はてなキーワード: 乗客とは
痴漢被害者が被害を訴えると他の乗客に「ブスが粋がるなよ」って言われたツイートがまとめられた
http://jin115.com/archives/52133713.html
大半が女叩き。
「ブスの被害妄想」
「女は家から出るな!」
「創作」
「冤罪のホーガー!ま〜んは被害者ぶるな!ちょっと当たっただけで痴漢痴漢騒いでるんだろ!」などなどもっとひどいのばかり…
他のまとめサイトもそうだった。こんなにも痴漢被害者が、女が、酷いバッシングを受ける国が他にあるだろうか?
あと50年したら反動でイスラム国みたいになるってコメントあったけど、反動()でもなんでもないだろうが、本当にそうなりそうで怖い
マタニティマークとは?
・ 妊産婦が交通機関等を利用する際に身につけ、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくするもの。
・ さらに、交通機関、職場、飲食店、その他の公共機関等が、その取組や呼びかけ文を付してポスターなどとして掲示し、妊産婦にやさしい環境づくりを推進するもの。
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おれってコミュ症じゃん?
でも電車で座った方が良さそうな人見たら譲るようにしてるんだよね。
以前、老婆に気付かず譲らなかったらボソっと暴言吐かれて心折れちゃったからさ。あんな思い二度としたくないじゃん。
ここで譲らないで、もし後で
「電車で目の前に座ってるハゲが席譲ってくれなかった。女が生きづらい時代。夫の給料も低いし死にたい。」
みたいなエントリ見つけたらなんか嫌じゃん。だから譲ろうと思ったんよ。
比較的空いている電車なら、無言で目配せして立ち去るのだけど今日は満員電車。
満員電車で席を譲ると、座ってる自分と立ってる相手の場所が入れ替わる事になる=その場から離れられない。
話好きの人だとその後会話が発生するから辛いんだけど、相手はマタニティストという事でそんなん言ってられない。
おれはハゲでマザコンなので、これからママンになる女には苦しい思いをして欲しくないのだ。
立ち上がりながら「どうぞ、座ってください」と席を指差した。
「は?いやいや、大丈夫なんで」「いや本当に大丈夫なんで、マジでほんとにいいです」
ものすごい拒絶が帰ってきた。おれも食い下がったが、語彙の少なさから、ガチの拒絶と不機嫌を感じた。
2回断られたら止めるのがマイルールだ。これ以上押すと雰囲気が悪くなる。
直後に、おれとのやり取りを見ていなかったと思わしき2席隣の女が席を譲ろうとした。が、それもおれの時と同じ感じで断った。
おれと若い女の2度に渡る席譲りオファーを断ったマニフェストは、目に見えて不機嫌度が増していた。
スマホがフリーズしたのかすごい勢いでホームボタン連打したり、降車しようとしたオッサンと肩が軽くぶつかった時には具合悪そうにクソデカ溜息など、かなりピリついた様子だった。
ここまではまぁ、あるっちゃある話なのかな?
おれ妊娠した事ないけど、大変なストレスが10ヶ月間も続くなんて考えただけでも腹が痛い。妊娠以外にも色んな理由があるのかも知れない。痔とか。
ここからが変だった。
数分後、三茶で世話焼きそうなオバハンが乗ってきて、マタニティーマークをぶら下げたマジリスペクトに気付いて
おれに「この方、妊婦のマーク付けてるでしょ、だから良ければ席を譲ってあげてくれませんか?」と言ってきた。
あ、めんどくさそうと思った瞬間、マトンテイストが声を荒げた。
「「こ、こわい!!やだ!!!」」周りの乗客たちが唖然とする中で、おれの心はすっかり折れてしまった。
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あのマークってのは
「わたし妊娠してて情緒不安定なことあるけど全部察して許してね」のマークなのかい?おれはあの時のマッドサイエンティストの気持ちが知りたい。
目が覚めた。ええと、今日は水曜日だったか?それとも木曜日?もしかして土曜日?まだ寝てていい?いや、駄目な気がする。
なんだか外が暗い気がして寝床からカーテンをずらして覗いたら、今にも降り出しそうな曇天だった。
もぞもぞと起き出す。今日は自転車はやめておいた方がいいかもな。傘も持って行かないと。
電車で通勤することにして、傘を持って駅へ向かった。あやうく電車に乗り遅れかけるがなんとかセーフ。
ホームへの階段を降りきると同時に入ってきた電車の前の方の車両は割と空いていて、車内には会社の同僚の姿も散見された。
とはいえ近づいて行ってわざわざ声をかけることもないので、軽く会釈だけして空いている座席に座る。
どんよりした天気の影響か、頭がまだ半分寝ているような感じがする。
降車駅が近づいてきて、次降りなきゃな、というところでウトウトしてきて、ハッと気づいたら電車は見慣れない終着駅らしいターミナルに着くところだった。
やっちまった。あと10秒ぐらいだったのに乗り過ごしちまったよ。同僚も起こしてくれてもよかったのに……と思いながらとりあえず下車した。
周囲を見回すと、漢字とハングルが溢れていた。そういえば先ほどから流れているアナウンスもよくわからない言葉なので、どうやら電車で韓国まで来てしまったらしい。
あの路線は韓国まで繋がってたのか、いつも乗っているのに知らなかったなと感心しながら戻れそうな電車を探す。
韓国の朝も、日本と変わらずスーツを着て歩いている人が多い。誰かの鞄が膝の裏をかすめて行った。
ファストファッションのパーカーにチノパンという自分の服装と見比べて、やはり真似できそうもないなと息を吐く。
発車ベルが聞こえて、三番ホームから出る電車が自分が来た方向に向かっていった。
そちらに近づくルートを探しながら歩いていると、案内板に日本・台湾と書かれているのを見つけた。最近の電車は台湾にも繋がっているのか、便利な時代になったものだ。
そのままキョロキョロとあたりを見回していると、ひょっこり現れた友人がヨゥと声をかけてきた。
おっ、なんだお前久しぶりだな、元気か?と聞くと、彼は笑いながら死んでるよ!と返してきた。
そうだそうだお前自殺して死んだもんな、もう7年とか経つんだったか?こうやってちょくちょく顔を合わせるからすぐに忘れてしまう。
ところで日本行きの電車ってどれよ?あっちに書いてあったけど次の次に来るやつらしい、次のは台湾行き。なるほど、あー台湾行ってみてぇなあ!
