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はてなキーワード: 習俗とは

2022-10-01

素麺の産地と風土記記述の話

素麺といえば、個人的には島原半島のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のもの品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。

最近では、女優満島ひかり南島原市公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。

島原半島素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内小豆島出身の人々がいたこから、彼らが島原半島素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。

史料の有無や民間伝承真実性は、専門家ではないか判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。

中央部にある雲仙普賢岳高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである

この島原半島南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市半島北部東部南部を結ぶ、左右反転のC字形半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である

現在市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかたかである

そうめんの町」という文字建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島南側地帯には、海の近くで小高丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。

別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もないさな神社である境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である確認した。技術革新、すごい。

よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。

配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。

神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺三輪山へ通ず」といったところか。

それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである

しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである肥前風土記』にある、次のような記述を思い出した。

景行天皇が、現在熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。

この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社島原半島分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しか最近自分記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである確認大事

残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。

もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社島原半島分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたか安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由妄想とは魅力的なものということである

さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。

件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前風土記』には記されている。日本古典文学大系注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山神体山信仰類似しているので、面白いである。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。

このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島地名南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島島原市雲仙市南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。

しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰のものは、これからも人々の精神地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。

【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603

2022-07-16

anond:20220716202530

無理はないよ。

入れ墨土器習俗で分かることだけど、明らかに縄文弥生日本習俗の違う集団がある一定の時期に畿内地方勢力をまして、その影響力がどんどん広がっていってることが分かっている。

2022-07-13

anond:20220713035911

現行憲法

20条3項

国及びその機関は、

宗教教育

その他いかなる宗教活動もしてはならない。


自民党改憲草案

国及び地方自治体その他の公共団体は、

特定宗教のための教育

その他の宗教活動をしてはならない。

ただし、社会的儀礼又は習俗行為範囲

超えないものについては、この限りでない。



まり政治的権力を得た統一教会が、合同結婚式社会的儀礼又は習俗行為範囲である閣議決定すれば、公的日本人女性韓国人男性に献上することも可能になるのである

anond:20220713035911

改憲案では宗教について「政治上権力行使してはならない」という文を削除してがっつり行使させる方向だから


そんで「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」の後に文を付け足して

「ただし、社会的儀礼又は習俗行為範囲を超えないものについては、この限りでない」と加える予定

範囲とか曖昧だけど学校教育にも統一理念組み込みたかったわけだ

2022-03-24

anond:20220324143200

せやで

行に線引いて御中にするのと同じような習俗やで

2022-02-16

聖書にも差別的なことはいっぱい書いてあるんだけど「それは当時の文化習俗であって教えの一部ではない」とか言って差別教義否定ちゃうのはちょっとアレだなとよく思う。

教えが誤っていた (あるいは時代にそぐわない) から改善してきたっていうなら話は分かるんだけど、古い時代には (あるいは今でも) 文化習俗宗教はほぼ一体化してて分離できるようなものではないし、現実に神の教えの名目差別は行われていた (いる)。

誤っていることもあるということを認めないと改善されないし、分離し続けていると先鋭化してしまう。

信仰定義なので決めたら誤りもクソもないんだが、何より我々は社会に生きる人間であるので社会常識矛盾したままで独立を貫くことはできんのだ。

2021-09-11

川崎のかなまら祭の危機

川崎奇祭、かなまら祭をご存じだろう。あのピンクチンコ神輿が有名なやつだ。

あのピンクちんこ奉納した会社が潰れてしまった。日本の伝統危機だ。

 

女装クラブエリザベス奉納した神輿だった

あのピンクちんこ神輿は、実は浅草橋新宿にあった女装クラブエリザベス奉納したものだった。神輿だけじゃない、それ以外の玉串料奉納して金山神社を支えていたと思われる。

このエリザベスはアント商事という会社運営していたのだがこの会社が去年廃業してしまった。

 

下着商社だった

アント商事は元々女性下着商社だったのが、どうも通販下着を買う客の中に男性が多いという事に気が付いた。つまり女装需要である。店で買うのが憚れるので通販を使っているのだと。

 

商事はこれはニッチ需要だと見抜いた。ニッチって隙間産業みたいな意味じゃないよ。生態学安定的生存圏って意味だよ。

しかもこのニッチ下着市場だけじゃない、「ドリルを求める客は穴が欲しい」のアレだ。「女装市場」を作り出す事が出来る。

そういう判断1979年エリザベス会館をオープンした。会員制で衣装を預かるロッカーを置き、女装を手ほどき、同じ趣味のお友達とも交流できるってサービスだ。そこで販売するのは当然自社の下着や服。地産地消みたいな商売やね。

