はてなキーワード: ももちとは
ドラマ版一話を観て今まであれだけ好きで同人誌版まで読みこんでいた「きのう何食べた」を売った。
決定的な理由はただひとつ、シロさんをどうしても推し俳優にやってほしかったからだ。
約6年間脳内で推し俳優で再生し続けた結果、現実に訪れた実写化への拒絶反応が思ったより深刻で
大切にしていた分売るのも忍びなく、溶解処分してくれるところに送った。
「きのう何食べた?」と出会ったのはツイッターのおかげである。
ドラマや映画に時間を取られ普段あまり漫画を読まなくなっていたところに
“シロさんを脳内で○○(推し俳優)で再生してる”というような
ツイートが流れてきて、同じファンの幾人かがそれに賛同していた。
どういう漫画かもわからず検索したらすっきりとした絵の漫画の情報が出てきた。
西洋骨董洋菓子店の人だとすぐわかった。あれはそこそこ面白かった記憶がある。
その週のうちに1巻を買い、次の週には当時出ていた全巻を揃えた。5巻まで出ていたころだった。
正直、読んだ当時は強烈に面白いとまでは思わなかった。
それでも最新話は立ち読みするようになり、単行本は必ず買い、ついには同人誌まで購入するようになった。
何食べきっかけでBLも読むようになったけど、私にとって一番のカップルはずっとシロさんとケンジだった。
これといって大きな事件の起こらないシロさんとケンジの暮らしがいつの間にか自分にとって本当に愛おしい物語になっていた。
売れている漫画だしきっとそういう読者が私以外にもたくさんいるのだろう。
ただ私が間違ってしまった事は、ツイッターで知った時からこの漫画を脳内でずっっっっと
作者の実績からいっても実写化はいつかするだろうと思っていたし、
推しがキャスティングされる可能性が低い事は理解していたつもりだった。
それでもツイッターなどで実写化の妄想キャスティングが盛り上がるたび
推しの名前が挙がるので、もしかしたら実現するかも…という期待があったのだと思う。
実際に発表された時点では、実はあまりダメージは受けていなかった。
実写と漫画は別だし、と割切るつもりだった。
しかし当然ながらドラマ化にあたりプロモーションはどんどん熱が入っていく。
どんどん漫画と実写が並べられて「これは同じキャラクターですよ」と言われる。
どんどん各種インタビュー記事が上がりこの俳優たちが“シロさん”と“ケンジ”ですよというプロモーションがつみあがっていく。
意外とダメージを受けている自分に気づき途中から目を通さないようにしていたが
駅にドラマのキャストと漫画のキャラが並べられた広告が出たのには笑ってしまった。駅に地雷が設置されてるなんてことある?
そして決定的だったのは作者が今後この実写化を原作に取り入れていく…というようなインタビューをwebで見てしまった事だった。
正直パニックになってしまいすぐ閉じたのでどういう意味だったのか思い出せないけど二度と読むことはないからまぁいいか。
とにかくもうダメかも…ギブかも…と思った。
でもせめて別物にしておく余地をもうちょっと残して置いてくれよ!!
それにこのプロモーションなら今後実写から入った人は実写のキャストを念頭に漫画を読むんだと思ったらなぜかそれもつらかった。
無理だ。
それでも1話は観ようと踏ん張った。
観たら案外いいかもしれない、案ずるよりなんとやらで観たら別物と思えるかもしれない…
ハイそれで昨日観ました。
ケンジはおどろいた。正直こちらの方がどうなるのかわからないななんて思っていた事を恥じた。
ケンジはめちゃくちゃハマってると思う。
ケンジ動いてる!!と感動した。
でもシロさんがさ…なんかムキムキじゃん知ってるよこの人なんかムキムキでしょ!!!別のドラマで見たよ!!黒いし!!
マジでこれならなんで推しじゃないの!?推しでよくない!??ハァ???
これ見たいなら家電のCMでいつでも見れるだろうが!!!!!!!
これはシロさんじゃなくていつものこいつだよ!!!!!!!!!!!!!!!
