はてなキーワード: 試行錯誤とは
オンラインサロン関係なしに自分で色々試行錯誤したほうがいいでしょう。
優秀な人を見分け、そうでないことを分けるというのなら、それこそオンラインサロンの縛りがないほうが遥かにしやすい。君の言っていることにオンラインサロンは微塵も必要ない。
だいたい、代表者の取り巻きになれなんて一体何のためよ。何かなしたいことがあって行動するんでしょ。だけど、オンラインサロンの代表者微塵も関係ないじゃない。
時間も金も限られているってのに、なんで会社外でまでごますりのようなことをするのか。
オンラインサロンの代表者に取り入る暇まで自分のやりたいことやってたほうがいいわ。
更に、オンラインサロンの雑用をやれみたいな内容。完全に君オンラインサロン側の人間でしょ。完全にオンラインサロンのご都合ばかりがにじみ出てるの。
世の中自分のために他人が動いてくれることを望む人間ばかり。そういうやつのために起業だのイノベーションだの煽られてる。
逆説的に周りの人間が質悪ければ全部捨てて逃げる覚悟を視野に入れとかないと起業だのイノベーションだの成功はない。ま、全部捨てるわけだからそこですかんぴんになるかもね。どうせあんな界隈魑魅魍魎ばかり集まってくるから。
まあ、すぐ儲かること以外は絶対してはならないと思うね。そもそもまずは景気がマシなときに転職を繰り返して、趣味を楽しむほうが遥かに人生有意義だ。
ごちうさの3期が終わり、『ゆるキャン』と『のんのんびより』へと続く。これから少なくとも3ヶ月先は移住先を探すこともない安泰な日々が続く。
しかし、ここから先はどうなるのか。さらに先に『まちカドまぞく』の2期があるが、1期より作風が変わると聞く。ひょっとすれば、『NEW GAME!』のようにいざこざの多い作品に変わっていくかもしれない。日常系アニメの新作がないかと不安になっている人がいるはずだ。
そういえば、アニメ化が発表されたきらら原作漫画は『球詠』だったよな。この作品を最後にアニメ化の発表がされた作品が現れなくなって1年半も経つ。
しかしながら、これからアニメ化の発表がされるきらら原作漫画が増えていくだろう。だが、それと同時にきらら原作アニメに対して「自分が期待していたものと違う!」という批判が急増していくと思う。
なぜなら、まんがタイムきららからきらら系と呼べるような日常系が減ってきているからだ。
私は日常系アニメが大好きできららの雑誌を読んでいる身だ。未来の日常系アニメが出てくることを楽しみにしていた。
しかし、私は、2018年ぐらいから、きららの編集部は日常系を冷遇するようになったと感じた。
そして、きらら編集長のインタビューを読んで、まんがタイムきららから日常系がなくなるのは確実だと確信した。
ただ、最初に『ひだまりスケッチ』がアニメ化し、『けいおん!』、『GA 芸術科アートデザインクラス』と続いていって、きららといえば女子高生4・5人の学園ものという印象が我々の想像以上に強くなってしまった。もっと4コマに多様性を見出そうと思って企画したきららが、いつの間にか多様性のなさの象徴みたいになってしまっていたんですね。どこかで一度その固定観念を壊して、新しいきららの形を作らなければいけないと思い、2011年に「まんがタイムきららミラク」を創刊しました。
芳文社創立70周年を迎えて。「まんがタイムきらら」編集長が考える“これからの日常系”の形
やはり、「きららといえば日常系」という風潮に対して、きらら編集部は好ましくないと思っていたようだ。
*****
では、まんがタイムきららについて振り返ってみよう。
2011年に『あっちこっち』、2012年に『夢喰いメリー』のアニメが放送された。「まんがタイムきららは日常系だけではない」とアピールする機会になり得たが、いずれも成功したとはお世辞にも言い難かった。特に『夢喰いメリー』は原作ファンから酷評をされている。
