はてなキーワード: 就職サイトとは
Z世代の若者が、日本は若者に厳しく高齢者に甘いと言っている。
テクノロジーでいえば、現代はかなり恵まれていて不自由だったものが今では簡単に解決できるようになった。
昔と比べると天と地の差だ。
昔に比べれば、利便性が遥かに違うわけで高齢者からすれば分からないことだらけだ。
高齢者が手に入れている年金は、若者が高齢者になった時にはもらえるかどうかも分からない。
生活は苦しくなるばかり、若者が苦しんでいても高齢者は見向きもしない。
本来、年配者は人生経験豊富で若者たちに経験を伝えていき、若者は年配者に敬意を払うものなのだが、現代は違う。
正直、今も昔も厳しさ優しさは変わらないと思う。
互いが同じ道を歩んでいるのに、若者に厳しい、高齢者に優しいというが、それもまた将来の若者の姿ではないだろうか?
結局、現代の若者も高齢者になれば同じ道を歩み、新たな若者たちは高齢者に優しいと不平を述べるのだ。
時代が変わろうとも、その流れは変わらないと私は思える。
三十代半ばまでプログラマーだったけど、やりたいことがあって別の業界に転職した。
自分が新卒のころ、その業界の知名度は今よりもずっと低かったから、どうすればその道に進めるのかずっとわからないでいた。だから、おっさんになってから転職した。
大企業から案件のおこぼれをもらって、それで基礎を学んだ。仕事量は多いけど、手取り 20 万なかった。
仕事に慣れたころ、会社の経営が傾き始めた。他部署の業績悪化が足を引っぱり、テコ入れに精神論を売りにする外部のコンサルを雇うようになった。
自分のいた部署は堅実に売上を伸ばしていたのだけど、そのことが逆に経営層から疎まれ、最後は部門ごと他社へ移籍することとなった。
営業部の力が強く、どの営業担当から案件を回してもらうかで社内での立ち位置が変わった。
営業担当も互いに自分の影響力を伸ばそうと躍起になっていたから、社内はコップの中の嵐というより序列を争うホストクラブのようだった。
ここでも基本的な仕事内容は変わらなかったけど、プログラミングでの開発やブログ記事の執筆もやった。資産管理や部屋の掃除(引き出しはGの排泄物でいっぱいだった)なんかもやった。
書いた記事はまずまずの PV だったと思う。業務上の必要から ISMS も取得したし、案件入札に必要になるからと自前で資格も取った。給料は 5,000 円アップした。
半年くらいいると、世事に疎い自分にも徐々に社内の様子がわかってきた。要は自社経営の IT スクールの受講生を、自社運営の就職サイトで他社に斡旋する、あるいは IT スクールの講師をさせる、そういうカラクリをエコシステムと呼んでいた。
ある日、上司に昼飯に行こうと誘われ、料理を待つ間に派遣先を告げられた。社内にいる人間は人件費がアレだから外に出て稼いで来い、そう営業からお達しがあったと言う。
こうして入社から一年で派遣社員となり、送別の昼飯はワリカンだった。
プロパーどうしは人間関係がちょっとギスギスしており、派遣社員はプロパーに取り入りつつ、ちょっとした手抜きや仮病は見逃してもらっているようだった。
自分は自社の喧騒から距離をおけるようになった分、業務に集中するよう努めた。ただ、毎月サブロク協定の上限まで残業させられるので、月によっては時給換算で 1,000 円ちょっとになってしまうのが痛手だった。
生活のため食費を削っていたし、職場は密閉状態だったから、風邪やインフルで倒れないよう健康にだけは気をつけた。
自分以外の派遣社員はみな二十代で、業務中もゲームに興じる廃課金ユーザーが多かった。意外だったのは、自分たちを派遣先に送り込んだ上司は何のケアもしない高給取りの無能呼ばわりされていたことだった(自分は非常に高スペックな人だと認識していた)
年を越して、4/1 から自社に引き揚げて開発プロジェクトに投入されるという話が進んでいることを知った。どうも次年度の契約で派遣先と折り合いがつかず、交渉が決裂したようだ。派遣先の課長が「あなたの会社の営業さんはなんであんな(強気)なんスかね?どうにかなんないんスか?」とこぼしていたが、何の権限もない自分にはどうしようもなかった。
ただ、自社に戻って開発をしたり、上司や営業と顔を合わせてやりとりをする自分はどうしても想像できなかったので、自社の場当たり的な方針に依存するわけにもいかないだろうと強く自分に言い聞かせていた。
タイムリミットが迫るにつれ、次年度の希望を聞かれる機会が何度かあった。自分は業務優先で返事を先延ばしにしながら、周囲に悟られないよう履歴書を用意したり、面接を申し込んだりして少しずつ転職活動を進めていた。
