はてなキーワード: 安全とは
あなたの状況は非常に複雑で困難です。感情的な問題、関係の問題、そして精神的な健康に関連する問題が複合的に絡み合っています。以下はいくつかの観点からのアドバイスですが、プロのサポートが非常に必要です。
あなたと夫の問題は非常に深刻で複雑です。個別のカウンセリングと夫婦カウンセリングが不可欠です。カウンセラーは、感情の整理やコミュニケーションの向上に役立ちます。また、あなたの自傷行為も重要な懸念ですので、専門家のサポートを受けることが非常に重要です。
あなたが夫に対して暴力を振るったことは重要な問題です。どんな状況でも相手に対する暴力は許容できません。カウンセリングセッションで、自分自身の感情と向き合い、暴力をコントロールする方法を学ぶことが大切です。
信頼とコミュニケーションは健全な結婚生活の要です。お互いの立場を尊重し、感情をオープンに話し合うことが、問題の解決に向けた第一歩です。しかし、このプロセスはカウンセリングを通じて行うことが望ましいです。
夫の行動があなたにとって有害である場合、自分自身を守るための措置を検討することも大切です。安全でない状況に直面している場合、サポートを受けるためのリソースを見つけることが必要です。
自分自身を責めすぎず、感情を適切に処理する方法を学ぶことが大切です。カウンセリングを通じて、自分自身に対する健康的な評価を築くのに役立つでしょう。
最も重要なことは、専門家のサポートを受けることです。あなたと夫の関係は修復可能かどうかはわかりませんが、カウンセリングを通じて問題を解決し、適切な方向に進む手助けができるでしょう。あなた自身の安全と精神的な健康が最優先事項であることを忘れないでください。
ドッジボールを禁止するべきなら小学生が格闘技やるのも全面禁止になるべき。
でもそうはなってない。
ドッジボールは軟球を投げつけ合うだけの球技であり、接触のショックは大部分がボールに吸収される。
格闘技と違って人間への直接攻撃は禁止されているので、倒れた選手に必要以上の追撃が入る心配はない。
寝技格闘技なんかだと念入りに相手にトドメをさそうとしてそのまま殺してしまう危険性もあるがドッジボールにそれはない。
一発当たった段階で確実にアウトになるからだ。
ドッジボールは決して安全ではないがドッジボールの100倍危険な競技が野放しになっているのにドッジボールが批判されるのはおかしい。
残暑もようやくその勢いを失いつつある9月半ばの初秋、月曜未明のキックオフは普通だったら観戦するのを躊躇する時間帯だが、幸いにも日本は今日、3連休の最終日だ。
フランスで開幕したラグビーW杯は2週目、日本代表はラグビーの母国、イングランドと対戦する。
このイングランド、対戦成績でいうと、日本は勝てたことがない。
ただ「勝てたことがない」でいうと日本は南アフリカにもアイルランドにも勝ててなかったわけで、それがいつ「勝ったことがある」に変わるかはわからない。
実際、日本はすでに全ての国に警戒されるまで地位を上げてきており、強豪国といえど研究を重ね、策を練って当たるようになってきている。
国際的に認知されている日本の強みといえば、ボールを保持しての素早い展開であり、保持しての攻めは強豪国も手を焼くものだ。
なので、増田としては多くの人が予想する「キックをぶつけてくる」のではなく、イングランドは「保持して渡さない」という戦術を予測した。
まったく主流でない予測だが、保持された方が日本としては対応がないように思えたのだ。
果たしてイングランドはどういった戦術を取ってくるか、そして日本は。
イングランドはアルゼンチンとの初戦、戦慄のキックで全得点を叩き出したジョージ・フォードだけでなく、フロントローもベテランで固めてきた。
もし予想外のことがあっても、素早く修正してくるだろう。
対する日本も通常リザーブ出場が多いラスボス堀江をフッカースタメンに起用。
スタット・ド・ニースのピッチはマイクで拾っているはずの中継の声も聞こえづらいほどの大歓声。
観客もこの1戦が、過去の対戦成績やランキング通りの結果で簡単に予想できるものではないものになると期待しているのかもしれない。
不評を受けて今回から合唱だけでなく伴奏付きに選択できるようになった国歌斉唱は、双方が伴奏アリを選択し、聴き慣れた君が代とゴッド・セイブ・ザ・キングに続いて大一番はキックオフとなった。
イングランドのキックオフで始まった大一番は、開始直後にFBマシレワがインゴールでノックオン。
いきなり危機にさらされた日本は最初のスクラムを見事止め被トライを防いだが、その後イングランドにペナルティを獲得されPG。
その後もフォードのロングキックでエリアを取ってくるイングランド。
増田はイングランドの戦術としてホールドしてくるのもアリかと思ったが、気を衒わず利があるキックをぶつけるのが最善、ということなのだろう。
イングランドが蹴ってエリアを獲得してくるので、FBはキックを処理しなくてはならず、マシレワの今日の仕事は多いのだが、そのマシレワがキック処理後に不運にも右脚を負傷。
早々にレメキと交代となった。
交代カードをあまり早く切ると、その分消耗が早くなったり、戦術の替え場をコントロールできなくなったりするのだが、怪我ではしょうがない。
ただ、マシレワは蹴った後にハムストリングを痛めたように見えたので、次戦以降にどうなるのかが心配だ。
さて大方の予想通りキック主体に攻め入るイングランドに対して日本はというと、こちらは意外と言うか、蹴り返して応戦する。
この蹴り合いは、テリトリーではやや押されている場面があるものの、あまり決定的なゲインを許していない。
「ラスボス」堀江がコントロールするスクラムいまのところは互角に見える。
20分にはフォードのキックをチャージしてイングランド陣内に深く侵入、ペナルティを獲得して松田のキックでスコアを先行した。
その直後の24分、今度はミスを見逃さずキックで深く侵入したイングランドにトライを被るが、対する日本も再びキックを有効活用して深く侵入してPGをかえし、1点差まで詰め寄る。
日本代表は出来過ぎなくらい上手く戦っている。
ほぼ差のないまま後半に入ることができればこの大一番の勝利もうっすらと見えてくる。
