はてなキーワード: 国際問題とは
政治参加のハードルが高いと感じている人にとって“投票に行く”ことは“新聞を読む”ことと同様の難しさがあるのではないだろうか。
私は大学在学中にメンタルを病んで就活に失敗し、就職浪人の末に地元の小さな中古車販売会社の事務に採用された。社員の年齢は幅広いがほとんどが高卒以下で選挙の時期は毎回それとなく話題に出してみるが、投票に行ったという話は聞いたことがない。
私は親も友達も投票に行くのは当たり前という環境にいたので、学生時代は「投票に行かない奴はありえない!そいつらだけ増税して欲しい」なんて意見に首肯していた。しかし、今の職場に来て彼らと仲良くなりマインドが似通ってくるにつれ、「現代の投票ってすごく高度で複雑な営みじゃないか?そこを無視してすべての人に当然のように求めるのは傲慢じゃないか?」と思うようになった。
Twitterもはてなでも投票に行く人がマジョリティに見える。でも現実の投票率はあの通りだ。私はこの違い(というか分断)が恐ろしく、行かない人の理由を聞いたり考えたりするようになった。その結果、冒頭で述べたように“投票に行く”ことと“新聞を読む”ことに類似する性質を見出した。
新聞(特に全国紙)を読んで国際問題や経済の動向を知っておくことは、社会的には大人の義務とされている行為だ。就活の面接で聞かれ、全然やっていません!と明言したならば落とされること間違いなしだろう。しかし、実際に新聞を読んでいる層は高所得層、知的労働者、社会構造に強い関心がある人に偏っているんじゃないだろうか。なぜなら「新聞を読むことは難しい」からだ。
専門用語が何の断りもなく出てくるし、あの細々した長文を読むのは訓練が必要だし、何より面白くない。新聞社の右だの左だのの傾向もよく分からない。そもそもリベラルってどういう意味?という人もいるだろう。
戦争、テロ、震災は回りまわって私たちの生活に影響を与えるだろう。でも、そんなニュースに関心を持ったからといって来月の給料がガクンと上がったり下がったりするわけではないし、仮にそんな変化が起きたとしても私にコントロールできるものではない(と感じる)。
新聞を読むことは大事だ。ただ同時に慣れていない人にとってはとても大変だ。仕事に疲れて帰宅し、晩飯を作って食べて食器を洗って風呂に洗って歯を磨いて床につく。ここにその努力をする隙間はない。政治に関心を持つことも同様に大変なのではないだろうか。
私の職場では新聞を読んでいる人はいないようだった。恥ずかしながら、私もそうだ。投票はするが、積極的に新聞は読まない。だからこそ、遠回りながら「新聞を読んで!」と言われることを想像することにより、「投票に行って!」と言われる人たちのしんどさを疑似体験することができたのだった。
じゃあ投票に行ってもらうにはどうしたらいいのか。
社会は多様な人がいて利害関係もごっちゃごちゃで本当にほんとうに複雑すぎる。政党マッチングのようなサイトもあるが、同性婚とか、憲法改正だとかよく議論されている大きなトピックの賛成反対しか評価項目がなかったりする。でも私のような木っ端一市民の生活に直結してくる政治はもっと地味かもしれない。例えば、私は精神科の5分診療が本当に辛いので通院精神療法の診療報酬点数を即刻改善してほしいと思っている(諦めつつあるが…)。中古車関係でいえば、昨年に販売価格の表示について規約改正がありその対応に追われた記憶は新しい。
職場の人たちは、衆議院における与党の議席数は気にしないが、市役所の新庁舎建設には興味を示す。毎日見かけるし、建設業者に身内がいたりするからだ。関連して県議会議員よりも市議会議員の選挙の方が若干投票率は高い。具体案は出せないが、この当事者意識の範囲を広げていくことで投票率を上げることはできるのではないだろうか。
個人的に投票は国民の権利としてぜひとも行使すべきと思って実行しているが、いけすかない大卒だった私にとても良くしてくれた人達と分断されてしまうのが怖いので、今後職場で選挙の話は避けようかなと思っている。
