はてなキーワード: 仮名とは
TERFさんは「ごくわずかな」トランスして後悔して「でとらんす」している事例を好んで広めようとしていますけど、その一方で(おそらく「でとらんす」とは比較にならないくらいの多くの事例の一つとして)、きちんとした大学病院にかかってきちんとした医療を受けることができた少女の事例ですよん。
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12年前、心と体の性が異なる性同一性障害(GID)のため、体は男ながら女児として小学校に入学した兵庫県播磨地方出身の優さん(18)=仮名=が、高校まで女子生徒として生活し、この春卒業、就職した。小中高と「心の性」で受け入れられた全国初の事例とみられる。優さんは、GIDの治療指針に影響を与えたほか、同様の子どもに対する学校の配慮が全国的に広まるなど、社会の理解が浸透するきっかけとなった。優さんは「周りの助けでここまで来られた。カミングアウトした友達にも理解してもらい、大変感謝している」と話している。
1歳のころからスカートやぬいぐるみが大好きだった優さんは、5歳のとき、体の性への拒否感が強くなり、ほとんど食事をとらなくなった。そのため母親が医師の助言に従い、女児として小学校に入学できるよう教育委員会に依頼し、認められた。トイレや身体測定も女児扱い。2006年に神戸新聞が報じた際、幼い子どもである点や、ほかの生徒に知らせない状態での異例の受け入れなどに賛否両論が噴出したが、中学、高校でも同様の配慮が教育委員会などで引き継がれ、女子の制服で生活した。
治療面では、小学6年生で第二次性徴が始まり、思春期の体の変化を一時的に止める「抗ホルモン剤」を全国で初投与された。身体面の男性化が抑制され、精神的苦痛が軽減。主治医の康純(こうじゅん)・大阪医科大准教授は「副作用はまったくなく、思春期の患者特有のホルモン療法への焦りがなかった」と振り返る。日本精神神経学会は、優さんを契機に、心の性に合わせて体を変える「ホルモン療法」の下限年齢を、条件付きながら1 8歳から1 5歳に引き下げた。優さんは高校入学直前に女性ホルモンを始め、すでに体は女性化している。
今年2月の高校卒業式。母親は、優さんが学校生活を終えることについて「一般のお母さんと同じ気持ちだと思う。こんなに大きくなってくれてありがとう」とかみしめるように語った。4月には県南部の肉牛牧場に就職。牧場主は「性同一性障害だから心配したというのは特になかった。取引先にも連れて行くが、特に性別について聞かれることもない」という。
周囲の配慮に包まれ、学校生活を終えたが、体への違和感は続いている。高校2年の秋には「お風呂に入っていると、(ホルモン療法で)胸も出てきたのに男でもあるから中途半端でキモい」と話し、「女友達にうそをついている感じがする」とこぼしていた優さん。就職して間もなく4カ月。「将来は(性別適合)手術をして戸籍の性別を変えたい」と話している。
祖父のような人が、昨日死んだ。
血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。
母方の祖父は、母親が子供の頃に祖母と離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というものを意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。
「祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から、祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分も子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ。
将棋のルール、司馬遼太郎、池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。
むしろ、祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母のお金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。
祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。
陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。
祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。
ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。
父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子どもの自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。
父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。
母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察や学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。
母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシーの運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校の先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会」から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。
自分が中学生か高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。
それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神を病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的な統合失調症の症状が出始めた。
この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。
それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚の理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。
知り合い、昔からの友人である大学の同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。
お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。
彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたか分からないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。
祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。
この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。
彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学で落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋の社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分の着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議な気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。
思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物をしまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母のマンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母と暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。
「二日前くらいから入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃんが病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜しはるから、心の中で弔ってあげてな」
母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。