2013年に『ゆゆ式』のアニメが放送し、『きんいろモザイク』『ご注文はうさぎですか?』へと続いた。この頃に「まんがタイムきららといえば日常系」というブランドイメージが確立された印象だ。
きららに対するイメージが確立された後も、日常系ではないきらら原作漫画がアニメ化して放送されたが、そういったアニメが日常系アニメに比べたらヒットしているとは言い難い。
一方、編集部から大きな期待が寄せられたまんがタイムきららミラクだが、けいおんやゆゆ式のような大ヒット作が現れず、2017年12月号を最後に休刊してしまった。
そして、ミラクの末期の頃から、既存のきらら系列雑誌の作風が変わっていった。
まず、2018年から2019年前半ぐらいかけて、まんがタイムきららMAX連載の未アニメ化作品が、2~3巻分の短期で、次々に連載終了していった。特に『どうして私が美術科に!?』の連載終了はきららの読者に大きな衝撃を与えた。元々、きららMAXは、前衛的な作風やマニアックなネタを扱う作品が多かったが、ミラク創刊の影響で、きららMAXは萌え要素が多い作品が増えた。ミラク休刊を期に、尖った作品が増えてきた。
さらに、『ななどなどなど』のような和気あいあいとは言い難い作品や、『RPG不動産』のようなファンタジー系の作品が増え、『奥さまは新妻ちゃん』『一畳間まんきつ暮らし!』『メイドさんの下着は特別です』のような男性読者に媚びたお色気要素が強い作品も出てきた。
そんな中で編集部からプッシュされていた印象が強いのは、きらら本誌で連載していた『甘えたい日にはそばにいて。』である。この作品は『幸腹グラフィティ』の作者、川井マコトが送る小説家の少年とアンドロイドの少女の恋愛を描いたシリアスな作品だ。
きらら作家としてそこそこ知名度があるとはいえ、アニメ化されていない作品としては破格の待遇で編集から猛プッシュされていた。3回連続でセンターカラー連載したし、1巻発売当時、アニメが放送していた『スロウスタート』との合同フェアを行った。
しかし、鳴り物入りで連載されていたにも関わらず、アニメ化されることなく3巻で終わってしまった。
そんな長期に渡る試行錯誤だったが、きらら編集部の期待に応える傑作がようやく現れた。それは『ぼっち・ざ・ろっく』である。
『ぼっち・ざ・ろっく』は、これからのまんがタイムきららを語る上で絶対に外せない作品である。
この漫画は、タイトルが示す通り、陰キャな主人公がバンドに加入してロックスターを目指す王道のロック漫画である。間違えても『けいおん!』と同じようなものを期待して見るものではない。むしろ、『けいおん!』が嫌いだった人が見るものだ。個人的には、この作品が売りにしている主人公の顔芸と陰キャネタが生理的に受け付けない嫌いな作品だ。
『ぼっち・ざ・ろっく』はとにかくすごい。単行本1巻発売日直後に重版がかかり、LINEスタンプが発売された。そして、「次にくるマンガ大賞 2019」で8位にランクインした。
おかげで、きららでは陰キャ主人公モノブームが巻き起こっている。そのブームは、荒井チェリーというきららの創刊期から連載作品を持つベテラン作家ですら巻き込んでいる。列挙すればこんな感じだ。
そんな『ぼっち・ざ・ろっく』にアニメ化の話が来てもおかしくない状況だと言える。では、肝心の出来はどうなるのか。制作会社ガチャと呼ばれる風潮が強いが、それに関しては心配する必要はないだろう。
*****
ここからは、個人的な妄想。内情を知らないので、今後どうなっていくかは、まだ分からないことだということに留意してもらいたい。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』は、アニプレックスが間違いなく神アニメにしてくれるはずだ。きららの切り札である以上、粗末に扱われることは絶対にないだろう。作画に関してはしっかりした制作会社を選ぶし、脚本だって原作ファンからの高評価であふれかえっているので十分保証できるだろう。
それで、なぜ『ぼっち・ざ・ろっく』の話にアニプレックスを出すのか?