彼らは投票に行かなかったとしても人間的に尊敬できる人ばかりだ。「投票に行かない人は愚かだ!」と責めるよりも、もっとよい歩み寄りの方法がないか今後も探していきたいと思っている。
アサクリ弥助問題があまりにも複雑怪奇になっているのでどんなスタンスの人がいるのか、自分用のメモ。
特別くわしいわけじゃないので、間違ってる箇所は多々あると思う。
下にいくほど複雑かつ解決が難しくなっていく。
ーーーーーーーーーー擁護派ーーーーーーーーーー
・ゲームだしいいだろ派
・面白ければいいよ派
・盗用は謝ったしいいだろ派
~~~~~歴史問題~~~~~
・弥助は侍だと思う派
・弥助は英雄と見てもいいでしょ派
~~~~~国際問題~~~~~
ーーーーーーーーーー批判派ーーーーーーーーーー
・デザイン盗用とかいろいろお粗末すぎだろ派(UBIに日本に対するリスペクトなさすぎ)
~~~~~歴史問題~~~~~
・弥助は侍か言い切れないよね派
・もはやアサクリうんぬんではなく弥助の誇張問題となってる派
~~~~~国際問題~~~~~
①それぞれのスタンス・認識の差が大きいため、各層を隔てて会話すると会話が噛み合わないこととなる。
例えば歴史問題と認識してる人が弥助が侍か否かを話しても、国際問題だと認識してる人には現状の問題はそこじゃないとなる。
逆に国際問題だと認識してる人の意見を歴史問題と認識してる人が見た場合は、そんなことに興味ないとなる。(そもそもアサクリからトーマスロックリー氏の騒動まで把握するのが難しい)
②擁護派批判派どちらにも言えることだが、デマを流す、文章をちゃんと読まない人が多く、どれが正しいのかを把握がしづらい。
それぞれ自分の立場に有利な情報を意図して、または意図せず流すのでかなりめんどくさい。
③国際問題として話す人の中には国内外の右翼左翼の政治活動家もいるため、とてつもなくきな臭くなってる。
極端な意見をいう人も多い。
④発端がゲームであるためどうしても初めてこの問題をみた人は軽くみがち。
⑤5月くらいからほぼ毎日毎週燃料が投下されるくらい問題が発生しており、追うのが大変。
今どういう気持で生活してるの?
煽りとかじゃなくて、素朴な疑問。
ネイティブアメリカンに嫁いだ日本人のブログに、「一番納得した」とか「恥ずかしながら知らなかった」とかにたくさんスターがついてたみたいだけど。
結局彼らの「コロンブス」は、コロンブスが行った歴史破壊を肯定して、ネイティブアメリカンに対する差別的な思想を表現することが目的だったのかということ。
もしそうだったとしたら、公開停止して謝罪する程度で終わる問題ではないよね。
制作過程を明らかにして、一つ一つのシーンについても検証したうえで然るべき団体や当事者に向けた謝罪がないとだめだよね。
まさか第三者がブログで検証した内容だけで事実認定なんてできるわけがないし。
それすらなく、そんなやばいやつが未だに毎日のようにテレビに出て歌ってる状況は国際問題にもなりかねない状況なわけでしょ。
あのとき彼らを差別主義認定してた人たちは、そんな彼らがテレビに映る度にどんな気持ちになってるの?
勘違いしてほしくないのは、あのブログが嘘であるとか、原住民の反応が嘘であるとかそういう話をしたいわけではないのね。
そう感じるのは当然個人の自由であるし、意図するしないに関係なく、そういう風に見えてしまったことは否定ができないから。
問題は、「そういう意図で作られたものだ」と断定していた人たちなのよ。
この違いが解るかな。
「そういう風に解釈できる」と、「だから彼らは差別主義者だ」の間には、本来越えられない壁があるってこと。
今回の件において、その点についての事実認定はまだ行われてない。
「差別主義風のMVを作った人たち」までは事実認定だとしても、「差別を目的としてMVを作った」という事実認定はされてない。
この違い、わからないよね。
わかってるくらいなら、あのブログのあんなブコメにスターなんて集まらないのよ。
ここで質問です。
事実認定さえされていないことに対して、自らの主観だけで事実認定を行う人をなんて呼びますか?