年度末を迎え、担当営業からメールで次の配属先の発表があった。自分は最後まで希望を伝えなかったこともあり、おつかれさまでしたの一言だけだった(これは自分が悪いのでしかたがない)上司とは結局、送別の昼飯以降は会うことがなかったように思う。
数日後、本社に出向いて退職手続を済ませ、4 月中旬までに希望の 1 社に絞って面接をくりかえしたり、SPI を受検したり、必要書類を揃えたり、そこそこ忙しかった。
ここまでくるのに 4 年ほどかかったけど、正直言うと本当に大変だったのはここからだったと思う。
まわりの若い同僚はこれまで見てきた人たちと違って教えられたことをすぐに再現できたり、適切に応用することができる人たちばかりなので、そこからさらに 4 年間は取り残されないよう無理をしたと思う(実際、ちょっと体を壊してしまった)
今の職場も仕事量が多くて辛抱の毎日だけど、もう少しがんばってみようと思っている。
……
ちょうど 10 年くらいになるので、これまでの整理の意味で振り返っておこうと思った。
就職氷河期世代だから貯金だけはするようにしていて、老後の備えは何とかなるかもしれない。
おっさんになって人生をやり直す形になってしまったけど、いつも懸命だったし、自分との約束は守れたんじゃないかな(と思いたい)
新型コロナで騒がれている中、会社の都合で退職を余儀なくされた。大学出て総合職で働いていたものの、病気の後遺症的なモノで障がい者になってしまい、障がい者枠で初めて働いていた会社である。その会社のグループはダイバーシティやSDGsを積極的にPRしていて、潰れない限りは大丈夫だと思っていた…
それが突如「障がい者雇用枠を撤廃して、地方の特例子会社へ一本化する」という親会社の一方的な理由でクビになったのである。しかも契約更新の前の月の末に突如宣告され、「最後の月の給料は出すから出勤しないで転職活動してくれ」という突っぱねぶり。最終出勤日に至っては部書内でかなり冷たく接しられ、お世話になった人へ感謝の気持ちを伝えられず定時で追い出された次第である。あまりにも唐突なことで今もフラッシュバックが起こってしまいそのたびに胸の内が苦しくてたまには怒りやうつや泣いて情緒不安定な状態で過ごしている。
そもそも、ダイバーシティとは「性別や国籍、障がいなどで差別せず平等に扱う」という意味。それなのに親会社はLGBTsの取組とか大体的にアピールしつつ、障がい者は特例子会社という日本独自の制度で排除するっておかしくないか?他の国内企業ではグループで特例子会社を持ちつつも独自で障がい者雇用をしているところがあるのに、ダイバーシティをあちこちでアピールしている親会社の行動はなんなんだろう?外部から見たらダイバーシティだろうけど(特例子会社はハロワ求人必須なのでサイトに企業名が出る程度)、内部がこれだと虚偽のアピールなので安易にダイバーシティ推進とか言わないでほしい。これが全国屈指の有名企業というから本当に笑えない。
現在は部長に紹介された障がい者就労移行施設に通所しながら転職活動をしている。移行施設には様々な障がいを抱えている人が日々訓練している。その中で会社都合で退職した人が放り込まれたら…パソコンができるだけで羨まれ、ファイリングなどを短時間でできることにスタッフが驚き、普通に電話対応している姿を入所までの背景を知らない他の人が見たら「なんであんなにできる人がここに?」と逆にプレッシャーを与えてしまいかねない。私だって本当は大学出て(病気で2年弱休んだけど)ずっと働いていたのだもの、支援施設のサポートはあまりいらないと思っていた。それでも部長の勧めと運悪くコロナの関係で求人が徐々にストップしている関係でやむなく通所している(なお現在は外出自粛要請のため在宅訓練)。「ブランクを施設通所にすれば相手ウケいいから」という施設側の責任者の言葉で渋々入所を決めてしまった。私みたいな人がいたら周りからみてプレッシャーだ。相手がそう思うか否かは別として、パソコン操作に苦しんでいる人とか軽作業で苦労している人とかを見ると申し訳ないと涙が出てしまう。今でも身勝手な理由で退職に追い込んだ会社を恨んでいる。
あまりにもひどい内情を知ってしまった以上、次は今までチェックしていなかった外資系に転職しようかと考えている。話によると外資系は本社のある国の基準で採用を行っているという。そうなれば特例子会社で障がい者枠排除という理不尽な退職をしなくて済みそうだ。コロナが落ち着いたら前の会社より給料も福利厚生も色々と優遇されている会社へ転職してやる。