その大きな理由はソーシャルゲーム『きららファンタジア』にある。このゲームはアニプレックスがパブリッシャー(配信元)でドリコムがディベロッパー(開発元)である。
『ぼっち・ざ・ろっく』の連載が始まる頃は、きららファンタジアの販促に力を入れていた時期だった。それを象徴するアニメは、2017年秋季に放送された『ブレンド・S』と、2018年冬季に放送された『スロウスタート』である。この2作品は、アニプレックスとドリコム、そして芳文社が製作委員会に名を連ねている。
この頃のきらら編集部はアニプレックスを強く意識していたんじゃないのかな。特に『ぼっち・ざ・ろっく』の場合、その傾向が強く表れていると感じる。主要人物の名前は、ASIAN KANG-FU GENERATION(アジカン)のメンバーが由来だ。アジカンは、アニプレックスの親会社、ソニー・ミュージックエンタテインメント所属である。ここから、作者と編集は、構想の段階でアニプレックスを意識していたのだろうと推測している。
『タイムパラドクスゴーストライター』というジャンプの打ち切り漫画には、「実は(アニメ化の)オファーだけなら、早い作品だと1話目の次点で、もう来るんだよ」というネタ画像がある。ひょっとすれば、『ぼっち・ざ・ろっく』は、比較的早い段階でアニプレックスからオファーが来ているのかも知れない。逆に、芳文社からアニプレックスにアプローチしていたのかも知れない。それだけ芳文社とアニプレックスの距離感が近いはずだ。『きららファンタジア』が配信されたばかりの頃は特に。
そういえば、こんなTwitterアカウントがあるけど、遅くてもこのアカウントが作られる前からアニメ化が決まっていたんじゃいないのかね。主人公が演奏動画の投稿をきっかけにSNSを始めるエピソードだけど、このアカウントの初ツイートが2019年8月16日、このエピソードが掲載されているきららMAX発売日は2019年08月19日である。早すぎないか。
ファンがやるにしても、フラゲでもできないだろう。最新のツイートあたりに、音楽が流れる一枚絵があるけど、この絵は作者が描いたものじゃないよね。ひょっとしたら、アニメの作画担当が描いたものかも知れない。ちなみに、Twitterは、YouTubeやニコニコ動画とは違って、JASRACと許諾契約をしてないから気をつけてね。
『きららファンタジア』は、リリース開始期に多くのトラブルに見舞われて短命で終わるとささやかれていた。しかし、そんな悲観的な予測を超えて、2020年の12月にリリース3周年を迎えた。それを記念してメインクエスト第2部がリリースされた。これから、またアニプレックスのきらら原作アニメが増えていくのだろう。そのトップバッターは『ぼっち・ざ・ろっく』になるに違いない。
ビジネスは出だしが肝心だ。アニプレックスと芳文社は『ぼっち・ざ・ろっく』にまんがタイムきららときららファンタジアの命運を賭けるつもりでいるに違いない。それ故に、アニメスタッフは錚々たる顔ぶれがそろうし、宣伝にもかなり力を入れるはずだ。
具体的には、『鬼滅の刃』のプロデューサーを担当した高橋祐馬、『紅蓮華』を作曲した草野華余子、「チカっとチカ千花っ」で大きな反響を読んだ中山直哉が名を連ねることになるだろう。ロック界の重鎮たちも出てくるんだろうね。アニメーション制作はufotableが最有力になると考えている。次点は、A-1 PicturesとCloverWorksだ。
ぶっちゃけ、このアニメに鬼滅の刃のスタッフが集うことすらあり得ると思う。宣伝映像の冒頭に「鬼滅の刃のスタッフが送る」というナレーションを添えるだけで、誰もが飛びつくに違いない。まさに鬼に金棒。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』はアニメファンはおろか一般人ですら唸らせる出来になり、アニプレックスと芳文社が望んだ通り大ヒットするに違いない。そして、「きららといえば中身のない日常系」というネガティブイメージを抜本的に改善していくだろう。
*****
これがどれくらい当たるのか。答え合わせは2021年1月19日から始まるだろう。まんがタイムきららMAXの発売日だ。その次の月の2月25日は『ぼっち・ざ・ろっく』の単行本3巻が発売される。その間に、重大なニュースがやって来るはずだ。
いずれにせよ、きらら編集部にとって『ぼっち・ざ・ろっく』はまんがタイムきららを変える大きな存在だということには間違いない。
実際、ごちうさ3期に放送されたきららMAXのCMで紹介された作品は、ごちうさときんモザとこの作品だけだった。新型コロナウイルスのせいかもしれないが、はっきり言って、きららMAXの未アニメ化作品は「『ぼっち・ざ・ろっく』以外は雑魚」という扱いなんだなと感じた。それだけ、『ぼっち・ざ・ろっく』の注目を集めるのに必死なのだろう。