差別主義を批判しているつもりが、自分が差別主義者だったと気づいた気分はどうでしょう?
受け入れられないですよね。
だからいなくならないんですよ。差別主義者って。自覚がないから。
そういう意味では、あのブログは差別されてきた人に寄り添うはずの人が、MVの解釈を説明するだけで終わらずに、ほぼ事実認定に近い形での言及を行っていたことは正直残念でした。
「偶然はこんなに重ならない」というのは、陰謀論が広がるときに使われる常套句のようなもので、むしろどうとでも解釈できるようなものを都合のいい解釈として並べてる時点で偶然でもなんでもない、意図的なものでしかないわけです。
ちなみに自分はMrs green appleの擁護者ではありません。
実際に被害者の存在する歴史問題を、自らの勝手な解釈で矮小化したという意味では、ある意味彼らも差別主義者であると思います。
多くのブクマカ達が行った差別主義認定とは全く違う解釈ですけど。
あのとき振り上げた正義の拳は、彼らがテレビ画面に現れる度にどうしてるんでしょうか。
今でも元気に振り回してるんでしょうか。
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質は正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
あれっ他の人が二十代って言ってたけど違うんや?
まあいい勉強したと思ってなにが怒られたのかちょっと考えてみてねー?とかは思うけど。
怒ってる人たちはそれはそれで言いすぎやろって感じする意見もあるけど、いくつくらいなんかね?
まあBTSの件とかそういう例もあるし
https://www.bbc.com/japanese/46148159
ああいうのが下手したら国際問題に発展する可能性もあるかもって考えたら捨ておけないので
大人は対外的にちょっと大袈裟に小言を言っとくポーズは一応見せとかないとっていう気持ちもわかるけどな。
日本も大戦以前は植民地支配やろうとしてアジア方面からいまだに恨まれてるし
賛同してるように見えても批判してるように見えてもそれはそれで不興を買いそうだしな。
こんなんで「日本の若者は今、極端な政治思想に走っている」とか変に政治材料として利用されても困る。
まあでもそういうのまだわかんない若者がやらかしたことに本気で目くじら立てるのも変だし
そこまでわかってないのに叩いてる人たちは何を怒ってるんだ?と思わんくはない。
っていうことなんだよね。
まともなセンサーあれば体臭の話よりそっちの臭気がキツすぎて「うおっぷ」ってなるんだけど
例によってはてブ民は文章から情報を掴む能力死んでるのでどうでもいい体臭の話をしている。
正直もう全文おえっぷなんだけど、
自分のことを「ちょっと面白い主人公」だと思ってるおじさん特有のくっせー文章やめてほしいんだよな。
フミ〇〇〇〇とか〇ッ〇ーみてえな悪臭が発生してるんだわ、こいつの文章全文から。
わかる?
チョコザップやればいいっていうけど、多分俺がチョコザップいったら「凄いクサイオッサンが出没して臭すぎて辛い」ってツイッターで晒されて、数ヶ月も通ったら職場でそれが話題になっちゃう気がするんだよね。
でも家に運動するスペースはないし、かといって近所を走っても「クサイおっさんが街を走っているんだけど、あれはゾンビなのでは?」みたいな感じで都市伝説化しそう。
ボクがボクがボクがボクが。
こいつの文章ってすべて同じで「周りの人がめっちゃボクに関心ある」って前提で成り立ってるんだわ。
ボクがみんなの話題に。ボクが都市伝説に。(なるわけねーだろバカ)
俺と話すときだけおもむろにマスクをして口呼吸を始める新卒の子とかさ、職場で大掃除する時に俺の椅子にだけファブリーズしまくる人とか、近くを通るたびに小声で「くっせえ」」と言ってくる高卒のクソガキとか、ソイツらに対して「せんせー!増田くんが可愛そうですー!」と言った所で職場全員-1VS俺になるのが目に見えてるから体臭を解決しようとしてるだけなんだよね。
テレワークとかも考えたんだけど、今の体臭で面接に行ったら「えっ・・・コミケ前には風呂に入るのに面接ではサボるんですか!?」みたいな感じで落とされそうじゃん?