力が入っていて、絶対当てるぞという意識の高さがもう画面の隅から隅まで充満している。
「これを推しで観たかった!!」という悔しさがすべてを上回ってしまう。
どうせこれから7月までの間にツイッターでドラマに精通してるアルファ実況クラスタやらライターがこぞって褒め称え
ギャラクシー賞かなんか獲るんだろ。あーもういやだ。考えただけでつらくなる。
すべて私が悪くて私の責任だ。
この原作を好きになったことがそもそもの間違いだったんだなと一日考えて結論付けた。
この増田は頭の整理のために打ってるんだけど、
打っているうちに気がついた。
私は好きだった漫画にとっていらない読者になってしまったのがつらかったんだ。
みんなにとって文句のつけどころの無い喜ばしい実写化を受け入れられない悪い読者、
足を引っ張る読者、ターゲット外の読者だったことに気づいてしまったから苦しいんだ。
原作はまだまだ続くだろうけどもう読めない。
というか読む資格が無くなったと今は感じる。
そもそもここ最近はすでに開くのもつらかった。表紙すらつらい。
好きだった漫画がいつの間にか全く違うものになっていた気がしてしまうけど、そもそも自分の楽しみ方が間違っていたという事実に愕然とする。
あー本当にすいませんでした。私みたいなのが読んじゃって。好きな漫画とかいっちゃって。ご迷惑おかけしました。
というわけで全巻処分した。今まで楽しませてくれてありがとう何食べ。
人に布教するために何度もいろんな人に貸したり
本当にいろんな思い出がある。
お世話になりました。
日付が変わる前にどこかに吐き出さないとさらに頭がおかしくなりそうなのでここに流すことにした。
何か察した友人やフォロワーの皆様はしばらくそっとしておいてほしい。
最後にもう一回言う
先日、ドスパラがリマーク疑惑をかけられた自社ブランドのSSD「Z1シリーズ」の調査結果を発表し、そこそこ反響を呼んでいるようです。「疑惑はそこじゃない」というのが主流の反応なのですが、ここで反論しておこうと思います。
私の中での結論は、「誰も何も問題のある行動をしていないし、製品にも問題はない」です。順を追って説明します。
念のため書いておきますが、私はドスパラの関係者ではありません。
そもそもの疑惑は、某ツイッターアカウント(アカウントAとします)が「Z1」を購入して分解し、疑惑を突きつけたところから始まります。「Z1」発売に当たり、ドスパラの公式ツイッターアカウントが分解写真を載せ、MicronのNANDが乗っていますね、というようなツイートをしたのですが、それにアカウントAが反応した形です。
分解したところ、NANDチップの表面がコーティングされていることに気付き、削ったらSpecTekの型番(正確には型番を短く表記した型番コード)が出てきたというのです。
SpecTekのチップにMicronのロゴと型番を上書きしている、これは「リマーク品」だ、というわけです。
少し面倒な話なのですが、これには前提となるエピソードがあります。
SSDに限らずPCパーツは多くが中国の工場で生産されています。中国全体を見た時の技術力向上は目覚ましいものがありますが、昔と変わらず偽物文化も根強く残っているようです。SSDも例外ではなく、怪しげなSSD用基板、怪しげなNANDチップが通販で売られています。中には廃棄品の横流しが疑われるようなものなどもあるようです。
少し前、明らかに正規品ではないNANDチップが搭載されたSSDが複数見付かり、話題になりました。日本に入ってきていない中国メーカーのものなのですが、同じデザインの基板を使っている、NANDチップの表面の刻印がおかしい(型番を消すように斜線が引かれている、網掛けされているなど)という共通点がありました。
アカウントAがドスパラのSSDのツイートに反応したのは、そのデザインの基板が使われていたからです。
補足しておきますが、別メーカーのSSDに共通の基板デザインが見られるのはよくあることです。私はSATA2の頃からウォッチしていますが、その頃既にありました。中国には基板設計と生産を行う下請け業者がいます。SSDの基板の基本構造はそう変わらないので、ベースデザインを基に少しアレンジしただけの基板が複数のメーカーに出回るというわけです。もちろん、同じSSDメーカーからOEM供給を受けているので中身がほとんど同じになるということもあります。
国内で流通しているSSDでも、別メーカーのSSDがほぼ同じ基板デザインを採用している例は複数あります。もちろん怪しい聞いたことのないようなメーカーではなく、です。これらの事情を考えると基板デザインをフックに疑惑を持つことがそもそも不適切であり、他の根拠はこれから探すというのであれば、言いがかりであると言えます。
話を戻しますが、これは中国でも問題視され、ニュースにもなったようです。アカウントAの人は、この報道を元にそのデザインの基板=不正品の疑惑があるという思い込みをしました。そしてドスパラのSSDを買って分解したわけですが、副産物としてNANDチップのコーティングに気付きました。
さらに、アカウントAの人はSpecTekの公開している資料を元に、型番にある「SG」という文字列が「テスト不合格品」であると断じました。
ドスパラはこれに反応し、「Z1シリーズ」のOEM販売元である台湾Ritekに確認、問題はないとの回答を得て発表します。同時に、第三者機関に調査を依頼するとしました。その発表が今回あったということです。
ここまでが経緯です。
まとめると、疑惑は2つあったと言えます(基板の話は論ずるに値しないので除外します)。
SpecTekのホームページを見れば分かるのですが、サイト運営会社がMicron Technologyになっています。「About(会社概要)」のページを開けば、SpecTekはMicronの「division(部署)」であると明記されています。子会社(subsidiary)ですらない、同じ会社ということです。SpecTekの半導体チップはMicronの工場で生産されています。事務所もMicronのアメリカ本社内にあります。
要するに、SpecTekの型番が入ったNANDチップはMicronの工場で生産されたものです。Micron用、SpecTek用で生産ラインが分かれているのかは分かりませんが、仮に分かれていたとしても、Micronの工場で生産したNANDチップにMicronがロゴを再刻印してMicronブランドとして販売することに何の問題があるでしょうか。
アカウントAの人が勘違いした理由はシンプルで、SpecTekとMicronが同じ会社だということを知らなかったからです。
ここは私の想像ですが、単純にSpecTekブランドで出荷予定だったNANDチップに注文のキャンセルなどがあり、同じ仕様のNANDの注文があったMicron側に渡したというだけの話ではないでしょうか。
NANDチップにわざわざコーティングを施して刻印をし直すという手間をかけている点は、アカウントAの人も「初めて見た」とツイートしています。それもそのはずで、不正なNANDチップを使うのはひとえに安いからであって、隠すためにNANDチップ1枚1枚にコストをかけるのはナンセンスだからです。ここからも、Micronが妥当な手続きを経てNANDを出荷したと推測できます。
