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2021-11-02

野党自民党に勝てない理由

今回の衆院選を通じて「野党支持者がこれでは永遠に自民党には勝てないな」と批判的な感想を持ったので

その理由を書いてみる。

自民党支持者と野党支持者の違い

社会心理学ジョナサンハイトは「ケア」「公正」「自由」「忠誠」「権威」「神聖」の6つの道徳基盤を提唱

保守派は6つ全てを重視しているのに対しリベラル派は前3つを重視し後ろの3つは軽視しているとした。

自民党支持者と野党支持者の違いもこれで説明できるように思う。

もちろん他にも違いはあるが、選挙において最も大きな差として表出するのは「支持政党への忠誠心の有無」だ。

今回の衆院選では与野党ともに対立候補に対するネガキャンが飛び交ったが、それへの対応の違いが顕著だった。

自民党へのネガキャンが報じられたとき、支持者はどう行動するか。

これは無視もしくは「これだからリベラルは~」と逆用して攻撃に出るといった行動が多い。

自民党への忠誠心があるので党や候補者にとって不利になる行動は自然と避けるのだろう。

大して野党へのネガキャンが報じられたとき支持者はどう行動するかというと、思い切り釣られてしまった人が多数観測された。

断言するが「共産党表現規制」なんて今後大きな話題になることはありえない。選挙が終わったからだ。

どの政党表現の自由社会生活バランスについて考えていて、さじ加減は異なるものの無制限自由を許容している政党はない。

その程度の話なのに「共産党公約を取り下げるべき」「失望した」と言い始める野党支持者が現れ、自民党支持者と一緒になって野党叩きを始めてしまった。

野党支持者は支持政党への忠誠心が薄いため、党や候補者にとってどうかよりも自分正義の側に立つことを優先してしまうのだ。

これでは勝てないのは当然だ。

まとまろうとせず分散する野党支持者

今回の衆院選では立憲や共産党が嫌になり国民民主党れいわに投票した野党支持者が多く見られた。

理由を見ると共産党は嫌だとかスキャンダル懸念してといったものが多かったように思う。

しか国民民主党は表向き共産党は嫌だ嫌だと言いながら裏では協力関係にある。

実はお互い立憲を介して選挙区調整もある程度しているし、国会では毎週与党をどのように追及していくか相談している。

野党コロナ関連法案は立派なものが多く(内容を自民党がパクッて自党の法案として提出している)それらは立共国共同で提出されたものだ。

要は今回国民民主党は嘘をついて非共産派の野党支持者を集めようとしたのである

選挙が終わったので今後は何事もなかったかのように共産党との協力関係を再開するだろう。

スキャンダル耐性についても国民民主党議員旧民主党の残党が中心であることに変わりはないので大差ない。

こういった国民民主党ネガティブ情報ほとんど報じられないのはなぜだろうか?小政党からである

れいわは山本太郎暴言の数々が動画として残っておりいくらでも証拠として掘り出すことができる。掘られないのはなぜか?小政党からである

仮に今後両党が立憲並の規模に成長したら、今の立憲と同等のネガキャンに晒されることになる。

そのとき支持者はどうするか?また別の小政党を支持するようになってしまうのではないか

今回の衆院選与党勝利したが、おそらくいつものように与党野党維新除く)の総得票数比較したら野党の方が多くなるだろう。

野党支持者が一つにまとまれば勝てるのに(実際には1票の格差問題があるので多少上回った程度では厳しいが)自ら分裂を選んでしまうのである

これでは勝てないのは当然だ。

「これだから〇〇党は」のお客様意識

https://anond.hatelabo.jp/20211101192844

この増田では「これだから民主党は駄目なんだ」と罵倒されたエピローグが書かれているが

野党支持者は政治家政党を育てるという発想が欠けているように思う。

選挙ボランティアに参加した増田は当然そうではない。トラバ勘違いされているようなので追記

ここで批判対象にしている野党支持者がどう思っているのかは分からないが、特定政党の熱心な支持者でも党に不満は持っているものだ。不満が全くない人などいない。

そこで「党に不満がある。だから改善しよう」ではなく「党に不満がある。だから支持しない」となってしまうのが野党支持者だ。

自民党支持者はどうか?「党に不満がある。でも忠誠を誓っているか我慢する」となるだろう。

野党支持者は自分主権者であるという自覚を持たず(これは自民党支持者も持っていないと思うが)全てにおいて完璧政治家政党が空から降りてくるのを待っている。

これでは勝てないのは当然だ。

野党支持者は覚悟を決めろ

以上のように、野党支持者は自民党支持者より支持政党にとって不利な行動を取る傾向が強い。

しかすると「選挙自分が最も良いと考える候補者投票するもの」と素朴に考えているのかもしれない。

それは間違いではないが、自民党支持者は「選挙自民党を勝たせるもの」と考えている。

どちらが勝つかは言うまでもあるまい。野党支持者はこのままでは同じ土俵に上ることすらできない。

野党支持者は自民党を倒したいなら今までの態度を改め一致団結しなければならない。なぜなら自民党支持者は一致団結しているからだ。

自民党を倒したい」より「批判されないポジションから物を言いたい」が上回っている人が多すぎる。

いい顔をしたいという欲を捨て、野党を育てるという覚悟を決めなければならない。

2021-09-19

小島一志という男(加筆)

 小島一志という格闘技ライターがいる。格闘技と言ってもほぼ極真専門といっていい。

 相当なお騒がせ人物である

 詳細はWikipediaやコジ苑というアンチwikiAmazon著作レビューでをご覧いただきたい。

 

 外部から眺めている彼らより少し近い場所にいたので、そんな立場から見た彼を語りたい。

 

