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2023-12-18

anond:20231218140329

まだテレビで消耗してるの?

あっ、日本インターネット・ミームに詳しくないスマホdeネットデビュー勢のために補足するとですね

「まだ東京で消耗してるの?」という煽りはてな界隈で一躍有名になったライフスタイル伝道師アルファブロガーイケダハヤトという人がいたのよ。

意識高い系の筆頭みたいな感じで、2010年代の中ごろはしょっちゅう彼の話をはてな界隈はしていたのよ。

地方移住ブーム期でもあった。今で言うインフルエンサーというやつだ。

今ではもう「あの人は今」枠になっているけどね。

2023-12-16

私がローソンを利用しなくなった理由

店舗にいる5〜6分の間だけで3回位「ハハッ ハハッ ハハハピロー ローソンでハピロー!」っていう気持ち悪いメロディ宣伝が流れてくる。頻度がおかしい。バイトしてる店員気が狂うのでは?

あとプライベートでは自給自足ライフスタイルを送っててコンビニを利用する人間なんて確実に下に見ているであろう松山ケンイチイメージキャラクターなのもバカにされているようで嫌だ。

2023-12-14

anond:20231213172144

ChatGPTに、3つの立場からコメントを作ってもらいました。

1. 筆者の心情に寄り添ったもの

この文章を読むと、筆者が自分の家庭生活に対する寂しさや辛さを率直に打ち明けているように感じます夫婦関係での触れ合いの不足が彼らにとって心の穴を開けており、その空白を埋める方法が見つからずに苦しんでいる様子が伝わってきます。彼らは自分たちの状況に対して深く考え、なぜ夫婦同士でのスキンシップが難しいのか、なぜ他の家族との触れ合いは受け入れられるのに、配偶者とのそれが避けられるのかと疑問に感じています。この状況は彼らにとって心の苦しみを引き起こしており、ただ「一人の時間」だけでは満足できず、「二人の時間」を求めているように思えます。この状況から抜け出すために、他人意見経験談を求めている様子が伝わります。彼らの悩みに寄り添い、このような状況を打開するヒントや解決策を提供したいと思います

2. 筆者に批判的な立場のもの

筆者の文章からは、自分夫婦関係に対する不満や寂しさ、そして相手に求める期待が強く感じられますしかし、他者の期待や自己欲求相手押し付けることで、自分問題解決しようとしているようにも思えます夫婦関係相互尊重コミュニケーション必要ですが、筆者は相手自分欲求押し付けることで満足を求めているようにも受け取れます。また、相手評価する基準や他の家族との比較を通じて、自分の不満を相手に求めることが、冷たさや不満足感を生んでいる可能性があります。このような問題は、双方のコミュニケーション妥協必要です。批判的な側面からは、自己中心的な要求に対する認識が求められるでしょう。

3. 中立的客観的分析

筆者の文章は、夫婦関係における触れ合いの不足についての複雑な心情を率直に述べています。彼らは家族自分自身に対して、なぜ配偶者との触れ合いが難しいのか、他の家族とのそれとの違いに疑問を抱いています。一方で、「一人の時間」の重要性も認識しており、そのバランスを見つけることに苦慮しています。彼らの気持ち理解できますが、この問題は単純な解決策ではなく、夫婦関係や個々のニーズに合わせたコミュニケーション改善が求められます。また、他の夫婦との比較や「大人だけの時間」についての考察もありますが、それぞれの夫婦関係ライフスタイルは異なるため、一般化することは難しいでしょう。この問題には相手とのコミュニケーション相互理解必要であり、時には専門家の助言も有益かもしれません。

2023-12-11

トランスジェンダー関連 自分の考えまとめ

最近トランスジェンダー関係ツイートをよく追っていた

トランスジェンダー(他いろいろの性的マイノリティ)の味方になりたいアライさんとGC側の果てしない論争が目を引いたからだ

毎回議論脱線していき、論破合戦になるばかりで肝心のトランスジェンダーは置いてきぼりの状況が悲劇的だ

なんとなく自分の考えがまとまってきたのでまとめておく

文献を引いてくる気はないし単語かいろいろ間違ってるんだろうけど当事者たちも全然その辺統一感が無いので気にしない

これは自分トランスジェンダー関連をこう思って過ごそうと思っているというまとめである

あの界隈は本当にややこしいのだが、性同一性障害と言われている疾患とトランスジェンダーがまず違うらしい

性同一性障害は数百万人に一人の頻度で発生し、幼少期から自分の体の性別に強い違和感をもって生きていく疾患である

その違和感改善するために適合手術という外科的手術があり、見た目を変え、違和感の根源である生殖器を取り去ることで苦痛を和らげようとする

この手術がめちゃくちゃ体の負担になるのは容易に想像できるし、外科手術だけでなくホルモン投与なども行わなければならない

そこまでしても実際に異性になれるわけではないのでもともと男として生まれた人は妊娠出産はできないし、女として生まれた人は精子を作れるわけではない

それでも手術をしてよかった、見た目が異性らしく見え、生殖器を取り去ることで、周りからも異性として扱われやすくなるし、自分自身がもともとの性別から変われたと思えて楽になった、という人はいると思う

どれくらいいるのかはわからない

もともとが数百万人に一人だし、そこから実際に手術する人は一部だろうし、そこから長きにわたって後悔せずに生きていける人はさらに一部だろう

手術なんてしなければよかった、しても意味がなかった、多少は意味があっても苦痛のほうが大きかった、という人も絶対にいるし、手術をした人の中でどちらのほうが多いのかはわからない

性同一性障害治療の一環としての外科手術はいまだに試行錯誤されている段階であって、決定的な治療ではない

五十年後に同じことをしているかというとしていないだろう

今できる精一杯としてこの不完全な処置をしているに過ぎないし、それが今できる最善なのかもわからない、それでもやる人はい

特例法はそうまでして体を変えた人が特例として戸籍を変えて生まれた時と違う性別で生きていくことを容認する法律だが成立して何年もたっているので現状とはずれてきている

現状のずれとは何か?

