたい気持ちでいっぱいになってしまった

私はマゾではないが、自分より立場が上の女性に踏まれたい衝動があるのだ

それはそのような創作物で発散していたが、初めて現実で踏んでいただきたい女性だと思った

彼女は年下で仕事について私が教えることもあるが、会社間の関係においては私よりも上の立場にあるとも言える

そんな彼女の汚い靴下を見てしまい、私は踏んでいただけないかと思ってしまったのだ

靴下の裏を見ていたのは時間にして10秒も無いぐらいだった

けれどもそれはもう心のシャッターを切り心のアルバムに保存してしまった

さなければならない

人間には内心の自由があるとはいえ限度というものがある

20代若い女性が何かしらの事情で汚い靴下を履いていたことを職場の歳上の人間に覚えられていることは間違いなく不快

しか

それでも私は彼女の汚い靴下のことを今も思い返してしま

なんて素敵なおみ足なのだろうか

ああ

私の肉慾も、あの足のうねりにまかれたい。あの靴にうたれて、くゞりたいと思つた。私は足をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思つた。私は肉慾の小ささが悲しかつた。

2021-02-21

ミャンマーの思い出

最近メディアミャンマー情勢を聞くことが増えている。軍部クーデター情報統制が敷かれ自由が奪われ、国民弾圧されているというのだ。ニュースを聞いていると、少し昔にミャンマー旅行したことをふと思い出したので、備忘録的に増田に書き残しておく。

2014年、私はミャンマーを旅してた。この前年、ゴールデンウィークに旅していたウズベキスタンの乗り合いタクシーで偶然出会ったベテランバックパッカーから、『早めに訪れるべき国』と紹介されたのがきかっけで興味を持ったのだった。曰く、「数年前からテインセイン政権民主化をすすめていて、外国からヒト・モノ・カネが流入しだしている。そう遠くない時期にマクドナルドコカ・コーラ等の海外資本で町が埋め尽くされ、純朴な国民性が拝金主義に染まりメジャー東南アジア観光地のようにつまらない場所になってしまう。”素”のミャンマーが見れるのは今の時期しかない」とのことだった。その翌年だっただろうか、ANAヤンゴン新規就航した。クレジットカードポイントで『丘マイル』がたまってきていたので、今しかないと思ってミャンマーに飛んだのだった。

ところで、私が旅を決めた2014年当時、ミャンマー情報書籍上にもネット上にも乏しかった。(今でもかもしれないが。)非常にベタだが、自分なりにミャンマー知識を得るために、『ビルマの竪琴』を読み、高田馬場ミャンマー人街を訪れ、増上寺ミャンマーフェスに参加し旅の前に気分を盛り上げた。それら事前に集めた情報をもとに旅程を決めた。最大都市ヤンゴン古都マンダレーとパガンを3泊4日ですべて回る。そのためにルートづくりは難航したが、夜行バスや、エーヤワディ川の水上ボート等を組み合わせて何とかめどがついた。

初めに訪れたのはパガン。初日ヤンゴンから夜行バスで向かって、到着したその日の朝に到着。その足で宿に荷物を降ろし、仏教遺跡にむかう。パガンの仏教遺跡は当時、全く観光地化されていなかった(今はわからないが)。滅びた過去王朝の栄華を残す草原に埋もれた遺跡で、地元仏教徒が花やろうそくを備えて信仰のよりどころにしている。そんな感じのところだった。遺跡は非常に広大なため、効率よく回るために宿で中国製電動バイクを借りたのだが、これが曲者だった。バッテリーの残量メーターが適当で、まだ半分ほど充電が残っていると思っていたら、バッテリーふいにまり、南国の強い日差しのもと10km近い距離をただの重りと化した電動バイクを押して帰る羽目になったのだ。

ミャンマー古都マンダレーへは翌日の早朝に向かった。ミャンマー流れる大河エーヤワディー川観光ボートに乗って移動するのだ。朝日が昇る前に、宿の主人にお願いしてエーヤワディー川ほとりの船着き場に送ってもらい船に乗り込む。乗客ほとんどが欧米観光客で、日本人は私一人。東南アジアでよく見る中国系韓国系旅行者は一人もいなかった。船に乗り込んですぐに、日の出を見ることができた。大河から見る朝日は非常に美しく、カメラシャッターを切りまくった。だが航行時間10時間以上と非常に長く、暇を持て余す。近くの旅行者に話しかけるとドイツ人だった。大学時代に習った片言のドイツ語で、「Ich lerne Deutsch bitte.」と話すと猛スピードドイツ語会話が始まり、まったく聞き取れなかったので英語に切り替えてもらってコミュニケーションをとったりしていた。

10時間を超える船旅を経てマンダレーに到着した。マンダレー市街地は船着場から離れていたのでタクシーを借りて中心地に向かう。旅程に余裕がなかったので、そのままタクシーで主要施設を回ってもらい、観光をこなす。そのまま勢いで長距離バス乗り場へ向かいマンダレーからヤンゴンに向かう高速バスに乗り込む。ヤンゴンにはその日の夜10時ごろに到着。夜間の異動で治安不安だったが、特に問題もなく宿に到着。最終日に備えて睡眠をとる。

ミャンマー滞在最終日。最大都市ヤンゴンで街歩きをし、国民食のモヒンガーを食べたり、過去イギリス統治時代建築物を見たりして過ごす。町中の家には見たことのないような巨大なパラボラアンテナがつけられており、台風対策で軽量化する必要があったからだろうか、日本で見かけるものとは違い皿の部分がメッシュになっているのが印象的だった。街歩きついでにミャンマー国鉄で市内を移動したりもした。東京でいうところの山手線に相当する環状線ヤンゴンにもあり、Circular Lineと呼ばれているものだ。料金は非常に安く、日本円で10円くらいだっただろうか?車内に外国人は一人もいなかった。パガン~マンダレーで見たような欧米系の旅行客はタクシーチャーターして市内観光をしているのだろうか?しばらく客車に乗っていると、私が日本人とわかったのか日本滞在経験があるというミャンマー人に話しかけられたのだ。観光地で話しかけてくる現地の人は、たいていお金目当てなので警戒してたのだが、悪い人ではなさそうだったので聞くだけ話を聞いてみたら、バブル期名古屋期間工をしていたらしかった。

