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はてなキーワード: 洗礼とは

2012-11-20

ちょっと質問なんだけど

マニフェストって政権公約とか言われているけど、

政権が獲れなかったときマニフェストって、考慮するべきだと思う?

岡田民主党が郵政解散の時だったと思うけど、敗北したあと、

政権が獲れなかったんだから関係無い」って言い出したり、

その後に

参議院選挙政権関係ないんだからマニフェストには拘束されない」

って言い出したことがあるんだよ。

これを認めるなら、前回の総選挙で、例えば自民党マニフェスト世襲禁止を書いたのに今回破棄したのは何の問題もないし、

これを認めないなら、

実は民主党って岡田派と鳩山小沢派派閥抗争を繰り広げていて、

鳩山党首の時に岡田マニフェストを踏みにじって、全く別のものを掲げたことが非難されるべきなんだよ。

でも鳩山が辞任して風見鶏・管政権になって

(管って鳩山内閣時にはまず国家戦略担当大臣になって、閑職だったんだけどポスト鳩山を睨んでおとなしくしている、

ことのきはまだ小沢連携していた時期だった。しかし管が小沢を敵に廻す道を選んだ)

ワンポイント開いて、

野田総理になったら、市民派岡田とも辣腕・小沢とも違った、官僚従属姿勢を取ったんだよ。

から野田が今度作るマニフェストが、岡田マニフェストを継いでいるのか、鳩山マニフェストなのか、

それとも今までのどのマニフェストとも整合性のとれないものをつくるかの三択になる(全部乗せはここ)はずなんだが、

こういうことは考えなくていいのかね?

でも野田って、前原が党首だったとき幹事長なんだよね~。

永田を見捨てた人でなし前原番頭野田から国民が何をどう言っても、耳を貸さないだろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20121119225326

今度の選挙で、党首として国民洗礼を受けないのは、小沢を別とすれば前原だけになるのかな?

2012-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20120924214733

近代化にともない我々ジャパニーズは憎っき相対化の洗礼を受けて一元論世界観からの脱却を余儀なくされたのだ。昔は武士の子供は武士だったのだよ。

これに加えて満たされた豊かな生活は1つの目的に向かって強い決意を持続させるというスタイルも旧時代のものとなってしまったのだ。つい20年前までは。

だが今はどうか。たしかに今は生活が豊かでも10年後20年後の日本は確実に没落する。先行き不安で不幸になるという甘えた今の日本人精神とは全く打って変わって平和ボケ幻想ガラガラと大きな音を立てて崩壊する。

から今こそ求心力を取り戻して新時代の危機に立ち向かうべきなのだ若者よ。そんな未来のこと知ったこっちゃないと言わんばかりの顔してのうのうと生きているが

現実に知らず知らずのうちに不幸と災厄がふりかかっていることに気付けば思考回路根本から変わろうものを。なかなか気付かないのだ。

考えてみるがいい。目的が無いから張り合いがない。張り合いがないか日常の糞つまらないことにイチイチ惑わされる。日常の糞つまらないことにイチイチ惑わされるからますます目的が見えなくなる。悪循環ループなのだ

2012-09-10

リア充と、コミュ障と、そのはざまに

日本人は二つに分けることができる。リア充コミュ障である

リア充コミュ障についての一般的理解についてはすでに得られているものと仮定する。ところでこれは世界一般の傾向とは言いがたい。コミュニケーション力のあるなしは、たしか社会での成功につながったり、リーダーとして選ばれる資格ではあったりするものの、社会全体を二つに分けたりはしない。同じ趣味を共有する者たちは、リア充であろうとコミュ障であろうと仲良くする。同じようにリア充であっても価値観、例えば政治信条が違うなどすれば必ずしも仲良く話したりはしない。これは西洋社会のことを説明したのだが、アジア中東アフリカがそれぞれ違うかもしれないが、いずれにせよ世界で一般的な社会構造はいえない。

日本での特徴は、コミュニケーション力が高く集団リーダーになりうる人間に、その他大勢のある程度コミュニケーション力ある人間がコバンザメのように付着し、そしてその外的構造であるコミュニケーション力がかなり低い人間自分たちの場にいれないように蹴落とそうとするところにあると考える。ある種のコミュ力の低い人間、たとえば極めて知能の高い人間や有名スポーツ選手などはリア充集団に歓迎して迎えられるが、それはリア充集団が彼をどう捉えるかによって決定されている。つまり社会構造の決定因子はリア充クラスタ集団意思に拠っている。

ここでアニメゲームをはじめとするオタク文化考察すると、ここは実のところ必ずしもコミュ障アニメオタクという符号が成立しないことには、この分野に詳しい諸家はすでにお気づきのことと思う。大方コミュ障アニメ好きを許容し、リア充アニメを毛嫌いするような一般的合意があるように思われるものの、その結果としてリア充クラスタにおける「アニメ好き」趣向は、まるで韓国における「親日」と同じレベルタブークラスタからの脱落を意味しかねない極度にセンシティブな因子なのである。かくしてリア充構成員はたとえアニメ好きであったとしてもそれを隠蔽する傾向にあると推察される。一見すると強力に両クラスタ間を分別する因子がオタク文化のように感じられるかもしれないが、実のところ本質的な差異であるコミュニケーション力(あるいは空気を読む力)」に比較するとオタク文化の識別能力はさほど高くない可能性がある。リア充クラスタにおいて本来オタク文化を好む傾向を持つものは、宮崎アニメ好きやゲーム好きなどという仮の衣をまとっていたりすることがあろう。

ここでコミュニケーション力の高い人間の中でもリア充クラスタを引っ張るほどに実力の高いものには、上記のタブー要因が作用しないことにも注意したい。かくしてリア充リーダークラスに認められたオタク文化、例えばゲームであるとか、エヴァンゲリオンなどと言ったものは、一時的ではあってもリア充クラスタに受けいられることはある。しかしその発言権を有するのはリーダークラスだけであって、構成員はたとえエヴァンゲリオン面白いと感じてもそれを口にだすべきではないわけだ。

もしこれを読むリア充構成員が、そんなことはなくて本質的アニメなどくだらなくて毛嫌いすべきもの自分はどこまで言ってもあんなものを理解することはない、と思うとしたらそれは知性のなさを吐露するものと捉えられよう。どんな文化にもその文化の理解と経験からなる文脈的解釈があって、たとえば夏目漱石を読みたいたいならその背景のあの時代日本小説文化をわかっていないと凄みがないし、ゴダールを楽しみたいならヌーヴェルバーグについての一定の知識がないと到底わからないだろう。これらのマニアック趣味ならばこの発言はすぐに受けいられるが、これはたとえばレディー・ガガだって浜崎あゆみだって、「読モだって同じ事だ。「読モ」なんていうのはあからさまに文脈的文化であり、芸能界大衆一般文化特に女子高生文化との異常な接近を意味しているに過ぎず、これがたとえば欧米社会に言って受けいられるようなスター性がある人間たちだとは到底思えない。それはしかし逆も真であって、現在欧米セレブリティ普遍価値を持っているわけでもない。さら欧米であったって、日本アイドル文化の文脈を理解した者たちは、熱烈にモーニング娘を支持したりする。結局のところ文脈だ。そしてその文脈を理解した時、アニメ面白さというものが血となり肉となって味わうことができるのであるが、アニメの文脈を捉えようとしたことのないリア充が「アニメなんて子供のものでつまらない」と言った時、文脈をきちんと理解した時彼が同じようにつまらないと思うかどうかはわからない。本当はそのアニメの強力な支持者になりうる資質をもっていたかもしれない。

ここでまず第一の議論に入ろう。先日、プリキュア好きのアホな若者未成年略取の事件を起こした際、プリキュアを見るような成人男性は幼い女の子誘拐しかねないか監視すべきかという議論があった。ここで、金銭目的ではない幼女略取事件を起こすための決定要因はロリータ・コンプレックス存在にあるとする。これはいいだろう。