もともとこれは性同一性障害患者用の特例だったが、そうではない人々も戸籍の変更を強く求めるようになったこである

性同一性障害ではないのに戸籍の変更を求める人々、それはトランスジェンダーである(と私は理解している)

最初に述べたようにトランスジェンダー性同一性障害は違う

トランスジェンダーという概念性同一性障害を含んでいるが、もっと広義なものであるらしい

本来性同一性障害であれば幼少期から違和感があるはずだが、幼少期には特に違和感がなかった人が人生の途中から違和感を感じ始めることがままある

幼少期から違和感があった人のなかに性同一性障害ではない人もいる

ここが本当にややこしい

色々見てみても、言葉遊びみたいなのになっててわかろうとすればするほど難しかった

今の私の理解としては、性同一性障害ではないトランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人のこと

女の体でも男だと思っているし、逆もまたしか

から外科手術をしたりホルモン投与をするしないに関わらず自分は男ではない(女ではない)と思っているし、必ずしもそれらの医学的補助を必要としない

そして、これは全員ではないかもしれないが自分だけではなく周囲から自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいる

その一環として自分の望む性別戸籍を変えたいというのは、自然な流れである

性同一性障害だけではなくトランスジェンダーに対しても戸籍変更を認めるか否かが問われていて、おそらく流れとしては認めるべきであるという方向に進もうとしている

で、ここで議論になるのがトランスジェンダーという存在社会の中で存在感を増すということは必然的性別によってわけられていたことが意味をなくしていくということについてである

性別によってわけられていたことが意味をなくしていく話をする前に改めてトランスジェンダーについて話す

トランスジェンダーは幼少期からずっと違和感を抱えている性同一性障害とは異なる

疾患ではないとする動きもあるらしいが、それは非常に納得できる感覚で、トランスジェンダーとは疾患ではなくライフスタイルに近いと考えると私としては非常にすっきりする

ベジタリアンみたいな感覚と似ているなと思う

そういうライフスタイルで生きていくことにした人達

そういう風にしか生きていけないの人たちもいるのだからライフスタイルと一緒にするなと言われるのは間違いないが、トランスジェンダー定義自体がどんどん変わっていっているのでどうしようもない

ライフスタイルだと思うのはデトランスする人たちがそれなりにいるからということと高齢になってから突然トランスする人たちが一定いるからだ

自分の体の性別についての違和感が不可逆的なものなのかどうか、というのは大切なポイントだと思う

ここでベジタリアンのたとえを使うけど、ベジタリアンとして一生生きていくひとと、途中でやめる人、両方いる

もしベジタリアンとして生きていくと宣言して社会的にもベジタリアン認識され、以後一切肉も魚も食べられません、これはあなたが決めたことです、途中で気が変わったといっても無理です、と言われたら困る人は沢山いるだろうな

そしてその人が一生ベジタリアンとして生きるかどうかは寿命が来て死んでしまうまでわからない

いまトランスジェンダーが異性として生きていく、一生そのままだ、と思っていてもそうなるかどうかはわからない

実際高齢になってからトランスする人がいるのだから、いま三十代でそう思っていても六十代になると変わるかもしれない

トランスジェンダーというライフスタイルが定着すれば必然的性別というのは可逆的なものになる

いまそういう概念があるのかわからないが、不可逆的トランスジェンダーと可逆的トランスジェンダーがあるんじゃないのかなと思っている

実際どういう扱いなんだろうな

トランスジェンダーだと思っていたけれどそうではないみたいです、という人たちは確実にいるわけだが、アライさんはトランスジェンダーだった場合を考えてその人が最大限トランスジェンダーとしての生活を送れるように推奨していると思われる

不可逆的トランスジェンダーにとっては歓迎すべき対応だろうけど、可逆的トランスジェンダーは後悔する可能性が高い

GC側は可逆的である可能性を憂慮しているし、アライさんは不可逆である可能性を重く見ている

特に今は思春期の子供たちが話題になることが多いが、当然両方の子供たちがいるし、一方にとって良いことは一方にとっては悪い

唯一にして絶対の正解はない

正解はないのに正解だけを求めようとするとそこからこぼれていく人がいる

置いてきぼりにされる当事者たちの出来上がりだ

さて、そのような可逆的不可逆的が入り混じったトランスジェンダー社会のなかで存在を増していくとどうなるか

当然性別でわけられていた施設はどんどん意味をなくしていく

目の前の人が自分想像する性別とは異なるかもしれない

でも現時点で性別の差は物理的にも社会的にも大きくて、突然その概念をめちゃくちゃにするようなことをすれば社会的混乱は必然

段階的な対応が求められる

私としては性同一性障害をふくめてトランスジェンダーという存在がなくなることはないので、一緒にあるべき社会を考えていくことは絶対必要だと思っている

ベジタリアンという存在はなくならないので一緒に生きていく社会を考えるように

ベジタリアンメニュー、肉魚を食べるか食べないかの事前確認、いちいちそれに対して感想を述べたりしないし過剰反応もしないし拒絶もしない

そういう感じのイメージ

いまトランスジェンダー議論になりがちなのはまだ社会のほうが受け入れ態勢ができてないのに理想論優先で先走ってしまうことがままあるからだと思う

現実的な話ばかりしているアライさんが沢山いる

それに対してびっくりしてしま一般大衆をして理解が乏しい愚者みたいに扱っているのが非常に嘆かわしい

こういう人たちはトランスジェンダーサポートしたいのではなくて、概念で誰かを殴るために活動しているんだろうな

なぜならそんな風に一般大衆論破してもトランスジェンダー理解が深まるわけじゃなくてむしろ反発を呼ぶだけだから

ロビー活動としては下の下、愚の骨頂

たここでも置いてきぼりになる当事者たち

トランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人であり、「トランス女性女性です」の言葉象徴するように常に周囲から自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいるので、女性スペースがあるなら女性として使用したい、それが許されないことは非常に苦痛を感じるだろうことは想像できる

