例のプロゲーマー志望だのドローン少年だのについての考えが少し脳内でまとまってきたので出力。
結論から書くと、悪い大人が子供に玩具を与えて自分たちの玩具にしているというのは問題の小さな一面で、大きな問題は「普通の大人」を自称する人達が子供達に気持よく努力して他人の期待に応えられる機会を与えきれていない事なんじゃないだろうか。
「悪い大人」にお小遣いを貰っていた子供がどうしてそんな怪しい大人に導かれていったのかを考えると「自分が行動する→誰かがそれへのはっきりした反応を返してくれる」というループが心地よい形で続いていたからだと思う。
世の中にたくさんいる「普通の大人」が子供に要求するのは「画一的な勉強」や「根性論の塊なスポーツ信仰」を始めとした「それで全ての子供が気持よく頑張れるかどうかなんて知ったこっちゃない」ようなものばかりだ。もちろん上手く行かなかったら「そんなんじゃ社会じゃやっていけない」「この程度の事も出来ないのは流石にクズ」と言葉によって尻をさんざん蹴り上げられる。
そして「ゲーム」や「実況」と行った行為でいくら努力しても「くだらない」で吐き捨てる。もちろん「普通の大人」の中にはそうじゃない人も沢山いるが当然逆も多い。
対して「悪い大人」は子どもと一緒になって馬鹿な事をやってその結果を一緒に楽しむ仲間になる。彼らは過剰すぎるほどの反応を示してくるわけだが、「普通の大人」が返してくる反応の薄さやその悪質さに疲れた子供はそれによって多いに癒やされてしまう。
ここに来て今更な話をするが、「好きなことをする→その結果が人に認められる→更に精を出す」、これは1人の人間にとって最高な事だ。これに異論があるという人はいないだろう。異論があるのなら後学のためにぜひとも教えてほしい。
大抵の人間はなかなかこの立場に辿り着くことが出来ない。出来たとしても僅かだ。自分だって増田を好きで書いているがそれでいい結果(ブクマ沢山うれしー)が出ることはそう多くない。ましてそれによって金が貰えたりはしない。結果を金に繋げて上手く行くのはまた一つ二つハードルが上がる。
大人にだってなかなか出来ないんだから子供がそのレベルで上手くループが回せるなんてまずない。友達同士でお互いを認め合うことはあってもそこで金を稼いだりなんてのは難しい。
そんな状況に「悪い大人」が現れるのだ。心がそっちに流れるのは当たり前だといえよう。
それを「悪い大人」が卑怯だと言う事は難しくない。確かにそれで一見すると問題は解決できるような気がしないでもない。だけどそんな事言って他人を止められるなんて事はまずないと言うのは歴史が証明している。
じゃあどうすればいいのか?
それは「好きなことをする→その結果が人に認められる→更に精を出す」のループを回せる機会をもっと子供に与えることだ。流石にお金を与える所まで行けとは言わないけど、せめて身近な子供が遊びで結果を出したらもっと認めてやっていいと思う。
もちろんそれは大人に対しても一緒だ。
いい年こいたオッサンがスプラトゥーンでSランクに行ったことで舞い上がってるのを見て水を差したり、ブログにずっとラーメンの画像を貼っているデブが美味い美味い言ってるのを健康に悪いだろと殴りに行く必要なんてないはずだ。
もっと皆他人がやっている「くだらないけど本人は楽しくやっていて人に迷惑はかかってない事」をいちいち批判して回る必要はないなんじゃないだろうか。
大人がまずお互いに認め合う。そして他人を認める癖が付いているから子供の遊びも認められる。それで子供は満たされて心に余裕ができて「悪い大人」が本当に「悪い」かどうかを判断出来るようになる。それでいいんじゃないだろうか。
「と思う」が多用されている事から分かるようにこれは気まぐれな思いつきなので、どうか優しい対応をしてくれると嬉しいけど同時にはっきりとした感想を述べてもらいたくもある。斧をしまって言葉の角を少しヤスリで丸めて投げてくれると助かる。
http://anond.hatelabo.jp/20160311193709 君の言ってることはわかるんだけど、そんなにが長々と語らなくても「勇気づけ」「勇気くじき」でググるといいよ あとはてなと社会はちょっと違うから...
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