はてなキーワード: 画一的とは
例のプロゲーマー志望だのドローン少年だのについての考えが少し脳内でまとまってきたので出力。
結論から書くと、悪い大人が子供に玩具を与えて自分たちの玩具にしているというのは問題の小さな一面で、大きな問題は「普通の大人」を自称する人達が子供達に気持よく努力して他人の期待に応えられる機会を与えきれていない事なんじゃないだろうか。
「悪い大人」にお小遣いを貰っていた子供がどうしてそんな怪しい大人に導かれていったのかを考えると「自分が行動する→誰かがそれへのはっきりした反応を返してくれる」というループが心地よい形で続いていたからだと思う。
世の中にたくさんいる「普通の大人」が子供に要求するのは「画一的な勉強」や「根性論の塊なスポーツ信仰」を始めとした「それで全ての子供が気持よく頑張れるかどうかなんて知ったこっちゃない」ようなものばかりだ。もちろん上手く行かなかったら「そんなんじゃ社会じゃやっていけない」「この程度の事も出来ないのは流石にクズ」と言葉によって尻をさんざん蹴り上げられる。
そして「ゲーム」や「実況」と行った行為でいくら努力しても「くだらない」で吐き捨てる。もちろん「普通の大人」の中にはそうじゃない人も沢山いるが当然逆も多い。
対して「悪い大人」は子どもと一緒になって馬鹿な事をやってその結果を一緒に楽しむ仲間になる。彼らは過剰すぎるほどの反応を示してくるわけだが、「普通の大人」が返してくる反応の薄さやその悪質さに疲れた子供はそれによって多いに癒やされてしまう。
ここに来て今更な話をするが、「好きなことをする→その結果が人に認められる→更に精を出す」、これは1人の人間にとって最高な事だ。これに異論があるという人はいないだろう。異論があるのなら後学のためにぜひとも教えてほしい。
大抵の人間はなかなかこの立場に辿り着くことが出来ない。出来たとしても僅かだ。自分だって増田を好きで書いているがそれでいい結果(ブクマ沢山うれしー)が出ることはそう多くない。ましてそれによって金が貰えたりはしない。結果を金に繋げて上手く行くのはまた一つ二つハードルが上がる。
大人にだってなかなか出来ないんだから子供がそのレベルで上手くループが回せるなんてまずない。友達同士でお互いを認め合うことはあってもそこで金を稼いだりなんてのは難しい。
そんな状況に「悪い大人」が現れるのだ。心がそっちに流れるのは当たり前だといえよう。
それを「悪い大人」が卑怯だと言う事は難しくない。確かにそれで一見すると問題は解決できるような気がしないでもない。だけどそんな事言って他人を止められるなんて事はまずないと言うのは歴史が証明している。
じゃあどうすればいいのか?
それは「好きなことをする→その結果が人に認められる→更に精を出す」のループを回せる機会をもっと子供に与えることだ。流石にお金を与える所まで行けとは言わないけど、せめて身近な子供が遊びで結果を出したらもっと認めてやっていいと思う。
もちろんそれは大人に対しても一緒だ。
いい年こいたオッサンがスプラトゥーンでSランクに行ったことで舞い上がってるのを見て水を差したり、ブログにずっとラーメンの画像を貼っているデブが美味い美味い言ってるのを健康に悪いだろと殴りに行く必要なんてないはずだ。
もっと皆他人がやっている「くだらないけど本人は楽しくやっていて人に迷惑はかかってない事」をいちいち批判して回る必要はないなんじゃないだろうか。
大人がまずお互いに認め合う。そして他人を認める癖が付いているから子供の遊びも認められる。それで子供は満たされて心に余裕ができて「悪い大人」が本当に「悪い」かどうかを判断出来るようになる。それでいいんじゃないだろうか。
「と思う」が多用されている事から分かるようにこれは気まぐれな思いつきなので、どうか優しい対応をしてくれると嬉しいけど同時にはっきりとした感想を述べてもらいたくもある。斧をしまって言葉の角を少しヤスリで丸めて投げてくれると助かる。
同性パートナーシップ条例が話に上がる時とかに、差別してはいけないという流れでいつも「多様性を認めよう」って話が出るんだけど、あれってゲイからするとちゃんちゃらおかしくて笑える。
そもそもゲイの世界は、多様性なんて全く認めない、徹底的なルッキズムで満たされている。マッチョとガチムチだけが発言権を持っているし、その上きちんと顔が良くないと「マッチョだけどブスじゃんw」と馬鹿にされる。デブも、デブとデブ好き同士で調子に乗ってるだけで気持ち悪い存在とされている。一番悲惨なのは痩せている人達だ。彼らは「キショガリ」と呼ばれ、まるでゴキブリのように扱われている。ノンケの世界みたいに「性格がいいから」なんて綺麗事では恋人なんてできない。身体と顔が全ての、完全なルッキズムヒエラルキーの世界。出会い系アプリでもルックスと身体で人気度合いがレベル付けされランキングされる非情な世界。だからみんな必死に身体を鍛えるし、鍛えてない奴はゴミ屑のような扱いを受ける。
そんなゲイの世界を嫌という程見ているから「多様性を認めよう」なんて綺麗事でゲイが擁護されてるのが本当に可笑しい。ゲイの世界には多様性なんて言葉は存在しない。ひたすら身体と顔の良さが評価されるだけの画一的な世界だ。だから、所詮多様性なんてエリート様達の考えた理想論に過ぎないんだろうなと思うし、ゲイが差別される感覚も良くわかる。それってゲイがキショガリをゴキブリ扱いしてるのと同じだと思うから。
差別される人達の中で別の差別が生まれているこの状況を見ていると、差別がなくなるなんて無理なんじゃないかなと思う。
追記:
「個人の好みの問題」とか言ってる人がいるけど、そんな甘っちょろいもんじゃないよ。キショガリに対しての差別は人種差別と同じようなレベルでなされているから。実際自殺する奴だっている。
はっきり言ってしまえば、アニメを通してみるといろんなメディア原作の作品(漫画・大衆小説・ラノベ)が画一的に見えてしまうのだ。
違いが分からなくなってるのは、単にそのジャンルに対する興味が無くなってるだけの話。ちゃんと違いはある。「最近の女の子はみんな同じ顔してる」っていうオジサンと同じだよ。
そもそも元増田の書き方は伝聞の形になってるけど、ちゃんと自分でラノベ読んでアニメ見てから意見を言っているのだろうか。
テンプレアニメといって軽視して、自分が賢くなったように錯覚してるだけ。だいたいテンプレとは何なのか。人が出てきて何かが起きるってテンプレに全てのドラマは沿ってるじゃん。
なんてのはたいていどこ言っても見かけるもんだ。
ところが、このテンプレラノベの一見した多さというのはライトノベルではなくて、アニメ業界の危なさを象徴するものだということに気づいていない。
今現在、ライトノベル業界はかつてないほど盛り上がっているといってもいい。
ライトノベルを過去に書いていた人たちはライト文芸や少しターゲットを大人向けに絞ったレーベルに新作を書き下ろすパターンが増えている。
また、なろうに代表されるWeb小説が増加し、かつてない盛り上がりを見せている。
