はてなキーワード: 役者とは
おー。ユマ・サーマン、ウィレム・デフォー、それにステラン・スカルスガルド、なんといってもシャルロット・ゲンズブールと、いい感じの役者が出てるなー、
http://anond.hatelabo.jp/20150122235652
村上春樹の『スプートニクの恋人』に『旅の重さ』という映画と似た部分があるという話。
そもそもこの映画は素九鬼子という作家の同名小説『旅の重さ』(1972年)が原作になっている。2つの小説を比べてからものをいったほうがよいだろう。
『スプートニクの恋人』と映画『旅の重さ』のモチーフに重なる部分があるといえばあるのだけど、『スプートニクの恋人』を原作小説『旅の重さ』の該当部分と比べると、そんなに似てはいないと思う。
1.大人の女である旅役者とまだ少女の主人公が、裸で海水浴をする場面。
映画では旅役者の政子が「ねえ、泳ごうか」と、主人子を誘って海へ入ることになっているが、原作の小説では逆で、主人公が政子を誘って海へ入る。政子の奔放さのほうが強調された形になっている。
映画該当部分:
http://youtu.be/cVxXT7S4G0I?t=40m13s
政子とちうこの女は、わたしに旅役者にだけはなるなと言うの。[…]
わたしはこの女をさそって海へ行ったの。女は海水着を持ってないので、パンツひとつで水にとびこんだわ。わたしも真似をしてパンツひとつで彼女の後に続いたの。彼女の泳ぎの上手いことは、とてもわたしやママの比じゃないわ。もぐりだろうと背泳ぎだろうと何でもござれなの。泳いでいるうちに長い髪がとけて背や胸にまつわりついてね、人魚のようだと言うと、可愛らしいことを言ってくれるねえだって。女があまり遠くへ行くので、わたしは怖くなって退却したの。砂に腹這いになって小さくなった女の姿を眺めていたの。[…]
やがて女は戻ってきたわ。わたしは改めて女の胸の豊かさに目を見張ったわ。それから無意識にじぶんの胸を両手でかくしたの。あまりの貧弱さにじぶんがかなしくなってきてね。すると女は、かくさんでもええがねえ、と言ってわたしの手を力いっぱい引張るの。それから女はこんなことを言ったの。あんた、二十じゃと言うたんは嘘じゃろ。その体付をみたらわかるこっちゃないの。ほやきんど心配せんどきよ。そななことはちょっともどうちゅうことあれへんのじゃけんね。――
映画では二人が体を合わせるのは一度だけ、だが原作小説では、二度である。
映画該当部分:
http://youtu.be/cVxXT7S4G0I?t=51m18s
いつのまにやら女はわたしを抱いたままで草の上に横になっていたわ。ふたりはお互の肌を愛撫し合い、唇と唇を合せていたの。女の煙草の味のする唇を激しくなめると、女は力の入った手をわたしのズボンの中に入れたの。わたしは女の乳房に顔を埋めていたの。性欲の火花がこみ上げてきて、わたしは泣きじゃくったわ。ふたりの体に性欲の稲光が充電し合い、だんだんと激しい落雷となっていったわ。それから陶酔に焼焦がされたふたつの体がひきつったまま、青草の上にひとつになってころがっていたの。
(p.108)
とうとうふたりは二日前のあの藁ぐろまでやってきたわ。それからふたりは例の如くにもつれて倒れたわ。政子の力をこめた指の乱暴な痙攣が青空を泳ぐ。剥げかかったマニキュアが、しおれた花びらのように大空でもがいている。
ここでも、わたしはじぶんの無力をいやというほど感じさせられたの。政子がわたしの体の上で身をよじっているとき、わたしはただ彼女の呻きの澄切った声と、重くてしなやかな足のくねりと、宙をあえぐ細い長い指と、わたしの唇をこすりながら揺れ踊る巨大な乳房とに圧倒されていたの。
(pp.115-116)
『旅の重さ』という小説も映画も、いまでは殆ど忘れられており、つくられた時代相応の古さを感じさせるが、なかなか素敵だと思う。この映画が『スプートニクの恋人』にどこか似た部分を感じさせるとすれば、この映画が公開された70年台初頭の空気を村上春樹という作家の小説がどこかに残しているということではないのかな。
当方、スポーツ観戦に興味がありません(自分がやるのは嫌いではない)
周りが盛り上がっているのを見ても「そんなに楽しいかなあ」と思うばかり。
よくスポーツは「筋書きのないドラマ」と言われるけど、それだったら
作家や脚本家が一生懸命ひねり出した「筋書きのあるドラマ」の方が
きちんと盛り上がりも考えられているし、よっぽど面白いのではないかと思うのです。
エンターテインメントとしてスポーツを見た場合、映画やドラマなどより優れている点は2つあります。
2.展開や結末があらかじめ用意されていない点
もっとも映画やドラマだとしても、1は役者の演技力や演出によっていくらでもカバーできるし、
2はあらかじめ用意された(ベタな)シナリオでないと観客に思わせればいいわけで、ようするに脚本の質の問題。
これを持ってスポーツの優位性を説くには、ちょっと弱いかなと思う訳です。
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話は代わりますが、私は映画とかのキャッチコピーで「真実の物語」とか「感動の実話」をうたうことに、何の価値も見出せません。
別に実話だろうがフィクションだろうが、物語が始まってしまえば関係ないからです。
しかしながら興行成績などを見る限りでは、世間の人にとって実話であるということが
物語における強力な「付加価値」となっているのは、認めざるをえません。
そう考えたときに、ふと気が付きました。
これってスポーツ観戦でも同じことが言えるのかな、と。
野球でもサッカーでも何でもいいですけど、観客がスポーツに何を求めているかというと、結局のところは真実性です。
目の前の試合が「本当のこと」として担保されているからこそ、観客は安心して感動することが出来るわけです。
こればっかりは、本質が作りごとである映画やドラマでは到底かないません。
元記事はこちら。
http://www.bbc.com/news/magazine-30698640
【追記】こちらの訳よりずっと上手い訳が出てたので、そちらのリンクを張っておきます。
http://knagayama.net/blog/2015/01/08/bbc-why-hasnt-japan-banned-child-porn-comics/
【追記終わり】
BBC「何故日本では“児童(チャイルド)ポルノ”漫画を禁止しないのか?」 - Togetterまとめ
(数字)注釈付きの文はよく分からず無理に訳してるので誰か直してくれると嬉しい。
MangaやAnimeとして知られる日本の漫画やアニメは巨大な文化的産業であり世界的にも有名だ。でもその幾つかはショッキングで子供の露骨な性描写を特色としている。何故日本はこうしたものを禁止するのに反対することを決定したのか?
