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はてなキーワード: ラストシーンとは

2017-09-07

喜劇だと思って読み進めていたら最後最後どんでん返しが来た時

具体例を書かないとなんの事だかという話な気がしたので書いてしまうと「四谷快談」か「陽だまりの彼女」を読んでいてこういう気分になった。四谷怪談ウェブマンガ無料で読める(リンク )。陽だまりの彼女市販小説。勧めるわけじゃあないから読んでがっかりしても知らん。

#### 以下ネタバレ注意


正確に言うとタイトルは少し誤りで、ハッピーエンドだと思い込んで読み進めていると最後最後どんでん返しが起こってバッドエンドだったとか、あるいは最後最後で鬱になってそこから好転せずにそのまま終了みたいなのに残念だなあと。もちろん逆もあるかも。

物語って2種類あると思っていて、1つはどういう結末か全く読めないもの。もう1つは読めちゃうもの少年漫画とかラブコメとかは後者ほとんどなのでは無いかと。

で、上で挙げた2つの作品ハッピーエンドだと(後者だと)思っていたのに裏切った作品ね。まあお前が勝手勘違いしただけだろという結論になってしまえばこの話は全くの無意味になってしまうのだけれど、そこら辺も他の人の意見聞きたい。

誤解されたら困るのだけれど私はそういう結末が嫌いなんじゃなくてハッピーエンドだと思わせるレールを敷いていて、最後最後でレールをぺらぺらーっと剥がしきって、かつそこに説得力が無いのが読んでいてがっかりする(この文章がそうでない事を祈る)。それが作品の途中であればともかくラストラストでこれをぶち込んでくると「は?」ってなってしまう(この文章がそうでない事を祈る)。四谷快談に関して、少なくとも私は本当に最後最後までそういう結末になるとは思わなかった。それが何故なのかはうまく説明できない。もちろんラストの直前まで読んでそう思ったわけだけれど、タイトルであったり絵柄であったりの要素はアルだろうと思っている。けど、読んだら私と同じような思いになるのでは無いかと。後半から鬱の話はあったけれどそれが話の中心だとは思っていなくて基本は「快談」だと思っていたから、だから最後まで読んではしごを外された気分。

絵柄とかキャラクターは大変好みだったから非常に残念。何がしたかったのって思ってしまう。切なさを出したくてああなってしまったのかな?。あるいは鬱エンドにしたかったという説もあって、それはどうしてそう思ったのかというと四谷快談を読んだ後に作者のpixivブクログを読んで鬱な話がお好きなのかなと思ったからだ。あと個人的には「打ち切り説」と「そろそろ終わらせたかった説」もある。

陽だまりの彼女に関してはちゃんと読んだのが数年前だからしかしたら違ったか、あるいは的外れだったかもしれない。四谷怪談を読んでいてこの残念感が似ているなと思った。あとがきでこのラストは私みたいな動物好きの人はほっこりしたんじゃないでしょうかみたいな事を書いていて「いや、お前はそうかもしれないけどさぁ……」と思ったのは覚えている。

そういう作品って個人的にはあまり過程評価できなくて、もし同じ作者の作品を読むってなった場合ラストを先に知らないとそこから先読む気がしないんだけど(前に嫁が本をラストシーンから読みはじめるみたいな増田あったな)、他の人ってどうなんだろう。どっちか読んだ人にこういう話のラストの展開についてどう思いながら読んだか聞きたいけどここまでこき下ろしてしまうとファン意見を聞くのは無理かも。個人的には読んでいて「は?」の1文字だった。

一応再度書いておくけど、予想外の結末であったりバッドエンド自体否定しているわけでは無いからね。

駄文大変失礼

2017-08-29

[]2017/08/29

モーガンフリーマンジャックニコルソンがW主演?で出てる最高の人生の見つけ方って映画BSでやってたから録画した

ジャックニコルソン出てるんだってのとタイトルにひかれたか

あとジュマンジBSでやってたから録画した

ロビンウィリアムズって死んでたんだって

そういやそんなニュース見た気もするわ

ジュマンジはなぜかラストシーンだけ鮮明に覚えてる

捨てたはずなのにまた砂浜に打ち上げられてるやつ

子供とき好きだったはずだけどほとんど見た記憶がない

ド派手なCGでかなり見てて楽しかった印象がある

今見るとどうなのかなあ

夜は高台家の人々読んでたら22時過ぎになってた

ニーアオートマタやりたかったけどなんとなく仰向けになって目をつぶったらそのまま寝ちゃってた

まあ昨日が1時間しか寝てないかしょうがいね

釣瓶家族にかんぱいで松下なおが出てた

めっちゃ髪がきれいだった

背がでかかった

普通に常識ある対応してたからよかった

あまみゆうきがめっちゃ横柄だったってのをきいてから芸能人パンピーと接するときの態度をハラハラながら見ちゃうんだよ

あと浜焼きじゃねーけど貝を外で網でやいて食べる店につるべがいってて、大学生と話してていいタイミングでカキが会話にツッコミいれてるみたいにはねてて、つるべやっぱ持ってんなと思った

2017-08-19

https://anond.hatelabo.jp/20170819225733

20代前半まで読んだ。

ハラハラキドキの展開、笑いあり涙ありの人情劇、心温まるラストシーンには感動した。

2017-08-01

[]舞台グランギニョル』観てきた

舞台グランギニョル』がゴシックサスペンスであるということを知らずに観に行ったTRUMPシリーズファン初見感想です。

ゴシックサスペンス劇だと知っていたら思わないような感想を並べ立てているけど…「作品ジャンルを誤認して観るとこうなる」悪い例だと思ってお許しください。

TRUMPシリーズネタバレしまくるので、未見作品がある方は絶対読まないように。



まず重大なネタバレとして、『グランギニョル』はネタバレされてから観ると面白さが9割減の舞台だなと感じた。

私は『TRUMP初見の時、TRUMPの力を使っているのが誰なのかを演出通りに把握しながら観ていたが、本作の本題は「TRUMPは誰かという謎解き」ではないと感じていた。

からTRUMPの正体がバレバレでも問題無かったし、それを理由に本作をつまらないと評価するのはどうかと当時思ったものである

TRUMP』のメインディッシュ人間の魅力で、キャストの力で面白さが大きく変わる作品だと思う。

からTRUTH/REVERSE』システムが成立し、キャストを変え上演される度に魅了されてしまうんだろうなと。

で、今回の『グランギニョル』も、割りと早々に「あっ! コイツが裏切って殺しにくる担当なんや!?」と気付く。それがなんと言うか…シリーズ内への布石登場人物や接点が多すぎるせいで、作品のメインが人間ドラマよりも謎解きに置かれているように感じてしまい、主犯であることだけがバレバレなことに冷めてしまう。

要は、もっとキャラクターを絞って掘り下げてくれた方が、私の満足度は高かったと思ったのだ。

グランギニョル』の残酷さは、

信者行為神様にとっては全く無意味だったということ(『食物連鎖』『弱肉強食』のようなものではない完全な無駄死に)

エンディング後、主人公は結局息子たちを守れない未来が確定していること(だからこそ、主人公が息子へかけた呪いの雑さ・弱さが割りと胸糞悪い。結局ダリ絶望希求なんてその程度であるのに、そいつ主人公だったのが物足りない。もっと絶望が見たかった)

ラストゲルハルトが信仰を辞めると心の整理を語るが、ヴラド機関に入ることになる訳だからラストシーン直後に信仰していた神が実在していたと知る=つけたばかりの心の整理をひっくり返されるだろうこと(これは相当なショックだろうに舞台で描かれないから、観客だけが胸糞悪い想いをするので不満。発狂するような絶望希望に壊れる姿が見たかった)

などにあると思うんだけど、それらが舞台上で描かれないのが物足りなかった。

ダミアンとウルの呪いが強そうだったから、グランギニョル主人公であるダリを『グランギニョル』の主人公にするのではなく、グランギニョルの首謀者を主人公にしてピカレスクロマンみたいな感じにした方が、「TRUMPシリーズらしい面白さ」だったんじゃないかなぁ。

…って、『グランギニョル』のジャンルゴシックサスペンス劇なのか…

↓を読んだ

http://www.tvlife.jp/entame/132145

正しくそうだった。なるほどな~

観劇後もずっと胸糞悪いもんな~全然スッキリしない。めちゃくちゃサスペンスじゃん…これがサスペンスかぁ~

サスペンスあんまりきじゃないな。

解釈こちらが勝手にするので、どうか板の上でしか観れないような心をさらけ出してこちらへ見せて。

以降のTRUMPシリーズが、サスペンスではないことを願って。

2017-07-01

「ここは俺にまかせて先に行けぇ!!!







