はてなキーワード: 優等生とは
https://twitter.com/washburn1975/status/1514173583857451011
たぶんこの「優等生や学校の風紀委員」てのも現実のものじゃなく学園アニメかなんかを基にして考えてるんだろうな。一から十まで妄想だけで出来上がってる。結構長いことネットで見てる名前だから、それなりの年代になってるはずなんだけどな。どんな生活してきたらこうなるんだろう。
なんてひどいことを言うんだ。こいつが大学の時に2chでさんざん自分の容姿をいじられてコンプレックスを抱え、大学を卒業した後就職に失敗して青果売りをやってるブラック企業しか就職先がなく、あっさり会社にすりつぶされそのあと10年間ずっと無職のニートであることは古参のはてなユーザーであるワッシュなら当然知ってるはずなのに。知ってて「どんな生活してきたらこうなるんだ」という揶揄をしたのだとしたら性格が悪すぎる。
https://anond.hatelabo.jp/20121209083635
https://anond.hatelabo.jp/20140704171301
人には言ってはいけないことというのがあるんだぞ。「こいつは風紀委員にとりしまられてた劣等生がそのまんま大人になった感じだから」とかそういうことを言ったらもう戦争だろうが。
俺、すごいことに気づいたかもしれない…。ツイフェミさんが作品の内容に関わらず、「胸の見え方」「スカートの丈」「男女比」「年齢」「男性の性欲を刺激してないかどうか」をチェックしてるけど…これ、よく考えたら同じことしてるのは【昭和の中学高校のブラック校則を守らせてる教師】じゃん…これに気づいた途端に、「ツイフェミさんって、逆に優等生や学校の風紀委員がそのまんま大人になった感じだから、模範的な行動とか、権力のある人間がすることのイメージが、昭和の学校で止まってる??」みたいなことに気づいてしまったんです。事実、知識人と呼ばれる職業の人は多いし…
しかも爆乳といって良いほどに巨乳で、目のやり場に困ったものだ。
中学一年生の春、その友人とはとある運動部を見学に行った時に出会った。彼女は薄暗い所に一人でちんまりと体育座りしていたので、パッと見男子かと思ったがよく見たら女子だった。そのときは巨乳であるとか気にしていなかった。ひとの乳の大きさに別に興味がなかったので見過ごしたようだ。
正式に入部して、部活の更衣室を使うようになった頃になって初めて、友人が巨乳であることが気になりだす。その前に、部活の先輩達が人前でも臆面なく服やユニフォームを脱ぎ着し、友達同士で乳やブラジャーの品評会みたいな事をし合う様に、おののきそして呆れ、やがて自他の乳に関心を持たざるようになった感じだったと思う。
私と友人はたった二人だけの新入部員で、先輩達が着替えているときは、いつも部室の隅っこでぴったり体を寄せあって体育坐りしていた。場所は薄暗がりだが、日なたに香箱を作っている仲良し猫みたいなもんで。そして我々は、中1にもなってブラジャーを着けていない者仲間であり、先輩達が他人のブラジャーの肩紐を引っ張って悪ふざけをする、そのノリに巻き込まれるのが嫌で、胸をガードするように膝を抱えていたのだったりする。二人で、昨日見たアニメの話とかをしていた。
その頃(今でも)私は貧乳だったのだが、それでもブラジャーなしで体操着を着れば胸というか乳首は下着や体操着の布越しにも目立っていた。かといって良識を持った同級生達は何も言って来なかったが、持たない奴はなんか色々言ってくる。入学当初はブラジャーを着けていない女子は少なくなく、だがやがて同級生の反応に泣かされたり、直接の被害を受けなくとも、自衛をするようになっていくようで、仲間の出方を窺いつつブラを装備するようになっていった。
たった一級上の部活の先輩達は、ブラを着けることも乳が大きくなることも屁でもないぜという様子で、ブラも制服の下に隠した小粋なお洒落みたいに楽しんで好きな色柄のものを着けていた。なのに、一年の私達は、体育の授業の前に女子更衣室で着替える時は、他人に見られないように隠しながらそそくさと着替える。この文化の違いみたいなのが謎だった。
夏が過ぎ、秋頃だろうか。ある日突然、母が「初めてのブラ」とかいう白くてダサいブラジャーを買ってきて、今日からこれを着けろ、寝るときもだと私に言い渡した。それ以前は、私がもう恥ずかしいからブラがほしいと訴えても、そんなもんはまだ子供には要らないとにべもなかったが、おそらく母の事なので、ママ友達との井戸端会議で感化されただけなんだろう。そういう訳で、私はレベル1の装備を図らずも手に入れてしまった。正直、先輩達が着けているような、水色のチェックとかピンクのレース付きのようなのがよかったと思いつつ。
装備レベル1を初めて身に付けた頃も、私と巨乳の友人は部活で二人きりの一年生で、部室で着替える時は先輩がふざけながら着替えを終えるまで、隅っこに肩を寄せあって体育座りで待っていた。
そしていつものように座っていると、不意に友人が私の背中に手を回して、体操着のシャツの上からブラの紐を引っ張り、パチンてした。
「なんだよこれ」
友人は相変わらず、豊満なボディと不釣り合いな男子みたいな顔でいう。
「そっちこそ、なんなんだよ」
と私は言い返す。なんだなんなんだよと言い合いながら、小突き合い始め、仔犬の兄弟がする喧嘩の真似事みたいになる。先輩達が、お前ら本当に仲良いよね、という。だが、先輩達がお互いにセクハラのし合いをして悪ふざけをしている様子ほど、なんか楽しさがないよなと私は思った。友人は、私よりもずっと乳がでかいのに、まだブラを着けていなかった。二人だけのノーブラ仲間から1抜けしてしまった事への罪悪感がじわじわとひどい。
