「ただちに」影響あったらもちろん大問題だが、「ただちに」ではなくても多大な影響があるなら同じく大問題だ。
国語と算数二つのテストを返された子どもが、結果について「国語は問題なかった」としか言わないなら「算数の結果を言わないのはなぜ」とだれでも思うんだ。国語(即時性)だけが問題なのではなくて、算数(最終結果)も同じくらい大きな問題だからだ。そういうときに一方だけを何万回繰り返されても、不安は消えないんだ。
そもそも「非常時に短期間という限定的な状況下で許容されるレベル」の線量を基準にする時点で、できるだけ事故を過少にみせたい政府の姿勢はよく知られていたから、それも国民の不安を煽るのに一役買ってただろうけど。
…それにしても、こんな、「ただちに」が話題になった理由が未だに分からない人がいる…のか?本当に。これ、こうやって説明しなきゃいけないような話なのか?
個人的な感想
30歳までに1000万貯めるのが目標。
私はまともな人と再婚できるのでしょうか。
何がしたいの。なんで再婚したいの。就職している彼氏が嬉しいとか全然理解出来ないんだけど、何が望みなの?働いていることに意義とか意味とか価値とか優越感持ってる人いるけど、俺は持てないなあ。何の価値もないと思う。特に会社員。すきでやってるならどうぞ、と思うけど。本当に好きでやってる人なんているの?どうせ世間体とか食うためとか養うためだろ。立派立派。がんばれ。でもそれ奴隷と一緒だね。そりゃあ、やっているうちに何か喜びとか見つけるかもしれない。それで満足なら続ければいいんじゃない。それよりは死ぬまで自分の好きなことやってた人の方が、死ぬときに自分の人生を見直して満足できると思う。
就職とか貯金とか、超くだらないなあと。クソどうでもいいなあと。何かするためにお金を貯めるのはわかるけど、それが無いのにお金を貯める神経が理解出来ない。自己啓発とか、何がしたいの?何のためになるの?意味が分からない。具体的な行動指針はあるの?それをどうつなげるの?それがないと何をしても意味なくない?がむしゃらな努力は自己満足にしかならないよ。とにかく、人にあれこれ言われて動いている時点で、それはあなたの人生ではないなあと思う。自分の人生を生きれば?何がしたいの?結婚てそんなに美味しかったの?あなたもう死んでいるのと同じようにしか見えない。
外国人のふりをした日本人なのかどこか近くて遠い国の人なのかわかりませんが特に反論したい点をいくつか
>1.マナーに異常に厳しいが、融通が利かずユーモアがない(ジョークやいたずらをしないけど、靴を並べないと怒る)
茶化したりジョークでごまかすのが全てにおいて正しいという認識がおかしいですね
>5.差別はないけど、いい人でも仲間はずれにしたりいじめたりする(みんなだれかのことが嫌いなのかな。怒っている。)
これは洋の東西を問わずどこでもありますね。「日本だから特に酷い」というものでもありません。
>7.感情表現が変(愛してるというと軽いといわれるがほんとなのに。私や私の外国人の友達もよく軽いといわれる)
ダイレクトに表現すること=正解 というのは文化の押し付けに他ならないですね
本気で思ってるんだったら、病院行ったほうがいいよ。
自己啓発の方向を少々変えたほうが、あるいは今の自己啓発プラス、自分の肉体、健康に投資してみたほうがいいと思います。
まず、よく生きるとはなんでしょう?
しかし、それなんかより、まずは生きていないと、健康でないと、そういう楽しみはないでしょう?