って言う展開を楽しめるオススメマンガアニメゲーム映画ドラマって何かありますか?

特撮とかではよく見かける気がするし、自分が今まで見てきた中で好きなのはワンピースバロックワークス達とそれぞれが戦うシーンやゲームでは新鬼武者ラストシーンなんかがお気に入りです。


オススメじゃなくてもいいのでたくさん教えてもらうと嬉しいです。

2017-05-22

映画BLAME!は分かってたけど内容ぶっちゃけ酷すぎ

以下ネタバレ感想

 

・ズルに感情移入させようとすることがそもそも失敗。漫画押し付けられた感情移入キャラがない中で読者が勝手感情移入するのがいいんであって原題の魅力と真逆のことしてる。

・ざっくりいうとBLAME!に関しては弐瓶劣化してる。20年前の原題書き上げた弐瓶よりも明らかに劣ってる。今の弐瓶シドニアの騎士を描く上では正解だがBLAME!にはもはや適してない。牙を抜かれたおっさんBLAME!を改変したところで正解するわけがない。

・散々会議したくせにカオス元凶ケイ素生物出てこないってどういうことだよ。設定すらない。明らかに予算不足で敵キャラ減らすことになったのは目に見えてる。なら電器漁師パート減らしていいからほんの少しでもいいから出しとけよ。ケイ素生物に対してとことん非常なのがキリイなのにそれを見せないとかありえない。

・タエがサナカンに乗っ取られたエピソードとかせっかくキャラにおしゃべりさせてたくせに妙に引っ張って違和感すごかった。そこはちゃっちゃと説明するかサラッと流して無常観だせよ。ここらへん余計なドラマチックにしてコケて大けがするのが今の弐瓶

・既に似たようなこと書いたけどこの作品弐瓶が昔の俺アイタタだわーw的な改修されてるせいで尖った魅力がおっさん脂肪分でマイルドに丸くなってる。そういう黒歴史っすわwみたいな態度が逆につまらなくする悪例として反面教師にしたい。

キャラがブレてなかったようなキリイも終盤エレベーターシーンで、黙って勝手エレベーターボタン操作するでもなく、声優お仕事させるために意味不明コミュニケーションねじまれる。余計なラブドラマ要素への決着がここにきて噛みごたえ最悪のホルモンみたいに残ってしまった。これで会議したのかよ。

・キリイの魅力として簡単善悪では測れない行為、苦しんでるやつを放置せず殺したり、かといってお人よしのように見返りがないのに助けたり、強く求められると断れないところみたいなそんな冷酷な面もあるけど人間を助けたいという行動に一貫性があるし弱者に味方をする点が浮き彫りになっていくところでしょ。でも舞台を電器漁師の村だけにしたらその辺りの話積み重ねられない。駄目過ぎ。

・人気キャラが悉く出ない。あれもこれもあれもこれも。説明いらないからポッと出でいいかねじ込めよ。そのための映画だろうが。そのための構成だろうが。何のための会議だよ、酒飲んでるだけだろいい加減にしろ

戦闘シーンに限っては、原題ではあった重力子射出線放射器の遠距離透視した状態で打ち合うという、全てを貫通する銃だからこそできる撃ち合いがCG節約なのかなんなのかとにかくもったいぶる。あと効かないから撃たないなんて発想はキリイにはないし、銃使うとキリイ自身が充電が必要なのも酷すぎる設定。そんな欠陥銃でどうやって生き残ってこれたんだ1人で。

階層ごとに生活圏が分断されているというのがこの世界絶望的な設定なのにそれを感じるエピソードが少なすぎ。「下 6000階層」の言葉意味初見じゃ訳わからんだろ。超構造体の説明じゃなくて監視塔の説明だと色々矛盾が出てくるけど村が孤立している理由を超構造体のせいじゃなく監視塔のせいにするからおかしくなる。これも原題設定とのズレで出てきた破綻部分。キリイだけが階層渡り歩くことができるってことをちゃんと村に行くまでに見せておくべきだった。説明するようにしたといってるけど口だけで描写が下手過ぎて映画素人か。

統治局がイカになってた。

・分かりやす省エネ作画電脳描くくらいならもっとましな表現考えてくれマジで。なんどもくるーくるーゆっくり回るシボがカットインされて変な笑い出そうになった。

・そして基底現実の肉体は死んだけど電脳ではまだ動けるっていう描写原題では現実世界で一刻の猶予も無い中での設定だからいいんであってシボの行動と戦闘中のキリイとまるで関係ない話を勧めててアホかと思った。

ラストシーンでシボがキリイと残らなかったのも意味不明。シボが自分安全のために下に逃げるなんて行動取るか?またキリイに工場へ連れて行かせるためにもエレベーターには乗らないだろ。

・他でも言われてるけど超構造体の「重力子放射線射出装置しか壊せない」っていうルールのある世界から成り立つことを説明するべきでしょ、それ説明するだけでなんでジリ貧に陥ってるのか建設者が厄介なのかを分かってくるのに。

 

えーと色々イイタイコトあるけどいいところもあいりました。

・ズルかわいい

・キリイかっこいい。

サナカンかわいい

 

以上。

要するに映像化して良かったところは良かった。

BLAME!黒歴史だと認識して余計な事してるのがまさに今、新しい黒歴史作ってんのを弐瓶理解できてんのかね?

というかBLAME!こそファンである製作陣に丸投げさせてノータッチで作らせるべき作品だったろ。

中学生の頃は辞書隠語で興奮してたけどそれは別に恥ずかしいことじゃないし、

男がみんなそこで共感性を持つからこそBLAME!海外でもヒットしたんだろうが。

それを描いた本人が既に理解できなくなってるんだから月日の流れってのは恐ろしいな。

というか普通に予算足りなかったのならグチグチ言い訳せずに素直にそう言え。

逆に不信感出るわ。

PS:

観に行って良かったか悪かったかで言えばキリイが観れただけで良かったけど

弐瓶ふざけんなボケが という感想が沸いた

どう?これでステマ隊員もブクマしてくれる?

 

PS2:

>このお話「強い旅人通りすがりの村の問題解決して去っていく(そして旅人は村の伝説として語り継がれる)」って話じゃなかったんですか

まさにそれがBLAME!の良さを初見に誤解させてる証左

弐瓶はこういうことをしたいのならそもそもBLAME!という原題を用いて映画にする意味がない。

BLAME!BLAME!のまま映像化されるのをファンたちは期待してたのに初見も楽しめるようにではなくて初見を軸に据えてどうすんだよアホ弐瓶

 

PS3:

世界観に初めて触れる人にとっては、あれでも展開が早すぎるって人も居るみたいだよ

じゃあ世界観説明させるためにキャラにおしゃべりさせましたってのすら失敗してるってことじゃねーか。

初見にもファンにもストライク取れなかったら失敗じゃねーか。

まあ、初見ストライク取れたかどうかは売上で分かる事だからここでどうこう言っても仕方ないが。

 

PS4:

>そんなに盛り込んで、上映に何時間かける気だよ。

それを考えるのが映画だし会議本質だろ何言ってんだよ。

会議飲み会じゃねえんだぞ。

大の大人が集まって脂汗垂らしながら構成やらシステムやら今後の方針練るところだろ。

 

PS5:

珪素生物出ないって、それはあかんやろ。

あかんよ。

 

PS6:

>そんなに盛り込んで、上映に何時間かける気だよ。

スターウォーズだってあらすじだけ書くととてもあの時間に収まる内容じゃねえよ。

2017-05-16

とある映画オチ

とある映画ラストシーンで、ブルース・ウィリスが突然登場して、観ていた人は「あー、あの映画と同じ世界感だったのね!」ってなるんだけど、そもそも「あの映画自体を見ている人が少なそうだし、最近ブルース・ウィリスはヒット作に乏しいので、若者が見たら「最後に登場したジェイソン・ステイサムに似た人だれ?何?」ってなりそうだなと思った。

2017-04-26

オタク表現規制

 オタク自由放任主義右翼親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。

 左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。

 その言説について思うところを描いていく。

 左翼による攻撃があった事は事実である

 ヘイトスピーチ所謂言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である他人人権侵害しない」という原則問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈から反論(1)や、大日本帝国時代児童文学新聞規制言論統制のものに変化していった前例が示すように、原則否定するべき物ではない。

 また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。

 漫画関係表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。

 これらの理由からオタク左翼的言説を嫌うことには一定理由があることがわかる。

 その上で、右翼放任主義という主張は疑わしい。

 チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現規制側に回っていた。猥褻物公序良俗使用した最高裁判決に対しては、保守派批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼表現の自由不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。

 悪書追放運動以来漫画規制では政府与党応援してきた。悪書追放運動主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である

 所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ

 84年の衆議院予算委員会で、マンガ規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。

 漫画関係でも、保守派麻生議員とかは、漫画規制積極的な人だし、東京都でのマンガ規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎都知事だった期間だ(5)。

 漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。

 つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタク趣味ポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタク趣味ポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。

 ついでに、戦前でも児童文学表現に著しい規制が付けられていた。

 表現規制問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。

 それどころか、この10年の間は、マンガ表現規制保守の側から行われている。

 だと言うのに、どう言うわけか保守層放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。

 幾度か、マンガ規制法制化がされるときに反対に回ってきた共産党立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガ規制するよう求めてはいたか濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。

 にもかかわらず、左翼教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制法制化の歴史を紐解くと真逆しか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。

 ……本当に、どう言うことなの?

 理由を考えてみると、実際の活動兎に角左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動発言や、ウルトラセブン12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマト宇宙の戦士への批判小説批評批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。

 特にウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。

 また、政府肝いり団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。

 恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。

 で、そこから反対の陣営自分たちに寛容と勘違いした。

 その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク人権を御旗に自由侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。

 00年代前半から10年、警察保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨認識の影響は少なくない気がする。

 余談だが、戦前表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉表現問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。

 左翼表現規制……所謂言葉狩りにも一片の理がある。

 実質的に、差別助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定差別の強化自体問題にされてしかるべきだ。

 キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。

 一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者表現規制のもの問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判積極的に行われてよい。

 兎に角、「表現規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現問題ではないのだから、どんな差別的表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか

 いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。

 「どんな表現にも寛容な保守と、教条的表現規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯もの理屈ネットの世まかり押し通ってしまうのは

60年代悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った

・「セブン12話」や「宇宙の戦士批判など、容易な「左翼の抗議による作品封印」の戦果に容易にアクセス可能

00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識流行した

・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用

 と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。

(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法エチュード86~91ページ

(2)ロバート・A・ハインライン宇宙の戦士」483~484ページ

(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落

(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ

(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ

(6)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」143~144ページ

(7)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」139ページ

(8)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」129~130、143~144ページ

2017-04-16

人狼ゲーム ビーストside

リアルでの「人狼ゲーム」に巻き込まれ最初村人サイドとして狼を殺して生き残った主人公が、今度は狼サイドとして村人役の人間を殺す側に回る、という作品

ぶっちゃけ人狼ゲームにこういう「個人的関係」や「主人公性格」という要素を入れるとゲーム性が薄れるのでつまらなくなると思っている。「純粋ゲームとしてやるから面白いもの」に、無理やり人間性やら人命の大切さみたいな話を入れても、プラスにならないどころか無粋な感じになる。実際「主人公=村人サイド」だった前作は主人公性格に難点があったことも合わせて微妙な出来だった。

しかし、前作「村人サイド」側の話において、主人公自分が生きるためにクラスメイト犠牲にするという決断を行った。このことで主人公内面において変化が生じ「前の戦いで」犠牲にした人をムダにしないためにも自分意思で人を殺そうという状態になっている。そして、今作では主人公と他の人間との関わりは弱いため、ゲーム的要素が前作よりは強くなっている。

……と思ってたんだけど3巻で「人狼ゲーム」としてみたらやっちゃいけないことをやってるのでどうしても評価できない。その不測の事態から切り返しが悪いとは言わないがフェアではない。フェアじゃないやり方で主人公側が勝つとか、物語として最悪。自分で程度の低い作品って認めてるようなもんじゃん。

ラストシーンも、この作品は結局何がヤリたかったのだ、という根本的な問題ダメ人狼ゲームをヤリたかったのだとしたら人狼ゲームとしては途中から破綻したし、主人公人格簡単豹変しすぎてそれを物語として全く回収できてない。読んで損した感強い。

http://anond.hatelabo.jp/20170415233001

・まとめは未読の人が興味を持ってくれる入口にするためのものであり「この話しか読んでいません」「この話以外は読まなくていい」という意味ではありません

コナン人生で一度も見たことがなかったけど、純黒だけは見ました。赤井安室萌え~なんて人はあまりいません

コナンBLは考えたことがなかったけど、純黒きっかけで赤井安室が好きになったorもともと長年別のBLCP萌えていたが純黒きっかけで赤井安室も好きになった、っていう古参が目覚めたパターンが多いです

・他のアニメだと腐女子露骨自分の好きなCP以外を無視することもあるが、コナン場合は上記の通り昔から慣れ親しんだアニメなので、例えば赤井好きな人でも「世紀末の魔術師キッドが好き」「天国へのカウントダウンラストシーンが好き。当時映画館で観て感動した」「瞳の中の暗殺者コナンかっこいい」「迷宮の十字路の平次好き」とかいう人はいくらでもいます

・先日の金ローで大騒ぎしていた人たちは今日から紅を観に行った、めちゃくちゃよかった」とネタバレ専用アカウント感想飛ばしまくっています

xxx

「○○な人が多い~って、で、統計は?具体的なアンケートでも取ったの?」「古参だって証拠は?どうせ見栄張ってる新参嘘松でしょ」「腐れ女が女キャラに友好的な態度を取るわけがない、男女CPを楽しめるわけがない。どうせから紅は観に行ってないんだろ」とか疑うならもうこれ以上はお互いどうしようもないですね

また最近公開されたスタッフインタビューによるとコナン映画は5年先を見据えて計画が進行しているそうなので来年映画については純黒以前から方向性は決まっているものだと思いますが、何も知らない人たちが純黒のせいで腐媚びが~腐媚びが~と騒ぐのだろうと思うとこちらとしても心配です

2017-04-15

こんなゴミみたいなマンガの作り方があってたまるかふざけんな

http://anond.hatelabo.jp/20170415182325

最後まで読んだら、あとがきに予想の斜め上のことが書いててブチ切れそうになってる。

今だから告白しますが、僕はこの物語第一話を作り終えた次点で次の話をどうするか全く考えていませんでした。

キャラクターも主要な人物以外は何も考えていなくて、近藤先生クラスメイト全員分のデザインを先に自由に描いていただいて後から僕がそのデザインに適宜キャラクターをつけていくという変わった方式物語を作っていきました。

言い訳ではありませんが、こうした物語の作り方こそ、マンガ醍醐味ではないか勝手に思っています

それをどう料理するかは来週の自分に任せる。僕はそんなひりひりするマンガの作り方がとても好きです。

そんなひりひり感を読者の皆様にも味わっていただけたのなら、こんなにうれしいことはありません!

ふざけんなああああああああああああああああああ!!!