母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母と暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。
きっと、親である祖母が離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。
もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。
母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。
彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。
別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。
残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。
祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。
何ヶ月か前、ある人にめちゃくちゃ怒られたことがあって、その時の映像が某国営放送で、この前の日曜日に放送された。
まあ、炎上するだろうなと1ヶ月前から憂鬱だったのだが、ネットを見ると予想以上に燃えまくっていた。特にコメントをするつもりはなかったが、知り合いからも、「かわんごさん(仮名)が正しいと僕は思っているから」というような、よくわからない励ましのメッセージがたくさん来るので、一言、ここで書いておこうと思う。
まず、あのシーンにおいて、どちらが正しいといったことはないと、僕は思っている。それぞれ違う考え方、違う感じ方を持つ別々の人間であるというだけの話だ。
事実としてあるのは、僕が「ある人」を不快にさせることを、「ある人」のテリトリーでやってしまったということだ。それについては全面的に僕の失敗であり落ち度だ。
そもそもあの場はなんだったのかというと、CGの世界でどういう技術が開発されようとしているかを知って欲しかったからだ。放送で使われたのは、自社で作った映像の一部が映っていたが、実際は他社も含めた事例紹介の中の一部が切り取られてテレビには放送されたわけだ。
おそらくは否定的な反応だろうというのは事前から予想はしていたが、まあ、なんらかのヒントや刺激になれば十分だぐらいに思っていたのだが、想定していたよりも、かなり、めちゃくちゃ怒られた。
さて、放送されると炎上するだろうというのも予想していたわけだが、こっちの方も想定以上にネットは燃えた。事前から分かっていたのに、なぜ、あのシーンを放映することを許可したのか。事実をいうと一旦、断った。当たり前だ、なんの得もない。
でも、再度、どうしてもと頼まれた時、結局、いいよ、と言ってしまったのは、頼んできたAさんの気持ちになると、そりゃ、あのシーンは使いたいよな、と思ったからだ。自分でもドキュメンタリー映画の制作に関わったから分かる。撮影してもどうしても使えない映像というのが存在する。本当はそれを使うともっといいものが作れるのに使えない。あんな美味しい映像をAさんが使いたいと思うのは当然だよなと思えた。
そして、もう一つは、別にAさんは何か映像を捏造しようとしているわけではない。実際にあった映像を撮影できたんだから使いたいと言っているだけである。本当にあったことをそのまま放送したいと言っているだけだ。まあ、できるなら使って欲しくないけど、彼が本当に使いたいと思っているのであれば、それを断るのは卑怯であり、僕の我儘であると考えたからだ。
実際にどのように映像が使われたのかは、まだ見ていないので知らないが、ネットの画面キャプチャーや感想を見る限り、そこにあったのは本物の僕自身であったと思う。
怒られて、本当に困ってしまって半笑いを浮かべている僕、なんとか言い逃れようとしている僕、そして、でっぷりと突き出したお腹も含めて、全て、本当の僕が映っていたのだろう。
放送を見て、僕を心配してくれている周りの人は多いようなのだが、本当のありのままの自分が映し出されたとして、それで情けないとか、醜いとか、嫌悪感を持つ人がいたとして、まあ、しょうがないよねとしか思わない。誤解されたわけでなく、本当の僕を見てそう思ったんだから、諦めるより他にない。
本当の僕を見て嫌う人間に、嘘の僕を見せて好感を持ってもらいたいとは思わない。
というわけで、僕を心配している人に、一言いっておきたいのだが、心配は無用です。
ただ、今回、僕を攻撃している人たちをがっかりさせても悪いので、正直にいうと、今回の炎上で本当に傷ついたことがひとつあることを告白する。
月曜日から糖質制限を始めた。今回の炎上で改めて、人間は外見でそのひとの人間性を判断するということを確認した。どうやらデブは醜い心の現れであり、人間性を否定するに十分な根拠らしい。そう考えている人間が多いことは認めなければいけない事実だろう。
今回は本気で糖質制限をしようと思う。倒れても、また、立ち上がり、ぼくは前に進み続けるだろう。実際、月曜日の夜は、ついお菓子を食べてしまい、昨日の夜もシュークリームを半分だけ食べてしまった。その度に、僕は立ち上がり、再度、糖質制限を再開している。僕は今度は諦めるつもりはない。
そうだ。最後に書いておくと、放送ではめっちゃ怒られていたが、もちろん、僕は今でも毎週月曜日は、僕を怒ったひとの会社に出社している。まるでジブリのように素敵で暖かい職場だ。むしろジブリそのものといってもいい。特に最近は怒られることもなく平和に暮らしている。
「ずっと言うんですよ私に。『1回どう?』って。1日に何回も言ってくる(笑い)」
8月11日に放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で、森下愛子(58才)が、夫・吉田拓郎(70才)からこう言われると明かし、話題を呼んでいる。もともとはドラマ『トットてれび』(NHK)の中のせりふだったが、これを気に入った吉田が、放送終了後の今も、森下を誘ってくるというのだ。
一方、結婚生活22年ながら、夫の渡辺裕之(60才)から「毎日お尻を触られる」「熱いキスやハグは当たり前」などアツアツぶりを公言している原日出子(56才)。原の“情熱的な夫”である渡辺に、妻とスキンシップを欠かさない理由を聞いてみた。
「愛おしい子供を抱きしめたいと思うのと一緒。言葉での気持ちの共有では足らなくて、ぬくもりを感じたくなるのは、生き物の本能だと思うんです。あとはやっぱり、ずっと仲よく円満な夫婦でいたいですからね」
聞くまでもないと思いながらも、あえて「1回どう?」をどう思うか聞くと…。
「自分も70代80代になっても、(吉田のような)素敵な合言葉を妻に言い続けたい」ときっぱり。ごちそうさまです…。
また、妻とのセックスレスで悩む夫からも賞賛の声が。3才下の妻とセックスレスになって4年の堤博さん(58才・仮名)は「なんていい言葉」と感激。
「正直この年で夜の営みのことで悩んでいるなんて誰にも言えないし、自分って情けないなって思っていたんですが、少なくとも吉田拓郎はこの言葉で妻を気遣っていたことを知って、夫婦とはそういうものだと納得したんです」
本誌の取材にこう答えたその夜、堤さんは意を決して妻に言ってみたと、後日報告があった。
「たった6文字なのに、久々に変な緊張を味わって、夜ご飯に妻と話した会話の内容はほぼ覚えてないくらい(笑い)。で、いざ、『おやすみ』と言ってしばらくしてから、妻の耳元で言ってみたんです。でも…寝たふりをされました。正直、その時は拒否された、言わなければよかった、と後悔。でも朝起きたら、妻は鼻歌を歌っていて上機嫌(笑い)。するかしないかじゃなくて、『私はあなたのことを思っているんだよ』っていうことをちゃんと相手に示すことが大切だったんだってわかりました」
同じ年に還暦を迎える母は、パジャマが欲しそうだったので、わりとすんなりパジャマをあげることに決まった。
結果、ジェラピケのトイプードルのぬいぐるみをあげた。トイプーも、還暦のおじさんへのプレゼントになるとは青天の霹靂だったに違いない。
一応、その頃父がぬいぐるみを欲しがっていた(半分冗談だと思っていたが、思ったよりガチだったらしい)ことと、昔から父は犬が好きで飼いたがっていたが、母が動物苦手なので飼えなかったという過去もあったので、トイプーのぬいぐるみを選んでみた。
とはいえ、いい年したおじさんに、ジェラピケのぬいぐるみをあげても喜ぶんだろうかと、あげるまでずっと不安が拭えないままトイプーをあげる日がやってきた。
結果は大喜びで、今でもたまにラインでトイプーの写真が送られてくるし、実家に帰ると大切にされてのびのびと過ごしている様子が伺えてほっこりする。ただ、わたしはららちゃん(仮名)で、そう両親に呼ばれているのだが、そのトイプーはらら茶と名付けられており、なんともいえない気持ちになることはある。
何を見ているかというと、飼い主の顔だ。
私は犬が好きだが、わけあって飼うことはできない。
だから通勤や徒歩移動の途中ですれ違う「お散歩中のワンちゃん」はご褒美ラッキーアイテムだ。
めちゃくちゃ見てしまう。
かわいいね、楽しそうだね、お散歩うれしいねなどと心の中で話しかける。
怪訝そうな「なんですか?」みたいな表情をされることがほとんどであるが、「はい楽しいです!お散歩うれしいです!」という表情の愛想のいいワンちゃんもいる。