 

ここはそのスジでは有名だったが、会員が年齢層結構高め。だから言っちゃ悪いがちょっと汚装っぽい方に寄っていて綺麗系じゃない(綺麗な人もちゃんといた為念)。でも年齢層高めって事は結構お金持ってる。会社で偉い人も多い訳だしな。

 

学生運動70年代から民俗学の隆盛

金山神社の方は性信仰がある神社ではあったのだが、かなり廃れてしまっていた。

んで、日本では1969年に盛り上がった学生運動が消沈した後、70年代中頃から民俗学が盛んになる。大きな物語マルクス主義が萎んだあとに小さな物語日本伝承を探求するのが流行ったわけ。自分探しの旅とか国鉄いい日旅立ちキャンペーンとかもこれに繋がるものだよ。

当時の金山神社宮司民俗学インスパイアされ、自身神社の昔の姿、江戸時代伝統的な祭り再現しようとした。特に性的信仰っていうのは明治以降国家神道の下に抑圧され、その後も恥ずかしいものとして人々から忌避されてきた。でも民俗学的にはそんな忌避ナンセンスだ。

それで大根男性器、女性器、いやそんな言葉忌避はしちゃいけないな。ちんこまんこに削ったご神体を崇め練り歩く祭を毎年開いていた。この表現民俗学表現からあしからず

 

エイズ疫病退散としてのスポンサーリング

1980年代中頃にエイズ禍が起こると、当時は同性愛者の病気と思われていたのでエリザベス界隈は肩身が狭い。客足も遠のいて経営的にも辛い。

そこで景気づけ&疫病退散の願掛けとしてこのお祭にドーンと奉納して盛り上げて来たのだな。そのスジじゃ有名なあの店が裏スジが通ったちんこ神輿寄付ってわけやね。

あの屹立するピンク怪物がいつ作られたかは良く知らない。でもあの神輿オフザケが多分に入ってるのね。どうしても客層におっさんが多かったりして綺麗でお高くとまってる感じにはなり難い。世間に言えない秘密趣味っていう暗さもある。

んだったらぶっちゃけちゃえって感じ。んだから江戸時代習俗復刻みたいな文脈からもぶっとんだピンクちんこを作ってしまった。そしたらそのぶっ飛び具合が群を抜いていて人気が出てしまった。

因みに写真見るとピンクちんこ神輿担いでるのって女装したおっさんたちじゃん。あれがエリザベス関係者です。お客ですな。

 

男の娘ブームに押される

15年ぐらい前から男の娘ブームがあるけど、そうするとメイクルームとかもあちこちに出来てくる。エリザベスの競合ですな。

しか男の娘ブームの方はレベルが高い。そうするとどうしてもエリザの方は汚装っぽく見えて見劣りがしてしまう。

因みにそういうお店の経営者にはエリザ出身者も居る。昔はエリザぐらいしか無かった訳でな。

 

そういう情況エリザベス運営会社のアント商事2020年2月廃業してしまった。コロナ最初期だ。

祭もコロナ自粛

一方、かなまら祭の方は毎年3月開催だがコロナのせいで去年から練り歩きは行われていない。境内での神事で終わりだ。警察道路使用許可出してくれないからな。

 

なので同社廃業ピンクちんこ神輿がどうなるかとか女装おっさんズ担ぎ手はどうなるかとかは不明なままなのだ。まぁ、いきなりピンクちんこが萎れたり無くなったりは無いだろうが、大手の後援者が居なくなるのは痛いかもしれん。

 

って事で、あのピンクちんこが有名な祭の外形は実は日本の伝統じゃなくてスポンサーによって作られた復刻&アレンジされた姿だったのだな。最初に言ってる事と違うな、あとでまとめて謝る。でも中身は民俗学的に線を繋いだもんで偽ものじゃない。

あと、他の男根神輿は健在だからちんこ消失に悲しまなくてもいい。是非来年は祭に来て出店のちんこキャンディーとかを頬張って欲しい。

 

最後にお詫び

なんで女装界隈詳しいのかっていえばワイがニューハーフ崩れだからだ。

最後に、はてな事務局諸兄には民俗学必要とはいえちんこ連呼した事を、またちんこ連呼で男女同権的に偏りがある文章となった事を、表題クリックバイトになった事をお詫びしたい。

どうもすいまんこ

2021-07-28

国民一般的宗教的感情」はしゃーない

[B! 司法] 「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身(望月優大) - 個人 - Yahoo!ニュース