私はこの部分を読む前に、先の感想を書いた。

まり支離滅裂な内容や展開、一貫性のないキャラクターたちのブレ具合に頭がクラクラしたと書いた。

まさかこんなアホな作り方をしていたとは思わなかった。

確かにそういうマンガの作り方が当てはまる作品はあると思う。そういう作り方がうまくいく人もいるだろう。

だが、こういう人間を描くのが大事作品でそれはダメだろマジで。そして、お前のような人間がやっちゃダメだろそれ。

多分終わり方は最初から決めてたんだろうなと思ったし、実際3巻の途中で思った通りの結末になった。

その過程はもうぐちゃぐちゃで、

特に最後は殺しきれなかったキャラを強引に殺しただけ。

そういう意味不明な展開だったから、最後主人公ラストシーンのような選択をする説得力が全くない。

もうほんとひどい。

なんだこれ。なんなんだこれ。

ゴミマンガと言うだけならまだ許せるが、作り方も最初から読者を舐めきった作り方をしており、

それを誇っている作者のコメント

自分天才だと思ってる馬鹿作者としか思えない。

それをどうどうと載せるヤングアニマル編集部


すべてがゴミすぎてすごい腹がたった。

2017-04-02

映画パッセンジャー」のラストシーンへの無粋なつっこみ

映画パッセンジャー」を観た。

基本的には好みの設定だし、なかなか好きなストーリーで満足できた。

が、1個だけラストで感じてしまった無粋なツッコミ

以下ネタバレ含む






最後核融合炉を無事修復し、ジム蘇生した後、

船長権限蘇生装置メニューの中に、代謝を止める「再冬眠」のメニューがあることをジム発見する。

でもポットは一つだけ、たぶんだけどポットから冬眠装置に運ぶ人でもいるのかな?冬眠できるのは一人だけらしい。

オーロラに使うように促すジム、でもオーロラジムと二人、移動し続ける宇宙船中人生を送ることを選ぶ。

88年後人々が目覚めた時、ジムの植えた木や庭をみて二人の生きた証を知る…というラストシーン

……でも起こすこともできる。再冬眠もできるのなら、

誰かを起こして、代わりに眠るのを繰り返せばいいのでは…

オーロラ蘇生装置眠る

ジム冬眠ポットに運ぶ

ジムが誰か一人を起こす

ジム蘇生装置眠る

起こした一人がジム冬眠ポットに運ぶ

起こした一人が別の誰かを起こす

起こした一人が眠る、別の誰か運ぶ

88人でローテーションを組めば、一人1年の負担ですむし、

1056人なら一人1ヶ月の負担で済む……

…いや、SF映画に突っ込むのはすごい無粋なことだと思ってるし、

他の箇所も突っ込んでたらキリがないんだろうけど、

どうしてもラストシーン観てる時「気づいて!!ローテ組めばいいって気づいて!!!!老ける前に気づいて!!」

っておもったのでここに書いときます

いやでも、こんなこと書いてますがいい映画でしたよ…おすすめです。

2017-03-08

WUG本来ラストシーン大田がサムズアップしながらが溶鉱炉に沈んでいくシーンだったはずでは、との噂。

2017-03-03

(微ネタバレアカデミー賞短編映画部門合唱」の日本語タイトル

今年のアカデミー賞短編映画部門映画合唱」だけど、日本語タイトル異議ありぶっちゃけて言ってしまうと、ぶち壊しである

原題は「Mindenki」(Everybody)、英題は「Sing」。無論原題の方がいいんだけど、英題でもまあ問題はない。しか日本語タイトル問題外だと言える。

なぜなら、映画ラストシーンキーワードは「みんな」、そして「歌いなさい」だから。これらのキーワードタイトルに設定されていたとするなら、観衆は「ある結末」を期待しつつ、作中のアクシデントの経過を見守ることだろう。

その結末は、ある意味予定調和的で、美しく、誰もが傷つかない、「いい物語だった」というカタルシスを与えてくれるものだっただろう。主人公たちが実力に見合わないような成果を得ても、それはフィクションお話から気にする方が野暮というものである(ただし正月に見た「天使にラブソングを2」に感じた違和感はコレだったが)。

しかし、この映画において、子供たちは聴衆の期待を大きく裏切る行動を成し遂げる事となる。これは大変重要ポイントである。なぜなら、この映画価値、そしてアカデミー賞を受賞した理由の一つは、「期待を裏切ること」にあるからだ(少なくとも私はそう思う)。

こうした観点から考えると、日本語タイトルの「合唱」は、映画の内容をストレート表現しているのにも関わらず、結末へのある種の「期待」を強く喚起することができない。結果として、日本の観衆はこの映画を、本来意図された(であろう)形で楽しむことができないだろう。残念だ。

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

追記。8日ソワレの当日引き換え券を購入した。前回視力的に見えなかった部分を補完できるよう前方列の上手~中央の席をご用意いただけると良いのだけれど。

観劇にむけ、注目したい点など備忘録



白い鞠?は唯一『私』よりも先に舞台上に存在するので、高次元存在である可能性や何かの表現であったりしないか

秀ちゃんと吉ちゃん、初見では(誰しもそうだろうけど)双生児ではなく比喩としての『醜くコントロールできないもう一人の自分』の話だと思っていた。

エグい描写が続いていたので、比喩と見せかけて実際の奇形の話であったというオチにまんまと流されてしまったけれど、

この物語が諸戸の視点であるならば、箕浦と秀ちゃんの恋愛描写は雑で蔑ろであったのに(彼にとっては箕浦他人恋愛なんてどうでもいいからだ。箕浦物語視点であるならばこの恋はもっと尊く丁寧に描写されているであろう)、妬ましい秀ちゃんの手記はいやに丁寧に描写している。

これは秀ちゃんと吉ちゃんの存在が、諸戸ないし箕浦隠喩からではないだろうか。

諸戸本人の感覚というよりも、より高次元な作者・超自我としての感覚で、『諸戸から箕浦への愛』に対し、『美しいものであって欲しい』という望みと、『どんなに消されても消えない愛の炎と欲望は醜い』と卑下する気持ち二面を抱えているように見えるのだけど。

自分の愛は醜い』と卑下してしまうのは、受け入れてもらえないことが唯一で絶対理由だと思う。箕浦が諸戸の愛を受け入れてしまえば、もうそれは醜いものじゃなくなる。

でも箕浦はどうしても『性愛』を受け入れられない。

諸戸の二面性は彼の超自我によるものだと私は考えるけれども、ある意味箕浦が愛せた諸戸と受け入れられない諸戸の二面でもある。

吉ちゃんに凌辱される秀ちゃんとは、愛欲をコントロールできず捕らわれ続ける諸戸であるなと。

箕浦はまさしく舞台上にて『私』と『箕浦』の二つに分かれている。

同一人物であった二人が切り離されたように見えるのは、井戸の中での諸戸の告白辺りから。……それ以前、島に着いてからもかなり二人の差が「目について」くる。異様に見えてくる。

井戸を出た時の諸戸の表情が座席位置関係で見えなかったのだけど、彼は箕浦に何を見たのだろうか。

私は諸戸に対して全くもって嫌悪感がなく、むしろ清楚な色気すら感じていたのだけれど、ラストセリフ・親御さんから手紙の内容を聞いたときに唯一初めて諸戸のことをきもちわるいと思った。

諸戸本人からの求愛であったならまた印象は違ったのかもしれないけれど、第三者から告げられたそれはすごくきもちわるかった。

(これは私が『告げ口』というものに異様な嫌悪感を持つために抱いた感情なのかもしれないけど、あれだけフッたのに他人からまだアイツお前のことが好きだってと言われるなんて、しかもそれが息子を失った親御さんから訃報でだなんて、最悪すぎるし気持ち悪過ぎると感じるのですが……これで意中の相手が振り向いてくれることなどあるのでしょうか?)

