はてなキーワード: ももちとは
初対面の人とその日だけ付き合うのは全然大丈夫。
同じ人間と2週間、1か月、またはずっと付き合わないといけないと思うとどんどん辛くなってくる。
なので、大体バイトは続かない
仕事も続かない
お昼ご飯を何人かで一緒に食べるのが耐えられない
音楽が好きだからバンドも意を決して自分からメン募してせっかく集めたのに、和気あいあいとしてきたとたん辛くなって悲しくなって、フェードアウトしてしまった
本当に悩んでて、仕事も続かないし、もういい年だし、今後どうして生きていけばいいかわからない
まわりからは元気だしどこでもやっていけそうな雰囲気だよね、と言われ、なおさらつらい
一度もしゃべったことないのにわざとぶつかられたりして悲しかった。
なんでだろう?やっぱりコミュ障で陰気な雰囲気が漂ってるからかなあ
でもずっと付き合ってても大丈夫な人もいる。
親友とかはいないけど、1年に2回は連絡とるような人もいるけど
それじゃあ少ないよね?
心療内科やセラピーなど色々受けてみたけど、気にしすぎとか、そのままでいいとか言ってくれて、その後ちょっとの間は気が楽になるんだけど
しばらくしたらまたどうしようもなく不安になってくる。
【承前】
https://anond.hatelabo.jp/20190216023228
本章では、オタク同士の関係性をテーマにした創作作品や、バーチャルYouTuber同士の関係性が消費されることについてより深く考察していく。
1章で述べたバーチャルYouTuber同士の関係性に視点を戻すが、バーチャルYouTuberは現在6000人が活動している。その中で人気を得ている配信者こそ、関係性を構築し、バーチャル上での物語を消費者に提供しており、姿かたちや趣味嗜好こそ多様なものの、ひとくくりにいえば大体の生まれは「オタク」である。つまり、「オタク」だからこそ萌えられるキャラクタと関係性をセルフプロデュースし、それをまた「オタク」が消費しているのだ。これがループのように連続することで、時には自らも憧れてバーチャルの世界に踏み込んでいくためにバーチャルYouTuberは日々増え続けているのである。自分の人生や趣味嗜好を、キャラクタというフィルターを通すことでシェアし、自らが創作物/キャラクタそのものになるということは、自伝やエッセイを執筆し、その読者と直接対談するようなことだ。「オタクの人生」を物語として消費し、絶え間なく新たな物語と関係性が発生していくというコンテンツに、オタクは萌えることができる。たとえパーソンが基底現実においてどんな人物であったとしても、「生けるキャラクタ」としてのバーチャルオタクの魅力に、オタクはシンパシーと巨大なエモーショナルを感じざるを得ないのだ。自分と近しい存在の人生を物語として消費することは、永久機関のような底の知れない魅力を持っている。
また、「このマンガがすごい!2019」*4 では、オンナ編第1位に鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側」(2018)、第8位に町田 粥「マキとマミ」がランクインしており、この作品はどちらも腐女子同士の関係性を主題としたものである。2章で述べた「腐女子」特有の親密さは、既に広く認知されており、さらに創作物として女性からの支持を強く得ているということである。この背景にも、自らのオタク的言動やコミュニケーションを「あるある」と思いながら読むような自伝・エッセイ的な要素ももちろんのことだが、「腐女子特有の親密さへの愛着」や「登場する腐女子同士の関係性のリアリティに即した萌え」が確実に存在していると考えている。
上記のようにキャラクタ化したオタクや、親密さの自覚を持った腐女子は、基底現実においても関係するようになる。1章で述べた「バーチャルYouTuber同士が三次元で会った時の飲食物の画像」や、腐女子特有の「なりきりアカウント」文化の「背後交際」などが主な例だ。バーチャルYouTuberでコラボ放送をしていた親密なパーソン同士が3次元でも会うようになり交際に至ったという例も、キャラクタとして表沙汰にならずとも存在する。また、腐女子コミュニティにおける「なりきりアカウント」とは、主にTwitterなどで作品のキャラクタのロールプレイをし、自分の好きなカップリングの相手とネット上で交際したり、同作品のキャラクタと日常会話をする文化である。このアカウントの運用主を「背後」と呼ぶのだが、彼女たちは基底現実でもオフ会をし、実際にロールプレイで交際していた相手と現実でも交際に至ることがあるという。
つまり、関係性消費が加速し、自らもキャラクタ化したオタクは、パーソン同士としての基底現実でも「萌える関係性」を実践しているのである。この状況において、「わたしたちの関係性は萌える」という自覚の有無はもはや必要ない。パーソンとキャラクタの境界があいまいになり、オタクは自らを自らで消費することが可能になっていくのだ。
