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はてなキーワード: 阪神淡路大震災とは

2022-11-13

anond:20221113002846

阪神淡路大震災火災になったりして酷いことになったのに配慮してくれないよね

anond:20221113002846

増田だしネタバレ気にしないけど、ストーリー阪神淡路大震災が「もう一回起こりかける」描写があるのでそっちの方がキツいんじゃないかと思うんだけど、「東日本が~」は特権性を感じる(関東大震災も起こりかけるが、これはもう記憶がある人もほぼいないだろう)。東日本ストーリー上はあくま過去のものとしての扱いだし。

2022-11-12

id:baikoku_senseiだがすずめの戸締まり見ました。感動!君も泣け(ネタバレ感想)

ネタバレは避けてたんだけど、震災被害者PTSDに注意みたいなまとめタイトル見ちゃってショックでPTSDになった

でも映画館行ったら同様の注意喚起があったのでゆるす。



ネタバレ

後ろ戸が開くとミミズが出る

感想

クソ猫やんけ…

クソ猫がよ…

オアアアァ!!クソ猫オァァァ!!!

あれ、クソ猫…?

クソ猫はクソ猫じゃなかった…いや呪い押し付けてたしやっぱクソ猫だわ

まとめ

今更3.11テーマにしたのが偉い

その上でエンタメとして傑作

善人しか出てこないこの世界の綺麗な所の煮凝り


こっから長文垂れ流し

映画館行ったら中高生グループだらけでチビ

オッサンになると中学生高校生は無条件で怖い。不良が怖いんじゃなくて集団に対する根源的恐怖っつーか…小学生大学生大丈夫なんですけど…

で、ネタバレも昔は大丈夫だったんだけど年取ったらダメになった。真っ白な状態で見て不意打ち食らいたいんだよね。呪術死滅回游が好きなんだけど、週刊で読んでてそうきたかー!って気持ちよさがあるから私鉄純愛列車とか相撲だぁー!刀ぁー!とか最高で…まぁ、二週目の面白さもあるけど、初見面白さは一回切りだし大事にしたい。

で、3.11ね。震災後5年だか7年後だかに立入禁止区域の近くまで行こうとした事があるんだけど、道路脇に土を集めたり草刈りしてる作業員大勢いて、いわゆる汚染土がコンテナか何かにまれて(結構記憶曖昧)、互いに見て見ぬふりしながら、この人達はどこに住んでるんだろう?と考えていたことを思いだした。立入禁止区域は当然バリケードされて近付けず、それより帰りのバスで乗り合わせる女学生美人揃いだったことが印象に残っている。

まぁ、当時ですら震災は終わった扱いで、PTSDネタバレ食らった時も、数年振りに震災を思いだしたくらいだった

そう考えると、神戸に行ったことで阪神淡路大震災も思い出したりして。関東大震災もな~。はよ南海トラフ起きて都民全員死ね!とかあんま言わないようにします(浄化)

懐メロについて、吉幾三流れてたっけ?と思いながら、シンエヴァ吉田拓郎を思いだしたりとか。しかし考えると芹沢って俺より若いのに年上として見てたな…俺は幼稚なジジイなんやなって…

左大臣から道真かと思ったけど関係ないんかな

エンドロールのKOUSHIROUさんは不意打ちだった。考えると突然興奮する患者なんだよな…すずめの戸締まりナイフ行方後日談だった…?

結局東京行くのはいいんだけど面白い。君の名を見た時、新海は地方出身者に違いない、と何となく確信したんだけど、地方の(元)若者にとって東京ってのは一種聖地で、一方地元への愛憎はすさまじく、進撃の地ならしとかチェンソーマンの銃の悪魔みたいな虐殺地方への復讐なのでは…みたいな、まぁ、これも「作者の意図」とやらを勝手に読みとってる訳で、

そういう当て嵌めで正しい読みとやらを考察するバカ嘲笑してたりもしたんだけど、ワイはそのアンチテーゼ(この言い方も…)としてロランバルトテクスト論を持ち出したりする。ただ、実は大学講義で聞き齧ったことを断片で吐いてるだけで、実はバルト著作なんて読んだことも無いんだもんね~。結局

ロランバルト」知ってる?知らない?というマウンティングをしたいだけなんだよな~。エセインテリとしてのコンプレックスだよな~


あと、天気の子世界より一人が大事ってテーマ、半水没くらいなら大丈夫じゃね?みたいに、ポジティブな所と相殺されちゃってた感じもあったが、いざどっちか選べってなると無理だよねそら…

でもまぁハッピーエンドで終わるわけで、珍しくストレートセリフで語ったりもする。個人的な事を言えば、盲目的な楽観論は好きじゃない。感染増加中のピークアウトするはずとか、景気は緩やかに回復基調とか、精神の安定のためにネガティブ情報から目を逸らしてる感じがどうも…だからって黙らせたところでしょうがないんだけども。

シンエヴァもだけど、人との繋がりがテーマになってる感じっすね。社会に出ろ、みたいにネガティブに受けとる人もいたりするけど、コミュニケーション大事って話ですよね結局。

2022-09-27

anond:20220926205322

それがまさしく、鎌倉世界遺産になれなかった理由なのよ。当時の建築物ほとんど残ってない。鎌倉大仏だけ。

関東1923年関東震災で倒壊や火災が起きて、多くの歴史的建造物が倒壊して残らなかった。1995年阪神淡路大震災では京都震源から離れていたが、関東震災震源相模湾沖なので、実は震源に近い神奈川県の方が東京より揺れが大きく、倒壊で多くの建物が失われた。

震災被害横浜も極端で、実は横浜には開港当時の洋館は一件も残っていない。すべて関東震災ときに壊滅した。皆がありがたがって行く山手洋館は、関東震災後に逃げてしまった外国人を連れ戻すために建てられた洋館居留地時代洋館が見たければ、神戸旧居留地五番館まで行かないといけない。

横浜に行ったついでなら、山下公園とか場所ぐらいわかるでしょ。山下公園関東震災復興祈念公園で、当時の震災瓦礫で埋め立てして作られた公園横浜関内地区沿岸部関東震災で一回地盤沈下してて、昔の洋館とかは倒壊後、海に沈んでしまった。横浜関内地区は一帯が住居表示実施区域から地番明治から大きく変わってないが、沿岸部関東震災後に復興で引き直してるから、昔の地割がどうだったのかすら正確には不明