だが少なくとも現時点でその望みがあるとして十全に叶えることはできない

まだその段階にない

それが性別でわけられたスペース利用についての議論スタート地点

ではゴールはどこなのか?

これは人によって目指すものが異なるだろう

そもそも性別でわけたスペース自体なくしていまいたい人、自分の望む性別のスペースにスムーズに入れるようになりたい人、スペースの問題ではなく医学が進んで実際に身も心も異性のものに転換されることだけを望む人、ほかにもいろいろいるだろう

望むゴールが違えば話はどんどん食い違う

譲歩しているのだ、と双方が思っている

トランスジェンダー関連の話になると必ずトイレフロ問題が取りざたされるが、これについてはそれぞれの思う理想のゴールをきいてから始めたほうがいいのになと常々思っている

混浴を目指す人、身体的な区別を目指す人、ジェンダーでの区別を目指す人、それぞれ違う

いずれにしてもトランスジェンダーという存在を前提とした施設を考えていく必要はあるだろう

私自身の意見としては性別で分けられたスペースは維持されてほしいしそのうえで性別で分けないスペースの併設が望ましいと思っている

性別で分けないことを多くの人が望めば性別で分けられたスペースは縮小していくだろうが、そうでない場合一定数残していく

その数のバランスニーズによって考える必要があるがニーズが少なくともゼロにはしないという感覚があってほしい

それが多様性のある社会というものだろうから

以上、大体私が気になっていたことについての考えをまとめました

色々考えすぎてごちゃごちゃしていたのをまとめられてよかった

満足しました

2023-11-24

今の時代、女は結婚したら人生イージーモードじゃないというのは嘘

今は共働き時代というが、所詮パートの域を出ない範囲で増えてるだけである

なんなら大学生アルバイトみたいなもんだ

統計上、共働きと言われてるもの過半数扶養である

まり7割くらいは未だに主婦みたいなものなのだ

昔の話だから若い人間は違うと言う反論もあると思うが、働いてない主婦は30代が一番多い

出産仕事辞めてその後は主婦子供が大きくなったらパート主婦というライフスタイルに大きな変化は見られないようだ

よって女は配偶者収入依存して人生イージーモードができるというのは昔の話じゃないんだよね

何が共働き時代がーだよw

学生の子供がバイトしてたら皆働きにでもなるのだろうかw

2023-11-23

anond:20231123172457

どこに話を持っていきたいのか分からないな。

ハードに働いて成果を出している男性と同じ高い待遇を得たいなら、女性ハードに働くしかない。

ハードに働けない女性は、体力が無かったりライフスタイル選択ハードに働けない(働かない)男性と同じ低い待遇しか得られないというだけでは。

2023-11-20

anond:20231120171554

憧れのお嬢様ライフスタイルが、高度経済成長限定庶民でも実現できたってだけの話だよね。

子どものお守りは上の子にまかせて母親は働くのが本来庶民暮らしだよ。

2023-11-16

anond:20231115233657

冬の食糧を貯蓄するために集団労働するアリのライフスタイル弥生時代から変わってない

集団生活労働忌避音楽やって生きてるキリギリスライフタイル現代的かつ貴族

人類進化方向性キリギリスであり

過渡期の氷河期おじさんが死ぬのは仕方ない

2023-11-14

流山おおたかの森に住んで

夫婦子供二人の4人家族。評判のよさで買ったが色々大変だ

引きこもるには便利。でもちょっと足りない

駅前に何でもある。映画館もある。仕事リモートでこの範囲で全てを済ませるのなら便利。でもここから出ようとすると途端に不便

近所には柏、松戸新三郷があるが道路事情がよくない。主に6号。三郷に関しては江戸川を渡るのが大変。車あれば良いけど無いとつくばエクスプレス東武野田線を使わざる得なくなり運賃が高くつく。

夜が早い

もう町が住宅街なので凄く優等生都内駅前みたいなのは無い。ここは人が寝に帰る町

子育てやすくない

行政については整っている。しか休日に関してはキャパオーバー。この界隈に居る家族連れを受け止めきれる公園が無い。天気悪いとみんな駅前に行って駅前キャパオーバー。結果みんな天気悪いと家でSwitchやる。

無駄に高い家

褒められている部分は多々あるが、それが自分の家庭に必須かは検討した方が良い。ここじゃなきゃダメ!って要素じゃなければここより安い場所は多い。高台で車無いとキツイし言うほど森も無い。ただの新興住宅地

総合的には良い場所だが昨今は盲目的に褒められているのでもし検討している人は自分ライフスタイルに合っているか考えよう。お出かけ好きにはおススメしない。あと都内通勤にも

2023-11-13

anond:20231113010743

へーライフスタイルが違うから休憩に個室いらないんだ

実際いらん。個室で休憩したいと思うことがないな。

アメリカに住んでたときは車持ってたけど、それでも「車で休憩」という発想にはならなかったなあ。

anond:20231113005934

車がーとか言うけど車は「自分専用のオーディオテレビ・冷暖房完備個室休憩所」でもあるわけで、東京でそのレベルの休憩体験を得ようと思ったら車の維持費を遥かに越える金がかかる

