はてなキーワード: 結果的とは
まず、自分は「児相・弁護士会ルートでの一時保護専用施設や児童養護施設の受入対象ではなく(あるいは馴染めず)、DVシェルターに親と一緒に入所できる対象でもないが、家庭内で虐待を受け、孤立している子」については、性別を問わず広く受け皿が整備され、より多くの対象者が保護・救済されたらいいなと思っています。
その受け皿のひとつである子どもシェルターは、まいと@虐待どっとネットさんのおっしゃる通り、女性用子どもシェルターが主で(といっても絶対数自体が非常に少ないですが)、男性が入れる子どもシェルター(両性用・男性用)は非常に少ない状況だと思います。
一方で、そうした男性対象者の受け皿としては、歴史的には自立援助ホームが中心的な役割を果たしてきたと思います。主な対象者は20歳未満と子どもシェルターの中心的保護対象とほぼ同じで、都市部にも地方にも多数存在し(子どもシェルターの約10倍)、男性・女性の定員は全国で450人程度でほぼ同数です。http://zenjienkyou.jp/%E8%87%AA%E7%AB%8B%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%B8%80%E8%A6%A7/ (法的には、子どもシェルターも自立援助ホームの一種として公費支給されているそうです)
ご指摘の「カリヨン子どもセンター」では、「カリヨン子どもの家ボーイズ」と男性用自立援助ホームの「とびらの家」が併設されていますが、他の子どもシェルター運営団体では、シェルターは女性のみ受け入れつつ、自立援助ホームでは男性または両性をケアしているところもあります。例えば「ピピオ子どもセンター」は、子どもシェルターは女性用で、自立援助ホームは男性用です。「子どもシェルターモモ」は、子どもシェルターは女性用で、自立援助ホームは男性・女性それぞれの施設があります。
こうした性別によるケア体制の差は、ひとつには「女性より男性のほうが、20歳以下でもそこそこの収入を得て自立できる仕事があった」という歴史的事情もあるのかもしれません。男性は未成年でも「自分で働いて稼いで暮らしていく」というルートに早期から乗せやすいから、(入所中に一定の費用負担がある)自立援助ホームを中心に「孤立や虐待で家庭にいられなくなった子」を救済してきたように思います。一方で女性の場合は、この年齢で自立生活できるだけの収入のある仕事が相対的に少なく(あってもいわゆる夜職が中心)、最初から自費負担しながら自立援助ホームに入るというコースが取りにくいことから、先行する配偶者DVシェルターの枠組を一部援用する形で、自費負担のない「女性用子どもシェルター」という救済枠組が整備されていったように思います。カリヨン運営の方もこのような認識は持たれているようです。
社会福祉法人カリヨン子どもセンター事務局長の石井花梨氏は,「男の子の場合は,いわゆる『ガテン系』(肉体労働)の仕事があるので,特に若いうちは日給で働いても,割と安定的な収入を得られます。しかし女の子は,どうしても飲食系の仕事が多く,特に今はほんとうにアルバイトしかないので,よほど頑張らないと,アパートで独り暮らしするところまで,なかなかいけません。そこで頑張れなくなったときには,性産業に走ってしまう。そのことも含めて私たちは性被害だと思っています」
もうひとつ、これは個人的印象によるところが大ですけど、DV加害者である親側の「子に対する執着」の傾向には子の性別による違いがあり、親の家を出た18〜20歳の子は、男性の場合は親側には子を奪還しようとする意思がより弱く、女性の場合は親側の奪還意思がより強いため、現場では配偶者DVシェルターと同じように保護対象のセキュリティを重視し、運営場所を秘匿して運営される「女性用子どもシェルター」のニーズが強く認識され、提供されるようになったのではないかと思います。
最後に、物理的事情もあると思います。子どもシェルターも自立援助ホームも一軒家を借り上げて定員6人前後で運営するパターンが多いため、団体のキャパシティが小さければ男性は自立援助ホームでケアし、大きければ男性向けもシェルターと自立援助ホームを分けて、入所者のステージと課題の変化に対応したケアを提供しているように感じます。東京拠点でキャパシティも大きいカリヨンは、男性対象者の支援を2ステップに分け、緊急・短期支援段階は「ボーイズ」で、生活構築段階では「とびらの家」でと切り分けているように思いました。
(なお、まいとさんの場合、児相ルートの児童養護施設と自立援助ホームどちらにも入所を検討されたものの、精神的不調がある、精神科への受診歴があるという理由で入所できず、不幸にもこれらの受け皿の両方にアクセスできなかったとのことでした。https://readyfor.jp/projects/gyakutaiN_first これは確かに制度の欠陥であり、改善されるべきだと思います)
こういう事情もあって、「虐待に遭う男児・女児は同数なのだから、子どもシェルターも同数あるべきだ」という一部の論旨には、自分は首肯しかねます。一方で自分が「それと別に男性専用シェルターが必要かと言われると、自分はその当事者ニーズをあまり認知してない」と書いたのは、多くが女性スタッフで運営されている女性用子どもシェルターの対照物として「男性スタッフによって運営され、男性のみが入所することで『セキュアな空間』を提供できるシェルター」が当事者に求められている、という感覚があまりなかったからなのですが、ここについては、振り返ってみると、自分も勝手に「対照的存在としての」という(元の文脈にはない)読み込みをしており、反省しています。「児童福祉法の保護対象から外れた未成年のDV被害」という要素に対して、多くの自立援助ホームの枠組では最重視されていない種類のケアを男性向けにも提供できるなら、それが当事者にとって「よりよい」ことなのは間違いないです。そういう観点にもとづいて既存の男性用自立援助ホームの機能強化・支援強化を図ること、あるいは自立援助ホームとは別に男性が入所可能な子どもシェルターを作ることは、どちらも賛成します。