既存のライトノベルレーベルだけを注力しているとその豊穣さに気づかないことが多い。
年間2~3千冊が刊行され、かつないほどに多様なジャンルが生み出され、市場規模もハードカバーなどを含めるとどんどん拡大して言っているのが現状だ。
ところが、アニメファンからライトノベルはテンプレ作品が多すぎるという発言をよく耳にする。
「最弱無敗の神装機龍」がテンプレート的であるという批判も耳にした。
しかし、冷静になってアニメーションの作品と、ライトノベルの作品を見比べれてみると強烈なまでにアニメの作品がテンプレート塗れなのに気づく。
テンプレラノベアニメといわれる作品がまさにそうなのだが似たようなラノベばかりアニメ化するのだ。
また、日常系、ロボットアニメなどの作品も毎回のように作られておりその画一的な作風にあまりにもおどろかされる。
そして気づく。
と。
はっきり言ってしまえば、アニメを通してみるといろんなメディア原作の作品(漫画・大衆小説・ラノベ)が画一的に見えてしまうのだ。
ふぅ氏(以下敬称略)の、この動画(http://www.nicovideo.jp/watch/sm27285739)について
僕も全然古参では無いけれど、数年前からゲーム実況動画を見るのが好きでよく見ている。だからふぅの言いたいことはよくわかる。有名実況者がみんながみんな、マリオメーカーだのと同じゲームを題材に同じような実況を投稿し、挙げ句の果てにはサムネイルまで似ているというのは見るに堪えない話である。
しかしながら、そうした問題の根源というのは、そういった有名実況者たちにあるのではないと、僕は思う。
そもそも彼らは何ら悪いことをしていない。少なくとも法の上では。さんざん言われてきたことだがゲーム実況というのはそもそもがグレーな存在だった。著作物を使って動画を撮り、それを勝手にネットにアップする行為はグレーというか普通にアウトである。それが見過ごされてきたのは取り締まることが現実的では無いという事実によって見過ごされてきたに過ぎない。ふぅの言う、かつての面白い動画がたくさんあった時代というのは、そういう限りなくブラックに近いグレーな動画によって成立していた。
昨今の、マリオメーカーを代表とするゲームがさんざん投稿されている現実は、動画内でふぅも言っているが、企業とニコニコ動画がタイアップした結果、公式に動画を上げることが可能になり、その結果投稿者に利益さえ入るようになったから顕れたものである。法律的にもセーフであり、そのうえ利益も入る。別にこれで金を儲けることは何も責められる謂われは無いのだ。
たしかにその結果として、画一的で無味乾燥な動画が量産されたかも知れない。しかしそれは投稿者の罪と謂うよりも体制側の罪である。多数の投稿者は当然の結果として流れるべき方向に流れたに過ぎない。そういう方向に彼らを導いた(それを予測したかどうかは知らないが)運営に、批判の矛先はまず向けられなければならない。しかし、ふぅは任天堂に対してもニコニコ動画に対しても、それを行わない。
投稿者たちは金儲けできるシステムができたからその枠内で金を稼いでいるだけだ。それを批判することは勿論事由だが、その前にそういう体制を作った方をまず批判すべきだ。そもそも、ふぅ自身、上記したような限りなくアウトに近い行為を行っている自分自身(それは題材にしているゲームだけでなく、動画で用いられている音楽や効果音を含めてだ)が、ルール上は明らかにより問題の少ないことをやっている人びとを名指しで批判するという構図の滑稽さには気がついていないのだろうか。
ふぅの主張をあえて乱暴にデフォルメすると、こうとも言える。今まで俺たちはルールを無視して面白いものを作ってきた。だが最近、新しいルールができて、その枠内でおとなしくやるやつが増えた。それはおもしろくない。昔にもどるべきだ。
この主張自体にも理はある。しかしそれを声高に主張すること自体が不可能なのだ。何度も言っているが、ルールの上ではふぅが批判する人びとのほうが正しいのだ。その正しさの代わりに面白さが失われたからと言って昔に戻れというのでは、暴走族が足を洗った仲間をまた引きずり込もうとするような構図では無いか?
ぼくだって、有象無象のマリオメーカーの動画より、ふぅの動画のほうがずっと好きだ。面白いと思う。しかしその面白さを支えていた者が何か考えれば、安易にふぅの様な主張はできないのだ。かつての面白い動画群は、畢竟ゲーム実況というジャンルがメーカーに見逃されていたからこそ実現した、寿命のあるコンテンツだったのかもしれない。
その現実を受け入れたくないなら、そういう実況がまた上げられるような環境を作ることを考えなければならない。少なくともそういう姿勢だけでも見せなければならないのだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ブサイクな人間が嫉妬や自虐に使い、肝心のイケメンの人格を排除している時点で、低俗なミームであることは自明だっただろう。
元ネタに込められた思いなんて、今では何処吹く風だ。
まあ“そういう人間”は、「ただし性格のいい人に限る」とかだったとしても分が悪いとは思うが。
最近ではそれがターゲットを変えて「童貞を殺す服」になっているのかな。
“彼ら”にはぜひとも逆に殺してやるくらいの気概を見せてもらいたいものだな。
なんなら「処女を殺す服」でも作ったらどうだ?
君の発明にしてくれて構わないぞ。
おいおい、君はまだそんな次元で話しているのか。
「ただしイケメンに限る」といった低俗なミームが風化してから何年経ったと思っている。
なのに、いまだそんな不毛な質問するのは、君の中で「外見だけで人を判断するなんて酷い」だとか、画一的な価値観を前提に語っているからだ。
君がよほど未成熟な人間でないのなら、そのような評価基準に是非を求めようだなんてことはナンセンスだと気づくはずだ。
そもそも人間は総体的に評価すべきで、各々で重視する側面はあっても、決して「それだけ」でいいわけではない。
住む部屋を探している人は何を重視するかはともかく、「その条件さえ満たせば後は何でもいい」とはまず思わないだろう。
また、現在進行形で対象を求めているかどうかでも、回答への真剣度は変わってくるしな。
いずれにしても総体的に評価すべき価値判断を、一つの要素だけ抜き出して語っても意味はない。
愛すべきは「要素」ではない、「人」だろう。
まあ、そこに君の求める真実があって、それで人生が豊かになるのならば好きにすればいい。
そ、そうか……。
偶然そうやって出会いに恵まれていない人を捕まえて「だから結婚できないんだよ!」なんて言うのはお門違いではあるのだが……。
君は高学歴高収入を「高望み」といっているが、もう少し考えてみて欲しい。
自分と同程度のスペックで、かつ一緒にいたいと思え、相手も君とパートナーになりたいと思っている。
それは、高学歴高収入と比べて本当にハードルが低いのかどうか。
それにハードル走も、それはそれで大変だと思うぞ。
……それらを踏まえたうえで結婚できるのか?