から、実はラストシーン佐藤さんの反応を見逃すまいと凝視してしまって。

私は諸戸すげーきもいと感じるけど、『私』はどうだろうなと。

そのせいで他の要素を見逃している可能性が高い。

あと、どうやら原作ではそれなりに諸戸の好意きもちわるいようなのだけど、舞台では健気で美しい印象の方が強かったので、それは私が田中さんの美しさ・色気に当てられて誑かされていたからなのかどうかもしっかり見極めたい。

更に追記

ラストシーン手紙から受けた『諸戸きもちわるい』って印象、この手紙を読むのが井戸の中で消えた箕浦役の石田さんが担当しているからって可能性もあるのかも。

あのセリフを言ったのが箕浦かどうかはまだ考察できないけど、『消えた自分』にそんなこと言われて亡霊度がめっちゃ高くて不気味だったような気がしている。

怨み言や呪いのように聞こえた。

こちらも改めて確認したい。

更に追記

諸戸が箕浦を好きになった理由原作からも明らかにされていないらしい。

しか口説文句に「君は美しい」とあるそうで、これは他の人も言ったセリフである気がする。

作品中において『美しい』と評されることの意味は重いはずなので、

誰がいつ何を『美しい』と評したか、その評価意味を捉えていきたい。

更に追記

「『私』が白髪になるほどの恐怖」とは何であったのか原作でも名言されていないらしい。

解釈余地があることの意味検討したい。

また、どうしても視覚情報の伴う舞台では白髪になったターニングポイントが「見えて」しまうため、原作にならい解釈余地を生ませるよう演出されているのだが、それでも舞台上に起きた出来事はどんな解釈でなされていたか、芝居の息遣いをしっかりと感じておきたい。

2017-01-31

今まで見た中で好きなアニメ淡々と語る。

こんばんは。

ガンダムとかマクロスとかは見たことな女子大生

そんなアニメ好きの端くれである私が好きな作品をつらつら書きたいと思う。

女の子が出てくる作品が多いと思われる。

true tears

青春ラブストーリーだと思う。

今なお乃絵派である。比呂美は強かさがある珍しいヒロインだと思った。

乃絵の真っ直ぐさとか、純粋さが画面からひしひしと伝わってくる。

比呂美派と乃絵派の割合(あ、愛ちゃんも)ちょっと知りたい。


とらドラ!

学園ラブコメ、だけどひるドラ!

好きなキャラみのりんだけど、見た目だけなら大河に惹かれる。

快活な面も、後半の情緒不安定さもまとめて好き。亜美ちゃんと仲良くね。

あと竜児いい人すぎる。


青い花

鎌倉舞台ガール・ミーツ・ガールストーリー

あーちゃんほんと好き。あんなの惚れるしかない

とても丁寧で好きな作品だけど、とある事情で続編は望めそうにない。

SHIROBAKO

5人の女の子アニメ制作に関わりながら成長していく群像劇

花咲くいろはに続く、PA働く女の子シリーズ

「釣れますか?」という話と、ずっと苦労していたずかちゃんがアフレコするシーンはぐっときた。


アマガミSS

それぞれのヒロインを4話で攻略するオムニバス形式アニメ。今、放送されているセイレンと同じ高校舞台

ヒロインが魅力的すぎる。橘さんになりてぇよ

結婚したいのは梨穂子、恋人にしたいのは七咲と薫、怒られたいのが絢辻さん。友達になりたいのが紗江ちゃんと森島先輩。


ヤマノススメ

飯能市舞台にしたアニメ女の子たちが山に登るよ。癒されるアニメOP EDの作り方がとても好き。

オススメです。


咲-saki-

この前ドラマ化された女子高生麻雀アニメ。未だに長野県大会編が一番好き。

麻雀ルールは全く知らないが、楽しめた。パンツがない世界なのだと思っている。


ヨスガノソラ

田舎町に引っ越してきた双子の兄妹を中心とした性春ラブストーリー

ヒロイン毎のオムニバス

瑛みたいな子、すごく好きです。

BGMとか最後の終わり方とか切なさもあっていいんだよなあ


キルラキル

纏流子ちゃんかっこいい。

皐月かわいいマコ癒し

制服好きにはたまらないアニメだった。

3話と7話がオススメ


アイドルマスター(765版)

アイドルものの中で一番好き。

ラブライブ面白かったけど、個人的にはアイマス派。

キャラクターが可愛く、魅力的。

20話が圧倒的に良くて、案の定はるちはにハマった。


最近、妹の様子がちょっとおかしいんだが。

頭を空っぽにして見るのをオススメしたい。


四月は君の嘘

切ない青春ストーリー

絵が綺麗だけど、ちょっと主人公ポエムが多かった。

最終話ヒロインから手紙が真っ直ぐなんだけど切ない。


NEW GAME!

ゲーム会社新入社員涼風青葉ちゃんが主人公

とにかくキャラクターがみんな可愛いし、見やすかった。

花物語

物語シリーズの話。アララギさんの後輩の神原駿河主人公。以前バスケで宿敵だった沼地蝋花と出会うが…。

沼地と神原バスケシーン、ラストシーンアララギさんの言葉が印象深い話。

OP放送ではED)の沼地と神原のifはくるものがある。


桜蘭高校ホスト部

少女漫画原作アニメ面白かった。

ハルヒ少女漫画ヒロインにしてはクールで、そこがまたいい。


美男高校地球防衛部LOVE!

2期もあるが、個人的に1期の方が面白かった。男版セーラームーンで、何も考えずに見れる。


ユーリ!!! on ICE

男子フィギュアスケートアニメ

1話優ちゃんが出たときヒロインだと思ってたけど実は…

愛ってすごい

好きなキャラクターはピチットくん。

好きなスケート曲は「Still Alive」。

【今期見てるもの

ガヴリールドロップアウト

サターニャちゃん不憫かわいい

亜人ちゃんは語りたい

ひかりちゃん天使すぎる…。

セイレン

常木さんんん!!もうね、絶対桃乃今日子ちゃん好きになる。奥華子さんが歌う爽やかなOPに映る彼女を見るだけで確信が持てる。幼馴染…!!!


長くなったし、これくらいで終わろう。

オススメアニメ、ありますか?

【追記】

思ったより反応があってびっくりしてますオススメアニメを挙げてくださった皆様ありがとうございます

お察しの通り、マリ脚本PA作品は好きでついつい見てしまます

TARI TARI観てました!爽やかな作品ですね。ウォークマン楽曲いれて聞いてます

凪あすのOP2の冬の冷たさや切ない感じ、とても好きです。美海ちゃん。

響け!ユーフォ二アムは観てて、丁寧だなと思いました。あの絵の綺麗さが驚異的。優子先輩についていきたい。

熱い勢いでシムーンを挙げて下さった方がいたので、すごく興味を持ちました!!みます!!

2017-01-22

イギリスでの「君の名は」(今更だがネタバレ注意

残念だがそれほど人気がない。

俺は英国在住のおっさん年始ロンドンで見たが、そもそも上映している映画館が少ない。毎日上映している映画館ロンドンで2-3か所。860万人住んでいるのに。

月に数回上映がそのほかに数か所。以上。ザッツオール。公開後1月以上経過しているから減ったのだろう。

客の入りは5割くらいで、そのうち6割がイギリス人、4割は東洋人。中国人韓国人日本人

イギリスメディア君の名はを絶賛した、という記事は俺も見た。口コミサイト評価も見てみたが、非常に良い。

更には上映後のイギリス人の反応を観察してみたが、満足そうに見えた。

ゆえに入口でのハードルなのだろう。ただし内容について「感動」「ラブストーリー」というよりは「展開が早く引き込むストーリー性」「映像の綺麗さ」が評価されているように思う。

若者ラブストーリーである君の名は」がイギリスアジア圏のようなヒットにならない理由は以下のように推察している。

欧米ではおおむね共通ではないかと思う。

アニメ子供オタクのもの

今でも完全にそうです。宮崎アニメのように家族で見に行くならともかく、ラブストーリーアニメで見ようという発想は世間若者に全くないように思うし、他人に知られたら恥ずかしいことと思われる。

なお本作では奥寺先輩が煙草を吸ったり、瀧が酒を飲んだりするので12規制がかかっている。

・瀧と三葉は欧米人から見て魅力的か

作品にのめり込めるか、一番重要なのはこの点だと思う。瀧が三葉が男性として女性として魅力的に描かれているか

多くの日本人には、瀧はイケメン、三葉は高校時代は可愛く大人時代美人、という設定に異論はないと思う。

欧米人から見ると、経験に基づく推測だが、瀧も三葉も体が薄っぺらすぎる。

瀧は本人のときでもかなり「中性的」に寄っている。欧米人からジャニーズ中性的子供に見えるということと同じである

(3人組のうち)高木くらい男くさいほうがいい。イギリス人は瀧に対してこう言いたくなるだろう。「もっと肉を食え、ラグビーで体を鍛えて、女性を守れる男になれ、髪形もベリーショートリーゼントしろ」(適当

