はてなキーワード: 役者とは
漫画家を目指す人なら持ち込みに頻繁に行けるし、
音楽をやりたいならライブハウスもあるし、人が多いから自分のやりたいジャンルのメンバーを集めやすい
プログラマーになりたいのなら、IT企業の集う街でアルバイトからやってみるといい。
上京したなら、夢を目指すための時間を削ってバイトやる必要がある。
あーーーー俺も関東に実家があるとか、親から仕送りもらいてえええええええええ
金の余裕は心の余裕だから、金があると余裕ができて世界が広がる。
カネがないと「いいものだけを楽しみたい」と、そこらの視聴者と変わらん選択しかできなくなる。
それは「まともな生活をしている人」と話せることだ。
もしこれでおれが仕送りをもらっていたら、きっとまともな生活をしている人とは話ができない。
おれが真面目社会人だったら、親の老後の貯金を溶かして夢を追う人間なんかには説教しちゃうわ。
お金欲しいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今回はメイキング関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
基本的には関心のある事柄から選んでいるが、「回答できそう」という漠然とした感覚で選ぶこともある。
ふざけて答えるか、真面目にふざけて答えるかは、その時の気分次第だ。
書くときに「嘘八百にしよう」と思っていたものが、書いている途中で「嘘八千にしよう」となるときもある。
ただ、出来る限り「それっぽいことを言っている」ように回答することは心がけているかな。
このシリーズのテーマは「質問と回答」だが、私の中では「如何にそれっぽく言語化できるか」、「自身の心と切り離せるか」というのもあるから。
では、なぜ今回この質問を選んだかというと、最近とあるメイキング映像を観たんだよ。
「ああ、この体で話すのいいな」と率直に思ったのさ。
あとモーションキャプチャーで猿の演技をしている役者と、笑わずに演技している役者たちの姿に心を打たれてね……。
言っておくが、別に記法を把握していないから、不恰好なリンクで済ませていたとかではないからな。
見返して欲しいような内容を書いていないからだ。
「どうせ需要ないからテキトーでいいだろ」とか思っていたわけでもない。
まあ、要望には答えよう。
今回のカテゴリ付けで、「振り返り関連」などの過去の記事が一貫性のない内容になってしまった箇所もあるがそのままにしておく。
どうもしないね。
私の求めるものの7割は書いた時点で達成されている。
このシリーズはちょくちょく書いているが、それら全部のブクマ数を合わせても、私が数年前に書いたとある記事のブクマ数には遠く及ばない。
その記事はユーザー初心者を装って、如何に面白いブコメをするかの思考模様を書いたものだ。
なのだが、真面目に考察しているようにみせて、実は皮肉った構成にしてある。
他にも漏れを作ったり、あからさまな誤用や誤字を入れたりして、反応しやすいようにした。
そうしてその記事は200以上のブクマ数になり思わず口元が緩んだ。
ただ、しばらくすると「これがこんなにも注目されるのか」と空しくなってきたんだ。
それからは反省して、書いていて「楽しい」と思えることを第一にした。
今でも本質的な部分は変わらないけれど、真面目さのベクトルを変えた。
実際に変わったのは私だけだが、世界が変わって見えたよ。
朝目覚めてスっと起きられるようになったし、あれだけ昔は吸っていたタバコも必要なくなった。
※前提として、AVは視聴者の性癖や趣味にかなり影響されます。自分の記述は、全て自信を持っていますが、自分の主観に基づくものであり、自分が異常な性癖の持ち主であればそもそも最初から間違っていることもありえます。その真偽は本人である自分にはわかりません。
今日、TSUTAYAでAVを借りようと思ってお店に入った。だが、何も借りずに出た。初めてだ。
いつもは、AVは10本ぐらいまとめて借りる。女子校生、熟女、巨乳、ギャル系、コスプレ、ロリ系、素人etc...と、30分から1時間ぐらいかけて会社帰りにじっくり厳選し、いろいろなジャンルを横断して借りている。そこまで毎回借りているのに、今回初めて何も借りずに店を出た。
性欲が衰えた?それとも、飽きた?あるいは、他のものを借りたくなった?
いや、どれでもない。AVはレンタルビデオ店でバイトしていた時から飽きるほどパッケージを見てきて、そして200本か、それ以上か、多くのAVを観てきた。
そして、毎日2回は抜いている。美人の婚約者(生身の女性です)がいながらもここまでの絶倫っぷり、正直自分でも異常だと思っている。
それでも単純に、「観たい!」と思ったAVが無かったのだ。なぜだろうか。
今回はそれを紐解きながら、AV業界になんら関係無いただの25歳のお兄さんがAV業界に警鐘を鳴らそうと思う。
AVコーナーに入った時(前々からこうなっていたが俺は気が付かないようにしていた)、そこに並んでいるパッケージの女優が、全員同じ見た目に見えたのだ。
それは、アイドルに関心の無い人間がジャニーズやAKB48が全員同じに見える現象と同じだ。
茶髪か黒か金髪で、ストレートで、まつげが長くて、巨乳。ランキング上位に来ているのはそういう女優ばかりではないだろうか?