友人は、ふざけて私の膝を枕にすることがよくあった。私も友人の肩に凭れかかることがあったが、膝枕は遠慮した。友人は乳だけではなく体全体がむちむちしており、膝枕の柔らかさはたぶん何か他のものの柔らかさを連想させるし、ていうか、膝にも頭を乗せればその何かがすぐ顔の目の前にぶら下がることになる。目のやり場がないどころの話ではない。
友人は顔が男の子みたいだが、言動も男みたいで、男以上に野蛮だった。私はわりと野生児だったので気が合い、友人とどつきあいなどをして遊んだ。そんなんだったが、ある日友人がこそっと言った。
私は驚き、
と言った。痴漢は放課後のひとけのない道端に出るものだとばかり。だが、広々として客が常時うろついているような大衆向け書店の中にも痴漢は出るものらしい。しかも、狙われたのは友人。乳はでかいものの女らしい格好をてんでしないような、パッと見男子に見える中学生がターゲットになるとは。友人は背後から尻を触られたそうだ。そこか。はあ、世の中は私の知らないことばかり……と思った。
友人は部活をサボりまくるようになってしまい、クラスも離れていたのでしばらく接点がなくなってしまった。
二年と三年は同じクラスだった。いつの頃から友人がブラを装備するようになったのか、記憶にない。いつの間にか、ノーブラで普通に過ごしている様子を見た男子達が「見た? あいつ乳首立ってるぜ」と忍び笑いをする所を見かけなくなった。
ブラ装備になったとはいえ、友人の巨乳の迫力がすごいことには変わりなく、同じクラスになったので、気軽に私の席に友人が遊びに来る分けだが、名前を呼ばれて顔を上げると、まず視界に入るのはその大迫力の乳だった。よく巨乳の人が「男はあたしじゃなくてあたしの乳に挨拶してくる」と言うが、友人の場合、私にまず友人の乳が挨拶してくるような状態だった。
地味にリアクションに困った。同性同士なのであまり気兼ねしなくても良いのかもしれないが、私が先にブラを装備したときはだいぶ気にして私のブラの肩紐を引っ張ってみたり服の上からホックを外すような悪戯をしかけて来たような奴だ。そして、性格が勇ましくて乱暴な癖に痴漢に遭った時は驚いて一言も喋れず身動ぎもできなかったというし、痴漢遭遇頻度が私よりもずっと高いような奴だ。同性の気安さでなんか言ったりしたらどう思われるかわからない。そんな怖さがあった。それ以前に、私があんまりそういう方向性のおふざけをするのは好きじゃない。
でも、ぶっちゃけて言うと、いつも突然視界にばいんと入って来るあれに、ちょっと触ってみたいなという気持ちがあった。でも私も女子の端くれなので、乳がただの脂肪の塊ではない事を知っているので、触ったって思ったような感触はしないし、触られた方は痛いだけで楽しくもなんともないだろうと思った。巨乳を気にされていたら、どうリアクションして良いのか、わからないし。
修学旅行の夜、同室の皆が、こんな夜だし恋バナをしようとか言い出した。友人も同じ部屋だった。そんな事言われても、私はそういう話をするのは好きではなかった。だが、私は幼馴染の男子と毎日時間を合わせて下校していて付き合っていると思われていたので、誰が好きとは問われなかった。ところが幼馴染を他のクラスの女子が好いていた事もあり、私と幼馴染みの話はタブーに近い話題だった。それで難を逃れたと思ったら、友人がやおら私に聞いてきた。
「お前、男同士ってどう思うの?」
当時はボーイズラブという言葉はなく、ゲイというのも一般的ではなく、かといって軽々しく当時普遍的に使われていた差別用語・ホモというのはうっすらと憚られた。でも「やおい」同人誌がめちゃめちゃ流行っていた。中学生でもけっこう際どい同人誌を平気で買って読んでいた。友人はやおい同人誌をものすごい数コレクションしていたような手合いだ。私にも貸すといって頼んでもいないのに押し付けて来ることがよくあった。そんな奴が、何を改まって男同士の恋愛をどう思うのか聞いて来たのか、意味がわからない。
「いいんじゃね、お互いに好きなら」
そう答えたら、同室の全員が黄色い声をあげた。男同士だよーとか、太っ腹とか心広すぎでしょ、とか言われた。お前らだってしょっちゅう更衣室でこそこそ隠れてやおい同人誌読みまくってるじゃん、なんだよその優等生ぶりっこは! と腹が立ったので布団を頭から被って寝ることにした。友人が、
「そっかそっか、お前は男同士でも受け入れられるんだな」
と布団越しに話しかけてくるので、
「おー。美しければな」
なんて、偏狭な応えを返したら、友人は何もこたえなかった。
そんな友人だったが、十何年後かにSNSで相互になったところ、実はバイなんだと誰にともなくタイムラインで告白していた。昔、いきなり私に男同士はどう思う? と聞いて来たのとそれは関係があったりするのだろうか。それを問うのは、その乳触ってもいい? と聞くのと同等にタブーな気がする。今となっては生活環境が違いすぎて、SNS上でさえ滅多に話すことがない。
最近、とあるエッチな漫画を読んだ。要の部分だけ言うと、主人公に対して同性でありながら長年片恋をしていた人がいて、色々あって念願叶ってセックスしようってなるんだけど、そいつは経験がまるでないので、主人公に目隠しをして半裸に剥いたはいいものの、次に何をしたら良いのかわからない。それで思いきって出た行動が、主人公の胸にぴとっと頬をくっつけて見ることだった。若干の羨ましさを感じるシーンだが、友人相手にこうはならんやろ、と自分に置き換えて想像してがっくりした。
続きだよ
色々調べて考えた
そうするとねー、なんというかドウデュースが強いし結果残してる割に、関係者からの評価がそこまで高くはないんだな、という感じはすごく伝わってくる
レースが上手な優等生だから、荒削りな素質馬に勝てている、みたいな見方をされている?