 家高泰彦というライターがいる。

 『極真大乱』という著書をあらわし、何よりも小島大学時代同級生で一時期は仕事も一緒にしていた人物である現在は絶縁)。

 「小島は人の懐に入るのがうまい」と彼は書く。

 小島と直接関わりを持つきっかけをわたし自身を例として回想してみてもその印象は同じである

 

 小島瞬間湯沸かし器である。突然に激しく怒り出す。

 しかもそのスイッチがわからない。だから彼との会話は地雷原を歩くようなものだ。

 

 「俺を侮辱するな!」「俺を疑うな!」

 

 小島は怒ると大抵こういう風に言った。

 しか第三者として見てもどこが侮辱なのか、どこが疑いなのかさっぱりわからないことが大半である。怒られている当人には当然もっとからなかっただろう。

 猜疑心被害感情が強すぎるのである

 

 小島は何でもない一言を過度に悪く拡大解釈し、しか当人が言っていないことまで「言った」などと述べるのだ。

 怒った時の小島はきわめて横暴で独裁的、まさしく暴君言動であった。

 その一方で、1日も日を置くと、「あのとき感情的になりすぎた」などと反省の弁を述べることも多かった。

 当初は「困った人だが、きちんと反省謝罪もできるんだな」と思っていた。

 だが、あまりにもそのようなことが続くとさすがに異常に思えてくる。

 そしてこんな風にも思い始めた。

 これは共依存DVカップルなどによく見られるコミュニケーションパターンではないか

 

 そんな人間と長く関係が続くはずもない。あるものは自ら去り、あるものは切り捨てられた。

 わたしの時も同じであった。再三、理解不能な怒りを買ったあげくに切り捨てられたのである

 彼の会社である夢現舎には現在スタッフはおらず、息子との間でさえ険悪な仲のようであるが、それも当然であろう。最近では『大山倍達正伝』(新潮社)に協力したLeo氏が「0.1円も儲けさせたくはない」と発言しているのを見た。

 

 彼を称して"イタコ作家"と呼ぶ人もいる。

 その場に居合わせたわけでもなく、録音テープがあるわけでもないのに、あるシーンのやりとりや長台詞、心情、仕草まで詳細に記述するからである

 アンチはこれを称して作話捏造根拠ひとつとする場合が多い。

 

 しかし、おそらく小島にその自覚はあるまい。

 催眠ショーでよくあるのだが、「あなたは○○(歴史上の有名人)だ」という暗示をかけたら、被催眠者は顔つきも声色も、姿勢も変わってなりきった言動を行う。強い暗示にはそのような力があるのである

 彼のYouTubeチャンネルを見てほしい。大山倍達芦原英幸の語りを再現する時の様子を。

 すっかり本人になりきっていると思わないだろうか?

 小島思い込みが激しく、自己暗示にかかりやすい男である

 だから本当になりきってしまうのだ。

 イタコ気質である以上、イタコ作家は間違っていない。


 人間関係悪化すると、いままで許せていたものが許せなくなる。

 これはほとんどの人間がそうだろう。それにしても小島のそれは極端に過ぎる。


 投影性同一視というものがある。

 非常に難しく、自分も十全に理解しているとは言えない。だから説明はしない(ネットでわかりやす説明を見つけたら、それは大幅にはしょって簡略化したモデルであると言い切ってもいい)。

 だから概念よりも、症例や行動パターンを見てほしい。

 驚くほど小島に重なるのである

 特に代表的ものを上げよう。

 

現実に,または想像の中で,見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力

理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる,不安定で激しい対人関係様式

 

 もう一つ、社会心理学認知的不協和理論というものがある。精神分析学では防衛機制において「合理化」といわれている概念にほぼ等しい。

 矛盾した言動や納得できない状況などに対して、それを正当化するために認知をゆがめ、自らを納得させるための理屈を作り出す。

 思い込みの激しい小島場合は、妄想物語を作り出すという形で表れる。

 だから小島自身は嘘をついているという自覚はないのではなかろうか。少なく見積もっても6割、多ければ8割ぐらいは本気で信じているように思える。

 これに被害感情の強さが結びついた時、極度の人の好き嫌いが生とも考えられる。

 なぜ小島はこのような人格を持つに至ったのであろうか?

 イタコ気質生来のものであろうが、それ以外は育成環境もかなり影響しているような気がする(なんとなくそう思うだけである、明確な根拠はない)。

 

 原田寛『最後の直弟子が語る 芦原英幸との八年間』によると芦原英幸がきわめて猜疑心の強い人物だったようだ。

 そして小島は芦原に心酔している。

 小島猜疑心被害感情の強さは芦原の悪影響ではなかろうか。



2022/6/30 加筆訂正

2021-08-25

社員を「監視」する会社は、なぜ成果が上がらないのか

8/11(水) 10:38配信

リモートワークの実施必要な働き方

 最近多くの企業で、人事制度を「ジョブ型」へ移行する動きが目立つ。なぜならリモートワークとの相性がよいからだ。欧米企業のようにジョブ型であれば、仕事を切り分けてリモート仕事を進めやすいが、メンバーシップ型の場合はそうはいかない。

 リモートワークは欧米を中心に広がってきた働き方だが、欧米企業においては働き方もジョブ型で、仕事個人に切り分け、成果も無理なく評価できる。一方のメンバーシップ型は、出社して同じ「職場というハコ」の中で一緒に働くことを前提とし、メンバー役割を柔軟に調整するため、個人の成果の評価には困難が伴う。

 日本メンバーシップ型の働き方が一般的な中、突然リモートワークに移行したため、極端なミスマッチを起こしてしまった。リモートワークを実施するならば、個々に仕事を切り分けるジョブ型への移行が不可欠なのだ