 この件、既にブコメでも言われてるから敢えて書く必要はないかもしれないが、「国民一般的宗教的感情」が持ち出されるのは仕方ないと思う。

 誤解無いように言えば技能実習生だったリンさんに対して下された判決のもの妥当だと言ってるわけではない。「国民一般的宗教的感情」の中身や適用範囲には議論余地があるが、「国民一般的宗教的感情」という概念自体はやむを得ないというお気持ち

2021/7/29 18:30追記

Q. 「国民一般的宗教感情概念自体は仕方ないにしても有罪に導くロジックおかしいのでは?

A. 実際のところ実務的な論点はそっちの方が重要だと思うよ!このエントリ死体遺棄罪の保護法益は「国民一般的宗教感情」としか言えないしそこはしゃーないって話しかしてないからね。「殺人罪保護法益は『人命』です」ってエントリだけじゃ実際の事件に対して殺人傷害致死か過失致死か、正当防衛緊急避難か、手術の失敗みたいな仕方ない事案なのか、責任能力はあるのか、そもそも被疑者犯人なのかetcなんて語れてないというのと同じです。

2023/3/24 20:30追記

ベトナム人元技能実習生に逆転無罪判決 死産児遺棄の罪 最高裁 | NHK | 事件

 最高裁逆転無罪判決が出たようです。かなり珍しい形ではないでしょうか。難しい判断だったか愚考しますが個人的には良かったと思いますNHKのこの記事論点網羅していて良い記事ですね。技能実習生に対する妊娠出産に関しての不適切言動について「出入国在留管理庁が去年初めて……実態調査を行った」レベルなのは今まで行われてなかったのかと愕然とするものがありますが…。

 制度に関する有識者会議現在開かれています。この事件を通して技能実習制度が孕む問題について真剣社会的議論が行われることを切に望みます技能実習制度の抜本的な改革が叫ばれてもう20年以上経ちました。その間に訴訟が起き労働者性が認められ、法が変わり労基法適用されるようになりましたし、外国人技能実習機構という新しい組織がなんかできたりもしました。もちろん状況の改善がなかったとは言いません。しかし一方でずっと同じ問題が指摘され続けてもいます。そろそろこの問題に決着をつけてほしいと願うばかりです。

死体損壊・遺棄罪は宗教項にある

刑法

24章 礼拝所及び墳墓に関する罪

第188条

1 神祠し、仏堂墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。

2 説教礼拝又は葬式妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。

第189条

 墳墓を発掘した者は、二年以下の懲役に処する。

第190条

 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。

第191条

 第百八十九条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。

第192条

 検視を経ないで変死者を葬った者は、十万円以下の罰金又は科料に処する。

 まず刑法の建て付けとして死体遺棄罪を含む死体損壊罪等(190条)は「礼拝所及び墳墓に関する罪」という章の中にあるんだよね。同じ章にある第188条は「礼拝所に対し、公然と不敬」をした人間を罰するもの礼拝所不敬罪)だったり第189条は墳墓の発掘者を罰するもの(墳墓発掘罪)だったりで非常に宗教的な内容。なので190条も宗教的な項目だと見るのはそこまでおかしくない。もちろん猥褻関係の罪のように同じ章でも個人法益保護社会法益の保護と分かれてるものもあるので必ずしもというところではあるんだけど。実際192条は明らかに性質が違うので。

墓地、埋葬等に関する法律

第1条

この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉見地から、支障なく行われることを目的とする。

 関連して墓地埋葬法では宗教的感情理由墓地や埋葬に関わる規制を行うと明示している。

感情保護

 しかし、それでも死体損壊罪等は宗教的側面から逃れられないだろう。と、その前に感情保護法益にできるのかという話をしなければならない。

 確かに刑法において感情保護法益にするのはあまり好ましく思われていない。例えば侮辱罪について保護法益名誉感情とする説もあるが人気はない。刑法は謙抑的でなければならないのに安易感情理由にした規制を認めれば際限なく広がりうるからだ。社会秩序としての「国民一般的宗教的感情」が云々と言った時も何とかして法益の最終地点を社会秩序とか宗教的風俗とかそういうところに落とし込もうという謎の努力垣間見られる。

 しかしはっきり言えば第188-191条は基本的に「宗教的感情」を保護法益とするものだと理解されることが多い。礼拝所不敬罪についての高裁判例を見てみよう。

……思うに、同条は、国民宗教的崇敬ないしは死者に対する尊敬感情を害する行為処罰するものであつて、そのいかなる行為がこれに該当するかは時代によつて同一ではないであろう。しかしながら、今日のわが国の公衆一般感情としては、特に清浄を保つべ場所たる墓所区画内において放尿するがごときはなお明らかに墓所神聖を穢すもの観念されるのであつて、このことからさら推して考えるならば、たとえ現実には放尿しなくとも、放尿するがごとき格好をすること自体、見る者をしてその墓所に対する崇敬の念に著しく相反する感を与えるものといわなければならない。……

