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はてなキーワード: 進路指導とは

2021-01-23

大学に行く目的強要する大人

大学楽しいバイトしかしなかったとか、自分がこれまで生きてて沢山聞いてきたフレーズだけれどいざ自分大学受験となると親、進路指導予備校チューターはやれ目的未来に繋がる学習だと言う。

もちろん、お金を出してるのは親だしお金を出してそういう助言をするサービスを買っているか文句はあまり言えない。

けれど、親世代がそうだったのに自分たちにだけ強要するのは違う。

2021-01-16

anond:20210116122356

学校先生

人格教育であったり道徳教育であったり社会性の教育であったり進路指導だったりもあるから

まだ分からなくはないけど、塾講師は本当にわけわからん

2020-12-31

anond:20200205170211

これは確かに高校教師が悪い、

どう考えても、専門学校とかも合わせて進路指導をしていない

大学高校の延長線上だと考えてしまったタイプ

しろ専門学校のほうが高校の延長線上にあって

大学院は、高校とはある意味真逆学問 何も教えてくれないのが大学

2020-12-26

進路指導で「潰しが効かないからやめておけ」と言う人

潰しが効くかどうかで選ぶ人生ってクソつまらない人生じゃない?

立場的にはリスクを取らないようにさせたいのかもしれないけど人としては無能すぎる。

2020-12-11

anond:20201211225733

すべての中学生には高専受験資格があること、理工系を志すなら私立理工系は最悪の選択肢だということを進路指導常識にしていく必要がある

2020-12-09

anond:20201209202012

公立進学校だと大体放課後どっかの教室やら進路指導室で学習してる一団があるからな。それに入れば楽勝よ。

anond:20201209200042

Z会大学への数学公立進学校の授業、進路指導でなんとかなるケース多いけど、そこまでいけない人も多いわな

2020-12-06

anond:20201206080919

すべての中学生には高専受験資格があること、理工系を志すなら私立理工系は最悪の選択肢だということを進路指導常識にしていく必要がある。

2020-10-30

おれはある地方政令指定都市で生まれた。コンビニ電車も走ってるし本屋図書館も徒歩圏にある恵まれ土地だ。おれの両親は両方とも同じ国立大出身だし父親の方は首席だった。それにも関わらずおれはとんでもない阿呆として生まれた。

おれがどれくらい阿呆であるかというと、知性以前に人として当たり前のことができない。例えばコミュニケーションだ。コミュニケーションというものは大まかな枠組みとして通信確立通信本文、通信終了の三つに分けることができ、それぞれで発信者が発信した後に受信者が返信を行なうことでその部分が終わることになる。このプロトコルは不足ないように簡潔にまとめたものであるため、三つすべてを含まないコミュニケーションというものもある。(例:広告広告は"広告を打つ"という段階で通信確立していることは前提と扱われるし通信終了は広告枠の制限で示されるのでそこについても返信は必要ない。)こうしたこと人間として生まれたならだれでもできることだ。人の話は人の目を見て聞く(通信確立)、話を聞いているなら相槌を打つ(通信本文を受信していることの確認)。けれどもおれはそれができないままずっと育ってきたしこれからもできないであろう。

あるいは他に、おれはマルチタスクができない。よく「女性マルチタスクができるが男性シングルタスク向きだ」などという与太を吐くやつがいるがあれは嘘っぱちだ。水を飲むときのことを考えてほしい。口に含んだ水を飲むためにはまず鼻への侵入を防ぐために口蓋帆を上げて鼻への通り道をふさぐ必要があり、それと同時に喉頭蓋を裏返らせて気道を塞ぎかつ呼吸自体も水が通り抜けるまで止めなければならない。都合3種類ものタスクをこなさなければ水を飲むという行動はできず、おれはしょっちゅう一つ抜かしてえらい目に合っている。しかしよほどのバカか力の衰えた老人でもない限り水を飲むということはむずかしいことではないだろう。

そんなわけでおれはどうしようもない愚か者でありおそらく軽度の知的障害を患っているのだが、しかし両親はそんなことを疑わなかった。これはおれが一人っ子であったが故の不幸である。そしておれは適切なケアを受けることな地元公立小学校に通い、当然のように勉強についていけず落ちこぼれていた。テストで満点を取ったことなど小学校でさえ一度もなかった。どうやらクラスメートにもいじめられていたらしく、このままでは地元公立中学校に通わせると深刻なダメージを負うと判断した両親は何を勘違いたかおれを地元学習塾に入塾させた。もっと小学校の授業にさえついていけなかったおれであるから当然箸にも棒にもかからなかったのだが、入学試験ができなかったにもかかわらず県下二番目の中高一貫校入学することとなった。確認はしてないがおそらく裏口入学という奴だろう。

中学校に入ったおれはますます授業についていけなくなり、ノートをとる習慣さえ失った。受けるテストはすべて赤点スレスレであったが中学校義務教育であるからたとえどんな阿呆でもエスカレーター式に高校に進学した。今までの人生が万事こんな調子であるからそのころのおれはたいそう人生をナメており、高校一発目の進路指導で「両親の母校の医学部へ行きたい」などと大言壮語担任に切々と諭されたのであった。当然である。2ケタのかけ算さえ間違え英単語綴りさえ危ういような奴が高校(しか進学校)へ進学しているのが間違いであろう。もっともおれ自身阿呆であるから本一冊まともに通読できないままのほほんと高校へ通い、教師陣のお情けによって卒業した。両親の母校の医学部は最高でもC判定のまま受験をし、お話にならない点数で不合格と相成った。(センター試験は9割を下回っていた。)