私は小心者なので、飼い主に話しかけ、ワンちゃんと直接の接触を求めるようなことはできない。
それでも、私がワンちゃんを見ていることに、ワンちゃんも気づいたりするのだなあ、私の方を見てくれたなあとうれしくなるのだが、注意も必要だ。
私の友人でトイプードルのココアちゃん(仮名)と暮らす男がいる。
彼によると、散歩中にすれ違う人の中で、「犬好きな人」を識別できるらしいのだ。
なぜかと問うと、「だってめちゃくちゃ犬を見てくるし。しかもニッコニコの表情で見てくるからすぐわかる」と言っていた。
そんな話はどうでもいい。
私が今日言いたいのは、犬は飼い主を見ている、ということだ。
信号待ちで止まっているときはもちろん、歩きながらも頻繁に飼い主を見上げている。
あれはなんだろう。
自分が楽しんでいる散歩を、飼い主も楽しんでいるのか気になるのか。
今日はこっちのコースの気分じゃないんですよね、と言いたいのか。
いろいろなケースがあるだろう。とにかく犬は飼い主を見ている。
だから、飼い主の人たちにお願いしたい。
犬を見てくれ。犬はあなたを見ている。
まあわかるのだ。人間なりに人間ゆえに、散歩の途中に済ませたい買い物や、明日の仕事のことをや、家族の心配事などを考えてしまうのだろう。
それでも、犬はあなたを見ている。
目を合わせてあげてほしいのだ。
頼むワン。
この増田はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
弊社の入社三年以内の新卒離職率が4,5割あるのでこれ以上犠牲者を増やさないために当エントリを書きます。
自分より若い人材が心を病んで辞めていくのを見るのはしんどいです。こんなとこで人生棒に振っちゃダメです。
これでどこか分かった増田は転職会議やOpenWorkで検索してください。有名なメーカーです。
〇毎日朝礼がある
〇朝礼では持ち回りで各部署の活動報告や個人の夢、会社で為したいことを発表する
〇朝礼後に社訓を唱和する
〇仕事納めの日に夕礼があり、家族手当を貰ってる社員は前に出て社長に感謝の言葉を述べる
〇新卒は入社前の3月末に会社に集められ社訓みたいなことを叫ばされる
〇鬱休職が目立つ
〇中途の定着率が著しく低い(9割強プロパー)
〇年間休日115日
3個以上嫌だなぁと思う項目があったら入社はお勧めしません。これ全部実際にあったことです。
弊社は一族経営でトップダウンが激しい。引退した会長がほぼ毎日出社してはいろんな部署に口出してちゃぶ台返しを繰り返してる。
まぁただ、会長はいい。言い方がよくいる説教ジジイってだけでおかしいことは言ってない。言い方がキツイだけ。
ただその息子の社長が危ない。会議中でも平気でガン詰め叱責を行う。
私が一番ドン引きしたのは役員会議で「お前の言ってる事がどう間違ってるか一つ一つ解説したいからお前が今言ったことをホワイトボードに書いて一から説明してくれ」と言わんばかりに社長自ら晒し上げてました。社員さん泣いてましたよ。大人が泣くとこなんて見たくないですよ。
別に怒るなとは言わないですが、別室で誰にも気付かれないように配慮して…ではなく関係ない社員がいても平然と行うのは怖い。どういう教育受けたらこうなってしまうんだろう。お前が間違っているのが悪いということなんだろうか。
トップがそんなんだからその下の部長クラスもそういう風に育ってしまう。特に弊社は9割叩き上げなのでそれ以外のやり方を知らなのです。
「もうお手上げです。どうしたら出来るようになるの?」
「自己防衛で胸抑えてるんだったら止めた方がいいよ」
「君とやっていく自信がない」
「鬱になったら終わりだよ?」
「なんで俺が帰れっつったのに帰ってねぇんだよ!」(就業時間中での発言)
「こんなことも出来ないんですね」
全て一部の部長の発言です。あなたの上司になる人はこういうことを平気で言います。
人の親でもある、地位もある人間の言葉です。どういう人生を歩んだらよそ様の子供にこういった暴言を吐けるか不思議でなりません。わざとやってるんじゃないかなと思うほど士気を下げることが上手いです。
中途の方が2週間ほど、1言えばいいとこを10に伸ばして叱責する朝田B(仮名)に「お前がダメな理由をこれから一つずつ挙げていく」と言わんばかりにその方が提出した資料に関してくどくどネチネチ1時間以上じっくり挙げて頂いた結果めでたく鬱手前になって退職しました。目に見えて顔色悪くなっててかわいそうでした。
この朝田B(仮名)のねちっこさで退職に追い込まれた人は割といるらしく、今の役職持ちの方も本気で辞めようとしたとか。その時は会社のトップに相談して朝田B(仮名)をプロジェクトから外してもらったこともある。これが原因で開発から営業に飛ばされ、そこでも成果を上げられず現在では全く関係ない部署に飛ばされました。
「仕事中はちょっとピリピリしてるくらいがいい」とはとある部署のボスのはつげんです。ピリピリを通り越してもれなく死んでます。
そのボスは自分が言ったやり方で出来ないと烈火の如く怒り、成果を出せなくてもガン詰めします。少し間違えただけでも。
以前、定時後に入社2年目をみんなの前で1時間以上説教した時は流石に居た堪れなさ過ぎてトイレに逃げてしまいました。
何かあって叱責されているときは何があっても絶対に反論してはいけません。ボスの中ではどんな理由があっても、間違えた原因が他にあっても今怒られている人が100%悪いです。マニュアルが間違っていても確認せずその通り進めた人が悪いです(???)下手に本当のことを言っても机を叩いて声を張り上げられるだけです。反論してはいけません。
また、ボスが納得していない時のハンコの角度は90°曲がってます。「俺は納得してないけど通すから」の意思表示です。受け止めてあげてください。
「なんでこんな簡単なことも出来ないの?やればいいだけじゃん」な気持ちで仕事出来ないと潰れます。
基本的に叩き上げしかいないため「俺はこれでここまで来れたからお前らもこれやればここまで来れる。別のやり方するなら倍努力しないと評価しないからな」な思考の方が重宝されます。
ポジティブに捉えれば「自主的に動ける人」「協調性がある人」「向上心のある人」「推進力のある人」「行動力のある人」と、どの会社からも求められる人材です。
ネガティブに言えば「押し付け」になるし「他人のことを考えられない」。「俺はこれで成功した」でしか教育が出来ないしそれも時代にそぐわないからガンガン辞めていきます。
とある新卒が先輩社員に「なんでこれやってないの?」「こうすれば出来るよね?」「なんでやらなかったの?「明日まで/今すぐにやって」と毎日進捗確認という名のガン詰めされた結果半月ほど休職した時は頭抱えました。実際これが原因か聞いてないので分かりませんが、これぐらいしか思い浮かびません(詰められた新人はその後退職しました)
会社的には「後輩を指導している先輩」なんだろうけど、はたから見たら「新卒をガン詰めしてる先輩」なんですよ。
現在4年目はいません。去年の段階で全員辞めました。理由は察してください。
今年は8人取りましたが既に2人辞めました。
私の上司二人は休職経験ありです。今年3年目の社員の内、2人が休職経験ありです。
異常じゃないですか?休職ってそんなポンポン起こるものなんですか?
また、鬱休職→復帰→やっぱり限界で退職をした方がいたのですが、退職日を1週間前倒しした際にその上司が「今までのことは無駄だったのかなぁ…」と発言し私の中で話題になりました。あくまで個人的な意見ですが、鬱退職ならしょうがないんじゃないかな……。
20代後半~40代前半がいません。ほとんどいません。20代後半はほぼいなかったです。5年目前後が本当にいない。
聞いた話では一時期大量離職されたみたいで若手とベテランしかおらず、技術の継承や教育がろくすぽ出来ていない状況だとか。
なんで離職されたかはこの増田を読んで察してください。昔はもっと酷かったみたいです。
そもそも社員を使い捨てにしか考えてないからどんどん辞められるんですよ。中堅がいなくて若手も結構な頻度で辞めていく会社に未来なんてあるんですかね。
パワハラ連射ホールドで鬱退職するくらいならもう少し就活頑張りましょう。
それでも俺はここで頑張るんだあああああああああああ!!!って方は覚悟してください。いろんな意味で最悪の職場です。そもそも人事部がないため関係ない部署の人間が採用担当してます。毎日誰かしら叱責を受けています。
そんなクソみたいな環境でも人間の心を持った社員はいます。その人を見つけてください。きっと助けてくれます。私は「助けてもらう」という選択肢が出ないくらい朝田B(仮名)に追い込まれました。
クソみたいな人間性の奴等が権力を持っているだけなんです。だから離職率が異常なんです。
人材を大切にしない会社はたとえどんなに有名であろうがさっさと潰れてほしいです。私は入社前から使ってた弊社製品を捨てました。
余談ですが、半年前弊社を退職された方が増田を書いて軽くバズった際、取引先の人に「あの記事見ましたよ!」て言われました。ジャニーズとかビッグモーターみたいに内部事情が公になって膿が取り除かれればいいですね。
どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。
夢の内容は
「高校時代の友人と数年ぶりに会って現在の自分の生活や高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。