肯定的にに捉えれば、これはある意味1つのAVの偉大な進歩とも言える。
AVは昔に比べて女優が美人でアイドルのような見た目になり、容姿にケチのつけようがなくなった。
それは作り手や、俺以外の大半の視聴者の好みがそれを求めているからかもしれない。そして、それに対して女優が、元々の持ち味や、メイクや、整形、演技で応えた結果かもしれない。
もしかしたら、自分が異常な性癖の持ち主なだけで、大半の視聴者はそれでいいと思っているのかもしれない。
だが、そうだとしても、自分は現状のAV業界はよくないと思っているし、これから衰退すると思う。
作り手、女優、視聴者、あらゆる人々が美人を追求した結果、確かに美人が生まれた。だが、その一方で最近のアイドルと同じように「皆が好みに感じる容姿」であるために、見た目が同じになってしまったのだ。
話は変わるが、AVは何のためにあるだろうか。
あるいは、有り余って仕方のない性欲を吐き出したい若者のために?
人それぞれに存在意義はあるだろう。
だが俺はそれらのどれでもないと思う。
AVは何のためにあるか。
それは「この女を脱がせたい」という欲望や、
「この女がベッドで乱れるところを見たい」という夢を叶えるためにある。
どういうことだろうか。
ところで今日あなたは通勤中あるいは通学中に駅で、道路で、電車で、バスで、何人の女性とすれ違っただろうか?
うち、何人に対して「この人を犯したい」と思っただろうか?
首都圏で、通勤ラッシュに巻き込まれているのであれば、最低でも2〜3人はそういう人がいただろう。
その「すれ違った人を脱がせたい」「すれ違った人の胸を見てみたい」「すれ違った人におちんちんぶちこみたい」という夢を、できるだけ願った人の欲望を投影して、できるだけ似せて叶える装置がAVだ。
TVの旅番組が一定の人気を確保しているのは、少し背伸びすれば手に届く範囲でできる旅行を夢見ることができるから。行ったつもりになれるのが旅番組で、イッたつもりになれるのがAVなのだ。
だから痴漢モノやナンパモノが流行るわけだし、「嫁の姉が……」といったありそうで無いシチュエーションの作品に長く一定の需要がある。
わかりやすく言うと、脱衣ブロック崩しや、脱衣麻雀の類をやったことがあるだろうか?
遊んだ経験がある人は、失敗すると何度も何度も繰り返し、運が悪いと何時間も経過していることがあったり、なんとかソースを探して画像を直リンクで探そうとした経験が必ずあるはずだ。
その原動力はなんだろうか?それこそ「この女を脱がせたい」という欲望だ。そういう意味では脱衣ブロック崩しや脱衣麻雀は合理的なシステムとも言えるし、男たちがAVを観るための理由で、AVの存在意義だろう。
だがその「この女を脱がせたい」という欲望を駆り立てる魅力が、今のAVには無い。
「今朝駅ですれ違った女の裸を見たい」「おしとやかに見える同僚の女がベッドで乱れる様子を見たい」という欲望を駆り立てるようなものでないといけない。
だからといって「AVに脱衣麻雀やブロック崩しをつけろ」という意味ではない。それは障害を増やすだけであり、ストレスを溜めるだけだ。溜めるのは精液だけでいい。
「すれ違った女の裸が見たい」というかなわぬ難しい欲望に対して、
AVがただの「皆が好きな絶世の美女」しか用意できず、ちょっとブサイクでも「今朝新宿駅ですれ違った女」に相当する役者を用意出来ていないのが問題なのだ。
「脱がせたい」という欲望を叶えるためにAVはある(と俺は思っている)が、それを駆り立てるためには作り手はどうしたらいいだろうか?
例えば、出演している女優が絶世の美女でも、すれ違った女でも、同じような見た目で、最初から全裸で待機していたらどうだろうか。多分、視聴者は萎えるだろう。
最近のAVのパッケージを見て欲しい。絶世の美女が最初から全裸か、全裸に近い形で写っていないだろうか?
そうでなくても、裏返すと全裸でおちんちんぶちこまれてあえいでる画像が出てこないだろうか?
あるいは、全裸じゃなくても、普段ありえないようなスケスケの制服とかに見を包んでたりしないだろうか?
それはきっとAVのパッケージのデザイナーが必死に考えて作ったモノなのかもしれないし、訴求効果を高めた結果だろう。
「どうすればエロく見えるか」を追求した結果できあがったものだろう。
だが、それではダメだと思う。
自分が思うに、AVに映る女とは、小学生の時に母親が作ってくれたお弁当のようなものだ。
お弁当は、開けるまで何が入っているのかわからない。開けるまでのドキドキがある。
一番上の蓋をパカっと外して、2つ目の箸とかが入っている白い蓋を外して、おかずと白いごはんが見えるまでの、1枚ずつ蓋を外していく過程にこそ楽しみがある。
AVも同じだ。
普段裸を絶対に見ることができないような女性がパッケージに写っていて、その中身で裸を見ることができる。その過程が今のAVには圧倒的に欠けている。
最初からスケスケだったり、全裸だったら、確かに視聴者の目を惹くが、楽しみを最初から奪ってしまうという悲しい事になってしまう。
そんな「平坦化」したAV業界だが、作り手はマンネリを感じたのか、最近変化球が多くなっていないだろうか?
どれも、斜め上に先鋭化していて空振りしている気がしてならない。
コスプレAVについては、版権の問題もあるかもしれないが、男の娘に関しては大島薫以外男の娘以前に男じゃねーか!!と叫びたくなるような出来である。
一方、AVの引き合いに出していたアイドル業界だが、今は何が起こっているだろうか?
アイドルに関してはあまり詳しくないので詳細な説明は避けるが、AKBやももクロやハロプロ等、既に盤石な地位を築いたアイドルに各プロダクションが競って肩を並べようとする競合があまりに多いせいで、今何が起こっているだろうか?
自分が思うに、話題性を重視するあまり、先鋭化していないだろうか?