どうにもならなかったので予備校入学した。予備校商機を見つけるのがうまいので「医系への進学を目指すボンクラどもを自習室に縛り付け無理やりにでも勉強させるコース」というおれにうってつけのコース存在し、わけがからぬまま通学を続けた。2ケタのかけ算もままならぬままなぜか成績は上がっていたが、今から思えばあんものはあてになるまい。というのも予備校としては「ボンクラが惜しいところまで伸びてもう1年通う」というシナリオが一番稼げるであろうからボンクラであるおれの成績が粉飾されていることは間違いなかろう。予備校の誤算としてはおれの志望校は両親の出身大学であることだった。ボンクラボンクラなまま入試の日を迎え、愚にもつかぬ答案を根拠なき自信に満ち溢れたまま提出し、なぜか合格してしまった。すくなくとも自己採点では0点だった。(センター試験は結局歴史数学理科も満点を取れずじまいであった。)おそらく裏口入学というものだろう。

猫のほうがなんぼか賢かろうという馬鹿大学に入ったが当然授業にはついて行けなかった。勉強する習慣さえないのだから当たり前である教養課程は何らかの圧力ですり抜けたが専門科目は全くどうにもならず、2年生と3年生を2回繰り返している。そもそもこの学部に来たのだって父方の親戚がみな医師医学者で母方の親戚はごたごたして面識がないのだから医師しか職業を知らぬせいであった。モチベーションなどあるはずもなく、解剖は2度やってかろうじて覚えたがそれ以外はどうにもならず教授土下座してお情けで可をもらった始末である現在大学カリキュラムの都合で研究室に遊びに行って研究ごっこをして遊んでいるが、自分が何をしているか微塵も把握していない。ただ聞こえてくる単語が授業で聞いた覚えのあるものからわかったようにうなずいているのだが、先方もおれの阿呆具合など百も承知から深くは追及されない。おれの阿呆を何とかしようと息巻いているのは父親だけで、母など最初からあきらめて「せめて清潔感を身に着けてヒモにでもなっていなさい」と言う次第だ。大学も3年生まで進級したもののここから先どうにかできるとは思えない、ましてどこかの病院で勤務するなど不可能しか言いようがない。かといって阿呆研究者になれるほど世の中甘くない。おれの前に道はない。おれは何一つできないままここまで来てしまった。どうすればいいんだろう。

2020-10-28

anond:20201026003439

自分大阪府下の決して裕福ではない家庭から公立小中高に通って、旧帝大を出た立場だけど、とても共感できた。

まれない環境に生れ落ちると、苦境や不都合を何とかすることを「努力」だと勘違いして、人生の大半をそこに費やしてしまって、人生をかけてやりたいことを探す時間を作れない恐れがある。

自分親族間では高卒が当たり前で、大卒者は稀有だった。

そして商社名前機能なんて大学に入るまで知ることも意識したこともなかった。

貧乏人救済の為の社会制度奨学金制度授業料免除制度)も自分で調べた。

(これは高校進路指導で教えてくれよとも思ったが、多分こういう制度必要とする家庭がその高校では少ないからかその手の制度には疎かったのだろう…)

そして大学で感じたのはやはり生まれの違いによるどうしようもない格差

友達に、月の仕送りが30万円という学生がいた。親は地主で、弁護士もやってるらしい。その子は異性との出会い目的スタババイトしていた。

の子にとっては僕がやっていた免許取得費用を稼ぐ為のバイトなんて馬鹿馬鹿しくて仕方なかっただろう。

別の友人で、海外で数年暮らしたことのある学生がいた。

英語は堪能ではないが、日常会話は難なくこなせるし、ビジネス英語への適応も難しくはないだろう。

自分就職の為に必死英語勉強したが、「海外暮らしたことがある」事実の前には足元にも及ばないだろう。

そもそも就職の為にそもそも仕事で使うかすらわからない英語時間お金をかけて勉強しているのが虚しかった。

スポーツ全国大会に出たことのあるバリバリ体育会系もいた。

自分運動神経も悪くテストで良い点を取ることしか能のない人間だったので、大学に入ってその条件でふるいをかけられた後は、もはや何ひとつ取り柄のない人間だった。

他には、お金勉強をするために親から出資を受けて投資をしている、という学生もいた。思い返すだけでも「恵まれた」エピソード多種多様ネタがどんどん出てくる。

対して「恵まれなかった」エピソードほとんど浮かばない。恵まれなかった、けど努力した、制度を利用した、受かった、だからここにいる。それだけ。でもそのルートに膨大な時間を割いていた。

何というか、自分努力して勝ち得たと思っていた、貴重だと思っていた学歴が、彼らにとっては「ついで」でしかなくて、自分受験人生は何だったのかと辛くなった。

自分奨学金制度授業料免除制度を調べ、金銭的に通える大学を探して、行きたい大学と行ける大学の間で悩んでいる間、「彼ら」は何をしていたんだろう?

入った大学名前以外に何もない自分が、将来困らないように英語勉強したり、親族で誰も着ていないスーツを選んで、ネクタイの巻き方をネットで調べて、就活に励んでいる間、「彼ら」は何をしていたんだろう?