 ジョブ型へ移行するには、仕事の成果を適正に評価できなければならない。そのためには、仕事の進め方もより個人責任を明確にする方向へ改めなければならない。さらに仕組みを整備するだけでなく、評価する側のスキル必要になってくる。さらには、メンバー全体が新しい働き方を受け入れるよう、価値観シフト必要となるのだ。

ジョブ型への移行を難しくする日本企業特有価値観

 日本においてはメンバーシップ組織歴史は長い。「中世以降、ムラ社会が成立し、環境最適化するために相互監視的な集団主義が浸透していったから生まれた考えだ」と社会心理学者の山岸俊男氏は指摘する。

 そのムラ社会昭和から平成にかけて、会社という組織の中でも脈々と受け継がれてきた。その結果、日本では社会でも会社でも同調圧力が強くなった。会社は働く場であるとともに、コミュニティーでもあった。しかし昨今、転職副業に加え、リモートワークの普及が進み、ムラ社会解体する動きが出てきたのだ。

 働き方の制度を変えても、多くのメンバー価値観一朝一夕には変わらない。日本企業では、「あなたがいてよかった」と存在肯定されたい人のほうが、「あなた能力はすばらしい」と能力肯定されたい人よりまだまだ多い。

 こうした事情から財界を中心に「同一労働同一賃金」の実現という文脈で進められてきたジョブ雇用への移行が、なかなか思うように進捗してこなかった。それがくしくも、コロナ禍という強力な外圧により、待ったなしの状態になっているのである

●「労働時間」を重視する会社論理

 多くの企業で、個々の社員役割仕事成果の品質基準は明確に定められておらず、社員に委ねられている。委ねられてはいるが、会社社員を十分に信用してはいない。だから監視する。「オフィスへ出勤し、上司の目が届く範囲仕事をするのならば安心だが、目の届かない所にいると心配」という感覚なのだ。できるだけオフィスで観察するのと変わらぬ管理をしなければならないと考え、「社員PC管理システム」などを導入してまで細かく監視する事態につながっている。

 しかし、オフィスに出社していても、本当にきちんと管理できているのだろうか。実際には職場でも「やらされ感」を抱きつつ、意欲もなく、非効率的仕事をしている社員もいるに違いないが、そのような状態でも、決められた時間、その場でデスクに向かってさえいれば、これまではよかったのだ。社員を信用しているのか、信用していないのか、不明状態である

 つまり「成果よりも時間。とにかく長い時間仕事をすれば高く評価する」という、生産現場における管理形態から抜け出せていない古い価値観である。かつて目立った、効率的仕事をして上司より早く帰る部下よりも、非効率でも遅くまで残業している部下を高く評価してしまうような価値観だ。昨今では、そこまであからさまではないとしても、残業休日出勤をする人を仕事熱心であると見る価値観が残っている企業はまだ多い。

 これは「ジョブ型」「メンバーシップ型」という枠組みで考えれば、完全にメンバーシップ型の価値観である会社側が「社員サボるかもしれない」と考え、実際に社員も「サボる余地がある」と感じている。監視する側、される側という関係性にある。これではリモートワークがとても機能しそうにない。こうした価値観のままではジョブ型への移行がうまくいかないのは当然だ。

ジョブ型と自律的な働き方は、「鶏と卵」の関係

 一方の「最良のシナリオ」とは、以下のようなものである

メンバー役割や成果が明確に定められている。

仕事の進め方は本人に委ねられている。

社員自律的に働く。

マネジャーは適切なタイミング必要サポートを行う。

 キーワードは「自律」だが、実現には前提がある。いわゆる「ジョブ型」への移行だ。多くの企業理念や行動指針の中で「自律」を強く標榜しているにも関わらず、いっこうに進まないのも、働き方の「ジョブ型」への移行が進んでいない点に原因がある。仕事の仕方や評価のあり方が、社員の「自律」と矛盾した状態にあるためだ。

 社員自律的に働かなければジョブ型は機能せず、ジョブ型に移行しなければ社員自律的に働かない。つまり、「卵が先か鶏が先か」ということになるが、価値観を変えるためには、新たな価値観に合った仕組みが必要で、その仕組みを機能させるには、新たな仕組みに合った価値観への移行が必要となる。いずれが欠けても頓挫してしまう。「ジョブ型」の人事制度など仕組みの整備と、雇用する側とされる側の新たな価値観へのシフトが、同時並行で進められなければならないのである

2021-08-13

学術書の類を読むときプロによる書評も一緒に読め

ブレグマン(2021)『Humankind 希望歴史』を勝間さんがブログで紹介しているが、その記事ブコメ地獄と化している。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/katsumakazuyo.hatenablog.com/entry/2021/08/12/162845

「なんとなくだが俺はこう思う」「著者はチェリーピッキングしててクソ」みたいな主張がエビデンスなしに書かれており(そもそも君たち原書読んだ?)、それらにスターが当然であるかのように集まっている。これらは理性的議論でもなんでもなくただのエコーチェンバー現象である。やはり、ブコメという文字数制限があるメディアできちんとした議論を行うのは無理があることが分かる。