欲しいものが手に入るなんていうことよりも優先度は高いんです。
それが第一の理由です。
入会金1万円、月会費1万円くらいのやや高めのジムに通いましょう。
飲み屋でもレストランでも、値段というのは、味より何より治安の良さに反映されます。
騒がしい高校生などがいないため、シリアスにトレーニングできます。
学校の体育などとは違って、誰と張り合うわけでなく、自分のペース、自分のレベルに合わせて行えばいいだけです。
一般の人が持つイメージと違って、ダンベルやバーベルは非力な人にも向いてるんですよ。
腕立てや懸垂は自分の体重を支える筋力がないとできませんが、5kgのダンベルが重たいと感じる人はもっと軽いダンベルを使えばいいのです。500gでも、100kgでもいいんです。
方法論も確率されているので、運動音痴でも、スポーツエリートでも、多少の痩せやすさ筋肉のつきやすさなどはあっても基本的には誰にでも効果があります。
失礼ながら、倹約家の食事というものは空腹を満たすための食事(カロリーを満たすための食事)となりがちです。
運動と健康的な食事は、あなたを魅力的な体型にしますし、容姿を若く保ちます。
第二の理由として、男にとって女性のどこに魅力を感じるかというと、やはり第一は容姿でしょうから、魅力的なプロポーションと若々しさは手に入れて損はないですよ。
(長すぎて続きが表示されなくなっていたので分けました。)
「死ねば?」
「何故ですか」
「だって生きていても楽しくないんでしょ?」
「大抵はそうですね」
「だったらなんで死なないの?」
「それはさっき言いましたよね」
「…人間生きるか死ぬかどっちかじゃない?早く死にたいんだよね?」
「どちらかと言えば」
「死ぬのは嫌なの?死にたいの?どっちなの?」
「じゃあなんで死なないの?どっちなの?わけわかんない」
「あの、一ついいですか?」
「なに?」
「あたりまえじゃん。死ぬか生きるかしか無いじゃん?他にあるの?」
「死ぬの反対は生きるじゃないですよ」
「じゃあなんなの?」
「生まれるです。」
「生まれる…」
「…死ぬ事の反対は生きるじゃないの?」
「そうです。"死ぬ"の反対は"生まれる"です。そもそも死ぬというのは出来事です。生きるというのは状態です。」
「え、なにそれ?」
「うん、学校で習ったよ」
「動詞の種類に、動作動詞と状態動詞というのがあったのを覚えていますか?」
「んーなんとなく」
「あれに近いです。つまり、死ぬというのは動作動詞です。生きるというのは正確には"生きている"という状態動詞です。」
「ほんとに?それあってる?」
「知りません。でも言わんとしてる事はわかりますか?」
「わかる。生まれるも、動作だしね。」
「そうです。死ぬと生きるという二つは対になるはずがないのです。生きるの反対は強いて言えば、死んでいる、でしょうか。」
「…それで何が言いたいの?」
「何が言いたいか」
「うん」
「私が言いたいのは、早く生を終えたい事と、今生きている事は両立するという事です。」
「え?両立?」
「おかしくありません」
「なんで?生きてるのに死にたいんでしょ?」
「そうですね」
「矛盾してるじゃん!」
「どこがですか?」
「どこがって、全部!」
「まず、生きているということ、の反対は、先ほど言ったように死んでいるということ」
「え?うん、そうだね」
「生きているのに死んでいる」
「なにそれ?」
「矛盾…っていうかわけわかんない」
「それが矛盾です。生きている事と対になっている死んでいるという状態が重なっている。これはどちらなのかわからない。矛盾しています。」
「そうだね、どっちなの?」
「だから矛盾しているのです。今言ってるのは生ける屍とか死んだように生きてるとかそういう話ではないですよ」
「それはわかってる!」
「では、死んだのに生まれた」
「死産?」
「いえ、出産のことではありません。言い直しましょう。死ぬ人が生を受ける」
「どういう意味?」
「ある人が、死ぬと同時に生を受けるってことです」
「生まれ変わるってこと?」
「転生の話ではありません」
「じゃあなに?どういう意味?」
「矛盾しているという事です。死んだのか生まれたのかどっちなのか」
「どっちなの?」
「ていうか普通間違える?」
「そういう話ではありません。」
「じゃあどういう話?」
「生きている人が死ぬ」
「うん」
「これは矛盾してませんよね」
「当たり前の事だよね。生きてないと死ねないし」
「そうです。」
「何が言いたいの?」
