はてなキーワード: 饅頭とは
その理屈だと難しい言葉で説明してるだけでなくそのこと自体によって賢く見られたい人に「難しい言葉で説明すると賢く見えるんだ」と思わせる難解な思想書の著者は知性がないだけでなく知性ない人を生み出す元凶ってことになるんだが。
奇しくも彼らの著書がお前みたいな予備校講師の仕事道具でもあるんじゃないか。
矛盾しすぎで草だわ。お前は難しい本を書く人を肯定するのか否定するのかよどっちんだよ
当然個人的にはものものしい言い方とかしてるわりに中身が空疎ってのはだめだと思う。
中身がすかすかと思われないよう表現のレベルも落とすべきだわ。饅頭一個を段ボールに詰めておくってもしょうがないようにな。
だけどあれはいい大人が読むマルクスとか孔子とかも視野に入れて言ってるんだからそれをやさしく説明できずに受け売りするのが馬鹿だって言うなら難しい表現をしてる著者当人たちも当然馬鹿ってことになるしかないよな。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
見るものがある間はな
あと老親に与えるのにもいいぞ
ある程度見るなら絶対あった方がいい
広告見ないで済むし別のアプリ使いながら小さい画面で見れるし聴ける
入ってあげろよ
すんごい増えたよね
俺は今はieさんのだけ入ってる
更新頻度も週1ペースでいい感じだと思う
まあ使うでしょ?
あとaudibleとkindleも入ってるけどこっちはコスパは分からん
ひと月に一度も使わないってことはないけどね
まあやっぱ結構前から賞味期限切れだよねってことで年末にやめた
小山晃弘は頭がいいから他の芸風を開発したらまた読むかもしれない
フェミの人達が暇空に感謝した方がいいのにまだ気づいてないことは、
暇空がアンフェ商売人のたつきもぶっ潰したって言うことなんだよね
まあアンフェの餌だったフェミをぶっ潰すという手段でなんだけど
あ、格闘技が好きならドロップキックはコスパ良いです 個人的にプロレス記事は要らないんだけど
入ってみたいけどまだ入ってねえや
1月入ってみようかな
『このマンガがすごい!2023』の4位になったらしい名作なんだ
月曜にジャンプラで電子版が公開されてたので読んでみたが、めちゃくちゃ面白い!!
そして、続きが読みた過ぎるし、電子版じゃなくて紙の単行本が欲しいわ!ってなったので本屋に行って4巻を買ってしまった
単行本買ったのなんて鬼滅の最終巻以来だよ(ブームの中、最終巻だけ買った)
こんな面白いマンガ、読まずに過ごしていくのは絶対に損だと思うので、プレゼンしていくぞ!
読んだことない人への布教のつもりだから勿論ネタバレには気を付けるけど、面白みの紹介のためには序盤数話分はどうしてもストーリーに踏み込む必要があると思う
そこは申し訳ない
https://shonenjumpplus.com/episode/316190246999430065
…では、いいかい?