私はきららの雑誌を読んでいて、日常系が減ってきていると感じていた。
きらら編集長のインタビューを読んで、きららから日常系が消えていくのは確実だと痛感した。
きらら編集部は『ひだまりスケッチ』や『けいおん!』がヒットしたときから、「きららといえば日常系」のイメージに危機感を持っていたのだ。
きららの編集長はインタビューで「多様性」という言葉を使っていたが、我々が持つきららに対するイメージに対して、作者も編集もプライドが許さないのも大きな理由の一つなのだろう。そりゃそうだよな。自分たちで一生懸命作って世に出した作品を、きららというだけで、萌え日常系と言うだけで「中身が無い」とか「低俗だ」とかと酷評されたら誰だって傷つく。そんなイメージを払拭したくなるのは当然の話だよね。
10年以上前から受けてきた屈辱を晴らそうと、長期に渡る試行錯誤の結果、『ぼっち・ざ・ろっく』という今後のきららにふさわしい作品が表れた。あとは、大ヒットを目指してアニメや宣伝に力を入れていけばいい。そして、『ぼっち・ざ・ろっく』に続く「中身のある作品」を出していけばいい。そうすれば、まんがタイムきららから「中身のない日常系」は駆逐されていくだろう。
だから、私は言いたい。
そりゃースパイだろうが何だろうが増田のいう「ネット革命」とやらで
昔ならCIAだKGBだのに入らなきゃ習えなかった知識技術が独学できるんだから、「始めるハードル」は超低くなってるでしょ、昔はプログラミング習うのだって千何円する雑誌買わなきゃいけなかったわけで
でもそれが本当に今通用するのか、実際にやってみての業界慣習や常識みたいなの、それこそ発掘兵器ロボットの能力一つ一つ検証していくロボットアニメの主人公みたいな無駄な試行錯誤しなきゃいけないわけで
そんなのがない「正規」の方法で習った奴に最初から不利になるのは当然至極
選ぶ側も、そりゃちゃんとした実績や信頼あるところで育った奴取りたいから、有名大卒とか体育会系部活上がり取るわけで
有名な大学出ててかつスポーツで実績があるという段階で、いちいち雇ってから検証しなきゃいけない要素は全部クリアしてて、犬猫にも劣る発達障害や毒親育ちのメンヘラとか、
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。
とても共感があったので書いてみる。
妻:売れない絵書いたり時給10円くらいのクラウドなんとかの仕事で日中過ごす自称デザイナ、実質専業主婦。
内訳
正直平等とはいい難いのは数字が全部だと思うが、まぁしょうがないんだろうということで諦めてもいる。
最初の方はなんで何もできないのか不思議でしょうがなかったし、何度も衝突したよ。
試行錯誤しながらたどり着いた結果が妻は発達障害だということ。
3年かけて自覚してもらって、1年前に病院行ってようやく確定した。
単純にスペックが足らなかった。できない人にできないことを要求してた。
俺だって数千人の企業仕切れ言われたら無理だよ、そんなにスペック無いもん。
まぁ元増田の奥さんが発達かどうかはわからんけどさ、とはいえスペック差ってどうしようもないよ。
妻に優しくして全部やれって、まぁやれなくもないんだよな。
それで全部やってみせて、そしたら妻の尊厳はどこに行くだっていう。
うちなんて特に専業だし、収入も家事も育児もゼロにしたら完全にウンコ製造機だよ。
でっかいうんこできた、えらい!ってコウペンちゃんでも無理あるだろ。
俺は全部やってみせて穏便に済ますことが正解だとは思わない。
望むべくは人として尊敬できる妻であってほしいと願っている。
こっちも神様でもなんでもないただの人間だし、完璧である必然なんて無いんだよ。
怒っていい。意見していい。無理難題ふっかけっていいんだろう。おたがいさまだ。
ただし暴力は無しで。
返答ありがとう。
> 理解していない人の理解の助けになればいいかと思って書いた
> ブコメの id:lady_joker のブコメなんで、この人が奥さん?を念頭に置いているのか親とかを念頭に置いているのか俺にもわからん
推測だけど、奥さんでも親でも一緒だと思うよ。
要は、頑張ってご飯を作って「さあどうぞ」って持って行った時って、往々にして相手を喜ばせたい、相手にサービスしたい、
という思いがあるから作っている、と容易に推定できるんだよ(もちろん、究極的には確認しないとわからないけど)。
ごはんを提供することで、相手が喜ぶ顔を見る、ということがモチベーションになっている人は結構いる、ということ。
その人の、そういう世界観は、必ずしもあなたの世界観とは合致しないかもしれない。
そうだとしても、まずはその人(コミュニケーションを開始した人)に合わせるところから始めるのが、大事。
パスを出す側も、受ける側も、ちゃんと「パスしよう」と考えないと、パスが成立しないじゃない?