「わかんないって!」
「生を終えたいという思うのは、生きていないと出来ません」
「うん、それはそうだね」
「ですから、生きているという状態と、早く生を終えたいという気持ちは矛盾しないのです」
「私が死なない理由は先ほど言いましたよね?」
「うん、聞いた。親がどうとか」
「では、理想としてはなるべく早く生を終えたいというのも覚えてますか?」
「覚えてるよ。早くないけどね。」
「私は今、生きてますよね?」
「目の前にいるのが幽霊じゃなければね?」
「わかってるし」
「ではもう一度聞きます。私がなるべく早く生を終えたいけれど、今生きているということは矛盾しますか?」
「…んっと、君の場合は、親が生きている間は生きたいんだよね?親が死んだ後死にたいんだよね?だから今生きているのは生きたいから生きてるんじゃないの?」
「生きたい、ですか?」
「違います」
「え、なんで?死にたいなら死ぬでしょ?親が死ぬまでは生きたいから生きてる。間違ってなくない?」
「間違っています」
「どこが!」
「はあ?」
「生きようと思って生きているわけではありません。」
「じゃあ死ねばいいじゃん!」
「死のうとも思いません」
「わけわかんない!じゃあなんで生きてるの?」
「生まれたから?」
「生まれたから生きてるって、なにそれ?」
「生まれたって死ぬひとはいるでしょ?」
「います」
「それは自然じゃないってこと?」
「どっちだよ!生まれたから生きているのが自然で、死ぬのも自然って」
「どちらも自然です。ですから、その場合の死は、事故死であったり病死であったり自然死であったりします」
「全然わかんない」
「私は今生きてますよね?」
「さっき聞いたし言った!!」
「そう、それが自然です。今私が生きている事というのは、この世に生を受けて、それを維持している。自然の状態です。そこに私の意思はありません。」
「でもご飯食べたり寝たりするよね?」
「します」
「それは生きたいからじゃないの?」
「違います」
「じゃあなんで?」
「あたりまえじゃん!」
「生きたいからではありません」
「だーかーらー、お腹がすいてご飯を食べるってことは生きたいって事にならない?」
「なりません」
「なんで?」
「食べるよもちろん」
「生きたいですか?」
「私は生きたいよ?」
「では、食事をとる時に生きたいって思いますか?」
「…思わないけど」
「生きるために食事をとると毎回考えて食べてますか?」
「…食べてない」
「では、生きるために食事をとりますか?」
「そりゃそうだよ」
「考えてもいないのに?」
「考えなくてもご飯食べる事は生きるためなの!」
「本当ですか?」
「当たり前じゃん」
「え?」
「生きるためには食事をとる事が必要だと、後から教えられただけではないのですか?」
「そりゃー教わったよ?でも教わらなくても生きるためにご飯は食べるよ」
「本当ですか?」
「お腹がすく」
「そう、生きるためとか知ってなくてもお腹はすくでしょ?じゃあご飯食べるよ」
「そうだよ、お腹がすくからご飯は食べる。それが生きるためになる」
「生きるためかどうか教わっていなくても、お腹がすくからご飯を食べる」
「そうそう」
「そうだよ?」
「…ごめん、わけわかんない」
「例えば、ですよ。例えば、あなたは生きるためには食事が必要だという事を知らないとする」
「うん。知ってるけどね」
「例えです。」
「たとえね、たとえ」
「そう、例えです。例えば、あなたは生命維持のための食事の必要性を知らない。しかしながら、腹は空く。当然、食事をとりますよね?」
「うん」
「では、あなたが食事をとった事は、生きるためではないですよね?」
「でもあなたは生きるために食事が必要だという事を知りませんよ?」
「知らないけど、知らなくても生きるためになってるよ」
「生きるためになっている。」
「うん」
「私自身?」
「そうです。あなた自身は、生きるために、と思って食事をとりましたか?」
「ええっと、私はその時点では知らないんだよね?じゃあ思ってはいない。でも実際はそう。」
「そうですよね。食事をとる事は生きるためになっている。でもあなたにその意思はない」
「そう、なるね。」
「話を戻していいですか?」
「ごめん、何の話だったっけ?」
「違います」
「じゃあなんなの?」
「また自然…」
「言い換えましょうか?では、私が今生きているのは、私が生きたいという意思を持ち続けてようやく維持している状態ではなく、私が何も考えないところで勝手に生きてしまっているのです。」