駆け足でいろいろな経験をしながらミャンマー観光を終えた私は日本に戻った。実際に現地を見てきたことで知的好奇心を満たされた私は、しばらくミャンマー情勢から興味を失っていた。が、最近またニュースで日々ミャンマー情報を見聞きするようになり、ふいに旅行した時のことを思い出したのだった。当時であった人たちは今も元気にしているだろうか?数年後にコロナ収束しても、軍部主導の政治体制外国人が自由ミャンマー旅行できる時代が再びやってくるのだろうか?今はただ、遠く離れた国を思い出しつつミャンマー国民の無事を祈るばかりである

2021-02-14

anond:20210214175653

地元が賑わうのは良いことじゃないか。寂れて、若者がいなくなり、駅前商店街シャッターを閉じて、人の住まなくなった家は放置されて荒れていき、自然以外の人の営みが朽ち果てていくのを観察しているようなあの恐ろしい故郷風景よりはよほど…。

2021-02-13

詰んだ

さっき駅前スーパーの5Fにある文具屋に行ってきたんだけど、5F全体が改装工事中フロアの前にシャッター下りてた。

帰ろう と思ったけどシャッターのせいで下りエスカレーターにも階段にも行けない。

上りエスカレーターシャッターに挟まれ詰んだ

スマホスーパー電話してこういう事情から助けてくれって連絡したら警備員がやってきて降りれたんだけど

「何考えてんだあんたは!」みたいな剣幕で怒られたんだけどそんな怒られるほど俺も悪くないよねえ。

2021-02-10

古民家をどうリフォームしたらいいか

誰も住んでない古い空家がまあまあ便利な都心にあり、もったいないのでAir bnbにでもしようかなと思っている。自分たちほぼ日本にいないから住む気はないし、売り払うには一族了解とか得なきゃいけないからめんどくさい。

もともとは旅館かなんかとして建てられたらしくいい感じの和風大正建築で、洋風の応接間とかも有り、山河を表したとかい小山と池のある日本庭園もあるから、そういうのが好きな外人とかを呼びたい。

何がめんどいって雨戸があるのがめんどい。これだけでもボタン一つで動く自動シャッターかにならんかな。

こういう古民家みたいなのをワンパッケージで見た目は変えずに便利にしてくれるのとかないんかな。

2021-02-09

SNSタイムラインに流れてくる何千何万といいねがついた画像は、散々加工され尽くしたド派手でドぎつい写真の成れの果てのようなものが少なくない。

いいねの数が4桁5桁となればわたしのような写真にうるさい層ではなく、一般大衆に(も)ウケていると捉えてよいだろう。しかし、そういったものほど容易に後処理で手を加えたようなものが目につく。

そんなバカひとつ覚えのように色彩を派手にしただけ、明瞭度をめいっぱい上げて異様にメリハリが強調されているだけ、果ては本来そこに無いものを合成しただけの“写真モドキ”はクソだ。写真に対する冒涜だ。

写真が「真実を写す」ものでないことは百も承知。それでもなお、事実を歪曲したり捏造することで生まれ写真モドキをわたし写真と認めない。写真とは別の優れたもの、美しいものとも思えない。

しか写真モドキはまるで写真であるかのように振る舞うのだから尚更タチが悪い。

それにいいねを押したりシェアしたりする人がいることで写真モドキの作者は味をしめ、いいねが欲しいだけの奴は模倣をし、写真モドキはケバさを競うようにしながら世の中に蔓延していく。

シャッターを切った瞬間には並以下の写真でも、PCスマホでイジり倒せば誰でも人目を惹く、しかしよくよく見れば醜い写真でも絵でもないものを作り出すことができる。わたし写真モドキと呼んだものの正体がそれだ。

人目を惹くことといい写真であることは必ずしもイコールではない。

ただ、一般大衆はその2つをかなり近いもの、下手をすれば同列のものとして捉えていると感じる。そういう層は写真写真モドキを目にしてもそれが「写真として」優れているかどうかということは分からないのだろう。

大衆現実乖離した、撮影後の処理でドーピングした写真モドキでも現実リンクした美しいものと感じるのだろうか?

もしくは現実関係なく単純にキレイものと感じられるなら、それでいいのだろうか?

色彩は鮮やかであればあるほど美しいものと感じるのだろうか?

ならば白黒写真は単に古さを感じるだけだったり、理解不能自己満足しか見えないのだろうか?

そんな疑問をこれまで見てきたものや、わたし写真に対する一般人感想などを通して抱き続けている。

そして、わたしが持っている「いい写真」や「美しさ」の定義一般的なそれと遠く離れてしまったのだろうか? (『そうに決まっている。この写真家気取りが』とあなたはいま思ったかもしれない)

とはいえ写真の良し悪しなんて主観しかない。あなたキレイだと感じたなら、それは間違いなくそうだ。その対象が例えわたし写真モドキと軽蔑するようなものだったとしても。

タイムラインには星の数ほどの写真が流れては去っていく。いまや写真タイムライン流れるほんの一瞬で見る人を惹きつけることができなければ、評価土俵にも立てないのかもしれない。

その一瞬のためだけに奇形化した写真モドキを、わたしは数秒たりとも見続けられないのだが。

「見た瞬間に」感情が動かされたものに対して、それが一瞬であなたを惹きつけるためだけに容易に(あるいは計算ずくで)生み出されたものでないか、ほんの数秒立ち止まって考えてほしいと思う。

それは写真に限ったことではない。

2021-02-06

anond:20210206112023

フィギュアを飾るための階段ニッチ棚(まあ鉄骨造りだと無駄に壁があついからこそできるのだが)

・つくりつけ本棚 俺は自分設計図書いたぜ 居室✕2の壁面を1面ずつ本棚にしたが別にビデオCDもたてられるぜ

・有線LANケーブルカテゴリー5で、電気パネルルーターリセットかけやすちょっと低めで

ボタン一個で閉まる電動シャッター雨戸の開閉がめんどくさい人に)(目隠し以外のカーテンがいらなくなる)

トイレの蓋がセンサー自動で開閉するやつ

・いろんなとこのセンサー電灯(とくに玄関の内外)

引き戸(スペース確保)が自動できっちり最後までしまるバネのやつ(ただし無理に小幅で明け締めすると壊れる)

・室外機置き場の確保(エアコンないと夏死ぬし取り付けとかケアがめんどくさい)

光ファイバー(入れるよな?)をどこからひきこむか考えて前庭をつくる(なんか集合なんとかいチューブをうめこんでうんたら)(壁にあなあけて架空線でも悪くはないがなんか電柱がふやされたりして風景邪魔