なので、前半終了間際にゴールライン側まで大きく押し込まれたシーンはピンチだ。
日本は守りたいところだし、イングランドとすればトライで突き放して気勢を削ぎたい。
前半最後の攻防は41分まで粘った日本からPG獲得、イングランドがわずかだが確実なアドバンテージをもち帰り、4点差での折り返しとなった。
それにしてもイングランドが蹴るのは予想の範囲内だったが、日本がこれだけ蹴るとは、そして蹴り合いとなって僅差で前半を折り返すとは誰が想像したろう。
蹴り合いのゲームはハマれば消耗が少ない。
日本はスタミナを温存して後半に臨むことができる。
前半に予想外の戦術をとり、後半をどう戦うか注目された日本だが、50分を過ぎても流のボックスキックなど、キックで前進。
前半最後の1本を帳消しにする松田のPGで再び1点差まで詰め寄る。
前半よりキックを使う回数は多いくらいだ、大方の予測通りに蹴ってきたイングランドに対して、日本もこの試合では徹底的に蹴るつもりかもしれない。
ゴールライン手前までイングランドが押し込んでから、ジョー・マーラーの金髪モヒカン頭に当たったボールがコートニー・ローズの手元に入り、ノックオンかと日本の選手の脚が止まったなかでこれがトライ。
日本は堀江がスクラムで存在感を見せているが、イングランドのベテランは強運で思わぬアシスト引き寄せ、ラグビーの母国がこの試合初めて1トライ分以上の点差をつける。
ここでノックオンのセルフジャッジをして足を止めた一瞬は、日本にとってのちに響く大きな差となった。
日本代表選手の集中が少しだけ切れたのか、見えない流れがイングランドに渡ったのか、蹴り合いの後のボールを獲得できない日本に対して、ゴールではなくライン側を狙ってもイングランドの名手のキックが冴え渡る。
64分にはフォードのキックパスが長身フレディ・スチュワードにピンポイントで渡り、見るものを感嘆せしめるトライで安全圏の2トライ以上の差をつける。
67分で15点差はこちらに展開を持ってくることができれば追いつけない差ではない、しかしラグビーの母国の選手たちは抜け目なく、挑戦者にチャンスを与えない。
残り時間が減っていく中で、日本は狙うべき現実的なターゲットが逆転から、同点、7点差以内敗戦のボーナスポイントへとズルズルと下がっていく。
78分で自陣で相手ボールのスクラムになってしまえば、15点差から8点をとってボーナスポイントを狙うのももう無理だ。
苦い味のする最後のケーキは相手にボーナスポイントを渡さない被トライ3以下。
しかし、妥協しないイングランドはこれすらも許さず、81分に日本は4トライ目を献上してしまった。
キックに自信をもつイングランドに蹴り合いを挑み、前半を互角に戦った日本だが、勝ち点の上では完敗とも言える結果、どこで、どのように流れがイングランドに渡ったのだろうか?
試合のスタッツを見てみよう。
キャリーメートル数:イングランド 533m -324m 日本 に対して、
キックゲイン:イングランド 1177m - 938m 日本だからお互い蹴ったゲームだった
試合全体のテリトリーはイングランド 61%-39% 日本、ボール支配率はイングランド 66%-34% 日本。
大きく押し込まれていたことを示す数字だが、これらの数字がイングランドに傾いたのはおそらく後半だろう。
ラインアウトはイングランド 成功10/13 - 成功8/12 日本。
イングランドもミスはしていたものの、日本が失った4本を成功できていれば、ここを起点にもっと前進できたかもしれない。
スタッツで取られないところだが、ハイボールの競り合いも日本がクリーンにとれていたところがあまりなく、イングランドが局面で優勢だった印相。
ディティールではこの辺りでイングランドに流れが渡ったように思える。
ノックオンになればスクラムだが、ベテランを起用した日本のスクラムは抜群に安定しており、組み負けてPGを取られるという悪い展開にならなかった。
キックを多用した戦術選択は、このスクラムの自信と、滑る手元でボールを動かすことの不確実性が考慮されたのかもしれない。
戦術の選択についてたらればを言うのは本当におこがましいのだが、ハイボが入らない、ラインアウトが完全に支配できないという状況で、個人的には後半のもう少し早くにボールを保持して、イングランドが前進できる機会を減らすというオプションがあったらどうなっていただろう、という感想はもった。
ただ、試合後の選手のインタビューでは、プランというより、遂行の面での不備を振り返るものが多く、実際にもプランがそこまで破綻した場面はないように見えたので、増田の感想はあくまで素人考えの域をでないだろう。
「落ち込む時間もない。10分ぐらい落ち込んで、次の10日間でサモア戦に向けて準備したい。」
10日後に日本代表とまみえるサモアは23日に先立ってアルゼンチンとも対戦する。
この結果はどちらに転んでもプールDに大きな混沌をもたらしそうだ。
そしてその帰趨ともに、次戦の結果で日本がこの混沌に潜む魔物の犠牲者となるか、他国にとっての死神となるかが決まるだろう。
混戦を抜け出す勝利を掴むことはできるだろうか、日本 vs サモアは29日未明、日本時間4:00にキックオフだ。
答えは簡単で、12年前に大騒ぎしてガイガーカウンター買いあさって測ったけど、
”彼らの予測”に反して自然放射線程度の数値しか出てこないから数か月で飽きちゃったのさ
むしろ測れば測るほど、少なくとも個人で所有できるような計測機じゃ”変わらなかった”という結論しか得られないからさ(大学研究室レベルの計測器なら別かもしれないけどね)
「安全のために死ぬまで測り続けてデータをブログにアップし続けます!」
って宣言したのに1か月もしないうちに音沙汰なくなったブログが山のようにあったよ
数日は数字がぶれるから「ほら放射線量があがった、日本はもうおしまいだ」って自分が正しかったのだという高揚感が得られるけど、データを集めれば集めるほど大数の法則に従って収束していくからね
でもさ、ジャニーズ批判なんてゴリ押しだけだったじゃん。だーれも性被害を絡めて言わなかったじゃん
BBCが報道したから騒いだわけじゃん?ガーシーチャンネルならみんなスルーでしょ?
