はてなキーワード: 光明とは
真空パックAVの人に対する当たりの強さを見ていて不思議に思ったのだが、思春期に見聞きしたものの影響の大きさというのはなかなか侮れないと思う。
「影響を受ける」というよりも正確には「もともと心の内奥にある異性への都合のよい期待や幻想が、助長され増幅される」と考えている。
女性なので少女漫画に親しみながら育ったが、そこに出てくる「女の理想を体現した完璧な(つまり女にとって最高に都合のいい)イケメン」が実在すると信じてしばらくのあいだ生きていた。もっと言えば、そういう人が自分だけのためにいつか目の前に現れる日が来ると疑いもなく信じていた。
子どものころのわたしは重度のコミュ障だったので、その世界観が是正されるまでに結構な期間がかかった。
漫画の中のイケメンに比べたら現実の男子は自分に優しくしてくれなくて、かっこよくもなくて、頭もよくないし運動もたいしてできない。
一方で、漫画の中のイケメンとまではいかなくとも、かっこよくて人望があって、みんなの人気者のサッカー部とか野球部とかの男子とはまともに目を合わせて話すことができず、彼らの前ではやたら挙動不審になってキモがられていた。
コミュ障ゆえに二次元の世界に逃げ込んでいた期間が結構長かった。
現実はどうやら漫画とは違うらしい、ということを頭では理解していても、気持ちの上で受け入れることをだいぶ長い間(今思い返してみると、高校の前半ぐらいまでそうだった)拒んでいた。
異性への過剰な期待とその裏返しとしての一方的な蔑み、というくだらない二極化から脱却して、男だとか女だとか意識する前にお互いに一人の人間として尊重しあうことが何よりも大切だ、ということに、もっと早く気づきたかった。
そうすれば、高校時代にもコミュ障なりにも周りの人と心の通い合う実のある生活を送れたのではないかと思う。
男女を完全にひっくり返しても、同じような地点を通過した人は無数にいると思う。
二次元なぞ有害だからなくなってしまえ、などと言いたいわけではない。
真に有害なのは、人間ひとりひとりの心の内奥にある、異性への原初的で利己的な衝動、むきだしの欲望だ。
それを引き出し、有形化し、増幅させるのが二次元だ。
現実とうまく付き合っている人ならば早々に現実と二次元の区別をつけられるようになるのだろうけれど、コミュ障はなかなかそれに気づくチャンスを得られない。
気づかないからいつまでも異性への幻想を捨てきれず、ますますキモがられて現実から遠ざかっていく。
そういう人間にとって、二次元っていうのは救いの光明なのか、それとも甘い罠なのか。
まあべつに規制しようがしまいが自分はもういい大人なのでどうでもいいんだけど、子どもによっては結構影響はあるよね、ということを言いたくて書いた。
病気持ちの老人大国になる日本で膨れ上がる社会保障費を抑える手段がないと日本が沈没するのは明白。
産業も経済もこれからジェットコースターのように廃れているく。
グローバル競争の中で企業は正社員を派遣に変え低賃金にすることで急場をしのいだ。
これから急速に膨れ上がる社会保障費は今以上に日本を圧迫していく。
そのうち超天才が現れ日本を救ってくれるとか呑気に妄想し現実逃避するしか手がない。
この超現実の中で一つの光明としてベーシックインカム案が湧き上がっているが
7~8万の最低限の収入は保証するがそれ以上の生活に関しては各個人に委ねられる。
現状で満足なら何もしなくても良い。
しかしその際、社会保障費はなくなるので病気になっても保険が効かなくなり
これではベーシックインカムに賛成する老人は少ないだろう。
60代以上になったら自分の判断で安楽死を選択可能にすればいい。
そして苦しまずに余生を終わらせてあげる。
病気で痛みや辛さに苦しみながらのたうち回って死ぬのは怖いから嫌だけど
安楽死で静かに死ねるのなら死を選ぶことを躊躇しない老人が多いはずだ。
そして病気で病院にかかる費用や年金などの社会保障費を抑えることができる。
がめつくてそんなことをしているわけではなく
終わりの見えない自分の人生を人に迷惑かけず暮らすためにやむをえなくそうせざるをえないから。
これをなくすためには老人に自分で終わりの時間を決めさせてあげればいい。
そうすれば余分な蓄えは必要なくなり老人も金を使い出す。
生きたい人は長生きすればいい。
今の日本の老人はがめつい自分のことしか考えていない老人ばかりのような報道もあるが
多くのまっとうな老人は自分が長生きすることで若い世代を圧迫していることは重々承知している。
そして医療が無駄に発達して簡単に死ねなくなってしまった日本において
よぼよぼの体に鞭打ちながら長生きしていてもなんにも幸せではないのである。
まだ体が動くならまだしも余命だけ無駄に長くなって
生産性のない出費がかさむばかり。
こんなの幸せでも何でもない。
人の役に立てるのなら
喜んで人生を終わらせたいと思っている心優しき老人で日本はあふれているはずだ。
これでみんなが幸せになれる。
死ということを扱うのでいろんな反発は起こると思う。
しかし、みんなが思っている以上に安楽死制度を提案したら賛成する人が多いはずだ。
怖がらず挑戦してみて欲しい。
だがそんなことを口にすれば、弟たちは俺を巻き込んだ上で面倒くさいことに発展する予感がした。
なので知らないフリを決めこうとしたのだが、弟の仲間の一人であるドッペルは目ざとかった。
「マスダの兄ちゃん、何か思いついた?」
「……いや、別に?」
「本当にぃ?」
弟たちの眼光が鋭い。
観念した俺は白状することにした。
「……本当に大したことじゃないぞ」
