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はてなキーワード: 学歴偏重とは

2019-05-07

anond:20190507102240

たった一人と一生の付き合いできればいいのにモテという多数との付き合いを必需品みたいにいってるからじゃないの。

また美醜統一価値観だよ。いいかえれば親世代が敷いたレールにのってりゃ勝ちって考え。

一定以上の学力があれば複数大学に受かる「はず」みたいな話になってる。

少子化で全員進学できるだけの大学があるのに学歴偏重ちゃう社会おかしいけど

それを内面化しすぎてモテという形で恋愛ジャンルにもちこむのはもっとおかしいよね。

一人とつきあえればいいし1校にうかればいいんだ。

世間はひろいんだから君に来てくれといってくれるところが必ずある。

それ以上数で押しまくりたいのは無駄他人に自慢したいだけだろ

2019-03-31

野党非正規の党」を立ちあげてくれ。

NHKニュース「転勤なら辞めます厚労省企業制度見直し指針活用呼びかけ」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190330/k10011866601000.html?utm_int=news_contents_news-main_002

いや、どれだけ転勤制度や指針を見直しても、解雇規制に手を付けなければ手先のごまかしに過ぎず、根本解決しない。

今の日本社会に様々課題がありますが、最も社会の根幹の改善妨害しているのは雇用流動性の無さでしょう。

これが、生産性の低さ、過労死企業ぐるみ不正天下り役職定年、パワハラ雇止め非正規貧困女性再就職困難、男性育児不参加、学歴偏重による大学の質の低下を生んでいる。

さらに、過度な部活信仰いじめなど、子ども問題も、終身雇用の反映と言えなくもない。

流動性を高める制度としては、なによりも解雇規制の緩和、そして厚生年金退職金配偶者控除廃止必要

退職金報酬の一部を取り上げて、「数十年後に返すからそれまで辞めるなよ」という人質制度

高プロ同一労働同一賃金は、上記制度が進めばその結果として浸透してくるでしょう。

逆に言えば、流動性を作る前に高プロなどを先に導入するのはごまかしだ。

もはや、流動化の必要性は、議論余地がない必須事項。

安倍政権では時々話題になっているが、結局は残業規制とか有給休暇育休産休義務化とか最低賃金増とかプレミアムフライデーなどの小手先の悪手に逃げて

流動化そのものはまったく進んでいない。

かわいそうな非正規にも正社員と同等の待遇を与えよう、という戦術ごまかしているが、

その結果は、雇止めなど非正規にとって不利な方向に働いている。

労働力を確保しつつ都合よく使いたい企業と長期雇用の安定性を得たい正社員既得権ガチガチに守ってるからでしょう。

和式リベラル政党は、正社員組織労働組合の後押しを受けているので、当然流動化には反対だ。

というわけで与野党ともに、本気で推し進めようとする政党が無い。

でも、今や非正規労働者の4割。

非正規の味方を売りにして、 この4割を取りに行く政党があってもいいんじゃないかな。

リベラル正社員高齢者の方を向いていて、決して非正規層(や 若者)に力を入れていない。

社会弱者投票する先が無い。

リベラルに合流してくすぶっている若手議員は、方向性を変えてはどうか。

非正規にも、事後の正義理解できない層がいるだろうが、一部でも支持を得られれば、支持率1%の野党よりマシだろう。

ある程度の支持率が得られれば、与党無視できなくなり改革が進む。

非正規向けとは言ったものの、流動性には正社員にもメリットがある。

転勤やサービス残業など望まない仕事押し付けられにくくなる。

中高年になってからでも転職の機会が増える。

定年退職が無くなる。

若い内の給料が高くなり、将来の独立や再学習資金になる。

ポイントは、制度の移行期間に解雇される正社員保護制度を手厚く適切に設計すること。

正社員メリット保護制度が、充分に説明されれば正社員層の支持も得られる。

雇用の流動化は、非正規保護救済のためではなく、日本社会が豊かに成長するために必要

党名は「非正規の党」「自由労働党」「労働者の党」「弱者の味方」でどうか。

誰に頼んだらいいの?

2019-01-14

価値観が一周したように感じる

いずれも論理的検証ではなく、私の主観によるものだが。

高度経済成長期以降、私が生まれバブル崩壊の頃までは、今から考えれば旧態依然とした…というか古い考え方が主流で、肩書資格権威過去の実績などが重視された。

高学歴高学歴というだけで安泰だっただろうし、大企業に入りさえすればそれだけで安定していた。

特定資格医師弁護士など)は取得さえすればやはり安泰だったのではないだろうか。

それが2000年代に入り、起業ベンチャーブームともいうべきか、権威や実績はなくとも結果さえよければ評価される、大切なのは表面じゃなくて中身だ!みたいな価値観に変わった。

それまでの時代価値観に対する反省みたいなものもあったのかもしれない。

恋愛において見た目(いわゆる三高)重視から中身重視に変容したのもこの時期ではなかったか

就活学歴偏重から人物重視がうたわれ出したのもこの時期ではなかったか

そして2008年リーマンショック以降、経済を中心に人々は(色々な意味で)「守り」に入ったように思う。

ITなど様々な面で技術革新が起こり、少ない労力で手軽に質の高いものを利用し楽しめるようになった。

また、そのようなものにこそ価値があると考えるようになった。

Instagramなどは最たるものではないだろうか。

1~数枚の写真と短文のみの情報で、非常にたくさんの「いいね!」を獲得できる「インスタ映え」するものが高く評価された。

そしてそのような発信をできる存在が注目を集め、賞賛される。

多くの人が一目見て「いいね!」と感じるもの評価される…それはあたかもかつて権威資格過去の実績など「誰が見てもよいと思うもの」が評価されたのと酷似しているではないか