浄水器は寝室の近くの洗面所につけられたら無限うまい水最高なんだがたいてい台所しかビルトインも後付もできない日本ハウスメーカー怠惰

・庭と物置はセットだとおもうがたぶん両方いらないがガレージは要るだろ。要るだろ 車庫証明がとれないの欠陥住宅

・客のための和室(そのうち納戸になるが) 保険のおばちゃんやら仕事の話もってきたおじちゃんと長話できるとりつくろいスペース 居間テレビをおいた時点で客はもてなせなくなるからあきらめろ

・密集地の戸建ての場合屋上アクセスできないと雨漏りが直せなくて死ぬので天窓

都市ガスエリアなら暖房用ガス栓各部屋につけとけ、暖房代激安だし乾燥しないので勝つる ただし停電したらガスファンヒーターも止まる

・つまり各居室に電源コンセントLANテレビ、ガス栓、エアコン存在することがのぞましい

実家セントラル掃除機勝手口にフィルターモーターがあって全部屋の床に穴があってそこに専用ホースさしこむだけで掃除機になる)いれて便利だっていってたけど今はどこもやってないか

2021-02-03

日本総資産って、1京1375兆円あるらしいけど貧しいよな

出典はこち

https://qnew-news.net/news/news-matome/keizai/now-stock.html#:~:text=%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%B7%8F%E8%B3%87%E7%94%A3%E3%81%AF,%EF%BC%89%E3%81%AF%E3%80%813689%E5%85%86%E5%86%86%E3%80%82


1億円以上の資産を持ってる富裕層も133万世帯もいるらしい。


その割にシャッターしまったお店ばかりだ。

東京だって山手線内ですら錆だらけの家が目につく。


真面目に働いたら生活出来ない。

転売のような倫理観無視したほうが稼いでいる。

他にもグレーゾーンを攻めないと稼げないのが、ここのところずっと流行っている。

2021-01-30

anond:20210130012033

まあシャッター閉めた中で宴会やっているとかあるんだろうね。

2021-01-22

anond:20210122105055

防火シャッターがらがら落ちるようなもんか

なんか個人情報を上げてたんか?

2021-01-21

潰れそうな飲食店が好き

こう言うと語弊があるかもしれない。

言い換えれば、いつもガラガラ飲食店が好きだ。

コロナから飲食店で待たされるのが嫌いで、休みの日は14時とか17時とか人を避ける為にあえて半端な時間に来店する事が多かった。そういうのもあっていつ行っても空いてる店は大好物だ。美味しいとか美味しくないとかは食を楽しむ上での一要素に過ぎない。

ガラガラの店を好むので、自分が通う店は気がつくと閉店してしまう。駅前洋食屋は無くなった。定食屋も店を畳んだ。寿司屋ももう無い。蕎麦屋も消えてしまった。

なんだか死神になった気分だ。栞として本に挟まれ忍者平成12年からずっと誰にも発見されず図書館で眠っている。最近近くに出来た店が気になってたので今日覗いてみたら、19時なのにシャッターが降りていた。コロナ禍で流産したのかもしれない。飲食店の命は儚い

2021-01-19

映画や某映画や昨今の作品感想を見るとき

その手合いはまあ判を押したように鬼滅より感動したって書き込んでてこの文法見た瞬間に心のシャッターが降りる

依頼主がview稼ぎに鬼滅のワード入れるようにしてるのかその書き込み主の語彙がないのかは知らんけどこの書き方って思うより興味持たれるもんなの?

2021-01-18

日本って資産が多いはずなんじゃないのか

統計的日本はまだお金持ちといわれる。

けれど体感として貧しくなっている。

お店はシャッター閉めたままだし、古い家ばかりになって潰したと思ったら駐車場になった。

市も金がないとずっと言っている。

賃貸は色んなところが空いているが値段は下がらない。

空き家も多くあるが築35年で3500万とかで誰が買うんだというのもある。(駅にも遠いのに)

こういうので資産が多いとなってるのだろうか。

2021-01-17

話を聞かない親と15年ぶりに和解できた話

話を聞かない親と15年ぶりに和解できた話


昔兄の暴力について親に助けを求めた事があって、その時「ただの兄妹ゲンカでしょ」と言われてあ〜この人は娘を助ける気はないんだと思ってそれ以来助けを求めないしその事を口にしないのが15年位続いたんだけど、親が精神医療の本を読んで「家族の事で言いたい事があるなら言っていいよ」と言ったので久しぶりに兄の話をしてみたらやっぱり親は不機嫌になって話が通じなかったので「あ〜やっぱりこの人は息子の非を理解しないししたくないんだな」と後悔した

から見た兄は勉強は苦手だが優しくて素直で純粋友達が多いという意味で"いい子"だから、そんな子が妹を殴ってるのはただの兄妹ゲンカでしかないという所で思考ストップして、兄の姑息で弱い者をいじめる側面という不都合な事実に気付かない方が幸せなんだろうと、私にはもう手の施しようがないなと思った



が、後日親と会った時親は私にごめんね、と過去の事を謝ってきた

この前は不機嫌になって話を聞かなかったが、それから私に言われた事についてずいぶん考えたみたい

聞いてみると親いわく「自分は鈍くて理解時間がかかる」つまり自分不都合な事を聞くと瞬間的に反発してしま

けど時間をかけて考えれば私が言った事を理解できる、自分不都合について考えるのは苦しい事だからいつも反発して終わりにしていたけどこれからは考えるのを諦めないで「がんばりたい」との事

私はケンカになるだけだから本当の事は言わない方がいいねと前に言ったけど、親は反発してしまってケンカになるかもしれなくてもそれからがんばって考えるから言ってほしいそう

私は親のその「がんばりたい」って言葉が心の中になんかすごく落ちて、また信じたいという気持ちが出た

今まで私は言っても通じないか自分気持ちを話す事を諦めてたけど、親が「がんばりたい」なら諦める必要ないんじゃないか?と思った 親は理解できるのに時間がかかるという事を私は覚えとけば、瞬間的な反発でシャッターを下ろすのではなくがんばるという言葉を信じて待てる

親は「親は自分の子供を自分作品のように思っててそもそもそれが間違いなんだけど、子供の悪い部分を受け入れられない」「自分と息子の関係ねじれがあるのを放置してた結果、息子と娘の関係自分と娘の関係ねじれてしまった」まで自分で考えて到達してて、あんなに不機嫌になって話聞かなかったのに今メッチャ理解できとるやんけってなった