こういう学術書やそれに近いものを読むときに私が習慣としていることがある。本を読む前にプロによる書評を読め。

ここでのプロというのは、新聞でそういう書評をいっぱい書いているプロレビュワーのことではなく、プロ学者のことである

例えば、"Bregman Humankind book review"とかでgoogle scholarなどを調べると、文化人類学者によるこの書評がヒットする。

A Sceptical Review of Bregman’s 'Humankind: A Hopeful History'

https://www.newenglishreview.org/custpage.cfm?frm=190173&sec_id=190173

この書評によれば、「過去において狩猟採集生活住民同士が戦争ばかりして殺し合っていたというのは基本的には嘘」というブレグマンの主張は文化人類学的には嘘っぱちである

"As a journalist he not only knows very little anthropology but also has an irritating folksy style"(ジャーナリストのブレグマン文化人類学についてほとんど何も知らないだけでなく、イライラするほど垢抜けない文体を用いており)、"This is reminiscent of a very bad undergraduate essay"(これはとても下手な学部生のエッセイを思い出させるような主張だ)、などとやたら攻撃的な評がなされており、それはそれで大丈夫かという気持ちにはなるが、少なくとも一人の専門家視点から見た学術的な評としては参考になる。もちろんこの書評が真理で『Humankind』は読む価値なし、とここで主張したいわけではない(私は文化人類学者ではないのでその判断はできない)。

このような視点批判的に本を読解することは、当該分野の知的蓄積を持っていない素人には不可能である。誤った知識を盲信しないために第三者によるファクトチェックには目を通しておいた方がよい。逆に、その道の専門家が「よく書けた本である」と肯定的に評していれば、ある程度安心して読むことができる。

プロによる書評をどのように探すか

日本語書籍なら「(書名) 書評」でググる学者による書評に絞りたい時は「(書名) 書評 教授」でググったり「(書名) (著者名)」でGoogle scholarしたりするとよい。

英語書籍日本語翻訳された本を読むときもこれで原著の評判を調べる)なら「(書名) (著者名)」でGoogle scholarするのがおそらく一番よい。ある程度有名な本ならプロによって書かれた書評学術ジャーナルに載っており、それがだいたいヒットする。特にいわゆる文系学術ジャーナルには毎号Book reviewコーナーがよくあり、そこに載っている書評は「本の主張まとめ」→「本の批判検討」→「本の評価」というフォーマットで書かれていることが多いため大変読やすい。ただ一つ問題があり、これらのジャーナルはほぼ有料である研究機関所属するか金を払うことによりこの問題解決する。

また、twitterで「(書名)」で調べ、研究者っぽい人による短評ツイートを探して読むという方法もある。研究者のTwitterはだいたい実名かつ顔写真アイコンソース:私の印象)なので、それで目grepしてからプロフィールをチェックするとよい。ちなみに関心がある分野の研究者のtwitterアカウントは普段からフォローしておくとたのしい。

余談:近年のポップな人類歴史書の怪しさについて

冒頭で「ブコメがやべえ」と批判したが、こういう風呂敷を広げまくって人類史を俯瞰したぜと主張する売れ筋本に警戒心を抱いてしま気持ちはよく分かる。なぜなら、最近のそういう本に対しては「適当こくな」と専門家からツッコミが入ることが実際に多いから。

例えば、Humankindの書評として上に挙げたものを書いたC.R. Hallpike先生は、ハラリの『サピエンス全史』に対しても批判的な評を行なっている。

Review of Yuval Harari's Sapiens: A Brief History of Humankind.

https://aipavilion.github.io/docs/hallpike-review.pdf

ちなみにこのHallpike先生は、未開社会フィールドワークを行なった経験から最近のポップな歴史書は文化人類学デタラメばっか書きおって」と心底お怒りらしく、全員(チョムスキー含む)まとめてぶった切る本まで書いている。Hallpike先生過激な主張を好むことも踏まえると(参考: https://twitter.com/profdanhicks/status/1336981539893161984 )、この本に対するプロ書評が見つからないのは残念である

C.R. Hallpike(2018). "Ship of Fools: An Anthology of Learned Nonsense About Primitive Society".

https://www.amazon.com/Ship-Fools-Anthology-Nonsense-Primitive-ebook/dp/B07HX4188K

また、このような人類歴史スキャンダルとして最近話題になったのが、スティーブン・ピンカー(2019)『21世紀啓蒙』における「学術ルール違反事件である

ピンカーが書中で「科学史家による主張」として紹介していた言説が、脚注をたどると科学史家でなく社会心理学者によるものであったことが分かり、さらピンカーによって引用されていた文章は実際には同じ論文内の別部分の文章を継ぎ接ぎしてピンカーにとって都合の良いように捻じ曲げられていた、という事件である。詳しくは以下のツイートを参照。

https://twitter.com/mccormick_ted/status/1419672144368308225

もちろん『21世紀啓蒙』におけるピンカーの主張自体に対するプロからの異議申し立て存在する。

https://www.abc.net.au/religion/the-enlightenment-of-steven-pinker/10094966

というわけで、売れている学術書を無邪気に読むことすら危うさを孕む行為であるメディアリテラシーだいじ。

2021-07-21

anond:20210721103350

うん、君の未来は以下の通り。

① 君も新入社員に雑なアドバイスを投げる人になる。

② 馴染めずに鬱になるか、退職するか、バッドエンド。

まぁ、アドバイスはできないが、おそらく「周りとの生きたが、標準偏差的にハズれた人」なのじゃないか?なんとなくだが、虐められているのでないのに会社に居場所をみつけにくいと思っていると思う。これは社会心理学的に解明されているから、転職可能な感じなら「切り替えていく」というのもありだと思うよ。


もちろん「転職自己責任」だけどね。いずれにせよ自分言葉で「やりにくさの解明」ができないと、メンタル的に崩壊すると経験者は語るよ。ミクロで悩まずに、大局的にマクロ思考で考えなよ。

2021-06-20

anond:20210619063749

むかしK大学でS.H.という社会心理学者の講義を受けていた。Sの専門は説得術であった。彼はにやにやしながら「口説き心理学」と黒板に大書し「異性に口説かれて悪い気がする人なんていないんですから」「だめでもともと」と力説していた。