一方で、男性用子どもシェルターが希少なことで、あたかも家庭で虐待を受けている男性当事者を保護する仕組みが全く存在しないかのような印象を持たれている方々が批判者・擁護者の両方に見受けられるのは、それはそれで実態と乖離しているとも思います(nero氏のまとめだけを読んだら、そう思う方は多い気がしますが)。児相の一時保護所・子どもシェルター・自立援助ホーム・DVシェルターの随伴入所など、相互に補完しあう分散的な児童福祉セーフティネットが現にあることを前提に、どうやってこのセーフティネットを「より漏れや隙間がなく、きめ細やかな仕組み」に整えていけばいいか、という観点で話をしていくのが良いように思いました。
個人的に、その参考になるのが更正保護関連の仕組みだと思っています。保護司制度、更生保護施設、自立準備ホーム(自立援助ホームとは別)など法的根拠を持った救済基盤が整備されていて、就労支援事業者機構という組織を中心に官民連携も密になされており、企業会員の寄付や協力雇用主会員をベースにした生態系を作っています(地方の大手企業の役員などが機構メンバーになって、中小企業相手にこまめに案内・勧誘したりしています)。制度化によって硬直化してる面も感じなくはないですが、こういう、金の出処も確保した官民連携が更正保護以外の分野にも拡大されていったらいいなと思います。
ここまで書いて思ったんですが、もしかしたら、2022年4月からの成年年齢の引き下げによって、「制度の狭間」(民法上の親権下にあるが、児童福祉法の保護対象ではない)となる18〜20歳の救済を中心に構築されてきた子どもシェルターの性格は、今後は大きく変わって行くのかもしれないなと思いました。児童福祉法の定める保護年齢と成年年齢が一致したことで、結果的に制度の隙間が解消され、「個別入所者にコタン弁護士がついて、親権者との調整を図る」という子どもシェルター独特の法的支援要素が不要になるわけです。今後は子どもシェルターは自立援助ホームと再融合していくのかもしれませんし、よりDV被害のケアを焦点化した支援組織になっていくのかもしれません。そのあたりは両方を運営している団体の方々がどう考えているのか知りたいなと思いました。
@kis (id:nowokay) さんの以下の記事についてです。
https://nowokay.hatenablog.com/entry/2021/09/25/042831
ブコメにもあるようにちょっと内容が雑というかわかりにくいせいで賛否両論になってしまっていて、もしかしたら近いうちにアンサー記事が出るかもしれませんが、自分自身の理解を助けるためにも言わんとしていることを推測しつつ、自分の認識もまとめておこうと思い書くことにしました。明らかに誤読してそうな箇所があれば、指摘してください。
まずは前提を書いておかないと論点がぼやけると思うのでいちおう。
その他の前提:
2000年代に入って関数型プログラミングが脚光を浴び始めたのは、コンピュータ資源が潤沢になりパフォーマンスをそれほど気にしなくってよくなったことが大きな理由ではないか、という認識があります。
関数型プログラミング言語の内部実装を読んだことがないので推測ですが、データを不変にするということはその都度メモリ領域を新たに割り当てることになり、そのオーバーヘッドがプログラムのパフォーマンスに影響を与えるので、パフォーマンス要件がをシビアな場合、どうしてもメモリ割り当てや計算効率を考えるとミュータブルにせざるをえないと思います。が、ウェブアプリケーションに限っていえば、データベースアクセスやネットワークアクセスのレイテンシが大きいので、そうした相対的に細かいオーバーヘッドを無視しても(大抵の場合は)問題にならなくなった、というのが「時代」の流れなんだという認識です。
いっぽうで別の観点もあって、REST API や FaaS が一般化して、関数単位で処理を分割し、アプリケーション外部に配置することが当たり前になってきた現状があり、マイクロサービスのようにアプリケーション自体もモジュールの一単位として考えると、アプリケーション内部のモジュール同士でも関数ベースでやりとりする形になっても不自然ではないと考えられます。
元記事にもありますが、RPC の派生(実装?)として生まれた Java の CORBA や Microsoft の DCOM みたいな振る舞い付きのオブジェクト(コンポーネント)を共有しようという世界観は廃れ、REST API のような単一の振る舞い(エンドポイント)とそれにひもづく JSON のようなデータ構造のみを受け渡すやり方が一般的になったアプリケーション間通信の潮流と、計算機資源が潤沢になって再度脚光を浴びた関数型プログラミングが、レイヤーの違いを飛び越えてひとつになろうとしているのではないか、と。
つまり、元記事に書かれている「時代に合ってない」というのは、「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクト」のような「なにか」は、そうした背景があるために、どこにも存在する必要がなくなってきているのではないか、と解釈しました。
なので、以下のコメントはちょっと論点がずれてると思いました。
はあ?「再利用する方法としてはWeb APIが主流」って、その中身をオブジェクト指向で設計することは、全く矛盾しません。 部品化の単位は、慣習や柵などで大きく変わります。オブジェクト指向とはほぼ無関係です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/suikyojin
なんでサービスとして外とやり取りする話とサービスの内部設計の話をごっちゃにしてんだ。なんか理解度が怪しくない
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/ssssschang