それは私が決めることじゃあない。
もしかしたら高学歴高収入の人と結婚できるかもしれないし、君のいったような条件の人と結婚できるかもしれない。
だが不確定要素が大きい以上、結婚の条件を弄ぶ人間に他者がいえることはそこまで多くないんだ。
いずれにしても、私がいえる教訓はこれだ。
「現実を見ろ」
陳腐な教訓だが、こんな所でいるかどうかも分からない人間を前提に語っている時点で、本当に理解している人は少ないんじゃないかな。
それにしても、いやはや……。
恋愛や結婚が自由になり、親戚などの「お節介システム」も廃れたのが現代だと思ったが。
今も形を変えて、そのシステムをお金を払ってまで求める人が多くいるとは。
各々が自由を追い求めた結果が今だとするなら、何とも難儀な話だな。
1
判 決
同 松 田 誠 司
同 清 原 直 己
同 中 村 哲 士
同 富 田 克 幸
同 夫 世 進
同 有 近 康 臣
同 前 澤 龍
同 蔦 田 璋 子
被 告 パ ナ ソ ニ ッ ク 株 式 会 社
同 速 見 禎 祥
主 文
1 原告の請求を棄却する。
事 実 及 び 理 由
2
第1 請求
特許庁が無効2012-800008号事件について平成26年6月24日
にした審決を取り消す。
第2 事案の概要
被告は,平成22年8月10日に出願(特願2010-179294号。
平成15年12月22日に出願された特願2003-425862号の分割
出願。優先日同年8月5日)(以下,この優先日を「本件優先日」という。)
され,平成23年12月9日に設定登録された,発明の名称を「帯電微粒子
水による不活性化方法及び不活性化装置」とする特許第4877410号
(以下「本件特許」という。設定登録時の請求項の数は6である。)の特許
権者である。
原告は,平成24年1月31日,特許庁に対し,本件特許の請求項全部に
ついて無効にすることを求めて審判の請求(無効2012-800008号
事件)をした。上記請求に対し,特許庁が,同年8月2日,無効審決をした
ため,被告は,同年9月10日,審決取消訴訟を提起した(知的財産高等裁
判所平成24年(行ケ)第10319号)。その後,被告が,同年12月7
日,特許庁に対し,訂正審判請求をしたことから,知的財産高等裁判所は,
平成25年1月29日,平成23年法律第68号による改正前の特許法18
1条2項に基づき,上記審決を取り消す旨の決定をした。
被告は,平成25年2月18日,本件特許の請求項1及び4を削除し,請
求項2を請求項1と,請求項3を請求項2と,請求項5を請求項3と,請求
項6を請求項4とした上で各請求項につき特許請求の範囲の訂正を請求した
(以下「本件訂正」という。)。特許庁は,同年5月8日,本件訂正を認めた
上で無効審決をしたため,被告は,同年6月14日,審決取消訴訟を提起し
(知的財産高等裁判所平成25年(行ケ)第10163号),知的財産高等
3
裁判所は,平成26年1月30日,上記審決を取り消す旨の判決をした。特
許庁は,同年6月24日,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たな
い。」との審決をし,その謄本を,同年7月3日,原告に送達した。
原告は,同年7月31日,上記審決の取消しを求めて,本件訴えを提起し
た。
本件訂正後の本件特許の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(甲3
4,39,40。以下,請求項1に係る発明を「本件訂正特許発明1」,請求
項2に係る発明を「本件訂正特許発明2」などといい,これらを総称して「本
件訂正特許発明」という。また,本件特許の明細書及び図面をまとめて「本件
特許明細書」という。)。
請求項1
「大気中で水を静電霧化して,粒子径が3~50nmの帯電微粒子水を生成
し,花粉抗原,黴,菌,ウイルスのいずれかと反応させ,当該花粉抗原,黴,
菌,ウイルスの何れかを不活性化することを特徴とする帯電微粒子水による
不活性化方法であって,前記帯電微粒子水は,室内に放出されることを特徴
とし,さらに,前記帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,スーパーオキサ
イド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか1つ以上のラジ
カルを含んでいることを特徴とする帯電微粒子水による不活性化方法。」
請求項2
「大気中で水を静電霧化して,粒子径が3~50nmの帯電微粒子水を生成
し,花粉抗原,黴,菌,ウイルスのいずれかと反応させ,当該花粉抗原,黴,
菌,ウイルスの何れかを不活性化することを特徴とする帯電微粒子水による
不活性化方法であって,前記帯電微粒子水は,大気中に放出されることを特
徴とし,さらに,前記帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,スーパーオキ
サイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか1つ以上のラ
4
ジカルを含んでおり,前記帯電微粒子水は,粒子径3nm未満の帯電微粒子
水よりも長寿命であることを特徴とする帯電微粒子水による不活性化方
法。」
請求項3
「霧化部に位置する水が静電霧化を起こす高電圧を印加する電圧印加部を備
え,当該電圧印加部の高電圧の印加によって,大気中で水を静電霧化して,
粒子径が3~50nmであり,花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかと反応
させて,当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかを不活性化するための帯
電微粒子水を生成し,前記帯電微粒子水は,室内に放出されることを特徴と
する不活性化装置であって,前記帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,ス
ーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか1
つ以上のラジカルを含んでいることを特徴とする不活性化装置。」
請求項4
「霧化部に位置する水が静電霧化を起こす高電圧を印加する電圧印加部を備
え,当該電圧印加部の高電圧の印加によって,大気中で水を静電霧化して,
粒子径が3~50nmであり,花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかと反応
させて,当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかを不活性化するための帯
電微粒子水を生成し,前記帯電微粒子水は,大気中に放出されることを特徴
とする不活性化装置であって,前記帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか
1つ以上のラジカルを含んでおり,前記帯電微粒子水は,3nm未満の帯電
微粒子水と比較して長寿命であることを特徴とする不活性化装置。」
3 審決の理由
審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。本件訴訟の争点となる部
分の要旨は,① 本件訂正特許発明の粒子径の記載はいずれも明確である
(特許法36条6項2号の要件を満たす。),② 本件訂正特許発明の粒子径
5
に関し,発明の詳細な説明に記載されていないとすることはできない(同項
1号の要件を満たす。),③ 本件訂正特許発明の静電霧化の意味は明確であ
るほか,本件訂正特許発明の静電霧化手段に関し,発明の詳細な説明に記載
されていないとすることはできないし,発明の詳細な説明には,当業者が本
件訂正特許発明の実施ができる程度に明確かつ十分な記載がなされていない
とすることもできない(同項1号及び2号並びに同条4項1号の要件を満た
す。),④ 本件訂正特許発明1及び3はいずれも,I.Wuled LEN
GGOROら「静電噴霧法による液滴およびイオンの発生」粉体工学会誌V
ol.37,No.10(日本,2000年),753~760頁(甲10。
以下「甲10」という。)記載の発明(以下,審決が本件訂正特許発明1と
対比するに当たり認定した甲10記載の発明を「甲10発明1」と,本件訂
正特許発明3と対比するに当たり認定した甲10記載の発明を「甲10発明
2」という。)に,特開平11-155540号公報(甲5。以下「甲5」
という。),特開平7-135945号公報(甲6。以下「甲6」という。)
及び「ラジカル反応・活性種・プラズマによる脱臭・空気清浄技術とマイナ
ス空気イオンの生体への影響と応用」(株)エヌ・ティー・エス発行,20
02年10月15日,218~231頁,363~367頁,389~39
2頁(甲7。以下「甲7」という。)に記載の技術を組み合わせても,当業
者が容易に発明できたものではない(同法29条2項の規定に反しない。),
⑤ 本件訂正特許発明1及び3はいずれも,特開2002-203657号
公報(甲11。以下「甲11」という。)記載の発明(以下,審決が本件訂
正特許発明1と対比するに当たり認定した甲11記載の発明を「甲11発明
1」と,本件訂正特許発明3と対比するに当たり認定した甲11記載の発明
を「甲11発明2」という。)に,甲5ないし7記載の技術を組み合わせて
も,当業者が容易に発明できたものではない(同上),というものである。
上記 ④の結論を導くに当たり,審決が認定した甲10発明1及び2の内
6
容,甲10発明1と本件訂正特許発明1及び甲10発明2と本件訂正特許発
明3との一致点及び相違点は以下のとおりである。
ア 甲10発明1及び2の内容
甲10発明1
「液体を静電噴霧して,粒子径が数nmで幾何標準偏差が1.1程度の
甲10発明2
「導電性の細管の先端に位置する液体が静電噴霧を起こす高電圧を印加
する高圧電源を備え,当該高圧電源の高電圧の印加によって,液体を静
電噴霧して,液滴径が数nmで幾何標準偏差が1.1程度のイオンを含
む液滴を生成する静電噴霧装置」
一致点
「液体を静電霧化して,粒子径が3~50nmの帯電微粒子の液滴を生
相違点
a 相違点10a
「本件訂正特許発明1は,水を静電霧化して帯電微粒子水を生成し,
帯電微粒子水を花粉抗原,黴,菌,ウイルスのいずれかと反応させ,
当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかを不活性化する不活性化方
法であるのに対して,甲10発明1は,帯電微粒子の液滴が,花粉抗
原,黴,菌,ウイルスのいずれかと反応し,それらの何れかを不活性
b 相違点10b
「本件訂正特許発明1では,大気中で水を静電霧化し,帯電微粒子水
は,室内に放出されるのに対し,甲10発明1では,大気中で液体を
7
静電霧化するのか,また,液滴が室内に放出されるのか明らかでない
点」
c 相違点10c
「本件訂正特許発明1では,帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのい
ずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対して,甲10発明1で
は,帯電微粒子の液滴が,そのようなラジカルを含んでいるか不明で
