はてなキーワード: 2020年とは
まあ広い目で見たら概ね横這いやろ
2015年 | 3015億円 |
2016年 | 2985億円 |
2017年 | 2893億円 |
2018年 | 3048億円 |
2019年 | 2998億円 |
2020年 | 2727億円 |
単に1年遅れで2020年がやってきただけじゃね?
感染者増加に悩む国こそあれど、今頃買い占めやってる国なんてないだろ
https://www.sankei.com/world/news/210515/wor2105150019-n1.html
国民の税金を使って、ホームレスの女性や全国の大学に生理用品を無償配布することについても、反論はほとんど聞こえてこない。
マクロン大統領は昨年2020年末、オンラインメディアBrut.上で「ホームレスの男性たちは路上の暮らしで、疲労極まり、病気になりがちで、屈辱的な生活を強いられている。しかしホームレスの女性たちは、それに加えてですよ……はっきり言いましょう。生理の貧困、つまりプライバシーがない路上生活でも生理になり、手当てをすることができず、さらに人間として尊厳を奪われている」と、ホームレス女性への生理用品の援助を徹底する姿勢を明らかにした。
例えばこういう風に対策が講じられることが無いから、変な言い方だが、ホームレスで居られない(どうにか脱出しなくては、となる)のでは
何が良くて悪いかは別として
ちょっと前の話なんだけど、ひょんなことから思い出しちゃったので書く。
文字数の関係でジャニーズって書いたけどジャニーズとソニーです。
発端はジャニーズ側だった。2020年にジャニーズ事務所から「SixTones」というアイドルグループがデビューした。(結成は2015年)
勘のいい人はお気づきだと思うが、ポピュラー音楽好きの人からすればストーンズといえば来年結成60周年になるイギリス出身のロックバンド「The RollingStones(ローリングストーンズ)」を指すのだ。
名前はよく知らなくてもローリングストーンズの代名詞ともいえるアイコニックなベロのロゴは見覚えある人も多いはず。
イギリス、いや世界でもっとも有名な現役のロックバンドと言っても過言ではないだろう。
今までであれば「『ストーンズ』というミュージシャンと言えば?」という問いをすれば回答のおそらく100%に限りなく近い値としてローリングストーンズが挙げられていたと思われるが、
今の日本の若者にとってはストーンズと言えばジャニーズアイドルであり、
結成からメジャーデビューを経てTwitterにて検索をかけるとロックバンドを覆い被さるようにジャニーズアイドルについてのツイートが大量に表示されるようになったのだ。
「ストーンズと言えばローリングストーンズだろ、ジャニーズとか(笑)」と老害ムーブをかける昔のロックファンがみられる一方、
「SixTonesに絡んでくるおじさんキモすぎ(笑)」なムーブをかますジャニヲタたちとのちょっとした分断が見られるようになった。
この頃は欧米のポップスやロックなどを日本に落とし込むをテーマにしているジャニーズでローリングストーンズを知らないわけがないのだから、
ちょっと避けた方がよかった気が、とは言えストーンってありふれた名前だし、とか、まあ決まっちゃったものはしょうがないけどもうちょっと配慮できたんじゃない?くらいの認識でいた。
ストーンズのメジャーファーストアルバムの発売が決まった。そのプロモーションでリリース元のソニーミュージック公式が使用したハッシュタグが
#ストーンズってそっちじゃない
だったのだ。
https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1337215528092528642
そうなると、当たり前のようにローリングストーンズのファンは「ストーンズってこれでしょ?」とローリングストーンズの写真を冗談で載せたり、さらには「ありえないだろ」とキレるファンも続出。
一方そういったツイートにジャニーズファンは「ストーンズ(アイドル)のハッシュタグを汚さないで!」「アンチやめて」「アンチがツイートしても宣伝になってるだけだから(笑)」のようなツイートで反応。
プロモーション映像を見る限り「メンバーのふりをした石膏(ストーン)が話をしている=ストーンズってそっちじゃない」ということらしいのだけれど、
プロモ担当は100%Twitterでエゴサをしているため絶対にこの分断について把握をしている。
Twitterのプロモーションはつぶやかれたもの勝ちだ。そのためにわざと相手を怒らせる釣りプロモーションをやっているようにしか思えなかった。
上記の通り、自分はあくまで後出しストーンズ(というかメンバーではないジャニーズやソニーなど関係者)なんだから多少の謙虚さは持ち合わせてろと思っていた立場だったので、
当時、自分もそのような旨を(煽るような表現を使わずに)ハッシュタグをつけてツイートしたのだけれど、
すぐにジャニーズファンにRTされ、上記のような文句を言われてしまった。
正直アニメジャンルで同じようなことが起きていたらちょっとした炎上が起きていたと思う。ちょっと前に呪術廻戦で「高専」を検索避けしろとか言われてたあれとかね。
「『幽玄なる白い世界』略して『幽白』なるアニメが大流行して、幽遊白書ファンがキレてるのに公式が『#幽白はそっちじゃない』を推奨」とかしだしたらブチキレるよね?