台湾料理の話をしながら台湾行きの先発列車に乗り込みたくなる気持ちを抑えて見送り、次に来た日本方面行きの電車に乗り込んだ。
しばらく走ると、一両編成の車内の乗客は俺と友人だけになった。友人と他愛もない話をして、貸し切りの車内にすこしはしゃぐ。
「さっき五重の塔があったから、もうそろそろお前んチのあたりだな」と友人。
家の近くに五重の塔なんかあったっけ?でもまあ、多分近いのだろう。
ゆっくり流れる窓の外の景色が、もうだいぶ日本っぽい。あ、このセブンイレブン知ってる。
右に曲がりますヨ、と老婆がアナウンスした後、電車は線路を飛び出して踏切から道路に入っていった。
曲がり角の度にギコギコと前後を繰り返しながら少しずつ曲がって家に近づいていき、やがて自宅の前で停車した。
目を覚ますと、俺はまだベッドの中にいた。
一部の新参者、または無教養者による迷惑行為が目立っているためアナウンスを致します。
車幅が狭くそれゆえに乗車スペースは譲り合いが必要となります。
現状小さな車両しかないことを受け止め下記の行動を徹底して頂けますでしょうか。
【座席着席時】
・足を閉じて座る。
⇒左右の幅も同様に狭いため。
・深く座り、膝よりも靴が前に出ないように座る。
⇒吊革利用の乗客の足の置き場が無くなるため。
【吊革利用乗車時】
・ドア付近乗車時には、降車客の妨害はせずに一旦ホームに降りること。
・4人座席の前には4人以上で並ぶ事。
・足はできるだけ座席側に寄せること。
⇒背中側に立つ人のコトを考えること。
・ショルダーバッグは肩にかけたままにせず、前で持つか網棚に載せること。
⇒横に立つ人のコトを考えること。
一旦は以上です。
魚拓代わりにご利用下さい。
一番上から
*忘年会の罰ゲームで男二人で「今からホテルでぐちょぐちょのホモセックスしまーす!」って街中で叫ばされたんだけど、
女の子3人組が「どっちが受けなんですか!?」「どんなプレイするんですか!?」と熱巻いて来たので今から飲みに行く事になりました。ホモトーク出来ないとか今更言えない助けて
電車にて。
子供「おなかすいたー」
母「今日何食べよっか?」
子供「パパが食べたいなー」
母「パパは食べられないでしょーw」
子供「でも昨日ママ食べt(母「そーね!今度一緒にたべよっか!」
お母様、動揺して2ちゃんとかにありそうなとんでもない事口走ってますよ!
子「無理だよ!」
母「そ、そんな事…ブフォww」
乗客「ブフォwww」
縦「ブフォwww」
*電車がめっちゃ揺れた勢いで目の前のお姉さんのたわわな双丘にダイブしてしまい、
焦りと混乱から「ごっ、ごちそうさまですっ!!」と訳のわからない言葉を発してしまい捕まる覚悟を決めていたら
「お、お粗末様…です?」と困りつつはにかんでくれたので来週飲みに行く事になりました。
縦「この趣味・特技欄にある【四文字熟語をいじる】ってのはどういう事?」
受「はい、四文字熟語を少し変えて全く違う意味にする事です!」
縦「どんなのがあるの?」 受「美人薄命→美人薄乳です!美人な上に貧乳とか理想じゃないですか!」
採用した。
「お前はどこの支社のどこ所属だ」
とか言われて副社長の前まで歩いてって
「自分の部下も把握出来ない様な人間に顧客・お客様の事なんかわかる訳ねーだろ!数字なんかあとからついてくんだよ!」
って机に名刺叩きつけてもうたwwまじでクビかもしらんwww
*部下に連絡つかずで家に電話したんだけども…
女児「⚪⚪です」
縦「もしもし?お家の人いる?」
女児「…」
女児「いらない」
縦「え…」
女の子「パパはお酒飲んでママの事叩くし、ママは私を叩くしどっちもいらない!ガシャン」
とんでもない闇を見た
運行中は各名所の説明を運転手がしてくれたり、ガイドが名所にまつわるクイズを出したりしてて和気あいあいとした雰囲気。
津波で塩害で島の木々がやられてしまったとか、島の住民はかなりの人数が犠牲になったとか
そういう話を聞いた。
と身の上話が始まり、
名産品一つ千円。
ここまではよかったんだけど、
場所は密閉された船内
身の上話
結局二千円分購入。
押し売りは言い過ぎかもだけど、
予想を大きく裏切る名曲となっていた。この曲は、ASKAが、自分の故郷福岡を歌ったものだ。ASKAは中学一年生から高校二年生までの約四年間を北海道で過ごしたが、生まれてから大学在学中に歌手デビューをして上京するまで、彼は福岡に住んでいた。上京するとき、ASKAはどのような心境だったのだろうか。
俺は東へ 上るつもりだ
勝手な奴だと思うだろうが
冷たい風に深くくるまっても
だまって俺は 歩いて行くだろう
「歌いつづける」より
CHAGE&ASKAは、もともとCHAGEとASKAの二人によって成り立っているわけではなかった。CHAGE&ASKAは、バンドメンバー5人を含めて、合計7人のバンド集団だった。だが、デビューできるのは、CHAGEとASKAの二人だけだった。「勝手な奴だと思うだろうが」ASKAは、東京にやってきて、歌手活動をはじめることになる。
デビューの一年後、「万里の河」(1980)でヒットをするものの、その後、約10年間、セールス的には大きなヒット曲に恵まれず、「冷たい風に深くくるまって」、歩き続けたのであった。CHAGE&ASKAを一気に国民的シンガーに押し進めたのは、何よりまず「SAY YES」(1991)であっただろう。同年、ASKAはソロとしても「はじまりはいつも雨」(1991)でミリオンセラーを達成する。ここからさきの活躍については言うまでもないだろう。「YAH YAH YAH」(1993)など大ヒット曲を連発するとともに、活動をアジア圏にまで広げていき、またMTVにアジア人初として出演するなど、「世界的」といってもいい活動を繰り広げていったのだった。