ある点」
一致点
「霧化部に位置する液体が静電霧化を起こす高電圧を印加する電圧印加
部を備え,当該電圧印加部の高電圧の印加によって,水を静電霧化して,
相違点
a 相違点10d
「本件訂正特許発明3は,水を静電霧化して帯電微粒子水を生成し,
花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかと反応させ,当該花粉抗原,黴,
菌,ウイルスの何れかを不活性化する帯電微粒子水による不活性化装
置であるのに対し,甲10発明2は,帯電微粒子の液滴が,花粉抗原,
黴,菌,ウイルスのいずれかと反応し,それらの何れかを不活性化す
b 相違点10e
「本件訂正特許発明3では,大気中で水を静電噴霧し,帯電微粒子水
は,室内に放出されるのに対し,甲10発明2では,大気中で液体を
静電霧化するのか,また,液滴が室内に放出されるのか明らかでない
点」
8
c 相違点10f
「本件訂正特許発明3では,帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのい
ずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対し,甲10発明2では,
前記 ⑤の結論を導くに当たり,審決が認定した甲11発明1及び2の内
容,甲11発明1と本件訂正特許発明1及び甲11発明2と本件訂正特許発
明3との一致点及び相違点は以下のとおりである。
ア 甲11発明1及び2の内容
甲11発明1
「空気中で水を静電霧化して,0.001μm(1nm)程度の大きさ
である,小イオンを生成し,集塵する方法であって,前記小イオンは,
室内に供給され,さらに,前記小イオンは,水の分子に極小イオンが結
合して水分子のクラスターを核としている,小イオンによる集塵方法」
甲11発明2
「放電電極を兼ねる水管の先端から滴下する水滴がコロナ放電により微
細な水滴となって霧散する高電圧を印加する高圧電源とを備え,該高電
圧の印加によって,空気中で水を静電霧化して,0.001μm(1n
m)程度の大きさである,集塵するための小イオンを生成し,前記小イ
オンは室内に供給される装置」
一致点
「大気中で水を静電霧化して,帯電微粒子水を生成し,室内の空気を清
浄化する帯電微粒子水による方法であって,前記帯電微粒子水は,室内
相違点
9
a 相違点11a
「本件訂正特許発明1は,帯電微粒子水の粒子径が3~50nmであ
るのに対して,甲11発明1は,小イオンの大きさが1nm程度であ
る点」
b 相違点11b
「本件訂正特許発明1は,帯電微粒子水を花粉抗原,黴,菌,ウイル
スのいずれかと反応させ,当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れか
を不活性化する不活性化方法であるのに対して,甲11発明1は,小
c 相違点11c
「本件訂正特許発明1では,帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのい
ずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対して,甲11発明1で
は,小イオンがそのようなラジカルを含んでいるか不明である点」
一致点
「霧化部に位置する水が静電霧化を起こす高電圧を印加する電圧印加部
を備え,当該電圧印加部の高電圧の印加によって,大気中で水を静電霧
化して空気を清浄化するための帯電微粒子水を生成し,前記帯電微粒子
相違点
a 相違点11d
「本件訂正特許発明3では,帯電微粒子水の粒子径が,3~50nm
であるのに対して,甲11発明2では,小イオンの大きさが1nm程
度である点」
b 相違点11e
10
「本件訂正特許発明3では,帯電微粒子水が,花粉抗原,黴,菌,ウ
イルスのいずれかと反応させ,当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何
れかを不活性化するためのものであるのに対して,甲11発明2は,
c 相違点11f
「本件訂正特許発明3では,帯電微粒子水が,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのい
ずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対して,甲11発明2で
は,小イオンがそのようなラジカルを含んでいるか不明である点」
第3 原告主張の取消事由
以下のとおり,審決には,粒子径に関する明確性要件の判断の誤り(取消事
由1),粒子径に関するサポート要件の判断の誤り(取消事由2),静電霧化手
段に関するサポート要件及び実施可能要件の判断の誤り(取消事由3),甲1
0を主引例とする進歩性の判断の誤り(取消事由4)及び甲11を主引例とす
る進歩性の判断の誤り(取消事由5)があり,これらの誤りは審決の結論に影
審決は,本件訂正特許発明における「粒子径が3~50nm」とは,凝集
していない個々の粒子のほぼ全てが粒子径3~50nmの範囲に分布してい
しかし,審決は,甲10において静電霧化により生成する液滴の粒径分布
が非常に狭く単分散性が高いことを前提としているが,本件特許の特許請求
の範囲には,粒子のほぼ全てが上記範囲内にあるか否かは何ら記載されてい
ない。
そして,「粒子径が3~50nm」と幅をもって表現された場合に,その
上限,下限の値が,平均粒子径の幅を示しているのか,D50(頻度の累積
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が50%になる粒子径〔メジアン径〕)の幅を示しているのか,ピーク値
(最大ピークとなる最頻出値)の幅を示しているのか,様々な解釈があり得
るところ,本件特許明細書には,どのような幅を示しているのかの説明はさ
れておらず,本件特許明細書の記載を参酌しても,上記の幅は不明確である。
現に,本件特許明細書の記載を参酌した場合,粒子径の範囲の解釈につい
ては,その記載箇所に応じて,ピーク値の幅と解釈したり(【0024】,粒
子のほぼ全てが範囲内にあると解釈したり(【0038】)する余地があり,
そうすると,「粒子径が3~50nm」との記載については,本件特許明
細書の記載を参酌しても,複数の意味に解釈される余地があるから,本件特
審決は,本件特許明細書【0013】,【0024】及び【0052】の記
載等から,帯電微粒子水の粒子径の上限は,粒子の空間内への拡散性や人の
肌への浸透性の観点から100nmが好ましく,抗原の不活性化の作用や空
気中の湿度に影響を与えないという観点から,50nmが好ましいこと,ま
た,粒子径の下限は,粒子の寿命と抗原の不活性化の作用の観点から3nm
が好ましいことが把握されるから,本件特許明細書に実施例として示された
ものが,20nm付近をピークとして,10~30nmに分布を持つ帯電微
粒子水のみであったとしても,粒子のほぼ全てが粒子径10~30nmの範
囲に分布している帯電微粒子水であれば,室内への拡散性が良いことや,長
寿命であること,抗原の不活性化の作用を奏しつつ,空気中の湿度調整に影
響を与えない等の作用効果を奏することは,当業者が明細書及び図面の記載
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そして,「粒子径が3~50nm」の意味はピーク値の幅と解釈する余地
が十分にあり,そのように解釈した場合,本件特許明細書には3~50nm
のうちの20nm付近の粒子径についてしか長寿命化と不活性化効果が示さ
れていないのであるから(【0042】,【0045】~【0048】),かか
る実施例を本件訂正特許発明の全体まで拡張ないし一般化することはできな
い。
「粒子径が3~50
nm」との数値は,本件訂正特許発明の課題を解決する作用効果に直結する
重要な数値であるところ,本件特許明細書の実施例には,粒子径3~10n
m未満の部分と粒子径30nm~50nmの部分のいずれについても,長寿
命化という効果を裏付けるデータの記載はない。また,3nm及び50nm
をそれぞれ下限値及び上限値とする不活性化効果については記載されている
ものの,それを裏付けるデータも記載されていないし,帯電微粒子水の長寿
命化についても記載されていない。
したがって,本件特許明細書の具体的な実施例をもって,「粒子径が3~
50nm」の全体についてまで長寿命化と不活性化の各効果が存在するもの
と理解することはできない。
被告は,粒子径3~50nmという数値限定につき,帯電微粒子水の粒子
径を本件発明の課題目的に沿って最適化したものであって,当該上限,下限
値が課題目的を達成し,顕著な作用効果を奏する臨界的意義を有する数値と
いうわけでないから,具体的な測定結果をもって裏付けられている必要はな
い旨主張する。
しかし,本件訂正特許発明の出願時の技術常識に照らすと,本件訂正特許
発明の特徴的な部分は,静電霧化で発生させて殺菌等に用いるラジカルとし
13
て,粒子径が3~50nmの帯電微粒子水に含まれたラジカルを用いる点に
あり,かつ,上記粒子径は,長寿命化と不活性化の双方の技術的課題達成の
授業にするっていうことそれ自体はいいんだろうけど、現在の小中学校教諭にマイケル・サンデル並の教育能力を求めなきゃ意味がないとも思う。
例えば船に乗ってるときに事故にあって、自分は浮いてる木につかまってれば救助されそうなとき
近くからその木をめざして泳いでくる別の人がいたときに逃げたり追い払ったりするのは画一的に評価すれば道徳的に悪=不正解なのってことになちゃうじゃんね。
口先では「自分が溺れても他の人を助けます」なんていくらでも言えるんだし。
日本人は建前と本音の使い分けが上手だから実際にそうなったときに「そうはいっても自分の命って大事でしょ?」とか笑顔で同意求めるのかもしれないけど、それって道徳の授業にする意味ないじゃん。
つーかただの受験科目か推薦のための点稼ぎに落着いてただの天下り先が増えるだけじゃん。
どうせ道徳を授業にすんなら、行為のどこが正しくてどうしてそう考えるのかっていう論理とか哲学とかの分野に踏み込まないとお偉いさんの言ってるような効果ってのぞめないんじゃねーの。
要するに、無駄なことやめろって言いたいだけだけど。
高校の進路相談のときに引っかかってたことが子育てを始めて改めて実感できた。
実社会で様々な職業を経験したことのない人間にどうしてぼくの将来の適正がわかるんだろうってずっと疑問だったけど、やっぱり彼らには分かってなかったんだ。
彼らは予め用意されている正しさに従って行動することしかできないのだから当然だ。
実社会に出てみれば正しさなんて視点を変えればすぐにひっくり返るものだし、今の世の中なんて正しさを追い求めているうちに価値観そのものが変わってしまう早さで進んでるじゃないか。
実証された正しさしか正しさの基準を持っていない彼らには、未来はもちろん今を生きる人間の評価なんてそもそもが不可能だったんだ。
別にそれで先生や警察を恨むなんてことはしないけど、それでも画一的な判断基準で世の中を運用しようとすることはもう限界を迎えている。
解決を伴わずアカデミズムを振りかざす人間が使えないことはもうみんなわかったよね。
ちょっとこの2つの職業は根本から考え方を変えないと世界が本当にダメになってしまう。
みんなそれでいいと思ってるの?