横浜役所桜木町に移すときに、発掘調査が行われて、今では遺構の一部が公開されてる。あれが関内で一番古いものだな…昔は、横浜公園庭園石灯籠が一番古いって言われてたのよ。横浜公園一体は、幕府オランダ共謀して作った人集めのための遊郭後なんだよね。そこの岩亀楼っていう遊郭石灯籠軍事的東京から切り離しやすい今の横浜関内一体に外国人を集め、唯一の開港場としてアメリカに認めさせるためにはどうしたらいいかって、江戸幕府オランダ相談して、オランダ提案したのが遊郭作ることだったのよ。

鎌倉の話なのに、横浜の話が多くてごめんね、横浜まれなので横浜のほうが詳しいのよ。

2022-08-28

ホロコースト否定論簡単に釣られてしまう人たち

ホロコーストなんて今どき、それ自体話題にすることは少ないし、日本の歴史問題の何倍も関心度は低いだろうとは思う。近現代とは言え遥か昔の話だし、同じ枢軸国がやったと言っても日本にはほぼ無関係だ。それに、日本ホロコースト否定論が世間を多少賑わせたのは1995年阪神淡路大震災オウム真理教で大騒ぎだった年に、文芸春秋社月刊誌だった『マルコポーロ』が廃刊になった記事の一件だけである・・・あ、例のT院長の件もあったな。

 

欧州では昨年か一昨年にスウェーデンホロコースト否定禁止法を立法するかどうかの話があったくらい(その後どうなったかは知らないが)、ホロコースト否定論は今も珍しい話題でもない程度には問題にされることがある。現状確か、イスラエルを入れて20カ国弱の国で否定論を公然と主張することには法的な規制がある。ホロコーストの中心地でもあったポーランドでは、否定論ではないがホロコーストについて自国の関与を主張するような言論禁止する法律が制定されたのも数年前。またアメリカでも、憲法修正第1条で言論の自由が広く認められているせいもあり、ホロコースト否定論の主張をしてもなんらお咎めを受けることはないが、FacebookYouTubeツイッターなどの主要なインターネットメディアでは厳しく規制されている(が、実際には消滅したわけでもない)。

 

いずれにしても、欧米日本ではホロコースト否定論について、かなりの温度差があるのは事実である日本では義務教育ホロコーストを習うことなほとんどないのではないかと思われるが、欧米では必須としている国や教育機関は多いそうである。それでも、関心の大きさからホロコースト否定の主張に賛同するような人はもちろん欧米の方が圧倒的に多いだろう。翻って日本ではそもそも関心が薄いので、否定論が目立つことはほぼない。せいぜい、ナチス軍服を着たとか、ハーケンクロイツの旗を公共の場で掲げたとかで、問題になる程度のことだ。その程度のことで神経質にビクビクしてタブー扱いするのもどうかとは個人的には思うけれど。

 

何故欧米で、ホロコースト否定が法的に禁止されたり、規制されたりするのか? 最も大きな理由あん悲劇を二度と繰り返さないためであるホロコースト否定デマであり、ナチ復興を許しかねず、そしてユダヤ人差別につながる。また犠牲者遺族たちの心を酷く傷つけるものでもある。だが、否定論に賛同する人たちはそんなことどうでもいいらしい、それは日本でも同じであるホロコースト否定賛同することが非常に危険行為だなんて、多分考えたことすらないのだろう。

 

日本ネオナチ怪文書にあっさり賛同する人たち。

こんなツイートが私の網に引っかかった。

https://twitter.com/masami6666/status/1563353770092003328

ツイート内の画像で示される文書は、そこに書いてある通り「国家社会主義日本労働党(NSJAP) 山田一成」によるものであるドイツナチスとは日本語では正式名称を「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」と呼ぶ。従って、山田一成日本ネオナチであることは否定しようもない事実である。ググればわかるが、ネット上の基地こちである

http://nsjap.com/jp/

また、Youtubeにある「密着24時!日本ネオナチ」というタイトル動画山田一成が紹介されているので興味のある方はご覧いただきたい。タイトルにそうあるくらいなのだから山田自身ネオナチであることを否定してはいないということでもある。

 

ネオナチなのだからホロコースト否定するのは当然である。ところが実は、傾向として、欧米の主流のホロコースト否定論者、いわゆるプロ歴史修正主義者たちは、ネオナチと結びつけられるのを嫌う。何故なら、思想的にネオナチと見られると、自分達が世間から信用されなくなることを知っているかである欧米プロ歴史修正主義者は、ほとんどの場合ネオナチ関係があったとしてもそれを隠す。世間から信用を失くすと、修正主義者目的である否定論を世間的に認めてもらうこと」が困難になると思っているからに相違ない。『ヒトラー戦争』という歴史書欧米では超有名なデヴィッド・アーヴィングは、彼をホロコースト否定論者だと書いた歴史学者であるリップシュタット教授を訴えた裁判で見事に負けたが、裁判ではアーヴィングネオナチ集会に出て聴衆を扇動していたことを暴かれた。しかアーヴィングはその事実を誤魔化そうとしたくらいだったのである

 

あるいはこれもその筋では有名な否定書、1970年台中から後半にかけて広まった『600万人は本当に死んだのか?』というホロコースト否定古典的パンフレットがあるのだが、著者の名前はリチャード・ハーウッドとなっている。が、そのプロフィールに該当する人物存在せず、本当の名前をリチャード・ベラルという。リチャード・ベラルはイギリスナショナルフロント国民戦線)という極右組織出版物であるスペアヘッド」の編集長だった。何故、実名と実際のプロフィールを書かないのかは、当然、世間に信用されたいからであり、ネオナチ世間に信用されない存在であることを知っているかである。そのパンフレット欧米国会議員などに広くばら撒かれた。

 

かつて、雑誌マルコポーロ廃刊騒動の時に、問題記事を書いた西岡昌紀とタッグを組んでいた木村愛二というジャーナリストがいたのだが、彼ですらもネオナチ呼ばわりされるのを嫌った。

 

なのに、上のツイート賛同意見を述べたツイートを発した人たちには、山田一成ネオナチであることなどどうでもいいらしい。山田思想的に偏向しているのは誰の目にも明らかなはずなのに、そんなことを気にすることもなく、ホロコーストなかった説をあっさり賛同する。私たち普通ネオナチとか関係なくても、ネットで広められるだけのほんとかどうかわからない主張を、そのまま信用したりはしないと思うのだが、あまりにあっさり信用の方向に流れるのだから、呆れるというかなんというか。その賛同者の多くは、いわゆる陰謀論の方に傾倒するような人たちばかりであることは言うまでもない。

 