かくして、価値観が一周したように感じるのである

2018-10-01

anond:20181001233727

1これが無いと学歴あってもダメなのは就活会社で明らか。よって学歴至上主義否定

2IQ mensaを見れば分かるようにIQだけ高くても社会的成功に結びつかない。IQ特定パズルを解くのが得意な集団。よって項目から除外

3語学が使えれば仕事パイが増える。これは学歴偏重社会より広い集団で戦えることなので、学歴オーバーライドする

4ITスキル。腕のいいプログラマは中卒でも食える。もっと平たく言えば頭が良ければ食える。

5EQ.非常に大事。短絡的でリスクの大きい失敗をしないで済む。他の能力が高くても、これが低ければ手痛い失敗をするかもしれない。

6他がなければ生きる。他があれば要らない。あった方がいいが、このために他の自分長所犠牲にするかどうかは人次第。

よって学歴偏重主義否定され、かつ1,5が必須。そして3~=4>6の順で準必須スキルであるので

このようにパラメータを振るように。

2018-02-13

anond:20180213104343

まずは受験お疲れ様

2015年就活なのでちょっと古い上に俺自身がたいした大学出てないかレベルが低くてすまん。

一応は、第一志望だった人気とされる職種で割と楽しく働いている。

業界によるところが相当大きいが、基本的にはMARCH以下は人間として認められない感じ。

他のトラバが「無名Fランでも世界旅して、ウェブサイト開いて閲覧数10万超えだったら即採用だし」と言っていてその通りなんだが、それはモンスターであって人間ではないし、

有名商社に入りたかったらそれでは戦えない。

逆に、ブラックじゃないとこにそんなに苦労せずに就職できればなんでもいい、くらいなら浪人してまでMARCHより上に行くのはパフォーマンスが悪い気がする。その時間で1年社会人経験積んで転職したほうがキャリアアップできそう。

業界職種企業で話は全然変わって来るから、もう少し具体化して聞いた方がいいと思うよ。

学歴偏重ではあるけど、単に頭よければ頭いいほどいいってことじゃなくて、どういうルートをたどったか、が重要なんだと思う。

俺が受験生に戻れるなら、志望業界OBが多い学部に入ってバイト紹介してもらってもぐりこみたい。教授の人脈も重要

実際一緒に働いてると、MARCH下位あたりから能力の差が歴然としてくる。仕事能力と言うよりキャパティの差かなあ。やっぱり旧帝の人とかは脳みその容量が全然違う。

受験勉強ちゃんとやってりゃ鍛えられたのかもしれんなーと思う。受験を頑張った方がいいと思うのは、就活のことよりこっちが理由だな。

2017-08-12

変な学歴社会学歴偏重日本ダメにしている。

変な学歴社会学歴偏重日本ダメにしている。

<現状>

1.戦後日本経済発展を続け(高度経済成長)、高等学校進学は当たり前となり、さらに上位の

  高等学修機関大学短期大学専門学校等)への進学率も上昇してきた。

2.上述の高度経済成長の最終期であったバブル景気崩壊)までの約20年間(1972年~92年)

  は、女性社会進出の影響もあり、女性の進学率は上昇傾向にあったが、全体としては30%

  台で推移してきた。(それ以上は上昇しない20年だった)

  http://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/

  http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html

3.バブル崩壊の影響が出始めた1993年以降、進学率は急速に上昇し続け、2000年代中期に

  は50%を超えた。(大学進学率も2009年に50%を超えた)