これだけで疑惑が成立しなくなるとは思いますが、一応もう1つの品質問題にも触れておきます。
低品質という疑惑には、2つの入り口がありました。「リマーク品」であるという点と、「SG」刻印の問題です。前者は説明済みなので、後者の解説をします。
SpecTekは「NAND Flash Component Part Numbering Guide」というPDFを公開しています。ここに型番の読み方が書いてあるわけです。
「SG」は末尾につく2桁のコードで、「Grade and Product Definition」と定義されています。例えば、「AS」は「Full Spec for SSD(100%)」となっています。SSD用のNANDチップということですね。
問題の「SG」は「Simple Test Passers/Extended Test Failures」となっています。アカウントAの人は、これを「簡易テストに合格、かつ拡張テストに不合格」だから不合格品だと考えたわけです。
しかし、この読み方には問題があります。ポイントは「/」の読み取り方です。例として「S5」を見てみましょう。「Partially Tested, est yield of 50%」となっており、「部分的にテスト済み、容量の推定50%」という意味です。「/」ではなく「,」が使われています。意図的に使い分けているということです。他の使用例の紹介は割愛しますが、よく読むと「A/B」は「AまたはB」、「C,D」は「CかつD」という意味で使われているのが分かります。
つまり、「Simple Test Passers/Extended Test Failures」は「簡易テストに合格、または拡張テストに不合格」、つまり出荷されたのは「簡易テストだけを実行しており、それには合格した」チップであると考えるのが妥当です。
Micronが生産してMicronブランドで販売するNANDチップなのですから、製品に使えないものを出荷するはずがありません。そもそも簡易テストと拡張テストの内容が分からない以上、これだけを見て判断すること自体が間違っているとも言えます。拡張テストは「不合格でも特定の製品には利用できる」という可能性もあるわけです。
もう一つ、SpecTekは「SG」の入った型番を普通に売っているというのもあります。SpecTekの製品ページではNANDチップの「Part Number(型番)」の一覧を確認できます。そこに、「SG」の入った型番が大量に載っているんです。「SG=廃棄品」なんかではありません。
加えて、ドスパラが今回出した第三者機関のテスト結果です。実機でテストして他のメーカーの製品と特段差がなかったという結果でした。この調査自体は、比較対象2製品のうち1製品がS.M.A.R.T.に寿命の項目がない、調査機関の名前が公表されていない、の2点からイマイチ感が強いのですが、100TB以上書き込んでピンピンしているというのは格安SSDとしては上等だと思います。100TBというデータ量は、毎日50GBずつ書き込んでも約5年半かかります。一般的なパソコンの使い方ではそんなに書き込まないので、心配するだけ無駄というか、むしろ安心です。
以上で説明は終わりです。
冷静に一次情報に当たれば、第三者機関の調査なんて待たずに言いがかりだと分かる内容でした。
また、製品の内部パーツをどうこう言うのは自作PC業界の独特な慣習なのでそこは尊重しますが、そもそも製品が保証すべきは「製品スペック」であるということは覚えておくべきだと思います。「Micron製NAND搭載」とうたったのであれば、Micron以外のNANDは使ってはいけません。しかし、ある個体を開けたらMicron製NANDが使われていた、というのは製品がMicron製NANDを使っていることを保証しません。仮に別の個体にHynixのNANDが入っていても文句を言う筋合いはないのです。
今回に限って言えば、内部写真を公開したのがドスパラの公式アカウントだったことと、勘違いとはいえリマーク疑惑が出たので同一視していいのかは微妙ですが、本来ドスパラが保証すべきは寸法とインターフェース、SMI製コントローラー、TLC NAND、最大読み書き速度くらいです。
ドスパラの対応でイマイチだなあと思うのはリマークを明確に否定しなかったことですが、販売店という立場があり、自社ブランドについてはメーカーとしての立場もあり、言えないこともあるのでしょう。自分のコメントではなく、あくまでRitekと第三者機関の言葉をベースに対外発表しているのは正しい対応であり、批判に当たらないと思われます。
iPhoneだって、かつて「A9」がSamsung製とTSMC製の2種類があり、TSMC製の方がバッテリーが長持ちするなんて騒動がありました。しかしAppleは両者から供給を受けていることは認めつつ何も対応しませんでした(検証報道を批判したりはしましたが)。両方とも公表しているスペックを満たしているのなら、本来この対応が正しいんです。
MicronがMicronブランドのNANDを販売したのですから、Micronに問題はありませんし、それを買って使ったRitekにももちろん問題はありません。販売したドスパラにも問題はありません。どちらかと言うと、本来問題視されることのないNANDチップのコーティングを剥がしてまで筋違いな問題提起をしたことの方が問題なのではないでしょうか。NANDチップの刻印は、購入したエンドユーザーに見せるためのものではありません。iPhoneを分解して、筐体の内側にマーカーで目印が書いてあったら文句を言いますか?今回アカウントAの人がやったのはそのレベルのことだと思っています。
最後に、こんなことを言うのもなんですが、アカウントAの人は、かつてリンクスインターナショナルの販売したColorful TechnologyのSSDにも同様に基板デザインを起点にした疑惑をかけ、言いがかりだったことが判明しても謝罪のコメント1つ出さなかった人です(ご本人は、偽装NANDである証明はできないけど本物である証明もできないからセーフとでも思っているのかもしれませんが)。この人の言動を元に疑惑を拡散すること自体が不適切だと言えます。
補足の文章を書きました。
そこでプラットフォーム開発部のチームリーダー言われた、ちょっとおもしろい発言を紹介する
まぁ、ゼンリンデータコム って所なんだけどね。
私の名前はAAAと仮定する。印象的なものだけ一部。(身バレは全然いいけど)
① は入る前の顔合わせの時、言わないとね。
② は、開発内のチームミーティングに部長が参加させてもらうという形なのに、なんで下座に移動させられるの?
③ は、下って誰の事かな?
④ は、予防接種を"強制"って言って受けさせるのはちょっとまずいよね。自分は受けてないけど。
⑤ は、B社と契約した携帯を開発用途として用意してくれればいいよね。なんで派遣先の受注案件によって、私の携帯キャリア変えないといけないのかな?