たしかに、アプリケーション単位とアプリケーション内部のモジュール単位とでその表現形式を合わせる必要はないんですが、元記事の言わんとしていることはこの一文に端的に表れていると思います。
ソフトウェアの記述をまとめるという視点では主にステートレスな関数を分類できれば充分で、データと振る舞いをまとめたオブジェクトというのは大きすぎる、システムを分割して管理しやすくするという視点ではオブジェクトというのはライフサイクルやリソース管理の視点が足りず小さすぎる、ということで、オブジェクト指向の粒度でのソフトウェア管理は出番がなくなっているのではないか、と思います。
「オブジェクト指向でなぜつくるのか」という本がありますが、「え、いまどきオブジェクト指向でつくらなくない?」っていつも思います。内容的には、もうほとんどはオブジェクト指向関係ないソフトウェア工学の紹介になっていますね。
当該書籍は読んだので後半はまぁわかるんですが、前半は「え、いまでもオブジェクト指向でつくるのが主流じゃないの?」って思ってしまいます(オブジェクト指向の定義が「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクトの集まりとしてソフトウェアを組織化すること」なのであれば)。
Joe Armstrong が "Why OO Sucks" を書いたのが2000年とのことなのですが、そろそろこうした議論は収束に向かってほしいと個人的には思います(とっくに収束していると感じている方もいらっしゃるでしょうけど)。
テーマは深刻なんだけど、ジョニーデップの持ち味の出た、面白い映画だった。
どうでもいいことだけど、昔からなぜか、
ジョニー・デップのことをしょっちゅう、ジョニー・ディップと言い間違えてきた。
これは、バングラデシュのことを、バングラディッシュと言い間違えるより恥ずかしいことだと思っている。
そのジョニーデップが写真家ユージン・スミスを演じる?というのが、
パイレーツオブカリビアンのイメージがこびり付いた身には全く想像がつかない。
興味本位で観に行ったら、本人としか思えないユージン・スミスぶりに、おお、と感動してしまった(あったことはないけど)。
ユージン・スミスのことは、というと
この映画を見るまでほとんど何も知らなかったので、どういう背景があって、あの写真が生まれたのか、垣間見られてちょっと感銘を受けたりもした。
映画で描かれているユージン・スミスは、アル中で薬中。過去のいろいろで、メンタルをやられて写真家としてのモチベーションがどん底にあった頃のユージン・スミスだ。
一方、フォトジャーナリズムを標ぼうしたものの、売上が上がらず、次第に、魂を売るかのような大衆迎合的な記事や広告を載せ始めた、落ち目の写真誌「ライフ」が背景として描かれている。
ピューリッツァ賞を夢見て起死回生を図るべく、次の目標に選んだテーマが、当時、世界のあちこちで問題化し始めた公害だった。
当時、すでにMINAMATAの名は世界でも、
日本の辺境の地で奇病だの猫踊り病だのと言われ、長い間、対応がなされず蓋をされ続けてきた公害として知られていた。
この映画は、写真家として再起を図るユージン・スミスと逆転ホームランを狙う写真誌が、水俣病に目を付けるところから始まる。
いやー、こういう不純な動機、構図。なかなか良いと思う。
水俣の記録ドキュメンタリは、これまでも土本典昭やNHK、いくつかみたことがあったけれども、この目線はいままでなかった。
この映画の見どころはなんといっても、ユージン・スミスの写真家として、親としての葛藤を描くジョニーデップの演技。
日本にきたものの、途中でやる気をなくして投げ出してしまい、大切なはずのカメラまで現地の少年にあげてしまうシーンとか。
ただ、残念でならないのは、ロケ地。
違和感があったのでググったら、なんと日本ではない。観終わったあとに読んだ町山智浩のコメントによると、セルビア・モンテネグロなのだという。
どうりで、海のシーンが逆光でぼんやりしているものが多かったわけだ。
漁民も、漁民たちが扱う魚も、明らかに違和感ありまくりで、端的に貧相だった。違うだろ。。もっと豊かな海を描いてほしかった。
あと、土本作品へのリスペクト、というのもひそかに注目していたのだけど、
まあ特にないのかな、という印象だった。
過去の記録映画を観ていれば、モデルが誰なのか、すぐにピンとくる。
ここはやはり、あれだろう、船頭小唄だろう、と思ったのだけど
そのかわり、ユージン・スミスになついて、カメラに興味を示し、撮って遊ぶ天真爛漫な少年が描かれている。
しかし、考えてみれば、船頭小唄なんぞ奏でようものなら、そのメッセージ性が強烈すぎて、
物語を邪魔してしまうだろうから、日本の観客向けにはむしろないほうがいい、ということかもしれない。
映画のクライマックスは、水俣病の歴史で欠かすことのできない、大きな事件である、チッソ株主総会。
そこからの流れはとてもテンポがよく、裁判によりチッソが補償を決定するまでの激動の動きが、
ユージン・スミスのもっとも有名な写真である、「入浴する智子と母」の撮影シーンを織り込んで進んでゆく。
國村隼演じるチッソ社長が人間味があって、いい味を出していた。土本作品など過去のドキュメンタリ映画ではなかなか見ることのできなかった加害者の視点、被害者と向き合い補償を決断するチッソ社長の描かれ方は映画ならではであり、圧巻と言わざるを得ない。
見事な演出だと思う。
NHKアーカイブスでも視聴できる有名なチッソ株主総会は、1970年。
スミスが乱闘に巻き込まれて負傷した事件は翌年の東京本社での事件なので史実とはちょっと違うが、
映画は、1973年、チッソが補償を決断し、川本輝夫(映画では真田広之演じるミツオ)が裁判での勝訴をかみしめるところで終わる。
その後の水俣病の動きはわずかにエンドロールで触れられているに過ぎない。
この映画は、ベースの設定が雑誌ライフの復活とユージン・スミスの再起というテーマを背負っていたため、
チッソが責任を認め、補償に応じる、という、ここで終わりになるのは、それはそれでエンタメ的な収まりどころ、なのかもしれない。