日曜の午後、東京、サンシャインクリエイションは活況だった。何千もの漫画ファン、その多くは男性、は展示センターに群がっていた。部屋の中を歩き回りながらテーブルの上に売り物として並べられたコミックマガジンを熱心に読みふけっていた。エルフ顔でメス鹿のような目のアニメヒロインのポスターの多くは肌もあらわであり得ない程均整が取れて海綿を色とりどりに変えている。(1)
「このエリアは主に性的な創作を扱っています。」とイベント主催者の一人Hideは説明する。
我々は二人のトップレスの少女がカバーに描かれたあるテーブルで足を止めた。私の目には彼女らは13,4歳か9,11歳に見える。ストーリーは彼女らが際どい性行為に及ぶ様を描いている。
他のいくつかの売店は似たような物を売っている。これらはUK、オーストラリア、やカナダでは間違いなく論争を呼び、おそらく違法になるだろう。しかしここでは大した問題ではない。
「児童虐待が良くないことだというのはみんな知っていますよ。」Hideは言う。「でもそういった感情を持つのは自由です。何らかの子供との性的な場面を想像し楽しむことは禁止されていません。」
彼の正直さに私は面食らった。そして彼は「ロリータコンプレックス」を略した「ロリコン」という言葉を私に紹介した。若い少女が性的に露骨な行為に及ぶ様を描いた漫画を意味する。それは近親相姦やレイプ、その他のタブーを含むこともある。Hideの嗜好は高校ロマンスにあるというが。
「私は若い少女の性的な創作が好きなんです。ロリコンは私の数ある趣味の中の1つに過ぎません。」彼は言う。
私は彼にあなたの妻が近くに立ってあなたの「趣味」をどう考えるか尋ねた。
「多分何も問題ないと考えると思います。」彼は返した。「だって彼女は若い少年が性的な行為を成すことが好きですから。」
こうしたものは日本の巨大なマンガ産業 - 年間約36億ドルの売上げ - の極一部である。しかしそれは多くの注目と論争を引きつける。
2014年の7月、衆議院は児童の性的虐待のリアルな映像を所持することを禁じることを可決した。これらの映像の制作と配布1999年から違法であった。しかし日本はOECD中で所持を違法化した最後の国だった。
その頃、漫画、アニメ、ゲームの18歳以下に見えるキャラクターの「ヴァーチャルな」性的映像を違法化する呼びかけもあった。しかし討論を重ねた後、衆議院はこれに反対することを決めた。この決定は児童保護の運動家やNGO、特に日本の外から非難を浴びた。
より理解を深める手がかりとして事実を示すと、Hideは私たちが会ってからたった数分で彼の「趣味」について楽しそうに討議しはじめた。とても幼い子供を含む漫画がある種の社会的烙印を取り付けられているように見えるけども、青春期の若者を含む性的なモノは確かに興味をそそるメインストリームだ。(2)
日本の国会議員は多数 - 潜在的に数百万 - の漫画ファンを犯罪者にすることを明らかに嫌がっている。
Hideの様なファンは主張する。我々は無害なファンタジーを楽しんでいるだけである。いかなる子供のモデルも役者も含まれていない。彼は言う。だから「性的テーマの漫画を創作することは児童虐待ではない。」
東京秋葉原は漫画界の精神的なホームである。ネオンサインとけたたましいポップミュージックが目と耳を圧倒する。高層の書店が街中に並び、太陽の下であらゆるテーマの漫画を販売する。
18歳以上に制限された大人用セクションではジュニアレイプや日本人プレティーンスイートといったタイトルの漫画を探すのは難しくない。
「あるモノに性的興奮した人はそれに慣れます。」ある大人向けストアのカウンター裏で働くTomoは言う。「だから彼らはいつも新しいものを探しているんです。そして若くて未成熟な女性に興奮するようになる。」
これが批評家が心配していることだ。- 性的に露骨な漫画の創作で誰も傷付けられていないとしても、正常化し助長させ、性的虐待のリスクを増大させるかもしれないという懸念だ。
これが真実かどうかは誰にも分からない - 研究は確定的ではない。しかし日本人の多く、特に女性も広く関心を寄せている。彼らは女性の品位を傷付けるような強烈なポルノや若者の性欲化への目を閉ざす社会としてこれらの映像を見ている。
日本では若者の魅惑を探すのに遠くを見る必要はない。若い少女のポップグループが成人男性の集団に向けて演技する。そして看板や広告から漫画までスクールガールの映像はどこにでもある。
Sex in the City, Tokyo風の本で若い女性に人気の作家、Lilyは彼女の学生時代について話す。男が彼女とその友達に近づき、彼女らの靴下やパンティのためにお金を差し出したのだ。
「あれは不快だった。とても変態じみていた。」彼女は言う。思春期の性への魅惑というのは「男が成し遂げたいという力が全てだ。強くて自立した女性が嫌になった男のね。」彼女は主張する。(3)
Lilyの親の時代の家族モデルはまだ日本では強い影響力を持っていた。 - 父親はお金を稼ぎ、母親は主婦として家にとどまる。しかし日本経済の弱体が現実化を困難にした。
「business-wiseで成功しない人達がいる。おそらく彼らはロリコン漫画というファンタジーに出会っている。」(4)
「私は大嫌いだ。本当に大嫌いだ。私はこうした性癖異常を日本から追い出して欲しい。子供達をこうした変態から引き離して欲しい。あなたのファンタジーの中であっても。」
しかし他の人達は政府が何が「良く」て「適切」なのか定まった指針を規定し強制するため関与すること、特にファンタジーという領域に、に懐疑的だ。
「批判的になる理由は十分にある。それはよいことだ。」漫画翻訳家で言論の自由支持者、兼光ダニエル真は言う。「しかし他人が何をし何を考えたかに基づいて他人を捜査する権限を人々に与えるなら、それは思想の取り締まりだ。」
それでは彼は小さな子供やレイプ、近親相姦のようなタブーを描いた漫画の創作者の権利を擁護するのだろうか?
「私はそれらが不快です。でも私には人々がどのように考え共有したいか言う権利はありません。」彼は言う。「他人の人権を侵さない限りはファンタジーライフを送って何が問題なのでしょうか?」
・日本は1999年子供の性的虐待の映像の制作と配布を違法化した。 - UKの21年後である。
・2013年、米国務省は日本を「児童ポルノの制作と取引の国際的なハブになっている」と記述した。
・日本の警察庁は2013年に1644件の法律違反があったと報告した。 - 1999年の法律が強制力を持ってからどの年代よりも多かった。
・2014年7月、日本は児童性的虐待の映像の所持を禁じた。国民は従うまで1年の期間を与えられた。
秋葉原の漫画ショップに囲まれ、児童保護運動家のKazuna Kanajiriはカートゥーンやコミックよりもっと大きな問題があるとある場所に私を連れて行った。メインストリートを抜けて階段を一歩一歩上り、大量のDVDが積まれた部屋に現れた。
Kazunaは棚から1枚引き抜いた。そこにはリアルな少女の映像が描かれていた。彼女が言うには少女は5歳で小さな水着を着せられ、大人のポルノの真似をして扇情的な姿勢でポーズを取っていた。ショップの中にある他の全てのDVDも本物の子供を特色としていた。
「私はこの子供達が気の毒に思う。」Kanajiriは私に告げた。
これら所謂「ジュニアアイドル」DVDは1999年に児童ポルノの制作が違法化されてからポピュラーになってきた。
これらは性器が隠されてさえいればこれらは法律を回避するのだ。しかしKanajiriは言う。7月に法律が強化されて、これらは今は違法となっている。
「搾取する人は適切に裁かれなければならない。」彼女は言う。「法律の下ではこれらは完全に違法だ。しかし警察は取り締まっていない。」
性的な場面で未成年者を特色としたマンガとアニメにおける幾つかのコンテンツはショッキングで注目を掴むものであるかもしれない一方、Kanajiriと私が話した他の運動家は私に告げた。今のところは彼らは現実の子供を保護するためにより重要なバトルにフォーカスするという。
しかし彼女は論争の的であるマンガとアニメを禁止する望みを諦めたわけではないという。
「私は消し去りたい。」彼女は言う。「2020年に日本で夏オリンピックが始まる時、みんなが日本を変態文化と呼ばない国に変えたい。」
それはマンガサポーターが強く拒否するような説明だ。しかしオリンピックが近付けば、外部の目が日本に注意を向け、「奇妙な日本(weird Japan)」より「クールジャパン」としてみんなが見るように、マンガやアニメへの強力な圧力が働くだろう。
(1)Posters of elfin-faced, doe-eyed cartoon heroines, many of them scantily clad and impossibly proportioned, turn the cavernous space into a riot of colour.