もちろん「幽白」と「ストーンズ」の言葉の固有性は大きく異なるのだけど、ポップ音楽で「ストーンズ」といえば前述している通り絶対的に「ローリングストーンズ」なんだよね......。
(とはいえそれで文句言ってたら名付け文化みたいなものが萎縮してしまうので名前被ってる問題は見逃せるレベルだったのだけれど、ハッシュタグで煽るのはアウトだよね?という意見)
しかも、何よりSixTonesはもともと「シックストーンズ」と読んでいたグループだったらしい。
実は結成後に海外に同名の「The Six Tones」というバンドの存在に気づいたために「SixTonesと書いてストーンズと読む」方式にしたと言うのだ。
https://twitter.com/paulmochiyan/status/1362765279965503492
The Six Tonesに関しては私も知らないのだけれど、日本人でThe Six Tonesを知っているのであれば全員がThe Rolling Stonesのことを知っていると断言できる。
音楽関係者がストーンズという大物バンドの存在を気にしない訳がないだろう。なぜストーンズに関して配慮しなかったんだろうな.......(以下永遠に同じような文句が続く)
まあ正直しょうもないし、どちらのファンもアニヲタたちが持っているような同人文化をルーツに持つSNSや検索に対する共通認識やルールみたいなものがあまりない印象なので、ずっと続くんだろうな。
あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手は応援したい、というジレンマ。
全国的に感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。
wikipediaによると以下。
認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手を軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和の典型例なんじゃないだろうか。
しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。
例としては、うなぎは大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみは規制すべき等も思いつく。
自分の欲求と社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分のなかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。
うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。
うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共的判断は成立しない。
うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法のひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的な制度設計だ。
そう考えると、現代の民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。
個人的には好きではないけど自分が社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。
そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。
近代の民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカの建国者のひとりジェファーソンは、
公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共的課題を自分の欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政に必要な市民の資質だと考え、他方、代表者(議員)に必要な資質をアリストクラシー(自然的貴族)と呼んだ。
しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。
社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき、
ふつうの人々は、自分の内面を整理するために、どちらかの認知に一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知を修正してゆくことになる。
今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。
オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。
社会の規範に合わせて自分に対して一貫性を要求しがちな日本人は特に、自分の欲求を我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。
別の例を挙げれば、60年代にセクト化が加速したサヨクの動きが典型例。
また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知の一貫性を他人に求める一例。
サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。
自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。
党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、
それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。
ますます両極化が進んでいき、相手方の一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやすい立場の人とと
そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。
コロナ対策では人流の抑制が課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。
しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、
次第に言葉の力は失われ、今では行政も政治家も口にしなくなってしまった。
もっとも同時に、自粛警察もあんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。
ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。
思い出すのはベトナム反戦運動。ベトナム反戦真っ盛りの60年代のアメリカでブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たちに
反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全な場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。
コロナ禍でのステイホームのムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。
自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしまう業界。
それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。
オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会の安全と自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。
以上の話は、人々のジレンマを構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、
自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在の自分の社会的立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、
知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性がアピールされているに過ぎない。
しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。
重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、
オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、
そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。
飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。
タレコミも減ってきたという声もきかれる。
こうした寛容さは、行政の飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。
