はてなキーワード: 有機農業とは
有機農業って要は農薬を使わない農業だろうけど、農薬ってめっちゃ有機物じゃん。
と思って少し調べました。
化学界隈における有機化合物(organic compound)、無機化合物(inorganic compound)の定義は以下になる(wikipediaより)。
高校受験の理科で、様々な物質を有機物、無機物に分類する問題があったことは覚えているだろうか。
有機化合物はたとえば、人々が目にするもので言えば、医薬品、農薬、アミノ酸・タンパク質・糖・ビタミンなどなどから成る食品、香料、石油、プラスチック、ゴム、繊維など。塗料、化粧品、洗剤なども有機化合物からなる。
無機化合物の例は、身近なものだと、金属製品、宝石、ガラス、セメント、セラミックス、半導体、電池などでしょうか。
「有機農業の推進に関する法律」による有機農業の定義は以下のとおりです。
goo辞書より
ふむ。どうやら「有機」という言葉を有機化合物と同義で使うことは化学者の傲慢だったらしい。
wikipediaの有機化合物の欄に詳しい解説が書いてありましたね。
有機化合物、無機化合物という用語が生まれた18世紀末より前にも、有機体 (organisms) という言葉は存在し生物と同義で使われていた。今でいう有機物は、当時は生物の付属品と考えられていた。
18世紀末、イェンス・ベルセリウスは物質を生物から得られるものと鉱物から得られるものとに分け、それぞれ「有機化合物」「無機化合物」と定義した。
後に、当時有機化合物に分類されたものも人工的に合成できることが発覚し、定義を「炭素を含むものを有機化合物(一部例外あり)、それ以外を無機化合物とする」と修正された。が、本来「有機(organic)」には「生物の、生物由来の」といった意味があるのだ。
だから「有機農業」を生物由来の肥料だけを使った農業の意味で使うことは本来何も間違っていないのだ。
エセ科学っぽいからという偏見で間違った意見を持っていた。化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。
なるほど、以上の意味を考えても、本来の意味は、有機とは生物っぽいことで、無機とは生物っぽくないことなのだ。化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。
こういう、ある言葉の一般的な用法と、科学的な用語としての用法にずれが生じてしまうことって結構あるよね。新しい概念を定義する際に既存の言葉で運用してしまうからでしょうかね。科学用語は定義が厳密だが、一般用語は定義よりもイメージが大切だからね。
法律用語もこういったことが多いイメージ。例えば法律でいう「少年」は一般で言う少年少女を指すらしいじゃん。
という訳で、「有機」とは本来は「生物由来の」を指す意味であり、それゆえ生物由来の農業、というニュアンスで合成肥料を使わない農業を有機農業と呼ぶことは間違っておらず、化学界が定義した「有機化合物」の方が後釜であり、本来のことばの意味からはずれているのだ、という結論を知ったところで終わりにします。
私は今日もまた一つ賢くなれました。
引用の書式を修正しました。はてな記法を知らず、blockquoteタグでいけるかなと思ったらいけませんでした。ご指摘ありがとうございます。
これ。
エコロジーだの環境問題だのごちゃごちゃ言ってるが、実際のところはこれ。
日本の農産物は、価格競争すると勝てない。これは日本国土の面積で言えば、無理。
日本国内だけで商売していては無理だということで、輸出すると高く売れる製品になる。
この問題がある。
倍の値段でも?