(2)Although manga involving very young children does appear to have some social stigma attached to it, sexual material involving adolescents is a fairly mainstream interest.
(3)The fascination with adolescent sexuality is "all about the power that men want to achieve, men who are tired of strong independent women," she argues.
(4)"There are people business-wise who are not successful, maybe they are running into fantasy with Lolicon manga.
主人公の女の子が最初の0話で生まれ(0歳)、最終話の25話(25歳)で結婚するような話(以下、ややこしいので話数は0話始まり、つまり話数が主人公の年齢と同じ数字とかんがえる)。
今まで、同じアニメ内で海に行く話やクリスマスの話など、季節系のネタをやるというのはよくあったけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると、同じアニメの同じキャラクターによる小中高の入学式や修学旅行や卒業式、はたまた七五三や成人式などの年齢にとらわれる時期ネタというのができる。
さらに、主人公が成長していくという成長アニメはよくあるけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると主人公の内面だけでなく、外見まで成長していくアニメということになる。そんなアニメはなかなかないと思うし、主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように見れるアニメになれるのではないかと思う。
「30分アニメで1年を描くということは、2分~2分半で1ヶ月分を描くということか? そんなの無理だ!」と思われそうだけど、そういうわけではなく、1年の中でメインとなる話を2,3抽出してその話を主に描くというイメージ。例えば7話(7歳)なら、小学校入学ネタと七五三ネタの2つをメインにもってきて、他の時期の話は短い時間で簡単に描くという感じ。サザエさんだって30分の間に3話分やってるし、現在放送中のアニメ、『デンキ街の本屋さん』の10話ではバレンタインとホワイトデーを両方描き、さらにその前の9話のCパートではクリスマスの話をやっていたので、これだけで30分で数カ月分描けるということが分かる。
それでも、「その話は1話で数ヶ月じゃないか! 1話で1年なんて無理だ!」と思う人もいそうだけど、『琴浦さん』というアニメの1話では最初の10分で15年を描いたので、30分で1年ならもっと余裕をもって描けるだろう。他に思いつくのは、映画だけど『おおかみこどもの雨と雪』は2時間で13年間を描いていた。
そもそも、自分がこういうアニメを見てみたいと思ったきっかけは、30秒で60年ほどの年月を描いたディズニーリゾートのCMを見たからであって、30秒で60年が描けるなら30分で1年も十分にできると思う。
さらにいうと、1話で1年進むというのは自分はアニメぐらいでしかできないのではないかと思っている。実写ドラマでは無理だ。数年後みたいにいきなり話がとぶのではなく、前回の話の終わりと次回の話の始まりの間隔は数ヶ月しか差がないので、いきなり年齢にあわせて役者を変えるとなると非常に違和感があるだろう。やるとするなら、26年間の撮影が必要になり、非現実的だ(ハリウッド映画の『ボーイフッド』という作品は、12年かけて撮影してたというから、もちろんありえなくはないが)。
では、漫画だとどうだろう? 漫画でもできなくはないが、場面転換が少し多くなるので難しいのではないかと思う。4コマ漫画ならできなくはないかもしれないが、個人的にシリアスな話も入れて欲しいので4コマ漫画はあわないのではないかと思う(『琴浦さん』を例にあげといてそれはないだろ! とセルフツッコミ)。小説はできるかもしれないが、内面だけではなく外見の成長が大事な作品となるのでやっぱりあっていない。
シミュレーションゲームやアドベンチャーゲームならできるかもしれないが、操作が面倒だ。
もちろん、だからといってアニメだったら簡単にできるというわけではない。他のアニメ作品と比べると、主人公を演じる声優は0歳から25歳までを演じ分ける必要があり、非常に難しい役どころとなる。主人公は女の子と考えたのも、男だと声変わりがあるので無理だと思ったからだ(こんなこと言うと、野沢雅子ならできる! とか、緒方恵美ならできる! 山寺宏一なら! 石田彰なら! とか言われそうだけど)。キャラクターデザインも同じく0歳から25歳で描き分けなければいけないので大変だろう(女の子なので身長だけでなく、胸の大きさも重要になってくる)。作画や原画担当としても、主人公が描き慣れるということもないため、他のアニメと比べて難しいだろうと思う。だけど、それでもやっぱりアニメでしかできない話だと思うので、やる価値は十分あるだろうと思う。
話の構成としては、0話で誕生し、3話か4話で幼稚園入園やはじめてのおつかい、6話で卒園、7話で小学校入学と七五三、12話で修学旅行と小学校卒業、13話で中学校入学、15話で卒業と高校受験、16話で高校入学、18話で卒業や大学受験、19話で大学入学と自動車免許取得、20話で成人式、21話でインターンシップや就活、22話で卒論、23話で就職、25話で結婚という感じ。
上記で書いてない話は、他のアニメでもよくある水着回や温泉回、はたまた季節系イベントのクリスマスやバレンタイン回をつければいいし、最終話で結婚の話なら結婚相手との出会いや告白の話も必要になってくるだろう。
シリアスな話を描くなら、ちょっと遠出してみたら迷子になる話、仲の良い友だちの転校、交通事故、失恋、就職難、それと25年も生きていれば身近な人の誰かは亡くなると思うので、葬式の話をやるのもいいと思う。
後、女の子の成長を描くうえで個人的にかかせないと思うのが初経の話。初経の話といえば、ないしょのつぼみだと思うのだけど、あれが小学校5年生の話なので、11話ぐらいになるだろうと思う。ただ、1クール目の最後の話は12話になるので、12話のほうがいいかもしれない。ただ、そうなると修学旅行や卒業の話と12話にいろいろな話を詰め込む必要があるので難しいか。いや、修学旅行の話は前半でさっさと終わらせて、後半で初経と卒業ネタを織り交ぜた話にすれば・・・。少なくとも、2クールではなく、1クールになるようであればそうすべきだろう。
なんてことをよく妄想しているのだけれども、自分には2クールアニメを作れるような金も人脈も能力もないし、将来それらが身につく未来も全くもってイメージできないので、その事実にふと気づくと落胆する。なんとかして実現できる方法はないかなと思って、調べてみると、アイデアをだせばそのアイデアを実現することができるかもしれないクラウドファンディングの Dmet idea というサイトを見つけたのだけれども、なんだかこのサイトで求められているアイデアと違う気がしてだしてない。一番可能性がありそうなのが、小説として書いて人気になってアニメ化するという展開になることだけど、先ほども書いたように小説向けではないと思うし、文才もない。何より、自分の場合、確実に最後まで書けない。
本当、仕事中にふと、(13話はこういう展開にすると面白いではないか。それと、結婚相手は子どもの時に出会ってたという話にしたら面白い。だから9話はこういう話にして・・・)なんてことが頭に浮かんで困っている。
最後に、自分はそんなにアニメに詳しいわけではないのでもしかしたら知らないだけですでにあるかもしれないので、もしそういうアニメがあるのなら教えてください。
そうそう、一つ書き忘れたことがあった。キャラが歳を取らないサザエさんなんかでは、「いつの間にかカツオより年上になってた」なんて言われることがよくあるが、一話一年のアニメとなると、「こないだまで自分より年下だったのに、いつの間にか自分より年上になってた」という逆転現象が起こる。こんなアニメはそうそうないんじゃないかと思う(とはいっても、自分が子どもの時は、ドラゴンボールの孫悟空がいつの間にか自分より年上になっていたが、それはちょっと違う)。というわけで、例えば『渡る世間は鬼ばかり』は自分の思うイメージと違う。