人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。
こうして考えてみると、自粛要請をベースとした日本流の政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすいタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。
自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人のメンタリティと、同じ社会の構成員にも同じ一貫性を要求したがる相互監視のムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルールや判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。
などと、都合のいい解釈で認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、
人々は、ルールへ従うことの意味が不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視は機能せず、自分の生活を変えることなくコロナへの懸念も自分の認知のなかで両立させてゆくだけだ。
しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢の限界をとっくに超えているしで、
人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当な自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。
自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナは心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。
本来の政策というのは、そんな人々の認知(世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。
例えば、自分の考えと相反していても、オリンピックは応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、
あるいは、オリンピックは懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。
「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元で政策を決めるべきではない。
むしろ「個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民の判断を見極めたほうがいい。
しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。
いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。
将来シナリオを示さない。予測や分析を共有しないから、いつも唐突に首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。
タイムマシーンで移動してそれぞれ築30年段階の住心地を絶対値で計測するとして、
築30年っていうと結構古い印象なんだが、同じ築30年でも1970年に建築されたものはそら耐震水準とか建築技術も昭和のもので、音漏れとかも結構酷い印象ある。
でも2010年に建築されたものは築30年であろうと耐震基準とか厳しくなった後のモノだし建築の技術も勿論1970年よりはずっと新しいわけだから老朽化とかも昔よりはマイルドな感じになってるのでは?って気がしてるんだがその辺どうなんだろうか。
俺は10年後に引っ越すときも同じ基準で「築30年かーちょっと古すぎかなぁ」って新卒のとき物件選びしてた感覚で見ていいんだろうか?
このご時世で完全在宅勤務になったし業務以外で最後に人とまともに会話したのが何年前かもよく覚えてない。
LINEや電話もマンションの管理会社とか火災保険の更新催促とか以外で何年鳴ってないかなぁ。
最後に電話を電話らしく使ったのは母が死んだ報告を受けたときくらいか。
ほとんどの奴は来世で俺になんてなりたくないだろ?俺だってこんな俺になりたくなかったよ。
「貴方は幸福ですか?不幸ですか?」みたいなアンケートがあったら間違いなく不幸カンストで回答するね。
2020年はコロナに怯えてたのもありオール引きこもり生活だった。
週末にゴミ出しと買い出しで1回外に出て、次の週末に先週出たゴミのゴミ出しと買い出しで外に出るという週1回のみ外出が許可される完全な自粛生活。
そんなんで去年はほとんど金自体使わなかった。食事は自炊だし趣味もサブスクで映画見るくらいだし生活保護の人達の方がよっぽど金費やしてたと思う。
流石に色んな部分で病みそうだったので2021年はといろいろと目標を建てた
まあ要するに「暮らしを丁寧にする」ってこと。割と実践は出来てると思う。
ちょっと広くなったのと築年数が新しくなって部屋の細かい部分がイケてる感じになった。あとゴミ出しがすげー楽になった。
家電を色統一するために買い直してベッドやらオフィスチェアやら(管理めんどいけど)イカした観葉植物やらレンガ風の壁紙やら買って、いろいろ頭捻ってレイアウトして今は誰が来てもカッコいいねって言われる自信はある。
服もかなり買い直したね。メルカリとか駆使しつつでそこまで高いブランド物買ったわけじゃないけどまあ無難なセットアップを何着も揃える戦法で今までよりは絶対ましになった。
食事については予算を数万ほど上げた。もともと自炊だったからそんなに酷い食生活送ってたわけじゃないけど、
鶏そぼろ丼からビーフストロガノフ、鶏の唐揚げからブリしゃぶくらいになった。安くてうまいものから普通にうまいものアップグレードした感じ。
あと朝食にサラダチキンとかレタスがつくようになったのとか地味に大きいかも。
運動は日光浴びるという目的の散歩及びウォーキングと、まだジムに行くのはご時世的にアレなのでリングフィットアドベンチャーになんとかしてもらってる。
大体1日30分くらい。今のところまだ続いてる。最近のゲームは凄いね。
今年になってから生活は改善したと思うけど、しかしながら結局俺の人生は何も改善してないし人生の問題は何も解決していない。
「絶望的な社会的孤立中の底辺無敵男」が「丁寧な生活を送る絶望的な社会的孤立中の底辺無敵男」になっただけ。
部屋をオシャレにしたってそこに呼ぶ人はいないし、運動したってこの人生の不幸度は何一つ変わらなかったよ。
人生に自分の味方は誰一人いなければ、恋人どころか雑談する相手すらいない。
わかるよ、俺くらい終わってる人間のなり損ないへのアドバイスなんて
「お前は逃れられない、望むものは絶対手に入らない、おとなしく諦めろ、悟りでも開いて足るを知れ」くらいしかないものね。
「保育園落ちた日本死ね」みたいな人間様の悩みとはわけが違う。
終わってるのなんて俺が一番良くわかってる。
でも少しは考えてほしいなぁ。『持ってる側』が『持ってない側』に上から目線で
「貴方が自分らしくいれる価値観にアップデートしよう」とか「持たないことを受け入れる価値観を持てば救われる」「丁寧な暮らしをしよう」
ぶっちゃけこういうアドバイス結構ムカつくんだけど、こういうこと言ってる人たちはそれで俺たちが救われると思ってるのかね?
むしろ他の悩みに置き換えたとしてもこんなクソアドバイスで「なるほどー!」って納得して救われる人間なんて存在するのか?
バズったようなので、私も吐き出してみる。
馬の名前は多少知っていた。
流れてきたことが有り、それを見て実況を
ウマ娘というコンテンツを知ったのは2018年のアニメ1期のころだ。
このアニメにはまった。
サイレンススズカの沈黙の日曜日についても、手に汗を握りながら、
幸いにもそういうことにならずに済んだ。
アニメが終わった後は、pixivの二次創作(主にSS)を漁るのにはまった。
ウマ娘(未実装のウマも含む)がどういう背景を負っていて、どういう気持ち
競馬をあまり知らない私でもわかりやすい言葉で書いている作品が多く、
私の心を躍らせた。
2019年になり、パカちゅーぶとウマよんが細々と続き、リリースの延期が発表されるたびに
ネット上では嘲笑交じりで小さく取り上げられた。そしてアイマスにも関わったウマ娘担当の
石〇Pがサイゲームズを退社していたことが明らかになり、もう開発は絶望的だと思われていた。
2020年になり、コロナ禍が世間を襲い、攻略サイトがニンジンの育て方を載せていることがちょっとだけ
2020年 東京オリンピックに関するアンケート(2017年度版)
https://www.cross-m.co.jp/news/release/20170529/
もとから23%の反対の人がいて、どうでもいい人が24%程度いる。賛成派は半分程度だった模様
- 賛成 or どちらかというと賛成:53.4%
- 反対 or どちらかというと反対:22.9%
- どちらでもない:23.7%
では、賛成派はなぜ賛成しているのか?
東京オリンピックに期待することは以下の通り(賛否に関わらず1000人全員にとっている)
さて、このうち現状でオリンピックを開催して変わらず達成されるものは何だろう
だけど無観客も想定されるので「5. 観客の一体感を味わう」は怪しいし