から考えても分からない人もいるかもしれないけど、考える事から逃げずに不都合な事実に向き合って反発の向こう側に行ければ、理解できる事もあるんだと学んだ

というか結果がどうであれ、不都合な事実に向き合う苦しい作業をするという「がんばる」事自体大事なんだと思った


から補足:母はフルタイムで働くシングルマザーだったので、15年経って子育てから解放されて考える余裕ができたって所も大きそう

2021-01-12

ローションガーゼオナニーをやってみた

 ローションガーゼオナニーというものをご存知だろうか。これを読んでいるあなたが知らなくても別に恥ではない。かくいう自分も友人の話からローションガーゼオナニーという自慰方法があることを知った。むしろ知っていた方が恥かもしれない。ともかく、この文章はそのローションガーゼオナニーを実際に体験してみた様子を記したものである

 まず、この体験記は友人との通話中ローションガーゼオナニーという自慰方法を試してほしいと依頼されたことに端を発する。

 俺の最初の反応はまず「なにそれ?」だった。自慰方法としては男性器を握って上下に擦る、いわば普通オナニーと呼ばれるものしか知らなかった。床に男性器を擦り付けて行う方法なども知っていたが、九分九厘行うのは通常のものだ。

 しかしローションガーゼオナニーとは、それとはまったく異なっていた。

 まず三十センチほどの横長のガーゼにローションを染み込ませる。それからそのローションまみれのガーゼを両手で持ち、勃起させた男性器の亀頭に擦り付けるらしい。そのまま両手を左右に動かすと、亀頭が刺激され普段オナニーでは得られない快感を味わえる、とのことだった。

 ともかくローションガーゼオナニーを試してみたいとは思った。通常のオナニーなど10年単位で行っている。さすがに飽きが来ているのも確かだ。たまには新しい刺激が欲しい。やってみるのも悪くない。そう思って、その次の日にはローションガーゼオナニー必要もの調達しに行った。

 冬風吹き荒ぶ1月の夜、仕事を終えると俺は大阪梅田歓楽街へと向かった。

 コロナ影響か、もしくは単純に寒いいか街に人通りは少ない。そして駅から10分以上離れたところにある信長書店に入った。信長書店とは関西では有名なアダルトグッズDVDを取り扱う店だ。こちらも何気に入るのは初めてだ。自分で言うのもなんだがこう言う事柄に関しては、自分は初心だ。はじめてメロンブックスのR-18コーナーに入った時のような緊張感に襲われる。キョロキョロしながら店内を見ると、双頭ディルドにTENGA、穴あきランジェリーエネマグラなどが所狭しと並んでいる。人類はこんなにエロに興味があったのかと驚くばかりだ。

 そんな中、退魔忍アサギコラボしたオナホール発見して、少し安心した。他人しかいない群衆でようやく知り合いを見つけた時にような安心感だ。

 そんな気分で店内を散策する。もとの目的も忘れ、アダルトグッズ散策に夢中になっていると、目の前に他の客を発見した。

 いたのは男女二人の客だった。ああ、このあとこいつらは買ったグッズを使ってセックスするんだろうな……と思うと急に気分が萎えてきた。それからすぐにローションのコーナーに向かうと、適当にローションを見繕って会計を済ませた。それから俺はまもなく店を出た。

 ローションは手に入れた。次はガーゼだ。ガーゼなど適当薬局にいけば売っているだろう。駅への帰り道の途中で買えば良い。そう思っていたが考えが甘かった。

 政府の休業要請により、梅田の店はどこも20時には閉まるようになっていた。すでに時間は20時に近い。駅までの地下街を歩いてみるが、どこもシャッターが閉まり始めている。

 しばらく歩き回って、ようやく一軒まだ営業しているコクミドラッグ発見した。

 しか地下街の空いたスペースで営業している店舗のため、品揃えは期待できない。店内を一通り見て回るがガーゼは見当たらない。変な勘が当たったようだ。だがせっかく薬局まで来たのにこのまま買わずに変えるのもなんだ。俺は店員さんに「ガーゼありませんか?」と直接聞いてみた。

「それなら真後ろにあるよ」

 店員のおばちゃんが指さした先にガーゼはあった。灯台下暗しレジのすぐ近くの棚にガーゼは並んでいた。

 俺は親切な店員のおばちゃんありがとうと告げ、ガーゼを買った。

 けれど口が裂けてもオナニーのために使うとは言えない。せっかくの親切心に白濁液をかけたような気分になったが、ともかくこれで準備は整った。

 そのまま駅に行くと、まるで俺はローションガーゼオナニーになんて一ミリも興味ありませんよ? という顔で電車に乗って帰った。

 さて、ようやくここからローションガーゼオナニー体験パートに移るわけだが、準備物は他にもいる。いわゆるオカズ必要なのだ。通常であればエロ漫画、スマホ動画画像などを使ってオナニーができる。

 しかし今回はローションガーゼオナニーである。両手を、ガーゼを持つ手で塞がれるため、スマホスワイプすることもエロ漫画をめくることもできない。

 そこで俺が選んだのはエロASMRであった。音声のみであれば操作に両手を使用しないし、音声作品はワンプレイに30分ほどかかるのもざらだ。

 ゆっくり丁寧にローションガーゼオナニーを行うのであればちょうど良いだろう。

 俺はDLsiteのページを開き、テグラユウキの『ダメダメOLお姉ちゃん酔っ払い甘々えっち』を再生した。再生時間は33分35秒と大ボリュームだ。しかもテグラユウキ作品はどれも高クオリティでハズレはない。これならば問題ないだろう。そういえばこういうときワイヤレスイヤフォンは便利だ。それに外音遮断機能を使えば音声に集中できる、そうAirods proならね。

 それからベッドの上で用意を続ける。

 ベッドの横にもう使わないであろうマグカップを用意すると、そこにローションを入れた。それからガーゼを取り出してマグカップの中に浸す。ネバネバしてひんやりした感覚が指先に伝わる。これだけでなんとなくやらしい気分になってきた。

 上半身インナーのみになり、下半身パンツをずり下げ、男性器を外に出す。

 すでにASMR再生し始めていたため、まだローションに触れていないというのに我慢汁が少し先から溢れて、濡れ始めている。

 ベッドで上半身だけ起き上がったまま、だんだんモードに入っていく。

 両手にはガーゼを持ち、男性器を擦る準備を整えた。

 直接はまだ触れていないため、男性器はまだ完全には勃っていない。

 しかエロ音声のおかげで少し硬くなり始めている。

 はじめてのローションガーゼオナニーに緊張感と少しの興奮がおしよせてくる。

 しかしなかなかローションガーゼオナニーを始められない。

 エロASMRがなかなか本番にいかいからだ。テグラユウキ作品前戯からの本番までを丁寧に描くことで有名だ。すでに再生から10分ほど経っているというのにまだキスだけで本番にいかない。勃っている姿のまま両手にガーゼを持って待機する。なんと恥ずかしい姿なのだろう。