日本にも、ホロコースト否定論の方に賛同する人たちが意外に多い。多いと言っても私自身の感触だけであるが、Youtubeにあるホロコースト否定論の動画チャンネルには6000人強の登録者がいる。否定動画としてはよくで出来ているので、否定論がどんなものか知りたければ『ホロコースト論争』で検索をかけて、同じタイトル動画ニコニコ動画でご覧になるといい。Youtubeにアップされた同チャンネル動画は何話分か削除されてしまっているかである。見ればわかると思うが、それ相当の知識かあるいは調査能力がないと、ホロコースト否定論には簡単には反論し難い。いうまでもなく、ネオナチ怪文書のようなものにあっさり釣られて賛同するような人たちに、その嘘・誤りが見抜けるようなものでは絶対にない。

 

まぁ世の中、そういうあっさり釣られる人もいる、だけの話なので、別にどうでもいいようなことなのかもしれないが、はてな増田をご利用の賢い方々には、そんなことはないだろうと思いつつも、注意していただきたいものである。今回は、私のアンチホロコースト記事などはあえて紹介しない。たくさんあるので興味があれば参考にはしてほしいが、興味がなければ特に面白いものでもなく、時間無駄になるだけだと思う。だが、一点だけ、怪文書反論しておきたい。

 

見直し学派は、ホロコースト説は何年もの間に大幅に変わったことを指摘している。

 

とあるが、そう思えるのは単純な話で、戦後長らく、ホロコースト実態がよくわからなかったかである。よくわからなかったと言っても、大勢ユダヤ人たち(や、精神疾患患者同性愛者、ロマ人、その他)がナチスドイツによって死に至らしめられたこ自体は疑いようのない事実として判明はしていた。たとえば、ユダヤ人人口が600万人弱、戦前に比べて減っていることは1945年5月終戦よりも前にわかっていたくらいだったのだ。何故わかっていたかというと、(これはある資料からの推測であるが)ユダヤ人ユダヤ人共同体集会所となっていたシナゴーグで名簿管理されていたからであり、各地のシナゴーグの名簿を集計すればたちどころに判明するからである。また、ニュルンベルク裁判ではあのアドルフ・アイヒマンユダヤ人処分数はトータルで600万人だと語っていた、とアイヒマン関係者が証言していたりする。それ以外にも多くの情報戦時中からすでに世界中漏れていた。ナチスドイツが極力、ユダヤ人絶滅などの非合法殺戮を極秘に行ったにも関わらず、である。そして、この600万人説は何度も研究調査され、現代までおおむねの数値として、主流の歴史学者から異論はない。日本研究者の柴健介氏も自著で「600万人以上」と推計している。

 

が、細かい話はよくわからなかったのである。たとえばあのアウシュヴィッツで殺されたユダヤ人実数は当初は全然からなかった。何故ならば、アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人の大半は、囚人登録もされておらず、ガス処刑死体は焼却処分されて、残った骨などは砕かれて近くのヴィスワ川やソラ川などに捨てられてしまったのだ。アウシュヴィッツ解放したソ連は、絶滅された総計を400万人とした報告書を提出したが、死刑に処せられたアウシュヴィッツ司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスはそれを否定して最終的には120万人くらいだと自己推計した(記録を取ることを許されなかったので、ヘスでさえ推計するしかなかったようである)。このヘスの値が現在判明している犠牲者数(110万人)に非常に近いことが判明するのは1980年代後半まで待たなければならない。ソ連の400万人説は、それっぽく推計したようには書いてあるが、どう考えても囚人生存者の証言を元にしているとしか考えられない。何人もの囚人が400万人くらいだと語っているかである。が、それらは皆、生存自身が推計値、あるいは収容所内の噂だと語っているに過ぎないもので、囚人に正確な数字が分かったはずはない。

 

あるいはナチスドイツ最初に作った強制収容所であるダッハウ収容所ガス室についてであるが、ダッハウ収容所米軍解放した時に、何千体もの死体があったのだ。これらの死体の大半は割とすぐに餓死や疫病の死体だと判明したようであるが、ダッハウにはガス室もあった。そのガス室にはダミーシャワーがあり、毒ガスの元を投入するような仕掛けまであった。そのガス室のすぐ隣には火葬炉もあった。もちろんその建築物そばにはたくさんの死体が山積みになっていた。こんな状況で、「ガス室で大量殺戮をおこなっていた動かぬ証拠だ!」と誤解するなという方が無理である米軍には当然、マスコミ記者たちも従軍していたので、そうしたガス室殺戮の話はすぐに広まったのである

 

ところが、よくよく調べてみると、ダッハウガス室でのガス殺処刑証拠は、ほぼないに等しい状態だったのである。確かに、ガス処刑については、裁判での証言はいたが、たったの一人なのである。それ以外には一通の文書証拠と、イギリス諜報員捕虜が語ったとされる伝聞証言程度のもので、他には何もなかった。一方でアウシュヴィッツガス室については、証言だけでも大量に存在するし、なにより加害者証言もかなり存在し、その最大のものとしては司令官だったルドルフ・ヘスが事細かに証言し、自叙伝にまで書いているのだ。ガス室・ガス処刑があったことを裏付け証言以外の証拠豊富である。(もちろん修正主義者証言は全て嘘であると主張し、アウシュビッツガス室裏付け証拠など絶対に認めない)

 

これらの内容は、具体的に歴史家などが調べなければわからないものばかりなのであるダッハウのガス処刑証言が一人しかいない件だって裁判記録を調べなければ判明しない。したがって、ダッハウなどの収容所現地にたくさんの死体があったことが原因で、誤った説が戦後長らく広まっただけの話なのだ。そうした事実を、あたかも、ディープステートのような闇の陰謀者が、初期のホロコースト説が杜撰なので、それをもっともらしい説に変えていった、かのようにネオナチは主張しているのである。つまりは、ネオナチ修正主義者論点先取、最初から話を陰謀論ホロコースト捏造と決めつけていることがわかる。

 

ダッハウガス室捏造だと主張するのであれば、何故証言者がたった一人しかおらず(陰謀実行者は偽証証言者を何故たくさん用意しなかったのか?)、文書記録やあるいは物証としての死体解剖してもガス処刑された死体しか判別できない死体がなかったのか(陰謀実行者なのだからそれらを用意して当然だと思うのだが?)、説明がつかない。その実際にいた証言者(フランツブラーハ)とて、たかが数名の処刑のその後の死体を見た、と言っているだけであるダッハウガス室連合国による捏造なら、そんなあやふやな頼りない、犠牲者も少ししかいない証言がたった一つだなんて、あまりにも変である

 

反論はそんなところ。こんな馬鹿げた幼稚な説でも、賛同する人がいるのはしょうがいかなーとは思うけど、何が事実真実かを知りたいのなら、もうちょっと知恵を絞って考えてみるという気は起きないの? と思ったりはする。