本論では、関係性消費が牽引していくというトピックからオタクそのもののキャラクタ化、そして完全なる相互消費の永久機関にまで言説が行きついてしまった。しかし、現実での関係性消費において立ち上がってくる問題はやはりジェンダーとルッキズムである。これに対するアンサーは2つある。1つは、すべてのオタクが理想のバーチャルキャラクタとしての3Dモデルの肉体を手に入れることである。バーチャル空間での関係性の構築はYouTubeだけでなく、「VRchat」という果てしない多様性を持ったもう一つの世界ともいえるVR空間でも今まさに進行中だ。全オタクが理想のキャラクタとなり、主体的に交流してその関係性すべてを消費することができれば、そこにはジェンダー格差もルッキズムによる格差も存在しなくなるのではないだろうか。2つ目は、キャラクタ化しない、あるいは関係性に参入せずあくまでも傍観者としての消費・あるいは創作を貫く選択肢を選ぶことである。2章で述べたように、創作物と消費者のセクシャリティ/あるいは創作物と作者のセクシャリティなどは分けて考えるべきというスタンスに基づく在り方である。
これらの二つの未来像は両極端にも見えるが、しかしこれらが混じりあい議論が巻き起こっているのが現状である。しかし、バーチャル空間上でのルールやマナーが議論の末に整えば、それぞれが理想の関係性を追い求めて基底現実とバーチャル世界を横断していくようになるのではないだろうか。創作だけに留まらず、現実世界と拡張現実へ侵食する「関係性消費」は、しかし古典の時代から物語として脈々と行われてきた文化である。オタクと文化、双方がその形を変えて混じりあう瞬間に、今わたしは立ち会っていると思うと感慨深い。
関係性を志向するファンたちのこれからは、今後のオタク市場の動向と、バーチャル技術の発展にかかっていると感じた。これからもジェンダー・セクシャリティ論とカルチュラルスタディーズ、両方の視点からわたしも一当事者として今後の動向を研究していきたい。
【引用文献】
*1 東園子,2015,「宝塚・やおい、愛の読み替え 女性とポピュラーカルチャーの社会学」新曜社
*2 難波優輝,2018,「バーチャルYouTuberの3つの身体 パーソン、ペルソナ、キャラクタ」『ユリイカ』第50巻:117-125
*3 斎藤環,2009,「関係する女 所有する男」講談社現代新書
*4 このマンガがすごい!編集部,2018,「このマンガがすごい!2019」宝島社
【参考文献】
玉川博章,名藤多香子,小林義寛,岡井孝之,東園子,辻泉,2007,「それぞれのファン研究 I am a fan」風塵社
山岡重行,2016,「腐女子の心理学 彼女たちはなぜBLを好むのか?」福村出版
2014,「ユリイカ 特集*百合文化の現在」第46巻第15号 青土社
2018,『ユリイカ 特集*バーチャルYouTuber』第50巻第9号 青土社
【あとがき】
期限ギリギリで提出したので粗も多いが、これをベースにディスカッションできる地盤固めができたので良かったと思っている。オタク!人生で遊んでいこうな!
許斐先生がTwitter始めてから盲信して崇めてる人ばっかりになってつまらないよね。
「昔はみんなたしけ(笑)って言ってたのに最近はそういうの言えない。昔のTwitterは楽しかった」
「たしけ()」呼びとか空耳テニミュとか、楽しみたい人は楽しめば良いよ。
馬鹿にするような呼び方や違法アップロードして笑いものにするのは正直不快だったけど、それも先生が拒んでないなら良いよ。
好きにすればいい。
でもその「おふざけ」を私たちにまで強要しないでくれ。私たちにまでたしけ()呼びを強要しないでくれ。
去年のサマバレやディナーや、最近だとカップヌードル関連のこととか、先生の言動を不審に思うこともあるだろう。
先生のファンである私でも「そこはちょっと別の言い方した方が良かったんじゃないかな」と思うことは時々ある。
私たちは今までテニスの王子様にたくさんのものを貰った。色んなハッピーを貰ってる。
99のハッピーを貰っておいて、1過失があったら「こんなことをするコンテンツは信頼ならない。もう嫌い。でも今まで関わった時間がもったいなくて腹立たしいから黙って離れたりなんかしないで叩いてアンチ活動する」っておかしいよ。
そこは「今までありがとう。ばいばい」か「そこは訂正した方がいいよ!」となって欲しい。
たしけ()呼びも空耳も好きにすればいいし、先生批判も作品批判も好きにすればいい。
でもずっと黙って我慢してた私たちが「実はたしけ呼びも空耳も嫌いなんだ」って呟くことくらい許して欲しい。