しかし、現実の水俣病の歴史は、ある意味、まさにこの裁判勝訴と、それに続くチッソの補償協定とを契機に、
チッソVS被害者団体という構図から、経済優先で被害を黙認する行政VS被害者という構図に大きく変化してゆく。
この映画が第2幕の終わりだとすれば、第3幕はスーパーヒーロー不在の、果てしなき国との闘いだ。
チッソの社長が除去された水をコップで飲んで見せたことで有名な、有機水銀除去サーキュレーター。
効果がないのを知りつつ黙認してきた通産省を筆頭に、高度経済成長を錦の御旗に被害に蓋をし続けてきた行政の悪業が明らかにされてゆく。
最終的に国の規制権限を行使しなかった責任が最高裁で認められたのは、それから四半世紀後の2004年。
さらに一方で、1973年の被害者の勝訴判決は、チッソの患者への補償の契機となったものの、その補償協定そのものが、地域社会の新たな分断の出発点ともなった。
補償をするためには、患者が症状によって定義される必要があるのは自明の理だが、補償協定の1600万円を受け取るに値する症状という形で定義・整理されてしまったのだ。
そこに絡んでくるのが厚生省と当時の環境庁だ。国の定める、公健法上の患者認定基準が、チッソと患者団体との補償協定の要件に連動してしまったのだ。
どういうことかというと、国は広範囲に患者認定を推進するため、公害健康被害補償法により水俣病被害者の認定制度を創設したが、
そこで認定された被害者は、73年に本来は一部の患者団体と締結した補償協定の適用を受けることが認められ、1600万円を受け取ることができるようになる、という仕組みだった。
しかし、1600万という高額の補償が、結果的に、チッソの補償能力を超え、被害者認定の足かせとなってしまう。取りこぼされた多くの被害者が今日に至るまで苦しんでいる、というのが、
映画のその後の世界なのだ。2004年に最高裁が被害者の要件を国の認定基準より緩く認定した、にもかかわらず、だ。
そして国の重要産業である化学工業、そしてチッソの賠償破産を食い止めるため国や県が金融支援をし続ける、という構図がこの映画の後に待ち構えている世界だ。
国は当然、実態調査、疫学的調査に消極的で、というか一度もなされたことがない。
その意味では、映画のエンディングシーンである勝訴判決は、実は新たな闘いの出発点ともいえるのが水俣病の歴史だ。
そのことを思い返しながら、映画の話に戻ると、この映画の残念なところは、以下の点。
・風景が日本でない、不知火海が見えない、漁民がいまひとつリアリティがない
・写真家、出版社、一部の被害者闘争のリーダーという限られた構図で、実態解明に尽力した熊大や問題を放置した行政が出てこない
・だから、なぜ原因企業が折れて補償に応じたのに問題が解決しないか、みえてこない→多分世界中の公害で類似のことが起きているだろう。
・エンドロールで見せている世界の公害にリアリティを与えるためにはやはり行政の視点をどこかに織り込まなければならなかったのでは。
ただ、だからといってつまらない映画では決してなかったし、満足感は高かった。みようによっては、セルビア・モンテネグロにしちゃあ頑張って日本の漁村を描いた、ともいえる。
ジョニーデップのクズっぽいキャラは最高に楽しめたし、撮影に至るまでの信頼関係の醸成など背景がみえたのは、この映画の見どころだ。
(追記)
あー今鬱気味だなって時はテレビや動画何度見ても全く頭に入らないし、文章も目が滑って全く読めない
家事はもちろんできない
そんな期待はしてなかったが他のソシャゲは引退していたし、1年くらいはやる気でいた。
元々ソシャゲの称号に価値を感じる性分じゃないので、チャンミはどうでも良かった。プラチナとれていたが。
でも互いの育てたキャラを披露するのは面白かったしリアル競馬みたいに戦績が積み重ねられていくのは面白かった。
下振れ、バステイベが多い、スキルやステ盛りに加えて適正Sなど上振れ引くまでやらなきゃいけないのがつまらない等。
まだアホな時はそういうので一喜一憂できるが、冷静になってくると上振れようが何しようが全てが作業に感じつまらない。
そしてキャンサー杯決勝前にさらにメンバー更新しようと育成してる時に誤魔化せないほど冷めてしまい一時引退、ログイン勢に。
結果的に決勝も初めて負けてしまったが冷めていたので悔しくもなかった。
その後のレオ杯は早めに開催と条件が発表されていたがやる気が無くログインしかしていなかった。このままフェードアウトなのかなと思った。
しかしレオ杯エントリーが始まったらせめて推しだけでも育てるかと復帰し適当に極まってはないがそこそこのを作った。
なんだかんだで勝てた。結果的にまたプラチナに返り咲いたがやはり嬉しくもなかった。
そんな中でのハーフアニバーサリーと新シナリオ発表と実装。これが痛恨だった。アオハル杯に絶望。
アオハル杯がつまらないというより従来の育成が辛いのにそれと大差ないか面倒臭さはむしろ悪化したようなのが出てきたのが辛かった。
このゲームはもう面白い方向には進化しない、いつか進化するとしてもさらに数年はかかると分かった。引退を決意し、サークルからも脱退しログインもやめた。
復帰する時は来るとしたらまともに楽しめるシナリオや何かが来た時かなと思った。レジェンドレースはやるが。
しかし何だかんだでチャンミのヴァルゴ杯が始まったら、レジェンドレース開催中に始まったこともあり、出るつもりなかったが距離が同じキャンサー杯の時のキャラをそのまま出した。
もうレース見る気すら無いほど飽きてるからレースは全部スキップした。レベル上がってて苦戦してたが何だかんだAリーグ進出してしまった。
予選でこの苦戦の仕方だとラウンド2以降は歯が立たないだろうからと育成に再び少しやる気を出してみた。
だが何回か作って最初から最後まで果てしなくつまらない苦行が久々に身に染みた。このゲームやっぱりめっちゃくちゃつまらないと改めて実感。
今度はレオ杯の時とは違いチャンミのアドレナリンで誤魔化せないほどゲームにうんざりしてることが分かった。