後、いくつかトラックバックとブコメを頂いたのでちょっと返信する
・「主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように」と言いながら
「女の子なので胸の大きさも重要」だの「水着回や温泉回」だのと言ったエロ目線も当たり前のように加わっていて
「父親になったつもりで疑似娘と近親相姦したい」と言う願望丸出しできめえ
確かに、「水着回や温泉回」という例をだしたのは少し浅はかだった。個人的にはそういう展開は他のアニメでも求めてないが、ニコニコ動画や2ちゃんねるのコメントを見てるとよく求められてる印象があったので、例にだした。
ただ、そもそも、『エロ目線』といわれるなら、『初経の話』のほうだと思ったのだけど、そちらのほうに触れられていなくてちょっと驚いている。
こういうこと言われることは考えたけど、ある程度キリよく考えたらそこを最終話にするのがいいと思った(自分だって結婚がゴールと考えてるわけではない)。人生のすべてを描くために80話ぐらいやったら確実に後半マンネリ化するだろうしね。
浦島太郎とか
いや、それは違う。最終話で「数年後」となる話とあまり変わらない。
アニメではないけれど、「ハリーポッター」シリーズも1作で1年だった。映画も2年に一度くらいのペースだったので、ハリー役の役者が成長していて時間を感じることができてたなあ。
なるほど。ハリーポッターは確かに近いかもしれない。読んだことないけど。
ありがとう。探してみる。
帰ってきたら100ブクマ超えてた。こういう作品を見てみたい人が多いんだろうな。と思っていいのだろか。ブコメ見てると似たような作品の紹介コメントが多そうだけど。
以下、気になったブコメの返信。
・リチャードリンクレイターの「6歳のボクが大人になるまで」と同じコンセプトですな。
・映画だけど、6才のボクが、大人になるまで。が面白いんじゃないかな
これは、本文でも言及した、『ボーイフッド』のことですね。見てませんが自分もちょっと気になってます。
自分のイメージでは、最初のうちは、母親がほぼ主役的立場という感じでいいと思ってる。特に0話は特別な数値だし、母親が主役だから『0話』としたといろいろいいわけがつく。
・それだったら小学生以下を無視して13歳~25歳で1クールのほうがよくないか、とも思う。キャラクターデザインも中、高、大、社の4種類以下で済むし。
・キャラデザや予算など課題はあるけどアリだと思う。でも小学校入学から高卒までで1クールにした方がいい。赤ちゃんや園児時代は回想で充分だし。
1クールだと誕生~小学校卒業までだと思ってたけど、そうじゃない案が多いのか。意外。
これなんなんだろ、と思ったら「手軽に「娘の結婚式に出るのお父さん」の気分になりたい」なのか。なるほど。
確かに、そういう感じかもしれない。ブコメの中では一番的を得ているコメントだと思った。
いや、個人的にはテクノロジーの進化は描かなくていいと思ってる。ガラスの仮面や名探偵コナンみたいに、作中の時間ではさほど時間がたっていないのに、最初の話では携帯電話なくて、最近の話では携帯電話があるという話があるけど、その逆。近年の0歳~25歳を描くイメージ(できるだけ普遍性はもたしたほうがいいとは思うが)。
一話一年って縛りだから一つのイベント最大20分で決着付けなきゃいけないじゃん。尺とれば面白くできるような話もぶつ切りみたいになって絶対つまらないと思う。
そうかな? ドラえもんやちびまる子ちゃんだって30分の中で2話やってるけど、面白い話も多いよ。もちろん、自分が考えてるストーリー構成案もある程度話題になるとは思うけど、多くの人に面白いと思ってもらえるかどうかは自信ないけど。
いや、一年で大の仲良しの友だちがそうころころ入れ替わるとも思わないし、入れ替わらない話にすればいいだけだと思う。
今回、いろいろブコメでいろんな作品が紹介されていて、でてくるかな? と思ったけどでてこなかった作品で、小学3年生から小学6年生までを描いた50話で1年進む『おジャ魔女どれみ』という作品が昔あったけど、あれだって友だちは入れ替わるわけじゃなかったし(増えはしたけど)。話それるけど、おジャ魔女どれみの続編(高校生編)のライトノベルは気になってるけどまだ読んでない。
誰も見てないと思いますが、小説家になろうで小説として書き始めることにしました。
前から気になっていたアニメ制作が舞台の小説の『ハケンアニメ!』を読んでいると、一話で一年進むというアニメがでてきました。
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キャスト発表の時から思ってたけど、やっぱり違う!おもてたんとちがう!ワシャ認めんぞ!
そんなワシが認めるキャストは以下。
長女シャチ姉:真木よう子…しっかり者、勝ち気、でも不倫しちゃう弱さや母親への屈託もありエロい。ショートが似合う。ナース服姿の真木よう子が見たい。真木よう子で「真昼の月」のエピソードが見たい。
次女よっちゃん:戸田恵梨香…作中で一番内面の変化があるキャラだから上手い人がいい。あと可愛い。日本酒すきそう。恋するよっちゃんを戸田恵梨香で見たい。
三女チカ:黒木華…「花子とアン」見ててこの子しかいないんじゃね?と思った。アフロにしよう。絶対似合う。夏帆は思ってたより良かったけどアフロにしろよ!!ひよってんなよ!!
四女すず:ここは正直ぴんとこなかったので(最近の若い役者さんわからんの)、広瀬すずちゃんでいいです。
どうですかこれ。異論は認める。
BPOに苦情入ったって話を何度か目にする事がある。
でも考えてもみたまえ。
早くても0時過ぎでしょう。
子供は何時ごろ寝てるの?
0時以降も起きてるとしたら、それは親の監督不行届で
親のネグレクトが原因じゃん。
要は親が責任放棄してるのを棚に上げて深夜アニメに責任転嫁をしているという事になる。
深夜アニメを規制するなら、ゴールデン帯の連続ドラマ、とりわけ殺人とかセックスを匂わせたエロス系、
昼ドラばりの修羅場とか不倫を正当化したドラマをまず規制すべきじゃないか。
あるいは極端な話、高校生未満の役者がそういったドラマに出演するのを規制すべきだと思う。
BPOに深夜アニメに関する苦情が届くのなら、ドラマなどリアルに起こり得る可能性を秘めたものにこそ
当然苦情が多くなくてはならない。
結局深夜アニメを規制するってのは、例えば子供が欲しいおもちゃとかお菓子を取り上げて、これは有害な物だ、規制しろと言ってるようなもんだ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm24833899
いや、どうなのさこれ……
「真夏の夜の淫夢」というゲイ向けのアダルトビデオを楽しんでいるコミュニティが、ネット上に存在する。
楽しんでいると言っても、別に彼ら自身がゲイというわけではない。
彼らが主に楽しんでいるのは、このアダルトビデオの中に挟まれる寸劇の、素人の役者たちのあまりに酷い演技や拙いシナリオなのだ。
実際、その寸劇の「大まじめにバカをやってる」感はすごくて、笑わずにはいられないような雰囲気があることは否定出来ない。
(でもこういうアダルトビデオの寸劇が笑っちゃうくらい酷い出来なのはヘテロセクシャル向けのAVだって同じだ)
彼らはこの「真夏の夜の淫夢」というAV内の台詞を頻繁に引用しながらネット上で会話をする。
そんな彼らの一連のノリに「なんかホモって笑える」「ホモって面白い」という蔑みの感情が入ってることは疑いようもないだろう。
それでもこのコミュニティがこれまで大きく問題にならなかったのは
「ホモセクシャルを笑い者にしてるんじゃなくて、このアダルトビデオの寸劇が面白いだけなんだよ!」
「別にホモだから面白いんじゃない。素人の演技やバカな台詞が面白いのだ」というわけだ。
それはどう考えても嘘なのだが、それでも建前として一応機能はしている。
これはだめだろう。どう考えても。
ネタ元になっている槇原敬之の「軒下のモンスター」という曲は、一聴すれば明らかなように、アーティスト自身のセクシャルマイノリティとしての苦悩を赤裸々に歌った歌だ
「俺達はホモが面白いと思っている」「ホモという下等な奴らが真面目に何かを主張しちゃってるの笑える」
という本音を何の建前もなく日の下にさらけ出しているということになるのだ。
何しろ、実際のホモセクシャルの人たちの切実なステートメントや心の叫びをバカにしているわけだからね。
そして、それが大きい批判も晒されることなく許されるのは、日本がそういう価値観が一般に許容される国であるということだ。
こんなコミュニティがネット上で一大勢力を築いている状況が海外に知れたら、中世ジャップランドと罵られてもなんの反論も出来ないんじゃないか?