そして、興味半分で自社のリクルートサイトを見たら、まだ障がい者枠採用のページが残っている。この内情を知らずに応募する障がい者の人がいると思うと心が痛む。はなから採用する気がないのに、応募書類を作って送る時点で無駄な労力だ。
最後に障がい者採用枠で仕事探している人へ。求人はハロワか民間の障がい者専用の就職サイト以外をろくに信じてはいけない。私のいた会社のようにハロワに怒られないようにただ求人だけ出している企業が少なからずあると思った方がいい。コロナが落ち着いたら安定して働ける会社で思う存分(でも無理しない範囲で)働こう。
多少のフェイクありでここに吐き出す。
そのサイトでは、利用者が内定を取った際には内定者インタビューを行い「内定者の声」としてエントリを出していた。
内定が取れた当時は勿論嬉しく、インタビューに応じた記憶がある。
ただ、就職後も担当者から「就職サイト利用者(就職支援スクールも兼ねているサイトだったので、スクール生向けだったのだと思う)の同窓会への招待」と言った連絡が届く事があり、「何で関わった事もない他の就活者と同窓会をしないとならないのか」と感じた私は連絡を無視する事にした。
暫くはそこで斡旋された企業で勤めていたのだが、最終的には転職した。
ある日、ネットサーフィンをしているとその会社のブログが引っかかった。
「そういえば内定者へのインタビューを掲載していたよな」「あれから疎遠になったけど、当時の自分のインタビュー記事はあったりするのだろうか」と調べていると自分の事かと思われる記事が見つかった。
何故「思われる」なのかと言うと、
・投稿(初稿)の日時が内定が決まってから2,3ヶ月経ったもの
と、類似点がそれなりにあったのだが
・経歴が一部違う
・記事が今年になって更新されたと思われる(更新日付の記載がある)
と言った相違点があった。
本人特定を避ける為のフェイクは必要だと思う。だが引っかかったのは「経歴が一部違う」のところだ。
本来の私の経歴・当時インタビューで話した内容は「大学に入学し4年で卒業、特にやりたいものも見つからないまま大学院に進学した」なのに、その記事では「浪人してから大学に進学、特にやりたいものも見つからないまま大学院に進学した」と言ったような記載になっていた。
フェイクを挟む必要はあると思うが、マイナスに脚色されているのは流石に悔しい。
記事を取り下げるよう連絡したいが、フェイクが多々入っている為「あなたの事でない」と言われたらそれまでである。
記事を更新した記録はあるが、日付しか分からない上に内容の更新まであったかは証明できそうになかった。(SEO対策で日付だけ更新したと言われればそれまで。Webアーカイブを探して見たが記録はなかった)
「気にしすぎ」「自意識過剰」と言われればそれまで程度の共通点しかない為、自分がただ一人このデジタルタトゥーで嫌な思いをし続けるしかなくなってしまった。
悔しいのでここに吐き出す。魚拓の大切さを身をもって学んだのだと思う事にする。
3.教授や進路指導が勧める求人やめておけ、入社後も教授や進路指導の顔に泥を塗らないよう気に掛ける必要が出てくる
4.就職サイトを頼るな志望する職種を見つけたら大学や就職担当の言い分は無視してどんどんエントリーしろ
5.バカバカしいと思ってもSPIと論文対策はしておけ、そうでないとスタート地点にも立てない
6.入社試験がないもしくは簡単な企業には気を付けろ、少なくとも入社しようなんて考えるな
7.就職フェアに行く時間を資格の勉強時間にしろ、就職フェアは一部のエリート以外には無駄だ
8.大手は有名私大か国立大卒の人間が行く所だ、それ以外は優秀な頭脳もしくは技術もっていなければ企業のレベルを下げろ就職できないぞ
9.転職前提で入社しろ、新卒で入社した企業に骨を埋めるなんて余程の適性がない限り無理だ
男性客相手のソープランド、売春、性風俗、パパ活があるように、女性客相手の性風俗で、女に好色な目で見られて、異性の性欲を満たされるために、売春して小銭を稼ぎたい人生だった。
・就職サイト、転職サイトで、何回も面接して、好きでもない企業に就職して、好きでもない仕事で、少ない賃金を稼ぎたくない。ブラック企業や、低賃金の仕事、体を酷使する営業職で、人生を終えたくない。
・就職氷河期世代だって、仕事に恵まれてなくて、仕事にやる気を感じない同世代だって、簡単に金を稼げるなら、やりたいだろ