その教授セクハラ常習犯として悪名高いことを、後で知った。もう定年退職したが、名誉教授にはなれなかったようである

2021-05-15

メモ選手応援したいがオリンピック続行はヤバいというジレンマ

これはある意味典型的認知的不協和なんだろうな。

あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手応援したい、というジレンマ

全国的感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。

wikipediaによると以下。

認知的不協和とは、人が自身認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語アメリカ心理学者レオンフェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和典型例なんじゃないだろうか。

しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。

例としては、うなぎ大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみ規制すべき等も思いつく。

自分欲求社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分なかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。

うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。

うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共判断は成立しない。

うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法ひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的制度設計だ。

しかし、人間心理矛盾をなんとか解消

公共的な意思決定は、決して個々人の選好の集合や多数決ではない。

そう考えると、現代民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。

個人的には好きではないけど自分社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。

そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。

近代民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカ建国者のひとりジェファーソンは、

公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共課題自分欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政必要市民資質だと考え、他方、代表者議員)に必要資質アリストクラシー自然的貴族)と呼んだ。

しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。

社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき

ふつうの人々は、自分内面を整理するために、どちらかの認知一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知修正してゆくことになる。

今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。

オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。

社会規範に合わせて自分に対して一貫性要求しがちな日本人特に自分欲求我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。

別の例を挙げれば、60年代セクト化が加速したサヨクの動きが典型例。

エスカレートした「総括」要求など。

また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知一貫性他人に求める一例。

サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。

自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。

まさにこれが心理学が扱う認知的不協和テーマなのだろう。

党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、

それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。

ますます両極化が進んでいき、相手方一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやす立場の人とと

そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。

認知的不協和を解消しにくい人々。解消しやすい人々。

コロナ対策では人流の抑制課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。

しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、

次第に言葉の力は失われ、今では行政政治家も口にしなくなってしまった。

もっとも同時に、自粛警察あんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。

ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。

思い出すのはベトナム反戦運動ベトナム反戦真っ盛りの60年代アメリカブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たち

反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。

コロナ禍でのステイホームムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。

自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしま業界

それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。

オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会安全自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。

以上の話は、人々のジレンマ構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、

自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在自分社会立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、

自分自身党派性無自覚であってはいけない、

知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性アピールされているに過ぎない。

しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。

重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、

相手立場を知る、という機会自体重要なんじゃないかな。

オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、

そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。

飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。

タレコミも減ってきたという声もきかれる。

こうした寛容さは、行政飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。

人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。

しかし、人々の寛容が進めば、自粛警察抑止力を期待した政策は効力を失う

こうして考えてみると、自粛要請ベースとした日本流政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。

自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人メンタリティと、同じ社会構成員にも同じ一貫性要求したがる相互監視ムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルール判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。

ましてや大阪市市長さんのように、それを体現たかのように

感染者がいなければオリンピックもやっている。一生の思い出に残る行事実施したい

などと、都合のいい解釈認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、

人々は、ルールへ従うことの意味不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視機能せず、自分生活を変えることなコロナへの懸念自分認知のなかで両立させてゆくだけだ。

しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢限界をとっくに超えているしで、

人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。

自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナ心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。

本来政策というのは、そんな人々の認知世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。

例えば、自分の考えと相反していても、オリンピック応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、

あるいは、オリンピック懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。

「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元政策を決めるべきではない。

しろ個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民判断を見極めたほうがいい。

しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。

いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。

将来シナリオを示さない。予測分析を共有しないから、いつも唐突首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。

ある意味ガバナンスの基本ともいえる、こうした事柄に目を背け、

政策への信頼を、世論(最大多数の認知)で推し量ろうとする、その姿勢こそが日本ガバナンスのガンだと思う。

2021-03-07

いくつか参考になりそうな文献があったので貼っておく

多くの人が運転中に感情ストレスを覚えるらしいので「運転という環境下では誰しもストレスがかかり、感情的になりやすい」と考えたほうがいい

しかあなた父親には問題があるが、それは運転という状況下によるもので、本人の人格はあえて切り離して対処法を考えたほうがいいか

日本アンガーマネジメント協会安藤俊介代表理事は、イライラした場合でも、6秒、間を置くことで多くの人は冷静になることができるので、その間に言葉に出して気持ちを落ち着かせるのが望ましいと言います

その際に有効なのが、イライラする場合を想定して、自分自身にかける言葉をあらかじめ用意しておくことで、「大丈夫」とか「たいしたことない」といった、前向きな言葉を言い聞かせることが大切だといいます。また、温度計イメージして、自分がどれくらい怒っているのかを客観的に考えることで、怒りを行動に移すのを避けることができると指摘します。

運転中になぜキレやすい? | NHK生活情報ブログ:NHK

https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/283055.html


職業ドライバーアンケートを取って聞いた対処法の具体例がいくつか載っている

ドライバー感情特性運転行動への影響 - 国際交通安全学会

https://www.iatss.or.jp/common/pdf/research/h076.pdf

対処法としては

運転前に、身体状態をチェックする。

運転前に軽い体操をし、身体をほぐす習慣をつける。

変だなと感じたら、運転を控える。

無理のない計画を立て、適切な休憩を取る。

正しい運転姿勢を習慣づける。

などがあります

一般高齢者の皆さんは、

安全を守ろうとする強い気持ち

自分コントロールできる

豊富経験

高い遵法意識

などの長所をお持ちです。それらの長所いかすとともに、自分自身の心身機能状態自覚し、安全運転を心がけましょう。

安全運転講座/高齢者身体心理的特性

http://www.anzen-unten.com/home/a2/b3/drive023.html

原因の一つは、車という場所プライベート空間公共の場狭間位置するからです。「車に乗っていると、どこか匿名になったように感じるのです」と語るのは、ヴィラノーヴァ大学社会心理学であるErica Slotter氏。「匿名感覚により責任を負わなくてはならないという感覚希薄になってしまうため、時に普段は取らないような行動を取ってしまうのです。」