そらコミュ障ロリコン人間プリキュアを見ている。それは否定しがたい。相関も出るだろう。コミュ障ミリタリー好きな人エリア88を好むかもしれない、そういった趣味傾向の行先として当然の帰結であろう。しかし、リア充ロリコンは、上記の社会的プレッシャーによりプリキュア好きを公言しないか、もしくは好まないもののそれは文脈理解の不足によるもので、コミュ障と同じだけのアニメ文化洗礼を受けた上で見てみると、その人間本質的な趣向はプリキュアを是とする可能性がある。プリキュア視聴という因子は、リア充ロリコン人間を識別する能力を全く持たないと考えられる。

そこで、プリキュア視聴の幼女略取事件発生に関する精度が高いためには、コミュ障の条件付けでは相関があるものの、リア充の条件下では相関が出ないと思われることから、そもそも幼女略取を起こすのはコミュ障であってリア充は起こさないかもしくはとても可能性が低いという前提が必要だ。しかしこれは確認されていない思い込みである。過剰な前提であるコミュニケーション力の有無によって幼女性愛傾向が決まるというのは過剰な前提だ。そもそも幼女に話しかけてつれさってどこかで何かしようという行為コミュニケーションによって成立しているように思われる。

であるから現在情報をもとにプリキュア視聴によって幼女略取を推定できると考えられるとは思われない。しか研究対象としては興味深い。本当にコミュ障プリキュアを見てという人がほとんど幼女略取事件を起こしているのか、それとも実はリア充で、社会的理由によりプリキュアを見ていない者が、ロリコンなので幼女略取事件を起こすのか。報道などを総合する限りは、野球選手幼女にイタズラした事件なども含め、必ずしもコミュ障けがこの手を事件を起こしているとは思われない。私の直感では、「プリキュア視聴」の識別能力はさして高くないものと思われる。私はここでことさらプリキュア好きな人を擁護したいのではなくて、我が子を守ろうという社会的行動にあってプリキュア好きを調査する行為はおそら無意味であって、それよりももっと他の面を充実させることで犯罪抑制を図ってもらったほうがよいだろうという思いから述べたものである

次に第二の議論に移りたい。

最初に述べたようにリア充クラスタにおいて、アニメ好きというのは集団からの集中攻撃を受け、個体として排除される可能性を生むほどの強烈なタブー因子である。それでは、人生のある時点においてコミュ障クラスタからリア充クラスタに移動した人間においてはどうであろうか。これは一般には「大学デビュー」などと称される現象として観察されている。

これは私の話である。高校時代エヴァガンダムW、3x3アイズやああっ女神さま、ロードス島戦記といったそんな世代だ。コミケは所要で行きそびれたが、今から考えると正解だったか萌えかい言葉はなかった、と思う。大学に入った当初くらいはエスカフローネウテナを見ようとしていた記憶もある。しかし内容については一切記憶が無い。私は結果として、アニメ好きを決して公言せず、周囲に同調して「この年齢でアニメ見るとかヤバい」「twitterアニメアイコンキモい」とか言い始めるようなそんな人間になっていた。実際には周囲の人間は、「こいつちょっとオタクくさいよな」とは思っていたかもしれないが、リア充クラスタというものは、大学レベル就職なども視野に入りポリティカリー・コレクトな発言を志すようになると、「僕はリア充クラスタに入信したいです!過去のことは水に流します」という気持ちでありさえすれば受け入れてくれるものである。そしてなれないおしゃれな服を買ったり、カラオケではやりの曲を歌ったりするのである。高校まではバカにしていたような、軽薄な恋歌を。そうやっていると、「彼女」が得られるのだ。現代日本社会において、古代ローマ帝国における「ローマ市民」を意味する社会階層に移ることができる。

ところで彼女を得たり、彼女を得るための努力をしたりしているうち、軽薄だと思っていた恋愛の歌が、実際に経験してみると自分の気持ちや彼女の気持ちをわりとうまく表現しているということに実感が至り、そうそう軽薄といってバカにすべきものでもないなとも思う。とはいえ思ったこと感じたことを書いただけで、より深い洞察はどこにもないが。ショッピングも、自分がその中で役割を演じる主体となってみると、無駄時間と思っていたそれがわりと楽しいものと感じる。買ったもの無駄であることに変わりはないが。

結局のところ彼女に最高のプレゼントを購入し、サプライズ込みの記念日を演出する自分がいながら、その傍らでそれを冷めた目で見つめている自分がいる。オタクコミュニティの言説への親和性はその後もずっと高く、それになんとなく寄り添う気持ちは持ち続けている。

ところがだ。たとえばネットで、オタクへの攻撃的言説があったとしよう。両世界を知る人間としては私は言うが、そのほとんどは謂れ無き差別、思い込み、妄想オンパレードで、リア充側に理があるといったことはほとんどない。実のところ私と同様に二つの世界を移った人間が、コミュ障世界への決定的決別を宣言するがために、わざと理不尽な攻撃を繰り出しているのではないかと思えるほどである(そもそもネット系ツールで自分の主義主張をかましてしまうような人間が、オタク文化に一度も染まったことがない可能性はどれほどなんだろう。はてなならまずそれはないと言い切れるが、twitterなら真っ当な人間もいるのかもしれない)。ここでわたしは実名世界ならば「まあまあ」といったところでお茶を濁すところだ。一方匿名であれば、コミュ障側への深い理解と共感リア充の身勝手さへの反感を述べるのである。それができるのがネット世界であった。わたしの年齢だと、大学くらいから徐々に浸透してきたものだ。

ところがそれに対する反応はどうか、「上から目線だ」「こいつオタク装ってオタクじゃねえ(やはり短期間でも離れると会話についていけなくなる世界だ)」「とにかくむかつく」というような、つまりリア充リア充のものの発言をした時よりもよりいっそうの猛烈な反発をくらっちゃったのである。うん。くらっちゃった。僕はコミュ障オタク達を助けたかっただけなのに・・・

大統領発言である

ここでは韓国において、日本リア充にあたるのが「反日」、コミュ障が「親日」と考えよう。親日っていうのがいるのかいないのかわからないと言われるかもしれないが、私は少なくともそれなりに知っている。しかし強烈なプレッシャーがあり口にだすことができないという。社会で生きていくのに困難さすらともなう場合によっては転向を要求される、転向しさえすれば許される。これがコミュ障クラスタと似ていないと言えようか。一方、反日クラスタの中では、ちょっと過激すぎて理不尽とも思われるような反日的発言(日本高校生バットは圧縮バット、みたいな)が容易に許される、やや知的に劣等な面が見られる。そう、これがリア充クラスタだ。「親日」側は日本の「コミュ障」よりもはるかに強烈に弾圧され法律まで持ちだされて言論封殺されているような環境ではあるが、構造としては似ている。

そこで李大統領は、就任前の経緯や就任当初の発言を見るに基本的には「親日」側の人間であるように思える。韓国政界でもそのように攻撃されていた。であるが、そこは韓国だ。私が実は井上喜久子姉さん(17)が好きなんですーなんて口が裂けても言えないのと同様に、李大統領も本来の親日発言をすることはできないのだろう。した瞬間に引きずり降ろされる。しかしそれでもなんとかしてやりたい。僕はもうアニメ好きには(親日には)決別してしまったように社会的には行動していたとしても、自分自分として評価されなくてもいい、ただし何か一つでもアニメ好きの人たちが嫌われない、少しでもよく思われるように、こちらがわ(反日側)の内部からそのクラスタを説得できるようなことができないものだろうか・・・

アニメ危険ものだなんて証拠はないって言わなければ(過去記憶だけにとらわれず前向きに行こう)、でも僕自身はアニメ好きなわけじゃないって付け加えないとねリア充の人たちから疑われるし(従軍慰安婦への謝罪が不十分だ)、あとアニメ好き側の人も振る舞い方を少し気をつけたほうがいいよねって書こう(天皇陛下に来てもらって謝罪をするなど大胆な行動が必要だ)、そうするとリア充側も納得するだろうし・・・