俺が近づくと空気清浄機がブオオオオオオオオと激アツグラボみたいな声で泣き出すから何らかの臭い物質を周囲に放射しているのは間違いないらしい。
わかる?
こいつこれ悩んでるんじゃなくて「ボクを中心に巻き起こるドタバタ面白エピソード」を披露してんだよ。
ボクまたなんかやっちゃいました?つってるだけ。
俺はこいつの文読んでるあいだじゅう悪臭で鼻曲がりそうだったけど
この臭気を全くかぎ取らずに表面の話題に反応して体臭対策のアドバイスしてるブコメの奴等は
こいつがおじさんじゃなくて若い男だったとしても言うべきことは同じ。
「誰もお前にそこまで関心ねーぞ」ってだけ。
ただ20代前半くらいの若い男がこいつと同じこと言ってるならまあ、
「若いし自意識過剰なんだね」「そういう時期あるよね」などと酌量される余地もある。
ボクの話するのがだーい好き。おじさんはねえ。おじさんはねえ。
自分のことを面白いだけじゃなく「ワンチャン可愛い」ぐらいに思ってるぞこれ。
つうかとにかく運動したくないよ。
運動、嫌いだよ。
そもそも運動がただでさえ嫌いなのに「お前臭すぎる」って虐めてくるような奴らに媚びるために運動したくないよ。
運動したくないy-。
こんな風に自分の気持ちを書きつらねるだけでコンテンツになると考えるのってたいていは若くてバカな女なんだけど
それをおじさんがやっているのは相当な傑物。
健全に自己肯定感が高いとかそういうのとは別の何かを感じない?
俺は別に「もっと卑下しろ」とか余計なお世話を言ってるんじゃない。
よくある「「自分の人生の主人公は自分!」みたいなそういうのはいい。
けど他人から見た自分、周囲の人にとっての自分は別に主人公ではないという認識、
そこが毀損してる人間は「ポジティブ」でも「人それぞれ」でもすまない人格異常の匂いがする。
つうか出張で汗だくの日にちょっと空いてる電車に乗ったら、俺の周りだけ人が全く近寄らないし、新しく乗ってきた大学生が「え?なんか匂わね?」「壊死おじじゃね?」とか話してて俺と目が会った直後になんかギョっとした顔してから別の車両に移ったりとかしてるのはさ、流石にもう俺だって自分が歩く公害だと認めるしかない気がしてくるわけよ。
それでもさ、体臭で人を差別するような態度を取るような奴ら、社会は気に食わないっていうかさ。
たとえば韓国からの技能実習生が「キムさんってキムチ臭すぎて一緒に働きたくないから一人で出来る仕事やらせてるよ―。教育出来てない気がするけど臭いから隔離も仕方ないよね―」とかやられてたらそれはもう流石に国際問題じゃん?いやいやその前にお前が臭い問題だよってかもうええわ
どうよこれ。
これ一読してパッとわからない人間はもうしょうがないんだけどさ。感覚器かないんだろうから。
これは「ボクチン面白いでしょ!」って言ってるだけだぞ。全文。
であればこいつが延々悩んでる(ふりをしている)超人的な体臭の正体とは何か?もうわかるだろ。
要するにこいつは
「周囲の人間全員ボクのことを気にしている!
誰もボクの影響から逃れられない!
ボクはそんなつもりないのに!嫌なのに!でもそうなっちゃうううう!」
つってるだけ。
職場で迷惑かけまくってて立場ヤベーって話なのに、職場の年上の人間や上席の人間の反応はまったく気にしてないの。
家でも迷惑かけて「虐め」られてるはずなのに、妻子のリアクション描写皆無。
近くを通るたびに小声で「くっせえ」」と言ってくる高卒のクソガキとか、
新しく乗ってきた大学生が
こいつの体臭にリアクションするのは新卒の子だの高卒のクソガキだの大学生だの、ほぼぜーーーんぶ若い人間。
まとめると
・ボクから放散される人とは違う何かが周りにリアクションを取らせている
もうこれどういう人間なのかわかるだろ?