「それを決めるのは俺たちだ」
「……ガイドと名乗る、未来から来たとかいう人間がいるのは知っているか?」
だが、あいつの持っているアイテムの力が本物であることは、みんな薄々分かっていた。
或いは、と考えたのだ。
「なるほど……だめでもともとか」
「でも、今度はその自称未来人さんを探さなきゃいけないのかあ……」
「もしその人が本物なら、下手すれば既に未来に帰っているかも」
微かにさした光明も、その筋道のなさに弟たちの表情は曇るばかりだ。
「何だお前たち、知らなかったのか。その未来人は、いまシロクロのとこに居候しているんだぞ」
「ええ!? 本当かよ、シロクロ」
弟たちにとって、それは意外な人物だったようだ。
まあ、シロクロは身の上話をロクにしない上に、言動が怪しくてコミニケーションが難しい人物である。
なので、それを当たり前のように受け入れていた弟たちにとってはむしろ意外だったのかもしれない。
「なんで、今まで言わなかったんだよ」
「プライバシーポリシー!」
シロクロが分かるような分からないことを言う。
「そ、そうか……」
未来人は俺に門前払いされた後も何件か周ったらしいが、結局信じてもらえなかったようだ。
任務が終わるまで帰ることができないので途方に暮れていたところを、通りがかったシロクロに拾われたらしい。
まあ、シロクロは“アレ”だから信じるだろうな。
或いはシロクロ自身、謎の多い人間だから波長が合うのかもしれない。
ただ信じてもらえてもシロクロに話が通じているわけではないから、任務を遂行できず宙ぶらりん状態、といったところだろう。
「シロクロも大概だよな。そんな胡散臭い奴を住まわせてやってるとか」
「アイマスト! ゴードゥ! グッドシングス!」
シロクロが分かるような分からないことを言う。
弟たちはシロクロの発言を受け流す。
その後、十数秒かけてそれっぽい理屈を並べてシロクロを言いくるめ、自宅へ案内してもらうことになった。
そしてガイドと知り合いであった俺は、仲介役ということで付き添う羽目となった。
僕は大学卒業後にIT系企業に就職したが、ブラック企業で精神的に辛くなり辞めた。
クライアントからの狂った納期、無駄な仕様を理不尽に感じながら進める日々から解放されたが、ニートも暇だったので、結局プログラミングは続ける事になった。
約1年前から2chまとめ系のiOSアプリを開発していて、本格的にネイティブ機能を使って開発したのはこのアプリが初めてである。
昨日(4/23)に、ダウンロード数が突然500倍になるという夢のような出来事が起きた。
毎日、定期的にダウンロード数やアクティブ数などがわかるfabricという解析ツールをチェックしているのだが、その日は朝から明らかに数字がおかしかった。
たまに数字がバグっていてあとから修正されることもあるので、その日は半信半疑ながら定期的に数字を確認していた。
サーバーサイドはAWS+Rails+redisで構築しており、内部のDBやGAのevent trackingで記事の閲覧回数は計測していたのだが、
その数は普段より明らかに多く、fabricで見えている数字がすべてではなかったとしても今までの最高記録を更新するとは思っていた。
そして翌日(4/24)のAppStoreのランキングを見て、fabricの数字が異常ではなかったことを確信した。
ランキングの少し後ろには、日本経済新聞(17位)、NHK(21位)、朝日新聞(27位)など
アプリ開発に夢を感じる瞬間だった。
今まで地道に1年間、大きいものから小さいものまでコツコツ修正を積み重ねてきた。
基本的には、特別な事は何もしていないと言えると思うが、実直にやってきた自負はある。
具体的には大体下記の7つぐらい。
2. 既存アプリのレビューコメントで、評価されている機能をリストアップ
3. その中で、共通機能は全て実装。共通してないものでも、レビューコメントで要望が多かったものは、全て実装。
4. 記事を見やすくする為に、サイト1つ1つをチェックして、jsで最適表示。(これが一番大変だった。。)
5. 他のアプリはあまりコメントに注力していなかったのでコメント機能の強化
6. ロード時間にはこだわりたかったので、1ミリ秒でも早くする為に部分部分でのキャッシュを頑張った
7. お問い合わせを全てチェックし、1個ずつ出来る限り対応(最近だと、お問い合わせ頂いた音楽のバックグラウンド再生を対応しました)
クライアントに付き合わされて意味不明な仕様を実装していた頃よりは、精神衛生上遥かに良く、実際に使って下さるユーザーの方々がいることに、やり甲斐も感じている。
おかげさまでレビューやお問合わせでたくさんの改善要望などを頂いているので、これからもユーザーの方に満足して頂けるよう開発を頑張っていきます。
気になる広告収益は、昨日のADNW収益が1日○万円だった。このペースだと、1ヶ月で前職の給与の3倍ぐらいになるんじゃないかと思っている。
「俺ってどうやって生まれたの?」
ああ、とうとう来てしまったかと思っていたにも関わらず、両親は動揺した。
一度、疑問を持てば自分が納得する答えを探し求め、その労力を厭わない。
「そうね……よく知らないの。ほら、私ってサイボーグでしょ?」
「まあ……」
我が家ならではの誤魔化し方であるが、後々ややこしいことになりそうなのは目に見えている。
「母さんが本格的にサイボーグ化したのって、つい最近だろ。そもそもサイボーグであることと、知っているかどうかとは関係ないし」
「あ、それもそうか」
俺は横に入って訂正をせざるを得なかった。