まあ強い馬のひとつだよねー、みたいな扱いを感じる
関係者が1番意識してるのはダノンベルーガなんだな、というのは安田先生の談話などからも感じる
ダノンベルーガは大目標はダービーだったので、皐月賞では余裕を残したかったらしいけど、馬に余裕がなくて仕上がってしまった、とのこと
これはまずいから今からでもなるべく余裕残るように、ではなくて、こうなったら皐月賞とるぞ、ってなってるかどうかだよね
アスクビクターモアはその点、挑戦者の立場で世代トップを迎え撃つ覚悟を陣営が持ってた
騎手の田辺も中山巧者だし、この馬がG1を勝つとしたらここだろう、というのは思う
でも向正面まではポジション取らなきゃいけないからきっちり内をロスなく回っている
短距離はロスを嫌って内で伸ばす馬もいたし、内は多少不利だけど、内では勝負できない、みたいなことはどうやらなさそう
しかし、外に出す方が馬場が良くなることを思うと、最終コーナーで大外回してもリターンがあるということで、最終コーナーは全員が殺到しそう
中山2000の内回りを18頭で走るので、やはり最終コーナーで少なくとも7、8番手くらいまでにはつけておきたいところ
多少外目でも、不利を受けにくい位置で半分より前につけれる馬が良さそう
そうなると外でも逃げるだろうし荒れ馬場も苦にしなさそうなデシエルト
様子を見ながら進められる中心付近のドウドュース、ジャスティンパレスあたりはよさそう
しかし、ダノンベルーガやアスクビクターモアが重馬場を気にしないなら内をスパッとぶち抜けそう
枠で言えばやっぱり真ん中付近が臨機応変にいくからいいよなあ、と言う感じはある
でもまあ、外枠に行ったジオグリフより外は、少し割引かなって気はしてる
で、結局どうなのと言われたらわからん
やはりドウデュース、アスクビクターモア、ジャスティンパレス、キラーアビリティ、デシエルト、ダノンベルーガ、イクイノックス、ジオグリフの8頭でほぼ決まるのでは?
オニャンコポン入れるかどうかですね
3着はほぼ全頭に可能性あるだろうから、買うなら全頭流ししかない
3連複、3連単はよほど何か情報や確信を持ってる人でない限り、あてるのはきつそう
じゃあ複勝や単勝はと言うと、それも、こいつは必ず入る!みたいなのがいないのが難点
そうなると買える馬券は限られている
併用でもいいかもしれない
買う馬は上述のドウデュース、アスクビクターモア、ジャスティンパレス、キラーアビリティ、デシエルト、ダノンベルーガ、イクイノックス、ジオグリフの8頭
軸はアスクビクターモア、ジャスティンパレス、キラーアビリティ、ドウデュースの4頭のうち1か2にしぼりたいよね
それでもまだガミが発生するのをどうするか
また直前まで考えます
よくTwitterを見ていると中学受験で辛い思いをした、貴重な遊びの時間を勉強に充てて苦しい思いをした、というネガティブな話ばかり流れてくる。
生存バイアスの逆、というものはあるのだろうか、苦しい思いをした人の話ばかり流れてくるが、少しの才能があれば別に何も大変なものではない(ちょっとお金がかかるくらいである。)
私個人としては、中学受験は全く苦労せずに地域トップの中学に合格したし、そもそも地元の公立中学に行きたくなかったし良いこと尽くしだった。
中学受験するより公立から優秀な公立高校行った方が大学受験良いよね〜なんて話も聞くが、そもそも大学受験目的で中学受験をしていない。むしろ高校受験も無いから中学時代はずっと遊び呆けることが出来たし、内申なんてものも気にしなくてよかった。中学3年時点で下位20%くらいの順位だったが、国立医学部にも合格した。流石にずば抜けて優秀ではなかったので中堅どころだが…。
田舎のことを全く知らない都会の人が都会の公立中学を見て底辺を語るなら笑ってしまう。
なんてことを書いているとやっぱお前中学受験したせいで性格悪いじゃんと言われてしまうのでこの辺にして
ではそもそも中学受験するには本当に苦労して勉強づけの日々を過ごさないといけないのか?
そもそも中学受験をしてまともな中学に行く人間なんて、大抵小学校のクラスじゃ1番のちっちゃな頃から優等生で、他の人が2時間かかる学校の宿題を15分で終わらせられたじゃないか。その余った時間を余分な勉強に充てているだけだ。
週に何日か塾には通わないとは行けないが、他の人がサッカーや習字やピアノの習い事をしている時間をちょっと塾に割かないといけなくなっただけだ。(もちろんそれらを習ったまま受験する人もいくらでもいるが。)
たまたま習い事の選択肢として、Aちゃんはピアノとそろばん、Bくんは水泳と習字、私は塾という選択をしただけである。今になってピアノを弾ける人カッコいいなあって思うけどね。
とは言っても、6年生になれば土日は潰れてゲームをする自由時間はたくさんあるものの友達と遊ぶ時間は中々確保出来ず、1年ほどは本腰をいれて勉強しなくてはならない。
ただここで勉強した分、高校受験する人が中学3年の時にたくさん勉強していたタイミングでひたすら遊び呆けていただけなのだ。
中学受験は極論、受験のタイミングが小6にあるか中3にあるかという違いでしかない。
受験科目に英語も無いし内容も複雑でないし、なんなら高校受験より楽だと言っても過言ではない。(いや、流石に過言だ。ただ高校受験における内申点とかいうゴミみたいな制度を聞くと、やはり過言ではないのでは…?)