潮流が変わったからで戦争が終わった時のマスコミとか大多数の「私たちは軍に騙されてたんですぅ」と同じにしか見えなくて勝ち馬に乗って安全圏になったらジャニーズ消えろとか強めのこと言ってる奴には恥を知れよって思う
パウルーッス
本日は日本においてモノレールの日、イタリア料理の日となっております。
この朝礼において一番の叙述トリックといえば、実はこの増田は今は現場で働いていないという点だったりしますが
まぁ単純に供述してくれる人の語る視点とそれを横から見ていた人の語る視点が違うから同じ現場にいたはずなのに表現が食い違っていたりするよくある奴のことです。
人間関係のトラブルなんかもそうですね、当事者同士の話に嘘が混ざり出したりだとか、あえて言ってないことがあったりして、そんなめんどくさいやりとりのど真ん中に置かれるなんてよっぽどミステリーやサスペンスだったりします。
それに振り回されないように、起きた出来事を時系列順に並べたり、箇条書きにしたりして人の思い込みがなるべく入らないようにすることが大事ですね。
そうしてぐちゃぐちゃになったものを解いていくと比較的単純な出来事だったりすることがありますので、それもまたうんざりしますね。
そして、これをまた解決したり、書類に書いたりするのがめんどくさいんですよね。
まぁ、ぼちぼちやっていきましょう、私も書いてて何を書いてるかがわからなくなりました。
いつものことです。
ということで本日は【俯瞰的な視点よいか】でいきたいと思います。
日本のツイフェミが言ってる性加害の話は、安全圏でワガママ言ってるだけ。
アメリカではもっと深刻なレイプ被害などがあるから議論が進む。
そんなに欧米のような国がいいなら、さっさとアメリカにいってきて、半年か1年過ごしてみて、その上で
https://nypost.com/2023/09/04/virginia-school-kept-teen-gender-transition-secret-suit/
バージニア州の高校生が家出し、複数の州で性的人身売買を受けた。その理由の一つは、高校が彼女が男性であると認識している児童の両親に告げず、そのことで執拗ないじめを受けたことが訴訟で主張されている。
現在16歳の祖母であり養母でもあるミシェル・ブレアさんはワシントンのセージ審査官に対し、「彼らは娘を守る権利を盗んだ」と語った。
問題のある幼少期を過ごし、精神的健康上の問題を抱えていたセージさんは、2021年8月10日、14歳でアポマトックス郡高校に通い始め、そこで男性代名詞や男性名で呼び、男性用トイレを使うなど、自分を男性であると認識し始めたという。ミシェルさんが先月バージニア州連邦裁判所に起こした訴訟に対して。
しかし、学校職員はセージさんの男の子になりたいという願望に積極的に関与し、彼女が度重なるいじめを受けていたことを知っていたにもかかわらず、性転換を「意図的に隠蔽」し、手遅れになってセージさんが逃げ出すまで両親を巻き込むことはなかった。その後、彼女は4つの異なる州で数か月間にわたって複数の男にレイプされたと訴訟は主張している。
2021年8月11日、新学期が始まったばかりのある日、セージさんはバスの中で男子生徒たちから悪質ないじめを受け始めた。少年たちに「男の子に見える」と言われ、「男の子が好きになるまでレイプする」と脅され、学校から締め出すと脅迫された。訴状によると、彼女が謝らない限り彼女の髪をバスの窓に押しつけ、どこに住んでいるか知っていると言って撃つと脅したという。
翌日、セージさんは2人の指導カウンセラーと面会し、自分が少年であることを伝え、バス事件について話し合った。しかし、職員らはミケーレさんにいかなる情報も開示していないと裁判所文書は述べている。
訴訟によれば、セージさんはその月を通じて、男子トイレや廊下で男子生徒らに「触られたり、ナイフによる暴力や強姦で脅されたり、廊下の壁に押しつけられたり」していじめられ続けたという。
カウンセラーらは、新学期の最初の12日のうち8日はセージさんと会ったが、ミシェルさんには、子どもの「性の不一致」についてカウンセリングを行っており、「彼女を男性として肯定している」ことは伝えなかった。訴状によると、男子生徒からの既知の脅迫にも関わらず、女子生徒が男子トイレを使用したという。
裁判所文書によると、いじめがあまりにもひどくなったため、他の保護者もいじめについて学校に報告し始めたという。
8月25日になって初めて、カウンセラーはセージが男子トイレを使っていること、そして「安全上の懸念」だけを理由にミケーレさんに伝えたが、それでも親には子供の性自認の変化や、そのせいで彼女が受けたいじめについて伝えていなかった。と提出書類は主張している。
同紙によると、カウンセラーはミシェルさんに「(セージさんの)体に自傷行為の傷があることに気づいた」と語ったという。その同じ日に、ミケーレさんは「ドラコ」という名前が記載された学校の定期券を見つけ、セージさんは自分が男性であることを母親に告げ、彼女が受けた脅迫と感じていた恐怖を打ち明けた、と訴訟は主張している。
訴訟によれば、セージさんはミシェルに対し、カウンセラーが「そうするように指示」していなかったら「男子トイレを使わなかっただろう」と語ったという。
しかし、恐怖に駆られた少女は「精神異常に陥り、逃亡を決意」し、その夜、寝室の窓からこっそり抜け出し、両親に宛てたメモを残した、と訴状は主張している。
訴状によると、メモには「あなたは自分の仕事を果たした。イエスはあなたを愛している」と書かれていたという。
「このまま残ったらどうなるのかが怖い。用心してください。ここには悪い人たちがいます」と彼女は言い、「愛を込めて」と手紙に署名した。
セージさんは「見知らぬ成人男性に誘拐され、レイプされた」後、ワシントンDCに連れて行かれ、他の2人の男たちに残されたまま、やはり薬物を投与され、レイプされたと訴訟は主張している。
その後、この2人の男が彼女をメリーランド州まで車で連れて行き、登録済みの性犯罪者と一緒に彼女を置き去りにし、その男が彼女を強姦し、他人に性的人身売買を行った後、彼女を部屋に閉じ込めた、と訴訟は主張している。
ブレア首相の弁護士バーナデット・ブロイルズ氏は、ボルティモアでセージ氏は最終的に連邦当局によって救出され、「悪夢は終わるはずだった」とワシントン審査紙に語った。