で、もちろんリア充の方に向けて発言してるわけだから自分アニメを支持するわけではないっていうニュアンスをちゃんとただよわせなきゃ(来たいなら来ればよい)、そうしないとむしろ自分が攻撃されてしまうしね・・・

それで猛烈な反発を食らってしまった。ほんとは僕はあなた方のために行動したかったのに・・・日韓関係の専門家を集めて、真意が伝わっていないと不満をもらす)

どうだ、見事にハマっているわけではないか。李大統領はかつてオタク文化にハマったコミュ障住人で、ある時点でリア充クラスタに移ったのだがあの時のオタク文化に恩を返したい、そんな義理堅いやつなんだ。だけどそんなことしてオタクから猛烈に反発くらっちゃったわけなんだな。

という壮大な妄言はここで終わりです。

2012-08-09

西暦2037年のエロゲ

 西暦2037年、俺は退職金を切り崩しながら、細々と年金でひとり暮らしをしていた。妻には6年前に先立たれた。平均寿命が90年にも届こうという時代であってみれば、ずいぶんと早くに死んだものだ。不摂生の極みのような生活を送っていた俺が生き残り、日々きちんとした生活をしていた妻のほうが召されていくのだから人生というのもなかなか理不尽ものだ。

 そんな俺の日々の慰めといえば、エロゲしかない。もともとオタの第二世代くらいにあたる俺の世代は、二十代で鍵ゲーの洗礼を受け、その後も世代が持ち上がるのにあわせて「我々の世代」向けのメディアが常に存在していた。俺のように貯えらしきものもあまりなく、かつかつの生活を送っているものもいるだろうが、その一方で、日本が名実ともに先進国だったころの最後の余慶があったのも俺たちの世代で、うまいこと逃げ切って余裕のある生活をしているものもいる。

 なにより俺の世代は、趣味に金をかけることをさほど厭わない。これが俺の下の世代になると、すでに日本未来がないという前提のもとで十代、二十代を送っているし、それに、あれはニコ動だったか、ああしたものが登場してから、娯楽は無料であり互恵精神で相互に提供しあうもの、という意識が育ちつつある。2010年から今年で25年、「素人時代」ともてはやされた時期を通過して、いまやエンターテイメントは、無料コンテンツ収益を載せる構造が完全に成立している。

 そんな状況のなかで、いまでも「金を払って」たとえばエロゲのようなコンテンツを買う俺の世代は、上客には違いないわけだ。ただ、雰囲気としては商売というよりも、かつて俺が十代を過ごした「同人誌」の世界雰囲気と、いまのエロゲ業界は似てきているようにも思う。よくも悪くもサロン的な空気がただよっている、というわけだ。

 還暦を迎えた俺たちの世代は、エロゲ通販で買うことはあまりしないようだ。これはおもしろい逆行現象だと思う。ソーシャルメディア全盛の時代を経て、俺たちの世代では「ネット経由の知人」を持つ人間が多い。にもかかわらず、こんな業態が細々とでも続いている理由は――決して認めたくはないが――さびしいのだろう。

 こんな業態、というのはエロゲショップのことだ。

 見かけるようになったのはここ10年くらいのことだろうか。最初古本屋からの発展形だったと思う。滞在時間が長く、現金払いで直接儲けにつながる客に、休憩スペースを作ったり、茶のサービスを始めた、というのが原初的な形態なのだろう。いつしかそれは、初老のオタ世代の溜まり場的なものとなっていった。

 オンラインで呼吸をしていたような俺らの世代が、最終的にオフラインに慰めを見出すようになったのは、この年になってくると、コミュニケーションというものは、やはり顔と顔をあわせなければ通じない、というつまらない真実がひしひしと感じられるようになってくるからだろう。

 あれほど夜型の生活をしていた俺も、朝5時となると目が覚めるようになった。軽く散歩をして、朝食を取り、朝7時となると近くのショップに顔を出す。

 目が覚めるんじゃない。単に眠りが浅くなっただけか。

 俺は自嘲的に思いながら、家を出た。

「よう」

 すでにショップはいものメンツが集まっていた。

 木のテーブルとコーヒー香り。流れるBGMは、この季節だ、夏影に決まっている。もう40年も変わらない、俺たちのテーマ曲だ。ただ感じかたは昔とは違う。最近の俺は、この曲にどことなく「お迎え」の影を感じるようになっていた。

「庭のパッチはまだかい

「俺らの生きてるうちには出るさ」

 定番の挨拶を経て、新作の話などをする。

 エロゲ業界クラス化が激しくなった。若年層においては、すでに「テキスト+ボイス+立ち絵」の形式のADVは死滅しているに近い。ここ四半世紀のあいだに画期的アニメーション作成ツールがいくつも出て、敷居が大幅に下がったためだ。

 しかし俺らの世代にとっては、やはり昔ながらのADVがしっくり来る。

 ジャンルもずいぶん変わったと思う。いまでも思い出したように学園ものは出るが「こんな学園どこにもねえよwww」は、より切実な響きを持つようになってしまった。いまや学制自体が違うからあたりまえだ。

 かつて、そう、俺らが三十代だったころ、冗談半分によく言っていたものだ。将来は孫ゲーが来る、と。その予測は当たったかといえば「なんとなく当たった」というのが実情だろう。結局還暦を越えても「そういう部分」での精神的な構造はあまり変わらない。むしろ老いには直面したくないのが実際で、いちばん多い設定はといえば、やはり若返りもの、ということになる。典型的テンプレは、癌の告知から始まって、主人公タイムスリップ、「あの夏」を体験したうえで現実に戻り、幸せな死を迎えるものだ。孫ルートのあるゲームは全体の3分の1くらいだろうか。

 特養老人ホーム舞台にした介護ゲー、なんていうのも昔はよくネタとしてあったが、これはむしろ陵辱ものに多い。現状の自分ルサンチマンを反映したような設定が陵辱ものに多いのは、いまも昔も変わらない。最近だと、恵まれない家庭環境にある女の子ばかりを集めて決死の肉体看護をさせるも、それらの女の子にひどいことばかりしているうちに、だんだん精神的におかしくなってきて、瞳の光が失われていき、最後は性奴隷になる描写が秀逸だった「奴隷介護地獄のエデンで少女たちは何を見たか―」がヒット作だ。

 そう、当時予測しておらず、現在隆盛になっているジャンルがある。ロリババアものだ。当時、なんでこれに気づかなかったのか、自分でもわからない。かつては純愛系のゲームならば、たいていは妹ルートがあるのがふつうだったが、いまではそれがロリババアに取って代わられている状況だ。

 エロゲ業態全体が同人的な雰囲気になって、大ヒット作というのは生まれづらくなっているわけだが、そんな中で気を吐いた例の作品における、あの名セリフに殺された人は多いだろう。

時間を止めて、待っていましたよ」

 そんなわけで、考えようによっては25年前となんら変わらない生活をしている俺らだったが、最近俳句ちょっとしたブームだ。俺たちが若いころから俳句なんていうのはジジイくさい趣味だったわけだが、この年になってみて、なぜ年寄り俳句を嗜むのかわかったような気がする。

 この年になると「言葉を紡ぐ」のが億劫になってくる。表現欲がなくなるわけではない。それ相応に人に認められたいという気分もないわけではない。しかしそのために多くの言葉を紡いで「人に伝える」ということに価値を見出せなくなるだけだ。しかし溜まっていく日々の鬱屈言葉にしたいと思ったときに、俳句のような形式はとても都合がよい。