裕福でなくても、努力すれば学歴を手にすることは可能だ。

が、恵まれなかった人間がその努力に多くの時間を割いている間に、恵まれ人間は別のスキルを身に着けたり、様々な魅力的な経験を積んだ上で、そのついでに学歴を手にしているのだった。

このどうしようもない結論に達してから将来全てが暗く見えた。

幸い、就職活動は景気の良さもあって(こればっかりは時代に恵まれた側だった)、結構良いところに就職できた。

でも、「それなり」の大学を出た以上、この先に待っているのも「それなり」以上の集団との競争が続くだけ。正直厳しかった。

人と人間関係を構築して信頼を勝ち取って良いビジネスを作る。これが仕事の基本。

他人に頼らず自分行政機関に頼って何とかするしかなかった人生だったので、そういう人対人のコミュニケーションが致命的にできなかった。

何か困った時は「こんなこと頼んだら嫌がられるのでは?」という思考から始まるのがスタンダードだったので、仕事時間がかかった。

まれ環境で、出来ないことは他人に任せて、その代わりに自分はできることに集中する。そういう健全助け合い生き方をできた人は仕事でも成果を挙げていたように思えた。そういう人たちが心底羨ましかった。

まれなかった自分は、自分にとって不利な条件で戦わせられ続ける競争がもう限界だった。

返ってくるのは平均よりちょっと良い給料だけ。

将来は、継ぐ財産のある人間を横目に家や車を買うために働き、嘘と妥協を重ねて「婚活」に励み、趣味我慢して、老いた先には払い損の年金が返ってくるだけ。自分死ぬ瞬間に何を思うのだろう?と考えると恐ろしくなった。

無事、うつ病になった。

他人と比べる人生は、上ばかり見て報われぬ競争に命を燃やすか、下を見てマウントを取る卑しい人間になるしかない。

高学歴落ちこぼれに対して「大学で大したことなくても、世間一般では学歴があるだけマシ」と言う気持ちはわかるが、「世間一般」に対してマウントを取って生きていきたい訳ではない。

本当は、一々自分他人と比べなければ幸せになれるのかもしれない。

でも、他人と比べなくてよいのだったら、自分勉強なんてせず好きなテレビとかゲームばっかりして不相応な世界なんて知らずにテキトー無責任に生きていたい。努力してもどうにもならないものは沢山ある。ほどほどに見切りをつけておくべきだった。

自分人生ピークは間違いなく大学入学時だろう。世間を知らず、現実を知らず、健全努力が何たるかを知らず、「自分は順調だ、努力は報われる」と勘違いしていたあの時が一番幸せだった。

将来は社会の役に立つ人間になりたい、世の為人の為に頑張ろう、かつてはそんな思いがあったが今はもうなくなってしまった。

でも、国が社会が憎いとも思わない。そしてこの現状を変えたい!とも思わない。もう何かの為に頑張ろうと思えなくなった。

まあ、これだけ格差の拡大した世の中で、しか不景気から、見渡せば自分よりもっとまれていない人間は沢山いるはずだし、そういう人から見れば自分は甘えにしか見えないと思う。

甘えでごめんね。

でもこれだけやって何も返って来なかった、なのにまだ盲目的に頑張ってくれると思う方が随分甘えた考えだと思う。

これから将来はもう、取り柄のない人間らしく適当無責任に生きて適当に死のうと思う。

とりあえず生きて、貯金も何もかも失ってホームレス寸前になっても、そこで死にたくなったら死ぬし、そうでなければ、いざ死ぬのが怖くなったら生活保護がある。

今、自分が一歩一歩確実に「無敵の人」へと進んでいる実感があるが、それでも誰かを傷つけたり復讐してやろうという気は全くないので、そこは「いい子に育ったな」と自分を褒めてやりたいな。

2020-10-13

いわゆる高校進路指導って本当に指導してるのか疑問がある

少なくとも自分は、「より偏差値が高い大学を目指させる」指導しか受けてなかったし、例えばカリキュラムを調べさせるとか留年率を見るとか、そういう指導は全くなかった

まあ志望大学全てのカリキュラムとか調べるのは無理だけど、もうちょっと進路指導はなんとかならんのか……って思わないでもない

2020-10-11

持たざる者搾取されずに自立して生きていくには

どこかの増田が、青葉真司はラノベなんか目指さず、西村賢太のように私小説をやればよかったと言っていた。

こういう現実的進路指導には巡り合えず、きれいなことを言う弱者ビジネス養分にされるだけで一生を終えるのが底辺だと思う。

スポーツお笑い芸能ワナビビジネス養分で終わるリスクが高く、持たざる者にも可能性のある道とは言えなくなった。

前向きに頑張ろうとして自己啓発系につかまる。プロ弱者は実質ヤクザという認識世間に広まり余程フォトジェニックでないと自立は難しくなった。

では、どうすれば良いのか。

一つは「太鼓持ち」だ。モデル菅首相、寂聴秘書

トップにいるバカを徹底的に褒めあげフォローすることで、太実家子女空気のように得ていた機会を得るのだ。

ブサイク低学歴貧困などの資質は、バカの気分をよくするため優位に働く。

のちにバカをヨイショしてたという理由非難されるリスクがあるため、成功ギリギリの段階で無能への正直な気持ちを公の場で発言したり引きづり下ろすと良いだろう。

なんかこれって歴史によく出てくるやつだけど、選択肢のなくなった社会って同じようなことになるのかな。

2019-06-25

anond:20190625143603

たぶんポエムに読者をひきずりこむのが下手なタイプ

イラストレーター説明者)よりの漫画家だとおもう

 