「話」と意味は変わらないのだけど、「話」よりも「噺」のほうが「語って聞かせる物語」的なニュアンスが強い漢字となる
現代で「噺」の漢字が使われる場面は「噺家(はなしか)」くらいかなと思う
「噺家」とは物語を語って聞かせる職業の人で、ほぼ落語家と同義語
これは主人公の少女「あかね」の、「あかねに関する物語」という意味と、「あかねの語る落語」という意味のダブルミーニングだと思う
長くなりそうだから章立ててくよ
じゃあ序盤のストーリー、少しだけ要約するよ
志ん太は落語家の階級としては中堅で、最終ランクである「真打」への昇進を目指している
中堅どころなので稼ぎはよろしくなく、妻、つまりあかねの母の稼ぎで家計が成り立っている
父はヒモだとクラスの男児にからかわれてケンカするほど、あかねは活発で気が強く、父を大切に思っている
そしてあかねは家で練習をする父の落語が大好きで、幼いころから父の真似をして、落語に親しんでいた
志ん太は家族のためにも、真打へ昇進するための最終試験に挑むことになる
落語家一門の「阿良川一門」の重鎮たちが揃う中、昇進試験の落語を行ったが、阿良川のトップ、阿良川一生がなんとその日の受験者を全員破門にする
それ以降、志ん太は落語家を続けられなくなり、一般企業に就職し、経済的にはむしろ裕福になった
そしてあかねは高校生になり、父の落語を認めさせるためにも、落語家への道を進んでいく…
というのが第一話
まず、落語マンガではあるのだけど、バトル物かと思うくらい、ライバルやラスボスの描き方がうまい
最後までラスボスがヴェールに包まれてわからないようなマンガも多くあると思うけど、このマンガは第一話からラスボス阿良川一生がはっきりと描かれ、そこに向かってあかねが成長していくような熱い展開となっている
ラスボスを隠すパターンは謎解き感が演出されるのに対して、ラスボスがはっきり序盤で出てくるとそこに到達するときの盛り上がりがすごく熱くなる
父はその後もちゃんと生きているはずだが、マンガではその後単身赴任として描かれず、バトルマンガで言えば「父は阿良川一生に殺された」状態
まあ落語家としては殺されたんだけど
ラスボス阿良川一生と父、またあかねとの因縁がこれ以上なくはっきりしてて、かつ、阿良川一生は落語界最大の重鎮
それに加えて、志ん太の元師匠で、今のあかねの師匠である阿良川志ぐまも、何やら阿良川一生と因縁があるようで?ここははっきり描かれていない伏線になってそう
おそらく中ボスという感じで、あかねと年齢は近いけど、天才的な実力で若くして中堅ポジションに昇格したカリスマ落語家で、阿良川一生の弟子
この辺の演出は本当にバトルマンガ王道物って感じの熱さがあってすごくいい
ジャンプと言えば努力→友情→勝利だけど、あかね噺もそのパターンが組み込まれている
そしてそのサイクルがめちゃくちゃスピーディに展開する!
あかねが壁に当たる→兄弟子のふんわりした助言→あかねの解釈、努力→成長!
だらだら失敗したり、だらだら修行したりしない
何か掴んだ描写があったら、その後の練習は描かず本番に移るので、ダレるタイミングすらない!
こんなにグングン成長していく様子が、読んでて気持ち良くないわけがない!
ここの展開の速さが、このマンガにぐいぐい引き込まれる最大の要因だと思っている
ここまで読むと、王道バトル物をスピーディな展開で飽きさせないだけなのかな、って感じたかもしれない
当然それだけじゃないんだわ
ちょっと専門的になるけど、ここを書きたかったからこの増田を書いているので頑張ってついてきてね
このマンガの最大の魅力は「劇中劇」がふんだんに盛り込まれながらストーリー展開するところだ
「劇中劇」とはなにかというと、「作中作」とか「物語中物語」とかいわれるように、お話の中にさらにお話が入れ子になっている構造を指す
「あかね噺」という物語の中で「饅頭怖い」という落語が語られれば、それは物語の中の物語なわけだ
で、その劇中劇がなんだってんだよ、と思うだろうけど、劇中劇で語られる物語が、外枠の物語とリンクすることで、物語中で語られない意味合いを伏線として提示することもできたり、外枠の物語で登場人物が感じていることを劇中劇の人物がリンクすることで強調したりすることもできる