「昔はみんな楽しくたしけ()って呼んでたのに」じゃなくて「ふざけた愛称でもそこに何がしかの愛があるのは分かっていたから黙って我慢していた人が我慢せずに済むようになった」だけなんだよ。あなたの楽しさは誰かの我慢の上に成り立っていたものなんだってことわかって欲しい。
極端な例えになってしまうけど、18歳まで優しく厳しく健康的に育ててくれた親が18歳の誕生日に「選挙権持てたね!じゃあ次の選挙山田さんに投票して!お父さんが世話になってるから!」と言った時に『選挙法違反だ。こんな親に育てられて恥ずかしい。こんな親嫌いだ。こんな親とは二度と連絡を取らないし、選管に通報してSNSで晒して他の知り合いにも教えて社会的にバッシングして孤立させよう』って発想にならないと思う。
悪いところは注意しようor考え方が合わないからちょっと距離をおこうorそこは賛同できないけどこれまで受けた恩は返す。というあたりが妥当でしょ。
2~3年の通り過ぎて消えていくコンテンツじゃないんだよ。約20年お世話になり、またこれからも続いて欲しいコンテンツの生みの親なんだよ。
貶し愛みたいな愛があるの分かるよ。私はそれをしたいとは思わないけど、そういう身内ノリ的なものが楽しいことは理解出来る。
ただ、貶し愛がストレートなファン心理より上だとは思わないで欲しい。もちろんストレートなファン心理が貶し愛より上ってこともない。ただ愛の表現方法が違うだけだ。
「たしけ()って呼ぶ人がいなくなって窮屈」「駄目なことをしても擁護意見ばっかりで反吐が出る」
そう思うのは自由だけど、どうして呼ばないのか、どうして擁護意見が多いように見えるのか考えて欲しい。
もちろん盲目的に許斐先生を盲信して先生がおっしゃることは100%正しい!とか言う人もいる。そういう人はどうかと私も思ってるよ。
でも、ただ「貶し愛が得意ではない」「悪いことは悪い。毎日美味しいご飯を作ってもらってるのに味噌汁の味が1回濃かったくらいでちゃぶ台ひっくり返すみたいな恩知らずなことをしたくない」という人の方がずっと多いと思う(私の周囲の体感でしかないけど)
今日の味噌汁は味が濃いね。次から気を付けてね(指摘)とか、お湯少し足していい?(サポート)とか、味噌汁作るの苦手ならインスタントも美味しいよ(作品外のことは編集その他に任せる提案)とか、そういう当たり前の意見が突飛な熱烈信者やアンチに押されて見えなくなってしまっている。
要は
(1):たしけ()呼びが許されなくなったわけじゃない。我慢していた人たちが嫌だと言える世界になっただけ。呼びたければ呼べばいい。これ以上こちらに我慢を強いないでくれれば良い。
(2):20年も世話になってるコンテンツには多大な恩がある。一緒になって叩かない人を全て一律に『盲信的な擁護』と思わないで欲しい。間違いに対する対処は指摘や叱咤、解決策提案、今後の動向見守り等が妥当だと考えているだけ。
ということが言いたかった。
「ミスしたら批判だけでなく叩きも甘んじて受けなければならない」
そういう考え方ももちろんあるだろう。
そうじゃない考え方もあること、知って貰えたらいいな(と思って書いたけどこれをその人たちが見ることはなさそうだなぁ。まあ、テニプリに限らずどのコンテンツでも言えることだと思うので目に止まった誰かの思考材料になれば幸い)
袋麺って、一つ食べるのはどうしても量的な抵抗があったのだけど、なんのことはなくて半分に割ればよかったんだ。
袋の中でぱきっと半分。使うスープも半分。
でももちろんそれだけだと物足りない。
・具
もやし1袋、orキャベツ1/4の乱切り、orクズ野菜、きのこの残り物、ハム、ソーセージ、ベーコン、ちくわ、かまぼこ、などなど
お好みで卵
・調理方法
1.フライパンに油を少し敷いて、上の具を炒める。
2.7割り程度火が通ったらフライパンにそのまま水を300~400cc加えて沸騰させる。
3.お湯が沸騰したら具材を片側に寄せてお湯の上に半分に割った麺を加える。
下半分ほどしかお湯に浸らないので30秒ほどしたらほぐして全体が馴染むようにする。
4.残り1分程度になったら麺と具材を寄せて空間を作り卵を割り入れる。
30秒ほどして白身の外側が固まりはじめたら、箸でゆっくりと黄身と白味を切るように崩すと麺が茹で上がると同時に卵全体に火が通る。
5.麺が茹で上がったら完成。
このとき、具材の位置をうまく調整できていると具、麺、玉子がそれぞれ別れた状態になっているはず。
そうしたらスープのもとをどんぶりに入れ、フライパンからまず水分だけをどんぶりに流し入れてスープを作る。
次に麺を先に入れて、具、玉子の順番に入れていくと、別々に調理しなくてもちゃんと普通のラーメンみたく具材と麺の層を分けることができる。
フライパンを使う最大の理由はこれで、狭い鍋だとこれができない。
麺半分、野菜たっぷり、罪悪感ゼロな袋麺ヘルシーラーメンの完成。
調理時間は10分未満。しかも調理器具はフライパンひとつ。ずぼら!