4.一方で、少子化の勢いは加速する中で、主に私立大学が急激に増加しており、上述の進学率の

  上昇とも相まって、近年では大学進学が当たり前という風潮が生まれた。

5.しかし、これも上述のように長引く不況非正規労働者の増加といった雇用環境の変化により、

  親の教育費への負担感は一層増大し、奨学金の乱立により、貧困状態に陥る学生が増加する

  という社会問題も出てきている。

6.また、日本大学は、「入学しにくいが卒業はしやすい」、「唯一学生らしく遊べる時期が大学生

  時代」という独特な文化もあり、企業就職面接においても、本業であったはずの学んだ事や

  研究してきた事は重視せず、「部活動リーダーを務めた」、「ボランティア活動をやった」など

  という学問とは関係ない事を重視する傾向がある。

7.上述の大学進学率の上昇の原因をしっかりと研究した者は少なく、ネット上にも諸説あるが、

  バブル崩壊後の長い不況雇用環境の変化(失われた20年)により、それまでは高等学校卒業

  で就職していた層が、「大学卒業」という資格を得るためだけに大学に進学するようになったと

  考える事ができる。

8.大学数が増加し、いわゆるフリーパス入学できる大学(Fランク語源)が増加した事も背景

  にある。

9.企業においては、採用時にも、採用後にも、学生時代学習してきた事を活かそうというシステム

  になっておらず、新入社員研修でその会社の社風に合致した人材の育成を開始する。詳細な業務

  ついては配属先に丸投げという文化が定着している。

提言

1.仕事を創出している企業経営者人事部門などの採用する側の意識から学歴に対する昔の

  イメージをなくし、高等学校卒業者、短大専門学校卒業者、大学卒業者を、それぞれの年代

  ごとに、何を学んできて、どういった成績だったのか、しっかり確認する。

2.「リーダーシップがある」、「コミュニケーション能力がある」、「ストレスに強い」などと

  いった、いわゆる人間力判断する事をやめる。

  (なぜなら、それは採用時には測定不可能から

3.上記にも言える事だが、人事は「思考停止」してはならない。そして、真の意味多様性を求

  めるべきである。即ち、高等学校卒業者、短大専門学校卒業者、大学卒業者、ひいては大学

  院卒業者も含めて、必ず一定数は採用するように努める。

  そして、新卒者に限らず、既卒者も希望によっては、新卒と同等の扱いをする事を可能とする。

  これは給与なども含めて全ての面で、という意味である

2017-02-20

学歴偏重学歴コンプレックス役職

学歴に期待をかけるのは勝手だが、望む学歴を持った応募者が来ないことに1人怒っても何の効果もないことは自明

そもそもが「分不相応」な望みなのかもしれないし。

自分他人学歴についてグダグダ言う(嫌がらせ)くせに、他人自分学歴について触れるとキ○ガイのように不快感を示すくらだから過去学歴でよほどいやな思いをしたのだろう…。単に我儘で傲慢ダブスタ、ってことはないよな?(ゲス顔)

2016-07-26

17卒。学歴はある。やりたいことはない。

東大には劣るが、東大の次くらいには良いとされる学校にいる。


かい格付けは面倒だしそういうことにしてくれ。

学歴理由で落とされることなんて、ほとんどない。

同期は商社だのメガバンだのに続々と内定していく。

MARCHだかその辺の学生は平気で

「いいな~、就活余裕じゃん」だのと言う。

そんなことは断じてない。

学歴がない人よりはスタート位置は恵まれてるのかもね。

でも、スタートいくら良くても、転んだり、脱線しまくったり、そもそも走る気が無かったら。

当然ゴールできないよね。

ていうか学歴が悪いといって嘆く奴らは、どっかで手ェ抜いてんだよ。

ESの段階で落されたら、すぐに学歴を逃げ場にするだろ。

学歴がある人間学歴のせいに出来ない。今まで踏ん張ってきた自分に対するプライドもある。

過去自分を裏切らないように、早いうちから動いて本気でやってる人間割合が高いんだよ。

それをこっちが学歴だけで勝ち上がってるように言って来る自称低学歴連中。

学歴偏重社会を恨むんじゃねーよ。今日日高校生でも知ってる現状だろ。

本当に社会変えたかったら下から吼えるんじゃなくて、頑張って偉くなっとくれ。

そして、肩書きは無いがポテンシャルがある人間を見分ける目を養ってくれ。出来る?笑

話が逸れまくった。

ここまで読んでくださった優しい皆様方は、もうお分かりだろうか。

私はカメだ。

優遇された位置からスタートさせてもらえ(るはずだっ)たのに、3歩歩いてそこに座り込んだまま。


だって、やりたいことがないんだ。


そりゃ、趣味はある。

から絵や漫画を描くのが好きだったし、今は宅録にハマってる。

だけど、それが仕事になるなんて到底思えないんだ。

もっと練習すればいつか、とかそういう話ではなく。

自分創作活動が、他人を拒絶するための壁を構築する手段だって、分かってるから

人間が嫌いなんだ、関わりたくない。

他人と関わらないためにやってる生存活動で金を稼ぐなんて、出来ると思えない。

なんとなく広告業界を志望してみたりなんかして、

電通選考の4次面接までは行った。

落ちた。

基本的にどの段階まで行こうと、「受かった」か「落ちた」の二択しかないのは分かってる。

でも、「とりあえずここまで来たってことは、そんなにコミュニケーション能力(笑)が無いわけではないのかな~」と確認して、ちょっと安心した。

しかしその後、選考方法非難ゴーゴーのなんちゃらの学校の最終面接で落されたので、「やだ、私のコミュ力、低すぎ?!」と傷つく)