心のどこかでまだやりたい自分がいたからまた育成に手を出したのだと思うが、それを拒絶し遠ざけて完封するほどのゲームのつまらなさに感心してこの日記を書いた。
https://rookie.shonenjump.com/series/X1vJnKZL0nE
ジャンプルーキーって商業誌じゃないの?同人やめて商業誌デビューおめでとうといっていいのかこれは
▽・かもしれない運転で処理できる部分あるのでは(いわゆる否定的なご意見)
(途中でめんどうくさくなってやめた。細かい違和感みたいなのはそりゃ別人だからあるのが普通だよな)
めじろさんはほかの人のマシュマロとか他の人のメアドにせっせと送り付けてるのかもしれない。一回「届いてないですけど送りました?」と聞くべきかと。そんで気まずくなるならそれまでなのでは。あと買い続けてくれてる人はそれ自体が感想とおもったほうがいい。自分かたりになるけど、初めて本を手渡ししてからずっと新刊かってくれて感想一切なくて5年後くらいに「私は文がかけないので」といいながらすごい格調高い感じの文体での感想をいただいたことがあります。丁寧語がすごい。社長になったかとおもったよ。すごいつたわったしありがたかった。当然コピペして読み返す用に永遠にとってあります。
前半:めっちゃ確認する。後半:表示がおくれるのは虎の問題では。ブースだのぴくスペだと注文だけしててまだコンビニから振り込みをすませてないとかあるやで。
自分こないだようやく新刊が1冊でた!そして300円だから買取50円くらいだろうなとおもった。新刊なので在庫まだあります。
最初のクソマイナーなジャンルのやつ15種類くらい(在庫も)あるけど一冊もsにでない。みなさんマナーよくてちゃんと捨ててくれたのか、小説で不人気だから買い取られなかったのか、そういう時期(電子登録してない)にこっそり取引がおわったのか悩む。
前半:17歳だったのでは 後半:それめっちゃ怒る人いるけど普通にうち通販してますよって空リプでもしちゃったほうが親切なのでは。
リツイートミュートからはじまって全体ミュートからのアンフォロー、ブロックの4段階あるある。なんだけど、最近必要な人がフォロワー数少ないとなぜか自動ミュートのようにでにくくなった(ツイッターの仕様)通知入れてる
絵かきさんはそれがあるからいいなぁ 小説は母数がすくないしタグすみわけがきっちりしすぎてて曖昧な作品でROM専ふえてもらえないのよな
あ~買いました2冊。いや脳がフットーしてるし通販で手数料と送料のせた倍額で買いなおすくらいならその場で確実にダブり買っちゃえと。布教のため知人にあげました
前半:それで絵かけるのはまたすごいですわ。実は絵も描くけど小説よりめっちゃ手間かかるし愛情も必要だとおもう(あれこれマウンティングか)後半:だいたいそれな
結局時間差でやきもきしてるだけでは。うらやましい。私は本当に一切来ないよ!書くと短編でも50pの長文になるからねー(マウンティング)長編向け人材なんだよね、最近ある有料感想請負人ってなんで3万文字とかまでなのかね?15万字の本だしたけど印刷代高すぎて6ptにしたら老眼にきつかった!この拷問を有料でひきうけてくれる人いないのかな、誤字も3か所くらいしかないとおもうんで挑戦してみてほしいな
有料感想についてhttps://note.com/moke8823/n/nf39cb5942710
まあつるさんたら。エネルギッシュでよろしいのでは。アンソロって弱小ジャンルだと赤字になることが多いのに新刊三冊って貯金50万くらいうごかした? お稼ぎなのね・・・。12話も。セミプロの人だと原稿料1枚3万とか普通だとおもうので悩むけど身柄を抑える時給に足りないとわかっていてせめてお礼に差はつけるだろうなとおもう(それが怖くて主催もできない)(ていうか小説かきだと本当に人をおさそいしにくい)
私もすずめさんくらいの感じですけどそういうウザイ信者あつめみたいのはもうどうでもいいです
慰めてくれた人も「私が最低でも1冊かってますよ!売れてるうちの一冊は私ですよ!」って義務感でいってるとこある
売れなくてつらいじゃなくてワクチンでイベントでないほうがつらい気が。
サンプル以外から感想くるとしたらネタバレ感想くらいじゃないかなと。でも一度感想いただいたことあると心に余裕できません?印刷所からでてきたのが子供を入学式にいかせたきもちで、感想いただくと子供を成人式にだせた~っていう気持ち。
眠い。続きは今度かけたら書く
https://twitter.com/on_a_wet_night/status/1440276080632369159
うまくまとめてくれた人がいた
あとはもうマウンティングというか自戒もかねてるんで読まなくていいんだけどさ
そもそもヲチスレ見に行くのはカルマたまっちゃうからやめなよ・・ここもそうだけど。匿名掲示板って悪口で盛り上がるところだからハマってもなんにもいいことないよ。それより漫画なら有料感想依頼つかえるじゃん。15万字の小説はだれも受け付けてないけど。へんな承認欲求にはまらなくてよかった。
かもめさんかどうかはおいといて通販で予約してイベントで買うダブり買いはよくやらかすので鉄の自制心ととらの購入履歴が必要
あっはい というかいまにも辞めそうな無理して新刊出してる感ってなんとなくつたわるよね・・感想だしても辞めたらそれはそれで感想書いた人もつらいやん
あっ思い出の小話集かな。エロ絵を作業的にかけるようになったの、クオリティどうかわからんけどとりあえず我に返らないパワーはゲットしててすげー。
これもあるわなあー 今おもえば一番人気の子は透明下敷きに原作絵トレスだったけどな
まあそうだけど「オンデマばっか」ってなんやねん。なんやねん。特色ピンクで箔押し印刷すりゃうまいんなら金持ちみんなうまいわやっぱヲチスレ害悪