「それじゃまあ、新作の披露といきますか」

 3人のなじみのじーさんを前に俺は言った。そしてそのじーさんたちは、俺の姿でもある。

 では一句。俺はのどに絡む痰を切ってから読み上げた。

コンドームかぶせてむなし秋茜」

「ほぉ……」

「確かにむなしい……」

「もう勃起しねえしな……」

 場を、いい感じに絶望的な空気が支配した。ちなみに「秋茜」は人生黄昏を迎えた俺たちの心境を、秋の夕暮れのイメージに重ねたものだ。

「では次はオイラが」

 オイラ。またなつかしい一人称が出たものだ。映画監督としても有名だった某芸能人他界してから、この一人称を使う人は滅多にいなくなった。

「我慢汁 集めて臭し俺の川」

「川になるほど出ねえだろ……」

「てゆうか我慢汁自体もう出ないよね」

「つーか最近さぁ、オナニーの途中でめんどくさくなるんだよね……」

「あんたまだ現役だったんだ……精液だけに、原液、か……」

「もうだめだ」

「だめだなぁ……」

 俺たちがそうやって淀んだ空気の中で薄ら笑いを浮かべていると、店主の孫娘が姿をあらわした。夏休み中で家にいたものらしい。健康的な肉付きの太ももが眩しい。

「あんたらまた来てんの? いい年としてくっだらねえシモネタばっかしゃべって、店内がイカ臭くなるからやめてくんない?」

 ああ、罵倒が心地いい。あの太ももに挟まれながら罵倒されたら、そのまま昇天できるのではなかろうか。

「ってうっとりした表情浮かべてんなよ! 歯槽膿漏くせえ口あけてぼんやりすんなよ……」

 店主、あんたは勝ち組だ。

 人生において、後悔なんぞは役に立たない。そんなあたりまえの事実を笑って受け入れられるこの年になってなお、妄執は残るのだ。

 予約しておいたソフトを受け取って、家に帰った。PCの電源を入れてインストールする。

 全エンディングが腹上死ということで、発売前から話題になっていたソフトだ。もっともそれだけでは俺は買わない。エンディングひとつに、顔面騎乗による窒息死があったのが俺の直接の購入理由だ。

 ゲームを起動する。

「登場する女優さんは、すべて60歳以上だからね、まちがえないでね、おじーちゃん♪」

 老眼の進んだ俺にもやさしい極大フォントとともに、ボイスが流れる。

 さあ、残り少ない日々を謳歌しよう。

 ディスプレーの中には「あの夏」が詰まっている。

2012-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20120724133817

洗礼wないないw

うちは、そこについても話したよ。

当然、子供が生まれたら全自動で入会ってことはないよ。

子供の判断で決めればいいんじゃないかなと。

自分結構な教信者の親をもっているから、子供側の苦しみも知っているつもり。

親が言っていることが、世間一般の通念から逸脱していると理解したときは苦しんだよ。思春期だったしねw

宗教やっていることを過剰に不安になる必要はないと思うよ。

ただ、結婚する前にいっぱいそのことを話した方がいい。

じゃなきゃ不安でいっぱいになるし、その不安事態が実は話せば解決する内容だったりするしね。

でも、それって別にこのケースにだけいえることじゃなくて、

世間一般の夫婦を見ていても、コミュニケーション足りていないと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20120724132825

子供ができたらどうするつもりなの?

子供学会員

洗礼とかあんの?

2012-04-28

ニコニコ大会議はニコニコ動画限界を端的に表しているイベントである

まだ国内における独占的な地位すら獲得していないのにもかかわらず、

ニコニコ動画を利用することによる素晴らしさを主張する場として機能せず、

ネタを知っている人間のみが集まる事によって機能している一種の同人イベントしか機能していない。

プロ洗礼を受けていないアマ素人名誉欲を煽り立て、そこにしか自分地盤を置けないような薄い文化人間の収容装置になっている。

2012-03-27

持ち込みをしてきた

ラノベの持ち込みみたいな事をしてきた。初めてだったし、当然採用なんて事はなく、

という良くある洗礼を受けてきた。

で、いろいろ考えたのだけど、結局「自分の書きたい事を書く」のではなくて「書ける事を書いている」だけなんだろうなぁと自分で結論付けた。ずっとそういう性格で過ごしてきたので、さもありなんという感じ。どうしてもぶっちぎった話を書くのが恥ずかしい所があって、「個性」という部分で引いてしまう所がある。頭の中で書く話がいつもあっさりしがち。『ちはやふる』で太一肉まんに「お前恥ずかしがって素振りしないだろ」と突っ込まれる所があるけど、あんな感じかも。

あともうひとつ、丸パクする人の気持ちがわかった。まだ駆け出しで、これから評価を作ろうとする人が、時々別の人の作品を丸々パクってしまう例があって、今まで「何でそんなことするんだろう」と思ってきたけど、あれは「個性」のためだ。編集と話したり、業界の偉い人から個性を出せ」とさんざん言われて、悩んだ挙げ句丸パクしてしまうんだろう。賞が欲しいというよりも、そういう意味で悩んだ結果だと思う。

予備軍が何万人もいるような世界で選ばれるためには、「個性しか武器が無いのだ。写真のようにうまい人ならともかく、ちょっとやそっと絵がうまかったり面白そうな話を書くだけでは、選びようがないのだ。今日はよくわかった。

読んで、意見をくれた編集者には感謝してる。

2012-03-13

ネットゲリラが消えたネタ?

はどうやら勝栄二郎が原因だった?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/10554/1331379012/92

なんならrssキャッシュ、はっつけといちゃえ!!

みんな、拡散拡散!!

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勝栄二郎総理大臣です。いや、冗談抜きで、この人、身内からは「総理」と呼ばれているらしい。選挙という洗礼を受けずに、国民審判を受けないタダの小役人が、総理と呼ばれ、自民党民主党を手玉に取って操っている。コレが日本の姿です。コイツが与野党トップを呼びつけて増税を指示したというんだから日本というのも凄い民主主義国家ですことw

 もっともそもそものドジョウの方の邪心にもすさまじいものがあって、ご存じでしたか産経新聞などによるとこの会談の場に財務省の勝栄二郎次官が同席していたというではないか。勝さんが身内から総理」と呼ばれていることは有名だが、これではホントに「総理」。与野党トップを呼びつけて「増税せい!」と言ったのだとすれば、日本国の「官僚主権」はここに極まったことになる。戦前軍部よりも凄いなあ。そうまでしてなぜドジョウ増税したいのか、こうなるともう本人も動機が何が何やらわからなくなっているのではないだろうか。

勝谷誠彦メールによれば、そもそも、コイツが野田谷垣を呼びつけて増税を迫ったのだそうで、「官僚操り人形」二人組です。邪魔なオザワンを裁判で身動き取れないように縛っておいて、茶坊主体質で偉い人の言うことはハイハイと何でも呑み込む小物政治家を重用する。まったくもって、今の日本官僚が支配する官僚主義国家のものだというのが暴露されたわけだが、誰か、国会でコレ、質問できないもんかね?

ところで、何で官僚増税したいのかというと、そら、カネを握ってカネをバラ撒くというのが官僚権力構造の根源になっているからですね。ただ、撒く先が年寄りとか貧乏人では、あまり利権に結びつかない。生活保護世帯天下りするわけには行かないしw なので、いくら増税しても国民の生活には一向に役立たないという、意味のない増税になってしまうわけで、今の官僚利権を握っている限り、おいらは増税には反対だ。

で、この与野党トップシークレット会談をマスコミに流したのは逢沢だという話も出ている。逢沢といえば、松下政経塾から出た最初国会議員として知られているんだが、二世どころか三世の世襲政治家です。松下政経塾漏れなく屑というのがおいらの信条なんだが、オマケに世襲なんだから、まぁ、屑の中の屑、キングオブ屑です。なんで松下政経塾出身者が屑なのかという話はオークラ出版から出るムックに書いたんだが、基本的に「お稚児さん」「小姓」「茶坊主」的な、強い者に媚びへつらい、自分の信念を持たない連中なので、自分総理になっても、影の総理の言うがままの操り人形です。

2012-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20120130181922

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき~じゃないけど、次に「敵」指名されるのが自分ではない保証はないしね。

それって橋下市政がこれからずーっと続く事が前提の話だよな。

そういう話をしてる時点で橋下市政の長期化を無意識に肯定してるようなもんだと思うが。

 当然内部で意見の統一のしようもないし、「代表者」の声は相対的にかき消される。

そもそも選挙洗礼を受けた市長と、公務員試験合格しただけの公務員(の代表者)が対等って前提からしておかしいよ。

橋下を追い落としたいのならば、反橋下派で結集して議会で多数派を形成するとかやればいい。

実際、橋下はそれを実行に移して今の地位に上り詰めたわけだし。

 冷静な検証と議論をする下地を「作らせない」ことで敵に対して優位に立つというのは、為政者としてはまずかろう。

そもそも「冷静な検証と議論」してる人って具体的に誰よ?まさか例の精神科医とかか?