具体的にどうこう言えというつもりはないが、誤魔化すならもう少し支障がない方向性でいくべきだろう。
「……」
「……」
当然ながら弟は納得しない。
「ちぇ……なんだよ、それ。じゃあ兄貴は知ってる?」
そして両親がその調子であれば、次に訊ねられる身内は俺しかいないことになる。
父が目配せをする。
どうやら、さきほどの俺の訂正と同時に、回答権を俺に譲った形にしたつもりらしい。
「なあ、兄貴……」
「待て、説明するには言葉選びと構成が大事なんだ。それを考えている……」
正直なところ、俺は皆がそこまでして誤魔化す理由すら把握していない。
しかし、漫然と「今じゃない」という思いが横たわっているが故に苦心する。
それを汲み取るべきかは知らないが、かといって返答に窮することは変わらない。
コウノトリだのキャベツ畑だのは陳腐すぎるが、無修正のポルノを例に説明するのが愚策であることもさすがに分かっている。
かといって、ここで両親と同じく沈黙を貫いたり下手なことを言ったりすれば、その被害は我が家だけではすまないことになるだろう。
いわば、意図せずして俺は弟の知的好奇心を止める最後の砦となってしまったのだ。
なんだか、こういうこと前にもあったな……。
ああ、関係のないことまで思い出して、考えがまとまらなくなってきた。
「いや、待てよ」
俺はそうして思い出した記憶の中から、一つの光明を見出したのだ。
「俺も所詮はティーンエイジャー。言える事は少ない。だが、それでも言える事はある」
「お、なになに?」
「お前が生まれる前の話だ。第三者から見えてくる、誕生の真実ってのもあるんだぜ」
俺の意味深な語り口に、傍観を決め込んでいた両親もソワソワし始める。
「真実……?」
「まあ、聞け」
30歳エンジニア、給与約1200万。この給与について最近良くわからなくなっている。
すでに親よりも給与が多いが、親よりも社会に貢献できている気はしない。
しかし今の働きに対してもっと給与は高くあるべきとも思う。外国人らと肩を並べて働く俺は、外国企業のそれを普通と捉えてしまっている。
CTOの平均給与が数百万と聞いて、明らかに少なすぎると思う。尊敬するエンジニアにも思うことだが、2000万くらいは稼いでいてほしい。
上司が1300万くらいしか貰えていないのを残念に思う。肉体的・時間的に厳しい働き方を強いられることを考えると、差額100万は決して多くない。
転職サイトを見ても給与が増えることはまず無さそうだ。1000万を超える会社はそこそこ限られているし、たまに「800万〜1200万」などと書かれていてもそれ以上は上を目指せないという風に見える。
つまり、世間的には高い給与をもらっている証拠と自覚がある反面、自分も周囲ももっと貰うべきという思いがある。
意欲的にも年齢的にも、もっと難しいこと新しいことに挑戦したい。しかし給与を下げずに挑戦するという選択肢が非常に少ない。
給与は多ければ良いというものでもないし、下がる給与以上のリターンが望める選択肢もきっとあるはずだ。
そうわかっていても下落を自ら選ぶことはかなりの抵抗がある。数値はわかりやすすぎる。
ここまで運がよく、上司や仲間に恵まれ、期待も評価もされた結果として、平均を大幅に超えた今の給与があると認識はしている。他者からの評価が高いのは素直にありがたい。
でも俺はまだまだ伸び盛りだし、他者よりも量的質的にアウトプットを作ってきた自負も、唯一無二のチームを多数作り上げた実績もある。
いまも嫁さんに「だらしない」と何度も言われている。
服を脱ぎっぱなし、食器を片づけない、携帯を忘れる、振込を忘れる、約束を忘れる…などなど呆れるようなミス。もう何度も何度も、毎日のように繰り返している。
俺もこのままではいけないと思い、結婚後はつねに注意を払い、対策を講じた。専業主婦の嫁にスケジュール管理や手続きを任せ、仕事は毎日寄り道せずきっちり帰宅して過ごしている。
…それでも日々のズボラは抜けきらない。
嫁に注意されるたびに、情けない気持ちになる。何度も注意するたび嫁の口調も厳しくなってくる。なんで同じことを俺は繰り返すんだ。自分でも信じられない。ちゃんと注意しているのに。
意識すれば治る、注意して過ごす…という範疇を超えて、ズボラな失態をし続ける自分。頭がおかしいのでは?とまで思うようになった。
そんな時、発達障害のページを読んだ。
1.不注意
・忘れ物が多い
・何かやりかけでもそのままほったらかしにする
・集中しづらい、でも自分がやりたいことや興味のあることに対しては集中しすぎて切り替えができない
・片づけや整理整頓が苦手
・注意が長続きせず、気が散りやすい
・話を聞いていないように見える
・忘れっぽく、物をなくしやすい
2.多動性
・落ち着いてじっと座っていられない
・そわそわして体が動いてしまう
・過度なおしゃべり
3.衝動性
・順番が待てない
・気に障ることがあったら乱暴になってしまうことがある
・会話の流れを気にせず、思いついたらすぐに発言する
症状の一覧を見て愕然とした。自分の悩んでいる部分が、その症状と完全に一致していたからだ。
あわてて嫁にメールし、自分がこの症状にあてはまるか聞いてみた。
嫁の認識も全く同じで、しかも俺が無自覚に行っている部分こそ当てはまっていると教えてくれた。
驚いたが、これは光明だ!とすぐに思った。
なぜなら、「発達障害」という事ならば、治療できる事だからだ。
ズボラを意識して治そうとしても非常に難しく、情けなく思っていた。「発達障害だからしかたないんだよ」と、慰めてもらったような気分になった。
さあ、善は急げ!