 音声の内容など気にせず、男性器を擦り始めればいいのだろうけど、世界観没入派の俺はじっくりと本番が始まるまで待った。

 それからしばらくして本番が始まった。

 挿れるタイミングと同時にガーゼ亀頭を擦り始める。

 両手を揺らして亀頭を刺激する。

 こすこすこす……

 すると、どうだろう。今まで感じたことなのない刺激が亀頭を襲った。

 男性器で竿を握って擦る時とはまったく違った感覚に驚いた。

 半分気持ちいいような、半分くすぐったいような、おかし感覚だ。

 通常のオナニーであれば何回か擦ればすぐに男性器は硬くなって最大の大きさになる。

 しかしローションガーゼオナニー快感に包まれているというのに、男性器が完全に勃起しないのだ。

 こすこすこす……

 半勃ち状態のまま、ガーゼを擦る快感に身をまかす。

 しかし妙だ。

 確かに亀頭が刺激されて気持ちいい。しかし刺激されているというのに、その快感の延長線上にイくという未来が見えないのだ。

 通常のオナニー男性器を擦れば擦るほど、ゲージが溜まっていって、そのゲージが満タンになると射精するようなイメージだ。

 擦るスピードを落としたり、速くしたりして射精タイミングを調節する。だからいってしまえば擦るスピードを調節すれば射精などものの数十秒で行うことも可能だ。もちろんそれでは気持ちよくないか時間やイくタイミングを調節するわけだが。

 しかしローションガーゼオナニーはいくら擦ってもそのゲージが溜まっていかないのだ。

 ただ快感が押し寄せてくるだけでイけない。

 こすこすこす……

「……ふ、あ……んあああ……ふぁ……」

 代わりに溢れ出てくるのは情けない声だけだ。

 そのくすぐるような感覚に耐えきれず声が漏れる。

 通常のオナニーで声など出さない。ただ擦って快感に身をまかすだけだ。

 しかしどうにもこのローションガーゼオナニーというのは声を出さざるを得ない。

 ローションガーゼオナニー市民権を得ていない理由が分かった。

 こんなに声が出てしまっては、こっそり家族に隠れてシコるなど無理だ。

 しかもなかなかイくこともできない。こんなに恥ずかしいだけの行為がはやるわけがない。

 そう考えながら、体をのけぞらせる。快感が体中を駆け巡っているためだ。

 こすこすこす……

「ん……ああああああああ……ん、あ……」

 また声が漏れる。ここで問題が一つ発生する。

 自ら発した声でASMRの声が聞き取れなくなってきた。

 外音遮断機能を使っているのに、自ら出した声に音がかき消されるのだ。

 逆にASMRとは遮断されて、ただ男性器をしごいている情けない自分と向き合わざるを得なくなる。

 こんな、こんな、恥ずかしいことがあるだろうか。

 ASMR世界に没頭していたというのにそこから首根っこを掴まれて、ローションガーゼオナニー羞恥世界に連れ出されるのだ。

 ただ、イけないないまま嬌声を出し続ける時間流れる

 男性器は血液が集まってきて赤くなってきているが、いまだに完全には勃った状態ではない。だというのに声が止まらないのだ。

「もうそろそろイくよ」

 ASMRは俺の様子も構わずフィニッシュしようとしている。

 こっちはまったくイケる気配はないというのに。

 しかし声を出しているせいか、俺は肩で息をし始める。普段オナニーで息を切らすことなどない。しかし今はそうならざるを得ないのだ。

 それに背を大きくのけぞらせる。生殺しのままで快感を発散させる方法がこれしかいないのだ。

 こすこすこす……

「ん……く、ううううううう……ん、あ……」

「イく、イくよ」

 音声は俺に発破をかけるがいくら擦るスピードをあげてもイける気配はない。

 ただ漏れる声の音量が上がるだけだ。

「ん……く、はぁはぁ、うう……ん、あ……」

「イく、イくぅぅぅぅうぅぅぅぅ」

 音声は俺に構わず達し始めた。

 たまらなくなり、亀頭を擦っていたガーゼ男根に巻きつけて上下に擦り始めた。

 もう限界だ。

 耐えられなくなって通常のオナニーへとスイッチした。

 それからはこみあげるように頂点へとフルスピードへ向かっていく。

 最初からずっと男性器を刺激していたのだ。

 通常のやり方に切り替えれば、とっくに達する準備は整っていた。

 まるで天使に後押しされてるような気分だ。

 もうすぐだ。

 もうすぐ狂い咲ける。

「く、う、あああぁぁぁぁっ!!!

 イった。

 今まで我慢していた気持ちがはち切れるように俺は射精した。

 それはまるでパンパンに膨らましていた風船の膨らませ口から手を離すような感覚であった。

 どろどろとした白濁液ガーゼに向かって発射される。

 たしかに、気持ちよかった。

 ガーゼの中の精子の量もいつもより多い気がする。

 しかしその一方で俺はおおきく肩で息をしていた。

 まるで100メートルを走った後のように、疲れ切っていた。

 ビリビリと痺れるような感覚男性から手を離すと、俺はベッドに上半身を倒した。

 ローションガーゼオナニーはイった後にさら男性器を刺激し続けるとさらなる快感を得られるらしいが、どうもそんな気分にはなれない。

 イった後の男性器は敏感であるし、イったあと特有オーバーヒートモードに身を包まれ、性欲が体から失せていく。

 けれど気持ちよかった感覚は確かだ。

 俺はそのままベッドに倒れたまま、精子とローションが混ざってドロドロになったガーゼを見ながら、息が再び整うのを待つ。

 ローションガーゼオナニー、まあ、また試してみるのも悪くないかもしれない。

 ただ、自分のイく姿を克明に書くのは二度とごめんだと思った。

2021-01-07

地方都市での一軒家購入記録

はてなあもすなる家買日記といふものを 我もしてみんとてするなり

はてなーが最近やっている家購入記を、俺も便乗してみようと思い書いた)

 

概要

・某地方都市県庁所在市の隣接市。

 

子供が産まれることになったので、それまで住んでた借家をやめて家を買うことにした。

子供が動き回るようになると床や壁を汚したり壊したりするだろうし、家のカスタマイズもしたくなるだろう。これまで数回の引っ越し・荷造り作業が非常に手間だったので、幼児育児しながらの引っ越しはまず不可能だと予想された。