ちなみにいろんな会社でプログラム書いて、10年以上のキャリアあるけど、この会社で配属されたチームが他社と比べてレベルが高いわけではない。(むしろ低いような感じがした)
提供されるマシンスペックも他社より低いし、椅子も安そうなものだった。
もし、この会社にいて自分に多大なメリットがあるなら、①~⑤全部気にならなかったんだろうけど、
なんかレベルは低いけど、こちら側が上なんで媚びへつらってくださいって感じがして、ちょっと癪に障ったかな。
入って3か月くらいで、これダメだなって思ったけど、プロジェクトのきりのいい所までは居てあげました。
まぁ、全員が全員こういう人ではなくて、このチームリーダーだけの話。(この人も全部がダメな訳ではなく、いい所ももちろんありました)
他社員の人で、温厚で謙虚でいい人もいました。技術レベルで優秀かは分からないけど。
まぁ、親会社が世界に誇れる立派な情報を持ってると思うので、その情報をいかして他社への有益なサービス提供をどのように継続維持できるか考えてほしい。
維持するためには、どうするのかも含めて。
唐突であるが、月ノ美兎というバーチャルアイドルを知っているだろうか。
先日ついにアマガミの実況配信が終了したが、全話通して死ぬほど面白かった。VTuberで生放送をする方達の中では正直一番面白いと思う。
唐突にダッチワイフのお店に行った話をしだすし、涼宮ハルヒの圧縮とかいうワードがいきなり飛んでくるぐらいカオスである。
そんな彼女の魅力はなかなか言語化しづらいけど、中でもすごいところはインターネット老人会の皆さまのハートを鷲掴みにする力である。
僕を含め、彼女の動画を好む人たちはある程度インターネットを熟知しているんじゃないだろうか。
小中学校時代におもしろフラッシュ倉庫に夢中になり、それ以降ニコニコ動画を見るようになり、オンラインゲームにハマったり、vipなどで日々くだらないスレを立てたり。
そんな人間が多いように感じる。そして現在は大学生なり社会人になり、過去の楽しいインターネッツとはおさらばしかけている。
そこでその懐かしき記憶を思い出させてくれるのが美兎ちゃんである。彼女は僕たちが忘れていたようなことも簡単に言語化する。先の涼宮ハルヒの圧縮とか。
このタイプの魅力は彼女とコラボしていたARuFaさんや、ダ・ヴィンチ・恐山さんのようなインターネット界のスターたちと同じタイプである(匿名ラジオはマジで面白いのでみんな聴こう)。彼らのような面白さに女性やVTuberという意外性の要素が加わったのだから、もはや無敵としか思えない。
美兎ちゃんの魅力はここまでとして、それぐらい僕はVTuberが好きだし、もちろん他のVTuberも好きである。
ただ最近、窮屈に感じていることがある。それはツイッターを中心とした周囲のファンたちの環境である。美兎ちゃんのような人気VTuberたちには熱狂的なファンがいる。そして彼らはコミュニティを形成し、VTuber界を盛り上げるために尽力している。一方で、自分はコミュニティ内で人と絡むのは苦手なタイプである。同じVTuberのファン同士なので彼らと相互フォローはするし、ときどきリプライを送りあう程度には社交性はある。しかもVTuber界隈はみんな優しい。しかしながらそれ以降の、オフ会のような一線を超えたような繋がりを持つ気にはなれない。そこまでして馴れ合っても時間の無駄のように感じてしまう。
けどそのような気持ちがあるはずなのに、ツイッターで、リアルイベントでオフ会をしている写真がタイムラインに流れてくると、なんだか自分は置いていかれたような気持ちになる。そしてなんだか不安な気持ちになる。いっそツイッターをしなければいいじゃんとは思うが、大抵のVTuberは前提としてツイッターを多用するので、結局見てしまう。
この考えは間違っているということは自覚している。コンテンツの主体はVTuber本人であり、ファンとの交流ではない。
これは他のコンテンツでももちろん当てはまる。音楽系アーティストの熱狂的なファンを見てもそう思う。ライブに行くと、最前列のあたりの人たちはみんなすごいのだ。そして「自分は彼らのようにはなれない。熱中できないんだ。」という気持ちに謎の悔しさを覚える。グッズを全部揃えたり、遠征するつもりもない。自分の中途半端さに若干ムズムズする。
そういう人間的な弱さを認めた上で、最近は無理に交流することを諦めた。一線から退いた気分である。ツイート数は減り、気になったときだけいいねしたり、リプライを送るようになった。生放送を無理して追うことも諦めた。まして時間が被っている複数の配信を同時視聴する(複窓)ことなど論外である。アーカイブも倍速で見たりすることが頻繁になった。ニコニコの切り抜き動画にはすごい助けられている。
こんな風にテキトーに見るようにするとかなり気持ちが楽になった。所詮娯楽なのだから暇な時に見ればいい、全てのアーカイブを見て配信を追うことが正義ではない。熱狂的なファンがコミュニティでは目立つだけで、大抵はサイレントマジョリティー的なファンばっかなのである。熱狂的になれないことを悔やむことはない。
結局のところ、自分にとってはいい感じにバランスをとって界隈と接触することが、好きで尊敬しているVTuberさんたちを安定して応援でき、それが結局自分の幸せに繋がっているのである。
が俺の持論。
俺はヒラなんだけど、ここ半年くらい業務でリーダーめいたことをやる機会が増えている。
とは言え大したことじゃない。自分含めた数人の業務進捗を管理して、誰がどんな作業をするか指示して、各人の抱える業務量が多すぎたり少なすぎたりしないようにコントロールして、業務に関するクリティカルな情報があればそれをメンバー間できちんと共有して、業務に関するマニュアルがなければ整備する。
ここ半年は繁忙期で、とくに今シーズンは「物理的に不可能だろ」と思われたほどの業務量だった。それをなんとかこなせたのは、メンバーみんなの頑張りももちろんあるけど、誰もやりたがらないリーダーに俺がなることで業務が円滑に回るようにマネジメントできたことが大きいと勝手に思っている。
でもこの半年の給料は変わらない。ほんとこれは理不尽だと思う。お前はよくやってると褒めてくれる人も社内にたくさんいたけど、褒めてくれたところでお金がもらえるわけじゃない。俺はお金が欲しくて頑張ってるんだ。
仕事ぶりで評価するってんなら、せめて遡及的にでもその期間の給料を上げて差額を支給とかしてくれないと、なんのために頑張ったのか分からない。
もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。
(することになった,というのは,したくてしたわけではないからである。)
人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。
どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。
そのとき,書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。
これは遠い昔の一受験生の出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。
時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。
大事な試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。
人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。
その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。
なお,前提として,私は小中高と地方の公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。
高校時代は部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。
それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生初のものだった。
第一志望しか受験していなかったので,選択の余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止めで合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。
それくらい,浪人するということについて,落胆していた。
同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくとももう一年,いろんなものを我慢して勉強に向かう生活を余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。
ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまったことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。
現役で大学生になる身近な同級生を想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまったことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。
今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。
またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。
そうだとすれば,まだコントロール可能な範疇に属している,未来を変えることで,過去の出来事の意味合いを変化させるしかないのではないか。