自制心には限界があり、運転という行為自分を律する能力負担がかかりますフロリダ州立大学の心理学者、Roy Baumeister氏は自制心をガソリンに例えました。それを使って衝動感情コントロールしますが、いつかは使い切って空になってしまうということです。

そして自制心が空になると私たちは「判断疲れ」を起こし、自分抑制する能力が低下します。判断疲れが起きると、乱暴な行動を起こそうとする衝動を抑えにくくなるのです。

心理学者Mark Muraven氏は、自制心が疲弊した人でも、その行いが他人の為になると伝えられると、自制が必要作業をうまく行えるということを発見しました。ということは、「落ち着いて親切な運転を行えば同乗者や他の車を危険に晒さなくて済む」と運転中に言い聞かせることで自制心を強くすることができるというわけです。

運転中に乱暴になってしまうのは何故なのか?

https://www.gizmodo.jp/2016/01/aggressive_driver.html

anond:20210306160755

2021-02-04

社会学()

社会学って学問自体曖昧でつかみ所がない。

デュルケームとかジンメルかいるけど、ビックネームがいないし

日本でも宮台さんぐらいしかいない、

研究者の多くは社会学イメージを嫌って哲学者社会心理学者を名乗る

バブル時代にとにかく学部を増やせと実態曖昧な「社会学部」みたいなのを私大が乱立させたのが悪い。

雑にデータを集めて精度の低い帰納的・恣意的結論大学紀要に載せ続けるだけで助教授教授へと出世できた。

空虚な器を満たすように、スカスカ研究出世してきた程度の低い教授連中が諸悪の根源だ。

2021-02-02

anond:20210202162606

社会心理学によるとお前が「嘘つき」だから結婚できないんですねー

2021-01-18

anond:20210117132830

http://maeda-daisuke.com/

プロフィール/経歴

神戸生まれる。甲南大学文学部社会学科卒。専攻は哲学社会心理学

ミュージシャンマクドナルドMGR、学習塾講師PCスクール経営

飲食店経営経験1996年心理カウンセラーとして独立開業する。

10年間2000件の臨床経験から

古典催眠現代催眠を駆使して通わずに1日1回で完了する独自の心療プログラム

「かけずに解く催眠療法」(特許庁登録 第5037564号)を開発する。

どことっても完全にアウトなのに、治った人がいるならいい!とか言ってる人多くて本当絶望するわ

2021-01-13

anond:20210113144309

ちゃんエコーチェンバー現象確認するなら、元々の思想が同じような人達を2グループに分けて、全く同じ考えを信じてる人ばかりの場で聞いた時と、考えがバラバラの人がいる場で聞いた場合とで、信じる人の割合が変わるか観測しないといけないだろ。そんなことしてるわけ?

 

していない。

それは社会科学全般に付きまとう問題である普通科学というのは、同条件の培地を作って、あるいはマウス使い捨てにして、お前の言う通りの比較をするわけだが、同条件の社会を作ったり使い捨てにしたりする訳にいかないので、社会科学においてそういう実験基本的にできない。

しかし、近似的なことはしている。例えば社会心理学の実験のようなことだ。実験ボランティアに集まってもらって、一人以外が全員サクラで、他の人が意見にめちゃくちゃ賛同した場合と、いろんな意見があった場合で、対象の一人の意見が極端になるかどうか、件数を調べる……みたいなことはやっている。はずである

まあそれは厳密には対称性実験にはならなくて、だから極端な理系脳の人は文系科学を嫌うんだけどね。

ただそうしないと研究できない領域があって、しかも成果が実際にでるからしかたない。

これを批判したいなら、止めはしないが、ハード批判になるだろう。エコーチェンバー分析ではなくて、社会科学全部を批判しなければならなくなるからだ。

 

 

問題は本人に土壌があるかどうか

くその通り。

しか社会全体には必ず土壌のある人と無い人がおり、そうである以上、環境がそろえばその影響が全体には必ず出る。

繰り返すが、これはあくまでも傾向の話であって、絶対にそうなるとかいう話じゃない。

あと傾向は実際に観察されている。

anond:20210113131451

1.コロナ社会不安を起こす

2.みんなコロナに夢中

3.自殺者増加

 

立派なコロナの病巣 社会心理学的な影響で、不安煽り自殺者を増やすというのもコロナ病気の1つ

2021-01-12

社会心理学者は今何してんだ?

今のコロナ禍の自粛云々は典型的社会的ジレンマ状況じゃないか

君たちが一生懸命研究してきた成果を今こそ社会の役に立てる時だ!

立ち上がれ!

2020-12-10

サンデル教授エリート人種性差別非難するが、低学歴者への否定的な態度は恥ずかしいと思っていない」

Disdain for the Less Educated Is the Last Acceptable Prejudice

https://www.nytimes.com/2020/09/02/opinion/education-prejudice.html

より一部訳

重要なことは殆どアメリカ人3分の2近く)が4年制大学学位を持っていないということである。彼らの悩みの原因は不十分な教育にあると労働者に言うことによって、エリート (meritocrats) は成功と失敗とを道徳化し、知らず知らずのうちに学歴偏重主義を広めている―大学学位を持っていない人々に対する陰湿偏見を。

学歴偏重主義者 (credentialist) の偏見は、エリートによる傲りの症状である2016年までに、多くの労働者高学歴エリートたちが自分たちを見下しているという苛立ちを感じていた。この訴えには根拠がないわけではない。調査研究は、多くの労働者階級有権者直感裏付けている;人種差別性差別が好ましいとされない(排除されはしなくとも信用はされない)時代にあって、学歴偏重主義最後まで残る偏見である