そんな時、ASKAにとって生まれ故郷の福岡はどんな場所だったのだろうか。
ASKAが福岡に曲を捧げたのは今回が初めてではない。福岡市市制100周年を祝して、「心のボール」(1989)という曲を作っている。ここでは、故郷と幼い日を思い出して涙が出てくるが、でも思い出に浸っていてはいけない、人は未来を生きているのだから、ということが歌われている。
次のステージが待っている。自分を育ててくれた故郷でゆっくり過ごしたいが、待っている人たちがいる。自分は「ハンサムな道」を「歩きつづけ」なければならないのだ……。
*
「FUKUOKA」は「SCENE」シリーズに代表されるASKAのバラード曲につながるものだとも言えようが、決して「お得意」のジャンルにASKAは引きこもっているわけではない。むしろ、この曲にはASKAの新しい展開を予感させるものが凝縮して詰め込まれている。これほどまでに静謐な言葉のなかに激しい想いが込められたASKAの曲を私は知らないのだ。
発車のベルが鳴る 街が動いて行く
あの頃の僕は何を見ていたのか
当たり前の、いつもの日常風景。通学する時、いつも見ていた何気ない風景。剣道の道具を、あるいはギターを持って、つまらない顔をして車窓風景を見ていたのではないか。しかし、車窓から流れていくその何気ない街の風景が、今、映写機が回っていくように、一コマ一コマが映画のように美しいものとして、かけがえのないものとして記憶の中に流れていく。
繰り返しながら僕はここに居る
何気ない挨拶たちと共に、出会いと別れを繰り返しながら、生きてきた。その一つ一つが今、生き生きと現れてくるのだ。
ここで想起するのは、傑作映画「ニューシネマパラダイス」だけではない。光GENJIに提供した曲「パラダイス銀河」(1988)を私は思い出した。
ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス
同じ「パラダイス」という言葉が「パラダイス銀河」と「FUKUOKA」ではこれほど違った響きを与えられて存在している。この響きの違いのなかにこそ、ASKAの時間と記憶を、私は感じる。
いささか唐突に出てくるこの節。中島みゆき「タクシードライバー」からの引用だと見るのは深読みしすぎだろうか。
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す
不器用なタクシー・ドライバーは、泣いている乗客にその理由を聞くわけではない。どうでもいい話ばかりを客に話すことで、静かに励まそうとしているのだ。静かに励ましてくれる街、福岡。そこでは「風が見える」のである。ASKAにとっての「風」とは何かというのは、「風のライオン」「風の住む町」「風の引力」などの曲を再び聴いてもらいたい。
*
私が「FUKUOKA」で最も感動を覚えたのは、
という箇所だ。様々な感情が入り乱れた「memories」の「s」の音である。静かに消えていくsの音には、記憶を手繰り寄せていく中で、当時気が付くことができなかった様々な人たちの気遣いに気が付き、泣きたくなるような「感謝」の想いが、「祈り」にまで高められているように感じられるのだ……
http://anond.hatelabo.jp/20161219071846
文字の大きさが小さく見づらい・情報過多で見づらい・自発光素子でなくなったので見づらい・配色がタコで見づらいという増田がいらっしゃった。
実際僕もそう思うし、あれは決してベストな代物ではないと思う。しかし、当該の増田が褒めている旧来の発車案内は老朽化したものであり、新システムへの移行は不可避である。
そしてこの時代に入れ替えるのであれば2020年の東京オリンピック(失笑)を目指した国際化(失笑)に対応したシステムになるのは自明である。
どうせそんなのはわかりきった話であるのでそれらはいいとして、一つだけ反論がある。それは情報過多であるという「根拠」にだ。
旧来のシステムは『「先発列車の時刻」「先発列車の行き先」「次発列車の時刻」「次発列車の行き先」の4つの要素』であったのに対し、
新システムでは『「先発・次発の表示」「行き先のひらがな表示」「先発と次発の駅ナンバリング表示」「電車の現在位置」「お知らせの文字スクロール」が
常に同じ画面上に表示されるように』なって、『基本4種類しか表示されていなかったのが常時11種類の表示になった』と批判している。
しかし、他路線の車内に設置されているLED表示器の表示を思い出していただきたい。路線や車両の所属によって違うかもしれないが、
駅ナンバリングの表示は駅名の一部として原則として示されている。そして駅名のふりがなも同様に駅名の一部として見るのが妥当である。
従って合計で8項目となる。ちなみに駅名ふりがなの文字の大きさを考えると、乗客に読ませる気はサラサラなく、クレーム対策のために
仕方なしに適当につけたと考えるのが妥当である、と付け加えさせていただく。
その時間帯は通常でも座席に数名がまばらに座っている程度の混雑具合なのだが、その車両には人が一人しか座っていなかったのだ。
すると目の前に並んでいた数名が何かに気付いたように並ぶのを止め、別の場所へと移動していってしまった。
それを不思議に思って車内に乗り込むと、その疑問はすぐに解決した。
座っていたのは見るからに汚れた衣服を身にまとい、髪も髭も任せるままに伸ばしたままの若い浮浪者で、社内には鼻を指すような異臭が充満していたのだ。
わたしのあとに乗ってきた乗客は一瞬で顔をしかめるとすぐに別の車両へと移動していってしまった。
それを見ながらこれは誰かが注意しなくてはいけない問題だと思い、なんと声をかけようか彼の方に目をやると、彼の手に握られているものが目に入った。
