2014-08-31

おまえには音楽の話を自由にする権利などない。なら勝ち取れ。

https://twitter.com/sahoobb/status/505525364521570304

 彼女の嘆きに対する解答はラストコマで既に自ら出している。

 要するに、「音楽の話をせずに」、「好きなもんを好きな様に聞けば」いいのだ。

 そうやって過ごせれば、こんなに平和なことはないなんて赤ん坊でもわかる。そうやって過ごせればどんなにいいか。

 「音楽国境はない」。とても有名で、とてもすてきな言葉だ。たぶんボブ・ディラン歌詞だろう。音楽関係名言の九割はボブ・ディランの口から発しているとされおり、すごく有り難い。

 ところが現実ボブ・ディランではない。各国の土着・民族音楽に使用されている音源はおのおので笑えるくらいに異なり、「国境なんてないんだ」などとほざいて通じるように聞こえる西洋音階によるポップチャート侵略主義の結果に過ぎない。しかしだ。ここはあえてボブ・ディランに百歩譲りたい。音楽国境はない。その呑気なテーゼを容認したうえで、ボブ・ディランはこう付言する。

 「音楽の話においては万人が万人へ対する闘争状態にある」と。

 http://b.hatena.ne.jp/entry/togech.jp/2014/08/30/12027

 ここにコメントを書いているブクマカ(死語)は全員、本質を見誤っている。

 音楽の話において、人が他人を見下すのはそいつマイナージャンルを好きだからではない。過去自分を見ているからでもない。人間は見下すように生まれた動物から、というのはちょっとあるが、決定的ではない。

 女が泣くのは、音楽の話をコミュニケーションの道具に使うからだ。

 そもそも音楽の話はコミュニケーション媒介として非常に燃費が悪い。なんせ、実物がないとその曲がどういうものか、ぼんやりとすらわからない。小説漫画には筋がある、映画には役者がいる、スポーツには様式化されたアクションが、アイドル芸能人にはゴシップが、文学にもゴシップが、それぞれ素人にも言語化しやすい形で道具として可視状態にある。

 音楽には何もない。楽器に触れたこともない素人二人が互いに片方しか知らない曲の話をする場合、だいたいはエモーショナルでよくわからない表現に頼るしかない。あるいは「いいんだよ」だ。「うまく言えないけど、とにかくヤバイの」。これでは何も伝わらない。即時性を重要視するコミュニケーション現場では、音楽など、口下手な二人の間で放置され冷めたフライドポテトよりも価値がない。すくなくとも冷めたポテトは「まずい」という互いがすぐに了解しあえる話題のフックを備えている。

 とかく、音楽の話はコミュニケーションに向かない。

 なんだ、当たり前の話じゃないか、そんなことは昔からわかっているよ、とあんたは言うだろう。

 ところがあんたは昔とおなじくらいに何もわかっちゃいない。

 順序を間違えている。

 人は他人を見下す生き物であり、だから音楽の話でコミュニケーションを取ろうとすると悲劇が起こる、あんたはそう考えている。でなければ、あんた以外の誰かはそう考えている。

 違う。逆だ。

 音楽の話でコミュニケーションを取ろうとするから他人を見下す生き物としての人の顔が顕現してしまうのだ。これは理屈でも論理でもなく、真理だ。

 音楽の話が諸悪の根源なんだ。 

 音楽は門戸がビッチの(ピー)なみにガバガバに広い。食べ物と似た感覚で「うまい」と「まずい」を直感的に判断できる。その直感は、一見まじりけなく、自分本質、アーイデーンティーティがぁーー♪に直結しているように思われる。

 だが、アウトプットしようとなると、童貞のケツ穴のごとく狭窄だ。和音? コード進行? ポリフォニック? Perfumeゴリラ

 なんだそれは? なんだそれは? なんだそのわけのわからない……専門用語は?