包丁まな板使ったときも、調理中の合間に洗ってしまえば食後の片付けも簡単。
これになれるとカップラーメンの物足りなさ(≠満腹感)には戻れないんだよなー
調理時間が短いから朝でも気軽に作れるし、半分に割った分は数日以内にほぼ処理できます。
どうやら心も風邪をひいてしまったようで、テレビやネットを見るのが辛くなっていることに気づきました。
なんでかな??と思ったら、
その返済のため、父は年に数回帰宅するだけで、
母も平日はフルタイムで働いていました。
親せき宅をたらい回しにされたりしていました。
虐待を受けていたのはその頃です。
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怒鳴られたり、はたかれたり、ぶたれたり・・
仕方なく引き受けたものの、
どう扱ってよいものか困ったのでしょうね。
いうことも聞かないし‥
それで小さい子供に"言うことを聞かせるため"に必要なのは「力」だと思ってしまったのだと思います。
でも力をふるう方って得てして、相手との「差」をあまり意識していません。
それまで、従兄弟のことはどちらかといえば、いいお兄ちゃんと思っていたのですが、
叔母のことは好きだったので、
叔母宅に行くのはむしろ楽しみですらあったのですが、
それ以来、今日は叔母の家に預けられる日だ思うと憂鬱になりました。
苦しくって、つらくなって、
母にももちろん言いました。
「虐待」なんて言葉は知らなかったから、そのときの自分なりの伝え方で・・
でもね、一切信じてくれないんです。
なぜかっていうと、
あげくこちらは「〇〇お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞きなさい!!」とさらに叱られます。
「余計な事しやがって」と、虐待はさらにエスカレートしていきました。
いじめでいう「チクった」あとと一緒です。
モノを投げつけられたり、刃物を振り回されたりと恐怖レベルが上がりました。
で、そのトラウマってずっと残ってるんです。
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これ、実はもう40年前の話です。
悲しいかな
「殺される!!」と思った恐怖感
繰り返される怒鳴り声
時間が経ったから、セピア色になる・・・なんてことはありません。
その後も母にS.O.Sを出し続けたのですが、
同じバターンの繰り返しでした。
そのうち大好きだった母のことさえも、
自分がこんなに言っても信じてくれない、
まったく頼りにならないという不信感を持つようになりました。
そんな中で、唯一、私のS.O.Sを受け止めてくれたのが母方の祖父でした。
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気が付けば、叔母の家を飛び出して、
電車に乗っていました。
叔母の家から祖父の家までは電車で1時間くらい離れていました。
年に何回か行く程度でしたし、
我ながらよく迷子になることもなくたどり着けたものだと思います。
一人で泣きながらやってきたことに驚いて飛び起き、話を聞いてくれたのです。
その上で母や叔母に電話をかけて、一斉招集をかけてくれました。
叔母に連れられて、従兄弟もやってきました。
いきなり呼びだされて、殴られたことで、
「このじじい」みたいな感じで殴り返していました。
「力」には「力」で教えないとわからないんだ!!