これは自分が鍵なのでなければツイッターのシステムミュートなのでは。ツイッターを全信頼しすぎるのもよくないやで。リプ返しても透明で読めない、数字あと一人、透明さんどこ?みたいなのあるやで。(登録して数か月以内だったり、フォロワー数もフォロイー数も2桁前半だったりするとフォローしててさえ出ないことがある)(ので本当に必死に探してる人なら積極的にリプつけたりする)
あと相手の意外なミュートワードに引っかかってる場合もあるかも(ガチエロとかショタとかにょたとか)。ツイッターを全信頼しすぎるのもよくない(大事なことだから2回)。まあ4コマ漫画でこういうこまかいとこ表現はしきれないとおもうけど、最近よくある結果的デマツイートの構造もこういうとこあるしな。
ハマりかけたときと出てるときはほんとどっちでもいいのよな そんでガチ3年おなじcpにはまってる大手さん(逆は地雷)に初手ブロックされたりする
コロナおわったらカラオケいって話をききながら横でらくがきとかしてたいけど私がいると盛り上がらん(リアルがもう年齢をごまかせないツラなので)
いやだからどこみたら「叩かれて」たの・・自分もFF7リアタイ勢だけど本編だけ見てれば余計なとこにハマってなかったのでは。オチスレがすべての歪んだ承認欲求の源泉みたいな・・。恨みが恨みを読んでるみたいな。リバイバルだとなんか古参がいやなこというのはあるかもだけどティファとか癒しやん
まあそう思うのはあるわな・・料理はおいしくできましためしあがれっていって出そうな、そんで集合論(その○○に私は入っていない)とかはほんとに気にするな、あなたのやったことを全肯定してくれる信者は家族くらいしかいないでいい、いたらいたでウザいだけだ
完売しましたは一度は言ってみたい あとは通販分だけですってね ジャンル規模的に売れないってわかってて1桁だけつくったコピにょた本でもあまるぜすげーだろ でも25日ってどのコミケか特定できそう
ストゼロ飲める成人ならそんなんうらやむなよ・・彼氏居そうとおもわれちゃったか!とうけとめておけ
謙虚・・かな
よくわからんけど謙虚・・かな なんか原作まげてまでの捨て身恋愛系がジャンルにおおすぎたらこういうのもあっていい気がする 同じ話ばっかりみんなで書いてもしかたないし。というかアニメ・漫画にでるようなキャラはたいてい我が強いので原作派となのればいいのでは
すごく役に立つ話、でもカッターならイケることが多いよ(刃がもろい)60円くらいの一本筆箱に忍ばせてる
あるあるですわ。家庭と趣味、両方しなきゃいけないのがつらいとこってやつ
わかる、でもたぶん慣れてて総体的クオリティは上昇してるとおもうよ、中盤つかれはじめるまえに3つくらい案がだせるといいですね
懐かしき泥沼、か 自分は最近年取って不眠気味になって夢さえ見られなくなってきたなぁ 脳みそ若いのと情熱もすごいな
ぐ○○るの二次創作がめちゃすくない理由がこれ ゲーム本編の負担おもすぎ あとオタク国がひろがりすぎて町が孤立しだした感
幽白なんだ、知らなかった(c翼ならわかる)
定番ですなー
俺増田「えっまだ在庫全部あるのに。お隣ってわかってたら新品献本しましたよ」
絵柄とかわからん 絵柄が固定するほど修行なさってる人は雲上人なのでがんばれとおもう あと主流の絵柄じゃないけどめっちゃセンスいいなとおもうと外国人だったりする
名前は私もよくまちがえるのでゆるしてあげてください。あと最近🐥♋みたいな読めない人ふえてきてもう呼ばないでってことだろうなとおもってる
共感性羞恥(でもデパートに出てるだけで勝ち組なのはイベントに出てるだけで勝ち組なのとおなじことだぜ)
1コマに時間経緯セリフとともに5体位かいてる人みて天才とおもった そもそもわかるように体位かけるのえらい
あるある、つらいよねー。まあうまい人は一定数売れる新ジャンルにすぐ移動しちゃうんで5年やったら古参だわ
おもうにすずめさんとは地元にきたら会ってやるくらいの気持ちでいいとおもう
まあかもさんハチドリさんのペンネームしらなかったのかもしれんし。正直オフ会であっても絵柄みないとだれがだれだかわからん。というかやっぱかもさんはオフ会までいくなら配置された島のカタログくらいみろし・・オフ会こわっ。 あとこの漫画個人を容姿で描き分けできててえらいな はちどりさんは大人だとおもうけど「今日も出してました!なんなら一冊さしあげます!」っていう面の皮がある自分がすきだ
あとすずめさんみたいな人いるとやっぱジャンルが盛り上がるんだろうなぁ、コロナで見えないけど今のうちのジャンルにもいるのかな
私は本当にそっとしておいてほしい天然物タイプなのだなぁ ここまでして養殖されたくない
病んでるなー
イイネくらいなげてけ/無配ペーパーくらいもらってけ インガオホー
若い情熱ある書き手って好き嫌いがあってそれが偏愛の良作につながるのでそういう好き嫌いを持てる人がちょっとうらやましいやつな
特定しました(九州)/応用力ある人は売れるべくして売れてるんじゃないですかね・・ 正直手つなぎだのキスどまりだの両片思い(成就しない)ならどっち表記だってよくねえか、このこだわりについてはさっぱりわからん。製造してる工場の立地までこだわらんタイプ
あっそれはおもった いかにも女性らしい服を着るのに抵抗がない方だーっておもう(私もきりゃいいんだが)
体力は年々おちてるからね^ー^
これは悩む。下向いてずっと読んでたら声かけにくいのかなとか。有能な売り子さんほしい・・
ここんとこずっと最低部数1とか5とかの印刷所さんにしかお世話になってない(ジャンルで戻りして最初のうちは50がせいぜいだったので印刷代がとてもいたかった。オンデマ万歳。50のはいまだに在庫あるぜ)/ヒント:遊び紙トムソンならいけるとおもったらそうでもない。あと商業だと帯がグチャる。それにしても手だけヒトにしてるのやっぱ向きがめちゃわかりやすいわ
それは思うけど、目のいい人の解釈入れてから見るとまた違うし、自分そこまでアドレナリンと動体視力が豊かじゃないタイプだからなぁ・・
映画館で一回流れただけのドア裏の写真に誰が映ってるのかしっかり見て取る人が複数いたなぁ。ほんと動体視力貸してくれ
こういうとこオタクは研究熱心だし、ジャンルの裾のが広いほうが研究がすすんでいいとおもう