「でもご飯食べないと生きていけないよ?ご飯食べないの?」
「食べます」
「じゃあ生きたいからご飯食べるんでしょ?勝手に生きてるなら勝手に食べるの?」
「生きたいから食べたいんでしょ?」
「腹が減るってことは生きたいって事じゃん?」
「そうかも知れません」
「でしょ?」
「でも、死にたくても腹は減ります」
「じゃあ食べなきゃいいじゃん」
「その時が来れば食べません」
「今は生きたいってこと?」
「違います」
「だってご飯たべるんでしょ?」
「私が食事をとるのは、生きるためではありません。腹が減るから食事をとるのです。先ほどの例え話覚えてますか?生きるという意思を持って食事をとるのではなく、腹が空いたから食事をとるだけなのです」
「そんなの屁理屈だよ!だってご飯食べることが生きるためになるって知ってるじゃん?」
「知ってます」
「じゃあ生きるためになってるじゃん。死にたいなら生きるためになる事を避けるじゃん」
「私は今は死ぬ事は怖いので避けています」
「じゃあ生きるために食べるんでしょ?」
「違います」
「いいですか」
「なに!」
「私の住んでいる日本では、そして私の今の環境では、幸か不幸か、食事に困る事はありません。」
「そうかも知れません」
「そうだよ多分」
「そう、食事に困る事は無いのです。そして、また幸か不幸か、私は病に冒されてもいません」
「そうなの?」
「はい」
「そうは見えないけど…」
「そうなんです。つまり、今現在私は、死の局面には晒されておりません」
「知ってる。私もそうだし」
「そうですよね。」
「うん」
「そう、そういった状況において、生命を維持する事は、果たして困難でしょうか?」
「んー、ちゃんとご飯食べて、寝て、運動していれば大丈夫なんじゃない?」
「そうですよね。」
「そう思うけど?」
「では、私の環境において、食事と睡眠と運動は阻害されるでしょうか?」
「されるの?貧乏なの?」
「されません。」
「そうだよね」
「では、私がただ生きるだけというのは難しいと思いますか」
「ただ生きるだけ?わりと簡単なんじゃない?」
「わりと簡単です」
「そうでしょ」
「では、私がただ生きるためだけに、生きてやる!!という強い意思は必要だと思いますか?」
「ただ生きるだけなら、なんとなく生きていけるんじゃない?」
「生きていけます」
「そうだよね?」
「つまり、私は生きたいという意思を働かせて生きているわけではなく、腹が減れば食事をとり、眠くなれば睡眠をとり、体を動かしたければ運動をし、ただなんとなく自然に生きているのです。」
「なんか、怠けてるね…」
「そうかもしれません」
「…」
「私は今ただなんとなく生きています。そして、なるべく早く生を終える事を望んでいます。ただし、それ以上に私が死んで親や妹が悲しむ事を恐れています。それらは順序はあったとしても、矛盾はありません。」
就活はうまくいかなかったみたいだけど、会社員やフリーター以外にも働く方法、食べてく方法はたくさんあるよ。
アイディアがあるなら起業してみるのもいいと思うけど、大学に興味があるんだったら、折角ある貯金を使って大学に行くのもいいと思う。
大学では頑張れば授業料をチャラにしてくれたり、奨学金をタダでくれたり、そういう制度もあるから、うまくいけば使った分の貯金も取り戻せるかも。
まず興味のある学部学科を調べて、そこにどんな教授がいてどんな研究をしてるのかを調べる。
オープンキャンパスとかオープンラボとかに行ってみると、雰囲気が分かっていいよ。先生とか学生さんにどんどん質問できるといいね。
それで、人柄とか研究分野で興味を持てる教授がいる大学に行くといい。
普通の大学生が研究や学問に興味を持ち始めるのは、だいたい研究室配属のある3年か4年になってからなんだけど、1年の時から興味を持ってまじめに勉強してれば、先生にも目にかけて貰えるし、早い段階から研究をやらせてくれるところもある。
理系なんかだと、研究に必要な設備が高価だから、自分独りじゃできないようなことも、研究室の設備を使ってできるから楽しいよ。
研究と言っても、試験管で薬品を調合したりするいわゆるハカセがやってるみたいなことから、調べ物とか、計算とか、ものを作ることとか、ものを評論することとか、とにかくいろんな分野があるから、何かしら興味を持てるものがあるんじゃないかな。勉強好きだったら特に。
