聖書にも差別的なことはいっぱい書いてあるんだけど「それは当時の文化習俗であって教えの一部ではない」とか言って差別の教義を否定しちゃうのはちょっとアレだなとよく思う。
教えが誤っていた (あるいは時代にそぐわない) から改善してきたっていうなら話は分かるんだけど、古い時代には (あるいは今でも) 文化習俗と宗教はほぼ一体化してて分離できるようなものではないし、現実に神の教えの名目で差別は行われていた (いる)。
誤っていることもあるということを認めないと改善されないし、分離し続けていると先鋭化してしまう。
信仰は定義なので決めたら誤りもクソもないんだが、何より我々は社会に生きる人間であるので社会の常識と矛盾したままで独立を貫くことはできんのだ。
イスラム原理主義みたいに差別的な教義も肯定したらええのに