東京高判昭和27・8・5

 いや、判例がそう言おうとも礼拝所不敬罪(188条1項)と説教妨害罪(188条2項)についてはあくま宗教的自由保障なんだという意見はありえる。墳墓発掘罪(189条)についても確かにそう言えなくもない。これらは他者宗教的行為に対して害をなしていると言う立論もできなくもないからだ。

 しか果たして死体遺棄損壊他人宗教的行為に害をなしていると言えるのだろうか?やはり死者への崇敬の念という宗教的感情説明せざるを得ないのではないか(通常189条に対してもこう説明される)。

 これはつまりそもそも何故死体はここまで保護されるのだろうかという問題である。何故器物損壊罪では飽き足らず、死体損壊罪を特別規定したのだろうか。感情を持ち出したくないなら死者の生前人格権の延長と見なすという方法はある。それでも権利主体でもない死体法益帰属主体となりえるのかという疑問は湧く。しかもこれだと生前火葬拒否していた人間火葬したら人格権否定として死体損壊罪の構成要件に該当する可能性まで生まれしまう。

 実際のところ死体が敬意を伴って丁重に扱われ慰撫されるのは生きている我々でしかない。死体が傷つけられたのを生命への侮辱と見るのはそれこそ素朴な「宗教的感情」ではないか無宗教を自認する人間の多い日本では宗教的感情と死者への敬虔を別と考えたくもなるかもしれない。ナイーブな気がするが、まあ宗教的でない普遍的感情としてもやはり「感情」が保護法益であることを否定はできていない。「国民一般的感情」としても問題は変わるわけではあるまい。

 まあネットでは「お気持ちカード切ればゲームに勝てる感じだしまネット上の議論なんてそんなものでもいいのだが、現実を見るとそう簡単に割り切れるものでもない。今回は刑事なのでちょっと違うが民事名誉毀損では「名誉感情”」が保護されることになっている。「お気持ち」と法で言う「感情」は同じじゃないと言えるかもしれんが…本当にそうかなあ。実務的にはどういう感情というかお気持ち保護されるべきかみたいな方が喫緊課題なんじゃないかな。ネット上の議論はその辺り無視して話をできるからやりやすいですな。建設的になってるかは知らんけども。でもはてブAPIも非建設的なコメント建設的と認識してる気もするからまあヨシ。

一般的

 「一般的」とか勝手に言うなというのは分かる。ところが刑法判例を見ると「普通人」だの「通常人」だのという言葉もそれなりに見る。

 最高裁様が決めた悪名高き刑法175条「わいせつ概念定義を見てみよう。

……徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの……

最判昭和26・5・10

 「普通人」「正常な」ってなんだよ。そもそも羞恥心みたいな感情を害することを軽々と要件にしていいのか。何らなら「善良な性的道義」もよく分からないが、しかしまあこの定義は脈々と受け継がれている。ただ、正直に言えばこうした罪状はこういう言い方しかできない部分が無いではない。

 もう少し言えば他の罪状でも「通常人」を持ち出すしかない部分はある。例えば過失の認定をするのに危険が発生することを予見できたのか、という思考実験を行わざるをえない時もある。その際に通常人から見て予見可能性はあったのかと考えるのである。そうでなければ、被疑者が「自分には危険は予期できなかった」と言えばそれに反する証拠を提出できなければ全て無罪になってしまう。過失犯は立証困難になり死ぬというわけだ。

 それと実際上の問題としてわいせつ概念や死者への敬虔の発露の方法時代社会によって大きく異なることは留意せねばなるまい。わいせつに関しては女性の胸の扱いとか見ると分かる気がするんだけど、下着姿の女性公然わいせつになったりというのはある時代ある社会ではありえないことだろう。今の日本では実際に逮捕されたりしてるけどね。死者の扱いもやはりその場所その時の習俗に大きく左右されるのは分かるだろう。だからこそ「一般」「普通人」みたいな限定をかけておいてあまりにも硬直的で時代遅れにならないようにしてる部分はある…のかは分からないんだけどたぶんそう。

 ただまあ「一般」も「普通人」も「通常人」も裁判官想像上の産物しかないので注意を向けなければならないのも確かではある。どうしても恣意的になるしそうなると罪刑法定主義からしてどうなんだって話にはなるし。今回の件も宗教的感情という言葉のものよりそういうとこが問題なんじゃないかな。