アメリカ合衆国ヨーロッパでは、他の嫌われがちな集団 (disfavored groups) に対する偏見よりも、教育水準の低い人々に対する軽蔑は、より顕著であるか、あるいは少なくともあっさり認められている。アメリカイギリスオランダベルギーにて実施された一連の調査のなかで、 Toon Kuppens 率いる社会心理学者のチームは、大学教育を受けた回答者は、他の嫌われがちな集団に対する偏見よりも、教育水準の低い人々に対して、より偏見があることを発見した。この研究者たちは、典型的被差別者とされるさまざまな人々に対する態度を調査した。ヨーロッパでは、このリストにはイスラーム教徒貧困者、肥満視覚障害者低学歴の人々が含まれていた;アメリカでは、このリストにはアフリカ系アメリカ人労働者階級が含まれていた。これらすべての集団のなかで、低学歴者はとりわけ嫌われていた。この研究では、大学教育を受けたエリートたちによる教育水準の低い人々に対する軽蔑的な見解を明らかにしただけではなく、エリートたちがその軽蔑を恥ずかしいと思っていない (unembarrassed) ことも発見した。彼らは人種差別性差別については非難するかもしれないが、しか教育水準の低い人々に対する否定的な態度については弁解しないのだ。

2000年代になると、大学学位を持たない市民は見下されるだけではなくなった;アメリカ西ヨーロッパでは、彼らはほとんど公選職に居場所を失うようにもなった。アメリカ議会では、下院議員の95%と上院議員100%大学卒業している。資格を持つ少数の人々が、資格を持たない多数の人々を統治するのだ。

これまでも常にそうだったわけではない。十分な教育を受けた人々は常に議会で不釣り合いに代表されてきたが、最近では1960年代初頭には選出された議員の4分の1が大学学位を持っていなかった。過去半世紀の間に、議会人種民族性別に関しては多様化したが、学歴階級に関してはそうではなかった。

学歴分断の一つの結果として、公選職に就く労働者階級が極めて少数であることがある。アメリカでは、労働力人口の約半数が、肉体労働サービス業事務職定義された労働者階級仕事従事している。しかし、選挙前にそのような仕事従事していた下院議員は2%にも満たなかった。

2020-12-01

女性数学を苦手なのは偏見が原因だ」という嘘

女性数学を苦手なのは社会から女性数学が苦手だ」という圧力を受けているのが原因であるというような内容の研究を紹介しているブログ話題になっている。

だがこれはアカデミックな場ではとっくに否定されている見方だ。

こういったものステレオタイプ脅威(Stereotype threat)と呼ばれるが、概ね以下のようなもの説明される。

「男女に数学問題などを解かせるなどする前に、『女性数学の点数が低い』というようなステレオタイプ説明をした場合女性の点数が下がり、『女性数学能力男性と同等』というようなステレオタイプを解消するような説明をした場合は点数が同一になる。

これはつまりステレオタイプ無意識意識してしまうことで脳内ワーキングメモリが圧迫され、能力が低く出てしまうということである。」

こう言った概念1995年クロード・メイソン・スティールジョシュアアロンソンが提唱したものだ。

この「現象」は実になんだか「納得のいくもの」であり信じ込みたくなるようなことでもあり、数多くの研究が行われてきた。

その結果見えてきたものステレオタイプ脅威には再現性がないということだった。

最近の大規模な研究ではこの現象確認できなかったし(Flore et al., 2018)、ネガティブ研究結果は公表されづらいというような出版バイアスも関わっていることもわかった。(Schimmack 2019) (Flore & Wicherts, 2015; Ganley et al., 2013)

ステレオタイプ脅威で面白いのは、いわば人工的に作られた不自然研究手法で行われた研究では「現象」が確認されたのに対して、より現実に近い場で行われた研究では「現象」が確認されなかったということだ。(Shewach et al., 2019)

ステレオタイプ研究が「この現象はあるに違いない」と決めつけて行われてるというのはなんだか皮肉面白い

実はこれは現在心理学全般に言えることなのだが、こういったもの再現性がない研究が多すぎるのだ。再現性がないということは論文に書かれている手法をそのままやっても同じことが起きないということで、これはもはや科学とは言えなくなってしまう。

特に再現性がないと指摘されている社会学者の皆さんや社会心理学者の皆さんには頑張って欲しいものだ。

2020-11-04

トランプを信じる愚

 米国大統領選の開票が続いている。現時点だと、どうなるか本当に分からないし、結果の解釈をめぐってもめそうな予感しかしない。

 それはさておき、日本保守層ではどうもトランプ応援する人が多いようだ。正直、なんでトランプを支持するのかがよくわからない。

 

 要するに、トランプが「反中国」だからということだと思うのだが、トランプ反中国なんて死ぬほどあてにならない。一貫した思想があるわけじゃないので、自分の得になるとおもえば、一瞬で中国フレンドリーになる。ウィグル人権状況なんてミリも関心がない(これは暴露されてた)。

 基本的孤立主義者なので、国内でのポイントを稼ぐためにイスラエルとかイランには口やちょっかいを出したり、北朝鮮に手を出したりすることはあっても、極東アジアで何かあったとき軍事介入なんてまずしない。「外国での戦争になんでアメリカのカネを使うんだ」という話にしかならない。中国もそのあたりは分かっているので、トランプ再選は大歓迎。米国国際的威信ダダ下がりなので、中国自国の影響圏を拡大するのにはうってつけの大統領だといえる。ロシアも同様の理由でウェルカム2016年の時には「選挙協力」までしてたわけで。嘘つきだし自分政権運営すらまともにできてないから、米国の国力自体が下がる可能性も高い。