国全体でホモセクシャル迫害してるロシアのこと悪く言えないんじゃないのか?
だって文化レベルであからさまな蔑視がまかり通ってるんだから。
これを読んで「こんなおふざけに大まじめになっちゃってバカじゃないの」と思ったなら、あなたの頭は大分麻痺しているので気をつけたほうがいい。
あとで身に覚えのないことで刺されても知らないよ。
業界の大半が役者としての声優を(表向きは)指向していた時代に、
「新人の生きる道はアイドル売りしかない」と見抜き、公言し、それを実行していた。
そして今から振り返ってみると、ラムズ出身声優の業界生存率は、悪くはない。
ラムズが出てきた当時は「声優は裏方」「声優が顔出しとかするなイメージが崩れる」みたいな勘違いしたオタクが生き残っていたから、そういう層から根拠のない反発は招いたが、業界の現状見ればどっちが正しかったかは考えるまでもない。
あ、悪口書いてないな。
単なる噂で何の根拠もないけど、ラムズの養成所(RPE)は「お酌の仕方」を授業で教えてたらしいよ!
まあ、業界の偉い人に気に入ってもらうのは声優の生き残り術の第一と言っていい物だから、本当はこれも必要なスキルなんだけどね。
http://www.nippairen.com/news/history.html
を全部読むといいと思う。
もともとは音声連(の前身である紫水会)とやり合う過程で出てきた話。なので、「日俳連の」って書いてるけど、厳密には間違い。
制度がかっちり決まったのは今よりも遙かに荒っぽい時代で、未払いとか値切りとか踏み倒しとか、そういうのが当たり前に横行していた時代。
これは声優と音響制作会社の関係だけでなく、音響制作会社とその上の配給会社(当時は圧倒的にテレビ局の力が強かった)との間でもやはり値切りとかが横行していた時代。
つまり、
「これこれのランクの役者を何人使ってるんだから制作費はこの位は必要に決まってるだろ」
と言い返して制作会社が発注元に値切りを拒否する論拠の一つになるという点では役者以外にもメリットある制度だった。
もちろん「ランク高すぎてやりたい仕事に出られない問題」は最初っからあるが、それよりは値引きの強要に比べれば誤差みたいな問題だった。
うーん、大体あってるけど、原因というか構造が分かってない気がする。
軽く業界全体をまとめておく。
現状、声優界は完全な供給過剰。声優という肩書き持ってる人は1500人とも3000人とも言われるが、専業で食ってる人はせいぜい1割というのが定説。
一方、毎年専門学校や養成所に入ってくる声優志願者は毎年6000名を超える。学校や養成所は増える一方。それ自体が一大産業になっているので止められない。
入れるだけ入れて絶対に声優になれないダメ学校もごろごろしてるが、一応事務所と繋がってる養成所はそういう訳にもいかないので、何人かは新人と契約する。そうでないと養成所に入ってくる人がいなくなって、立ちゆかなくなる。これを「養成所ビジネス」とか言って批判する人も多いが、あえて言っても必要悪に過ぎない。
とにかく競争は厳しいけれども、一応は事務所との契約まで行ける人も、年間100人以上はいる。
ところが声の衰えは容姿の衰えよりもよっぽど遅い。吹き替え声優第一号の滝口順平さんが亡くなったのはわずか3年前で実働55年間。今年亡くなった永井一郎さんも実働50年(俳優として働いてた期間入れるともっと長い)。
このあたりの大御所は別格と考えても、生涯現役のまま亡くなった人は他にもいくらでもいる。さっきの人数と稼働期間を考えると、辻褄が合わない。
結局、役者として一応の能力を身につけるには、才能ある優秀な人間でも3年から5年の訓練が最低でも必要、というのがプロの評価。専門学校は2年だし、大抵の養成所も基礎と応用の2年制。青二塾に至っては1年間。必要な訓練期間に足りてない。
「まだ一人前のプロの役者としてやっていくだけの演技力は身についていないが、本人の能力や姿勢を考えれば、この後現場で経験を積んで研鑽を怠らなければなんとかなる、と現時点では判定しました」
というだけの話。ギャラが安いジュニアランク時代、30分アニメ一本1万5千円の時期が2~3年あるので、言うなればその期間が見習い期間。
さて、ジュニアランクの声優とはギャラが安い以外にどういう特徴があるか? そう、「若い」ということ。
若くて演技力はいまいちだけど安い役者をどう使うのがいいか、といえば、顔出し前提の深夜アニメが一番使いやすい、ということになる。安いし他の仕事も大してないから、いろんなイベントに引っ張り出したりウェブラジオで無茶ぶり企画やらせたり、そういうアイドル売りがやりやすい。
こうやって「大きなお友達のファン」を獲得するか、演技力が伸びたり当たり役を掴んだりして業界内で一定の評価を得るか、うっかり歌唱力が評価されてCDリリースできるようになるか、そういう「何か」が獲得できれば事務所の方でも「じゃあジュニアランク終わっても生き残れそうだな」と判断できる。
元増田が「確変」と呼んでる現象はその中の極端な成功例で、ギャラが安いうちにどんどん使っておこうと引っ張りだこになっている現象。
逆にジュニアランク期間が終わっても(あるいは終わる前でも)見込みがないようならば事務所は容赦なく新人との契約を切る。見込みがないなら早期にそう告げる方が、本人の第二の人生のためでもある。
結果、ジュニアランクが終わるまでに、新人声優の半分は消える。劇団だか三流事務所だか何だか分かんないところにしがみついて業界に残ろうとする人も多いが、アニメ声優としてはほぼこの時点でゲームオーバーである。
他、ジュニアランク期間では引っ張りだこでも、ランクが付いた途端に仕事が激減して「あの人は今」状態になる人もそれなりに出る。
さて吹き替えの話。アニメは制作本数が多いので新人どんどん使えるが、吹き替えはそうじゃない。もともと予算の考え方も違うし、芝居の性質上、顔出しの仕事やってる俳優がこなす率も低くないし、長期の仕事も多い。そしてFIXと呼ばれる「この俳優にはこの声優さん」みたいな関係性もあったりして、アニメのような若手新人が主役に抜擢、なんて現象は起きにくい。
結果、声優界の中でも、吹き替え声優が一番なるのが難しい少人数な世界になっている。吹き替え向けのコースを持ってる養成所はあることはあるが、そこから物になる人は年に1人出るかどうか。
だいたい、どの事務所でも「元若手声優」はいくらでもいて、そういう人は吹き替えに潜り込めないか虎視眈々と狙っている。ぽっと出の新人が演技力で対抗できる相手ではない。
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返信の返信。
それなら最初の三行も要らない。一行で済む。
で終わり。
深夜アニメは予算が安い。ジュニアを使えば安くなる声優のギャラとか最優先のカット対象。そして円盤やその他の細かい収入に頼るしかないから、声優をドル売りすることで作品の露出を少しでも増やせるようにしつつ、細かい儲け口を少しでも増やして稼ぐ機会を増やそうとしてる。そういう努力の積み重ねで、現今の狂った制作本数が維持できている。
横浜の有名女子大の女の子と知り合ったのもダイヤルQ2だったと思う。受話器から聞こえる声は、低次倍音が豊かな落ち着いた声質で、ゆったりと話すので、ダイヤルQ2にしては珍しく知性を感じさせ、リアルでも会いたいと思った。