さっそく精神科に相談だ!なんかこう、精神向上する薬でも貰えば、たちまちズボラが治るかもしれない。
…とはいかなかった。
結婚を機に、夫婦でしっかりと保険に入る事を検討していたから、すぐに病院とはいかなかった。
精神的な薬を一度でも処方されたら、保険の料金が上がるどころか、加入もさせてもらえない場合が多い。
発達障害かもしれない。
でも、治療はまずい。 困った。
いまはADHD対策ページを読み、サプリメントや運動などで改善を図っている。DHA飲んだりウォーキングしたり炭水化物控えたり。
これで少しでも良くなればいいのだが…
噂のシン・ゴジラを観てきた。
別に、批判しようと思って観たわけじゃなく、ネットでの評判もとてもいいようだし、ちゃんと、楽しみにしていた。
ところが見終わったあとは、「これが絶賛されるって、大丈夫か?」と疑問符でいっぱいになった。
怪獣映画として出来がいい、というのはまず認めよう。CGやその他の技術を駆使した戦闘シーンやゴジラの描写、街が破壊される様子や自衛隊の武器が炸裂する様子は、それだけで見ていて楽しい。
とはいえ、あまりにストーリーが幼稚すぎる。あんな強引な作りでは感動のかの字も浮かばない。
これが「リアリティを追求した話だ」とか「日本人はまだまだやれる、と思わせてくれた」とか言われてるのを見ると、ちょっとあまりに恥ずかしい。
ストーリーを一言でまとめると、「居酒屋で泥酔して、社長や会社を罵倒した挙句『オレを社長にすりゃ全部解決してやるのによぉ』とか息巻いてる、自意識過剰なだけの情けないサラリーマンの妄想を実現させた話」というところだ。
あらゆる事態が主人公にとって、「都合よく」展開し、「都合よく」終わる、予定調和な物語。
子供向け漫画とかでよくある、「寝て起きたら世界が危機に瀕していて、自分だけがそれを救えるヒーローになってたらいいのになぁ、むにゃむにゃ」みたいな妄想物語を地で行く話。
普通はそういう場合、夢オチにして「現実はそんなにかんたんに行かないよ」って教訓にするものだけど、シン・ゴジラは、大人がその妄想に乗っかって優越感に浸っちゃうんだもんなぁ、情けない。
主人公の青年政治家矢口は、優秀だけど上司に媚びることがないから、組織の中では評価されないタイプ、ということになっている。(ああ、オレもそうなんだよねー、と思い込みたい人たちが山ほどいるタイプだ)
矢口を引き立てるためにことさらに無能に描かれた政治家たちの中で、矢口の予想だけがなぜかはじめから当たり(でも馬鹿な上司のせいで受け入れられない)、彼が組織したチームは全員が「肩書はないけど超有能」で、矢口を評価しない無能な上司たちは「都合よく」全員死ぬ。死ぬのは矢口と関わりが深くないモブだけで、チームの重要なメンバーは「都合よく」全員生き残る。
「ムカつく上司が全部死んで、有能でオレのことを信頼する部下だけが残って、オレがリーダーになれたらいいのに」
物語の中心となる矢口のチーム(巨災対)の仕事ぶりは、いわゆる熱血サラリーマンたちが大好きな、「連日の徹夜と手弁当」だ。
何かを研究解析するなら、世界各国の関係機関の協力を仰ぎ、その指揮を取るのが妥当だと思うのだけど(日本以外は無事なのだから)、そんなことしたら自分たちでやった満足感が得られないからダメ。
何を頑張ってるのかよく知らないが、とにかく寝ないで頑張る。で、優秀なはずのリーダーから出て来る言葉はお決まりの「できるかどうかじゃない、やるんだ!」的なアレ。失笑。
でもこの世界は妄想の世界だから、もちろんそれが正しいことになっている。徹夜で頑張れば光明が見えるし、やると言ったらやる、という強い意志があればあらゆることはなんとかなる。妄想だもんね。ついでに言えば美人のアメリカ特使もなんでだか知らないが最初から気に入ってくれて、アメリカの考えなんて全部無視して全面的に信頼してくれたりする。妄想だもんね。
さらに言えば、「日本人はすごいんだぞ!」ってことにしたいがゆえのご都合主義もあからさまで、苦笑するばかり。
ゴジラに対してアメリカをはじめとする国連は「東京に熱核兵器を落とす」ってことで一致して、なぜか日本の意見は聞き入れずにそれを強行しようとする。
そうはさせるか、俺たちの考えた作戦なら東京を破壊せずになんとかできる(かもしれない)から、アメリカを出し抜いて成功させてやる!という話にいつの間にかなっている。
勝つべき相手はゴジラじゃなくてアメリカ。タイムリミットをつくったのもアメリカ。
ナショナリズムを高めるためだけにこういう脚本にするの、良識を疑うなぁ。まぁ、トランプ政権になったらやりかねないかもしれないけどさ。
そもそも客観的な立場で考えたときに、ヤシオリ作戦って賭けるに値しない内容じゃない?
この妄想物語の中ではもちろん成功して当たり前なわけだけど、ヤシオリ作戦の元になる矢口プランを構想したのは、ゴジラの生態もなんにもわからなかった段階での当てずっぽうに近い。こんなの、全然失敗したっておかしくないわけだ。
「ヤシオリ作戦が失敗して、沈静化するはずのゴジラが逆に活性化して、核兵器も効かなくなり、さらに羽根まで生えて、世界中を攻撃しに行く」
そういう展開にしたら、矢口はゴジラを倒せる唯一の機会を無駄にして世界に破壊を撒き散らした、信じられないほど愚かな指揮官、ってことになる。まぁ、妄想の世界ではそんなことは起こらないけど。
というわけで、シン・ゴジラのストーリーは、とにかく都合の良い妄想だけで構成された、ご都合主義の権化とも言うべき幼稚なもので、この作品を見て「日本人もまだまだやれるって思いました」っていうのは、ハーレムものエロゲをやったあとのオタクが「モテない僕もまだまだやれるって思いました」って言ってるのにそっくりだな、と思うわけ。
近頃、嫁さんを見ている感覚が何かに似ていると感じていたのだが、先日その理由に邂逅した。
それは、会社にて経理の女性から請求書のことで文句を言われている時のことだ。
彼女とはもう15年以上同じ職場で働いていて、食事にも幾度なく行ったしこれといって仲が悪いわけでもない。
見た目も悪いわけでもなく性格が悪いわけでもない。
個人的に嫌っているわけでもなく、しいていえばそれほど好みではないという程度だ。
彼女の男性事情は多少なり耳にするところだが、それに対して何か感想を持ったこともない。
別段友情が深いわけでもなければ、ただ単に、お互いが存在を認め合っている程度なのだ。