しかし、ボルチモアの国選弁護人アニーサ・カーンが両親がセージ君の新しい性自認を「十分に肯定」していないと主張したため、州がセージ君の監護権を取得したと訴訟は主張している。
セージさんは少年のための少年施設に収容され、「そこで再び性的暴行を受け、薬物にさらされ、医療的および精神的医療を受けられなかった」と訴状は主張している。
セージさんは2021年11月12日にその施設から逃走し、別の小児性愛者に拾われてテキサス州に連れて行かれ、「そこで再びレイプされ、薬物を投与され、飢えと拷問を受けた」と訴訟は主張している。
裁判所文書によると、2022年1月24日に当局がテキサス州でセージさんを救出した後、最終的にセージさんはミシェルさんに返されたという。
彼女に起こった出来事の結果、セージさんは複雑性心的外傷後ストレス障害と診断され、「おそらく残りの人生で治療が必要になるだろう」と訴訟では述べており、セージさんは入院と外来を繰り返していると記されている。帰国してからの治療。
ブレア氏の別の弁護士、メアリー・マカリスター氏はポスト紙に次のように語った。「もしセージさんの両親が彼女の精神状態を十分に把握しており、彼女が最初に自分のアイデンティティに疑問を持ち始めたときに必要なメンタルヘルスカウンセリングを提供する機会を与えていたら、こうしたことはすべて防げたはずだ。」
「むしろ、学区も国選弁護人事務所も、自分たちのほうが親よりもよく知っていると判断したのです。彼らの傲慢さの結果、セージは何度も犠牲になりました。」
遺族は現在、アポマトックス郡教育委員会、スクールカウンセラー2人、カーン氏に対し、不特定の損害賠償を求めて訴訟を起こしている。
肉体捨てただけで別人やで
Gut microbiome composition and diversity are related to human personality traits
腸内細菌は、ストレスや不安、うつ症状や社会的行動などに影響を与えることが示されており、腸内細菌と脳との相互作用は、微生物群-腸-脳軸と呼ばれている
被験者は、自分の人格特性を測定するためにビッグファイブを回答し、自分の腸内細菌の構成や多様性を分析するために便サンプルを提供した
結果は、腸内細菌の構成や多様性が人格特性に関連していることが示された
腸内細菌の多様性が高いほど、神経症傾向が低く、協調性や誠実性が高かく、腸内細菌の種類によっても、人格特性に違いが見られた
例えば、Bacteroides属やPrevotella属などの細菌は、外向性や開放性と正の相関があった
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210810181919
https://web.archive.org/web/20210810225700/https://anond.hatelabo.jp/20210810181919
原著の刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長の中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別が苛烈で激しかった時代や大正デモクラシーの波にのった解放運動の記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。
(まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西にしか無い、関東は関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀や処刑人、農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレの仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端は奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか)
この本はまず信仰の話から始まるんだけど極貧の生活のためか日頃より信仰心が篤いのに死んだら畜生と同じ埋葬方法で墓が作られても墓地の北側の日のあたんねえ所とか、雑で差別的な戒名つけられたり、それでも檀代は一般(部落外)より高い額ふんだくられてたりもうさんざんで、序盤からひどい話ばっかりなんだけどこのあともひどすぎてこれがジャブ程度に思えてくる。長野といえば教育県を掲げているけど部落民は一般と同じ学校に行かせてもらえない、行かせてもらえても徹底的なイジメが待っている、教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する。さらに生活苦ゆえに家の仕事を手伝わなくてはいけないといった理由も加わってまともに学校通った人の方が珍しくて、聞き取り対象の老人のなかにはいまだに文盲の者も少なくない。それから公衆浴場も別々で回り風呂といって運搬が可能なお風呂が部落じゅうを回ったりしてたらしい。ケガレの仕事だけでなく、今でいう巡査や牢屋の見張りのような危険な仕事を押し付けられたり、農家の手が足りないときだけ日雇い従事したり季節労働をやったり等収入が安定しない..
もう要するに公権力が徹底的にそうやって差をつけている。また、同じ人間であると思わせないためか、部落民は睾丸が四つある、あばらが足りない、血の色が違うなどいわれのない身体的特徴をでっちあげられてそれを理由に侮蔑される。今でこそ誰もが馬鹿馬鹿しいとわかるけどこんなことが真剣に信じられていたんである。
それから今でこそ同和事業で部落のインフラが整備されて、見かけは一般と変わらない町並みになり、住民の流出・流入が容易になり、その結果元々部落だったと知らずに引っ越してきてずっと知らない人などたくさんいるけど、明治の末ごろの話だけど比較的裕福だった部落の老人が一般の大通りに家を建てたら村じゅう大騒ぎになって、
村役場が主導して執拗な嫌がらせを開始。果ては物理的に家ぶっ壊されて(!)老人は訴訟をするけど村役場が殺し屋を差し向けてきたり費用の問題などで訴訟断念するしか無かったらしい。役人が殺し屋を雇う???????????????? ???????