そうすると何が起こるだろうか?
ごく一部の熱狂的なファンだけが、何百万単位でお金をつぎ込み、残りの人々は離れていく。
さて、ここまで散々自分の主観で現状のAV業界の危機を叫んだが、今後どのようなAVが作られていくべきだろうか?
自分が思うに、以下の3つがある。
「今日すれ違った女を脱がせたい」という願望を叶えるのであれば、
アイドルのようなホームラン級の美女よりも、10人のそこそこヒットを打てるそこそこの女優を発掘すべきだ。
あと選択肢が増える。
女優に多様性を持たせるのもいいだろう。例えば日本人にかぎらず、日本初の黒人女優とか、中東系の女優とかはどうだろう?
前述の通り、「服の中身を見る楽しみ」を演出すべき。
これは暴論かもしれないが、自分は本気でそうすべきだと思っている。
AV女優がブログやTwitterを開設していて、日常生活について垂れ流していても、新作の宣伝になるかもしれないが、視聴者からすると
「こんなに身近な存在なのに、ヤらせてくれないんだろうな」と感じてしまい、少し辛いものがある。
AV女優は、自分がAVに出ていることをブログやTwitterで宣伝するのではなく、身近な男友達にLINEで教えてあげよう。
きっと教えてもらった人はドン引きするかもしれないが、その後一番の熱心なファンになる。
事実、俺が今まで一番抜いたAVは、大学の友達が出ている奴だ。
あとでブコメとかで「女性の性的搾取」とかそういうのが出てきそうなんで先に言っておく。
俺はAVについて話しているわけで、女性について話してはいない。搾取がどうとかキレイ事いってんじゃねえ、AV観て何が悪い。
アニメに対して実写の優位性ってなに?
でもアニメでも昨今のCGで実写と見分けの付かない物も作れるし、現実では不可能な絵も作れる。
まず結論から言うとだ、良い作品もある、が、クソが多いから「止めてくれ」って反射的に叫ぶんだよ。
判るか?
例えばオマエがゴリゴリの童貞で秋月電子にパーツセットを買いに行く時にだ、
Bの可能性も確かにゼロではない。
僕これから25個セット買うから10個お譲りしますよ、と発展する可能性も、存在までは否定出来ない。
だがな、常識で考えた場合、即座にお断りするのが一番正しいんだよ。
ソコ!2時間拘束されても女性と5分話せたんだからお得とか言うな。
結論から言ったら短くなったので、折角だから(罵倒されること前提で)オススメ実写化作品を上げておこう。
なお、自称から判る通り嫌な予感がした地雷は自分から踏みに行くタイプだ。売上に貢献しちまってスマンな。
あ、日本原作限定な。ハリポタとか300とかバットマンとか手に負えなくなるから。
実相寺昭雄監督も凄いんだけど、やっぱ加藤役の嶋田久作だよな。
今見るにはツライところがあるとか、嶋田さん別に美男子では無いよなとか、どうでも良くなるレベル。
(古橋秀之のブラックロッドを実写化するなら、ゼン・ランドーは嶋田久作以外だとブーイングだろう)
クドカンが脚本書いて、松本大洋本人もワリと協力してるので、普通に「漫画未読」も「漫画読者」も楽しめるようになってる。
カメオ出演も多いし、全体的に小奇麗にまとまってる。
一番のポイントは、この映画、石野卓球が音楽提供してんだよ。卓球の漫画だしな。
原作のギャグっぽいところがキチンと表現されているところも高得点。
まあ映画版は、邦画らしく脚本がグダグダでダレる部分も多いので、好きな俳優が居ないとツライかもしれん。
漫画読者なら楽しめる。未読者もまあまあ良いんじゃないかな?
KISSメンバー、ジーン・シモンズの懐の深さを堪能する映画でもある。
でもガチなヘヴィメタ好きと観に行くと喧嘩になるので、そいつとはアンヴィルでも観とけ。
ああ、あの絵柄がこうなるのかあという感慨はあるものの、まあ漫画読者も満足できなくはない。
(個人的には、もっとこう、ジメッとした感じなんだけど、まあソコはソレ)
相棒役に松田龍平おいてあんな探偵役なんて大泉洋じゃなきゃ出来ねえよ、あの人マジ緊張しねえな。
個人的には1の方が好き。全般的にノスタルジックで無い昭和感というのは貴重だと思う。
でもまあ、納得できるというか、まあアレはアレで有りだよな、という。
ほとんど松重さんの人徳に寄るところが多いドラマ。映画化は無いだろな。
まあ原作派からすると、全然違うじゃ無えかと思うものの、ハリウッド凄えな、という作品。
ループものをアレだけテンポ良く判りやすく面白く描くのは層の厚みが違うんだろうな。
なんだかんだ言ってトム・クルーズやっぱカッコイイし凄え役者だよ。
ヤッターマン1号に櫻井翔、ドロンジョ様に深田恭子、極め付きはトンズラーにケンコバとド直球の地雷配役でアリエナイ傑作。
ただこれ、原作アニメのヌルイギャグ、ユルイお色気、要らないだろソレっていうスベリ方と、
ほぼパーフェクトなアニメの実写化なので、アニメ知らない若者には相当ツライと思う。
開幕5分で劇場のソコココのカップルから漂う「なんだこれ……」という空気は今思い出しても笑える。
アニメの実写化としてはこれ以上無い完璧な作品だと今でも思う。マフラーだけは無念。
そういや、誰もが判るカメオ出演って珍しいかも。
なんかタカラヅカだと定番化しててソコソコ人気になってて面白そうなんだが未見。
ソコのあの真宵ちゃんのピアノシーンとかナンダヨ!という原作派、まあ待て。
一回ちょっと目を閉じて思い描いて欲しい。
これ、ゲームの初回特典DVDとして付いてきた実写版だったとしたらどうだ?