虐められてるだのなんだの卑屈っぽく言いながら
異様に自意識強くて自分大好き丸出しなのも全部繋がってるよな。
自意識や自己愛が強すぎる、要するに人格障害が丸出しなために周囲に嫌がられてるんだけど
当人はそれを自分の才能やセンスやカリスマ性の影響、自分が特別な存在である証拠と思ってる。
周囲の反応だってむしろモテてるぐらいに心のどっかで思ってるから。それぐらい認識歪んでっから。
「若い人間に指向的に”体臭”をまき散らしたがっている主人公幻想おじさん」の話だということはわかる。
何をすればいい?
俺はこう見えても年収4桁コンサルだったこともあるので、作戦立案は得意なのだが、会社が用意してくれた看板と人脈抜きでそれをやる能力は低いから詰んでしまった。
友達0で家庭内・職場内ともにムラハチぎみのおじさんにはここの難易度が非常に高い。
俺が近づくと空気清浄機がブオオオオオオオオと激アツグラボみたいな声で泣き出すから何らかの臭い物質を周囲に放射しているのは間違いないらしい。
ケトン・ワキガ・ゲオスミン・4-メチル-3-ヘキセン酸とこの世界には数多くの臭いの原因や成分があるが私はどれを発しているのか。
ネットで検索したら「Tシャツを24時間着て送りつけたら分析してくれるサービス」が1万円~3万円で存在するようだ。
だが待って欲しい。もし体臭の主成分が「後追い尿漏れジミによるアンモニア臭」だったら?上半身のチェックで意味はあるのだろうか?
まあ正直、ここまで嫌われているならたとえそれが尿漏れシッコ臭だとしても自分の上半身ぐらいはみっちり覆われているだろうから調べられそうではある。
たとえば「石鹸変えたから臭い減った?」「臭いが混ざって悪化したから死んだほうがいい」って気軽に教えてくれるようなトレーニング木偶が欲しい所だ。
コニカミノルタが一時期売っていたケトン臭チェッカーはいい線言ってたが今はもう販売中止しているらしい。
販売を辞めているということは、きっと何かが駄目だったんだろうし、類似品をアマゾンで調べるという選択肢は消える。
現状としては
・色々試しつつ周囲の反応で察する
の三択だ。
うーん。
だからって「父さんな、クサすぎて会社で虐められているから動物性タンパク質は控えたいんだ」なんて下手に口にしたらいよいよ家に居場所がなくなっちゃいそうだ。
豆乳を食生活に投入したり、ヨーグルトをよう食うとどうなるか試したりしてるが、本当に効果があるのか疑問すぎる。
アマゾンやドラストで売ってる30日3000円ぐらいの謎い体臭サプリが最近気になってきたが、単なるコンプレックス商法でほぼビタミン剤と食物繊維なんじゃねーか疑惑があって手が出ない。
聞くのか?
チョコザップやればいいっていうけど、多分俺がチョコザップいったら「凄いクサイオッサンが出没して臭すぎて辛い」ってツイッターで晒されて、数ヶ月も通ったら職場でそれが話題になっちゃう気がするんだよね。
でも家に運動するスペースはないし、かといって近所を走っても「クサイおっさんが街を走っているんだけど、あれはゾンビなのでは?」みたいな感じで都市伝説化しそう。
つうかとにかく運動したくないよ。
運動、嫌いだよ。
そもそも運動がただでさえ嫌いなのに「お前臭すぎる」って虐めてくるような奴らに媚びるために運動したくないよ。
運動したくないy-。
最大の壁はこれなんだよね。
結局さ、俺が体臭を改善したいのは「人間は他者のために生きるべきだ」って意識の高まりではなく、単に虐められたくないからだよ。
俺と話すときだけおもむろにマスクをして口呼吸を始める新卒の子とかさ、職場で大掃除する時に俺の椅子にだけファブリーズしまくる人とか、近くを通るたびに小声で「くっせえ」」と言ってくる高卒のクソガキとか、ソイツらに対して「せんせー!増田くんが可愛そうですー!」と言った所で職場全員-1VS俺になるのが目に見えてるから体臭を解決しようとしてるだけなんだよね。
テレワークとかも考えたんだけど、今の体臭で面接に行ったら「えっ・・・コミケ前には風呂に入るのに面接ではサボるんですか!?」みたいな感じで落とされそうじゃん?