明治といえばその初頭に四民平等令、部落解放令がやっと出た時代なのに..この解放令ってやつもうほっとんど意味なくて、差別は続いて、でも以前は免除されていた税金が一般と同じように徴収されるようになっていっそう生活が苦しくなっただけらしい..てかまじ、体制側が一市民に殺し屋を差し向けてくるとかまるでフィクションの話みたいであまりに信じがたくてここ読んだとき一日くらいずっとポカーンとしてた。殺し屋て…殺し屋て..明治の末とかって歴史上からみたらほとんど最近じゃん 最近の話じゃねえか ひでえやばすぎる。どーなってんのよ
どこそこの地域が部落みたいな程度の浅い知識ならネットでちょこっと調べれば出てくるけど、こういう具体的な差別事例ってこんなふうに本でも読んで能動的に調べないとわからないんだよね、、まぁこういう時代からは随分ましになったとはいえいまだに部落の人にたいして暴言吐く人、差別する人はゼロにはなってなくて、全然過去の問題じゃないんですけど、同じ部落の人のなかでも[部落問題を知ってほしい][寝た子を起こさないでほしい、学校なんかで教えるから差別が再生産されるんだ][もう差別なんかないんだからほっとくべきだ]とさまざまに意見が分かれていて人間だから当然と思う。
でも悲惨な歴史にふたをして忘却してしまうと過去の人々の苦しみまで無かったことになってしまわないか?というのと、現代の人間が過去から教訓を得られなくなってしまう、それと苦しみだけでなく部落にも豊かな文化と生活があり、(著者は部落の文化遺産と呼んでいたが)文化そのものも葬られてしまう。そういう理由から、現在の、部落の[ぶ]の字すら言ってはいけないようなタブーの空気はいやだなと思うので積極的に気軽に部落の話をするようにしてる。
でも後述するけどこのタブー化が差別の緩和に繋がったわけで、でもそれを加味してもやはりもうそろそろタブ一の段階は終わっていいだろうと思う。
私は部落民ではない女性なんで女性差別にしか興味がありません。主にどうして被差別部落がここまで差別を打破できたかの部分に興味があって調べておりその歴史に女性が差別に対抗するすべを学べないかとそう思い何年も前からあれこれ勉強しています。
はっきり申し上げておきますと部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈な差別事例を知った上で言うことです。その理由のひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性が女性であることから逃げる手段は自殺しかありません。
(当然、無徴ゆえにだれも[被差別部落][部落民]とはなんなのかをはっきりと定義できないゆえに権力側に恣意的に身分を決められていた歴史もあるでしょう。それも知っています。でも、なお..なのです。ちなみに、部落民とは一般と先祖やルーツが違う別人種なのではと思う人もいるでしょうが、一般人でも部落民になったりするし、どうもそのへんあいまいというかはっきりしていないようです。本書には、とある部落民にむかって自分たちは先祖が同じだ]と言った一般民がいたという証言もあります。差別の根拠など全くないのです。さらに言うなら死にまつわる仕事がケガレというのも恐らく権力が恣意的に決めたことがし、ケガレの仕事ではない、たとえば内職などしかしない部落民も沢山あってケガレともイコールで結びつかないのです。)現在進行形でさ女は毎日女ってだけでなぐられ殺され犯されおとしめられてんだよ
家から一歩出るだけで醜いおっさんがジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ
女性の参政権だってGHQの鶴の一声であって日本の男はんなもん女に与えてくれたこと無いんですわ
すいません話それました!
国を動かしての解放令発布でもやむことがなかった差別が現在ここまで緩和されもはや部落問題を全く知らない人も多くなった、その主たる理由はやはり水平社(のちの部落解放同盟)の強硬な、時には暴力的な闘争姿勢によるものだったのではと思います。著者の柴田いわく、長野のなかでも東信地方は寒風が吹きつけてひどく底冷えがする地域で、昔から気骨のある男、気性の荒い男が多く、それが東信で水平運動がさかんだった理由ではないかと分析しています。逆に寒さがゆるやかな地域では[寝た子を起こすな]の論調が強かったり水平社よりも穏健だった同仁会がさかんだったらしい。でも同仁会も交渉の場では「水平社の連中よぶぞ]が殺し文句だったらしく虎の威を借りてたとか..そして水平社と同仁会、歴史に名を残したのはどちらかというともうこれは言うまでもありません。ふだんから竹槍の戦闘訓練も行い、武力闘争も召さなかった水平運動こそ歴史を変えた。彼らが起こした暴力事件の仔細はネットでも簡単に読めます。部落民は乱暴だ、奴らは犯罪者だといった風評も辞さない徹底的な闘争で、部落は怒らせると怖いと、部落がなんなのかよく知らない人すら何となく感じて、アンタッチャブルな話題だと感じる。タブーだと思う。その空気を牽引したのがテレビ等マスメディアの徹底的な自主規制でしょう。部落解放同盟ににらまれたら厄介だという理由で前述のように部落のぶの字も出さない、触らぬ神にたたりなし。先日もエタヒニンと発音しただけのアイドルが活動自粛に追い込まれたけどそういう過剰なまでの自主規制が、差別の存在そのものを透明化した。長い間メディアは頼まれてもないのに四本指の表現すら自主規制していた。
そのような、暴力や脅迫で勝ち取った自由の歴史を勉強していると、心底彼らがうらやましく、やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかなと思ってしまう。なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現は自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります。
しかしながら水平運動に加わった男たちがそこまで暴れることができたのも男という性別ゆえかなと、同時に諦念を抱きます。
女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的なものか、それとも後天的なものか、両方だろうか?とにかくフェミニストを自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争が可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません..