この「休憩」って田舎特有ライフスタイルや働き方を前提にしてる感じがするな。

東京だとライフスタイルや働き方自体が違うからそもそもそんな「休憩体験自体必要としないように思う。

2023-11-12

かつてキチガイジャップ不夜城を誇ってたころ、すでにヨーロッパの国は夕方には店やオフィスを出たら、早々に家族と家で過ごすようにさせた。

日本人ディスコで躍り狂い、家に帰らず、躁鬱の躁期の患者のように毎日を過ごしていたころ、彼らハイテンションエコノミックニモーが欧州旅行して呟くには

ドイツフランスでは夕方になるとどこもかしこも閉まってしまう、不便!活気がない!」

というキチガイじみたざれごとであった。

それから数十年、ぶっ壊れたジャップの家庭はぶっ壊れた人間をうみ、ついには自慢の経済おかしくなり国家も失調している。

夜も寝ないで遊び狂った果てにつくりあげた国家の末路である

人間の正常な生き方ではないような生き方を、国民にさせ続ける国は、いずれ報いをうける。

俺はそう思っている。

夜中まで遊び狂う連中が、国家に少しは居てもいいと思う、しかし、それはあくまで周縁的な生き方普通ではないライフスタイルであり、そんなものは「推奨」すべきではない。

水商売ヤクザ者が、あぶれ者であるのと同じように、それらはあぶれ者の生き方に過ぎないというのが常識的判断というものであろ。

日本人は、そうやって、経済という魔神の祭壇に、くべてはいけないものや、捧げてはいけない魂まで捧げたから、

どんどん国がおかしくなっているという認識をしてはどうかと思うのだが。

そんなわけで俺は「寝るな」などという論調には賛成できない。

その国家の大半のまっとうな人間は、寝るべきときには寝るべきである

そういったまっとうな生き方ができない人間規範を推奨するような記事を書いてる記者はそこらへんの倫理のネジが狂ってるのだと思う。

夜中まで遊び歩く人間を増やさないと維持できない経済というのは、それはなにかが狂ってるので、

そんなことまでして経済なんぞ維持せんでよろしい、と考え説教するのが社会における「オトナ」の役割でないのか。

からこういうのは、日本という国家には、成熟したオトナが少ないという話ともリンクしてくるようにも思う。

2023-11-11

anond:20231110174253

実際、日本において占いの人気には男女間で差が存在すると考えられます。これは文化的社会的な要因に起因する可能性が高いです。

1. **文化的背景**:日本の文化では、若い女性の間でファッションライフスタイルの一環として占いが人気です。雑誌テレビインターネットなどのメディアが、特に女性向けに占いコンテンツを多く提供しています

2. **社会的な受容**:日本では、女性占いに興味を持つことが一般的に受け入れられていますが、男性占いに興味を持つことに対しては、まだ社会的偏見存在する可能性があります男性占いに対して興味を示すよりも、実用性や論理を重視する傾向があるとされています

3. **メディアの影響**:占い情報源となるメディアが、主に女性向けのコンテンツ提供しているため、女性占いに触れる機会が男性よりも多いと言えます

4. **個人の関心**:もちろん、これらは一般的な傾向であり、個々の人の関心や好みによって大きく異なります男性の中にも占いに興味を持つ人は存在します。

以上の点から日本における占いの人気には、男女間である程度の差が存在すると考えられますが、これは一般的な傾向に過ぎず、個人差は大きいと言えるでしょう。

2023-11-05

(追追記しました)(追記しました)国民皆保険制度になくなってほしい

(追追記

思ったよりバズり困惑する一方でこの話題に感心を持ってもらって嬉しくも思います表現の汚さは、連休中日の当直後、概日リズムを崩すまいと、徹夜明けのハイ状態で書いていた文章である事を以て言い訳とさせてください。

一点、誤解されている点を追記させてください。あん文章を書いておいてアレなのですが、私個人は、皆保険制度をまるごと消滅させるべきとは考えておりません。医者他人の金をクソの山に埋める事を生業としている現状を変えたいと思っているのです。

現状は、様々なプレイヤーが種々の程度で皆保険チャンに乱暴を加えている状況であり、それが日本の衰退を惹起させているのだと認識しております

(そして、すべてが手遅れになった際には、全て医師のせいにされるのであろうという、強い予感も感じております。)

しかしながら、ルール悪用されるに当たっては、悪いのは悪用されるルールの方です。日本だとこのルール及び細かい数字はよーわからん方々がエイヤーとやって定めているのだと理解しております

自己負担○割に変更するのも一つの手でしょうが、明確な理由も無くそ数字が定められる以上、本質的最適化ではないと思われます。勿論、1割よりかは3割の方が望ましいと思います

根本的にこれを是正するにあたって、米国の様に見えざる手に委ねるか、或いは英国の様に医療アクセスを絞り費用対効果分析から得られた結論トップダウンで課すか。

表題では医師というポジションのみを考え露悪的に前者を推してみましたが、現実的には後者でしょう。

まりは「○○歳の五体満足な人間一年間は、○○万円に相当し、bedriddenであればそれを0.○倍する」という、地球より重いはずの人命を日本円で測定する事をやらねばならない訳です。

忖度なしにこれをやると、いまの医療漬けのご老人方は壊滅すると思われますが、忖度無しに行うからこその費用対効果なのです。

このベースに加え、足りない分を、英国のように、修練を積んだconsultantにのみprivate practiceを許して補うという制度あたりがちょうど良いのだと考えております