2022-08-08

人生観は変わらなかった

40歳になった。ここまでの人生を振り返って思うのは、「人生観が変わるほどの衝撃」とか「人生を決定づける出会い」って俺には結局なかったし、これからも無いだろうな、ってこと。キルケゴールの「大地震」とか、安藤忠雄ガンジス川とか、ああいうの全部20代だしね。もちろん俺は彼等ほどの逸材傑物ではないけれども、俺の人生だってあいう転換点があってもおかしくなかったはずだ。ということで年表見ながら振り返ってみるわけだが、

リクルート事件(1989)

自民党って悪い奴らなんだな、という理解だったが、今じゃ贈収賄程度で総辞職なんてしないわけで、いま振り返るとよくわからない。

天安門事件(1989)

社会主義って怖いんだな、という理解戦車の前に立ってる写真は後から知った。

ソ連崩壊(1991)

社会主義は終わったんだな、という理解世界史とか地理とか結局マトモに勉強しなかったので、今でも当時の解像度のまま、なんで露宇が戦争してるのかよくわからない。

湾岸戦争(1991)

油田放火もったいねー、海鳥かわいそう、くらいの印象しかない。当時からハイテク戦争と言われてて、ベトナム戦争アフガニスタン紛争みたいな人道危機報道は少なかったんじゃないかと思う。普通に人も死んでたはずだが・・・

阪神淡路大震災(1995)

高速道路が倒壊してる絵面はショッキングだったが、いま振り返れば単に大都市で起きた大地震という以上の意味はなかったと思う。手抜き工事疑惑はあったけど、復興利権みたいな報道記憶にない。

地下鉄サリン事件(1995)

犯罪どうこう以前に、ホーリーネームとかヘッドギアとか純粋気持ち悪くて理解できなかった。カルトやべーな、という理解

同時多発テロ(2001)

⇒その後、アメリカ大量破壊兵器証拠とかナイラ証言とか捏造してイラクに侵攻してフセイン処刑してた。ブッシュやべーな、という理解

北朝鮮拉致を認める(2002)

⇒ひどすぎる、と思いはしたが、少なくとも今はもう拉致してないんだな、と安心もした。

ライブドア事件(2004)

⇒こんな若造でも金さえあればフジテレビ買えちゃうんだ、という発見と、出る杭は打たれるってマジなんだ、という理解

オバマ大統領(2009)

ブッシュから黒人大統領まで揺り戻した点にアメリカの強さを感じたが、当選後の印象は薄い。オバマケア? あとビンラディン殺害

サブプライム問題(2009)

⇒当時勤めてた会社が潰れかけてて、リーマンショックの影響で業績悪いっすってみんな深刻そうに言ってた。もちろん全然関係ない。

福島第一原発事故(2011)

日本危機に弱い、という理解。その後のゴタゴタで、究極的には倫理/信念/信仰の欠如(保身と利益誘導以外の行動原理がない)、という理解信仰とは必ずしも特定宗教帰依することを意味しないのだが、しか日本社会には資本主義科学技術信仰への対立軸がなく漠然とした宗教への忌避感もあり・・・と、俺なりの総括を語ろうと思えば語れるんだが、このあたりはもう30がらみ、既に自己確立してしまった後なので、あとはもう何を見ても偏見を補強していくばかりだし、ここから現在までの10年間のニュースほとんど印象にない。あったねー、くらいの感じ。

統一教会事件(2022)

⇒分断やべえな(ここまでやられても団結できないのか)、という理解。ちなみに俺は共産党贔屓です。

参考:キーワードでみる年表 平成 30年の歩み|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB

振り返って思うに、転換点は1999年東海村JCO臨界事故だったと思う。裏マニュアル作って核燃料をバケツで扱って臨界しちゃったアレ。日本先進国技術なら世界一とか、日本人は真面目で几帳面とか、そういう幻想崩壊していく予兆を感じ取るべきポイントだったが、当時高校3年の俺にはそういった視点はなかった。作業員チェレンコフ光を見て放射線障害で苦しみぬいて死んだことは印象に残ってるけれども、日本もうダメなのでは? みたいのは無かったし、世間空気もそうではなかった。一部の不心得者による怠業、むしろ日本人の生真面目さが悪い方向に働いてしまった結果、みたいなことをみんな言ってた気がするけど、今振り返れば完全にズレてたな。80歳で死ぬとして残り40年、これからも重大事件は毎年起こるんだろうけど、俺はもう死ぬまで「人生観が変わるほどの衝撃」を受けることは無いんだろうと思うと、ちょっとさびしい。

2022-08-02

歴史的円安」と騒ぐ理由は何なのか?

 2022年の明けから、いよいよ超円安時代スタートした。

1月は「1ドル=115円」だったものが、ロシアによるウクライナ侵攻が起きた翌月の3月初めから円安が急激に進み始め、

4月に入ると黒田ラインと呼ばれる「 1ドル=125.86円 」を一気に突破したのだ。

もちろんこれでは終わらず、先月には「1ドル=139円」を超え、23年ぶりの歴史的円安になった。

今は「1ドル=130円」と落ち着きを取り戻したものの、まだ超円安時代は続く見通しのようだ…。

 今回の特徴はもちろん「ドル高」ではあるものの、一番見逃しているのは、「日本円安」の方である

理由ドル以外でも、例えばユーロポンド、または豪ドル、やNZドルシンガポールドル中国元、さら韓国ウォングラフで比べても、日本円はかなり目立って安くなっている。

ドル日本円、どっちが目立つの?」と質問されたら、「やはり日本円の方が目立つ」と答えるほどである

世界中インフレの嵐が起きている中、多くの国々の中央銀行殆どは、インフレを止めるために「政策金利の引き上げ」に走っているにも関わらず、

日本中央銀行けが、それに逆らって大規模金融緩和指値オペを繰り返していたかである

 そして本題に入るが、今年7月に記録した「1ドル=139円」は本当に歴史的円安なのだろうか。

多くの人達は「過去に1ドル360円の時代があったから、今回のはまだ全然円高過ぎる」と思うであろう。

しかしなぜ多くのマスコミは「歴史的円安だ」と騒ぐのかは、実は根拠がある。それは「円の購買力」、または「実質実効為替レート」にある。

 円の購買力とは、「世界から見た、実際の日本円価値」という意味であり、

例えばアメリカ消費者物価指数日本消費者物価指数使用して計算し直し、今回の「1ドル=130円」は○○年前の「1ドル=●●●円」と同じ価値であることが確認できるのだ。