その友人との関係性を加味しなければの話だが。
元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校の狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味は読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。
自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。
すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホント?わたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。
第一印象は「綺麗だな」だった。
二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。
どこをとっても絵に書いたような美少女だ。
◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。
その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。
その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。
その日からは臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。
初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。
そして学力もほぼ差が無かった。
得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。
その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。
まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。
すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。
こんなことってあるのかと思った。
それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。
それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた
初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任から話しかけられた。
「増田に新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」
担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。
「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」
とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。
こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実に歓喜した。
その日、授業が終わると担任がロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。
その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。
「ごめん。新川を増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」
だった。
信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。
それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。
きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。
担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。
そこで私は気付いてしまった。
私がおかしいということに。
普通の人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。
どう考えてもおかしい。
他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。
もう手遅れだった。
その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。
休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。
その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。
それが私にとっては至上の喜びだった。
クラスメイトが
みらいは
「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。
そんな彼女の自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。
彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。
当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。
決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。
それでも私は彼女と一緒にいた。
二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。
もちろん全ての行動を共にした。
一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。
手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。
私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、
「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。
私がお土産を見繕っていると、みらいが
「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。
彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。
凄く綺麗……とつぶやくと
「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。
私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色の香水瓶を選び二人でレジへ向かった。
なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。
「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。
それで終わると思いきや、デザートでミニケーキの二種盛りがやってきた。
私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。
そして
「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。
私はうんと言おうとしたが、
私の食器やフォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。
手で食べるのははしたないしと逡巡していると
「はい、あ〜ん」
同じテーブルの生徒の視線が彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。
いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。
修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。
「なんかみらいちゃんと増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。
今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。
その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。
念のため言っておくと、私は普通の女だ。
小中学生の頃は普通に男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。
でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。
あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。
「女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死に勉強して女子校に入学した。
秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然と無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。
今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。
1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感がおかしい。
最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。
でも、やめてとは言えなかった。
2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワードが教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田が勝手に思っている)出来事が起こった。
その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。
2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。
毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。
習っていない範囲もあったが自分で勉強してカバーした分自身はあった。
3月、結果が出た。
私はその教科で全国一桁の順位を取った。
模試の順位は掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。
私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。
トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると
「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。
その日は話しかけてもどこか上の空だった。
次の日、彼女は休んだ。
心配で休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った
すると数分後
こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。
次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。
結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。
3年になるとクラスが離れた。
前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近の彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は
嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。
しかしその思いはすぐ覆された。
一つがクラスメイトの私に対する反応だった。
2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。
3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると
素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。
そこで私は気付いてしまった。
結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。
みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。
私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。
けれど彼女にとっては大勢の友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。
私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。
それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。
その成果は存外早く出て6月の模試では早速学年1位に躍り出た。
この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。
それをあしらいながら只管勉強した。
7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。
良かったらうちの部室くる?」という内容だった。
3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。
彼女には夏休み中特別に部室の一角を占領する権利を顧問からもらったらしい。
私はその誘いにあっさり乗った。
彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。
夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室と図書館で勉強をする日々が始まった。
部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。
正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。
他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。
そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。
それもそのはず、彼女は推薦と一般で美大を受験するため、画塾に通うだけでなく面接の練習なども必要になったからだ。
私はただ勉強していった。
この頃には志望校の偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。
冬がやってきた。
そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。
みらいだ。
修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」
みらいは電話越しにそう言った。
私が
と言うと
突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。
かつて無い手応えを感じた。
自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。
みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたから3月にならないと結果は出ない。
式が終わってもみらいの元へ向かった
「◯◯、待ってた」
そう彼女は言った。
「写真撮りたい」
自分の顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女のスマホを借りてツーショを撮った。
案外あっさりした別れだった。
そのときはそれでいいと思っていた。
その日、LINEで彼女のスマホで撮った写真が送られてきたのを最後、彼女からLINEが送られてくることは無かった。
彼女の志望校の合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。
整形をする決意を。
幼い頃から親に「醜い顔で産んだから整形代は出すよ。ただし、高校を卒業したらね」と言われていた。
今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。
私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。
私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。
「かわいい」なんて言われるようにもなった。
やっぱり美は正義だなと感じた。
前期は友達と遊んだりテストやレポートと格闘している間に過ぎ去っていった
夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。
数時間後、数日後、数週間後。
待てども待てども返信が来ない。
それどころか未読無視をされている。
プロフィール画像などは変更されているからLINEを見ていない訳では無いだろうに。
しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。