漫画よんでると「普通にミ○ワホームから転職したり独立して受注するタイプ建築にかかわっていったほうが幸せだったんじゃないかな」って思うビジネス向けメンタリティ

地獄のミサワみたいなかわいたギャグ向けにしては絵がうますちゃうとこもあるし

画才の無駄遣いに見える

ほんと絵?心理描写?が「パキっ」と音がしそうなくらい乾いてる。

イベントの消化が早く、おいしいとこだけいじりまわしてふやかすのが自分視点だけになっててわかりにくい

しっとり汗だく皮膚ふやけおせっせ描写とかたぶん無理(女の視点もいれるのが醍醐味なのに男の視点のみになりそう)

とはいえ女の尻を舐めるしかないというシーンはちょっとだけ笑った)

(そういう個人的性癖と絵柄が合ってるシーンは人の心を掴むような気がする)

フランスという個人主義の国への留学さら視点の身びいきが強化されちゃってる感ある

ブクマコメ小林よしのりっぽいっていわれてたけど

(絵だけでいえばこっちの人のほうがクセが少ないしきれいで妙にぐにゃついたデフォルメもなくてみやすい)

それも強烈な自己愛つか線一本にも主張があるとこ似てるからだとおもう

やっぱり向き不向きでいうと背景アシとか草なぎアニメ専門背景スタジオ)とか向きなんじゃないかとは思う

そういうの全く知らないで来る漫画家自分に使える素材か選別だけしてる東大卒編集者はアホ←これは同意

写真見てかくのがなぜ(この人のめざす漫画には)悪いかをしっかり説明できてないのもちょっと

 

進路指導先生ってのもたいていそうだけど適当だよな

2019-04-16

面白くなさで鑑賞候補を削る午前10時の映画祭

anond:20190415145055

数年前、NHKハートネットTV山師のような見た目の青年高校生進路指導をしていた。

ナレーションによると、進路を導くプロらしい。

数十人の高校生を前にして、まったく信用のできない口ぶりで彼は言った。

「進路を決めるコツは、やりたくない仕事をはっきりさせることだ」

増田は、自分が観るべき映画をどう選択すべきなのか。

それは観たくない映画を選ぶことだ。

というわけで、午前10時の映画祭のラインナップに対して、増田が観に行きたくなくなるようなコメントをしてみたいと思う。


1.アラビアのロレンス

長すぎ(3時間47分)。東京から秋田まで行ける。

2.E.T.

どうせ指と指くっつけて終わりだろ。宇宙生命体とガキの心温まる話とか増田は興味ないって。

3.ウエスト・サイド物語

オープニングいつ終わるんだよ。

4.風と共に去りぬ

究極に長い(3時間58分)。東京から神戸まで行ける。

5.ゴッドファーザー

長い(2時間55分)、東京から京都まで行けんぞ。

そもそも増田イタリア系移民マフィアになんか興味ないでしょ? 

照明が有名だけどそれにも興味ないなら眠いだけだからマジで観なくていい。

6.サウンド・オブ・ミュージック

長い(2時間52分)。途中で休憩あるけど。

7.七人の侍

ずっと白黒てwwwwwww(しかも3時間27分wwwwwwww東京から兵庫まで行けんぞwwwwwww)

8.ショーシャンクの空に

陰気くさい。どうせ観るならギルダ観てからのほうがいい。

9.JAWS/ジョーズ

ドゥンドゥンwwwドゥンドゥンwwwwドゥンドゥンwwwwwwww

テーマ曲聞き飽きたわ。恐いだけの映画

10.スティング

オシャレなカイジ

ネタバレしたらクソつまんなくなる。

11.大脱走

長いし(京都まで行ける)、主役がゴリラ

ゴリラバイク乗ったりボール投げてるの観て楽しいか?

12.ダンス・ウィズ・ウルブズ

時間きれいな映像が流れ続ける(3時間1分、頑張れば岡山行けそう)。

13.テルマ&ルイーズ

増田フェミニズム嫌いだろ?

じゃあ観ないほうがいいね

14.時計じかけのオレンジ

精神的なグロさはともかく、今となっては映像的にグロく感じないかもしれない。

じゃあ観なくていいね

15.日本のいちばん長い日

それほど長くない(2時間37分)。緊張感があるだけの映画

16.ニュー・シネマ・パラダイス

そもそも増田さあ。第二次大戦中とかのイタリア映画館に興味あんの?

ないよね。以上。

17.バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ

増田思想保守じゃないだろ?