つまり劇中劇を上手に使えば、本編で深く語らない内容を読者に伝えることができるようになる
「あかね噺」は落語マンガなので当然、物語中に落語を演じる場面が多く出てくる
もちろん知らない人のために、最低限の演目の内容紹介はある
さらっと読むにはそれでじゅうぶん足りているし引っかかりもない
しかし、この劇中劇である落語が分かると、めちゃくちゃマンガの解像度が増すんだ
読者もyoutubeなどで探せばどの落語も全編視聴することができるし、その演目の見せ場や意味も読者はネットで調べて知ることができる
ぜひ、一度マンガを読んだ後、時間がある時に扱われている落語を視聴してもらいたい
そしてもう一度マンガを読んで欲しい
例えば冒頭の場面、あかねの父、志ん太が寄席で演じて、さらに帰宅後にも練習する演目は「大工調べ」という落語だ
これは経済的に貧しくて家賃を滞納した人物が、大家に商売道具である大工道具を取り上げられ、大工の棟梁と一緒に大家に道具を返してくれるよう交渉するという話だ
これは、落語でほとんど稼げない志ん太そのものの立場と重なっているし、商売道具を取り上げられてしまう未来を暗示しているとも読める
(その後最終的には奉行所までいって道具は取り戻すストーリーなので、最終回では大工の棟梁=あかねが父の落語を取り戻す、つまり父の落語(のもっと上の師匠の落語?)を継承するエンドの暗示かもしれない)
日々真面目に働かない亭主がある日、浜で大金を拾ってきて、大酒飲んで寝てしまったので、妻が大金を拾ったのは夢だということにして金を隠し、亭主が真面目に働くように訴える
その日から更生し、財を成したある日、あの時は夢ではなく妻がお金を隠して亭主を騙したことを告白し謝るが、亭主はお前のおかげで身を立て直せたのだと感謝する
そんな人情話だ
これがなかなかすごい
志ん太は芝浜の亭主とは逆で本当にまじめで、家族のために昇進したいと、真面目に芸に取り組んだ試験だったのに、その挑戦は夢と散るという、芝浜のストーリーとは逆の構造を見出せすことができる
しかし、経済的な意味では芝浜と同じで、落語なんて食えないことをやってたのが、夢から覚めてサラリーマンになって稼ぎが増えた、とも言える
この場面の志ん太と、芝浜の対比を考えるだけでいくらでも飲めそうな話になっている
これはこんな話
みんなが何かしら怖いものがあるだろう、と言いあってた時、何も怖いものなんかないと言い張る男がいたので、さらに追及すると、本当はまんじゅうが怖いと言い出した
そして寝込んでしまったので、もっとからかってやろうとみんなでまんじゅうを買い集めて、男の枕元に並べた
起きた男は、怖いーとおびえるふりをしながら美味しくまんじゅうを食べてしまった
怖い怖いと言ったらみんながまんじゅう持ってくるだろうと思っただけで、本当はまんじゅう大好きだった、という話
つまり、怖いものなしの無敵感満載の男が躍動する滑稽話なんだけど、これをあかねが初舞台で堂々とやるわけさ
いやもう、これで終わらずずっとこの調子で色んな落語が出てくる
マンガ読む→落語見る→漫画読み直す→落語見直す→また漫画読み直す、ってサイクルをずっとできる
紙で欲しいね、これは
あとはですね
「三方一両損」って落語があるんだけど、あれ、序盤の掛け合いは面白いんだけど、後半のお奉行様が出てくるところは別に面白くないのよ
それがこのマンガで、真面目過ぎると面白い、みたいに書かれてて、ああ、確かに、そう見ればそうかも、ってなった
おかげでイマイチわかってない落語についてもちょっとわかった気がする
マンガから落語、落語からマンガ、どちらも理解度が増すってめっちゃ得だよね
もう少し魅力を語るならば、落語ってひとりの人物が複数のキャラクターを演じ分ける形態だけど、落語の語りを声色も何もないマンガで見せるわけなので、表情の描き分けなんかも面白い
絵の技術、というか、マンガの技術もしっかりある人じゃないと、このマンガは面白く描けなかっただろうなってのはちょっと思います
作画の馬上鷹将先生、ありがとうございます!