きっと彼女と結婚する男性はそつない結婚生活を送ることができるのだろう。
だからといって自分が結婚したいと思ったことはないし、いつも思考はそこでストップするのだ。
残念ながら酔った勢いで過ちを犯したことはないし、かつて手を握る程度のスキンシップすらない。
文句を言ってきたその日(といっても文句の原因はぼくの請求書の作り方にあったのだが)、彼女は清潔感ある服装で言葉遣いにも嫌味はなかった。
いつも通り「今日も綺麗にしてるな。」と、その程度の感想を持ちつつ眺めていたのだが、ふとそこに嫁さんの姿が重なった。
セックスレスの原因としてよく言われるものは、お互いが家族になってしまったというものだ。
愛情がないだとかそういうことではない。
やはり他人である以上、どれだけ時間をかけたとしても埋められない血の濃さがあるのだ。
そう考えていた時に、ふと嫁さんに同僚の姿が重なったことで色々なことが納得できた。
嫁さんとは結婚して10年だが、要するに色々知りすぎてしまったことで興味が無くなってしまったのだ。
そんなものは家族でも何でもない。むしろよく知る友人になったということなのだ。
何もそんなことかと思う結論かも知れない。
だけど大事なことは、その先にある。
今までセックスレスを解消するために行ってきたアプローチは、愛情を深める合うことだった。
お互いのときめきを取り戻そうとデートしたり、ムードを演出して甘い言葉を囁いてみたりもした。
ただ、どれ一つとして何かを響かせることなく、ついぞ実ることはなかった。
しかし、もし相手との関係が勝手知る友人同士だとしたら、どんな状況でならセックスをし得るだろうか。
過去、恋人ではない付き合いの長い異性とのセックスを経験したことがある(もしくは続けている)人ならもうわかったはずだ。
そこに愛情なんてものを持ち込もうとするから話はややこしくなり、最悪そのうちに愛情がないだなんて結論にまで至ってしまうのだ。
セックスをしなくても愛情があるのと同様に、セックスをするのに愛情は必要ないのだ。
いうなれば夫婦でセックスフレンドになるということが、セックスレスを解消し、お互いがつまらぬ浮気やら愛情問題やらを持ちださずに済む一番の解決方法と言えるのだ。
ぼくの言っていることは、愛情あふれるカップルにはおかしなことに聞こえるかもしれない。
この考え方こそが、先の見えない暗澹たる人生の雲間にさした一筋の光明と思えたのだから。
1.私に新しいシキシマ成分を与えるため
以上です。
3つもあるはずがない。
とりあえず前編の本編時間の90分とレンタル代の500円を無駄にする代わりに10分くらい無駄にしてこのエントリを読んでくれ。
最初にシキシマの説明だけしておくと、シキシマとは実写進撃の巨人に登場するオリジナルキャラクターであり、大体はリヴァイの立ち位置であるが、どうやらエレンの兄(伏線はあるが説明はない)で最後に自分のオンナにしたはずだったのに結局初恋の男であるエレンに奪い返されてしまったミカサに「あなたの壁は?」とくそぺらっぺらな言葉を投げかけられることによりラスボスと無理心中を図ったもっさりヘアにダサいヒゲを生やした埃っぽい長谷川博己のことです。
去る2015年9月1日、見えてる地雷でお馴染みの実写映画「進撃の巨人(前編)」を私はわざわざ一人で見に行った。
そして、開始10分で「クソ映画だとわかっていながらファーストデーの映画料金である1100円と上映時間の90分をわざと無駄にした」ことで神の怒りを買い、その罰として拷問を受けていることを理解した。
なんとこの映画、「文明の廃れた地球っぽいとこで壁に囲まれて暮らしているバイトの続かないどう見ても20代半ばの三浦春馬が不発弾の上で飛び跳ねながら『俺が活躍する場所はここじゃねえ。東京でヒップホップで食ってく』旨の発言をしているのを水原希子が惚れてる目で見てる」という絵に描いたような大学生の恋物語を見せられるところから始まる。
開始10分ですでにクソ映画。求めてたものとまったく違うじゃないか。
確実にこの先80分クソ映画を見せられるという気付きをどうしたって得るでしょこれ。
ああ、無念、私は拷問を受けることになったのだ。
なぜ見に行ったのかというと、進撃の巨人の原作が好きな友達が映画を見た上で「メディアミックスにおいてストーリー面のみで批判されるのは納得がいかない」と言っており、「じゃあ原作のストーリーを知らない人間(私)が見れば原作とは関係なしに映画として面白いのではないだろうか?」という気持ちが起こったからである。
とりあえず先に結論から言うと、めっちゃクソ映画なんで「大切な家族を人質に取られその解放条件としてこの映画を見せられている」くらいの気持ちで見ないと死にます。絶対です。純粋な面白さに対する期待はすべてその手で殺してください。よろしくお願いします。
話を続けます。
かくして、1100円に対する貧乏性と事前になんとなくこの事態を予測していたために逃げられないように自分に課した「その直後に上映されるジュラシックワールドの映画の席を取ることにより今出て行ったらどうにか時間を潰さなければもう1100円を無駄にする」という枷と罰だというなら受けるしかないという決意のために、私はその後80分の拷問を受け入れることにしたのだった。
その後、
「『壁外に巨人なんていないことを証明してやるぜ』と自分に惚れてる女にいいところを見せるためというアホなヤンキー青春映画文法により水原希子とオマケの本郷奏多を連れて壁の近くに行く三浦春馬。
すると壁を守ってる兵隊に見つかって捕まりそうになったので反撃するアホなヤンキー青春映画文法そのままの三浦春馬。
兵隊のお偉いさんであるピエール滝が知り合いだったというアホなヤンキー青春映画文法で助かる三浦春馬。
そしたら壁よりめっちゃおっきい巨人が現れてドーンって爪先蹴りで壁が破壊されて3メートルくらいの穴が開いたのでそこから『量産型どう見ても人間が演じている設定上知能のないはずなのに人間っぽい動きしかしない巨人』がいっぱい入ってきて人間を食い散らかす」流れを
監督による『俺が考えた最強にかっこいい巨人による殺戮グロシーン』というぺらっぺらの演出で見せられる拷問を受け、
神様に「違うんです。無駄にするつもりはなかったんです。面白いかもって思ったんです。本当です」と何度も心の中で謝罪をする。
この映画、原作とストーリーがかけ離れているうんぬんはとりあえず置いておいて(私が原作のストーリー知らないし)、