 

妊娠初期からなんとなく探し始め、妊娠6ヶ月で本格的に探し始め、出産3ヶ月前に物件決定、1ヶ月前に引っ越した。

物件選定、下見、ローンや物件契約は俺と妻二人で行い、実際の引っ越し作業は俺一人で行った。

 

・庭付き一戸建てを借りて2年間住んでおり、自分たちが家に求める重視したい要素と、どうでもいい要素をある程度把握できていたので、それを家探しに反映させた。

 

 

物件選定

 

ネット物件情報サイト市町村名で絞り込み、安価順にソートして諸条件から気になる物件を20件ほどリストアップ

中古場合は値引きの可能性もあるので、これまでなら出せる上限価格の2割増しまリストアップした。

リストアップした物件はぜんぶ休日に現地に行き外観や周辺環境を見た。不動産屋に連絡して内覧させてもらったのは上位5件。

エクセル物件比較表を作り、要素ごとに傾斜配点して点数を付けて最も高得点物件を買った。

高配点順に、「駐車場台数」「延床面積(部屋数)」「価格」「構造」「築年数」「両実家から距離」「校区小学校から距離」「最も近い保育園から距離」「バス停から距離」「敷地面積」「土地条件」「駐車場が露天か屋根付きか屋内か」「他」

俺が比較表を作り、いちおう妻にも見せて意見を聞いてたが、ほぼ追認状態だった。

(実際に使ったエクセルファイルを晒そうかと思ったけど、増田添付ファイル付けられないんだね。)

以下、各項目ごとに説明する。

 

駐車場台数」

地方都市なので車がないと何もできん。俺バイク通勤、妻は車通勤子供が産まれれば子の保育園への送迎のため俺の車も必要になる。なので最低2台分。駐車場無しは論外、1台分のみの場合は庭を潰して駐車場追加できるか、もしくは周辺道路に恒常的に路駐できる立地か(車庫法違反になるが、住宅街では実家車庫証明とっていつも路駐してる人も多い・・・)で判断

両親が子育て手伝いに来てもらえばその車を止めるスペースも必要になる。できれば3台分ほしい。

→ 3台分ある家を買った、妻車、子送迎車、残り1台分はバイクガレージとして使ってる。両親が来たとき住宅地の最奥で交通量が少ないので車庫の前に路駐してもらってる。

 

延床面積(部屋数)」

リビング、俺の部屋、妻の部屋、寝室、将来の子供部屋、で4LDKが最低条件。もちろん部屋は多いほど良く、面積は広いほど良い。

→ 6LDKとなった。部屋は多いほどいいと実感している。寝室二つにしていつもは3人一緒に1Fで寝て、風邪ひいたら一人だけ2F寝室で寝たり、いろいろ助かる。

 

価格

世帯年収1700万~2200万。物件価格4000万が上限と妻と合意したので、4800万以内で探した。

(妻は公立病院勤務医で、当直・オンコール量により増減。妊娠後期から産休までは時間外一切無しなので1200万、育休明けから現在までは週2のオンコールのみなので1400万程度。ただ住宅ローン審査では前年までの源泉徴収票判断するので、金融機関からは1700万として見られてたはず。

俺は残業あっても無くても500万。県庁時間外手当ほとんど付かない)

→ 建物登記で持分1/2ずつ、土地は保留地なので組合の所有者台帳に連名で記載、実際の負担も1/2ずつとした。

→ 購入価格は下紀売主との値引交渉参照。

 

構造

当時住んでた借家が築10年のプレカット工法木造住宅だったが、壁の外板(サイディング)つなぎ目シーリング劣化して雨水が浸入し、中の木が腐って雨漏りがあり、さらに同構造隣家の2Fベランダが腐って半壊してて、プレカット木造住宅には不信感があり対象外とした。

大工が作る伝統的な木造住宅は皆無だった。

実家は築2~30年の鉄筋コンクリート造だが目立った不具合はなく、信頼感があった。

よって鉄筋コンクリートRC)造、鉄筋コンクリートブロックRCB)造、軽量鉄骨造の順に高評価とした。

→ RC造を買った。売主(建て主)がリフォーム業の社長で、その知識を生かして作った注文住宅ということで、内覧して一目見て質がいいとわかる造りだった。階段上り下りしても木の軋み音が全くしないとか、天井が高いとか、天井裏みたら断熱材が分厚いとか、床下も広いとか、壁収納が各所に多い(いまだ使い切れてない)とか。

「築年数」

新築のほうがもちろん良かったが、当時は型枠職人不足が顕著でRC新築坪単価が異常に高騰しており、手が出る価格新築はプレカット木造ばかりなので、中古住宅中心に探した。

住宅ローン控除が効くのがRCだと築25年以内の購入なので、築25年が一つの基準。ただし利率負担以上に安い物件があれば築25年以上でも良い。

→築20年を買った。コンクリートのひび割れ等は全く見られない。

「両実家から距離

とても幸運なことに、俺の実家と妻の実家が車で10分の近距離で、かつお互いの職場からも車で20分以内の距離だったため(これは結婚決めてから判明)、両実家に近い位置で探した。

夫婦二人ともフルタイムで働いており、育休あけてから祖父母サポート絶対必要になると予想されたため、両実家から車で30分以内の条件で探した。

実家のあるA市と俺実家のあるB市は隣接。AB市か隣接した市町村で絞り込んだ。

→両実家の間で妻の実家寄り(妻の両親の毎日散歩コース)の物件となった。

小学校から距離

中学生になれば自転車バスが使えるから距離があってもいい。小学生特に低学年)は徒歩通学が基本になると思われるので、子供が歩いていける距離として2km以上で足きり。できれば1km以内。

→買った家の校区小学校は崖を迂回しないといけないので延長距離4kmあり足切り対象なのだが(この家が家の造りや面積の割に安かったのはこれが第一要因だと思う)、妻の実家が市境を挟んだ隣の市にあり、妻実家の校区小学校は家から800m。これを生かす。

越境入学は同市内ならまだなんとかなるかもだが、別の市だとほぼ不可能市民税納めてないし仕方ないね

「最も近い保育園から距離

認可保育園であっても世帯年収から保育料が最高負担額(月6万ほど)になるので、認可外・認定保育園でもいい。車で送り迎えになると思われるので小学校ほど距離は気にしないが、あまりに遠いと渋滞からんで勤務時間に支障する。