余談:外国人技能実習生に対する妊娠禁止規定違法です

 これはもう労働法妊娠による不利益取り扱いを禁じていて、その労働法技能実習生適用されるよう法改正した時点で自明ことなんだけど、何故か未だに妊娠禁止とか恋愛禁止とか決められてたりするんだよねえ…。技能実習生に対しては日本労働者と同じ扱いしなくていいと思ってるのか、そういうヤバイ労働環境から日本人が来なくて技能実習生代替せざるをえないのか分からんけど。

 裁判例としては最初期の2013年の地裁判決の内容を紹介しておく。

(事例)

 中国人技能実習生女性中国の送り出し機関妊娠禁止規定を結んでいた。ところが来日食品加工会社で働き始めてから6ヶ月後に妊娠が判明した。

 すると日本の受け入れ団体(監理団体)は妊娠理由強制帰国させるべく抵抗する当該女性を拘束して空港連行した。なおも女性抵抗空港保護される。

 こののち女性流産女性はこのことで記者会見を開いたため会社解雇された。

結論

 ・妊娠禁止規定不適切解雇無効

 ・帰国強制流産には因果関係がある

 ・会社団体は未払い賃金損害賠償を払え

参考:妊娠を理由に帰国迫られ「流産」 元実習生が勝訴した「裁判のポイント」は? - 弁護士ドットコム

 技能実習生に対しては非人道的行為がわりと行われてたりするので法の限界事例みたいなのがしばしば起こる。会社所有の寮にカメラがあって盗撮されてたという事例なんかははてブでも話題になってたが実は日本法体系の間隙を突いた問題なんだよね。迷惑防止条例公共の場限定してることが多いか会社所有の寮みたいな私的空間には適用できず、そういう時に拡張して使われる建造物侵入罪は所有者が被害届を出さないと適用できない。軽犯罪法の窃視の罪にはなりそうだけど、迷惑防止条例拡大解釈した建造物侵入罪でとりあえず対応しておくという実務というかちゃん法整備してないツケ。閉店した後の店とかも公共の場ではなくなるので実は真摯議論する必要がある部分だと思うんだけど、まあこういうことが技能実習制度で分かるというのは平常人間が受けない仕打ち技能実習が受けやすいということでもあるんだろうなあ。違法状態が常態化してるのおかしいですよ。

2021-06-26

韓国は嫌いじゃないけど、アプリ漫画韓国産が増えてきたのはちょっと心配してる。

日本でも通用するように固有名詞とか国特有文化習俗事件等々は出さないようにしてるわけだけど、その分中身が脱色されてつまらなくなってしまっている気がする。

2020-11-03

西暦3019年の東モーリタニアから来たけど君らは肛門で呼吸していないのか

僕らの時代では、鼻や口で呼吸して、頭を上にして足で二足歩行するのはとても野蛮な事とされている。

僕らの時代では、人間は頭を下にして、鼻と口は頑なに隠して、アナルで呼吸したり、「アナルキャッチャー」と呼ばれる高次集合知性に接続するためのインターフェイスアナルに刺したりすることでコミュニケーションを行なっている。それがもっと効率的スマートだと気づいたんだ。

僕は君らの時代の野蛮な習俗研究するために、度々この時代にやってきている。前回は2017年に来た。次は、この2020年だ。

2017年2020年日本習俗の違いは僕の研究にとってとてもエキサイティングなことだ。この年、君らは新しい伝染病を恐れて常にマスクをし始めた。僕は、この行為こそが、後の時代で鼻と口を隠すようになる文化の萌芽になると考えているからだ。

君らは、まだ肛門で呼吸を始めないのか?

このことに疑問を感じたら、二足歩行をやめて、試しに四足歩行になってみるといい。今まで見えなかったこと、感じられなかったことが、感じられるようになるはずだ。

そして君らも僕らに近づくことができる・・・・・・・・。

Fin

2019-09-07

意外に難しい介入の線引き

目黒野田虐待事件のように暴力沙汰の場合には一刻も早い介入が求められる。

しかし、親が我が子にヴィーガン生活を強いていたり、マイノリティ習俗宗教行為を強いていたり、学校教育から遮断しての不登校芸能を強いているような場合虐待と見なして止めるべきなのか、それとも望ましい当事者活動として讃えるべきなのか、傍目には判断がつかないケースもあるだろう。

2019-08-10

貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

というツイートに対して、

https://t.co/3wqZGCqLzd"

所詮個人の(特定集団の、というべきか)感想だし何を言おうが勝手だが、胸の悪くなるような悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪いので、人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人だな、と思った。