嫌なんだよね。
つうか出張で汗だくの日にちょっと空いてる電車に乗ったら、俺の周りだけ人が全く近寄らないし、新しく乗ってきた大学生が「え?なんか匂わね?」「壊死おじじゃね?」とか話してて俺と目が会った直後になんかギョっとした顔してから別の車両に移ったりとかしてるのはさ、流石にもう俺だって自分が歩く公害だと認めるしかない気がしてくるわけよ。
それでもさ、体臭で人を差別するような態度を取るような奴ら、社会は気に食わないっていうかさ。
たとえば韓国からの技能実習生が「キムさんってキムチ臭すぎて一緒に働きたくないから一人で出来る仕事やらせてるよ―。教育出来てない気がするけど臭いから隔離も仕方ないよね―」とかやられてたらそれはもう流石に国際問題じゃん?いやいやその前にお前が臭い問題だよってかもうええわ
つまりね、皆でよってたかって「俺の身体と違う匂いがするお前は異常者だ。俺達は自分と違う匂いがする人間は許さないぞ」って態度をとるのが差別的なんじゃないですかってことだよ。
そしてそんな差別的なことをする奴らの言うことに従うような真似を選ぶ自分がちょっと許せないんだよね。
目先の損得勘定のために、自分達を不当に扱う連中に諂うわけだよ。
肉屋を指示する豚って奴だ。
本当にもうそれが嫌なんだよね。
だからやる気になれない。
結局のところ、「臭いが自分でわからない」「臭いを理由に差別する奴らに迎合したくない」という2つの大きな壁に阻まれて動けなくなってるわけ。
マジでどうしたらいいんだろうね。
皆が背中を押してくれたのでひとまず体臭検査キットをポチった。
体臭外来については色々ググってるうちに引っかかった概念なんだけど、正直自分でも「え?具体的にはどこ?」となってしまった奴なので、「え?なにそれ?」となった人の感覚が多分正しい。
一応誰か知ってるかも知れないからはてなの集合知を利用したのだが、思ったよりも曖昧な結果にしかならず、皮膚科のワキガチェックや精神科の自臭症チェックが混ざりあって産まれたんじゃないかなと。
保険料負担の仕組みを考えればドクターショッピングで色んな病院を渡り歩く方が結果的に安そうなんだが、低賃金ながら独身で金は割と余っているので検査キットで楽をしてしまうことにした。
ネタバラシするけど、俺が年収4桁コンサルを名乗ったのは「は?この程度のやつがコンサル?は?正論パンチで論破したろ!」という反応を引き出して情報収集チャンスを増やすための騙りだ。
コンサルなんてやったことがない普通の事務職だし、年収はくそほど残業してた頃に600万円貰ったのが最大だ。
4桁万円じゃなくて4桁なのは「数千円で草」という反応を引き出して少しでもホッテントリに入るためのフックにすぎない。
昔からワキガっぽかったのと理屈っぽかったのと清潔感が全体的に無かったぽかったのが合わせって彼女がいたことはない。
空気清浄機がブオオオオオするのは事実だし、職場でイジメられてる(ような気がする)のも事実なので、体臭についてはガチで悩んでいる。
出来れば「Tシャツ送ったけどGPTに出力させたようなレポートしか来なかった!医者に認定されてるワキガなのにワキガ成分0だったから完全に詐欺だわ!」とか「◯◯科で△△検査お願いしますと言えばええぞ。全国チェーンの〇〇クリニックがオヌヌメ」みたいな情報が欲しかったのだが、同じように悩んですでに行動に移した人はあんまいないみたいだな。