研究者は学会で発表しなきゃいけないから、自分の意見をしっかり持たなきゃいけないだとか、論理的に考えられなきゃいけないだとか、そういうのはあるけど、人付き合いは、研究のことだけ喋ってればいいから、研究職には結構人付き合いが苦手な人は多い。
らくなみちではないけど、フリーターだってらくじゃないから、そういう道を選択肢に入れてもいいと思う。
もちろん卒業して会社に勤めてもいいし、学生ベンチャーとか初めてもいいし、NPOでもいいし、青年海外協力隊とか行ってもいいし、公務員になってもいいし、未来は可能性に満ちあふれているよ。
TPP、首相さっそく厳しい洗礼 加盟国会合招かれず
オバマ米大統領が12日朝にホノルルで開く環太平洋経済連携協定(TPP)交渉9カ国の首脳会合に、野田佳彦首相が招待されない見通しであることが11日わかった。9カ国が積み上げた交渉の成果を大枠合意として演出する場に、交渉参加を表明したばかりの日本は場違いとの判断が背景にあるものとみられ、TPP交渉の厳しい「洗礼」を受ける形だ。
日本政府の一部には、野田首相がアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議前に「交渉への参加」を表明すれば、TPP首脳会合にも招待される可能性があると期待があっただけに、落胆が広がっている。TPP交渉を担当する日本政府高官は「日本(の出席)は少し違うということだろう」と語り、現時点では、出席できない見通しであることを認めた。
昨年11月に横浜であったAPEC首脳会議の際にも、TPP関係国の首脳会合が開かれ、当時の菅直人首相がオブザーバーとして招かれ参加していた。(ホノルル=尾形聡彦)
もう交渉に入れて貰えるまで日本に帰ってこなくていいよこいつ…。どの面下げて帰国するつもりなんだろ。
懐かしい〜
今もお元気なのかしら...
っと思ったらID変わっておられたのね。ふぉー。しらなんだ。
子どもとご縁がなくても、アレ(女の子のおしるし)が止まったら「ぱたっ」と、子どもがどうのとかおもわなくなるよ!!(笑)
そうするともうね、「あれ?」て気づくことがたくさんあって。あれっなんでこんなに焦っていたのかしらって。
乳はアレとは無関係のようだ。痩せたらカップ数が20代に戻った・・・というかもういっこあがった。
あともうちょっと。がんばって〜ノ
http://anond.hatelabo.jp/20111112181142
とりあえずの感想を。当然だが私一個人のテキトーな感想なので、深く受け止めてはいけない。
私利私欲のためにやっちゃいけない融通利かせて逮捕される馬鹿もいるけどね。
マナーに厳しいのはマナーが守られる社会の快適さを感じている人が多く、ジョークやいたずらの不快感や損失、悪質さを感じている人が多いからかと。
とはいえジョークやいたずらに勤しむ人々がいないわけじゃない。
2.自分の気持ちに素直じゃない。損得で行動する(いつも本当の気持ちで行動しない)
損得の気持ちが他の気持ちを上回っているだけなんじゃないかと。
3.自分が成功しないんじゃなくて、他人が成功するのが悔しい(成功している人の悪口をいう。でも悪いことや失敗している人の悪口はいわない)
成功している人の悪口は結構ある。でも悪者や失敗への悪口も多いと思うよ。後者は表立ってはなかなか言われないだけで。
4.ブランド物など他人と比べる、相対的な方法でしか幸せを計れない(私の国では考えられないくらいみんなブランドものを持っている!)
この傾向は弱まってきてると思うけれども、一時期はすごかった。
差別は無意識中心に結構あるとは思うが、まっとうな指摘を受けたら問題ない程度まで修正する人が大多数だと信じたい。
あと、あなたが良い人に感じてても他の大多数はそう感じてないとか、誰かが誘導かけて追い込んでいるとか、そういうケースは多いかと。
要求が超ハイレベルなだけ。トイレで言えばトイレットペーパーに満足できずウォッシュレットや温かい便座を作ってしまうようなもの。
感情表現は奥ゆかしさが最上という、少なくとも平安時代以前から続く文化があるので、嫌とか言われようと変えるのは非常に困難。特に愛を告げる方法には、知性と感性がいかに優れているかが勝負どころだったという長い歴史がある。ストレートに愛を告げるのは「愛を告げる方法はストレートしかわかりませんでした」という敗北宣言になってしまいがちなのである。
8.性別の特徴をみとめない(男は強くて、女は弱い。そういうことをいうと怒る。でも女は男より綺麗でしょ?)