来年の合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。
期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか。
以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。
再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実に合格できなければ全く意味がない。
このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。
目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。
自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。
そうなるためにはどうしたらいいのか。
受験において,本番で出題される試験問題そのものはコントロールできない。
自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。
そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分の順位としては,一定の幅が生じると想定した。
自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置が自分の実力を示していることになる。
受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることである。そもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。
自分の実力を客観的に見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないかと分析した。
この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。
以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。
このようにイメージした。
次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。
ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。
それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。
先に述べたように,受験の本番では,試験問題はコントロールの範囲外である。受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験の現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである。
この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題で時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。
また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。
これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。
受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率で得点につなげられるようにしておかなければならない。
その観点から,模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。
知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである。
一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。
「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態は絶対に起こしてはならない。
そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。
その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。
以上は基本的に自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較の視点も生まれていた。
正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである。
自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから,試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。
このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単な問題でも意外と間違えてしまっているのである。
この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機を見出した思いがした。
とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。
難問というのは,どんな問題が出るかもわからないから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。
しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。
時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。
以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。
自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強(塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。
より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである。
知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである。
復習は徹底的に行うようにした。特に記憶が重要となる社会の科目などは,一日の勉強の最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。
具体的には,使っているノートを基準に最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間は一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。
ノートの最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。
これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。
そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。
当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。
以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。
これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要な試験だった。
「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学別模試で100位以内に入ることを目標としていた。
当時,志望学部の合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。
蓋を開けてみると,夏の大学別模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。
自分で定めた目標をクリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。
想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。
(それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)
しばらく経つと,もう一つの大学別模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分でもびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。
ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。
その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学別模試では13位と14位という結果だった。
受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。
予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。