三葉は単純に子供に見えていると思われる。もっとグラマラスな魅力が出てこないとラブストーリー主人公という雰囲気が出てこない。シャイ性格マイナスだ。瀧の三葉くらい気が強いほうがウケる作品内でもそうだったが)。

イギリス人ラブストーリーは顔を0.3フィートくらいの距離まで近づけてロマンティックな言葉を囁きあう感じなので、瀧と三葉の恋愛動作は非常に幼く見える。こちらの高校生結構オトナである

山頂で出会うシーンもイギリス人なら、強くハグして、濃厚なキスをして、0.3フィートである(超適当)。名前を書きあっている場合ではない。出会って3秒でハグキス0.3フィートである高校生にそういう描写が許されているのかは知らない。

ラストシーンでいったん声をかけずにすれ違ってしまうシーンには、階段の一番下から大きく手を振って「Hey!!!, I think I met you sometime and somewhere!!!」と大声を出さないのか不思議であろう。奥ゆかしさは理解されてもそこから生じる感動は理解されないと思う。実際に泣いている人は少ししかいなかった。クライマックスの「すきだ」も字幕からね。手によくわからん文字が書いてあって字幕I love youちょっとねえ。

日本人おっさんである俺にとってどうだったかというと「超面白かった」。イギリス日本、機内の計3回も見てしまった。最初に見たのは機内だったが、中年おっさんうるうるしているのを見てCAさんはドン引きしていたことであろう。少し気になるのは日本での作品への「評論である。確かに整合性おかしいところは多い。私は3年のずれに気づかないことよりも、この広い宇宙隕石1200年周期で同じ場所を直撃することのほうが超天文学的確率というか、分母が10の何乗になるのか、そのほうがずっとありえないと思いながら見ていた。変電所の爆破は中部電力に連絡が行ってしまったので町を救ったからお咎めなしになるものではあるまい。ああい会社は融通をきかせるのが難しい。テッシ―の「髭剃れ」の話は収監されていたから?などとも思った。しかしながら、内容の整合性に難があってもそれ以上の魅力で引っ張ってくれれば私はそれでいいと思う。官僚銀行員のような減点主義映画を見てもつまらんでしょう、と個人的には思う。

キネマ旬報ベスト10がどういう選考基準なのかHPを見てもよくわからなかったが、アジアで数千万人を引き付けた映画よりも、日本映画だけでも10個も上位があったら、それって大ニュースなのではないかと思う。売れる映画と良い映画は違うというのは一部分かるが、それよりはもっと簡単説明できる言葉があるのではないかスノビズム大衆は見る目がない、ということだもの

同業の監督評論家の「売れる要素だけ詰め込んだ」とか「モチーフがありきたり」の批判に対しては、おっさんは長く生きているので、30年前の「ノルウェイの森騒動を思い出す。「100%純愛小説」と付けてクリスマスカラーで売り出した同書は「君の名は」と同様に爆発的に売れ、今ほど有名でなかった村上春樹スターダムに押し上げると同時に、評論家から「誰でもかける薄っぺら通俗小説」「ありきたりの三角関係」などの多くの批判が浴びせられ、その騒動村上春樹は心を痛めて日本を離れた。彼の作風にも影響が出てしまった(軽妙さが失われた)と思っている。

俗流日本論にはなってしまうが、やはり日本嫉妬文化根深い、と日本を離れて思う。

海監督が村上春樹級なのかは知らないが、売れれば批判する人たちがいるのは世の常なので、どうか気にせず頑張ってください。

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161201182147

以下『この世界の片隅にネタバレも含まれます

・妹に語り聞かせているシーンなので、現実に起きた出来事とは限らない

主人公は実際の風景や物を元に絵を描くタイプのようなので、ひげもじゃの籠しょったおっさんはいたのでは?

ラスト近くの同じ橋のシーンで化け物が後ろを歩いている

・すずの人生水木しげる人生の鏡写し、だから大人になるにつれ妖怪が見えなくなった

ラストシーンが語るように、この映画右手が語っていた物語

このあたりがヒントなんだろうが、答えがわからんです

2016-11-25

ネタバレ注意】『君の名は。』のもやもや

めちゃめちゃ今更なんですが、『君の名は。』を観てきました。びっくりしたんですけど、もう上映から3か月くらいたつの都内だと結構本数やってるんですね。前前前世が流れた所のスピード感でぐわっと物語に引き込まれて、2時間しっかり堪能いたしました。

ただ、見終わってから一つだけもやもやしていることがあって、それは「あの後2人は幸せになれるのか?」ということ。瀧と三葉がラストシーンで再会して、たぶん雰囲気的にあの二人は付き合うことになるんだろうけど、それってなんていうか、「神様に外堀を埋められた感じ」じゃないですか。時間をも越えて入れ替わった二人、しかもどうやらその運命は何世代も前から決まっていたらしい。そんな重たい鎖をつけられたら、この先何があろうと関係を終わらせることが出来そうになくないですか。

思春期の多感なころに特別共通経験をしていたから、当時はそりゃ恋に燃え上がっていただろうけど、数年後、お互い社会人になって再会して、そのままずっとその気持ちが続くものだろうか。末永くあの二人が続いていけばいいけれど、もしすれ違ったり、コノ人ジャナイ感が出てきたとき、重たい運命の鎖を振り切って彼らは別の道を行けるだろうか。むしろ過去運命的な出会いにとらわれて、苦しみながら二人で沈んでいってしまうのではないだろうか…。そんなことを思いました。