もっとも、NHSは今絶賛ストライキ中ですが。

追記

医者バッシング一色になるかと思ったら、意外にもそうではなくびっくりしました。

我々の富が如何にして投資に回されず、誰のためにもならない形で浪費され、みんなで不幸になっているかを知ってもらうため、注目を引きたいが為に露悪的に、過激に書きました。ハマスがやってるような手法です。大勢の方々が気分を害されたと思いますが、誰も半裸にして引き回したりしてないので、許してね(^_-)

日本人が皆保険を手放す訳無いと理解しておりますし、仮にもし、皆保険制度がなくなったとしても、案外多くの勤務医がクソみたいな低い値段で医療提供し始め、そんなに人件費は上がらんじゃないかと思います。奴ら、どうしようもないお人好しばかりなので。

個人普段努めて優しく臨床をしております患者が憎いわけではないのです。先程私が口汚く罵ったような方々を実際に目の前にした際には、「大変だなぁ」と思います患者ご本人に対し、そして世話をする家族自分含めた医療従事者、そのシステムを支える皆様方や将来の子供たちに対して、です。

もうちょっと制度が違っていれば、もっとうまくいくのになあと感じます

さて、皆様に於かれましてはお医者さんが大嫌いな方も多いと思われますので、以下、医者を困らせる方法記載しておきます

これらをされると、我々のお客さんが「なんもしてないのに病気になった人」だけになってしまい、困ります

それでは、お大事になさってくださいね

(本文)

当方、お医者さんである

国民民主党の玉木議員医者給与を減らせというツイートが昨今話題になっている。その理由医療に金がかかりすぎ、成長と全体の幸福を損ねているから、らしい。

ここに、手っ取り早い解決法を提案したいと思う。国民皆保険制度廃止すれば良い。

国民皆保険制度、そして高額医療制度は非効率医療サービスバラマキを行っている。

発熱すらしていないコロナ患者に対するラゲブリオや末期肝硬変患者貧血に対するエリスロポエチン。どうしようもなくボケちまった爺さん婆さんはあめ玉のようにアリセプトを舐めている。大正まれのご老人に順内と血外の連中がTAVIやらEVAR,TEVARをするせいで、ピンピンコロリへの道筋が絶たれていく。一種の老人病であるアミロイドシスという病気にタファミジスのような冗談みたいな価格の薬が投与される。

PD-1阻害薬なんて薬ができたせいで森○朗が復活してしまい、東京五輪遺憾無く老害っぷりを発揮したのは記憶に新しい。ヤニカス年金を受け取る前に早く死んでくれるから財政的にトントンだったのであって、延命してしまえば単なる息の臭い金食い虫だ。

糖尿病腎臓をぶっ壊せば医療費がタダになる上に週3人工透析をする権利付与される。これは米国だと週2回である別に週2でも死にはしないのだが、政治家にとっての票田、透析病院にとってのアクティブユーザー数を維持する為に週3となった。

そして今後これにレカネマブが加わる。

この話を欧米医者にすると、イかれてんなwどこからその金が出てんの?、と言われる。納税者の財布からである日銀円債を引き受け、円の価値希釈させることでそれを行うこともやっている。

世間イメージとは裏腹で、日本医療従事者の人件費はとても安い。

これは一人当たり医療支出を見れば明らかだ(4,691ドルOECD加盟中15位/38位)。上述のような無意味バラマキをしており、かつ失敗国家のような人口比率であるのにもかかわらず、日本医療支出相対的に低い。何故か?それは医療従事者の人件費が安く押さえられているからだ。

米国医者看護師給与水準は日本の5〜6倍くらいはある。最近円安でそれにブーストがかかった。米国の一人あたりGDP日本の2倍程度であるのを考慮しても、単純計算で3倍もらっていいことになる。しかも、日本医療サービス必要とする高齢者割合が高く、富は高齢者に集中している。その上、日本人口あたりの医者数は米国の二分の一強しかいない(看護師数は知らん)。自由競争が許されれば、価格はどこまで上げて良いのだろうか?

社会主義的な医療制度採用しているカナダオーストラリアイギリス比較しても日本医療従事者の待遇は地を這うような水準だ。この差は、これら国々は費用対効果に見合う医療のみ提供する事より生まれる。そして、費用対効果という言葉日本で最も忌み嫌われる言葉だ。医は算術ではなく、バラマキなのである

少々話が脱線するが、日本医療は安いだけでなく、質が良い。

看護師の方々の礼節は海外比較するとびっくりする程だ。大して金を払っていない患者に対して奴隷の如くクソ丁重にもてなす個人的にやめたほうがいいと思っている)。消化器の先生海外ではまず不可能であろうESDなどを華麗にこなしてみせる。外科先生はクソ面倒くさいリンパ節郭清などを毎回丁寧にやってらっしゃる(あれエビデンスあるんすか?)。心外脳外婦人科先生方はキチガイじみた24hオンコールを律儀に請け負っている。

ネットに出没する出羽守の方々が海外で稼げなくなってから日本凱旋するのはまさにこれが理由である医療が安いだけが理由であったのなら、金が腐るほどある金持ち海外医療を受け、そこを終の住処とするだろう。

要するに国民皆保険制度医療従事者を抑圧する制度でもあるということだ。

この手の話題では、医業の独占を医者から譲り渡すべきだという議論になりがちがだが、別にそうすればいいと思う。

chatGPTの言われた通りに動けば素人でも9割方正解を出せる(残り一割はとんでもなく間違う)。

ただ、麻薬とか向精神薬とか抗癌剤など人を殺せる系薬剤の処方権をお譲りするのは難しいと思うし、無免許医が患者不利益を及ぼした場合、たとえ事前の患者同意があったとしても殺人罪やら傷害罪適応されるべきだと思う。じゃないと麻薬密売やら自殺幇助などがはびこるだろう。