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

1 - 2 - 3

この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。

そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。

このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。

村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。

村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。

そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。

村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。

村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。

作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。

村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。

時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」

「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」

そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。

低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。

話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。

「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

1 - 2 - 3

2012-01-22

凍ったニシキヘビと凍えた番人

言語disりが流行ってるようなので一つ

Pythonをかれこれ5年ほど使っているけれど、いい加減頭にきた。

大体頭に来るような内容というのは限られていて大体は

http://www.aoky.net/articles/steve_yegge/tour_de_babel.htm

に書かれている事に近い。大事なところを引用すると

本当にPythonを殺し、メインのスクリプト言語となる望みを、あるいは何であれメインの言語となる望みを絶ったのは、永久凍土の問題なのだ。人々はいまだ埋め込みインタプリタにTclを使っている。どのような面から見てもTclよりPythonの方が遥かに優れているというのに——ただし永久凍土の問題を別にすれば。

これに尽きる。

よく言われるが、インデントに縛りがあるのもselfが付くのも慣れてしまえばさほど気にならないし、むしろ魅力的とも感じる。

しかし、Pythonを本当の意味で糞たらしめて居るのはその言語を使っているコミュニティがあまりにも思考停止しているからだ。

インデントやselfが気に入らないなんて些細な問題を他の言語使いから散々文句を言われたがために、本当の意味言語の弱点になっている部分が指摘された時にも「それは言語仕様が悪いんじゃない。言語仕様に沿って考えられないお前の頭が悪いだけだ」と言ってくる。

実際のところ、Python仕様には言い逃れのできない仕様の穴は幾つもある。もちろんよく引き合いに出されるRubyPerlにも仕様の落とし穴は山ほどある。仕様の穴そのものは実はそんなに深刻な問題ではない。

真に問題なのはPythonコミュニティはその仕様の穴を断じて穴と認めない事だ。

言語同士でdisり合いになったとき、何かその穴をつつかれた場合の各人の反応はおよそこんな感じだ。

仕様カオスになり続けるPerlだと

Perl使い「そうだよね、そこの仕様は頭悪いよね。でもPerl6のこの機能使えばこんなに短く綺麗に書けるんだぜ(と全く読めないコードを出す)」

比較的柔軟な仕様コミュニティのあるRuby

Ruby使い「うんうん、仕様の話題でもそこは殺人現場とか呼ばれてるね。コミュニティ的にはこっちの機能を使うことを推奨しててそっちはobsolatedだね」

酷い言語仕様調教されつくしたPHP

PHP使い「それ言い出したらこっちにこんなに大きな地雷あるし、この地雷なんてもっと大きいぜ。ほんとPHP地獄だぜ」

永久凍土Python

Python使い「お前の思考通りに言語が動くんじゃなくてお前の思考を言語に添わせるんだよ、言語挙動すら理解せずに使おうとするんじゃねえ」

こんな感じに、まず最初質問者人格攻撃を行う。インデント言語であることやselfの問題について未熟なプログラマからのどうでもいい指摘を散々受け流してきたPythonコミュニティは、言語仕様について文句を言われる事に慣れているためまず相手を攻撃する。初心者寒波洗礼するのだ。

言語仕様が汚くなっている事まではどの言語も一緒なのだけれど、Pythonコミュニティだけは欠点を認めず必死に(∩ ゚д゚)アーアーきこえないという態度を取る。

これこそがPythonを糞言語たらしめる最大の弱点である永久凍土の問題。コミュニティが凍れば言語進歩も凍る。

Pythonそのものは一人で使う分には手軽な言語なだけに、使用者思考停止しているが故の機会損失の多さが残念である

2011-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20111230155231

いやだから、苦労しろってことなんでしょ。

英語のできないプログラマは、UI洗礼されて情報量の多い英語サイトは使えません。

英語のできるプログラマはそれらが使えます

その差がありますよ。

嫌なら、okwave2chで我慢するか英語をできるように勉強しなさい。ってことでしょ。

英語勉強はヤダ!でも英語のできるプログラマと差が開くのもヤダ!誰か何とかして!」じゃただの乞食だよ。

2011-12-16

告解の部屋

僕はクリスチャンだがフーゾクに通う習慣がある。ソープとかヘルスとかだ。3ヶ月も女の子に触れないと世界中の何もかもを憎むようになるので、それが嫌でフーゾクに行ってしまう。オナニーでは収まらない、というかオナニーするともっとひどく世界を憎むようになる。女の子からだが必要なのだ彼女を作って結婚すればいいのかもしれないが、昔恋愛に失敗してそれきりやり直せずにいる。

客としてお店に行き、女の子イエス・キリスト宣べ伝えたことが3度ある。こんな話は教会ではできないのでここに書く。

1度目は洗礼を受けて2年くらい。店で写真を見てずっと気になっていた女の子を指名して、遊んで帰ってきて、すごく不思議な気分になった。それまでにたぶん200人くらいの女の子と遊んできたけど、あんな女の子に会ったことがない。全く説明できないけど、不思議な気分になった。

それで、キリスト教書店で安い伝道聖書を買ってその女の子をもう一度指名し、服も脱がずに「イエス・キリストを貴女の救い主として受け入れますか?」と聞いた。すると彼女は言った。

「私のようなものでもよろしいのですか?」

僕は驚いた。そんな返事が返ってくると思わなかったのだ。聖母マリアというのはこんな人だったのかもしれないと思いながら「もちろんです」と答えて彼女に手を置いて祈った。彼女は喜んだ。それから半年くらい彼女は店を続けていたがクリスマスの前に辞めた。弟の学費のためにこの仕事をしている、と彼女は言っていた。彼女はぼくの好みだったが、ぼくはそれきり彼女とは遊ばなかった。

2度目はそれから5年くらい、出張先での話だ。適当に入ってついた女の子が良かったので、一月後だったか、指名で予約した。予定から2時間待たされて、遅れてきた女の子に謝られながら服を脱いで身体を洗ってもらったのだが、彼女が言うには「占いって信じますか?」

借金が少しあってこの仕事をしているそうだ。遠距離恋愛の年下の彼氏がいるのだが最近もうダメかと思っている。そんなところに客で来たのがクリスチャンカトリック)でバツイチで娘がひとりいる男性なのだという。お互いに気に入っていてつき合って、結婚しようかと考えているのだけれど迷っている、という。で占い師のところに行って相談していて、出勤が遅れたのだそうだ。

身体も洗ってもらったのだが、僕は言った。「それは、男に信仰があってちゃんと神さまに聞き従う気があれば、神さまが正しく導いて下さるだろう。ところでオレはクリスチャンだ。よかったら貴女と彼氏とのために祈ろう。イエス・キリストを貴女の救い主として受け入れますか?」もちろん彼女は信じると答えたので僕は手を置いて祈った。それで、時間もなくなったので、僕はそのまま帰ってきた。お金を払って待たされて、手を置いて祈ってきただけだ。仕方ない。それからしばらくして彼女はお店を辞めた(ことをお店のサイトで知った)。

3度目はそれから2年くらい。単位制高校卒業して大学入学金を稼いでいるという18歳の女の子だった。なんというか、前しか見えない、バカな子だった。僕は気に入った女の子はあまり変えない。その子が在籍している間はその子しか遊ばなかったが、クリスマスの頃に遊びに行って、「こういう店で働いたことが後の人生でわざわいにならないよう、オレが祈ってやろう。イエス・キリストを救い主として受け入れなさい。」と言った。素直な子なので(分かってなかっただけかもしれないが)彼女は受け入れた。それと、「貴女は下手すると一生この世界で暮らすことになりそうだから、もし3月の時点でお金が足りなかったら連絡してきなさい。出してやろう」と言って実名メールアドレスの入った、当時勤めていた会社名刺を渡した。