自分は買わない。食費がいまの倍になるってことだ。だから買う人は限られる。
有機農法の商品が、慣行農法の倍の価値があるかと言われると、多分多くの人がその価値を認めないと思う。
有機農法に切り替えると、人件費はめちゃかかる。有機農法の価格は、かなり良心的である。
暴利を貪ってるわけではない。
その方向で付加価値をつけるということは、商品が病害虫で全滅するというリスクを常に背負うことになる。
スーパーでも、有機農法の商品が売れずに、見切り品コーナー行きと言うのはよくある。
いや、俺の知ってる農家は有機農法の方が付加価値が付くからやってるって言ってたよ。つまり売れるからやってる、と
その範囲で見る限り、有機を稼げるからという理由で選択している人は一人もいない。共通しているのは、皆有機農業こそが正しい農業だと信じているということだ。
棘もブコメも単純に昔に戻る話だと思って叩いてるんだろうね。有機農業に技術革新や科学分析・管理があるとは思ってなさそうだし。
https://togetter.com/li/1816350
なぜ有機は機械を使ってはいけないという発想になったのかわからないが、こんな誤解をする人はさすがに少数だろう。
僕は慣行農業でやっている。慣行農業とは、有機農業以外と考えてもらっていい。
では有機農業とは何かというと、化学合成農薬と化学肥料を使わない農法のことだ。ポイントは化学という言葉。化学合成とは自然界に存在しないということで、逆を言えば自然界にあるものなら農薬でも肥料でも使っていい。具体的には消石灰のような資材や、農薬としては塩化銅や微生物農薬としてバチルスチューリンゲンシス剤などがある。マルチのようなものは合成物でもよい。土にいれなければよいということなのだろう。有機には厳しい認証制度があるので、この認証を取らない限り有機農作物を名乗ることは許されない…はずだ。たしか。
僕の個人的見解だが、有機農業というのは肥料農薬を使いすぎた慣行農法へのアンチテーゼなんだと思う。四大公害とか出てて、沈黙の春とか書かれて、ベトちゃんドクちゃんとかそんな時代の話。
僕の近所で有機農業をやっていて名前が思い出せるのは農家は10名くらいだろうか。その範囲で見る限り、有機を稼げるからという理由で選択している人は一人もいない。共通しているのは、みんな有機農業こそが正しい農業だと信じているということだ。正しいというのは主観であって、それはつまり信念を持って農業をやっているということだ。それは意味がある素晴らしいことで、ほんと尊敬する。
稼ぐという点だけなら、有機より慣行の方が良い。そういう理由で慣行に転向した人もいる。これも一つの選択だ、全然悪いことじゃない。僕らが離農するということは、農地の放棄を意味する。無理してどうにもならなくなって放棄するぐらいなら、とりあえず稼ぐというのは重要なことだ。その土地の生まれであればもちろん、移住だろうと農業を長くやっていると、金銭とかではなく守るべきものが生まれる。簡単に廃業しますってわけにはいかない。
慣行農業であっても、有機の技術から学ぶことは多い。有機農業は基本的には土を大切にする農業だ。植物の土台はやはり土で、悪い土は肥料成分などの化学性を改善する努力ではどうしようもないことがある。柔らかく保肥力があり、水はけが良く水もちがいい土。その視点は有機農業にこそある。有機物が全くない土というのはただの鉱物だからだ。
有機農業の難しさは、その理論が本当に信用できるかいかがわしいということだ。でも科学的根拠なんて農家に求めるものじゃない、彼らは研究者ではないし現場では科学はいつも現実の後追いでしかない。科学的に否定されてるなら間違いは明確だが、否定も肯定もされておらず正しそうという農家の経験則の域を出ないというものが多い。僕らはそんな中から手探りで、正しいと思える技術を選択していく。どうだろう、こんなのAIが出てきても絶対取って代わられることはない、僕はそう信じている。
閑話休題。もう一つ、何かと敵視される農薬についてわかって欲しいのは、慣行農業であっても農薬はできるだけ使いたくないということだ。金はかかるし、手間もかかる。毒性はほとんど否定されていても、やはり体に良いものではない。みんな必要最小限にしているというのは理解して欲しい。それに心配するほど毒性が強いなら農家なんかみんなもう死んでるよ。僕らが1番浴びてるんだから。
東中野の駅を出て雑居ビルが並んでいる路地に入ったあたりに、「本」という黄色い看板が出ていたので前から気になっていたのだが、行く機会はなかった。先日、待ち合わせで時間ができて手持ち無沙汰になったので初めて行ってみた。
店内はよくある古本屋のたたずまいだったが、棚に並んでいる本は古い洋書が多かった。一冊手にとって開いて見ると、全く読めない記号のようなものが並んでいた。これは楔文字か何かなのだろうかと思ったが、自分には知識がなかった。日本語の本もあるにはあったが、ほとんどが有機農業か「自然なお産」と書かれた本だった。