2016-10-09

君の名は。』には、欠点が二つある。【ネタバレ注意】

端的に言って、思いのほか面白かったです。

監督過去作品から憶測して「どうせまた雰囲気だけの恋愛映画だろう」と思い、

まり乗り気ではなかったのですが、

実際にはそうではなく、非常にエンターテイメント性に富んでいて、

過去作とは段違いの人気があるのも素直にうなずけましたし、見に行って本当に良かったと思います

その上で、気になったことが主に二つありました。

この作品の大きな欠点と言い換えても良いかもしれません。

それは、恋愛作品としての欠点と、恋愛以外のストーリー上の欠点です。

三年後の未来、もしくは過去世界であることに、なぜ二人とも気づかなかったのか

先ず、恋愛以外のストーリーで気になった部分についてです。

この作品ストーリー上で、もっとも大きな「仕掛け」であり、

前半のコミカルな入れ替わり劇から、後半のシリアスな展開へといっきに変える重要な部分であるだけに、

こまかいことではありますが、違和感のようなもの最後まで残ってしまいました。

普通に考えれば、二人が入れ替わって生活をしているあいだに、

カレンダーテレビ、いたる所にある張り紙広告などで、

今が何年かというのは、嫌でも目や耳にする機会はたくさんあるはずですし、

もし何月何日という日付が同じで気づきにくかったとしても、曜日がちがうはずです。

とくに、未来から来た瀧は、糸守という地名や、彗星の来訪、

それによって起きた大惨事のことを知っていたはずですから

テレビ彗星のことを見て、それを思い出せなかったのはすごく不自然に思えます

ただし、このことについては、設定上の説明はいちおうされていると思われるので、

しかしたら欠点というほどではないかもしれません。

「入れ替わってるあいだは、まるで夢の中にいるように、意識記憶あいまいになる。」

というような説明が何度かあったので、

おそらく、日付のちがいに気づけなかったり、彗星や糸守の惨事のことを思い出せないような、

不思議な力が働いていたということなのでしょう。

ただし、この入れ替わりの能力自体が、糸守を惨事から救うためにあるとしたら、

記憶あいまいになるように働く力は、その目的に反したものになってしまうので、

その矛盾を解くために、さらなる説明必要になる気はしますが・・・

そういえば、入れ替わった瀧が、朝、制服を着て学校に行こうとして

四葉に「なんで制服着てるの?」と言われるシーンがありましたが、

しかしたらあれが、「曜日がちがっているけど気づけない」ということを

表現したシーンだったのでしょうか。

できればもう少しわかりやすく、前述のシーンであれば、

おかしいな。たしか今日は平日のはずなのに」

というようなセリフを付け足しても良かったかもしれません。

ただし、観客の全員にあまり早い段階で気付かれてしまっては、

あとでタネ明かしをしたときの驚きが損なわれてしまうので、

さじ加減の難しい部分ではあると思います

瀧と三葉は、なぜお互いを好きになったのかわからない

そして、恋愛作品として、はっきり欠点と言えるのがこの部分です。

入れ替わる前までの二人は、せいぜい胸を揉んだり、都会の生活を楽しんでいただけで、

コミカル描写しかほぼ無かったのに、

入れ替われなくなり、シリアスな展開になったとたん、

「お前が世界のどこにいても、必ず会いに行く!」などと言い出してしまうほど、

恋愛テンションマックスにまで上がってしまます

しかに、急にもう会えないと知って、もういちど会いたいという気持ちが盛り上がるのは、

心情として理解できます

しかし、それ以前の、瀧と奥寺先輩のデートの段階ですでに、

瀧は三葉のことを好きになっていることを先輩から指摘されていますし、

三葉もその段階で、瀧に会いに東京に行っています

ということは、入れ替われなくなり、会えなくなる前から

すでに二人は好き合っていたということになるのですが、

そうなった理由もわからないですし、それらしい描写も何もなかったように思います

たとえば

二人が長年抱えていた、父親との確執などの深刻な問題

自分一人では行き詰ってしまっていた問題を、入れ替わってる間に相手献身的解決してくれたなら、

そうやってお互いの心の深いところまで知るうちに、

相手を大切に思う気持ちが芽生え、それが徐々に好きという気持ちに変わっていって、

ラストシーンでようやくそれが最高潮を迎える、というような展開であったならば、

おそらくもっと納得できたでしょうし、感動できたのではないかと思います

でも実際には、瀧は自分感情から机を蹴って意地悪な同級生たちを威嚇してみせただけですし、

三葉は、興味本位から先輩との仲を取り持って余計なお節介を焼いただけでした。

これだけではとても、お互いの心の深いところまで踏み込んだことにはならないと思います

にもかかわらず、ストーリーの中盤ですでに、二人の恋愛テンションマックスになってしまう。

これでは、観客は置いてけぼりにされた上にどん引きされてもしかたありません。

運命の人

結局、この問題は、監督自身恋愛に対する価値観からまれているのだと思います

運命の人はいる、ということを伝えたかった」

http://video.unext.jp/feature/cp/shinkaimakoto/

新海誠監督は、インタビューでもこのように仰っていて、

まり、瀧と三葉は運命赤い糸で結ばれているから、

ささいな出来事でも惹かれ合い、出会ってしまえば恋に落ちるのは当然、ということでしょう。

から、恋に落ちるプロセス必要ない、と。

自分は、それが間違いの元だと思います

今作における「運命」とはつまり

糸守の人々を来るべき彗星の落下から守るために、

宮水神様から与えられ、三葉のご先祖様たちから受け継がれた、

「時を超えた入れ替わり」の能力ことなのだと、いちおうは理解できます

しかしその「運命」という、いわば第三者の介在によって

本人たちの意志とは関係なく無理やり結び付けられた二人というのは、

本当の意味恋人同士と言えるのでしょうか。

もし、瀧と三葉がその「運命」によって惹かれ合っていただけなのであれば、

糸守の人々を救うことができた時点で、その必要はもう無くなってしまうことになり、

五年後に再会した時に、お互いを「運命の人」とすぐに認識できた理由説明できなくなってしまます

このように、「運命の人」という言葉自体は、この上なくロマンチックな響きのようではありますが、

実は本来ロマンスとは異なるものだというジレンマを併せ持っています

からこそ、その「運命」によって惹かれ合った二人が本当の恋に落ちるための理由

いわば「運命の人ジレンマ」を埋めるためのプロセスが、本来であれば必要なのです。

誰かを好きになるのに理由必要ないのか

また、運命の人かどうかはともかく、

そもそも実際の、リアル恋愛においては、

誰かを好きになるために、第三者が納得できるような客観的理由というのは、

じつはほとんど無いのだろうと思いますし、必要も無いでしょう。

たんなる直感一目惚れといった、本人だけにしかからない理由であったとしても、

本人さえ納得していれば、何の問題もありません。

そう考えると、瀧と三葉が恋に落ちた理由も、べつに無くても良いのではないか

と、思えてしまうかもしれません。

ですが、ことフィクション作品においては、それではダメなのです。

なぜなら、フィクションで描かれる恋愛は、

監督脚本家という第三者によって、観客という別の第三者が見るためにつくり出された

当事者不在の、いわば「ウソ」の恋愛からです。

ですから、その第三者が納得できるだけの理由が、絶対必要になります

もし本当にリアルな、つまり理由の無い恋愛を描いた作品にしたいのであれば、

監督脚本家がつくり出したものでもなく、観客が見るためのものでもない、

実際に恋愛をしている二人のありのままを撮ったドキュメンタリー作品をつくるべきです。

そうではなく、あくまフィクション作品をつくりたいのであれば、

大切なのは、本当に「リアル」な恋愛描写ではなく、

たとえ恋をしたことが無い人でもそれが「リアル」だと感じられるような「リアリティ」、

わかりやすく言えば、たとえ「ウソ」でも「リアルっぽい」と思わせる説得力であり、

そのための理由必要なのです。

もしそうでなければ、リアルにおいて「理由の無い恋愛」をしたことのある人にしか

その作品理解できないものになってしまます

これは恋愛だけでなく、たとえば、殺人戦争などの表現に置き換えてみると、

何が問題なのかが、わかりやすいと思います

たとえどんなにリアルでも、

実際に殺人戦争体験した人でなければ、理解共感もできないような表現を、

フィクション作品に用いることは悪手なのです。

そもそも、今作のようにオカルトSFなど、リアルではない世界観を扱っている作品で、

もし恋愛描写けが、やけにリアルであったとしたら、

それは一つの作品の中で各要素における「リアリティレベル」が合っていないことになるでしょう。

案の定、この問題に関してはすでにネット上などで、

恋愛体験の異なる人たちのあいだで論争になっているようですが、

そのこと自体がすでに、恋愛テーマにしたフィクション作品として、

この作品が大きな欠点を有していることの顕れである、と言えると思います

君の名は。』は、ラッキーパンチなのか

恋愛作品としての欠点が、監督自身恋愛観に因るものであるとすると、

同じ過ちは、監督自身恋愛観が変わらない限り、

今後の作品において何度でも繰り返されることになってしまうのでしょうか。

今回は、監督のその間違った恋愛観を表現するための設定や伏線副産物として、

エンターテイメント性の高いストーリーたまたままれしまっただけだとすると、

今作のヒットは、ただのラッキーパンチだったということになってしまうでしょう。

できれば、そうならないことを願いたいと思います

2016-10-05

君の名は。』を観て細田版『時をかける少女』を思い出した

妹に「すっげー感動すっからマジ見てみ」と言われて『君の名は。』を見に行った。全然感動しなかった。

体が入れ替わったからって、どうしてお互いのことを好きになり始めるのか全く理解不能だった。

しかもお互いに記憶が失われているんだったら、何か気になって「君の名は?」とか聞くまでに、

「あのー前に会ったことありましたっけ?」とか聞くだろ、つかこれじゃベタナンパだろ、とか思った。

そういえば、大昔に細田守監督の『時をかける少女』を見たときも、友人に「マジ感動するから見てみりん」とか言われて見に行った記憶がある。

でも、全然感動しなかった。「あれ、これってどこらへんが感涙ポイント?」的な感想しか思い浮かばなかった。

未来でお前を待ってる」と言われても、「えーでも再会するときヒロインおばさんになってるよ?」としか思えなかった。

から「感動するよ」と言われて見に行った映画で感動したことがない。

アニメではないが『西の魔女が死んだ』という映画も薦められて見に行ったが、見終わった後「( ゚д゚)ポカーン」としかならなかった。

みんなは「ダッシュツダイセイコウ」で感動するの? なんで? キム兄タンクトップキモいから

ま、それはともかく、恋愛もので感動できないのはたぶん自分恋愛経験がないからだろう。

逆に『ドラえもん』幻の最終話CGアニメ化済み)のような、友人との別れもの結構泣ける。

これは自分引っ越し経験があって、親しい友人と二度と会えなくなるという辛い経験をしてきたからだろう。

ようするに、作品鑑賞というのは人生経験大事なんだよね、当たり前だけど。

自分はどんな恋愛ものを観るたびに「( ゚д゚)ポカーン」としてしまう。

男が女に恋するのはまだ何となく理解できるけど、女が男に惹かれるシーンがどうも納得いかない。

真田丸』で真田信幸本多から嫁いだ吉田羊が突然信幸に抱きつく場面が納得いかず、母親質問したくらいだ。

(答えは「(夫が前妻にばかり気が向いていることに対する)嫉妬で火がついたんだよ」だそうだ。そうだったのか?)