ほら、震えるくらいの超豪華特典だろ?信じられないレベルの実写化だろ?
原作ヘッドギアの「メディアミックス前提の、アニメ版と漫画版が独立して存在する」珍しい作品。
先行したゆうきまさみの漫画版を原作扱いすることも多いけど、やっぱ違うんだよね。
特に横手美智子の小説版は忘れられてることが多いけど、作品世界に多大な影響を与えてる。
漫画、OVA、アニメ、小説、映画、全部こみこみでパトレイバー。
と、いう面から見ると、実物大のイングラムがデッキアップされただけでも価値はあったと思う。
カーシャがネズミ苦手とか、お武さんの怪談嫌いを彷彿とさせる細かいネタも沢山あったと思うが……
というか、この実写版は流石にどの過去作品にも触れたことが無い人は観てないんじゃないかな?
原田知世版(1983)、中本奈奈版(1997)、細田守版(2006)、仲里依紗版(2010)と4作品ともイイヨ。
特に、筒井センセイも納得の細田守アニメ版「時をかける少女」の主人公の声あててた仲里依紗のやってる2010年版は、細田守版の影響が尾を引きすぎて隠れてしまった不遇の名作。
ワリと細田版時かけの実写版と言って良いんじゃないかなあ……ダメかなあ……
多すぎて割愛。
というか、このカテゴリーに入る作品を「実写化で成功した作品」扱いするのが全ての元凶な気がする。
DEATH NOTEとかさ、テルマエ・ロマエとかさ。
いや、良いんだよ。
でも、アレは実写化として原作ファンが納得する出来なのかっていうと、どうだ?
(他にもスピード・レーサーはワリと酷評されるが作品単品では面白いと思うよ?でもマッハGoGoGoの実写化かあれ)
探せば「原作ファンが喜ぶ実写化」も無くは無いが、ホトンド無えんだよ。
私は、子ども向けの演劇の役者を志望していたり、大学で教育学を学んでいた。
家が、学歴偏重だったし、親も高学歴だったので、やはり偏差値が取れないと生きている意味がない、
結局、こんな生き方をしてしまったので、自分は一体なんのために生きているのか、
大学にいきたい人はどうやら、そういったことは深く考えないらしい。
ただ、生き残るために進学し、就職活動をしていくのだ、ということに疑問を持たず、
目の前のことをただこなすだけの人間、社会の一員としてその機能を果たしていきたい、と、
無意識に思っているのだろうか。
私は、勉強ができないと、家族という社会には認めてもらえなかったが、
だからすごく救われていたと思う。
しかし、家族という社会にだけ認めてもらおう、と努力したことは、
学校という社会でどうしたらいいのかを、理解していくのが人より遅かったと思う。
***
勉強は、理性を鍛えるもの、していない人はその分、感性が非常に発達していることがある。
演劇の研究所で、周りの人間が、初めて出会う高卒や中卒、フリーターの人だらけで、
ああ、みんな学歴がなくても普通に生きるだけならできるじゃないか、と思った。
高卒は高卒のコミュニティ、中卒はそれに見合ったコミュニティで、生き残るしかないのである。
でも、その社会の中で普通にお金が稼げて、仕事をしていればいいのではないだろうか。
別にだれしもが、広くてきれいなワンルームに住まなきゃいけないわけじゃない。
本人がかまわないなら、何も問題がないじゃないかと。
仕事だって、やるからには社会のどこかで役になっているのだろう。
私が、すごい思うのは、「社会的に認められる」という言葉の曖昧さである。
社会ってなんだ?と。
人が2人以上いればそれは社会だという。
Aさんに認められてれば、Bさんに嫌われたってかまわないのと同じように、
何事も、主観の方がいいのではないだろうか。
そりゃ、学校のクラスだとか、会社の部署、とか、そういうのも社会である。
でも、この学校のクラスと会社の部署はそれぞれなんの関係もない。
その所属している場での、ふるまいとかを考えればいいだけなのに、
何故か、「社会人として世の中、世界全体共通で自分は認められるようにしなければならない」
という錯覚に陥ってはないだろうか。
挨拶をする、時間を守る、マナーを守る、というのは、単に無用な争いを避けるための
形式なのであって、
その人とコミュニケーションをしていくというのは、
お互いに外面だけよくしてれば、そりゃお互いにそれくらいの興味なんだから、
距離感は取れてるだろう。
しかし、上司と部下、友達関係、といった、長く続けていかなければならないもので、
外面だけで耐えられる人は、本当にすごいのだろうか。
そういうのは、休みの日に自分自身を出して認めてもらえているから、なんとかなるのだろうか。
でも、心をないがしろにし続けている人は、どこかで不具合や病気を起こしている。
ある意味、この増田みたいなネットの付き合いというのは、外面気にしなくてよいから、
外面だけで、付き合いを続けている人よりは、ケンカをしたり意見を言い合う方が、関係性としては仲が良いような雰囲気があるw
***
とかいうのは、つまり人間は、外面も内面も多層的な存在であるということの表れだと思う。
だから、みんな同じiPhoneを持っていたって、ケースのデザインは違うし、入れてるアプリが全て一緒なんてことはない。
共有できるものは共有し、自分の好きな物、オリジナルにしたいものだってあるのだ。
「あんた、そんなんじゃ社会的に認められる人にならないよ!!」
「人に好かれる人になれ!!」
という、人で、私は周りの人に嫌われてない人を見たことがない。
皆、あいつって、我がままで自分のことしか見えてないよね、って言っている。