虐待されることもなくなりました。
今までのように叔母の家に送られて、迎えに来るまで待つ必要もなくなり、
母を含めて、身近な何人かの大人に必死でS.O.Sを出していたのに、
いまもどこかにあの日の私みたいに「助けて」を言っている子はいるのでしょう。
それを聞いてあげられるかどうか、気づいてあげられるかどうか
麻生副総理の発言をポリコレ云々で叩いてるのはヘドが出るんだが
「産まなかったから」も正しくないと思う
よくはてなーも適当に「お金がないから子供が産めない!国は経済なんとかしろ!」って叫ぶけど
まじで結婚した人が何人産むかはバブルの頃から大して落ちてないからそれは間違ってる
一番変わったのは未婚率だ
だから正しくは
・未婚率を減らす
・3人目4人目を産んでもらう
のどっちかになるんだが
3人目、4人目を産んでもらうのは、1900年〜1985年を再現しなければならなく、本当に簡単ではない
未婚率を減らすのももちろん簡単ではない、価値観の多様性を逆行させることになる
これ詰んでるよね
何か発言者のコンテキストによって大きく変わりすぎて、どうも議論が微妙になるわけよ。
ちなみに僕が考える技術力の一例ってさ。
社会課題を解決する為の仕組み全体を設計する能力を主に指すのよ。
で、これを例えば今日たまたま病院寄ってきたので、その中で医療そのものの医療技術ってのもあるだろうし、医療システム(保健とかな)の設計ももちろんあるだろうが、たとえば患者の電子カルテなんかのITシステムを扱っている会社だったとしてさ。
はてぶってIT屋さん多いから例えばここだけピックアップするとね。
はてぶの人達の言う技術力って、情報系学部出てでオープン発の最新事例を「知ってる」人達が技術力~みたいなイメージしか無いわけ。(ちなみにボクチンはただの通りすがりのものです)
聞いたこともないようなカタカナ語の仕組みを知らない会社は軒並み駄目なドメ会社で、技術力の無いクソ同僚だけが残るクズ会社みたいな話ばかりで。
いやそうじゃないでしょ。そうじゃないでしょっていうかさ。
最終的に医療の電子カルテが安全かつ早く誰もが見れて、それのコスト含む社会負荷が低く、あまねく多くの人が利用可能でって言うところまで見通して作ると、あの日本UIとUXになるわけですよ。
で、あれはあれで一つの選択肢として日本は取ってきたわけですよ。いいか悪いかは別として。
大抵の日本人はシンプルな検索窓置かれても困ってしまうわけ。選択肢が無いから。一例としてね。
で、そういういわゆる社会的なコンテキスト情報の整理を無視して、単に技術力がないからあーだ、こーだ言う前に、もう少し社会人普通にやってちゃんとお勉強してからいいなさいっていう。
海外ではやっている●●なんて今知ってたって、どうせ3年後には別の仕組みに置き換わってるよ。
突然ですが所謂地下アイドルのライブってちょっと行きにくくないですか?
プレイガイドで購入したチケットを持って入場、いざ指定席へ着席!ならまだ分かる。
予約(取り置き)って?どうやって行けばいいの?
物販って?何持っていけばいいの?
そんな理由で現場デビューを躊躇っている方のために、ざっくりですが
【花言葉を君に】のライブ参加方法を書いてみました(全て2019年1月現在の情報、またあくまで非公式の一ファンによるまとめです)。
全てのライブにこの方法が適用されるとは限りませんが、あくまで参考としてご活用いただけると嬉しいです。
(分からないことは #花言葉を君に や #はなこと のハッシュタグを活用してツイッター等で問いかけてみよう!どこからともなくはなこと沼の住人が現れて助けてくれる... かもよ!)(ザバァ)
花言葉を君に公式Webサイト(www.hanakotobawokimini.jp)、若しくは公式Twitter(@hanakotoba_kimi)などから、直近のライブ出演情報が確認できます。
出演ライブ名、会場(活動は主に都内です)、入場料(大体ここにドリンク代が別途必要です)、ライブ会場の開場時刻、ライブ開始時刻、出演(=パフォーマンス)予定時刻、物販(チェキ撮ったりお話出来る!スゴイネ!)時刻...
②チケットを予約!
行きたいライブが決まったら、チケットを予約しましょう!前もってチケットを予約することで、前売券価格での入場が可能です。おトク!
花言葉を君に では、メンバー個人のTwitterアカウントへのリプライ(返信機能)やSHOWROOMという生放送の動画配信時のコメント投稿を通じてメンバーへ直接チケットの予約がお願いできちゃいます。ワーオ
予約をお願いしたいイベント日時・予約名・人数(=チケット枚数)の記載をお忘れなく!
そんな... メンバーへ直接なんて... ヤダ恥ずかしいワ...♡というあなたは、公式Webサイトの予約フォームを活用しましょう!
ライブ詳細下部に、
こちらは予約に必要な事柄が全て項目化されているため、情報の書き漏れがなく安心!
チケット代は基本的に会場受付にて当日支払い、事前発券の手間も特には不要な場合が多いです。
③いざ出陣!
チケット予約が済んだら、あとはワクワクしながら当日を待つのみ。ちゃんと寝るんやで!
もちろん事前に会場へのアクセス、花言葉を君にライブ開始時刻の確認をお忘れなく!
ライブイベント自体の開始時刻には間に合わない... という場合も、多くのライブでは途中入場が可能なため 花言葉を君に のライブ開始時刻までに到着出来れば大丈夫。
ライブは見られないけど物販は行ける!という場合ももちろんオーケー。
ライブハウスがちょっと分かりづらい場所(地下フロア等)にある場合は、入り口付近にライブ詳細が記載された立て看板等がある場合も多いので目印にしましょう!
④入場!