3月電話がかかってきて「ごめんなさい、足りないので出して下さい」と言う。いくら足りないときくと40万円と言う。あの仕事を5ヶ月やって60万円しか稼げなかったのか!?と思うが「身体を壊して病院で40万円使った」と言う。あとで知ったことだが、その子は本番禁止の店で本番をさせるといってネット上で有名だったのだ。子どもができておろしたのかもしれない。出すよというと「なんで他人の私にそこまでして下さるんですか?」ときくので「自分から言い出してしまたかです」と答える。神さまがこうしろと言っている、とは思わなかった。20万円程度で済むと思っていたのだ。僕がバカだったのだ。指定口座に40万円入金した。後悔はしたが、彼女に対しては悔しくなかった。一度神さまの名前を出しているのだから彼女が僕をだましたのであれば、彼女はそのせいで苦しんでいるだろう。今はちゃんと学校に行っていると信じたい、いやちゃんと学校に行っていたら、今頃卒業しているはずだけれど。ちなみにその店はつぶれて今はない。

こういうことは、やっているときには「火の中からつかみ出してでも救い、」という聖書のことばを思い浮かべるのだけれど、あとで考えると「自分クリスチャンであることを思い出して、自分のやっていることを恥ずかしく思え」という神さまのみこころだったのだろうか、とも思う。

2011-11-26

お節介参上

クリスマスというのはクリスマスだけで成り立っているのではなくて

アドベント(待降節)というものがあって、それが4週続くのですよ。

文化祭の準備に似てる、というのも正解。

アドベントクリスマス準備期間だからドイツとか行くと普通の家庭が本物の木を取り寄せて飾りつけとかやってる…

詳しくは教会暦について調べてみてね☆

アドベントカレンダーでググってみるとカウントダウンカレンダーになってるおもちゃが出てきますよ。

と大真面目にレスしてしまいましたが、別に商売に乗るだけが楽しいことでもないですよ。

社会見学的な意味で楽しめるプランを書いてみます

キリスト教がお嫌いでなければ近所の伝統教派

(派手さで言えばカトリック行くとビジュアル的に楽しいかもね)の教会に遊びに行けば

似たような人がいっぱいいます…暇してるからって近所の人もけっこう来てます

ウチの近所だと場所柄なのか、観光で来てる人もいる。礼拝中の写真は勘弁です

あ、礼拝中にワインクッキーorウエハースが出てくるかもだけど洗礼受けてなければ頂くべきでないので

順番が回ってきたら、軽くお辞儀すればいいよ!何も言わなくてもすぐわかってくれるから

と言いながら私はプロテスタントなんですけどね。

礼拝後にパーティあるし、お暇ならそのまま参加してみても。

パーティに参加するなら、献金は参加料程度の金額を出せばお互い気分悪くならんでしょう。

あと、面白いのが…世間話ができる(笑)。色んな人がいるから、本当に「社会見学」になる。

そういえば…礼拝堂は基本広いか暖房効きづらいし、行くならぜひ温かい格好してください。

この時期一人で風邪ひくとすごく寂しいしなんか今年は怖いウイルスも出てるし、マスクして行ってもいいかも。

では、お節介おばさんでした。

2011-11-12

http://www.asahi.com/politics/update/1112/TKY201111120192.html

TPP、首相さっそく厳しい洗礼 加盟国会合招かれず

 オバマ大統領が12日朝にホノルルで開く環太平洋経済連携協定(TPP)交渉9カ国の首脳会合に、野田佳彦首相が招待されない見通しであることが11日わかった。9カ国が積み上げた交渉の成果を大枠合意として演出する場に、交渉参加を表明したばかりの日本場違いとの判断が背景にあるものとみられ、TPP交渉の厳しい「洗礼」を受ける形だ。

 日本政府の一部には、野田首相アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議前に「交渉への参加」を表明すれば、TPP首脳会合にも招待される可能性があると期待があっただけに、落胆が広がっている。TPP交渉を担当する日本政府高官は「日本(の出席)は少し違うということだろう」と語り、現時点では、出席できない見通しであることを認めた。

 昨年11月に横浜であったAPEC首脳会議の際にも、TPP関係国の首脳会合が開かれ、当時の菅直人首相オブザーバーとして招かれ参加していた。(ホノルル=尾形聡彦)

もう交渉に入れて貰えるまで日本に帰ってこなくていいよこいつ…。どの面下げて帰国するつもりなんだろ。

最初に譲歩すれば向こうも誠意を見せてくれるはずだと勝手に期待する発想って、典型的な古い日本人のそれだよな。

2011-10-30

大人しい若者について、その無力さ

若者が大人しい事について、世代間の話がよく言われている。

日本若者には力が無い。

まず第一に、若者の数が圧倒的に少ない。数は力だ。アラブの春も、若者の数が多いから成しえた。日本で例え、若者意見を反映した議員選挙に出たところで、そして全若者がその議員投票したところで、当選しないだろう。その事を知って、立候補する候補者はいない。初めから勝負の土台にすら立てない。

ウォール街デモは、若者の力があるから行われている。アメリカ若者の力で作られた国だ。大学生に力があり、権威がある。大人も手を貸す。皆が皆ではないが、才能を評価する。アイデアを評価する。情熱を評価する。世界的な企業家大学から生まれ、政治家も若い。

日本はどうか。

大人は誰も手を貸さない。耳を傾けようともしない。日本の大人が若者に行って来た事は、今も昔も自分たちの都合の良い道へ引きずり込もうとする事だけだ。善意もある。大人の世代の成功経験を踏んだ上での助言のつもりの人もいるだろう。しかし、それは今の時代に通用するだろうか。その時、あなたは上手くやれたかもしれない。しかし、今はどうだ。 今からそれが通用すると思うか。あなた会社では通用するかもしれない。では、あなた会社はこれから世界に通用するのか。内需日本の老人だけをマーケットにしていないか。そんな老人の戯言について行く若者はいるだろうか。いる。けれど、それは本心からでは無い。力のある老人の前に、手も足も出ずただついて行かざるを得ない奴隷のように覇気のない若者が跡を絶たない。

老人が求めている事と、若者が求めている事は違う。老人はいい。お山の大将を気取って年少者をバカにして、外圧に耳を塞いでいても高度成長期の蓄えであと数年は安泰だろう。そして数年後は死ぬだけだ。残された人間の事など当然知る由も無い。日本人の子孫繁栄なんて考えるわけもない。大和民族が滅ぶより、明日の我が身、死ぬまでの蓄えが大事だ。

若者の諦めは、自分たちの力の無さから来ている。同世代の数を増やす事は出来ない。頭の凝り固まった老人が明日未来に力を貸すこともない。突然大富豪になる事も出来なければ、先導者になる事も出来ない。

日本若者には無くて、外国にある物は、手に入らない物だ。

もともと若者は老人に力で劣る。経験の差、劣らなけらば、成長を重ねなければ年を重ねる意味が無い。

若者が老人に勝る物は、若さだけだ。

今の老人は若返ろうと必死だ。年相応を知らない。若かりし頃の幻影ばかりを追っている。 その姿は醜く、見るに堪えない。そしてその若さにも隔絶がある。彼らの若さとは、彼らの若かった頃であり、今の若者とは全く別物だ。理解はない。

知識で負け、経験で負け、人数で負け、さらに若さでもある意味負けている。団塊の老人の血気盛んさは、金と体力と自信の余裕があってのことか、今の若者に勝る。若者は、勝機の無い勝負を挑むような気が狂ったことはしない。

それは、大人が教えた「大人しさ」でもある。

かく言う自分若者の代表のような口ぶりをして、来年で30になる。もう若くはない。今の大学生はおろか、中高生文化や考えていることなど全く知らない。自分酒鬼薔薇と同い年だ。ネオむぎはいっこ下だ。そういう世代だったからよくわかるのは、この隔絶こそが問題の本質であり、無理解の原因である。大人は大人の世界を作る。分かる者どうしだけで心地良い世界をつくり、子どもが大人の仲間入りをしようとすれば洗礼を浴びせる。そして、昔はそれでも大人の世界に入らざるを得なかったのが、今は入る隙間すらなくなった。はみ出された若者は、力のない若者同士だけでやっているから、大きなことが出来ない。もう、この垣根は早いうちから崩さなければならない。

全然関係ないけど、ポーランド選挙活動ツイッターFacebookで行われているのを見て、これを思った。

http://jp.globalvoicesonline.org/2011/10/24/9574/

2011-08-11

モノポリーから考える資本主義モデル

モノポリーって何?