まり実際、2002年の「1ドル=130円」と今の「1ドル=130円」は同じ価値ではないからだ…。

 実質実効為替レートは、世界各国の通貨物価データを一つにまとめ、その日本円を使って数値化、グラフ化した為替レートのことであり、

現在2022年6月時点)の日本円価値は、1971年9月の数値( 当時:「1ドル=335円」 「1ユーロ=330円」 )とほぼ同じ価値であることが分かり、

からこそ「歴史的円安である」という結論が出るのだ。

 ちなみに実質実効為替レートの数値が最も高かった時期は「1995年4月19日( 当時:「1ドル=79.8円」 )」であり、

当時は阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起きた直後であり、かなり混乱した時期でもあったものの、逆に海外旅行留学などが最も楽であり、

それにより多くのJPOPミュージシャン達や芸能人達が海外ロケを沢山行っていたのも納得できる。

 しかしなぜ、日本円はそこまで価値が下がったのだろうか。その理由1997年から今まで、日本経済は長期的な「デフレ」に陥ったのが原因である

日本物価が25年間ずっと「1」のままなのに対し、世界各国の物価が25年間で「平均2・3倍以上」になれば、当然日本円安に傾きます

そんなことを知らず、ずっと通常の為替レートを眺めるだけ気が付かないままだと、いずれ危険になるであろう。

 さて…全体的に説明をしたところで、殆どの読者達が理解できれば幸いである。

 余談だが、数年後にもし「1ドル=80円~90円以下」になった場合、俺はハワイ短期旅行をしようかと思っている。

しかし今回の歴史的円安状態がずっと続けば、実現はできないであろう…。

2022-07-18

輪るピングドラム」がモチーフにしたもの

この記事が少し話題になってる。

https://anond.hatelabo.jp/20220713203406

ただ輪るピングドラムは完全ネタバレしていくともう少しいろんな事象を混ぜている。

キーワード1995年

しか2011年でさえ理解者が少なかった。

視聴者層が若かったのではないか。今年開かれた原画イベントに行くと当時十代後半だった層が殆どだったので…多分見終わってから調べた層が殆どではないかと。

しか2021年になってしまい、新規視聴者が増えても、時代背景から作品理解がどんどん難しくなっていて、当時のブログ考察もなかなかたどり着きにくいなと感じている。

一応ピンドラ考察代表例としてだされている「ピンドラモチーフにしたもの」についていくつか触れておくので、全くわからなかった人はこのあたりをヒントにしたらいいと思う。

■95というモチーフ

1995年のことだ。バブル崩壊したが残り香がある時期。世間2022年のように混沌としている。当時の混沌から勢力を拡大したのがオウムとする意見が主流だ。

モデル事件として地下鉄サリン事件、は勿論なのだが、この年にはその前に「阪神淡路大震災」が起こっている。

村上春樹の「かえるくん、東京を救う」が劇中に出てくるが、これは短編集「地震のあとで」に収録されているその震災の話だ。

同じく村上春樹の「アンダーグラウンド」というサリン事件被害者インタビューの本がある。

この2冊は作品構造とも密接に関わっているので、考察するには要チェックだ。

透明な存在

作中で出てくるキーワードだ。

これは神戸児童連続殺傷事件1997年)の犯人が出した犯行声明に書かれていたキーワードだ。

そこから「こどもブロイラー」へと繋がっていく。

この件に関しては同監督作品の「ユリ熊嵐」の方が直球で投げていたかも。

カレー

98年に起きた和歌山毒物カレー事件について思わせるシーンがいくつかある。

宮沢賢治銀河鉄道の夜

アニメ冒頭から語られる話であり、ピンドラ考察するならまずこれを読めというものでもある。

登場人物名前から関係性、台詞などアニメ構成自体ベースにあるものだ。

ただもう一つ踏み込むと、宮沢賢治宗教観父親対立していたこと、岩手に「ユートピア」を作ろうとしていたこと、病弱な妹を溺愛していたことなど、彼の人生も重なる部分があるので調べてみてほしい。「自己犠牲」についても同じくだ。

聖書などを匂わせる描写もあるが、それも宮沢賢治の独特な宗教ルーツから連想したと思われる。

■同世代への批判

原監督根本的な怒りの部分がここにある思われる。1964年まれ監督なので、そのあたりを踏まえてみるともっと考察が生まれるはずだ。むしろその世代に語ってほしいとさえ思う。

南極物語

銀河鉄道の夜と並行してこのストーリーが組み込まれている。こちらも登場人物名前に注目してみてほしい。

リンゴの受け渡し

この辺は有名な考察なのだが今から視聴する人がこの考察にたどり着けるか心配なので、一応触れておく。検索したら出てきます最終回後にどうぞ。

まあまだ考察は山ほどある作品だが、このあたりを検索していけば他の考察も目にするだろう。youtubeかにもあがってたりするので。

本作の見方個人的おすすめなのは「分からなければ一旦ネット上で溢れている考察鵜呑みにして見直すこと」で、その上で「それは違うんじゃないかなー」ってなっていくから

やっぱ「生存戦略ー!ハイレグ!」で釣られて気軽に見れる作品ではないなという印象はずっとあります。導入すげー軽いんだけどな。怖いんだよなそこが。愛の話で片付けちゃう宗教っぽいよね。総括すると愛の話なんだけどね。

あと総集編の新録パートがまたどう転ぶのか難しくて、そのへんも考察を待っている。この記事見るのはこのアニメファンだろうから「それは違うよ」という意見ならどうぞ語ってほしい。議論こそピンドラだ。

2022-03-19

高速道路割れるわけない

父は日本人だが根っから反日だ。

事あるごろに自民公明批判し、アメリカはこうだ中国はこうだと、他国のいい所だけを掻い摘み比較したがる。

的を射ている発言は度々行うが、おおよその発言YouTubeのどこかの誰かが言っていた事をそのまま流しているだけにすぎない。

ーーー

前置きはさておいて、先日東北でマグニチュード7.3という大きな地震があった。

高速道路に亀裂が入ったり、新幹線脱線など、公共交通機関傷害があった。

それに対して、父はこうコメントした。

「手抜き工事から自民公明工事費を中抜きしまくった。だから耐震性のマトモな道路ひとつ作れない。普通に作ったら割れるわけない。」

腹の立つ言い方だが、一理あるだろう。

事実工事費や施工費の一部は中抜きされているケースが多い。近年では、国立競技場費用問題がそれだ。

しかし、今回はそう断言できるのだろうか。父が断言できるのは、きっと自分政権批判ができて共産党万歳なほど、知識豊富秀才だと考えている私立大学文系からであろう。

私は残念ながら、破壊力学は存じ上げない。壊れる時は壊れるのではないかと考えている。

しろ阪神淡路大震災のように柱から崩落し復旧には途方もない労力を要求されずに済んだので、不幸中の幸ではなかろうか。

付け加えるならば、その割れ道路は1日で修復した。


新幹線脱線についてもそうである

父は脱線したこと批判していた。これは自民公明中抜きであり、普通に施工すれば脱線などしないと。

しかし、地面が揺れる中で時速300キロでレールの上を走る鉄(アルミ?)の塊が脱線しただけで済んだのは、もはや賞賛するべきではないのか。

事実JR東日本は、横転防止用の装置作動していたこととその調査を行うとして、否定的にではなく肯定的に捉えていた。

これを踏まえて「自民公明中抜きで...」と一括りで言うのは、少々幼稚のようにも思える。父は理系的な知識思考力はない。故に因果関係など考えず脳死で誰かのせいと言い張るのだろうか。