言い分はまぁわかるところもあります。特オタは排他的なとこもあるし、私もテレビで声優や俳優目当てである特撮作品が好きです♥みたいな人がその作品ファン代表みたいに出てたらイラっとする。役者しか見てない人に作品を語って欲しくないとも思う。でも私だって役者さんも好きだし応援している。役者の成長を見守るのも楽しい。
爆発やミニチュアだったり、ヒューマンドラマだったり、アクションや演出だったり、役者の成長を見守って応援することだったり・・・全部含めて特撮の魅力はだと思います。男女関わらず特オタの大部分はどれを重視しているかはそれぞれだけどそういうのひっくるめて特撮作品を楽しんでいますよ。竹熊氏のような人もいるけどこんな凝り固まった人は今日稀ですよ。以前氏の発言は大炎上してますし。
まぁそちらは置いておいて、要約すると「私たち俳優ヲタはお金を使っているのだから、お金を出さない特オタ()は文句を言うな」ということですか。メインターゲットで最優先なのは子供達と親なのは大前提として、たくさんお金を出した人が偉いんだったら上を見たらキリがないし、その理屈だと1番たくさんお金を使った人しか言えませんよ。あなたの周りにはたまたまいなかったかもしれませんが円盤、フィギュア、おもちゃ、ファッション・・・特オタの大部分が大なり小なりお金は出してますし、1年で出て行く俳優オタさんよりは財団BやTAさんに搾り取られてるんじゃないですかね。特オタがお金を出さないというのは妄想じゃないんですか。主張の理由が事実無根なのでもやっとしました。結局は子供・親>特オタ・俳優オタです。
あと特オタは出演俳優さんにとても好意的です。俳優さんが有名になっていくのを喜んでいますし卒業後に多少やらかしても「あぁあいつか」とあっさり許したり。あなたの好きな俳優さんもテレビに出て食べていくのならこういう評判やイメージを落とさないでいてくれる男性の存在は貴重ですよ。結婚やP賞で世間を騒がした彼に「子供できたしまた出てくれないかな」「やっぱり応援しちゃう」と好意的な男性が多いのも特オタくらいでしょう。もちろんその俳優のファンにもです。それなのに俳優オタへこう風当たりが強いのはやっぱり俳優オタのマナーが良くないからなんですよね。主演俳優のファンのせいでヒロインが降板になったと言われる年もありましてね・・・。舞台挨拶だけ見て帰ったり途中で抜けたりなんて俳優オタからだって批判されることです。俳優オタは郷に入っては郷に従うべきなんですよ。俳優のことに口出しするなと言うならばそれからです。マナーが良ければ受け入れられるし楽しみ方は違っても理解はされますよ。それができないのならば二度とこちらに来ないで頂きたい。
宮崎駿は動きで自分の表現を雄弁に語らせちゃうから、声で「演技」をかぶせられるのが邪魔なんだと思う。邪魔しないような演技を持ってこられればいいけれど、それには生身の役者を演出しないとならなくて、多分宮崎駿はそれが出来ないか、やりたくない。アニメーションなら自分の思うとおり演技させられるけど、役者はなかなか思うようにならないからね。それなら極力演技を排してアニメーションの邪魔にならない声を持ってくるのが良い、となる。
演技を排するというのは棒読みというわけではなく、ニュートラルで自然な声っていうこと。声そのものに余分なニュアンスや過剰なパワーをつけない。そういう声なら動きとケンカすることがない。最初は違和感を覚えた観客もすぐに動きのパワーに引き込まれる。
でも(広義の)演劇界の豊かさには、知的階級もそうでない階級も同様に必要だと思うんだが。
社会問題に関心があって貢献してるような役者が本当に少ない。アイスバケツチャレンジも、ライムを齧るセルフィーも、バカがバカにしていたが、社会問題に関心がないほうがよほどバカだと思う。
最近は浜崎あゆみの刑務所への慰問なんかも話題になってるが、自発的に小児病棟を訪れるヒーロー(を演じた役者)達なんかと頻度も、自発的かどうかも、比べ物にならない。
日本には「知的階級」がもはや演劇界に割ける人員がいないほど少ない、というのも感じるが、どんな層にも広範な知識が必要というのを身に迫って感じている人がどれだけいるのだろうか。
突然だけど、ビックリマンシールを集めるように、浮世絵を集めるようになってくれないかなと思う。
ビックリマンのなにがすごいって、ただただ美しいいからというだけでブームを作ったこと。
シールに遊び方があったというわけじゃない。
たしか「貼られたら貼りかえせ!」と書いてあったが、そんな遊びをしてるやつはいなかった。
コミックやアニメが展開したけれど、あくまでシールの人気にのっかっただけ。
今にして思うと、ビックリマンシールって、どうみても浮世絵の役者絵だと思う。
加えて、旧ビックリマンシールって、今の平板印刷じゃなくて、アキバ売られてるイルカの絵と同じシルクスクリーンだった。
インクの盛り上がりが気持ちいい、一種の版画だった。
余談だけど、浮世絵は大判が35×25だとして、ビックリマンシールが5×5cmとすると、大きさにして35倍。
ヘッドの封入率が約1/40 。
今売られている復刻浮世絵は、ヘッドシール以上に凝った細工がしてあるので、
35×40×30円=42000円
くらいまでは適正価格だと言えなくもない。
いや、4万もしちゃったら子供は買えないから、1枚1000円くらいじゃないと無理だけどさ。
特に現代木版画だと「限定○部」みたいな売り方してるけど、あれはやめたほうがいいと思う。
木版画って、ビックリマンシールと同じで、手にとって、生で見ないと美しさがわからない。
それでも、高級品として額にはめて壁に飾られたいのか?