という罵倒ブコメを書いたところ(陰険でよくない習慣だ)、

特に胸糞悪くなる様な文章では無いと思うのだけれど、どのあたりがそうなのだろう。もちろん、胸糞悪いというのも、個人感想なら勝手だし、ブコメを書いちゃ駄目な人だとも思わなのだが。

という質問を頂いた(冷静でよい質問だ)。

私の書いたことを反復してやり返されてるあたりに煽りを感じなくもないけど、

上記ツイートを読んで胸が悪くならない人にとっては正当な疑問だと思うので、

説明を試みる。

 

1) 「キッタネ少女像

「キッタネー」なんて言うのは、論評の範囲を外れた軽蔑吐露しかないと思うが、

ここは文頭でもあるし、多少どぎつい表現で書き出して読み手を引っ掛けるのは、

穏当ではないにせよ、表現手法の一つと言っていいと思う。

ぎょっとするけど、まぁ何を言うのか読んでみるか、と思わされるところはある。

ただし問題は、後段で「キッタネー」と思う理由言語化を試みていないところにある。

あえて斟酌するなら、技術の不足や表現杜撰さによって不快を感じた、ということで、

イラストレーターの鋭敏な美的感覚からすればそういうこともあるだろうと思う。

別にイラストレーターじゃなくても言って良いんだけど)

「そんな重いもの表現するのに、そんな適当仕事でいいのか?」という方向で、

表現意図を(賛同しないにせよ)酌んだ上で、その実現における難点を、

実物に即したかたちで(つまり実際に観察した上で)言語化しているのであれば、

「キッタネー」と文頭で言うことぐらいは許されると思う。

でもそれをしないで「キッタネー」とだけ言ってるので、やはり論評とは言えない。

単に政治的文脈に対する不快感を、仮構した芸術的不備に転嫁しているように読める。

ただしこれだけなら「感想」の範囲ではあって、明確な悪意までは感じない。

単にぶっきらぼうで露悪的な言動を好む人なんだな、と思うだけ。

 

2)「かの国のプロパガンダ風習 まるパク!」

天皇写真を燃やし〜」という作品についての論評として書かれているのだが、

ここで「風習」という語を選択するところには、明確な悪意が込められている。

この文脈作品表現引用元を指摘する)で「プロパガンダ」と連結しうる語は、一般的には

手法」、次点で「技術」「様式」、あるいはちょっと意味を拡大して「文化」といったところである

しかしそれらの語を選ばず、あえて非標準的な「風習」という連結語を選ぶことの含意を分析すると、

プロパガンダ」に「風習」という語が含む土俗的、前近代的イメージを付着させ、

かつそれを、発言者揶揄対象としている(おそらく)東アジアの一民族が古来から持つ習俗

と考えていることが見て取れる。

言い換えるなら、特定民族に対して「未開人」「土人」などと呼称するのと同型の差別的認識を、

しっかり内面化し、かつ機会があれば表現するのをためらわないからこそ、

風習」という語が(「手法」や「文化」を押しのけて)ここで選択されているわけである

作品についての論評の一部(引用元の指摘は端的な論評と言える)ということで、

ギリギリ許容されうるのかもしれないが、婉曲的なヘイトスピーチである

婉曲的、は外してもいいかもしれない。

 

3)「低俗ウンザリしかない」

現代アートに求められる」もの(あまり一般的ではないようだけど)を列挙して、

それらが皆無である、という論評のあとに書かれた慨嘆である

これは個人感想であって、自由発言されるべきものだとは思う。

ウンザリしかない」で済むはずのところを、

より辛辣にすべく「低俗な」と付け足すところに、悪意の奔出が感じられるのだが、

低俗ウンザリしかない」と乱暴につなげてしまたことで、

発言者ウンザリすること」自体を「低俗下品で程度が低い)」だと言っている、

とも解釈しうるので、「(作品が)低俗なことにウンザリ」と補うべきだったと思う。

悪意が先走りすぎて言語が崩れている箇所、と言える。

揚げ足を取るみたいだけど、見てて気持ちのいいものではない。

「胸の悪くなる」とまで言ったのは、こういうところである

 