彼がそれを意図していたのかは知らないが、料金と日付けが印刷された面がしっかりと見えるようなかたちで彼の手に切符が握られていたのだ。
山手線のように循環しているなら不正乗車が容易に疑われるが、これは都内を横切っていく地下鉄の車内だ。
手に握られている切符に記載されていたのは、進行方向に矛盾のない、わたしが乗り込んだ駅の3つ手前の駅名だった。
わたしは彼をどんな理由でこの車内から追い出すことができるのだろうか。
お互いが気持ちよく過ごすために必要な、いわば暗黙のルールだ。
確かに彼は匂いと不潔さという、公共の場において明らかなマナー違反をしていると言える。
しかし、世の中には容易くマナーを破る人間もいれば、自らのルールを押し付けてくる人間もいる。
どこまでのマナー違反ならば乗車を拒否することができて、どこまでのマナー違反であれば個人の持ちうる権利だと言えるのだろうか。
多くの人間にとって見れば、わたしはマナー違反の客をつまみだした英雄と称されるかもしれない。
しかし、彼本人にして見れば、それは世の中の常識を押し付けるという一方的な暴力にも感じられてしまうかもしれないのだ。
その生活が彼が望んで陥ったものではないとするのであれば、ここでわたしが彼を車内からつまみ出すことは果たして正義と呼べるのだろうか。
すぐに答えを出すことができないわたしは、とりあえず自らの行動の是非を問うためにも彼と同じ車両にいようと思い、扉を挟んで斜め前の席に腰を下ろした。
同じ権利を持つ者同士、追い出すことも出ていくこともおかしいことのように思えたのだ。
彼はそんなわたしのことなど気にする様子もなく、相変わらず切符を持ったままどこか一点を見つめている。
次の駅に差し掛かると、先ほどとは違い乗客は普通にこの車両に乗り込んできた。
しかし異臭に気がつくと車内を見回し、浮浪者がいるとわかるとやはり何も言わずに隣の車両へと移っていってしまった。
おそらく、乗り込むときにわたしが目に入ったことから、車内の異変を察することができなかったのだろう。
確かにその浮浪者は臭かった。掘り下げるまでもない浮浪者特有の匂いは、一駅を通過しても相変わらずに鼻を突いたままだった。
もちろんその匂いは耐えられるものではなかったが、しかし、その疑問と向かいあいたい一心で、わたしはその場を離れることができなかったのだ。
そうこうしている間に電車は次の駅に到着した。
すると浮浪者の彼は立ち上がり、車外へと降りていった。
どうやらここが彼の目的地だったようだ。
やはり、彼は自らの権利を全うしたに過ぎなかった。
ならばわたしがするべきことは何だったのだろうか。
くさいということを理由に健康的な食事で培った肉体で彼を車外に追い出せば、それは正義という名の暴力と同一だ。
混雑していた車内であれば遠慮を促すこともできたかもしれないが、全く混雑してないこんな状況であれば多くの健康的な乗客は車両を移動すれば席からあぶれることなく済む問題だ。
お金をわたしてシャワーを浴びろといったところで、そんな支援を継続的にできるわけでもないなら明らかな偽善だ。
それにもし彼が空いている時間帯を選んで、迷惑を最小限にしようと考えていたのであれば、これ以上のない気遣いだったと言えよう。
結局のところ、何かを嫌だと感じたなら自らが避けて通ることしかできないのであって、それが嫌ならその場にい続けることしか出来ないのだ。
なぜなら、そこにある権利は対等であり、等しく切符代を払った電車の乗客でしかないのだから。
もしこれが異臭ではなく、人前でのメイクや、折りたたまれないベビーカー、イヤホンから漏れる大音量の音楽、大声の通話、座席の独占、床への座り込み、匂いの強い飲食、大きく膨らんだリュックサックなどだったらどうだっただろう。
今まではそんなこと一つ一つに嫌な顔をしてきた自分ではあるが、今回のことを受け入れられたのだからこれからは全てを受け入れることができるだろう。
わたしの行動が正しかったかどうかは分からないが、そういうことに寛容である世の中であって欲しいと思う気持ちが芽生えた出来事だった。
そんなことを考えていると、締り際のドアに若い女性がギリギリで駆け込んできた。
間に合った安心感と走ったことによって上がってしまった息を整えるように大きく息を吐いてから深呼吸をした直後、驚きと恐怖と怒りと嫌悪が複雑に入り混じった視線をわたしに投げかけてきたのがわかった。
わたしではないと言いたかった。しかし、この状況を簡潔に説明できるような時間も余裕も話術も持ち合わせていなかったわたしは、困惑の視線を返すことが精一杯だった。
すでに怒りに支配された靴音を響かせながら隣の車両へと移っていく女性の後姿を目で追いながら、浮浪者が降りたあとは自らも車両を移る必要があるという知見を得たことに取り残された車両で一人唸っていた。
最近の日本のゲームがメチャクチャ品質に優れてると思うのは、表現のリアルさだな。表現の良いものを据置機・携帯機で販売し、その補助としてPCゲームを利用している。1970年代からトンデモ文化だったゲームは今や大衆文化。従来型ゲームを残し、進化させたことが奏功したともいえるよね。リア充の人は、アニメを見て、そこからPCのオンラインゲームなりスマホのゲームをしている人がいると思う。パズドラを深く楽しみたい人は3DSのみならずスマホを買う。ソシャゲとはオンラインゲームに近いスケールのものであって、中毒性質のない古典型とは違う。オタクならよくわかると思う。ゲーオタにとって任天堂やソニーのそれはXBOXとともに本格的にゲームを楽しむための機械。事実上のネトゲであるソシャゲは難易度が低く、リア充の遊びであって敷居が低い。深く味わうにはPCゲーム買うほうがよほど効率的だ。