大して面白くもない話ですが、わたしの片思いの話を聞いて下さい
彼女と初めて出会ったのは、わたしが担当していたグラフィックデザイン部署の立ち上げで行なった採用面接でした
当時はまだわたしのいる業界にはデザインという概念がなく、あっても実に画一的なステロタイプのつまらないものばかりでした
そのため採用はできるだけ業界の知識や経験がない人材を選ぼうとはじめから決めていたのです
そんな中あらわれた彼女は服装こそ普通だったものの、色白な顔に細く釣り上がった眉と濃いめのアイラインに囲まれた意志の強さを感じさせる瞳を覗かせ、サイドを少し長くして輪郭を隠すようしたショートカットの妙な黒さが印象的でした
当時で21歳だった彼女はデザインの実務経験があったわけではなかったのですが、用意しておいたデザインに対する質問に最も的確に答えられたということから採用が決まりました
なぜデザインの知識を持っているのかという質問に対しては、学校で専攻していたことと、とあるロックバンドのファンで友人とステッカーやポスターなどを自作しているといった返答が返ってきたと記憶しています
その瞳がもつ印象の通り、彼女はこちらからの質問に対して一切の淀みを見せることなく最低限の言葉だけで返答を返してきました
仕事に私情を挟むものではありませんので選考理由は当然その能力にありますが、わたしの心のうちはとてもざわついていました
身長はわたしと同じくらいでしょうか
いわゆる男性の平均的体型であるわたしと比べれば彼女は女性として高い部類に入るのではないでしょうか
それに比べて顔は小さく手足はすらりと細く長く感じられ、体重で言うとわたしよりも20kg以上は少なかったかもしれません
面接中には、書類の上を軽快に走る触れれば砕けてしまいそうな筆をもつ透き通った指に思わず目を奪われていました
座っている時も終わって席を立つときも、凛とした背筋が美しく、実に奥ゆかしくわずかな膨らみを見せる胸が彼女がもつであろう潔さを一層強調しているようでした
そうして次々に姿を見せる彼女がもつ身体のパーツやそれらから繰り出される仕草は、どれもがわたしが理想としている女性に抱くそれと重なっていくことがわかりました
これほどまでに自分の理想と一致する女性がこの世に存在していることの驚きは、むしろ恐怖に近かったかもしれません
彼女との年の違いは7つ
今になってみればそんなルールが何の抑止力を持っていたのかも分かりませんが、これから新たな部署を立ち上げて会社を盛り上げようと先頭に立っていた自分にしてみれば、足並みが崩れてしまうことが怖いと思えてしまいました
それ以上に、彼女に自分を好きになってもらえるかどうかを考えることが怖かったのかもしれません
彼女の髪の黒さを妙に感じた理由は彼女の初出勤の時に明らかになりました
初めてスタッフとして勤務先に現れた彼女の髪は、お世辞にも綺麗とは言えない根本や毛先に黒の混じる金色をしていました
聞けば、面接の時は印象を良くしようと一時的に黒く染めていたとのことで、遅かれ早かれ発覚するならばと初日から隠すことなく出勤したとのことでした
そうした格好をする理由は、実のところロックバンドのファンにとどまらず熱狂的な追っかけであるために不可欠だとのことでした
わたしは採用した責任と彼女のデザイン能力に不安を抱く一方で、その金色の頭髪にも稚拙ながらも潔い行動にも、自分の心がつよく引き込まれていくことがわかりました
まるで蟻地獄に落ちていくアリのように、二度と這い上がることのできない運命を背負ってしまったような感覚に襲われて背中にひんやりとした何かがまとわりついてくるのを感じていました
意志の強さを感じさせる瞳は太めの縁とレンズの奥へと隠れてしまいましたが、わたしにはそのことで彼女のもつ美しさがより完成に近づいたのだと感じられました
もともとの感性が異なるのか、広告としての機能を満たしながらもどこか奇抜でいて尚且つ人を選ばないデザインが次々に生み出されていきました
それらは社の内外問わず高い評価を受け、わたしと彼女とで立ち上げたデザイン部署は見る間に会社にとって無くてはならない存在へと成長していきました
その忙しさは、同時にわたしから余計な考えを起こさないようにと時間を奪ってくれていました
仕事に関することでも彼女と話をするときには緊張を隠すことに慣れませんでしたが、わたしはそれでも彼女から嫌われるでも好かれるでもない距離を保ち続けることが出来ました
その間にもデザインスタッフの拡充を行なっていましたが、今まで営業本隊に所属する形だったデザイン部署がいよいよ単独の部署として独立することが決まったのです
今までは本隊と両立する形で管理に参加していたわたしは、新たに新規事業開拓のための部署立ち上げのメインメンバーとして抜擢され、彼女はメインデザイナーとしてそのままデザイン部署に残ることが決まりました
わたしにとっては栄転ですが、自分が同じビルではありながら彼女とは異なるフロアに行ってしまうことがわかると、それが何故か急に不安に感じられました
付かず離れずの関係を維持できていたと思っていたのが、離れてしまうことがわかった途端にじつは彼女が自分にとっての拠り所になっていたことが分かってしまったのです
どれだけ顧客にバカにされようと仕事でミスをして上司に叱られようとも、部屋に戻れば彼女が背を向けて座っていました
でも、彼女が黙って座っている凛とした背中がそこにあるということだけで、わたしは幸せを感じられていたのです
相変わらず濃いめのアイラインに囲まれた意志の強さを感じさせる瞳がメガネの奥に隠されていると想像するだけで、わたしは幸せを感じられていたのです
それからというもの、わたしは彼女を思うだけで胸が締め付けられるように苦しくなりました
以前にもまして触れてみたいという衝動にかられ、彼女が他の男性と話をしている姿を見ているだけで胸の奥に湧き上がる何かを感じました
しかし、だからといってわたしには何かするべきことが見つけられたわけではありませんでした
思いを伝えるには時間がかかり過ぎていたのです
目の前にただ完成された美が存在していたとして、ほんの僅かでも触れてしまうことでその美しさは失われてしまうかもしれない
わたしの中で、彼女を得ることよりも彼女を失ってしまうことの不安のほうがはるかに大きく育ってしまっていたのです
考えてみると彼女と二人だけで話をした最も長い機会は採用面接の時だったかもしれません
もとよりわたしは彼女との会話そのものを楽しんだことはなく、いつも仕事の話かその時に少しだけ世間話を交わすくらいの会話しかしたことがなかったことに今さらながら気がづきました