この本書のなかにはある村の一般の村長が出てきます。彼は比較的リベラルで、部落の子でも学校に入学できるようはからったとのこと。そのせいで彼は妻の実家の敷居をまたぐことを拒否されるなど反発され、水平社の者も彼のそのような行いを知っててもそれでもダメな所は徹底的に糾弾したので、「両方から突き上げ食らってもうさんざんだ]といったことを自嘲してるんですけど女性たちも同じように全く糾弾の手を緩めないってことが可能かと考えると難しい。
痴漢の手に安全ピンぶっさそうという(本来痴漢は殺されてもいいくらいなのだから穏当すぎるくらいなのに)呼び掛けにすらいい子ぶりっこがそういうのよくないよとたしなめるしまつ。
繰り返すけど殺されてもいいのに。
やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?
この本の巻末、作者の生前の夫だった人による復刊によせての解説で言及されてた2014年の長野県連続差別事件がやばい。部落民の女性に対して、真ん前に引っ越してきた男が差別語連発で罵倒するのをやめない。裁判所から禁止令が出てもやめない。逮捕されても執行猶予で、けっきょく彼が万引きという別件で再逮捕され収監されるまでの2年間なにも解決しなかったそうです。
昔も今も権力なんてなんのあてにもならないどころか被差別階級にとっては敵でしかないんじゃないのとますます不信感がつのります。2014年とか最近じゃん昨日じゃんか
みんな本気で、ハッシュタグ(笑)だのツイッターデモ(笑)なんかで女の現状が救われるとおもってんのかな..こんなのなんにもならんってうすうす気づいてるんじゃないかな。男に殺される女が一人でも減るかそんなんでって思う。やってる感だけ得られたらいいんすか? けっきょくレベルを上げて物理で殴るしか無いんじゃないのか。それもわたし一人がやったところで社会的にインパクトないから組織だってやるしかないけど、以下ループ
水平運動の男たちは献身的に支えてくれる妻がいてそれで運動なりたってた部分でかいと思うけど女には妻おらんのですよな~
暴力ができないならせめて男がみんな自分に正直にホモ願望を解放してホモセックスし、抑圧している内的女性を現実の女性に投影するのをやめればミソジニー無くなって平和になると思うんですけど、でこう書けばホモは差別語だから差別はいけませんとかほざくぶりっこがフェミニズムの邪魔をしてくるのでもうどうしようも無いです! バーカ!ちんこ—
それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシューで在日朝鮮人を差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きます。イシューを抱え込まないことがやはり運動の成功の秘訣のひとつであったのかと感じますが女性は女性というだけでやはりシングルイシューではいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバーカ死ねでございます。女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお
ところでこの本の作者柴田道子は童話作家で部落民じゃない一般です。長野市に引っ越してきて被差別部落と接触し、興味を持ち、この本を上梓したあとは狭山事件の被告のサポートに尽力、当該事件の本を執筆中わずか41歳の若さで急死したとか。
解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったから部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分が当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!何が正しいか間違っているのか、どう思うべきか、どう行動すべきかって本当は一切なにもないのかもしれない。なのでフェミニストならこうすべきだ、こう思うべきだ、こう感じるべきだみたいな考えに固執している人はちょっと考え直したほうがいいな、正しいか間違ってるかなんて時代によって基準がぐにゃんぐにゃんで明日にでも真逆になるけど、なんか結果だけ見て、他人がジャッジしてもシャーナイつか、結局ね、なにかに汗かいて真剣にがんばったりさえして、懸命に生きさえすれば、それはもう…だれにも、文句は..まあいいや
エリザベーッス
本日はオゾン層保護のための国際デー、日本においてはハイビジョンの日、競馬の日、日本中央競馬会発足記念日、牛とろの日、アイドルコピーダンスの日となっております。
自分が常に稼げる金額がいくらぐらいか見極めて、そこから使える金額の何分の一かしか使っちゃダメです。
それ以上はしんどくなります。
まぁわかってても雪だるま式で浪費する金額は増えていくんですけどね。
そう考えるとゲートウェイじみてるなぁと思わなくもないです。
やるな、とは言わないです。
やるにしても趣味程度にしましょう、というギリギリな感じの回答です。
つまり、しなけりゃそれが一番いいよねって話ですね。
ということで本日は【やることの確認よいか】でいきたいと思います。
毎年、大会前から話題になり、大会が終わると忘れ去られる猛暑の中での野球大会。
いい加減ドーム球場で開催するべきである、というのは自明である。
地球は温暖化する傾向にあり、去年より今年、今年より来年と気温はヒートアップしていく。
いずれは限界がやってきて、死亡事故が起こるのも時間の問題である。
いや、事故と呼ぶべきなのか?
もしも米国なら訴訟リスクを回避するため大会実行委員会が早期に対策を行っているはずである。
(訴訟社会を揶揄されることが多い米国だが、こういう実行面で優れているのは否めない。)
もう伝統は忘れよう。
時代が変わったのだ。
「自宅マンションのエレベーターに乗ったら、乗り合わせた女性が傘で全階のボタンを押して自分の降りる階を分からなくしていた」
論調としては「女性が警戒をするのは仕方ないだろう」「どうせ男が怖い顔してたんだろ」「何故女性の警戒を男が嫌がるのか分からない」
といったもの。
がしかし、この様な過剰な警戒って、本当に女に加害してきそうな人にはやらないよね、恐らく。
だって、これ「警戒」じゃなくて「威嚇」でしょ。
つまり先のエレベーター傘女の行為みたいな「警戒」は、警戒じゃないんだから
エレ傘女の行為についての批判に対し「警戒はおかしい、警戒はするなって酷い!これだから男は!」
「警戒」では無い「威嚇」に対しての批判なのにね。
弱者を気取って他者を威嚇して攻撃するような奴に対しての「警戒」まで否定されるべきなのだろうか?