「1. 景気回復・向上」「3. 海外の人との交流」「4. 各国の文化に触れる」などはまったく期待できない
「6. 交通機関などインフラ面の整備」については既に整備済なのでこれを期待している人はオリンピックの実際の開催有無はもはやどうでもいいだろう
つまり1000人のうち、21%が期待している「レベルの高い競技の観戦」以外はオリンピックが開催されても期待できない
期待することがないオリンピックをいまだに支持するかというと疑問だし
少なくとも開催についてどちらでもないと答えた24%の人達は反対派に回っていてもおかしくない
このアンケートに習ってメディアの各社は開催の賛否を問うのとあわせてオリンピックを開催すべき理由を聞いてみたらいいかもしれない
きっとそこには「競技の感染」といった前向きな意見より「国際的に約束したことだから」とか「違約金の支払いが発生するから」とか後ろ向きなコメントが並ぶのではないか
私も想像は出来ませんでした。
ウマ娘は2015年に発表、2018年にアニメ化、2020年に4コマアニメ化、2021年にゲームリリースされました。
当時コロナで暇をもて余していたので評判のよかったウマ娘のアニメを見てみたところ、とても面白くて、
そこから競馬にハマりゲームリリースが待てなくなってウマ娘の二次創作まで漁り始めました。
その頃のウマ娘はゲームの情報がまだ一切出ておらず2020年リリース予定と出てるだけで世間の評判は「また延期するんでしょ?」という印象だったと感じます。
そのため狭い界隈になっておりウマ娘が本当に好きな人たちが愛のある二次創作を作っていて、私もその中に参加したいと思い二次創作イラストや漫画を描いていました。
適当な落書きレベルでも感想をいただけて非常に嬉しかったです。
その後うまよんのアニメを見たり、9月の生放送でゲームリリース日が出なくて年内は無理だろうと察したり、
11月の生放送でやっとリリース日が出ましたがやはり2021年で少しショックだったり、
その後アニメ2期を見ましたが、感動路線に振り切ってて個人的には合わない作品で残念でした。
期待していた以上のゲームで1年間待ち続けてよかったなあと心底思いました。
こんな良作ゲームが元の狭いウマ娘界隈だけで盛り上がる訳はなく、徐々に人気は高まっていきソシャゲでは今一番人気のゲームと言えるほどになりました。
ゲームがリリースされてからは大人気Twitter絵師さんたちが大量にウマ娘のイラストを描くようになったので、底辺絵師の私の絵など誰も見向きはしなくなりました。
それは仕方ないと思います。ですが他の人の数字を見て自分のものと比較すると気分がよくないので、徐々にTwitterでウマ娘の絵を描くことは減りました。
元々私はVIPで活動をしていた絵描きでTwitterより5chの方がホームの人間です。
理由としては数字を気にせず、自分の好きな絵を描くため。数字を見ると気にしてしまい、自由に描けなくなるからです。
Twitterでウマ娘の話をしなくなってからは5chのスレの方で楽しんでいました。そこで描いたイラストがあり、スレ内でも好評で非常に嬉しかったです。
しかしそのイラストを何度もスレで見かけることがあり、疑問に思って検索したところあるツイートが見つかりました。
私の描いたイラストをアフィリエイトサイトが転載し、そのスクリーンショット画像を転載しているツイートでした。
そのツイートはRT1万いいね3万もついていて、私の今までのイラストでは考えられない数字でした。
私が今までリリース前に上げたウマ娘二次創作は大体いいね100前後。コンテンツの大きさが変わったことを実感します。
それだけ私が考えたイラストが多くの人に受けたという事実は嬉しいです。
でもそれは建前で自分でツイートしておけば、他のウマ娘イラストや漫画も多くの人に見てもらえたのかなあと悔やんでいるところもあります。
数字を気にしたくないからTwitterから逃げて5chに行ったのに、それを転載&転載されることで嫌でも見せつけられる事実に困惑しました。
こうなるとモチベーションは下がります。当分はウマ娘の二次創作を描くことはないと思います。
自分で上げても誰も見てもらえませんし、他人が転載した方がよっぽど反応をもらえるのですから。
ウマ娘自体は変わらず大好きです。ゲームは目茶苦茶やってます。タウラス杯はデバフ盛り盛りネイチャで出るので覚悟してください。
最後にまとめサイトのスクリーンショットをツイートする人には一言だけ言いたいです。
それが5chの人間が作ったものでも作者はいるので、出来たらツイートしないでほしいです。
私はそのツイートさえなければ自分のアカウントで描いたイラストを公開できたのですから。
追記:5chは基本的に匿名の掲示板です。なので作者を名乗って主張したりしたら逆に批判されます。
一生この人のオタクなんだろうな、と思っていた。
そんな事はなかったよ。
8年間の供養の日記。
転機があったのは2020年。
この3つのコンボで、自分は8年続けた声優オタクをやめる事が出来た。
起きる直前に見た夢が悪夢だったときのような感覚で、幸せだったときの事を、もうあまり覚えていない。
自らに厳しく、仕事とプライベートを分けて考えられる人なんだ、好きだなぁ、と思っていた。
が、そんなものは幻影だった。
自分はリアコではなかったが、彼の惚気は心底きつかった。
SNSで尊いと言われているのを見たが、反応しているのは大概DDだった。
それに全く気付いていない彼を見て、失望してしまった。ファンのことなんか何も見てなかったんだなと思った。
ファンはひっそりと減っていった。
彼はゲーム実況を始めていた。
正直言って彼は話がつまらない。気も利かない。ゲームも上手くない。
そんなのはとっくに知っていて、むしろ口下手なところも応援していた。
だが、時代の波に流されて、能力に見合わない仕事に適当に手を出す、
彼のその自己理解の低さと自己プロモーション力の無さにまた失望してしまった。
ファンのことを見ていない割に、視聴者(ファン)に頼った仕事だった。
彼をリスペクト出来る点が、日に日に減っていった。
ファンはどんどんいなくなっていった。
彼を非難する声も多々上がるようになる。
そんな中声を上げているファンがいた。
『彼のやっていることは正しい!応援できないってどういうこと!?他の声優なんかよりもっと魅力的!』
もう一時でも、こんな界隈にいたくなかった。
オタクが故に応援は止められない、対象の魅力がなくなっている事を受容れられない、そんな状況が彼女をそうさせたのだと思った。
私は彼のファンを止めた。
生活の視野が広がった。今までは無意識に、彼以外のことを見ないようにして生きていたんだと思った。
今までだったら絶対にやらなかったことに、挑戦出来るようになった。
8年間のオタク活動、楽しかった思い出が確かにあるはずなのに、今となってはあまり思い出せない。
これが引き際を間違えたオタクの末路なのかもしれない。
追記(2021/05/13 22:43):関係ない方の名前が上がっていたので補足しておきます。ここで言う彼は先日テレビで激辛料理にチャレンジしたそうです。
UAEとクウェートが5月10日、バングラデシュ、スリランカ、パキスタン、ネパールからの入国を12日より制限する措置を発表。
サウジアラビア(4月下旬)に続き、湾岸主要国での入国制限が強化された。
アジア諸国では、タイ、マレーシア、シンガポールは先週、すでに上記国からの入国制限済み。
日本人の視点からすれば、これらの国の制限は、主要航空会社のハブ空港であることから本邦帰国へ向けたトランジットができなくなってきたことを意味する。主要空路ではカタールがまだ残っているが時間の問題だろう。
先週、外務省はインドからの邦人の帰国を呼びかけたが、いよいよ他の南アジア諸国からの邦人帰国が困難になってきた。
例えばバングラデシュからは、カタールとスリランカが両方とも入国制限したらアウトだ。陸路はインド側は閉鎖。ミャンマー側は残されているものの。。。
なお、インド株については、すでに韓国(4/19)、日本(4/22)、香港(4/30)、マレーシア(5/2)、シンガポール(5/3)で確認されている。
さらに今週10日から12日にかけ、アジア各国から続々とインド株の報告が上がった。
タイ、スリランカ、インドネシア、フィリピン、カンボジアの5か国をネット記事で確認することができた。
特に気になるのは、インドネシア。ラマダン明けのイード祭、人の流動を押さえられるかが鍵だ。
中国の援助対象国のアジア・アフリカでは、チャーター機で入国する大量の中国人労働者のコントロールも見過ごせない課題だ。
湾岸諸国、南アジア、東南アジア諸国が相次いで入国制限を取るなか、ここにきて、
いまだにインド、パキスタン、ネパールの3か国に6日間の隔離を義務付けるのみ。
こうした状況下、本日12日、インド株が日本国内で70件確認されたとのこと。
インドの変異ウイルス 国内で70件確認 水際対策万全に 厚労相 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース
件数的には、上記アジア諸国の報道では、多くとも10件(例えばインドネシア)だったので、日本、ぶっちぎり独走状態なんですが。。
政府の分科会の尾身会長は、インドなどからの入国者を国が確保する宿泊施設にとどめる期間について「理想的には、14日間にしたほうがいいと思うが、施設を用意できないとか、住民の協力が必ずしも得られないなどということで6日間と決めていただいた。今後も入国してくる人を少なくすることが求められる」と述べました。
諦め、はや! 何それ?ひょっとしてわざといれてるの?