→結局、基準に沿って運営されてる認可保育園安心だねとなり、家から3kmほど離れた保育園入園できて車で送迎してるので考慮する必要はなかった項目。

バス停までの距離

子供高校生になれば離れた進学校に行くかもしれず、そうなればバス通学となるだろうから、あまり遠くないほうがいい。2km以上で足きり。

→1.5kmほど先に本数の多い路線バス停がある。高校生なら歩ける距離だろう。

敷地面積」

庭は無くてもいいが、あればいろいろ使えるだろうからガーデニングとか、子供が歩けるようになったら庭でプールとか、小学生になれば犬を飼うとか。

→30㎡ほどの土の庭がある。興味なかったが、いろんな植物植えてデザインするのはやってみると楽しい

土地条件」

当時は東日本大震災から数年のちで津波記憶が新しく、標高は確保したい。

谷地は通気性悪く水害ありそうなので避けたい。崖ぎわ地は見晴らし良いが安定性が心配だが切り土なら問題なし、盛り土絶対不可。平坦な住宅地の中なら土地安定性やリセールバリューは良いが、道に面した1方以外の3方を他民家に囲まれていて息が詰まらいか心配(両実家借家も、2方のみ他民家で1方は林や崖だった)

→ 数十年前に台地を切り土して造成した住宅地の南に開けた崖ぎわの物件にした。この物件候補にしてから県立図書館に行って明治時代以前からの古地図を見たり、国土地理院サイト米軍撮影1945年前後航空写真を見たり、県の地図サービス災害指定区域確認したりして、

昔と今とで大きく地形が変わってない(その間の大きな地震でも崩落等してない=地盤が強い)こと、盛り土ではなく切り土であること、敷地が急傾斜地崩落危険区域指定(再建築時に制限がかかる)てないこと、を確認した。

眺めはいいし、日当たりはいいし、リビング先の庭の先は斜面で林なので四六時中リビングカーテンを開けたままにしておけるし、今のところは満足している。かつてない巨大地震が来たら土地も家も無くなって無くかもしれないけど。

→ 土地区画整理事業が施工中で保留地上の物件なので、いろいろ勉強して詳しくなった。ネットバンク住宅ローンが使えない以外はデメリットは無かった。リセールバリューには影響するかもしれんが、この家を売る頃には換地処分は終わってるでしょ。

→ 用途地域にこだわりは無かったが、小学校バス停までの距離で足きりすると必然的市街化調整区域は除外され、市街化区域第一種低層住宅地域の物件ばかりとなった。

駐車場屋根付いてるか、屋内か」

車もバイクも雨ざらしにはしたくないので最低でも屋根があったほうがいい。無ければあとからカーポートを付ければいいが費用が200万ほどかかる。できれば横風や埃も防げる屋内駐車場だといい。

→ 電動アルミシャッター付の屋内駐車場となった。ガレージとしてバイク整備に使えて最高。壁にアンカーボルト打ち込んでメッシュパネル付けて工具並べてある。密閉空間で音が漏れないので雨でも夜でもエアコンプレッサーやディスクラインダーが使える。ぐへへ

 

「他」

周辺環境は閑静な住宅地の最奥で、家の前の1.5車線道路交通量少なく(周辺家に用事のある車しか通らない)子供を道で遊ばせても大丈夫そう。家が売りに出ている理由が、売主夫婦が高齢になり介護住宅に引っ越すための処分ということで、周辺とのトラブル理由ではない。下見や内覧ときに両隣・道向かい・道向かい両隣の方に挨拶して少し話したが、変な人はいなかった。

現在も、たまに顔を合わせたら挨拶してちょっと世間話するくらいで、軽い近所付き合いのみしている。

保留地のせいか自治会対象外となっており、自治会費や行事参加の負担がない。

なにより妻の両親の毎日散歩コースにある家で、毎日周辺を見てる妻の両親から問題ない」とお墨付きをもらえて安心できた。

県庁所在地隣接の市街化区域なので、小児科は車で10分以内に3院、大きな総合病院も車で20分以内に2院、他内科整形外科クリニックも徒歩(車2分程度)に数院あり、医療関係不安はない。

買い物も価格重視のスーパーからちょっと高めのデパート系列スーパーなど車10分圏内に5~6件、ドラッグストアホームセンターも車10分圏内にあり問題ない。

(年とって車も運転できなくなったらどうしようね?3食つき老人ホームに入るしかいか

購入

 

住宅ローン

妻は倹約家(いくつかの趣味以外には服や娯楽に金使わない)なので現金一括で買えるだけの貯蓄があったが、住宅ローン減税のおかげで利息負担無しで借りられるので、何かあったとき手持資金確保のためもあり、常識的に頭金を1割入れて残りはローンを組んだ。

均等に資金負担しようということで、持分1/2ずつの共同債務とした。

住宅ローン控除年1%よりも融資利率が低ければ、借金して金が入ってくる逆ざやとなるので、控除が効く10年間はなるべく融資残高を増やすべく、20年ローンとした。10年たったら一括繰り上げ返済する。月々の返済額が減るぶん貯めておく。

変動金利のほうが遙かに利率は低かったが、金利変動リスクを避けたくて10年固定金利にした。(でも今の状況だと変動のほうが得だったな。賭けに負けた。)

 

土地区画整理事業地内の保留地上の物件という特殊条件のため、年利0.65%等の低金利を誇るJNBソニー銀行等のネットバンクのローンは使えなかった。

地場都市銀行2行に仮申し込みし、低利率のほうに本申込した。(妻がメインで使ってる銀行のほうが高かったので担当者からずいぶん引き留められたが、仕方ない)

世帯年収の2~3倍程度の物件価格、お互い安定した職業ということで審査トントンで進んで融資決定の連絡があった。

年収源泉徴収票)以外の金融資産も開示したが、融資担当者は俺の数百万の貯金はチラッと見ただけで終わりだった。ちょっとプライドが傷ついたぜ。

利息は0.8%台で、融資手数料等の諸費用を含めると逆ザヤは僅かとなった。

 

住宅ローン減税は初年度こそ税務署に行っての確定申告必要で面倒だったが、2年目以降は年末調整職場に用紙出すだけなので慣れれば手間でない。

 

 

・値引き

基本的都市部中古住宅は売り手市場だが、この物件は1年前に4800万で売りにだして売れず4600万で売られており(校区小学校が遠いのと保留地なのが原因だと思う)ちょっと強めに出てみた。

不動産屋を介して、「もともとの予算が4000万なんです、がんばって4100万なんです、保留地なので金利の安い住宅ローンが使えなくて苦しいんです、金利分まかりませんか?」と。