こうしたゲームを含んだサブカルオタク圏というものがあり乗り物文化・非大衆文化がある。さらにそれと構造を共有する文化があって、それは「サブカル性」の存在が日本文化の繁栄を実現している場所なのだ。問題は、それ以外のもの。そこには深く楽しむのための技術がない。
たとえば中国には据置機ゲーム開発メーカーがないという。PCソフトゲームこそあるが、その品質も据置機にすら負けていることは、マリオを愛する日本の人間にはよくわかっている。ソシャゲ嫌いがほとんどだからね。韓流台流ゲームはアメリカ流のそれと比較するべき水準ではなく、どちらかというと和製オンラインゲームと似ていると思う。サブカルの拡張ために発展した据置機文化と共有できる要素がない。単に特殊アイテムを買うときだけに金を払わせるので収益性がない。ミーハーはともかく硬派からの評価は高いといえない。
アジア諸国の交通が長い間道路に依存していてそれを鉄道が補っているように、韓国や台湾や中国は鉄道オタクに対する理解が遅れている。アジア諸国はマイルドヤンキーが多いから、中韓台より事情は悪いかもしれない。「日本は異常なんだからいいだろ!」とヤンキーに言われそうだけど寛容性は大事よ?大卒の元ギャルにお世話になったことがある。ギャルはいい文化だと言っていた。誇らしげだった。しかし「リア充」という感覚ではなく「元ギャルの人」という意識があるような感じだった。鉄道好きだって「鉄道オタクではなく元変わり者」という感覚が古い世代にはあるはずだ。車・バイク好きのオタクに以前噛みつかれたが、それこそヤンキー文化のソフト版が車・バイクカスタムフェチでしょう。痛車好きは一応オタク文化だが、敷居が低いこと、イメージの悪い時代の存在、極めて似ている。鉄道好きも車・バイク好きもマイルドヤンキー化しているし硬派の存在を無視した大衆化だそう。道での繋がり傾向のサブカルとは違うのだ。
2000年代に不良の衰退でまともになった点や文化的歴史の位置づけにおいて、バイク文化とキモヲタ文化は似ている。どちらもへそがないものだ。しかしこれらはマイルドヤンキーとは違い、縦方向の上下があり、そこでは繋がりが途切れることない。バイクは1970~1990年代世代、キモヲタは1990年代世代が変わり者の集まりになっている。一方、鉄道路線と鉄道趣味の人口密度の関係はどうか。負の相関関係にあることは誰にでもわかる。とにかく地方ほど鉄道好きが多い。おまけに観光地化も進んでいる。足を引っ張る人間もいる。都会にこそアンチがいるどうもバイクよりかは可愛いバッシングに思える。
ソシャゲが生誕10周年を迎えるが普遍的なビデオゲームとの性質の違いがはっきりしているように、将来この溝は埋まらないと思う。そして、2000年代以降の最近に量産された書物にはこういうパターンが多い。物凄い売り上げになるが、誰にも知られない…。この手の似非サブカル文化がよくないのは、サブカルとは消費者の構造の違いがありすぎるのに、内実を伴う本当のオタク文化のようにビジネスの方向性として普遍化してしまうこと。しかし財界の都合はどうであれマイルドヤンキーの割合が高くなり、民度もばらつきが出てしまう。そこに道の繋がりはなく、完全な単細胞になる。
結果的にハイカルチャーでもなければ、サブカルでもない中途半端なサブカルチャーが寂れる。ギャル文化は(業界面で)のイメージが凋落して久しいがその人達の評判もクソッタレてるでしょ?ヤンキーみたいな末路を追うことになるんです。いい加減な文化はみんなどこも。もちろんアニメ好きや鉄道好きに対するバッシングもあって1989年の宮崎勤ショックや2002年の西武鉄道ショックがまさにそうなのだが、低迷期はわずか10年弱だったし、現在ではむしろ好かれている文化ので、私たち鉄道好きはほんとはめちゃ好かれ者なんだよね。「汚い日陰者」から一転して大成功ってすごすぎるよ。
最近の都市部では駐車場や駐輪場料金も安くなっているのに、いざ買うとなるとかなりの金額がかかり、トータル費用が原付バイクだけとっても最大で10万円台はいささか敷居が低いとはいえない。ロードバイクですら5万円以内で始める事等やろうと思えば可能だ。持続的に利用できて、かつ一定の敷居の高さがあればいいわけ。鉄道は厳かな仕来りを残しつつ観光要素があるのは非常に優秀で、バスもその点では平成以降は充実の流れがある。
最近流行っている鉄道不買運動は、田舎や外国から来たよそ者が参加できない、敷居が高い。しかし難易度の面でも非常に中途半端。ひどいと最低限度の駐車場駐輪場はおろかガソリンスタンドが整備されておらず、都会特有の曖昧な道路交通マナーとあって運転もめちゃくちゃ大変なのである。あれは遅かれ早かれにわかに終わる運命にしかないと思う。別に日本の大都会で増え続ける都市鉄道嫌いと車・バイク好きをDISってるわけじゃないが、日本ではロードサイド文化もろとも車社会は終わる運命にあるし、車やバイクは都市部ではスポーツ用具以外もはや意味ないし、アジア諸国を手本にした再開発を実行したらその発展の犠牲で欧米由来の都市文化の居場所が消えうせるのは必然でしかない。したがって現代であれば満員電車も大量の外国人も必要悪なので、日本は本当の意味で観光大国化がしたいなら防災などの予算などで余った分を人口増加対応に充てればいいと思う。歩道と車道を分離して歩道の容量を拡張する。近年では鉄道の整備に努めているようだが、例えば鉄道だけを取って鉄道の女性専用車が役目を終えたら、その跡にグリーン車を設置したらいい。乗客を分散させるのだ。
神奈川県の横浜の郊外はかつて、関東特有の田舎文化があった。昔の相鉄はローカル線同然だった。それが昭和時代の経済成長で都会の仲間入り。どれ程すごいかと言うと、昔は関東の仙台同然だった横浜の郊外が仙台市とは比べ物にならないような高度なニュータウンへと変貌したというのだ。話がそれてしまった。