いつだっただろうか。
私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。
卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると
私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。
そう、違っていたのは目だけだった。
私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。
今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。
今日見た夢は
みらいと数年越しに会って食事なんかしながら
近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。
美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、
「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。
本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。
起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女のLINEを開いたがやはり既読はついていない。
午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。
その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う
「みらい!最近どう?元気?」
見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。
それを見て息を呑んだ。
そこに表示されていたのは
「1年前の今日の日付」だった。
こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでも追いかけている自分が心底恐ろしい。
という話。
醜形恐怖症にとらわれている奇形界隈の若い子達に伝えたいことがある
・女 02line 大学在学中
・埋没済み
タイトルの通り「奇形界隈に告ぐ 顔整い気にする暇あるなら勉強かバイトしとけ」だ
今中高生の奇形界隈の子は少しでも後悔の無いように過ごして欲しいから読んで欲しい
ガチ顔整いの母親と一重デブスチビハゲ親父から生まれた増田は幼い頃から奇形だった
お遊戯会で眠り姫をやることになったあの日、眠り姫が大好きだった増田は真っ先に眠り姫に立候補した
その後、キッズモデルをやっていた生まれながらの顔整いマリちゃん(仮名)が選ばれたのを目の当たりにし、この世は顔が全てだと悟った
厚い唇 分厚いまぶた 激強蒙古襞
コンプレックスでいっぱいだった
高校生になってTwitterをはじめて、自分のコンプレックスを調べるうちに奇形界隈と出会った
居心地が良かった
なにより自分と同じ感情を抱えながら生きている人がいて安心した
でも本当にこれでいいのか ここに居て良いのかという疑問が湧いた
だっていくら顔整いを気にしたところで変わらないから 自分の顔は
そこから自分の顔をいかに人間に近づけるかに専念するようになった
アイプチが一瞬で白いカスと化すほどの激重一重の増田は埋没で二重になることにした
流石に高校在学中に整形するのは
常に単独行動
授業中指名された時以外は口を開かない
文化祭はシフト時間以外トイレ籠りのガチぼっちだった増田でも無理なことは知っていたから、
自分の子と思いたくないやら川から拾ってきたやら言ってきた分、
罪悪感があったのだろうか
私が志望していた某国公立大に受かれば費用全負担すると言ってくれた
頑張れば整形できると思うとそれ以外のことはどうでも良くなり、
間食を食べたり娯楽に時間を費やさなくなった結果、体重は落ち成績はぐんぐん上がり、学年首席になった
3年になって担任が変わった
「友達いないのはどうかと思うけど勉強だけして実績をウチの高校に残してくれればいいよ」
という旨の声掛けを初面談の時にしてきたのでより一層勉強だけに意識を傾けることができた
模試のたびに偏差値も全国順位もぐんぐん上がり「これはイケル」と思えるようになってきた
埋没ができるかもしれないという状況に
ハイのようになっていたのだろうと今では思う
「増田さんって狂ったように勉強してて怖いよね。」と言われていたのを覚えている
たったそれだけのために社会性も何もかもかなぐり捨ててとにかく勉強していた
そして無事に共テと二次を突破し念願の志望校合格と埋没の費用を掴んだ
合格したその日にカウセの予約をした
極厚まぶたは脱脂と3点止めでようやく人並みの二重になることが分かった
料金プランは取れることも想定して念のためかけ直しアリのプランを選んだ
数日後施術をした
笑気麻酔を吸うと視界がサイケデリックなレインボーに包まれ全身が高揚感で満たされた
正気が戻ってきて
薬吸うとこんな感じなのかなとか思っていたら
急に現実が襲ってきた
痛くて呻いていると
「もっと吸って!」と声をかけられた
どうやら息を吸うのを止めていたようだ
やっと人間になれたという喜びで涙を流れた
ダウンタイムは軽めで済んだけど想像以上にダウンって感じで少々病んだ
大学の入学式の頃にはまるで生まれつき二重だったかのようにナチュラルに良い感じの幅になってくれた
顔がようやく人間になれたという事実は想像以上に増田の心のささえになった
入学式隣の席の顔整いに意を決して話しかけると普通にニコニコしてくれた
それだけで今までの人生が救われた気さえした
やっぱ人生顔だなと再認識するとともに、やっと人間になれたから今度こそまともな社会性を持って暮らそうと決意した
すると中学時代、部活に入って即退部したのが信じられないぐらいサークルは楽しくて、一緒にご飯を食べたり遊びに行くような友達もできて、人生大逆転した
今は毎日楽しく生きてる
長文すまん
結局どれだけ綺麗事を言っても顔の良さと社会の優しさは切っても切り離せない
だからこそ、若いうちに容姿によるハンデをカバーするための学力や特技は伸ばすべきだし、
整形願望があるなら親を説得したり
その時間を勉強やバイトに充てて、将来の自分が幸せに歩いていくための道の舗装をしよう
終わり
(追記)
ありがとう、助かる。
どっか落としてるだろうとは思ってたが、仕事終わりに自分の文章なんかマトモに読めねえんだよな。
句点イレル。そういや同じ現場だった校正者もよくやらかしてたな。元気してるだろうか。
「一番最後」はママで。副詞的用法だと「ぶっちぎり」みたいなニュアンスを感じるから、おっしゃる通り強調表現の範囲内として個人的には違和感ないかな。もちろん要指摘事項だが。
“?”の後ろに文章が続けばスペースあり、後ろが “」”の記号ならスペースなし、“これはいったい何年前の学説なんだ?って” と促音でもスペースなし、が校正ルールってことかなーと思いながら読んだ。
だいたいそう。最後の場合はスペース入れる表記ルールも多いけど、俺は一文としてつながりがあるならアキなしの方が好き。
校正って、文章の体裁を整えるだけじゃなくて、内容のチェックも求められるじゃん。
そこまで求めるのかって思うわ。
この前もゲームの歴史みたいな本が、事実と違うって炎上して回収騒ぎになって、校正は何をしてるんだって出版社が文句言われてたけど、こそまで調べられるなら著者に書かせないで出版社が自分で書くだろっていつも思うわ。
文章の体裁を整えるのは校正で、事実関係の確認や内容に踏み込んだ指摘をするのが校閲であり、それぞれ別の仕事である……ってのは大昔の話。
写植がなくなり、ネットが普及した今じゃどっちもやるのが当たり前になった。
校正しろって言われても最低限の事実確認はするし、校閲しろって言われても行頭二分アキ折り返し天ツキー、だ。
現代じゃ校正も校閲も業務自体はラクになったんだろうが、そのぶん求められることが増えた。どっちの方がマシなんだろうな。
ゲームの歴史も、あんだけミスがありゃ業界素人の校正者でも1個や2個ぐらいは事実との齟齬を見つけてたかもな。でも「校閲は何をしているのか」って増田にも書かれてるように、校閲者のひと声で進行がストップするなんてまずありえない。
「じゃあAIでいいじゃん」ってブコメがあったが、全くその通りだと思うぜ。
(本文)
なんか一瞬だけ校正が話題になったらしいがな、あんなんロクな仕事じゃねえ。
俺はこの業界に入った直後の飲み会で「この仕事、20年くらいで頭おかしくなって失踪しちゃう人多いから気をつけてね」って笑いながら言われたぞ。
俺はあと何年もつんだろうな。もう壊れてるかもな。
だいたい、どこのどいつがしょーもない誤字脱字を見つけられて感謝するんだ。
「いやいや、自分は感謝している」ってか? 嘘つけ、とんちんかんな指摘が来たら逆上してSNSにアップするんだろどうせ。指摘がとんちんかんかどうかも出版社や著者によって変わってくるんだからな、まったくやってられねえ。
ある案件で鉛筆を入れれば烈火のごとく怒られ、ある案件では鉛筆を入れなかったことにねちねち詰められた。
あの時の判断はどっちも間違ってなかったって、俺は今でも思ってるけどな。
一番クソなのは表記統一だな。あんなの気にする奴なんかいるか?