実際の所、マジで「この女やばい」と思ったら、99%の人は空気に徹すると思う。
ハッキリ言ってまともな男ほど、元から女性を加害する意図も無いのに一方的に「攻撃」されて、ただ傷つき不快になるだけ。
まあ舌打ちぐらいはされるかもしれないけど、警戒ウーマンからしたら「加害しようと思った男を撃退した!やっぱり私の警戒が正しかったんだ!」と認知の歪みを強めるだけだろう。
しかし、「警戒」を自称する「威嚇」は、女性から男性に対するセクハラ・モラハラなんだと思う。
ということを知らしめるためのアピールであって、警戒とは真逆の何か、攻撃的な加害行為に過ぎない。
エレ傘女及び予備軍がやる「警戒」は、ネットでたまに見かける非モテの「女はみんな金目当てー!!」というキモアピールと同様の行為でしかない。
そんな男に近づく人間はおらずまともに相手にされない様に、本来であればエレ傘女も社会的に受け入れられるべきでは無いのだろう。
その悪意によって他者を傷つけている自覚すら持たない女性経達の強烈な悪意・敵意が怖い……
<追記>
誰も「警戒」自体をするなとは言ってないし当然自分もするなとは全く思わない。こちらもしてるからお互い様だ。
しかし何故ここまでじ女性は「加害者の顔」をする事すら許せなくて他責に走るのだろう?まさに女性特有の現象だと考えられる。
案の定「女は性被害が怖くてこれだけ自衛しているというのに!!これだから男は!!」という、被害者感情が敏感過ぎて加害者感覚が麻痺している人達が湧いてたけど
こういう人達って「男は警戒・自衛なんてしていない!」とか思っているのかな?きっと思い込んでいるんだろうね…じゃないとすぐに男ガーとはならないでしょ。
ハッキリ言って男もメチャクチャ警戒している。男に対しても女に対しても。妻にも「そんな警戒しているとは思わなかった」と驚かられたぐらいだ。
物盗りは常に警戒していて例え電車で居眠りする様な時でも貴重品は手元から離さない。何かされたらすぐ気づく様にしている。
財布もポケットに入れたら落とすか盗られると思ってるから鞄にin。傘も盗られるのを警戒して可能な限り店内に持ち込む。
外を見たら手癖の悪いヤツ、魔が差してやってしまうヤツは絶対にいるから、隙は見せない。
女性に対しては冤罪や冤罪詐欺に巻き込まれるのを常に警戒している。
電車通勤は常に緊張状態で両手を上に上げるかスマホを持って「手は空いてないですよ」アピール。
特に若い女性が近くに寄ってくると本当に嫌だった。混雑状態で一切接触しない事の方が難しいと思うが被害者感情が敏感過ぎる人間はそんな簡単な事が考えられないと思っているから
恐怖の象徴でしか無い。コロナでリモートワークになったのは本当に嬉しかった。
夜道もなるべく一人では出歩かないし先に女性がいたら近くに店があれば入って軽く時間を潰す、追い抜けそうなら急いでいるフリして追い抜くか、その場でスマホ弄ったりする事もある。
万が一何かの言われもない被害を訴えられたら、家庭のある身としては自分だけでなく家族の人生まで迷惑がかかる。それが最大の恐怖だろう。
町中でも薄着女性による「見せつけセクハラ」をされる時がありそれも怖い。エスカレーターとかに乗り合わせてしまった時は本当に視線に困る。
(こういう事を書くと「どうせ(若い)女性に興味があるんだろ!?」などというセクハラをされがちだが、そういった「男はそこらの女全員に好意・性欲を抱いている」という傲慢な勘違いは本当に不愉快であり、
セクハラを超えた性加害とすら思う。一般的にそこらの異性なんてのは「異性」という人生のモブに過ぎず、そこに下世話な感情を抱く余地は無い。)
この様に男も女に対し警戒はしているのだが……大多数のまともな人間は「警戒」アピールを過剰にする事で「威嚇」「攻撃」しないという、身も蓋も無い現実がある。
一々「俺、女に警戒してます!してます!してますからぁぁ!!」って、アピールしないでしょ?普通にキモいし。ただのヤバい脳みそチンコ扱いされるだけ。
こういう時でも無い限り「どれだけ警戒しているか」なんてアピールしません。ましてや積極的に攻撃したり警戒心を顕にして「威嚇」「攻撃」なんてしません。まともな人間ならね。
自分自身と大切な人達の生活と社会的生命を守る為の最低限の警戒は「やってて当然」の話なのよ。
その上で、過剰な警戒は威嚇に過ぎず大多数の関係ない人達を不快にさせるだけで肝心のヤバい奴に対しては全く効果が無いから意味ありませんよ?
不特定多数の一般人に攻撃する前に考え直したらどうですか?という意見に過ぎない訳で。
まともな人間は「お前達を警戒している!」というアピールは、他者を不快にさせる「攻撃」だと考えているので、露骨に分かる形でやる輩はハッキリ言って愚か。
極端な例で言えば、「外国人は犯罪率が高く犯罪を犯しやすいから外国人を見かけると犯罪者だと思え!外国人見かけたら全力ダッシュで逃げるし石を投げて追い返す!」
ってやってる様なものなんだよ。エレ傘女及びエレ傘予備軍が「男」に対しやっている様な「警戒(自称)」は。
これって差別じゃありませんか?