カウンター代わりに置かれた事務机の奥には、引っ詰め髪で黒いロイド眼鏡をかけた女性が一心に楔文字のようなものを読んでいた。こちらの存在に気がつくと、何か探しているのかと尋ねてきたから、焦った。
前から気になっていたのでちょっと入ってみたと正直に言ったところ、女性はとくに表情も変えずに「そういう方わりといらっしゃいますよ」と言うが早いか、机の引き出しから薄いパンフレットみたいなものを取り出して渡してきた。「ところでフェニミズムというものをご存知ですか、うちはそれの専門書店なんですよ、思いなしを捨てて自然のままに生きることを目指している集まりです、よかったらこれ、ご覧になってください」
断るのも気まずいし、待ち合わせの時間が迫っていたのでパンフレットを受け取って駅に向かいながらパラパラめくると、富士山の麓で農業に励んでいるさまざまな年齢層の女性が映っているページがあったりして、よくわからない内容だった。そのままリュックサックの中に突っ込んで待ち合わせ場所に向かった。パンフレットはどこにいったか今はわからない。
オーガニックとか有機をやたらと推す人に嫌悪感があり、それは偏見だと自分でも自覚しているが、なぜ偏見を持ってしまっているのかいまいち言語化できない。
自分は農業に関わる仕事をしているので、有機農業についてはメリットよりも(そもそもメリットってなんだろうという感じだが)長期的にみた環境への負担や生産性の低さなどのデメリットが大きいと考え賛成の立場ではない。
というか恐らく農学をきちんと学んでいる人であれば有機が善であるなんて絶対に言わないので逆に言うとオーガニックとか有機とかやたらと言う人はちゃんとした科学的エビデンスに沿って物を言って周りにも押し付けてるのか?という疑問が拭えない。
おまけにオーガニック界隈で目立つ人はトンデモ科学系の記事を拡散している印象もあってやはり何を根拠にものを言ってるのか分からないのが嫌悪感の一因かもしれない。きっときちんと学んだ上でそれでも有機がいいと言ってる人もいるのだろうけど。
ネットで誰が騒ごうがどうでもいいが最近友達が有機を推してくるので、何とかして相手の信念を傷つけることなくかつ二度と有機をお勧めしてこないような断り文句を考えなければいけない。。
めちゃくちゃケチったやつや、金持ちっぽい豪快orおしゃれなやつはよく見るけど、自分みたいなほんのちょっとだけ金のある人向けのやつをあまり見かけないので誰かまとめてほしい。
ほんのちょっとっていうのは、
それくらいのほんのちょっと。
ほんのちょっとお金を追加したら美味しくなったり料理が楽になったりするものを知りたい。
調味料、とくに醤油なんかは開封してから日が立つとすぐに味が落ちる。g単位で計算すると割高だったりするけど、ほんのちょっとの出費で美味しく食べられるからいいかなと思ってる。
好みの問題もあるんだろうけど、低脂肪乳は美味しくないね。安いからって理由で買ったら辛かった。あれだったら水を飲んでいたほうがマシかな。水よりは栄養入っていて健康的だろうけど。
商品名に「牛乳」と入れられるのは加工していない牛乳だけらしい。すごくややこしい見た目をしたやつが多いけど、牛乳って入っていたらそれは牛乳だ。割引シール貼ってある時にちょっと高いおいしい牛乳とか言うのを買ってみたこともあるけど、味の違いはわからなかった。牛乳は美味しい。牛乳であれば最安値のものでよさそう。さすがに300円くらいするものは違うのかもしれないけど、ちょっと手が出ない。
生の野菜買うよりは高かったりするけど、自分で小分けして冷凍する手間を考えたら、冷凍野菜は選択肢に入る。
海外産がほとんどなのが気になるところだけど、工場でそれなりにチェックされているだろう物と、外国人の技能実習生が奴隷のように働かされて作られた国内産を比べたら、どっちもどっちかなと思ってる。
有機野菜を食べても健康リスクは減らない。昔農薬で健康被害が出た記憶があるんだろうが、今はしっかりと審査されて健康被害がないとわかっている農薬しか使えなくなっているので、農薬での健康リスクは気にする必要はない。今の政府はちゃんとやっている。いっぽう有機農業でも無審査のうさんくさい細菌を掛けていたりするので、どちらのリスクが高いだろうか。化学物質より細菌のほうが安心だという信仰があるなら有機野菜をおすすめする。
有機野菜に意味がないわけではない。生産地での環境汚染を減らすという意味がある。他の選択肢がある中で自分とは直接の関係のない割高な有機野菜を選べるのはノブレスオブリージュだろう。自分は少なくともそれを毎回選べるほどの金持ちではない。