合格を確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。
方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。
全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。
それを前提として,自分の浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。
まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。
何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。
「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験の優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。
それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。
「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である。
そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。
時間にしろ,エネルギーにしろ,資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態に自分を持っていくことが必要になる。
不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である。
自分の周りの環境は自分でコントロールすることはできないということをまざまざと体感した。
不合格を回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。
二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。
先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。
小中高と地方の公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。
自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベルの受験生を相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。
後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまりに想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。
当時,浪人時代は灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。
生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。
浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの
今仕事で無理矢理ラノベを読まされている。(自分のラノベの定義は、書店でラノベコーナーに並んでそうなもの、です。)今読んでるのは「小説家になろう」出身で賞をとって出版になったものらしい。
しかしひどい。
まず文章がひどい。2頁に1回は「眉をしかめ」、3頁に1回は「ため息をつき」、4頁に1回は「柔らかく微笑み」、5頁に1回は「言葉を紡ぐ」…登場人物の動作をいちいち解説してくれる。心理解説もたっぷりある。誤読のおそれなし。
内容ももちろんひどい。病気や殺人が、盛り上げ用の小道具でしかない、浅い(しかも間違った)描写。取材してないのがわかる。
なぜこれで出版できるのか心底不思議。帯に「一気読み!」なんて書かれてるけど、普通に読むのしんどいです。以前、現役医師が書く医療ミステリも読まされた。主人公が天才医師ってふれこみなんだけど、いや、天才ってこのひと単に記憶力がいいだけじゃ?森博嗣の書く天才と比較しちゃうとかなりこのお医者さん見劣りするし、そもそもストーリー自体が馬鹿すぎると思ってググったら、すごい評判いいのね!びっくりした。売れっ子のようだ。キャラクターだけで読ませてるのかと思いきや、読者も真剣にミステリとして読んでる。これを。
普段あまり好んで小説を読んでないので、ごくたまに読むミステリは宮部みゆきとかジェフリー・ディーヴァーとかで、まあこの人らは別格中の別格だろうけど、それにしてもラノベひどいなと思ってさ。こういうレベルのものを人前に出せちゃう作家さんって、一体今まで誰の作品を読んできたんだろう。そしてこれを読む人たちは、今まで他に何を読んできたんだろう。ラノベ、書店で見る限り巨大市場ぽいけど、実際のところどうなんでしょうか。
マンガに「自分がツッコミ役であると認識している」キャラクターが最初に登場したのはいつ頃・どの作品なのだろうか。
もちろん役割としてツッコミ的な位置にいるキャラクターは昔からいた。
『マカロニほうれん荘』のきんどーさんやトシちゃん対する沖田総司、『がきデカ』のこまわり君に対する西城くんのようなキャラクター達だ。
ただ、彼らはどちらかというとツッコミ役というよりはギャグキャラクターに比べて性格が常識的で、ギャグキャラクターの言動に振り回されたり驚いたり文句言ったりする位置づけであり、ボケとツッコミという役割分担であるという認識はキャラクター自身にはなかったように思う。
赤塚不二夫あたりまで遡ると常識的な人物は少なくなる。(バカボンのママとかは常識的な性格だが、作品内でのツッコミ的な行動は沖田総司や西城くんと比べて少なく、バカボンのパパのとんでもない行動がそのまま突き進んで話が終わることも多い)
個人的な記憶でしかないが、ギャグマンガに単語として「ツッコミ」が出てきたのは『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(以降『マサルさん』)が一番最初だが、もちろんマンガの歴史の中でみて最初ってことはないだろう。
それに『マサルさん』でもキャラクター(ふーみん)自身が最初から自分がツッコミ役であると認識していたわけでもなく、マチャ彦に言われてからだ。
なんというかふーみんは他者の言葉によってツッコミキャラに目覚めた感じだ。啓示あるいはパッション。
『マサルさん』はお笑い芸人的なノリをマンガに持ちこんだ(個人的な記憶では)最初の例だが、これももちろんマンガの歴史の中でみて最初ってことはないのだろう。
おそらく「ツッコミ」という単語を最初に使用したマンガと、お笑い芸人的なノリを最初に持ちこんだマンガと、「自分がツッコミ役であると認識している」ツッコミキャラが最初に登場したマンガはそれぞれ別なのだろう。
それほどマンガをたくさん読んでいるわけではないので、このあたり詳しい人がいたら教えて欲しい。
ハァ?おまえらだって奢られたら嬉しいだろ?資本主義国で生きてんだろーがよ。金は力。疑心暗鬼なイカレ野郎以外、中流以上は全額奢ってくれるよ。
「財布出す素振りくらい見せろ」なんて細々とケチ入れつつモラル(笑)を引き合いに出して、さも正論かのように上から目線で来るけど、その素振りがおまえらゴミ男の自尊心満たしてか?で、「俺2000円奢った!やったぞー!」って?ちっさいわー、ほんと。財力ないだけだろ。難癖つけんなって。私は結局払わないんだから無意味な行動だよね。それやったから何なの?それが日本人のオモテナシ?笑 私ももちろん日本人だけど、本当にこの文化は支持できない。無意味。
そして男は奢れ。奢る金がないなら素直に「お金がない。半分出して」と言え。てめーらの自尊心を保つために、なぜ私が気を使わなきゃいけんのだ。
大量生産とか、高速化とか、そういう生産性向上ができる市場では
2倍生産したから2倍儲かるだろう!と思ったら、市場の相場が1/3になって結局儲かってないみたいな話になる
走り続けることを強制され、走るのを止めると死ぬが、走りきった先にも何もない
「生産性=生産量/単位リソース」ではなく「生産性/市場平均」だ
足が速い、生産性向上しやすそうな市場は魅力的にうつるが、寿命も短いから注意しなければならない
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もっとわかり易い例
年に2回くらい集まってた男女2対2で飲んで、いつものように終電なくなった。オール辛いので多少は寝たいというのもあり、ホテルで部屋飲みしようとなった。
2部屋とって片方の部屋で4人集まって少し飲んでたんだけど、一人が寝ちゃったので俺らも寝るかってなった。
先ソファで寝た男Aと、そいつを好きだった女Aがソファで一緒に寝て、
俺と女Bが同じ部屋のベッドで一緒に寝た。
ソファ組の男Aと女Aとはなーんもせずただ寝てた。
ベッド組の俺らは、はじめ女の方から「キスする?」と誘われしたのだけど、いろいろするならもう一個の部屋行こうよという話になり、それはめんどくさいので寝ようと言ってそのまま寝た。
そういえば、その女Bの家には一人で泊まりにいったこともあったわ。意外と仲よかったのな。そんときももちろんなんもなかった。
逆玉案件だったので、今思うと少々もったいなかった。
レディファーストで座らせてくれ、とは全く思わないけど、体調が悪い人や明らかによろよろしてるお年寄りには席を譲ってあげてよ、そこの元気そうなメンズ?とはたまに思う
ただ、席に座る前に明らか元気そうな様子を見てるからこそ思うやつやで
席に座ってから目をかっぴらいてゲームやってるからこそ思うやつやで
ああ、そうやな、これは言葉足らんかったわ、メンズだけやなく女ももちろん譲ってくれよ!