DMしようか迷うやつな・・・まあ立つ鳥跡を濁さず、引き留めず、でもまだフォローしてていい?友達だよね?みたいな感じでいいんじゃないかな
でも新ジャンルの話うるさくてミュートしてたら突然ブロックされるんだけど
あったなー。拍手よりは字数が必須なのでマシかと。でも懐かしいな、お礼2段がまえとかありましたな
いいんや。読者も定食屋で定食たべてるのが好きなんだから突拍子もないやつやらなくていいんや。
え~私はにおわされるの好きだしにおわされたのを忘れるとあとで付き合いにこまるかとおもってちゃんとアカウントごとにクラウドに溜めてあるよ。オフ会いかないから使うことないけど。生ものの場合も本気じゃなければぬるく見守れる。もしナマで本尊にやられたら即去りかなぁ。アニメは生きてないからいいな・・
ボックスで買うと高いし地雷だったとき悲しいもんな。本命アニメの円盤買ったもの同士でオンライン実況にははまって何回かやった。いまネッフリとかあっていいな。再放送を待つ必要がない。あとジャンルが好きそうって自分でわかるのはいいことだ、わたし面の皮あついけども同町圧力でなに一人であんなエロいのやってんのみたいにいわれそうなジャンルはさすがにいきたくないからなー
オンデマがSAIのpsd入稿だとグレーがモアレるどうしてもはずれないって印刷所にいわれたときの私ときたらたぶんこんな感じだった
なにがあったのだ TOEICは一時期はまってたんだけど最近難しくなったってほんとだろうか
家計と趣味は基本おなじ財布にしてる、というのも現金決済がすくなくなって家計は大部分カード(=家計簿自動記載)だからです
財布とは現金を入れるもんだから(でもイベいくときは地域プレミア商品券抜いて軽くしたり工夫してるけど、あ!ここもスタバあったんだ!とかで失敗もよくする)
スペース閉めて売り上げの入った百均の釣銭入れを握って買いに行くこともある 小銭カウントできて中小サークルさんにおつりがない場合もこちらでジャスト払えて便利だが重いし使った総額がわかりにくくてあぶないっちゃあぶない みっちりつまってると鈍器としてコナンにでてきそうだなっておもう
むしろそういうの好きなんで!ってメッセージで送りたくなるやつ
ない振りしておけばあわよくば1冊増えるかもしれんしな/わかる 他人が差し出口で○さんが出してますとかいえないので本人がリプってくれるまでほんとうにはらはらする、伝わると見守っててよかったーっておもう
そういうおっとりした(悪く言うと無神経)な人からでも名作はできるのであまり何を言っても真に受けずに泳がせておくほうが得策 というか俺をおよがせてくれ
そんなこといってる暇にデッサンかグリザイユか背景資料探しでもやったほうがいいのでは、しらんけど
他の同人記事:anond.hatelabo.jp/20201114015436 (自動リンクはあえて切ってあります。urlコピペで読んでね)
都合が悪くなると無視する
モラハラ妻は、じぶんにとって都合が悪くなるシチュエーションでは、その事情を無視するといわれます。夫を攻撃して、反撃され、反発できなくなると、その問題を無視して逃げ腰になります。そうすると、無視された夫には心理的な負担が残りますから、これを避けるために、夫は妻にしたがい、結果的には妻が優位になってしまいます
ジェンダーなんたらにしたって、こうやって「タカ派の女性がトップに座って結果的に指標だけが改善」したって、どーせあの手の人らは相ッ変わらず文句言うんですから
5年スパン見ればほぼ終息すると思うけどな
あと、気づいてるか分からんけど、
例えば糖尿病の薬で毎日注射(月30回)の人が月1や月4の注射で済むようになるって
結果的に糖尿病での通院や入院が減るし、使用する針の本数が30→1本になってコストも削減できるわけよ
針注射の回数減るってことは、雑菌入ったりする合併症リスクも減るわけだし
正直、笑えないニュースだと思っている。
まず最初に言っておくと、この自由研究をした小学生が責められる必要は全くない。自由研究としては素晴らしいものだと思う。今後も観察やデータ分析の重要性に目を向けていってほしい。
あと、小学生に対して大人げないツッコミをしている諸兄はちょっと自制しような?お前らの大半も小学生時代に統計処理なんて理解してなかっただろ。
じゃあ、なんでこれが笑えないかというと、日本におけるデータサイエンスやEBPM (Evidence-based Policy Making) の様を端的に表してしまっているように思えて仕方がないからである。
以下、NHKの記事を引用する。もちろん小学生に文句を言いたいわけではないので名前は伏せる。
**さんは、自宅近くの幹線道路の交差点で交通事故が起きたことから問題意識を持ち、夏休みのことし7月27日に朝と昼と夕方のそれぞれ1時間、この交差点を観察し、信号無視をした人を調べました。
その結果、▼子どもは14人中0人だった一方で、▼大人は833人中78人、▼お年寄りは104人中12人と、子どもよりも大人のほうが信号を無視する傾向がみられたということです。
交差点に警察官がいた朝の時間帯に限ると信号を無視する人はほとんどいませんでしたが、警察官がいなかった2日後に改めて観察してみると、この時間帯でも信号無視が相次いだということです。
この自由研究が交通安全の啓発につながったとして、秋の全国交通安全運動初日の21日、神戸市の葺合警察署から**さんに感謝状が贈られました。
ということとマッチしてしまってるんだよ。もちろん、小学生の意図とは別だとは思うけど。
もし、小学生が「警察官が居ても居なくても横断抑止に効果がない」という結果を出しちゃうと、仮にそれが事実を反映したもの、統計的に有意だったとしても、自由研究として評価されることはないだろうね。
これが自由研究だけなら良いんだけど、残念ながらいわゆる研究というかデータサイエンスの分野やEBPMでもよくある話なんだよな。もはや周知の事実か。
政府、自治体などの政策や立案を正当化するためにデータを集めて都合よく評価するみたいな事例が死ぬほど多い。パラメータやデータを調整して如何に主張に辻褄を合わせるか。