まあそんなわけだ
読んでみて
ツイッター見てたら、白饅頭とかいう人のnoteで「独身40代が狂う」という趣旨で書かれていたらしく、その記事に関するつぶやきがたくさん流れてきた。
わかってる。わかってるんだよ。
わかってるけど、目を伏せてるのに、目の前に突きつけてくるなよ。
突きつけられたら自分は正気じゃないのか、とぐるぐるぐるぐる思考が巡り気が狂いそうになる。
帰りもコンビニかスーパーにしか寄らずに帰宅して、スマホゲームをするかNetflixを見ている。
20代の頃は資格の勉強とかしてみたけど、今はもう軌道が見えていて、何を足掻いてもこの軌道かちょっとずれたところにしか行けないんだ、と希望が持てない。
勉強はした方が良いだろうけど、希望も興味も持てないし、だらだらと流される日々。
このままだとダメだと思ってもやる気も起こらない。きっと、1年後もそう。2年後、3年後も同じ生活をしている。
50歳になったら?60歳になったら?そのとき、自分の周りには何がある?誰がある?
こんなの考え始めたら正気でいられないだろ。
デビッド・ライス氏と白饅頭氏が互いを批判する文章をブログ,SNS上に投稿している。しかし,以前からこの両者の発信する文章を読んできた私としては,両者の主張は根本的なところで対立はしておらずむしろ同じ方向を見据えて書かれているように見えた。
ではなぜ,ライス氏と白饅氏は対立するに至ったのだろうか。結論から書けば,両者は主張の内容は近しいものだが,その主張をどのようにして一般に発信するべきかという点において大きな価値観の相違があった。その相違にばかりに注目し批判を繰り返した結果,現在の不必要な対立を生じさせたと私は考える。
両者は互にレッテルを張り合い,主張をよく確かめずに感情的な言葉を投げ合っているように見える。しかし,ライス氏と白饅頭氏は現代の言論界において重要な役割を担っており,こんなところで格を落とし合っている場合ではない。
実際に両者がブログ,SNSに投稿した文章から,なぜ不毛な対立が生じたのかを見ていこう。
ライス氏は2022年11月2日,自身のブログ「道徳的動物日記」に,『「女性差別的な文化を脱するために」オープンレターについての雑感』というタイトルの記事を投稿した。その中で,氏は白饅頭氏の言説について
“弱者男性論者たちはアカデミシャンではなく、コンプレックスや差別を煽ったうえでnoteやYouTubeで言動を売って稼ぐ「商人」だ」”
と批判した。
弱者男性論者である白饅頭氏がアカデミシャンではないというのは事実だ。彼は学部卒で,大学等には属さず個人で発信を行っている。「商人」というのもやや悪意のある表現ではあるが,noteや書籍を販売しているとい点では間違った表現ではない。
だが,アカデミシャンでないことも「商人」であることも,白饅頭氏の論を誤りだとする根拠にはならないはずだ。ここでライス氏が批判しているのは言説ではなく,白饅頭氏の立場と手法だ。氏の言説が誤りだと主張するならば,具体的に彼の文章を引用するなりして,どこがどう誤りなのかを論理的に説明するべきだろう。
また,ライス氏は2021年4月3日に現代ビジネスに『「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由』という記事を寄稿した。その中で,
“弱者男性論でおこなわれているのは、「女性」(または「フェミニスト」「リベラル」)という属性を仮想敵にして、自分たちのつらさの原因はすべて彼女たちに責任があると主張することで、弱者男性である読者たちの溜飲を下げさせるための議論だ”
と書いた。ここで批判されているのは“溜飲を下げさせるための議論だ”とあるように,弱者男性論の主張する内容ではなくその目的だ。もちろん,その弱者男性論によって留飲を下げている男性も少なからずいるだろう。
しかし,それが決定的に弱者男性論を否定する根拠になるだろうか。卑小な目的で立てられた論であろうと,それが誤りだと証明するには論を構成する根拠や理論についての誤りを指摘するべきだ。