モノポリー遊んだことはありますか。ビルアパート経営を体験する4人くらいで遊ぶボードゲームです

8つの大通りをすごろくの要領で進み、物件を買ったり、カードを引いてイベントをこなしていきます

ボードを一周するとベーシックインカム的にお金がもらえます説明書にはサラリーと書かれていたと思います

このゲームが始まったばかりのときは、地主さんがいません。プレーヤーの誰かが土地を購入すると地主さんとして収益を上げられるようになります

まり、序盤は開拓地をウロウロしているようなものです

中盤になると、プレーヤーのそれぞれが地主化していきます

誰かが駐車場にとまったりアパートホテルをにとまってくれるのを待ちます

同じ通りの土地を買い占めることができると収益が倍になります

運良く、土地をまとめて所有するプレーヤーもいれば、点在する物件を所有するプレーヤーも出てきます地上げ屋風情の交渉力で土地をまとめ始めるプレーヤーは最強です

すべてのプレーヤーにある程度の収入があり、それなりにお金が動いているときが一番盛り上がります

たくさんの物件を所有したときに出ると困るカードがあります建物の修繕カードですマンション大規模修繕のように費用が一気に飛んでいきます。手持ちの物件が多いほど痛手になります

終盤は、残った二人の一騎打ち。それぞれのプレーヤー性格が露骨に出てきます

ルールにもよりますが、資金がショートしたプレーヤーから抜けていくと、最後に残ったプレーヤーがすべての通りの物件を独占して勝者となりゲームは終わります

リセットのない世界

ゲームなので、もう一回遊ぶときは、これまでの状況をリセットして、最初から始めれば、何の問題もありません。

このサイクルを現実に当てはめたとき資本主義問題点があきらかになってきます

ゲームを始めたときから地主がいたらどうでしょう。誰かが勝った状態からゲームを始めてみますプレーヤーは細々と得たベーシックインカムを貯めることもできずに、どんどん絞られていきます

独占した物件は、既得権ですから放出されることはありません。盛り上がるゲーム中盤にならずに終わってしまますね。ボードゲーム好きの友達といえども途中で帰ってしまうかもしれません。

現実経済では、ゲームが終盤に差しからないように、ずっと中盤のプレイを続けられるように政府が法的な規制をかけてバランスを取っています

バランスをうまく取れず終盤にさしかかると現実世界では、終盤の状態を終わらせて序盤に戻そうとする力が生まれてきます。内乱や暴動です江戸時代だと維新に向かう力です

そこまでいかなくても、自然災害きっかけにして、ほころびが顕在化するかもしれません。

過当競争

このゲームは8人くらいまでは遊べたと思いますが、プレーヤーの数を一気に20人に増やしたらどうなるでしょう。

脱落者が10人以上出て、モノポリーの作者が想定しているプレーヤー数に落ち着くまでは、過酷ゲームになります

20人を8人にするために先に面接をしたり、ゲームに参加するための条件をクリアしないとゲームをできないようにしたらどうでしょう

よほど恵まれた人しかモノポリーサイコロをふれなくなってしまます

ルール通りにプレイすれば、盤面を一周してもらえるベーシックインカムの量が多くなります。資金の供給が過多になって、バランスが崩れるかもしれません。

この状態のバランスを取るには、盤面の数を5つに増やして、プレーヤーを分散させたほうがいいでしょう。20人の中から一人の勝者を出すよりも、5人の勝者を出したほうがいいと思いませんか?

盤面を置く場所がなくなって、隣のおねえちゃんの部屋に侵略したら、反撃をくらうかもしれません。領土を増やすための戦争はそんなものです

少ない国土で、競争の場を増やすには、山や川や海峡で国土を区切って、盤面を増やしたほうがいいともいえます

現在日本でいうと、高速通信網、高速交通網によって仕切りが取り払われてしまって、盤面が限りなくひとつに統一されつつあります

世界的な視点で見てもそうなってるのかもしれません。

歩くルールブック

勝ち残った有利な人が、「建物の修繕カード」を引いて負けそうになったときに、「今のはなしね」といって、ルールの変更をせまってきたらどうなるでしょうか。

ゲームはずっと終盤のままになってしまます

「おごれるものしからずや」の「盛者必衰の理」にしたがって、序盤に戻すことができれば、循環型の繁栄が続くのではないでしょうか。

新規プレーヤーから搾取

最近、転校してきた子をこのゲームに誘って、このゲームを覚えさせたとしましょう。しかし、詳細なルール攻略法うまいタイミングみたいなものはわかりません。しばらくの間は、この子が最下位街道まっしぐらで、残りのみんなは楽しいかもしれません。

きっと欧米諸国植民地での覇権争いをしていたときは、笑いが止まらなかったでしょう。

談合

ゲームを始める前に仲間1人と喫茶店で作戦会議をして、誰がどの通りの物件を取るのかを決めておき、苦渋の判断で売却したかのように演技して、ゲームを進めてみたらどうなるでしょう。

残りのプレーヤーが嫌な思いをすることなく、ゲームの中盤が続くのであれば、案外悪い選択肢ではないのかもしれません。

終盤にいたっても、談合が続くのであれば、他のプレーヤーに疑念が生まれくるかもしれません。

資本主義洗礼を受けた人をどうするか

ゲームゲームなので、資金がショートしてしまった人は、ゲームが終わるまで残った人たちのプレイを見ていればいいのですが、現実ではそうもいきません。

資本主義ルールにしたがって、舞台から退場した人にとってみれば、ルールがきちんと守られているかどうかは、重要ですのび太といえども、資本主義洗礼を受けたあとでは、ジャイアンが負けそうになったときに盤面をひっくり返すのを見過ごすわけにはいきません。もう一度、ゲームの盤面に戻して、プレーヤーとして活躍できるようにして、偶発的な事象の発生を防がなくてはなりません。

2011-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20110807190149

「今でもあるのか」とか言ってるけど、現在年齢五十代から上くらいの世代のスタンダードからね。

社会に出ればそういう年齢の人とかそういう年齢の人の洗礼を受けた人とかいくらでも居る。

むしろ今そういうのがまったくない場所なんて本ッ当に限られていると思いますよ。

自由闊達個を尊重が最大限許され得る大学キャンパスにさえあるからな。

服が似合わないとか遊びを覚えたってのは問題ではない。

金髪にしてクラブ通いするのとゆるふわパーマフランス語教室に行くのとに本質的な差はない。やりたくてやってるんなら同じこと。

前の友達と付き合いが浅くなったのも、その「前の友達」側の事情もあったりするし一概にどうこう言うことではない。

ただ外部というか周囲の価値観に振り回され過ぎてやしないか

「あれがイイこれがイイ」ではなく「あれできてないのはダメ、これやるのはダメ」で判断してないか

それで身体・精神ともに健康を害しつつあるのではないか

その辺だけお兄ちゃんは気にしてますよってほのめかすくらいでいいんじゃないの。どうこうしろと言うんでなくて、ただ気にかけてるよ、とそれが伝わる程度。

くだくだ説明すんじゃなくて「無理すんなよー」みたいなじゃれる感じの一言でいい。

或いは「あれできてないのはダメって言う奴いるけど、俺はそうは思わない」という風に、別の価値観があることを示してみるとか。本でも勧めるとか。

ちなみに周りを全部切って暮らす方法はとても楽。本当に楽ですこれは。何でも、なーんでも好きなようにしていい。

たった一点、「ぼっちってみじめ」的な価値観を乗り越えられさえすれば。

2011-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20110624134026

読んだけど、

その「世間知らずの教師」だけでなく

社会洗礼を浴びて生きてる健常児父兄もその教師と同じ見解じゃない?