正直、一刻の猶予もなく、昨年武漢からヨーロッパへ感染が拡大したときと同じ緊張感を思って水際対策をしてもらいたい。
あのときを思い出せ。武漢へチャーター機まで送ったじゃないか。
全体で73か国・地域へ上陸拒否を行った2020年4月初旬を思い出せ。あのときの熱意はどうした。あの頃、覚えいるかな、防護服来て飛行機に乗ったものだ。
五輪延期を決定するまではグダグダしていたくせに、突然、掌を返したように鎖国に走ったじゃないか。
西は湾岸諸国、東はアジアの香港まで、広く出稼ぎ経済圏を往来している人の流動をとめる動きが加速する中、少なくともこれらの諸国からの日本への到達自体が困難になっている状況。
そのような状況が続けば、オリンピックは無理だし、無理してやってはいけないイベントだ。もし仮に、東京オリンピック開催を念頭において(忖度して)、水際対策をわざと緩めにしているのだとすれば許しがたいことだ。
ここ数日、新規感染者数の記録を塗り替える急増。4月下旬以降、市中感染は580件。
現時点で、アジア諸国のどの国も第二のインドになりかねない状況。
ため池は落ちたら助からない、そういう気持ちでの早めの判断が望まれる。
緊張感、気持ち、そういう言葉は嫌いだが、政府がそれで動いてくれるなら、そういう言い方でお願いさせてもらう。
*先ほど入った速報で、日本に入国する前14日以内に、インド、パキスタン、ネパールの3か国に滞在歴のある外国人は、定住者や日本人の配偶者など在留資格を持つ人であっても、14日午前0時から当分の間、特段の事情がないかぎり、入国を拒否する方向で最終調整、とのこと。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210512/k10013026731000.html
在留資格を持つ人も対象ということでかなり踏み込んだもので一歩前進だが、日本人のビジネス往来もやめさせたほうがいいし、インド株確認された国をもっと広く網を張ったほうが良い。昨年2月、トランプが中国からの入国拒否を決め、意気揚々と成果を自慢した直後、ニューヨークで感染爆発そしてロックダウン。それは規制していなかったヨーロッパから持ち込まれたものだったという教訓も思い出してもらいたい。
「10年度」とか書いてあるだろ?
西暦2020年の文書だから西暦2010年ではなく令和10年という理解は一応できるな。一応な。
だがな,そもそもこ西暦と和暦を混在したり,今回のように西暦和暦どっちかの区別すら省略したりするのって,クソバカだと思わないか?
2021年を21年と記載したり令和3年を3年と記載したりする世界で,どうやってまともにデータを管理できるというのか。
このへんを揃えられないようでは日本は永遠にクソ土人国家のままだ。
いやセルフケア能力の差が寿命の差の原因だとしたら2000年当時は未婚の男女とも早死だったのが2020年には女性だけ既婚未婚の差がなくなってるということの理由にはならないんじゃない?