なんかみんな思ったより体臭についてガチめには悩んでないというか、「医者に行ってガチで対策するほど臭い奴なんて一部の異常者だけだし、俺は異常者ではないぞ」という感じらしく、なるほど、こういう感覚の人が沢山いるなら、俺が一部の異常者として職場で虐められているというのも精神疾患の見せる幻聴ではないのかもって気がしてきた。
というわけで、色々考えた末に行動には移せたのでこの増田を書いた目的は達成された。
内臓疾患、ワキガ手術の必要性、特殊な体質(周期麻痺起こしてる魚臭症とかの最悪オチも0じゃないからな…)、部屋がくせーんだよ、全部妄想だったのでメンタルの病院にいけ、など様々なパターンがあるが、無臭妄想オチ含めて結果さえあれば何か動けるだろ。
結果が正しいことを保証してくれるものがないのが恐ろしんだけどな…。
読み直してみると「病院行くだけでいいだろ(≒さっさと手術しろクサクサモンスター)」みたいなコメントも結構あたのですが、そういう人には同じ増田の先輩が描いたとても素晴らしい手術レポートを一読くだされ。
体臭改善というものを簡単に捉えている人は情報収集と共感能力の足りない無能なサイコパスなのです。
いや、この世界におけるあらゆる個人的な病理に対して簡単に大手術を要求するような人は全て、自分の無知に無自覚な恥ずべき人間なのでしょう。
私もまた、そういった人達の情報収集能力の低さ、つまる所は「もって産まれた頭の悪さや、情報社会への適応能力の低さ、医学知識の浅薄さ」に対して、「可哀想に大目に見てあげよう」という気持ちを持つべきなのかも知れませんね。
そうですね。
物を知らないから他人に冷酷な対応をしてしまう人は、幼いまま大人の社会に組み込まれてしまった哀れな弱者なのですから、大人の態度で許してやらねばらないのかも知れません。
私はわたしの問題を淡々と、私の中で納得のいく形で対処していき、それに対して他人がつけてくる文句に対してはあくまで他人の個人的な思い込みに基づく感情論として一歩引いて冷静に対処していくべきなのでしょう。
「共同親権」に反対する、離婚して二人の子の親権を持つ女性に鴻上尚史が語った考えとは | AERA dot. (アエラドット)
「選択的夫婦別姓」は25年以上議論しているのに、なかなか進みません。けれど、「共同親権」は、2024年中の成立を予定しているという爆速です。議論され始めて数年ですよね。
海外で国際結婚をした日本人妻が離婚後一方的に子供を連れ去り、単独親権である日本の制度を盾に夫に子供を会わせないというケースが過去多発してきました。
しかし子供を連れ去られた外国人夫やその関係者の活動の結果、2020年欧州議会で日本人による子供の連れ去りに対する決議案が圧倒的賛成多数で採択されました。
欧州議会、日本におけるEU市民の親からの子の連れ去りに警鐘を鳴らす | EEAS
欧州議会は、日本での親による子の連れ去りから生じる子どもの健康や幸福への影響について懸念を表明した。また日本の当局に対して、子どもの保護に関する国際法を履行し、共同親権を認めるよう法制度の変更を行うことを求めている。
この後、共同親権を認める方向に政府が「爆速」で動き始め、2024年度中には共同親権を導入する民法改正案が成立する見込みとなっています。
日本人妻が連れ去りなんかするから、外国政府が日本政府に圧力をかけて共同親権導入目前にまで至ってるわけで。
しかし、なぜか共同親権反対派はかたくなに日本人妻問題に触れません。
「DVが」とか「選択的夫婦別姓は進まないのに」とか、酷い人になると「統一教会が」とか言い出す。
問題はそこじゃないんだよなという反応ばかりです。
なんなんでしょうね。
すっとぼけてるんですかね?