電車男でサブカル文化が変わり、鉄道に対するイメージすらJR九州の躍進で変わった。縁の下の人を守り続けることが日本文化の持続可能性のポイントであり、もちろんそれを各現場の人が一番わかっていると思うんだよな~
今朝は出先へ直行で、いつもとは違う時間帯の電車に乗った。比較的遅い時間帯だったこともあり、車内には空席が目立っていた。僕は適当な席に座って、いつものようにスマホをポケットから取り出した。
別に風邪を引いているわけではなかったが、空気が乾燥しているせいか少しだけ喉がいがらっぽかった。二、三回(しっかり覚えているわけではないが、確かそのくらいだったと思う)セキをした。
スマホに目を落としたその時、不意に肩を叩かれた。視線を上げると、見た感じ40代後半(もしくは50代)の男性がいた。
「お兄さんさ、セキするんなら別の車両行ってよ」
はい?
何を言われてるかわからなかった。なんでどうして? 僕? 本当に僕が言われてるの? 誰か別の人じゃなくて?
フリーズしかかったがモメるのも嫌だったので「あ、すいません」とだけ言って隣の車両に移った。声は震えていなかったと思う。向こうの車両と同じく席は空いていたが、なぜか座れず扉の傍で立ったまま、息を殺していた。
とりあえず状況を整理する。
僕は風邪を引いていたわけではないが、セキをしたことは確かなので外見上は風邪だと思われてもおかしくはない。
しかし(これは個人的な感覚だから一般的にどうかはわからないが)周囲の人に不快感を与えるほど咳き込んでいたわけではない。ちょっとした咳払い的なものではなかったが「車両を移れ」とまで言われなければならないほどの勢いでセキをしていたわけではない。
マスクはしていなかったが、最低限のマナーとしてスマホを持っていない方の手で口を覆うくらいはした。
しっかりと覚えているわけではないが、男性は僕の隣ではなく対面に座っていた。手で口を覆ったセキが届くような距離ではない。
にも関わらず、男性は僕に「隣の車両に行け」と言った。それはおそらく男性自身だけではなく、周りの乗客に迷惑だから、という意味合いを含んでいるんだと思う。じゃあ隣の車両ならいいのかよ、とは思うところではあるが。
別に自分が全く悪くないと思っているわけではない。電車内でセキをしている人を不快に思う人もいるだろうし、それを否定する気は全くない。
僕が思っているのは、仮に自分が乗っている車両にセキをしている人がいたとして、その人に対して「車両を移れ」もしくは「電車から降りろ」と言うことは正しいのだろうか、ということだ。
自分を含め、周囲が不快感を覚えることなく乗車する権利を優先すべきか、セキをする人自身が乗車する権利を優先するべきか。
目的地につくまでの居心地の悪い数分間、そんなことを考えていた。
駅についたらマスクを買おうと思った。
飛行機に乗るために自腹で金を出し、1週間もの訓練をしますか?
せめて1年ごとやらないと、まともに降下は出来ませんが。
降下のためにパラシュートに装着するハーネスは、個人の体格に合わせて調整が必要です。
降下するためには機体後部から順番に飛び出さなければならない。前部とかだとエンジンに吸い込まれたり翼に引っかかって身体はバラバラになります。
もし、エンジンに吸い込まれた場合は、正常なエンジンであっても破壊されますので、墜落が早くなります。
後部にだけ重量が偏った場合は、バランスが崩れて墜落を早めます。航空機の荷物や人員はバランスを考慮して積載されます。
誰かが尻込みをしたらそこからは誰も出られません。後ろから押したら殺人未遂です。
小さな子供や障害者にはパラシュートハーネスが取り付けられません。
子供や障害者は置き去りですか? このような弱者を最初に保護しなければならないのに。
よしんば、パラシュートを装着して飛び出そうとしても、旅客機は時速800km/hで飛んでいます。出たとたんに何も装備していない生身の身体はバラバラになります。
水平飛行を保って飛ぶためには300km/h以上の速度が必要です。
それでも相当な衝撃を受けます。訓練されていない場合、確実に意識を失います。
旅客機が飛行する高度は1万m以上です。
また、温度も零度以下です。冬だと-40度以下にもなります。
生きて降下できても、地上にたどり着くまでに手足などは凍傷によって四肢切断となります。
生き残っても地獄ですね。
五体満足で降下するのなら500mから1000m程度でしょう。
で、高度が500m程度、速度300km/h以下で水平飛行が30分以上できるぐらいコントロールできるのなら、墜落せずに空港までたどり着ける程の能力が残っていることになります。
この条件にならない限り、パラシュート降下できる条件には無い。
また、旅客機などの運賃は、運行費用を旅客人数などで割ったのが料金だと言うことです。
自重に燃料の重量及び必要なクルー、装備品等を足したモノを最大離陸重量から引いた物が、運搬できる重量になります。
つまりは、パラシュートを装備すると、運べる重量 つまりは、乗客の人数が減る。 と、いうことは、乗客が払わなければならない運賃は確実に倍になります。
国内の飛行の場合は、燃料を減らせるので人数を増やす事ができます。
国外に飛ぶ場合は、燃料を減らせないので、人数を減らします。だからその分料金が上がるんです。
1年に1回は展開して、点検をして、たたみ直さなければなりません。
と、言うことは、何百個も余分を持っていなければならないと言うことになります。
パラシュートもそれなりのお値段です。
パラシュート降下をやったことがない人は簡単に考えるんだろうね。
100ktそこそこ何じゃない?