2020年末に大阪に引っ越してきたがニュースで見てた数字の深刻さとは違い、目に見える景色は大変そうではなかった。
団地に住んでるが、ここ数ヶ月で敷地内に入ってくる救急車を3回見た。
少し位置が違ったので、3回とも違う人。そのうち2回は1時間以上動くことないのも見て、今大阪で見てくれる病院がないっていうのを実感した(結局どれくらいで救急車が行ったのかは見届けなかった)
幹線道路近くだからか、非常事態だからかはわからないが救急車は1日何台もサイレンが聞こえる。
子どもの通う小学校の先生方は感染対策をとてもよくやってくださってると感じる。連絡も早い。しかしすぐ隣の市内小学校でも、入学式の形式などが違い、自治体単位でなく学校単位で対策の仕方が違うことを知った。
親たちは目に見える範囲では穏やかに過ごしている。習い事(プールとか体操教室)が緊急事態宣言出ても中止にならないので自主的に休むか、月謝払ってもったいないから危険承知で行くか悩んでた。
保育園では中止になる行事もあったが、選択式でフェイスシールドつけて親も参加の発表会してたり、結構杜撰だと感じた。クラスターが出て休校になる小学校に通う子どもの親が、クラス全体ラインに「自由参加でお花見しよう☆」と連絡を入れてクラス半数の親子が参加してた。自分含めやんわりでも咎めてる人はいなかった。
吉村知事に関しては、自分の周りでその評価を口にする人はいない(という人付き合いしてない、近所のママさんくらいしか会話しない)自分と自分の親は否定的な評価をしている。
買い物は9時から開いてた店が、まん防を受けた時から10時からしか開かなくなってちょっと不便というくらい。でかい公園は体感4割くらい減ったけど子どもは遊んでる。
自分は完全リモートワークで休日も公園行くくらいで外食ゼロだけど、ちょっと調子悪いって時に熱測ると38度前後なのが数日続いたのが今まで2回ほどあった。PCR受けられる気がしないのでどこにも連絡していない…。
そんな感じ。
2020年末に大阪に引っ越してきたがニュースで見てた数字の深刻さとは違い、目に見える景色は大変そうではなかった。
団地に住んでるが、ここ数ヶ月で敷地内に入ってくる救急車を3回見た。
少し位置が違ったので、3回とも違う人。そのうち2回は1時間以上動くことないのも見て、今大阪で見てくれる病院がないっていうのを実感した(結局どれくらいで救急車が行ったのかは見届けなかった)
幹線道路近くだからか、非常事態だからかはわからないが救急車は1日何台もサイレンが聞こえる。
子どもの通う小学校の先生方は感染対策をとてもよくやってくださってると感じる。連絡も早い。しかしすぐ隣の市内小学校でも、入学式の形式などが違い、自治体単位でなく学校単位で対策の仕方が違うことを知った。
親たちは目に見える範囲では穏やかに過ごしている。習い事(プールとか体操教室)が緊急事態宣言出ても中止にならないので自主的に休むか、月謝払ってもったいないから危険承知で行くか悩んでた。
保育園では中止になる行事もあったが、選択式でフェイスシールドつけて親も参加の発表会してたり、結構杜撰だと感じた。クラスターが出て休校になる小学校に通う子どもの親が、クラス全体ラインに「自由参加でお花見しよう☆」と連絡を入れてクラス半数の親子が参加してた。自分含めやんわりでも咎めてる人はいなかった。
吉村知事に関しては、自分の周りでその評価を口にする人はいない(という人付き合いしてない、近所のママさんくらいしか会話しない)自分と自分の親は否定的な評価をしている。
買い物は9時から開いてた店が、まん防を受けた時から10時からしか開かなくなってちょっと不便というくらい。でかい公園は体感4割くらい減ったけど子どもは遊んでる。
自分は完全リモートワークで休日も公園行くくらいで外食ゼロだけど、ちょっと調子悪いって時に熱測ると38度前後なのが数日続いたのが今まで2回ほどあった。PCR受けられる気がしないのでどこにも連絡していない…。
そんな感じ。
https://anond.hatelabo.jp/20200402110034
今も根本的には考えてる事は変わってない。
変異型も入ってきていて、感染者の多数は無症状のキャリアであるということから
多くの人が通勤をしている現状では、いかなる措置も一時的な効果しかないし無駄なあがきとしか思わない。
実際、新規の患者が一番多いのは家庭内感染なので、選手やスタッフを日本国民と接触が最低限しかない様に隔離して開催する分には
五輪をやろうが、やるまいが、そこに大きな違いがあるとは思ってない。だから、どっちでもいい。一番、止めるべきは一般の日本人の移動だ。
その為には、罰則付きのロックダウン以外の有効な手段はない。しかし、今や時は遅くて、めちゃくちゃ効果がある訳ではない。
やるなら、一年前に増田に書いた2020年4月にやってほしかった。
今の緊急事態宣言は、所詮はワクチンを打つ(集団免疫獲得)までの間の時間稼ぎにすぎないのだろうけど、経済的損失とのバランスが取れてないと思う。
ワクチン自体は海外のものを当座は使うにしても、国産の開発は進めたい。EUやアメリカで変異型感染が拡大して輸出規制を強化するかどうかに振り回されるのは困る。
現状ではアンジェスのDNAワクチンが治験500人という状態なので、最終的な承認を得られるまでには数万人必要という事を考えたら
今の感染者数の少なさでは国のサポート抜きでは承認に至るまでは長期の時間がかかる。ウイルスの特性からして、そのうちに日本国内でも変異して
なんかしらの変異型が出回る事は100%確定しているのだから、アンジェス(DNAワクチン)、第一三共(mRNAワクチン)、塩野義(VPLワクチン)と
臨床試験段階にあるワクチンの開発は加速させておくべき。特に臨床試験が十分に出来ない問題は大きい。(まぁ感染拡大すれば自然に解決するけど
日本国内で変異型が誕生する未来に備えて、罰則付きのロックダウンが出来る法的な準備はしておく必要がある。これは不可避でしょう。
通勤している社員がいる以上は無症状キャリアがばらまくウイルスが、完全にゼロになる事はないし、ウイルスが変異するのはだれにも止められない。
家庭内感染して、子供が学校でばらまくし、罰則がないのだから出勤も外出も、どうにも止めようがない。
定額給付は予想通りに貯金に回されて、ほとんど使われなかった。故に今後も必要ないと思う。
その代わり、飲食業界、ホテル業界を潰さないようにすべきだ。もっと雇用を支えている業種への支援を手厚くしてもいいと思う。
5輪関係者をホテルに閉じ込めて、会場や練習場への移送は自衛隊が行うような事をするならホテル業界へのサポートにもなるし
仮にワクチンの入手が十分としても、ワクチンの接種にあたって医師の数が足らない問題は、簡単には解決できない。
日本は一般病床数に対する医師の数が、各国と比べて著しく少ない。病床が多すぎて、医師が過労状態でないと医療が回らないのだ。
一般病床を減らす必要があるし、厚労省はそのつもりでやってたけど、ずいぶんと反発も受けていたし状況は改善されているとは言えない。
自衛隊から医官を狩りだしても100人も出てこないだろうし、インフルエンザの予防接種よりも長期に渡ってワクチン接種のスキームを回す以上は
毎日60万人という接種人数の維持をすれば、一般の患者にしわ寄せがくるのは避けられないだろうね。来年いっぱいくらいまでかかるのでは。
今政治に求めるのは
というところ。まぁ、こんなのはニュースを追って、自分で調べたりする人なら、みんなそう思ってる様な事だし
政府が認識してないはずはないのだけれど、どうにも邪魔されちゃうからね。これほど正解がみえてる局面でも、それを選ばせようとしない連中が国民の中にもいる。
民間の仕事じゃ愚か者は切り捨てることが出来るが、それが許されん政治家って悲惨な仕事だなぁと思う。
shufuo みんな憲法論をわかってない。罰則付きのロックアウトを可能にする立法が先。それが違憲かどうかは最高裁が判断する。違憲なら憲法改正が必要になる。現状は立法不作為。政府がやりたくないだけ。
さすがshufuo(笑
憲法違反だなんだ昨年は言ってたけど、いざロックダウンの重要性が認識され始め、改憲が必要になればこれ。あと、ロックダウンな。
こんなのに賛同してる当たり、はてな民にとって憲法なんて、まず守る必要のないものなんだなぁ。そんな程度のものなら、さっさと改正しよう。
こんにちは、satoviviです。
こちらの記事( https://note.com/mefimefiapple/n/n6b712e954db8 )についてブコメを書いたら、スター連打されたり、レイシストと呼ばれたりしています。
この件について、100文字じゃ返事をできないので増田を書きました。
私のブコメは88cmと8kg氏の記事の「命と健康」の箇所にひっかかったから書いたものです。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93638_1.php?