そのことに気づいてしまったと同時に、止めどない涙がわたしを襲いました
自分でも全く予測できなかったあまりにも突然のことで、どうしてよいかわからずとにかくトイレに逃げ込みました
わたしは自分の情けなさに涙し、自分の人を好きになるという気持ちの身勝手さに涙しました
それから数日、相変わらず彼女を思うと痛みを思い出す胸を抱えたまま新しい部署での生活がスタートしました
自分の情けない部分をまざまざと見せつけられてしまったわたしは、仕事に対する自信も失っていました
大した結果もだせないでいたちょうどその頃、突然母親から見合い話が舞い込んできました
どこかこのままではいけないと思っていたわたしは特別に断る理由もなく受けてみることにしたのでした
お相手の女性は、デザイナーの彼女とは正反対のような実に快活とした健康的な女性でした
偶然にも共通の趣味の話で盛り上がり、その後も断る理由が見つからないまま数回の食事を共にしました
彼女はよく笑うとても魅力的な女性で何事も前向きに捉えられる明るい性格をしていました
そうして結局断る理由が見つからないまま、お見合いから半年後に結婚式を挙げることになりました
どこかで、もしかしたらこれで彼女のことを忘れられるかもしれない、本当に理想とする人はお見合いで出会ったこの女性なのかもしれないと考えていたかもしれません
会社での結婚の発表は部署ごとに部屋を訪れてまとめて行いました
たった半年で結婚を決めたことから突然のことに驚きを隠せないという言葉やお祝いの言葉が多数投げかけられましたが、そのほとんどはわたしには届いていませんでした
なぜなら、次に訪れるデザイン部署にいる彼女のことばかりを考えていたからです
考えてみればこれは片思いです
彼女にわたしの気持ちを伝えたこともなければ、彼女がわたしに好意を持っているだなんてことも聞いたことがありません
今さら思い悩んだところで何も解決しないしそもそも思い悩む事自体が無意味なのです
そうして自分に言い聞かせながらいよいよ彼女のいる部屋の扉に手をかけました
扉の向こうからわたしの目に飛び込んできたのは相変わらず凛とした美しい彼女の背中でした
わたしはその美しさに見惚れてしばらく声を出せないでいたかもしれません
最もシンプルに結婚の報告の言葉を並べることだけがそのときのわたしにできた精一杯でした
ただ、結婚という言葉が響いた時に彼女の背中が少し反応したかのようにも見えました
わたしが反応してほしいと願っていただけかもしれません
でも、いつも見惚れていた背中だからこそ他の誰一人として気がつかないような小さな変化を見つけられたのだと信じることにしました
それから数年がたち、今では二人のこどもに恵まれることができました
妻のことは愛しています
一人の女性としてももちろんですが、それ以上にもう家族として失うことのできない大切な存在です
だけど、未だにあの凛とした美しい背中はわたしの理想の背中であるし、触れれば砕けてしまいそうな透き通った指も、実に奥ゆかしくわずかな膨らみを見せる胸も、色白な顔に細く釣り上がった眉と濃いめのアイラインに囲まれた意志の強さを感じさせる瞳も、それを奥ゆかしくも引き立たせるメガネも、相変わらずわたしのもっとも理想とするままであることも事実です
それは10年が経って尚、より美しさを増していくようでも有ります
もしあの時、自分の気持ちを彼女に伝えていたらこの背中は美しいままだったのだろうか
もしあの時、彼女を採用しなければこんなにも思い悩むことはなかったのではないだろうか
もしあの時、わずかに反応した背中の理由を彼女に聞くことができたら何かがかわっていたのではないだろうか
人から見れば仕事も順調で結婚もして子宝にも恵まれてまさに順風満帆な人生かもしれませんし、本当にその通りなのだと思います
相変わらず焦がれる胸を抱えては、デザイン部署を訪れるたまの機会に凛と美しい彼女の背中に目を奪われています
わたしはついぞ片思いをおわらせられずにいました
ちっぽけなアリでは登り切ることの出来ない砂の坂を落ちることも登り切ることも許されないまま、ただひたすらに命が尽きるまでもがき続ける運命を背負ったままの毎日が続くのです
でもそれは苦しみではありません
今はもう話をする機会すら失ってしまった美しい背中のその向こうで、濃いめのアイラインに囲まれた意志の強さを感じさせる瞳がメガネの奥に隠されていると想像することだけが、今のわたしに許された最も幸せを感じられる瞬間なのです
ところが最近になって、この苦しみから逃れられる方法を見つけることが出来たかもしれません
きっかけは2ヶ月ほど前にわたくしを襲った衝撃的な出来事でした
もしこれが実現できれば、彼女も妻も傷つけることなくわたくしは最高の幸せを手に入れることが出来るかもしれないのです
サイコパスのAO義塾塾長の文章に突っ込み入れるンゴwwwwwww
全文は http://aogijuku.com/tk2016/
今回の一件で悶々とする中で、改めていま私が為すべき事は何かと考えた時、
それは「AO入試を通して、全社会を牽引していく先導者を輩出していく」という原点を貫き続けていくことだと、思い至りました。
→勘違いやぞ
自らの頭で考え、行動することを身につけていくことをサポートしていきます。
→まず学力つけるのが第一なんだよなあ
そして、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、
それは今回の一件でも痛切に感じました。
それでもなお、私はAO入試が、これからの日本社会にとって欠かせない入試形態の一つだと私は確信しています。
AO入試では、大学から受験生へ必ず「志(=大学で学ぶことへの目的意識)」が問われることになります。
「志」を抱くには「意識」が欠かせない
そして「志」を抱くには、
だから私たちが「意識が高い」と嘲笑されることは避け難いこととも言えるのでしょう。
しかし、これからの日本には社会への「意識」が高い人々が「異端」として嘲笑されてしまう少数派であってはならないと思います。
これからを担っていく高校生にとって、そしてひいては日本人全体にとって、
「社会への意識が高いこと」を普遍的なことにしていくためには、
AO入試という入試形態が社会の教育装置として不可欠だと僕は思っています。
とんだ思い違いやね
社会問題を解決していく、社会への高い意識を持った担い手こそ必要です。
→まあわかる
その担い手を育てる仕組みの一つこそ、私はAO入試なのだと思います。
一方で、一点刻みの受験戦争を勝ち抜くには、
社会へ関心を持つよりも、机に向かうことばかりが奨励されてしまいがちです。
→いかんのか?