血圧とか糖尿病の薬程度であれば各々自由にやればいいんじゃないかな。ここら辺も匙加減間違うと死ぬけどね。

ネット上では医者が率先して寝たきり患者を量産していることとなっているが、それは嘘だ。寝たきり患者が増えることで得をするのは病院であって、医者ではない(そして、病院にも大した得にならない)。医者胃瘻やら中心静脈栄養やら喉頭気管分離を行うのは、家族から「できることはやってあげてください」、或いは「昇圧剤と心マは希望しないけど、他はやってください」と言われるためである。一度そう言われてしまうと、文字通りできる限りの事をしないと訴訟医師免許お取り潰し、場合によっては殺人罪を着せられることになる。延命を行わないことのデメリットが甚大である一方で、メリットは皆無なのだ

そんな中でも過去ALS患者安楽死させようとした医者や、透析を中断させようとさせた医者過去に居たが、日本人はその行為の是非を議論しようとはせず、彼らは司法やらメディアの袋叩きに逢い、無事死亡した。

「寝たきり患者量産」は、国是であり、日本国民の総意なのだ

医療従事者は、低所得者生活保護者ともっと交流する職業のうちの一つだ。実際に相手をしてみると解るが、大抵彼らは愚かで、卑しく、救い難い。そんな人々を相手にしたくないし、彼らのために真面目に労働納税している人々の税金を注ぎ込む際には良心が痛む。

だが、そうせざるを得ない。国民皆保険制度がそうさせているのだ。

国民皆保険制度廃止することのメリットは以下の通りだ

デメリットは以下の通りである

要するにフリーライダー死ぬということである

ただ、想像してみてほしい。ご高齢の方々は、周囲からまれながら、そんなに長く生きたいだろうか?役目を終え、尊敬される老人のまま、死にたくないか

デブアル中、ヤニカスの皆様方は、太く短い生涯を送りたくて、そういったライフスタイルを営んでいるのではないだろうか?

そしてなんといっても皆さん、フリーライダーは、お嫌いでしょう??

「お前もいずれは高齢者になる」と言われるが、私の経験では生産可能年齢を過ぎてから延命は本人含め、誰も幸せにしない。

病院に巣くうご老人方は醜く礼節に欠きそれでいて生産性は皆無である家族含めた周囲は陰に陽に早く死んでほしいと考えている。そんな中貴重な医療資源を浪費し、死ぬはずであった今日先延ばしにしているご本人は少しも幸せそうでなく、それどころか不機嫌な顔をしている。飯塚○三のような、あの顔である

医療に縋らないと生きられない時点で、生物として破綻しているのである。そんな中長く生きても、なーーーーーーーーーーーんもいいことないよ。

私は、基本的には人の為になりたくて医者になった。給与労働条件が他国に比べてイけてないのはまだ我慢できる。だが、劣悪な労働条件で滅私奉公し、それが故に国賊の様に扱われるのは納得がいかない。国民皆保険制度医療従事者の待遇悪化させているだけではなく、医療従事者が頑張れば頑張るほど、日本国民、および患者とその家族不利益を及ぼすような制度設計になっている。悪いのは制度であって、医療従事者でも、患者でも、老人でもないのだ。

保険制度は捨て去られるべきだ。

レッツ、レッセフェーーーーーーーール!!!!!!!!!

2023-11-02

[]

きのう夜はやくねた

22時前くらい

めっちゃ早起きしてなんかしよーとおもったけど結局最終的に起きたのは6時半くらいだった

アラームだけは何度もスヌーズでなったから途中で何度も無駄に起きてトイレ行ったりした

それでもすっきりしてるのはやっぱり睡眠は満たされてんだろうな

夢もあんまみなかった気がするし

でもこのライフスタイルだと平日ほぼなんもできねーんだよなあ

あ、あときのうはよるの時点でもそこまで疲れ切ってなかった気もするしそれもあったのかな

寝る時点で疲労困憊だったらさすがに何度もアラームで起きてたら疲れ取れてなかったきがするわ

のりこかわえー

2023-10-23

anond:20231023084216

自転車バイク乗らないとして通常移動に電車で困らない場所なら実際不要から

ライフスタイルとしてよほど乗りたい人じゃない限りはなくていいしどうしてもなら年数回レンタカーとかの人もいるだろう

2023-10-12

35歳前にして何を目標に生きればいいのかわからなくなってきた

生き方の指針が見えてこない。





若かりし頃は女や金を手に入れるため、あれこれにアンテナを張り、努力してきた。

おかげで今では若く優しい嫁と好条件の収入に恵まれ、どちらも満足している。


しかし、それ故に、今後何を目標にして生きるのかがわからなくなって、今何もやる気が出ない。

一般的には『子育てが生きがい』と答える人が多いだろうし、そのつもりでいる。

しかし現状子供はいないし、今後出来ないかもしれないから、指針としては一旦扱わないことにする。


もう若くない。髪は白髪が出始め、お腹も出てきた。

異性の対象から外れ始めてるのを日々感じる。所帯持ちだからまだいいが、独身だと本当に絶望すると思う。


『金』も稼げるようになったけど、税金保険代がエグいほどかかって、稼ぐモチベーションも失われてる。

正直、ここまで累進税がキツイとは思わなかった。


マイホームを買ってローン返済』を言う人もいるだろうけど、夫婦どちらもローンは嫌いなので無い。

老後向けに小さい中古戸建て買うとかはあるかもしれんが、35年フルローンとかは微塵も考えてない。


趣味』という声もあると思うが、趣味インカムの1要因になっているので、純粋に楽しめない側面がある。

世の同年代や年上の増田は、いったい何を目標に生きてるのか

是非聞いてみたい。

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追記】先輩方からコメント、ありがたく読ませて頂きました。ありがとう