上記のように,ライス氏は弱者男性論を批判しながらも,その批判内容は専ら論者や読者の問題を指摘することに終始し,弱者男性論を構成する根拠や理屈についての矛盾を殆ど指摘していない。
ライス氏は上記の記事の中で,弱者男性論がある程度は妥当であることを認めてすらいる。しかし彼はその妥当性を認めながら,それが社会に与える悪影響のみを強調し,弱者男性論をこき下ろしている。これはややバランス感覚に欠けた主張だと言える。
なぜ彼はこのような一方的な主張をしたのか。それは,彼がネット論客と呼ぶ者たちによる弱者男性論が盛り上がりを見せていたからだ。ライス氏は先ほど引用したように,ネット上で学位を持たない者が政治的な主張をし注目を集めることに対し強い拒否感を持っている。彼からすれば,学位を持たず大学にも属さない者の発信する政治的主張はSNS上でフォロワーに対してアピールするだけのものにすぎず,学術的な裏付けのない稚拙な主張に過ぎないようだ。
たしかに,ネット上で政治的発言をするアカウントの発信する内容は仲間内に向けてのアピールに終始しがちな傾向があることは否めない。
しかし,白饅頭氏の発言のほとんどは客観的な妥当性を意識しているものだ。彼のどの主張にしても,必ず明確な根拠を示しながら筋道を立てた発言を行っている。弱者男性論にしてもそうだ。
SNS上には白饅頭氏と同様にアンチリベラル的な主張をするアカウントが数多く存在し,数万のフォロワーを獲得しているものもいるが,彼ほどの存在感と影響力を有している者は他にいない。それは,白饅頭氏の発言する内容がアンチリベラル層だけでなく,中立・一般層にたいしても説得力を持っていることの証左と言えなくもない。
ライス氏は白饅頭氏のTwitterやnote上での発言を批判している。ライス氏によっては,SNSのような誰でも発言が可能な空間では論理的に正しい意見よりも大衆の感情を煽る意見の方が支持を得やすい。だから白饅頭の主張は誤りであるにも関わらず支持されるのだという。
しかし,白饅頭氏が発言を行っているのはTwitterやnoteのような誰もが発言できるメディアに留まっていない。現代ビジネス,プレジデントオンライン,BLOGOSといった,中立性を保ったある程度格式のあるWEBメディアにおいてもその主張が掲載されている。これは,彼が一般メディアからもある程度の評価を獲得している根拠であり,仲間内に向けて偏った発信ばかりをしているというライス氏の主張を否定するものになる。ちなみに,現代ビジネスにはライス氏も寄稿している。
ライス氏は学術的な背景のある言説を至上のものとし,ネット上での言説を程度の低い物と見なす価値観を持っているようだが,これは偏った価値観だろう。
ネット上では素人の発言が可能だが,それに対して専門家が批判を加えることも可能なのだ。生半可な言説では,素人がネット上で自らの論が正しいと広く認めさせることは,実際のところかなり困難だ。ネット上で政治的主張をするアカウントのほとんどは仲間内で価値観を確認し合うことしかできないのが現実だ。
そんな中で,広い層からの支持を集め,書籍を出版するまでに至った白饅頭氏の言説は,一考に値するものであると判断されるべきだろう。たとえ学位がなくとも。
それに,学術分野での肩書を持つ者の発言が必ずしも正しいとは言い難くなってきているのはライス氏も理解しているはずだ。実際に,彼のブログでは大学に属する研究者の著書や発言の誤りを指摘する記事が多く書かれている。
ライス氏は,ネット論客の主張は仲間内へのアピールばかりで発展性も新規性もないと言うが,学術の世界ではそうでなはいと言えるだろうか。学術界でも,特定のコードに反する内容の主張が正当な理由なしに発表を拒否されるという事例が少なからずあったはずだ。
ライス氏は学術的であることを重要視しているが,それだけを至上のものとし,そうでないものを見下すような態度はそれこそ閉鎖的で彼の指摘するネット論客の悪い特徴と同じだ。