今回のケースでは、明らかに「受け手側」が「出し手側」を意識していない事が明らかだったので、
それを指摘した次第。
ニール・シュトラウスの「ザ・ゲーム」という本で説明されているPUA(ピック・アップ・アーティスト)という考え方だ。
PUAについては、「ザ・ゲーム」を読めばわかるのだけど、
さらに、このベースになっている心理学的モデルが、神経言語プログラミング、通称NLPだ。
NLPをざっくり言うと、催眠術で使う言語アプローチをベースとした心理モデルで、今一つエビデンスが取れていない脇の甘さでも有名だ。
ただ、実務上、非常に使えるモデルであるため、話し方教室やコーチングスクール、営業向けセミナー、自己啓発セミナーあたりでよく(NLPと呼ばずに)引用されている。
(メンタリストDaiGoが使っているメンタリズムも、NLPをかなり参照している)
ここでは別にNLPを学んで欲しくてこの話をしているわけではないため、一部のエッセンスを伝えるにとどめる。
ラポールとは「かけ橋」、相手との心が通じ合った関係を築くことができている状態を指す。
ラブラブなカップルが、ペアルックにしたり、言葉遣いや雰囲気が似てきたりすることがあるじゃない?
ラポールを取るためには、被験者が言語的、非言語的に発している情報にシンクロすることが重要だ。
NLPでは、その技術を最初にトレーニングする(ペーシング、リーディング)。
その成立過程で、カール・ロジャーズの提唱した「傾聴」という概念を参照している。
そのため、NLPでは相手の話を積極的に聴くことで、相手とラポールを築くことを学ぶ。
さて、
> 「お前が何考えてるか全然わかんねえよ」とはしょっちゅう言われていたので、その度に
> 「なるほど、俺が何考えてるかわからないんだね」と返してはみたんだけど
とあるけど、「お前が何考えてるか全然わかんねえよ」と相手に思わせてしまった状態からは、
ラポールの構築は、可能ではあるものの、手間がかかるもの、と思った方が良い。
相手に「何考えているかわからない奴」という評価が出来上がっているので、
そこを緩めるほど多くのコミュニケーションを取る必要があるからだ。
可能であれば、早い段階からラポールを築いておくことが望ましい。
相手の評価が固まる前の早い段階から、相手にマッチするようにしていくことで、
「お前の考えている事、よくわかるわ」にしていくことが、より容易になる。
NLPに限らず、この手のスキルは、実際に使えるようになるまでの訓練が必要だ。
コーチングスクールや話し方教室など、「実際に対人練習ができる」場所に行って、
そして型を身につけたら、日常のコミュニケーションで実践していく。
日常の膨大なコミュニケーションで試行錯誤することで、「型」が実際に使えるものに変わるからだ。
「コミュニケーションができるようになりたい」という渇望があれば、どうにかなると思うよ。
ホットカーペットと電気ひざ掛けの埃をはたいて床掃除した。コードの位置がどうも悪くうまく収まらないので、試行錯誤していた。で、いい感じに収まるよう、電源タップの位置やら差す場所やら変更して、まあまあ扱い安い場所に収まった。満足していてふと気付いた。右側にコントローラーを置くようにしたら、いい感じにまとまるのだ。ああそうか、こういうものも右利き仕様なのだな、そりゃそうか、と今更ながら納得した。
何かしたいことがないなら、積極的に何もしなくたっていいじゃない。
先に教育のあり方を変えてないとオンライン授業なんてできないよな。
それでも、うちは校長が切れ者なので、4月早々に「オンラインで普段と同じ授業やるなんて無理」と断言して、ビデオ会議(Meet)は朝の会だけ、授業は分担して10分程度の動画を作ってYouTubeで配信、それを観た後は個別に課題を進めさせるという流れになった。