これ、当時のアメリカ保守層のための映画から。やめといたほうが無難

18.八甲田山

体感時間が一番長い(2時間49分)。息が詰まる。

19.ブルース・ブラザース

増田ブルースとかロックとかソウルに興味ないだろ。

ノリが良いだけの映画。ばいばいだね。

20.ベニスに死す

ひたすら美少年を映したいだけの映画

21.未知との遭遇 ファイナルカット

今となっては映像に未知感がない。かろうじてロマンが残っている。メッセージ観とけ。

22.レオン 完全版

増田ロリコン嫌いだろ。じゃあやめとけ。

23.ローマの休日

白黒wwwwwwww。アン王女リアルで元レジスタンスだった危険な奴だからやめとけ。



どの映画も古くさく感じるかもしれない。

だが、同時に「今だと作ることのできない映画」でもある。

それは、戦争経験した役者の凄みや、リソース無視した人海戦術美術、独創的な演出、華麗な音楽映画の隅々にまで至る。

どの作品掛け値なしの名作であり、少しでも興味を持った作品があれば鑑賞を薦めたい。

※残念ながら「砂の器」、「愛と青春の旅立ち」は観たことがない

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2018-09-02

10年前、就活生だった頃の自分に伝えたい11の事

1.就職サイト絶対ではない、企業情報検索サイトと捉えろ

2.マナー講座や面接講座にかける時間志望動機作成に充てろ

3.教授進路指導が勧める求人やめておけ、入社後も教授進路指導の顔に泥を塗らないよう気に掛ける必要が出てくる

4.就職サイトを頼るな志望する職種を見つけたら大学就職担当の言い分は無視してどんどんエントリーしろ

5.バカバカしいと思ってもSPI論文対策はしておけ、そうでないとスタート地点にも立てない

6.入社試験がないもしくは簡単企業には気を付けろ、少なくとも入社しようなんて考えるな

7.就職フェアに行く時間資格勉強時間しろ就職フェアは一部のエリート以外には無駄

8.大手は有名私大国立大卒の人間が行く所だ、それ以外は優秀な頭脳もしくは技術もっていなければ企業レベルを下げろ就職できないぞ

9.転職前提で入社しろ新卒入社した企業に骨を埋めるなんて余程の適性がない限り無理だ

10.求人票に書かれた内容は大手も含めてほぼ事実を捻じ曲げて作られている、クチコミサイト活用せよ

11.労働基準法勉強しろ、変な常識を刷り込まれにくくなる

2018-08-31

たくさん勉強したけど

小学生の時、ちゃんとお勉強しなさい。そうしたら将来楽できるから

そう言われて勉強を頑張る。優秀な成績をとって、テストでは満点をとって、実績のある進学校に入って優秀な大学入学する。

そのあたりで気づくんだよね、あれ?おれなにがしたかったんだろ、なにしてんだろ?って。

大きくなっていろんな選択肢がもてるから

そう言われ続けてただ勉強し続けた結果、いつしかほんとにやりたい事とか、夢中になれるものなんかを見つけられないままその他大勢の中に埋もれてしまう。

自分選択肢とか可能性なんかを見つけられないまま、むしろ狭めてしまう。

思春期って、中学高校生の時を言うんだろうけど、その時は未来って漠然としてて今を生きてる自分とは何だか程遠い関係のない話のような気がしていた。

やりたいことが見つからない。ここの学部に進学しとけば、そのあと潰しがきくよ。選択肢が幅広いよ。

そうやって進路指導先生から聞かされる。

大学進学。そこがゴール。

けどさ、大学生も半ばを過ぎたあたりからみんな気づくんだよね。

あれ?って。こんなはずじゃなかったって。

遠いところにあると思ってたことが、まだ考える時間はあると余裕ぶっこいてたことが目前に迫ると、嫌でも現実を見なきゃいけなくなる。

そうして安定を第一にしてその後の自分時間社会に溶かしていく。

やりたいことをみつけて好きなことして生きていく。素晴らしいことだ。

けどそれって今の日本システムで生きていく中で、とても難しいことだと思う。

2018-08-23

教師非常識さについて

はじめに断っておくけど、あくまで「一部の」教師のことだよ。

私はとある地方教育委員会で働いていて、学校訪問の機会が多い。

元は民間勤務で数年前から地方公務員転向、その配属先のひとつという感じ。

なので民間公務員わずいろいろな職場を見てきたつもり。

そこで思うのは、いわゆる「社会人としての常識が欠けている」教師の多さ、割合の高さ。

学校卒業してそのまま学校で働いているから?

子供と同僚(教師)で構成される職場で働いているから?

先生」と呼ばれるから

理由特定できないが、本当に変な人や失礼な人が多い。

夏は自治体全体でクールビズを推進しているので、涼しい服装で働いてくれるのは結構なのだが、なんでみんな変なロゴTシャツに謎のライン入りハーフジャージなんだ。

なんでそんなに髭や髪が伸び放題なんだ。

ネームプレートはどこにいった?

体育の先生が授業の合間に動きやすスポーツウェアに着替えている、などでもなく、そもそも今は夏季休業期間だ。

生徒の目がない、ということでリラックスしているのかもしれないが、立入り業者保護者地域住民といった人間はいくらでもいる。

恥ずかしくないのか?

しかも、少しでも髪色が明るい生徒には黒染めを強要し、スカートから膝が見えていれば頭ごなしに怒鳴りつける生徒指導教師や、軍隊のような集団行動を押し付け体育教師たちほど服装のだらしない率が高いのである

面接指導を行う進路指導担当教師たちもかなりだらしがない。寝癖ついてるし。

先生自分の姿を鏡で見たことはありますか?

ちなみに同じ学校関係でも、事務職員(老若男女問わない)や若い女教師非正規教員服装ネームプレートも「正しいオフィススタイル」という感じである

結局のところ自浄作用がないんだろうなぁ。

いくら教育理念を掲げても、子供が目にする身近な大人がこれでは。

ただの愚痴です。

2018-07-02

anond:20180702115641

これは反応に迷うよなあー。

まず最初に断っておくと、自殺は良くないことだよ。

現状の法律では良かれと思って手伝った人まで幇助罪に問われるし(某評論家のケースとか)、

何らかの違法性プロセスのどこかで発生することが多い。

          

それに電車自動車事故飛び降り縊死、どんな手段をとっても物凄く辛い目に遭う人が出るからね。

お家で首を吊ると、大島てる掲載されて大家さんが凄く困ったり、公有地でも捜索隊や警察の手を煩わせる。

飛び降りも巻き添えを食らう人が出てしまう。

自動車の前に飛び込むと、運転手の残りの人生を終わらせるが、電車事故場合でも、人生のかかった商取引に向かえなくなる会社員

親の死に目に会えなくなる人、色んな人にとって取り返しのつかない遅延を発生させるからね。

とにかく、他人への迷惑を考えると、自殺だけは思いとどまるべき。

元増田死ぬ瞬間、どんな手段であっても激痛が走ると思うしね。

          