2022年12月20日,白饅頭氏はライス氏のツイートを引用リツイートしこのように書いた。
“社会正義の総本山アカデミ屋を称揚する奴がいうのマッチポンプ感があって草”
たしかに,社会正義を定義しがちなアカデミア出身のライス氏が,社会正義に疑問を呈する内容の本を紹介するというのはやや疑問を生じさせるものかもしれない。
しかしながら,ライス氏は普段からアカデミアの主張する社会正義について無批判だったわけではない。彼のブログを読めばわかることだが,学術的な地位のある人物の著書についても内容に疑問を感じる点があればしっかりと指摘をしている。
ライス氏はアカデミアを重要視こそしているが,かといって盲目的に信奉しているわけでも無い。
“いやだから、君のような人文アカデミア礼賛ネット論客が「露悪的なおもしろさ」とか語るのダブスタもいいとこでしょ。”
白饅頭氏はライス氏を“人文アカデミア礼賛ネット論客”と呼んで揶揄している。これは,ライス氏が人文アカデミアについて批判的な視点を持ち合わせていることを無視した発言だ。
“インテリの本って普通に読みにくくて面白くないという根本的問題があるんだよな。
おもんなくてわかりにくい文章を書いているだけの分際で「高尚なことをやっている」とのぼせ上がっている奴らの商売が破綻するなんて当たり前でしょ。
「本当に頭のいい人は一般の人でもわかりやすく説明する」みたいな論調には与しないまでも、かといって「複雑なものを複雑なまま理解するのが知性だ」みたいなのも、インテリの自惚れが含まれていないわけではないだろう。“
これは名指しこそしていないが,ライス氏の著書に絡めた発言ととることができる。たしかに,ライス氏の著書は硬い文体でやや学術寄りの内容でもあるため,読むために労力を要する。
だが,ライス氏の著書はより厳密な内容で社会について論じたものであるという点から,白饅頭氏の著作よりも優れていると言える。本自体の売り上げで言えば白饅頭氏のほうが圧倒的ではあるが,それは彼の知名度と,内容の易しさによるところが大きいだろう。ライス氏の著書は本人の知名度も低く,厳密で硬い内容であるために気軽に手に取れる本ではないものの,より厳しい視点を持つ読者にとってはライス氏の方が優れたものとなるはずだ。
白饅頭氏は難解な内容について“インテリの自惚れ”と言っているが,これはただの暴言だ。ライス氏の著書が難しい内容となっているのは,学術的な視点からより厳密に理論を展開しようとしているからであり,アカデミア出身としての自負心と責任感によるものだろう。アカデミアを腐したいあまり,不適切な言動をしてしまっている。
“ 世間知らずのインテリくずれがパソコンカタカタで俺に勝つなんて甘い。フォークリフト乗ってから出直せ。”
“世間知らずのインテリくずれ”とは,おそらくライス氏のことだろう。しかし,ライス氏は大学院を卒業した後企業勤めやフリーターをしながらブログを執筆していたため,白饅頭氏の言う世間知らずは根拠のないレッテル張りだ。インテリという言葉には明確な定義がないためはっきりとしたことは言えないが,少なくともライス氏は修士課程を卒業しているという点で学部卒の白饅頭氏よりも学術的な視点でのアドバンテージがあることは確かだろう。インテリくずれという揶揄も,適切な発言とは言い難い。
白饅頭氏はライス氏を頭でっかちで世間知らずな,大衆の苦労など知らない嫌味なインテリなのだと思い込んでいる節があるように見える。
しかし,ライス氏のブログを読めばわかることだが,彼は社会に出て様々な苦労や葛藤に出会い,しっかりと現実を見据えたうえでその経験を活かしながら発言をしている。決して白饅頭氏が言うような,苦労知らずや頭でっかちではない。