一杯20円くらいのインスタントの汁物をよく飲む。ワカメはもとから入っている場合が多いが、追加で増えるワカメを投入するとお手軽に具が増えて満足感が高まる。他の安いものは小さく割れたものが多いけど、リケンのふえるわかめちゃん®は一つ一つのサイズが大きくて美味しい。品種が違うのか国内産と韓国産で味の違いがわかるほどの違いがあるんだけど、値段も結構違うので韓国産を買っている。
フリーズドライではワカメ以上のものはないと思う。ネギやコーン、キャベツなんかもフリーズドライの製品がでていて試したことがあるが、あまり美味しくなく二度目はなかった。味が濃い系のカップラーメンはあまり食べないので、そういう物にならいけるかもしれない。
砂糖を使う料理をあまりしないからかもしれないが、自分はスティックシュガーで十分だった。
スティックシュガーは一本3gのものを使っている。スティックシュガーはグラニュー糖で微妙に味や重さが違うらしいが、スティックシュガー一本がだいたい砂糖小さじ一杯の代わりになる。三本で大さじ一杯だ。
値段はかなり違う。数本をまとめて開封する時などはめまいがする。砂糖の使用量を減らしたい人にはおすすめかもしれない。
他のメリットとしては固まらない事がある。スプーンでガリガリする必要がなく、封を切ったらサラッと流し込んで終わりだ。とても楽。
こういうのがあったら教えてほしい。
最近はちょっと高いもやしが気になってるんだけど、最安もやしの2・3倍の値段がするから躊躇してる。元の値段が安いから、金額でみたらたいしたことないんだけどね。
2013年前半のある日。
少しだけ、困難をかかえた子どもに関わっていた私は、豊島区のとある一軒家で行われたイベントに招かれた。今の日本で最も有名な「子ども食堂」の会場として、数えきれないほどテレビや新聞で紹介され、エピソードが演劇作品となったりもしている一軒家だ。
そのイベントには、後に「子ども食堂」の立役者として知られることになる元内閣府参与がいた。今や「子ども食堂」を代表する存在となった、Kさんという女性もいた。その後、日本一有名な「子ども食堂」の店主として名を知られることとなった男性Yさんもいた。そして台所からは、主婦たちの楽しそうな話し声が聞こえてきた。その地域のマクロビ活動で知り合ったという主婦たちだった。Kさんも、その一員だということだった。
食卓には、野菜を中心とした料理の数々が並べられていた。有機無農薬栽培という野菜は、確かに美味しかった。主婦たちが代わる代わる、有機農業ではない農業や農薬の問題を力説するのは、「はいはい、ご説ごもっとも」と拝聴するしかなかった。日本の農業者の平均年齢は何歳なのか。有機無農薬栽培は全国の農業者の現実的な選択肢になれるのか。農薬の害を直接受ける農業者たちが、どれほど注意深く農薬を取り扱っているか。そんなことを聞く耳があるとは思えない。相手はマクロビだ。
なぜ、茶碗蒸しが卵であってはならないのか。肉に似せてまで肉ではない何かをトンカツ風にしなくてはならないのか。私にはわからない。とはいえ、マクロビの野菜料理は、確かに美味しい。それは認める。「65℃で2晩寝かせて酵素がたっぷり出た」という玄米ご飯も、その説を調味料としていただくのなら、そして毒ではないのなら、異国でネタとして食べる料理の楽しみと同じだ。しかし「65℃で活性を発揮する酵素とは?」という謎が、未だに残っている。
そこにいた主婦たちは、マクロビがプライドの元であるようだった。精進料理で肉代わりに車麩を使用する場合があることくらい、料理に少し関心がある日本人にとっては常識だと思うのだが、そんなことが「あなた知らないでしょ?」とトクトクと語られるのだった。ご説を拝聴して差し上げようではないか。そこで出会ってそれっきりの相手だろう。
Kさんは、既に試行を始めていた「子ども食堂」計画について語りはじめた。
Kさんによれば、もともと地域にマクロビを普及させたい地域の主婦たちのサークルがあり、活動を続けているという。もともと中心となっていたのは、現在、日本一有名な「子ども食堂」店主として知られるYさんの、亡くなったお連れ合いだった。がん闘病の末に亡くなったお連れ合いは、最後まで一般的ながん治療を受けず、マクロビでの闘病を続け、幸せに亡くなったという。ご本人もご遺族もそれで満足なのなら、それはそれで結構ではないか。それしか言えない。相手はマクロビだ。
Kさんによれば、マクロビサークルの誰かがマクロビ普及活動の一環として、地域の貧困の子どもに食べさせることを思いついたという。しかし、子どもたちはマクロビを歓迎しない。だから肉も魚も出すことにした。そうしないと、子どもたちは来てくれないから。その時、Kさんは確かにそう語った。