失敗した時に浪人が出来ないのも同じだし、最悪失敗したら公立中学に行くという手がある中学受験と違って、高校受験は失敗したら詰んでしまわないのだろうか。二次募集の高校に行くのと公立中学に行くのとでは流石に意味合いが違う。
私が「中学受験をしたんだ」と言うと、「そっか、大変だったんだね〜」と哀れみの目で見て、中学受験をせず大変な思いをしなかった自分を肯定するのを辞めて欲しい。
私だって大変な思いはしていない。
※
私の地域は違うのだが、関東などでは?私立中高一貫校は土曜日にも授業があるのが当たり前らしい。それで「大変だったんだね〜」と思うらしく、大学に入ってから大層驚いたのだが、それならば仕方ない。
「いい子」からはみ出そうが、この人たちが自分の内面に関心を寄せることはないのだ、と悟った私は、「じゃあ優等生でいた方が得じゃね?」という発想に至り、以後自立まで「聞き分けのいい子」で通した。
Aくん、キミはお墓に行こう
それなりに名前が知れていて、金銭的には全く困っていないであろう俳優・アイドルが万引きを繰り返していたというニュースが報道された。
彼が出演していた特撮も楽しく視聴していて、ゆるい人間性含めふわっと好きだったので衝撃的だった。
そして、長年忘れていたけど、自分自身が万引きを繰り返す子どもだったことを思い出した。
時期としては確か小学校2、3年のころ、関西のど田舎で祖父母、共働きの両親と暮らしていたときのことだ。
そのころスーパーへの食料品の買い出しは祖父母の役割で、自分も車に乗せられ同行するのが常だった。
基本じっとしていられない子どもだった私は、カートを押して店内をまわる祖父母の元を離れ、お菓子売り場や文房具売り場をうろつくことが多かった。
そしてその際、私は誰にも気づかれず、何度もポケットに入るサイズのお菓子や文房具を万引きした。
私の家は田舎にしては収入が安定した世帯であり、チョコでも飴でもかわいい消しゴムでも、「これ買って」と祖母のもとへ持っていけば、大概はすんなり買ってもらえた。
今回真剣に思い起こしてみたけど、盗ったお菓子を食べたり、文房具を使った記憶は全くない。
また、そのころの私は「万引き」という言葉を既に知っており、それが犯罪にあたるという認識もあった。
「警視庁24時」的な、顔にボカシがかかった万引き犯がGメンに取り押さえられる場面をテレビで何度も見ていた。
「窃盗症」や「クレプトマニア」で検索すると、「監視の目をかいくぐるスリルに病みつきになり…」といった記述も散見されるが、そういう高揚感を得てもいなかったと思う。
今の私の語彙で言うなら、「やっぱり大人は私のことをちゃんと見ていない」ということを確認していたのだと思う。
私が生まれる前から続く父の不倫、父との関係の破綻を仕事にのめり込むことで見て見ぬふりをする母、破綻した夫婦に変わって「家」の役割を担う祖父母、早々に実家に見切りをつけ都会の大学に進学した兄、その全員が、私のことを「若干落ち着きがないが聞き分けの良いいい子=放っておいてもいい子」と認識していた。
たぶん万引きをするたび大人を嘲り失望しながら、いつか見たドラマのように万引きが発覚し両親が店に呼ばれ、母親に泣きながら「なんでこんなことをしたの!」と聞かれる展開をどこかで望んでいた。
そしたら私も泣きながら、「さみしい」「かまって」「口を聞いて」と主張できるのに。
別に聞かれなくても「さみしい」と主張する権利ぐらいはそのころの私も有していたし、お店に迷惑をかけていい理由には全くもってなっていない。
結局、私の万引き癖は突然終わりを告げた。
たまたま休みの日に父が私をスーパーに連れて行くことがあり、調子に乗って小さいサイズの折り紙を盗った私は、不自然なポケットの膨らみを父に看破され、往復ビンタ等の激しいお叱りを受けたからである。
その際「以前にもお菓子や文房具を盗った」ことを白状し、父とともにスーパーに謝罪をし、お年玉貯金から盗品に相当する額の弁償を行った。
「子どものしたことですから」と謝罪を受け入れてくれた店長さんには、改めて本当に申し訳ない気持ちだ。
ちなみにこの過程で、「なんでそんなことをしたのか」とは家族の誰からもついぞ聞かれることがなかった。
「いい子」からはみ出そうが、この人たちが自分の内面に関心を寄せることはないのだ、と悟った私は、「じゃあ優等生でいた方が得じゃね?」という発想に至り、以後自立まで「聞き分けのいい子」で通した。
その後、家族は祖母の大病、両親の離婚と再婚などを経て、見る影もなく離散している。
あのころ言えなかった「さみしい」は、心の隅っこの方にまだいる気がするが、別に家族に期待せずともそれなりの人生が送れることも学んだ。
クソ長い自分語りになったが、要は万引き、あるいはその他の嗜癖も、その時のその人に必要な、なんらかの役割を持っているから嗜癖になっている。
不器用な、笑顔の似合う、お菓子作りの得意な、彼にとって万引きとはなんなのだろう。
彼はそういう道を歩めるだろうか。
歩んでほしい、と思う。
大阪大学の院を出てメーカーに就職し、学生時代の研究室の先輩(研究機関所属)と結婚した女だけど、周りの誠実でちょっとキモい男達は全員結婚した。女を見下したり無闇に手を出すことは基本なくて、穏やかでアニメが好きな優等生。案外楽器が上手だったり英語や中国語が堪能で、だけどそれを自慢しないような人たち。
30過ぎて同窓会で再開したら、研究室の私の同級生(男5人、女2人)は皆結婚していた。お相手は会社の同期(高給取り)や趣味を通して出会った人で、おおむね国公立大や優秀な私大(関西に優秀な私大はないですが)を出ている穏やかな人。
世間的に聞くような上昇婚は全く観測できず、穏やかながら所謂パワーカップルの誕生を知った。
ドロドロした婚活の話、奢らされた話、全然聞かなかった。大阪大理系はそういう人に相手にされないのか、それとも単に観測範囲が狭すぎたのかは知らないが、意外と世の中の結婚事情は健全なのかもしれないと思った。
どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。
これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人の自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。
・生い立ち
私はごく普通の環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分は一言でいうと優等生気質だった。学校の勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプの人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。
小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋な身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からはブラスバンドをやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。
中学では周りの部員が吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽室から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師が黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔な信者であり、親や先生にほめられている優等生の自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間性からどこかで破綻すると思っていた。
高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラルや教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校の部活は軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問が専任を希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプの人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力。中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人にアプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験はもっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力の限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しかし高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生からも勉強ができるという認識をされていた。
3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本や演出を担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通に大学に行くねとなった。
問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。
「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」
親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊な制度をもつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内の大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。
1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。
「大学では勉強、サークル、恋愛、バイトのうち2つしかできない」
勉強は好きではないので、サークルとバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオで個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金がショートした。親にバイト禁止されていたため練習や交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。