内定が出なかったことには半分ガッカリ、半分安堵。

ああ、これでまだ働かなくて済む、といった感じ。

それで今日生産的な活動を全くせず、閉じていくのだ。

でも生きていくためには稼がなきゃなんないね~。

うだうだ言ってもしょうがないしね~。

とりあえず、考えます

2015-06-03

社会的に』ってどういうことだろうか。

私は、子ども向けの演劇役者を志望していたり、大学教育学を学んでいた。

家が、学歴偏重だったし、親も高学歴だったので、やはり偏差値が取れないと生きている意味がない、

とまで言われそうなレベル高校受験大学受験だった。

結局、こんな生き方をしてしまったので、自分は一体なんのために生きているのか、

とかで大分考え込むような思春期青年期だった。

大学にいきたい人はどうやら、そういったことは深く考えないらしい。

ただ、生き残るために進学し、就職活動をしていくのだ、ということに疑問を持たず、

目の前のことをただこなすだけの人間社会の一員としてその機能果たしていきたい、と、

無意識に思っているのだろうか。

私は、勉強ができないと、家族という社会には認めてもらえなかったが、

別に友達という社会ではそんなのは関係なかった。

からすごく救われていたと思う。

しかし、家族という社会にだけ認めてもらおう、と努力したことは、

学校という社会でどうしたらいいのかを、理解していくのが人より遅かったと思う。

***

勉強は、理性を鍛えるもの、していない人はその分、感性が非常に発達していることがある。

演劇研究所で、周りの人間が、初めて出会高卒や中卒、フリーターの人だらけで、

ああ、みんな学歴がなくても普通に生きるだけならできるじゃないか、と思った。

それは、安定や社会的地位、というものは低いだろうけど、

高卒高卒コミュニティ、中卒はそれに見合ったコミュニティで、生き残るしかないのである

でも、その社会の中で普通にお金が稼げて、仕事をしていればいいのではないだろうか。

別にだれしもが、広くてきれいなワンルームに住まなきゃいけないわけじゃない。

本人がかまわないなら、何も問題がないじゃないかと。

仕事だって、やるからには社会のどこかで役になっているのだろう。

私が、すごい思うのは、「社会的に認められる」という言葉曖昧である

社会ってなんだ?と。

人が2人以上いればそれは社会だという。

Aさんに認められてれば、Bさんに嫌われたってかまわないのと同じように、

何事も、主観の方がいいのではないだろうか。

そりゃ、学校クラスだとか、会社部署、とか、そういうのも社会である

でも、この学校クラス会社部署はそれぞれなんの関係もない。

その所属している場での、ふるまいとかを考えればいいだけなのに、

何故か、「社会人として世の中、世界全体共通で自分は認められるようにしなければならない」

という錯覚に陥ってはないだろうか。

挨拶をする、時間を守る、マナーを守る、というのは、単に無用な争いを避けるための

形式なのであって、

その人とコミュニケーションをしていくというのは、

最終的には自分自身内面と、相手の内面との付き合いだ。

お互いに外面だけよくしてれば、そりゃお互いにそれくらいの興味なんだから

距離感は取れてるだろう。

一時的PTAとかなら、それで十分だ。

しかし、上司と部下、友達関係、といった、長く続けていかなければならないもので、

外面だけで耐えられる人は、本当にすごいのだろうか。

そういうのは、休みの日に自分自身を出して認めてもらえているから、なんとかなるのだろうか。

でも、心をないがしろにし続けている人は、どこかで不具合病気を起こしている。

薬でドーピングをしてまで、社会に貢献しなければならない。

ある意味、この増田みたいなネットの付き合いというのは、外面気にしなくてよいから

自分内面同士の闘いが起きているw

外面だけで、付き合いを続けている人よりは、ケンカをしたり意見を言い合う方が、関係性としては仲が良いような雰囲気があるw

***

会社員である前に一人の女性としての生き方!!」

母親である前に一人の人間として自立!!」

かいうのは、つまり人間は、外面も内面も多層的な存在であるということの表れだと思う。

から、みんな同じiPhoneを持っていたって、ケースのデザインは違うし、入れてるアプリが全て一緒なんてことはない。

共有できるものは共有し、自分好きな物オリジナルにしたいものだってあるのだ。

「あんた、そんなんじゃ社会的に認められる人にならないよ!!」

「気を使ってあげたのに、なんで返さないんだ!!!

「人に好かれる人になれ!!」

という、人で、私は周りの人に嫌われてない人を見たことがない。

皆、あいつって、我がままで自分のことしか見えてないよね、って言っている。

自分視野の狭さは、多層的な存在である人間、を認めていないのだ。

シンプルに表裏だけの人って、それって人間と言えるのかな?

社会のために自分を殺した、ただのロボットのような存在で、話しても勉強になることはないのである

2014-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20140305232015

進学校友達がいない学校生活()より

友達がいて勉強にあくせくしない学校生活のがよくないか?

そもそも彼女大学行く気なかったんじゃないの。

増田の思考が学歴偏重に偏りつつあること自覚すべき。

2013-06-26

学歴重視の企業内定辞退者が出たり離職率が高かったりする理由って

学歴重視の企業ばかりだと、低学歴の人には均等にチャンスが与えられてるはずもなく、

ただただ学歴偏重社会の波に押しやられて泣き寝入りするしかないって事よね。

学歴必要だってことを学校教育全然教わらなくて、ただ勉強の虫だった人が高学歴を手にして

そうじゃない人が低学歴だとすると、当然のように就活でも差別化されるって思ってる人多いみたいだけど、

それは嘘だよ?

単純に学歴重視の企業というのは、こうした勉強の虫なだけの人間が欲しいのならともかく、その学校に入ってる事が重要だとしたら

そういうのを求める企業ってホント馬鹿馬鹿しい会社だと思う。

学歴大事って言う割にそいつが本当に勉強して入学したのか、親のコネとか体育系推薦で入学したのかってそれだけで大分人間性がくっきり別れるんだけどね。

要は、そういうのを全く気にせず、〇〇って学校卒業してるから、ここからあそこまで1ダース貰うねって感じで全然人物で選んでる感じがしないよ。

そりゃ・・・学歴重視の企業って学歴があるだけの人間を欲してるから全員がそうじゃないけど、ソルジャーになれない頭の弱い子とかがいて、そういう人たちが

3年以内に安易に辞めてるのを見てたらさ、安易学歴重視した結果が毎年のように離職者が出てる事に繋がってる事をそろそろ理解しなきゃだと思う。

折角学歴重視して低学歴を弾いて全員が超人クラス人間を入れたはずなのに、実際は企業の社風に合わなくて辞める人が続出すると採用側の企業の質が低く見られるよ。

考えたら学歴重視するだけの企業って辞められるリスクを考えないのかな?