中央線某駅の待ち合わせ場所に現れたのは、出会い系ではよくあるぽっちゃり系の女の子ではあったが、目がくりっとしたたぬき顔で、ストライクゾーンが広めの私にとって、好きな玉であった。
この時は、居酒屋で飲んだような気がする。次回また会う約束をして別れた。
2回目は、彼女がチケットが2枚あるからというので、某劇団の芝居を観に行った。この舞台は、今は売れっ子となった役者が、役者として開眼する機会となったもので、観てよかったと思う。この時も、また遊ぼうねといって別れた。
その次は彼女のアパートに遊びに行った。一人暮らしを始めたというので、ご飯を作ってくれる?と聞くと、OKだと言う。金曜日の夜にその子のアパートに行って、パスタを食べ終わり、さてそろそろ帰ろうかなと言いつつ、チュー。
泊まっていってもいい?と聞くと、いいとのこと。引っ越したばかりで、布団も敷いていないし、ベッドもない。畳の上で、中途半端に臨戦体勢になったが、お互いに次の段階にどうやって移行するか様子見状態となる。それでも、くんくんしたいなあと、胸をうろうろしていた手を、スカートの下にじわじわ潜り込ませる。すると、汗臭いから、お風呂に入ってくると言う。一緒に入ってもいい?と聞くと、狭いからとやんわり拒絶される。
しかし、汗臭い下半身をお風呂場でくんくんしたい。さて、強引に進行させるかと思ったところに、玄関のベルの音がした。固まる私。服を整えて彼女は玄関に向かい、何やら会話をして、戻ってきた。近所に住むお兄さんが届け物に来たとのこと。バレなかった?と聞くと、ドアを開ける前に靴は隠したから大丈夫と言う。
盛り上がった欲情に水をさされ、くんくんするという目的を果たす情熱が失せる。お風呂入ってくるね、といって、風呂場に入ってしまった彼女。
彼女と交代にこちらも入浴。お互い綺麗な身体となった後、畳に布団を敷いて、電灯を消して、再度戦闘開始。
巨乳というほとではないが、ぽっちゃりなので、なかなか揉みしだきがいのある胸をもみもみしつつ、パンティーの中に手を突っ込んでバギナを弄くる。既に、バギナはべちょべちょだった。
某女子大では地味めなグループに所属しているという彼女は、あまり、男性経験もないようだった。なので、地道に身体のあちこちをいじくり回した。彼女の背中から抱きかかえ左手で胸を、右手で股間をまさぐっていると、遠慮がちに声を上げる。
Tシャツはそのままで、パンティーだけを足先からはずし、身体を横にする。ホテルと違って、時間は十分あるので、足の指の先からじっくり舐め始める。お風呂に入っているのだが、足の指は少しだけ塩辛い。オナニーをしている時と違って、実際に愛撫すると、女性の身体の広さを実感する。やっとふくらはぎ辺りまでやってきたので、これから私の舌がバギナにたどり着くのはいつになるだろう。愛撫しながらよくこんなことを考えてしまう。
そんなことを考えつつ、足の膝あたりははしょりつつ、とうとうバギナまで到達した。太ももを左右に開き、顔を近づける。この時、勃起したペニスは畳にこすりつけた状態になるので、いつも持て余し気味になる。しかし、待ちに待ったバギナなのでまずはくんくんから開始する。残念ながら、お風呂にはいったので、石鹸の匂いがする。それでも、彼女本来の匂いがしないかとあちこちを探索する。濃い目の陰毛に鼻先をこすりつけ、少しでも匂いの痕跡がないか、探索を続ける。陰毛には痕跡がないようなので、バギナに鼻をこすりつける。ぽっちゃり型だが、バギナの匂いは強くない。愛液の発酵臭が主体だった。愛液は粘り気がやや強い。鼻を、顔全体をバギナにこすりつけて、匂いと感触を楽しむ。
この子は、バギナが後付きだった。後付きだねというと、恥ずかしそうに口を尖らせた。
お風呂に入ったが、おしりには匂いの痕跡が残る可能性が高い。おしりの探索を開始する。と同時に、私もパンツを脱ぎ、シックスナインの体勢へと移行する。個人的にはシックスナインが一番好きである。挿入するよりも好きだ。お互いに奉仕しあって快楽を与えあい、そして貪り合う。そして、バギナと肛門をじっくり観察して、くんくんでき、舐め回すことができるためである。
バギナ周辺と恥丘の陰毛は濃い目だったので、肛門周囲も陰毛が濃かった。肛門はお風呂で念入りに洗ったためだろう、匂いはほとんどない。しかし、肛門周囲の陰毛にはわずかではあるが、うんこの匂いが残っていた。その匂いを味わうため、肛門と周辺の陰毛に鼻先を何度もこすりつけた。十分こすりつけた後は、舌先で舐め回す。
バギナの大陰唇と小陰唇の間、陰唇を広げて膣内へも舌先を出来る限り伸ばしてピストン運動をさせる。クリトリスの包皮を剥いてクリトリスを露出させる。これをするとここに恥垢がたまっている子が多いのだが、この子は恥垢はほとんどみつからなかった。
肛門も肛門周囲のシワ一本一本まで舌を這わす。その後、肛門内部へ舌先を押し入れる。僅かに苦味がする。恥ずかしがって拒絶するが、強引に舌を何度も突っ込む。
彼女はやはり男性経験はほとんどないようで、フェラチオはうまくなかった。というか、歯が亀頭にあたって痛い。それでも、こちらのバギナと肛門への愛撫に、お礼をするかのように、必死に口腔内にペニスを入れて、愛撫してくれた。
この時は、結局、23時から明け方までオーラルセックスをした。実は、コンドームの持ち合わせがなくて、結局、挿入はしなかった。無しで入れていい?と聞くと、最初は無言だった彼女も、後半は入れてよということだった。しかし、妊娠が怖いので挿入はしなかった。
お互いに愛撫をしながら、いつのまにか眠ってしまった。朝になり、明るくなった部屋の中、Tシャツだけで下半身はだかの彼女の姿に興奮して、再びオーラルセックスを開始、Tシャツだけで、丸出しにしたおしりを顔の前にして、バギナと肛門を眺めるというのは興奮するものだった。
増田「なんでも。教えないことにしてるの」
という会話を今日もやった。たぶん、週に一度以上の頻度でやっていると思う。
新任の頃には「ひいきしてるとか思われたくないからね」と大真面目に答えた結果、却って面倒になったこともあった。そんなわけで今では愛想笑いしつつ問答無用の拒否を返すことにしている。
そんなことをわざわざ意識したのは、↓のはてブ※を見たせいだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.excite.co.jp/News/reviewbook/20141021/E1413849264458.html
記事そのものもピントが外れている部分があるが、はてブのコメントもまた別の方向に外れた物が多い。確かに、『教師は教え子に体罰ではない懲戒(課題を多く出す、放課後残すなど)を与えたり、成績を付けて進路を左右したりする権限がある』ことに無自覚な教員はいる。
だが当たり前の話なのだが、教え子たちはそれ以上に教員の権限に無自覚だ。増田が中高生だった頃を思い返しても「先生は問答無用で僕の成績をつける権限があるのだから、愛想良くしておこう」などと意識したことは無かったし、今増田が書いている駄文を読んでいる読者も同様だろう。
というわけで、当事者の立場からブクマでよく見る意見に返答すると以下のようになる。
閉鎖空間だから悪い ← 言いたいことは理解するが、学校の外には学校以上に生徒を狙う変態がうろうろしている件
教員に権力があるのが悪い ← どう使うか次第です。逆に権力が無かったら、何の力を使っていじめを防止するのですか?