この近辺で「あれ?」と感じて読み止まった。
記事を読んですぐに変だと感じたのは、記事テーマは「弱者男性差別」なのに、「男性」の話やデータを用いたり、「未婚男性」のデータを用いたりしているという点。
まず「男性=すべて弱者」ではないと思う。この国では政財界に限らず、主要なポジションは男性が多数を占めているのは知っての通りだ。
だって未婚男性の中には、この間ホッテントリに入り、ブコメで弱者じゃないと否定されていた資産持ち増田、Twitterでお金を配る余裕がある人、将棋界の未来を担うだろう彼も入っている。
それから、ここの部分。
あの世に入れられている。という表現だったかな……と思ってるんだけど魚拓取ってなかったので、記憶違いかもしれない。
記憶違いだったとしても「あの世に入れられています」という言葉はひっかかる。
未婚男性はあの世に入れられている。ここには「誰によって」という主語がない。
さらに言えば「では誰に? そして何故?」という部分が非常に気になる。
仮想敵を作ってしまいかねない表現と感じたので、ここについて指摘したのが私のこのブコメだ。
未婚男性の寿命が短いのは、外食やコンビニ弁当などの高炭水化物・高脂肪の食生活や運動不足になりがちなせいという論文が国内外問わず出ていたかと。
誰かに殺されているのではなく、自分で寿命を縮めている状態
内容の正誤については、検索すれば論文も偉い先生のコラムもいくらでも出てくるので割愛。
サラッと概要を読みたい人に勧めるなら、この独身研究科さんのコラムが、グラフもあってわかりやすくていいと思う。
引用元:https://toyokeizai.net/articles/-/333980?page=4
配偶関係別の死因を45~64歳の年齢層で見てみると、有配偶男性と独身男性(未婚・離別)とがまったく正反対の傾向であることがわかります。有配偶男性の死因は、主に白血病を含むがんであるのに対して、独身男性は「糖尿病」「高血圧性疾患」「心疾患」など、主に生活習慣に起因する病気です。これは、独身男性が、外食やコンビニ弁当などによる高炭水化物・高脂肪の食生活や運動不足などに陥りやすいからと考えられます。
かといって、有配偶男性全員が独身男性より普段の食生活や運動などに気を使っているというわけでもないでしょう。有配偶男性は妻によってそこの部分をサポートしてもらえているだけの違いかもしれません。なぜなら、未婚男性と離別男性がほぼ同じ傾向だからです。
88cmと8kg氏の記事は、定義と名称が入り乱れていて混乱する。
窮状を訴えているのなら理解したいけれど、データと主張の筋が私のなかで通らず、うまく読み進められない。
いまもまだ、全部は読んでいない。
私は俗に言う「カモられやすいタイプ」の人間なので、データが出てきたときこそ、すぐに鵜呑みにしない。
熱く訴えているから、苦しい心を吐露しているからという理由でも鵜呑みにしない。そういう制約を設けている。
そうでないと、熱心な宗教家やステキなお鍋を売っている人に無限に騙されていってしまう。
データの精査をひとつひとつしていくことになるから、読もうとすればかなり時間がかかると思う。
だから、それ以降の内容については触れていない。
まとめると、
・「弱者男性」というテーマなのにデータや話が、「男性」「未婚男性」などと混ざってしまっている。
・「未婚男性=弱者男性」とは思えない。なので「未婚男性」のデータで「弱者男性」を論じるのには無理があると指摘する。
・いまのデータでは「未婚男性」が他者によって「あの世に入れられている」という根拠が薄い。
・「未婚男性」の短命さは食生活、運動などの生活習慣によるものではないかとの学術的な指摘が複数ある。
・「殺されている?」「あの世に入れられている?」という表現はおかしいと感じたので、あのブコメを書いた。
chikurou 生活に窮乏している人は自炊する余力がない、野菜など高いって話ではなかったっけ。弱者男性の話題の時だけ自己責任?/その時トップだったsatoviviさんのブコメに対するリアクションです
id:chikurou さんへ。
まず、私が指摘したのは「弱者男性」ではなく、「未婚男性」だという点。
「未婚男性」のなかには、いわゆる「強者男性」も入ってしまっている。
ブコメでも混ざってしまっているので、ここは強調しておきたい。
88cmと8kg氏が掲示したのは「非正規において」男女の給料差は93%とかなり平等という点。
ただ、正社員も含めたデータ(女性の賃金(2020年11月版))で、男女間賃金格差をみると、2019年は男性を100%という基準にした場合、女性は74.3%という数字が出ている。
このことから、「未婚男性」よりも「未婚女性」のほうが賃金が低い可能性すら出てくる。
野菜は高い。
それが短命の主要因なら、もっと未婚女性の死亡年齢も下がるのではないかと。
つまり、貧困や困窮が主要因で、「未婚男性」が短命になっているとは言い切れないのではないか。そう考えています。
nakana79 現トップブコメ、そこからちょっと歩くだけで「黒人の栄養状態は悪い(平均寿命も短い)→黒人は誰かに殺されているのではなく、自分で寿命を縮めている」に辿り着けちゃうよ……