もちろん、机の上での勉強や学力を身につけることは極めて重要です。
しかしその重要性は、勉強や学力は「手段」であることに対してであり、それ自体が「目的」ではありません。
→意味不明
点数のみで評価することは、手間がかかりません。
→根拠なし
大学での学びも「手段」であって、入学することが「目的」ではないはずです。
→一時的な目的を達成して、それから手段としての学びを行うことの何が悪いのか
高校生達が大いに学問することへの、それぞれの「目的意識」が最も大切です。
その目的意識を問い、社会全体で育てようとするのが、AO入試です。
このAO入試の可能性を活かして、
「ゴール地点」ではなく「スタート地点」へと描き直していきたいのです。
→一般入学者は大学入学がゴールとかいう妄想を押し付けないで下さい(迫真)
やはり、AO入試で入学するには、意識が高いことが求められます。
要するにバカってことやし
むしろ、意識が高いことで嘲笑されてしまう日本社会の現状こそ、最も正さなければならない深刻の病理だと、真面目に思っています。
そんなこと真面目に思ってるなら真性のバカやな
本来ならAO入試の導入に合わせて、学校が変化するべきでした。
学校がAO入試のサポートを万全に行ってくれるのなら、AO義塾の出番など必要なかったと思います。
学校という教育機関に、高校生達のAO入試への挑戦をサポートしてもらうことを期待するのは難しいのが実情です。
AO入試に挑戦する高校生をサポートするコミュニティを創りたいと決心しました。
幸いなことに、AO義塾は毎年、合格実績の過去最高記録を更新し、
本年度のAO義塾4期生も既に慶應義塾大学に150名以上合格することが出来ました。しかしそれを支えたのは、既存の塾・予備校の概念ではありませんでした。むしろ、全くその逆の概念でした。
→AO用の意識高い実績作りのための団体まで用意しているもよう
教える側、教えられる側という関係でもなく、
茂木健一郎とか
200人の塾生がいれば、200通りの志があります。
みんなそれぞれ、違う色、違う形をしています。
それが私たちにとっての誇りです。
合格を目指しません。社会に貢献出来る人材を輩出することを目指します。
そして、この信念は揺るぎません。
安定した時代には、常識的なライフコースというエスカレーターがあり、
それに乗っていれば、社会のことなど考えられずにいられました。
自らの頭で考え、行動出来なければ、一寸先は闇な時代です。
でも、そんな不安定な時代に生まれた私たちのような世代だからこそ、
スリリングだけれども、わくわくするような人生を送れる世代です。
明日がどうなるのか怯える人生より、明日を切り拓いていく先頭に立つ人生に、僕たちの世代はしたい。
※ポエム終了
そしてそれは全てAO入試に挑戦することで得られる学びです。
時代の転換に合わせてそろそろお役御免です。
こうした背景を考えれば、
やはり、新しい学びの場が不可欠です。
AO義塾はその新しい学びの場たらんと、
そして再出発の第一弾として、
「社会問題を考えるワークショップ」を12月26日(金)に開催します。
皆さんと一緒に「考える」機会としていきたいと思っています。
対象は高校生ですが、参加人数によっては、大学生の見学も受け付けます。
こうした企画等を通じて、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、
ぜひ意欲溢れる、才能の原石である高校生の皆さんのイベントへのエントリーをお待ちしております。
それは「結果」で示してみせます。
斎木陽平
全体的に文章が下手で草生えた
なぜかこいつは脳内で一般入学者を大学入学がゴールの「意識低い人間」に仕立て上げてるんだよなあ
日本の労働環境について初めてネットでセンセーションを起こした海外ニート氏であるが
彼の「シンガポール天国だぜ!」にだまされて被害にあった人も少なからず居ると思う。
間違ったシンガポール感をもってシンガポールに来る人が居るといけないのでシンガポールのリアルを書いておく。
まずは悪いところからいってみよう。
ちなみに1SGDは大体90円ぐらい。
★悪いところ
●家賃が高い
ワンユニット借りる場合は3000SGDぐらいする。一部屋の間借りでも700SGDぐらいから、日本みたいに安いアパートはない。
さらに一人暮らし用のアパートもない。駐在員でもない限り間借りが必須である。もちろん知らない人と同居するので
さまざまなトラブルに見舞われかなりの人が1年で住居を変わるが、替わった先でもトラブルに見舞われる。
●住環境が悪い
金融外資のエリートや上場企業の駐在員の住むコンドミニアムならともかく、一般人が住むような場所だ日本に比べて
機能性の悪い汚いHDBと言うぼろいアパートしかない。せめて安ければいいが前述の通り高い。
やたらと緑が多く、一般の住環境まで侵食している。住居の近くに店も少なく。都会に住んでいながら田舎以上の
不便さを感じる。都市は歩いてもしくは自転車で移動できないように設計されており、歩道スペースがつぶされて
芝生が植えられている。東・東南アジアの中で駐在員待遇で単身赴任するなら選びたくない都市に入ると思う。
●車が高い
車の値段は日本とほとんど変わらないが、同じ程度の税金を払う必要があり約二倍になる。
●食事がひどい
アメリカなどに次ぐひどさである。3から4SGDで食べることはできるが高カロリー・低栄養価の酷い食事で1年以内に体調不良につながる。
栄養不足からか女でも脱毛が酷く禿げた女がやたらと多い。健康な食事を食べたければ金融街にでも行って20SGD以上は出す必要がある。
自炊しようとしても賃貸は自炊さえ禁じられているようなところが殆どである。
●女がデブ、化粧もしない
上記の理由により女がデブである。化粧もしない女も多い。たまにかわいい女もいるが日本や他国のほうが圧倒的に可愛い率は高い。
永住権という名前のVISAは存在するが、実は長期滞在VISAである。時々更新されないことがある。
長期滞在VISAに過ぎないのに2世目からは兵役に行かなくてはいけない。
シンガポールにはキチガイがいない。少しでもおかしな人間は発達障害のレッテルを貼られ幼い段階で社会から阻害される。
街にはDQNが存在せず、最もやばいやつでもいきがってる勘違い君ぐらいのやばさしかない。
DQNなんて必要ないと思われるかもしれないが優れた企業家や芸術家はどこか頭のいかれたやつが多い、たとえばジョブスなんかは
ドラッグやりまくりだが、あれだけの大企業を作り上げた。シンガポールはDQNを排除しているので優れた町並みを作れる奴がいないのである。
上記の理由とほぼ同じ、文化を担うようなやつは必要とされない。
●実は町は汚い
綺麗というのはいわゆる観光客が多いところだけである。シンガポールがごみの投棄にやたらと煩いのは投棄するやつが異様に多く制御できないからである。
●軽犯罪は多い
次はいいところいってみようか
★いいところ
徹底的に管理された道路状況により、朝の通勤ラッシュでさえ渋滞が発生することは少ない。
●タクシーが安い
大体15SGDから20SGDぐらいでいきたい所にいける
●重大犯罪は少ない
ほかのアジア諸国と比べて給与相場は高い。NUS等の(日本のMARCH・宮廷下位に相当)上位学部を卒業すれば新卒で4000SGD貰える。
●労働環境がいい
体調不良には病休があり有給休暇とまた別に存在する。有給休暇もしっかり消化できる。転職しても裏切り者扱いされない。変な派閥圧力が少ない。
まとめ
シンガポールがすごい所と思ってくるとイライラする。物価の高い発展途上国と言うのが正しい認識だ。駐在員待遇なら香港あたりに住んだほうが
よっぽどいいだろう。シンガポールに来るのは基本的に駐在員以外では2流人材。1流の人材はもっといい所へ行くし、3流の外国人は(まともな待遇では)入国できない。
ほかのアジアの首都より生活サービス全般に質は低いが労働環境はアジアではいい。2流の人材が必死で働けば普通の待遇は用意される。
結局、自分達が欲しているものは、ほとんど企業が売り込んでいるものだと分かったw
当たり前ではあるが、捉えようによっては、けっこうキツい。
「自分の判断で選択した」と豪語していたものも、巧妙な宣伝で選ばされていただけだと気づいていくわけだから。
しかも最近は統計データも駆使しているから、人間の好みさえ「数字」になってしまう。
何ていうか幼少期の自分の夢や願望をすべて否定された感じ。俺という存在もその選択も数字の一つに過ぎない。
競馬のデータ分析をすると、予想屋の予想がほとんど幻想だと気づくのと似たようなものかな。
下手な予想に従うぐらいなら、統計に基づく画一的な打ち方の方がまだマシだったりするし。
営業や広告の世界は、そういうのを何とも思わないサイコパス気質の合理的な人間の方が向いているな。
昔の私を見ているようです。
「自分と他人のズレに気付いている」から、辛くなってしまうんですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20141030020525
この日記を書かれた方に、何かしらお伝えしたくなりました。
書きたいことをつらつら記しただけの、まとまりのない文章になってしまいましたが…
何かの参考になれたら幸いです。
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「自分の当たり前が世間の常識とずれている」と気付けなかったせいで、
でも、実はそれと同じくらい、私自分も苦しみ、辛く悲しく傷ついてきました。
(そうか、自分の欠点に気づいてから、もう10年近くなるのか…)
今は、「自覚のある当事者」として、おだやかに生きていく方法を模索しています。
自分の欠点をおぎなう努力はもちろん、人に気配り・感謝を忘れず、自分にも無理をさせすぎず…
まだまだ課題は多いですが、生きることが少しずつ楽になってきたと感じます。
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行ったら、なにかしらの診断は出ると思います。
でも、そこから先、「苦手を抱えながら、どう生きていけばいいか?」というお悩みを解消してくれるような先生はなかなか見つからないかも…。
また、下手なお医者にかかってしまうと、精神病と混同されて精神薬を処方されたりします。
お薬を一旦飲み始めて、次の診療で「まだ辛いです」っていうと、処方が増えたりします。
どうしても薬を飲みたいんだ!という時には、漢方薬がよいかもしれません。
こういう時、病院以外に相談できるところって、中々みつからないですよね。
気軽に話ができる環境がみつかれば、いいですね。
(変な壺とか水とかオーラとか、怪しげな商法にも気をつけてくださいね。)
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だったら、フリーランス・個人事業主っていう生き方もありますよ。
職場や通勤での辛いなにかを我慢しすぎて、自殺を考えてしまいそうになったら、
「一人で金を稼いで生きていく」道もあるっていうことを思い出してみてください。
開業するならコミュニケーション能力も磨かないといけません。
そのためには自分で自分を支え成長させる努力が大切になります。
(それができねーから苦しいんだろー!と突っ込まれるかも…^^;)
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作者さんは、どうして準備を前もって出来ないのかとか、物をなくすかとか、「原因を分析」されたことは有りますか?