予算以外すべて『映画を撮ったことがないくせに自分のおつむの中でだけ一流だと思い込んでる高校生』レベルで本当につらい。
んで、「水原希子が巨人に食われて死んで(当然死んでない)、守れなかった女の仇を取るためにもう一つ壁の内側で兵隊になるというアホなヤンキー青春映画文法を辿る三浦春馬と本郷奏多、あといっぱい」が出てくる。
作中ではさくっと2年が経ち、ようやくヒップホップ信者の三浦春馬がきちんとした目的意識を持って動き始めたかと思いきや、
「素人の寄せ集め兵隊集団の同じ班である無意味に好戦的な三浦貴大と煽り合いで喧嘩をする」という統制の取れてなさを猛烈アピール。
このことにより、アホなヤンキー青春映画文法が永遠に終わらない気配を見せつけられ、絶望がより明確に。
この辺りで大きな声で「乳首」とか「性器」とか「こんなの初めて」とか言ってくれる石原さとみが現れてほんの少しの救済が図られるが、焼け石に水とはまさにこのこと。
「巨人から一番外の壁を奪取するために内側の壁から出た三浦春馬たち
(この辺りでモブキャラが巨人つえー演出のための使い捨てとして登場するがほとんど全員が無能なのでサンナギくんという作中唯一の良心だけ覚えておいてくれると私が喜ぶ)
(この際食料がない設定なのにサンナギくんがデブとか非常に些細な問題)
が当然のように兵隊とは思えないクソみたいな働きにより巨人に殺戮されまくる」辺りで場面転換。
突如、「よくわからない地下のような空間(今後もう一度出てくるが説明はない)で全身を逆光で陰を作り、めちゃくちゃ日本人体系のおっさんがめちゃくちゃもた…もた…と装備を確認する」シーンが挿入される。
監督の『俺が考えた最強にかっこいい最強の男の映画内登場シーン』という意図は察せられるものの、
どう見てもダサい。
まじでダサい。
「地上で三浦春馬たちが死にそうなのにのんびりと自分かっこいいアピールをする日本人体系のおっさん」という演出の下手さにより生み出されたスベリ要員。
もうね。光明よ光明。わかる?わかるよね?当然わかるよね?私は神によって天罰を受けていて、その天罰がまだ半分もあるのかと絶望を味わってた時にね、現れたわけよ救世主が。私を拷問から救ってくれる男が。もうね。するよね入信。するよね信仰。当然だよね。この男により私の1100円と90分が救われるんだって思ったらね。感謝するよね。当然ね。
つまり、その瞬間、シキシマは私の神になった。私が無駄にした1100円と90分を救ってくれた神に。
カルトに入信させる時、相手を極限状態に追い込んで判断能力を鈍らせるって手法があるって聞いたことがあるんだけど、まさにそれだったってわけ。
ついでに本当に監督が演出下手なので、たぶん監督の中でキムタク役であろうシキシマの初セリフは巨人を倒した後の
総スルーされた上に大して誰にも称賛されず、さらにその後続いて出てきた巨人を前にその場にいたモブキャラたちに今しがたの功績を完全に無視されて「もう終わりだあ」とか言われます。
最高。
スベリ要員確定。
その後「シキシマが三浦春馬を見初めてさっきの地下空間に連れていき、婚活パーティーよろしく三浦春馬にかっこいい俺を猛烈アピール。
シキシマは巨人を倒せてなおかつ死んだはずの水原希子を連れていただけでなく巨人を倒せるほどに成長させていたために三浦春馬は猛烈に心酔」し、
こうして私は三浦春馬と一緒にシキシマ教徒になったのであった。めでたい。
それから「リンゴ大好きシキシマくんによるリンゴ食べさせタイム」を経て、
まあその後はわりとどうでもいいんだけど
「三浦春馬と既成事実作ろうとしたシングルマザーがホラー映画のえろいことした奴から死ぬ法則に基づき巨人に食われて死に、
ついでにそこで先にセックスしてたいちゃつき方が電車内のうざいカップルであるモブ二人もその法則に則って死に、
他にもいっぱいモブが死に、
三浦春馬がビルの上で巨人が出てきてるのに自分は一切戦わずに指示してくるシキシマに従ってなんとか巨人を倒すものの多勢に無勢で死にかけたところ巨人に覚醒して暴れて残りの巨人をぶち殺す」
というのが大体の前編のストーリー。
でもクソ映画にしか私の教組であるシキシマが出てないんだから、みんなにシキシマを認知してもらうにはこのクソ映画を見てもらうしかなくない!?
しかも今日ついさっき後編のブルーレイが届いてそこに豪華版だからついてる絵コンテ集を読んでしまえば私は新しいシキシマ成分を得ることができなくなるんだよ!?だったらこの世のありとあらゆる人間にシキシマを認知してもらうために映画を見てもらって、まあうんもう称賛されないことは理解してるから称賛しろなんて贅沢は言わないので批判でもコキおろしでも何でもいいから私に新しいシキシマを見せてよ!あなたの目から見たシキシマは私にとって新しいシキシマだからそれを感じさせてよ!お願い!
って思ってこのエントリを書きました。
ついでに前編を凌ぐクソ映画の後編では
「国のお偉いである国村隼が芋女が落とした芋をわざとらしく踏んで悪役アピールをしたのでミスリードかと思ったらまじで悪役でなおかつ最初に壁壊した巨人でラスボス」で、
「その国村隼にレジスタンス扱いされてたシキシマがミスリードかと思ったらまじでレジスタンスで実は巨人になれ」たり、
私がシキシマ教徒の先輩だと思ってた「水原希子が全然シキシマのこと好きじゃない」のに
そんな「水原希子に三浦春馬に敗れたシキシマがぺらっぺらの言葉をかけられて国村隼に最初の不発弾を抱えて突っ込んで無理心中」をしたり、
カップリング厨の監督による先の電車内カップルと同レベルのアルサシャのいちゃいちゃを見せられたりするけど、
後編のシキシマははっきり言ってただのDV男なので見なくて大丈夫です。
とりあえず前編を見てくれ。
スターというのは言わば愛の表現なんだよね。殺伐としたはてなワールドを照らす一筋の光明。
そういった前向きな行為へと自分を後押しする、その心理的作用を考えると、自分への投資と言っても過言ではないし、そういう投資を考える人にとって5000円なんて安いものだろうね。
でもぶっちゃけ買う気は起きないんだよね。はてなも本気で売る気がさらさらないし。貰ったスターに色がついていたら「おっ」とは思うけど、その次には「だから何?」みたいな感情が湧いてくる。場合によっては、その見慣れなさ故「怖い」と感じることさえあるかもしれない。カラースターに明確な意味が込められていないから。漠然と、普通のスターよりは好意が強いのかなという程度。そして、スターをあげた・貰ったという状況が一覧できたりするわけでもなく、それらによって階級やら扱いやらが変わるゲーミフィケーション的な要素があるわけでもない。そうなっている理由はなんとなく分かる。そういう承認欲求ゲームが過熱することをはてなは望んでいないからだろう。ってこんな事はたぶん何度も論じられてるんだろうな。