まぁ、ワクチンは〜とか人工地震が〜とか言い出すよりかはマシだろう。

そもそも、今後どれだけ地震に見舞われても割れることのない道路なんて、作れるのだろうか。どんな環境下においても脱線せず横転せずの新幹線なぞ作れるのだろうか。


そもそも、父のいう普通とは何だろうか。

2022-03-13

33歳の僕たちについて

僕たちは生まれながらにして不幸だった。

僕たちに希望が語られるときはいつも建前だった。

物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化無責任押し付けられ、いつも年金説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。

小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活不条理に突然破壊されることを知った。

オウム真理教天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。

学校はいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子ども大人も誰も責任を取らずに済んだ。

どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。

いじめ学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。

ノストラダムスの大予言も二千年問題世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。

社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験最前線で僕たちは消費された。

社会の正体に近づくほど、実験甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たち理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。

センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑諦観で、理想から現実からも逃げているだけだった。

芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見雰囲気の良い雑誌で語った。

とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。

いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。

インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界開拓していた。

過去日本では文学学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。

けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識組織化しない雑多なカオス世代や日陰者の雰囲気ベースとしてただ在った。

東日本大震災とき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。

ネットから始まる民主化現実世界にも網目を伸ばし、キレイ情報を伝播させることを夢見ていた。

実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定カオスたちの団結は思想形成させなかった。

論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間責任を背負おうとしなかった。

大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字自分を騙そうとしているかだけを考えていた。

もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的芸術の一部分だけに還元された。

僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会有効なことをしているのだろう。

僕たちは生まれから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線嘲笑っている。かつて"カッコイ大人たち"がしていたように。

拗ねた子どものままで皮肉センチメンタルを捏ねくり回している。

最近は「多様性尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。

だが、それは欺瞞だ。多様性排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会多様性をもたらさなもの排除する。

最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。

ただそれよりも深刻なのは多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会適応するものだ。そして主張に成功したものだ。

僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である差別をされたり、大事に築き上げたもの喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。

社会の複雑さへの想像力ありのまま他者の受容、明確な善への地図が無かった。

今までのシステム近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。

僕たちは無責任という親に育てられ、不勉強という病気死ぬ

ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤー吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請けが社会にある。

なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?

今になってようやく哲学文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。

まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。

2022-02-25

阪神淡路大震災東日本大震災も、大雨もコロナ禍も、どこか他人事のようなところがあったけど。コロナ禍は、まだまだ不安だ。

しかしながら、どうも、ロシア侵攻は世界システムが変わっていきそうで不安だな。マックポテトが食べられなくなるって言うどころの騒ぎじゃあーない。

そういや、ノストラダムスの大預言とかは、どうでもいいが。

中国サイバー攻撃で、ネット使えなくなったりしたら嫌だなぁ。

2022-01-29

anond:20220129104620

阪神淡路大震災の時にガス管破断してあちこちから吹き出しているのに反射的にタバコ吸い出した人がいた

肝硬変の告知を受けたショックでつい深酒する人もいた

パニック普段の習慣にすがるのはわりとよくある話

2022-01-20

立川には活断層があるからダメ

立川には活断層があるからダメなんだな

https://anond.hatelabo.jp/20220119173546

千代田区内の無駄に高い土地建物手放して全部立川行きゃいいんじゃないの。

災害だけ考えるなら立川現実的だけど、首都移転とは別の話か。

立川にはその名も立川断層という有名な活断層があって防災の面では最悪だぞ。

ここが動くとM7.4程度の直下型地震となり府中立川瑞穂町火の海になる。

まり阪神淡路大震災と同じメカニズムと同じ程度の被害

府中から始まって立川付近横田基地箱根ヶ崎駅と続いて青梅の東の山の中で一度途切れているから、立川はど真ん中で一番揺れが大きい地域

立川から箱根ヶ崎の間には自衛隊立川基地昭和記念公園、西砂の農耕地米軍横田基地とだだっ広いところが繋がっているからそれらのせいで被害が少なく見積れるのに、そこを開発するような事をしてどうする。

 

因みにこの地震が発生すると小河内ダム羽村から狭山湖に引水している水管が破損する事間違いなしなの東京都渇水地獄になる可能性がある。水がマズイと悪評を受けていた金町浄水場配水地域を羨む事になるかもね。

 

https://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_katsudanso/f034_tachikawa/

2022-01-17

この時期になると毎年毎年

職場の暇な老人どもが順番に「俺の私の経験した阪神淡路大震災」を聞かせたくて近寄ってくるからウザくて仕方ない

世代の老人同士で「あの時こんな事あったねー」「ウチはあーでこーで」ってやってくれればいいのに

恐らくそれやると「俺の方がもっと大変」争いでイマイチ良い気分で喋れないんだと思う

自分含め比較若い方の社員達が朝からそれとなく逃げ回ってる

ウザい 本当にウザい 頼むからまれ黙って仕事しろ

「もうこの会社5年目なんで十分聞きましたよ」とか言ったらキレるのも目に見えてる

介護に近い

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いや毎年聞かされんのがウザいのよ

しかも1人ずつ寄ってきて1人ずつ時間取りやがる

1年目2年目ぐらいまでは興味持って聞けたけどもう無理

2022-01-07

『築30年のマンション』ってどう思う?