これに言及している料理人や専門家は皆無なのでここに記録しておく
「あぁそれね、俺は大昔から言うてたけどね」鼻ツーン
さて、本題、結論、「今や国産よりも外国産の方が安全です」ドーン
国産業者は抵抗キャンペーンを張り、輸入品はヤバいと宣伝し消費者に刷り込んだ
これが未だに生きている
古いんです、知識が古いんです
2023年東京オリンピック、選手村では選手たちに日々の食事が提供されるのだが
主催者のIOCはリスクのある食い物を世界トップアスリート達に提供できない
IOCは厳格なレギュレーションを要求しており、その一つがGlobal-GPA取得。必須事項。
世界の食品流通はこの認証を取得していなければ事実上国境を超えられない、スーパーには卸せない。日本を除いて。
日本はG-GAP取得率が極端に低いのでオリンピックに供給できなかった。
苦肉の案で、選手村の外に日本食レストランを作りIOC管轄外で選手の自己責任で食うてくださいという屈辱的な施設が作られた。
選手は選手村でしかメシを食えないわけではない、勝手に出歩いて自費でそこらでメシを食うても構わないのだ。そういう建前
日本のG-GAP取得農家は750経営体、ちなみに日本の全農業経営数は100万経営体
世界基準で言えば日本の農作物は、正当な認証下で生産されてない、安全性が担保されてない、得体のしれない食い物、です。
そんな認証なくても日本の農家は善人しかいないので問題ない、厚労省だか農林水産省がちゃんとやってるもん、日本は凄い国だもん
ふーん
日本は高温多湿で欧米とは主要作物が違う、散布方法も農薬の成分も違う、と言うのだが
確かにその通りで、日本よりも劣悪な高温多湿の国でも日本よりも使用量は少ない国は多い
水田の米と乾田の小麦では流出する農薬の量が違うため多めに散布しなきゃならないというが
タイは日本よりも高温多湿は酷い、稲作をやっているが、農薬は日本の100分の1
使用成分に関しても欧米では早々に使用を禁止制限されたグリホサート、ネオニコチノイドなど日本では規制どころかむしろ緩和をした。
2015年、この時期欧米で規制が始まったにもかかわらず日本は
クロチアニジンとアセタミプリド、チアメトキサムの残留基準値を緩和、フルピラジフロンを追加承認している。
欧米でまったく使えないわけではないが残留基準値は厳しかったり、成分規制があったり(クロチアニジンはほぼ使えない)、使用用途も葉物ではなく果樹、穀類に制限されていたり、散布方法も制限されている。
ドローンを使った空中散布の希釈倍数なども年々緩くなっている、農家からの要望があれば議員はすぐに動く。
年々検査を減らしてる、そもそも日本の農水省は検査の意味を履き違えてる
「長年検査しているが検出限界以下が続いているのでこの成分検査辞めます」
おーい
あ ほ で す か?
日本のお百姓さんは善人しかいないので規制成分を勝手に使わない
検査されないからと言ってそれを使わない、そんな悪人いませんキリッ
こーゆー前提なの。ナメてる?
諸外国はどんどん検査項目を増やします、検査は抜き打ちランダムにやります。
海外は不正がバレたらG-GPA認証を取り消され事実上出荷不可能となるので詰みます。
農林水産省は「国内産農産物における農薬の使用状況及び残留状況調査の結果について」という調査を毎年行っている。
古いものは平成15年から令和最新まで開示されているので見比べて欲しい。
年々調査対象作物を減らしているのがわかる。
さらに詳しいデータもあるのだけど調査項目、成分も毎年減らしていってるんです。
ヨーロッパ30ha
アメリカ100ha超え
生産作物が違う?
日本、1ha
カリフォルニア、161ha
オーストラリア、51ha
行政が厳しく指導しようとしても議員に泣きつかれる、大票田なので議員も動く
経営単位が小さいので農業地域全体の面制御がしずらく農薬は過剰に使いがちになる
小さな単位で暖かく目配りの効いた丁寧な農業、みたいな漠然としたイメージもある。
その方が安全で安いんです。
2008年に発覚した中国製ギョーザ中毒事件、犯人は無期懲役を食らっている。
その他にも、特に国際問題になった信用毀損に関して中国共産党は厳しく短期間の裁判で判決を出し見せしめ的に死刑が執行されるケースもある
海外の農家はG-GAPで縛られているので不正は即認証取り消しで経営が詰む。
取り消しは容赦ないです。だから不正やらんです、検査も抜き打ちだからすぐにバレる
一方日本は、例えば熊本偽装アサリ事件、確かに健康被害は出ていないもののこの事件で訴追された人は一人もいない、軽い行政処分が出ただけ。
毎年なにかしら食品偽装、不正が起きるが逮捕、訴追されることは皆無。
魚沼産コシヒカリの流通量が生産量30倍と言われ続けているが、何十年も行政は放置したまま。認証制度や罰則が整備されてないのでやりたい放題。
ここまで書いてやっても、
国産は農薬とか少なめで善良なお百姓さんが心を込めて作っているので安全安心
味の素は毒
いいんだけどねw