教員はメールやチャットでやりとりして進捗管理と助言するだけ。
動画は1日に1本作るだけと決まったので、そこまで負担ではなかった。校長が、教員みんなでサポートしあいながら作るように旗振りしたおかげで、力を合わせて良いものを作れるようになった。みんな動画のクオリティ上がってくし、むしろだんだん楽しくなってきた。
ネット環境がない家も数件あったけど、そこは電話と訪問でサポートした。動画はDVDに入れて配布した。
市内の他の学校は全家庭に電話してたので、それと比べれば信じられないほど楽だった。
電話回線学校に2本しかないから常にパンクしてて、仕方なくみんな個人の携帯使ってたし。あれはありえん。
保護者の評価もとても高かった。ああしてくれて本当に良かったと、何度も言われた。
電話しかしてない他の学校の保護者から、よくある「なんであの学校だけ」ってクレーム入って、校長は市教委にかなり文句言われたらしいが、「他がウチに合わせるべきだ」とキレ返したそうだ。本人談なので事実かどうかは知らないけど。
最後話が逸れたけど、現状ではフルにオンライン授業やるのなんて絶対無理だけど、やり方次第ではそこそこまではやれたよって話でした。
こういうやり方の試行錯誤まで現場まかせで、さらにその結果の吸い上げとフィードバックすらろくにやってくれないあたり、文科省は本当に無責任だと思う。
増田の母親みたいな、とてもしっかりしてそうな人でもボケうるんだな。
割とのんびり構えてるようだけど、もうちょっと情報収集に力入れた方がいいよ。
自分語りっぽくて申し訳ないけど、俺のところは15年前に父方の祖母と10年前に母方の祖父がボケた。
ボケたといっても、ひどい認知症ってわけじゃないし、暴れたりもしなかった。
二人とも今は亡くなったけど認知症でも軽い方だったと思う。
父方の祖母は老人ホーム、母方の祖父は同居という選択をしたけど、
最終的には母方の祖父の方が良かったと思ってる。
老人ホームに入れた父方の祖母は、介護度が上がるにつれて、老人ホームを転々として、
最終的には植物人間状態のまま数年生きてたというか無理やり生かされてた。
だから、70になる自分の母親がボケてきてると感じた数年前、俺は即効で同居決めたよ。幸い、俺は結婚とかしていなかったしね。
寝起きみたい、というより、ぬめっとした表情は認知症と分かる前の祖父母のソレに似てた。
フィットネスジムに通わせたり、食事指導したり、ネットフリックスで好きなもの見せたり、
積極的に会話したり試行錯誤してるうちに、日常にハリが出たのか何とか持ち直したよ。
俺も自分が無自覚に感染して、親にうつしてしまうリスクは怖いけど、だからこそ、感染対策は気を付けてる。
風来のシレンの影響を受けてる、みたいな解説があるが、全然違うので注意。
以下主な違う点
最初にジョブを選択したり、色んな追加効果のある装備を取捨選択しながら集めたりする要素は、ディアブロに似ているかもしれない。
操作やメニュー周りはごちゃっとしていてあまり洗練されてないような。PC用ゲームをあまり工夫しないで移植した感じ。
あとバグっぽい挙動もやや多めで、進行不能に数度遭遇。直前のセーブポイントからやり直して行動パターンを試行錯誤して突破できたが。
拠点に帰ると主人公のレベルはリセットされるが、仲魔のレベルはそのまま。
画面がなんかチープに見えるが、プレイしてみると味があって良い気がしてくる。音楽も良い。
飲食店の営業時間を短くするより、むしろ営業時間を延長して時間帯ごとに利用できる人を振り分けてみてはどうだろうか。窮屈だろうか?