4)「育つのを期待していたんだがなぁ……」

言うまでもなく、展覧会の将来を勝手に先取りして否定して悲観してみせるのは、

現在行われている展覧会あるいは個別表現の評としては、意味のあるものではない。

気に入らないからって勝手に潰すな、ということ。

発言者としても「これは良くないな」と思ったからこそ、自己リプライ要望を書いて、

自分の望むようなものであれば応援したいのに、というポーズを見せているのだと思われる。

それはそれで独善的無礼な話だが。

あと、ドクメンタ瀬戸内芸術祭だって発言者不快に思うような

プロパガンダ解釈しうる展示がまったくないとは思えないけど(なにしろ大きいから)、

それはまた別の問題である。耳に入らなければOKなのかもしれないし。

ただし、勝手によその芸術祭権威を借りてきて論難の武器に使うようなのは

まり責任感のある言動とは言えない。虎の威を借るなんとやらに見える。

名前を出すなら、せめて一つくらいはモデルケースを挙げて論じて欲しいところである

(例えば前回のドクメンタ出展された、佐川一政を扱った

ドキュメンタリー作品……の話は余談に過ぎるのでやめよう)

 

ついでなので、上記ツイート自己リプライで書き足されている部分についても、

悪意を感じる箇所を指摘しておく(埋め込みは省略)。

 

5)「いかれた協賛メディア

別に協賛メディアが展示の内容を指示しているわけではないし、

いかれた」というのは不穏当な表現である

どのメディアを指していってるのか知らないけど。

 

6)「プロパガンダアートに仕込む行為も全く否定しないけど正直

アートとしての魅力は俺には全く響かなかった」

アートとして失敗してると思うなら、プロパガンダとしても効力は薄いと予測できるわけで、

ひっそり敵失を喜んでいればいいんじゃないでしょうか。

そういうわけにもいかないのかな。

 

以上のようなわけで、拙ブコメ

「悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪い」

「人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人」

というのは不当で過剰な個人攻撃だったかも、という視点から検討してみたんだけど、

主に2)の理由によって、撤回するほどでもないな、という結論になりました。

もちろん露悪的な言い方であることは進んで認める。

今後ものを書くときには、ヘイト部分を矯めるよう気をつけたほうがいいと、

老婆心ながら心配申し上げるものである

ツイートは見ないけど作品は楽しみにしています

2019-06-12

anond:20190612134041

そんなひどい。

ぼくは現世の苦しい習俗から人間を解き放つために来た天使なのに。

2018-09-22

anond:20180921163333

>>今回の結婚ルールで言えば「男と女合意ありゃ結婚できる」を憲法OK規定している

<<

正確に言えば「国家は、男と女合意ありゃ結婚できるようにしなきゃダメ」ということになります

から婚姻届を出していない=婚姻制度に従っていない、内縁関係にも配偶者と同等の権利を与えるわけです。

また姪と叔父関係では内縁関係を認めた著名な判例があります

しか婚姻制度に関しては、2の通り、「国家は、自由権平等権等々に立脚して制定しなきゃダメ」と書かれていることから

その他のことについて混ぜ込んではいけないという意味ではありません。

例えば上記判例でも地域の慣習等を踏まえていますし、慣習法法源=法の根拠を求めることは国際法などを見ても自然なことです。

また、法の施行特に民法においては、その社会伝統習俗無視することは法実証主義に反し、法の実学価値を失います

これらのこと、つまり憲法解釈から民法の制定と解釈からも、兄妹婚はダメという社会通念を民法に入れるのは別にいいわけです。

よって兄妹婚を認めて欲しいのならば

「兄妹婚はダメという社会通念はおかしい(平等権に反する)」= 憲法違反だ と言うか

「兄妹婚はダメという社会通念は少なくとも今は存在しない」 と言って政治的民法改正させるかでしょう。

2018-08-27

手を合わせてお辞儀する

アジア以外(ヨーロッパアフリカなど)に旅行に行った際は、ありがとうなどの意味を込めて手を合わせてお辞儀をすることで、"Zen" 的な架空習俗を作り出すことができる。

オリエンタリズム演出してあげるんだ。

2018-07-30

キルギスは「性犯罪に寛容な国」か?

https://www.hochi.co.jp/sports/etc/20180729-OHT1T50097.html

このニュースちょっとした話題になっていた

性犯罪前科のある柔道メダリストが、キルギス柔道連盟総監督就任したそうだ

この件について色々と意見があるのは、まあ分かる

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.hochi.co.jp/sports/etc/20180729-OHT1T50097.html

だが、この記事に付いたブコメは酷い

何が酷いってキルギスという国に対する偏見を、思いっきり垂れ流しているからだ

http://b.hatena.ne.jp/entry/368271209/comment/takekuma415

☆が集まっていたものではこれが酷かった

誘拐婚が今回の件にどう関係しているというのか

キルギス誘拐婚という風習があり、それが社会問題化しているのは俺も知ってる

しかし、だからといって「キルギス性犯罪に寛容な国」などと言える訳ではないだろう

少なくともそれが社会問題化するということは、誘拐婚問題視する人々がいるということではないのか?