毎年2~3月位になると、内定辞退者が出て追加募集してる企業なんかを見ると、リスクを全く考えてないんだろうなって思う。

実は学歴偏重してる企業の方が、求職者にあまり好かれてないんじゃないかと。

事実内定辞退者が出るって事は学歴重視が裏目に出てるってことでしょ?

新卒一括採用自体も状況を悪くしてるように見えるね。

本当に入りたい人を入れてるのなら、学歴重視であろうとなかろうと離職率が高くなる事はないし、まして内定辞退なんて絶対ないはずなんだけど・・・

アホが見るってこういう企業を言うのかも知らんね。身の丈にあった採用をした方がいいんじゃないかな

2013-06-15

面接試験では嘘吐きが内定するのは嘘か真か?

人を見抜く力がないのにやたら『人物採用』したがる会社は嘘を見抜けないと思う。

で、これは大手の方がその傾向が強いと思う。

学歴偏重主義もそこに起因するんじゃないかしら

2012-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20120708131833

無能か有能か?というのと、IQが高いかいかは別問題だろ。

東電の人たちなんかはIQが高いというべき。無能か有能かとはまた別。

 

この国は一時期、学歴偏重だったから、一流企業に入るだけなら、IQが高ければ入れるが、IQが高いかどうかと優秀かどうかは別。

あと、親が裕福であれば というベクトルもある。

いずれにしろ、一流企業に入れるかどうかと、優秀か無能か?の間に相関関係はない。

2011-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20110221114046

学歴偏重」はその通りな気もするけど

反撃が口先で「俺は○大卒だぞ!」ってのは負け惜しみにもなって無い。滑稽。

妖怪ヨコデス」については呆れるというか、

ここどんだけの数が見てると思ってるんだ。普通に横だらけだよ。

「俺に嫌な事言う奴は全部同じ奴に決まってる」なんて考え出してるならそっちの方がヤバい。

2011-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20110106023402

からですが、学歴主義や官僚主義を否定するわけではありませんが

1 いわゆる旧帝国大学時代 戦争やって大負けしました

2 復興して今の日本を築いた人たちの中には 松下幸之助さんを始め、学歴の低い方の多くの台頭があります

3 その後、東大・お受験の時代がやってきて 大学歴時代となったわけですが、今の失われた10年をはじめ、経済を失速させた時代です

こうやってみると、学歴時代と呼ばれるものは 直近の日本経済ではマイナス要因であり 学歴が関係なかった時代というのが特需の影響であると考えても無学歴でも時代を動かせたということが出来ると思います。

 

これらの事から、無学歴でも能力がある人間を上部に採用できる会社社会が伸び 学歴偏重する社会破綻をきたす という事が直近の事実かと思います。

また、日本以外の海外での一流大学は 一芸主義などもあり 岡本太郎なども入学できるが 東大は不可能 という側面もあり、日本高学歴はやや、世界的な高学歴とは方向を異にしているという事情もあります

海外高学歴貴族の子などの、リーダー育成学校、トップ育成学校という側面が強いのに対し、日本のそれは、兵隊幹部養成学校であり、誰かに付いていくという側面でリーダー育成の概念が薄い。もしくは、反乱・革命を恐れ、従順であることを吉とする部下育成学校であるという側面を持つのひとつでしょう。

 

そういった中で、日本の失われた10年を創り上げたと言っても良い、現在学歴偏重主義を、この不況のどまんなかで掲げるにはそれなりの理由が必要かと思います。>元増田さん

よくわかりませんが、東大合格おめでとうごいます。と元増田さんにはいっておけばいいような気もします。>他の増田さん

2009-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20091208162953

大学に行かないと、普通企業正社員になりにくいという、学歴偏重日本雇用がどうにかしている。

いわゆる、働くスキルという意味では、大学で教えることと、実社会で必要なスキルが、乖離して久しすぎる。

理系研究職ならともかく、大学で学んだことと、実社会就職する会社が必要とするスキル乖離しているなら、大学なんて趣味じゃないか!

化け学部卒で趣味でITやってるわけでもないのに、就職がIT系とか。そんなものが普通に1流大学だからで採用されて

子供の頃からITやってきて、Fランクだけど情報系 というのを 押しのけて、 IT系の会社採用された日本のITがどうなったか? 

IT業がクリエイティブ業じゃなくて、単なる肉体労働土木作業になったのは、いったい誰のせいなのか?