昨今の佐野氏の炎上案件を見ていて違和感がずっとあったのだが、それが何であるかをこの記事を見て分かった。
ようは当事者でない人が、当事者として関わる気もないのに安全な客席から、建設的な批判でなく単なる中傷をしていることが、堪え難いのだ。
そうしたことが出来るのはインターネットの時代だからこその利点でもある。
そして見つけた疑惑を世間に公開するのも良い。そうして悪質な模造や模倣が淘汰されていけばよい。
パクられた(と思わった)本人が怒るのはもっともだし、当事者として批判の声を上げるのは当然だ。
だが、言うからにはそれに伴う責任というか覚悟が必要だろ、と思うのだ。専門家以外は黙ってろ、という言説には同意しないが、無責任で文脈の理解も無く畑を掘り起こして台無しにした後に新しい種を植えるでもなく、ただただ荒らしていくだけの連中がムカつく、という感情は理解できる。
今回の件でいえば、パクリとオリジナルの境界、というか、パクらず制作するにはどうしたらいいのだろうか、とか、商業化されすぎたオリンピックでいいのか、とか、いろいろな問題が紐づいていると思う。それらの問題は実は制作者だけの問題ではなく、クライアントだったり、また、制作物の受けとり手たる消費者・生活者の問題でもあると思う。問題の解決を放棄して、お遊びで人を叩くのは何も前に進まないと思うのだ。「お祭り」として騒いでる連中に対して、お前にも責任があるんだ、と声を大にして言いたい。但し、今回の具体的な問題についての責任転嫁をしている訳ではない。トートバックのデザインにしろ、空港の写真にしろあれはアウトだし責任は佐野氏にある。
サザエさんbotがやったロゴのオープン化は一連の騒動の中で光明に見えた。それは、やんややんや言っている連中に「じゃお前やってみろよ」としたからだ。それは代案を提示する、という問題への分かりやすいコミットである。
とはいえ、世の中の全ての問題に対して真摯に向き合うのは現実問題として不可能だ。だからこそ、真摯に向き合えないのであれば意見やコメントを出すのは慎重になるべきだし、安易なことは言うべきではないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150827123221
どのような内容が関心が高いかについては他の人が概ね挙げているようなので、私はあくまで「如何に注目されるか」という観点から書いていく。
知っておくべきなのは、はてブユーザーの大半はホッテントリ入りしたものしか読まない。
なぜかというと、まあ明確な目的で利用する閲覧者自体が多くないといってしまってもいいが。
君が閲覧者として、このはてな匿名ダイアリーをトップから利用したら気づくはずだ。
「玉石混合すぎる」と。
つまり、このサイトは「漫然と閲覧して関心のあるものをブクマしよう」という目的で利用するようなUIになっていない。
2ちゃんねるのような、タイトルでカテゴライズされたものが並ぶわけではない。
なので、このサイトでの主な利用者というのは日記を書くことが目的で、他人の日記を読むことはその延長線上というわけだ。
本来、想定されている用途が「名前を隠して楽しく日記。」なのだから、2ちゃんねるのようなUIである必要もないしな。
で、1ページにつき並ぶ日記の数は25件で、これは内容の長さに関わらずだ。
なので一部の物好きを除けば、ほとんどのユーザーはトップページから漫然と、過去の日記を閲覧したりはしない。
ではどうするかというと、関心のあるワードを検索して絞るか、このサイトの下に表示される注目エントリを見るわけだ。
だが、先ほどもいったようにUIの問題で、大抵の場合は目にも留まらず流れていってしまう。
注目エントリすら難しいというのが現状だ。
では流れが緩やかなときが狙い目といきたいが、利用者の少ない時間帯に投稿しても、イコール閲覧者も少ないわけだから意味は薄い。
不確定要素は完全には排除できない。
だが、それでも光明はある。
それに関して言及した内容ならば、検索にも引っかかるし、他者から見ても反応しやすい。
反応しやすいということは、リンクをつけて自分の日記に言及してくれるということ。
このサイトのUIは説明したとおり、他の利用者が投稿すればするほど自分のものは流れていく。
仮に多くの人の目にとまれば絶対にブクマがつく記事があるとしよう。
でも、他の人が投稿していけばトップから流れてしまい、大抵はその機会すら失われる。
だがリンクがつくのなら、流れることがイコール不利にはならない。
それを追って読む人が増える可能性も当然上がる。
そうして目に留まりやすくなれば、その分ブクマされる確率も上がっていくだろう。
リンクがつきやすいということは、ブクマもつきやすいということだ。
まずは多くの人間の目に留まらなければブクマ以前の問題なんだ。
逆にいえば、トップを見てトラバでやたらと言及しているものがあったり、つきやすい記事が他に上げられていたら、そのときは記事を投稿しないほうがいい。
流行のワードを取り入れたからといっても、トラックバックやブクマがつきやすいわけではない。
ブックマーク……つまり栞なわけだが、現実の本に挟むのとはちょっと趣が異なる。
その栞にはコメントを書ける機能があり、大半のはてブユーザーはそれ込みで利用している。
コメントをしたくなる内容であるかどうかは、ブクマのされやすさに直結しているといっても過言ではない。
ザックリいえば「何か言いたくなる感」だ。
君のように問いかけ形式ならまさに「何か言ってくれ」と直接言っているようなものだから効果的だ。
センセーショナルなタイトルに、露悪的な、偏向した内容でもいい。
下品な話というのはどうも大人になっても好きな人間は好きなようだから、それを添え物にしてもいいかもしれない。
あからさまな釣り記事でも、「はいはい、釣り釣り」といった“察しのいい”ブクマがつくなら儲けものだ。
かかった魚が釣り餌だと分かっていようがいまいが、かかった以上はどちらでもいいことだからな。