大学の授業はひどく不親切であった。大学のレベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義で解決してしまうものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかりやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間の無駄に思えて次第に講義も休みがちになった。
それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなものが大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。
・崩壊
初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生を謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義も存在しない。正義と道徳に立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。
そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから、黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分の無能さを騙して生きていたのかもしれない。
さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費の負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動は事実上全部やめ、バイトと勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情を説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。
人にやさしく優等生してきた自分の生き方への批判と自分が仲良くしている人たちへの非難のダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。
数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルやバイト、恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分の無能が隠せなくなってしまったのである。
3年目は再びバイトを禁止した。クラスでの試験対策の仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだり大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分で学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境のサポートがあって自分で勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。
公正世界仮説、評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学のいじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。
・専攻決定
4年目にして2年生。この年は諸々の事情でクラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。
そして、4年前に選択を先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強は面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職は卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。
理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学のシステムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間に選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。
このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。
5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。
3年生の必修は実験だけだったので、他の単位を犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単な文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。
溜まりに溜まったレポートは夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。
4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続きと入試勉強、足りなかった単位の試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。
学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力が要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。
親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなたは世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般の評価が邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。
やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークルで作曲を体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。
・進学と私
大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部生時代に夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたからである。研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないから就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。
私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。
手すりが折れたらとか、崖が崩れたらとか、気圧の変化でスポッと吹き抜けの真ん中に吸い込まれたらとか、
ありもしない妄想ベースで勝手に恐怖を増幅することも多い高所恐怖症だが、
1つ、起こり得る切実な問題がある。
高所恐怖症の人間は、これを長い上りエスカレーターとかでやる。
今ふらっと後ろに倒れたらやばいと想像する→怖い→足が震える→本当に倒れそうで怖い→もっと足が震える→怖いいいいい
自分は、手の力は抜けないので、手すりに捕まってなんとか耐える。
ただこのとき、倒れてはいかん方に倒れるイメージだけが増幅するんだよね。
もう、魅入られているかのように。
言いたいことがある。
そのうち事故るよ。
自分なら1000回やれば2、3回、洒落にならない事故を起こすと思う。
命綱をつけているって?
バンジーの何メートル手前からつけるんだろう? つける前に、立ちくらみしてフラフラ動いてから倒れるかもしれないけど大丈夫かな? スタッフ掴んで巻き込んで落ちたら、命綱あってもやばいよね。
高所アスレチックとか、命綱のフックを自分で付け替えながら移動するじゃん。あんなん、一瞬外したタイミングでミラクル起こすで。
って考えると、足の力がまじ入らなくなる。
宇宙船の事故で海しかない惑星に放り出された主人公が星からの脱出を目指すゲーム。
ゲーム内ロケーションの90%くらいが海中という特異なゲームで、
人間の持つ深海や暗闇への根源的な恐怖を思う存分刺激してくれる作品。
既に何周もクリアし、この海域には何もいないことを知っているのに冷や汗が吹き出るほど。
・この惑星に点在する先史文明の遺跡を調査し、過去の歴史を解き明かす謎解きパート
と、ゲーム内に全く種類の違う楽しみ方を用意し、しかもそれを自然且つシームレスに提供することで、
ホラー系、サバイバル系オープンワールドにありがちな「慣れ」「飽き」を克服しているんだ。
どうしても尻すぼみになりがちなサバイバルクラフト系オープンワールドにおいて、
代償としてオープンワールドとしてはマップの範囲が非常に狭いゲームではあるが、
高さを持ち、それを感じさせない舞台設計も含め、芸コマな傑作である。
独裁国家をぶっ潰すべく各地の軍事施設やインフラに対して破壊工作を行うオープンワールドTPS。
BotWやデスストランディング、DyingLight等の良作が存在するし、
バットマン:アーカム・シティやスパイダーマンのように似た操作性でメジャーなゲームも存在するが、
本作は目につくものすべてを破壊し満足するというバカゲーめいたゲームの目的も相まって、
プリミティブな楽しさが頭抜けているんだよね。
グラップリングフック、パラシュート、ウイングスーツ等を駆使し、
ロケーション豊かな南国の街を好き勝手に破壊することでしうか摂取できない栄養素を存分に得ることが出来る。
GTAで好き勝手犯罪することあるじゃん。アレが好きなら、多分本作も好きになると思うよ。
尚、シリーズ最新作にあたる4は各ロケーションクリア条件が破壊率ではなく、
特定施設の破壊になったせいで自由にぶっ壊す楽しみが失われてしまっているので買ってはいけない。
言わずとしれた、ソウルシリーズの流れを汲むフロムソフトウェアの最新作。
本作で特筆すべきは、そのアクションゲームとしての質の高さ、懐の深さにある。
オープンワールドって、どうしてもバトル要素は重視されないジャンルだったじゃん?