とか、とりとめもなく、思いました。さようなら。

2009-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20091111155236

横だけど。

学歴偏重主義の親が言うことなんかほっとけばいいよ。

東大にいけることが子どもの才能だと思ってるおばかさんなんだから。

東大卒業して世間的にはどうしようもない人間もいるだろうし、

中卒だって高卒だって財を成し社会的にも認められてる人もいる。

お金が無くても毎日地道な商売で幸せをかんじる人もいる。

子ども芸術的な才能があったとしても何もしてやれない(気が付かない)こともあるし、

そもそも何が経済的な成功に繋がるかなんて一定の法則があるわけじゃないし。

幸せ意味は、人それぞれに見つけるもんだと思うから、

子どもにも自分自分幸せを見つける力を持って欲しいなと思う。

そのためには親が幸せに暮らしていることを行動で示すしかないんじゃないのかな。

教えることなんて出来ないんじゃないの、って思うよ。

2009-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20091007122120

全員が全員元増田が言ったことに対して返信してるわけではなく、途中でいわゆる横、そのことについて別な角度から考えるとこう思う。という横にたいして、元増田命題をもってきて、(横なのに)真だ偽だっていっているから、話がおかしくなってるんだと思った。

元増田

よく判らないんだが、今のプログラマに求められてる仕事って「やりすごす」レベルじゃ絶対にダメって事?※と

テストの点うんぬんぬん

の関係は主旨だけ見ればそれぞれ横だと思うよ。

※に関してはすでに、就職云々じゃなくて、就職後の話にもなるし。

新卒転職はまた話が違うし、推薦と一般公募じゃ話が違うし。

ただ、全体的な風潮としては、今までは活況で人が不足していたし、育成を前提に青田買いだったから、学歴偏重だったけど

今は不況で人が余っているし、育てる余裕がないので、即戦力重視にシフトしてるから、

学生は今までのエスカレーター就職は無理で、泥臭い泥仕合の就職戦線になるって事だろうし

転職組は、本当にいままで積み上げてきた、人脈とかスキルとか実績とかが総動員で、会社の格とか名前とかが通じなくなった。

というおおよその傾向はあるとおもうし、だいたいみんな、だいたいなら、そんなことを言ってると思うよ。

細かい定義もなしに、雑談で横が混じる場所で、重箱の隅をつつくからおかしな事になるだけで。

http://anond.hatelabo.jp/20091007094956

一般的なテストの点がよい が 偏差値60程度で上位2-3割という事だとすると

そりゃぁ、テストの点が良くても 就職できないわなぁ。

だって、それ就職戦線における長所と見なせる『良い』に含まれないもの。

個人的には、それは、テストの点が良いじゃなくて、テストの点が悪くないだなぁ。

 

たぶん、このスレ?の感覚で行くと

テストで推薦受けられる程度の優秀な点が取れる奴:就職できる ※S1

テストの点に関係なく、なにがしかのスキルを高いレベルで身につけた奴:就職できる ※S2

テストの点は推薦受けられる程度ではなく、スキルも高くない(どちらも良い~平均 以後平均と表記);就職氷河期なので就職困難 ※A

スキルは平均、テストの点は低い:就職困難 ※1

テストの点は平均、スキルは低い:就職困難 ※2

両方低い:就職超困難

ここで、※1>※2 で就職困難と考えるか、※2>※1で就職困難と考えるかだけど

テストでいい点すら取れないような奴 という 表現を見るに、※1の方が※2よりも就職しやすいという前提で

※2が言いたいんだろうなぁと。

その前の、テストで良い点が取れれば就職できると思ってる(のは間違い) という表現はこの表全体のことを言いたいんだろうなぁと

元増田については※Aが言いたいんだろうなぁと。

一般的には、大学時代スキル即戦力レベルで身につける人って少ないから、大体が、※2に含まれるんだよね・・・

ただ、学歴偏重だったから、※2>※1だった。今は氷河期だから※1>※2

だったら、テストの点を削っても、時間スキルに割いて※1になったほうが有利と考える考え方はあるし。

大学を1つ下のランクに下げて推薦ねらう※S1とか、大学ランクは無視してスキル重視の※S2とかが賢いよねぇ?

変に大学ランクを無理してあげて、ついて行けなくてカツカツで※2とかその下になっちゃうと結構大変だと思う。

というあたりで、ここまでの増田たちはみんな、同じようなことを行ってるけど、良いとか、テストの点とかが指している物が微妙に違う性で食い違っているによねぇと思う。

2008-09-08

日本企業学歴偏重主義は欧米に比べると可愛いもんだ。

でも、このブランドはあるに越したことはないんだよなー。

2008-03-31

 

 レッテル社会といわれる現代では、より安定した生活を送るためには有名校を卒業して大(だい)企(き)業(ぎょう)や官公庁(かんこうちょう)に入り、重要ポストにつくことが幸福の要件と考えている人があります。

 これについて二点から考えてみましょう。

 第一の点は、はたして社会的な地位につくことが幸福の条件なのか、ということです。

 最近、四十代、五十代の、いわば社会的に重要な地位にある年代のエリートが、仕事上の行きづまりや人間関係の悩みによってノイローゼになったり、自殺に走るケースが頻繁(ひんぱん)に起こっています。

 現代の熾烈(しれつ)な競争社会の中で責任のある地位につくことは、それだけ大きな負担(ふたん)となり、身心ともに苦労も多くなることは当然です。

 ではなぜ人々は苦労の多い地位を望(のぞ)むのでしょうか。その理由は、ひとつには人に負けたくない、人の上に立ちたいという本能的な願望(がんぼう)であり、もうひとつには地位が向上すれば経済的に豊かになる、周囲から敬(うやま)われることなどが挙(あ)げられると思います。