それで本望なの?
でも、それって、希少だから貨幣価値が高まったというだけで、作品の芸術性が高まったわけではないでしょう?
手軽に聞けるウォークマンやラジカセが普及して、高級オーディオは衰退の一途を辿った。
結果は今の通り。
いい音を多くの人に届けていれば、そうやって品質をアピールしていけば、もしかしたら生き残れたかもしれないのに。
印刷技術が発達して、写真やディスプレイで見るぶんには区別がつかなくなった。
高級品として額に入れて紫外線をさけてアクリル板を挟んで飾ることを推奨するような売り方をする理由がわからない。
そもそも、市場は死んでる。
ネームバリューのある作家以外は、限定部数にしようがしまいが、ヤフオクでの値段は知っての通り。
財テクとして買うんだったら、絵なんかじゃなくて株券でも買うだろ。
常識的に考えて。
ビックリマンシールが廃れた原因が、公取委の指導でヘッドカードの封入率が上がり、レア度が下がったからという意見がある。
自分はそうは思わない。
レア度が下がったからではなくて、封入率が高くなったことで原価を圧迫して、シールのクオリティが低下したからだ。
流行りモノ好きが飽きたら、信者から搾り取るものがなくなったらそこで終了だ。
田中義剛が、
「発想の転換であえて少なく作る」
みたいなことを言っていたが、ぜんぜん同意できない。
ここ十年くらいは、
「品質がいいだけじゃ売れない」とかなんとかで、ブランディングが人気のように思う。
このエントリを読んでいて、大学のころに受けた教養科目の授業中に先生が話してくれたことを思い出した。
その先生も子どものころ、増田の言うのと似たような空想をしたことがあったという話である。
曰く、自分の周りであたかも意思を持って振る舞っている人間は皆、
自分の見える範囲・知覚の及ぶ範囲でだけその役を演じている役者にすぎない。
従って役者の意思については、それが存在すると信ずる理由はない、というものである。
上のエピソードは授業の内容と関係していたわけだが、その授業は何についてのものだったか。
当ててくれても別に賞品とかは出ませんが。
2015年版の演出家はあまり好きじゃないのだが、メインビジュアルが好みだったのと、バンドメンバーも好みの布陣だったので観劇。
初演再演は未見。当時のキャストとスタッフ、PVのみ確認しており、その他は前知識ゼロの状態。
初演制作会社の傾向から、厨二病な物語だろうと予測はしていたが、想定した以上に20世紀の厨二病が炸裂していた。
古き良き時代の文化だとは思うんだが、いかんせん若くてお綺麗過ぎるキャストが演じているから、ダサさが魅力的に見えず残念臭ばかり残った。
いろいろ無理がある…観ていてキツイな、と思うシーンのオンパレードであった。
役者の実力が無い訳ではなく、戯曲が絶望的につまらないのでもなく、演出家らによる適切な調整が行われなかったためではないかと、この不完全燃焼感を分析する。
例えば、主人公が小柄でヒロインとの身長差があまり無いのに、主人公の衣装が薄く細身のシルエットで、ヒロインの衣装が厚く重心も重そうで髪もロングヘアだと、パワーバランスが悪過ぎやしないか?
ショートカットのサバサバしたヒロインにするとか、主人公と双子のようなビジュアルにするとかすれば、主人公のヒロインへの執着にもまた違った色合いが出て面白いかと思うのだ。
兄貴分と主人公が並ぶと、仲間・親友という印象よりもそこそこ年の離れた兄弟に見えてしまい、ラストのどんでん返しが不憫でならなかった。ここもパワーバランスが悪過ぎると思った。
少しでも、2人が対等に見えるシーンであるとか、思い出語り以外の・現在進行形で絆が見えるシーンがあれば、まだどんでん返しに感じるところもあっただろうに。
何より、主人公が世界を救うという流れが、全然ピンとこないのが台無しだった。
それは設定説明がファンタジー過ぎて問題と解決方法に実感が湧かなかったこともあるし、キャラクター・各陣営の目的がとっ散らかっていたことが原因だと思う。
特に、バンドの野外ライブへかける想いが全然伝わってこなかった。
ダブルブッキングは不味いことだと思うが、野外ライブはバンドにとってただの日常の出来事ではないのか? 特別な意味や価値があったのか?
いや、特別な意味を持たせて、仲間や日常を選ぶか、惚れた女と世界を救うという甘美な響きを取るか、葛藤するシーンを解りやすく描くべきだったと思うんだ。
だって他のシーンがあんなに昭和の厨二病炸裂してるんだぜ? トンマナ揃えろよ!