最初にも書いたけど、出来るかわからいか子供の話は今回スルーした。ごめん。

けど「子供が出来たらいい父親になりそう」ってのは嬉しい。照れる。


ロードバイクバイクヨガサーフィンはいいぞ/新しい趣味を見つけて幸せになってほしい

自分ライフスタイルとは全く無縁なものばかりだ・・・ありがとうサーフィンはともかく、あとの3つは一人でも出来そうだね。

筋トレは何度かやってみたけど、あまり持続しなかったな・・・


起業したら?/趣味があればそれをやるための資金確保とか、時間確保が目標になる

実はもう起業してるんだ。法人4期目になる。コロナの時は死ぬかと思ったけど今は安定してる。

繁忙期は仕事がとりあえずは時間潰してくれるけど、今は閑散期で時間がめちゃくちゃあるから今回のエントリの心境になったんだ。


■>趣味に絞れば、受動趣味 能動趣味 のバランス大事だなーって思ったことがある

めちゃくちゃわかりすぎて三度見してしまった。本当にこれだね。

自分もどうしても能動型になって、あれこれ作り始めてしまう。

今の法人も元々趣味が高じて始めたものなんだ。


■>今が体力と知識ピーク、あとは毎年1年ずつ時代遅れになっていく

刺さる・・・・・・学習はいつまでも大事だなとよく思う。

最新の論文からTikTok動画まで、あらゆる面で勉強することを忘れないよう心がけてる。


■嫁さん大事しろ

テンプレだけど、自分にはもったいないぐらいの良い嫁だよ。出会いから数えてもう6年になる。

伴侶は人生をも左右するから、めちゃくちゃ本気で探した。


不妊小梨旦那けが生き甲斐

本当に強く生きて欲しい・・・

同じ境遇だったら自分離婚切り出すかもしれん。

anond:20231010214843

あなたお話から仕事に対するストレスや不満が大きいことがわかりました。仕事が嫌で、早く家に帰りたいと思うのは当然の感情だと思います

仕事に対するストレスや不満を解消するためには、以下の方法が考えられます

仕事目標やりがいを明確にすることで、仕事に対するモチベーションが高まりストレスを軽減することができます

例えば、あなた営業職であれば、新規顧客開拓して、売上をアップさせることが目標かもしれません。また、あなたエンジニアであれば、新しい技術習得して、より良いサービスを開発することが目標かもしれません。

仕事目標やりがいを明確にするために、以下の質問自分に問いかけてみましょう。

仕事の嫌なことは、一人で抱え込まずに、誰かに相談しましょう。家族や友人、上司や同僚など、信頼できる人に相談することで、ストレスを軽減することができます

また、カウンセラー相談するのも一つの方法です。カウンセラーは、あなたの話を傾聴し、客観的アドバイスをしてくれるでしょう。

仕事で溜まったストレスを、適度に発散することも大切です。趣味スポーツ旅行など、好きなことに没頭して、リフレッシュしましょう。

  • 仕事以外の楽しみを見つける

仕事以外の楽しみを見つけることで、仕事に対するストレスや不満を軽減することができます

例えば、趣味ボランティア活動旅行など、仕事以外の楽しみを見つけてみましょう。

もちろん、これらの方法を試してみても、仕事に対するストレスや不満が解消されない場合は、転職検討してみるのも一つの方法です。

転職検討する際には、以下のポイントを押さえておきましょう。

あなたは、仕事に対するストレスや不満を解消し、仕事プライベートの両方を充実させたいと考えているのだと思います。そのためには、自分に合った方法ストレスや不満を解消することが大切です。

ぜひ、これらの方法を参考にして、仕事に対するストレスや不満を解消し、充実した人生を送ってください。

2023-10-06

anond:20231006000155

ソシャゲ課金するか、フィギュアを買うか、どちらを選ぶかは、各自趣味価値観依存する話だべね。人それぞれ楽しみ方があるし、お金を使う方法個人自由だべ。

一方で、お金を貯めたり生産的な投資を考えることも大切だべ。経済個人財政に関してはいろんな意見があるけど、お金の使い道は個々に違うし、自分人生を楽しむためにもお金を使うことは大事だべと思うべ。

日本経済賃金問題については、複雑で多様な要因が影響しているから、一つの要因だけでは語りきれないべ。最終的には、自分ライフスタイル目標に応じてお金を使う方法を選ぶのが一番だべ。人々はみんな違うし、その違いを尊重するべきだべ。

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

(追記)インターネットが変わったか結婚した

インターネットが大好きだった。現在アラサーだけど小学校低学年の頃からネットに入り浸ってた。

人付き合いが苦手でリアルでは周りに合わせてニコニコしてるだけ、家に帰ってきたら疲れすぎて寝ちゃうみたいな私にとってはネット天国だった。好きな人とだけ好きな話が好きなだけできるし、ニコニコ動画で「www」って書き込むだけだけどなんだかみんなで仲良く楽しんでる感じがして楽しかった。こう書くと笑われるだろうけど。

大学生になっても社会人になってもネットSNSに入り浸り続けてたけど、コロナあたりから何かが変わった気がする。

うまく言えないけど、ネットが変わってしまった。

「それ匿名掲示板でも叩かれるんじゃないか」と私でも引くレベル暴言悪口冷笑普通の人が普通つぶやくのが増えた気がするし

いわゆる「釣り耐性」がない人が、アフィカス政治的扇動に釣られまくって踊らされている。

特に前者は深刻だと思う。

昔のネット悪口酷かったけど、それはあくま2chの中の話だった。今や2chのノリが全ネットに広がり、リアルにまで広がってる感じがある。それに悪気なくまたは意図的デマを広げる人が組み合わさってもうどうしようもない感じになってる。陰湿さが段違い。