白饅頭氏はライス氏のブログや著書に関して,“つまらない”や“わかりづらい”,“売れない”と評している。たしかに,ライス氏の硬い文体は読む人によってはつまらないと感じるかもしれない。だが,社会について論じる以上は厳密かつ真剣な文のほうが望ましいというのも,一般的な考え方ではある。ライス氏の文章はライトな読者層にとってはつまらなく感じるかもしれないが,言説に対してより高い基準を求める読者にとっては大いに満足のいくものであるはずだ。
白饅頭氏はより広く読まれることを目的としだ文章を書くため,その内容を可能な限り平易なものにしている。彼からすれば,ライス氏の文章はわかりづらく自己満足的なものに見えるのかもしれないが,分かり易さを求めることで論理的な強度が低くなることも事実だ。ライス氏の文章は批判的な視点を持った読者に対しても説得力を持つように書かれているため,どうしても文章が複雑化することは避けられないだろう。それをわかりづらいの一言で済ませるのは不当な評価だと言わざるを得ない。
白饅頭氏の著書がライス氏の著書よりも売れているのは確かだが,市場での評価が必ずしも言説の正しさを格付けするものではないはずだ。先程も書いたように,白饅頭氏の本が売れているのは知名度と平易さによるものが大きく,世間で売れる本の殆どがそうだ。
白饅頭氏は読みやすさを重視するあまり,学術的な厳密性を軽視しすぎている。たしかに厳密性を求めた文章は難解で読みにくくなるが,一定レベル以上の読者はそう言って文章を求めるようになるにも確かだ。白饅頭氏の文章は新規の読者を獲得すことには適しているが,高い基準を求める読者からは不満を覚えられる内容だろう。
また,白饅頭氏はアカデミアに対して偏見を抱いているようにも見える。彼の発言を見ると,アカデミアとその出身者はアカデミア内でのコンセンサスに沿った発言しかできないと思っているようだ。
しかし実際には,アカデミアとその出身者には多様な背景と思想をもった人々がおり,時には学会での権威に背くような意見発表されているということは彼が知るべき事実だ。
これまで書いてきたことからわかるように,ライス氏が重視しているのは学術的な姿勢と厳密性だ。一方で白饅頭氏が重視しているのが人気と分かり易さだ。両者が重視しているものは両立が困難であり,それゆえに互いが敵対的な姿勢を取るようになってしまったのだろう。
くだけた表現をするなら,ライス氏は「ガチ」であり白饅頭氏は「エンタメ」だ。どんなコンテンツであっても,ガチとエンタメは対立しがちであると同時に両方が必要とされるものだ。
ここで,格闘技の興行を想像してみよう。コアな格闘技ファンを満足させるためには,当然実力のある選手同士の対戦を見せなければならない。しかし,実力があっても知名度は低いという選手が多い。知名度の低い選手では,新規のファンやライトなファンを呼び込むことができない。そこで,実力はともかく知名度のある選手の試合も組まなければならない。
実力のあるガチの選手と知名度のあるエンタメの選手,共に興行を成り立たせるために必要な存在だ。白饅頭が朝倉未来なら,デビッド・ライスはヴガール・ケラモフだ。
ライス氏のような,学術的な背景から厳密な文章を書ける作家も,白饅頭のような分かり易くて売れる文章を書ける作家も,言論の世界を成り立たせるために必要な存在のはずだ。
両者は現在のリベラルやネット世論に対して同様の疑問を呈することもあり,思想的な共通点もあるように見える。冷静な対話を重ねれば,互いの考えについて理解を示し合うことも可能なはずだ。
ライス氏と白饅頭氏はこれから日本の言論界をリードする存在になり得る作家であり,こんなところで小競り合いをして格を落とし合って欲しくない。
確かにコンテンツを攻撃されたからって不正会計告発で逆襲するのは筋違いなんだけどさ
筋の通った主張同士で闘うフェーズはとっくに過ぎたんだよ。
というよりもフェミがオタクの主張に向き合わなかったからこんなことになっている。
青識や白饅頭がどれだけむかついたとしても、彼らの主張には一定の理がありそれなりに説得力があった。