id:nakana79 さんへ。
トップブコメが入れ替わりましたが、たぶん私へのコメントだと思うのでお返事。
「そこからちょっと歩くだけで、黒人は黒人は誰かに殺されているのではなく、自分で寿命を縮めている」に辿り着けちゃうよ」とのことですが、そうはならないと考えている。
まず、統計に代表される数字、データは、思い込み(バイアス)をできるだけ排除するためにある道具ということ。
完璧な道具ではないが、使える道具だ。少なくとも私はそう認識している。
おそらく、nakana79さんはアメリカの黒人差別、および貧困の問題を下敷きに話をしていると思う。(違うならご指摘ください)
ただその話は、日本の「未婚男性」におけるデータとまったく関係がない。
アメリカと日本では、歴史的な経緯も、人種構成も、経済規模も何から何まで違う。
とくに根拠もなく。国の成り立ち、環境要因、遺伝要因、時代的要因の類似性もない。
そんなデータを文脈上の雰囲気で混ぜたら、数字を取る意味がなくなってしまう。
アメリカの黒人差別を含む人種差別は、長年に渡って続いている。
もし日本において類似するものをあげるなら、被差別部落や女性となり、「未婚男性」ではないかと。
日本の「未婚男性」におけるデータと仮説と、アメリカの「黒人」におけるデータと仮説は別物。
そこからちょっと歩く程度で混ざるものではないし、意味なく混ぜてはいけないものと考える。
kumaponta 差別感情は精神の盲点にある様で、自分の差別感情を自分で認識することはできない。それは差別ではないと言う前に主語を黒人や女性や自分に入れ替えてから考えてみよう。
id:kumapontaさんへ。
「未婚男性」のデータにおいて、主語を黒人、女性、自分と入れ替えても、今回の主張は変わらない。
データ上で名称が変わるだけ。主張や仮説、定説が変わるわけがない。
多くのブコメも、おそらく「誰かに殺されているのではなく、自分で寿命を縮めている状態」という表現に引っかかっているのではないかと推察する。
そして、ここが最近のブコメが「差別・レイシスト」「いやそうじゃない」と荒れやすい部分ではないかと思っている。
あくまで私個人は、「誰かに殺されているのではなく、自分で寿命を縮めている状態」という表現は差別ではないと考えている。
理由として根拠のない決めつけや、レッテルが入っていないことをあげる。
書くのも嫌だが、例を出す。
たとえばこれが
「未婚男性は、生活習慣が他の属性より乱れている。誰かに殺されているのではなく、自分で寿命を縮めている状態。だからやつらは劣っている」
「未婚男性は、生活習慣が他の属性より乱れている。誰かに殺されているのではなく、自分で寿命を縮めている状態。そんな連中にまっとうな仕事ができるわけがない」
「未婚男性は、生活習慣が他の属性より乱れている。誰かに殺されているのではなく、自分で寿命を縮めている状態。そういう人たちと一緒にいると怖い」
この差別文に、殺せだの隔離しろだのくっつけたらヘイトスピーチとなる。
ここまできたらもう最悪だ。
それでも日常で気をつけるために、わかりやすい指標をひとつだけあげるなら、それは「比較」からくる優劣が入っているか否かだと思う。
ものごとを「比較」する。数値の差を見る。ただそれだけならいい。
「比較」からくる優劣があるから「劣等感」「優越感」「嫉妬」「蔑み」が生まれ、「恐怖」や「不安」を作り出す。
さきほど、事例として最後の一文をつけ加えたが、これらの大本は全部「比較」からくる優劣だ。
「比較」から生み出された優劣が、データ上の数値が高い、低いのままなら問題ない。
そこから導きだされる仮説。同じ仮説が複数重なった定説も、おそらく差別ではない。これを差別としたら、人に関するどんな研究もできなくなる
しかし、そこに「劣等感」「優越感」「嫉妬」「蔑み」「恐怖」「不安」による根拠のない決めつけやレッテルを貼ったら差別になる。
私はこのように考えているが、どうだろう?
ほかの方の意見もうかがってみたい。
息をするように歴史修正をするネトウヨの不誠実さに呆れ果てる。
2020年3月に自民党が特措法改正にこだわったのは、民主党政権時代に作られた法律をそのまま活用することを嫌って、新型コロナは「新感染症」にあたらないからという謎理論をふりかざしていたから。「今の法律で出来る」という野党の反応は当たり前。
旧民主党政権で成立した特措法は対象疾病として、新型インフルエンザ▽再興型インフルエンザ▽新感染症の三つを規定。新感染症は、既に知られている感染性の疾病とその病状や治療の結果が明らかに異なるもの――と定義され、立憲、国民両党はこの新感染症に当たるとみるからだ。
政府は「原因となる病原体が特定されていることなどから、現行法に適用させることは困難」(首相)とし、主張は平行線だ。与党内からは「いまさら適用するとは言えない。『なぜもっと早く適用しなかったのか』と批判される」(公明党ベテラン)との声も漏れる。
飲食店の休業は罰則なしでも実現できている。外出制限は現状ではできていないが、必要ならやるべきというのはこれも当たり前の話。