ただこれを書いたのは、こっちの話があったからやねん
https://anond.hatelabo.jp/20190313084345
まーた女がみんなレディファースト強要してるみたいな書き方しとんなーって思ったからな
あと横増田が書いてくれてるけど、優先席に若い兄ちゃんが座ってんのをよく見てたのが脳裏に残ってたんやろな
男叩きに見えたやつは正直すまんかったよ
仲の良くない姉妹だった。ここ半年くらいやり取りはゼロ。お互いに苦手意識があった間柄。
葬式を終えたけどやっぱり悲しくない。死んだという実感がない。ラインは未だにアカウントが残ってて、恐らくツイッターのアカウントも持ってたと思う(スマホのホーム画面にアプリがあった)。
ラインにメッセージ送ってももちろん既読にならない。骨壷に入った姉が、少なくとも大学を出るまでの間一緒に暮らしていた人間だという実感がない。
私の人生にとって姉は空気みたいな存在だった。SEとして働いていた姉、教員として働く私。接点は無いと言っても過言ではない。私が結婚したのが2年前で、2年前から1回しか会ってない。本当に死んだのか。
きっと四十九日過ぎても私は泣かないだろうし、何も変わらないんだと思う。親は葬式で泣かない私を人でなしみたいなことを言っていたけど、泣けないんだから仕方ない。
6歳の男の子の虐待動画について、バイキングで議論されていた。
暴力を伴う「躾」はNG、だけれども、「躾」自体はよい事だというのが、共通の見解だった。
けれども、人は「躾」をする時に、暴力を伴わなくとも、きつい言い回しで、脅し文句や(○○しないと、おやつあげないよ、とか)、突き放したセリフ(好きにしなさい、置いていくよ、とか)を日常的に使うケースは思いのほか多いように思う。
自分に置き換えてみればわかるのだが、決して気持ちの良いものではないし、モチベーションや自己肯定感を上げるものでももちろんない。
そもそも「できない」人間に対し。何かしらのペナルティーを科すことを普通だと思っている人間に、躾を理由にした虐待をとやかく言う資格があるのだろうか、と思えてならない。
対子供に限らず、対大人に対しても、似たようなことを私たちはやってしまいがちだ。
私の場合はwifiがあればどこでも働けるので、大概、マックかスタバ、ファミレスか最近はコンビニのイートインにも出没。
ほとんどの人が兼業でやるコーチ職を私は本業にしたので、面談相手との時間との時間調節も苦ではない。
(暇なくせに、時間はきっちり指定。でないと時間がバラバラになって大変)
給与は地方で実家暮らしするには十分な金額。一応、家庭教師のバイトもしてるし。
贅沢はしないけど、古着屋で服買ったり、たまに旅行したりと身の丈な生活。
どの職場でも人間関係に悩んできた。ブラックあり、いじめ、パワハラなど、人間不信で鬱になりかけた私に今の人に会わずに出来る仕事は本当に天職!
(ずっと接客業だったんだけどね)
ストレスが無く時間もたっぷりあって、でも友達も彼氏もいないのが無念。
でもお陰で、ダイエットが出来た。
ずっと太ってて気にしてたけど、ストレスで過食に走り続けた私が、三食栄養バランスを考えた食事をとり、毎日一万歩歩いてエクササイズも取り入れる健康的な生活を始めて4ヶ月で7キロ減。
顔の輪郭と、眼の大きさが明らかに違うし、デニムも10CM位細くなった☆
それでも一人ライフは快適。
実家暮らしだけど、事情あって家では存在が抹消されてるので(苦笑)下宿人か座敷わらし状態。
ストレスだったけど、割り切ったら楽になった。
最近、弟の18年ものの中古車を5万円で譲り受けて、うれしくて乗り回す日々。
丘の上のカフェや海にいって読書したり、ものを書き散らしたり。暖かい季節は浜辺で仕事することも。
後は図書館で本借りたり、本屋で立ち読みしたり、モールで服みたり、古着屋で服買ったり、菜の花見に行ったり、新しいカフェを探したり、今度百均素材でイヤリング作ろうと思ってる。買うと高いし。
一番の楽しみは、古着とユニクロでそろえた服で毎日のコーデを作ること。流行を追うより、定番服を着回しながら、小物で自分の個性を加えるスタイルが好き。
誰にも見せるわけじゃないので、本当の意味で自由に好きな服をきている。
かわいい小物を持つようになったのもフリーになってから。職場でなめられないようにシンプルなものしか持たなかったけど、今は猫柄やらカラフルな文具やら、自分の好み爆発。クリアのPVCバックの中に入れてわざわざ見せびらかしながら持つのも楽しい(笑)
冬にバケツ型かごバックを持つのも新鮮。質のいいファーがついていて、大人が持っても上品。でも、コンサバな地方都市では目立つんだよな。みんなすごいカゴ見てた(笑)ショップの店員さんも凝視してたし。
ほぼ100%毎日、一人だし。
家庭教師で中高生やその親と話すのが数少ないコミュニケーションの場というね。
糞親に「ひきこもり」呼ばわりされたけど、一理あるかもなぁ。
コーチ職で食べていけるし、新しい生徒と関係を作るのが面倒で。。
ホント今までのフリーになるまでの生活が地獄だったから。二度と戻りたくない。コーチ職はだから真面目に取り組んでる。
37歳独身。
婚活始めるには遅いけど、時間に余裕もあるし多少は痩せたから、するべきなんだろうが。。。
やばいと思いつつ、今が本当に幸せで、これがずっと続くことはないと知ってるから今はこの状況を楽しみたいというか。
結婚線ないみたいだしね(苦笑)
老後の積み立てと年金はしっかり払っておこうと思ってる次第。
…そんな毎日を過ごしてるんです、はるねえさん。私が平日昼間からマックに入り浸ってるの、カウンターから心配げに見てるのは気づいてますが、大丈夫ですから!