小学校教員なんだが、池沼の親がうぜぇ

http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/5111763.html

ねえねえ、こういう小学校教員ってとっととクビにすべきだよね。

クビにして社会洗礼を浴びせて丸くさせないとだめだよね。

それでも治らないなら路上生活者でもなんでもなってもらって勝手に野垂れ死んでくださいってぐらい厳しく当たらないとだめだよね。

2011-06-19

「私はアンタの上司じゃない!2進数もわからないくせに!」

って叫んで泣きながら逃げてきた話。

小さな運送会社で事務員やってる30さいの喪人間です

普段はエクセルとにらめっこしてる筋肉弱者です

そして情弱を心の中で馬鹿にしてるいやなやつです

自分は頭がいいと、よく勘違いするところがあります

新しく倉庫を建てたんですが、現場がうまく回ってない。

ピッキングエラーがひどい。

そこで、私が実際に現場に行って業務を改善してこいと、そんな感じですた。

_____

現場から洗礼パートのAさんの一言からだった!

・「子供が熱を出したので帰りたいがいいか?」

 なぜ、現場今日入ってきたばかりの私に許可をもらおうとするのか?

 理由は簡単だった。現場監督が怖いからだ。

 そして、このパートさんは疲れると仕事をちょくちょく抜ける癖があったようだ。

 後ろめたさという感情や嘘はめんどくさいなーもう。

 現場監督は厳しい人だった。そして真面目な人だった。でも少し問題がありそうだ。

 ・作業が遅れると怒鳴って煽る。

 ・作業者が品物を落としたりミスをすると朝礼で10分くらいそのことについてミーティングする。

  監督改善しようとしてがんばってるんだろうけど、現場空気が重くなるしフォローが足りてないと思った。

  作業者のやる気をそいでいるし、作業者はミスを隠すようになる。

  ピッキングミスだけではなく汚損や破損が次の工程に流れてしまうのはここに問題がありそうだ。

 ・法令順守。パートさんを絶対に残業させないが時間内に作業を終わらせるように仕事を詰め込む傾向がある。

  タクトについて現場監督に指導する必要がある。

  作業が早く終わって時間が余った時はパートさんに時間まで掃除をするように指示していた。

  でも、この掃除は必要以上の作業に思えた。

_____

 昼休憩中にパートさんの休憩所から私への悪口が聞こえてきた。

 パテーションの外には私がいるのを分かっていて言ってるんだろうなぁ。。。怖ぇ

 学生以来の恐怖感に足がガクガク震えた。

_____

・「私たちより何倍も給料をもらっているくせに仕事が出来ないんじゃ困りますよねぇーあの人」

 だって労働時間が違うじゃないですくわぁぁぁ!

 毎日16時間会社にいて、土曜も日曜もないんだぜ?

 まぁ好きでやってるんだけどな!へへへ

 作業が上手く出来ないのはスマンコッテスたい。。

・「好きな時間に休憩できていいわよね」

 事務所の外でタバコすってるのをねたまれてる。。。

 もしかしてサンシャイン牧場やってるとこもみられてるのか?!

・「正社員のくせに、あんな簡単なことも事も知らないなんてねぇー」

 確かに私は作業手順書や行程表の作成に携わった人間だ。

 でも、現場で生まれた「方言」はわからない。

 この「方言」がエラーの原因のひとつになっていた。

 具体的には4ビットのチェック表。

1ケタ目■シールを貼る

2ケタ目■パッキンをつける

3ケタ目■塗装されている

4ケタ目■号試品

一番多く出る製品は「シールが貼って合って」「パッキンがついてる」「無塗装」「号試じゃない」

なので□□■■ってダンボールに印字してある。

現場では「白黒」と呼ばれていた。

保全課や品管では「3番」と呼んでいた。つまり進数

で、組み合わせによって16種類の製品が出来るわけで製品置き場も

□□□□00

□□□■01

□□■□02

□□■■03

□■□□04

□■□■05

□■■□06

□■■■07

□□□08

■□□■09

■□■□10

■□■■11

■■□□12

■■□■13

■■■□14

■■■■15

て、並んでる。

これが4ビットならいいけど、8ビットの行程では暗記しきれずに製品の並び方もぐちゃぐちゃになってる。

現場の人は2進数を10進数計算して変換してるのではなく暗記していた。

ここは改善しなきゃダメだよなぁー。実際に作業してみたら直感的でないのでやりにくい。

「ーーパシ」とか「試塗ーシ」にするだけじゃなくてなんか無いかなぁ。。。

_____

そんな事を考えていたらパートババア台車をわざとぶつけて来やがった!!

あーもぉ。。勘弁してくれよ。

作業がトロイやつはイジメラレル。つれー。

そこにパートのAがまた「子供が熱を出したので帰りたいがいいか?」って、おいおいおいーーー!

「それは、現場監督に聞いてくださいって行ったでしょうが!!」

だって社員さんでしょ?しっかりしてくださいよ、もう。使えないわねぇー」

久しぶりの現場で作業がきついのと、疲れとかストレスとか不安とか恐怖が破裂して

「私はアンタの上司じゃない!2進数もわからないくせに!」って変なこと叫んで泣きながら逃げてきた。

明日学校いきたくないなぁ。。。。あ。。。会社だった。

2011-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20110610125942

元老院階級エリート層)が揃って優秀で、かつノブレスオブリージュの精神に満ち溢れていれば、の話だな…

選挙洗礼ないんだぜ。執政官その他の人材プールになるべき元老院議員には。いまこの国でやっても腐敗するだけ。

いま国会議員高級官僚連中を見てる限り、全然別のエリート層をイチから育てなきゃならんだろ。気が遠くなる。

(使えるヤツが全くいない、てこともないだろうけど(と思いたい))。

つーか、一番上に書いた前提が成り立ってたら、政治体制なんかどんなんでも割とうまくいっちゃうんじゃね、って気も。

2011-04-23

牛頭さんの中学時代

中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。

彼女言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないでしいと思った。知るのが怖かったのだ。

教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタート悪魔がせせら笑った気がした

はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。

昨日まで楽しかった学校拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。

私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期少年少女ありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。

無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。

2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものはない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。

私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。

血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界から情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。

無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活けが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。

オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このとき絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。

家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。

「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した

私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。

突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。

恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日目標ができて私は嬉しかった。

それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通ことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。

3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイト不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。

3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。

年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。

合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。

私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情ダムは決壊した

気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。

その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。

卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトアルバムに寄せ書きをした写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。

下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした

「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後最後味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした

帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい

2011-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20110123233257

就職する人間資本家の犬、知の探究こそ正しい生き方!」

理学は高尚で工学は卑しい!」

というのはいかがなものでしょう。

ささやかかもしれないけれど、なにか新しいものをつくるだとか、そうでなくても製造工程を見直して製造効率を高めるというだけでも、すごく立派なことだ。

事故なく発電所が稼働してくれてることで、こうして夜更かしだって出来る。

知の探究よりも、多くの人を幸せにすることが多い。

伝導性ポリマー青色LED発明が卑しいか?

ハーバーボッシュ法が卑しいか?

教育機関の中では、特に大学では、アカデミズム至上主義がある気がします。

現在教鞭をとっている人間ほとんどは、高等教育機関から高等教育機関教員になった人間で、アカデミズム至上主義から一歩も出ていないことがほとんどです

一方、民間企業に勤めると、利益至上主義の洗礼を受けたりします。

いったいなにが幸せへの切符なんでしょう?

金があれば幸せか?

知を探究していれば幸せか?

人望か?

よき伴侶か?

答えなんかないんです

自分は、金とも知とも関係ないところで、例えば早起きしてジョギングして汗を流しているときなんかに幸せを感じたりします。

あなたにも幸せが訪れますように。

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