権力があるのは仕方ないが、その間で信頼関係が成立するはずがない ← 会社の上司と部下で結婚という話し、結構聞きますけどそれもアウトですか? (大人と子どもだから同等に語れない、というのは考慮すべき意見ですが)
チェック機構が必要 ← 意外と、校長や副校長といった管理職がチェック機構になっています。それは民間企業と同じでしょう。『校長が生徒にセクハラ』はたまに聞きますが、少なくとも『理事長や校長が、手下の教職員とグルになって教え子に性的嫌がらせ』なんてエロゲのような事例は寡聞にして聞いたことがありません。
勘違いするな ← 以下、本論
では冒頭に書いたようなことを聞いてくる女子はどのような意図を持って聞いてきているのか。
『教え子たちが本当に増田に(生徒と教師間における)好意を持っていて愛想良くしていたり、その延長で増田のプライベートなことまで知りたがっている』というのが幻想であるのは当然のことだが、それと同じくらい
『教え子たちは実は”少しでも良い成績をつけてもらう”もしくは”卒業するのに必要な成績を最低限の努力で手に入れる”ことに必死になっていて、勉強にある程度自信がある子どもは正攻法でテストの点を取りに来ていて、自信がない子たちの一部が僕のスケベ心につけこんで平常点を獲得しに来ている』というのもやはり幻想なのだ。
正確に言うなら、『1度や2度、少し会話するだけの相手』ならばそうやって上辺を取り繕って本来より高い評価を得る事も難しくは無い。誰だって面接の時には多かれ少なかれそれを意識する。
だが、35時間(週に1時間授業があるとした年間の授業時間数)も、しかも連続した35時間ではなくて1年間という長いスパンの中から切り出した35時間で、ぼろを出さないことは難しい。それが誰にでも可能なことであるならば、真っ先に役者という職業が必要無くなる。
増田自身、冒頭のようなことを聞いてくる女子が、本当に増田に好意を持って聞いてきている、などという勘違いをしたことはない。
だがその逆、つまり「無邪気なふりをしていて実は”先生が誰をひいきしているのか知りたい”という下心を持っていて聞いてきている」そんな風に考えていた時期は増田にもありました(AA略)。だが、その前提に立ったら説明がつかないことが多すぎるのだ。
つまるところ、冒頭のようなことを聞いてくる生徒というのは日常会話の延長として、大人/男としての意見が欲しくて話しかけているだけにすぎない。つまり、『仕事の同僚や上司とであっても、ある程度プライベートな話もした方が上手く行く』と思っている人種の学生版だ。もちろんその逆の『仕事の相手とは仕事の話しかしたくない。仕事とプライベートは別』な人種の学生版である、あまり教員に積極的に話しかけてこないタイプの生徒もいる。学校は特殊な空間のようで、種を明かせば実は社会と大して異なる空間ということもない。でも「先生ってチ●コでかいの?」は無いわ。それ聞いてどうするんだよ(本当に聞かれた事あります)。というかそれ、女→男のセクハラだよね?
ただ、これも学校の中に限らず、社会でもある話ではあるが……。権限として上に立っている人間が、「誰が可愛いと思う?」に対して馬鹿正直に具体名を答えるのはまずい。
本人にひいき等の意図がなくとも、『○○って実はひいきされてない?』と悪意混じりで話が膨らんでいく可能性は相当に高い。という事情があるから押さえつけて話を切るしかないが、未成熟であるが故にそんな増田の気苦労を理解していない教え子が「なんで?」と無邪気に聞いてくるのを見るとやはり心が痛む。
そのような姿を見ると逆説的に『先生』ということで、悪意を持って生徒に接することはないだろうと信頼されているのだなと実感するのだが、だからといって心の痛みが和らぐわけではない。
増田が小学校高学年だった頃、熱狂的に「光GENJI」が流行った。(年齢は推して知ってほしい)
メンバーの誰が好きとか、彼が好きとか。
そうしたら。
ローラースケートで飛び出してきた彼らは、ローラースケートとか、バンダナとか、ジャニーズとか、歌ってないとか以前に、
ワキ毛ボーボーだった。
なんつーか、ワキ毛の存在感がハンパなかった。
確かに父にも母にもワキ毛は生えているが、私には、あんな100%ワキ毛な人々相手に、
好きとか嫌いとかの感情を持ち合わせるのはムリだった。
それから数十年。
全剃りだよ。
ジャニーズの方々に到っては、なんていうか、カット?してるのソレ?
なんか、ボーボーじゃないんだけど、うっすらワキ毛が残った感じ。
ああ、そうだよね。
ワキ毛全剃りは逆に不自然だしね。
おそらくそうなんだろう。
もうね、なんか、テレビに出てる半裸の男性を見ると、脇を見ずにはいられなくなってる。
みんなテレビに出るに到って、やっぱ身だしなみを気にしてるんだろうけど、
なんだか「こびてるな~」とか、「男らしくないな~」なんて思ってしまう。
じゃ、ワキ毛全開でいいのか、と言われてしまうと、小学生の時の、あの衝撃を思い出してしまって、勝手に悩んでしまう。
そんな中、ひとりワキ毛全開の男性が居る。
ワキ毛ボーボー。わが道行ってる。
「見られる」事に頓着しない、オリジナル路線。
それならアリかなあ。
なかなか難しい。
それはさておき、私は薄毛の方には、断然坊主頭を推奨します!!