旅客機からのパラシュート降下のためには、軍の空挺隊員並みの体力と装備、たゆまぬ訓練が必要と言うことになります。
その資格があって、初めて旅客機に乗る資格があると言うことになります。
おい、どんだけ無駄か分かるか??
私がこの道を通るためだけに、車は動きを止める。
どんなに急いでいる車も、私のことが大っ嫌いなあいつも、私のために動きを止める。
誰かの動きを止めることはすなわち誰かの時間を消費することにつながる。
少し前に、一人の女子高生のために存在する駅の話が話題になった。
あれも魅力的に感じたけれど、押しボタン式横断歩道とは少し異なる。
電車は時刻が決まっている。彼女は決まった時間にしか電車を止めることができない。
さらに電車は乗客が一人もいなくても動き続ける。彼女が乗らなくても駅に止まり、また動き出す。
私の押したボタンによって止まる車たちは、完全に私の都合で動いている。
「わたしが ここを 通りたい」
ただそれだけの願望のために何十人もの人に影響を与える。
もしかしたら私の押したボタンのせいで会社に遅刻し、大事な取引が失敗し、株価に影響を与えるかもしれない。
https://twitter.com/i/moments/796417517157830656
より。
@ManikRathee
今朝、ガソリンスタンドに寄ったら、知らん奴らがこう叫んでいた。
(アプーとは『シンプソンズ』に出てくるインド系移民のキャラクター)
@mehreenkasana
@amyharvard_
@AlexGale
@wagamonster
@Chris_Weatherd (大学アメフトの元黒人スター選手)
誰だろうとこんなことやった野郎はぶちのめしてやる。
@shaunking
南イリノイ大学の白人学生が顔を黒塗りにして南部連合旗を掲げて、トランプの勝利を祝った。
(その画像)
@jaaezu
ドナルド・トランプが選挙に勝って、白人たちは早くも自分たちがどうふるまうべきを忘れてしまった。
この白人のガキはオレを「ニガー」と呼び、「綿摘みでもしてろ」とほざきやがった。
@harryonmen
@ShaunKing
ペンシルバニア大の白人学生たちが「綿摘み野郎。おまえはニガーだ。ハイル・ヒトラー」と喚きまわっていた事実を同大学の学長が認めた。
@Mcbrownie
今までヒジャブを取った姿を見たことなかったムスリムの友達のうち三人が、今日ヒジャブなしで学校に着ていた。
怖いから、って。
今日、私がメキシコ系だって知っている白人のオジサンからこう言われたの。
「トランプが、おまえらをレイプしてこれから建てる壁の向こうへ送り返せと号令するのが待ちきれないよ。
そう言うと、彼はカップの水をわたしにぶちまけて、中指を立てて去っていったわ。
@sunnysayed_
やっとアメリカのクソさ加減がわかったよ。
ダウンタウンにいったとき、白人男性のグループが一人で出歩いている女性に目をやっていた。
彼女がグループのいるところから離れようとすると、男の一人が「おい、あの女のマ◯コを掴んでみろ」と中mをけしかけた。
すると、別の男がかなり無礼な態度で女性に触れようとしてきた。
女性が嫌がって叫ぶのを男たちは笑っていた。
(ノースカロライナにあるウェイク・フォレスト大学の学生に対する公式アナウンス)
昨晩、複数の人々が南キャンパスで「ニガー」と叫びまわる事案が発生しました。
ガソリンスタンドで給油していたら白人の男が四人づれで取り囲んできて、大統領選のことについて話した。
彼らは「もうニガーに譲歩しなくていいことになって喜ばしい」というようなことを話した。
「怖いだろ? ブラック・ビッチ?? 今すぐ殺してやったっていいんだぜ。お前がいると酸素の無駄だからな」
オレは何も言えなかった。ただ頭をたれてじっとしていた……
すると、男はこう言った。
「お前はツンボなのか? ニガー?」
別の男が銃をオレに見せて、
「おまえはラッキーだな。
ここには目撃者がいる。さもなくば今すぐ撃ち殺してやっていたところだ」
涙が溢れてきた。大粒の涙だ。
怒りや戸惑いや恥ずかしさが入り混じって……
@TRmariasanchez
部屋に戻ったら心臓がズキンと痛くなった。
(二枚の画像。ハンガーや人形で部屋に「壁」が作られている。もう一つには
(Facebookより)
すると高校生ぐらいの子どもたちが私に「アフリカへ帰れ!」と叫んできた。
子どもがよ!