振り分けのルールは頭のいい人に考えてもらいたい。
偶数と奇数に色を組み合わせるとか。偶数で黄色の人は何時から何時までの利用可とか。
営業時間が増えれば、雇用も増えるんじゃないだろうか。利用者が一定なら、ロボットが登場してもいいかもしれない。たしか、遠隔操作で接客するロボットみたいのがあった気がするのだけど。なかったかな?
人間も働けて、機械も人間の能力を拡張する感じで参加して、試行錯誤を繰り返しながら少しずつロボットに労働をおまかせしていったら急に変化するより不安も少なそう。少しずついろいろ試していったら新しい発見もありそうだし。
なんとか給付金も、お店を休んだら補償ではなく、従業員のお給料の半分を国が補償する感じにして、半分はお店が持つようにするとか。それももう、今では厳しそうだけど……。
あとは、今もやってるところあるのか知らないけれど、時間帯によって値段を変えるというのも、うまく組み込めたらいいのになぁと思う。
事件は現場で起きているように、私は現場を知らないからもっとどうしたらいいのか現場を知ってる人たちのほうがいろんなアイデア持ってるんじゃないかなぁって思わないでもないんだけれど。
半分同意だが、ファイナンス云々もまずは「期間、費用と想定収益が見えてるからいくら出せ」って話だから、まず売れてよそに簡単に真似られないものを作れないとな。
その前には商品と顧客をマッチするための試行錯誤が必要(プロダクトマーケットフィット)、マッチしているかのために、簡素な試作を作って客に見せないとならない(ミニマムバリアーブルプロダクト)。
で、その簡単な試作は作るのに数ヶ月かかるし、それを何サイクルかしないとならないんだけど、どうやって金と時間を工面する?っての。
だけど、いわゆる「金を出す人間」は、その簡単な試作を作るやつが食い詰めてくれたほうが安く買い叩ける。まあ、そもそも大半は本当に売れないから金や時間を出したくないってのもあるが。
だから「煽るだけ」になる。さらに、煽って熱狂に覆われてるのも「娯楽」だから、「サーカスをしてほしい」という連中も加担する。「金を出す人間」が起業やイノベーションが必要だと学校や役所のよくわかってない人間を煽って、流される。
魑魅魍魎の界隈だわ。
会った件数:0
これらが女性側の求めるもの以上だったときにはじめてマッチングすることができ、更に
が適切な内容だった場合のみメッセージのやり取りを開始することが出来るのですが、自分はそのハードルを越えることがほとんどできませんでした。
ちなみに、いいねを送っている女性の系統はインドア系の趣味も許容できるとプロフィールに書いてある、もしくは女性もインドア系の趣味、デート代が割り勘になっている人たちです。
友人や家族からは評判がよかったプロフィール写真なのですが、自分がいいねを送っている人たちにはあまり印象のよくない写真らしくほとんど足跡が付きませんでした。
(パソコンで作業をしている時に「こっち向いて〜」と言われたのでそっちを向いたらカメラを向けられてたので思わず笑顔になった瞬間が収められている写真です。
いろいろ試行錯誤を繰り返しているので、もしよければ「こんな写真がいいよ!」とかあれば教えてください。)
自己紹介の文章や詳細プロフィールについてもあまり印象がよくないのか、足跡がついてもほとんどがブロックされてしまいます。
後で話を広げられるように趣味は広い定義で書いているのですが、もし詳細にプロフィールに書いたほうがいいことなどあれば出来れば教えてください!