だから、TESシリーズにMODを入れてみたり、Witcher3の難易度をゴリゴリ上げてみたり、
S.T.A.L.K.E.R.やフォールアウトみたいにFPSやってみたり、
バットマン、中つ国、スパイダーマンのように超強力なルールを敷いて戦いを成立させたり、
BotW、デススト、DyingLightのようにバトル以外を主軸にしたり、
ARK, Subnautica, The Forest のようにクラフティングやテイミング要素を盛り込んだり、
サイバーパンク2077のようにロケーションの量と質で圧倒させたり、
Borderlandsのようにトレハンにしてみたり、色々と試行錯誤やってきたわけじゃん。
※ドラゴンズドグマのバトル要素は高評価ですが未プレイですごめんなさい。
ソウルライクとジャンル名になり、50年で最高のゲームに選出されるほどの支持を背景に、
ソウルシリーズそのままのバトル要素をオープンワールドに盛り込んでみせたのだ。
これだよこれ。
Oblivionでオープンワールドを知って以来、冷めた気分で剣を左右に振りながらずっとこれを待っていたんだ!
今日におけるオープンワールドで、ここまで質の高い戦いが出来るゲームを他に知らない。
仁王、CODE VEIN、Remnant等、面白いソウルライクはまだまだ沢山あるので、
今後「エルデンリング以後」で語られるようなゲームが出てくるのを期待する次第である。
Outer Wilds も確かにオープンワールドだし最の高なんだけど、別枠でランキングしたい。
Outer Wilds、LA-MULANA、The Witness、十三機兵防衛圏のアクション要素有りの謎解きゲー四天王でどうか。
何故か忘れていたけど、バトルの面白いオープンワールドゲーあったわ。クロスは未プレイ。
本作も安定した評価を得ており、3も予定されているので、楽しみしかない。
楯なし、白召喚・遺灰なし、物理のみ、魔法なし、ギミック対策以外の遠距離攻撃なし、釣りなし、
霜踏み・赤獅子・月影等の壊れ戦技なし、NPCイベント以外の攻略情報なし、茹でエビ・茹でカニなしでやってる。
重量武器の動きが楽しくなかったこと、刀を使いたかったことから、出血は使った。
OWもソウルライクもぶっ壊れ要素が氾濫しがちなゲームなんだし、楽しめるように縛ればええねん。
大好き。バトルの楽しいアクション系OWとしてエルデンリング、HZD、津島の順にくるくらいには大好き。
でも、なんというか優等生なゲームで、ランキングだと上位に位置するが、
幾つか見繕って選出するタイプの評だと他のものに隠れちゃうような感じかな。
主人公が強すぎて、最大難易度且つ道具や一騎打ちを縛っても物足りなかったのが、
難易度を上げてもAIの質が変わるだけでステータスが変動しない調整は好感が持てるだけに残念。
大好き。
ヤクモさんと一緒に重量武器持ってタコ殴りにするとかだと確かにいまいちなヌルゲーだけど、
一人旅+軽量武器+遠距離攻撃なしだと回避が超性能なこともあって楽しいゲームになるよ。お試しあれ。
あと、キャラクリがいい。俺の顔がいいのがいい。致命撃つたびに有頂天になる。
ただ、ユニークドロップ時の入手時レベルで固定され(多少色は付けられるが)常用できないことと、
バージョンアップで超楽しかったケレズニコフダッシュが削除されたのがマイナスポイント。
知らなかったけど面白そうだ。
しかもちょうどSteamでセール中やん! 買うわ。 → デラックス版買ったわ。
正直なことを言うと、あまり好きではない。
ゲーム内で生活することも嫌いではないが、流石にレスポンスが重すぎて疲れてしまう。
同時期に出たアサシンクリード オデッセイが気楽で軽快なエンタメとして楽しかったのも一因か。
大絶賛する人の気持もよく分かるけどね。
後、初代のシナリオが余りに良すぎた。今も思い出しながら少し涙ぐんでる。
ロシアは財政均衡と、経常黒字を出し続けているという意味では新自由主義的には優等生のはずなんだけどね。
単に、政府の基礎応用研究投資と、企業の設備研究投資がなくて、新しい産業が育成されなかった結果があれ。
勉強しろと言う必要は無いけど、自身が教育の恩恵を受けた自覚があるのなら、子供の教育への支出や労力は惜しまないのが良いと思う
程度もあるが
子供は地域で一番の国立の高校を目指していたけど、塾にまで行く必要ないというのが知人の考えだった、もちろん懐具合の問題もあったのだとは思うが
子供はクラスでもっとも優秀な子のグループに属しており、その中で知人の子供だけが受験に落ちた、他の子は皆塾に行っていたそう
子供も塾に行きたがったのに行かせなかったこと、子供が受験に失敗して塾に行ってた周囲の子が受かった事、落ちて私立に行くのに入学金で塾費用くらいになってしまうこと、等々 あれこれと後悔していた
知人は自身が地方の出で塾に行かずにそれなりの学歴があったから子供にも不要と判断したのだろうけど
増田が勉強を強いられない家庭にのびのび育ち、結果それなりの学力と学歴が得られていたのだとしても、子供の環境は同じじゃない、地頭の良さは引き継いでいるのかもしれないけど、条件はいろいろ違う
子供に無理して勉強させる必要はないし、無理にやらせたところで効果もないと思う
けど自分が子供の時にこうだったから子供も、と考えて教育への投資をしない、というのは後々後悔することになるかもしれない
よくTwitterを見ていると中学受験で辛い思いをした、貴重な遊びの時間を勉強に充てて苦しい思いをした、というネガティブな話ばかり流れてくる。
生存バイアスの逆、というものはあるのだろうか、苦しい思いをした人の話ばかり流れてくるが、少しの才能があれば別に何も大変なものではない(ちょっとお金がかかるくらいである。)
私個人としては、中学受験は全く苦労せずに地域トップの中学に合格したし、そもそも地元の公立中学に行きたくなかったし良いこと尽くしだった。
中学受験するより公立から優秀な公立高校行った方が大学受験良いよね〜なんて話も聞くが、そもそも大学受験目的で中学受験をしていない。むしろ高校受験も無いから中学時代はずっと遊び呆けることが出来たし、内申なんてものも気にしなくてよかった。中学3年時点で下位20%くらいの順位だったが、国立医学部にも合格した。流石にずば抜けて優秀ではなかったので中堅どころだが…。
田舎のことを全く知らない都会の人が都会の公立中学を見て底辺を語るなら笑ってしまう。
なんてことを書いているとやっぱお前中学受験したせいで性格悪いじゃんと言われてしまうのでこの辺にして
ではそもそも中学受験するには本当に苦労して勉強づけの日々を過ごさないといけないのか?