そして彼らはフェミの主張をしっかり読み込んで解釈したうえで持論を語っていた。
一方フェミは、彼らの主張を読み込んでその理屈の不備を指摘するようなフェアな議論をせず
外見をディスったり取り合う価値がないと貶めたりするばかりだった。
https://gendai.media/articles/-/102974
力の暴走をどうコントロールするのか、虚偽の告発をどう検証するのか、落としどころはどうするのか、告発を受けた者の人権や権利とはどう折り合いをつけるのか――といった論点を含む内部批判のブレーキを「MeToo」はすべて失った。
本事件に対して、共感のおもむくままナイーブに「推定有罪論」に加担してしまった人びとは、草津町長の言うとおり、なんらかの言明を出すべきだろう。それが「法治国家」の仲間に戻るために必要な矜持である。
それらを一切せず「異論や批判を向ける者はみな二次加害者・差別主義者だ!」などと居直ってしまうようであれば、それはもう私たちの社会の秩序とは相容れないものと言わざるを得ず、消え去ってもらうほかない。
あたかも自分は公正な人間であると言いたげな文章だがそれなら疑問がある。
暇空茜は低く見積もっても7割は「法に従った手続き」を取っている。
だが、YouTubeによる情報公開の中に3割ほど推定有罪を前提とした論戦をはっている。そして実際に訴訟を起こされている。
ならば、白饅頭はその暇空茜の推定有罪の部分はちゃんと批判すべきではないか。
これは民事による敗訴がなくても今この場で白饅頭が批判すべきことではないのか。
7割守ってるから草津の件でイキってたリベラルどもよりましだという相対的な擁護はできても、ここまで強気な発言をしている以上もはや白饅頭が暇空茜の言動の一部について厳しい姿勢を取るのは義務ではないか。
誤解のないように最初に書いとくと、俺自身、「現代」の先鋭化した「フェミニズム」「ツイフェミ」には反対だし、個別の論者も言ってることとやってることがちぐはぐ過ぎるしカルト化しているとも思う。ただ、対抗する動きとして出てきたアンチフェミニズムはどうかというと、ここ最近のネット論壇は一見説得力があるけど、どこかおかしい議論を展開する論客が支持を集めているように思う。
特に影響力のある筆頭としては白饅頭氏あたり?アンチフェミニズムにとどまらず女性憎悪を煽るような言説を(有料Note内で)ばらまいてるし、支持者も少なくないぽく見える。小山晃弘氏は女性の立ち位置に幾分理解を示してる分はマシだけど五十歩百歩。他にもその手の論客を挙げればキリがないのだけど、彼らの共通項を一つ上げるなら「疑似科学」や「疑似論理」を用いて巧妙に「だから女性が悪いのだ」「男性は迫害されている」という方向に持って行きたがることに尽きる。たとえば「現代日本では女性の幸福度の方が男性の幸福度よりも高い」ので「男性の方が差別されている」のだ、という一見もっともらしい言説が彼らの間では普及しているけど、全くもって論理的じゃない。
実際問題、幸福度に大きく寄与しそうなファクターとしては孤独でないってことが挙げられると思うのだけど、女性の方がコミュニティを作る性質が強いので男性より幸福度が高いかもしれない、とかいくらでも他の可能性は思いつくのに、女性を仮想敵にする言説ばかりをやたら量産している。あるいは、進化心理学を援用した男女の性差議論もだいぶ怪しい。そりゃ、そういう風に説明しようと思えば説明可能かもしれないが、どう考えても反証可能性がない。
もちろん、他の哺乳類でも男女の能力に性差があるように人間でも男女の性差は色々あるのは間違いないけど、彼らはとかく議論を単純化して女性を悪魔化する方向に持って行きたがる。「女性の他責性は本能的なものだ」みたいにね。それでいて、白饅頭氏も他の論客も不要な分断を埋めようみたいなことを嘯くわけで、分断を煽ってるのは一体誰なんだろうとは思う。下手したら、今のいわゆるツイフェミよりも性質悪い存在になりつつあるんじゃない?くらいには思ってる。