ドッキドキの入場。この関門を突破すればその先にはパラダイスが待っています。
とは言っても難しいことは特になく、会場受付にて
予約(取り置き)アーティスト名、チケット予約枚数、予約名を伝えられたら完璧!花言葉を君に で○枚予約した〇〇(予約名)です、と伝えましょう。受付の方がお目当はどなたですか〜と聞いてくださることも多いので、上記を伝えられたら大丈夫です。
チケット代金と(ほとんどのライブハウスにおいては入場時必須の)ドリンク代を入場料としてお支払い!よく出来ました!ハナマル!
⑤ライブを楽しもう!
多くのライブは、色んなアーティストさんが数多く出演されタイムテーブル(タイテ)通りに進行しステージに代わる代わる登場されます。
花言葉を君に のライブ開始時刻までにはしっかり事前準備を済ませておきましょう!
大きな荷物は受付・クロークやロッカーに預ける、ドリンクを引き換えておく(もちろんライブ鑑賞後でも○)、サイリウムを持参した場合には電池の残量を確認しておく(中の人はよく電池切れになります。アウト)などなど... 前後のアーティストさんのパフォーマンスを楽しむ余裕があれば尚素敵!
ライブ自体に必要なものは特になし、ライブを楽しむ気持ちだけがあれば十分です。
サイリウムなどの光り物があれば、推しメンの色に光らせて振るのも楽しい!オススメです。
ライブ鑑賞時には最低限周りの方へ迷惑を掛けるような行為を慎めば大丈夫です、コールや振りコピ(一緒に振り付けを踊ってみる)も一層楽しい気分になること間違いなし!
⑥物販に行ってみよう!
ほとんどのライブにおいて、花言葉を君に は物販も行なっています。
物販には 平行物販 と 終演後物販 の大きく2種類があり、平行物販の場合はライブイベント開催中に、終演後物販の場合はライブイベント終了後に所定場所にて開催されます。
お手紙やプレゼント、差し入れなどもここでお渡しすることが出来ます。
終演後物販の場合、物販開始時刻まで間が空くことが多いので(詳しくは公式Webサイトの物販開始時刻をチェック!)、ライブ会場が再入場可か確認してお外に休憩へ出ることも可能です。再入場時には再度ドリンク代の支払いが必要であったり、会場やイベントによっては再入場不可なこともあるのでしっかり確認!
物販とは、メンバーとチェキ写真を撮りながらお話したり、最近ではランダムで様々な豪華商品の当たる はなことくじ に挑戦することが出来ます!
メンバーと一緒にチェキ写真が撮りたい場合には、チェキ写真撮影1回につきチェキ撮影券 を1枚購入します。推しメンとたくさん撮るもよし、メンバーそれぞれと撮るもよし!簡単なポーズのお願いも出来たり、メンバーのみのソロ撮影も可能です。撮影メンバーによるサインも入れていただけ、更にその間お話も出来ちゃうちょっとした臨死体験です。
はなことくじ は毎回物販に登場するか確実ではないため、出会えたあなたはラッキー!是非運試ししちゃいましょう!くじの中身は随時追加されている模様!
更に今なら初めて 花言葉を君に の物販を訪れた方限定でお好きなメンバーとの無料写メ撮影実施中!
⑦気をつけておうちに帰ろう
いいですか、おうちに帰るまでがライブです。幸せを噛み締めつつ、また元気にライブへ来られるよう帰り道は足元に気をつけて!
ほとんどのライブイベントでは、お好きなタイミングで退場可能です。
ライブ後に用事があれば帰ってよし、物販まで楽しんで思い出を胸にルンルン帰路に着いてよし、もちろん終演まで他のアーティストさんのパフォーマンスを楽しんで良し!なんです。
ちなみに撮りたてのチェキを見ながらぼんやり歩いていると道に迷います(実体験)。
ここまで出来たあなたはもうライブマスター!次回以降も同じようにすればライブにまた来られちゃいます。
花言葉を君に は、本当にメンバーも運営もファンも皆がとっても穏やかで優しい界隈です。
もし会場で困ったことがあれば、会場の係員さんやお近くの方に尋ねれば、きっと優しく助けてくださること間違いなしです。
是非最初の一歩を踏み出して、一緒に楽しいライブ空間を創りましょう!