というかぶっちゃけ99%の性犯罪者とか言われても知らないよね。だって自分は性犯罪者じゃないしやる気も願望も無く、間違えられる事を恐れる大多数の一般市民なのだから。
まあ男に対してこういった威嚇行為を行ったり、男性性を揶揄し否定し尊厳を凌辱するのも、広義の意味における女性による男性に対しての性犯罪だと思っているので
そういった女性の性犯罪者・性犯罪者予備軍は野放しにされてる現状と被害の暗数を考えると、性犯罪者の割合が99%というのもかなり怪しいだろう。個人的には7:3か6:4程度の割合だと考えている。
そんな話は百歩譲って横に置いておくとしても、他者を犯罪者か犯罪者予備軍とみなして攻撃する行為を肯定してしまうのは、被差別対象としては不愉快と言わざるをえない。
いや気持ちは分かるよ?自分だって同性と同じぐらい異性を警戒してるし。その種類は違うけども。
外国人を警戒するなとも思わないよ。川崎のクルド人問題とか、もし自分の近所だったら家売ってでも引っ越しを検討するレベルだしね。
でもその「警戒」に差別感情が無いとは思わないし、ハッキリ言って差別であるとも思う。
しかし「差別する」という行為に対しての罪悪感と引き換えに「身と心の安全」を選ぶ、この選択肢を取る事自体が間違いとも全く思わない。
でもせめて「差別してしまった」という感情を抱き、「加害者の顔」で警戒をした方が良いとは考えている。
でも女性にそういう事が出来るんだろうか?恐らく難しいと思われる。
タイターッス
本日は国際民主主義デー、日本においてはスカウトの日、ニュータウンの日となっており
他に、大阪寿司の日、ひじきの日という長らく敬老の日であった9月15日を由来とした記念日がございます。
何が大事かっていえば大人が案外サッパリしてる人達ばっかりじゃなくて、その時の気分によってネチネチすることがあるから大事にしなきゃいけないってところです。
まぁそれは同級生でも年下でも変わりませんが。
とはいえ年の功で出してきた経験値からとんでもない飛び道具が出てくることがあるのが年寄りですから
皆さんも気をつけておきましょう。
ということで本日は【他人への敬意よいか】でいきたいと思います。
へーガメラもアニメ化するのかーゴジラの後追いみたいだけどいいんじゃないのー。
見た結果は…大満足でした。
ガメラや怪獣のゴツゴツとした質感が素晴らしい!そこに発光系エフェクトやギロンの金属光沢のギャップが映える!
爆煙もすごい!かっこいい!全体がめちゃくちゃしっかり作られてるうえに夜間でもはっきりわかる映像になってるから「暗くてなにやってるかわからねぇ!」みたいなことにならずずっと映像に集中できた。
満足すぎて特に書くことがないんだけどとにかくいい。すぐにもう一周してもいい。
・ギャオス
よかった。対人としては一番いい怪獣じゃないですか。やはり怪獣は小さいほど人の死が直接的で恐い。小型ギャオスはやはり捕食シーンがしっかりあるのがいいし戦闘機のコンバットもみせれるからね。
ただラストギャオスのウイルスイラマはそれは違くない?と思った。生き物や生存本能から離れたご都合行動ぽくてマイナス。
・ジャイガー
角・牙使えよ!
ギャオスの後だったから小型のトンネルホラーがあるかと思ったがそんなことなかったぜ!
・ジグラ
デザインは一番好きかも。方向感覚が狂う?って演出がよくわからなかった。地上でテープ流したからどうなったのかよくわからない。
・ギロン
お前…そんな動き出来るのか!?
原作画像を見る限りのっしのっし歩く怪獣みたいなのにおまっ…!それはかっこいいだろ!?
怪獣の動き含めたかっこよさだけで言うとコイツが一番。あのデザインをこうアレンジしてああ動かすのか!と感動した。
ただし手裏剣は地味で間延びしたかな…あの動きをする怪獣が足を止めてピシペシ一枚ずつ撃つっつーのは水が差されたね。
バイラス…?作中で名前でたっけ?しらないひとでした。人間パートに意識が行って飛んだぐらいしか記憶がない。
唯一ミイラ化できてた特殊な存在でラスボスなのかなと思ってたけど普通の怪獣だった。のかな。
最終話から振り返って反重力で飛べて怪獣が月の人類を検知できるなら月も安全じゃねーなと思った。それを防ぐためににコードを他の怪獣じゃなくてコイツにつかうつもりだったのかな。
タザキさんは評価が目まぐるしく変わるキャラでよかったし、エミコさんのショートパンツはありがたかった。
ブロディがジョックスから既存の人間関係切って一気に浄化されて仲間入りは気になったけど子供4人の各エピソードもそんなにダレずに楽しめた。ブロ×ジュンの雰囲気が出たときは危うかったけどさらっと流されたし。
ジュンイチは喋るだけで面白い。ウザい早口オタクにならないレベルでうまく調理できてた。
疑心派のジョーに目を離せない父親を設置したことでヘイトも下がったし、ようできとる。
あとは良くない点で長いよ。
今年になってからスポーツジムに通い始めた。効果はそれなりに実感しているので、似たような境遇の人にはお勧めしたい。
痩せるための運動と言えば、基本は有酸素運動、その代表格「走る」になるが、増田の場合は走ろうとしても、すぐにバテて継続することができないし、腰への負担が重すぎて危険なレベルである。バテるというのは、一般的に心肺機能の面でのことを言うようであるが、増田の場合は、脚のスネの筋肉が真っ先にバテて、走れなくなった。身体が重すぎるせいだ。
筋トレという意味では、例えば「スクワット」「腕立て伏せ」が代表格であるが、身体が重すぎるため、これらの筋トレも、実際の筋力の割には負荷が大きすぎて危険なのである。
これらのことから、一般的な「運動」言い換えれば「自重を使ったトレーニング」というのは、私たちにはキツいし、危険なのだ。「服を買いに行く服が無い」という名言があるが、これと似た話で「運動するための運動能力が無い」のである。
スポーツジムの器具は、負荷を調節でき、正しく使えば怪我の危険も十分に低い。スクワットや腕立て伏せ等も「正しく」やれば怪我を防止できるのだが、通常の負荷で実施する分にはジムの機器の方がずっと安全だと言える。
100kgだとまだ大丈夫だけども、例えば120kgとかを超えてくると、そもそもジムの機器をまともに扱うことすら危険だったりするはず。機器にも耐荷重があるので。まずは100kgくらいまでは食事制限とかで落とす方が良いかも。ただ、ジムとしては売上を上げたいのは確かなので、「その体重でも、この機器とこの機器は安全に使いますよ」って教えてくれるかもしれないので、問い合わせる価値は十分あると思う。
がんばろう。