以上の前提を考慮した上で言うが、私は「死」自体自己決定権の一部だし、むしろ個人意思に沿って選んでいいと思う。

欧米人権先進諸国とは違い、今の日本は遅れていて、安楽死制度が整っていない。

自殺ダメだが、そうではなく、医療的に痛みを伴わず公共機関不動産への支障を及ぼさず、

法律上も問題のない安楽死制度ができれば私はそれを尊重する。

進路指導転職面談カウンセリングの場で安楽死という選択肢が出ることすら自由主義社会の一環だと思う。

うーん、この成績だと、希望の進路は難しいかな、、、かといって就職斡旋も難しいし、、、君の第一志望が安楽死ということなら、しょうがない、推薦状書くよ」

あなた境遇では確かに奥さんの希望お仕事との間で整合性がとれないし、希望するのであれば確かに安楽死もあり」

人生絶頂での安楽死家族負担結婚考慮しての安楽死難病苦痛から逃れるための安楽死、色々なありかたがあると思う。

      

脱線してしまった、、、。

以上のように安楽死制度があればいいのだが、不幸にも本国には存在しない。

子供が欲しいという奥さんの希望尊重しつつ、元増田がとれる選択肢としては、、、。

          

1.自死遺児の講演会に参加して、どうするか決める

親が自殺によって亡くなった遺児の団体というもの存在する。

時折、講演会のようなイベントを開催して当事者体験談を話すことがある。

講演会趣旨からは逸脱するのだが、元増田は一度聞きに行くことを勧める。

そこで元遺児の話を聞き、「これは、、、親が自殺したら、子供経済的にも世の偏見からしても不憫だな、、、」と感じるなら、子を作らずに死ぬしかない。

でも、ご自身年収とも相談して、十分な遺産貯金)や保険金・遺族年金さえあればどうにかなりそうかな?って感じたら、奥さんの希望を叶えてとりあえず子供は作り、そのあと死んでもどうにかなるだろう。

          

2.奥さんといったん離婚して、妊娠出産の後に再婚する

子供にとって「父親自殺した」というレッテルからも逃れる方法として、いったん離婚するという選択肢がある。

ただし、元増田のことを奥さんが好きだ、という面にも配慮する必要がある。

いったん離婚して、しばらく子供が生まれても嫡出推定元増田に及ばないだけの時間、奥さんに我慢してもらう。

法律上はとりあえず離婚して、ちょっと時間を置いて、その間に奥さんが妊娠出産して、

まれ子供父親元増田だと法的に推定されないだけの期間が経過してから、もう一回奥さんと再婚する。

その後に死ぬ

そうすれば元増田の死は、子供からすれば父親でもない単なる母親のツレの死ということで処理され、不利益はかなり軽減される。

問題妊娠のための精子をどこから出すかということ。

精子提供が得られれば良いが、不妊医学認定などが条件として課される場合は厳しい。

別のセックスパートナーを奥さんに見つけてもらうという選択肢もあるが、

もしその男性が子供父親として法的に認定されたら男性にも迷惑がかかるし、そもそも奥さんは元増田以外の性交相手を探すことに抵抗を感じるかもしれない。

だとすると、いったん離婚して嫡出推定無効になった期間に、元増田精子提供するしかない。

          

以上のように、

子供が生まれたら自殺しか選択肢存在しない

・奥さんは元増田が好き

・奥さんは子供が欲しい

この三条件を同時に満たす選択肢は意外にトリッキーもの存在する。

元増田希望は一個しか叶えられないにも関わらず、奥さんの希望は二つも叶えるのだから、奥さんにはなんとか妥協して欲しいところだよな。

2018-04-27

文化教育地域格差の話

いろいろ考えたらモニョモニョして眠れなくなったので、寝る前に思っていることを書こうと思う。

深夜のノリでザーッと書き出したので読みづらい文章だったらごめんなさい。


少し前にこんな記事が流れて来た。

http://news.livedoor.com/article/detail/14627657/

すっごい簡単に書くと、田舎にいるとまともな教育を受けられない、受ける権利侵害されている。っていう話。

そのあとに、

http://tmaita77.blogspot.jp/2017/08/2017.html?spref=tw

こんなデータを見た。

進学率の男女比を出したデータだ。2017年現在のものなので、少し古いかもしれない。

こんな私(女性)も田舎出身で、地方から出て来て大都市圏理系大学に通い、仕事についている。

この記事と、データを見ていたところ、めまいがするような衝撃と同時に田舎にいた時の記憶が蘇って来た。


私が住んでいた場所は、この記事を書いた筆者ほど教育リテラシーが低い場所ではなかった。

ちょっと街に出でて、本屋に行けば赤本とか普通に売ってたし、ちょっと街に出れば美術館もあったし、一応Fラン大学も近くにあるような場所

はいえど、ちょっとどこかに遊びに行くといえばジャスコだったり、アリオだったりっていう土地柄でした。

から、まだ高校卒業したあとには大学に行く文化はあったのかなと思う。でも、進学校といっても半分ぐらいは専門学校にいくようなそんな場所だった。

こんな場所で育って、一番強く覚えていて、今でも心に刻まれているのが

「私、理系コースに進んで理系大学に進学する。」

家族に言ったところ

「そんなところ、女が行く場所じゃない。女なんて、医療専門学校や、簿記資格取っておけばいいんだ。婚期が遅れる。早く子供作って孫(ひ孫)の顔見せておくれ。」

キッパリと言われたこと。

正直、かなりショックだった。そのあといろいろあり親を完全に説得して、理系大学に入って今に至る。

(ちなみに、婚期は遅れませんでした!子供はまだ遅くなりそうだけど。。。)