細身で薄着の男性陣と、肉感的でボリュームのある衣装な女性陣、というアンバランスさも、問題はトンマナ揃ってないってことだ。
○昼食:ポップコーン
○夕食:納豆卵かけ御飯
○調子
なんか急に「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」って叫びたくなる衝動にかられた。
仕方ないので、じっくりオナニーをした後、
映画を二回見に行った。
(いや意味わかんないと思うけど、自分でも意味わかんないから安心して欲しい)
○就活
何も無し。
現在進行中(二社)
○ジヌよさらば
高い金を払ってわざわざ映画館で特に見たくもない映画を見るという、貴族さながらの遊び。
ただ、涙腺ガバガバおっさんなのでボロボロ泣きながらみていた。
もうさ、それっぽいBGMが流れながら役者さんやスタッフさんが頑張ってるであろう映像が流れるだけで当然涙できるんだよね。
てこれ何かとても違和感を感じる。
本気で
実現する気あるの?とやや怒り気味のブログだったが、
外から見てもやる気ねえだろ。とふと思った。
今からなるのか既になっているのかていうところだと
Facebookか。
本気でそんなこと実現したいやつがいるとは思えない。
それはそこのトップだとしてもだ。
何かどうしても、後ろめたいことをしているように思えてしょうがないんだよな。
いや、違って欲しいとは思っている。
何か、就活生は、自己暗示というか、何か、自分騙して受かってそうな会社だな。
でも、それも社会なんだな。
それも現実なんだな。と感じる。
大きな声でこんな事書けないしな。
でも本当にそういうの得意で才能あるなら役者でも目指せばいいのに。
と思ってしまう。
だけど、嘘ついて、嘘ついて、いったい何になるんだろうな?
金になりそうだな。
嘘でも、金になればいいよね。
本当。
企業が掲げる理念とかビジョンとかミッションとか、俺本当は必要なのか?
とたまに疑問におもうところがある。
全員一致とかありえなくないか?
そういうのなかったりするんだよ。
どうしてなんだろうな?
ビジョンは一人一人にあって良いとおもうんだよ。
ミッションも一人一人にあっていいと思うんだよ。
でも、会社に合わせないと受からないんじゃねえか。て思うんだよ。
真の自己実現をしたかったら、自分には正直じゃないと無理なように思うんだよ。
て思うんだよ。
これ俺の勘違いで在って欲しいよ。
経営者は孤独、てよく言うが、その道を選んだのは自分自身だろ?
ておもう事がある。何か後悔しているのかね?ておもうじゃん?
結局長続きしないのかもしれない。
やりたいことがわからない。ていう人たーくさんいる。
本当にわからないのか?と疑問に思う。
本当にしたいことがないのか?
嘘ばっかりで、軸の定まらないこと言われると
迷うんだよ。
惑わされるんだよ。
それが迷惑だよ。
心理カウンセラー・コーチ・セラピストの類の職の人が増えているように思う。
成長分野になって欲しくないようにも思うんだが。
それだけ需要があるんだろう。
依存しないように気をつけて
相談してみるといいかもしれない。
方向性がある程度ある人が多いんだろうな。
何か根性腐っているような人には成りたくないもんだ。
これまでに得た情報
・登場人物:「おしゃれ」でない女子A、「おしゃれ」な女子B、セクハラメガネ
・「変わる」話である。
・「おしゃれ」でない女子と、「おしゃれ」な女子は同一の役者が演じている
http://pokonan.hatenablog.com/entry/2015/03/20/000637
これだけの情報が揃えば、第二話を予測するなどアメリカのドラマの展開を予測するより簡単である。
[駅のプラットフォーム]
アナウンス「ハクスリー駅〜ハクスリー駅〜お降りの際はお忘れ物がございませんよう〜……」
人影のない構内で彼女がぼんやりと乗り継ぎの電車を待っていると、
少し離れたところで彼女に背を見せ、泣きながら衣服やハイヒールを脱いでいる茶髪の女性を見かける。
同僚の女子B……? なぜこんなところに……? でももしかしたら違う人かも……。
振り返った茶髪女性を見て、女子Aはおどろく。髪がざんばらになり、化粧が落ちてうつろになったその女の顔は――
言葉もなく見つめ合ったのち、謎の茶髪女性はぷいとそっぽを向き、列車の迫る線路へと歩み出す。
騒然とする構内。飛び交う駅員の怒号。
彼女はとっさの判断で、謎の茶髪女性が残したハンドバッグを掴み、プラットフォームから走り去る。
ハンドバッグから出てきた免許証によると、やはりあの茶髪女性は同僚の女子Bであったらしい。
いつもはまともに相手しないのだが……。
女子A「セクメさん、女子Bさんのことですが……私と似てるな、って思ったことありません?」
質問の仕方がわるかったか……女子Aはきゅうに恥ずかしくなる。
女子A「すいません、ごめんなさい、なんでもな……」
女子A「え?」
野暮ったいメガネをかっこ良く外すセクハラメガネ。その素顔はイケメンだ。
地下四階行きのボタンを押すセクハラメガネあらためセクハラ慎太郎。
女子A「地下四階……一般社員は出入りが禁じられているはずでは?」
メガネをテイクオフしたセクハラはいつもの軽い調子ではなく、どこか威厳ようなものを発していた。
セクハラ慎太郎「いつか言ったことがあったよな。『君と彼女では需要が違う』と。どういう意味だかわかるか」
女子A「それはあのコが職場の華で、わたしは単なる仕事仲間…‥」
セクハラ慎太郎「違う。『需要』とは、ふつう、商品や消費物に対して使う言葉だ。つまり、そういうことなんだよ」
そういうことと言われても…‥
女子A「あの、なにをおっしゃっているのかさっぱり……」
エレベータが地下四階に到着する。重い鉄の扉が開く。
女子A「こ、これは――」
会社地下四階。多数のポッドのようなものが敷き詰められており、その内部には緑の液体のなかでチューブに繋がれた……
女子A「"わたし"が……こんなに……」
セクハラ慎太郎「そのとおり。『君たち』は、いわゆる、『クローン人間』だ」
女子A「なんで……どうして……」