そもそも中学受験をしてまともな中学に行く人間なんて、大抵小学校のクラスじゃ1番のちっちゃな頃から優等生で、他の人が2時間かかる学校の宿題を15分で終わらせられたじゃないか。その余った時間を余分な勉強に充てているだけだ。
週に何日か塾には通わないとは行けないが、他の人がサッカーや習字やピアノの習い事をしている時間をちょっと塾に割かないといけなくなっただけだ。(もちろんそれらを習ったまま受験する人もいくらでもいるが。)
たまたま習い事の選択肢として、Aちゃんはピアノとそろばん、Bくんは水泳と習字、私は塾という選択をしただけである。今になってピアノを弾ける人カッコいいなあって思うけどね。
とは言っても、6年生になれば土日は潰れてゲームをする自由時間はたくさんあるものの友達と遊ぶ時間は中々確保出来ず、1年ほどは本腰をいれて勉強しなくてはならない。
ただここで勉強した分、高校受験する人が中学3年の時にたくさん勉強していたタイミングでひたすら遊び呆けていただけなのだ。
中学受験は極論、受験のタイミングが小6にあるか中3にあるかという違いでしかない。
受験科目に英語も無いし内容も複雑でないし、なんなら高校受験より楽だと言っても過言ではない。(いや、流石に過言だ。ただ高校受験における内申点とかいうゴミみたいな制度を聞くと、やはり過言ではないのでは…?)
失敗した時に浪人が出来ないのも同じだし、最悪失敗したら公立中学に行くという手がある中学受験と違って、高校受験は失敗したら詰んでしまわないのだろうか。二次募集の高校に行くのと公立中学に行くのとでは流石に意味合いが違う。
私が「中学受験をしたんだ」と言うと、「そっか、大変だったんだね〜」と哀れみの目で見て、中学受験をせず大変な思いをしなかった自分を肯定するのを辞めて欲しい。
私だって大変な思いはしていない。
※
私の地域は違うのだが、関東などでは?私立中高一貫校は土曜日にも授業があるのが当たり前らしい。それで「大変だったんだね〜」と思うらしく、大学に入ってから大層驚いたのだが、それならば仕方ない。
その3歳時の熱戦、真のライバルたちとの激闘はどうやっても描かれそうにないから、ここに書いておく。
「この馬は強い」「GI級だ」と誰もが思った。
そのシュウジをデイリー杯2歳ステークスで一蹴したのが、
シュウジと一騎打ちの様相を呈したレースでなんと3馬身半差の快勝。
きっと来年のクラシックはこの馬を中心に回っていくに違いないと思われた。
しかしエアスピネルが満を持して挑んだ年末の2歳GI・朝日杯フューチュリティステークス。
最後方から大外一気の豪脚でエアスピネルを差し切ったのがリオンディーズだった。
エアメサイアと同世代のオークス馬・シーザリオの仔、すなわちGI2勝馬エピファネイアの半弟という超良血。
「シーザリオ産駒からまたも大物が出現した」と皆が色めき立った。
年が明けて2016年、リオンディーズが始動戦に選んだ弥生賞。
直線で早め先頭に立ったリオンディーズだったが、
なんとディープインパクト産駒・マカヒキに差し切られてしまう。
マカヒキはこれで無敗での3連勝。
ただエアスピネルよりも、リオンディーズよりも、マカヒキが強いだけなのだ。
そしてさらに、まだマカヒキともリオンディーズとも対戦していない無敗馬がいた。
2億3000万円という高額で落札されたことが話題となったディープインパクト産駒。
うっとりするような馬体に優等生の走りでデビューから危なげなく3連勝。
「実はこの馬がいちばん強いかもしれない」とまことしやかに囁かれていた。
迎えた皐月賞。
巻き返しを期すエアスピネル。
その2頭を倒して未だ無敗のマカヒキ。
例年ならば確実に1番人気だったであろう実力馬が並んでいた。
しかし、勝ったのはそのいずれでもなかった。
他馬が止まって見えるような驚愕の末脚で抜け出したのはディーマジェスティ。
年明けの共同通信杯から直行してきた人気薄のディープインパクト産駒であった。
代わって4着に入ったのはエアスピネルだった。
人気馬たちがすんなりと上位に来ているのである。
決して荒れたレースだったわけではない。
これはディーマジェスティの実力を示しているように思われた。
ハナ差の2着はサトノダイヤモンド。3着はディーマジェスティ。
そして5着にリオンディーズ。
やはり実力どおりに決着したレースだった。
他の年ならマカヒキもサトノダイヤモンドも無敗のままだったに違いない。
いやリオンディーズやエアスピネルだって例年なら間違いなくGI馬だろう。
「今年は三冠馬が三頭いた」と誰かが言った。
結局のところ、2016世代が古馬になって活躍することはなかった。
シュウジは結局マイル以上ではいいところなしだったが、古馬スプリント路線でも善戦マンで終わった。
重賞でときおり好走するもGIは勝てず、ダートに転向したがそれでも勝てていない。
リオンディーズは、3歳秋に屈腱炎・屈腱断裂を患い、早々に引退してしまった。いまは種牡馬となっている。