他の人も日記を投稿している以上、多少の工夫は最終的に不確定要素で持って無に帰す。
だが、利用できないわけではない。
はてブユーザーはホッテントリ、次点で注目エントリからトラックバックへと閲覧するが、実はもうひとつある。
「せっかくだから前後の記事も読んでみるか」といって読む人は割といる。
なので、「これはホッテントリ入りするかも」と思った記事が上げられたら、その間に割り込むようなタイミングで投稿してみるのも手だ。
そうすれば、副次効果で注目されるかもしれない。
まあ最終的には運だが、その可能性を上げるために質より量というのは確か。
きもいうえに金もなく誰からも尊敬されず誰からも同情されない人は日本にいるかぎりは地獄だ
かいつまんで言うときもくて金もなくて能力もないおっさんは詰んでいるわけだ。どうしようもない。せいぜいバイトでもして安アパートに住んで安酒をあおり隣の大学生カップルのあえぎ声にうなされながら人間をゴミとしか思ってない派遣の肉体労働に従事するのが関の山だ
幸福度の研究ではぶっちぎりで幸福度が低いのはカンボジアの難民でもなくISISと戦時中の町に住む人でもなくロサンゼルスのホームレスらしい
この統計に東京のホームレスが入っていたのかは知らないがロサンゼルスは空が青いだけまだましだ。東京の白む空の下で市民にゴミを見るような目で見られるほうが耐え難いと僕は思う
この統計からわかるように幸福とは社会や他人との相対的なもので衣食住が足りているかどうかはさほど重要ではないということがわかる。極端に言えば衣食住だけ満たされて笑えず集中できず自律神経がいかれセロトニンもノルアドレナリンも足りない状態が不幸なのだ
しかしきもくて金のないおっさんが社会で成り上がっていくなんてものは奇跡に近い。20年ひきこもって起業した社長も日本にはいたりするがまあそれは稀有な例だろう
女にも持てず趣味に使う可処分所得もなく社会からゴミを見る目で見られ家族にあわす顔もなく添付材が大量に入った安酒をあおり頭痛に悩まされる
きもくて金のないおっさんに航空券と100万程度渡せば着いた瞬間から中流階級だ、家だって買える。1年は収入がなくても余裕で暮らせる。一年も暮らせば言葉だって覚える。なにより「現実的な希望」がある。光明がある
生活保護で毎月10数万の経費を考えれば行政としても良い話だろう
弱者を追いやるなんてという意見が聞こえてきそうだが、おっさん達が救われるという現実に比べれば一般市民のとってつけたような正論なんてどうでもよいものだ
28歳派遣IT土方。派遣会社の正社員で、客先に有期で派遣されるいわゆる特定派遣だけど、やってることは派遣社員とかわらない。
特定派遣は派遣じゃなくて正社員だからこの先も将来安泰だといい現実から逃げる同僚や、
結婚指輪して家族を養ってる同僚もいるから錯覚しそうになるが、ぶっちゃけいつ食いっぱぐれてもおかしくないド底辺だと思ってる。
日本だと転職はジジイほど困難っていうんだから、長期で続けるほど危険な仕事なのは明らかだ。
会社の業種がIT企業じゃないので、間接部門としてマターリ働けるのも自分的にはポイント。
使ってるんだけど、そっちで応募した会社もけっこうよさげで入りたいところがある。
自分で一般応募したか会社から内定もらった事をエージェントに告げたら
今辞めるのはもったいないとか、
そこに行ってもまた辞めるとか、
と説得された。
まずクソ派遣土方から一部上場の正社員になれるのって奇跡に近いと思ってる。
去年、アナルを開発した。
妻に言い出せなかったのは、僕のプライド(何と無駄なものだろうか!)と意気地のなさが原因だ。
とあるきっかけで、アナルを開発したことが、先週、妻にばれた。
ほどなくして今日、3Dプリンタ等でエネマグラを作っていたこともばれてしまった。
弁明をさせてもらえるなら、このエネマグラは、例えば前立腺炎や前立腺肥大症の治療に使ったわけではない。
アナルバイブと同等の快楽を持続しようとしたら、これだけのエネマグラが出来てしまったのだ。
…言い訳にもならないな。
「馬鹿じゃないの」と何度も何度も妻にプリザエース軟膏を塗られて、最近麻痺していた僕のアナルも正常に戻りつつある。
30本は大量だ。「何とかなる」と軽くごまかせる本数ではない。そんな自明のことに気付かないまま、あるいは目をそらしながら、僕は今日までを過ごしてしまったのだ。
妻に尻を掘られるようにしながら、僕は寝室に行き、ペニスバンドをしゃぶり、黒光りする先っぽををなめるように見た。
夜の営みは、むろん、アナルに目覚めてから今までしていなかったわけではない。
だが、もともと患っていた痔がひどくなっていたこともあり、ここしばらくは身が入らないでいた。
それが今は、アナルセックス含め一日に3回も予定を入れたりしている。
ちなみに、妻にばれてから3日目で最初のペニスバンドを挿入された。だらだらと汁を垂らしていたこの数ヶ月は何だったのかと思えるようなスピードだ。
だが、このアナルセックスはいわゆる妻の気分次第で、安定して快楽があるとは限らないため、その気にさせる言葉も道具も引き続き探している。あと、夜間など空いた時間に出来るオナニーも、出来るものならやりたいと考えている。何しろ快楽が足りない。
それにしても、こんな状態の僕を見捨てない妻には、感謝の言葉もない。
僕が逆の立場なら、即離婚とまでは言わないまでも、実家に帰らせていただきます、くらいのことは言うだろう。
確かに妻は今日実家に帰ったが、その日のうちに米や野菜や惣菜をもらって戻ってきた。
目が合えば文句は言うが、少なくとも食事は作ってくれる。そういえば、食事の時に妻がくすんくすんと鼻を鳴らすのが聞こえるが、それがいつもの鼻炎なのか、それとも僕のざまへの怒りと将来への不安で泣いているのか、よくわからない。臆病な僕は、まだ自分から妻と目を合わせられない。レイアウトの関係で対面ではなく隣に並ぶ形になっている我が家のダイニングテーブルに、こっそりと感謝をしている。
そんな僕だというのに、妻は食後のデザートまで用意してくれる。もっとも、以前のようなヨックモックの焼き菓子に紅茶、とはいかず、ブラックサンダーと紙パックのお茶だったが。
すぐに痔が治るかどうかは分からない。
エネマグラをいつ取り返せるのか見当もつかない。
だが、どこかに光明が見えているようにも思う。少なくとも、何でもないふりをしながら泥沼のように澱んだアナルを掘っていたこの数ヶ月間よりは、ずっとチンコは、上向きだ。