セクハラ慎太郎「君も知っての通り、我が社はバイオ医療技術の開発に力を注いでいる。『臓器倉庫』という単語はご存知かな? なんらかの病気や事故で損傷したり、老化で弱った内臓を、クローンで作った『若いころの自分』の健康なそれと入れ替える」
女子A「なんかそれ、アメリカのダメなSF映画でいっぱい観た」
セクハラ慎太郎「これは現実だよ、君。某大型百貨店のイメージキャラクター、ルミ姉さんが二十歳から年をとらないのを不思議に思ったことがないかね」
あのゾンビめいた声が脳内に蘇る。今なら10%、オフッフッフッフッ……
セクハラ慎太郎「正解を言ってしまえば、彼女は五十六歳だ。移植は内臓だけでなく、皮膚や頭髪も可能だからな」
女子A「私も、クライアントのための臓器倉庫ってわけなんですね」
セクハラ慎太郎「いいや。さっきも言ったろ。『需要が違う』と。君は『製造』されたときから臓器の内部に疾患を抱えていた」
たしかにそうだ。そのせいで低血圧がひきおこされ、いつも朝に元気が出なかった……。
セクハラ慎太郎「商品としては不適格だったわけだ。欠陥に気づいた研究員たちは君を即刻処分しようとしたよ。……だが、私はアウトレット品が好きでね。このメガネもtwitterで宣伝されていたレイバンの激安品だ」
セクハラメガネ「私は独自のプロジェクトチームを立ち上げ、君を実験材料にすることにした。教育を施し、記憶を捏造し、うちに社員として迎え入れ、セクハラをはじめとした様々な負荷をかける……」
女子A「その記録を撮る……いつも私にまとわりついていたこのカメラはそのためだったんですね」
セクハラメガネ「察しがいいな。だが、ストレステストは会社をだますための方便にすぎない。私の目的はもっと別のところ、高い次元にある」
セクハラメガネ「革命だよ、君。変わりたいなら、変わらなければ」
飢えにあえぐ子どもたち。泣きながら子供を死体を抱く母親。すべてを警戒するめつきの男たち。何もかもが絶望に塗りつぶされている。
女子A完全体「セクハラさん……これがあなたの望んだ世界ですか……?」
女子A完全体「まさか……わたしの願いがあんなことを引き起こすなんて……」
セクハラメカメガネ「後悔しているのかい? でも、これで宇宙の寿命は延長された。人間という種はよりよく改良された。きみは正しいことをなしたんだよ」
女子A完全体「でも、そのせいでルミ姉さんは……」
セクハラメカメガネ「彼女のことは忘れろ。必要な犠牲だった。革命には常に英雄を必要とするものさ。人間は物語を欲するんだよ」
女子A完全体「でも私達は……人間以上の存在になってしまった」
セクハラメカメガネ「君は自分が望むところへ、望む時代へ、いつでも行くことができる。君はその能力がある」
女子A完全体「そうね……わたし、昔から行きたい場所があったんです。新宿にある大きな百貨店で……名前はLUMINE」
セクハラメカメガネ「ほう。1976年3月10日に開業し。地下2階・地上8階の建物。8階にはたかの友梨ビューティクリニックをはじめとする美容関連が中心のフロア。7階から6階はカフェ・レストラン、5階は雑貨と書店、4階から地下1階まではアパレル店が大半を占め、地下2階はスイーツ・レストランのフロアになっていて、連結するルミネ2の七階にはお笑いの聖堂ルミネよしもとがある、カップルから家族づれまで、休日を過ごすにはうってつけの文化の発信地、あのルミネ新宿か」
女子A完全体「いっしょに来てくれますか、セクハラメガネさん」
セクハラメカメガネ「もうセクハラメカメガネだけどね。いいだろう、行こう。行って、一緒にこの終末を楽しもう。ルミネは、とてもすばらしい場所だから――」
胸を閉ざす痛みにキッス
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一週で1000回ぐらい聴いたかもしれない。
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ところで音楽が好きってどんな感じなんだろう
ゲームをしてゲーム音楽ばかり聴いて育ったような人間が名乗るようなもんでもない気がしてなんかアレ
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ピアノの楽曲を聴いて「これは○○の△△で~」みたいなのがすぐにわかる親友はめでたく今年東大を卒業
オペラを観に行って、内容は理解している前提で役者を評価できる親も東大卒
ゲームばっかりやってる私、凡人
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あ、たまたまこんな感じになったけど東大コンプレックスじゃないよ。その衣を着てるせいで嫌いな人間はいるけどね。
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その記事によれば人の趣味を評価するかどうかみたいな話だった気がするなあ。
でも私に言わせれば他人に評価される以前に自分で劣等感を抱いちゃうんだよね。
どんなに突き詰めてもゲームはゲームだし、どんなに好きでもゲーム音楽の範疇を出ないしみたいな。
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私がどう生きればいいのか分からない時に親と話したら、「モラトリアムだね」って言われたことがある。
そういう考え方もあるかもね。でも、私は立ち止まってる訳じゃなくて、ゲームに自分の行き先を見失わされただけなんだ。
…いかにもゲームのせいであるかのような書き口。自分のせいってことぐらいは知ってるよ。こんな人間でごめん。
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なんか文章書こうと思うとネガティブなことしか書けないな。前を向いて生きてる人間が羨ましいよ。
私は前を向くことはできないけれど、せめて生きているなりの成果を出せるように、出せているよう装えるように、明日も生きるよ。
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追