アマチュア無線やラジオを聴いています。基本的にスケルチ全開な為、特定周波数をワッチしているときには数時間ホワイトノイズのみを聴いていることもあります。(受信にはVR160を使っています。)
一応アマチュア無線の免許も持っているのですが、ハンディ機しか持っていないので電波を出すことはほとんどないです。
いつかBCLラジオを買って海外の局にベリカードを送ることが夢です。
ThinkPadのジャンク品からパーツを取って自分のThinkPadを整備したりしています。
他にも自分の開発用マシンのjournalを確認してエラーメッセージを調べてみたり、launchpadのバグ情報を確認したりしています。
いろんなWEBサイトを巡回して面白い動きや表現があれば自分用にメモしています。
また、APIに送信されている情報を見て、こういうAPIの作りもいいな〜とかもメモしています。
あとは自分用にちょっとしたツールを作成したり、言語のリファレンスを読んだり、最近はクラウドサービスのドキュメントも読んだりしています。
間違った情報や古い情報を書いているサイト、既存の脆弱性が放置されたままのサイトを撲滅させることが夢です。
どうやったら一番効率よく勝てるのかを考えています。身近なところだとパチンコの勝ち方を調べたり計算したりしています。
オーバー入賞の方法や期待値の計算など、なかなか奥が深くて楽しいです。
日本にカジノが出来たらブラックジャックでチキン・ディナーを体験してみるのが夢です。
子持ちの人、年齢が10以上離れている人にはどうせ相手にされないだろうと思ったので最初はいいねを送っていなかったのですが、
「いいねを送り返すかどうかは相手が決めることだから気にせずどんどん送った方がいいよ」とのアドバイスを友人に貰ってからは気にせずいいねを送るようにしていました。
結局そういう人たちにはいいねを送ってもブロックされたのですが。。。
マッチングアプリ、奥が深い。
結果としておかんの物の配置が勝手に変更され、作業フローが乱れ、
ついにおかんに切れられて「えっ?えっ?」ってなって試行錯誤するんだけど、
煮物に痺れ切らしてブチギレてやりがちな行為だけど実は全部間違ってる
レシピ通りになのに想像通りの出来にならない可能性は大きく分けて二つ
作る側が間違えてるか、レシピが間違えてるか
まず作る側が間違えてる場合
味が必要以上に濃くなるのを恐れてやりがちだけど炒め物、特に塩分でしか起こり得ないのでニンニク生姜などの風味系は全く躊躇する必要無し。トータルバランスさえなんとかなれば砂糖は思ってるより多くても美味かったりする。
火が通るまでの所要時間や火加減などは具材によって違うので、全てを合体させて味付けを行う前にそれぞれ別々の処理を適切に完了させておく必要がある。例えば大きいカットの大根などは予め強火で茹でるなどして繊維質をある程度解しておかないと、味が染みにくく出来上がりにアクや硬さが残ってしまう。
殊に煮込み料理において時間は無限に必要とされる。20分煮込んでハイどーぞの煮込み料理が味なんてするわけない。煮込む汁を何度となく味見と微調整を繰り返して、完璧な仕上がりになっているのなら足りない物は他ならぬ時間だけである。煮物の味が染みるのは冷める時、それも具などの中心温度がいわゆる常温まで下がり切った時。豚の角煮など大きな具の中心まで味を染み込ませるのには、優に丸2日を要する。
・塩少々を省略している
これは塩気が足りないとき以外には入れなくていいと思われがちだが、味の輪郭をハッキリさせる為のものなので人差し指と親指でほんの少しつまむ程度でも入れるのと入れないのではかなり大きな差がでる。調味料のみならず野菜や肉の味までがグンと前にでて来るのでなんだかよくわからないけど何か足りないときはこれが欠けている場合がある。
クックパッドには時間も調理方法も下手すると衛生管理的にもあり得ないレシピが平然と投棄されているので、全く当てにしないくらいで丁度いい。プロのレシピが探しづらかった黎明期こそ役に立ったかも知れないが、今となっては良くてゴミ生成、下手すると食中毒や寄生虫に罹患する為のサイトに成り下がった。
一部都市伝説的なモノだがプロのシェフがレシピを公開する際、自分の味を守るため隠し味のみを記載しないというのを聞いたことがある。家で同じものが作れてしまったら商売にならないから当然と言えば当然だし、料理においては開発者の権利であるようにすら思える。つまりプロのレシピにも不備がある時にはあるものなので、最終的には自分の経験則が最大の調味料になる。
個人的に煮物は超弱火の煮立たないギリギリで加熱すれば蒸発も最低限に抑えられるし、具の中心まであったまったら火止めて冷ますし、水分のコントロールも難しくないから気長に、気に入らないなら何度となく試行錯誤してみれば良いんじゃないかな。俺は使ったことないけど圧力鍋とかあると捗るって言うよね。