@sannakim
私のいとこが(アメリカ生まれのアメリカ育ち)が彼女の住んでいるNYでトランプ支持者の集団に出くわして、
「おまえの国へ帰れ、中国人が」と言われたらしい。
ガソリンスタンドで、小柄なアジア系の女性が白人男性に詰め寄られているのを見た。
彼は「俺たちが勝ったんだ。だからとっとと俺たちの国から出て行け」
私は彼女のもとにかけよって、肩を貸した。
「ごめんなさい」という言葉しか出てこなかった。彼女はずっと泣き通しだったわ。
無力さを感じた。
酒屋にタバコを買いにいったんだ。
そしたら、白人男性の集団が、俺に英語は話せるかと聞いてきやがった。
俺が無視しているとやつらは俺をセブンイレブンまでつけてきて、
「シナ野郎はみんなこの国から出ていくべきだ。なぜなら純粋なアメリアがついに戻ってきたんだからな」
だと。
セブイレの店員が奴らに出ていくよう言うと、やつらは笑いながら店員をビンラディン呼ばわりし、いつ十字架にかけて焼き殺してやると言って出ていった。
オレは奴らに「クソどもが、出て行けよ」と言った。するとやつらは
「あい、こいつ英語を喋ってやがるぜ」と言って、ホワイトパワーだの叫びながらまたオレを付け回した。
@luxia_gasano
(メッセンジャーでの会話。体中にあざができた子どもの裸身の画像)
「トランプ支持者のこどもたちが私の息子にやったことよ」
「なんてこと、何が起こったの?」
「息子はクソメキシコ人と呼ばれて、トランプがメキシコへお前を送り返すまで待てない、と言われたそうよ。
「警察には言った?」
「警察には『学校の喧嘩じゃないですか、おかあさん』と言われた」
「ほんとに!?」
これでまとめの大体半分まで。
黒人・ヒスパニック・アジア系と割とまんべんなく被害にあっていること、
鉄道会社のアナウンス(車内外問わず)って、いまいちなのが多い気がする。
とりあえず感謝・謝罪しておくとか、乗客が本当に求めていることを何か考えていない。
速度制限は実装されいる。(アップデートしながら実装されてきている)
一定速度を超えたと判定されると、
1.アラート画面が出る。
2.ポケモンが湧かなくなる。
通り過ぎるまでにスワイプすればいい。
運転中にポケモンGOをやるのは基本はポケストップにアクセスしてアイテム稼ぎをするという理由が主体となるはずだ。
制限の精度や制限の仕方についての異論があるとはと思うが、まったく制限してない、と断定するのはどうかと思う。
制限を解除して操作しながら運転してた人が事故を起こした事実から規制についての議論が巻き起こっている。
1.運転中のポケモンGOのアプリ起動はできないようにすべき。
制限を解除するバカがいるのでアプリ側で対応してください、ということ。
運転中にしない選択肢を取らせるにはアプリ側で起動できないのが、一番確実だ。
速度制限の低速度側に寄せた時は起動できる、減速時に解除できればそのときは操作可能。
実際の場所にポケストップがあり、速く移動して複数のポケストップにアクセスできるという車の利点があるので、車の運転中にするバカを想定してないといけない。
3.移動中判定になるのは運転手以外(車、電車、バス)の乗客も同じであり、完全な制限を食らうのは納得がいかない。
移動時間の暇潰しはアイテム整理とかしてんだから邪魔すんな論。
ポケストップをクリックして、スワイプして、アイテムを取る一連の作業をして安全に運転できるわけがないのにどうしてそんなバカなことをするのか。
5.実際の場所に行く必要があり、中毒性が高いアプリなんで制限は確実に必要。他のアプリとは違う。
中毒性が高い、射幸心を煽るというのは個人的な感想であって断定できる事象ではない。
ポケストップは特定の場所にあり、ずっと画面を見ている必要はない。
車側のシステムと統合された作りのカーナビとスマホを同列に語るのはさすがに。
車側のブレーキ検出とか諸々での実装とスマートフォンの性能、制限での実装を同じにできないことくらい理解しようか。
まずは、運転する仕事してる人、会社は運転手に明確な制限の指導をしているのかということ。少なくとも職業運転手に徹底していれば、バスやトラック、大型系が事故を起こす可能性は減る。
無料アプリに対して完全に規制しろというのであれば、それりの理由がなければならない。
規制により、本来規制されてなかった行動が規制された場合、現ユーザからの批判や離脱もあるだろう。それを受け入れるべきだという合理的な理由がなければ実装しないだろう。
規制することが目的ではなく、事故をなくすことが目的ということは誰しもわかっていることだと思うが、つまらない貶しあいにパワーを使うのは時間の無駄である。
もちろん化粧はマナー(という圧力)半面、その細工に於いては自己満足であると思っている。
時間がないとかブスだなんだで時間かかるという声も散見するけど、
その後の細工(チークやらマスカラやら紅やら)の完成度はあんたの按配次第でしょうよと思っているよ。
じゃあ有限の時間に於いてその按配を妥協したり調整するのが現状一番の解決策ではないの。
(もちろん電車の中で化粧をしない前提です)
私自身はその日によって時間や気分やら環境やらで化粧の完成度が全く違ってスッピンの日もある。
陰でなんだかんだ言われてるんだろうけどどうでもいい。
(それこそ素顔が失礼っていうような風潮に対してなんなのという感覚への反動です)
確かに化粧次第で態度変える人間がいるのは間違いないけど
タスクこなした上で日々それに影響されるほどのことか?
こういう時に「許されない」ってなんなんですかね。
(とは言え、異性より女性の方が化粧の甘い同性に厳しいのは感じているよ、下に見ているというか。
気にするかしないかだと思うのだけど)
公共空間で化粧をするなという風潮に対しての反論としては弱いよ。
もっというと男女関係なく、電車の中では化粧も髭剃りもどっちにも不快感はある。
それは何より今の自分が未完成のものであるということを表明した上で
完成を作っていく過程を全然知らない他人に見せてるって恥ずかしくないのかね、と。
マントヒヒみたいに鼻の下伸ばしてる姿もとっても素敵です。
そして、同時にああ他の乗客を路傍の石ころだとも思ってんのかとちょっと怒りもある。
感情論も愚痴も同情はされるけど解決にはなんないよ。と思ったのですが