私は、男女比の資料を見て、実際かなり納得した。田舎ほどまだこのような考えを持つ人が多いのは事実だったんだな。と。

高校の時、進路指導室に行っても指定校推薦みたいなものは確かに男性優先だった。。。のかもしれない。

正直、指定校推薦はも貰うつもりがなかったので、AO入試やら、自己推薦入試やらを活用して自分の力で入学を勝ち取った私ですが、

今思うと、高校進路指導室でももしかしたら、話半分に思われていたのかもしれないと感じる。

実際、受かった時の進路指導室は大騒ぎでしたし。

ちなみに、田舎だとまだ理系は男の仕事という印象がかなり強いと感じています。だから余計に大騒ぎだったんじゃないかなと思う。


あともう一つ、今でも抜けない感覚がある。

「女は男に尽くすもの

という感覚

具体的には、

結婚して、夫に指摘されていろいろ気がつきつつある感覚なんだが、私が生まれ育った田舎だとご飯を食べるのは男性が先。

家族揃っていただきますをする感覚は正直なかった。

家事をやるのも、基本女性仕事。お手伝いなにそれおいしいの。

女性男性に尽くすことができなくなったら用済み。終わり。

男性の体調管理女性仕事

女は男性を超えることは許されない。

どんな時でも男性が一番。男性のいうことに口答えするのは許されない。

実際、私よりも弟の方が大事にされていたのは事実

私の夫は都会育ちなので、こういう感覚はないらしい。

私は、こういう感覚を気がついたら意識せず植えつけられていたらしい。


少し前には、鹿児島知事

「女に三角関数を教えてなにになる」

みたいな発言をして大問題になりましたが、進学率が地方女性ほど、私みたいな考え方を自然に植えつけられているのかもしれない。

から男性を越えるような行為を行うことはあり得ない、恥だと考えるような感覚地域に染み付いているのではないか?と今私は思っています

私はこのような感覚100%ダメだとは思っていないです。性差適材適所があるのが事実だとは思っているので。

はいえど、この感覚で気がつかないうちに自分の才能や夢を諦めさせられている人がいるのは悲しいかなとは思ってしまう。

私はおそらくこのような文化を気がつかないうちにぶっ壊して、今の立場にいるのかなと思っています

でも、この空気感感覚が本当にできる人を潰しているのであれば、男女間の教育権利侵害されているのではないかと思ってしまった、そんな一女性の嘆きでした。

2018-04-25

それ本当?

はてなブックマーク - 「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

この記事なんだけど、何だか全然ピンとこない。なので自分経験を書いてみようと思った。

俺はこの人より10歳くらい上で、出身もっとさな市だ。人口5万人くらい。主な産業は当然のように農業鉄道も通ってないし駅もない。

地元普通公立小学校から公立中学校公立高校、そして東京じゃないけど大学に進学。

中学は荒れてた。中学歴史上で一番荒れてた時期らしい。眉を剃ったり剃り込み入れたり短ランとかボンタンとかそういう昭和な不良がリアルにたくさんいた。

から一番近かった高校自転車10分かからいくらいのところにある農業高校で、名前さえ書ければ入れると言われるヤンキー高校

けどそんな中学でも進路指導では普通大学まで見据えて話をしてた。大学進学を考えるなら公立だとこの高校、県外の私立に入るという選択肢もあるって感じで。

 

田舎では大学進学なんて想像埒外だった」とか言われると「はぁ?」と返さざるを得ない。

大学なんて近所にないし大学生なんて子ども時代には見たことなかったし著者よりも10年近く昔でさら田舎でも、大学進学は選択肢として普通にそこにあった。

親共高卒親族には大卒もいたけど、そういうのは関係なく荒れた中学校でも進路指導では大学進学も普通未来選択肢として考慮されてた。高校の倍率はどこも1.0倍で偏差値自動的に振り分けるとか、それ本当?

当時の大学進学率を今ググってみたところ短大含めて40%ちょっと、四大に限れば30%ちょいくらいらしい。田舎同級生を思い返してみると、やや少なめかもしれないけど有意に低いといえるかどうかは微妙という程度だ。

 

言っとくけど東京田舎格差がないなんて言ってない。経済的格差文化的格差インフラ格差もある。何しろこっちにゃ駅もない。地元本屋はここ20年くらいで全部潰れて、残ってるのはブックオフと数年前にできたツタヤのみ。

けどこの著者の人が言ってることもどうも戯画的というか、簡単に言うと「お前、話盛ってねえか?」って思う。

2017-10-22

anond:20171022162946

中学生の時に『キャッツ』を観てミュージカルこころざし、舞台芸術学院卒後劇団員を経て、劇団四季美女と野獣ヒロインベル役でデビューした濱田めぐみ


中学生の時『オペラ座の怪人』を観て、クリスティーヌ役になることを目指して大学声楽を専攻し、見事同役をゲットした苫田亜沙子


何が違うんだろうね。進路指導先生かな?