大体ライブハウスに辿り着けないのでメチャクチャ早めに会場付近へ到着しメンバーの1人霞湊士さんが大好きすぎて最早グループ公認ドリンクのようになったタピオカを飲みながら時間を潰す一ファンより
日常的に柔道やってる勤め人だから、道でもいらぬ恐怖感を与えることもあるのはわかってる。
そんな外見だから、変に喧嘩売ってくる人もいないし、もちろんおじさんはぶつかってこない。
ぶつかってくるのは女性。特に話に夢中になってたり、女子高生とか横並びで自分の世界があるのか
狭い道でも隊列縦にしたりしないよね。彼女らの意識はどうなんだろうか。守られてる。
狭いとこはデカイ体ながら、体を縮こませてよけるんだけど、怪我してる時とかはとっさの動きができない。
こっちも気を付けてるけど、彼女らはフラフラっと向かってきてぶつかってはじめてこっちに気づく。
どこを見ているのだろうか……
ただでかいだけの汚いでかいおじさんなんて女は誰もみてくれない。リアルで視界にない。メスレーダーに反応してない。
男性は意外とフラフラしてるジジイでもぶつからない。この町では接触はすぐ喧嘩になるからな。
男として終わったジジイですらちゃんとみてる。周りにどういう人がいるかは。
生きるためだもん、いかついやばそうな男や、性的魅力のある女なんか、見逃すわけがないわな。
個人的体験からいうと、基本的にぶつかってくるおじさんは人をちゃんとみて女を狙い暗い欲望を果たしている。
自分の不注意でぶつかる女が、ぶつかってはじめておじさんを認識したのに、「ぶつかってくるおじさん」って名称が世にあるもんだから
イケダハヤトがVoicyにツッコミどころまみれな投稿をなさっていた。
そしてそれが大絶賛炎上中な訳であるが、思う事が沢山あったので匿名ダイアリーに記録を残そうと思う。
これ。
https://voicy.jp/channel/585/37282
「自分達の中にいた荒らしを排除したまで」という発言があった。
どうやら矛盾を叫んでいる人間らは荒らしのような存在で、不当に攻撃をしてきていると言いたいらしい。
では、追い出しを喰らった人たちは荒らしと言える人たちだったのだろうか?
ここにいしかわさんのノートから感じた事を述べてみたいと思う。
https://note.mu/ishi_kawa/n/n868d6c0f48c6
荒らそうと思ったなら、
・どんなノウハウか外部にばらす
etc…
というような悪意に満ちた内容になると思うのだが、そんな話は聞かない。
むしろ質問者は、荒らしたかったというより心地よくサロンを使いたいから疑念を晴らしたくて質問したというのが妥当ではなかろうか?
さて、
・心に不安を抱えたユーザーを放置するのは、果たしてまともなサロン運営者のする事なのだろうか?
・ブログでもSNSでもノウハウを実行していただく時に、疑念と不安が頭の中をかすめ続けるままやってもらうつもりだったのだろうか?
と、思う事は多い。
仮にイケダハヤトの脱社畜サロンの内容が良質なものであるにしても、心のしこりに対して何れかの対処はすべきだったのではないだろうか?
Voicyの中で言及されていたスマイリーキクチ事件と自分の事を重ねる発言に関してもツッコミどころが多数ある。
まずスマイリーキクチ事件が解決できなかった理由に「やってない証拠を出せ」と言われた事が挙げられる。そしてイケダハヤトはその件を引用して自分と同じと発言していた。
しかし、今回の件では「やってない証拠」なんて求めていない。「正田氏の経歴の証拠を見せろ」という話なのである。
つまり「ない事を証明しろ」じゃなくて、「やっていた証拠になる何かを1つで良いから開示せよ」という話なのである。
証拠になるものが1つたりとも存在しないなんて考えにくい。仮に自宅が燃えて全ての書類が消えたとしても、買収に関わった相手会社の引き出しに自分の名前の1つや2つ乗っているだろうし、ウェブに自身が運営した会社の残滓が残っている事だろう。
しかもSEO会社と聞いた。「ブログで証拠は出せません」とは言わせません。たとえブログが無くなったとしてもウェイバックマシーン(https://archive.org/web/)で証拠のサイトを提出する事だってできます。
※補足…ウェイバックマシーンは、ある名前のドメインが過去にどう運営されていたのか記録を残してくれるサービスです。2000年代の頃のデータももちろん出せますから正田氏が起業する1年前である14歳の時のデータだって出せるのです。
しかし、それも出ない。出せない証拠もなく「訴える!」と叫ぶ始末。疑念と不安を持つサロンユーザーの気持ちが解らないのだろう。
が、これもおかしな話である。何故Voicyという絶好の拡散できる所で事実を語らなかったのだろうか?
嘘が蔓延しやすいというのは解る。人間だれしもゴシップ的な情報に流されやすいからだ。
でも求めているのはそんな「嘘の構造とは?」の情報じゃない。「正田氏の話は事実かどうか?」なのだ。
19/1/14現在、Voicyの総合ランキングのトップがイケハヤラジオなのである。そして本人のツイッターも現在は注目の的である。
何故その影響力で真実を語ろうとしないのか?何故嘆きの言葉しかつぶやかないのか?不思議な限りである。
イケダハヤトの嘆きはもうよく解った。そろそろ真実を語られてはどうなのだろうか?