もうね、残りの髪で何とかしようとするの、ダサイから。
気にしてる感を出されると、こっちが気を遣うから。
役者とかミュージシャンとか芸人とかで売れることを夢見ていつまでもバイトで貧しい人いるじゃないですか。彼らにつまらないけどまあまあの待遇の定職とか紹介しても「今は夢を追いかけてるから貧しくても拘束される仕事はダメなんだ」ってなっちゃうから、貧しいから公的に助けようってならなくて、あえてそうしてるからほっとこうって扱いになるじゃないですか。
自分の周囲のアラサー高収入キモオタ童貞(的な人)が貧しい女性と接触する機会が稀にあるけど、ほぼ確実に「キモオタマジキメーwwwお前とだけは死んでもないわwww」的な扱いなんだよね。もちろんこんな失礼な感じじゃなくてもっと丁寧な言い方や態度だし、裕福な女性からもまったく同じ扱いなんだけどさ。
なので、メディアに出てくる「女性の貧困」の人たちって高収入キモオタから見ると「貧しくても高収入キモオタ童貞で妥協せずフツメン以上を目指す」って態度なわけで、それは「貧しくてもつまらない職に落ち着かず役者を目指す」と何が違うんだろうと思うんだよね。夢を追いかけてあえてそうしてるんだからほっとけばいいじゃん。
https://twitter.com/sahoobb/status/505525364521570304
要するに、「音楽の話をせずに」、「好きなもんを好きな様に聞けば」いいのだ。
そうやって過ごせれば、こんなに平和なことはないなんて赤ん坊でもわかる。そうやって過ごせればどんなにいいか。
「音楽に国境はない」。とても有名で、とてもすてきな言葉だ。たぶんボブ・ディランの歌詞だろう。音楽関係の名言の九割はボブ・ディランの口から発しているとされおり、すごく有り難い。
ところが現実はボブ・ディランではない。各国の土着・民族音楽に使用されている音源はおのおので笑えるくらいに異なり、「国境なんてないんだ」などとほざいて通じるように聞こえる西洋音階によるポップチャート侵略主義の結果に過ぎない。しかしだ。ここはあえてボブ・ディランに百歩譲りたい。音楽に国境はない。その呑気なテーゼを容認したうえで、ボブ・ディランはこう付言する。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togech.jp/2014/08/30/12027
ここにコメントを書いているブクマカ(死語)は全員、本質を見誤っている。
音楽の話において、人が他人を見下すのはそいつがマイナージャンルを好きだからではない。過去の自分を見ているからでもない。人間は見下すように生まれた動物だから、というのはちょっとあるが、決定的ではない。
女が泣くのは、音楽の話をコミュニケーションの道具に使うからだ。
そもそも音楽の話はコミュニケーションの媒介として非常に燃費が悪い。なんせ、実物がないとその曲がどういうものか、ぼんやりとすらわからない。小説や漫画には筋がある、映画には役者がいる、スポーツには様式化されたアクションが、アイドルや芸能人にはゴシップが、文学にもゴシップが、それぞれ素人にも言語化しやすい形で道具として可視状態にある。
音楽には何もない。楽器に触れたこともない素人二人が互いに片方しか知らない曲の話をする場合、だいたいはエモーショナルでよくわからない表現に頼るしかない。あるいは「いいんだよ」だ。「うまく言えないけど、とにかくヤバイの」。これでは何も伝わらない。即時性を重要視するコミュニケーションの現場では、音楽など、口下手な二人の間で放置され冷めたフライドポテトよりも価値がない。すくなくとも冷めたポテトは「まずい」という互いがすぐに了解しあえる話題のフックを備えている。
なんだ、当たり前の話じゃないか、そんなことは昔からわかっているよ、とあんたは言うだろう。
ところがあんたは昔とおなじくらいに何もわかっちゃいない。
順序を間違えている。
人は他人を見下す生き物であり、だから、音楽の話でコミュニケーションを取ろうとすると悲劇が起こる、あんたはそう考えている。でなければ、あんた以外の誰かはそう考えている。
違う。逆だ。
音楽の話でコミュニケーションを取ろうとするから、他人を見下す生き物としての人の顔が顕現してしまうのだ。これは理屈でも論理でもなく、真理だ。
音楽は門戸がビッチの(ピー)なみにガバガバに広い。食べ物と似た感覚で「うまい」と「まずい」を直感的に判断できる。その直感は、一見まじりけなく、自分の本質、アーイデーンティーティがぁーー♪に直結しているように思われる。
だが、アウトプットしようとなると、童貞のケツ穴のごとく狭窄だ。和音? コード進行? ポリフォニック? Perfumeのゴリラ?
なんだそれは? なんだそれは? なんだそのわけのわからない……専門用語は?
そして、俺を含めた素人の九割はその意味を知ろうとしない。「しろうと」だけに。これは駄洒落でも冗談でもなく、真理だ。いや、ほんとうに。
ゆえに、聞く行為そのものが直感的な好みへ直ケツし、下痢気味の短腸生物のごとく未消化でそのまま「おれのアイデンティティ」へ繋がる。
すると、どうなる?
コミュニケーションバトラーたちは「○○を聞いている俺=俺自身」で勝負するしかなくなる。変化球も切り札も伏せカードも強欲な壺もない、各種ジュアルルールも適用されない生の殴り合い。怯んではならない。ダウンしてはならない。なぜなら、その曲は「俺」の魂そのものであるからだ。
それはかつて冷戦下で想定された最悪のシナリオに酷似している。発動されてしまった相互確証破壊戦略。スクリーンを飛び出してしまったスター・ウォーズ。後には誰も残らない。灰と水曜日以外、残らない。
20XX年、ここは音楽の話の核の炎に包まれた日本だ。モヒカン(ゲスの極み乙女。)が汚物(イグザイル)をルールする日本だ。
みんなが音楽の話をしている。フェイスブックで、twitterで、日常会話で、好きなアーティストを主張しまくっている。もう手遅れだ。
最初の女の嘆きに戻ろう。すまない。君には嘘をついた。「君一人が黙ればすむ」だなんて。
でも、さっき言ったように、ほんとうはもう全世界的に手遅れなの、君一人が黙ってももうダメなの、ごめんね、でもほんとうです。
しかし、本当のおわりが来る前に試みることができる解決策が二つ、ある。もちろん、択一だ。どちらかが正解のコードかもしれないし、どちらを切っても結局爆発するのかもしれない。なんであれ、やってみるだけの価値はある。
一つ目、耳を塞いで今君のいるコミュニティ(フィジカルなものもバーチャルなものも)から遁走し、誰も音楽になんてプリミティブな代物以上の興味を持たない新天地(老人ホームがおすすめだ)を探し出し、そこに逃げ込んで、鼓膜を破り、二度とiPhoneの再生ボタンを押さないことだ。
二つ目――これはきみが臆病者でない場合のプランだ、当然、保険はきかない。
とりあえず、だれでもいい、きみの周囲のモヒカンを無作為に選び出し、襟を拳で持ち上げ、殴れ。
ボコボコにしろ。そして、耳をかっぽじってよく言い聞かせるのだ。
「これから二度と私の前で、音楽の話なんてするんじゃないよ」と。
相手は腫れ上がったクチビルで言い返すだろう。「勘弁してくれ、音楽は俺の魂なんだ」と。
言ってやれ。「あんたは○○○かい? 音楽なんざいくらでも聞きな、あたしは『音楽の話』をするな、って言ってんだ!!」
それから、相手の携帯を出すように命じろ。ロック解除のパスワードを聞き出したなら、フェイスブックとその他諸々のSNSへアクセスしろ。まず、プロフィール欄の「好きな音楽」を抹消しろ。twitterのプロフィールは「わたしは卑怯なネオナチの豚野郎です」と書き換えろ。
それから、そいつが過去にweb上で行ったあらゆる音楽関係の発言を消してまわれ。終わったら、君はその携帯を愛をもって持ち主に返却するか、悪魔の笑みを浮かべて膝で叩き割るか、電子レンジでチンするか、そのどれかを選べる。この選択は択一ではない。
君に関係する豚野郎どもの携帯がすべてアルミのメルトチーズと化したころ、君はようやくお気に入りのイヤフォンであるATH-CKN70を耳孔に接続できる。
もはや君の周囲で音楽の話をする豚はいない。君に話しかける人間もいない。誰にも邪魔されない。
本物の安寧と平和が手に入る。
本物の安寧と平和、いい言葉だ。きっとボブ・ディランが作ったに違いない。あるいは残りの一割を司るアジカンの眼鏡が。
ピース。