例えばものの置き場について。
作者さん、たとえば小学生の時に、鉛筆やプリントをなくしたこと、よくありましたか?多分、答はイエスだと思います。
では「上履きを毎回違うところに置いた」って経験はありますか?多分、答はノーだと思います。
定位置をしっかり覚えているからではありませんか。
つまり、(努力次第ですが、)意識を何度も何度も繰り返せば、あなたはなんでも片付けられるようになりますよ。
生活パターン(ルーティン)を分析して、「置き場を設定」しましょう。
自分の生活動線を把握したり、モノの置き場をクセづけるまでが大変なんですが、
「本当に改善したい」と思われるなら、張り紙でもなんでもして覚えましょう(^^)
鍵は玄関のここ、服は(脱ぎっぱなしでもいいから)部屋のここ、というふうに、
「モノの住所」を決めておくだけなんですが、結構部屋がスッキリしてきますし、「アレどこだ?」でイライラすることも減りますよ。
自然と体が覚えてくれて、そのうち無意識に定位置へ戻せるようになります。
(ただ、眼鏡は不意に脱着するから、「メガネメガネ」は私もまだよくやります。笑)
自分が何を持っているのか覚えていないほど、物を多く持ちすぎている時は、整理しましょう。
「断捨離」「ときめく片づけの魔法」などの考え方がある程度参考になります。まとめや解説サイトなどを御覧ください。
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洗濯物をたたむ時間がなが~いっていうのも、すっっっっごくよくわかります。
タイマーを使ってみませんか。
5分でも3分でもいいので、「このタイマーが鳴るまでたたむ」と決めて、たたんでみるんです。
好きな音楽をかけてもいいかもしれません。
タイマーがなったら、一旦休憩してもいいし、やる気があれば続行してもいいです。
私は、やる気がでない作業の時は、タイマーや曲をつかって、「ゴール」を決めてから行動しています。
-----
片付けや準備のスキルに関しては、育った家庭環境の影響もあるかもしれません。
私の場合は、両親・祖父母共に掃除や整頓がとーーーっっっても下手な環境でした。
(例:冷蔵庫には賞味期限切れのあれこれがどっさり、タンスは常にぎっちぎち、部屋中モノであふれて床が見えない)
まともな「掃除の概念」を持たないまま大人になり、アルバイトや職場でやっと
「へー、掃除ってこうするものなんだー」と常識を知っていったような感じです。
もしも、作者さんに何か心当たりがあれば、それは「障害のせい」ではなく「家庭の影響」なのかもしれませんよ。
ちなみに私は昨年まで汚部屋の住人でしたが、今は掃除大好き人間です。
何歳になっても人は変われると、声を大にしていいたいです。
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人付き合いが苦手とか、ひとつの分野に集中しすぎるとか、得手不得手は色々あると思います。
多くの人が楽しいことでも、私はぐったり辛い…ってこともありますよね。
多くの人を比べた中での「少数派だから」という理由で特別視されやすいだけだと思うんです。
発達障害は、ある意味「作られてしまった障害」なんじゃないかな~と感じてます。
「自分の普通」が、普通に通じるところで暮らせるなら、全然辛くないんですよね。
まぁ それがなかなか、難しいんですけどね(^^;)
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ちなみに、「障害」っていう言葉は、脚を切断したとか失明したとか、不可逆的なものっていうイメージがあるんですよね。個人的に。
でも、ある程度軽度のアスペルガーとかADHDとかは、思考や行動パターンを調整していくことで、徐々に生きやすくなれると思うんです。
可逆的、といっていいのかな。
良くしていけるものだから、「障害」と断言してしまうのは、なんかしっくりきません。
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それと同じように、「多数派との”ずれ”を補正する手段」があれば、生きやすくなる気がしています。
いまの日本では、その「補正ツール」たりうる何かが流通しきれていないから、苦しんでいるだけなのかも。
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「人の目を見つめるのが苦手」な人と「血を見るのが苦手」な人がいたとして、
「その苦手と向き合う機会が多くて」かつ「そのせいで社会的な損をする」リスクが大きいのは、おそらく前者ですよね。
苦手なことには人それぞれ違いがあるっていう、それだけのことなんだけど…
画一的な社会では、そのズレが許容されにくいみたいなんですよね。
誰しもが感覚に違いを持っていて、ある種の過敏性を持っていると思うんです。
「パクチーが食べられない」「強い光が苦手」「テレビを付けないと寝られない」「人混みが嫌い」とかね…いろいろあるでしょう…
その特性が、社会的に損をするかしないかは、ただの運次第じゃないのかな…
いまはコミュニケーションが出来ないと損をする社会だから、対人関係の行為に苦手があるひとが、損をしやすい。
それだけじゃないかと思うんです。
だから、発達障害の疑いや診断がある人は、「へーそうなんだー」くらいで気楽に受けとめていいんじゃないかなぁ。
必要以上に自分を追い詰めて鬱々としたり、劣った人間だと思い込む必要は無いんじゃないかなあ~と思ったりします。
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(私自身の体験や特性については、テーマからそれるので割愛します。)
私は小中高と学校生活で苦しんだ末、鬱で登校拒否・引きこもりとなり精神科に駆け込みました。
ある所ではうつ病、ある所では自律神経失調症…と、医師によって変わる診断と処方箋に右往左往。
数件目の病院でやっと「発達障害」の話を切りだされ、ショックと同時になぜか安堵したのを覚えています。
それからは、むさぼるようにネット・書籍・論文などから情報を探しまくりました。
WISC-IV 知能検査を受けて、自分のIQを知ったり、「はー、この分野は得意で、この分野は不得意なんだな」という分析は出来ました。
でも、「それだけ」でした。
私はてっきり、知能検査を受けた後には
「あなたが持つ弱点は、こんなシーンで困り感をまねきやすいです」
「だからこういう風に考えましょうね」という風に、
具体的に解説してもらえるんだと思い込んでいたので、なんだかがっかりしちゃいました。
その間1年ほどは、医師に言われるがまま通院していました。
しかし抗鬱剤をどれだけのんでも、苦しみの原因はなくなりません。
「どうして苦しいのか」、根本から解き明かさないと、一生苦しいままだと分かりました。
自分自身と社会のズレ・偏りはなにか、自力で研究を始めました。
そして気付けば10年近く。
これが早いのか、遅いのかはわかりません。
確かなことは、年々生きやすくなってきた、ということです。
また、曲がりくねった人生の中で、世界に一人だけ心から愛せる人と巡り会えました。
この人さえいてくれたら、もうそれだけで十分に幸せだと感じます。
その人に恥をかかせたくないから、きちんと生活できるようになろうと決めたことが、私を変える大きなきっかけの一つになったのでしょう。
苦手なことも、愛する人のためなら頑張れる、それが私の力強い支えになっていると思います。
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作者さんが私の日記を呼んでくれるかどうかは分かりませんが、
こんなやつもいるんだよってことに気づいてもらえたらいいなと思います。
苦手なことを「発達障害だから」と断言してしまうのは簡単です。
が、光のプリズムのように、その強弱は加減できることもあるんです。
変わりたいと思ったなら、きっと変われます。
でもどうか無理をしすぎずに。
苦しい時もありますよね。
お互いがんばりましょう。
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http://anond.hatelabo.jp/20141031142843
読んでくださった方、コメント下さった方、みなさんありがとうございます。