男尊女卑だった文化へのカウンター期という側面が強いかと。ただ今後落ち着いていくかはわからない。
主に発音がね…。RとLとか幼少の頃に訓練しないと耳も口も獲得できないという説が強かったはず。
ふう〜ん、と思う反面、なんか変だなと思う所があるので書きます。
文化の違いだと思います。ユーモア、ジョークの類いは国ごとに大分違うので分かりにくいかもしれないけど(イギリス人ってアメリカンジョークで笑うのかしら?)、日本人も笑いは好きです。
基本的に礼儀正しいのは良い事だと思います。異常に厳しい、の異常がどの程度か分からないけど・・・。
2.自分の気持ちに素直じゃない。損得で行動する(いつも本当の気持ちで行動しない)
損得ではなくて、「場」によって行動する文化なんです。これは良い所もあるし、悪い所でもあると思う。
3.自分が成功しないんじゃなくて、他人が成功するのが悔しい(成功している人の悪口をいう。でも悪いことや失敗している人の悪口はいわない)
4.ブランド物など他人と比べる、相対的な方法でしか幸せを計れない(私の国では考えられないくらいみんなブランドものを持っている!)
これは確かに良くない所ですね。日本の文化では、「場」とか「空気」とか、とにかく自分以外の人達の気持ちや視線が重要なのです。
わかりにくいけど(直した方がいいと思いますけど)、日本にも差別はあると思います・・・。括弧の中はよく理解出来ません。例えば?
何をおいしい/おいしくないと思うかは人それぞれなので、別に悪い所ではないと思います。
でも、私はあまり食べ物に文句をいう人が多いと思った事ありませんけど・・・。
これは文化の違いです。(大方の日本人は「愛してる」は一生に3回以上は言わないと思う)
本当に大切な事は、何回も繰り返して言わない方が良いとされている文化なのです。
貴方の文化では、大切な事は何回も言う方がいい、という文化なのですね。それを「軽い」と言う人は、貴方の文化を理解していないか、照れているのです。
8.性別の特徴をみとめない(男は強くて、女は弱い。そういうことをいうと怒る。でも女は男より綺麗でしょ?)
私はむしろ逆の傾向を感じます。日本人の男女差別傾向はかなり強いと思います。
学校での英語は読解・文法中心なので、「話せる」人は少なくても、「読める」人は結構居ますよ。
自分で興味をもって2年間英語を勉強した人なら、貴方と同じくらい「話せる」人はたくさん居ます。
私の周りの人はそんなことないけど・・・?
TVを見る時間が出来たので見ているんだが、
だいぶ前に言われた趣味の多様化に伴う多チャンネル時代、なんてのは
テレビ局側は一切望んでなかったんじゃなかろうか。
じゃなけりゃこんなすっかすかなBSデジタルとか地上波とかって
上京はならないんじゃないの?とか
なんにも考えないで書いてみる。
そうやって女から逃げてても仕方ねえだろう
頑張れよ、男なら。
女を救えるのは男だけなんだぞ、実際のところ
男がやらないで誰がやるんだ。女に女は救えんのだ。世の中はそう言う風にできとるんだ
経済学だけの問題じゃないと思うが。
あーそこまで首で支えてはさみ込むとこまではやってないですね。
引用箇所については、実際のプロが演奏している映像やアマチュア演奏会にも足を運ぶので、理屈はだいたい分かるのですが、どうもその勝手がうまくいかないんですね。
うん、そこが俺も難しいと思ってるところなんだ。
彼らを理解してあげられる人間が周りに一切いないという事態を避けるという意味で「逃げ道」を用意したいと言ったんだけど、本当に大変なのはその先なのかもね。
できることならそういう人も仲間として一緒に活動していきたいし、そうする以上彼らにとって心地よい場を提供してあげられたらと思っている。
でも、その理想を叶えるためには、あなたの言う「ラベルを貼る」とか「自主的に出ていく出口を与える」で終わってしまってはだめだよね。
なんだろう、やっぱ何が一番その人のためになるかって、こういう一般的な議論だけでは答えが出ないのかもな。まだ分からんけど。