 そして、俺を含めた素人の九割はその意味を知ろうとしない。「しろうと」だけに。これは駄洒落でも冗談でもなく、真理だ。いや、ほんとうに。

 ゆえに、聞く行為のもの直感的な好みへ直ケツし、下痢気味の短腸生物のごとく未消化でそのまま「おれのアイデンティティ」へ繋がる。

 すると、どうなる?

 コミュニケーションバトラーたちは「○○を聞いている俺=俺自身」で勝負するしかなくなる。変化球切り札も伏せカードも強欲な壺もない、各種ジュアルルール適用されない生の殴り合い。怯んではならない。ダウンしてはならない。なぜなら、その曲は「俺」の魂そのものであるからだ。

 それはかつて冷戦下で想定された最悪のシナリオ酷似している。発動されてしまった相互確証破壊戦略スクリーンを飛び出してしまったスター・ウォーズ。後には誰も残らない。灰と水曜日以外、残らない。

 20XX年、ここは音楽の話の核の炎に包まれた日本だ。モヒカンゲスの極み乙女。)が汚物(イグザイル)をルールする日本だ。

 みんなが音楽の話をしている。フェイスブックで、twitterで、日常会話で、好きなアーティストを主張しまくっている。もう手遅れだ。

 最初の女の嘆きに戻ろう。すまない。君には嘘をついた。「君一人が黙ればすむ」だなんて。

 でも、さっき言ったように、ほんとうはもう全世界的に手遅れなの、君一人が黙ってももうダメなの、ごめんね、でもほんとうです。

 しかし、本当のおわりが来る前に試みることができる解決策が二つ、ある。もちろん、択一だ。どちらかが正解のコードかもしれないし、どちらを切っても結局爆発するのかもしれない。なんであれ、やってみるだけの価値はある。

 一つ目、耳を塞いで今君のいるコミュニティフィジカルものバーチャルものも)から遁走し、誰も音楽になんてプリミティブな代物以上の興味を持たない新天地老人ホームおすすめだ)を探し出し、そこに逃げ込んで、鼓膜を破り、二度とiPhone再生ボタンを押さないことだ。

 二つ目――これはきみが臆病者でない場合プランだ、当然、保険はきかない。

 とりあえず、だれでもいい、きみの周囲のモヒカン無作為に選び出し、襟を拳で持ち上げ、殴れ。

 ボコボコしろ。そして、耳をかっぽじってよく言い聞かせるのだ。

「これから二度と私の前で、音楽の話なんてするんじゃないよ」と。

 相手は腫れ上がったクチビルで言い返すだろう。「勘弁してくれ、音楽は俺の魂なんだ」と。

 言ってやれ。「あんたは○○○かい? 音楽なんざいくらでも聞きな、あたしは『音楽の話』をするな、って言ってんだ!!」

 それから、相手の携帯を出すように命じろ。ロック解除のパスワードを聞き出したなら、フェイスブックとその他諸々のSNSアクセスしろ。まず、プロフィール欄の「好きな音楽」を抹消しろtwitterプロフィールは「わたしは卑怯ネオナチ豚野郎です」と書き換えろ。

 それからそいつ過去web上で行ったあらゆる音楽関係の発言を消してまわれ。終わったら、君はその携帯を愛をもって持ち主に返却するか、悪魔の笑みを浮かべて膝で叩き割るか、電子レンジでチンするか、そのどれかを選べる。この選択は択一ではない。

 悪を根本から断て。音楽の話を滅ぼせ。本物の音楽のために。

 君に関係する豚野郎もの携帯がすべてアルミメルトチーズと化したころ、君はようやくお気に入りのイヤフォンであるATH-CKN70を耳孔に接続できる。

 音楽聴くことができる。

 もはや君の周囲で音楽の話をする豚はいない。君に話しかける人間もいない。誰にも邪魔されない。

 本物の安寧と平和が手に入る。

 本物の安寧と平和、いい言葉だ。きっとボブ・ディランが作ったに違いない。あるいは残りの一割を司るアジカン眼鏡が。

 ピース 

 

 

 

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