ちなみに賃貸の話、大事にしてるのは耐震と住んでる際に何かしら実害を感じるか否か、かっこいい/ダサい二の次

木造建築だと阪神淡路大震災後の法改正とかの関係で築20前後かどうかによって耐震基準が変わってたりするらしいけど

鉄筋コンクリートなら耐震基準的には築30年くらいであればセーフな気がしてる、ちなみに鉄筋コンの場合は築40年前後かで耐震基準が変わるらしい

新卒時は家賃は安くしたいけど耐震基準はほしくて築20年くらいを基準で考えてたんだけど、

築30年ってそれから10年くらい経ったものって考えると今住んでるところと同じくらいの耐震基準と住心地なわけで、それじゃあ古すぎるってことはないんじゃないかって思ってる

でも30年って数字だけ聞くと建った時点はよくても月日による経年劣化とかが結構起こってますよってなっても不思議ではない気がするし、

実際2022年時点の築30年マンションってどう思う

2021-10-14

[]外壁のクラック埋め

やりました。

こないだ脚立で、ほんと怖かったので

テンション下がってると言うか

やりたくないなりよって

なってましたが



このままでペンキは塗れませんし

本音は外壁業者さんにお願いしたいけど

まだちょっと無理なのです💦

外壁のクラック埋めは大したこともないくらいのヒビなんだけど

阪神淡路大震災のあとにうめたあと

また年月が経ってるので

新たなのがある感じ。

あのときちゃんとした業者さんが

やってくださったんだけど

こないだの玄関直した時の

前のひさしを外してあたらしくルーフ屋根にしたとき

振動でいったクラックもあるかも。

取りあえず今日クラック埋め

一階から脚立で届く範囲やって

後日、研磨して、シーラー塗って

シーラー塗って(2回は塗る)

そのあとペンキを。

そしたらすこしは

しか???

🐈がんばるよ。うん。

2021-08-23

「ガス殺死体は一体も見つかっていない」ホロコーストの話

阪神淡路大震災オウム真理教をめぐる事件で騒がしかった1995年に起きた、文藝春秋雑誌マルコポーロ』を廃刊にしてしまった事件の、そのホロコースト否定記事の著者である西岡昌紀氏がその記事でも使った文章がこれである

 

「なんと驚くべきことに、ガス殺の遺体は一体も見つかっていないのです」

西岡はそれ以来、繰り返しこのセリフを語った。今回はこれについて考えてみよう。

 

ガス殺遺体は見つかってないこともないのだが…… 

上の西岡が使う常套句は、実は微妙に嘘なのであるが、ほんとでもあるというややこしい話でもある。嘘であるというのは、見つかっていたという報告自体存在するからだ。知られているのは二つあり、一つはマイダネク収容所ソ連犯罪調査委員会による報告書であり、1944年10月頃という早い時期にまとめられた報告書の中に、ガス殺遺体発見事実さらっと書かれている。マイダネクはソ連赤軍の急襲にあって終戦前年の1944年7月にさっさとソ連解放されてしまったので、ガス室やその遺体の処理が間に合わなかった、とされている。もう一つはロシア南西部黒海に面するクラスノダールでもガス殺遺体発見されたと報告されている。こちらの方は1943年初頭にさっさとソ連占領されてしまっているので報告(裁判)の時期も1943年7月と最も早い。ガス殺遺体写真である

 

このように実際には見つかっていたという話を知らないネット否定派は多いようだが(西岡1995年当時には知らなかっただろう)、見つけたのがソ連であるという理由で信じないのが否定である。実は個人的にもマイダネクの報告書ちょっと怪しいと思っているが細かい話になるのでそれはここでは言わない。クラスノダールの方は写真まであり、その写真自体に「一酸化炭素中毒死体」とまではっきりコメントが書いてあって、信頼性はあるように思うのだが、ソ連裁判という理由否定派は認めようとしない。当時ソ連見せしめ的な裁判をやっていたらしく、それが信じない理由とされているようだが私は詳しくは知らない。

 

しかしこれが、否定派が主たる攻撃対象としている絶滅収容所、中でもアウシュヴィッツ収容所の話になってくると、確かに解放後に連合国によって一体も発見されていないのは事実である定説では、それらのガス殺による遺体は全部焼却処分してしまたかである。が、ここでは少し否定派側の視点に立って考えてみよう。

 

ガス殺死体が一体も見つかっていないのに、なぜガスによる虐殺があったと認定されるのか?

かに、そう言われると奇妙な気もしてくる。一般的に言って、死体なき殺人は肝心の殺された死体存在しないため、その立証は困難である。かつて日本で起きた北九州一家連続殺人事件では家族七人が殺されたが、その死体は一体も見つからなかったどころか、犯行現場とされたアパートからも血痕の一つも見つからず物的証拠は何一つ存在しなかった。その為、主犯格共犯者である愛人と逃げて助かった生存者の証言事件を立証する以外になかったのである

 

しかし、アウシュヴィッツは七人どころではなく、約百万人がガス室で殺されたとされている。ニュルンベルク裁判時点では250万人〜400万人という膨大な犠牲者数が述べられた。なのに、ガス殺死体は一体も見つかっていないというのは極めて異常な話ではないのか? ガス室による殺人は全く立証されていないじゃないか、と言いたくもなるのだろう。特に、青酸ガスという毒ガスで殺されたという類例のない事実を立証するには、遺体の検死解剖の一つくらいあっていいはずなのにそれすらないのだから疑惑を持つ人がいても不思議ではない、とは思う。

 

では一体どうやって毒ガスによる大量虐殺を立証したのであろうか?

 

実はその立証の主役となった証言は極めて多数でありまた詳細でもあった

流石にニュルンベルク裁判やその他の裁判で具体的にどのように立証していったのかという全貌は知らない。よほどの研究者でもない限り、膨大な裁判資料精通している人は限られると思う。ニュルンベルク裁判資料ですら素人には手に負えない。

 

しかし、物証の一つである文書資料もそこそこ裁判採用されているようであるナチス親衛隊は徹底的に大量虐殺事実隠蔽しており、例えば直接「毒ガスで殺した」などと文書記述したりしなかった。ガス室についても、残されている図面には「死体安置所」としか書かれていないし、アウシュヴィッツ火葬場に関する使用データも一切残さなかった。収容所解放前にガス室のあったビルケナウのクレマトリウムは全て解体撤去・爆破処分しており、火葬炉の一つも残っていない。それでも、ある文書の中には「ガス室」とついうっかり書いてしまったのであろう記述があったりもしたし、クレマトリウムの残存パーツからシアン成分も検出している。

 

さらに、裁判採用された証言者は何百人にも上り、その多くは非常に具体的にガス室のことを証言しており、詳細な証言もいくつもあった。ガス室での殺害目撃証言も多数存在したし、ともかく大勢の元囚人ガス室に関する証言を行なった。中でも、遺体処理を担当したゾンダーコマンド生存者の証言は極めて詳細であった。最も衝撃的だったのはアウシュヴィッツ収容所司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスニュルンベルク裁判での証言であった。彼は、他の多くの加害者側の人間とは異なり、無罪を主張しなかった。それどころか、自分から進んで積極的にそのおぞましい犯罪の全貌を裁判で語ったのであるさらに彼は、拘置所において自らの意思回想録執筆し、裁判時の証言よりもさらに詳細な内容であった(この自伝日本でも普通に売ってる)。