私が好きだったネットが無くなってしまたことに絶望して、とりあえず婚活することにした。

リアルが辛いかネットに救いを求めてた私がネットが辛いかリアルに救いを求める日が来るとは思わなかった。ネットにいられなくなって誰とも話せなくなることを恐れて、リアルの繋がりを求め始めた。

先日無事婚約して同棲を始めた。夫は別にハイスペとかではなく平凡な人だけど人への思いやりがある最高の人で、おはようおやすみを言い合えて安心できる相手がいるのはなんて幸せことなんだろう。

さらに、なんと陰キャの私が習い事に行ったりマッチングアプリを使って同性の友達をたくさん作って遊ぶなんてするようになった。

リアルの繋がりをたくさん作ってみてわかったのは、今はネットにいるよりリアルにいるほうが楽だということ。少なくとも私にとっては。

ネットに疲れちゃった人はリアルでの交流を増やすことを強くおすすめしたい。真面目に。

(追記)

何の追記って感じだけど、そういえばX(Twitter)でもわりと治安が保たれてる場所があったなあと思い出した。

婚活前にダイエットするためにダイエット用のアカウント作ったんだけど、みんな同じ目的があって同じしんどい思いしながら運動やら食事制限やらしてるからか思いやりのあるすごいあたたか空間になってた。

もちろん中にはエアリプ悪口言ったりする人もいるっちゃいたけどほんとに少数だった。

誰ががいい感じのごはん作ったらおいしそー!自炊頑張ってて偉すぎる!みたいにみんな言うし誰かが痩せたらみんな素直におめでとう!素敵だー!みたいな感じで。

身体や顔の一部を晒してる人が多いか匿名性が薄くてリアルの繋がりに似てる、体重とかライフスタイルとかもさらけ出すっていうリアル友達にも話さなレベルの話してるから親近感が湧くのかもしれない。

ダイエットアカウントとボディメイクアカウントがなぜか交流しがちで、ゴリゴリマッチョフォローされがちで

バカにしたいのか…?と警戒してたけど、めちゃくちゃ性格良い人ばっかりで眩しかったりも。

もうアカウント消したけどLINE交換してリアル友達になった人がたくさんいる。ついこないだも蒸し野菜ランチ食べた後散歩してきた。

あと、10年前くらいからそうじゃない?っていうのはそう。

ただ、ここ数年で特にX(Twitter)やtiktokYouTube治安は驚くほど悪化したと思う。デマ過激発言炎上させる→アフィの流れが分からなくて作られた炎上に踊らされてる人が大量にいてあちらこちらで常に火事が起こってる感じ。

というかアフィとは何かすら知らないレベルの人もいるし、ネットを触るべきではない知能レベルの人たちがうまいこと利用されてるのがとても嫌だ。怒りは貧しいものに許された唯一の娯楽みたいなのがあったけど、それを見てるのがつらい。

あと、前は過激な人たちが自分過激だと自覚しながら暴れてたような気がするけど、今は過激な人が自分普通だし正義だみたいな感じでのさばってるのが見てられない。

便所の落書きが街中にそこらじゅうにあるみたいな…

2023-09-25

ポイ活と断捨離の違い

「ポイ活」と「断捨離」は、共に物を減らすことやシンプル生活を目指すコンセプトですが、違いがあります

定義起源

ポイ活:「ポイ」は「捨てる」を意味する俗語の「ポイ捨てから来ています。ポイ活は不要もの、使わなくなったもの積極的に捨てる活動や考え方を指します。短期間で大量に捨てることが特徴的です。

断捨離:「断」は不要ものを断ち切る、「捨」は物を捨てる、「離」は物への執着を離れる、という意味合いがあります。この言葉は、やましたひでこ氏が提唱して広まったものです。断捨離は単に物を捨てるだけでなく、物に対する価値観や考え方を見直し、本当に必要ものだけを持つライフスタイルを目指す哲学や考え方を含むものです。

アプローチ

ポイ活: 短期間での大量処分目的としていることが多く、急激にスペースを空けることが目的の時に効果的です。

断捨離: 物を捨てるプロセス自体重要な要素となっており、心の中での整理や過去との決別、物への依存から解放など、精神的な側面も強く含まれています

持続性

ポイ活: 一時的に大量に物を捨てることでスペースを確保することが主な目的です。

断捨離: 持続的なシンプル生活を目指し、断捨離を行った後もそのライフスタイル継続しようとする哲学があります

結論として、ポイ活は「物を捨てる」ことに重点を置いたアプローチであり、断捨離は「物やライフスタイルを見直す」ことに重点を置いたアプローチと言えます

2023-09-20

anond:20230920144828

そんなことはない

落ちぶれて高級物件を維持できなくなった時、その時の成り上がり物が高級物件を欲しがる

子育て終わって部屋を小さくしたいとき、新たな子育て世代がそれを買う

そうやってライフスタイルの変化によって必要ものは日々変わるが、代わりにそれを欲しい人も日々生まれ

増田心配するような日本世界転覆するような変化は予想してできるもんじゃいから考えても無駄と思うし、もしそうなったらその時に価値ある物件持ってても生き抜ける保証もない

地方で畑やれば何があっても生きていけるかもしれないけど、起きるかわからない大災害に備えて今から農家になりたいかって言われるとな

結局今をしっかり生きるしかないんだよ

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