俺はキルギスに行ったことは無いし、キルギス人の知り合いすら居ない

からキルギス性犯罪に寛容か否かと問われても、分からないとして言い様がない

多くのはてなユーザーも同じ様なもんだと思う

からこそ断定すべきではない

文化習俗の異なる他者価値観を、限られた情報に基づく推測だけで決めつけるべきではない

2018-07-28

anond:20180728170523

おかしくはないよ。

リバタリアン的な思考だと、結婚恋人関係と同じように習俗のものだけにして、役所申請なんてしなくても個人間の同意だけで成り立つものであればいいとなる。

でも実際には、国に届け出て、受理され、把握・管理されるという形で、国家による干渉を受けている。

要は、「国が定める『家族』のあり方に従ったな。ご褒美に税制優遇してやろう。」ということだ。

子供を作らなくても、とにかく国は国民つがいになってほしい。それが国のためになるから。その意図に従ってあげた当然の報いだよ。

ほとんどの人は自然と異性を好きになるし、結婚するときに国へ届けを出すことを無意識にやる。だから自分のし悪魔契約に気づいていないだけだ。

2018-05-03

anond:20180503082054

からリバタリアンは、究極的には結婚という社会制度それ自体否定する。習俗としての結婚否定しないが。

だれかとつがいになるのに、国家承認や手当など不要。みんな勝手にやってくれ、やらせてくれ、そうあるべきだ、って事になる。

でもそれだと国の立場(なんて側に立つ人間思考が疑問だが)からすると困るから、えてして保守的な考えになって、「ちゃんと男女でつがいになって子を生んでお国の役に立てよ、カネや籍や法的権利をやるからよ」という考えになるわけだ。

2018-04-04

日本は男卑女卑の国だった

日本は男女関係なく、だれもかれも卑しく浅ましく思想に欠けた人間の集まりだった。

では何が尊いものなのか。

自明である

それはキャラクターだ。作られた人格だ。

アイドルなどもそこに含まれる。あるいは、天皇皇后も含めていいだろう。

創作上、想像上の存在のみが尊ばれる。

というより、日本社会に揉まれしまった時点で誰もが薄汚れて卑しい存在になるのだ。

そうではない世界高潔に生きるキャラクター達のみが、尊くいられる。

現実世界にも尊ばれる日本はいるが、そういう人たちは例外なく、習俗とは距離を置いた独自世界観をもち、キャラクターを貫いている人たちだ。

2017-08-19

誕生日を祝うのが当然」というのは偏見

https://anond.hatelabo.jp/20170818192110

  

誕生日を祝うのが当然」っていう意見が多いんだけど、そういう習俗のない家庭もあるんじゃないの?

誕生日をどれくらい大事にしているかって、人それぞれだし、当たり前のことだけれども家庭ごとに価値観が違う。

そのへんを無視して「誕生日=すごく大事なお祝い」みたいに決めつけるのって、ポリコレ的にまずいと思う。

2017-07-07

ここは…2017年の…日本!?

やあ、僕は西暦3019年からタイムトラベルしてきた東モーリタニア人だ。

この時代習俗について教えてくれないか

ちなみに隣にいるこの犬みたいな生き物はアナルキャッチャーといって、その名の通り、鼻の先にはえ触手を飼い主のアナルに突っ込んで、脳を集合知性に接続してくれる優れもの

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170527122912

情報系の習俗は知らないけど、物理学会とかだと予稿集は大会参加者自身オンラインアクセス権を購入しないと見れないよね

学会年会費大会参加費も払ってない人たちが予稿集は見れる、っていうのもそういう意味では不公平感ある

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

2016-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20161015234347

からよ、婚姻関係の前提には「子づくり」がある/なければならないってのは本当なのか、と。証拠出せんのか、と。

日本婚姻制度の沿革を辿ると、もともと習俗として婚姻があったところに、明治期にこれを法制度として認めましょうってしたのが現在婚姻制度でしょ。

民法制定に際しては西欧民法が参考にされた結果、キリスト教の影響を多分に受けている。

さら婚姻形態が多様になる中で、法制度の趣旨時代と共に変化している。

こんなぐちゃぐちゃの過程を経ているのに、婚姻制度の前提として「子づくり」がある/なければならないって断言できる証拠あんのかホントに。

そんなもん出せるのは誰もいないんじゃない?

から制度趣旨からゲイ婚姻を認めないっていう論理はかなりの無理筋なんじゃないの?

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