ここまで矛盾点を指摘してきたが最後に大きな視点に立ってイケダハヤトが何をしてきたのかおさらいしてみようと思う。
世の中の影響力の大きな人は自分のやり方・哲学を広く教える、そしてその教え子はそれの血脈を継いだかのように動くものである。
野球でもサッカーでもまずは指導者のやり方を真似てそれがその人の芯に残るのと同じである。そして大成した後は「〇〇先生のおかげでここまで来れました」というまでがお約束であろう。
さて、振り返って今までのイケハヤ氏から卒業した書生達の中でブログで大成したものはどれだけ居るだろうか?
イケハヤの何かを受け継いで成果を上げたものがどれだけいるだろうか?
一体全体、イケダハヤトとお付き合いして何かを得られた人間はどれだけいるのだろうか?
それなりな成果を残した元卒業生が居るなら、イケハヤのおかげで今の自分があると感じているのだろうか?
疑念は多い。
最後になるが、今回の脱社畜サロンから実力をつけて成果を挙げるものがどれだけ出るだろうか?データを取ってみたら面白い結果になりそうなものである。
しかし他を圧倒するほどの新鮮さも異質さもなかった。
だけれども、そもそもラジオというパッケージにおいて、他を圧倒することなんてありえない。
ガルラジがなにやらすごいという記事が何本もあがっていたので、早速聞いて見た。
色々と表現の仕方はあるだろうけど「ラジオを題材にしたボイスドラマ」としてクオリティが高かった。
コンテンツが供給されるのなら、今後ついていこうと思うし、DJCDが出るなら買いたいと思う。
特にチーム御在所が俺は気に入っている、おねロリだし。(「オフパコかもとドキドキしながら行ったら女子小学生がいた」っての、完全にメスガキにわからせられるパターンだけど主人公が女性だと、こうなるの、まさに男性の原罪、みたいな話しを広げるか悩んだけど、オチが男性の原罪だとマジの人たちに怒られそうだからやめます)
ただ、これが何か新しいものか? 今までにない異質なものなのか? と聞かれると言葉に詰まる。
これは去年、俺の生活をかなり侵食したVtuberに関しても同じ。
もちろん、細かい部分を見れば面白いところ興味深いところ拙いところ旨いところ色々あると思う。
けど、どれも、ほんのちょっとの調味料にすぎず、元の料理の味を大きく変えているとまでは思えなかった。
結局、主に音声を楽しむパッケージを『ラジオ』と呼ぶのであれば、まさにラジオが心地いいという話だ。
こういっちゃなんだけど『ラジオ』が面白いのなんて当たり前なんだよ。
今現状、毎週聞いているラジオを追うだけで精一杯で、かつそれに満足している人に、新たに推せるだけの強烈なパワーがあるのか? という疑問だ。
これに関しては自身を持って言える「ガルラジに他を圧倒するほどのパワーはない。そしてあらゆるラジオ番組は他を押しのけることはできない」
結局、ラジオっていうのは喋る人のパーソナルな部分を伝えるパッケージなんだよね。
そして、そのパーソナリティの魅力というのは、すなわち人の魅力で、じゃあ人の魅力って代替できるものじゃないんですよ。
こんなの当たり前な話で、「俺にとっての『榎本温子』に変わりなんていない」こんなのあったりまえの話しでしょ。
もちろん、じゃあラジオってパーソナリティーが全てなの? と聞かれれば絶対そんなことがなくて。
ディレクターさんがいて、構成作家さんがいて、いろんな人が関わってできるチームプレイももちろん重要なんだけど、
言ってしまえば、このディレクターさんや構成作家さんや他のスタッフさんたち全員も含めて一つのパーソナリティーなんじゃないかなと。
だからもう、極論なのは承知で言うけど「ラジオを他人に勧めることが愚か」とすら思えてしまった。
だからアニラジアワードなんてもので、評するなんて論外なんだよ!!!!!!
ラジオ関西を仲間外れにするのをやめろ!!!!(仲間外れにしたわけではないと思うよ)
アニラジアワードで表彰されなかった全てのラジオ番組全ておもしろいんだよおおおおお!!!!!
つぶせつぶせ! 声優アワードと一緒にこんなのなくしちまえばいいんだよ!
(さすがに「ヨナヨナ」のどこがアニラジだ! という意見はもう寒いので言いませんが、「ヨナヨナ」があって「スターダストボーイズ」がないのは、アニラジアワードのスタッフがポアロの鷲崎派だから、は言い続けようと思います)