 もし願いどおりの地位についたとしても、それに適合(てきごう)しない性格であったり、負担に堪(た)える人間的な能力がなければ、その人は苦痛(くつう)の毎日を送ることになるのです。

 第二の点は、学歴(がくれき)至(し)上(じょう)主義(しゅぎ)がもたらす弊害(へいがい)と不幸がいかに大きいか、ということです。

 たしかに一流大学卒業した人は、それだけ幼(おさな)いころから勉学に励(はげ)んできた努力によって、能力的に優(すぐ)れています。深い学識と幅(はば)広い教養による英知(えいち)はいずこの社会職場にあっても、知的(ちてき)資源(しげん)、人的(じんてき)資材(しざい)として重要視されることは当然でしょう。

 しかし誰もが一流校には入(はい)れるわけではなく、ごく一にぎりの人だけが許(ゆる)される狭(せま)き門を目指(めざ)して、過酷(かこく)な受験戦争がくり広げられ、子供は友情を育(はぐく)むどころか、同級生を敵視(てきし)する状態(じょうたい)に追いやられています。

 毎年受験シーズンになると受験に失敗して自殺するという悲惨(ひさん)な事件が相(あい)つぎますが、幼いころから親や先生の「有名校に入る人は優秀、入れない人は敗北者(はいぼくしゃ)」という言葉を聞いて育ったならば、受験の失敗がそのまま人生の破滅(はめつ)になると考えるのは当然です。

 まさに誤(あやま)った学歴偏重(へんちょう)の風潮(ふうちょう)が生む不幸の一面であり、その風潮の中で育った子供は、またさらに学歴偏重人生観を増幅(ぞうふく)していくのです。

 このような教育制度や教育行政(ぎょうせい)のゆがみは教育の部分だけをとり上げて改革(かいかく)しようとしても根本的な解決にはなりません。

 なぜならば、教育問題は時代や社会機構(きこう)全体と深く関(かか)わっており、さらには人生観・価値(かち)観(かん)ともつながっている事柄(ことがら)だからです。

 釈尊は現代を予言して、末法は五(ご)濁(じょく)の時代であると喝破(かっぱ)されています。五濁とは時代が濁(にご)り、社会が乱(みだ)れ、人間の生命も思想も狂(くる)うことを指(さ)しており、その原因は誤った宗教にあると説いています。

 したがって健全人生観や社会思想は、ひとりひとりが正しい宗教に帰依(きえ)し、しかも正法が社会に広く深く定着(ていちゃく)したときに醸成(じょうせい)されるのであり、真実幸福は表面的な学歴や肩書きによってもたらされるのではなく、真実の仏法を信仰修行することによってもたらされるのです。

 以上の二点だけを取り上げてみても、学歴社会的地位がそのまま個人の幸福の絶対的条件になるわけでもなく、社会の福祉(ふくし)につながるわけでもないことがわかるでしょう。

 真実幸福とは、いかなる負担や困難をも悠々(ゆうゆう)と解決して乗り越えていくところにあります。

 個々の人間生命力を与え、勇気希望と智慧(ちえ)をもたらす道は、真実にして最勝の仏法を信仰修行することに尽(つ)きるのです。

 身につけた学識(がくしき)と教養、そして大きな責任をもつ社会的な地位、それらをより充実したものとし、より価値あるものとするために、正しい信仰が絶対に必要なことを知るべきです。


とりあえず、学歴や地位が幸福をもたらすのが現実、まで読んだ。

2008-03-10

ゆとり教育について哲学する。

 教育基本法の第一条には【教育目的】として「教育は、人格の完成を目指し、平和民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康国民の育成を期して行われなければならない。」とある。この文面からわかることは、教育の目指すものは人格の完成であること、そしてかなり包括的なプロセスであることの2点だ。

 人格の完成においては知識の伸張(知育)だけでは教育とはいえない。頭でっかち人間をつくることは教育目的ではなく、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)を包括的に行うことが、教育の真の目的だ。それらを兼ね備えて始めて人格は完成する。彼らは必要な資質をもった理想的な「社会の形成者」となり、社会を理想の方向へと進めて行く。

 すなわち、教育とは理想の社会と構成員を作り出すプロセスなのだ。そしてそのプロセス社会から教育へ、教育から社会への順に、無限ループを繰り返す。「理想の人格者によって構成された社会こそが理想の社会だ」という考え方。これがその無限ループに与えられた、たった一つの命題である。

 問題は、「理想の社会」と「理想の人格」が変化するということだ。そしてその変化と同時に、教育プロセスカウンターをもって方向転換(あるいは反転)する。以下にその例を挙げる。

 1970 年代までの慢性的に教師不足な社会が「でもしか先生」をうみ(社会から教育へ)、その弊害として校内暴力が多発した(教育から社会へ)。指導能力の低い教師たちには、生徒の暴走を食い止めることは不可能だったからである。この時期は、生徒のそのパワーを身体の伸長(体育)に向ける方法が多くとられ、その中で道徳の伸張(徳育)、知識の伸張(知育)を行うというプロセスが行われていた(例:スクールウォーズ)。