「つながる」だろーと「繋がる」だろーと、混在してようがどっちでもいいだろ。
一文中の漢字と仮名のバランスガーとかそんな高尚なもんじゃなく、単純に気にして読んでる奴なんて誰もいねえんだよ。
「繋」は俗字だから直せだと? うるせーな、てめえは校正者か?
今どき「繫」を使ってるメディアなんかねえだろ、たぶん。
著者をキレさせて、読者にそっぽを向いて、出版の奴らしか気にしないようなエセルールを厳守して満足してるわけだ。
ダーシや3点リーダがひとつだろうとふたつだろうと、どうでもいいんだよ。
誤脱拾わせるのなんてWordにでも任せとけ。
「非常に複雑な判断が求められるからAIには無理」とか言う奴も多いから聞かせてもらうけどよ、人間の脳みそって本当にAIより出来がいいのか?
俺にはとてもそうとは思えねえ。あと5年か10年もすりゃ余裕で超えるだろ。
うさんくせえアフィ記事の段落ひとつをまるまるコピペして、ちょろっと表現変えただけでファクトチェックは全部ぶん投げるクソライター。
専門分野より先に日本語を学べってレベルで主述関係がメチャクチャで、挙げ句の果てに自分とこの専門用語さえ間違えてるクソ学者。
そんなものにセコセコ鉛筆入れてるこの仕事も、ロクなもんじゃないに決まってる。
AIはファクトチェックができないって? なるほど、どうなんだろうな。
だが、専門家でもない俺らのファクトチェックなんざ、たかが知れてるだろ。
どうせパソコンかたかたやって、ネットのマトモっぽいサイト見つけて「うーん……これはたぶん公式!」って適当な認定して、そこから情報がきちんとコピペされてるかチラッと見る……やっぱもう5年か10年もありゃ、普通にAIでもできそうじゃねえか?
「××駅から徒歩10分!」とか書いといて、GoogleMap見たら30分はかかりやがる。
俺ら御用達のコトバンクだって、これはいったい何年前の学説なんだ?ってのがザラにあるじゃねえか。
だが校正ってのはとにかく時間がねえ。出版ルートにおける一番最後、要するに下水道だ。
著者がなかなか書きやがらねえ。編集がなかなか回してこねえ。そのくせ締め切りは動かねえ。ならどうするか? 校正の時間を削るんだよ。
つまり一番どうでもいい工程なんだってことは、出版業界の共通認識なんだろ?
ブルシット・ジョブよりタチが悪い。
若者の台詞なのに「これはら抜き! い抜き!」とか鉛筆入れてる初校を見ると「バカかテメェは?」とか言いたくなるんだよ。
そんときばかしは著者に同情するな。「あの校正者をクビにしろ!」とかクレーム電話の1本や2本入れるかもしれねえ。
仕方ねえから初校にフィードバックすると、すげえ不満そうな顔されんだよな。
正しい日本語ってなんだ? それは著者の表現したいものより大切なのか?
著者の頭の中にある世界を、誤字脱字なんか余計なノイズなしに、そのまま100%伝えるんだって。
気づけば俺は、「十年と一〇年で表記がユレてます」なんてクソどうでもいいことばかり憧れの作家に抜かしてるわけだ。
でも仕方ねえじゃねえか。
木っ葉校正者の地位なんてカスみたいなもんだから、身を守るには野暮な指摘を入れるしかねえんだよ。
「私はちゃんとここに気付いてますけど、あえてママにしているんですよね?」ってアピールをしとくんだ。
誰だって入れたくねえよ、こんな鉛筆。でもそうしなきゃ、いつ契約を切られるか分かりやしねえ。
正直な話、俺は小説より漫画が好きだからよ、いつもジャンプのことを考えてるんだ。
暗殺教室知ってるか。あれに有名な誤字があるんだ。
「転んだ」が「殺んだ」になってるってやつな。
俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている。
そんなクソ盛り上がるシーンなんだから、松井先生もそりゃお得意の言葉遊びをするだろうさ。
俺がもし「(念)この『殺んだ』は『転んだ』の誤表記ではありませんね?」なんてお伺いを立ててる奴を見かけたら、もう絶叫しちまうよ。
当たり前だろ。マジで冷めるから鉛筆だろうと死んでも入れるなよ、そんな指摘。
ところがどうだ、実際はマジの誤植で、編集部からお詫びまで出た。
いったいどうするのが正しかったんだろうな。
やっぱり指摘をしとけば、防げるミスだったんだろうよ。
でもな、答えを知っちまった今でも、俺はやっぱり「殺んだ」をスルーするのが一番だと思うんだ。
たとえ校正者として間違った態度だとしても。
「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」
そういう仕事をしてえよな。
ただまあ、もう一つだけ欲を言えば、俺が恐縮しながら入れた鉛筆が、作品の世界をちょっとだけ広げることにつなげられたなら……。
いいや、それは下心がありすぎだ。何様だよ、お前は。
だから俺は明日も結局、ホームページ代わりにインスタを使ってるオシャレ飯屋に悪態をついたり、聞いたこともねえ企業が前株なのか後株なのかを必死こいて調べたり、シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけなんだ。
誰にも求められてない仕事のためにな。
ああ、クソッタレ。
送り仮名が抜けただけだろ。
お元気ですか。
今はお互い実家を離れて暮らしているので、会う機会は全く無くなってしまいましたね。
はるかちゃんが隣に引っ越してきたのは、私が小学2年生の頃でした。
一つ年上だったはるかちゃんは、私より身長が高かったのもあるせいかとても大人びて見え、白い肌に映えるそばかすがとても可愛らしい女の子でした。