※はるねえ:大学時代マックバイトでお世話になった女性。大人になって古巣のマックでまだ勤務していた彼女に再会。挨拶を交わすくらいの関係。
京浜急行にて活躍し、現在はことでんに譲渡されて走行しているデハ1000形を赤色にラッピングし製造60周年を祝う と言った趣旨である。
趣味者が主催となりクラウドファンティングを用いた資金調達で電車のラッピングを実現したことで話題となった。
http://tkr-charter.jp/type1080project/
このプロジェクトの概要が発表された当初から否定的な意見が(勿論肯定的な意見もある)twitter等に投稿された。
その中には「(京浜急行時代の姿を再現するのだから)ことでんロゴを無くせ」などという物もあり、ついにはことちゃんが言及するに至った。
「ことでんロゴなくせ」という議論を目にするたびに、ここまで多くの人に愛されている京浜急行さんの偉大さを感じ、身が引き締まります。プロジェクト主催者様のご了承の上、ことでんロゴをつけての運行となりますが、京急さんの名を汚さぬよう社員一同で精一杯運行しますので、ぜひ応援ください。— ことちゃん (@irucakoto) 2019年3月5日
クラウドファンティングは主催の企画に同意して支援金を拠出する制度であるし、支援を行わない人間が口出しする権利など無いのは当然である。
それなのにどうして常識の範囲内のラッピングや運営に因縁を付けるような批判が多かったのだろうか?
第三者の人間が見ても理解できないか、「鉄道オタクは細かいことに拘るんだなぁ」くらいにしか思わないだろう。
以下の引用は還暦の赤プロジェクト代表を務める佐羽内氏の発言である。
@keikyu_vvvf え~っとこちらの発送先は仏生山でよろしいですかww? pic.twitter.com/ZL4f1DlBfb— 鯖内勇太【3月8日はサバの日】本当は佐羽内です (@sabanai1501) 2013年8月6日
リプライ先は本プロジェクトの主要メンバーの一人(ID変更や転生を行ってるためアカウントは現存しない)で、度を過ぎた不謹慎なツイートや他人への攻撃的なツイートも多く見られた。
ここでそれらの証拠を列挙しても仕方ないので割愛するが、本プロジェクトの主要メンバーの多く(該当しない方ももちろんいらっしゃいます)がそのような行為をしていた。
そのような人達が京急ファンの代表かのような立ち振る舞いで、今までの行いなど無かったかのように、事情を知らない人間からクラウドファンティングで資金を集め始めたのだから過去を知る人間がこれを快く思わないのは当然だ。
そうした背景を元に因縁めいた批判が”返ってきた”のでは無いだろうか?
結果としてクラウドファンティングは達成され、ラッピングされた実車が走りだしたものの批判的な意見が未だに散見されるのが実情だ。
赤い電車はかっこいい(真理)
その本の紹介では、これは手塚なりの「悔しさをにじませながらの嫌み」だったんだというような書き方だったと思う。記号的お約束や映画的演出を二次元に落とし込む数々の手法を発明して日本のマンガ表現をリードしてきた御大としては、そういう「漫画的お約束」を廃して「リアルに描く」表現が、まるで「旧来の漫画家には描けなかったようなリアルな」マンガであるかのように評価されてる状況にカリカリきていて、それでそういう言い方になった部分があるんじゃないかと思う。
ただ、たぶんそうやって実際に手を動かして、いわば現場感覚で大友の作品を分析していた手塚には、大友の魅力が「それ(画のリアルさ)だけではない」ということももちろん分かっていただろうけど、そこはやっかみ半分釘刺し半分で、「絵がリアルだってだけでいい気になるんじゃねーぞ」という台詞を、本人に言ってやらなきゃ気が済まなかったんだろう。ほら、嫌みって、本人が密かに得意に思ってる部分をひっくり返したら一番刺さるでしょ?
まあ、個人的には、御大が若手の有望株に対して全力でライバル意識をむき出しにしてくる光景って好もしいし、何より、自分がその若手だったらそれはそれで驚くけど嬉しいというか、なんかそんな感じだから、このエピソード聞いて「手塚クズだなあ」とは別に思わないけどね。あと、手塚はそもそも自分のことを天才とも先駆者とも神様とも思ってなかったっぽいから、ほんとに心の底から単にライバルの一人としてめっちゃ小物臭く嫌みをかましただけかもしれないし、それはそれですごいと思ってしまうのは手塚贔屓が過ぎるんだろうかね? でも、まあそんな風に思うんだよ。
だが、何を思ったか社会人から専門学校に入り、それもそろそろ卒業。
授業も全て終わり、あとは卒業式を待つだけ。
働いてから学生に舞い戻るという夢のような時間は何物にも代え難かった。
親友、という言葉を使う事自体に少し違和感があるが、そう言えるような友人もできた。
普通なら接する機会もない18歳〜20歳の子達と同じ目線で勉強したり、時にははしゃいだり。
周りはほぼ若い子なのだが、その中でも一際しっかりしている子がいる。
やる気に溢れた素晴らしい子で、学生のうちにやれる事を全てやりきりたい!と自分から様々な事を企画したり、発信したり。もちろん休日や放課後に学校で勉強したり。奨学金を受け、その返済と生活費にとバイトもし。卒業後のビジョンをイキイキと語る彼女はとても輝いていた。自分の若い頃を思うと恥ずかしくなってしまう程に。
びっくりして声が出なかった。
あんなに勉強に打ち込んでたのに??どうしたんだろう?まぁ、まだ若いし家庭の事情や心境の変化もあるよな。この子が自分で選んだのなら、どんな道でもしっかりとやっていけるさ。
そんな能天気な事を思ったり言ったりしていたのだが、原因はセクハラだった。
しかも、みんなから一番信頼されていた人物からだ。私ももちろん信頼していたし、知った今でもその人物とセクハラ行為が結びつかない。それくらい、クリーンな印象を持つ人物。
あんなにイキイキと夢を語り、苦しい環境の中誰よりも努力してきた彼女は、誰よりも一番信頼していた人に裏切られた。将来を潰された。人生を台無しにされた。
同じ学生という立場ではあるが、大人として何かできなかったのか、どうすれば良かったのかわからない。もちろん、知ったからといって出しゃばる権利などないし許されないだろう。
とにかく、とにかく、悔しくて仕方がない。