 その後1980 年代に入り、「荒れた学校」へのカウンターとして、もしくは均一で効率的な労働力を求める社会の要請で、管理教育が再徹底された(社会から教育へ)。その後、管理教育の弊害として、はみ出すことを嫌う没個性社会、管理教育に伴う知識の詰め込み、学歴偏重社会が形作られた(教育から社会へ)。知識の伸張(知育)に特化したこの教育は、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)をないがしろにした。この時期、社会では小学生の体力低下や犯罪の低年齢化といった社会問題が話題となった。

 それに対して、文部省(現文部科学省)がはなったカウンターが「ゆとり教育」である(社会から教育へ)。知識偏重を見直し、多様性、主体性をもつ豊かな人間性とたくましさ、すなわち「生きる力」を育むことを目的とした。しかし結果は周知の通り、利己主義社会学力低下が起きた(教育から社会へ)。主体性を自己主張、わがままと履き違えてしまい、道徳の伸張(徳育)が不完全にしか行われなかったことに原因がある。しかし学力低下については、学力偏重教育を批判して方向転換したのだから、知識の低下を嘆くのはおかしい。もともとが社会の要請によって行われたものである。授業科目を減らせば学力が低下するのは至極当たり前の結果であって、単純に批判することは出来ない。

 ゆとり教育の失敗は、知識の伸張(知育)を犠牲にはしたが、その対価となる道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)政策を徹底できなかったことだ。生徒達は週休2 日制によって、学校のなかで社会性を学ぶチャンスを毎週一日分捨ててきた。その結果得たものはなんだろうか。「見た目はいいが機能性は低い」まるで国会議員のような、まるで週休2日制のような人間だけであった。理想の人格者になるために足りないものは、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)だったはすが、知識の伸張(知育)まで足りなくなってしまった。それゆえ現在教育のための包括的なプロセスは不完全にしか機能していない。愛国心についての議論もよい。しかし、今やらなければならないことは、教育目的の再確認と今現在足りないものについての議論なのだ。

教育方針が時代によって変わるのは仕方のないことなのかも知れない。それをここまで書いてきた。しかし、私にはどうしても許せないことがある。

 私の妹はど真ん中の「ゆとり教育」世代である。彼女はたまにつぶやく。

「わたしゆとり世代やねん。あほばっかりの世代やねん。」

ただ普通に生きていただけなのに、社会からは「理想的な社会の形成者」たりえない、失敗した世代だとレッテルを貼られてしまった。そんな彼女言葉に潜む絶望がわかるか?彼女が失ったプライドゆとり世代劣等感をどうしてくれるのだ。

 教育目的は、知育・徳育・体育の伸張による人格の完成にあると最初に述べた。ゆとり馬鹿だと蔑む奴等。彼ら彼女らの劣等感煽り、踏みにじって笑う奴等に言いたい。ゆとり世代だって立派な「社会の形成者」だ。馬鹿にするな。困っている子がいれば助けてあげる。泣いている子がいれば慰めてあげる。そう習ったはずだ。彼らの絶望に気付けないお前たちこそ、「徳育の足りない不完全な社会の形成者」だ。

 完璧人間はいない。ゆとり世代は不完全かもしれない。しかし、それをあざ笑う奴等だって、所詮は不完全なのだ。「ゆとり世代」。キャッチーキーワードのせいで浮き上がってしまった世代。彼らを見下すことなんて、本当に下らないことなのだと気付いてほしいと思う。

2008-01-06

当事者傍観者

学歴および受験の問題に関しては、同じ一人の人間が、当事者として行動する時と、傍観者として発言する時で、意見を変えているのです。だからこそ、一方で学歴偏重の世相を嘆いている人間が、他方では幼児教育に狂奔しているみたいなことがごく普通に見られるわけですよ。」 これっていうのはいろいろなことにあてはまると思う。環境汚染、飽食、談合、あらゆるタイプ戦争/ゆとりのある生活、愛のあるセックス、、、。こういうトピックに対して、当事者として行動するときと、傍観者としてみている時で、意見/態度を変える人って多い。自分も含めて。そういう変化の幅を縮めていくのが、真摯な実践ということなんだろうな。 あと、印象に残ったのは、郷ひろみと森 元首相に対するメッセージラグビーで推薦入学ってことになっているけど、ラグビー部半年で退部しているし。そんな内容の自伝出してるし。さらに日本ラグビー協会会長になるらしいし。こんなんでいいのか?

2007-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20071208153147

なんか、成功者に良い大学出の人が多いとか、そうじゃないとか、だからなんなのよとか、こいつらは本当に成功者なの?とか、高卒社長とかの方がカッコよくね?とかあるみたい。

だけど、彼らはやっぱ成功者じゃね?(犯罪者は知らん)金を儲けて、地位もあって、学歴もあるんだから十二分に成功してるんじゃないか?凄い成功者でも憧れる成功者でもないかもしれないけど、つまらなくとも完璧成功者ではあるかもしれない。

先のエントリの主旨は東大早慶ばっかというのであって、彼らが成功者かどうかということではないけど、ブクマとか見てると気になった。学歴偏重主義、拝金主義も変だけど、成り上がり貧乏尊敬傾向ってのも変。やっぱ普通エリートに憧れるくらいがちょうど良い。

 
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