2017-07-13

新卒非正規教員(女)だよ

《追記》7/14、追記を書いたのでぜひ読んでほしいです。

https://anond.hatelabo.jp/20170714184542

ーーー

在学中に受けた県の教員採用試験には不合格だったので、臨時登用の名簿に登録していたら3月30日に連絡が来て、4月1日から県立高校非正規教員をしている。

まず前知識なのだが、非正規教員一口に言っても「期限付(任期付)講師」と「時間講師」に区分されることは案外知られていないのではないか

前者は常勤半年一年という任期付きではあるものの、クラス主任を持ったり、部活動顧問や校務分掌(進路指導生徒指導など)も持つ。

給料正規と同じく月給制で、ある程度の年齢までは毎年昇給があるらしい。

後者非常勤。塾の大学生アルバイトイメージが近いのではないだろうか。

週〇コマと決められていて、時間単価と勤務コマ数の掛け算で給料が支払われる。

校務分掌部活動顧問といった業務はない(我が県の場合)。

私が任命されたのは時間講師だった。

「県立〇〇高校、週〇コマ講師をしていただけますか」と電話がかかってきて、幸い実家から通勤できる距離学校だったし、「現場経験を積みながら合格を目指そう!」なんて希望燃えて二つ返事で快諾。

厳粛な任命式も、指導研修(正規新採用はほぼ毎週あるらしい)も何もなかったが、他の先生たちと同じように1人で担当クラスを持ち現場に立っている。

手探りの日々で頭を抱えることもあるものの、生徒から反応が返ってくるこの仕事に誇りや充実を見出している。

ところでもうすぐ夏休み

子供の頃は「先生はいいよね、生徒と同じように夏休みがあるんでしょ!」と思っていたがそんなはずもなく、当然他の月と同じように出勤して仕事に取り組む。正規教員は。

そう、先にも書いたが、私は時間講師なのだ

正規教員で足りないコマ数を補って授業を行うために雇われているのだから、授業がなければ当然仕事はない。

授業だけが教員仕事ではないので、正規教員常勤講師研修会、企業訪問会議行事の調整、部活動指導調査への回答…など山積みの仕事を行う。

しかし、授業だけが業務とも言える我々時間講師場合、授業がなかったら仕事はなく、仕事をしていないのだから当然給料もない。

この事実に気がついたのは5月下旬だったのだが、ゾッとした。

(ちなみにそのとき試験期間で、通常の授業がないため時間講師仕事はごっそり削られたのである)

働かざる者食うべからず、とは聞き慣れた言葉である

また、「仕事がないはずがないだろう、選ばなければどんな仕事でもあるはずだ」と最近まで私も思っていた。

仕事もせずに給料をくれよ、と言うつもりはない。

しかし、本当に8月仕事のしようがないようなのだ(生徒の補習や夏期講習は正規教員で事足りるらしい)。

私は抜けているところがあるので、「授業を行ったぶんだけお給料が出ます」の裏にある、「授業がないなら無給だよ」の意味最初気が付かなかった。

気が付いたあとも、「時間数は減るだろうけど、夏休みなら補習もあるだろう」と思っていたのである

8月、どうやって暮らせというのだろう。

幸いなことに私は実家暮らしで、家族も「正規合格を目指す」という私の目標理解してくれているので、すぐさま困窮する事態には陥らない。

しかし、これがもし実家から遠い学校に配属されていたら?

一人暮らし家賃光熱費を払い、日々家計のやりくりをしなければならない状況だったとしたら?

ちなみに非常勤なので社会保険にも加入できず、自分国民年金16000円を払っている。

「1コマ3000円で週10時間、だいたい月12〜14万円か」と分かってはいたが、ここから保険料税金を支払い、最低限の仕事服や通勤定期を買い(一律で定額支給通勤手当雀の涙ほどだった)、働き出してから貯金も全くできていない。

こんな月収でも年額130万円を超えてしまうので、親の扶養にも入れない。

他のことをして収入を得ようと思ったこともあるが、「正規教員で不足するところを補ってね」と時間割を割り振られたので、月〜金全ての日に授業があるし、「4時間目だけ」「2時間目と6時間目」のような振り方なので、時間が全く自由にならない。

2時間目と6時間目の間の数時間、何をしているのかと言われると教材研究や生徒の課題のチェック、試験後にはその採点、成績表のデータ入力などである

しかあくまでも「週10時間」の任命なので、これらの空き時間についてはもちろん無給。

1コマだけ授業があるような日でも、その時間だけ学校に行って終わったら即帰宅というわけにはいかないし、何時間働く日であっても通勤にかかる時間は同じである

文章の収拾がつかなくなってきた。

まだ1年目の1学期を終えたところでこれだけ思いつくので、これから先どれくらいこの身分の恐ろしさを痛感するのか、未来が真っ暗である

そもそも来年度以降も同じ学校に勤められるとは限らず、そもそも任用があるのかも分からない(おそらく3月末の連絡がそれなのだろう)。

他にも時間講師の人はたくさんいるが、新採用の正規教員のように1箇所に集まって研修を受ける機会などはなく、年齢も担当教科も割り当て時間数もバラバラなので、話す機会がほとんどない。

中には現役を引退したベテラン教員、夫の扶養に入れる範囲で勤めている子持ち女性などもいるようだが、この仕事けが生計手段であるような若者中年も少なくないようだ。

「(モンスターペアレント部活動指導教育改革などになる)教員ブラック労働」と「(民間の)非正規労働者」の問題については注目が集まっていると感じるが、「非正規教員」はその合わせ技といえるのではないだろうか。

この日記が誰かの目にとまり問題として社会に知られる些細なきっかけになることを願ってやまない。

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