はてなキーワード: Aリーグとは
そんな期待はしてなかったが他のソシャゲは引退していたし、1年くらいはやる気でいた。
元々ソシャゲの称号に価値を感じる性分じゃないので、チャンミはどうでも良かった。プラチナとれていたが。
でも互いの育てたキャラを披露するのは面白かったしリアル競馬みたいに戦績が積み重ねられていくのは面白かった。
下振れ、バステイベが多い、スキルやステ盛りに加えて適正Sなど上振れ引くまでやらなきゃいけないのがつまらない等。
まだアホな時はそういうので一喜一憂できるが、冷静になってくると上振れようが何しようが全てが作業に感じつまらない。
そしてキャンサー杯決勝前にさらにメンバー更新しようと育成してる時に誤魔化せないほど冷めてしまい一時引退、ログイン勢に。
結果的に決勝も初めて負けてしまったが冷めていたので悔しくもなかった。
その後のレオ杯は早めに開催と条件が発表されていたがやる気が無くログインしかしていなかった。このままフェードアウトなのかなと思った。
しかしレオ杯エントリーが始まったらせめて推しだけでも育てるかと復帰し適当に極まってはないがそこそこのを作った。
なんだかんだで勝てた。結果的にまたプラチナに返り咲いたがやはり嬉しくもなかった。
そんな中でのハーフアニバーサリーと新シナリオ発表と実装。これが痛恨だった。アオハル杯に絶望。
アオハル杯がつまらないというより従来の育成が辛いのにそれと大差ないか面倒臭さはむしろ悪化したようなのが出てきたのが辛かった。
このゲームはもう面白い方向には進化しない、いつか進化するとしてもさらに数年はかかると分かった。引退を決意し、サークルからも脱退しログインもやめた。
復帰する時は来るとしたらまともに楽しめるシナリオや何かが来た時かなと思った。レジェンドレースはやるが。
しかし何だかんだでチャンミのヴァルゴ杯が始まったら、レジェンドレース開催中に始まったこともあり、出るつもりなかったが距離が同じキャンサー杯の時のキャラをそのまま出した。
もうレース見る気すら無いほど飽きてるからレースは全部スキップした。レベル上がってて苦戦してたが何だかんだAリーグ進出してしまった。
予選でこの苦戦の仕方だとラウンド2以降は歯が立たないだろうからと育成に再び少しやる気を出してみた。
だが何回か作って最初から最後まで果てしなくつまらない苦行が久々に身に染みた。このゲームやっぱりめっちゃくちゃつまらないと改めて実感。
今度はレオ杯の時とは違いチャンミのアドレナリンで誤魔化せないほどゲームにうんざりしてることが分かった。
心のどこかでまだやりたい自分がいたからまた育成に手を出したのだと思うが、それを拒絶し遠ざけて完封するほどのゲームのつまらなさに感心してこの日記を書いた。
ふと疑問に思ったんだが、よくバスケットボールを人差し指の上で回す人がいるじゃん
実はこんな歴史があったというウソが思いついたので書いてみようと思う
時は1904年、バスケットボールというスポーツが生まれてから10年少々しか経っていない頃のお話し
黎明期ということで例えばボールを持ったまま歩けるのは5歩まで、チームの人数は8人などと、今のバスケットボールとは大きく違っていた
アメリカ・NBCAリーグのミッドランド・ロックハウンズは5チームのリーグ中5位、シーズン開始から10連敗中だった
なんとかこの状況を打破しようと、当時のグアダルーペ・ビクトリア監督は秘策を思いついた
その作戦の実行は、1904年9月7日、リーグを首位で独走するグレートレイクス・ルーンズとの試合でだった
試合開始のジャンプボールでボールを奪ったロックハウンズのチャールズ・タッパーはなんとボールを人差し指の上でくるくると回し、そのままゴールへ向け走り出した
しかしタッパーはボールを乗せた指を高く掲げ、相手の守備を華麗にかわす
そしてそのままシュート
当時のルールには「ボールを持ったまま」歩けるのは5歩まで、と書いてある
つまり、指の上に乗せているだけなので、トラベリングには該当しないというのだ
前の試合が終わってからずっとボール回しの練習だけを続けていたロックハウンズ、この後も順調に得点をあげていく
ロックハウンズのまさかの作戦に焦ったルーンズの選手もボール回しを真似してみたが、そう簡単にはできず、ボールをこぼし相手に奪われてしまう
試合は終始ロックハウンズペースで進み、結局104-71という大差で終わった
1年後に当時の大統領から「これはバスケットボールではない」と申し立てがありボール回しは禁止になったが、ロックハウンズの奇策は伝説として語られ、いまだにバスケットボールプレーヤーの間ではボール回しはクールなプレイとして人気を博している