ディーマジェスティは3歳で挑戦したジャパンカップで惨敗、古馬になって2戦するもいいところなく、電撃引退して種牡馬となった。
マカヒキもリオンディーズもいない菊花賞を制したサトノダイヤモンドが、
年末の有馬記念で当時の現役最強馬キタサンブラックを下してひとり気を吐いたが、
古馬になってからはフランス遠征して凱旋門賞で惨敗、帰国後もなかなか振るわず引退した。
そしてマカヒキは9歳となった今年も走り続けている。
3歳で凱旋門賞に挑戦して惨敗したことで心が折れてしまったのか。
古馬になって勝利したのは昨年の京都大賞典での奇跡の復活のみ。
栄えあるダービー馬が勝てないまま引退すらさせてもらえないのは哀れですらある。
「最強世代」だったはずの2016年世代は、いまや「最弱世代」とさえ言われるようになった。
それでも、あのときの楽しさは、次々と有力馬が出てくるワクワク感は、決して錯覚ではなかったと思うのだ。
「最強」ではなかったが「最高」のクラシックだった。
心配事が重なると、ゲームをやるより何か読む方が捗るらしい。ここ数年で一番本を読んでいる気がする。
短編連作集。主人公の「私」は亡き姉の夫である義兄と三年ばかり一つ屋根の下で同居している。とはいえ住まいは二世帯住宅のようなものなので、「私」と義兄にはそんなにまめな交流があるわけではない。
義兄は育ちのよいイケメンだが、他人の人間関係について古臭くてチープなドラマみたいなゲスの勘繰りをするのが好きという、変人な一面がある。そんな義兄を「私」は密かに好いているのだった。
「私」はというと、亡父の縁故で就職した大企業で、表向きには倉庫番のようないかにも縁故入社にお誂え向きなポジションにいる。が、裏では会社の重役達のおおっぴらには出来ないような類いの雑用を一手に引き受けている。たとえるなら映画『プラダを着た悪魔』の主人公みたいな感じ。
『レモンタルト』は、そんな「私」が日々の仕事に追われながら、たまに義兄にときめいたり助けられたりする物語。ちなみにエロはない。
私の中の長野まゆみブームは一体いつ終わるのか。まあ終わらなくても別にいいけれども。長野作品の中でも青年同士のBLの作品はだいたいそうだと思うのだが、主人公の好きな相手のいい男ぶり描写が、とても細かい。そんな描写で特に気に入ったのは、普段は冷たそうに見えるイケメンの義兄だが、眼鏡をかけると途端に人のよさが前面に出て、頼もしいお父さんみたいになる、というもの。それなんてファザコン殺し。
基本的にちょっと変わった日常系なのだが、ほのぼのって感じではないかも。入れ子状になった謎やスリルの場面が面白かった。嘘に嘘を重ねて華麗に「私」の足もとを掬うエイプリルフールとか、現代の常識では完全アウトなセクハラ面接の場面はすごいなと思う。『左近の桜』シリーズの何度目覚めても脱せられない悪夢(しかも、本当に目覚めた時は身ぐるみ剥がされた状態で叢に放置されていがち)に通ずるものがある。
「私」を陥れる罠はいつも巧妙なのに、「私」が義兄に思いがけずお近づきになれる展開になるところは、なぜか(あ、BLだからか。)乱暴なまでに強引なとこが笑えるw
星とか生き物とか科学が大好きな喬織人(たかい しきと)は、恵まれた家庭に生まれ育った、優等生。好きな言葉は「穏便」の彼は、学校では目立たないように気を付けている。
そんな喬とは真逆の陽キャ・西央凛々斗(にしお りりと)。喬はひっそりと西央に思いを寄せるのみだったが、ふとしたはずみに彼と接近し、不思議な匂いを嗅ぎとったのだった。
そして体育の授業中、不調を訴えた西央を喬は保健室に連れて行こうとするも、体育館倉庫に連れていって欲しいと西央は懇願する。様子のおかしい西央から発せられる匂いの奔流に呑まれた喬は、わけもわからぬまま西央とまぐわってしまい……。これは人類初のαとΩの誕生から七日間の物語(前編)
レーベルがビーボーイコミックスデラックスで、しかもBL情報サイトで腐女子のお姐様がたが素晴らしいと絶賛している辺りでもうだいぶ怪しいのだが、ページをめくってみればやっぱり……盛り沢山すぎるエロシーン。うえっぷ、お腹一杯です、もう勘弁してください……って感じだが、敢えて「オメガバース」作品を手にとったらこうなるのは当たり前だと思って諦めるしかないw
胸焼けするほどのエロはおいといて、ストーリー全体に生命の不思議に触れる喜びが満ちていて、けっこう好きだと思った。人類初のαとなってしまった喬が、戸惑いながらも自分や西央の身に起きたことを知ろうとし、西央の内面に触れ理解し助けようと奮闘するさまがいじらしい。
お小遣い運用の都合で下巻はまだ買えていないのだけど、これはエロ過ぎること以外は名作だと思う、たぶん。
【追記】
私が固定増田なら、出ていけとかTwitterでやれとかいう増田もいつもくっついて来るから固定増田なんだよなぁ。
私は毎回定時に投稿してる訳でもないのに、毎度よう見つけるよなって思う。