時間が過ぎていった。食卓の上の食べ物は、概ね誰かのお腹に収まったけれども、ウドンサラダだけが大量に残っていた。近所の専門のお店(マクロビ専門店か)に数日前に頼んで手打ちしてもらったというウドンは、太さも硬さも均一ではなく、手でひねりながら延ばした感じだった。手でひねって延ばす麺は、世界の各地にある。美味しくて衛生上の問題がないのなら、問題ないだろう。そのウドンの問題は、美味しくなかったことだ。ウドンを作った「専門のお店」は、店舗で食品を加工して販売する以上、最低限の衛生基準は満たしていたと信じたい。
Kさんは、まだ残っていた来客たちに、そのウドンサラダを持ち帰ってもらうことにしたようだ。スーパーか店舗での使用済みのレジ袋が何枚か持って来られた。そしてKさんは、手で、ドレッシングがまみれて下の方は水っぽくなっていたウドンと野菜をつかみ、レジ袋に入れて配った。私も、その「お福分け」に与った一人だ。持ち帰り、自宅の冷蔵庫に入れる前に、野菜を除去してウドンだけにし、水で洗い、酢で洗い、焼酎をまぶしておいた。翌日、1食だけ食べてみた。食中毒は起こさなかった。でも、それ以上食べる気になれず、申し訳ないけれども捨てた。あまりにも、美味しくなかったからだ。Kさんの手についていたであろう雑菌が、水や酢や焼酎で殺されずに冷蔵庫の中で繁殖していたら、美味しかったのかもしれない。けれども、マクロビの味見に自分の命をかけたくなかった。
子どもの欠食が改善されることも、地域の子どもたちに大人たちが関心を向けることも、決して悪いことではないだろう。
継続して食事を提供するのなら、衛生面での問題はない食材食品の取扱いがされていると期待したい。
あの「子ども食堂」、そしてKさん一派の「子ども食堂」で食中毒が発生したという話は、今のところ耳にしていない。
けれども、日本一有名なあの「子ども食堂」の名を見るたびに、Kさんの名を見るたびに、2013年のあの日の会話と、酵素たっぷりという謎の玄米ご飯と、洗いも消毒もしていない使用済みのレジ袋に手づかみでウドンサラダを入れるKさんの手を、どうしても思い出してしまう私がいる。
元増田は、サトウキビを有機栽培して作り出した白砂糖(上白糖)はオーガニックなのではないかと思っているようだけど、違うんです。
国際的な規模で有機農業推進活動を行っているIFOAM( 国際有機農業運動連盟) は、オーガニックの原則として「生態系」「健康」「公正」「配慮」の4項目を掲げています。
つまり、単純に栽培の仕方だけでオーガニックかどうか?が決まるわけでは無いのです。
白砂糖はその精製過程で、ビタミンやミネラルをほとんど失います。それが健康的ではないということでオーガニックとして認められないのです。
黒砂糖やキビ砂糖、甜菜糖などはあまり精製されていないので、ミネラルが豊富で健康に良いということでオーガニックという扱いになってます。
まあ愚痴は多い。
色々楽しいことがあるからとかそれしかないからとか色々あるんだろうが、
でもま、居酒屋で飲む程度には自由になる金はあると。
何が一番キツイかというと、なんでもないことで、風評が広がることだと。
薄利多売で、代えがそこそこある業界で、風評で需要が冷え込んだら一発だと。
やはり奇形だと。
放射能チェック云々は、相当どうかしてるレベルで東北の方は頑張ってるらしい。
そもそもまったくそういうのと関係なさそうなヤツのところでも検討するくらいだから、かなりのもんだ。
で、
何が奇形か、俺に言わせりゃ、都会の店に並んでる野菜は全部奇形だと。
キュウリが全部まっすぐ、大きさがそろってる、トマトもサイズが同じ、シソも同じサイズ色あせも虫食いもなく綺麗。
どうかしてると。
そりゃ、工業製品なら金型にプラスチックでも流し込めばポコポコ同じモノができるんだろうが、
植物相手にそれができるってのが、どれだけ奇妙なことか理解されてないと。
香川で作ってる四角いスイカが何年か前に話題になったが、あれ見たときに
「ありゃあ、作るの難しいぞ」とか「アレでも売れるんかいな」とは思ったが、奇形だとは一切思わなかったと。
大量に作って、規格にあったモノだけを出荷するってのは、他の野菜でも全く同じだから。
アレは微妙だと。
ただ、頑固な人は居るし、それが付加価値になって売れるなら、まあ良いんじゃないかと。
ただ、減農薬はともかく無農薬までいくと、ちょっとやり過ぎじゃないか、と。
なんかかければ「農薬」とは言ってなくても農薬と同じだし、なんにもかけなきゃ虫は付く
そもそも虫がいて植物があって、まあ虫が植物を食うところまでは自然なことだと。
だから、無農薬野菜をほしがる人が、たまに虫食いで虫が挟まってても文句を言わなきゃ良いとは思うと。
(無農薬ならそこで虫沸かないの?って聞くと、実際にはきちんと管理してればそんなに気にならんらしい)
育ててみろと。
キュウリとかシソは簡単だから、ガンガン育つんだし、育てたら判ると。
そのあと、自分でスーパーに売るつもりで「商品」を検品したら、
どれだけスーパーのが均質かわかると。