 ここでようやく本題なんだけど、そもそもなんでトランプウソに騙されるのかという話。トランプ支持者も日本右翼の多くも、基本的に対人的な不信感がベースにある。だからすぐに陰謀論を信じる。逆説的なんだが、対人不信感が強いからこそ、あっさり詐欺師に騙される。

 社会心理学者の山岸敏男によると、対人的な不信感がベースにある人は、最初から他人を信じようとしないので、「誰が信じられる人で、誰が信じられないのか」という対人スキルを学ぶ機会がない。他方、信頼が最初の前提ある人は、実際に人を信じてみて痛い目にあったりするので、そういう対人スキルを磨きやすい。

 やたらと猜疑心が強くて、すぐに陰謀論を唱える人が、トランプみたいな詐欺師にあっさり引っかかっているのをみると、山岸説明がわりと腑に落ちる。

2020-08-12

たとえば、嫌いな人が1万円マイナス自分は1000円マイナスという状況と

嫌いな人が1万円プラス自分は100円マイナスという状況だと

前者の方がより好ましいと世間一般の人は考えているんだろうか

まったく共感できないんだけど、社会心理学的になんかあるんだっけ?

自分が損しても他人の足を引っ張りたい心理

2020-07-21

anond:20200721143418

正常性バイアス(せいじょうせいバイアス、英: Normalcy bias)とは、認知バイアス一種社会心理学災害心理学などで使用されている心理学用語で[1][信頼性要検証]、自分にとって都合の悪い情報無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。

自然災害火事事故事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい[2]、都合の悪い情報無視したり、「自分大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる[3][2][4]。「正常化偏見」[5]、「恒常性バイアス」とも言う。

2020-07-04

青葉の気持ちが少しわかる気がする

大衆的人気を得ている作家の新作は、過去の大ヒット作を下敷きにし、現代ネタを大量に仕込んだ作風だ。

そこに自分ネタサンプリングされていた。

自分ネタと言っても唯一独自のものでもないだろうし、パクられたと言うようなものではない。

すでに大衆的人気を得ている作家には技術スタッフがあり、彼の手でわかりやすくポップに加工されることで価値がでるのだ。

彼は高度な教育を受け社会的地位がある人間で、創作活動にかける想いに青葉のような切羽詰まったものはない。

青葉の作品凡庸な部分がほとんどだった可能性は高いが

凡庸でも人として認めてもらえたり、1%の良い部分から教育など次のチャンスがもらえたりプロデューサーや同好の志との出会いにつながっていくのが恵まれ人間だ。

まれ環境で育った人は性格が穏やかな傾向があり、チャンスを自ら潰すことも少なくなるだろう。

成功者は次々と成功する、社会心理学でそれを説明する用語があったが思い出せない。

2020-06-27

anond:20200627214218

金余りしてる層が重課金で全課金額の半分ほどを占めるがこれはごく一部

この人たちの使いっぷりが異常すぎて、月商千万、何億も儲かるメカニズム社会心理学で解析して欲しい。

どっちが正常な商売してるか、ちょっと考えればわかるでしょ。

ビジネス継続必要収益合法的に十分過ぎるぐらい叩き出してるので、ガチャビジネスの方が正常って事でFA?

2020-04-14

東京人狩り、始まる

感染差別 助長する言動

先月26日、鹿児島県内で初めて感染者が確認されたあと、感染した女性が立ち寄っていた姶良市スーパーでは、従業員から、「立ち寄った施設で、『あなたには使ってほしくない』と言われた」などの報告が寄せられているということです。

このため姶良市は、ホームページに不当な差別偏見いじめは許されないという市長メッセージ掲載しました。

さらに8日夜、鹿児島市転入した高校生感染が分かるとツイッター上では

標準語を話す人は隔離対象」とか、「鹿児島に来る人には何かしら罰則規定を決めていい気がする」などといった、極端な意見投稿されています

社会心理学が専門で、東京大学大学院の関谷直也准教授は「感染者が差別に苦しむことが繰り返されると、感染経路が追えなくなる可能性も出てくる。

新型コロナウイルス自分たちに近づいている不安の表れだが、差別偏見に結び付けることはあってはならず、人権問題として考えなければならない」と話しています

http://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20200409/5050009868.html

住宅など6棟焼ける火事 “新型コロナ引っ越し男性死亡

11日朝、岩手花巻市商店街で、住宅店舗など6棟が焼ける火事があった。

この火事で70代の男性が亡くなった。

この男性は、新型コロナウイルス緊急事態宣言を受け、入居予定日より早く東京から花巻市に引っ越すために来ていた。

警察では、出火の原因をくわしく調べている。

https://www.fnn.jp/articles/-/31149

東京人狩り回避ペーパー

https://i.imgur.com/bb9XNF5.jpg

こちらの掲示板ネタにされていたので話題に上げました

Anarchy実況

https://agree.5ch.net/liveanarchy/

2020-01-08

確証バイアスとは

分かりやすい例が、大切なことアニメを見て学んだ!とかアニメで知った!アニメ軽音楽部をはじめた、アニメ太平洋戦争を学んだ。。。

ところが事件が起こるとアニメ関係ない!と必死になって言い出すよね。

アニメに興味がない人は客観的アニメ関係ある!っていいます。これがまともな意見

確証バイアスによって反証を一切排除するなんて感情論しかない。

いわば、感情的になって戦争をはじめると言い出すようなレベルだ。こんな人間は人の上に立てない。

確証バイアス(かくしょうバイアス、英: confirmation bias)とは、認知心理学社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報無視または集めようとしない傾向のこと。

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