覚えていますか。
玄関から入るのが面倒になって、真向かいにある窓からお互いの家に行き来していたこと。
はるかちゃんの家ではちびポケハウス、私の家ではリカちゃん人形でよく遊んでいましたね。
はるかちゃんの家で見た、寝る時に着ける歯列矯正のヘッドギアは今でもトラウマです。
覚えていますか。
はるかちゃんは、私の足の爪にマニキュアを塗ってくれたこともありましたね。
古本屋で見かけた少しエッチな漫画の話をしたこともありましたね。
幼かった私たちは「あんなの何がいいんだろうね?」と笑い話にしていました。
覚えていますか。
私はまだまだ幼児体型でしたが、はるかちゃんのわずかに膨らみかけた胸を見て、いくら女同士とはいえ、なんだかいけないことをしている気分になり、少しドキドキしていました。
湯船に浸かり、学校での出来事など他愛もない話をした後、またエッチな漫画の話題になりました。
「こういうの、漫画で見たんだぁ」
そういって、ボディータオルを使って『透けた服ごっこ』を始めた私たちは、お互いの身体にタオルを張りつけ合いましたね。
胸元の少しの勾配に乗せた、薄水色のタオルから透ける乳頭は、とても魅惑的でした。
「お互いのお股を触り合いっこしてみない?」
私は驚ました。
大人がお股を触り合いっこするのは知っていましたが、女同士で触るのは、古本屋で見たエッチな漫画には描かれていなかったからです。
「え〜。できるかな?」
そう言いつつ、ためらいよりも好奇心が勝ってしまった私は、「やってみるね」と言い、あなたの素肌に触れる決意をしました。
湯船の中で、脚を肩幅に開いて立つあなたの脚の間に腕を伸ばし、そのままゆっくりと上げて、肘と手首の真ん中ら辺をそっとお股に沿わせました。
そしてそのままゆっくりと腕を引き抜きました。
手のひらで感じたあなたのお股は、お湯で濡れていました。
「どう?どんな感じ?」
「なんだかお股がくすぐったい」
あなたは笑い、「私も触ってあげるね」と言いました。
私は静かに頷き、ゆっくり立ち上がると、あなたと同じように脚を開きました。
あなたの細く白い腕が私のお股に触れた時、私は衝撃が走りました。
なぜなら、とても変な感じだったからです。
もちろん、トイレで用を足したときに拭くときや、お風呂で身体を洗うときなど、自分で自分のお股に触れたことはありましたが、それとは全く違う感覚になりました。
「どうだった?」
「ほんとだ。くすぐったいね」
あの時、私はそう言いましたが、本当はくすぐったくはなかったのです。
くすぐったいとは少し違うと思いましたが、それ以外にその感覚を説明する言葉が分からなかったのです。
「そうだね」
幼かった私たちは、そう言って笑い、あまり長風呂するとお母さんに怒られるからとお風呂を上がりました。
それからは、私の家族が転勤になりしばらく地元を離れて暮らしたこともあり、地元に戻ってからは学校も違ったので遊ぶ機会もなくなり、現在にまで疎遠になってしまいましたね。
20歳になって初めての彼氏ができるまで、私に触れたのははるかちゃんただ一人でした。
皆さんは、初デートはどのようなお店に行きたいですか? 初デートのお店のチョイスは、お店を選んだ人の印象さえ左右する場合がありますよね。例えば、おしゃれで料理も美味しいセンスの良いお店を選んだら、印象が良くなるのではないでしょうか。では、チェーン店の居酒屋に連れて行かれたらどうでしょう?
今回は、「初デートでチェーン店に連れて行かれてショックだった」という律子さん(仮名・30歳)のお話を紹介します。
大手メーカーの営業として働く律子さんは、3年ほど前から本格的に婚活を開始し、これまで何人かの男性とデートを重ねてきました。しかし、なかなか結婚したいと思える男性に出会えていません。
「最近アプリで出会った人と、初めてお会いしたんですが、すごくがっかりしてしまいました。彼からはその後も連絡が来るのですが、もう2回目以降のデートはないと思っています」と言うので、なぜか聞いてみると、こんな話をしてくれました。
「初デートのお店が、某居酒屋チェーン店だったんです。信じられなくないですか?
いちいち共感しなくていいんだよ。
「みんなたたきたいでしょ?たたけるお話つくってあげるね!はいブックマークして!オバさんになりきったあとは今度は就活男になるよ!ほいほい!また投稿しちゃったよ!次から次にアイデアが出るからオレは天才!」って人たちがここを餌場にしてるだけなんだよ。
で、うまいやつほど真偽不明かつひっかかるような棘を埋めてあるんだから「真偽不明だなーでも嘘だろうな」って思いながらおのぞみのブクマをしたりして、じゃれ合ってるだけなんだよ
それがいやならツイッター(仮名だけど名前が出るから少なくとも一貫したネタしか投稿しない人が多い)とか、デイリーポータルZやオモコロとか、そういう普通の記事読もうね。
仮名を出しているからって嘘を言わないわけじゃないだろうけど、割合は減るし、ずっと読んでいたらなんとなくわかるでしょ。
匿名サイトってのは大昔からこういう「嘘を嘘として楽しめる人」のための場所なんだよ。
==追記
おれなんかコロナ時期の増田で「(以前から花粉症なので)すでにマスク持ってるから平気だ。」って書いただけでマスクが手に入らなかったヒス増田に「買い占めたのかよ」って絡まれまくってちょっとかわいそうになったわ
まあそれも嘘というか、大部分は「オレが正義を代行する」っていう義憤的なものなんだろうよ
「よろこべ増田。君の望みはようやく叶う」ってこった。