4400万のオファーがあり、こっちは4200万で再度要請。最終的に「4300万よりは下げられん、それで無理なら売るのは諦める」との回答で、4300万で妥結した。

近くにある小学校距離と保留地以外の広さや造りや築年数が似た物件は6~8000万で売られてるので、造りのいい広い家を安くで買えたと満足している。

 

 

不動産

仲介手数料は上限いっぱい取られたが、土地区画整理組合との所有者変更のやりとりや価格交渉で駆け回ってくれたので不満はない。

 

司法書士

登記関係銀行指定司法書士に一任した。土地登記がないので建物分のみ。市中の方に依頼したらもっと安かったと思う。

 

 

反省

結果論だが、保育園までの距離考慮しなくてもよかった。それ以外は満足。

子供が産まれる前は「田舎で静かなところがいいね」と学校までの距離をきにせず人里離れた田舎の広い一軒家をネットで見た「こんなところいいね」と話してたりしてたが、子供が産まれると子供第一の選定となった。でも子供独立したらまた判断基準が変わるんだろうな。

2020-12-27

大掃除、やればやるほど妻キレる

鍋を磨き、

フライパンを磨き、

シンクを磨き、

換気扇を磨き、

窓を磨き、

シャッターを磨き、

鏡を磨き、

便器を磨き、

さぁ、充実した一日だと思ったら、

家事しない私への当て付けか!」だってさ。

2020-12-06

正月にウロウロしたい

大学一年とき、なんとなく帰省するのがめんどくさくて下宿でひとり年越ししたんだけど、三ヶ日でちょうど食料が底をついてしまって、スーパーに買い物に出た。

スーパーマーケットといったら資本主義象徴みたいなもので、当然年中無休であろうと当時は思ってて、なんの不安も抱かずいつも通りに下宿を出たんだが、急な坂を降りた先にある最寄りスーパーの大きなガラスドアにデカデカと張り出された「1/1〜1/3までお休みさせていただきます」の掲示の前でしばらく立ち尽くすことになった。

しか近くにあったマクドナルド普通に営業していて、そこでナゲットか何かを買って帰ったな。

それで次の日、やっぱり食料がないのは良くないなってことで、駅の方まで歩いてスーパー行脚をしたんだった。駅前商店街の店がもうことごとく年始休業状態で、昼間なのにシャッター降りまくりアーケードがなんだか新鮮だった。店がやってないから人通りはいつもより少ないんだけど、純粋通路でもあるからゼロってわけでもなく、なんとなく弛緩した格好の爺さんなんかがボケっと歩いている。

俺も年始意味もなくブラついているバカ大学生に見えてるだろうな、まあ事実だな、と思いながら駅近くのスーパーを回って、たしかひとつだけ開いてるところを見つけておおいに助けられた記憶がある。

あの年始の、店が全然開いてない状態ブラブラさまよう感じ、アレはよかったなあと今になって思う。

来年始にやってみたいところだけど、はたして無駄に出歩いていい雰囲気だろうか。

2020-12-05

奇妙な商店

数年前、東京の端っこから東海田舎引っ越してきた。

田舎とひとくくりにすると、「これくらいは田舎じゃない」と言われるから、ざっくりと住環境説明すると、スーパーが4キロほど先にあり、最寄りのコンビニよりコイン精米機の方が近い。

そんな環境だ。

来て2年ほどは自転車だけであちこちへ行っていた。

日常の買い物が不便だと感じたので、普段使っているスーパー以外に、ちかくにスーパー商店はないのか?と一度検索してみた。

さな商店があった。

その店だと自転車で5分もかからない。

私は試しに行ってみることにした。

寂れた、こじんまりとした商店だった。

シャッターは開いていて、電気もついているが、薄暗い。

店の前には、何も入ってない雑誌を置くのであろう棚と、なぜか春なのに肉まんなどを温める什器が、電源も入っていないのに置いてあった。中身は入っていない。外観からは壊れているようにも見える。

入り口近くはガラス扉で、中を見渡せるような狭さなのだが、外から見る限りは店の中に人は一人もいない。店員の気配もない。

怖くなってきたが、私は邪魔にならないところに自転車を止めて、中に入ってみた。

店に入ってすぐ、果物売り場があった。

バナナプラスチックのカゴの上に置かれ、並んでいた。

バナナは黒ずんでいた。

Googleレビューでは店主手作りのお惣菜が売りだと書いてあった。

少し楽しみにしていたが、壁際の棚に並ぶそれを買って食べる勇気は、私にはもうなかった。

店に入っても、店員の姿も気配もない。私はなんだか薄気味悪くなってきて、商店を後にし、いつもの4キロ先のスーパーに向かった。

あれから、数年が経ち、車を買った今、近くの商店を探ることはもうない。

あの店にもあれきり行っていない。

今思い返すと、現実にあったのだろうか、何かの夢ではなかったのだろうか、そう思ってしまってさえいる

2020-12-01

思いがけずコンテンツを嫌いになるとき

あるコンテンツを、あるきっかけで嫌いになり、自分はこういうのが苦手だったのか、と驚き、気づくことがある。

反応しすぎじゃない?と、理性ではわかるが、生理的に受け付けないと、シャッターがピシャリしまってしまうのだ。

たとえば、スライサーでサラダを作っているときに、指を切る描写があり、そのあと、サラダを食べている描写がある。

そもそもスライサーで指を切るという絵や映像が寒気がするほど苦手なんだけれど、そのサラダを平然と食べていることに、無理と受け付けなくなってしまう。

リアルではあることかもしれないが、漫画でわざわざ見たくない。

漫画のメインはほのぼの日常ラブストーリーなんだけれど、ラブに入る前にこれ以上見ていられず引き返してしまう。

また、アイドル系のアニメで、最初は7人雇うと言っていたのに、やっぱりそこから選抜するといい、競わせ、さら試験を受けさせ、みんないいか合格!という茶番をする事務所ものすごく反感を持ってしまう。

くわえてマネージャー仕事ができないのを高校生メンバーフォローしている。印象は最悪だ。まともな社会人として恥ずかしくないのか。

持病持ちでも活動したいメンバーフォローすると請負ったのに、マネージャーがまたもフォローできてなくて、あまりにも味方側の事務所のやり方が受け入れられなくて、見れなくなってしまった。

いずれも見る前は、自分がこういうことをそんなに苦手だということを知らなかった。

案外、嫌いなものの方が、自分のことを気づかせてくれるような気がしている

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