恋愛ものって、まるで中東アフリカ紛争の話を聞いているときのように、

まるで別世界ファンタジーの話にしか思えない。

恋愛という意味他人に強く心惹かれたことも、他人から強く執着されたこともないので、恋愛もの全然現実感がない。

自分にとっての「好き」はマンガなら「週刊誌で一度読んでいても全巻コレクションしたい」程度の意味であって、

人間に対していえば「写真を撮りたい」「近くで眺めていたい」と思う程度のことだ。フィギュア鑑賞と同じ。

恋愛もので描かれているように一緒にいたいとか、相手のことが知りたいとか、理解し合いたいという感じではない。

たぶん多くの人に自分宇宙人のようだと思うだろうし、自分には一般人宇宙人しか思えない。

とりあえず、ラストシーンはこうしたら良かったんじゃないか

瀧は三葉の名前を聞かずにパイ揉みしてダッシュで逃げるが、あえなく準現行犯逮捕

瀧を捕まえた警官が尋ねる。「君の名は?」

2016-10-02

映画館で隣の奴が隠し録りしていた

 そもそも、上映開始10分後に入場したところから気に食わなかった。

 最初は予告が流されるから、本編の時間にあわせて来たのだろう。既に着席し、鑑賞態勢を整えている他の客の前を平気で横切るその無神経さに腹が立った。彼らの席がよりにもよって列中央だったから更に質が悪い。せめて通路側の席を予約しておけばよいものを。しかし一方で、料金を支払った上で短くない予告を見せられることにうんざりする気持ちもまあ理解できるから、それだけならすぐに忘れていたはずだ。

 彼らは着席するや否や携帯操作し始めたのである。その時点で予告は終わり、本編が始まっていた。いまさら電源を切ろうとするのか? 遅らせて入場したくせになぜ先に落としておかない。苛々が募り、スクリーンから隣に視線を移した。彼らは男女のおそらくカップルであり、私の隣に座って携帯を取り出したのは男のほうだった。さっさと電源を落とせと忌々しく眺めていたが、一向に液晶あかりは消えない。それどころか男はなにやら画面を操作している。私は、いいから早く落とせ、早く、早くと念じていた。

 と、ひとつアプリが起動した。そして奴はそのまま膝の上に携帯を載せると、スクリーンに目を向けたのである。それだけでもハア? と思ったが、暗闇で煌々と光る液晶画面を見てさらに驚いた。

 画面中央に赤い丸が配置され、その上を波線が激しく上下していた。ちょうど、そう、録音アプリのそれのように。

「それ、止めてもらえます?」

 咄嗟言葉が出た。すぐに、もう少し様子を見てみれば良かったと後悔したが、つい出てしまったのだ。奴が隠し録りできたのは正味10秒もなかっただろう。

 奴は小さくスミマセンと言ってアプリを止めた。そのまま鞄にしまたから、私もやっとスクリーン視線を戻した。しかし苛立ちはなかなか収まらなかった。この後私はどうすべきかをぐるぐる考えていた。上映後に係員に伝えるべきだろうか。このチケットは前日時点で完売していたから、ネット購入履歴から奴がどこのだれかなのかすぐに調べられる。しか証拠はごく短い時間のもので、しっかり録れているのかも怪しい。もう少し泳がせるべきだった。

 なぜ奴は隠し録りなどしようとしたのかも考えた。我々が見ていたのはドキュメンタリー映画だった。作品名を言えば「FAKE」だ。一時期、ゴーストライター問題世間を賑わせた佐村河内氏が出演している。佐村河内氏には様々な疑惑があり、観客はそれぞれに知りたい真相があった。そしてこの作品には、おあつらえむきに「話してはいけない」ラストシーンが用意されていた。奴はその真相真相である検証するために、あるいは重大場面を誰かに聞かせるために録っていたのだろうか。(ちなみに、この作品をみて検証云々などまったく無駄行為だ)

 こんなことを考えていたものから映画の冒頭はほとんど記憶にない。一週間前から楽しみにしていたから、本当に腹が立った。だからちょっとした意趣返しをしてやっても、責められることではないだろう。そう決めると怒りも静まり、また作品も評判通りの面白さで、その後は集中して問題ラストシーンまで観終えることができた。

 場内にあかりが灯されると、観客たちは一斉に話しはじめた。観終えたら誰かと話し合いたくなる作品だった。そして隣の奴もまた、連れの女性と二言三言話し合っていた。女性の興奮した表情を見るに、彼女もこの作品を楽しんだのだろう。だから私は、あえて会話を遮るように、

「失礼ですけど、隠し録りされてませんよね?」

 と、話しかけた。断定はしていない。ただ確認をしただけだ。

 見ず知らずの人間に割り込まれ彼女はぎょっとしていた。なんだこいつと言いたげな表情から、きっと奴と私のやりとりには気付いていたなかったのだと思う。奴はというと、またもや小さい声でしてませんと囁くと、彼女を押すようにして会場から出て行った。きっと外では聞かれているだろう。だれ、あれ。隠し録りってなんのこと?

 奴が誤魔化すことなんて簡単だ。奴らはきっとすぐに忘れてしまうとも思う。でも、映画を観終えたあとの一番楽しいその瞬間に水を差してやったと思えば、私の気持ちもだいぶ収まるのだ。

 ただもう少し多くを望むなら、犬の糞でも踏んでしまえ、ばーか

2016-09-23

君の名は。公開記念『秒速5センチメートルカップル限定鑑賞会

新海誠は「君の名は。」で「秒速5センチメートル」を見た人に向けて、ファンサービスまたはSMプレイをした。

今も弄ばれた傷は消えないし、ハラハラもドキドキも「君の名は。」の後ろに見えた「秒速5センチメートル」のせいだ。

いつRADWIMPS山崎まさよしに変化するのか、というのも見ものだった。

桜の花びらが秒速5センチ(遅い)で散る瞬間を、今か今かと見守った。

新海誠ポスト駿と言われているらしい。本人もピンと来てないだろう。

しかしだ。

新海誠宮崎駿と同じことをやったのだ。

1992年7月18日公開の映画紅の豚』この映画ラストシーンを思い出してほしい。

「あれ、結局人間に戻ったっけ?豚のまんまだっけ?」となるだろう。

その9年後2001年7月20日に公開された『千と千尋の神隠し

ラストの展開を思い出してほしい。

きっと当時生粋ジブリファンは途中まで思ってたはずなのだ

「豚…豚のまま終わる…!」

奇しくも『君の名は。』は『秒速5センチメートル』の9年後に発表されている。

君の名は。」にはまだ、過去作を見た人をいたぶる仕組みがある。

この映画には雪野百香里というキャラクターが出てくるのだ。

君の名は。で雪野に気付いたときハッとしてうれしく思うのだが、それがどんどんと不安かられていく。

雪野、やっと幸せになれてたかもしれなかったのに!ああああ!!

てな具合でファンサービスに溢れることこそが、監督には必要なんだと思います

タイトルのやつ、どこか悪意のある映画館はしていただきたい。

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