 

かい話をすれば、例えばナチス親衛隊による大量虐殺隠蔽に関する証言でさえも、囚人証言している。「ガス室での殺害については、「特別処理」という表現記載していました」などの証言も何人もしている。これは事務的部署でも囚人が働いていたかであるさらにそうした証言をしている法廷で裁かれていた加害者側の被告であった親衛隊員たちは、ガス室を全く否定しなかった。それら親衛隊員が裁判反論したのは、自らの意思に基づく非道な行い等についてのみであり、指示・命令で行っていた任務であるガス室に関しては否定しなかったのである

 

結局、後々のナチ犯罪裁判を含めそれら戦犯裁判では誰一人、ガスによる大量虐殺否定しなかった。少数の「知らなかった」と語った証人被告存在しただけである果たして、こうした証言状況で、「ガス殺死体が一体も見つかっていない以上、それらの証言は全て疑わしい」と言えるのであろうか?

 

ガス室大量虐殺を認める証言否定派にとっては全て嘘になる法則

ネットに多い素人否定派程度では、まさかガス室大量虐殺を認めることになる証言が何百件もある(裁判以外も含めれば何千件になるのか見当もつかない)だなんて知らないと思うし、それらの証言の一つもまともに読んだことすらないだろう。例えばその一つを任意に選び出してみよう。

証人アウシュヴィッツ絶滅された子供たち移送に関しては、ゾンダーコマンド特別部隊)で働いていた同僚からいたことを繰り返すことができますの子供たちはガスで殺されました。ビルケナウの最初火葬場で行われたテストガスの犠牲者でした

私は3週間の検疫を経て、クレマトリウム建設班に配属されましたが、そこで初めてグラブナーと出会いました。ある時、私の仲間が50キロセメント袋を運んでいたのですが、その重さに耐えられず、グラブナーは私のカポーに向かってこう言いました。「あの犬にとどめを刺せ」と。カポーシャベルの柄を折って、それと自分の足を使って囚人を激しく殴り、彼は本当に死んでしまいました。これはグラブナーの指示で行われました。

その後、私は火葬からカナダ」という兵舎に移されました。そこでグラブナーと再会しました。グラブナーは政治部部長で、ガス処刑される人たちの書類をモルに渡していました。グラブナーはほとんどすべての輸送列車の到着に立ち会っていました。

ポーランドの戦争犯罪証言記録サイトに見る殺人ガスの証言証拠(2)|蜻蛉|noteより

 

人間証言には、しばしば誤りが存在する。記憶間違いであったり認識間違いであったり誤解であったり、場合によっては意図的な嘘であったりもする。個人的に、こうした証言をたくさん海外サイトから翻訳したので、そこそこ誤った内容を含む証言があるのも知っている。しかしだからと言って「ガス室」に関する証言のその全てが嘘になることなどあり得るのだろうか? 知っている裁判証言だけで数百件に上るのだが。

 

しかもそれらの証言に含まれる「ガス室」に関する内容は、ただ単に「ガス室があった」と言っているだけでなく、上にあげたたった一つの例ですらも具体的な内容を持つ証言の中で示されているのであるしかもそれらは裁判の中での証言であり、被告法廷存在しており、被告には証言者への質問の機会も与えられていたのに、誰一人被告ガス室否定しなかった。

 

でも否定派は、それら証言をどんな難癖をつけてでも否定する。上の例では、「連合国陰謀者によって、ガス室証言をするように脅迫されている可能性がある」等。また、否定派が最も証言に対して使うセリフは「矛盾があるものばかりであるであるルドルフ・ヘスに至っては、ほんの些細な記憶間違いとしか考えられない証言上の矛盾を元に、証言の全て(もちろんガス室大量虐殺に関することだけ、であるが)が連合国によって強制的に嘘を言わされていることにされた。私はそれをいうネット否定派に対して、「ではあなたは数年前の出来事について一つの誤りもなく証言できるのですか?」と質問したがまともに答えが返ってきたことは一度もない。ひどい場合には、単なる翻訳上の間違いを元にして「この証言には矛盾がある」と難癖をつけられていたことさえある。

 

でも、真面目な否定派もいるにはい

少なくとも、マルコポーロ事件西岡昌紀は真面目とは言い難い。その理由は、絶対にただの一つとしてもホロコースト否定説には欠陥があることを認めようとはしないかである。実は、稀にこの「否定説の欠陥」に気付く否定派がいる。中でも否定説の最大の欠陥は、では「一体、数百万人に上るユダヤ人はどこへ消えたのか?」に答えられないことであるユダヤ人ナチドイツの手によって大量移送されたこ自体否定する人はいないので(それすら知らない人は別だが)、殺されていないのなら数百万人の消えたユダヤ人はどこかに生存していなければならない。古くは、ソ連だった。ソ連スターリン収容所収容しただとか、移住させたのだとか、色々言っていたらしい。だが、冷戦が終わってなお、そんなユダヤ人は全く確認することは出来ない。旧ソ連に関するそうした情報も公開されているのだが、どこにも出てこない。

 

ほんの僅かだけど、ネット議論しているとそこに気づいた否定派もいた。確かにその質問には否定派は答えられない、と。欧米では、著名な否定派が、さらに高名な否定派の誰にそのことを聞いても「知らない」と返答されるだけだったので、否定派を辞めてしまった人さえいる。この重大な欠陥を認めるか否かが、ある種の分水嶺になっているとは思われる。

 

2021-07-31

自由参加」と言えば逃れられると思うのか

終業後だが「自由参加」なので残業代なし。災害って恐ろしいよな!だからあとはわかるな?

  • 朝礼

始業前だが「自由参加」なので勤務扱いしない。自分事務連絡を聞きたいのなら早く来い。

  • 内外の清掃

終業後だが「自由参加」なので勤務扱いしない。自分の勤め場所くらい自分で清掃しろ

おまえが使うものはお前が買え。仕事中はマスクしろ

だそうです。しかし、一番目を阪神淡路大震災被災した土地にある企業/団体が言っちゃうのは…

2021-03-11

東日本大震災阪神淡路大震災と扱い違うんやな

比較するのは間違ってるのはわかってるけど。

阪神大震災以外の地震被災した人がいるのもわかってるけど。

もうあの時の政府対応とか話題にもならないしな。

兵庫はようやく借金返せたレベルだし

anond:20210311183809

東日本大震災で2万人死んで阪神淡路大震災で6千人死んで

この規模だとどっちの死者数多いかニュースバリューとしてどうのこうの言うレベルじゃないだろ

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