証拠の捏造と違って一応辻褄は合っているからウソかって言うと難しいところだし、政府や自治体に査読なんて無く、「○○大学の研究によれば」と公表されてしまう。
御用学者とまでは言わないけど、結果的に政策に都合の良い結果を出した方が評価されがち。
EBPMの逆、「policy-based evidence making」や「policy-based evidence gathering」と批判されてんだわ。
最近の有名どころだと三菱総研のコロナ感染者数予測が叩かれてたな。まさにこれよ。
最近親ガチャ騒動とか話題になってるけど、俺はごく普通の家庭に生まれた。厳しくもあり優しくもあった両親で、子供の頃は色々と思うところもあったが結果的に今は凄く感謝してるし尊敬もしている。
しかし俺は子供の頃から自身の低スペックさに苦しんだ。身体は小さい、運動は苦手、友達とのコミュニケーションもどこか噛み合わない。一応勉強だけは人並み以上に出来たから進学、就職はそれなりの結果は出したけど、社会に出てからはまたも自身の人間的なスペックの低さに度々苦しむことになった。
今の仕事も別にそんなに好きでもないし辛いことの方が遥かに多いけど、自分の数少ないまともな部分を失いたくなくて惰性で続けている。辞めたら曲がりなりにも大切に育ててくれた両親を悲しませることになってしまう。
そう言えば、お前の人生面白くするもつまらなくするもお前次第だと親父に言われたことがあったな。何か強い信念を持ってそこへ一直線へ進むことが出来れば、面白い人生になったのだろうか。とりあえずレールには乗っかろうと成り行きで生きてきた結果がこれだ。せっかく貴重な忠告してくれたのに、すまんな親父。
これは見当違いにもほどがある。
女性が主体的に選べることが重要なのであって、結果的に女性が何を選ぶかは無関係だ。
女性が主体的にパンプスを選ぶならそれはKutooを否定するものではない。
よく「(若者は特に)政治にに強い関心を持ちなさい」言うけれど、政治に強い関心を持つほど無力感を覚える。
特定の政治団体を非難しているわけではない。もっと根本的に、政治は世の中を良くする力を持っていないように思える。
半分は正しくて、半分は嘘だ。
「選挙に行く」というのは民主主義国家としての体裁を保つための国民の義務として正しい。
「社会を良くするために」が嘘。
特に政治的思想の無い無投票派が加わったところで票の分布は変わらない。
それはきっと「政治に関心を持て」派の人も分かっているようで、
「選挙に行け」の後には決まって「A党はこういう不祥事をもみ消している」だとか、
「B党は財源を無視した政策だ」など、投票先を誘導するような主張がついている。
つまり無投票派を自分の味方にするために「政治に関心を持て」と主張している。
ではなぜ政治に対して関心を持つ人がいるのか。
それは政治が自分事で、政治が良くなれば自分が幸福になれると信じているからだ。
それは本当だろうか?
まず「政治を良くしたい」人は今の政治は良くないと思っている。
満足をしている人は良くしたいとは思わないからだ。
今の政治の不甲斐なさを見て、ストレスを貯め、政治の啓蒙活動に励んでいる。
現在の日本は民主主義の形式をとっているため現在の政治は多数決によって選ばれている。
1.バッドエンド 愚かな大衆は間違えに気づかない
たいていはこれ。個人が路上やSNSで行う啓蒙などこの程度なのだ。
これを見た「政治に関心のある人」はありえない、と思うだろう。
これが一番起こりにくい。
少数派である自分の思想が変わらないのに大衆をひっくり返すのはさらに困難になる。
自分の大衆も同じ人間だ。大衆だけ愚かで簡単に思想が変わると思うのは傲慢だ。
大衆を愚かだと嘆きつつ、ストレスを貯めて生きていくしかない。
これでは幸せになれない。パンとサーカスを楽しんだ方が幸福である。
項番2を見て「格差や貧困は政治でしか救われない。幸福ではなく正しさのために政治に関心を持て」と言われるだろう。
ではそもそも政治に社会を良くする機能があるのかを考えていく。
よく野党は「国会を開いて議論をするべき」と主張するが、国会で議論は可能だろうか。
間接民主制はマニフェストを国民に提示し、賛成を得た議員が国会に集まる。
よって国会に集まっている時点で意見は固まっていて、変更はできない。
仮に議員が論破されて納得したとしても、意見を変えることはマニフェストを指示した国民を騙すことになる。
だから自由な議論は選挙前に国民向けのパフォーマンスとしてしか存在しない。
国会が議論の場でないからスキャンダル晒しや野次でパフォーマンスする場になっている。
ワクチンを打つか打たないかを決めるのは政治だが、打つと決めたらあとは仕事と技術の問題だ。
ワクチンが足りなかったりアプリの不具合だったりは政治的問題ではなく、単純に仕事ができるかできないかだ。
選挙のマニフェストでは仕事ができるかは分からないし(面接をしたって無能を採用することはある)、
だから政治的にどれだけ議論をしたところで解決する問題ではない。
戦争や革命直後(全員貧しくなる)以外で歴史的に格差や貧困を解消した国家があれば教えて欲しい。
ならば政治は富をどう再分配するかという話になるが、
金銭的な富を再分配しても今度は社会的地位、労働環境、容姿などで格差が生まれ、不平不満は生まれる。
「生まれながらに顔が良いから恵まれている」「男だから体力的に有利」なんて問題は完全に富を再分配しても起こる。
では部分的な富の再分配はというと、生活保護など現状も存在する。
じゃあ金持ちからもっと税を取って国民に分け与えればいいというのはもっともだが、
結果的に金持ちが国外に移住して税収が減り、再分配するための富がなくなる。
これを防ぐためには全世界の税率を共通にする必要があるが、それは世界征服でもしない限り不可能だ。
完全無欠な政治思想が存在しない以上、何かしら不満は生まれるものだ。
だったら「政治に関心を持」って啓蒙活動を行ってSNSや路上で騒ぐより、