・タレント、グラビアアイドル、女子アナ、女優が、常にエロ目線で見られて、性欲を満たす「仕事」をして、気軽に性を消費されてるのに、女性は、性欲を満たす消費対象がどこにもないよな
でもあんまりいい求人ないな、それに落ちた理由も詳しく教えてくれない。
そして昨日、ハロワが行う合同面接会で応募した企業の最終面接が落ちた。
うまく説明できなかった。話がかみ合わなかった。説教めいたことも言われた。
威圧感がすごく、緊張した。質問を返すのに精いっぱいで熱意を伝えられなかった。
だから落ちたんだと思う。
だが受かっていれば就活は終了していたはずなのに。
えっと、えっとと言いながら話す。聞き取りづらいと思うが治らない。
緊張していることと準備不足だからだろう。
最近は転勤なし・土日休みという「条件」で探す就活をしているからだと思う。
そもそも、求人を出している企業が少なくなってきていることもありあまり業界を
絞っても意味ないんだと思う。
企業研究や同業他社との違いを理解しろと言われるがどうしろっていうんだ。
ホームページや就職サイトをみる、または会社説明会ぐらいしかない。
日経テレコムは非上場の会社の情報はあんまり載っていないとわかった。
何よりつらいのは卒論が終わっていないことと周りが内定貰っていることである。
ツイッターをみると楽しそうに遊んでいるのがとてもうらやましい。
恋人も気を使ってくれているのが痛いほどわかる。つらい。
独り言が多くなった
就職したい気持ちはあるがやる気もなくなってまあなんとかなるっしょ
って開き直って楽観的に考えてしまうこともあるがやっぱり最後は死にたくなる、つらい。
だから働いている人を見ると面接をクリアした人たちだ、すごいなと思う。
社会人になりたい
もう就活なんて嫌だ
バカな話なんだけどさ。
んで、ギターやってたからボカロPでもやるかと思ってやり始めたんだが、再生数って全然伸びねーのな。
そんなんで1年の空白ができたんだが、親の伝手で面接に行ったんだけど最終的に落ちちまった。
受かりたくなかったわけじゃないんだ。
ただ、自分が音楽以外のことをしてるイメージが湧かなかったのな。
もう歳もアラサーに近くなってきたし、とりあえず仕事に就いて収入を得なきゃならん。
それで、自分がなんの仕事したいか、必死で考えてるんだがなんにも浮かばないんだ。
もちろん死の恐怖を乗り越えられるんだったらとっくに死んでるから、自殺もできねぇ。
ってとこまで考えて、ああ俺ってただのニートだったんだって愚かにも初めて気づいたってわけさ。
夢追い人と書いてあったら、それはニートと読め。
ずっと就職サイトとかニート脱却とかなにもしたいことがないとか死にたいとかGoogle検索して今日も1日が終わる。
これからどーすりゃいいんかね。
私は、仕事が大好きだ。大変なこともあって嫌いな人も多少はいるけど、達成感や日々何かをやらないといけない義務感は、とても心地がいい。食べるものに困るほど貧乏じゃないこと、他人から独立できる喜びもいい。
そんな私は最近プロポースされた。相手は私より5つ年上で、とても愛情深く優しい人だ。あれほど懐の広い人はいないし、私は彼のことを非常に尊敬している。
彼は山奥の工場で開発をやっていて、私は都会の出張所で彼の作る製品を売っている。新幹線で2時間かかる距離が私たちの間に横たわっている。月一回会うか会わないかの遠距離恋愛はとてもしっくりきていたけれど、私は結婚しよう、と答えた。もう20代後半だし、この人しかもう、愛せないと思ったし、結婚してもいいころかな、と思った。
でも、そしたら私が辞めないといけないわけで、でも、私は仕事が大好きなわけで。彼は一緒に住みたいからプロポーズしたわけだし、一緒に住まないという選択肢はないみたいだ。
私は仕事を辞める選択肢がなくて、2人でどん詰まりにはまって、彼氏の限界が来た。普段決して発さないような拗ねた声で「君が仕事辞めないなら、じゃあ俺が仕事辞めてそっちで仕事探す」って言いだしてびっくりした。彼がそういう、人を困らせるようなことを言ったのは初めてだった。
彼が辞めたら、困る人がたくさんいる。彼は良く働いてとても明るくて、仕事もできる。私と彼と天秤にかけたら、彼に傾く。任されている仕事の多さも、責任の重さも、知識の重さも、発言の重さも、肩にずっしり積もる会社から期待の重さだって段違いだ。私の大好きな会社にとって、彼は必要だ。
私が辞めるべきなんだろうなって思う。わがままを言い続けていた私は、彼の決断に脅されてびくびくしながら転職サイトを開く。
別れるという選択を私が選べない以上、どうするべきも、こうするべきもない。